───ひとつの賭けと擦れ違いの先に───
カラーーーン……カラーーーーン…… 凍弥 「ん……?」 鐘の音を耳に目が覚めた。 辺りを見渡してみると、自分の部屋。 窓から差し込む控えめな陽射しが、今が朝だと知らせてくれる。 凍弥 「あれ……たしか俺、晦家に行ってたんじゃ……あれ?」 手を伸ばして目覚ましを切っておこうと思うも、タイマーなどつけていなかった。 ……おかしい。 最近ひどく記憶が曖昧だ。 俺は椛を怒らせた記憶もないし、殴られるようなことをした記憶も…… 凍弥 「……うだうだ考えてても始まらないよな。ガッコ行くか」 溜め息ひとつ、壁に掛けてあった制服を着て部屋をあとにした。 そのまま階段を降りて階下へ。 遥一郎「ん?よう、おはようさん」 降りてきた俺に、朝の挨拶をする与一。 口調が軽い。 なにやら機嫌がいいようにも見える。 凍弥 「どうかしたのか?機嫌よさそうだけど」 遥一郎「んー……べつにそうでもないんだがな。     ただ早起きして、ただ朝食でも作ってみるかぁと思ってな。     で、作ろうとして割った卵が双子さんだったってことだけだ」 凍弥 「……些細な珍しさに喜んでただけ?」 遥一郎「そんなところだ」 まあ、そんな朝もいいだろう。 気分がいいことに悪いことなんてないのだから。 遥一郎「これからガッコか?」 凍弥 「そんなとこ。パンと低温殺菌牛乳あるかな」 遥一郎「パンなら焼けてるぞ。ついでに目玉焼きもどうだ?     自分で言うのもなんだが、いい出来だ」 凍弥 「ん、もらう」 冷蔵庫から牛乳を取り出し、与一が投げた目玉焼きパンを受け取る。 よく目玉焼きが落ちなかったものだ。 遥一郎「お、そうだ。凍弥、晦の家に電話するんだろ?」 凍弥 「んあ?〜〜……(もぐもぐ……ごくん)……なんで?」 遥一郎「お前、昨日帰ってきた途端に言ったじゃないか。     『俺、明日の朝に晦の家に電話するから教えてくれ』って」 凍弥 「……俺が?」 遥一郎「自分に言伝するなんて、よっぽど忘れちゃいけないことだったんだろ?」 凍弥 「いや……覚えがないんだけど」 ま、いいか。 もしかしたら昨日の出来事の全貌が見えるかもしれない。 ひとまず『こんがりトースト(目玉焼き乗せ)』を客席に置いて、受話器の前に立った。 凍弥 「え〜と……」 確か、椛に教えてもらった電話番号があった筈だ。 ぴ、ぽ、ぱ、と……るるるるる……がちゃっ。 声  『はい!こちらマツモト引越しセンターと申しますが!』 凍弥 「……彰衛門だな?」 声  『キリンさんを愛してると言えぇええーーーーーっ!!!!』 がちゃっ!ブツッ!! 凍弥 「………」 よく解らん内に切られてしまった。 ……もう一度。 ぴぽぱ……るるるるる……がちゃっ! 声  『はい、こちら御堂英会話教室ざます。ご入会ざます?     ああ、待つざます、すぐに逆探知してお宅の名義で契約するざます』 凍弥 「……彰衛門」 声  『象さんを愛していると言え!!』 凍弥 「いやだ、って言ったら?」 声  『決まってる。椛を泣かす』 凍弥 「ほらみろ、椛を知ってるってことはやっぱり彰衛門じゃないか」 声  『違うな、今は孤高の間取り男、『間取リーヌ・珍兵』だ。     みなさまが気づかないことをいいことに、屋根裏に住み着いている』 凍弥 「……でも電話に出てるじゃん。すぐ見つかるぞ?」 珍兵 『いえいえ、屋根裏はとても寂しいところなのでね?     こうして電話を引っ張り出してきたってわけですよ。     今、晦家の電話事情の実権は俺が握っているというわけだ。すげぇだろ』 凍弥 「………」 毎度毎度、とてつもなく意味のないことで胸を張る人だよな……。 珍兵 『ん?待って。