───闇の胎動───
それは昔の物語。 いつか訪れた魔人の日を思う。 ───夢を見る。 あの日の夢だ。 わたしはまだ幼くて、何も知らなかった無邪気な頃。 わたしはわたしがみんなと違うことくらい知っていた。 銀色の髪に、赤い瞳。 そんなものを持って生まれたわたしは、この世界では浮いた存在だった。 どこに居ても目につく。 当然、群集の中に混ざれば誰かがそれを変に思うのは当然のことだと思う。 わたしはガイジンとか吸血鬼とか言われながら育った。 幼稚園ではその髪を引っ張られたり石を投げられたり。 小学生の時はその延長で、 同じ小学校に上がった男の子がわたしのことを、 『あいつはバケモノだ』などと言いふらして悪い噂を面白半分に流した。 面白がってイジメに加わる男子生徒達に囲まれながら、だけど絶対に泣かなかった。 泣いてしまったら、自分がバケモノだと認めたことになりそうな気がしたから。 わたしは確かに他の人とは違う。 髪の毛は銀色だし、目は黒目じゃなくて赤目だ。 そんなことから連想して吸血鬼とか言われても、気にしなければいいと思った。 だってわたしはバケモノでも吸血鬼でもない。 そんなことを言われる筋合いがない。 でも、男の子達のイジメはいつまでもやまなかった。 嫌になることは何度だってあった。 だけど死のうだなんて思わなかったし、やっぱり泣きもしなかった。 だって、希望はあったから。 イジメられていたわたしを助けてくれた人が居たから。 どうして助けてくれるのかは解らなかったけれど、 その人の目を見たら、薄っすらと赤かった。 それが理由なのかなって思った。 その女の子の名前は浅美(あさみ)といった。 わたしと同じで気が弱く、だけど傷つけられっぱなしではいない人。 強い人だなって思った。 そんなこと、わたしには出来そうもなかったから。 でも出来るだけ変わっていこうと思った。 そうしなければいつまで経っても変われないから。 小学3年になった頃。 その頃にはわたしと浅美ちゃんは親友になっていて、 隠しごとはしないようにしようって約束を交わしていた。 わたしは自分の持っている出来るかぎりのことを教えて、 浅美ちゃんもそれに応えてくれた。 ……嬉しかった。 わたしには、ここまで心を許せる人が居なかったから。 ずっと友達でいようって、笑いかけてくれる人が居てくれなかったから。 わたしはきっと幸せだった。 ───あの日が訪れるまでは。 小学3年の秋。 下校時刻に浅美ちゃんに声をかけて一緒に帰ろうと誘った。 だけど浅美ちゃんは『用事があるからごめん』と言って、一緒に帰ろうとはしなかった。 用事じゃ仕方ないと思って……わたしもその場から普通に帰った。 …………だけど帰路を歩く途中、忘れ物をしたことに気づいて学校に戻った。 上履きを履いて、階段を上がって、教室へ。 だけど───その時。 教室から声が聞こえた。 男子達の声と……浅美ちゃんの。 聞き耳を立てるなんて嫌だったけれど、わたしはそれをした。 教室の中では、男子達が浅美ちゃんを囲んで罵倒を飛ばしていた。 『どうしてバケモノの友達になってんだ』とか『バケモノの友達はバケモノだ』とか。 そんな中でも浅美ちゃんは───わたしのことを友達だと言ってくれた。 嬉しい。 だけど、もういい。 そんなことを言っていたら、もっとイジメられることをわたしは知っている。 わたしのことはいいから。 だから、『友達なんかじゃない』って言ってほしかった。 これ以上、イジメられてるところなんか見たくないよ。 わたし、イジメられることには慣れてるから───! ……でも。 数分経ったあとでも、浅美ちゃんは友達だと言い切った。 カッときた男子に殴られても、それは変わらなかった。 ───どうしたらいいんだろう。 