───過去の記憶───
…………。 結局やることも少なく思えるこの場所で出来ることといったら散歩くらいのものだった。 俺は家を出てそのまま小川へと歩いていった。 また昆虫とかを見たくなったからだ。 綺麗な川は何度見ても飽きない。 そんな錯覚さえ感じるその景色をもう一度。 ……なんて、こんなこと言っても結局はやることがなかっただけだが。 俊也 「……はぁ、やっぱり運動不足だ」 脚が少々筋肉痛でございます。 これじゃあ歩くのも一苦労だ。 でもアレだよな。 こういう時って決まって、嫌なこととか起こったりするんだよな。 例えば昨日完璧に忘れてた熊が今朝居なくなってて、今まさに現われるとか。 俊也 「なぁんてな、はっはっは───はぁああああああああああっ!!!」 熊  「………」 いやーん!! あ、ある日森の中、熊さんに……で、出会っちゃったぁあああああっ!!! 俊也 「………ッ!」 熊  「………」 う、動けん……! 動いたら殺られる……! こんな堂々と立ち合ってるのに死に真似なんかしてみろ……! 頭をゴリッと美味しくいただかれてしまうぞ……! 緊張する内心を見透かすように、熊がこちらへ歩いてくる。 うわ、ヤバイ……なんて思っている時だった。 夏純 「………」 俺の後ろから夏純が現われて、熊へ近づく。 俊也 「な、なに考えてんだ!とまれ!こっち来い!」 夏純 「───」 そんな声に夏純は穏やかに微笑んだ。 ───あ、あの娘……? 夏純は熊に近寄ると、その体を撫でて微笑んだ。 やがて熊は去っていき、俺はその場で尻餅をつく。 俊也 「は、はは……なにかが完璧に間違ってる……」 森の王者ですかアンタは……。 夏純 「………」 俊也 「へ?あの熊は大人しい子だから?怖がらなくていい?」 夏純 「……」 こくん。 俊也 「そ、そうなのか?」 夏純 「……」 こくん。 ……熊って大人しい大人しくないに関わらず怖いと思うけどなぁ。 俊也 「夏純……だよな?」 夏純 「…………」 ふるふる。 ……ああ、やっぱり違うのか。 俊也 「名前は?」 夏純?「…………」 きょろきょろ…… 夏純?「!"」 夏純?は木の枝を手に、地面に文字を書き始めた。 俊也 「えーと……?澄……すみ?あ、まだあるのか。     んー……夏……すみなつ?」 夏純?「…………」 ふるふるふる。 カリ、カリリ…… 俊也 「……すみ……か……すみか?」 澄夏 「…………」 こくこく。 『澄んだ夏』と書いて『すみか』か。 うん、なんていうか─── 俊也 「悪党の巣窟みたいな名前だな」 澄夏 「───」 俊也 「え?」 ぽろぽろぽろ…… 俊也 「うわっ!?な、なんで泣く!?いや本気で言ったんじゃないって!冗談!」 澄夏 「……、……」 まさか言葉ひとつで泣ける人が存在するなんて。 なんでもない冗談のつもりだったんだけどなぁ。 もしかして自分の名前が凄く好きだとか? だ、だがしかしな、悪党の巣窟って『住みか』って言うじゃないですか。 そこのところの微妙なサムさを解ってほしかったのに。 澄夏 「…………」 俊也 「え?わざとじゃないって解ってるからいいって?……だったら泣かないでくれ」 澄夏 「…………!」 ぽろぽろぽろ…… 俊也 「冗談!冗談です!いやぁ誰にだってオチャメしたい時ってあるよなぁ!」 澄夏 「………」 俊也 「…………」 疲れる……。 でも、驚いた。 ここまで大人しいと、夏純とのギャップに驚くばかりだ。 そもそも彼女も喋れないのだろうか。 夏純とは別人なら、それは変だ。 俊也 「なぁ、キミも喋れないのか?」 澄夏 「…………ぁ、の……」 俊也 「喋れるのか。だったら喋ってくれ、ちょっと疲れる……」 澄夏 「…………!」 ぽろぽろ…… 俊也 「あああ冗談です!疲れません!」 澄夏 「……ごめんなさい……俊也さんを疲れさせるつもりなんか……」 俊也 「へっ……?俺の名前、知ってるの?」 澄夏 「……はい、忘れません。