なにか物音がしたわ……』 凍弥 「へ?」 珍兵 『誰か来たみたい……やだ、わたし怖いわ……』 凍弥 「………」 珍兵 『お、男の人が来たっ……!銃を持って……!いや!助けて小僧さん!』 声  『おのれはっ───!!人の家の電話をなんだと思ってやがるーーーっ!!!!』 珍兵 『ギャアアアァァァァーーーーーーッ!!!!』 ……それからしばらく、悠介さんと彰衛門の叫び声が聞こえ続けた。 …………。 凍弥 「……で、どしたのチンペイさん」 珍兵 『うぐっ……ぐすっ……!また【出てけ】って言われちゃった……』 そりゃ当然だ。 珍兵 『ただアウターゾーンの真似しただけなのに、あんまりだと思わない?』 凍弥 「助けを求めてるくせに『小僧さん』なんて言うからだ」 珍兵 『馬鹿おまえ、人はからかえるから面白いんだぞ?』 そうだろうとも。 人をからかってる時の彰衛門って、すごく輝いてるし。 凍弥 「でさ、どうしてまだ電話に出てられるんだ?」 珍兵 『いえですね?追い出された腹癒せ(はらいせ)にね?     外の電話線を千切って俺の盗聴器と繋げたのよ』 〔ガラララ……ぴしゃん〕 珍兵 『あ……』 なにやら、窓を開けたような音が聞こえた。 声  『人ン家の電話線千切ってんじゃねぇーーーっ!!!!!』 珍兵 『ギャア!?っと、動くなよ!?動くと……えーと』 声  『………』 珍兵 『あれ!?ちょっと待って!さっきまで確かにここに夜華さんがっ!!     や……夜華さん?や……夜華さん!?夜華さぁん!?アレアレェ!?     あ、あいや───キャアアアァァァァァーーーーーーーッ!!!!!!!!』 ドガグシャベキボキメシャゴシャ……!! それからしばらく、受話器からは彰衛門の悲痛な叫びと撲撃音が聞こえ続けた。 ───……。 珍兵 『いで、いででで……!!』 しばらく待つと、また聞こえる彰衛門……もとい、珍兵の声。 凍弥 「……あのさ、素直に電話を代わろうとしないわけ?」 珍兵 『なるほど、いい考えだな。だが……俺のポリシーじゃない』 格好つけたつもりなんだろうが、 電話の向こうの彰衛門を想像すると、逆に可哀相に思えた。 凍弥 「……聞くまでもないと思うんだけど。どうしてまだ出てられるんだ?」 珍兵 『受話器に盗聴器と、とある仕掛けをしたのさ。     あ、そだ。人のこと無視してひとりだけ逃げ出した夜華さんの声聞く?     さっき、見事捕獲したんですけどね?ホレ』 声  『うー!んむー!むー!』 珍兵 『【彰衛門ってナイスガイよね!】だって』 声  『うむぅむ!!むむー!!』 珍兵 『いや……照れるな、そんな面と向かって言われると』 声  『むぐーーーっ!!』 絶対違う。 てゆうかどう聞いても猿ぐつわかなんかされてる。 しかも縛られてるんだろうなぁ。 珍兵 『はずしませんよ?さっきとんずらした罰です』 夜華 『むーむ!むぐぐーーーっ!!!』 珍兵 『なに!?(かわや)へ行きたいとな!?』 夜華 『むーー!!』 ごちゃっ!! 珍兵 『キャアアアァァァーーーーーーーッ!!!!!!!』 うわ、なんか柔らかいものが砕けたような音が……! 珍兵 『お、俺の鼻が〜〜〜〜っ!!!!』 凍弥 「………」 珍兵 『お、おのれぇ夜華さん……!いきなり頭突き(チョーパン)とは……!』 夜華 『むー!』 珍兵 『だめです外しません。というかそもそも鼻血が止まりません』  ……説明されてもなぁ。 凍弥 「……あのさ、悠介さんに代わってくれないか?」 珍兵 『テメェ俺に死ねってのか!?いくら温厚な珍兵でも辛抱たまらんよ!?』 凍弥 「死ねだなんて言ってないだろ……悠介さんに話があるんだって」 珍兵 『……すまねぇ、俺ももう後には退けねぇんだよ……。     