ずっとずっと未来の、一部の人しか知らない世界。

 未来なのに過去でもあり、過去であるのに現在であるその世界で、独りぼっちの少年が死に、消え去った。

 残されたものは少年がそれまでを生きた証である指輪だけであり、そこには彼が知りあってきた者たちの想いと、彼自身の意思と呼べるものが詰まっていた。

 消える彼を見送った二人のうちの一人はそれを手に、日常へと帰る。

 誰も彼もに忘れられ、覚えている者など見送った二人だけ。

 のちに配られた新聞で知ることになるが、少年に助けられた子供さえも少年を忘れ、子供を庇って潰された少年自身も“騒ぎに乗じて盗みを働こうとした外来人”として認識され、その遺体は誰に惜しまれることもなく処分されたのだという。

 指輪を手にした者は思った。

 自分が“人間は味方だ、守るべき存在だ”などと言わず、嘘が嫌いでなければと。

 結果として自分にだけは嘘はつかないと言っていた少年は守るべき存在を守り、潰れた。

 “やっと、待っているやつらのところへ帰れる”と言っていたのに。

 “今度こそ本当の人間として、家族みんなで一緒に生きられるんだ”と言っていたのに。

 自分が殺してしまったも同然だ。

 ならば生きなければと。

 そうして、指輪を手にした者は生きた。生き続けた。

 生きて生きて、呆れるくらいの時を見送った。



 ……どれほど経った頃だろう。

 その世界に一人の女性が降り立った。

 緑色の髪をした女性は誰かを探しているようで、出会ったその者に向けて懐かしい名前を放った。

 忘れもしない、随分前に子供を助けることで、崩れ落ちた天井に潰されてしまった友の名を。

 その者は真実の全てを話し、指輪を差し出した。

 受け取った女性は震え、やがて号泣する。

 おそらく、話に聞いていた恋仲であった存在なのだろう。

 聞いているのが辛くなるほどの声で泣き……だが、少年がどんな最後を迎えたかを訊いてきた。

 その者は答え───女性はそれを聞き、震えながらも泣くのをやめた。

 そして───……女性は指輪を指に嵌め、力を解放した。

 かつての少年がそうしていたように、女性の周囲に緑色の粒子が集う。

 なにをするつもりなのかと訊ねると、女性は儚げに答えた。

 既に不可能を可能にする力は使い尽くしてしまった。

 彼を忘れないことにまず一度。不老不死になることに一度。この世界に干渉することに一度。想いが散ってしまわないようにすることに一度。

 長い長い時を生き、ようやく辿り着けた先に彼が居ないのならば、生きる意味も無いのだと。

 故に願う。

 自分の中にある幾多の想いと意思、そして彼が歩んできた様々な世界の想いと意思を使うことで、せめて穏やかな世界を。

 ……その者は一度口を開けてホウケた。

 だが笑い、酒を飲むと……笑顔のままに言った。


「とびっきり楽しい世界を頼むよ。あいつが、もうあんな泣き笑いみたいな顔で“きっと幸せだった”なんて言わなきゃいけない世界じゃなくてさ」


 ……それで、終わり。

 女性は涙を浮かべたままでやさしげに微笑むと、全ての意思、全ての想い、そして自分の存在を糧として、ひとつの世界を創った。

 真理さえも干渉できない、ただただ“普通であること”が当然の世界を。

 故に願う。

 どうか、今度こそ───皆が笑っていられる世界でありますようにと。












【───:皮肉の欠片/雨が降る町】

 止まない雨の下に居る。
 いつか夢見た世界の中で、けれど届かなかった世界の中で。
 いつも雨が降らないな、なんて思っていた景色は雫に溢れ、歩いてみても誰にも会えず。
 そこにいけばきっと会えると歩くのに、待っていたのは焼き焦げて何も残らぬ、かつて自分が住んでいた……かつてみんなが集って笑っていた筈だった場所。
 水に濡れるその景色が悲しくて、だけど涙は流せなかった。

 どこに行けば会えるのだろうとただ歩く。
 歩いて歩いて、彼ら彼女らが住んでいた家を訪ねるのだが、誰も居ない。
 そのうちに希望を失って、諦めかけるのに……この足はまだ歩いた。
 歩いて歩いて、かつて自分が許され、受け入れてもらった廃ビルへと辿り着く。
 探してみるのだが……当然、そこにも誰も居ない。
 ただ……その場に、ひどい火傷を負いながらも、自分よりも優先させて逃した苗木が存在していた。

 ……かつてを思い出す。
 自然が燃やされ、その所為で忘れられ、それでもとこの苗木だけは守ったあの日を。
 家族に忘れられ、涙し、それでも笑顔でといつか誓ったからこそ歩いたあの日。
 橋の先で彼女を待ち、橋の上で彼女に挑み、けれどなにもしないままに敗北を受け入れると同時に……泣き笑いで別れを告げたあの日を。

  “さようなら どうかお元気で、○○先輩───”

 “負けるのならば”と約束を果たした言葉とともに、殴られた瞬間、涙が散った。
 自分は消え、散った涙だけがその世界で彼女の拳を塗らした。
 雨がちっとも降らない町に降った雨は、あの日からずっと、俺の中で止まないでいる。
 ようするにこの雨は……なんのことはない、今の自分が泣けない理由がこの雨なのだ。

 きっと帰ると。
 必ず戻ると自分の未来を信じていたのに。
 思う度に雨は激しくなった。
 悲しくて、苦しくて、息がしづらくて。
 後悔しか残らないこの胸を、豪雨の中で何度も何度も殴り続けた。

  なにが覚悟だ、と……豪雨とともに泣き叫びながら。







 ───IronicFragment










【ケース00:晦悠介/芽吹きの秋】

 ───……ざああ、と涼しい風が吹いた。
 暑かった夏は遠く、すっかりと涼しくなった秋のある日、もうすっかり住み慣れたこの家で、俺こと晦悠介は……

彰利「ダァ〜〜アリッソォ〜♪ 今日もユカイな晴れハレ陽気YO!!
   今日も元気にガッコいくべぇやぁ〜〜〜っ!!」

 ……腐れ縁の友人に、迎えに来られていた。
 人の自室に窓から入ってくるたわけなどこいつしか居ない。
 というかな、ここ二階だぞ……毎度毎度どうやって上ってきてるんだこいつは。

悠介「あのなぁ彰利……わざわざここへの石段上ってくるの疲れるだろ?
   ていうかダーリソ言うな」
彰利「じゃあダーリン!」
悠介「それもやめろ!」

 弦月彰利。
 ガキの頃にこいつ自身の家の敷地内で出会った、ツンツン頭のたわけものだ。
 お互いヘンな苗字であることも手伝って、ガキの頃から互いを馬鹿にし合いながら生きてきた。お陰でくだらないことでも笑って済ませられる程度の間柄には多少はなっている。
 多少、というのは……まあ、行きすぎたときは殴って止める程度の部分だ。

彰利「……オヤ? そういや若葉ちゃんは?」
悠介「日直だそうだ。メシ食ってさっさと出てったよ」
彰利「おや残念。今日も元気に構ってきてくれると思ったのに」
悠介「いっつもお邪魔虫扱いされててよく言えるなそれ……」
彰利「まあよ、まああよ。あれはきっと照れ隠しなのYO、木吉カズヤくん」
悠介「朧月和哉だたわけ」

 晦悠介───旧式名称、朧月和哉。
 父、朧月和眞、母、朧月和十葉、姉、朧月和魅。
 いろいろあって、今は晦悠介を名乗っている。しっかりと申請を出したから、今は晦悠介が本名だ。別に親に捨てられたとかそんなことはなく、両親も姉も呆れるくらいに元気でいる。
 その両親は仕事の都合で引っ越すことになり、姉はそれにくっついてった。
 こっちの学校に通うことになるまでは、俺もそっちに住む予定だったのだが、晦……つまりこの家の両親がここに住みながらでいいならどうぞと迎えてくれたわけで。持つべき者は人脈ってやつだな。
 若葉と木葉とは昔っからの付き合いで、兄妹のように育った所為か妙な遠慮もなく、なんというかあっさりと迎え入れられた。
 彰利に言わせれば「きっとダーリンのことが好きなのよ」とのことだが……まあそれが事実なら、俺にべたべたとくっつきたがるこのたわけを毛嫌いする理由も解らんでもないんだが。

悠介「ていうか人の思考に声を被せるな」
彰利「ウフフ、以心伝心ってやつね。
   つーわけでガッコいくべーヨ。今日久々に髪型キマったんヨ。
   どうヨどうヨ!? スゲーベヨこれヨ!!」
悠介「ええいわざわざわざとらしく“ヨ”をつけるな鬱陶しい!
   見ての通り着替えもまだなんだから下で待ってろ!」
彰利「オッケン! 正座しながら震えて待つ!」
悠介「普通に待て」
彰利「オッケン! 正座しながら裸で震えつつ待つ!」
悠介「普通に待て!!」

 二年に上がり、若葉も木葉も同じ高校に入学した年の秋。
 俺達はなんでもない日常ってのを、十二分に満喫していた。


───……。


 晦神社。
 俺が住まわせてもらっている家が管理する由緒正しき神社で、遥か昔に建てられてというのに今も健在の素晴らしいものである。
 一応と言っていいのかどうか、国宝とまでは言われていないが、重要文化財に指定されている。もちろん所有者は晦だが。
 しかし誰が何を思ってこんな場所に建てたのか。
 登山もかくやと思ってしまうほどに長ったらしい石段を降り、ようやくアスファルトを踏みしめると学校を目指して歩いてゆく。
 こんなことを毎日続けているもんだから、足腰だけは異常に壮健な晦家&彰利。
 あと、長ったらしすぎることもあってチャレンジャー以外はほぼ参拝に来ない。
 初詣にだって何人辿りつけたか……いや、覚えてる。辿りつけたのは十人にも満たない。

彰利「FUUUM……しかしこう、刺激が無いのも退屈だぁねぇ」
悠介「平和が一番だろ。俺はお茶でも飲んでのんびりしたい」
彰利「今時の若者のくせにこれだもの。ダーリンたらじじむさいわYO?」
悠介「やかーしぃ、好きなことをしたいと言うことの何が悪か」
彰利「アタイダーリンが大好き!」
悠介「すまんやっぱり悪だった」
彰利「ギャアひどい!」

 日々をこんな感じで過ごしている。
 ……これはこれで刺激……か? 刺激か、まあ。

彰利「じゃけんど面白いもんじゃよねぇ。アタイら別に接点があるわけでもねーのに、
   苗字が陰暦……月の顔の名前だってんだから。
   どんだけそういった苗字のヤツが居るかを調べて、戦隊でも作ってみる?
   名前はそう───月光戦隊! ルナカレンダー!《ヴァァアーーーーン!!》」
悠介「お前なら細胞分裂でもして、一人で戦隊作れそうだな」
彰利「キャアステキ! そしたらアタイ、悠介の平和を守る戦隊ヒーローになる!
   なんつったっけあのー……伊藤レンジャーみたいに!」
悠介「極一部のヤツしか覚えてなさそうなネタを言うなよ……」
彰利「アタイが話しかけてるのは悠介なんだから、悠介が解ってりゃOKっしょ」
悠介「……まあ、そりゃそーだ」

 ほふぅと溜め息を吐いて、とことこと歩く。
 向かう先は然葉(ぜんよう)高等学校。ここ、神樹環叢(みきわむら)町に存在する、緑溢れる学校だ。
 ここらでは最も緑が多く、自然を残した……まあ、言ってしまえば田舎町。
 しかし発展していないのと建物が少ないのとでは多少の違いがあって、自然が多い町ではあっても、技術が他の町に劣っているかといったらそうでもない。
 この町は自然に溢れている。
 空気もいいし、町の住人のほとんどがそれらを大切にしている。
 ただまあ……夜は結構不気味だと言われている。仕方が無いことだが。

彰利「なんぞ刺激的なこと、ないかね。そういや新作ゲームで面白そげなもんあった?」
悠介「お前が俺にそれを訊くか……」
彰利「あ、借りた将棋ゲームと囲碁ゲームならクリア出来ずに挫折しました。
   難度マックスでクリア出来るキミ、何者?」
悠介「ゲームにゃ対局の緊張感がなくていかん」
彰利「そのわりにゾンビに後ろから襲われてホギャーと叫んでたじゃん」
悠介「いつからガンシューティングは対局になったんだよ!」

 通学路は開けていて、景色を堪能しながら歩ける。
 昔っから建物の無い風景が好きな俺は、同じ道を十と数年歩いた今でも堪能出来る。
 電線のない自然の景色……いいもんだ。

彰利「そういやさ、今日って確か転校生が来るのよねィェ?」
悠介「っと、そうだったな」

 昨日のHRで担任の教師が言っていたな。
 ご丁寧に男子へ朗報だよ〜、なんて言って。

彰利「ヤーさんも元気よね。で、転校生はおなごって話だけど、どげなヤツデショ」
悠介「チャラチャラしてなきゃそれでいいだろ。別に特別なことなんて何もありゃしない」
彰利「ヌムー……まあそうじゃね。この町でドッタンバッタン劇場なんてとてもとても。
   でも自己紹介はきっちりするよアタイ!
   ヘイアタイ弦月彰利! 好きなものはレタス! 嫌いなものはキャベツ!
   特技は───…………特技は……」
悠介「ホモだな」
彰利「それ特技ちげぇ! と、なんとなく若者風に言ってみる。
   そうじゃねぇ〜……特技特技……フウム。運動神経がいいくらいしか解らん」
悠介「それ、特技って言えるのか?」
彰利「悠介だって似たようなもんデショが。あ、でも悠介の場合はじじむさいがあるか」

 それは特技じゃない。
 しかしそういうことが好きなのは事実だから、反論も特にはなかった。

彰利「つーわけでほれほれ、悠介も。練習せずに自己紹介で噛んだら恥ずかCよ?」
悠介「はぁ……あー……晦悠介。好きなものは日本の歴史。
   ただし戦争などの時代は好きじゃない。
   ……つまり争いじゃなく文化が好きって言ったらいいのか?」
彰利「特技は将棋とか囲碁とかがめちゃくちゃ強い。特徴はその美麗なるモミアゲ」
悠介「黙れトンガリ」

 のんびり歩いていてもやがて見えてくる大きな学校。
 この町には学校がここしかなく、小中高とエスカレーターのようにあがって行く、なんともゆったりとした学校だ。
 しかし、ゆったりとしながらも……一言で言うなら変わり者ばかりの学校。
 もちろん俺や彰利も含めた全体的な感想だ。 

彰利「はァ〜ンあ、しっかしここに転校してくるなんて、なに考えとんのでしょーね」
悠介「家族の療養とか、そういう都合ってのもあるだろ。
   実際、生徒会長の親友がそんなだったし」
彰利「ああ、スミーね。ほんに、一緒に来た副会長はやかましいくらいだってのに、
   なしてスミーは体弱いかね」
悠介「会長がいっつも振り回されてばっかりなくらいだからな。
   あの元気さ加減はお前に似たなにかを感じるよ」
彰利「よろしい! ならば悠介を巡っての決闘ぞ!」
悠介「よし落ち着け」
彰利「え? だってアタイに似たなにかを感じるって。
   それって悠介に対するハートじゃなかと?」
悠介「んなわけあってたまるかたわけっ!」
彰利「なるほど、副会長は悠介が嫌いと」
悠介「……認めるのも抵抗あるような言い回ししやがってこの野郎」

 校門を抜けて昇降口へ。
 下駄箱を開くと、なにやらひらりと紙が舞う。

彰利「ラヴレター!? おのれ破り捨てる!!」
悠介「落ち着け!」

 それをすかさず、地面に落ちるより早く手に取った彰利が顔を青筋だらけにして引き裂こうとするのを止めた。
 しかし返そうとはしない彰利が勝手にその紙に目を通し───

彰利「タイトル:不幸の手紙。“本日も 良いお日柄で 死ぬがよい”」
悠介「………」
彰利「………」
悠介「差出人は?」
彰利「アタイ《バゴンシャア!》エボレヴァーーーノ!!」

 なんとなく予想がついた時点で用意していた右拳で、腐れ縁で親友の男の頬を殴っておいた。拍子に手からこぼれた紙をパシっと手に取ってみれば、

  “主よ、あなたに感謝します。
   そんなタイトルの何かをカセットテープに録音するなら。
   そう……あなたならどちらの面に入れますか?”