あなたはいつもやさしかった……」 俊也 「……?俺が?いつも?なんのことだ?」 澄夏 「憶えていないのですか?……ここへ、帰ってきてくれたのでは……」 俊也 「ま、待ってくれっ、俺はここに来るのは初めてだぞ?」 澄夏 「いいえ、あなたは───……!」 小さく息を呑む音がした。 何事かと視線を追ってみると─── 俊也 「……あれ?なんだ、さっきの熊じゃないか」 苦笑しながら近づく。 大人しいなら大丈夫だろう。 澄夏 「いけないっ!俊也さんっ!」 俊也 「え?」 熊  「グォオッ!!」 俊也 「なっ───あぁああああっ!!」 熊が咆哮した。 そして俺目掛けて爪を振り上げる。 その熊の目は、明らかに違った。 さっきの熊なんて子供のようなものだ。 パニックになる思考。 まともに現状を直視できず、俺は目を閉じた。 強引に死ぬ覚悟を取らされたようなものだ。 その事実がとても悔しかった。 ゾブッ……! 嫌な音がした。 まるで肉をえぐり取るような音。 幾多の筋が肉から引き剥がされるような音。 吐き気がする。 するのに、痛みは無かった。 それは何故か───それは…… 俊也 「あ、───」 思わず喉が鳴った。 熊の手には真っ赤な鮮血。 そして、俺の体には───……腹部をえぐられた澄夏が、血まみれになって倒れてた。 俊也 「あ、す、澄夏っ……澄夏っ!?すみっ……うぁ……うぁああああああっ!!」 彰利 「山へ帰れ外道がぁあああああああああっ!!!!」 ゴァッ───ガァアアンッ!! 熊  「グゥオオオォォ───………………」 彰利 「星になって反省しやがれタコ!……悪い、遅れた!夏純ちゃんは!?」 俊也 「あ、彰利ぃっ……澄夏が、澄夏が……!」 彰利 「……澄夏?お前、何言ってるんだ!夏純ちゃんだろ!?」 俊也 「違うよ!こいつは───……!?」 見ると、俺はあの大人しい表情とは不一致な表情の彼女を抱いていた。 苦しげだけど、それくらいは解った。 この娘は……夏純だ。 彰利 「って、今はそれどころじゃないな!傷、見せてみろ!───っ……こりゃ……」 彰利が夏純の傷を見て絶望の顔をする。 俊也 「なぁ……!治してやれないのか……!?さっき使ってた能力で……!なぁ!」 彰利 「───無理だ」 俊也 「そんな!どうして!やってみなきゃ───」 彰利 「解るんだよ。……いや、解ったんだ」 俊也 「え……?」 彰利 「俺と悠介はさっきまで佐知子さんと夏純ちゃんと話をしてたんだ。     ところが、何かを感じとったのか、急に夏純ちゃんが家を飛び出した。     俺はすぐに追いかけたよ。すぐに家を飛び出した。     だけど───すぐ見えた景色には夏純ちゃんの姿なんてどこにもなかった。     はっきり言うぞ?夏純ちゃんには実体なんてものはない。     ……幽霊みたいなものなんだ」 俊也 「……なんだよそれ。夏純が、幽霊?」 彰利 「まずおかしいと思ったのが悠介だった。     悠介は夏純ちゃんに触れてたりしたから気付いたんだろうな。     彼女からは『生気』が感じられないんだ。もちろん、佐知子さんからもだ」 俊也 「え───!?」 夏純 「……、……」 俊也 「澄夏……夏純!痛むのか!?彰利、頼むよ!治してやってくれ!」 彰利 「無理なんだ。やってやりたくても出来ない。     ……さっき、完全に能力が使えなくなった」 俊也 「そんなっ……!」 彰利 「電波が通じないことと関係があると思う。どう考えてもこの村、変だぞ」 俊也 「変って……?」 彰利 「昨日、佐知子さんが雑炊作ったよな?」 俊也 「そんなこと今は!」 彰利 「聞けっ!」 俊也 「っ───」 彰利 「昨日、佐知子さんが料理を作った。そして今朝、悠介が料理を作った。     昼は俺が作ろうとした。それで驚いたよ。     使った筈の材料が元の量に戻ってるんだ。これ、どういうことか解るか?」 ……それって……? 