───親であること───
───最近、雪が積もりっぱなしだなって思った。 凍弥 「はぁ」 吐く息が白く染まり、景色に溶けて消えてゆく。 凍弥 「はぁ……」 もう一度吐く。 鈴訊庵から与一が居なくなってからというもの、 なんだか自分が怠慢している気がしてならない。 こうして雪かきしてる今でさえ、 発生源の解らないかったるさが俺を襲う。 なんてゆうか……覇気が出ないんだな、きっと。 自分が、思ってるほど強くないことなんて知ってる俺は、 その覇気の無い自分が一番苦手だった。 凍弥 「与一とサクラは天界……リヴァイアは閉じ篭もりっぱなしで出てこない……。     椛はクリスマスの頃からなんだか余所余所しいというか、     隠し事してるみたいだし……あー、俺ってほんと情けねぇ」 誰かが居ないと何も出来ないって言葉、 もしかして俺にこそ当てはまるんじゃないだろうか。 凍弥 「明日は正月だっていうのに……     周りの景色から浮いてる気がするよなぁ、俺って」 こう、なんていうんだ? 鬱オーラが滲み出てるってゆうか……結婚したんだからもっと一緒に居たいとか……。 くそ、こんなときこそ暇潰し出来るなにかがあれば……。 てゆうか、どうしてこういう時に限って現れないんだ、彰衛門のヤツは。 凍弥 「……ま、いいや。母さんと世話話でもするかなぁ」 雪かきをやめて、我が家に向けて歩き出す。 踏みしめる雪が独特の音を鳴らし、なんだか楽しげな気分になるが─── 凍弥 「気分にだけなっても、それを共に発散出来る相手が居ないとなぁ」 結局、なにかで暇を潰すことは出来そうになかった。 なんてことを思っていた時だった。 声  「センパイッ!!」 凍弥 「へ?」 聞き覚えのある声に振り向く。 と、そこに居るのは風間雄輝。 凍弥 「風間……じゃないか。どうしたんだ一体」 風間 「あ、あの……俺、どうしたらいいか……俺……!」 凍弥 「いきなり現れていきなり慌てられても対処できないだろうが。落ち着け」 風間 「でもっ!あの!俺どうしたらいいか解らなくて!!」 凍弥 「落ち着けってのに!!慌ててもいいからまず用件を言え!」 風間 「は、はいっ、あのその……し、静香が……」 凍弥 「静香?あ……皆槻か。そいつがどうかしたのか?まさかまた病気とか……」 風間 「ち、違うんす!あの───静香が!───」 凍弥 「…………へ?」 聞こえた声。 耳を疑った。 と同時に瞬間的に目の前が真っ白になる。 単純な驚きからくる眩暈だ。 凍弥 「に、妊娠だぁっ!?」 やがて俺は叫んだ。 その頃には眩暈も消え、ただただ驚きばかりが俺を襲ったのだった。 ───…… 凍弥 「ほら、お茶」 風間 「すんませんっす……」 鈴訊庵の客席に風間を座らせ、俺も向かい側に座る。 そしてその目を逸らすことなく見ながら、話を聞くことにした。 風間 「さっきも言った通り、静香が妊娠したんです」 凍弥 「当然、お前の子だよな?」 風間 「あ、当たり前じゃないすか!!他に誰が居るんす!!」 凍弥 「解ってるよ、確認したかっただけだ。───病院でのアレで、だな?」 風間 「え───し、知ってたんすか!?」 凍弥 「皆槻のお袋さんが覗いてたぞ。あの人はお前と皆槻の関係、全部知ってる」 風間 「ななな……!!そ、そんなこと一言も……!」 凍弥 「あのなぁ、病院で後輩が恋人を抱いてたのを見ましたって言えってのか?     冗談じゃないぞ、喩え話程度じゃなくちゃ誰が言うか」 風間 「う……そりゃ、そうっすけど……」 顔を赤くして俯く風間に呆れながら、ひとまず息を吐く。 それは、重苦しい息だった。 凍弥 「それで、どうするんだ?」 風間 「どうするって……なにをっす?」 