───消えゆく思い出とともに───
「誰かを守ることは特別じゃない。けど……守り続けるのは特別なんだと思う」 ───時は少しずつ流れる。 その中で何度目になるのか。 また発作に襲われた俺は、床に伏せっていた。 体が軋む度に嗚咽のような息が漏れ、泣いているような自分が滑稽だった。 どれだけ時間が経ってもそれは消えず、意識がどうにかしてしまいそうだった。 弱音を吐いてまで手を伸ばしても、それを包んでくれる人は居ない。 ……ただ悲しかった。 自分には守りたい人が居て、俺にはそいつが大事すぎて。 だから守り続けたくて、必死の思いで生にしがみついて。 たとえその先に待つものが消滅であっても、前を向いて歩いていたかった。 だからもう一度、地に足をつけた。 あいつが支えてくれるってことが、正直嬉しかった。 でも、してやりたかったこと、叶えてやりたかったことの全てが霞んでゆく中で、 俺はいつだって泣いていたんだと思う。 凍弥 「は……あ……」 やがて静まる発作。 起きる間隔が短くなっていることなんて、自分が一番知っていた。 凍弥 「………」 自分には未来が無い。 だっていうのに、それに反比例したくらいじゃあ足りないくらいの願いがある。 いっそ幸せなんて願わなければよかったのかもしれない。 凍弥 「……でも」 それでも幸せになりたかった。 形振りなんて構わずに、初めて自分で願ったことに執着していたかった。 だって、俺はまだ何もしていないのだから。 今まで俺がしてきたことは、きっと閏璃凍弥や前世が突き動かしてしてきたことだ。 『俺』はまだ何もしていないのだ。 前世もなにも関係なく、ただ俺は幸せになりたかった。 その未来を、大事な人と歩くだけでよかった。 些細なことで笑い合えればそれでよかった。 俺は自分で思うよりも単純で。 そんな些細なことで、きっと泣いてしまうくらいに嬉しいのだから。 凍弥 「あ……」 ふと見た自分の手が、刹那に消える。 その度に怖くなって、俺は震えた。 ───トントン。 ふと聞こえるノック。 俺は自分が消えてしまわないように、自分を繋ぎとめるように力を込めた。 そして言葉を放って、ノックした主に入ってもらった。 風間 「センパイ……大丈夫ッスか」 凍弥 「風間……」 風間だった。 珍しいな、と思いながら、俺はベッドに腰掛けた。 凍弥 「……どうしたんだ?こんな朝早くに」 風間 「……俺、馬鹿でした。センパイに全部擦り付けて、自分だけ逃れようなんて」 凍弥 「気にしてないって言っただろ。与一からメルにそう伝えたって聞いたけどな」 風間 「それでもです。俺が言わなきゃ何にもなりません」 凍弥 「……ヘンなところで真面目なのは変わってないか」 風間 「そうそう人が変わったら怖いッス」 ……ああ。 そうかもしれない。 でも……俺は、人が、自然が、景色が変わってゆくのを知っていて。 その全てがいつか悲しむべき対象であることを理解していた。 変わることが悲しいんじゃなくて。 一緒に変わっていけないことがただ悲しくて。 俺は一体、この部屋の中でどれだけの人に置いていかれるんだろう、って。 そう思うと、ただ悲しかった。 凍弥 「……なぁ、風間」 風間 「ハイ?なんすか?」 凍弥 「今、幸せか?」 風間 「え……それって、その、どういう……?」 凍弥 「皆槻と一緒に居たり、クラスメートと笑ったりできることだよ。     お前は今の状況が幸せだと思えるか?」 気づいたら、そんな質問をしていた。 いや、もしかしたらそれは、自問に近かったのかもしれない。 風間 「……もちろんッス。俺は今が大好きです。     あいつが居て、クラスメートが居て、     ただ一緒の時間を過ごすってだけのことが楽しいッス。     ……俺、こんな時間があるなんて知らなかったから」 風間はまるで、夢物語を話すような口調でそう言った。 その顔があんまりに幸せそうだったから。 俺は本当に、そいつを許してしまったのだろう。 凍弥 「だったら、もっと幸せになれ。     一緒に居てくれる人が居るなら、きっと出来るから。     もっと前を向け。後ろのことなんて気にするな」 風間 「……センパイ?」 凍弥 「俺は、もうお前に対して憎しみだとか恨みなんて感情を持ってないから。     お前は何も気にせず、自分の幸せを掴め。     その果てを見れないのは残念だけど……お前ならきっと出来るから」 風間 「ちょ、ちょっと待ってください。     あの……センパイ?それってなんか、     聞き方によっては別れの挨拶してるみたいッスよ?果てがどうとかって……」 凍弥 「そんなわけあるか、ばか。     お前の幸せの果てはお前にしか見えないからそう言ったんだ。     ……だから、お前ももう気にするな」 風間 「……はい」 話したかったことは済んだのか、どこか嬉しそうな顔で風間は出ていこうとした。 俺はその背中に『自分を見失うなよ』と言って、見送った。 ……それから、日を追っては、誰かがこの部屋に訪れた。 そしてくだらないことや笑い話で笑って、その日常に身を置く。 だけど……それが、まるで自分にお別れを言いに来ているみたいで寂しかった。 みんながみんな歩いてゆく中で、自分はまだここに居た。 いつからか体は弱って、発作の回数も増えて、自分は歩けなくなっていたのだ。 ……それでも日常は続いてゆく。 世界はとても残酷で、変わってゆく世界と変われない自分が、ただ悲しかった。 凍弥 「なぁ、椛」 椛  「はい?なんですか、凍弥先輩」 いつからか、椛が俺の部屋に通う日々がそこにあった。 寂しければ手を握ってくれるその存在は、ただ暖かかった。 凍弥 「……もし体が良くなったらさ、ふたりでデートしようか」 椛  「え……デ、デート、ですか?」 凍弥 「ああ。思えば、そんなこともしたことなかっただろ。     だから、さ。もし出来るなら……」 もし出来るなら。 そんな未来を願いたかった。 だけどそれを願うには、俺には力が足りなすぎて。 俺は言葉の途中で、自分の無力さに涙した。 椛  「ど、どうしたんですか凍弥先輩っ!?」 守りたかった。 いつまでも、いつまででも。 他の誰でもなく、俺が、俺として。 目の前に居てくれる、朧月椛って少女を守り続けたかった。 だから思う。 守ることは特別じゃない。 だけど、守り続けるってことは特別なんだ、って。 そしてそれは、あまりに特別すぎて。 そんな幸せに手が届かない自分が、ただただ情けなかった。 ……気づけば体育祭も文化祭も終わっていた。 秋も霞んで、やがて冬が訪れようとする頃。 俺は変わらずにこの場所に居る。 凍弥 「………」 窓の外にはまだ早過ぎるくらいの雪。 しんしんと降り注いでは、積もらずに消えた。 俺はその景色を他人事のように眺めては、歩いてゆけない自分を呪った。 もうみんな歩き続けていて、俺は随分と置いていかれてしまっていて。 走り出さなきゃ追いつけもしないのに、俺はずっとここに居た。 凍弥 「………」 志摩兄弟ももう学校には行っていて、毎日をそれなりに楽しく過ごしているらしい。 羨ましいなって思う中、楽しいって言える状況があることが嬉しかった。 それは、手を伸ばせばまだ届く距離だったから。 動けるようになれば、俺はまた、その日常に戻ることが出来るんだから。 凍弥 「………」 だから、手を伸ばしてみようか。 今日はいつもより体調がいいから、歩いてみようか。 走らなきゃみんなには追いつけないけど、 それでも……止まっているよりはきっといいから。 