───遠い昔のお話。 よくおばあちゃんが話してくれた、男の人とのお話。 わたしはおばあちゃんのするそのお話が大好きで、 いつかは自分もそうなれたら、と……ずっとそう考えていた。 そのために適性の検査も頑張ってクリアして、わたしは一人前になったつもりだった。 わたしにもおばあちゃんみたいな思い出が出来るんだって。 でも……内容は相手を『幸せにするまで帰れない』ようなものだった。 わたしは迷った。 だけど……やさしい人と会えれば、不安もきっと喜びに変わる筈だからと。 そう思って、わたしは地界へ降りた。 その時、わたしは───『幸せ』ってゆうものがどんなものなのか。 まるで解っていなかったんだって、成長してから知ることになる……。 ───物事の段階───
───……。 聞こえた声に耳を傾けて声を返した。 『……解りました』 言葉を返してから聞こえる声は穏やかなもので、 自分はようやく解放されるんだと思った。 『今日ですか?……はい』 もう一度言葉を返して息を吐く。 声は途切れて、それが最期の引き金になったんだと……そう思った。 ───じゃりりりりりりりん! がしょんっ! ……朝である。 けたたましく鳴り響く目覚ましを止めて、ただぐったりと窓から見える景色を眺めた。 ……やがて溜め息。 凍弥 「……うう」 気が重い。 二日後まで目が醒めなければ良かったのに。 凍弥 「どうしよ……」 ガッコに行くとなると相当キツそうだ。 人の心が見えるのは人の意識に介入するのと同じだ。 これほど辛いことはない。 周りに居るのが志摩兄弟みたいに単純思考なヤツらばっかりだったら楽なんだろうけど。 凍弥 「こうしててもしょうがない……行くか」 心の声が聞こえたら逃走すればいい。 ハンガーから制服を降ろしてパパッと着替えた。 既に衣替えをしたその服は、まだ少し肌寒さを感じさせた。 夏とはいえ暦の上での話だ、まだ寒いのは変わらない。 といっても多少程度だから身を縮め込ませるほどのことでもない。 それどころか心を新たにする気持ちで居られる気分だ。 よし、と頷いた上で俺は自室のドアを開き、階下へ向かった。 ───……。 階下へ降りると、そこには誰も居なかった。 まだ寝てるのか、と思うも、俺が早起きしたんだから当然だ。 身近な者の心ほど見たくないものはない。 人によってはバラバラだろうけど、少なくとも俺はそう思ってる。 だって、聞いてしまったらどう接したらいいか解らないじゃないか。 そんな日常が続いていくのは正直勘弁だ。 そういう訳で俺は早起きを企てた。 ちなみに言うとリヴァイアは使ってなかった部屋に泊まっていて、 遅くまで俺にコントロールの仕方を教授してくれた。 ……とてもじゃないが記憶しきれないくらいの教授を。 凍弥 「さてと、パンと牛乳は……っと」 トースターにパンを放り込んで目盛りを回転させると、 今度は牛乳を取り出すために冷蔵庫を開けた。 サクラによって滅ぼされた牛乳は残念ではあったが、 こんなこともあろうかとあれから購入しておいた低温殺菌牛乳だ。 どこらへんが『こんなこともあろうかと』なのかはまあ別として、グラスを手に取る。 トポトポと牛乳を満たしていき、それを客席に置くと顔を洗いに行く。 洗面所で水を流し、ふと鏡を見てみる。 その顔は……なんだかとても疲れていた。 凍弥 「……やれやれ、どうやら重症らしい」 人の心が聞こえるだの見えるだの、 そんなことを考えすぎてたら脳が休まらなかったようだ。 いけないな、これじゃあ疲れがとれない。 凍弥 「まあいいけど。悩むのなんて久しぶりだ」 あくまでプラス思考を捨てないのは自分的に暗くなるのが嫌だからだと思う。 好んで暗くなる人なんて見たことがないしな。 さてと、と呟いた俺は顔を洗って目を覚ました。 トドメとばかりにぐぅっと伸びをして、それこそ出発点を決めるような心意気で。 実際悩んでいたって進まないのは確かだ。 