彰利 「この村自体、なんらかの磁場か時間軸の歪曲の狭間にあるってことだ。     過去の出来事を繰り返してるようなもんだ。ただし、月日のみは流れる。     ある日からある日までを延々と繰り返してるのさ。     ハッキリ言わしてもらうぞ?始まりの日がどんな日なのかは解らない。     だけどこれはハッキリ言える。終わりの日は───家が燃える日だ」 俊也 「ちょっと待ってくれ!だってあの家はもう燃え果ててるじゃないか!」 彰利 「───……掴まれ」 俊也 「なに?」 彰利 「夏純ちゃんを抱えて俺に負ぶされ。家まで走る」 俊也 「───解った!」 夏純を負ぶさり、なんとかして彰利の背に負ぶさる。 そこで気付いたこと。 ───夏純は信じられないくらい、軽かった。 俊也 「………」 彰利 「………………いいか?」 俊也 「え……あ、ああ……でも大丈夫なのか?」 彰利 「能力は使えなくなっても足腰がある!しっかり掴まってろ!」 俊也 「でも……お、うゎぁあああああっ!!!」 彰利は俺と夏純の体重をものともしないで駆ける。 その速さは尋常じゃなかった。 その証拠に、もう家が見えてきた。 彰利 「悠介ー!」 家を前にして彰利が叫んだ。 そして辿り着いた頃には悠介が出てきて、夏純の容態を見た。 だけど悠介は冷静に『家の中へ』とだけ言い、俺達を促した。 ───。 俊也 「治せるのか!?治せるよな!?だ、だってなんでも創れるんだろ!?」 悠介 「───彰利から聞いただろう?能力が使えないんだ。     それに、この娘には俺達の力や物は影響をもたらさない……」 俊也 「それじゃあこのまま放っておけって言うのか!?」 悠介 「…………俊也。いつまで逃げてるつもりだ?」 俊也 「な、なに?」 悠介 「お前がそうやって逃げたままじゃあ、運命は変えられないぞ」 俊也 「な、なに言ってるんだよ、今はそんなナゾナゾみたいなこと言ってる場合じゃ」 悠介 「聞け。気付いたことがあるんだ。それを片付けない限り、どうしようもない」 俊也 「……なんなんだよ、それ」 悠介 「行方不明の子供の話だ」 俊也 「え?」 悠介はどこか辛そうな顔をしながら夏純の腹部を包帯で巻いていく。 応急手当はした、と言うが─── 悠介 「最初に言っておこう。夏純は二重人格者だ。     姐さんはそんなことはないけど、心に障害を持ってる。     夏純の場合は何かのスイッチで別の人格に代わり、おそらく───」 俊也 「……?」 悠介 「お前の前に現われる夏純はどんな感じだった?お前が言ってた人影ってのは」 俊也 「……気付いてたのか?」 悠介 「知り合いに暇な情報通が居るもんでね。情報の取りこぼしはない。     ……まあそんなことはどうでもいい。     俺が言いたいのは、お前の前に現われた夏純は別人みたいじゃなかったか?     ───ってことだ」 俊也 「……ああ。悲しい目をしてた。だけど俺の顔を見ると微笑んだんだ。     それで抱き着いてきて───わけが解らなかった」 悠介 「……埒があかないな。真実、言ってしまっていいか?」 俊也 「真実?」 悠介 「ああ、真実だ」 俊也 「お前は、なにかを知ってるのか?」 悠介 「ホントはこんなことしたくなかったけどな。     さっき言った知り合いにこの場所のことを訊いた。     そしたらシャレにならないことが解った。     だから確認しておく。言って、いいか?」 俊也 「……俺に関係があるんだな?」 悠介 「ああ。ここのことを訊いたのだって、     そうしないと俺も彰利もお前も永遠にここで歴史を繰り返すことになるからだ」 俊也 「なっ───!?」 悠介 「まったく散々な旅だよ。     本来迷い込みようがない時間軸の狭間に辿り着いてしまった。     お前が時間に関与する月操力ばっかり使ってるからだぞ?」 彰利 「面目ねぇ。でもエキサイティングじゃん」 悠介 「冗談じゃない。