凍弥 「……ああ」 小さく頷いて、長く着ていなかった制服を着た。 重い体を引きずるようにして、階下へ降りて外へ。 凍弥 「………」 窓から眺めて知ったように、その景色には雪が降っていた。 その中を、ただゆっくりと歩いた。 ゆらゆらと降り続ける雪は冷たくて。 だけど歩を止めることもなく、歩き続けた。 ───ただ追いつきたかった。 みんなが笑っていたその景色がその先にある。 手を伸ばせばきっと届く。 そう信じて。 ───また、くだらないことで笑えるってゆう景色に身を置きたかった。 体が痛んだって構わなかった。 ただ、以前の自分に戻りたくて、歩き続けた。 ───置いていかれた分、頑張れば取り戻せるって信じて。 そして…… ───そして。 凍弥 「あ……」 その景色は、そこにあった。 みんながみんな、自分とは違った景色が。 凍弥 「………」 ……追いつきたかった。 ただ、それだけだったんだ。 それなのに……───。 凍弥 「っ……」 自分の時は止まったままだった。 自分がどれくらい馬鹿だったのかを受け入れるように、俺はその場から逃げ出した。 ……逃げ出したかった。 だけど体は思うようには動かなくて、無様にその場に倒れた。 凍弥 「………」 ……しんしんと降る雪景色で、いつまでも夏服のままの俺が居た。 学校に向かってゆく生徒が、そんな俺を見ながら歩いてゆく。 止まっていた時間はあまりにも長すぎて。 やがて歩む生徒が居なくなっても、ずっとそうして泣いていた。 ……ただ、自分で居られた『普通』に戻りたかった。 前向きで居られたのは、自分が動けていたからだ。 動けない自分は柱時計と同じで、みんなに置いていかれながら時を刻むだけ。 ……みんなで笑っていられた世界に戻りたかった。 こんな『今』の先に、どんな未来があるってゆうのか。 いくら俺が足掻いても、それは水面で無様にもがくくらいのことで、 俺はどこにも行けないのかもしれない。 ただ置いていかれるだけで、ただ悲しむだけで。 そしてまた、誰かが俺の部屋のドアをノックする。 進めない俺を見に来る。 それはどれだけ残酷なことだろう。 凍弥 「……っ」 だから、歩いた。 泣き顔のままに、ただその場所へ。 ───きっと誰にも汚されない、俺のとっておきの場所へ─── …………。 雪が降っていた。 静かな景色の中で、俺は呆然と立っていて。 ただ……森だったその場所を眺めて、涙を流した。 その場所にどれだけの思い出があっただろう。 ───森だったその場所は、もう森じゃあなかった。 誰かがつけた木の目印ももう無くなっていて。 俺はただ、変わりゆく世界に涙した。 凍弥 「………」 静かに歩く。 切り倒された木はどこに運ばれたのかな、って馬鹿なことを考えながら。 ……辿り着きたい場所があった。 やがてその場所に辿り着く。 いつか、父さんに教えてもらった『とっておきの場所』へ。 ……無くしたくない思い出があった。 そこでもまた、俺は立っていることしか出来なかった。 穏やかだった草むらは、荒らされたようにボコボコになり、 寝転がると心地良かったその場所は見る影も無かった。 ……だとしたら俺は、思い出を奪ってゆく人の幸せも願えるのだろうか。 凍弥 「っ……」 涙が止めど無く溢れた。 そして泣いた。 子供が泣くみたいに、声を出して。 知らない間に全てが思い出になってゆく現実が、あまりに悲しすぎた。 どうして時折に会いに来る父さんがあんなにも悲しい顔をしたのか。 その理由がこれだったんだ。 凍弥 「っ……あ……くっ……あぁああ……!!」 日常は過ぎ、変わってゆく。 かつて誰かがその場所で約束をして、どれだけその場所が大切だったとしても関係なく。 人の思いを削って、また別の思いが増えてゆく。 