───熊よりコワイ恋人───
───……。 夜華 「彰衛門……戻ってきませんね」 椛  「う……ううう……」 既に日が昇り、昼となる頃。 朝に吹き飛んでいったきり、彰衛門は戻ってこなかった。 またどこかで油を売っているのか、それとも……最悪の事態なのか。 椛  「夜華、わたしちょっと見てきます。お留守番をお願い」 夜華 「え?あ、楓さま、わたしも───」 椛  「だめです。おじいさまとおばあさまは出かけていて居ないのですから。     夜華、あなたに頼みます」 夜華 「……はい」 椛  「お願いね」 それだけ言うと、楓さまは目の前から消えた。 ……無事でいてくれ、彰衛門……。 ───……。 吹き飛ばした威力、方向からして───多分、鈴訊庵に落ちたと思う。 椛  「おとうさん……」 カッとなってしまうと自分でも力の制御が出来なくなることを、わたしは自覚している。 夜華の言う通りだ。 すぐに決断せずに、話を聞かなければ何も解らないのに。 ───キィンッ!! 楽器のトライアングルを勢いよく鳴らしたような音とともに、わたしは降り立った。 佐古田「うわっ!出たッス!魔王ッス!」 椛  「え……?」 降り立った途端、その場に居た佐古田先輩がわたしに向かってそう言った。 魔王って……? 佐古田「……どっから沸いて出たッス?」 椛  「その……どこでしょう」 佐古田「まあいいッス。アチキになんの用ッス?」 椛  「あ……その……あれ?」 そういえば…… 椛  「あの、どうしてここに居るんですか?」 佐古田「失礼な言い草ッスね。いきなりなにッス?」 椛  「すいません、でも……」 この人がどうしてここに居るのかが気になった。 学校でしか見ないような人が、凍弥先輩の居る場所になんの用なんだろう。 佐古田「勉強会ッス」 椛  「え?」 佐古田「人の話はよく聞くッス。勉強会ッス」 椛  「勉強会……2年だけでですか?」 佐古田「うんにゃ、一年も居るッス。     風間にそのギャ〜リュフリェンデュも居れば、メルっちょも居るッス」 椛  「………」 佐古田「で、魔王はここに何の用ッス?」 椛  「………」 佐古田「魔王?」 みんなが居た。 みんなが。 それなのに……どうしてわたしはここに居なかったんだろう。 みんなが勝手にこの場所に集まった? それとも…… 椛  「あの。勉強会はみんなが勝手にここに集まったんですか?」 佐古田「そんな偶然など無いッス。ここに集まったのは電話を受けたからッス。     激何を言ってるッス?そんなこと激考えれば激簡単なことッス」 椛  「───」 決定だ。 わたしは誘われなかった。 佐古田「……魔王のところにも電話くらいいったッス?」 椛  「……その魔王ってゆうのはなんなんですか」 佐古田「アータ時々鋭い殺気を出すッス。だから魔王。魔王オボロズッキャー」 椛  「───……」(ギロリ) 佐古田「ヒィッ!?……ほ、ほら言わないことじゃねぇッス!     とんずらぁあーーーっ!!」 椛  「あっ!待ってください!」 佐古田先輩は言いたいことを言うだけ言って、さっさと走り去ってしまった。 ……おとうさんがここに来たか、訊きたかったのに。 声  「……お?朧月嬢」 そんな時、わたしにかけられた声があった。 振り向いた先には精霊さん。 遥一郎「どうしたんだ?───ああそうか、遊びにきてくれたんだな?     ああ中入ってくれ、今お茶用意する」 わたしの顔を見るなり嬉しそうな顔をして、気を利かせるように中に促してくれる。 思うんだけど、この人は結構世話好きなんじゃないだろうか。 遥一郎「わざわざ徒歩で来たのか?」 椛  「え?それってどういう……」 遥一郎「ん?なんだ、違うのか?     凍弥が電話し掛けても誰も出なかったって言うから、     てっきり朝からのんびりとこっちに向かってたのかと……」 椛  「本当ですかっ!?」 