───追想(ついそう)───
翌日。 一番に目が醒めた俺が見たものは、 電池の切れたビデオカメラを囲んで熟睡している班の連中の姿だった。 ……ああは……なるまい。 彰利 「う……むむ……む……むおお……」 次いで、彰利がわざとらしく起きる。 彰利 「……やあ、ダーリン。昨日は最高だったぜ?もう鼻血の嵐さ」 悠介 「報告してないで鼻周りにこびりついた鼻血を拭け」 彰利 「え?うおっ!あらヤだ!」 慌ててバッグからウェットティッシュを取り出して優雅に払拭する彰利。 彰利 「……うん、なんていい朝ザマしょ」 俺からすれば、奇妙意外のなにものでもなかった。 彰利 「さあ、昨日のあの胸高鳴るワンシーンをもう一度」 悠介 「胸高鳴るもなにも、中井出が持ってたビデオなんだろ?」 彰利 「あれっ!?バレてんの!?……むう、これは困った。     でもいい。ひとまずはビデオカメラだ」 彰利がキョロキョロと辺りを見渡す。 彰利 「え……っ?あ、あれ……っ?おかしいな……っ。あれ……っ?あれ……っ?」 段々と冷静さを失ってきた彼に、それか?と指差してやる。 なんのことはない、ビデオカメラだ。 彰利 「キャア!これよこれ!ウヒョオ!     って、なんでバッテリー切れとんのですか!?」 悠介 「…………」 俺は溜め息を吐きながら、至福の表情で眠っている男どもを指差した。 彰利 「…………ひ、ひでぇ……!あんまりだ……ッ!」 彼は本気で泣きそうな声で言った。 彰利 「充電器具も予備バッテリーも、それを買う金も無いのに……」 悠介 「電池じゃ動かないのか?」 彰利 「持ってないし買う金もない……」 悠介 「諦めろ」 彰利 「ダーリン。お金貸して?」 悠介 「邪な物事に使う金なんて持ち合わせちゃいないんでね。諦めろ」 彰利 「そんなぁ!俺とお前の仲じゃないか!な!?頼むよ!」 悠介 「あのな、お前はいつからそこまで堕ちたんだ」 彰利 「旅行という文字が俺の心を開放的に」 悠介 「お前が悪いわけだな。反省しろ」 彰利 「したらくれる?」 悠介 「最初っからする気もないくせに心にも無いことを言うな」 彰利 「ぐっ……返す言葉もねぇ……」 悠介 「ほら、そろそろ起床時刻だろ。こいつら起こそう」 彰利 「あ、あのさぁダーリン。キミにも見せてあげるから」 ゴスッ! 彰利 「キャア!」 悠介 「あのな、何度も言うようだけどそんなもんには興味がないの。     それこそ寝言だ。夢の中で語れ馬鹿者」 彰利 「……ダ、ダーリンにそっちのケがあったなん」 ガゴン! 彰利 「ごおあっ!ダ、ダーリンが頭突きを!?」 悠介 「お前はどうしてそう人の揚げ足を取るんだ!ええ!?     しまいにゃ俺だって本気で怒るぞアホゥ!」 彰利 「イヤアアア!怒らないで!俺が悪かった!     ダーリンに嫌われたらアタイ、生きていけない!」 悠介 「それは大袈裟だ」 彰利 「そうでもないんだが」 悠介 「ほら、この話はもう終わりにしよう。こいつら起こすの手伝ってくれ」 彰利 「御意に」 ようやく落ち着いた彰利とともに中井出達を起こすことにした。 ……訊くところによると、彼らは寝たばかりらしい。 その言葉を聞いた彰利が『俺の青春を返してぇえっ!』と泣き叫んで教師に怒られ、 そこまでしてようやく、朝と呼べる朝は訪れたのだった。 悠介 「今更見物するものもないお陰か、やることも無いな」 彰利 「まったくだな。思わず愚痴がこぼれてしまう」 俺と彰利は何気なく腐っていた。 班行動だったにも関わらずふたりでさっさと抜け出していた。 彰利 「なにかこう、新鮮な面白いことでもあれば最高なんだが」 彰利が『ンー』、と唸ってみせた。 なにか考え事をしているらしいが、どうせロクでもないことに違いない。 俺は俺で遠くの景色を眺めては木刀を軽く振ったりして呆けていた。 