本当はわたしも教室に入って、止めるべきだったのかもしれない。 ちっぽけな勇気でもきっと浅美ちゃんの力になった筈だった。 だけど……わたしはどうしようもないくらいに泣いていた。 ここまでしてくれる友達が居る。 自分をここまで思ってくれる人が居る。 嬉しくないわけがない。 動けないくらいに嬉しかった。 でも───それもすぐに消えた。 一度殴ったことで遠慮の線が切れた男子が、浅美ちゃんを殴り始めた。 それに促されるように他の男子も倒れた浅美ちゃんを蹴る。 ───許せなかった。 許せるわけがない。 そんな景色を見ていたら、わたしは自分の中で何かが弾けるのを感じた。 自分じゃ抑え切れないような、混沌とした黒い何かがわたしの内側から飛び出した。 そしてわたしは教室の中にゆっくりと歩いた。 自分の意思じゃない。 体が勝手に動いている。 やがてその足音に気づいた男子がわたしを見た。 そして……うん、殴ろうとしたんだろう。 浅美ちゃんを殴っていた時点で、遠慮は既に消え失せていた。 つまり、そういうことだ。 そして、男子はわたしを殴った。 ごんっ、て。 鈍い音が鳴った。 すごく痛かった。 こんなものを、浅美ちゃんは堪えていたんだ。 堪えながら、わたしを友達と言ってくれてたんだ。 ───許せるものか。 痣だらけの浅美ちゃんがわたしを見た。 ───許せるものか。 喉を痛めたのか、苦しそうな声で『逃げて』と言った。 ───許せる、ものか。 その言葉を聞いた男子が、今度は本当に遠慮無しに浅美ちゃんのお腹を蹴った。 ──────。 当たり所が悪かったのだろう。 浅美ちゃんは血を吐いた。 それに蹴られた時、嫌な音がした。 骨が折れたのかもしれない。 涙を流して、血を吐いて、やがて床にぐったりと倒れる浅美ちゃん。 男子はその血を見て『気持ち悪い』とか『汚ねぇ』とか言った。 ───ドクン。 体が高鳴る。 ───ドクン。 頭が焼けるように熱くなり。 ───ど、くん。 ただ、わたしは……彼女を守りたくて。 ──────ユルセル、モノカ……! やがて、ひとつの言葉を吐いた。 『殺してやる……』 自分の薄っすらと赤い目が深紅に染まるのを感じた。 体の内側から何かが聞こえてきて、 それがどうしてか『魔人』という単語でしか唱えられなかった。 その存在が言う。 『コロセ』と。 やがてその存在に全てを奪われた時。 わたしは『魔人』と化していた。 そういえば聞いたことがある。 わたしの血は特別で、『月の家系』ってゆうものなんだって。 その力は強大で、意思の弱すぎる人は血に飲まれるんだって。 そんな話を、おじいさまがしていた気がする。 その力の根源は死神。 そして、その力に少しも抗えないで『魔人』に堕ちた時。 家系の人は、死神に堕ちるんだと─── ───ダメ! ドクンッ! ───ダメェッ! ドクン! わたしは───死神になんてなりたく……! ……心臓が信じられないくらいに暴走する。 息を吐くことさえ辛く、立っていられずに屈んだ。 そこに男子が近寄ってくる。 ……ダメ、来ないで……! 来たらきっと、わたしは……! ───本当に、人を殺めてしまう……! そんなのはイヤだ……! 許せないけど、でも─── わたしを友達と言ってくれる人の前でだけは堕ちたくなんかない───! ───必死に制御しようとした。 苦しい。 ───必死に抑え込んだ。 苦シイ。 ───ここで堕ちたら、きっとわたしは止まらない。 クルシイ……! ───何が自分のことは解っていた、だ───! ナゼ、解放シナイ……! ───わたしは何も知らなかった。 ナゼ……!殺シタクナイノカ……! ───わたしの血がこんなものだったなんて。 オ前ハ死神ノ血ヲ多ク受ケ継イダノダゾ……! ───イヤ……変わりたくない……! 我ヲ解放シロ! ───いや……!