解決策があるならそれまで待てばいいだけなわけだし、待つのが嫌なら進んでおけばいい。 凍弥 「解決策が見つからない時が一番苦労するんだけどね」 溜め息ひとつ、洗面所をあとにする。 客席に置かれたままの牛乳を一飲みして、また満たした。 起き抜けの一杯の水分は体に潤いを与えてくれるらしいぞ。 当然といえば当然なんだが。 チーン。 凍弥 「おっと」 トースターから鳴る音を聞いて厨房に向かう。 まだ誰も居ないその場所をのんびりと歩いて。 なんにせよ、こういう朝は嫌いじゃないのだ。 静かな空間に、外から差し込む朝陽の光。 鳥の囀る音や時折聞こえる自動車の音。 たった今気づいたかのように聞こえる雨戸を開ける音や新聞配達の人の気配。 最高じゃないですか。 こんな時代でも穏やかな時間が残ってるって最高だと思うぞ? 凍弥 「ま、それも結局は人それぞれか」 厨房に潜り込んだ俺はトースターを開けてパンを取り出した。 だが、パンはてんで焼けてなかった。 凍弥 「……ついに壊れたか」 トースターをコツンと小突いてみる。 当然なんの反応も無い。 目盛りを上げてみても赤く熱が篭るわけでもなく、 ただジィ〜と目盛りが戻ってゆくだけである。 凍弥 「……はぁ」 仕方なくフニャフニャなままのパンをかじった。 噛めば噛むほどモッチャモッチャしてゆく。 ……サクサク感が欲しいところだ。 毎度毎度何かしらの邪魔が入り、俺の朝模様は邪魔されているわけだが、 今回はトースターが謀反を犯した。 ちくしょう、俺が何したっていうんだ。 ブツクサと考えながら客席に戻って牛乳を胃に流し込んだ。 口を拭ってグラスを洗い場に置くと、鞄を引っ掴んで鈴訊庵を出る。 凍弥 「満たされないなぁ……」 こういう日はどこか口惜しい。 ちくしょう、なんだってんだ。 学校に辿り着くと、校門が開けられるところだった。 速く来過ぎたか?とか思ったけど、思うだけで足を止める気にもならなかった。 そのままの足で昇降口に入り上履きを装着して廊下を歩いて階段を登って。 そのまま登り続けて屋上に辿り着いた。 ……うん、屋上の方が寒い気がする。 屋上に吹く風はどこか冷たかった。 少しの差だと思うのに、少し高くなっただけでこうも寒いものか。 そうは思ったけど引き返す気にもならず、そのままベンチに歩み寄って寝転がった。 見える景色は空。 朝の景色を見守るその空にはうっすら白みがかかっていて、 なんとなく『ああ、朝だな』と思わせた。 そんな景色から視線をずらして屋上のてっぺんを見てみる。 もちろんこんな朝早くから朧月が居るわけもなく、俺はどこか苦笑を漏らした。 居ないにこしたことは無い。 今の俺はそれほど危険だと思う。 心……心の声……どうしてそんなものが聞こえるんだ。 くそっ……。 凍弥 「……気が晴れないなぁ……」 重い息を吐き出した。 だからって気が軽くなるわけもなく、 なんだか自分の心が荒んでしまったかのように感じた。 まるで『凍弥』と呼ばれることを嫌ったあの頃のように。 ……嫌だな、あの頃の自分は好きじゃないのに。 ───……あ。 誰か来る。 あと10秒くらいだ。 足音からして女性……小柄な娘だ。 高い確率で朧月だろう。 凍弥 「………」 ……勘弁してくれ、どうしてこんなことが解るんだ。 俺はサバイバルをしたいわけじゃないんだから、 人の気配を感じることが出来たって意味が無い。 くそっ。 凍弥 「どうする」 いや、どうするもなにも、出口はそこのドアしかない。 どう足掻いたって対面はするだろう。 裏に回ってやり過ごすにしたって、心の声は聞こえると思う。 あー……馬鹿な選択したもんだ。 家に居ればよかった。 アホですか俺は。 凍弥 「……あまりやりたくなかったんだが」 仕方ない。 俺はベンチから起き上がると伸びをして声を放った。 凍弥 「浅美、ちょっといいか?」 そう言うと、間も無く浅美が現れる。 