彰利 「なあ悠介」 悠介 「うん?」 彰利 「いっそのことさ、日余に告白してみたらどうだ?」 悠介 「じつはお話聞いていました。俺と付き合ってくださいって?」 彰利 「ぐおっ……それはイカン。ていうか嫌なら嫌って言ってくれダーリン」 悠介 「俺はそういうのは苦手だし、今は彼女が欲しいとも思わないんだって。     誰とも結婚しないで死ぬならそれもいいだろうって思ってるほどだ」 彰利 「あんら〜……寂しい思いを抱いてるのねぇ。     そんなこっちゃ、プリマドンナにはなれなくてよ悠介サン」 悠介 「……なりたくないって」 彰利 「まったくだ」 緩い溜め息を吐いて、彰利が歩きだした。 俺もなんとなくそれに習う。 彰利 「朝ご飯は相変わらず冷えてたし美味しくなかったし。     旅行とはいえ、これで金払うのは馬鹿馬鹿しいとワタシは思うのだがね。     ここに来て美しき京都美人が居るわけでもなし、会えるわけでもなし。     俺はむしろ、江戸時代にタイムスリップしてみたい。……つーか、したけど。     そこで越後屋を営んでみたいとか」 悠介 「つまり懲悪されたいと」 彰利 「違うチッガァアアアウ!     俺は『越後屋』というものの見方を変えてやりたいのよ!」 悠介 「越後屋っていったら悪徳商売人しか思い浮かばないんだが」 彰利 「だからね?その第一印象みたいな先入観を打ち消したいのよあたしゃあ」 悠介 「つまり、いい店に見せたいと」 彰利 「見せたいんじゃなくて、するのよダーリン!」 …………いい店ねぇ。 彰利が営んでいるいい店……越後屋…………うーむ……。 悠介 「……お前じゃ無理だ」 彰利 「ええっ!?なんでYO!」 悠介 「笑いに走って悪行重ねて現行犯逮捕になるのがオチだ」 彰利 「ワーオ!現代チックな捕り物帳!って俺を馬鹿におしでないよ!?」 悠介 「落ち着け」 彰利 「これが落ち着いておられようか!むしろ愛してる!ダーリンが好き!」 悠介 「話に脈絡を持て!訳が解らんだろうが!」 彰利 「任せろ。えーと、つまりだね。ここじゃあもう目立つから旅に出よう」 悠介 「え?」 見れば、俺と彰利を囲むように人だかりが出来ていた。 彰利 「やー!どうもどうも!とんだサブいお話をしてしまいました!     今すぐ去りますんで、どうかお気になさらずーーーっ!!」 俺と彰利は人込みを縫うようにして逃走した。 彰利 「んもうダーリンらしくない!どうしてすぐに気づかなかったのYO!」 悠介 「俺に言うな!お前だってさっさと気づいてればよかったんじゃないのか!?」 彰利 「キャア!耳が痛いどころか腹が痛ェ!     さっき食った団子がいけなかったのかしら!」 悠介 「団子?団子なんてあったか?」 彰利 「さっきそこの店で硼酸(ほうさん)団子が」 悠介 「アホーーーッ!!さっさと吐け馬鹿!」 ドボッ!ドボォッ! 彰利 「ゲラハッ!ベラハッ!ギャアアア!ボディブロゥはやめて!」 悠介 「そんな悠長なこと言ってる場合か!ホラ吐け!吐けってのこの野郎!」 ドボォ!ぐぼぉっ! 彰利 「ゴッフ!グォウェ!ゲウェ!ま、ま───」 ドスガスベキボキガンガンガン! 彰利 「ギャアアアア!!待って!おっとどっこい過去!     じゃなくてちょっと待って悠介!今、腹以外にもなにやら理不尽な攻撃が」 悠介 「アホゥ!そんなこと言ってる暇があったら喉に手を突っ込んででも吐け!     それともなにか!?冗談でしたで済ませるつもりか!?」 彰利 「───」 あ、すげぇバツの悪そうな顔した。 悠介 「よーしよしよし、そうかそうか、殴らせろこの野郎!!」 彰利 「イヤァアア許して!ほんの出来心だったの!     ちょっと困らせてみたかっただけなのよ!許して兄ちゃん!