それはいいことなのか、悪いことなのか。 泣いていいことなのか、笑うべきことなのか。 凍弥 「うわぁああああああああっ!!あぁあああああああああっ!!!」 それが解らなくて、俺は泣いた。 体が軋んでも構わず、体が冷えたって構わず。 静かに降り続ける雪の中。 ひとつの思い出の場所が、変わりゆく未来に消されてしまった。 ふと思うことは、その場所に居たふたり。 彼と彼女はどうなったのかなと思いながら。 だけど、考え続ける余裕もなくて、俺は泣き続けた。 ───変わらないものなんてない。 今ほど、かつて自分が言っていた言葉が憎いと感じたことはなかった。 あのふたりはただ幸せの中に居たかった。 そう思う。 だから余計に、それを摘み取ってしまう世界が憎かった。 だけど─── 声  『……なんて声で泣いてるんだ、ばか』 凍弥 「え……?」 あげた顔の先に、そいつが立っていた。 雪景色の中で、薄れゆく体を繋ぎとめるように。 ……ここが『場』だったんだ、当たり前だ。 閏璃 『……よぅ、泣き虫野郎』 でも、そいつは悔しがることもせずに、普通にそう言った。 凍弥 「お、前……その体……」 閏璃 『ああ、明日にでも消えるな』 凍弥 「どうして……」 閏璃 『変わらないものなんてないからだろ』 凍弥 「っ……」 言いたかったことは既に知っていた。 そいつにしてみれば、それはもう何度も自問自答をしたことなんだろう。 凍弥 「悔しくないのか……!自分の『幸せ』がある場所を汚されて……!」 閏璃 『悔しいに決まってるだろ。……けどな、変わるから進めるんだ。     お前にだって、それが解ってる筈だ』 凍弥 「けど……変わらないでもらいたいって願うのはそんなに悪いことかよ……!」 閏璃 『………』 俺はまるで、自分の無念を叫ぶようにしてそいつに言葉を放っていた。 だっていうのに、そいつは笑った。 笑って、言った。 閏璃 『ここな、孤児院が建つんだ。     いろいろな出来事があって道に投げ出されたやつらが、     それだけで何人助かるかな』 いろいろな出来事。 それを聞いて、俺は喉を詰まらせた。 ……そう。 月詠街で起きた事件では、あまりに多くの人が行き場を無くした。 そんな人達の中には、小さな子供も混ざっているのだろう。 閏璃 『幸せになるには時間がかかることかもしれない。     だけど、それでも一歩一歩でも進んでいけば変われるんだ。     いつかここに来るやつらは、そんな変わらなきゃいけないやつらなんだよ』 俺は笑うことなんか出来やしなかった。 そいつが笑って話をする度に、涙が頬を伝って、顎から落ちた。 閏璃 『……この途切れた丘に来ることで変われたヤツが何人も居た。     たとえそれが数えられるくらいの人数であっても、俺はそれが嬉しい。     柾樹も、そしてお前も、きっと変わっていけた。     だから、いくつかの偶然が重なって存在するこの未来を、     俺は決して後悔しない』 ……涙は止まらなかった。 閏璃 『俺達がとっておきだって思った場所が、いくつもの人を救うことになるんだ』 ……嗚咽も、何度も吐き出した。 閏璃 『救いになるかどうかの保証は出来ないが、     迷う子供達にも、いつかはそれが光だったって思える時が来るから』 ……霞む視界でそいつを見ながら、絶えることなく涙した。 閏璃 『俺達はもう、その先を見ることは出来ないから……』 ……その先を言わせたくなくて。 閏璃 『だから、代わりにお前が……     今は辛くても、いつかは笑ってくれるそいつらを見届けてやってくれ』 ……だけど体は動かなくて。 やがて俺の体に触れるその手が、どうしようもないくらいに暖かくて。 