俺はもうお前に同じ歴史を生きてほしくないんだよ」 彰利 「……サンキュ」 悠介 「しかもそれならまだやさしい方だ。     これは俺の仮説でしかないんだけど───いや、まだだ。     俊也、この世界から抜け出したいか?」 俊也 「───……」 この世界から───? この穏やかな世界から……? 俊也 「……夏純達は連れていけないのか?」 悠介 「彼女達はこの時間軸の住人だ。他の歴史には連れていくことは出来ない」 俊也 「……置いていくってのか?」 悠介 「死なない。死にようがないんだ。見てみろ」 俊也 「え?───あ、……!?」 見れば、先ほどまで見るのも痛々しかった夏純の腹部が少しずつ治っていく。 悠介 「わかったか?この世界に都合の悪いものは消されてしまうんだ。     おそらく、俺達もいずれはこうなる」 俊也 「う…………」 彰利 「どうするんだ?」 俊也 「……………………出たい」 悠介 「……わかった。それじゃあ全てを語るよ。     ここは過去と……俺達で言う現在の境目にある世界だ。     もちろんそれだけだったら俺達がここに来ることなんてなかった。     俺と彰利がここに来た理由はこの馬鹿の所為。     そして俊也がここに来れた理由は───お前が行方不明の子供だからだ」 俊也 「───」 え……? いま、なんて言った……? 悠介 「あの火事の日にお前は仲が良かった彼女達と離れ離れになって、     だけど心の奥底にこの場所への思いを抱いていた。     当の本人が覚えていなかったのはそれが辛い記憶だったからだろう。     それが彼女達の強い思念と引かれ合って、この世界が産まれた。     いろいろなところが都合良く創られていたのは、     恐らく心のどこかで村が無事でありますように、とか───     夏純や姐さんが無事でありますようにとか思っていたからだな」 彰利 「それじゃあアレか?思念ってことはやっぱり、夏純ちゃん達はもう……」 悠介 「………」 悠介は何も喋らなかった。 悠介 「……俊也、この人達はお前の帰りを待ってたんだ。それは間違いないと思う」 俊也 「………」 そういえば、姐さんが俺の名前を訊いた時───そうか。 本当、なんだな……。 俊也 「なぁ、俺の前の苗字……わかるか?」 悠介 「この村には妙な風習があったらしい。     それは『苗字を持たない』ことらしいんだ。     お前にも夏純にも姐さんにも苗字はなかったんだよ」 彰利 「そういやふたりとも苗字は言わなかったな」 俊也 「……あ、なぁ、さっき言いかけてたことがあったよな?」 悠介 「ん?ああ……」 悠介は少し頭を抱えた。 悠介 「この時間軸はお前と夏純と姐さんのものだそうだ。     早く言えば三人の思念が創り出した時間と記憶の歪み。     それは、言ってしまえば三人の世界ってことなんだ。     ───ようするに俺達はここに居てはいけない人間。     お前達は時間が来たらまた『ある日』から繰り返すことが出来るが、     この世界に関係ない俺達が終わりの日を迎えた時───消え去る可能性が高い」 なっ───!? 消え去る───!? 悠介 「その証拠を示すものが、能力が使えなくなったことなんだと思う。     存在の強いものがどんどんと消されていってるんだ。     速さから考えて……明日までもつかどうか」 俊也 「わ……わかんねぇよ!どうしてそう冷静で居られるんだ!?     消えちまうかもしれねぇんだろ!?なんでだよ!」 悠介 「……アホゥ、この世界は彼女達にとっての『希望』なんだよ。     それを自分が助かりたいからってさっさと消すようなことが出来るか」 俊也 「……───」 驚いた。 人間なんて自分本意なヤツだけかと思ってたのに、 こんな土壇場で誰かのために冷静で居られる人間が居るなんて……。 俊也 「でも……じゃあどうするんだ?」 