俺は浅美が何かを言う前に問答無用で力を流し込み、肉眼で確認できる状態にした。 昨日、美紀にやったことと同じものだ。 浅美 『……あ、あの?』 凍弥 「頼む、人をダシにするみたいで本当に嫌なんだけど、     朧月を屋上に来させないようにしてくれないか?     あ、いや……出来れば誰も近づかないようにしてくれると助かる」 浅美 『うーん……』 凍弥 「頼む、本当に」 浅美 『あの、思ったんですけど』 凍弥 「うん?」 浅美 『わたしと美紀ちゃんに力を流し込めば、     凍弥さん自身の力も弱まるんじゃないですか?』 凍弥 「───……ああ!」 盲点!なんてこった! 凍弥 「浅美ぃ……お前って妙なところで頭がキレるよな」 浅美 『……なんか引っ掛かる言い方ですね』 凍弥 「いやありがとう、えーと……美紀?」 美紀 『もう居るよ。それで……どうするのかな』 訊いてきた美紀に行動で示す。 美紀にも力を送り込むと、少しの疲労感に襲われた。 凍弥 「……てゆうかさ、浅美。どうして俺が力のことで苦労してるって知ってるんだ?」 浅美 『凍弥さんの中に居れば嫌でも聞こえますけど』 凍弥 「───」 そりゃそうだ。 昨日はリヴァイアに散々教授してもらってたからな、それで解らなかったら逆にスゴイ。 凍弥 「えーと……」 思考はひとまず置いといて、俺は神経を集中させた。 その状態で浅美と美紀を見ると…… 凍弥 「……………」 ………………。 凍弥 「───お……おおおお!」 見えないし聞こえない! ああ、今人間としての息吹がありがたい! 凍弥 「ははっ……!サンキュー浅美ぃっ!」 浅美 『きゃっ!?』 嬉しさのあまりに浅美を抱き締めた。 ああもう、どうしてくれようか……!人間っていいなぁ! 浅美 『あ、あの、あの……!?』 美紀 『凍弥くん凍弥くん、浅美ちゃん顔真っ赤だから離してあげて』 凍弥 「ああ、悪い悪い」 浅美を離すと、俺はよく解らない開放感を胸に抱いた。 自然の声が聞こえなくなったのは残念だが、やっぱりこれが一番だと思う。 浅美 『え……っと……あの、凍弥さん?     これで椛ちゃんを止めなくてもいいんですよね?』 凍弥 「ごめんな、いろいろ言って。多分もう大丈夫だ。だけど───大丈夫か?」 浅美 『え?なにがですか?』 凍弥 「浅美だよ。朧月と対面して話せるけど……」 浅美 『───……あ!』 浅美は今気づいたように自分の体を見つめた。 浅美 『そ、そうでした……どうしましょう』 凍弥 「話すのは嫌か?だったら力も戻すけど」 浅美 『いえいいんです、そんなことしたらまた凍弥さんが苦悩することになるし、     ……それにわたし───』 凍弥 「………」 浅美は黙って俯いた。 そんな時に思うんだが、いつになったら朧月は来るんだろうか。 もうとっくに10秒以上経っているが。 美紀 『来ないね』 凍弥 「来ないなぁ」 もう超感覚が無くなってるからドアの先で何が起こってるのかは解らないが……。 引き返したのかな。 浅美 『あ、……わたし、見てきますね』 凍弥 「え?ああ……」 浅美がヒョン!と結構な勢いで飛んでいって、ドアをすり抜けガバァンッ!! 浅美 『ふぎゃっ!』 ……ようとしたら、ドアに衝突した。 浅美 『あ、あれあれ……!?浮けるのに生身だ……!』 涙目になりながら頭をさする浅美。 凍弥 「……力、全部送ったしなぁ」 完全なコントロールは出来ずとも、力を送るコツは昨日の内にマスターしたのだ。 ああ、ありがとうリヴァイア。 浅美 『でも発声は霊体っぽいままなんですね。少しブレてます』 凍弥 「そこまで生身にはなれないってことだろ。     案外ひとりだけに力を全部送ればなれるかもしれないけど」 ……でも待てよ?力を送ったからって霊体が生身になるってことは…… 凍弥 「………」 俺は試しにドアに触れてみた。 すると、スゥッと手がすり抜ける。 