遥一郎「うおっ?あ、ああ……そりゃそうだ、朝っぱらから家に居ないなんて」 椛  「そうじゃありません!凍弥先輩が電話したって話です!」 遥一郎「なんだそっちか。間違いないぞ?実際、あいつが電話している横に居たからな」 椛  「………」 そっか……仲間はずれにされたわけじゃなかったんだ……。 よかった……。 あれ?でもどうして電話が鳴らなかったんだろう。 わたしは家の中で何もすることがなくて、 凍弥先輩からの『お誘いの電話』を待ってたんだけど……。 だから電話が鳴れば気づくはず。 ……?解らない。 椛  「あ、それで凍弥先輩は?」 それなら本人に直接訊いてみるのがいい。 気づかない内に聞き逃していたなら謝らなきゃいけないし。 遥一郎「あー……それがな」 椛  「……?」 精霊さんが呆れたような口調で語り始める出来事。 それは、わたしに衝撃を与えるには十分すぎるほどの物語だった─── 椛  「凍弥先輩のばかーーーっ!!!!!」 ガカァアアアアアッ!!!! 遥一郎「なんで俺がぁあああああああっ!!!!!」 怒りで噴出した衝撃で精霊さんが吹き飛んだ。 でも黙ってなんていられない。 だって……だって、凍弥先輩が『わたしが怖くて、おとうさんと逃げた』だなんて……! 椛  「ゆ、許せない……!!」 怒る前に事情を聞く必要なんてない! 逃げたってだけで十分!! 絶対にとっちめてやるんだからぁっ!! ───……ブルルッ。 凍弥 「……なんだ?いきなり言いようのない寒気が……」 突然の寒気に、俺は目を覚ました。 彰利 「むむう……もう、なんじゃよ……。     この暑い日に寒気……?冗談は顔だけにしとけよ……」 凍弥 「ど〜ゆう意味だよそりゃあ」 彰利 「なんでもねぇザンス」 すっとぼける彰衛門を余所に、俺は本気で感じた寒気に疑問を抱いていた。 凍弥 (なんだったんかな、今の……) 嫌な予感ばっかりするのはなんででしょうか。 ……しかも、脳内が『深く考えちゃいけない』って警告を出してる。 ───と、そんなことを考えてた時だった。 彰利 「───よっしゃ、俺様はちょっと夜華さんの様子を見てくるわ」 彰衛門がそう言って立ち上がった。 凍弥 「篠瀬の?なんでまた」 彰利 「考えてもみろ、アタイが吹き飛ばされるくらいの怒りを発していた椛だぞ?     一緒に居た夜華さんが無事かどうかの保証なんてねぇのよ」 ……ん?それならどうしてさっさと様子を見に行かなかったんだ? 凍弥 「なぁ彰衛門、それならどうして」 彰利 「思いの他、体の回復が遅かったからじゃい。     それなのに行ったら今度こそ死ぬかもしれんだろうが」 凍弥 「そっか」 彰衛門が死ぬだなんて想像できないけど、実際死にかけたわけだし…… 彰利 「ま、そんなわけだ。留守を頼むぜ?」 凍弥 「了解」 快く頷くと、彰衛門はさっさと消えてしまった。 凍弥 「……よし、魚でも獲るかな」 俺は俺で木刀を持って立ち上がり、川へと歩くのだった。 ちなみに木刀は、悠介さんが創造したってゆうあの木刀だ。 凍弥 「確か『椛が好きなら好きなだけ大きな波動が出る』だっけ?     ちょっとやってみるかな……焚ッ!!」 ゴゴッチュゥウウウウウン!!!!! 凍弥 「うおおっ!?」 とてつもなく大きな波動が、空へ向かって飛んでいった。 凍弥 「……うん、大丈夫だ。こんなことになっても、俺は椛が好き。     そーだよな、疑う必要なんてないよ。逃げるなんて馬鹿だなぁ俺……」 さてと、魚を獲ろうか。 木刀片手に川へ向かった俺は、なんだか気持ちが晴れやかだった。 ───ゥウウウン!!! 椛  「きゃあっ!?」 どかぁあああああああんっ!!! 椛  「うっ……あぅうっ……!!!」 死神モードを引き出して空を飛んでいたわたしに、謎の光が襲いかかってきた。 謎……ううん、この光の波動は感じた覚えがある。 