悠介 「まずお前に思い出してもらいたかったんだ。この村のことを」 俊也 「ここのこと?」 悠介 「うすうす感づいてはいたんだろ?自分がそうなんじゃないかってことくらい。     俺としては最初、俊也の言う『女の子』が『子供』かと思ったんだけどな。     姐さんに訊いてみたら『子供は女じゃない』って言うじゃないか。     それでルヒド……あ、いや、情報屋に訊いてみればお前が───な」 俊也 「情報屋……そういえばどうやってこの村に入ってこれたんだ?その人」 悠介 「……こうなりゃヤケだ。ルヒド、ちょっといいか?」 ルヒド「はいはい、困った時はお互い様。退屈の伝道師、シェイド=エリウルヒド参上」 俊也 「!?なっ……い、いまいきなり現われ───!?」 ルヒド「自己紹介も済んでない人を変な目で見るのはヒドイな。     あ、僕はシェイド=エリウルヒド。死神さ」 俊也 「しにぃっ?」 彰利 「なっ……だ、誰この人!キィイ!アタイという者がありながら!」 悠介 「だぁっ!黙ってろ!今まで静かだったんだからその調子で居ろ!」 彰利 「だ、だってダーリンが」 悠介 「お黙り!」 彰利 「……うう」 ルヒド「プライベートの侵害とは思わないでほしい。友達のピンチだったからね。     本来はこうして人事に首は突っ込まないけど、こういう時は仕方ないから」 俊也 「………」 ルヒド「で、この世界のことだけど───     明日までに解決しないと悠介達は間違い無く消えるよ」 悠介 「……相変わらず遠慮がないな」 彰利 「なにこの失礼なヤツ!悠介ったらこんなのがいいの!?」 悠介 「だぁってろ!」 彰利 「だ、だって」 悠介 「大体、失礼ならお前も負けてない」 彰利 「うわ、中傷された」 ルヒド「キミが愚者なだけだよ」 彰利 「うわっ!ホント遠慮ねぇ!誰に似たの!?悠介!?ま、まさか隠し子!?」 ドスッ! 彰利 「くほっ!」 悠介 「ルヒド、これからどうしたらいいと思う?」 ルヒド「いっそ死んで僕の盟友になるかい?」 悠介 「シャレにならん」 ルヒド「魅力的な提案だと思ったんだけどね。それじゃあ記憶をいじってみようか」 俊也 「え?あ、な、なにする気だ!」 ルヒド「キミの記憶を探る。     奥深くに封印された記憶をほんのちょっと呼び覚ますだけさ」 俊也 「なっ───ま、待───」 キィン! 俊也 「───……!」 ルヒド「はい、終了」 彰利 「早ッ!!」 ルヒド「遅くやっても無駄だよ。もうあまり時間がない。あとはこの男次第だ」 俊也 「───……」 ───……音を立てて、景色が弾けた。 気付けば俺は大きな木の下に立っていて、友達が来るのをまだかまだかと待っていた。 幸せな筈だった。 それなのに……どうしてこんなことに─── 俊也 「………」 友達はなかなか来なかった。 だけど僕は待つ。 行き違えたら大変だ。 声  「おーい!トシちゃーん!」 ───あ、来た。 声からして女の子の友達は、僕の傍らに寄って、勢いよく抱きついた。 いや、抱きつこうとした。 だけど少女の手は空を裂いて、地面に倒れた。 なんて恐ろしい子だ。 まさか田んぼに突き落とそうとするなんて。 少女 「う……いたいよぅ……」 俊也 「男の子だろ、我慢しろ」 少女 「夏純、女の子だもん!」 俊也 「女の子は人を待たせた上に田んぼに突き落とそうだなんてしない」 夏純 「抱きついてみたかっただけだもん!……遅れちゃったのはごめんなさいだけど」 俊也 「───……」 景色が歪む。 子供の頃の自分の中でその景色を眺めていた俺は、流れゆく景色の速さに驚いた。 ───……。 夏純 「ねぇねぇトシちゃん」 俊也 「やだ」 夏純 「わ、ま、まだ何も言ってないよぅ」 俊也 「夏純が下から覗き込むみたいにした時は絶対嫌なことしか起こらないから」 夏純 「……そんなことないもん。     