───じっちゃんの名にかけてのコト───
遥一郎「さてと。えーと……」 俺は適当な竹の見つけて、枝の部分を切った。 雪音 「どうするの?」 遥一郎「まあまあ、寄ってらっしゃいごろうじろ」 雪音 「……ホギッちゃんがどんどんヘンになってくよぅ……」 遥一郎「お前はどんどん馬鹿になっていくがな」 雪音 「馬鹿って言うなぁっ!」 遥一郎「で、ここをこう削ってだな……」 雪音 「無視!?」 カシッ、カシッ、カシッ……。 竹を削ってゆく。 遥一郎「うむ出来た」 雪音 「うー……」 観咲がぶつぶつ言う中、俺は竹の先に口をつけた。 そして息を吹く。 ───ピィーッ! 遥一郎「よし、いい出来映えだ」 雪音 「わ、わ、笛!?竹で!?」 遥一郎「うむ。遊び心があればこれくらいはね。     まあ一定の音しか出せないのが難点だがな」 ピィーッ! なかなかの音だ。 うむうむ。 雪音 「ホギッちゃん、わたしにも吹かせて」 遥一郎「お前と間接キスだなんて冗談じゃないぞ」 雪音 「今時そんなこと気にする子なんて居ないよぅ」 遥一郎「気にしろ。俺はそんなヤツは嫌いだ」 雪音 「うわ、ヒドイ」 遥一郎「ちょっと待ってろ、今作る」 俺はもう一度竹の枝になってる部分を切って、削ってゆく。 カシッ、カシッ、カシッ…… 遥一郎「ホレ、吹いてみろ」 雪音 「うん……」 コシューッ! 雪音 「あ、ありゃ?」 遥一郎「違う違う、こう吹くんだ」 俺はコツを教えた。 観咲は『む〜……』と唸りながら吹く。 しかしシュコー、シュコーと鳴るだけだった。 雪音 「むむむ……」 遥一郎「はっはっは、こればっかりは才能の違いだな」 雪音 「才能なんて関係ないよっ!きっとホギッちゃんの作り方が悪かったんだよ!」 遥一郎「人の所為にするか貴様っ」 雪音 「所為も所為だよ!ホギッちゃんのエセ天才!」 遥一郎「エセも天才もつけるな!」 雪音 「天才〜!天才天才〜!」 遥一郎「黙れこの触覚娘!」 雪音 「しょっ……!?ガ、ガッデムー!!」 遥一郎「おー!?やるかこの!」 雪音 「空手の真髄を教えてあげるよーっ!」 遥一郎「うっ、急に脇腹がっ……!」 雪音 「………」 遥一郎「というわけでさらばだ」 雪音 「ほ、ホギッちゃ〜ん……情けなすぎだよ〜……」 なんとでも言え、俺はこんなところで撲殺されるわけにはいかんのだ。 ───…… 遥一郎「やあ、ただいま帰ったよ我が子達よ」 どすっ! 遥一郎「ぐほっ!」 雪音 「子供じゃないでしょ」 遥一郎「やあ、ただいま帰ったよ我が甥っ子達よ」 どすっ! 遥一郎「ぐおっ!」 雪音 「甥っ子でもないよっ」 遥一郎「どうしろっていうんだお前は!」 澄音 「あはははは、突然の騒ぎだね。さっきまでの静けさが嘘のようだよ」 レイラ「ふふっ、ほんとですね」 蒼木とレイチェルの姐さんが俺と観咲を見て笑う。 遥一郎「あっと、そうだそうだ。蒼木、これ吹いてみてくれ」 観咲が挫折した竹笛を蒼木に渡す。 澄音 「これは?」 遥一郎「竹笛だよ。結構いい音が鳴るぞ」 澄音 「うーん……」 スゥ……ピィーッ!! 澄音 「あっ、ほんとだね」 雪音 「!」 蒼木が笛を吹くと、澄んだ音が鳴った。 雪音 「な、なんで!?」 それを見て、観咲が相当なショックを受けた。 雪音 「澄ちゃんちょっと貸して!えーと……!」 スゥ……フシューッ! 遥一郎「………」 澄音 「………」 雪音 「ガ、ガッデムーッ!」 観咲は悔しがっている。 遥一郎「やはり才能の問題だな」 雪音 「そんなことないもん!ね、澄ちゃん!」 遥一郎「雪音には才能が無いよ」 ドボォッ! 遥一郎「ごぉっはぁっ!」 観咲の拳が俺の脇腹にメリ込んだ。 雪音 「ヘンな声色使ってまで言わないでよ!それも似てないっ!」 遥一郎「似てなくて悪かったなっ!」 雪音 「ね、澄ちゃん!才能なんて物事をする時には関係ないよねっ!?」 観咲が改めて蒼木に向き直り、訊ねてみた。 