許してぇえっ!」 ドチュッ! 彰利 「ギャーッ!」 俺が放ったサミングが彰利の瞳を捉えた。 悠介 「許さん」 彰利 「えぇ!?サミングやっといて許してくれないの!?     ヒドイじゃない!あんまりじゃない!」 悠介 「あー!だまらっしゃい!……いいか、あんまり心配させるようなことするなよ。     俺だってな、こういう時くらい羽を伸ばしたいんだ、あんまり疲れさせるな」 彰利 「ダーリンが勝手に騒いでるだけのような───なんでもないです」 悠介 「もういい。俺は適当に回るから付いてくるなよ」 彰利 「ええ!?それはだめだ!むしろ愛します!一生何処へでも付いていきます!」 悠介 「帰れ」 彰利 「帰還命令!?こっからどうやって帰れっていうのダーリソ!」 悠介 「自分の足を信じろ」 彰利 「───人体の限界って知ってる?」 悠介 「お前に関しては知らんな」 彰利 「そんな!俺だって人間ぞ!?     立派なヒューマンぞ!?ファイヤープロレスリング作れそうだぞ!?」 悠介 「あーもう訳の解らんこと言いながら付いてくるなったら」 彰利 「言わなかったら認めてくれる?」 悠介 「断固拒否する」 彰利 「そんな〜」 ブツブツ言いながら付いてくる時点で、 何をどう言ったって付いてくることくらい解っている。 彰利 「……お?」 ふと唐突に、彰利が声調を変えて呟いた。 なにか、と思って見てみると。 子供 「おかあさん、鳥さんがいないよ……」 母  「そうね、みんなどこか行っちゃったのかしらね」 そんな風に残念がる子供と、それを穏やかに宥める母。 …………ふと。 羨ましいと感じてしまうのはどうしてなんだろうか───。 彰利 「悠介?」 悠介 「え?あ、ああ……」 彰利に声をかけられて、自分がぼ〜っとしていたことに気づいた。 悠介 「……よし」 ただ何がどうとか、そんなことは理由じゃない。 本当になんとなく、俺は子供の傍に寄って、話し掛けた。 悠介 「案ずるな少年。お兄さんが鳥さんを見せてあげよう」 子供 「え?ほんと?」 子供は純粋にわくわくしながら、希望の色を混ぜた瞳で俺を見上げた。 子供の母親は当然、訝しげに俺を見る。 まあそんなことは問題じゃない。 悠介 「彰利、穴」 彰利 「えーと、シルクハットでいいか?」 悠介 「───どうしてそんなもん持ち歩いてるんだ」 彰利 「俺のイタリア紳士としての趣味だ」 ───あ、そう……。 何はともあれ、俺は彰利からシルクハットを受け取り、構えた。 彰利 「さーお立会い!今からこの少年がこのなんの変哲もないシルクハットから!     なんの……なんの変哲も……」 自分の言った言葉に傷ついてる。 彰利 「あーもう!とにかくハトを出します!どうぞ!固唾を飲んで見守りのほどを!」 その場に居た人達が、ざわ……とどよめく。 彰利 「ぬう、まるで賭博破戒録。じゃ、悠介、準備はいいか?」 悠介 「これに準備なんているか」 彰利 「そりゃそうだ。いくぞ。ワン!ツー!スリー!!」 悠介 「ハトが出ます!」 ポムッ! バササササ……! シルクハットからハトが飛び出し、子供の肩に留まる。 その場に居た人達が『おぉーーーっ!』と拍手をくれる。 子供 「わぁ……っ!」 子供も大喜びだ。 子供 「ねぇおにいちゃん!もっと出して!」 母  「こ、こら!無理言わないの!」 悠介 「ははっ、お安いご用だ!」 彰利 「じゃあこの際だ!特別サービス!これぞ究極のマジックだぁ!     こんな小さいシルクハットから!小さい……ちいさ……」 悠介 「それはもういいって!」 彰利 「小さいシルクハットから!ハトが10羽も出ます!」 その言葉にやはり辺りがどよめく。 聞こえてくる声は『隠せるとしても1羽が限度だろ……』とか、 『そんなこと出来るのかよ……』とか、そんな言葉ばかり。 