晦の家で凍弥先輩が出した、あの波動だ───!! 椛  「そんなにっ……!そんなにわたしが嫌いですかっ!!!!」 許せない……!!! 誤解なんじゃないかって思いもしたのに、探しにきたわたしにこんな仕打ちを……!! 椛  「ことと次第によっては……わたし……!」 手に大きな鎌を出現させ、わたしは光の発生した場所へと飛んだ。 浅美ちゃんを飲み込んだ死神の鎌とは違う、完全にわたしだけの鎌を出現させて。 死神側になるのはあまり好きじゃないけど……今回ばかりは遠慮なんて出来ない。 納得のいく説明がなければ、わたし……本気で怒りますからね!! ストン。 彰利 「ハラショウ」 ザンギエフのような声で神社の境内に降り立つアタイ。 ああ美しい。 誉めよ筋肉称えよ祖国! 彰利 「グムーー……怒りの波動は無いようですな。どれ、母家へ降りてみますか」 空中浮遊をしつつ、アタイは母家へと向か───う途中。 彰利 「ややっ!?」 遠くの景色───てゆうか、アタイの住処の近くの上空で、謎の爆発が起きた。 一体……? 彰利 「まあいいコテ。小僧が馬鹿やらかさない限り、あそこは見つかりっこねぇべさ」 ホクホク笑顔で母家へと降りたアタイは─── 彰利 「おや、夜華さんでねがーっ!」 夜華さんを発見! なにやら玄関の前に座ってますぞ? 彰利 「番兵ですか?」 夜華 「彰衛門、無事だったんだな」 彰利 「フフフ、当然よ。でも今回ばかりは本気で死にかけましたが」 夜華 「そ、そうか……無事でなによりだ」 彰利 「まったくだ。で、番兵ですか?」 夜華 「番兵?いや、わたしは楓さまに留守を頼まれたから、こうしてだな……」 彰利 「ほうほう」 どうやら椛は居ないらしい。 一安心じゃい。 彰利 「そんで椛ったら何処に行ったん?」 夜華 「会わなかったのか。楓さまはお前を探しに行ったんだぞ」 彰利 「なんと!吹き飛ばされたアタイの場所が解ってたとでも言うのかね!」 夜華 「わ、わたしは知らん。わたしに言われても困る」 彰利 「なに!?それならば何故言ったのかね!」 夜華 「わたしは楓さまの行動をお前に教えただけだろう!」 彰利 「なにぃ……そうなの?」 夜華 「……お前はもう少し考えてから言葉を放った方がいいと思うぞ……」 あらら、ため息つかれちった。 まあいいコテ。 アタイは夜華さんの隣に座ると、ただの〜んびりと空を見上げた。 彰利 「………」 夜華 「………」 チュンチュン……チチチ…… 彰利 「静かじゃのぉ〜」 夜華 「そうだな。この場所がまだこんなにも静かで良かった」 彰利 「まったくじゃい……」 夜華 「最近な、下の方にも降りるようになったんだが……」 彰利 「おお、そりゃ初耳。で?どうザマショウ下界は」 夜華 「汚れている。そのひとことで十分だ」 彰利 「アララ、痛いお言葉」 確かにそうかもしれんね。 昔に比べればなぁ。 彰利 「……しかしさ、こうして夜華さんとのんびりしてると、楓の時代を思い出すな」 夜華 「そうだな。わたしもだ」 彰利 「待っても待っても誰も来なくてなぁ。来たと思ったら楓だけで」 夜華 「鮠鷹は殺されてしまってたんだったな」 彰利 「………」 夜華 「………なぁ、彰衛門」 彰利 「んー?」 夜華 「この時代では……そんなことはないよな?」 彰利 「……喜兵衛も成敗したし、あのふたりを恨んでるヤツなんてそうそう居ない。     多分、大丈夫だろうよ」 夜華 「そうか……。そうだといいな……」 夜華さんの言わんとしてることは解る。 秋に婚儀をするふたりが、その直前で殺されたりしないかと不安なんだ。 それは俺だって同じだ。 くだらない先入観だとは思うが…… 一度この目で見てしまったものは、そう簡単に払拭できやしない。 彰利 「大丈夫じゃよ。ふたりにはこの時代で幸せになってもらわんと。     じゃなけりゃアタイが納得できんタイ」 夜華 「そうだな。