遥一郎「大有りだぞ」 雪音 「ふぅっ!」 ごしゃっ! 遥一郎「キャーッ!」 足を震脚の要領で踏み潰された。 雪音 「ホギッちゃん……黙れ」 遥一郎「ぎょ、御意……」 だ、黙れって言われた……。 澄音 「そうだね、才能は関係ないよ。センスの問題だね」 遥一郎「おお、いいこと言うなぁ蒼木。つまるところ、観咲にはセンスが」 ギロォッ! 遥一郎「皆無だ」 ぐしゃあっ! 遥一郎「ギャーッ!」 ああん!また脚を踏まれました! これはイタイ!イタイよママン! 遥一郎「ば、ばかめ……!俺は脅しには屈しない男なのだ……!」 澄音 「それで涙目じゃなければ格好よかったと思うよ」 遥一郎「ふふふ……ご声援ありがとう」 雪音 「声援じゃないと思うよ……」 あーイタイ……。 老人 「まったく無茶しおる……。まあ、若いんじゃからすぐよくなるじゃろ。     ホレ、もう面会時間は終わりじゃ。とっとと帰るんじゃな」 遥一郎「おお、じっちゃん」 老人 「じっちゃんと呼ぶな。わしは立待童栄(たちまち どうえい)という名前じゃ。     好きによんでいいが、じっちゃんはよせ」 遥一郎「童(わっぱ)」 どすっ。 遥一郎「ぐほっ!」 ひ、響く……っ! アンドレアス=リーガンの真似をしてしまうほどに鳩尾に響いた。 童栄 「あまりふざけるな」 老人とは思えない目で睨む彼は、やはり老人には見えなかった。 遥一郎「じゃあ……童栄さん」 童栄 「ま、そんなもんじゃろ」 小さく息をつくと、童栄さんは部屋を出て─── 童栄 「さっさと帰るんじゃぞ」 行く前に、振り返って釘を刺していった。 遥一郎「……あの目、老人の目じゃないぞ」 雪音 「じっちゃんはね、わたしの知る中じゃ最強のおじいちゃんだよ」 遥一郎「どこらへんが?」 雪音 「腕力とか」 遥一郎「………」 雪音 「前に腕相撲で賭けをしたんだよね。勝ったら騒いでもいいって」 遥一郎「ほう」 雪音 「あっさり引き受けるからヘンだなって思ったんだけど……。     開始してから少しも動かせないの。で、ゆ〜っくりと倒されて、負けちゃった」 遥一郎「……どういう爺さんだよ」 澄音 「童栄さんは昔、自分の家を捨ててここに来たらしいけど」 遥一郎「家を捨てた、ねぇ」 なんのこっちゃ。 レイラ「家系がどうの、と言ってましたね」 遥一郎「家系?」 ……ますますなんのこっちゃ。 雪音 「それよりホギッちゃん。帰るの?」 遥一郎「帰るぞ。ここの空気は澄んでていいけど、居すぎると動きたくなくなりそうだ」 澄音 「僕もね、不思議とここに居ると病気の進行が遅いんだよ。     特に、童栄さんが近くに居る時はね」 遥一郎「そんなもんか?」 澄音 「気分の問題かもね。でも、悪いことじゃない」 遥一郎「だな。まあ細かいことはいいか。それじゃあな、俺はこれで帰るよ」 澄音 「あ、この笛はどうしようか」 遥一郎「受け取ってくれ。チンケなものだけど、友達からの送りものだとでも思って」 澄音 「……そうだね、ありがとう」 遥一郎「じゃあな」 しゅたっ、と手を挙げて病院を出た。 雪音 「ちょっと待ったホギッちゃ〜ん!」 が、そのあとを何故か観咲が付いてくる。 遥一郎「なんだよ」 雪音 「家に送ってくれる約束だったでしょ?」 遥一郎「いや、ここに来てお前には護衛なんぞ必要ないってことがよ〜く解った。     思う存分、悪漢どもを屠ってやってくれ」 雪音 「それ、女の子に言う言葉じゃないよ……」 遥一郎「応援するぞ」 雪音 「人の話聞いてよっ!」 遥一郎「断る」 雪音 「むーっ!」 ブンッ! 例の如く観咲が攻撃を仕掛けてくる。 遥一郎「ひょいとな」 俺はそれを先読みした上で、ひょいとかわした。 雪音 「あっ……よけるなーっ!」 遥一郎「いきなり不意打ちしてきたくせに無茶言うなっ!」 雪音 「うぐ……」 遥一郎「まったく、最近の若い子は教育がなってないザマス!」 雪音 「ホギッちゃんだってヘンな性格に育ってるくせにーっ!」 