彰利「A面(エイメン)。なーーーんちゃってーーーっ!!」
悠介「彰利。殴っていいか? そのツラがエイの顔っぽくなるまで」
彰利「エイ(メン)!? 想像出来ないから堪忍してつかぁさい!」

 殴ってもとっとと復活するのはこいつの長所といっていいだろう。
 なんでか昔っから頑丈なのだ、こいつは。

悠介「お前だけは隕石が落ちてきても無事な気がするよ……」
彰利「あ、メテオストライクだね? あれ俺好きだったよ。武装錬金の次に好き」
悠介「いいから靴履き替えろ」
彰利「御意」

 何故かうやうやしく頭を下げ、下駄箱を開ける彰利。
 その途端、どうしてか「オワッ!?」と言って硬直した。

悠介「?」

 何事かとちらりと覗いてみれば、その中には何枚ものラブレター───……ではなく、

彰利「………」

 物凄い量の画鋲が、上履きの中にぎっしりと詰め込まれていた。

彰利「なんかさ、トゥシューズじゃないのが悔やまれるね、こういうのって」
悠介「ツッコむところはそこなのか」

 惜しい悪戯よねェ〜〜ィエとぼやきつつ、引っ張り出した上履きを逆さにしてオジャーと画鋲を落とす。と、そこへと通りかかる誰かさん。

葉香「んー……? ああ、晦に弦月か。……まあこの際お前らでもいいか」

 禁煙パイポを口に挟みながら、気だるそうに歩いてきたのは閏璃センセだった。
 ……一応、理科担当で常に白衣を着ている。その下の着衣はいっつも適当だ。

葉香「画鋲がケースごと紛失したんだが───ようし解った死にたいらしいな」
彰利「ゲェエーーーーーーッ!!《ジャラジャラジャラ……!》」

 それは、彰利が上履きの奥に刺さったままの画鋲を丹念に抜き取っている時の質問だった。
 まあ、こんな状況じゃあ疑われるのは当然か。
 ちなみにこのセンセ、観咲空手道場門下で結構な腕前を持つ恐ろしい人物である。

彰利「ノ、ノー! 殴るヨクナイ! ノー殴る! ノー!!」
葉香「そうか。それはありがたいな。私も拳より蹴りが得意だ」
彰利「そういう意味で言ったんじゃねィェエエーーーーッ!!!」
葉香「……朝っぱらから母さんに薙刀持って追い掛け回されてな、少し気が立ってるんだ。
   コーヒー奢るから死んでくれ」
彰利「な、なんじゃってーーーっ!? 死んだアタイはどうやってコーヒーを飲めば!?」
葉香「死体に鼻から流し込む」
彰利「死ぬことは必須条件じゃったのねーーーっ!? たたたたすけてぇええ!!
   助けて親友、助けてぇええっ!!」

 わっしと襟首を掴まれた彰利が、はっはっはと冷たく笑う閏璃センセに連れていかれそうになる。しかし、さすがに殺されては困るから止める。

悠介「あー、センセ? 一応これから授業とかあるから殺しは無しで」
葉香「解った。頭蓋骨破砕で問題ないか?」
悠介「彰利。いつからお前、頭蓋骨粉砕されても生きていられる生命体に進化したんだ?」
彰利「すげぇだろ《ドーーーン!! ズルズル》ギャアウソ死にます引きずらないで!!」
葉香「うるさいな、お前なら私の蹴りくらいじゃ死なないだろ。
   蹴る代わりにコーヒーを奢ってやるって言ってるんだぞ? あの閏璃先生がだ」
彰利「蹴りはいらんから愛をください」
葉香「解った、哀をくれてやる。たっぷり哀しめ」
彰利「そのアイじゃねぇええーーーーーーっ!! ギャアアーーーーーッ!!」

 ……連れていかれてしまった。
 ハンカチのひとつでも振ってやったほうがよかっただろうか。

声 「ハッ!? トンガリくんがれんこーされてる!
   先生! 先生! どうするの!? なにするの!?」
声 「うん? ああ、観咲か。フフ……首をこう……コキュッ、と……な」
声 「おおあぐれっしぶ!」
声 「キミ意味知らずに使ってるっしょその言葉!」
声 「そんなことないよ? 大胆な行動を取る相手にはこう言えってホギッちゃんが。
   でもだめだよー先生。もう朝のHR始まるよ?」
声 「HRなんぞよりも大事なことがある。私は今からそれをしに行くんだ。
   ……解るな? というか解れ。解ったな? 解ったならさよならだ」
声 「のー! だめだよヨーチャン! 電柱! 電柱でござるーーーっ!!」
声 「あのー、それ言うなら殿中でないの? つーかここ学校ですが?」
声 「え? やだなぁランポっちゃん。今の時代に殿中なんてないよ?」
声 「いや、うん。キミが馬鹿だってことはもうよく解ってるから。
   そげなわけでヨウカン先生、離して? あとランポっちゃん言わないで?
   人のことランポス呼ばわりするの、キミだけだから」
声 「弦月。私はな、実は今日誕生日なんだ」
声 「なんと! それはおめでとうございます」
声 「ありがとう。で、だな。
   高級なプレゼントをよこせなどとは言わないから、こう……なんだ。
   子供が親にプレゼントするようななにかをくれないか?」
声 「子供が…………OH! 肩叩き券とかじゃね!?」
声 「ああ。丁度ここに券が束であるんだ。
   お前が書名してくれればお前がくれたことになる」
声 「オッケン! こう見えても俺は! 肩叩きの達人!
   え〜〜と、ゆ〜み〜は〜り、あ〜き〜……って、あのー……。
   これ、タコ殴り券って書いてあるんスけど。しかも名前の欄に“対象者”って」
声 「はっはっはっはっは、弦月。いらんところは見なくていいんだ。さ、続きを書け」
声 「《ギギギギギ》い、いやっ! イヤァアーーーーッ!!
   先生が! 先生が生徒を殴るために無理矢理契約させようとしてるよ副会長!
   つーかこの人、力強ッ! 助けて! ここで助けないと副会長の名が廃るよ!?」
声 「失礼だよランポっちゃん! 私は役職名で動いてるんじゃないんだよ!?
   この雪音ちゃんは日々、ホギッちゃんをカバーするために動いているのだー!
   会長をサポートするのが副会長の役目だ〜って、
   澄ちゃんが言っていたのだわっはっはー!」
声 「わっはっはーじゃねーざますよ! 一人の生徒も救えんで、なにが生徒会か!」
声 「それは生徒の勝手な言葉だ〜って、ホギッちゃんが言ってたよ?
   頼ってばかりで、じゃあ生徒さんは生徒会のためになにをしてくれるの?」
声 「あら耳が痛い!!」
声 「……おお、言われた通りに言ったらほんとに怯んだ。ホギッちゃんすごい」
声 「受け売りかよコノヤロ−!」

 なんだか騒がしいが、遅れるのも癪なので無視することにした。
 背中に「あれぇ見捨てるの!?」とか「鬼ー! 悪魔ー! オニヒトデー!」とか「お前のかーちゃん日本人ー!」とかよく解らない言葉が届いたが、当然の如く無視した。


───……。


 2ーC。
 プレートにそう書かれた教室が俺と彰利の教室。
 室内には既に大半のクラスメイトが存在し、思い思いの話で盛り上がっていた。
 俺はそいつらと適当に挨拶を交わしながら席に辿り着き、椅子に深く腰かけて溜め息。

十和「あら。到着早々に随分と長い溜め息ですわね」
悠介「ん……巳浜か……」
十和「ええ、巳浜=アリス=十和ですわ。
   それで、いつも一緒に居るあの暴風領域トンガリ頭はどういたしまして?」
悠介「彰利なら閏璃センセに捕まった。ついでに観咲副会長にもだ」
十和「なるほど。ではHRには遅刻決定ですわね」
悠介「どうだろうな」

 ゴキブリとムカデを足してかけたような生命力だからな、あいつは。
 
悠介「担任様はまだ来そうにないか?」
十和「ポンコツですからね。灼夜が居なければ布団から出ることさえしませんわ」
悠介「……はぁ」

 目の前で両腰に両手首を当てて溜め息を吐くロングヘアカチューシャ女。
 名を巳浜=アリス=十和。ミハマアリストワって妙ちくりんな名前のハーフだ。
 顔は日本人で髪と目はアメリカ人譲りの金髪碧眼。
 黒髪に産まれたかったですわと結構こぼす、黒髪好きの女だ。
 結構な名家の産まれで、口調はお嬢。
 しかし幼馴染に二村灼夜っていう男が居て、そいつのお陰か結構ノリがよかったりする。
 十和って部分をジュウワと読まれたことがきっかけで二村にジューシーと呼ばれている、少し可哀相な級友だ。
 どうしてジューシーなのかといえば……ジュウワ→ジュワー→肉を焼く音→ジューシー……と、このようにして妙な方程式がヤツの頭に浮かんだらしく、ジューシー。
 仕返しとして二村はシャクヤという名もあって、オンボロアパート……まあつまりは借家と呼ばれている。

悠介「お嬢なのに元気な、お前」
十和「物静かなお嬢なんて興味ありませんもの」
悠介「せめてお前だけでも静かじゃないと、平穏がまるでないだろお前ら三人は」
十和「ヤーさんのやかましさと私の調子は関係ありませんわ。
   大体、灼夜をクラスに引き込めなかったのはヤーさんの落ち度ではありませんの」
悠介「生徒って教師の一存で引き込めるものなのか……?」

 で、ヤーさんっていうのが我らが担任、弥弥弥茶沙良(みやびささら)だ。
 苗字で弥が三つ並んでるから“弥3→やさん→ヤーさん”。
 二村には“茶”の字からとって、茶葉とか茶葉姉ぇとか呼ばれているが、茶葉はともかく茶葉姉ぇはチャバネゴキブリみたいで嫌がられている。ああ、割と本気で嫌がられている。
 灼夜を溺愛していて、“シャっくんが卒業したら結婚するんだ〜”と思い出せば口にするような、常に婚姻届を持っている変態教師だ。まあ、嫌いではないが。

悠介「元気なのはいいが、あれで馬鹿じゃなければなぁ……」
十和「まあ、良い方向での馬鹿ですがね」
悠介「まあなぁ……」

 溜め息を重ね、苦笑して「では、ごきげんよう」と言って席へ戻る巳浜。
 そんな彼女を最後まで見送ることもでずに、机に突っ伏して目を閉じる。
 窓際後方、一番後ろから前に二番目が俺の席だ。
 彰利に“苦労人のキミにはお似合いの席YO!”と言われたが、なんのこっちゃ。
 観咲副会長には“サンタクロース信じてる!? 宇宙人や未来人や超能力者や悪の組織やそれらと戦うアニメ的特撮的マンガ的ヒーローたちは!?”としつこく訊かれたが……ああいや、言いたいことはその時点でなんとなく解ったんだ、わざわざ言う必要もないだろ?
 ただし俺の後ろの席は空席だ。
 なんでも今日来る転校生が座る予定らしい。

悠介「……せめて背後くらいは平穏が訪れてほしいもんだ……」

 恐らく今日一番になるであろう長い長い溜め息を吐いて、眠りの世界へと旅立った。
 

───……。


 開幕のベルが鳴る。
 というのは彰利がよく言っていることで、授業前だろうが休み時間を告げるチャイムだろうが、ヤツにとっては開幕のベル=チャイムらしい。
 HRが始まる前になんとか戻ってきた彰利は、少し顔をいびつにしながらも、流れる鼻血をピッと親指で弾き、ニヒルに笑っているところを飛んでいった鼻血をなんとか躱した篠瀬に怒られていた。

彰利「ちくしょうしのっちめ、ことあるごとに人のこと怒鳴りやがって……!」
悠介「お前がアホウなことばっかりしてるからだろうが」

 そんなわけで現在はHR。
 関係ない話だが、右斜め後ろの席でぶちぶちとこぼすヤツの隣には、篠瀬夜華というクラスメイトが座っている。
 真面目一辺倒で三年を差し置いて剣道部部長。
 一年の頃からなにかと縁があって、どうしてかとことんまでに彰利の近くの席になっている。ああいや、それは縁とはまた違った意味での巡り合わせかもしれんが───どちらにせよ、真面目一辺倒の相手を彰利がほうっておくわけもなく。散々からかってはいがみ合う相手になるのは時間の問題どころか初日からの問題であった。

夜華「大体貴様は不真面目すぎるっ。閏璃教員もだ。体罰を無くすなとは言わんが───」
彰利「う、美味ェ! 早弁美味ェ!!《ガツガツムシャムシャ!》」
夜華「人の話を聞け! 大体HRに何を食べているんだ貴様!」
彰利「ホイ?《ニコリ》なにって、弁当ザマスが? あ、しのっちも食う?
   この魚の骨なんか左ノ助が大好きで───」
夜華「要らんっ!! 貴様の食い残しなど食えるか!!」

 で……散々とからかった結果がこんな感じである。
 彰利の行動になんでもかんでもいちゃもんをつける真面目さんと化した篠瀬は、まあ……これで案外不真面目な彰利には丁度いい刺激になっているのかもしれない。

茶沙良「はいそこ! あんまりうるさくしないの!」
夜華 「うぐっ……し、失礼しました、弥弥弥教員」
彰利 「ほっほっほ、怒られておるわ馬鹿めが」
夜華 「怒られたのは貴様も同じだっ! 大体貴様が早弁などするからっ!」
茶沙良「篠瀬ちゃん!」
夜華 「はうぅっ……か、重ねて申し訳ない……」

 重ねて言うが、こんな感じだ。
 しかしながら、仲が悪いかと言ったらべつにそういうこともないのである。
 篠瀬は入学当初から随分と周りに冷たく、誰とも話そうとはしないヤツだった。
 話しかけても“近寄るな”とか“興味がない”とかそればかりで、言っちゃなんだがとっつきにくい相手No.1だったのだ。
 今では少しは他のヤツとも会話するようになったが、まあようするに……嫌な方向での人見知りをするヤツなのだ。誤解が無いように言っておくが、困ったことに人が嫌いというわけではなく、人は好きだが人付き合いが苦手なだけなのだ。

茶沙良「というわけでみんな。
    どうすればシャっちゃんが私に振り向いてくれるかを考えるの!」
彰利 「はいここで二村っちに代わってマイダーリン」
悠介 「しっかり働けチャバネゴキブリ」
茶沙良「茶葉じゃなくて茶沙良だってば!
    大体私にそういうこと言っていいのはシャっくんだけなの!
    そういうこと言う晦くんは通知表オール1にするんだからね!?」
悠介 「やってみろ。そうした瞬間、今の言葉を録音していた彰利が校長に密告する」
彰利 「え? 俺?」
茶沙良「卑怯だよ弦月くん!」
彰利 「録音なんてしてませんよ失礼な!!」

 日々はこんな調子で流れていく。
 なんでもない日々。だけど、掛け替え出来るかと言われればそうでもない。
 俺はなんだかんだでこんな日常を気に入っているし、何かを望みすぎるのはこんな日常を愛しているヤツに対して失礼だと思うのだ。
 ……だがな、担任よ。
 教室の引き戸の前で、さっきから誰かが待っているようなのだが……あれは紹介してやんなくていいのか?

茶沙良「あ、じゃあ今日のHRはここまで」
総員 『ちょっと待てポンコツ茶葉!!』
茶沙良「ふぇえぅ!? なっ……なによぅ! 私茶葉じゃないもん!!
    みんなして先生をいじめるなら、シャっくんにいいつけてやるんだからぁっ!!」
彰利 「そうじゃねーデショ茶葉てめぇ! 転校生! 転校生はどぎゃんしたとよ!」
茶沙良「え? あー……」

 言われて、教壇側の引き戸をちらりと見る茶葉。
 そこには小さな曇りガラス越しだが、肩を落とす誰かの姿が。

茶沙良「……星になった?」
総員 『居るだろうがすぐそこにっ!!』
彰利 「しゃきっとしろ茶葉てめぇ!」
夜華 「おい貴様! 仮にも教員に向かってなんだその口の利き方は!」
茶沙良「あ……だ、だよねぇだよねぇ篠瀬ちゃん! もっと言ってやってよ!」
彰利 「騙されるな鉄郎! “仮にも”! “仮にも教員に”ですぜ!
    この野郎め、あなたを教師と思ってねーのよ!」
茶沙良「篠瀬ちゃんのばかー! 篠瀬ちゃんだけはそんな子じゃないって信じてたのに!」
夜華 「なっ……ご、誤解です弥弥弥教員! 私はっ───!」
彰利 「叫び合う二人……! 立たされたままの転校生……!
    おお、これがうわさに聞く愛のトライアングル」
悠介 「彰利、とりあえずそれ違う」

 埒が空かず、廊下側一番前の席のヤツが戸を開け、中に入れる。
 入ってきたのは……なるほど。
 言ってた通り、大人しそうな印象を持った長髪の女子だった。

茶沙良「あっ! だめだよキミ! ちゃんと私が呼んでからこないと!」
???「えぇえええっ!?」

 そして追い出され、ご丁寧にぴしゃりと戸まで締められた。

彰利「…………なんかさ、俺……あの転校生になら究極にやさしくなれる気がする」
夜華「……珍しく気が合うな……私もだ……」

 改めてにこやかに案内される転校生を見て、珍しくも彰利と篠瀬が一緒に長い長い溜め息を吐いていた。
 そんなわけで転校生なのだが───

茶沙良「じゃあもう時間ないから私これで行くね?
    あなたの未来が幸おおからんことをーーーーーっ!!」
???「え゙っ……!? あ、あのっ!? せんせ!? せんせぇえーーーっ!!」

 ───あっさり教師に見捨てられ、教壇前にぽつんと残された。
 そこに委員長が黙して近づき、教壇に立つと、転校生を促した。

委員長「はい、じゃあ名前よろしく」
???「え? あ、はいっ、えーと……」

 促されて黒板に名前を書いてゆく。
 連ねられる文字は……緑葉謳歌。

謳歌 「緑葉謳歌(みどりばおうか)といいます。最近この町に引っ越してきました。
    まだ右も左も解らない状態です。なのでいろいろと教えてくれると嬉しいです」
委員長「よしっ、ならまず最初に知ってくれ。とりあえず窓際一番後ろがキミの席だ」
謳歌 「あ、はい」
委員長「それからうちのクラスの担任は担任と思っちゃだめ。
    あれは人の形をした茶葉だからさ」
謳歌 「……は、はい……その、さっきので十分理解しました」

 苦笑しながらこちらへ歩き、座る途中でこれからよろしくお願いしますと言われた。
 ……どうやら、背中は平穏であると安心してよさそうだった。

彰利 「ヨゥメェ〜〜〜ン、これからどぎゃんすっとよイインチョッフ〜」
委員長「勉強の用意をしといて。俺は寝るから」
彰利 「委員長なのに不真面目ね、キミ」
委員長「仕事はきちんとするけど、それ以外はただの生徒だし。
    押し付けられた存在なんてそんなもんでいいんじゃない?」

 それだけ言うと、委員長は席に戻って睡眠。
 日々のほとんどをバイトに使う彼は、まあ、なんというか……努力家?