わたしも納得できん」 彰利 「そうそう、その調子ですよ夜華さん」 夜華 「ふふ、そうだな……。しかし彰衛門、今日はわたしをからかわないんだな」 彰利 「買い被りすぎですぞ。アタイはそげに甘い男では……───」 トサッ。 夜華 「うわっ!?」 夜華さんの驚きの声。 よく解らんが、どうやら夜華さんの肩に寄りかかってしまったらしい。 夜華 「あ、あきっ……彰衛門っ……!?」 彰利 「……わりぃ……夜華さん……なんかさ……すっげぇ眠いんだ……。     ちょっとだけ……このまま……」 夜華 「……だ、だがしかしな……!     楓さまが戻ってきたら、またなんて言われるか……!」 彰利 「………」 夜華 「彰衛門……?」 ───……。 彰衛門は規則正しい寝息をして眠っていた。 わたしの肩にあるその顔は無邪気なもので、 わたしをからかうあの彰衛門と同じ人間だなんて、とても思えない。 夜華 「………どうしてだろうな」 散々馬鹿にされて、散々からかわれても嫌いになれない。 人というのは不思議なものだ。 小さな誤解で相手のことが嫌いになっても、いつかは許せてしまう。 好きという感情も似たようなもので、 少しくらい憎いと思っていても、すぐに『好き』が勝ってしまう。 夜華 「わたしはやっぱり……お前のことが好きなのだろうな」 男のクセに綺麗だと思えるくらいにサラサラの髪が、 風に揺られてわたしの頬をくすぐる。 夜華 「……眠っていれば、容姿のいい男なんだがな……」 わたしは毒気を抜かれたように、肩をすくめた。 そして、ただ苦笑するのだった。 凍弥 「うぉおおおおおおおおっ!!!!!」 俺は走っていた。 死ぬ思いで走っていた。 こんなことがあっていいのだろうか。 だが俺は決めたのだ。 椛の───楓巫女のため以外に、自分の力ではない木刀を振るわないと。 だから逃げるしかない。 凍弥 「なんだって……なんだっていきなり熊がぁああああっ!!!!1」 ちなみに現在の状況に陥る過程といったらよく解らない。 川の中腹に立って居た俺が魚を獲るのを見た熊は、何故か襲いかかってきたのです。 俺はそれから逃げている最中。 凍弥 「ああっ!光刀の隆正と謳われた俺がっ!剣聖の鮠鷹と謳われた俺がっ!     逃げるしかないなど、なんたる屈辱かぁあああああっ!!!!!」 だが誓いは誓い! 隆正として死ぬ間際、 子供の頃の気持ちを思い出させてくれた彰衛門に、俺は誓ったんだ! だから 熊  「ガオオ!!」 ブォンッ! 凍弥 「甘いっ!!」 熊の攻撃をかわし、俺は走った。 この先は下り坂だ、熊は早く走れまい! 凍弥 「悪いな!俺は熊に遭遇したら死を覚悟するようなヤワな生き方などしてない!」 そもそも悪戯に動物を攻撃するのも好きじゃない。 だとしたら、逃げるという方法しかなかったのもいいと頷ける。 坂道を勢いよく下ると、熊は戸惑いながらのしのしと降りるだけだった。 俺はこの隙に動かす足を早くして───ガカアアアアアッ!!! 凍弥 「───は……」 死を覚悟した。 椛  「凍弥せんぱぁああああああい……!!!」 空の上から森を掻き分け、個人的に熊よりも恐ろしい愛しの椛サンが降臨なさったから。 しかも何気に大鎌持ってます。 ヤバイ、殺る気だ。 目なんか真紅に変異しちゃってるし。 椛  「覚悟はいいですね……?」 凍弥 「な、なんの……覚悟でしょうかぁ……」 椛  「とぼけないでください!わたしが怖くて逃げ出したんでしょう!?」 凍弥 「ぐっ……そ、それはそうだけど……」 椛  「否定してくれないんですか!?ヒドイです!!     わたしは女の子ですよ!?どこがそんなに怖いって言うんですかっ!!」 凍弥 「い、いや……その……」 ううう……絶体絶命だ……!! 絶命だ……!絶対に……! こ、こんな時にだれか……! 熊  「グオオオ!!」 椛  「邪魔!!」(ギンッ!!) 