凍弥 「お前な……それを俺に相談しに来たんじゃないのか?」 風間 「あ───そう、っすね……。その……俺、どうしたらいいか……」 凍弥 「責任も取れないのに皆槻を抱いたわけじゃないんだろ?     どうするか、なんてのはお前が決めることだ」 風間 「そりゃそうっすけど……じょ、助言だけでもいいんす!     俺、こういう時に弱くて、吹っ切れる度胸ってのが足りないんす!」 凍弥 「じゃ、一言。抱いて妊娠させたからにはお前が決めろ。     責任取って父親になるか、堕胎させるか」 風間 「………」 力無く黙ってしまう風間に、俺はさらに言葉を紡いだ。 凍弥 「皆槻の両親やお前の親には言ってあるのか?」 風間 「はい……静香のお母さんは喜んでくれてたけど、     俺の両親と皆槻のお父さんは『早過ぎる』って……」 凍弥 「まあ……普通はそうだろうな……」 高校一年で妊娠だなんて、まさか自分の知り合いがするとは思わなかった。 しかもその相手までもが自分の知り合い。 ……ちょっと……いや、かなりシャレになってないんじゃないか……? 凍弥 「まあ……産まれてくる子供に罪は無い。それよりもだよ、風間」 風間 「え……?」 凍弥 「『お前自身』はどうしたいんだ?親になるかどうか」 風間 「子供は俺と静香の子供っす。     ……堕胎なんてさせたくないに決まってるじゃないっすか」 凍弥 「だったら腹括っちまえ。意地でも親であってみろよ。     周りの声なんて気にするな。     自分に本当に『そのつもり』があるなら乗り越えられるさ」 風間 「………」 俺の目をじっと見て、だけどまた俯いてしまう風間。 揺れる腕を見るに、拳を握り締めてるのが窺える。 凍弥 「今からでも稼いだらどうだ?バイトなりなんなりやって」 風間 「バイトっすか……」 凍弥 「ああ。学校卒業するまで本職は無理だろ?     バイトならまだ気楽だし、稼がないよりはマシだ」 風間 「………」 凍弥 「土木工事のバイトなら、いい給料のがあったと思ったけど」 風間 「ほんとっすか!?───そ、それ、紹介してください!」 凍弥 「え───……本気か?冗談半分だったんだが……相当ツライらしいぞ?」 風間 「構いません!俺は───これから産まれてくる子の父親になる男っす!!」 凍弥 「風間……」 ……風間の目は真っ直ぐだった。 その目標にただ突き進むことだけを考えた目だ。 凍弥 「……解った。バイトさせてもらえるかはお前次第だ、頑張れ」 風間 「ハイッ!」 俺は新聞に混ざってた求人広告を風間に渡した。 風間はしっかりと頷いてからそれを受けとった。 風間 「あ……それと。最近、メルのやつがヘンなんす」 凍弥 「メル───メルティアが?」 風間 「なんだか辛そうで。病院に連れていこうとしたんすけど、動こうとしないんす」 凍弥 「………」 風間 「今日もいつの間にか家から居なくなってて……。     あの、もし見つけたら病院に行くように言ってください。     センパイの言葉なら聞くかもしれないっすから」 凍弥 「……解った」 俺がそう返事をすると、風間は何度もお辞儀をして───走り去って行った。 凍弥 「……父親か」 これから大変だな、あいつ。 学生で……しかも一年のあいつが父親か。 止めたところで無茶するのは目に見えてる。 だからあいつの覚悟を試したけど……余計なお世話だったみたいだ。 と、そこまで考えて、ふと思い立つ。 凍弥 「……明日は我が身、かもしれないってことか……」 椛を思い出して、俺は頭を掻いた。 凍弥 「椛、いつまで都合悪いんだろうな」 『今会っても、笑顔でなんて居られそうにありませんから』とか言って、 もう何日も顔を合わせてない。 