ただ、妹が欲しいなぁ、って言おうとしただけだもん」 俊也 「いもうと?」 夏純 「うん。だから、夏純とけっこんしよ?」 俊也 「なっ───」 夏純 「知ってろ?けっこんしたふーふが一緒の布団で眠ると、     かみさまが子供を授けてくれるんだって」 俊也 「…………そうなの?」 夏純 「うん、姐さんが言ってたよ」 俊也 「ウソだ。それ絶対ウソだ。だってサチ姉ぇってウソしか言わないし」 ごすんっ! 俊也 「いてっ!」 佐知子「こーらー俊也ぁ〜……!誰がウソつきだってぇ……!?」 俊也 「うぅっ、ちょっと早く産まれたからって威張───」 ごすんっ! 俊也 「いてっ!」 佐知子「歳で威張ってるんじゃない!……言うなれば、知識で優位を誇ってるのよ」 俊也 「難しい言葉使えば解らないと思ってる時点でガキだよなー」 ぼがぁっ! 俊也 「んぎゃあ!……ってぇ〜……!ほ、ほらみろぉっ!     夏純があの格好とるとロクなことがないんだからなぁっ!」 夏純 「ち、違うもん」 佐知子「自業自得でしょ?夏純に当たるんじゃない」 俊也 「へーんだ、ババー!」 佐知子「……!」 …………。 ───やがて、景色はスピードを上げてゆく。 俊也 「うわぁああああああっ!!サチ姉ぇ!こんなとこ投げられたら死んじゃうよ!」 佐知子「だーまーれ。男の子だったら死なない死なない。     それに肥溜めって肥料なんだから。     嫌がってたってそれで育ったもの口にしてるでしょ?」 俊也 「うそだー!こんなので育ったんなら臭いよ!サチ姉ぇのうそつき!」 佐知子「修正!」 ブンッ! 俊也 「わっ───わぁああああっ!!」 ───……。 夏純 「トシちゃん」 俊也 「ちゃんはやめろって言ってるだろ?」 夏純 「だ、だって……」 俊也 「僕は……トシ様だ!」 夏純 「わぁ、エラそう」 ぼかっ! 夏純 「みうっ!」 俊也 「おまえに妹なんか居たら、絶対立場がなくなるからやめておいた方がいいよ」 夏純 「うぅぅ……ど、どうして……?」 俊也 「妹の方が絶対いい子に育つ」 夏純 「そ、そんなこと」 俊也 「あるかもしれないぞ?そしたら僕のお嫁サンにするんだ」 夏純 「───!そんなことないもん!夏純の方がいい子だもん!」 俊也 「『もん』とか言ってる時点で子供だよ。無理無理」 夏純 「う、うー!」 ───……。 夏純 「ト、トシちゃんおはよー……だぜ?」 俊也 「……………………え?」 夏純 「今日はなにして遊ぶの……だ?」 俊也 「…………」 夏純 「わっ、わっ、ど、どこ行くのっ!?だよっ!?」 俊也 「サチ姉ぇの家に殴り込みに行く」 夏純 「や、やめてよトシちゃん……だぜ!」 俊也 「変だから喋るなっ!」 ぼかっ! 夏純 「みうぅっ!」 ───……。 夏純 「トシちゃん……大丈夫?」 俊也 「うう……あのいんごーババァ……。背が高いからってエラそうにして……」 夏純 「偉いよー。だっていっぱいいろんなこと知ってるもん」 俊也 「あれは見栄はってるだけだ。どうせすぐにボロを出すさ。くくくく……」 夏純 「……トシちゃん、もうちょっと子供っぽく笑おうよ……」 ───……。 俊也 「うー……いてて……」 夏純 「ど、どうしたのトシちゃん!」 俊也 「うむ、サチ姉ぇにゴマじいちゃんに教わった『すかーとめくり』をやったんだ。     そしたらタコ殴りにされた。     それで約束通りゴマじいちゃんにぱんつのこと教えたら、     なんか『毛糸ぱんつか!オッヒョッヒョ!』って笑ってた。     ……毛糸ぱんつってなんだ?」 夏純 「………」 俊也 「夏純?」 夏純 「ト、トシちゃんのばかーっ!」 ばちーん! 俊也 「いてっ!な、なにするんだ!」 夏純 「夏純が居るもん!トシちゃんには夏純が居るもん!     な、なのにサチ姉ちゃんのすかーとめくりなんて……ばかー!」 俊也 「………………え?」 ───……。 夏純 「───……」 俊也 「あれ?