凍弥 「おぉわっ!?」 …………やっぱりだ。 人としての実体率ってのを送ってるようなものなんだ。 ややこしいが、つまり俺の体は回線とやらを開いたために異常な状態にあるらしい。 あれからのことだが、リヴァイアが言っていた。 『お前の体や能力は地界より天界のものに近い』と。 回線とやらも地界人が持つものより天界人の持つものの方が多かったそうだ。 ……おまけに『せっかくだから空界の回線も移植しておいた』とまで言っていた。 つまり俺は一口で三度オイシイ奴なんだそうだぞ。 くそ、なんのこっちゃ。 で、トドメはこの言葉だ。 『冥界以外の全ての回線を持つお前は異常体質にある。  その上、もし冥界の回線までもがなんらかのカタチでお前に宿るとしたら、  お前はもう不特定な存在となり、誰も知らないような能力を得ることになるだろう。  天界と空界の回線のみを持ったゼロ=クロフィックスでさえ、あの能力だ。  全ての世界の回線を手に入れたとしたらそれはとんでもないことだぞ』 なんて言葉。 その時はあまり気にしなかったが─── 凍弥 「……あ、あのさー……浅美?     お前って確か、なんとかの家系ってやつだったよな?」 浅美 『月の家系です。それがどうかしたんですか?』 凍弥 「えーと……その力の元ってなんだって言ってたっけ」 浅美 『元、ですか?死神らしいですよ』 ビンゴ! これだ!絶対コレが原因! なんらかのカタチで、って───ギャア! つまりなんですか!?俺ってば全世界の回線を受信しちゃったってこと!? あ、いやいや……浅美からは多分、波長の合わせから来てるんだと思う。 だとしたら───……結局無理じゃないですか。 波長を切ったら浅美が消えてしまうし。 自分のために人を落とすのは俺が最も嫌っている行為だ。 そんなことは志摩兄弟とのふざけ合いの中でしかやらない。 ……───………………。 凍弥 「……でも」 霊体に近いからって困ることがあるのでしょうか。 凍弥 「無いな」 うん、無い。 ならOKじゃないか。 凍弥 「よし、自己解決完了」 ひとまず人間離れの証である壁抜けを体験してみた。 スゥッ、と軽く壁を通り抜ける。 ……案外なんでもないものだ。 もっと感激出来ると思ったんだが。 凍弥 「人間の頃に出来なかったことが出来るってだけでもスゴイと思うけど」 ドアの先のおどり場で手をワキワキと動かしてみる。 感覚も普通だが、ふと思った。 床を通り抜けないのは何故だろうか、と。 凍弥 「……ま、深く考えないようにしよう」 考えすぎて確信を得た途端に床を通りぬけたら嫌だ。 これは多分、人間の頃に意識の習慣ってやつだろう。 壁抜けは抜けられると思ったから抜けたということで。 凍弥 「さてと、───あ」 視線の先で男子生徒に掴まっている朧月を発見した。 だから来なかったのか。 椛  「───何度言わせるつもりなんですか。離してください」 男子 「そう言うなよ、せっかくだから俺と遊ぼうぜ?」 椛  「興味がありません」 男子 「ハッ、そんな風に髪を染めてるくせに、遊びに興味が無いわけないだろ」 椛  「───……」 髪を染めてるくせに。 その言葉に、朧月の目つきが変わる。 余程嫌いな言葉のようだ。 凍弥 「おい、嫌がってるだろ?」 男子 「いいから来いよっ……オラッ!」 椛  「つっ……!」 勢いよく腕を引っ張られた朧月は痛みに顔をしかめた。 この……無視しながらそういうことするか? 凍弥 「おいっ!」 カチンと来た俺は階段を降りて男の目の前に立った。 凍弥 「お前な、嫌がってる娘にそういうことするか?」 男子 「チャラチャラしてるくせにガードだけは固いのかよ。ヘンな女だぜ」 椛  「……離して……ください」 が、全く気づいていない。 ……もしかして、見えてない? いかんな、これは。 凍弥 「───いや、待てよ?見えないんだから……ああ」 俺はまず試しに彼の肩に手を置いた。 