彰利「ふーむ……嫌なヤツじゃないから、仲良ぉしたいんだけどね」
夜華「アルバイトは校則で禁止されているんだぞ。なにが嫌なやつではないものか」
彰利「頭固いねぇしのっち」
夜華「黙れ」

 委員長。
 名前は確か……なんつったっけ? あまり目立たないヤツだから思い出せん。困ったことに委員長にでもならなきゃ目立たなかったヤツで、言ってしまえば……そう、普通のヤツって言葉がよく似合う。
 成績は普通、運動能力も普通ならば、様々な物事がなかなか上手くいかないが目立つほどでもないという……まあ、巡り合わせってものに嫌われているやつだ。
 努力は人一倍してるんだけどな。結果がついてきてくれない。
 誰かが誘っても“バイトがあるから”の一言で突き放してばかりのため、誰もあいつの友達ってものを見たことがない。

彰利「あやつ友達おらんよね」
夜華「人付き合いよりもアルバイトを優先させる。大事なことかもしれんが、な……」
彰利「もしかしてアルティメット貧乏とか?」
夜華「い、いや……そのだな。あいつは……」
彰利「ウィ?」
岡田「知らんのか? あいつ、孤児だぜ?」
夜華「っ───おい!」
彰利「……ホ? そりゃどういう───」

 先生が来て、授業が始まるまでの間、好き勝手な言葉が飛ぶ。
 楽しげなものや退屈そうな声。
 そんなものを拾ってしまう意識を会話の外に向けて、眠ろうと───したところで歴史教師が入ってきた。
 会話もそこで中断され、彰利と篠瀬は困惑顔のままに顔を見合わせていた。


───……。


 過ぎてしまえばどうということも、というべきなのか。
 ただ単に踏み込まないほうがいいのだろうと感じたのか、彰利は岡田に委員長のことを訊き直すことはせず、そのまま昼に。
 その間も、委員長は淡々と“委員長の仕事”をこなし、それが済むと席についた。
 あいつもいろいろ大変だな……などと思いつつ、ちらりと巳浜も見てみる───と、急に立ち上がって委員長の席の前まで歩くと何かを言いだした。その声を無言で受け止める委員長は……うわっ、見たこともないような幸せ笑顔であんぱん食ってる! っておいっ、いつの間に購買行ったんだあいつは! さっきまで委員長の仕事してなかったか!?

十和 「ちょっと、聞いていますのっ!?」
委員長「……え? なに? 重要じゃないならほっといてくれると幸いなのですが」
十和 「ですからっ! もう少しクラスに溶け込もうとは思いませんの!?」
委員長「え……あの、めっちゃ溶け込んでると思うんだけど。
    見事なまでに脇役Aじゃない?
    これで委員長なんて役職が無けりゃ、パーフェクトゥだと思う」
十和 「あ、あなたはっ……!」
委員長「まあまあ、面倒な委員長の仕事ならきちんとやるからさ、ほっといてくれない?
    あーその、はっきり言うと迷惑です。
    踏み込んでこられるのも、孤児だからって離れられるのも」
十和 「う……っ……」
委員長「無駄に交流増やして時間潰したくないんです。
    俺はただ家族を守ってられりゃあそれでいいのですから。
    そのための努力なら惜しまないし、
    それならどんな結果だろうが自分を誇れるもの。
    俺が強いのはなになにのお陰だ〜、な〜んて言う必要もなく、
    これがおいどんの実力じゃーーい!って誇れる。
    なんか今それがスゲー嬉しいの。なんでか知らんけど。
    嫌々やることに誇れるなにかがあるなら、それは確かに立派だろーけどさ。
    ……あのさ、巳浜。俺に関わったところでお前がなにか得する? しないだろ?」
十和 「…………お、同じクラスの……一員ではありませんか」
委員長「押忍。別に仲良くしてなくてもクラスメイツだし、それでいいでしょ?」
十和 「………」

 巳浜は力無く項垂れた。
 その様子を見ていたクラスメイトたちはひそひそと話をしだすが、委員長は変わらずのペースであんぱんを食うだけだ。

沢村 「ちょっと委員長! 今のあんまりなんじゃない!?」
吾妻 「謝りなさいよ!」
委員長「え? あ、あれ? 俺が悪いの?」
十和 「あっ……いいのですよみなさんっ! 私が勝手にやったことですわ!」
沢村 「そーいう問題だけじゃないのよ!
    大体さぁ、あんたいっつもつまらなそうにしてさぁ」
吾妻 「人が楽しんでる横でそんな風にされると、迷惑なのよ」
委員長「め、迷惑っすか……えーと……ウヌ」

 委員長が溜め息を吐いた。
 食べ途中のあんぱんを袋ごと机に置いて、巳浜の前にしっかりと立つと、綺麗体を折り、頭を下げて言う。「申し訳ありませんでした、俺が悪かったです、どうか許してください」と。
 沢村と吾妻の反応は当然困惑。どうせ反発するだろうと踏んでのことだったのだろうが、そうじゃなかった。
 けど、一番困惑しているのは巳浜だろう。

十和 「あ、あなたは……男子として恥ずかしくありませんの!?
    言われたからといって、すぐに意見を曲げて頭を下げたりして!」
委員長「いや……なんだかね、俺、友達とか作る資格が無い気がしてさ。
    だからね? 本気で謝るから……もう俺に構わんでください。
    お互い嫌な思いしかしないでしょ? ね?
    キミは自分の思うことを俺にぶつけて、
    なのに俺がぶつけ返したら迷惑とか言われて謝らなきゃいけない。
    もうさ、いいじゃない。俺今からでも友達0人計画でも作ってみるからさ。
    実行するかは別として」
十和 「…………あなたは委員長にふさわしくありませんわ!」
委員長「な、なんだとてめぇ! 俺ほど委員長に相応しい男が他に居るもんか!
    委員長ってのはなぁ、面倒ごとを押し付けられてそれを黙々と実行!
    みんなが帰る中で一人ぽつんと残って作業する者のことを言うのだ!
    つーか人が努力してるのに相応しくないってひどくない!?
    あ、いや、はい、黙ります、黙りますから睨まないでください」

 言い返す委員長が、クラスメイトたちにじろりと睨まれて小さくなる。
 なんだよもう……と呟きながらあんぱんを手に取って、もくもくと食べるのだが……

委員長「《ぱああ……!》……!!」

 ……めちゃくちゃ幸せそうだ。
 あんぱん、好きなのか。

十和 「……決めましたわ。生徒会に話を通して、あなた以外を委員長に推薦します」
委員長「やってみろ。クローン風情が」
十和 「誰がクローンですの!?」

 なかなか賑やかだ。
 目立たないやつだって思ってたのに……なるほど、向かってくるタイプには遠慮しないヤツなのかもしれない。

十和 「今すぐ! 今すぐにあなたを引き摺り下ろしてみせますわ!」
委員長「あ、会長なら2−Aだから。つーか、弥弥弥ちゃんに声かけなくて大丈夫?」
十和 「ヤーさんに話通してコトが動いた試しがおありですの!?」
委員長「ない」

 即答だった。
 その言葉を聞いて盛大に溜め息を吐く巳浜だったが、すぐに行動を開始。
 教室を出ていくと、静かな時間が戻ってきた。
 巳浜の周りに集まっていたやつらも委員長を一瞥すると席に戻り、思い思いにメシを食う。

彰利「なんか賑やかだったね。イインチョッフってもっと静かなヤツだと思ってた。
   しのっち知ってた?」
夜華「ああ。一時期、道場に来ていたことがあった」
悠介「道場って……紅葉刀閃流道場だよな? へ〜、あいつ剣術も習おうとしてたのか」
夜華「いや。体力づくりのための基礎を教えてくれと言ってきた。
   断ったんだが聞かなくてな。観咲空手道場の門も叩いたらしい」

 それはなんというか……体力づくりって、なんのためだ?

彰利「して? その時の印象は?」
夜華「ああ。普段は極度に無関心な男なんだがな。
   とにかく自分に対して諦めることをしない男だ。
   母上に“才能が無い”ときっぱりと吐き捨てられたところで、
   努力でそれを埋めようと必死だった。
   ……校則は破ってはいるが、そういう努力家なところは認めている」
彰利「必死……“だった”?」
夜華「いくらやっても上達しないんだ。見ているこちらが苦しくなるくらいだ。
   観咲空手道場でもそうだったと聞く。努力の天才という言葉があるが、
   努力でなんでも出来れば苦労はしないという見本だ、あれは」
悠介「………」

 才能か。
 そういうものに恵まれてるヤツのことが、疎ましく思えるんだろうな、そういうヤツは。

彰利「ほいじゃあ夜華さんも才能あって羨ましいィイーーーッ!
   ……って嫉妬されたんじゃない?」
夜華「馬鹿な。あの男はそういうことはしない。
   他人は他人、自分は自分だと割り切れる男だ。
   信じられんだろうが───あの男、自分の才能の無さを笑うことはあっても、
   落ち込んだことは一度たりともないんだぞ」
彰利「マジですか!?」
夜華「むしろ“修〜行〜ってぇ〜スーテキー!”と叫びながら持久走を繰り返していた」

 無駄にたくましいヤツだなオイ。

悠介「修行馬鹿なのか?」
夜華「いや、諦めたくないだけだろう。努力は惜しまない。
   ただ、修行ってステキと叫びながら走っていた時は、すぐに止まったが」
悠介「それは修行って言えるのか?」
夜華「タイヤと自分を縄で繋いで走っていたんだが、縄が食い込みすぎて腹が痛いと」
彰利「折れるの早ッ」
夜華「外してから、吐くまで走ったがな」
彰利「うおう……」

 その吐くまでっていうのがどれほどの距離なのかは……訊くだけ無粋ってもんだろう。
 委員長にはそういう才能がなかった。それだけの話だ。

彰利「FUUUM……ちょっぴりしんみりしちゃったね。
   OK、元気出していきましょう。ザーサイ」
悠介「それを言うならエーザイだ」

 少しだけしんみりとしてしまった空気を彰利がぶち壊しにかかり、俺もそれに乗ることでひとまずは息を吐く。それから彰利は、メシ時ってこともあってようやく質問の波が収まった隣の先の緑葉をちらりと見て、やはり元気に。

彰利「おーいミドリバスチェ、
   質問タイフーンも終わったところだし、メシ食いに行くベーヨ」
謳歌「ミドリバスチェって……」
彰利「ミドリバビスチェのほうがいい?」
悠介「どっちもよくないだろ……それより訊きたかったんだが、その髪の色は自前か?」
謳歌「あ、はい。生まれつきだったそうですよ。
   苗字も相まって、昔はグリーングリーンなんて呼ばれていました」

 そう。
 緑葉は緑色の髪をしていた。
 両親はともに黒髪。なのに緑髪という、なんとも不思議な産まれ方をしたようだが……実は珍しくはあるものの、結構聞く話でもあるのだ。
 さっきの話ではないが、この町にある孤児院にも、緑髪の子が居ると聞く。
 金髪もそう珍しい話じゃないし、この学校には青髪を持つ存在すら居る。

彰利「おおそりゃステキ」
謳歌「ところであの。ご飯はどうしたら……もしかしなくてもお弁当です……よね?」
彰利「一応購買も食堂もあるぜよ?
   食堂は宮崎みずのっておばちゃんが一人できりもりしてる」
悠介「ああ、ここの食堂は美味いぞ? お世辞抜きで」
夜華「ちなみに購買は宮崎ゆずのさんが担当している。
   なんと木刀までもが売られているのだ!
   私の夢は、在学中にあの木刀を己の金で買うことだっ!」
謳歌「銃刀法違反は───」
夜華「? 知らないのか? 我が紅葉刀閃流は帯刀許可を国から得ている。
   観咲雪音が空手の極意を振るっていいように、
   この町では己の突出したものを前に出していいことになっている」

 そう。篠瀬の親は常に刀を腰に携え、篠瀬もまた木刀を狙っている。
 しかしながらこのガッコはバイト禁止。
 既に高校ということもあり、小遣いなど貰えない篠瀬は、助っ人などをして金を稼いでいる。バイトは禁止なくせに、そういうところは許可が出ているのだ、このガッコは。

彰利「まあ今から学食行くのは無茶やね。
   購買いっといで。毎度あんぱんだけは残ってるから」
謳歌「そ、そうですか。はい、あんぱんは好きだから構いませんけど」

 どこか釈然としない様子の緑葉が椅子から立ち、てこてこと教室から出てゆく。
 横目で見送りつつも自分たちはさっさと飯を食うんだから、俺達も案外薄情だ。

彰利「道に迷ったりせーへんかね。けどまあ迷ったら迷った時でええやね。メシだメシ。
   悠介、そのレタスとアタイの握り飯交換しない?」
悠介「お前の中での食いもののレートはどうなってるんだよ……」
彰利「レタスNo.1。トバルにだって名前負けしねーぜ? アタイの中オンリーで」
悠介「……ああそーだな、お前はそういうヤツだったな」

 高級料理に金使うくらいなら、レタス買って腹を満たすヤツだった。

彰利「最近レタスが値上がりして悲しい限りだ。レタスって家庭で栽培出来るんかね」
悠介「お前ほどレタスを愛してりゃ、出来るだろ」
彰利「オウヨ! アタイったらレタスへの愛だけなら誰にも負けないからYO!!」

 じゃーん!と見せられた弁当箱には、もっさりとレタス。
 もう一方の箱には握り飯が詰められていた。

悠介「……お前さ、料理上手いんだからもっと凝ったの作ったらどうだ……?」
彰利「レタスは水洗いでそのまま食う! 凝ったのなんて、レタスの味に失礼ぞ!?
   ドレッシングなぞ去ね! 消えろ! 爆ぜてしまえ!!
   俺はレタスにかけるドレッシングが19歳の次に嫌いなんだよ!!
   に、憎い! 19歳が憎い! ギィイイイイ19歳めぇええええっ!!」
夜華「……晦。この男は19歳に恨みでもあるのか?」
悠介「すまん、理由も基準もまったく解らん」

 ある日突然だったからな、こいつの19歳嫌いは。
 いつからか“だ〜い嫌〜いなぼっくっじゅ〜きゅっさぁ〜いっ♪”とか歌い始めて、“いや待て、本気で嫌いにならんと歌に失礼じゃねーかね?”とか言い出して、段々といろいろなことを19歳の所為にしだして、今に至る。
 ガキの頃からの付き合いだが、こいつの思い込みの強さと方向性は未だに掴みきれん。

彰利「しかししのっちの弁当も美味そうよねィェ? しのっちが作ったん?」
夜華「いや、これは妹が作ったものだ」
彰利「ほほう? 妹がおるん? 初耳だけど」
悠介「ああ、みさおっていったっけ。この間、神社に参拝しに来た。
   篠瀬って珍しい苗字だし、もしかしたらと思ったけどやっぱりそうか」
夜華「よく出来た自慢の妹だ。妹と付き合いたいなどとぬかした者は私が屠る」
彰利「ほへー……おっかねぇねぇ……」
悠介「相手が誰になるかは知らないが、苦労しそうだな」
彰利「おぉまったくじゃわい」

 喋りながらも、やがて食事が終わり、弁当の蓋をかぱりと閉ざす。
 今日もいい出来だった。満足だ。

彰利「ところで……えーと、購買にパン買いに行ったミドリバスチェさんが戻ってこねー」
悠介「あ」
夜華「……まさか迷っているのか?」

 もう昼も終わるという頃、彼女はまだ戻っていなかった。
 まずい、メシ食いながら話したり考え事したりだったから、すっかり忘れていた……!