やだぁ……っ!! グ……!?馬鹿ナ……! ───消えて……!お願いだから消えて……! 馬鹿ナ……!死神ノ血ガ抑エラレルト言ウノカ……!? ───お願い……!おねが───!? 男子がわたしの前に居た。 その顔がニヤケて、わたしの頬を殴った。 遠慮が無かったんだろう。 わたしの意識は一瞬でも刈り取られて。 そして───奪われた。 あとは……わたしが死神の代わりになった。 暗い世界で外の景色だけを眺めている。 その景色が恐ろしくて。 わたしは泣くことしか出来なかった。 ある者は殴り倒され、ある者は腕を捻じ曲げられ、ある者は蹴り飛ばされ─── そこに居た男子達が立てなくなるのに、そう時間はかからなかった。 それでも彼らが生きていたことは……多分、わたしの精一杯の抵抗のためなのだろう。 そして最後に残った男子に向かい、『魔人』は歩を進めた。 ドウシテクレヨウカ。 その言葉が頭の中に流れ込んでくる。 ───まず何処を折ろう。 首を折るか足を折るか背を折るか指を折るか…… その存在自体を折るのも一興ダ……! ……吐き気がした。 おぞましい思考がわたしの中に溢れてくる。 ただ見ているだけのわたしなのに、どうしてこんな思考が流れてくるのだろう。 ───やがて男子の頭に手が乗せられた時。 『だめぇっ!!』 その声が聞こえた。 その声に、魔人は振り向く。 そしてその視界が開けた時、そこに浅美ちゃんが居た。 『だめだよ……!こんなことしたらもう普通じゃいられなくなるよ……!』 だめ……だめ。 逃げて、逃げてよ……! そんなこと言ってる暇があったら逃げて……! だって……さっきからわたしの中の魔人が言うの……! 『ドウ食ッテヤロウカ……』って……! 『家系の力は人を傷つけるためのものじゃないでしょ……!?』 やめて……! これ以上、この人格を苛立たせるようなこと言わないで……! 逃げて……!『逃げてぇえええっ!!』 『───!椛ちゃん!?』 一瞬だけ、魔人に打ち勝てて出た言葉。 そんなわたしの声を聞いた浅美ちゃんが、わたしを気遣って走り寄ってきた。 ……だめだよ……。 どうして逃げてくれないの……? 逃げてくれないとわたし…… ───あなたを殺してしまう…………─── グキッ、という音が鳴った。 見れば、わたしの手が浅美ちゃんの首を掴んで、その体を持ち上げている。 浅美ちゃんは苦しそうに……だけど、それでもわたしに呼びかけた。 ……ごめんね。 もう、だめなんだよ。 今ので精一杯だったのに……どうして逃げてくれなかったの……? ───わたしの体……いや、魔人の体から黒い霧のようなモノが滲み出た。 どうして……わたしに近づいたりしたの……? ───その霧がやがて、持ち上げている浅美ちゃんを包んでゆく。 わたし、あなただけは傷つけたくなかったのに……。 ───その霧がどういうものなのか、わたしにはなんとなく理解出来た。 ……お願いだから。 ───それは『蝕むモノ』だ。 ……わたしの腕を切ってでもいいから……逃げて……! ───それは恐らく、彼女も気づいているだろう。 ……お願い……。 ───だけど彼女は。 だけど彼女は─── わたしを見て笑って、 『わたしが抑えてあげるから、いいよ。一緒になろう……?』 そう言って……月蝕の闇に───食われた。 「いやぁああああああああああああっ!!!!!!」 喉が焼けた。 愛しかった人がわたしの中で咀嚼されるような感覚。 彼女を飲み込んだ途端に自我が取り戻されて、わたしは泣き叫んだ。 残っていた男子がわたしを『死神』と呼び、 抜けた腰を庇いながら泣き叫んで逃げてゆく。 教室の中は血が飛び散っていて、倒れた男子からは苦しそうな声だけが漏れている。 その目がわたしを見て、怯えた表情になっていた。 ……自我を取り戻せた理由が理解出来る自分が憎かった。 それは間違いなく、彼女の最後の言葉そのものだったから。 知ってたんだ。 わたしが朧月の家系の子───月を食らう者だということを。 どうしてわたしを友達だなんて言ってくれたんだろう。 わたしに構わなければ、消えることもなかったのに───。 ……その日から、わたしは『死神の子』と呼ばれるようになった。 否定はしなかった。 いや……出来るわけがなかった。 自分がバケモノだと自覚してしまったから。 事実、わたしの中には死神という名の魔人が居る。 ……でも生き方を変えようとは思わなかった。 人は避ければいい。 近づかれたら距離を測ればいい。 今回のことで幸いだったのは、相手が数人がかりだったということだ。 男子数人がかりを相手に『ひとりの女の子』がそこまで出来るわけがない。 ……そう、浅美ちゃんはその場に居なかったことになっている。 だって、わたしが消してしまったから。 だけどそれを見た男子は全てを知っている。 だけど信じろというのが無理な話だ。 女の子がひとりで、武器も持たずに男子数人に重症を負わせたなんて、無茶なことだ。 だけど何も知らない他の生徒は面白がってわたしを死神の子と言った。 言うだけなら構わない。 ただ、わたしに関わらなければそれで─── 中学に上がる頃、わたしは遠くの中学校に行くことにした。 同じ場所に留まるには、この街は辛い思い出がありすぎるから。 一緒に住んでいたおじいさまに無茶を言って、わたしはとある街に住むことになった。 初めてのひとり暮らし。 だけど、それでいい。 孤独なままの方が悲しまないし、誰も……消さないだろうから。 ……おじいさまは言った。 『朧月』に流れる力は『月の家系のみ』を蝕む。 だから、辛いのなら別の場所に行くことを止めはしないって。 月詠街は家系の人物が多すぎるから。 だから、別の場所で静かに生きようと思った。 けれど結局、あの魔人が現れれば人を傷つけることも確かだ。 だから、人を避けることを忘れてはならない。 孤独でいいんだ。 ずっと、孤独でさえいれば─── 中学三年の頃。 わたしにしつこく付き纏う男が居た。 ヘラヘラと愛想ばかりの男で、学校では女好きで有名な男だった。 面白半分でかまってくるこの男が大嫌いで、わたしはいつだって逃げていた。 そしてある日。 その男が仲間を連れてわたしを囲んだ。 そして言う。 俺のモノになれ、と。 何を言っているのかが解らなかったけれど、誰かのものになるのは嫌だった。 ……いや、人に近づくことさえ嫌だったから。 だけど男はお構いなしにわたしに近づく。 どうして放っておいてくれないんだろう。 いい加減、このヘラヘラとした態度に腹が立ってきた。 人の目も見ないで声をかけてくる人なんて嫌いだ。 だから『わたしに構わないでください』とだけ言って、その場から離れようとした。 でも男はわたしの前に立ち塞がった。 そして言う。 俺達といいことしようぜ、と。 目を合わせないで体ばかり見てくる男に腹が立つ。 でも人を傷つけることはもうしないと決めた。 暴力を振るわれた時だけ、軽く流せばいい。 そう思ったわたしは男の横を通ってその場を去ろうとした。 ……その時。 男の手が、わたしの胸に当てられた。 その時にハッとなって見上げた男の顔は下衆なものだったから。 ───わたしは初めて『人として』キレた。 気づけば大きく振りかぶって男を容赦なく殴り倒していた。 凄い音がした。 男は顔面を地面に叩きつけられて痙攣している。 ……一応、生きていてくれたようだった。 だけど、周りの連中はやっぱりわたしをバケモノと言った。 それはそうだ。 人がバウンドして浮くほどに殴れる女なんてざらに居ない。 男達はわたしが通ろうとすると慌てて道を空けた。 ……それ以来、学校ではまたバケモノと呼ばれるようになり、 平穏だった筈の暮らしが再び汚された。 関わってきたのは向こうなのに、 どうしてわたしが平穏を崩された上にバケモノと呼ばれなければいけないのだろう。 ……こんなの、絶対間違っている。 高校に上がった時、小学の時のあの男に会った。 当然、わたしは恐れられてまた平穏を崩される。 何も言わなければいいのに、どうしてかイジメっ子というのはそれを好む。 ……子供なんだな、きっと。 仕方なく転校を決めたのがその三日後だった。 男は凄く喜んでいた。 それでいい。 そもそも関わり合いを避けてるくせに、 どうして言いふらすようなことをするのかが解らなかった。 発生源は彼でしかないというのに。 ───そして転校初日。 澄んだ朝露の空気に抱かれながら、ゆっくりと学校へ向かっていた。 今日はいいことがありそう、だなんて勝手な理想を抱いていたら、何かに衝突した。 上を向いて歩いていたのがいけなかったのか、 わたしはバランスを崩して倒れてしまった。 何に当たったのかと思って見上げてみると、手を差し伸べている男の人。 わたしはいろいろあって男の人が苦手だった。 だけどその人は何かが違った。 何が違うんだろうと考えている内に、その手がわたしの手を掴もうとする。 わたしは無意識にその手を払い、『触らないでください』と言っていた。 失礼だとは思ったけど、関わってほしくなかったから。 だけどその人は払われる瞬間から払われた後まで、わたしの目をずっと見ていた。 ……どうしてだろう、と考えた。 そして思い当たる。 赤い目が珍しいからだ、と。 そして案の定、彼はわたしの銀色の髪と赤い目について質問してきた。 ……だけど彼が勝手に出した結論は的外れもいいところだった。 わたしはなんだか馬鹿馬鹿しくなって、その場をあとにした。 ───でも、あの人……ずっとわたしの目から自分の目を逸らさなかったな─── 今までの人は気味悪がってすぐに逸らしていたのに。 ……それがなんだか不思議だった。 職員室に寄り、担任の先生を紹介されてから教室に向かった。 ややこしくなるといけないからわたしは外国の血が混ざっているということで、 髪の色と目の色をなんとか聞き流してもらった。 銀色の髪の人種なんて聞いたこともない気がするけど。 ───やがて教室に入って簡潔な自己紹介をして席に座る。 いろいろと質問責めにされたけれど、あまり喋ることもなかった。 ただ、どうしてか双子の上級生が混ざっていて、 その馴れ馴れしさが嫌だったから『拒絶』した。 すると、何故か顔を染めて嬉しそうだったのが……不気味だった。 拒絶してからというもの、教室の中はなんだか冷めたものになっていた。 わたしは申し訳なさを感じて、サボリでもいいから誰も居ない場所を目指した。 そして行きついたのは『立入禁止』の札の先の屋上。 綺麗な場所だった。 わたしはなんとなくおじいさまの昔話を思い出して、 おじいさまがよく寝転がっていたという出入り口の屋根に興味を引かれた。 学校は違うけれど、場所は似たようなものだろうし。 わたしはそこに寝転がって空を見上げた。 ……屋上に吹く風は気持ちがいい。 自然的に目を閉じると、間も無くわたしは夢の中へ落ちていった。 ───ドアの開く音を聞いて目が醒めた。 気づけば陽は進んでいて、今がなんとなく昼あたりだと実感した。 体を静かに起こすと、足をぶら下げたままその場に座るカタチになった。 『あ……』 屋上に出てきて、ベンチに寝転がるその姿には見覚えがあった。 その目が、再びわたしを見つめた。 そして『よ、転校生。なにやってるんだ?』と言う。 これだけ離れているのにわたしの目をしっかりと見つめて。 わたしはそれが不思議だった。 