彰利 「……出来るか?」 悠介 「お前の言葉を借りるなら、『任せろ』ってところか」 彰利 「へっ、いい返事じゃねぇの。     じゃ、いくぞ!さあ!目を凝らしてとくと数えよ!ハトが出まぁああす!!」 悠介 「ハトが出ます!ハトが出ます!ハトが出ます!ハトが出ます!ハトが出ます!」 ポムポムと次から次へと飛び立つハト。 それが子供を囲んでゆっくりと降り立つ。 悠介 「ハトが出ます!ハトが出ます!ハトが出ます!ハトが出ます!ハトが出ます!」 最後1羽を出すまでずっと、周りは知らず知らずに唸っていた。 そして最後の1羽が子供の頭の上に降り立った瞬間。 通行人『おぉおおおおおおっ!!』 わざわざ見ていてくれた人達は拍手とともに叫んでいた。 彰利 「ヤー!どーもどーも!たくさんの拍手!ありがとうございます!」 それに何故か彰利が手を広げて応える。 子供 「すごいすごい!どうやって出してるの!?」 悠介 「うん?これかい?これはね、お兄さんにしか出来ない魔法なんだ」 子供 「まほう?」 悠介 「そう。タネも仕掛けもない魔法だ。     いつか大人になった時、手品の練習でもしてみるといい」 子供 「ぼくに……できるかな」 自信無くしょげ返る目の前の子供。 そんな少年の頭に手を乗せた。 悠介 「出来ないと思った時点でなにも出来なくなるんだ。     やりたいならガンバレ。そして、自分の夢を貫いてみろ」 子供 「……よくわかんない」 悠介 「……はは、それでいいんだよ」 最後にくしゃっ、と頭を撫でて、俺は立ちあがる。 悠介 「彰利───って」 通行人『わぁああーーーっしょい!!わぁああーーーっしょい!!』 彰利 「ありがとう!ありがとう!!」 そろそろ行こうかと思って彰利が居た場所に振り向いたら、 何故か彰利が胴上げされていた。 悠介 「……つくづく訳の解らん奴め……」 悪態のひとつでもつこうかと思ったが、さすがに子供の前ではする気も起きない。 悠介 「いいかい?ハトはキミに懐いてる。でもハトにも自分の人生があるんだ。     だから、帰る時になったら『森へお帰り』って言うんだよ」 子供 「もりへ……?」 悠介 「それが、キミに出来るキミだけの呪文だ。     それを唱えれば、このハト達も帰るから」 子供 「……うん」 ……目の前の少年は素直に頷く。 しかし母親はやっぱり俺を厄介者のように睨んでいる。 悠介 「それじゃあな。お母さんと仲良くな」 子供 「うん、ぼくおかあさん大好きだもん」 悠介 「………うん、そうだな」 俺は少年の言葉に笑顔で頷き、その場をあとにする。 彰利は人々にキャッチされ損ねて地面に激突している状態でノビていた。 それを引きずって、俺は班と合流するために歩き出した。 最後に聞こえた、少年の『ありがとう』がやけに心に暖かかった。 ……………… ………… ───。 再びバスの中に居る。 バスは帰路を流れ、景色を見送らせる。 そんな中、やっぱり隣りの席に居る彰利がマイクを持って叫んでいた。 彰利 《オラこんな村ァ〜やだ〜い!オラこんな村ァ〜やだーっ!》 どこかで聞いた歌を搾り出すように歌って───いや、やっぱり叫んでいる。 マイクで倍化される彰利のバカデカイ声は、それはもう聞くに耐えないデカさだった。 運転手「よっ!兄ちゃん世界一!」 彰利 《あーりがとぉおおおう!!》 そして俺に向き直り、 『俺!今とっても輝いてる!』と顔を輝かせるのであった。 彰利 「中井出!ヘイパース!」 彰利は眠っていた中井出にマイクを放る。 ゴコッ!という音がマイクを通して響き、中井出が頭を押さえながら起きる。 中井出「……お得でっせ……」 そしてなにやら訳のわからんことを呟いて眠りに入った。 彰利 「あー……藍田、代わりに歌ってくれ」 藍田 「俺?