彰利「オッケンそういう時こそケータイのデヴァーン!!
   既にホシの番号は登録済み! オラいけ電波発信だ我がしもべ“ソコモ”!!」

 彰利がゴタタタタと高速で指を動かし、恐らくはメールを発信する。
 なんて書いたかは解らんが───


【Side:緑葉謳歌】  ホルルリリンッ♪ 謳歌「はうあっ!? あ、はっ、メ、メールですかっ!?」  購買を求めて出発したまではよかったけれど、あっさりと道に迷った廊下の途中。  突然鳴りだした携帯電話をポケットからわたわたと取り出すと、パカリと開いてえーと。   “件名:道に迷ったあなたへの、闇を照らす霊訓” 謳歌「!」  道に迷ったことがどうしてバレているのかは別として、きっと導いてくれると思った私は早速メールを開いてみた。  すると───   “私はイヴ  FROM:彰利” 謳歌「………」  …………。
 ───………………ズドドドドドドドドドッ!! ガラァッ!! 謳歌 「何がですかぁっ!!」 委員長「《ビクゥッ!!》えぁあいっ!? な、なにがっ!?」  勢いよくすっ飛んできた転校生が、初めて声を張り上げた貴重なシーンである。 彰利「あ、こっちこっち。迷ったんだって? 最南端だったねー」 悠介「災難だ。無理に間違えんなたわけ」 彰利「日本の最南端ってどこだっけ? インド?」 悠介「日本ですらないぞそれ。波照間だ、波照間」 彰利「ハテルマ! ハピルマみたいでステッキン!    って……あ、あのー、どしたのミドリバちゃん。そげに怖い顔して」  緑葉がずかずかと彰利の横まで来て、椅子に座るそいつを見下ろす。  そしてケータイを取り出すと、操作、彰利の目の前に突き付けた。 謳歌「どーいう意味ですかこれはっ」 彰利「え? 私はイヴ」 謳歌「意味がわからないから訊いてるんですっ!」 彰利「いや……救いの手を前にしたところでこげなメール貰えば、    迷わずアタイのもとへ戻ってこれるのではと。で、パンは?」 謳歌「今とてもあなたに拳を進呈したいです」 彰利「それはパンチですよ!?」 悠介「あ、俺は頭突きをしたいな」 彰利「チョーパン!? ……って無理にパンのつくもん探さんでえーって!」 夜華「……ふむ。貴様を粉微塵に叩き潰して捨てられた食べ残しのように───」 彰利「残飯扱いかよコノヤロー!! 既にパンですらねーよ! 最初からだけど!」  いや、今のは思いつくほうがどうかしてるだろ。  解るほうも解るほうだが。 夜華「食べるものがないのか。何かを分けてやりたいところだが、    生憎と食べきってしまった……米を残すは武士の恥だからな」 彰利「ほほっ、現代っ子が武士と申したか《ベパァン!》あわば!」 夜華「……なにか、言ったか?」 彰利「お、お美事にございますとだけ……」  電光石火で手刀が走った。  一瞬で彰利の顔面には殴痕が残され、 彰利「さ、爽やかなレタスの後味が……たった今ニブイ鉄サビの味に……」  彼はスゥウ……と涙していた。  まあ、米を残すは武士の恥とまではいかないが、その意見には同感だ。  食べ物を残すのはよくない。  実際、俺の弁当箱も綺麗にカラッポだ。  なので緑葉にやれるものは一切ないわけで…… 彰利「悠介。手品でもなんでもいいからポポンと食べ物を出してくれ。親友のピンチだぜ」 悠介「一介の男子高校生になにを望んどるんだお前は」 彰利「いや、ある日超常能力に目覚めましたー! とか言ってさ!    なんでもいいんじゃよ! 手から和菓子出したりとか!」 悠介「むしろそういうのはお前のほうが出来そうだろ……ほら、やってみろ」 彰利「え? そ、そう? ほいじゃあ───和菓子よぉおお……出ろぉおおーーーっ!!」  彰利が右手をキュッと握り締め、パッと開く!  するとそこには─── 彰利「ターちゃん……にぎりっ屁!!《パゴォン!》ニーチェ!!」  当然のことながらなにもなかった。しかしそれではつまらんとばかりに握りっ屁と言った彼は、緑葉に上履きで叩かれていた。  おお、なかなか大胆だぞこの転校生。 彰利「くぅ、そこは是非スリッパでと言いたいところだが……あ、でも上履きも懐かしい。    なんだっけ。てんたまだったっけ。懐かしいなー、あれ好きだったよ」 謳歌「叩かれてそこまで言えるって、なんだかすごいですね……」 彰利「それが理不尽でなければ受け止めるのがからかいし者の天命!」 謳歌「……変わってますね」 悠介「Mなんだ」 彰利「ちなみにマクドナルド愛用者の意味ね?」 謳歌「その認識の場合、Sはどうなるんですか?」 彰利「スクリューパイルドライバー」 謳歌「マクドナルド死ぬほど関係ありませんよね!?」 夜華「お、落ち着け緑葉……正気に戻れ」  いや、篠瀬? そこで正気を疑うのはあんまりだぞ?  ていうか、おい緑葉、正気疑われてるから戻ってこい、彰利のペースに乗りすぎると危険だから。 謳歌「うぅう……急に叫んだ所為で頭がくらくらします……」 彰利「頭痛にバファリン」 謳歌「……飲むためには食事とらなくちゃですよぅ……。    というか、誰の所為ですか……。    私これでも、今まで叫んだりしたことなんてなかったんですよ……?」 彰利「ぬう。そりゃ責任感じちゃうアタイ誕生。出来れば適当に用意してあげたいところ。    中学までなら或いは、    誰かが給食のパンを机ン中でカビの苗床にしてただろうに」 謳歌「あの。あったら食べさせる気だったんですか? そう言ってるんですよね?」 悠介「ちなみにこいつ、キャベツが嫌いだからって給食の時、    机の中にキャベツ突っ込んでたんだぞ」 彰利「クォックォックォッ、    のちにカサカサになったキャベツの野郎めをウサギ様へと献上してやったわ。    野郎め、バリバリと食われておった! ウヒャハハハハハ!!」 夜華「……こーいう奴だ、あまり難しく考えるな」 謳歌「……なんとなく解りました」 彰利「ウサギ様はヒーローさ。いつも僕に勇気をくれる」 悠介「レタス食ったら?」 彰利「俺のWS“レッドロータス”が火を噴きます」  略称レタスか。どこまでレタス好きなんだよこいつは。 彰利「俺のレッドロータスはすげぇぜぇえ……!? なにせ野太刀を振るうと、    うーりゃうーりゃせいやせいやチェスタチェストゥァアッ!! と叫ぶから」 悠介「そりゃブラックロータスだ馬鹿たれ!!」 彰利「略称ブタスだな。酢豚っぽくて美味そうね。よし、今晩は酢豚にしよう。悠介は?」 悠介「……はぁ。家は湯豆腐だよ。つーかたまには雪子さんのリクエストも聞いてやれよ」 彰利「ウチのオカンはいろいろと無茶ばっかだから無視ザマス。    つーか人のママンのことをさん付けで呼ぶのやめません?」 悠介「そう思うならそのオカンに言え。俺は本人にそう言えと言われてる」 彰利「人の親友相手になに色気づいてんのかねあの人は……で、    キミの湯豆腐は双子のリクエスト?」 悠介「ああ。“今日来る方”の双子のリクエストだ」 彰利「ありゃ……随分早かったでないの。向こうの方はもういいんだって?」 悠介「だそうだ。他のクラスらしいから、どうなるかは解らん」 彰利「そかそか。大変じゃねぇ……」 夜華「?」  そう、明日双子の片割れが来る。  別のクラスに。  やらなきゃいけないことは、どうやら一年でなんとかなったらしい。  俺が“悠介”を名乗り始めてから一年。あっちはあっちでいろいろあったのだろう。 彰利「んで? 双子の兄が同じ高校に入る気分はどーよ、元・朧月和哉」 悠介「んーなことは元・晦悠介にでも訊いてくれ。お互い同意で名前交換したんだ」  やってくるのは俺の双子の兄、旧名晦悠介。  誓って言うが、義理でもなんでもない、正真正銘の双子の兄だ。  名前以外のほぼが同じ存在として朧月に産まれた俺達は、兄を悠介、弟を和哉と名づけられた。家族全員、名前に“和”がついている中、何故兄が悠介と名づけられたかといえば、ややこしい話になるのだが……───朧月、つまりは俺の親と、晦……若葉や木葉の親とが昔、ひとつの賭けをしたらしい。  当時、俺の両親よりも先に結婚した割にはなかなか子に恵まれなかった晦の両親は、俺の両親とひとつの賭けをした。   “男だったらを自分たちに育てさせてほしい”  本当に、聞いた言葉を思い返すたびにアホゥな賭けだ。  もちろん宅の両親も最初は断っていたのだが、検査で母胎に居る子供が二人と知るや、GOODとばかりに賭けに乗りやがったのだ。お陰で一歩先に産まれた兄は晦の両親が受け取り、晦の両親が名前をつけた。それが悠介。  で、後から産まれた俺は和哉の名を授かるが……それらの真実を聞かされてから、なんつーかこう……ちゃらんぽらんな両親につけられた名前が互いに気に食わなくなってな。  だから、互いに嫌いじゃない相手の名前を自分の名前にすることに決めたのだ。  俺は和哉から悠介に、悠介は和哉に。  馬鹿みたいな話だが、本人たちは至って真面目だ。  加えて言うが、のちに晦に産まれる双子の長女、若葉も朧月が預かり、木葉は晦に育てられる……などという珍妙な出来事が起こった。  だから俺は若葉と仲が良く、和哉は木葉と仲が良い。 夜華「晦には双子の兄が居たのか」 悠介「ああ。俺よりちと鬱陶しいかもだが」 彰利「あー……だぁねぇ。あやつは熱くなるとしつけーから。    夢中になると一直線! って、そげなヤツ。    惚れ込むとそいつにゾッコンタイプとみたね!    ジョジョでいうシーザーっぽいやつ。その一点だけはね」 悠介「同じ顔でソレだからこっちは気が気じゃないんだよ……」  時折テンションが違うから、“お前性格変わったか?”なんて真顔で問われたことが何度かあった。同じ顔なのも考えものだ。  しかしながら昔っから彰利だけは騙されず、俺を俺だときちんと認識していた。  こいつは“愛の力YO!”とか叫んでいたが、あんなものは一目瞭然だ、間違えるほうがどうかしてるんだ、あんなドッスィー。  ……そりゃあ、彰利自身が少し常識はずれってことも手伝ってはいるだろうが─── 彰利「あ、ちなみにカズヤを発見したらきちんと挨拶することね?    挨拶はこう。ちょっと悲しげな声で、“どうも、木吉さん……”と」  ───なにせ、こういうヤツだからなぁ……。 謳歌「あの……お兄さんなのに苗字が違うんですか?」 彰利「本名が木吉カズヤなんだ。ツヨシ工業でアルバイトをしている」 謳歌「働き者さんなんですね……どんなことをする仕事なんですか?」 彰利「全裸で水鉄砲撃ち合ったり、車のタイヤを運ぶ仕事」 謳歌「……ごめんなさい、    私の頭の中の“仕事”に対する常識を遥かに凌駕した答えでした」 悠介「全部このたわけの世迷言だから気にするな」 夜華「しかし名前はカズヤなのだろう?」 悠介「……木吉では断じてないがな」  “解っちょーよ”とのんきに返す彰利だが、ハタと停止。  そいうやぁ……と顎に手を当てて、「ハテ」と首を傾げていた。 彰利「そういやぁ巳浜っちの行動の成果はどぎゃんしたかね」 悠介「んー……見ての通りじゃないか?」 彰利「ホイ?」  彰利が、俺が促した先───委員長の席を見る。  そこにはぐったりと頭を下げて俯く巳浜と、クラスメイトたちに詰め寄られる委員長。 委員長「な、なんだようやめろよう!」 沢村 「あんたが巳浜さんを泣かせたからでしょ!?」 委員長「えぇ!? 別に僕なにもしてないんだけど!?」 沢村 「あんたが委員長を辞退すればいいだけのことじゃない!」 吾妻 「そうよそうよ!」 委員長「い、今まで委員長として文句も言わずに働いてきたのにこの言い草!     でも紳士は怒らない。そしてお嬢が口惜しく思うのは、     この僕が委員長として学校に貢献してきたからさ!     会長に言われた筈だ! “僕が優秀だから手放したくない”と!」 十和 「いえ……副会長が“面白いから外さない”と、それだけを……」 委員長「………」  物凄く悲しそうな、遠い目をしていた。 十和 「ところで委員長?」 委員長「え? なに?」 十和 「あなた、名前なんでしたっけ?」 委員長「委員長だけど?」 十和 「………」 委員長「………」  沈黙が訪れた。  いや、俺もあいつの名前知らないけどさ。 彰利 「そういや結構前にそういうゲームがあったなぁ。     プリンセスうぃっちぃずだったっけ? ヒロインの一人なのに名前が委員長なの」 悠介 「……いや、本気であいつの名前が委員長だって認識する気か?」 彰利 「ホエ? だって自分で言っておるよ?」 委員長「マイネームイズ……委員長!《どーーーん!》」 彰利 「ホレ」 悠介 「……それでいいのか、あいつは」  本人がそれでいいならいいのかもだが。  委員長は口早に適当なことを言うと巳浜や沢村たちに席に戻ってもらい、溜め息を吐いた。その途中で俺や彰利の視線に気づいたのかこちらを見て……苦笑して頭を下げた。 彰利「腰の低いやっちゃな」 悠介「そういうヤツなんだろ」 夜華「努力はするんだがな……他人からの評価に呆れるくらいに興味がない。    だから才能が無いと言われても諦めないし、    無理だと言われてもやりつくすまでは気にしない」 悠介「へえ……」 彰利「なんか面白そうね。ちと話しかけてみる?」  なんとなく俺もそんな気分だったから、彰利の提案は渡りに船だった。……のだが。 夜華「……やめておけ。あいつとは関わるな」  立ち上がろうとする俺達を、篠瀬が制止した。  何事かと篠瀬に向き直ると……首を横に振る。 夜華「どうするつもりかまでは知らないが、    間違ってもあいつの友達になろうだなどとは思わないことだ」 彰利「ウィ? なして? からかったら面白そうYO?」 夜華「それでもだ。これはあいつの願いでもあるんだ。あいつに友達は必要ない」 悠介「……よく……解らんが。あいつが友達は要らんって言ったのか?」 夜華「…………道場で散々と走り回り、倒れてそのまま寝ることが何度かあった。    恐らく、観咲道場でも同じことがあったと思う。    だからこれは、観咲以外の誰にも話すな。    ……あいつは時折、まったく同じ夢を見るそうだ」 悠介「同じ夢?」 彰利「エロス?」 夜華「死んでしまえ」  ありがとう篠瀬。  俺もまったく同じコトを言おうとしていた。 夜華「……そうではなく、それがとてもひどい夢らしくてな。    あいつはその夢を見るたびにうなされ、泣きながら目を覚ます。    一度だけ話してくれたが……かけがえのない家族との約束を裏切ってしまう───    そういった夢を見るらしい」 彰利「家族……そういや孤児っていったっけ。家族が居た頃になにかあったんかね」 夜華「解らない。ただそれは、決まって誰かと仲良くし始めた頃に見るんだそうだ。    私の時も……それを見た日以降、あいつは急に態度を変えた。    “俺は誰かと仲良くする資格なんかないんだ”と」 悠介「………」 彰利「………」 夜華「少ししてあいつは道場を去った。その時に頼まれたんだ。    “もし私の周りで俺のことを気に掛けるような者を見つけたら、    関わるなと言ってくれ”と」  ……その言葉って結構逆効果なんだが。特に彰利に対しては。  俺は───……まあ、気にはなるが好んで突っ込もうとは思わない。  そいつがそうしてくれって言ってるなら、無理に関わる必要なんてのは皆無だ。  必要があれば別だが…… 彰利「ほか。ほいじゃあほっときませう」 悠介「……珍しいな、お前がそういうのに反逆しないなんて」 彰利「ま、そういうこともありマッスル───っとと、チャイムざますね」  そこまで話したところでチャイムが鳴る。  昼休みも終わりを告げ、俺達は溜め息を吐きつつ、なんの気無しに指などをパキポキ鳴らしたりする中で───緑葉は指の代わりに腹を鳴らしていた。 彰利「マアはしたない! これから授業が始まるというのに!」 謳歌「はうぅうっ……」 彰利「だが違います。よく聞くのです迷えるムートン。    腹を鳴らすのがいけないのではないのです。何故ってそれは人体の不思議。    腹が減れば腹は鳴ります。しかしそれを恥ずべき行為と認識するのがいかんのです。    俺なんかこうだ《オォオオォォォォ……!!》」 岡田「お、おい! 今なんかぬ〜べ〜先生の妖怪が出る音が鳴ったぞ!?」 島田「ちょっ……どこからだよ!」 彰利「……なっ?《テコーン♪》」  輝く笑顔でサムズアップ。  ご丁寧に歯まで光らせていた。 謳歌「あなたはべつにお腹減っていないじゃないですか……」 彰利「いつでもお腹を鳴らせるんだ。アタイスゲーから。    何がスゲーのかはキャプテンガントレットの秘密くらい秘密じゃけんども。    というわけで、ダンゴならあるんだけど───」 謳歌「ほんとですかっ?《ぱああっ……!》」 彰利「アースゴキブリ! ホウサンダンゴ!」 謳歌「死んでください」 彰利「ご、ごめんなさい」  背中に殺気を感じた。  ……俺の背後は平穏であると思って居たが、すまん、あれは気の所為だった。  その隣が彰利であることを視野に納めない短絡的な考えだったよ……。 ───……。  放課後。  平穏無事なままに終わった今日を振り返り、なんでもなかったなと息を吐く。  こういう日常こそが一番望ましい。  刺激は確かに欲しいとは思うが、刺激的すぎる日常なんて肩が凝りそうだ。 彰利「ダーリーン、ゲーセン寄ってくべ〜」 悠介「無理して金使う必要ないだろ……それに湯豆腐の材料買っていかなきゃならん」 彰利「おっとそういやキヨシさんが来るんだったね」 悠介「木吉さん言うのやめろ……頼むから」  帰り前のHRが終わり、それぞれが重く腰を持ち上げる。  双子なだけあって好みが大体一緒だから、何を買ってどう味付けすればいいのかは頭が理解している。  まずは買い物だ。  と、教室から出る寸前、巳浜が日誌片手に委員長に話しかけているのを発見。  彰利が鞄を忘れたと言って机に戻るのを溜め息吐きつつ見送りつつ、なんの気なしに二人の話し声に耳を傾けてみた。 十和 「委員長、少しお時間よろしくて?」 委員長「へあ? ああはいはい、なんでしょう」 十和 「本日の日誌、ここに記入ミスがありますわ。