やっぱりこの人はどこか他の人と違う。 ……と、なんとなく考え事をしていたら、返事をしていないことに気がついた。 わたしはそこまで礼儀知らずで居たくない。 そう思い立って言葉を返そうとしたら、いつの間にか男の人は梯子に手をかけていた。 それは困る。 近寄られるのは好きじゃない。 だからわたしは距離を置くために離れた。 ひとまず屋上から中に入ろう。 そう思って、その石屋根から飛び降りてドアを開けた。 男の人は何か驚いたようだった。 ……それならそれでもいい。 関わられるよりはいいだろう。 その後、声をかけられたけど適当に返して階段を降りていく。 だけど。 その階段が突然崩れた。 『あ、危ないっ!』 次の瞬間にはその声が聞こえて、わたしは助けられていた。 危うく倒れるところだったけれど、わたしはお礼を言う前にその手を払っていた。 ───男の人は一切目を逸らすことなく、わたしと話をしていた。 助けたのに手を払われた。 だって言うのに、どうしてこの人はこんなにわたしに構うんだろう。 放っておいて欲しい。 でも、わたしの目を見て話してくれる人なんて浅美ちゃん以来だった。 ……いや、浅美ちゃんだってここまでわたしの目を見ていただろうか。 ───その男の人の目はウソをつかない目だった。 冗談以外でウソをつかない、それこそ人の目を見て話さない人が嫌いとも言うような目。 わたしにはそんな目が眩しすぎて、つい俯いてしまった。 『おっさぁあああん!カムヒアーッ!!』 だけど、その声に驚かされた。 その次の瞬間には何もない場所から男の人が出てきて─── その事実よりも、その存在から『人じゃない何か』を感じた。 彼の言ったことにはウソがなかった。 もし彼を信じることが出来たなら……多分、もうウソを知る必要はないのだろう。 でも、だからこそ。 わたしは人に近寄っちゃいけない。 そんな稀少な存在を、わたしはまた消してしまうかもしれないのだから。 確かに彼は家系の人間じゃないだろう。 でも、魔人が目覚めれば消すことはなくても殺すことはあるだろう。 だから───それはダメだ。 だから……わたしは─── 再び屋上に座った。 石屋根の上に届く風はどこか気持ち良く、 おじいさまがその場所が好きだった気持ちがなんとなく解った。 人垣の中で蔑まされる存在には、この場所は穏やかすぎる。 でも、だからこそ心がやすらぐから。 ───ガチャッ。 ……そしてまた、あの音。 見下ろしてみれば、あの男の人がベンチまで歩き、再び寝転がっていた。 わたしの視線に気がついたのか、その目が薄っすらとわたしを見る。 だけど馴れ馴れしく声をかけてくるようなことはしなかった。 ……人と一緒の場所に居るからって、必ず話さなければいけない道理なんてない。 もしそんな道理があるとしたなら、それを作った人は愚か者だ。 自分のことだけしか考えてない上に、相手の心情をまるで考えていない。 ……ああ、そうだ。 こんな時間、ずっと忘れていた。 誰かと一緒に居るというのに、どうしてこんなに穏やかなのか……。 それは多分、あの人が強引に領域に入ってくるような人じゃないからだろう。 ……やがて聞こえる寝息。 静かな屋上の世界で物音が聞こえるとしたら、 そんなものくらいなのがなんだかおかしかった。 ───そして、笑っている自分に気づいた。 笑うことなんて、もう無いと思ってたのに。 ……不思議だ。 何が不思議なのか解らないのも手伝って、余計に不思議だった。 そしてその頃になってようやく、 わたしがまだ彼の目を見つめたままだということに気づいた。 ……そして、今度は声を出して笑った。 ───穏やかな季節……春。 わたしの中で、ずっと悲しい顔をしていた浅美ちゃんが、やっと笑ってくれていた。 Next Menu back