いや、べつにいいけど」 彰利 「ぃよーし!それじゃあいっちょいきますか!演歌だ演歌ー!」 藍田 「演歌なんか知らんぞ!?」 彰利 「なにぃ!?歌え!」 藍田 「無理だって!」 そんなやかましい中、俺も中井出に習って寝ることにした。 ……こうして、面倒でしかなかった修学旅行は終わりを告げた。 途中、彰利が俺を起こしてギャースカ喚いていたが、それももう馴れてきた。 俺は苦笑しながらマイクを受け取ると、康彦さんが好きだった演歌を歌った。 聞いていた主が居なくなった今、 ただ埃をかぶるだけだったカセットテープを再生して憶えたものだ。 言ってしまえばべつにこの歌が好きなわけでもない。 でも、これを歌っている時の康彦さんの顔は……とても、好きだった───。 歌い終わると彰利や運転手さんが『よっ、日本一!』と叫ぶ。 だっていうのに俺は、ただあの笑顔を思い出して感傷に浸っていた。 自分でも解るくらいの作り笑いをしてマイク彰利に渡す。 彰利はただ訝しげな顔をしただけで、何も訊こうとはしなかった。 そんな悪友に小さく謝り、そして感謝した。 ……時間は普通に過ぎてゆく。 俺は寝るわけでも騒ぐわけでもなく、その喧噪に包まれながら、景色を眺めていた。 それはどういう心境なのか。 日余さんの言葉を聞いたから、というのもあったかもしれない。 自分の中で、『どれだけ親しくしていても、自分は溶け込めていないんじゃないか』。 そんなことを呟くもうひとりの自分が居た。 穏やかな時間。 自分の周りはこんなにも穏やかで、楽しくて、嬉しくて。 時間が経つことすら忘れて笑っていられる自分すらも忘れている自分が自然に感じた。 それは『自分の中の自然』と唱えてしまってよかった筈だ。 ……よかった、筈なのに。 ───ふと気付くと、自分はひとりぼっちだった。 楽しんでいる自分の中に、それを冷たい目で眺めているだけの自分が居る。 その自分は自分から手を伸ばそうとしないで、 ただ何を呟くわけでもなくその喧噪の輪を見ているだけだった。 それが、時々自分を酷く冷静にさせてしまう。 ───こいつらは俺の何を知っている? それは幸せだった。 幸せだと思っていただけなんだとしても、思っている間は確かに幸せだったんだ。 ───こいつらは俺のことを解ったつもりでいるだけだろう? そうさ、幸せだったんだ。 今まで辛かったんだ。 知人の居ない世界に引き取られて、その人達は死んでしまって。 ぼくは貰われた子供だった。 本当の子供じゃない。 そうじゃないのに、どうしてぼくに相続権なんてものを……! ───こいつらは俺の何も知らない。 幸せ、だったんだ……。 相続権を受け取らざるをえなかったぼくが受けた仕打ちは、ひどいものだった。 晦に関係のある人達がことあるごとにぼくのことを罵倒しに来た。 とても怖かった。 殴られたりもした。 お腹がアザだらけになって、息を大きく吸うだけで痛かった。 ───こいつらは、何も知らない。……だって─── ……幸せはもう、過去形にすぎなかった。 やがて財産なんてどうでもよくなってきた家系の知り合い達は、ただぼくを殴った。 法律上で決まったことを覆すことは出来ない。 だったら憂さ晴らしさえ出来ればどうでもいい。 そんな声が、ぼくを殴る人達の顔を見ると聞こえてくるんだ。 ───だって、ぼくが……心を開かなかったから─── ただ、幸せな時間を望んでいた。 殴られる度に心の中の何かが揺さぶられて、 前にもこんなことがあったような気がしたって思うようになって。 やがて、ぼくの両親もこうしてぼくを殴っていた、なんてことを思い出した。 とても怖くて。 だけど泣く暇もなく殴られて。 やがてぼくが動けなくなるまで、その人達の行動は続いた。 そうしてその人達が居なくなってようやく。 ぼくは泣くことが許された。 