遥一郎「馬鹿お前、俺はいいんだよ。冗談を冗談と受け取れる器量はあるつもりだ。     貴様のようにいきなり攻撃を仕掛けてくる馬鹿者とは次元が違うのだよ」 雪音 「そ、それはホギッちゃんが人のことヒドく言うから……」 遥一郎「ごらん、太陽が沈んでゆくよ」 雪音 「あからさまにはぐらかさないでよっ!」 遥一郎「あからさまとは失礼だな。     俺はこれでも全力で貴様の話をはぐらかすつもりでだな」 雪音 「あからさまだよそれ……」 遥一郎「知ってる」 雪音 「ホギッちゃんって実はお馬鹿さん?」 遥一郎「なに、俺も天才よりは馬鹿が好きってことさ。     いらん知識持ってたって宝の持ち腐れだ。     ……思うんだけどさ。この日本でいつまで英語話せる人が居ると思う?」 雪音 「はう?」 遥一郎「例え話だよ。どれだけ時間が経っても英語を話せる日本人は居るのか。     それとも、勉強に飽きて、日本語を話す外国人が増えるのか」 雪音 「……解らないね」 遥一郎「俺は多分……このままでいくと、そんなことする人達は居なくなる気がする。     今だって世界は進化じゃなくて退化してるんじゃないかって思ってる」 雪音 「えぇ?どうして?こんなに便利になってるよ?」 遥一郎「便利ならなんでもいいってもんじゃないってことだよ。     機械だのなんだのに頼りすぎてて、たしかに効率はいいかもしれないけど……     確実に次に産まれてくる世代の人間にはいい世界とは言えないんだよ。     先人が作ったモノに頼りすぎて、     いつかは自分で何かをするって気にはならなくなるんじゃないかって。     ……そんな気がするんだ。杞憂だろうけどね」 雪音 「うん……考えすぎだよホギッちゃん」 遥一郎「だといいけど」 伸びをした拍子に空を見上げた。 まだ昼であるその空には微妙な数の雲。 その、少し黒が入っている雲を見て、雨でも降るのかな……と思った。 雪音 「ねぇホギッちゃん。もしも文明が進みすぎたらどうなるのかな」 遥一郎「ん?んー……あくまで仮説だぞ?     俺の考えであって、世界の人類全ての考えじゃない」 雪音 「当たり前だよそんなの」 遥一郎「…………まず、酸素が無くなるな。次に人間ひとりひとりの死期が早まる」 雪音 「ど、どうして?」 遥一郎「自然を犠牲にしないと発達出来ないと思うからさ。     文明が発達したら、その分それを試すかのように空いてる場所を使う。     その空いてる場所ってのは自然だよ。     新しい何かをするには空いてる場所を使わなきゃいけない。     だけど空けるために何かを消す方法を、人間はまだ知らないんだよ。     ゴミを地面に埋めて、その上でやるか?     それとも燃やしてその灰の上で実験するか?……どれも違うだろ?     灰だって消滅するわけじゃないし、埋めるのにも限界がある。     だったら自然を壊してその上でやるんだ。     でもその壊した自然だって、壊れたあとじゃあ何にもならない。     木だったら紙にするんだろうけど……結局リサイクルにも限度がある」 雪音 「あう……なんか難しいこと一気に言われると……」 遥一郎「よーするにだ。     何かを必死で勉強してそれを試すとなると、なにかを使わなきゃいけないのさ。     じゃあ、酸素を出してくれる自然を破壊してまでする進化ってのはなんだ?」 雪音 「う……あ、で、でもさ。文明が発達したら酸素くらい……」 遥一郎「人間の体に適応した酸素が作れればいいけどな。     確かに今の文明なら酸素も作れるんだろうけど……。     どちらにしろ、機械で作ったとしたらそれは純粋な酸素じゃないのさ」 雪音 「うー……ホギッちゃんしつこい」 遥一郎「自分の意見を全部出さずに人を納得させることなんて出来るわけないだろ?」 雪音 「うぐ……」 遥一郎「もし出来たとしたら、よほど相手の物分りがいいか、面倒くさがりか。     