こうなったら骨の髄までからかうしかねぇだろ……?』 凍弥 「いい風に聞こえるように言っても、     それって結局からかうことしか考えてないって」 珍兵 『まぁね!』 凍弥 「………」 あっさりと認めてしまった。 プライドってものがないのか、この人には。 珍兵 『まあそんなわけだ。今の俺と悠介は敵対関係にあるのだ。     ここは持久戦に持ち込んで、チマチマとからかってやるさね!』 声  『ほう』 珍兵 『───はうあ!?ゆ、悠介!?』 夜華 『むー!』 悠介 『……また巻き込まれたのか、篠瀬……』 ああ、声聞くだけでも呆れてるのが手に取るように解る……。 珍兵 『お、おっと動くなよ!?動いたら夜華さんの首が……ポキリ、だぜ?』 夜華 『むー!?』 悠介 『……お前なぁ……』 ……とんでもなく情けねぇ……。 呆れる気持ち、解るよ悠介さん……。 珍兵 『ち、近づくな!近づくなってば!ポキリですよ!?本気ですよ!?』 悠介 『近寄らなきゃ話にもならないだろうが』 珍兵 『寄るなぁ来るなぁ殴り魔人めぇーーーっ!!     来たら折るぞぉ!本気だぞぉ!?殺すぞコラァーーーッ!!!』 悠介 『やってみろ。お前がそれを出来ないことくらい知ってる』 珍兵 『なにぃ!?な、ならば……えーと、えーと……ギャア何も思いつかねぇ!!』 悠介 『……お前は女をからかうことは出来ても、     危害を加えるようなことは出来ないヤツだ。     そんなこと、知ってるし考える必要なんて俺にはない』 珍兵 『な、なにぃ〜〜〜っ!?知った風な口利くんじゃねぇ〜〜〜っ!!     というわけでくすぐりますよ!?泣くまで止めませんよ!?』 悠介 『その前に殴る』 珍兵 『キャーッ!?』 〔───めごっ!〕 珍兵 『ベボッ!』 〔……どしゃっ〕 悠介 『……はぁ。で、誰なんだ?』 電話が拾い上げられる音と、それに次ぐ悠介さんの声。 凍弥 「あ、えと……俺です、凍弥です」 悠介 『凍弥だったのか。どうかしたのか?』 凍弥 「いえ……あの、俺、そっちに行きましたよね?」 悠介 『昨日のことだな?ああ、来たぞ』 凍弥 「……妙なこと訊きますけど、その時の俺ってどんな感じでした?」 悠介 『……知らないのか?』 凍弥 「知ってたら聞きませんよ。って……」 この口調だと、知ってるってことだよな? 悠介 『はぁ……冷静に聞いてくれよ?』 凍弥 「はぁ」 悠介 『……今のお前には、閏璃凍弥の人格がある』 凍弥 「……へ?」 あっさりと、衝撃的な事実を受け渡された気分。 凍弥 「な……なに?」 悠介 『どういうことでそうなったのかは知らないが、     お前の魂には閏璃凍弥が融合しているんだ。     そして……まあ奇跡の魔法ってやつとの融合を果たしたんだろうな。     その所為で閏璃凍弥の人格が浮上してるんだ』 凍弥 「……ってことは、俺の意識がない時って……」 悠介 『ああ、閏璃凍弥が出てる』 凍弥 「……マジですか」 驚いた。 平静を装っているが、叫びたいくらいに驚いていた。 だって、自分の中に別の人格があるだなんて……。 しかも隆正や鮠鷹という『前世』とは違って、 完全に意識が分裂してるときたら……驚かない方がどうかしてると思う。 悠介 『……そうだ、言っておくことがある』 凍弥 「え?なんですか?」 悠介 『目が覚めると、首が痛い時がないか?』 凍弥 「あ……あります。     それも、そんな目覚めかたをすると決まって、椛が怒ってて……」 悠介 『あのな、それは閏璃凍弥が椛との話し合いで余計なことを言って怒らせた時、     自分の首を手で思いっきり捻って気絶してるからだ』 凍弥 「……それって、散々怒らせといて逃げてるってことですか?」 