嗚咽ですら痛みに変わっていて、大声で泣くことさえも出来なくて。 でも、そんなになっても…… ぼくは、妹達がこんな目に遭わなくてよかったと……心のどこかで安心していた。 …………関係者が来なくなったのはいつ頃だっただろうか。 ようやくアザが消えかけていた頃、警察が来てぼくに話し掛けてきた。 わけがわからなかったけど、ただ訊かれたことを正直に話した。 そのあとからだろうか。 晦の関係者が姿を見せることは無くなっていた。 誰が通報したのかなんて解らない。 ただそれから、彰利と会う機会が増えた。 ただ、それだけ。 ───もしかしたら。 そう考えたことはあっても、訊いてみようという気にはならなかった。 人に関わるとああやって裏切られるんじゃないか。 そう思うと怖かった。 最初はやさしかったんだ、関係者のみんなは。 どこにでも居るようなやさしい穏やかなおじさん達だった。 それなのに、ひとつのことが絡んだだけで、ぼくを平気で殴った。 この世界にあって、人間というものより怖いものなんて無いんじゃないか。 そう思い始めたのもこの頃からだった。 ……やがてぼくらは成長する。 『ぼく』が『俺』になるまでの間、自分はたくさんの人に出会って、泣いて、笑って。 どれだけ一緒の時間を過ごしたのちに、さよならも告げずに別れるのだろう。 いつかまた、という言葉も希薄でしかなくて、 きっとすれ違ったところで気づきもしない。 そんなものは果たして───友情と呼べたのだろうか。 いつしか人の顔も見ることは無くなって、 偶然見えたどこにでもあるその表情が、自分の知らないものだと気づいた時。 きっと自分は、その人の友達である資格すらもないのだろうと。 ただそうして、大声で泣いた過去が……あった、気がする……。 ……………… ………… …… 声  「ハァハァ……ダーリンの寝顔ってば最強……」 そんな奇妙な声で、バチィ!と意識が覚醒した。 目を開ければ、気色の悪いほどに唇を突き出して『ん〜……♪』とか唸っている彰利が 悠介 「やめろこの馬鹿野郎ーーーっ!!」 ドゴォッ! 彰利 「ムチュウ!?」 状況確認が終わる前に思いきり殴った。 彰利 「サ、サギだーっ!王子様のキスを受ける前に目覚めやがって!     てめぇ一体どこのお姫様だこんちくしょう!!」 悠介 「てめぇ一体俺のどこを見てお姫様だとほざきやがる!」 彰利 「アナタの柔らかそうなク・チ・ビ・ル♪」 ブチリ。 その一言で俺の何かが弾けた。 いや、それは一種の防衛本能と呼ぶべきか。 神経が悪寒を感じとって、ゾクゾクする何かが体中を駆け巡った時。 悠介 「───ガァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」 彰利 「え?あ、ダーリ」 ドバァン!!ドゴベゴバキゴキガンガンガン!!! 彰利 「ブボォッ!?ギャブボッ!ゴブボッ!     キャーッ!ダーリンがキレた!     助けて!助けてーッ!!見守ってないで助けてみんなーっ!」 なんというか、意識がぶっ飛んだ。 やがてゼイゼイと息を荒げていることに気づいた頃、彰利がピクピクと蠢いていた。 そして『フフ……ダーリンの熱き思い、確かに肌で感じたゼ……』とか言って、 ガクリと死亡───もとい、気絶した。 悠介 「………」 そんな中、むしろ俺が一番唖然としていた。 …………うーむ、これが防衛本能というものか。 自分にもこんな、キレる瞬間なんてものが存在するのか。 ……結局、自分が一番自分のことを『知ったつもり』なのかもしれないな。 ───それでも…… 多分、日余さんの言った通りだ。 俺はきっと、自分から人を遠ざけるようになるだろう。 でも、それは今じゃない。 俺はなんだかんだいって、ここに居るみんなが好きだ。 だから、そんなことは出来やしない。 