それとも……いい加減なやつなのか。そのどれかだろ。     ……と、まあ。こんな感じだが」 雪音 「うー、なんかどんどん話がズレていったような……」 遥一郎「そのままの方向を進む会話なんて無いってことさ。水の心で生きてみろ」 雪音 「むむー……やっぱり頭のいい人って言うことが複雑だよぅ……」 遥一郎「自分の理解力のなさを頭の良し悪しの所為にするな。     それに俺だって思ったことを言っただけで、     今の言葉には頭の良さなんて関係ないよ」 雪音 「それじゃあどうしてわたしが解らないの?」 遥一郎「馬鹿だからだ」 雪音 「ガッデムーッ!!」 観咲がウガーッ!と怒り出した。 俺は慌てるでもなく笑いながら、彼女の口から出る罵倒をやりすごす。 ……まったく、進歩のないヤツだ。 遥一郎「………」 雪音 「な、なによぅ……」 でもまあ、進歩しすぎるよりは、まるでいい。 遥一郎「ほら、さっさと歩け。家に帰るんだろ?」 雪音 「言われなくても解ってるもん!」 遥一郎「だったらどうしてお前が後ろを歩いてるんだ。俺はお前の家なんぞ知らんぞ」 雪音 「ぶー」 観咲が口を尖らせながら歩く。 なんにせよ、こういう時間も悪くないかもしれない。 声  「あっ……お兄ちゃんっ!」 がばっ! 遥一郎「おわっ!?」 雪音 「え?」 平和の思考を展開していたら、突如背中に衝撃を受けた。 で、まあ。 俺を兄と呼ぶ者はひとりしか居ないわけで。 遥一郎「ヒナか。学校終わったところか?」 雛子 「う、うん、さっき終わったの……」 自分でやっといて恥ずかしかったのか、俺から離れて顔を真っ赤にしながら俯く雛子。 ……なにがしたいんだろうかこいつは。 雪音 「ほえ?妹さん?」 遥一郎「ああ、一応紹介しようか。俺の妹の穂岸雛子だ」 雛子 「………」 ヒナはじぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと観咲を見つめた。 ……心なしか、敵意が混入していそうな目で。 遥一郎「で、ヒナ。この馬鹿が馬鹿で有名な観咲雪音馬鹿だ」 雪音 「馬鹿馬鹿言わないでよっ!!馬鹿って言う方が馬鹿だよ!」 雛子 「………」 じーっ……。 雪音 「な、なに?」 雛子 「お兄ちゃんのこと馬鹿って言った……」 雪音 「……あの、先に言われたのわたしだよ?」 雛子 「……お兄ちゃん、この人となにしてたの?」 遥一郎「脅迫されて護衛を少々。家まで送ってくれ、だとさ」 雛子 「……うー」 ヒナはなにやら観咲を敵と見なしたようだ。 その理由はよく解らんが。 きゅむ。 遥一郎「ん?」 雪音 「?」 雛子 「………」 ヒナが俺の腕に自分の腕をからめた。 雛子 「お、お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんなんだから……。     あなたの送り迎えなんかしないんだよ……?」 微妙に逃げ腰になりながら言うヒナ。 なんだか笑いがこみ上げてきた。 雪音 「えーと……ブラコン?」 ぼかっ。 雪音 「あたっ」 遥一郎「そういうものの見方をするんじゃないっ」 雪音 「だ、だって〜」 遥一郎「ま、いいけど。悪いなヒナ、一度言ったことは守らないとな。     一応こいつを家まで送ってくるから先に帰っててくれるか?」 雛子 「…………ぅー」 小さく猫のように鳴くと、ヒナは俺の腕を抱き締めるように自分の腕を絡めた。 遥一郎「こらヒナ、言うことを聞きなさい」 雛子 「……やー」 ふるふると首を振るヒナ。 ……ヤバイな。 このモードに入ると人の話なんか聞かないんだよなぁ。 雪音 「うーわー、ホギッちゃん愛されてるねー」 遥一郎「ヘンなこと言うな、兄妹だぞ」 雪音 「家族愛って意味だよ。でも……うん。     今日は妹さんに免じて、わたしはここからひとりで帰るよ」 遥一郎「……悪いな」 雪音 「…………ホギッちゃんってさ。