閏璃 『……まったく、世話の焼けるやつだよ。お前も、柾樹も』 そう言って笑って。 隣に舞い降りた少女とともに、俺をその暖かさで包んでくれた。 由未絵『……泣かないで。泣いてたら、幸せは逃げちゃうよ……?』 涙を拭ってくれる手。 もう、透き通るくらいに儚い。 閏璃 『……いこうか、由未絵』 由未絵『うん、凍弥くん』 ふたりは手を繋いで、微笑んだ。 微笑んだまま、その体が光の粒子になる。 閏璃 『精一杯に生きろ。歩けないならいくらでも手を貸してやる』 由未絵『あなたには、そうしてくれる人がたくさん居ることを忘れないで。     あなたがしてきたことは、決して間違いなんかじゃないんだから』 待ってくれ、って言いたかった。 その行動を止めたかった。 けれど、声を振り絞ろうとしても、出るのは嗚咽ばかりで。 やがて光の粒子となって、自分の中に消えてゆくその光を止めることは出来なかった。 ───ただ、声が聞こえた。 「お前の中に『俺』が居るのは知っている。  俺がお前の中に入れば、お前はまだ動けるから。  ……だから、もう子供みたいに泣くなよ、ばか。  お前はこれから、守りたいものを守っていくんだ。  そんなお前が泣き虫でどうするんだよ」 ───自分の嗚咽に混ざって聞こえるそれは、ただ懐かしくて。 「一時的な救いにしかならないかもしれない。  けど、お前はまた日常に戻れるから。出来なかったことを、たくさんしてこい。  それが、身勝手に願った俺の思いの償いだ。  ……結局ひとつに戻るなら、『弱さ』との離別なんて願うんじゃなかったな」 ───ずっと別れていた幼い心が、永い時を経てようやくひとつに戻った。 「……強く生きろ。未来に消滅しか残ってなくても、その間に出来ることをやれ」 ───そして、その声も薄れてゆく。    ……最後に、一言を残して─── 「……お前の歩む道に、夢のある未来があることを願っている」 ……声は、消えた─── ……永いようで短い時。 遠い遠い昔に知った現実は、今では鮮明な重荷になってしまっている。 少年の頃のように無邪気な自分に戻れたら、どれだけ楽しいだろうか。 そんなことを思いながら─── 凍弥 「準備、完了」 俺はまだ、ここに居た。 柾樹 「大丈夫なのか?あんなに長い間、休んでたっていうのに」 鈴訊庵の前で父さんに見送られるように立っていた。 父さんは俺の体のことを心配して、珍しく会社を休んだ。 ……その矢先、俺が『学校、行く』なんて言い出すもんだから、唖然としていた。 凍弥 「余裕!」 ズビシィッ!と親指を立てて見せ、俺は笑った。 あの丘でふたりに会い、ふたりが俺の中に入ってから……俺の体調は回復した。 もっとも、それも一時的なものだということは知っている。 柾樹 「……確かに、妙な余裕は感じるが」 他の誰でも良かったわけじゃない。 俺の中の『奇跡の魔法のカケラ』が閏璃凍弥の少年の頃の『弱さ』なら、 それを救えるのは同じ存在である閏璃凍弥の魂くらいだった。 ……そう、誰の魂でも良かったわけじゃない。 結局俺は、幼い日に嫌っていたソイツに助けられて、今もこうして歩いていられる。 なにからなにまで自分を情けなく思うことばかりで。 だからせめて、今度こそは前向きでいられるようにと立ち上がった。 凍弥 「じゃ、行ってくるよ」 柾樹 「ああ、そりゃいいが……別に今日じゃなくてもいいんじゃないか?     もう昼になるぞ?」 凍弥 「……いいんだ。俺はそんな生活を願ってたんだから」 そう。 時間は短いけど、追いつけるように頑張ればいい。 今の自分は歩けるのだから、きっとそれが出来る筈だ。 柾樹 「そっか。まあ病み上がりなんだから無茶するなよ。     これ持ってけ。ショウガエキス配合の俺式喉薬だ」 凍弥 「……これでどうしろと?」 