これで提出するのはいただけません」 委員長「ありゃ、ごめんごめん。えーと…………これでいい?」 十和 「ええ結構です」 委員長「ごめんね、手数かけちゃって。早く帰りたかったでしょ?」 十和 「構いません。こちらこそ、手早い修正感謝しますわ。ところで───」 委員長「っと、ごめん。これから会長さんに頼まれてた案件の報告と、     それが終わったらすぐバイトなんだ」 十和 「なっ……ア、アルバイトは校則で禁止されていましてよ!?     仮にも委員長という存在がそんなっ!」 委員長「あっはっはっはっは〜っ! 働かなきゃ学費も払えないのさー!     だから見逃して十和ちゃん!」 十和 「わたしを十和と呼んでいいのは灼夜と、百歩譲ってヤーさんだけですわっ!」 委員長「そっか。んじゃー巳浜さん、黙認よろしく」 十和 「……教員に報告する、と言ったら?」 委員長「一人の善良なる生徒がガッコーやめることになります」 十和 「…………脅しているつもり、ですの?」 委員長「へ? …………やめるの俺だけど?     もう面倒だからガッコ中退して働こうかなーって」  そこまで聞いたところで彰利が戻ってくる。  手には鞄。  教科書でもまとめて突っ込んだのか、ヤケにギチギチでパンパンだった───なんてことを確認した途端、ぱっかーーん!と小気味のいい音が鳴り響いた。  ……えーと、その。俺と彰利、目ぇまん丸にして発生源を見てたよ。 十和「あなたはっ……! わたしが相手の弱みに付け込むようなことを、    本気でするとお思いなのですか!?」  巳浜が日誌で委員長の頬を引っ叩いたのだ。  対する委員長は……にっこり笑って頷きやがった。 委員長「“報告すると言ったら?”って言い出した時点で“してる”って。     ……っと、時間ヤバイな。     ごめん巳浜さん、日誌よろしく。叩いた件はそれ届けてくれたらチャラでいいや。     怒ってる時間惜しいし、興味無いし」 十和 「きょっ───!? 興味がっ……!?」 委員長「それじゃあね、巳浜さん。気をつけて帰ってね」 十和 「へあっ!? え、あ、え……ええ……お気遣い、ありがと……う……?」  爽やかに笑って、委員長は走っていってしまった。  教師に走るなと怒られようが笑って流してた。  無駄にたくましいやつだ。 十和「……なんなんですの……? 調子が狂いますわ……」 彰利「ふむん……なんか変わっとるヤツよね、チョッフって。つーか名前なんだっけ」 十和「生徒名簿に委員長って書いてありましたわ」 彰利「………」 悠介「………」  委員長なのか、あいつは。  マジで、冗談抜きで委員長なのか、名前までもが。 悠介「委員長とは親しいのか?」 十和「二年で初めて同じクラスになりましたわ。    加えて言うなら、委員長になって初めて存在に気づいたくらいです」 悠介「ひどいなオイ」 十和「人の認識などそんなものでしょう? 教師でもあるまいし、    クラスメイトの名前と顔、性格や好きなもの、    様々を覚えなければいけないわけではありませんわよ」  いや、断言する。それは教師でもごめんだ。 十和「あら? けれど晦さん? 貴方たしか、中学では彼と一緒だったのでは?」 悠介「へ? 俺が?」  ……まて、それはないぞ。  なにせ俺は高校入学と同時にこっちに来た。  代わりに和哉が俺側の方に行ったんだ、それは間違い無い。  ってつまりそういうことじゃないか。 悠介「あー、すまん。たぶんそれ、俺じゃなくて双子の兄だ。    どこでそんな情報掴んだのかは知らんが、俺は委員長のことなんて知らない」 十和「あらそうですの? まあ、影が薄いのは確かですけど。    委員長だというのに髪はボサボサですし、    言われるまでもなく仕事をするのは良いとは思いますけど無言ですし、    話し掛けなければ人と向き合いもしませんし」 彰利「メッタクソやね……」 悠介「あー俺も思った」  そして俺も結構、いい印象は持っていない。  与えられた仕事やってハイさいなら。  当然っていえば当然なんだが、協調性が皆無って言えばいいのかどうなのか。 十和「けど、向き合った際には目を見て話すところは気に入っていますの。    わたしをお嬢様扱いしないところも好感が持てますわ」 彰利「ねぇ悠介。アタイこやつの好みが解らない」 十和「そういった好き嫌いの問題ではありませんわっ!!」 悠介「はいはい、どうどう。    悪い巳浜、話し掛けておいてなんだけど、これから買い物行かなきゃなんないんだ。    特売は見逃せないからな、これで失礼する」  ここで話し込んでたらいつ帰れるか解ったもんじゃない。  早々に切り上げてさっさと買い物だ。 十和「あら。でしたら今日はお肉が狙いどころですわよ?    スーパー・マスタチュは我が巳浜グループ傘下!    特売情報くらい頭に叩き込んでありますわぁあ〜〜っほっほっほっほっほ!!」 彰利「……まだ若いのに」 十和「べつにおかしくなったわけではありませんわよっ!!」 悠介「悪いが今日は湯豆腐だ。肉なんぞに興味はない」 十和「あ、あらそうですの? 残念ですわね……。ところで向かうお豆腐屋さんは?    是非とも巳浜傘下の───」 悠介「悪いな、スーパー・サマンダールが一番安いから」 十和「くっ……サマンダールはフレルミラージュ傘下……わたしは手出し出来ませんわ」 彰利「で、スーパー・コスモスが───」 十和「白瀬カンパニーですわね。    まったく、なにもすぐ傍にスーパーを三つも建てることありませんのに」  お前が言うなよ巳浜グループの一人娘。 悠介「買う方としては、どの店に行けばどれが安いのか解るからありがたいけど」 彰利「レタスはコスモスだしね。つーか野菜全般」 悠介「それも曜日によってまちまちだけどな。    せっかくだから訊きたいんだが、巳浜の晩メシはなんだ?」 十和「んふふふふ……! 灼夜の家で豆乳鍋でーーすわーーーっ!!」  興奮に揺れ、目まで潤ませた彼女が言った。  ……そーかそーか、巳浜は豆乳が好きか。 彰利「おぜうのくせに豆乳好きって……」 十和「あら。好みに上も下もありませんわよ?    フレルミラージュ家の一人娘はわさびが好物ですし、    白瀬の娘はラーメンですもの」 彰利「わさびって……」 悠介「あー……そういや聞いたことがあるな。フレル───」 彰利「し、知っているのか雷電」 悠介「……今喋ろうとしてたんだから、無理矢理雷電かぶせるなたわけ。    フレルミラージュの娘かどうかは知らないが、    一年にわさびチューブを持ち歩いている女子が居るって」 彰利「なんとまあ……マジすか」  刺激が欲しくなったらウジューと吸うのか。  イメージしてみたら少し怖かった。 十和「ふぅん? ところで転校生……緑葉さんはどういたしましたの?    長く一緒に居たようですのに、今は見えませんわ」 彰利「街行って食い逃げしてくるって」 悠介「当然の如くウソだからな? 寄りたいところがあるからって先に帰ったよ。    先もなにも、一緒に帰る約束なんてしてないけどな」 十和「ふふっ、転校初日から賑やかなお友達が出来てなによりです。    あなたがたが居るなら、彼女も退屈せずに済みそうですもの」 悠介「ああ、それは彰利って存在が保障するだろ」 彰利「え? アタイ退屈ブレイカーの権化?」  きょとんとした顔で己を指差す彰利に、ただ肩をポンと叩くだけで応えた。  こいつが騒がしいのは昔っからだし、それが嫌だと思ったことはあまりない。  あまりというのも、調子に乗りすぎてこいつが無茶しないかどうかが心配になった時くらいだ。こいつは騒がしいくらいが丁度いいし、俺はそれに慣れている。 悠介「んじゃ、俺達もう行くな。巳浜もさっさと帰れよー」 十和「日誌を届けたら帰りますわよ。……勢い任せとはいえ、少々言いすぎましたし」 彰利「ほっほっほ、その反省の心があれば貴様はもっと強くなれるわ」 十和「ええ。貴方に貴様呼ばわりされる覚えはありませんけれど、    教訓として受け取っておきますわ」 彰利「ところで金髪おかっぱロングってなんか不思議な髪型ですね」 十和「お待ちなさい。そこに青のカチューシャを加えてこそわたしが完成するのですわ」  フゥウウッ───ワッサァアアアッ! と、長い髪を片手で持ち上げ、払いつつのお言葉。流れるサラサラな金髪が西日を受け、キラキラと輝いている。  まあ、綺麗と言えば綺麗だ。しかしそれだけでは満足出来ないらしい……カチューシャが無ければ彼女は彼女じゃないというのだ。 彰利「髪型とカチューシャだけの存在っすかキミ」 十和「お黙りなさいなトンガリ頭」 彰利「あんだとこんにゃろ! 悠介なんてモミアゲだぞこの!」 悠介「わざわざ人を混ぜるなこの馬鹿!」 彰利「キャアたわけじゃなくて馬鹿って言われた!    つまりこの場でのたわけは巳浜っちってことね!?」 十和「なんですって!?」 悠介「ちょっと待てどうしてそこで俺が睨まれる!!」 十和「そりゃあ!? あなたのモミアゲはとってもステキですわよ!    ええ! わたしのこのカチューシャ込みの髪型も霞むほどと言ってもいいですわ!    けれど、だからといってたわけ呼ばわりされる覚えはありませんわ!」 悠介「その考えこそがたわけだ馬鹿!!    モミアゲばっかりに注目するなよ! 普通の髪型だろうが!!」 十和「…………ちょっと聞きまして? 弦月さん」 彰利「ああ……こいつ自分のモミアゲの価値をまるで解ってねぇよ」  はぁ……と重い溜め息を吐かれ……る覚えが全然ないんだが。  なんなんだこの状況。 十和「自覚が無いようですから教えてさしあげますけど。    あなたのそのモミアゲ。価値で言えば国宝級ですわよ?」 悠介「なあ彰利。今すぐ男女平等パンチを繰り出したくなったんだ。俺に許可をくれ」 彰利「だめだな。何故なら俺も同意見だからだ」  ……どうしてくれようこいつら。  いや、二人の頭を心配する前にモミアゲを切りたくなったぞ。 悠介「……あのさ。モミアゲ切っていいか?《ガッ》おっ……!?」  言った途端に肩をグッと掴まれた。  他の誰でもない、彰利に。 彰利「……待てよ。そんなことする気なら、命がけで止めるぜ……?」 悠介「なにに命かけてんだお前はぁああっ!!    しかもなんだそのかつて見せたことのないくらいの真顔は!    かっ……格好つけてるつもりか!? 格好つけてるつもりなのか!?」 彰利「うーーーるーーーせーーーっ!!    そのモミアゲ取ったらお前!! 悠介じゃなくなるぞ!? それでええの!?」 悠介「俺の存在ってモミアゲか!?」 十和「モミアゲを切った途端、あなたの人としての価値は凡人になるだけですわ。    現在のあなたを価値で表すなら、生きた宝石のようなものですけれど」 悠介「国宝扱いから随分と落ちてるんだが……!?」 彰利「モミアゲの価値が10とすると、人間の部分はマイナスポイントってことか!」 悠介「……よし止めるな彰利。俺はなにをどう馬鹿にされても大抵のことは我慢出来るが、    モミアゲのことは許せんのだ」 彰利「結局モミアゲ好きなんじゃねーの!!」 悠介「そういう意味じゃなくてだなぁっ!!」 十和「あら。褒めていますのに」 悠介「どこがじゃああっ!!」  結局叫ぶだけ叫んでいるうちに、巳浜はホホホと笑いつつ去っていった。  俺はといえば……彰利に羽交い絞めにされつつそれを見送ることしか出来ず……はぁ。もういい、忘れよう。 彰利「まあ正直なところ、キミがモミアゲ切ると和哉のヤローと見分けつかんからさ。    あいつが常に“褌”(ふんどし)
一丁とかだったらまだ解るけど」 悠介「日本男児だからってフンドシ着用が当然みたいに言うなよ……」 彰利「や、だってあいつフンドシじゃん」 悠介「…………まあ、そうだけど」  朧月和哉。好きなもの……日本。  フンドシを下着として愛用。  モミアゲは無く、俺がこういう性格の分、ヤツは結構元気だ。 彰利「この一年でどう変わったかね。相変わらずドッスィーだとは思うけど」 悠介「ドッスィー言うな、褌って言え褌って」  実を言うと……まあその、俺も褌は嫌いじゃない。  しかし和哉ほどではない。  あいつは褌……というか日本ってものを愛している。  俺が歴史を愛しているとするなら、あいつは─── ───……。  帰路を歩む。  両手には今晩のメシの材料をたっぷりと入れた買い物袋。  隣には彰利が、同じく買い物袋を両手に携え、ずったかずったかと歩いていた。 彰利「や、しっかし買ったねぇ」 悠介「俺もバイトでもするかな……晦のおじさんたちが託してくれた蓄えがあるからって、    それに甘えすぎてると後が怖い」 彰利「ウチは教師がバリバリに稼いでおるからねぇ……」 悠介「教授やってる親父さんは」 彰利「おー? あー……帰ってきとらんよ。研究が忙しいらしい」 悠介「そっか。黒いもの好きは相変わらずか?」 彰利「オウヨ。ママンに闇の精霊ってあだ名つけられるだけのことはあらぁな」 悠介「雪子さんも大変だな……っと」  話しながら歩くと、遠い道も案外近く感じるもので。  我が家へと続く呆れるくらいに長い石段を見上げ、毎度のことながら溜め息を吐いた。  ……吐いたのだが、その石段の途中にたわけを発見した。  困ったことに……身内だった。 声 「はっはっはっはっは!! どーしたどーした弟よぉおーーーーーっ!!    これしきの石段を見て溜め息とは情けない! 日本男児よ強くあれぇえいっ!!」  紹介しよう。  涼しくなった頃だというのに褌一丁で石段に立つあの男こそが我が実兄、朧月和哉だ。  根性論を愛し、日本を愛し、努力を愛し、米を愛する。  好物がおにぎりなのだ、あいつは。  次なる好物が大豆製品。納豆や豆腐、豆乳といったものが大好きだ。 悠介「そんな格好で叫ぶな変態!!」 和哉「笑止! この格好を変態と呼ぶその認識こそがたわけているのだ!!    何故解ろうともしないのかこの愛国心をっ……!!」 悠介「日本は好きだけどお前のその性格は好かん」 和哉「はっはっはっはっは! 残念だったな弟よ! 私は貴様がだぁい好きだ!    努力をする者を私は愛する! そこに男女の差別など皆無!    だが安心しろ弟よ! 私は断じて男色ではない! これは愛だ! 努力を愛する愛!    一に努力二に努力! 三四に休憩五に実践!!    実らぬ努力に価値などない……? 馬鹿な! 私は努力こそを愛す!    過程無きものを努力とは呼ばぬ! 結果が全てでは努力の意味がどこにある!    故に愛そう! 私は努力を愛す! さあ上るのだ弟よ! この長い長い階段を!    その先に貴様が往くべき家がある! 努力の末に辿り着けるのだ!」 彰利「暑苦しいなぁ相変わらず。あ、とりあえず───……どうも、木吉さん……」 和哉「うん? ……おおっ、彰利ではないかっ! いつも弟が世話になっているな!    はっはっはっはっは! 相変わらずその刺々しい髪型は美しいな!    日々の努力の賜物だ!」 彰利「うっせ! こりゃ天然じゃい!」  ああ鬱陶しい。  言われんでも上るから、同じ顔でその鬱陶しさはなんとかしてくれ。 彰利「つーかキミ、そげな格好で寒くないん? つーか恥ずかしくない?」 和哉「おおこれか? 実は向こうの学校で学友になった男子に良い言葉を授かった。    “パンツじゃないから恥ずかしくないもん!”だ! すばらしい言葉だな!」 彰利「騙されとる! キミ思いっきり騙されとる!!」 和哉「なにが騙されているものか。私が聞き、私が納得したのであればそれは私の都合。    他者の意見と合わぬからと己を曲げることこそを恥と知れ、彰利。    そして私は───褌を愛している!!」 彰利「すまん悠介、こいつ手遅れだ」 悠介「いまさらだな」 彰利「おおまったくだ」  いっそ警察にでも突き出してくれようか。  快く迎えてくれそうな気がする。 和哉「ふふっ、以心伝心というものだな、弟よ。    私はお前が何を考えているのか、手に取るように解るぞ。    無駄だ。警察には既に事情を熱く語り、許可を得ている。    見ろ、許可証もきっちりと貰ったぞ。警察署の認証印入りだ」 彰利「うぉおおおーーーーいポリスゥーーーーーーーッ!!!」  終わったな、この街の警察……。  そう思いつつも何かの間違いであってほしいと見てみれば、きっちりと書かれた許可証。……つくづく終わってる。 和哉「うむ。無駄話はここまでにしよう。若葉も木葉も待っている。さっさと上るぞ」 悠介「その格好で先に上られると見苦しいから、後ろから来てくれるか?」 和哉「いいぞ。私は褌が好きだが、相手にまでそれを押し付けるつもりはない。    皆もそうであればいいとは思うがな」 彰利「男子全員ふんどし計画かよ」 和哉「それはいいなっ!《ぱああっ……!》」 彰利「あ、冗談だから間に受けんでくれ」 和哉「いや、冗談だろうといい意見だ。そうかそうか、それはいい。    いいものだな……こうして目を閉じると浮かんでくるようだ。    男子全員が褌姿の世界……すばらしい」 彰利「上だけ制服でネウロイとでも戦うんすか? ……悠介。救急車って99番だっけ?」 悠介「キッチョムでも聞いてろ」 彰利「もうとっくに終わっちまっとるよ……」  石段を上る。  律儀に一緒に上る彰利に、なにか用があるのかと訊けば、ママンから遅れるとのメールが来たとのこと。なるほど、今家に帰っても誰も居ないからか。 彰利「んー……なぁ和哉YO? 今日はずっとその格好で居たん?」 和哉「ああ。向こうの家からここまで、ずぅっとこれだ」 彰利「ポリスに呼び止められたりせんかったの!? なにやっとんの日本の警察!」 和哉「事情を話したら笑って通してくれたぞ。熱意というものはやはり伝わるのだろう」 彰利「ちなみに事情って、どげなこと話したん?」 和哉「うん? いやなにな、これは日本男児の魂の服装だと。    恥ずかしくないのかねと言うものだから逆に魂で返してやったわ。    かつての戦士もこの格好をしていたのだ、なにを恥じることがあろうかと。    