するなら───………… 悠介 「……まいったな、全部……日余さんの言う通りだ」 するなら、中学を卒業する時に、みんなと別れてからだ───。 悠介 「………」 俺は頭を掻いて、その理不尽に見透かされた未来を思った。 が、すぐに頭を振ると、その考えを忘れようとした。 今はまだいい。 せめて、こいつらと一緒に居る時くらいは……。 そう思って、彰利の手からマイクを─── 彰利 「アイヤー!タオチェイ!」 ───取ろうとしたら、彰利が目覚めた。 丁度いい、こいつと一緒に歌ってしまおう。 悠介 「よし!歌うぞ彰利!」 彰利 「え?お、おう!」 俺はもうひとつのマイクを中井出に要求して投げてもらう。 そして、みんなで叫ぶように歌える歌を選び、精一杯騒いだ。 まるでスポーツをするように汗をかきながら、俺と彰利は歌った。 それに呼応するようにみんなが声高らかに歌ってくれることが嬉しかった。 全てのわだかまりを拭い去るように。 そして、こいつらと騒げる最高の時を楽しむように。 今すぐに別れるわけでもないのに、まるで別れを告げるかのように俺は歌った。 きっとこれが、こいつらと一緒に居る時に体感することの出来る─── 最後の、そして最大の時間だと思ったから。 悔いなんて残さないように。 ……途中、彰利が俺の顔を見て今まで見せたことのないような顔で笑った。 まるで慰めるかのように。 不思議に感じるよりも、何故だかその行為がとても嬉しかった。 そんな時に思った。 きっと───こいつとの腐れ縁は俺が切ったところで、 こいつが勝手に繋いで修復してしまうに違いないと。 だったら。 だったら……友達と呼べるものはひとりでいい。 そしてこいつは、他の誰よりも俺のことを知っている。 それならば俺にとってこいつほど『友達』と呼べる奴は居ないに違いない。 歌の合間のBGM。 みんなが騒いでいる中、俺は彰利に話し掛けた。 ───もし、俺がお前との縁を本当に切ったらどうする? そんな、自分でも緊張してしまう質問に対して、 まるでその質問が来るのを解っているかのように彰利は笑って言った。 ───セメダインでくっつける。 真顔でそんなことを言うもんだから、不意をつかれたように俺は噴き出した。 そんな俺を見て、彰利は満足そうに笑う。 お前が俺を避けても嫌っても、俺がお前を嫌いにならない限りは俺はお前の友達だ。 そう言って、より一層笑う彰利を前に───いや、その言葉に。 俺は心から嬉しいという気分を体感した。 本当に、不意をくらった。 ……そう、涙がこぼれるのを食い止められなかったほどに。 そこでまた、俺は笑うのだ。 セメダインで泣いた男なんて俺だけだろう、と。 やがて始まる歌への流れ。 その盛り上がりを促すようにBGMが高鳴る。 俺はマイクを強く握り、やがて歌い出した。 笑いながら。 腹が痛くなるほど笑った。 自分で抑えられないほどの何かが自分の中で弾けて、とても───そう、幸せだった。 おかしなものだ。 確認する機会なんていくらでもあった。 自分で納得して頷くことなんて何回もした。 それなのに、相手に言われて初めて、 自分が本当に友達であることに自信が持てるなんて。 それがたまらなくおかしくて、俺は笑った。 ───ああ、これが幸せってものか。 こんな些細なことが。 もちろんそんなものの見解や意識は人それぞれだ。 だったら、文句を言われる筋合いもなく……これが幸せなら、いつまでも笑えばいい。 だから俺は今日という日をずっと忘れない。 忘れない限り、俺は幸せの感覚を憶えていられるかもしれない。 彰利 「高らかに叫べぇええええっ!!」 彰利の言葉とともに、俺を含める全員が思いっきり叫ぶ。 喉が潰れるかと思うほど、声が掠れたって搾り出して叫んだ。 それなのにそのあと笑っていられるのだから、人間の身体は中々に丈夫らしい。 