今日はズボンじゃないんだな」 夏純 「う、うん」 俊也 「歩きづらくないか?そんなひらひらしたの」 夏純 「そんなことないもん」 俊也 「そっか?じゃ、遊びにいこ」 夏純 「うんっ、あ、わっ───」 べしゃあ! 俊也 「………」 夏純 「……いたい」 俊也 「いきなりころぶの初めて見た」 夏純 「スカート踏んじゃって……」 俊也 「ほらみろ、やっぱり歩きづらいんじゃないか」 夏純 「で、でも……」 俊也 「あ、ちょっと待て!」 夏純 「ひゃぅっ!?」 俊也 「血、出てる!えーと、待ってろ、すぐ治してやるからなっ!」 夏純 「う、うん……」 俊也 「ほらっ、スカート汚れちゃうぞ!まくって!」 夏純 「え?わっ───」 俊也 「ん?……あ、毛糸ぱんつ」 ばちぃいいいいいいいいんっ!! ───……。 夏純 「トシちゃんは兄弟が欲しいって思ったことある?」 俊也 「ない。お前が妹みたいなものだから」 夏純 「か、夏純トシちゃんの妹じゃないもん!」 俊也 「嫌か?」 夏純 「ヤッ!」 俊也 「……そこまで嫌か」 夏純 「嫌だもん!」 俊也 「落ち着け。ほら深呼吸」 夏純 「うー……!」 俊也 「そういえばさ、お前はどうなんだ?妹が欲しいって言ってたよな?」 夏純 「……うん」 俊也 「どんな妹がいいんだ?」 夏純 「大人しくて夏純に似た子!双子って憧れなんだー!」 俊也 「それって無理じゃないか」 夏純 「え?どうして?」 俊也 「ゴマじいちゃんが言ってたぞ。     双子っていうのは産まれた時から一緒なんだって。     夏純はひとりっ子だからもう無理だよ」 夏純 「う、うー……そんなことないもん!夏純にも双子居るもん!」 俊也 「どこに?」 夏純 「う……か、夏純の中に!」 俊也 「へぇ、そりゃスゴイ」 夏純 「馬鹿にしてー!」 俊也 「スゴイスゴイ、ははははは」 ───……。 俊也 「夏純?」 夏純 「…………」 俊也 「夏純ってば」 夏純 「わっ、ト、トシちゃん?」 俊也 「なにやってんだ、ボーっと」 夏純 「あ、うん……なんか最近変なんだ……。     いつの間にか知らない場所に居たりして」 俊也 「その歳でボケてたら将来が辛いぞ」 夏純 「ヒドイよぅ……」 ───……。 佐知子「ねぇ俊也」 俊也 「まいったな、いきなりこんなところに呼び出して……告白?」 ゴバギャアッ!! 佐知子「……殴るわよ」 俊也 「……も、なぐられ……て……」 佐知子「最近、夏純変じゃない?」 俊也 「少なくともサチ姉ぇよりは遥かにマシ」 ぼがあっ! 俊也 「力で解決しようとするなよ〜っ!」 佐知子「お黙り。なんか変なのよ。     突然ボ〜ッとしだしたと思ったら妙に冷たい顔になってさ」 俊也 「いきなり顔が冷たくなるの?へぇ、この夏には丁度いい」 ぼがっ! 俊也 「殴るなって言ってるだろぉ〜!?」 佐知子「ま!じ!め!な!は!な!し!いいから聞く!」 俊也 「ハ、ハイ……」 佐知子「いい?夏純は川に行ったからアンタが後をつけるのよ」 俊也 「自分でやれババー。老体で辛いからって人に」 ギンッ! 俊也 「……行かせていただきます」 ───……。 俊也 「ババババ・ババ・ババーババーバ・バババ、     ババババ・ババ・ババーババーバ・バババ、     ババッバッバババ・ババババッバ♪サチ姉ぇは〜ババァ〜♪」 ……なんてことをしている場合でじゃないよね。 えーと、夏純は……居た。 なんだ、普通の夏純じゃないか。 なにが冷たいって───あ…… 俊也 「か、すみ……?」 確かに冷たかった。 まるで、いつも明るい分の夏純の裏を表したような表情。 夏純 「───……?」 俊也 「……!」 夏純 「と、しや……さん?」 俊也 「えっ!?」 驚いた。 夏純が僕のこと『としやさん』だって。 俊也 「ど、どうしたんだよこんなところで」 夏純 「………」 夏純が座ってた場所の隣に座る。 