するとどうだろう、彼らは私に敬礼し、笑顔で送ってくれた。    ああ、やはり日本はいい。よくぞ日本に産まれけりだ」 悠介「そ、そうか……」 和哉「うむ。ところで悠介。街を歩く中で急に呼びとめられたのだが、    緑葉謳歌という女子は貴様の知り合いか?」 悠介「じゃあな、彰利……悪くない人生だったよ───」 彰利「いきなり死のうとしてんじゃねぇええーーーーーっ!!!」  終わった。なんかいろいろ終わった……!!  あいつ絶対誤解したぞ……! 俺が褌一丁で街中を歩いていたって、絶対に……!!  おぉおおおお明日からどのツラ下げてガッコ行けばいいんだぁあああ!!! 和哉「安心しろ。きちんと名乗ってきたさ。    彼女も“あなたがお話に出てきた”と納得済みだ」 悠介「え───……あ、そ、そうか……そっかぁああ………………はぁああ……!」 和哉「はっはっは、声をかけられて名乗らぬわけにはいかんだろう。    それにしても彼女はいいな。胸も大きいし尻も大きい。    安産型であると同時に、授乳もしやすいときている。誰ぞの良き妻となろう。    うむうむ、彼女の家族の未来はきっと安泰だろうな」 彰利「……キミ、そういうことは絶対に人前で言わんほうがいいよ……?」 和哉「褒めているのだがなぁ。当の本人も目を潤ませ震えながら喜んでいたぞ?」 二人『言ったのかよ!!』 和哉「嘘は好かん」  笑顔で言われた。  誰かこの変態をなんとかしてくれ。 悠介「……弟ながら、お前の交友関係が不安だ」 和哉「友なら居るぞ? もちろん彰利ではない。親友と言っても過言ではない男が一人」 彰利「……大丈夫なん? その男って」 和哉「大丈夫だ、問題ない」 彰利「いやイーノックの真似をしろって言ってんじゃなくてね?」 悠介「ああ……そういえば中学時代から交友関係が続いてるヤツが居るって───」 和哉「うむ、その者だ。    彼の者だけは私がどのような格好をしていようと笑って受け入れる。    心が広いと感心するのと同時に、世の懐の狭さを知った気分だ」  「フツーはそれが当然じゃい」とこぼす彰利とともに石段を上ってゆく。  後ろに褌一丁の男が居ると考えるとどちらにしろ落ち着かないのだが、まあそれはそれで今更なのだ。 和哉「ところでそいつは……この一年で少しは変わったか?」 悠介「変わったか、とは?」 和哉「人と付き合うようになったかと訊いている」  おかしなこと訊くもんだな。  けど、そうだな……。 悠介「いや、全然だ。むしろ遠ざけてるよ」 彰利「オウヨ。なんか仲良くすると見る夢があるとかで、    誰とも仲良くしたくねーみてぇよ? 話しかけても興味がないから、で終わる」  言葉のあとに「らしいぜ?」と続け、彰利はハフーと息を吐く。  対する和哉は顎に手を当て立ち止まると、 和哉「…………あの馬鹿」  そう呟いて、走り出した。  石段を登るのではなく、降りて。 悠介「和哉っ!? どうしたんだよ!」 彰利「きさんまさかその格好で街へ!? よ、よせーーーっ!」 和哉「後悔しか抱えてない馬鹿を救ってくる! 悪い、もう一度染めるぞ、この世界!」 悠介「染め……? って速いなおい!」 彰利「……行っちまったけど、どーするん?」 悠介「…………湯豆腐作って待ってればいいだろ」 彰利「せやね」  溜め息ひとつ、石段を再び登った。  染めるって言葉の意味が解らないままに。 -_-/ルドラ=ロヴァンシュフォルス  ……。  黒衣を出現させ、地を蹴った。  向かう先は孤児院であり、無二の親友が居る場所だ。 和哉「手間を取らせてくれる……!    いや、そもそも多少なりに記憶を残そうとしたのが裏目に出たな」  ドリアードめ、ヤツを想うのは勝手だが、これでは意味がない。  ヤツの最後が後悔とほんの少しの救いのみで埋め尽くされていたのなら、記憶を残せばこうなることは目に見えていただろうに。 和哉「───! ドリアード!」 謳歌「え───あ……ルドラ」  道をとぼとぼと歩くドリアードを見つけ、傍で止まる。  ドリアードも俺のこの姿を見て理解に至ったのだろう、姿を精霊のものに変えると、深く息を吐いて謝罪の言葉を呟いた。 和哉「謝罪はいい。それより」 謳歌「……はい。委員長───博光さんは……無自覚ですが、覚えています」  覚えている。それは生前の記憶のことだ。  せめて最後は幸せにと創った世界だというのに、ほぼが後悔しかない生の記憶を断片だろうと残すことは、ヤツにとっては地獄でしかない。  消してやらねばいけなかったというのに、ドリアードは土壇場でそれをしなかった。  いや、したのだろうが中途半端に終わらせた。  その結果が……傷跡を残したこの世界だ。  ゼロにし、俺達の記憶も消える筈だったというのに、俺達はこうして記憶を持っている。  双方ともに、先ほど出会った時に思い出したのだ。まったく笑えない。 謳歌「博光さんが孤児でした。    幸せを願ったというのに、家族が既に死んでいる事実が残されてしまっている」 和哉「そうだ。つまりヤツ……提督は覚えている。だから消してやらねばならない。    あいつが生きてきた歴史の全部を。    そうでなければあいつはまた、いらない後悔を背負うだろう。俺はそれを許さない」 謳歌「はい。ですから───」 和哉「提督が持つ生前の色濃い後悔はなんだ?」 謳歌「……“家族”(ファミリー)との約束を果たせなかったことです。    ただそれだけを心残りに、何度も何度も家族を裏切る夢を見続けています」 和哉「………」  世界構築前の記憶を持っているのは俺とドリアードくらいだろうか。  いや、確認など面倒だ、どうせすぐに消す。 和哉「提督のカタチはどうなっている?」 謳歌「魂というよりは意思体でしかなかったものです。    それを私達や博光さんが出会ってきた者達の意思や力を使って構築した世界がここ。    幸せであるべきの博光さんは自分を諦めかけています。今も、孤児院で」 和哉「……孤児院にはニーヴィレイとシードが居ただろう」 謳歌「話しかけても反応するほどの気力もないんです、今の博光さんは」 和哉「喝を入れる方法は?」 謳歌「……ひとつだけ。とても単純で、けれど……今の博光さんには重すぎる言葉を」 和哉「それは?」  訊ねてみると、ドリアードは右手をすっと持ち上げ、そこに一つの花を咲かせてみせた。 和哉「それは?」 謳歌「竜舌蘭、という花です。これを渡すだけで、博光さんは歩き出します」 和哉「……断言か」 謳歌「そこに、大樹の種を通して根付いていた言葉がひとつだけあるんです。    それを受け止めたなら、歩かなきゃ……自分の幸せを探さなきゃ、ウソですから」 和哉「……解った」  ドリアードから花を受け取り、地を蹴った。  ドリアードはついてこようとはせず、お願いしますとだけ言うと俺を見送った。 ───……。  ……孤児院。  この姿で来るのは初めてになるのだろうか。  中々に広いそこでは子供達が遊んでいて、その中でも変わった髪の色…緑色の髪をした少女が、銀色の髪の少年と一人の男を引っ張り回していた。  ……提督だ。 ナギー「ヒロミツ、もっとしゃきっとするのじゃ!」 シード「またいつものようにビシっと命令をください! 極上の反応で返しますから!」 中井出「………」  提督は子供たちの言葉にも大した反応は見せず、項垂れていた。 和哉「……提督」  そんな子供たちの間に割って入って、委員長ではなく提督とはっきりと口にする。  提督はゆっくりとこちらを見て……静かな溜め息を吐いた。 委員長「……おたく、誰? ここは関係者以外立入禁止ですよ」 和哉 「友に対して随分な対応だな」 委員長「あんたが勝手に言ってるだけだ」 和哉 「……覚えているか? 全てを」 委員長「……? 言ってる意味が解らない。もう帰ってくれ」 和哉 「ああ、帰ろう。だが届け物がある。これを受け取ってくれるなら、すぐにでもだ」  委員長という名を自ら選んだソイツへと、花を突き出す。  背の高い花の、芽吹いた花だけのソレを。  気力の無い提督はそれをけだるそうに見て、小さく息を飲んだ。 委員長「……なんだよそれ。なんの冗談だ……?     なんで夢の中でしか見たことない花を、お前が突き出すんだよ……」 和哉 「竜舌蘭。知らないとは言わせないぞ。お前が経験した世界を俺も見た。     お前が存在を賭け、守り抜いた大切なものだろう」 委員長「………」 和哉 「……提督」 委員長「だから……なに言ってるのか解らないって言ってるだろ」 和哉 「……本当にそうか? この花に向けても、そんなことが言えるのか?」 委員長「………」  俺の言葉に、提督はただ辛そうな瞳を向けてくるだけだ。  何も喋らず、突き出されたソレを受け取った。 委員長「……もう……いいじゃねぇかよ……。長い長い旅をしたよ……。     呆れるくらいの世界を生きて、呆れるくらいの人と出会って。     自分のじゃない物語の中ってのを、ずっとずっと生きてきた。     俺が消えてもそのあとの世界でみんなは普通に生きてさ、     そんな未来が待ってるのを知ってても、俺は笑ってなきゃいけなかったんだよ」 和哉 「疲れたとでも言うつもりか?」 委員長「端っこで笑ってるくらいが丁度いいんだよ……俺は。     でも、もう笑えねぇ……笑えねぇんだよ……。     雨が止まないんだ……真っ赤な雨が、ずっとずっと降り続けてる……。     拭っても拭っても……もう……赤が落ちねぇんだよぉ……」  辛そうに言う提督だが、涙は流さない……いや、きっと流れている。  ここではないどこかで、ずっと。 委員長「新しく生きていいって言われたよ……覚えてくれていたことが嬉しかった。     久しぶりに会えて、たくさん伝えたいことがあった。     それなのに……笑えなかったんだよ、俺……。     笑うことくらいしか、楽しいを探すくらいしか能がなかったのにさ……。     それでもお前は───」 和哉 「ああ。生きろ。“生きたお前”で、その花の言葉を聞け」 委員長「───……」  光の宿らない目で、提督が花を見下ろし……光が宿らなくても辛そうな目で、花びらに触れた。 委員長「………」 和哉 「……花は、なんと言っている」 委員長「…………っ……〜〜〜〜っ……」 和哉 「提督……?」  訊ねると、提督は涙を流した。  虚ろな瞳のままにしゃくりをあげ、肩を震わせながら。  その途端に、想いや能力全てで構築されたこの世界が白く染まり、色が消えてゆく。  いや、染まるのでも色が消えるのでもない。  ただ、世界が再構築されるために崩れていっているのだ。  そんな構築素材である想いが散る中で、ソレに触れることで確かに聞いた。  崩れ、構築要素として流れる花と、提督の姿に触れることで。   “誰の得にならなくてもいい。傍に居てくれなくても……構うけど構わない。    たとえその所為で誰かが傷ついたとしても、生きていてほしいと思う。    ───今そこに居る貴方は……幸せ? もしそうじゃないなら───”  崩れる景色が見せてくれた。  青い機械と寂しげに話しながら、その機械が映す映像を見ている女性を。  そして……その光景を、声を聞いて、確かな光を取り戻した目で、号泣する提督を。  ……世界が再構築される。  もう、記憶が蘇ることはないのだろう。  あいつはきっとまた脇役を望むだろうし、家族が居る世界が構築されるのなら、今度こそ一切の才能がない状態で始めることとなる。  だが……そうだな。“私たちはもう悲しむまい”だ。  残されたものの中にこそ、幼い日の思い出の中にこそ、見いだすのだ───力を。 和哉 「───立てるか?」 委員長「“泣いてられねぇ”なんて言えるヤツの気がしれねぇ……!     ちくしょう、ちくしょぅうっ……! なんて言葉残しやがる、あのばか……!」  真っ白な世界で蹲るそいつの隣に立って、手を伸ばす。  提督はその手を見て、俺を見て、自分の手を見下ろした。 和哉 「まだ、赤いか?」 委員長「……色はあいつが全部持ってった。約束破った罰だ、って。     幸せにならなきゃひどいぞって、ジャイアンボイスの心の友に怒られた。     許せないな、まだうじうじとしているなど、って……     ルルーシュボイスの青い友達に怒られた」 和哉 「そっか。……で? お前はどうしたい?」 委員長「………」  提督が真っ白な空を見上げる。  空もなにもない、ただ地面があるだけの世界で。 委員長「いつか、どっかの一刀を殴った。あいつらを頼むって。     どこの外史の一刀だったのかも解らないけど、思いは託せたんだと思う。     その時もこんな世界の中で……でも」 和哉 「……でも?」 委員長「なぁルドラ。今なら俺も……俺にも、色があるかな。     晦や彰利が歩いたみたいに、誰かにとっての色になれるかな」 和哉 「色か。……色なら十分ついただろ?     そうやって願う必要もなく、お前が生きた57億が色になってくれるだろ」 委員長「……そっか。そうだといいな」  手で支え、震える体で立ち上がる。  俺の手は取らずに、強引に。  そして言った。俺の方は見ずに。 委員長「やっぱ俺に主役は向かんわ。     どう考えたって誰かに未来を託して勝手に死ぬ馬鹿だ。     57億生きてそれを実証してみせたんだから、もはや救いようがないわな」  だからと、そう続けて歩き出した。  追おうとする俺に待ったをかけて、振り向かずに上げた手をぱたぱたとふるって。 委員長「次の世界では上手くやれると思うから。     次の世界では、もっと自分に自信を持てる俺であるから。     せいぜいクラスメイトAあたりで楽しく生きるさ。     ……だから、友達になれそうだったらよろしくな」 和哉 「………」  それだけ言って、輝き始めた景色の中へと埋没した。  俺の視界も白に覆われ、なにも見えなくなる。  あいつが願ったからこうなったのか、それともこうなるようにドリアードが調整したのか。……そんなことは今さらだな。  今俺が、この世界が願うべきことはただひとつ。 和哉「全てを零にして、また始める。能力もなにもない、ただの俺達の物語を」  異世界もファンタジーも、神も死神も天もない、ただの人間の物語を。  けどまあ、最後くらいは平和の象徴として演出してもらおうか。 和哉「───ハトが出ます。……弾けろ」  随分と久しぶりに、指で輪を作って創造する。  幾羽も創造されたハトが空を舞い、輝きに満ちる空を飛んでいった。  ───これより始まるは人の物語。  一人の馬鹿が幾億を生き、様々な記憶と意思を集めたからこそ完成する、真理が干渉出来ぬ唯一の世界。  もはや創ることも出来ず、だが笑顔を生み出すことなど誰にでも出来るであろう世界。 和哉「さて。恩返し、始めっか。なぁみんな」  この世界の構築要素となった意思や能力の全てに語りかける。  返事はなかったが、ただ喜ぶ気配だけを感じたので笑っておいた。   やがて“今日”が始まる。   主役を辞退しやがった馬鹿者と、笑顔の堪えぬ仲間たちとの日々が。   お前はまだ道化になりたいかと訊ねてみると、最後に響く笑った声。   「57億かけて証明したのが道化だろうが」   なるほど、もう十分らしい。   ならばなにを願うのかを考えてみても、今から答えなんて解るはずもなかった。   世界はリセットされる。   俺が俺を失い、その記憶が世界の構築要素になるのと同じく、あいつの記憶も。   ならば今の願いが繁栄されることはないのだろう。   じゃあせめて祈ってようか。   どんなふうに構築された世界に降り立とうとも、どうか笑ってられますようにって。   ───そう思うと、自然と笑えた。   そして仰ぐのだ。この、次第に色付く空を。   飛んでいったハトが想いの欠片を揺らし、色が消えた雨を弾くことで見える───   この、生きた歴史と様々な感情。やさしさの数だけ降った雨が止んだ先。   そいつを幸せにするために作った筈の世界に架かる、他人事のように輝く虹を。 ───……。   ───……だが待て。本当にそれでいいのか?   “提督”は長い……いや、“永い”時の中を“記録する者”として生きた。   その全てをなかったことにして、提督は全てを納得した上でリセットできるのか?   出来るとして、本当にそれでいいのか?
……いいわけがない。