柾樹 「気づいてないのか?喉、結構枯れてるぞ」 凍弥 「……そうかな。ま、いいや……いってきます」 父さんに、そして鈴訊庵にそう言って、やがて歩き出す。 ……俺が俺で居られる場所を目指して。 今度は後悔しないように…… ………………で。 凍弥 「……ひでぇ……」 俺は早くも後悔していた。 ───校門は閉ざされていた。 どういう経緯でそうなってるのかは知らんけど、 一言で言えば……そう、学校は休みだった。 凍弥 「……構わん!」 俺はそれを無視して校門を乗り越えた。 男  「こりゃあーーーっ!!!」 凍弥 「な、なにぃーーーッ!?」 しかしいきなり見つかった! 用務員のおっちゃんだ! 凍弥 「とんずらぁーーーっ!!」 当然一目散に逃走。 鬼気迫る気迫で俺を追ってくるオッチャンから、全速力で逃げた。 凍弥 「あ……ははっ」 ……ああ、忘れていた。 自分にも、こんなふうに駆けることが出来たことを。 ……いつしか俺は、笑いながら駆けていた。 それがおっちゃんの逆鱗に触れたのか、 ヤクザ屋さんもびっくりの怒声を吐きながら追ってくるおっちゃんに恐怖しながら、 俺は久しぶりの登校に感動していた。 一緒に登校してくれる人が居ないのは寂しかったけれど。 ……俺はまた、戻ることが出来た。 その、変わってゆく日常の中に。 ───ドボォッ! 凍弥 「ウゲェウッ!?」 ───…………。 …………。 凍弥 「……はぁ」 空き教室に入って、おっちゃんをやり過ごした。 背中はまだ痛む。 凍弥 「おっちゃんめ……まさか箒を投げてくるとは……」 痛みの所為で上手くは知れなかったじゃないか。 ……まあ、やり過ごせたからいいけど。 凍弥 「……あ」 ふと冷静になると、俺はその場所を懐かしく思った。 ……いつか、好きな人と約束したその場所を。 凍弥 「……そっか。閏璃凍弥が俺の奇跡の魔法と合わさったから、     その記憶も俺の中にあるってことなんだよな……」 複雑な気分だった。 俺の中には楓巫女を好きな自分と、楓を好きな自分と、 飛鳥を好きな自分と、椛を好きな自分と、 由未絵さんを好きな自分が……ぐはぁーーーっ!! 凍弥 「ヤバイぞ俺……!今、すげぇ最低男の気分だ……!」 自由の翼を手に入れた俺に架せられたモノは、翼を重くする多重の恋心だった。 あ、いや、楓や飛鳥や椛は結局は楓巫女の転生体だからセーフだろうけど…… あぁぁぁああぁぁあ……!!由未絵さんのことが好きなのは明らかに浮気だろ……!! 凍弥 「ノ……ノォーーーーッ!!!!」 俺はしばらく、そうして自虐の念に捕らわれていたとさ……。 めでたしめでたし。 凍弥 「って!めでたくないだろっ!」 なにやってんだ俺は……。 凍弥 「……いいや、寝よう。起きててもすることが無いのは相変わらずってことだ」 特に、この場所では。 ここに来ると、不思議と心が落ち着くのはずっと前からだ。 ここには『思い』がある。 切ないけど、とても暖かく一生懸命な思いが。 そしてそれは、いつか由未絵さんが閏璃凍弥を待っていた頃の純粋な思いなんだろう。 かつて開かずの間だとか言われてたそこは、 ふたりのもうひとつの約束の場でもあったんだから。 ───ああ、落ちつくのも当然だったんだ。 凍弥 「………」 使われていない机の椅子を引き、そこに座って机に突っ伏す。 そうすることで、家で嫌になるほどに眠ったにも関わらず、 絶えることを知らない眠気がやってくる。 寝ることなんて、飽きるほどしたと思ったのに。 ───どうしてここは、こんなにも暖かいんだろう……。 やがて、心地の良い暖かさに包まれながら、俺は瞼を閉じた。 透き通るように澄んだまどろみの中、俺は深い眠りについた。 Next Menu back