熊  「ギャッ!?グォオオーーーッ!!!」 ……ああ。 追ってきた熊が睨み一発で逃走した……。 あの……椛サン?熊を眼光ひとつで退散させるおなごの、どこが怖くないと……? 場合が場合なら『頼もしい』くらいは思ってくれるかもしれないけど……。 凍弥 「椛……その……」 椛  「なんですかっ!!」 凍弥 「ちょっとおかしくないか?いくらなんでも怒りすぎじゃ……」 椛  「怒りすぎ!?怒りもします!!自分がどんなことをしたか忘れたんですか!?」 凍弥 「え……?あ、いや……逃げたのは悪かった。後悔してたんだ」 椛  「そうじゃありません!!」 凍弥 「え?」 ……なんだ? 俺ってなにしたんだ……? その『何か』があったから、電話にも出てくれなかったとか……? いや、それはないよな……。 凍弥 「……ごめん、なにも思い当たらないんだけど」 椛  「ヒドイです!あんなことをしておいて!」 凍弥 「だ、だから『あんなこと』ってなんなんだ?」 椛  「追ってきたわたしに木刀の光弾を放ったじゃないですか!!」 凍弥 「へ───なにぃっ!?」 も、もしかして、椛への気持ちをためすつもりで放った流れ弾が……命中? 俺の思いが彼女ハートに直撃した……!? うああ!そんなくだらないこと思ってる場合じゃねぇだろ思考ッ!! 椛  「凍弥先輩っ!覚悟してもらいますよっ!?」 凍弥 「うあっ!ご、誤解だ!!アレはお前を狙ったわけじゃない!!」 椛  「じゃあどうして寸分の狂いもなくわたしに直撃するんですかっ!!     解るように説明してみてください!納得いく答えが出ないとヒドイですよ!?」 凍弥 「げげっ……!!」 あ、彰衛門……!!絶対絶命だ!助けてくれ彰衛門!! 俺達の味方なんだろ!?た、たすけてぇええええっ!!!! 椛  「どうして黙るんですかああああっ!!!」 凍弥 「キャッ……キャーーーッ!!!」 大きく鎌を振りかぶる彼女が、俺には魔王に見えた。 単体で戦ったところで絶対に勝てない最強の存在に。 ああ、守ると決めた人に殺されるんでしょうか俺は─── そう思った時、俺の中で何かが迸った。 ───ピタッ。 椛  「───今、なんて言いました?」 前髪を少し削り、大鎌は止まった。 凍弥 「……え?」 だが、俺自身、何故その鎌が止められたのかがまるで解らない。 椛  「なんて言いました、今」 凍弥 「え、えっと……?」 なにを言ったんだ俺は……! 死神モードの椛を止めた言葉とは……!? 椛  「凍弥先輩……もう一度言ってくれたら、今回のことは忘れます」 凍弥 「な、なに……!?」 思わず手を挙げて喜びそうになるが、それはあくまで『もう一度言ったら』だ。 ……なんて言ったんでしょう、俺は。 いや考えろ!諦めるな!生に執着しろ!生に……生に!生きるんだ!! 凍弥 「お、俺を不老不死にしろーーーっ!!」 椛  「おとうさんの真似をしないでください!!」 凍弥 「ぁああああごめんなさいごめんなさい!!」 彰衛門の真似だってあっさり見抜かれてしまった。 昔、楓巫女に言葉を教えようとした彰衛門が言った言葉だったが…… 覚えてたのか、椛のやつ……。 椛  「意地悪して言わないつもりですか……?」 凍弥 「や、そんなことは……!」 言いたいです!めっちゃ言いたいです!でもなんて言ったか解らんのです!! 極限状態において、俺は一体なにを口走ったのですか!? 答えろ思考!答えろ!答えてーーーっ!!! 椛  「さあ!」 凍弥 「え、えーと……」 ───いや。 俺はまず俺の意思でもって、俺のことでここまで怒ってくれる椛を大事に思うべきだ。 そうだ、『許してもらいたい』だとか『助かりたい』なんて気持ちじゃなくて、 俺が持つ俺自身の言葉を椛に贈ろう。 俺は椛以外の人を愛さない。 それなら───答えは決まっている。 凍弥 「───結婚しよう、椛」 気づくと、俺は俺でも驚くくらいのやさしい声でそう言っていた。 