 ───そうだ。いいわけがない。 和哉(やり直し、全てを忘れるくらいならばいっそ───)  そう思った瞬間、頭の中に声が届く。  それはドリアードの声で、あとは俺が納得するだけで世界は再構築されるのだという。  ……そうか。覚えていたのが俺とドリアードならば、記憶を残している俺が頷けば。  だが───悪いがそれは出来ない。 和哉「ドリアード。悪いが予定変更だ」 声 『え……?』 和哉「俺達やあいつ自身が中井出博光を忘れては、あいつは幸せにはなれない。    いや、そもそも“忘れる”という一歩からあいつを歩かせるのはもううんざりだ。    俺達は覚えていなければならない。記憶を持ったままで歩く」 声 『なにを……そんなことが可能ならば、とっくに───』 和哉「そうだな。不可能を可能にする力は使いきった。    我らが使えるマナも、そう多くはない。    だが、中井出博光が使い切らずに終わったマナが残っている。    我らが持つマナとそれを合わせれば、不可能を可能にする力とは言わずとも、    既存を破壊することくらいは出来るだろう」 声 『…………本気、ですか?』  本気だ。  で、なければ、なんのためにここまで来たのか。  俺達は提督に恩返しをしなければいけない。  義務としてでなく、仲間として。 和哉「当然だ。だから───やるぞ。皆から全ての力を奪い取れ。    その上で、全てを1にして開始する」 声 『……あの。全ての力を奪うとなると、土台にする大地が───』 和哉「既存をとことん利用しろと言っている。土台はフェルダールでいい。    そこに、提督が今まで歩み続けた軌跡をくっつけてやれば、広大な世界の完成だ。    どうせ既に思念だけの存在。土台も思念ならば、創るよりもくっつけた方が早い。    何もまったく同じにしろとは言わない。    記憶を保管しておきながら、忘れた状態で遊ぶことも出来る世界を構築すればいい。    だが、無かったことにして全てを無くすのはだめだ」 声 『……相変わらず、気分が前に向くと無茶ばかりを吐くのですね、貴方は』 和哉「やかーしぃ、ほっとけ」  ルドラとしてでなく悠介として返事をした。  くすぐったいかぎりだし、自分をたわけとも呼びたい気分なのだが……そうだよな。  やっぱ、こうしてくだらないことで苦笑できるからこそ俺達だ。 声 『解りました。それが博光さんの幸せに繋がるなら、臆することなどありません』 和哉「ああ。そこでまた無茶をすればいい。なにせ、全て繋がる。    そうだな、手始めに拾った意思の中から冒険をしたいやつらを集め───」 声 『……はぁ。こうなると人の話なんて聞かないんですから……』  笑いながら夢を語る。  これから始まるは人の物語。それは変わらない。  だが、普通ではないのは明らかで、普通ではないからこそ楽しめる世界。  そんな世界を創り、いつまでも笑っていよう。  なにかを忘れる必要のない、遠慮の無い世界で。 -_-/川神百代  いやなことを覚えている。  それはとても気持ち悪く、産まれた頃からずうっと胸の中にあるものだ。  川神百代として名乗る前から川神百代としての記憶があるという状況の中で、ただただ後悔ばかりを抱いていた。  この手に残る、無抵抗な家族を殴った感触。  泣き笑顔で“どうかお元気で”と言ったあいつを、わたしは殴った。  その上で殴ったことさえ忘れ、それ以降の記憶は幻想郷から始まった。  気づけば伊吹萃香に萃められ、集った場所であいつと再会した。  閻魔の審判を前に消えることを受け入れ、最後の覚悟を完了させようとしたあいつは、胸をノックするはずだった腕を萃香に掴まれ───死んでまでずっと独りなのだと思っていたのに、覚えていてくれた人が居たことに涙した。  子供のように顔をくしゃくしゃにして、涙した。  それでも死んでしまった事実は覆らない。  あいつは自分の人生を振り返り、自覚なんて出来ない人生だったがきっと幸せだったと唱え……泣き笑いの顔のまま、消滅した。  天国にも地獄にも行けないまま、既に限界だった魂は塵と化した。  ……今ここに居るわたしは、それから再構築される世界の中をもう一度、川神百代として生きている。  自分は、相変わらずの異常者だった。  全ての力を奪い取れとルドラってヤツが言ったように、力の吸収は行われた。  しかし成長するからこそ身に付く力までもが吸われるわけでない。  鍛えれば能力を身に着けることができ、再び瞬間回復なんてものを手に入れた頃には、やはりかつてのように、敵の居ない日々を過ごすこととなった。  鍛錬はするが、その鍛錬以上に力が溢れ、敵う者など居ない状態。  じじいか釈迦堂さんでなければ相手が務まらないくらいで、戦いへの欲求も相変わらず。  それも、嫌なことを忘れたいだなんていう我が儘からくるものだった。  成長し、かつてのように風間ファミリーと出会った。  他のみんなも以前の記憶を持っており、縄張りで再会するや飛びついてくるワン子を笑顔で抱きとめた。次いでスケベ顔で飛びついてくるガクトを殴り飛ばし、弟分の頭をワシワシと撫でる。  だが……探してみても、そこにあいつは居ない。  かつては居なかった冬馬や準やユキがこの時には既に居て、さらに言えばまゆまゆまでもが既にこの時にこちらに転校してきていた。大所帯だ。  それでも、やはりあいつは居なかった。  京も虐められていたなんて過去が無いかのように振る舞い、訊けば虐めに走る輩は自らで退けてみせたとか。  ……ひとりドイツに行き、あいつが消えたことを知らなかった京がどんな道を歩んだのかを、わたしや他のファミリーは知らない。  クリを取り戻しにリューベックまで乗り込み、最後にそこで合流し、別れてからは接触がないまま、記憶は幻想郷へと飛ばされた。ようするに“普通の世界”にはあいつの記憶が邪魔だから、飛ばされたのだ。  けれど京は覚えていた。  わたしたちが忘れてしまったあいつのことを、ずっと。  わたしたちが知っているのはそれだけであり、どんな道を歩んだのかは知らないのだ。  訊いても“それだけは話せない”と頑なに拒まれ、知ることは出来なかった。 「………」  今日もいつもの日常に身を投じる。  あいつが欠けた日常に。  時が流れてクリが転校してきて、空中でSUMOUをしていたところを見つかることもなく、ただ普通に出会って。  出会った瞬間から大和と恋仲だったことに親父さんが驚愕。  奇声をあげつつ軍に抹殺指令を出したり自らも暴れたりと、随分と騒がしい時間を過ごした。…………過ごしたはずなのに、その日常は物足りなさで溢れていた。 「あーあー、なんつーかこう……締まるんだけど締まらないっつーのかねぇ。なにかが足りないわけよォ。解るかよ、風間ァ」 「なにが足りないかなんて言うまでもねーだろー? 再構築は済んだんだろ? だったら絶対どっかに居る。居るなら探せばいいだけのことだっ!」 「探すってお前、ガッコは」 「単位を捨てて自由を手にした男、風間翔一! リスクを負って自由を楽しむ風が、探し物を見つけられねぇわけがねぇ!」 「あーあ、始まっちまったぜ……んで? キャップー? アテはあんのかよ」 「ない! 無いなら足で探す! 楽しいこと探してりゃあそのうちひょっこり出てくるだろ」 「へっ、ちげーねぇ。だったら俺様もひと肌脱ぐぜ。旅には力が必要だろ? そしてあわよくば旅先で綺麗なおねーさんと……!」 「こういう時くらいそういう考えから離れようよ!」  やがて、いつかドイツへ向かった日へと辿り着く。  京はドイツへの交換留学を蹴り、川神であいつを待ちながら、わたしたちとずぅっと一緒に居た。全員で騒ぐ日々は楽しく、ふと……あいつは最初から居なかったんじゃないかと思ってしまう瞬間がある。  そんな時には、今の溜まり場である廃ビルに行き、リュウゼツランを見ると安心する。  あいつが埋めたマナの種のお陰でずぅっと逞しく咲き誇るそれは、50年に一度という常識も風情もぶち壊して、その場に存在していた。 「最初は、灰ビルになら絶対に居るって思ったんだけどな」 「大和くん、他に心当たりは?」 「そもそも存在している“世界”が違うって可能性がある。元々が天地空間の地界って場所で産まれたヒロだから、川神に居るって可能性は……」 「ううん、居る」 「京……?」 「感じるよ。時々声が聞こえる。何処に居るかまでは解らないけど、“この世界”には間違い無く居る」  京が自分の胸に手を当て、どこか懐かしむように微笑む。  ───かつての世界でドイツへの交換留学を拒絶し、わたしたちやヒロとぶつかったいつかの日、京は自殺した。依存を治すべく、かねてから周囲とも打ち解けるようにと仕込んでいた甲斐もなく、独りで。  ヒロがそれに気づいた時には既に脈は止まっていて、回復なんてどう足掻いても無理で。  あいつは……自分が決めていたルールよりも家族を選び、マナの種を使った。  既にマナの量も少ない状態でそんなことをすれば、どうなるかなんてことは解りきっていただろうに、あいつは家族を選んだ。  結果として助かる筈が無かった京は息を吹き返し、ヒロに散々と怒られ、ゲンコツされ、泣きながら引っぱ叩かれた。わたしたちとも仲直りをし……ドイツ行きを決意。  その頃はまだあいつの中にはマナの種が一つだけ残っていたが……それも、リュウゼツランに使用し、無くなった。 「よっしゃあ! 京レーダーがあれば怖いものはねぇ! 旅に出ようぜぇ!」 「感じるってだけで何処に行けばいいのかも解らないのに!? ちょっとキャップ、落ち着こうよ! そりゃ僕も見つけてあげたいけど!」 「ふふっ、急いてはことを仕損じる、と言いますが……あれは逆の教訓も受け取れるんですよ、師岡くん。動かなければ何も始まりません。ですから、準備をきちんと整えた上で急ぎましょう」 「結局急ぐの!?」  クリ奪還のため、ドイツに乗り込んだ。  クリと大和との仲を認めないと、クリをドイツへと攫ったフランク・フリードリヒからクリを奪い返すための突撃。  ファミリー総員による突撃は実に楽しく、不謹慎ではあるがわたしたちは笑っていた。  だが、川神に戻ってみれば全ては黒く。  いつか叩きのめした不良の手により、燃やされた家と自然。  力で敵わないと知るや、そんな方法で勝ちを得ようとする存在に反吐が出た。  燃え盛る景色の中、あいつはまず通帳などを取りに走った。  自然が燃えた時点で、能力を解放すれば自分が消えることを理解していたのだろう。  そんな時にまで京やユキの未来を優先し、次に走った先にはリュウゼツランの苗。  ひどい火傷を負いながらも丁寧に掘り返したそれを手に、あいつは一緒に居たユキのもとへと駆けた。すぐに離れるぞと声をかけるために。 「………」 「ほら、ユキ。そんなに沈んだ顔は、あなたには似合いませんよ」 「トーマ……」  そんなあいつを迎えたのは戸惑いの表情。  放たれた言葉は……「キミ、だぁれ?」……だった。  その時にあいつが受けた絶望はどれほどのものだったのだろう。  そんな時に辻褄合わせは始まり、燃えている自分が住んでいる家と、あいつが抱えていたリュウゼツランを見て、火をつけたのはあいつなのだと誤解したユキは……あいつを攻撃した。  マナが無ければ何も出来ないと言っていた通り、あいつは状況に苦しみながらも逃げることしか出来なかった。  ユキはただリュウゼツランを守ろうとしただけ。それが解るからこそ、逃げることしか。 「……あんま落ち込むなよ。あいつなら、笑って許してくれる。仕返しのひとつはあるだろうが、それは絶対に楽しい方向での仕返しだ」 「ハゲがいいこと言った。10点」 「いい加減認識をハゲに固定するのやめません!?」  ボロボロになりながら逃れた廃ビルに、あいつはリュウゼツランを埋めた。  そのリュウゼツランも火の熱にやられ、苗としての生命を終わらせようとしていた。  だから、あいつは───自分が消えることも厭わず、最後のマナの種を苗の傍に埋めた。  ……その時点で、そいつはもうカラッポだった。  消えることは確定。  誰からも忘れられ、能力のひとつも使えず。  その時だけは……皮肉な話、ただの人間になれたのだ。 「絶対に見つけだすわ! アタシの耳と直感に懸けて! ……ていうかヒロが笛吹いてくれれば一発なのに」 「あの、それだけ近くに居るなら、博光さんの方から来そうな気もしますけど……」 「それはその通りだな。よし、会えた時のことも考えて、いなり寿司を作っておこう!」 「え……会えなかったら?」 「自分が食べる!」 「それって自分が食べたいだけじゃないの!?」  明けて翌日。  そいつは橋の前で待っていた。  もう消えてしまうのなら、最後の絆を見届けようと。  変態の橋と呼ばれたそこでわたしに挑み、いつか“負けたら後輩らしく振る舞う”と約束したように、殴られる瞬間に……泣きながら笑って。   さようなら。どうかお元気で、モモ先輩───  ……拳に落ちた雫が冷たかった。  気づけば殴ったはずの誰かは消えていて。  どうして拳に冷たさを感じたのかさえ忘れたわたしは、その拳を拭い、いつもの日常に戻った。   ……空を見上げる。  雨らしい雨の降らぬこの川神の地で、最後に降った雨を思いながら。  結局あいつは帰ってこれず、よしんば帰れたとしても、その先に居る風間ファミリーはあいつのことを一切覚えていなくて。  どの道あいつは泣いたんだろうなって思うと、ただただ申し訳なさが走った。  決して忘れぬと胸に刻んでいたはずなのに、そんな誓いさえも忘れて、想いは幻想郷に飛ばされた。 「………」  再会の次に待っていたのは再びの別れ。  次に会えたなら、絶対にあんな顔はさせないと思っていたのに、再会を喜ぶ間もなくあいつの魂は消えた。  だが───……意思は残ってくれた。  その意思と出会うために、わたしたちはもう忘れることもなく、同じ時間を生きている。  この世界のどこかにあいつは居る。  京の中にあるマナの種がユグドラシルと繋がりを持つ限り、もうあいつのことを忘れることもない。だからこそ、京だけがあいつを覚えていたのだから。 「……うん」  やがて来る翌日。  いつもの日常の朝、いつかあいつを殴った日へと辿り着いた。  いつもの通学路、いつもの景色。  そして、いつもの変態の橋の先で─── 「あっ、お姉さまっ、また挑戦者だわ!」 「懲りないねぇ……つーかこの日に挑戦者なんて居たっけかねぇ。ねぇ若?」 「……………………ふふっ……そう、ですね。どうだったでしょうか、大和くん」 「俺はその時自主退学中だよ。クリスと一緒に居たから。……姉さん、知ってる?」 「……ひとりだけ、心当たりがある」  挑戦者と思わしき人影があった。  遠くから見るその姿はとても小さくて、誰だか解るまではもっと近付かなきゃいけないのに…… 「………」  確かな予感があった。  それが確信に変わるより先にわたしは地を蹴り、そいつの傍へと走っていた。  これくらいの距離なんてあっという間なのに、どうしてか長く感じた。  感じただけで、簡単に辿り着いたのだが…… 「川神学園2年F組! 中井出博光! 終わりから始めるために川神百代に勝負を挑む!」  ……その先で、そいつは待っていた。  思わず口を開いて固まった。  でも、ああ、なんだろう。  そういえばって思ったら、もうおかしくて笑っていた。  あいつは言ってたじゃないか。  戻ってこれたなら、消えたその日からまた始めると。 『───』 「……ああ」  追ってやってきていたファミリー全員がわたしを見る。  その場に立ち、腹を抱えて笑っていたわたしの背を押す視線。  ……そうだな。  結局、殴ってまであいつを消してしまったわたしが、一番後悔していたのだ。  挑まれているのはわたし。  ユキにも早く笑顔を取り戻させてやるために、さっさとあの馬鹿を迎えにいこう。 「川神学園3年F組、川神百代だ。時と場所は今ここで。服はこの格好で問題無い」  景色が彩られてゆく。  もはや世界に反逆する必要もなく、再構築された世界が変わって……いや、戻ってゆく。  ───辻褄合わせが始まった。  今度は、あいつが居た世界に戻るために。 「おっと、けどひとつ提案がある。負けたヤツが勝ったヤツの言うことを、なんでもひとつだけ聞くってのはどうだ?」 「ワハハハハ上等! だったら俺は貴様と対等で居ることを願うぜ〜〜〜っ!!」 「───フッ、はははははっ! 奇遇だなっ、わたしも同じ願いだ!!」  叫ぶと同時に笑顔で駆けた。  いつかのSUMOUのように額でぶつかり、弾き飛ばされてなお踏ん張ると、今度は殴り合いが始まる。  能力が無くなったのか、以前のような異常な強さはない。  けれど、57億を生きた体が軟弱なわけがなく。  能力の全てを吸い取られても、肉体のみの強さはいつかのままだった。 「なにが武具が無ければ弱いだ! 十分強いだろお前!」 「しょーがないでしょ実際武具手放すと力がめっちゃ落ちたんだから! 故に知るがいい! これが俺自身! 中井出博光の実力じゃああーーーい!!」 「隙あり!」 「《バゴォ!》ウベィ!?」  だが、ああまったく、おかしなくらいに技術がない。  隙を探せばゴロゴロ見つかる目の前の家族と、じゃれるように殴り合う。  しかしそんな隙まで囮にして相打ち覚悟で襲い掛かるそいつは、殴り合いの最中だっていうのに笑わせてくれるくらいに前のまま。一言で言えば馬鹿のままだった。  そんな馬鹿らしさが嬉しくて、ふと視界が勝手に滲んだ瞬間、目の前のソイツはキェエエと奇声をあげて襲いかかってきた。  ああもう、本当に戦い方がこいつらしい。 「おいこらー! 少しは感傷に浸らせろー!」 「だ、だって仕方が無かった! あの時は負けたから、意地でも勝たなきゃやり直せる気がしないのだ! つーわけで死ねぇええーーーーーっ!!!」 「おぉおおいちょっと待てぇ!? いきなり殺す気でかかってくるのか!?」  いつものノリといつものやりとり。  その先で……やっと届いた。  こいつを忘れてから見てきた景色の全てが、今ようやく塗り替えられた。  辻褄合わせに怯える時間なんてもう来ない。 「はははは! あはははははっ!!」 「いやっ、ちょっ……ギャアアーーーーッ!! たたたたすけてぇええ! ずるい! 瞬間回復ずるい!」 「んん〜? それはもう聞き飽きたって言ったろ〜〜っ? 悔しかったら隙を突いて気絶でもなんでもさせてみろぉ。なんだったら地面に倒したら勝ちってことでもいいぞぉ?」  こんな日常が戻ってきたことが嬉しくて、意地悪が口に出る。  と、そいつはクワッと真剣な顔になると一歩を踏み込んで、 「───好きだぞ」 「ふえっ───!?」  それこそいつか、わたしがそいつに対して使った手を行使した。  まさかそう来るとは思わず、一瞬の動揺に身を硬直させたわたしは、 「M11型デンジャラスアァーーーチィ!!!」 「《ブオドグシャア!!》ふびうっ!?」  がっしとヒロに両腕ごと抱き締められ、ブリッヂとともに地面に叩きつけられていた。  もちろん、顔面から。 「お前は強かったよ。でも、間違った強さだった」 「お、おごごっ……お前なぁあ……!!」  決着はついた。  心に隙を見せた時点で、こいつはそれを盛大に利用することなんて解ってたはずなのに。  けどまあ、そんな負け方だったからこそ笑えて、受け入れてしまった。 「はははっ……は……ああ、まいった。わたしの負けだ」 「……うむ」  見上げればそいつが居た。  ボッコボコの顔に穏やかな笑みを載せ、手を差し伸べてくる。  ……手を伸ばし、手を繋ぐ。 「……もう忘れてやらないからな。覚悟しろ」 「そうしてくれると助かる。あんな思い、もう二度とごめんだ」  新たな誓いをここに。  それが済むと、ファミリーが一気に押し寄せた。  笑顔なのにみんなが泣いている。  