男子 「あん?」 ……どうやら触れるらしい。 なのに声が届かないのはヘンな気もするけど。 凍弥 「浅美!美紀!ドア開けておいてくれ!」 屋上に向かって声を張り上げて構える。 そしてニヤニヤとしながら朧月の手首を掴んでいる左手に勢いのついた手刀を降ろす。 ガツッ!! 男子 「ってぇっ!?」 ヨシ。 俺はすぐさまに朧月を抱えると、男の顔面にハイキックをかました。 男子 「ぐわっ!?」 椛  「え?え……?」 反動をそのままに階段を駆け上り、開いているドアから屋上へと出た。 そんな俺を見た浅美と美紀が屋上のドアを閉め、息を吐く。 ……朧月は終始『?顔』だった。 が、浅美を見ると驚愕の顔をする。 椛  「あ……え?……」 浅美 『?……あ』 浅美は浅美で自分が見られているとは気づかず、しかししばらくしてポンと手を合わせた。 浅美 『椛ちゃぁあああああああんっ!!』 がばしーっ!! 椛  「きゃっ!」 浅美 『椛ちゃん椛ちゃん椛ちゃん椛ちゃん椛ちゃん椛ちゃん椛ちゃん椛ちゃん!!     椛ちゃぁあああああああああああああん!!!!』 勢いよく抱きつき、頬擦りだの撫でくりだの抱き締めだのを繰り返して歓喜乱舞する浅美。 実体を持って接することが出来るのがよほど嬉しいらしい。 浅美 『はぅうん!もうもう、何度こうやって会いたいって思ったことかー!』 椛  「あさみ……ちゃん?」 浅美 『うん!うんうん!凍弥さんのおかげで椛ちゃんと話せる浅美だよ!』 椛  「あ……えと……ど、どうして……」 浅美 『長くなるからパス!はぅうん!!椛ちゃあぁああああん!!』 椛  「あっ……!ちょ、浅美ちゃ……!」 再び抱き、締め⇒頬擦り⇒撫でくりのコンボを始める浅美に、朧月はたじろいでいる。 そんな中で美紀が俺の傍にちょこんと座って言った。 美紀 『……どういう友達だったんだろうね』 凍弥 「俺も気になってたところだよ」 同意見でしたとばかりに俺も言う。 椛  「ね、ねえ浅美ちゃん。     浅美ちゃんがここに居るってゆうことは、あの人も居たの?」 浅美 『そこに居るけど』 椛  「え?」 朧月がキョロキョロと屋上の景色を見渡す。 しかし俺に視線を当てることはない。 椛  「居ないよ?」 浅美 『うーん、椛ちゃんって家系の子なのに霊が見えないのって不思議だよね』 椛  「家系、嫌いだし……」 浅美 『うん、そうだよね。えーと、凍弥さん。こっちに来てください』 浅美に呼ばれるまでもなく、俺は朧月に向かって歩いていた。 浅美に抱かれたままの朧月の近くに立って、肩をトントンと突ついてみる。 椛  「ひゃっ!?」 朧月は驚いて振り向くが、俺は見られていなかった。 ……少し、幽霊の気持ちが解った。 人に見られないというのはここまで心細いものか。 自分は確かにここに居るというのに。 ───俺はふと美紀に目を移した。 美紀は苦笑いにも似た顔で俺の目を見て頷いた。 だけど俺はこの時、この状態を体験したことを少し喜んでいた。 誰かの気持ちが解ることは大切だと思うから。 それは霊であっても変わらない。 浅美 『今突ついたのが凍弥さん』 椛  「……え?」 朧月は驚愕の表情をして『まさか』と呟いた。 浅美 『ううん、別に女遊びが祟って亡くなったなんてことはないから』 椛  「そ、そうなんだ……」 凍弥 「こら、人をなんだと思ってる」 浅美 『知りません』 なんか昨日から浅美が怖い。 何故に? 女がどうとかってことになるととても怖い。 目つきが特に。 だってなんか赤く変異するんですもの。 浅美 『それで椛ちゃん。凍弥さんに何か用なのかな』 椛  「……浅美ちゃん、目が変異してるよ……」 浅美 『怒ってません』 椛  「顔、怖いよ?」 浅美 『怒ってません』 椛  「………」 そもそも怒ってない?とかは訊いてない。 朧月はなんだか驚きながら浅美を見ている。 