悠介 『……そうなるな』 凍弥 「………」 ……父さん、どうやったらそんな人に憧れることが出来るのですか……? 俺には父さんの思考が理解出来ません……。 悠介 『気をつけておけ。     昨日話した限りじゃあ、閏璃凍弥は人をからかうのが好きらしい。     言葉だけで翻弄するからある意味彰利には劣ると思うが、     その言葉だけでも厄介だ。目覚めて首が痛かったら注意しろ』 凍弥 「………」 悠介 『それとな、訊いてみたんだが……。     どうやら霊体の閏璃凍弥は、     精神のベースが学生だった頃のものになっているらしい。     なんでも、好きなやつが亡くなったのが学生時代だそうでな、     それに合わせるために自分を巻き戻したそうだ。     ……まあ、記憶までは巻き戻すことは出来なかったらしいが』 凍弥 「……とんでもなく迷惑ですね」 もし学生時代と大人になってからの彼に大きな違いがあったとしたら、 父さんが彼に憧れるのも頷けはすると思う。 が……この性格では絶対に憧れることなど無理だ。 悠介 『俺が教えられるのはこんなことくらいだが……なにか用件はあるか?     っと、そうか。椛と代わるか?』 凍弥 「え?まだ出てないんですか?」 悠介 『……部屋の中で不貞腐れてるよ。昨日、閏璃が相当無茶したからな』 凍弥 「ぐあ……」 なにやったんだ、一体……。 悠介 『っと、そろそろ学校に行った方がいいな。俺の所為で遅刻されるのは困り者だ』 凍弥 「ははっ、そうですね」 俺は小さく笑いながら、『いつでもかけろ』と言って電話を切る悠介さんに感謝した。 凍弥 「さてと……」 俺も受話器を置き、客席に向き直る。 ……そこには、すっかり冷えたパンと目玉焼きがあった……。 ───……通学路を歩む。 戻ってきた『日常』に感謝するように、その景色を目に焼き付ける。 見馴れていた筈のその景色が、今は新鮮に感じられた。 そして───その景色の影に、ひとりの少女が立っていた。 凍弥 「椛……」 椛  「………」 しかしおかしい。 晦家で不貞腐れてたんじゃ…… 椛  「……凍弥先輩」 凍弥 「……ああ、なに」 内心、気が気じゃない。 どんなことを言われるのかを考えるだけで胃が痛くなる。 椛  「───……ごめんなさい。     わたし……あなたと婚約できません。わたしと……別れてください」 凍弥 「………」 言ってきたのはそんなこと。 そんな、簡潔で短い言葉だった。 凍弥 「……そっか」 俺はその言葉にショックを受けたけど……無理に笑顔を作って、その頭を撫でてやった。 椛  「え……?」 その顔が『怒らないんですか?』と訊ねているように見えた。 凍弥 「……椛が……いや、朧月が決めたことなら、俺は……それでいいよ」 椛  「───!」 凍弥 「知らなかったとはいえ、悪かった。     俺の中の閏璃凍弥がなにをしたのか知らないけど……ごめん」 椛  「あ……───っ……!」 撫でた頭から手を離して、その場を離れる。 ……ただ思う。 自分が犠牲になることで誰かが幸せになれるとしたなら。 自分は……何を迷う必要があるのだろう。 ───彼女は俺とは婚約できないと言った。 それはつまり、幸せを願っていた彼女が別の幸せを目指そうとしていることだと思う。 だから俺がそれを止めることなんてお門違いだ。 椛  「凍弥せんぱ───」 凍弥 「……霧波川、だ。俺のことはもう名前で呼ばないでくれ」 ……じゃないと、泣き出してしまいそうだったから。 振り向かずに言葉を呟き、そのまま歩いてゆく。 その背には椛の切なそうな声が聞こえたけれど……─── 最後まで、俺が歩を止めることも振り向くこともなかった。 ………………。 それから、普通に授業を受けて、普通に勉強する日々が続いた。 あれから何度か椛……朧月の来訪や連絡があったけれど、全て応対することはなかった。 教師 「ここの訳を……霧波川、やってみろ」 凍弥 「はい」 立ちあがり、黒板に並べられた英語に目を通す。 そして即座に和訳し、言ってみせる。 教師 「あ、ああ……正解だ、座って……よし」 凍弥 「………」 サボることもなくなり、屋上に行くこともない。 約束していた婚儀の日も過ぎ去って、俺はただ流れるだけの日常に身を置き続けた。 ───休み時間。 浩介 「どうしたのだ同志。最近、覇気がないように見えるが」 凍弥 「そうかな」 浩之 「見てて危ういぞ、今の同志は。些細なことで割れそうなシャボン玉のようだ」 凍弥 「……そうかな」 自覚はない。 けれど、他人から見ればとても危うく見えるのだろう。 こいつらが面と向かって言うってことは、そういうことだ。 浩介 「なによりサボらなくなった。朧月も避けているように見えるが?」 凍弥 「なんだ、そのことか……。それなら……俺がフラれたよ」 浩之 「なっ───!?」 浩介 「フラ、れた……!?もみ───いや、朧月にか!」 凍弥 「ああ。俺とは婚約できない。別れてくれってさ」 浩介 「………」 浩介が歯を噛み締めた。 ギリッと、嫌な音が鳴る。 浩介 「どういうつもりだ、あいつめ……!同志をフるだと……!?」 浩之 「それで、親御さんからの連絡は来たのか?」 凍弥 「ああ……婚約は正式に取り止めになったよ。     朧月だけが言ったわけじゃなかった」 浩介 「……面白くないな。それではなにか?     その家の者どもは同志をからかうだけからかい、あとは知らん顔するだけか?」 浩之 「……ふざけているな。とんだ茶番だったということか?」 凍弥 「……もう、いいじゃないか。全部終わったんだ。     俺は……俺なんかを好きでいてくれたあいつが、どんな存在よりも大きかった。     だからなんでも聞いてやりたかった。どんな願いでも。     だから俺は、あいつが別の幸せを掴もうとしてるなら、それを応援したかった。     ……それだけなんだから、それでいい」 浩介 「同志……」 浩之 「……そうだな。貴様は昔っから、人の幸せしか考えんヤツだった」 その言葉に『今更だな』と笑う浩介。 俺はふたりの無理な笑顔に、心からすまないと思った。 ───……。 カラーーーン……カラーーーン…… 昼を知らせる鐘の音色。 俺は学食へ向かうと券売機に向かわず、小さなカウンターに向かって、パンを買った。 この小さなパン売り場は人気が無く、いつでも買えるような場所だった。 今日寄ったのも、ただの気紛れだ。 たまにはこんなのもいいだろう。 朧月 「あ……」 凍弥 「………」 学食から出ようとしたところで、入ろうとした朧月と鉢合わせになる。 朧月 「あ、あのっ」 凍弥 「今から学食か?」 朧月 「え?あ、は、はい……」 凍弥 「そっか。あんまり遅いと授業に遅れるぞ」 それだけ言うと、朧月の横を通り過ぎた。 ……ただの、お節介としての会話だけして。 だって、俺達はもう恋人同士でも婚約者でもないんだから。 声  「っ……待ってくださいっ!!」 ……けど、彼女は立ち去る俺に待ったをかけた。 通り過ぎるだけの、お節介者に。 俺は振り向かず、足だけ止めた。 学食中からざわざわとザワメキだけが聞こえる。 声  「……こっち、向いてください……」 凍弥 「………」 声  「前みたいに……わたしの目、見てください……」 凍弥 「………」 できるわけがない。 今更、なにを言うんだろう……この娘は。 声  「どうして……?