だけどそれは偽りの無い、純粋な気持ちだった。 椛が好きだから、愛しいから恥ずかしいなんて気持ちもなく言える。 椛  「──────」 椛はまるで、何を言われたのか解らないような顔で俺の目をずっと見ていた。 そして俺も、椛の目から目を逸らすことなく、真っ直ぐに見つめる。 やがて椛の顔がだんだんと赤くなってゆく。 その間、椛が表情を変えることは無かったが───真っ赤になった時、それは変わった。 椛  「わ、や、う、あ、え……い、いきなりなにを……?」 凍弥 「俺と結婚してほしい」 椛  「な───」 椛は鎌を落とし、その両手で顔を覆った。 指の間から恥ずかしそうに(現に恥ずかしいのだろうが)俺を見る。 椛  「こ、婚儀はもう……決まっているじゃないですか……っ」 凍弥 「それは周りが勝手に決めたことだ。もちろん俺は嬉しい。     でも……俺自身が、俺の言葉で、椛に伝えたかったんだ」 椛  「凍弥先輩……」 椛は体を震わせ、頼りない目で俺を見上げた。 俺はそんな椛に微笑むと、もう一度言う。 凍弥 「椛……頼りない男だろうけど、俺を受け入れてくれるだろうか」 椛  「……っ……」 俺の言葉を聞いた椛は肩を震わせ、涙した。 それからしばらく黙っていたが、やがて…… 椛  「断る理由なんて……ある筈がありませんっ……!」 そう言って、俺に抱き着いてきた。 俺はそれを受け止めて───彼女の小さな体を抱き締めた。 椛は俺の名前を何度も呼び、 存在を確かめるように何度も何度も俺の服に顔を摺り寄せた。 そして俺は───そんな時になってようやく、 自分がとんでもないことを言ったんだなって自覚した。 世間一般で言う、プロポーズってもの。 でも……後悔なんてしてないし、なにより彼女の嬉し涙がたまらなく愛しかった。 幸せに道があるっていうなら、それはきっとここから始まるって。 そう思うことにして、俺は彼女をやさしく抱き締めた─── ───……。 しばらくして、俺は椛を連れて彰衛門の住処に戻った。 椛は懐かしむように辺りを見渡したあとに言った。 椛  「ここ……隆正さまがバケモノと戦った場所ですよね」 凍弥 「え?あ……言われてみれば……」 よく見てみると、確かに似ている。 楓巫女のために彰衛門を探した俺が、バケモノと遭遇したその場所と。 椛  「それと……夜華が倒れていたのもここなんですよ」 凍弥 「そうなのか?俺はてっきり、篠瀬は村に来てから倒れたのかと……」 椛  「いいえ。夜華はここで倒れていたんです。     それを癒してから、わたしが村まで案内したんですよ」 凍弥 「そうか……。そういえばどうして篠瀬を迎えようと思ったんだ?」 考えてみれば、俺は篠瀬を連れてきたことに関して、何も知らないんだ。 あの頃の俺は『神降ろしの巫女』である楓に近づくことは許されていなかったから、 会って話をすることも、事情を訊くことも出来なかった。 椛  「夜華はわたしと同じで孤独だったから……。だから、ですね」 凍弥 「……そうか。篠瀬を疑うわけじゃないが、     篠瀬が酉梧のようなヤツじゃなくて良かった……」 椛  「ふふふっ、わたしは人を見る目がありますから」 凍弥 「むむっ、なんだそれは。俺には人を見る目がないというのか?」 椛  「実際騙されていたじゃないですか」 凍弥 「う……そ、それはそうだが……」 椛  「ふふっ……凍弥先輩、口調が戻ってますよ?」 凍弥 「む?あ……そうだな……。     昔を思うとどうも口調があの頃の自分のものになってしまう。     別に困ることもないのだが、なにやら今の自分ではない気がしてな……」 出来るだけそうならないように口調には気をつけているつもりなんだけど。 うーむ。 椛  「そんなことありませんよ。凍弥先輩は凍弥先輩です」 凍弥 「そうだな。