学校で会おうにも、やっぱりどこか俺を避けてるんだよな。 ……もう嫌いにはならないけど、理由くらい教えてほしいもんだ。 このまま、正月の顔合わせもないのかと思うと気が滅入る。 凍弥 「鈴訊庵には誰も居ないし、     正月には父さんも母さんも知り合いと同窓会だって言うし……。     鈴訊庵には俺以外は居ないと言っても差支えなしだし……」 まいったぞ、ほんと。 正月休みの間、どうするよ俺……。 パルルルルル…… 凍弥 「っと、電話か……誰だろ」 すぐさまに駆け、受話器を取って応対。 その先の声とは───! 声  『同志か、我だ我、志摩浩之だ』 ……浩之だった。 凍弥 「なんだ浩之かよ……」 声  『なんだとはご挨拶だな。せっかくこうして電話をかけたというのに。     まあまだるっこしい話は無しだ。同志よ、正月は我が家で盛りあがらんか?」 凍弥 「またか……?クリスマスに続いて、よくよく祝い事にやかましい家だなぁ」 声  『馬鹿め、楽しければいいのだ。     ……というより、我もブラザーも予定がないのだ。     シルフィーも菜苗も野暮用で我らには付き合えぬらしいのだ。     まあ、菜苗は迷子になっているだけなのだが』 凍弥 「マジか……。こっちも椛がな……」 声  『……お互い虚しいイベントづくしだな……』 凍弥 「どうなってんだかなぁ」 受話器越しにムハァと吐かれた溜め息が耳に残る。 仕返しとばかりに溜め息を吐いてみたが、ただ余計に重苦しい気分になるだけだった。 凍弥 「あー……すまん。確かにこっちも暇すぎるんだ、また厄介になるかもしれない」 声  『我らで何を遠慮することがある。我はいつでも大歓迎だぞ。     むしろ───うむ。なぁ我らが盟友凍弥よ。     どうせ朧月と都合の合わぬ毎日なら、     我らがレイヴナスカンパニーに泊まりに来ぬか?』 凍弥 「え……そっちにか?」 声  『我は一向に構わん。     むしろ居てくれた方が、わざわざ電話をかけなくても済むのだがな』 そりゃそうだ。 でもなぁ。 凍弥 「お邪魔じゃないか?恋人との時間が出来た時とか」 声  『たわけ、そんなことを気にする我らか。     確かに我らは好きな者を大事にするだろう───だが、友情も大事だ。     どうしてだろうな、恋人を放っておくより貴様を放っておく方が気分が悪い』 凍弥 「そりゃどうも。けどな、俺なんかより恋人を優先にした方がいいぞ?     フラレたって俺は責任取れないんだから」 声  『ふふっ……確かにそうだな。貴様ごときにその責任は取れぬだろう』 凍弥 「……そこまで言われると腹が立つんだが」 声  『冗談だ。元より、同志である貴様に責任を押し付けようなどと考えてはいない。     我はな、同志。なにかを貴様に感謝したいのだ。     それがなんなのかは解らないわけだが、     貴様が我らの盟友であることに、我らは喩えようの無い喜びを感じている。     それはまるで───なんと喩えればいいのだろうな。     ぬう……解らんな。すまん、頭が無いなりに考えてみたんだがな』 凍弥 「浩之……」 微妙な変化なんだろう。 けど、その口調が、どんどんと平丸に近づいてきている。 もしかしたらもう、何かの拍子で思い出してしまうんじゃないか。 そう考えると……嬉しいと思う反面、申し訳無さが溢れてきた。 声  『……し?同志?聞いているか?どうした』 凍弥 「あ……っと、悪い、少しボウっとしてた」 声  『そうか。この歳でボケると先が思いやられるぞ』 凍弥 「ほっとけ、ばか」 そう返したあと。 