どうして何も言ってくれないんですか……?」 凍弥 「………」 ……歩き出す。 話にもなりそうになかったから。 声  「凍弥先輩っ!!」 凍弥 「───!」 けど、その言葉に足が止まった。 そしてソイツに向き直り─── 凍弥 「気安く呼ぶんじゃねぇっ!!」 朧月 「っ……!?」 俺は、激昂していた。 凍弥 「なんなんだよ今更!俺になんの用があるんだ!!     フラれたヤツの顔でも嘲笑いに来たのか!?」 朧月 「そ、そんな……ちが……」 凍弥 「俺はお前が別の幸せを求めてるって思ったから頷いたんじゃねぇか!!     それがどうだ!?フったあとも何度も何度も会いに来やがって!!     そんなに俺を惨めにしたかったのか!?」 朧月 「聞いてくださいっ……!わたしはっ……!」 凍弥 「俺はなぁっ!俺はっ……!!     本当に……本当に、お前のことが好きだったのに……!!     人の気持ちを弄ぶようなことをしやがって……!!」 朧月 「…………!」 自然に、涙が溢れた。 俺はそれを乱暴に拭うと、踵を反す。 凍弥 「っ……!……頼むから……もう……俺に話し掛けないでくれ……!     俺はもう……辛い思いなんてしたくないんだよっ……!」 朧月 「………」 俺が選んだ選択は拒絶だった。 もう、なにを信じていいのか解らない。 俺にとっての心の支えは、彼女にこそあったというのに。 俺はもう、頑張るためのなにかを失ってしまった。 声  「っ……う……うわぁあああああああん!!!!ぁああああああん!!!     ひぐっ……凍弥せんぱっ……う、うわぁああああ……ん……!!!!」 学食を出て廊下を歩いたところで、後ろから泣き声が聞こえた。 でも……足を止めることも振り向くこともなく。 そのまま、その場所をあとにした。 ───このままどこかへ行けたらいいな。 そう思った。 凍弥 「………」 あの日から枯れたままの桜の木の幹に座った。 授業を受ける気分じゃなくて、久しぶりに授業をサボって、 かつて与一と初めて出会ったその場所に来ていた。 凍弥 「………」 見上げた空は曇っていた。 心も荒んだままだ。 自分の心を投影するかのような暗雲を目にして、 知らずに何度も溜め息を吐いていることに今更気づく。 凍弥 「……このまま消えるのも、いいかな……」 意欲というものが消えてゆくのを感じた。 求めた幸せが、その幸せ自体に消された孤独感。 こんなもの、欲しくなかった。 凍弥 「………」 考えるのも辛くて、自然と目を瞑った。 ……寝てしまおう。 このまま忘れられるのもいいだろう。 望むものはこの時代には無く、ただそんな時代に転生してしまった自分を呪えばいい。 俺が苦しめば他の誰かが幸せになる。 幸せになる権利なんてものは、誰にだってあるものじゃないんだ、きっと。 ───…… ───…………。 凍弥 「ん……」 肌寒さを感じて目を開けた。 するとそこは赤い世界。 目に映る全てが赤に染まる。 ……雨雲は消え去って、空には綺麗な夕焼けがあった。 そして、そこに立つ少女。 サクラ「………」 凍弥 「……サクラ」 サクラ「……あなたの幸せのお手伝い、させてください」 凍弥 「あ……」 そして思い出した。 いつか、彼女がこの場所で言った言葉を。 凍弥 「………」 サクラ「………」 サクラはあの頃の格好をしていて、あの頃のように無駄にニコニコしていた。 そして……───そして、俺は…… 凍弥 「………」 ……帰れるだろうか。 あの頃の自分に……帰れるだろうか。 ここで頷けば……いや、あの時頷いていたら……俺の未来は変わったのだろうか……。 凍弥 「………」 ───ああ、手伝ってくれ ───……チョップする Menu back