椛は随分と変わってしまったが」 椛  「……そうですか?」 凍弥 「ああ。前世の記憶が戻る前は、     人を寄せ付けないし、寄ったら『構わないでください』。     触れば『触らないでください』で、時々手が出るし」 椛  「うう……」 凍弥 「叩かれるわ噛み付かれるは殴られるわ泣かれるわ……。     俺、そこまでヒドイことしてたかな」 個人的にはそんなことした覚えがないんだが。 椛  「しましたよ、いっぱいしました」 凍弥 「む、どんなことだ?」 椛  「胸、触りました」 凍弥 「ぐあっ!」 忘れてたことを蒸し返すとは……! あ……でも『殴られた』って部分ではこれが該当するわけだから……うむむ……。 椛  「それにお説教もされました。聞きに来なかったのが悪いって決めつけて」 凍弥 「あれは実際にそうだろう」 椛  「そうですけど……怒鳴ることなかったと思います」 凍弥 「……それは反省してる。     あの時まで、説教することも怒鳴ることもないつもりだったんだが」 頭を掻いて息を吐いた。 自分の弱いところを知られた気がして恥ずかしかったからだ。 だが椛は特に気にするでもなく、俺を見上げて微笑んでいた。 椛  「あ」 そして、ふと声をあげる。 椛  「凍弥先輩、おとうさんは何処ですか?」 凍弥 「……なんだかんだで椛は『おとうさん』なんだな」 椛  「う……」 凍弥 「もっと私のことを見てほしいのだがな」 椛  「え?……えーと……ヤキモチ、ですか?」 む……。 凍弥 「……そうだな、ヤキモチだ」 椛  「………ふふふっ」 あっさりと認める俺を見て、椛はクスクスと笑う。 確かに彰衛門に嫉妬しててもどうにもならないんだが、 人の心ってゆうのは思う通りには動いてくれないものだ。 凍弥 「笑うなよ」 椛  「あははっ……すいません。それで……おとうさんは何処に?」 凍弥 「彰衛門なら篠瀬の様子を見ると言って飛んでいったぞ。     おそらくは晦神社だろう」 椛  「───……」 うおう、みるみる内に椛の顔が険しく。 凍弥 「好きなようにさせてやれ。浅美にも篠瀬にも幸せになる権利はあるだろう」 椛  「でも……おとうさんが……」 凍弥 「彰衛門、言ってただろ?     『楓巫女がじいやのことを忘れぬかぎり、じいやは楓巫女の親ですじゃ』って。     だったら椛が彰衛門を忘れなければいいんだよ」 椛  「………」 凍弥 「それとも、覚えてる自信、ないか?」 椛  「そんなことありません!絶対です!」 凍弥 「なら大丈夫だ。彰衛門ならいつだって受け止めてくれるよ」 椛  「………」 椛はまだ納得いかない顔で『う〜う〜』と唸っていた。 『楓巫女』にとって父親以上の存在である彰衛門が、 自分だけの彰衛門じゃなくなるのが嫌なんだろう。 ……心配しなくても、篠瀬が彰衛門とくっつくようなことはないと思うけど。 まあその、彰衛門が逃走するって意味で。 凍弥 「それじゃ、戻るか?」 椛  「……はい。ですが、あの……」 凍弥 「うん?……ああ」 俺は一度咳払いをして、椛と向き合った。 凍弥 「一緒に、夏休みの課題をやらないか?」 椛  「っ……はいっ」 俺の言葉に快く返事をして、椛は笑顔を見せてくれた。 やがて俺の手を握ると、目を閉じる。 一瞬焦ったが、どうやら転移をするために集中しているだけのようだ。 ……何考えてんでしょうな、俺。 椛  「……すきありっ」 凍弥 「へっ?むぐっ!?」 ───不意打ちだった。 光が俺と椛を包む中、椛は俺の口に自分の唇を押し付けたのだ。 慌てふためく思考を余所に、景色は光に遮られてゆく。 真っ赤だけど、笑顔のままの椛を見つめる景色は真っ白になり、 やがて完全になにも見えなくなる。 どうしたらいいのかも解らなかった俺を見ていた椛の視界には、 きっと俺の困ったような顔しか映ってなかっただろう。 Next Menu back