俺は、レイヴナスカンパニーに泊まる提案を受け入れることにした。 いつでも来いという浩之の声に、どこか苦笑する自分。 結局俺は───こうして、普通の日常に身を包みながら消えてゆくのだろうか。 そう思うと、胸が苦しくなった。 ───……。 柾樹 「泊まり込み?フェイの家にか」 父さんが仕事から帰ってくるまで待ち、そのことを父さんと母さんに伝えた。 こういうことを報告するのは『結婚する』って言ったこと以外では初めてで、 ふたり一緒に、面と向かって言った方がいいと思ったからだ。 伝言なんかよりよっぽどいいと思う。 凍弥 「そういうこと。浩之に誘われてさ」 夕  「椛ちゃんは?」 凍弥 「あー……それがさ、椛の家……というか晦神社の方が、     ちょっと立て込んでるらしくて」 柾樹 「そうなのか……まったく、せっかく夫婦になったっていうのに、     離れて暮らすなんてもったいない。     いっそのことだな、鈴訊庵かこの家で一緒に住んでしまえばいいんだ」 夕  「あ、それいいかもしれない。そうしたら親夫婦と子供夫婦揃って団欒を……」 柾樹 「夕……」 夕  「柾樹くん……」 がばしっ。 ばか夫婦が、目の前で抱き合ってる。 凍弥 「あー……今更だけど質問いい?ど〜して『柾樹くん』なんだ?     結婚して、しかも17の子供が居るってのに……『あなた』とか言わないの?」 柾樹 「『いつまでも初々しい』からいいんじゃないか。     お前にもいずれ解るぞ。それからお前は18だろう」 凍弥 「………」 そうでした。 シェイドに記憶操作されたんだっけ。 夕  「それに凍弥だって人のこと言えないでしょ?知ってるのよ〜?     椛ちゃんに『あなた』じゃなくて『凍弥さん』って呼ばせてるの」 凍弥 「ぐっ……そ、それはっ……ヘンな気がするじゃないか。     確かに夫婦だけど、高校生が『あなた』とか『おまえ』とか……」 夕  「そう?凍弥の言う『夫婦』ってゆう枠が差別じゃなければ、     高校生だろうと『あなた』とか『おまえ』とか言うのはいいんじゃない?」 凍弥 「う……」 やばい、反論できない。 てゆうかこの状況、言葉で勝てる気がしない。 なんたって目の前に居る存在は、既に『俺』を育てた夫婦だからだ。 思い返せば思い返すほど、俺は手の掛かる子供だった。 そんな俺を育てたふたりに俺が勝てるわけがない。 凍弥 「……降参する。俺が間違ってた」 夕  「間違いとは言わないけど、     お互いの呼び方なんてお互いが一番呼びやすいものでいいと思うのよ」 柾樹 「そうだな。     俺と夕は自己紹介し終わってから今日までずっと、この呼び方だからな」 それはそれですごいとは思うけど。 柾樹 「まあ、気が向いたら椛ちゃんを連れてこい。     あとは俺と夕の巧みな話術で家に住まわせてやる」 凍弥 「妙なことはしなくていいって」 柾樹 「俺はこう見えても話術師として有名だ。     見事、椛ちゃんを爆笑の渦に巻き込んでみせるぞ」 凍弥 「いや……目的が変わってるから……まずは落ち着いてくれ」 柾樹 「不服か?」 凍弥 「滅茶苦茶」 柾樹 「そうか……それなら当日は俺が打って出よう」 凍弥 「なんの話だっ!」 柾樹 「椛ちゃんを笑わす作戦だろ?」 凍弥 「……趣旨すら忘れたのかよ」 柾樹 「馬鹿言うな、覚えてるぞ?     椛ちゃんを如何にして凍弥と同居させるかを考えてるんじゃないか。     お前ならどれがいい?     A案:俺が月詠街まで行って眠っている椛嬢を攫う。     B案:チョークスリーパーで堕として攫う。     C案:ドナルドマジックを披露して、驚いた隙をみて地獄突き。それだけ。     