普段なら咎める先生も一緒に笑っている。 楽しい瞬間に『注意』なんてものはヤボだ。 ……やがて、ゆっくりと見馴れた景色が訪れる。 これからここで、俺がどんな生き方をするのか。 ハッキリ言って……それは解らない。 けれどもそれは解らないからこそ楽しいものなんだと確信出来る。 なんの感情も表さない人形じゃないことを、むしろ喜ぶべきだ。 だったら。 人形じゃない自分は何をするべきなのか。 ……簡単だ、ただ歩けばいい。 自分の考え通りに足掻いてみればいい。 それがたとえ最悪の結果になってしまったとしても胸を張れるように───。 うっすらと、意識が覚醒した。 目に移る景色は相変わらず綺麗で、 こちらの心内など知るものではないと唱えるかのように朱く澄んでいる。 今更こんな夢を見るだなんてどうかしている。 溜め息を吐きながら立ち上がる。 自然の音に囲まれながら、ゆっくりと歩き、やがてその場をあとにする。 もう、こんな日常をどれだけ繰り返したか。 自分でも呆れてしまう。 もうなにもかも終わってしまったんだって割り切らなきゃいけない。 でも……そうする勇気がない。 俺まであいつを忘れてしまったら、あいつの帰る場所が─── 悠介 「………」 帰る場所……?馬鹿な。 帰る場所どころか、本人すら居ないじゃないか。 いい加減理解しろよ、悠介。 お前にはもう、弦月彰利なんていう友達なんて居ないんだってことを───。 悠介 「……黙れ」 心の中に居る冷静でしかない自分が言う。 諦めろ、理解しろと。 彰利が死んだって?この世から消え失せたって? …………ああ、そうさ。 そんなこと、自分が一番よく解ってるさ……! だけど……! 悠介 「出来ねぇんだよ……!あいつが消えたなんて実感が沸かないんだよぉ……!」 いつだって一緒に馬鹿やってきた。 俺が笑っていられたその大半の時間に、あいつの存在があった。 それを、姿が見えないから忘れなさい……? そんなこと……出来るわけないじゃないか……! 悠介 「くそっ……くそぉ……!」 『孤独』というものはこうも人を荒ませるものか。 誰にも理解してもらえないことを唱えるのはこうも辛いものか。 だったらずっとそうして、何度も歴史を繰り返してきたあいつはどうだったんだろう。 自分が死ぬと解っていてゼノに挑んだあいつはどんな気持ちだったんだろう。 …………想像がつかない。 きっと辛かったに違いない。 ───だというのに、どうしてあんなに笑っていられたのか─── そう思って、ふと。 あいつの笑顔が頭の中に浮かんだ。 悠介 「あ…………」 ……自分のため、未来のため。 そしてなにより……俺のため。 ただ、自分の知らない未来へ辿り着きたかっただけじゃないか。 死ぬと解ったからって諦めるのは、体が動かなくなった時だけで十分だ。 悠介 「………」 でも……ごめん、彰利。 俺はまだ歩き出せそうに無いから。 もう少し。 思いを固められる何かにぶつかるまで、時間が欲しい。 その時が来たら、俺は───今度こそ本当に、 誰かと一緒に歩いていけそうな気がするから……。  だから、その時まで。        どうか、笑って見守っていてほしい───。 なんの音も無く、いつか見た夕焼けを思い出させるような色を空が湛えた。 それとともに俺は家への石段を踏み締める。 ゆっくりと降りて、見馴れた景色を眺めながら。 やがて家の玄関へと辿り着いた俺は、なんとなく空を見上げた。 その空には、幾羽の鳥たちが群れを成して飛んでいた。 そんな景色を見て、あの日見た景色を思い出した。  キミに出来る、キミだけの呪文……か─── ───ただ、いつか。 この街へ帰るためにバスに乗ろうとした夕暮れの刻。 遠くに見えた11羽の鳥の影が、今も心に焼き付いて残っている───。 Next Menu back