すると、夏純は少し間を空けた。 俊也 「?」 いつもだったら抱きついてきたりするんだけどな。 不思議に思って見てみると夏純の顔は真っ赤で、下を向いて顔をあげなかった。 俊也 「夏純?」 夏純 「あう、あうぅ……あぅあぅあぅ……」 さっきでもびっくりするくらい赤かった顔が、もっと赤くなった。 俊也 「た、大変だっ!熱でもあるのかっ!?」 だから慌てた。 慌てて夏純の額に手を当てて─── ぴとっ。 夏純 「───……!」 ぼてっ。 俊也 「あれ?」 ふしゅうぅ〜〜〜〜と、効果音が鳴るくらい湯気を出して、夏純は倒れた。 手を当てた途端だ。 俊也 「…………あ、そうだ。熱下げてやらないと」 僕は自分の服を川で濡らして、畳んだ状態にして夏純の額に乗せた。 すごくバランスが悪いけど、無いよりはいいと思う。 夏純 「……ん……」 俊也 「夏純っ?」 夏純 「……あれ?トシちゃん?」 俊也 「ちゃん?」 夏純 「……あれ……?夏純、確かサチ姉ちゃんのところで……アレ……?」 俊也 「夏純、この指は何本に見える?」 夏純 「……五億?」 俊也 「ごっ!?」 夏純 「冗談だよ」 俊也 「………」 うん、いつもの夏純だ。 なんだったんだろう、さっきの。 俊也 「夏純、俺のこと『俊也さん』って言ってみてくれ」 夏純 「ヤ」(0.1秒) 俊也 「……解るくらいの間を置いたらどうだ」 夏純 「トシちゃんはトシちゃんだもん」 俊也 「遠慮するな。なんなら俊也さまでもいいぞ」 夏純 「………あ……───」 なんて言ってみた時だった。 突然、夏純の体がビクンと跳ね、やがて冷たく変わってゆく。 だけど俺を見ると、ものの見事に真っ赤になった。 俊也 「夏純?」 なにやら嫌な予感を胸に、その顔を覗いてみる。 すると、夏純の口が少し動き、そこから声がこぼれた。 夏純 「…………と……としや、さま……」 俊也 「!?」 夏純 「…………っ!」 ボフン! ───ぼて。 俊也 「ああっ!?またっ!?」 再び真っ赤になって倒れる夏純。 なにがなんだかまるで解らなかった。 ───……。 佐知子「あ、そういえばさー俊也」 俊也 「なにー?」 佐知子「尾行させて以来、夏純が変になることなくなったんだけど───なにかあった?」 俊也 「ないけど」 佐知子「そう?ならいいけど」 俊也 「…………」 あれ以来、あの冷たい表情をした夏純が別の夏純だってことが解った。 冷たいっていうよりは大人しいっていうか奥ゆかしいっていうか、そんな顔。 彼女は自分のことを夏純の妹だと言い、だけど夏純はその事実を知らない。 名前は澄夏(すみか)というらしい。 『悪者の巣窟みたいな名前だな』って言ったら泣かれてしまった。 とにかく夏純とは正反対で、恥ずかしがり屋だし声も大人しいし言葉も丁寧だし。 僕は結構彼女が好きだった。 あれからのことだけど、僕と会ってからは僕の前でしか出てこなくなった。 その代わり、夏純と会える時間は減った。 その所為か夏純は段々と情緒不安定になっていき、少しノイローゼ気味になっていた。 自分は覚えていないのに何かをしているという事実。 それが怖かったのだ。 澄夏が俺に少しずつ慣れて来た頃、夏純も段々とチェンジしなくなってきた。 夏純の意思が澄夏を抑え始めたんだ。 どうしてかは解らなかったけれど、夏純は俺と一緒に居ると笑顔だった。 大人達が言ってた『のいろーぜ』とかいうのが解らなくなるくらい。 一心に僕の腕に掴まり、僕を見上げてにっこりと笑っていた。 だけど離れると、決まって物凄く悲しい顔をするんだ。 ───……。 ……夏純が僕と居る時間を取り戻してからは、夏純は安定してきた。 それからは逆に澄夏が現われる時間は減っていく。 夏純はなんらかのショックで澄夏へと変わるようになり、 久しぶりに会った澄夏は俺の顔を見ると泣きそうなくらい嬉しい顔で微笑んだ。 それから…… それから───……。 Next Menu back