D案:タマネギの輪切りの匂いを嗅がせてα波を出させ、寝たら攫う。     さあどれだ!俺としてはC案を全力で推すが!」 凍弥 「よりにもよって一番意味のないものを推すなよっ!」 夕  「わたしならB案かなぁ」 凍弥 「いや……母さん、真面目に答えることないから……」 てゆうか真面目に答えてチョークスリーパーか。 どういう親だよ。 柾樹 「まあどちらにせよ、いつかは一緒に暮らすことになるんだ。     お前もいろいろと覚悟決めとけよ」 凍弥 「覚悟、か」 ふと、さっき訊ねてきた風間を思い出した。 覚悟ってのは突っ走ればいいってもんじゃないと思う。 けど、どこまでも真っ直ぐってのはいいことだと思う。 凍弥 「で……いい加減話戻そうか。泊まり、いいかな」 柾樹 「止める必要性が見当たらない。迷惑にならん程度に好きなだけ行け」 凍弥 「へ……?」 夕  「わたしたちは凍弥のことを放任した覚えもないし、     凍弥を縛りつけて育てた覚えもないから。     凍弥は今まで通り、自由に生きればいいのよ」 柾樹 「ほんと、穂岸がお前についてくれていて助かった。     あの頃のお前は手がつけられないヤツだったからな。     けどあの夜、お前がサクラと穂岸を連れてきて……お前は変わった。     前向きになってくれた、ってゆうのか。とにかく、嬉しかった」 凍弥 「父さん……」 夕  「あの頃は大変だったね。名前呼ぶ度に怒鳴ってきて。     わたし、子供を育てる自信無くしちゃってたよ」 凍弥 「……ごめん、母さん……ごめん、父さん」 素直に謝った。 あの頃の俺は弱すぎたから。 そんな俺を支えてくれていたふたりに、俺は頭を下げて謝った。 柾樹 「馬鹿かお前は」 凍弥 「え───?」 夕  「親を困らせない子供なんて居るわけないんだから。     今の凍弥がこうして、あの頃を後悔してることが大事なのよ。     謝る必要なんてない。だから今度は、凍弥があなたの子供に教えていきなさい。     人は何かを覚えることで強くなれる。     たとえそれが辛いことでも悔しいことでも。     この世界にあって、無意味なものなんて無いんだって。     無意味だと思うものから『わたしたち』は始まって───     そして、無意味だと思うものの果てに眠ってゆく」 柾樹 「大衆の中で等価値なものなんてないんだ。     ものの価値は人の数だけある。     誰かが無価値と罵ったものが、誰かにとって救いになるなら……     この世界に本当に無価値なものなんてない。     『俺達』は子供のころから少しずつそれを覚えていって、また伝えていくんだ」 夕  「いい?凍弥。いつか道に迷ってしまったら、『自分』を思い出してみるの。     そして、それからゆっくりと周りのことを考えてみる。     そうすれば……迷うことなんてないから」 柾樹 「誰かにとって無意味だと思うなにかのために死ぬことは恥じじゃない。     俺にはそれを教えてくれた人が居て───俺はその人のことを尊敬している。     たとえお前にとってその人が憎むべき対象であっても───     俺の意思は無価値でも無意味でもないんだ」 凍弥 「あ───」 父さんの言葉に、かつての自分の言葉がよぎった。 少年の頃。 自分と同じ名前のその人を罵った日。 父さんが初めて、俺を殴った日。 俺はその人のことを無価値と。 無意味と思い、罵倒した。 ……死んだ人は何も言えやしないのに。 俺は一方的に罵って、その存在を憎んだ。 ───その人が。 父さんにとってとても大事な人だという事実すら、ちゃんと知らなかった。 向き合おうともしなかった。 ……殴られて当然じゃないか。 俺はそれだけのことを、父さんにしたんだ。 凍弥 「……父さん、母さん」 柾樹 「うん?」 夕  「なに?」 凍弥 「……ありがとう」 柾樹 「……なんだそりゃ」 夕  「凍弥?」 凍弥 「……ありがとう。こんな俺を……育ててくれて」 知らず、涙が溢れてきた。 俺は結局、この人達に迷惑をかけてばっかりだった。 そして、恩も返せずに……いつしか消えてしまうのだ。 なんてゆう暴力だろう。 この人達は俺を育ててくれた。 その果てが消滅だなんて知らずに。 凍弥 「俺……俺さ、父さんと母さんの子供に生まれてこれて……幸せだった」 柾樹 「……熱でもあるのか?」 夕  「柾樹くん、それはひどいよ」 凍弥 「っはは……本当に……ありがとう……」 普通の遣り取りだった。 およそ、消えゆく存在がする会話なんかじゃない。 俺にはそれが……───そんな普通が嬉しかった。 凍弥 「ははは……っ……あはははは……っ!」 だから───笑った。 嬉しい時に笑わないのはおかしいって、誰かが言っていた。 それが誰なのかなんて忘れたけど。 けど、それは大事なことだから。 人が笑える瞬間があることは、それだけその日常が眩しい証拠だろうから。 俺は、そんな日常で……まだまだ、ずっと……。 出来ることなら死ぬ間際まで、ずっと日常に感謝していたいと思った。 ───ああ、知らなかったな…… ───誰かに感謝することが、こんなに嬉しいことだったなんて…… ……そう呟いて。 俺は、俺を育ててくれた両親の前で泣いた。 いったいどれくらいの思いを込めて『ありがとう』を言ったのか。 どれだけの想いを込めて『ごめんなさい』を言ったのか。 それが解らなくなるくらい、俺は泣いた。 きっとそれが、このふたりの前で見せる最後の涙になるのだろうと思いながら─── 親の強さを目の当たりにしながら───ずっと、泣き続けた。 …………。 凍弥 「じゃ、行ってくる」 目がちょっと痛かった。 それを訴えると、父さんは『ただの泣きすぎだ馬鹿者』と言って溜め息を吐いた。 夕  「言う必要もないと思うけど……いつでも、帰ってくるのよ」 凍弥 「なんだよそれ。旅に出るわけでもあるまいし」 夕  「いいの。特別な環境じゃない限り───     子を心配しない親なんて居ないんだから」 凍弥 「……ん、あんがと」 柾樹 「向こうへ行ったら……手紙のひとつくらい寄越すんだぞ……?」 凍弥 「どこに旅立つんだよ俺は……」 柾樹 「東シナ海」 凍弥 「具体的に訳解んねぇわっ!!」 柾樹 「ま、気が向いたら帰ってこい。あんまりフェイに迷惑かけるなよ?」 凍弥 「りょ〜かい。てゆうか解りきったこと言うなよ。     志摩兄弟に迷惑はかけても、カフェインさんには迷惑かけるつもりないよ」 柾樹 「なら良し!」 ……いいらしい。 よかったな……浩介、浩之……。 ツッコミのひとつどころか、止められもしなかったぞ……。 凍弥 「そんじゃ」 柾樹 「息子よ……強く生きろ……!」 夕  「母はいつでもあなたのことを思っていますからね……!」 凍弥 「妙なドラマやるなよ……」 柾樹 「一度やってみたかったんだ」 夕  「うん」 凍弥 「……はぁ」 やっぱり、俺の親なんてこういうやつらだ。 でも……こういう人達だからこそ、今のこの現在があるんだろう。 俺はそのことを感謝してもしきれないくらいだ。 消えてしまう命だけど─── 親不幸な存在だったけど─── 俺はきっと、『霧波川凍弥』として産まれたことを───後悔しないんだろう。 きっと、消える瞬間まで。 ───けど。 だとしたら、俺は……別のことで後悔することがあるのかもしれない。 Next Menu back