それはいつか、こいつが……ヒロがこの場で見せた表情のようで。  だが、そこに悲しみなんて色は一切ない。  肩を組まれて引き寄せられたり頭を叩かれたり、抱きつかれたり泣きつかれたり。  ヒロ自身は京とユキを両腕で抱き締め、みんなの顔を見ると……ただいまという言葉の途中で耐え切れなくなって、泣き出した。 「………」  そんな光景を眩しく思う。  わたしたちが立つこの世界が、ゲームって世界での正史ではなくても、今この瞬間が眩しくてたまらない。  目を細める自分はやはり笑っていて、体の痛みがもう無くなってしまったことに寂しさを覚えながらも、立ち上がってその眩しさの中へと飛び込んだ。  ───ずっとずっと昔に、孤独な少年と約束をした。  少年の過去を聞きだすことで、自分が勝手に誓った約束。  決して忘れぬと心に決めた覚悟が自分にはあった。  他の誰もが不可能でも、自分ならばと信じた。  だが、それは叶えられないままに、大切な記憶とともに幻想に流れてしまった。  不甲斐無さが胸を締め付ける時間が続いた。  あいつが幻想の里へ辿り着くまでの長い時間を、後悔とともに待った。  そしてある日、あいつは辿り着いた。  せっかく取り戻した笑顔を、また貼り付けの笑顔にして。  再構築される景色の中、あいつがどんな世界でどんな時間を過ごしてきたのかを見た。  わたしに殴られ、消えたあいつはユグドラシルの下に居た。  あいつの中の大樹ではない大樹の下。  そこに存在したマナのお陰で生きることを許されたあいつは、ボロボロだった体を癒されながら泣いていた。  子供のように泣きじゃくり、何度も何度もその場に居ないわたしたちに謝った。  「最後まで頑張れなくてごめん」、「諦めないって誓ったのに」と、何度も何度も。  見ているこっちの胸が潰れてしまいそうなほどの懺悔の先に、ヒロは立ち上がった。  まだひとつだけ残っている絆と誓いのために。  忘れられても必ず戻り、同じ場所から始めるのだと、それだけを希望に。  だからマナが必要だった。  見上げた先には、マナを生む大樹ユグドラシル。  その空気と、そこに居るであろう精霊のカタチを目で見たヒロは、したくもない覚悟を決めなきゃいけなかった。  二度と呼ばれることなどない筈だった名を、自ら再び背負わなきゃいけなくなった。  アセリア、という名の歴史の中で、あいつは生きるために……またわたしたちと出会い、始めるためにマナを求めた。  マナを枯渇させる力を持つ魔科学を壊すために、それを使用する人間の敵となり……魔王、と。そう呼ばれた。  それは孤独な生き方だった。  マナとは直接関係のない人が魔物の手によって死んだ時点で、魔王と手を組むことはしないと断じ、だからといって勇者と手を組むこともせず。  そのやり方があまりに一方的だったために、マナそのものを一人で手中に収めんとする存在なのだと認識され、魔王からも人からも亜人からも敵視されることになる。  その一方的なやり方は……ただ、この世界に帰りたかった一心からくるものだった。  誰に理解することが出来るだろう。  何年も孤独に生きて、ようやく感情のままに笑うことの出来た世界を望む心を。  本当に間抜けな話だった。  いつかヒロが目の当たりにした景色がそのままそこにあった。  恋姫の時に知ったその答えがそのままそこに。  敵である者達が真に手を取り合い、協力するとしたらどんな時だ?  そんなもの、自分一人では手に負えない存在が居た時だ。  結果として勇者と魔王は手を組み、孤独な魔王を追い詰め、封印した。  その世界での孤独な魔王の景色はそれで終わった。  魔王は時を待って大いなる実りを得て己の帰るべきへと帰り、人々もまた平和を手にし、それからの日々を穏やかに過ごした。  誰一人、孤独な魔王の心など知ろうともせず。   心の支えは、一年毎に動く映像蓄音機だけ。  誕生日の度に、56億をともにした仲間と一緒に歌った歌と、それまでそいつが生きた歴史の映像が流れるなんていうモノ。それを見るたびに少しだけ笑って、その日が自分の誕生日であったことを思い出す。  映像の中の仲間が、笑顔でHAPPYを歌っていた。  もう触れることの出来ないその景色を見て、笑顔で居るより涙を流す時間が増えていった。  それでも笑顔を忘れるのは嫌だから、そいつは笑った。  次の世界でも孤独なそいつはマナを求める。  次の世界でも、その次の世界でも。  その度に感情は磨り減って、それでも暖かさに触れると……いつか泣きながら話したように、馬鹿みたいにその暖かさを求め、その度に裏切られた。  それでもそいつは笑っていた。  いつか帰れた時に笑顔を忘れていないように、って……笑っていた。  その笑顔がもう貼り付けの笑顔だったことに気づかないままに、ただ……笑っていた。  ……最後に辿り着いた世界で、笑顔の魔王はようやく“知り合い”に会えた。  伊吹萃香。  扉に弾かれた先で初めて会った鬼だった。  ぼろぼろの感情に暖かさが籠もる。  その暖かさに触れたくて、そいつはまた手を伸ばした。  覚えていてくれる人が居ることの喜びを、そいつは生きた歴史の分だけ喜んだんだ。  でも……そうだ。悲しみが消えるのなら、喜びだって消える。  終わりである世界でまでそいつは忘れられ、この世界でならきっと知り合いのままで居られると信じた心までもが踏みにじられた。  ……もう、限界だったんだ。  磨り減った感情は崩れ果てて、そいつはただマナを集める存在になった。  誰も信じない。暖かさなんて要らない。帰ることだけを願い、ただマナを。  そんな日が何日も続いた。  幸いにしてと言えばいいのか、マナは早い段階で溜まった。  ここに来るまでに溜め続けたのがその喜びへと繋がった。  久しぶりに喜びというものを感じたそいつは、自分の中の戒めを破壊した。  もう、二度と忘れられないように。  自分の中の時間もたっぷり戻し、寿命の分だけ生きられる普通の人間になるために。  あとは、その“破壊”が辻褄と同じく自分と、この世界に馴染むのを待つだけだった。  それが終われば、彼は普通の人間になると同時に世界から弾かれて戻れるはずだと信じていた。  けど、と。  帰る前に、一度でも自分を覚えていてくれた鬼に感謝を届けたい。そう思った。  忘れられていてもいい。一方的でも、感謝を届けたかった。  そいつは走った。  能力が使えるほどマナが残ってなくて、使えるとすればドッペルゲンガーを出せる程度。  飛べないのがもどかしいって、久しぶりに……苦笑とはいえ、笑みをこぼした。  近道のつもりで人里を通った。  そして、それは最悪のタイミングで起こった。  大きな地震。  立っていられないほどでもなく、すぐに治まったが……ボロがきていた一つの家屋が鈍い音を立てた。  父親と二人で暮らしていた娘が居た家。  今の時間は父親は仕事で、娘は───と考えた瞬間、そいつは地面を蹴っていた。  よせばいいのに、崩れる家屋の中を駆け、少女を見つけ、さらに駆けた。  天井が落ちてくる。  一瞬迷いが生まれるが、体は止まることを許さなかった。   “俺はお前にだけは嘘はつかん”  脳裏に走った言葉は覚悟のカケラ。  迷うことなく少女を突き飛ばしたそいつは、崩れた天井の下敷きになった。  血を吐いて、骨も内臓もぐしゃぐしゃになって、痛くて苦しくてもがくのに…………視界の先。少女の……短髪で、薄い紫の髪色をした少女の無事を確認した途端、ボロボロの感情のくせに、そいつは笑った。本当に、やさしい顔で……「ああ、よかった……」って笑ったんだ。  けど、さらに崩れる天井が、今度こそそいつを覆った。  そんな状況の中で、そいつは最後の力を振り絞った。  ───気を失っていた少女が最初に見たのは見知らぬ男。  家はもうボロボロで、少女は自分が無事であることに驚きながらも、自分を突き飛ばし、助けてくれた目の前の男に感謝した。  けれどそいつはなにも言わず、手招きをして出口へと導くだけ。  戸惑いながらついていく少女。  それほど広くはない家から出た少女を待っていたのは、騒ぎを聞き付けて帰ってきた父親だった。  彼は少女を抱き締め、泣きながら喜んだ。  少女も泣き付きながら、「あのお兄ちゃんが助けてくれた」と指を指すのだが……その場所に人なんてものはいない。最初から居なかったかのように、ただ崩れた家だけがそこにあった。   ……崩れた家の中で、潰れたそいつの手に籠もっていた光が、静かに色を無くした。   それで、ドッペルゲンガーって存在と……中井出博光って存在の一生は、終わった。  やがて使用者を無くした奇跡は無惨に散り、少女は助けてくれた相手のことも忘れ。  結局、そいつは死んでまで誰にも覚えていてもらえず、それどころか全てに忘れられた状態で閻魔の前に立った。  感情どころか魂までもがぼろぼろ。  願った奇跡も安定する前に崩れてしまったため、なにも救いにならないまま、そいつはその場に立っていた。  光の宿らない目で、ただ審判を待った。  下されたなら、後悔しか残らぬこの胸に最後の覚悟を刻もうと決めていた。  それは、自分の人生が孤独でしかなかったことを受け入れる覚悟。  もう、どれだけ泣いただろう。  どれだけ裏切られただろう。  ……どれだけ、裏切っただろう。  自分の人生は幸せではなかった。  だから、もう終わりを受け入れよう。  永い永い旅だった。  真理なんてくだらないと言い張って、それを証明しようと生きてきた。  必死にもがいて、それでも懸命に楽しいを探し続けて、笑って、泣いて。  永すぎる日々に心が折れそうになるのに、暖かさがあると馬鹿みたいに手を伸ばして。  でも、そんな続きの中で勇気に出会った。  裏切られない勇気と出会うことが、こんなに嬉しいことだなんて初めて知った。  だから帰りたいって思った。心から願い、あの暖かさにもう一度触れられるのなら、どんなことでも出来るって思った。  だから、……だから……  ……心からの思いが、胸に叩きつけられる。  そいつの一生分の思いが、あの日からの想いの全てが、そこにあった。  その間に閻魔が様々を問いかけるが、光の籠もらぬ目をしたそいつは何も喋らない。  ならばと閻魔が浄玻璃の鏡を覗く。  生前の善行の全てを見ることが出来るというそれで、閻魔は何を見たのだろう。  息を飲み、唇を噛み、やがて……震える声で、黒を言い渡した。   そう、必死だったんだ。  帰るためならばとなんでもやった。  マナを集めるためならば、どんな泥も血も浴びた。  感情が潰れた日々の中、善行としてやったことなど目立たない。  私利私欲で動き、結果として善行に繋がったことなど、どれだけ善行と汲まれたのか。  そいつは光の籠もらない目で、どこか遠くを見つめたあと、涙を一粒だけこぼした。  そして腕を持ち上げる。  覚悟を決めるために。  ずっとずっと昔に、祖母から教わった魔法を、最後に唱えるために。  時を待たずして魂としてのカタチすら消えるだろう。  それでも……いや、だからこそ、最後にと。  もう、声も出ない口を動かして、唱えた。   カク ゴ、カン───  ……いや。  唱え終えるよりも、胸をノックするよりも先に、その腕を抱き止める者が居た。  腕に抱き付く格好で、止めた者が居た。  その途端に、止めた者……鬼から流れるものが、そいつの中へと流れ込んだ。  それは様々な世界で忘れられた思い出。  そいつのことを覚えている証。……わたしたちの“想い”ってものだった。   誕生日を前に死んだそいつは、人里で盗みを働こうとした外来人として処分された。  その遺体の傍らに落ちていたあるモノを、村人は神社に届けた。  用途も解らない巫女はすぐに興味を無くし、しかし遺物だからと処分方法を考える間、テーブルに無造作に置いていた。  ……“それ”が起こったのはその翌日。  遺物を珍しそうに見やりながら酒を飲んでいた鬼が、“それ”を見た。  遺物から出た映像の中で、たくさんの人間が楽しそうに歌っていた。  その歌とともに映像が流れ、それが一人の男の人生そのものであることを知る。  違和感を感じたのは、映像に自分が現れてから。  それからのそいつの進む道は、悲しみと忘却に溢れていた。  どれだけの道を歩めばこいつは許されるのかと思ってしまうくらい、寂しい人生だった。  そんなヤツが眩しさを見つけて、そこへ戻るためならばと鬼になった。  鬼は裏切られ続けても、暖かさを見つければ人を信じ、また裏切られた。  魔王と呼ばれたその鬼はこの世界でもう一度“友達”と出会い、笑った。  それなのにその友達にも忘れられ、友達は忘れたことさえ忘れ───今、映像を見ることで思い出した。思い出せばじっとなどしていられない。鬼は家屋を破壊する勢いで外へと飛び出て、今行かなければ間に合わない場へと急いだ。辿り着くまでに通る道にある問題の全てを後回しにする勢いで。   ……やがて辿り着いたその先で、萃まれ、萃まれと涙声で唱えていた。  自分たちが忘れてしまった思い出を、孤独な少年に届けるために、鬼が泣いていた。  覚悟をノックで刻む腕を抱き締める力は、嗚咽の所為で役に立たない。  それでも、もはやそんな力にさえ抗うカタチも残していないそいつの魂は、ひどくゆっくりと、機械的な動きで鬼を見下ろした。  鬼もまた少年を見つめ、嗚咽混じりの声で何度も謝る。  覚えていてやれなくてごめん。死なせてしまってごめん。  言葉にしながらも、想いが萃まれば奇跡を起こせると信じて、幻想の里にあるであろう中井出博光に関する全ての想いを必死で萃めた。  でも……抱き留めていた腕が粒子になり、鬼は床に倒れた。  慌てて体を起こし、見上げるその姿はもう消えかけていて。  嗚咽でいっぱいの声を震わせ、手を伸ばして謝ろうとした鬼を、そいつは泣き顔で迎えた。聞こえるはずもない声を、萃まった想いが響かせることで、届いた言葉。  そいつは子供みたいな泣き顔で、心を搾るように言った。   死んでまで、独りぼっちかと思った……と。  芽生えた感情を幼い頃に壊してしまい、生きる中で勇気と出会い、少年のままの感情をもう一度手に入れた少年。  子供のままに無邪気に笑ったり怒ったり、いつでも感情をストレートに出すヤツだった。  そんな子供な感情は、帰る場所に帰るためにまた壊れてしまって。  けど……今。  想いに迎えられて、消えてしまう前にもう一度目を覚ましてくれた感情は、これまでの辛さの分、ちょっとだけ大人になったようだった。  辛くても笑うのが大人じゃなくて。  本当に辛かったからこそ、その時だけ本気で泣けるのが大人なのだと。  そうしてそいつの体は静かに輝き……想いの粒子に包まれながら、やがて消えた。  天国にも地獄にも行くことなく、消滅したのだ。  最後に、泣き笑いなんて顔で“きっと幸せだった”なんて言葉を残して。  想いが届けた暖かさは、あいつにとっての“送る言葉”となってくれただろうか。  届けた言葉の全てが鎮魂歌のような役割にしかならなかったのなら、それは寂しいことだと思う。全てはあいつの受け取り方次第。泣き笑いだろうと、笑ってくれたことを喜ぶべきだろうか。  ……それを今度、気が向いたら……訊いてみようと思っている。   ───眩しさの中に居る。   先に居るのは、少しだけ大人の顔が出来るようになった、感情がまだまだ未熟な家族。   その周りには気心知れた他人同士な家族が居て、それぞれが笑っている。   その中に居ることを嬉しいと感じる。   きっと、この場に居る全員がそう感じている。   京が受け取った赤い雨は、ヒロのお仲間さんらが一部をかっさらっていった。   全員で分ければ多少の赤なんざ余裕YO! なんて言って笑っていた。   それはそれでずっこいぞーなんて言って、結局風間ファミリーも赤を受け入れて。   けど、どうしてだろうなぁ。   時折に景色に赤が混ざっても、それが嬉しいって思えるんだ。   映像を見ても、一緒に歩いてやることくらいしか出来なかった。   今は、その辛さの一端を持って、一緒に歩いていられている。   そんな些細が、こんなにも胸に暖かい。     仲間の間で笑みが弾けた。   ようやくユキも笑顔を取り戻して、ヒロの腕に抱き付いている。   もう片方の腕は……もうずっと、京が占領している。   崩れる天井から助けた少女に、ヒロが誰を重ねたのかなんてのは言うだけヤボだ。   どれだけ心を崩しても、こいつにとっての風間ファミリーは掛け替えの無い光だった。   ただそれだけのことだったんだ。    これからどうすんだー? とハゲが言う。   どうする? そんなものは───   みんながそれぞれの顔を見た。   ニカッと笑うと、全員がニカッと笑う。   退屈な日常にはさよならだ。   退屈じゃなくすためにはなにをしたらいいだろう。   鍛錬でもしようか? 勝負でもしようか?   いいや、それよりももっと単純なことをしよう。   笑う門には福来たる。落ち込む門には福を引っ張り込む。   57億生きた分だけ世界の色を蓄えた“この世界”はいわゆる画板だ。   わたしたちは絵の具となって、様々な色を描ける。   わたしたちとしてでも、絵の具を合わせて別の色になることだって出来るだろう。   ずっとずっとそうやって、退屈ならば退屈凌ぎを迎えに行こう。   もっと簡単に言うのなら─── 「まず何処に行こっかね。京はどこがいい?」 「結婚しにそこらのホテルへ。そして熱い初夜を越えて、新婚旅行へ《ポッ》」 「家族で」 「だから結婚をしようと言っている。私も幸せ。博光も幸せ。10点」 「そういう意味の家族じゃなくてね!? つーか予約も無しに結婚のためにホテル借りられるもんですか! 辻結婚式なんて聞いたことないよ!」 「たとえそれが人類初でも構わない。女には立たなきゃならない時があるんだッッ!!」 「カッコよく言ってもだめだよ!?」   ───探しに行こうか。   “楽しい”ってヤツを、家族全員で。                                    〜Fin〜 Back