椛  「……浅美ちゃん、性格変わった?」 浅美 『わたしね、霊体でも人は歳を取ると思うんだよ?』 椛  「でも変わってないよ?」 浅美 『外見は変わらないものだよ。でも心は別。これ、人間の摂理』 どうしてミスター・ポポ風なんだ? 美紀 『浅美ちゃんってこんな性格だったっけ?』 凍弥 「俺に訊くな、こっちが知りたい」 目が赤いままで朧月を抱き締めてる浅美は、それでも幸せそうだった。 これで阿修羅のような顔をしていたら友達だったことを疑っていたところだ。 でも怖いのは変わらない。 椛  「ねぇ、浅美ちゃん。どうして、えっと……霧波川先輩は見えなくなってるの?」 浅美 『凍弥さん、って呼ばないの?』 椛  「えっと……」 浅美 『ううん、いいのいいの。もし呼んでたら』 椛  「よ、呼んでたら……?」 浅美 『………』(にっこり) 椛  「!」 何故かニッコリと微笑む浅美。 別に何か喋るわけでもなく微笑んでいる。 その裏に何か黒いものを感じたのは俺だけではないだろう。 すぐ間近で朧月も感じたに違いない。 凍弥 「……美紀、力少し戻してもらっていいか?」 美紀 『仕方ないよ、こればっかりは。     浅美ちゃんだけじゃ何するか解らないし、わたしあの人のことあまり知らないし』 凍弥 「悪い」 美紀 『元は凍弥くんの力なんだから、謝ることなんてないよ』 俺は美紀から少し力を返してもらい、ドアに手をついてみる。 ……うん、ちゃんと触れられるな。 凍弥 「えーと、浅美?」 浅美 『はい?なんですか凍弥さん』 黒い笑顔のままで俺に振り向く浅美。 力が戻った俺が感じた彼女からの意識は『浮気したら許しません』だった。 ……浮気ってなに? 凍弥 「あの、さ。朧月苦しそうだから離してやったらどうだ?」 浅美 『ダメです、久しぶりの感触を懐かしんでるんですから』 凍弥 「性格変わってるぞ」 浅美 『素直なだけです』 いや……最初会った頃ってこんな娘だったっけ? 凍弥 「ごめんな、朧月。なんか感動の対面が妙なものになって……」 椛  「構いません。浅美ちゃんに会えて嬉しいのは確かだし、     浅美ちゃんはあなたに会うまでわたしの傍に居てくれたんですから」 浅美 『そうそう、椛ちゃんってとっても鈍感で意地っ張りだから大変だったんだよ?     この前だって双子の片割れさんの体借りて会いに行ったのに殴るわ蹴るわ』 椛  「え───!?あ、あれ……本当に浅美ちゃんだったの!?」 浅美 『椛ちゃんこそ素直さが無くなって可愛げが減少したよ……。     変わったって言うなら椛ちゃんも変わっちゃったよ……』 浅美には敵わないと思う。 浅美 『……何か言いたそうな顔ですね』 凍弥 「いや、お前には敵わないだろうってな」 浅美 『凍弥さんって隠しごとはあまりしないけど、ハッキリ言うのはどうかと……』 凍弥 「まあまあ。それだけ信用してるってことだよ」 浅美 『それは嬉しいんですけど……』 うーむ、思うんだが───もしかして俺が力を送った所為で性格にも変調が起きたのか? 浅美はここまで心の強調が無かった気がする。 凍弥 「───浅美、ちょっとスマン」 浅美 『え?あ───』 浅美から力を返してもらい、代わりに美紀に送った。 浅美 『あ……あ、あれ……?』 その瞬間、浅美の顔が随分と落ち着いた。 そして次の瞬間に顔を真っ赤に染めた。 浅美 『あ、あの……あのあのあの……わ、わたし……!?』 浅美は明らかな狼狽を見せた。 ……どうやら読みが当たったらしい。 凍弥 「……ってことは……?」 俺は恐る恐る美紀を見た。 美紀 『───なに?何か用?』 その顔は妙な自信に満ち溢れていた。 うそでしょう? でもなんだか確信を得たく無かったので全ての力を自分に戻した。 ……ようは心を見なければいいんだ。 見えても直視しなければなんとかなる、うん。 俺は覚悟を決めて朧月を見た。 その瞬間、『浅美ちゃんが消えた』とか『浅美ちゃん、どうして……』とか。 そんな言葉が脳に直接叩き込まれる。 凍弥 「───ッ!」 一度、心の声が聞こえたと認識したことで、 脳の回線がそれを力として受け取ってしまったとリヴァイアは言った。 要は俺の意思の持ちようなんだと。 椛  「あの……?」 朧月が俺を見る。 それによって、どんどんと意識が叩き込まれる。 ───だが。 凍弥 「…………」 直視してみれば、それはとても落ち着いたものだった。 ……そう、朧月の心はひどく落ち着いていた。 少し前、死神に苦しめられていた娘とは思えないくらいに。 これは───童心? 凍弥 「………」 ……ああ、そうか。 童心である悠介さんが彼女の中に入ったんだ、それも頷ける。 そして俺も、どこか穏やかな気持ちを抱いた。 ちゃんと向き合ってみれば、人は穏やかなものかもしれないって。 凍弥 「えっと……」 俺は辺りを見渡して、フェンスを攀じ登った。 そこからの景色を見下ろして、もう登校してきている生徒を見下ろしてみる。 ───が、それはやってはいけない行為だった。 俺は激しい頭痛に襲われ、フェンスから手を離してしまった。 幸いだったのがフェンスを乗り越えていなかったことで、 俺は尻餅をついた程度で助かった。 凍弥 「……アホか……」 考えが甘過ぎた。 俺を見ていた三人も、心配そうに俺を見下ろしている。 凍弥  <……人の意識ってのはあんなにヒドイものなのか……> でも、それはそうかもしれない。 人の脳は自分の意識以外を受け入れられるように出来てはいないだろう。 自分で考えることでさえ頭を痛めることがあるというのに、 無理に人の意識を読もうとしたんだ、頭痛が起こっても無理もない。 いや、頭痛で済んだことも幸運だったのかもしれない。 ほんとに考えが甘かった。 でも─── 凍弥 「………」 椛  「?」 じゃあ、なんだって朧月の心や意識は平気なんだろうか。 浅美 『大丈夫ですか?凍弥さん』 凍弥 「───……浅美」 浅美 『はい?』 俺は他のふたりに聞こえないように浅美に語りかけた。 浅美も瞬間的に納得してくれたようで、すぐに小声で対応してくれる。 凍弥  <普通の人の意識が脳内に入るとヒドイ頭痛がするのに、     朧月の意識が脳内に入ってきても全然頭痛がしないんだ。     なんか心当たりってあるか?> 浅美 《そうですねー……もしかして、     わたしとの波長を合わせていた頃の免疫かなんかですかね》 凍弥  <波長?でもあれは浅美が俺に合わせてくれてただろ?> 浅美 《はい、その【合わせていた】というところに意味があるんです。     多分死神側の意識に免疫が出来たんだと思います。それで───》 凍弥  <待て。ってことはなにか?俺は地界人なのに地界人には馴れてないってのか?> 浅美 《自分で言ってませんでした?凍弥さんは確実に天界人の気が強いんですよ。     天界人と死神の意識は平気でも、地界人と空界人の意識はダメそうですね》 凍弥  <……やっぱり俺って天界人なのかな> 浅美 《意識が天界人寄りなだけですよきっと》 ……そうなんだろうか。 確かにそう思わないとやってられん。 ま、やっぱりどこの産まれだからって、どこの意識を持ってるからって、俺は俺。 ───うん、やっぱり行き当たるのはそこだ。 それさえ忘れなきゃ、俺はやっていけると思う。 浅美 《あ、それに美紀ちゃんが居るから地界の意識にも次第に馴れますって》 凍弥  <……だといいけど> 椛  「……あの、先ほどから何を……?」 凍弥 「え?あ、いや……」 そうか、今の浅美は見えないんだった。 これじゃあ独り言を言ってる変人さんだな。 凍弥 「えーと、今から言うことをよく聞いてほしい」 椛  「……はい?」 俺はゆっくりと自分や浅美や美紀のことを話すことにした。 Next Menu back