根っからの悪い人じゃないよね」 遥一郎「マテ、どういう意味だそりゃあ」 雪音 「わたしと会話してる時だけヤケにトゲがある気がしてたんだけどね?     ……でも、なんだかんだ言って謝る時は謝ってくれるし。     うん、やっぱりわたしの目に狂いは無かったねー」 遥一郎「俺は後悔してる」 雪音 「そういう減らず口があるところも高ポイントー!」 遥一郎「評価してないでとっとと帰れ」 雪音 「らじゃーっ!そいじゃねーホギッちゃ〜ん!」 観咲は軽い足取りで手を振りながら去っていった。 ───さて。 遥一郎「……なぁヒナ?」 雛子 「………」 遥一郎「……帰ろっか」 雛子 「………」 こくり。 静かに頷いて、俺達は歩き出した。 ……で、案の定俺の腕を離さないヒナ。 まいったなぁ、という言葉にはこれも含まれていた。 ハッキリ言って歩き辛い。 遥一郎「なぁヒナ……離してくれないか?」 雛子 「………」 ふるふるふるふる。 勢いよく何度も首を横に振られてしまった。 ……結局こうなるのか。 ヒナが現れた時点でなんとなく覚悟はしていたが。 遥一郎「お前って昔っからそうだよな。俺がどんな人と居ても敵対視するんだもんなぁ」 雛子 「………」 遥一郎「いつだったか俺が授業内容がどうしても解らなくて先生に教わりにいった時、     なんでかお前まで付いて来てなぁ。     先生のことず〜っと凝視するもんだから先生もやり辛くて、まいってたな」 雛子 「……よく、憶えてるね、お兄ちゃん……」 遥一郎「お前のことならなんでも覚えてるぞ。     大体にして、お前が俺から離れようとしなかったからな」 雛子 「うー……」 遥一郎「こう思い返してみると、     俺の思い出の中には絶対って言えるほどお前が一緒に居るからな。     小学校の頃からかわれていじめられて、     俺を探してた時に男子トイレに入ってきたときは流石にたまげた」 雛子 「お、お兄ちゃんっ……!」 遥一郎「俺はその時事情を知らなくて、叱ったらそれ以上に泣いちゃってな。     あの時、許してもらうのに随分かかったけど……     俺が話し掛けてもあまりに知らん顔するもんだから、     こっちも知らん顔したら……はは、10秒で泣き付いてきたんだよな」 雛子 「うー、うー」 遥一郎「変わってないよな、ヒナは」 苦笑しながら歩く。 腕を強引に外そうとしないのは……まあ、兄馬鹿とでもなんとでも言うがいい。 雛子 「……変わったよ」 遥一郎「ん?なんだ?」 雛子 「お兄ちゃん、わたし……変わったよ……?」 遥一郎「……どこが?」 雛子 「大きくなったし……それに」 遥一郎「それに?」 雛子 「…………」 遥一郎「ど、どした?顔赤いぞ?」 見れば、ヒナは顔を真っ赤にしながら俯いていた。 その口がなにかポソポソと言葉を発したが、あまりに小さかったために聞き取れなかった。 雛子 「……お、お兄ちゃん」 遥一郎「うん?どうした?」 雛子 「わ、わたしねっ?その……」 ノア 「お帰りなさいませ、マスター」 遥一郎「うわっ!?」 雛子 「きゃっ……!」 ノア 「食事は冷めてしまいましたが、暖めればすぐ食べられます。     外は寒いでしょう。中へどうぞ」 ……今気づいたが、いつの間にか家が目の前だった。 いかんな、ボケたか? ノアは一礼すると玄関のドアを開け、俺が通るのを待っている。 こういう場合、逃げても許されるだろうか。 いや、是非逃げてみたい。 こう、開けてくれたというのに走り逃げる様は……なんかステキそうだ。 ……でも無理だな、ヒナが腕に寄生してる。 これじゃあ走れんわ。 遥一郎「ああ、ところでノア」 ノア 「はい、なんでしょうかマスター」 遥一郎「……料理作ったの、誰?」 ノア 「僭越ながら、わたしが」 だっ!! ノア 「あっ、マスター!?何故逃げるのですか!?」 遥一郎「訊くなっ!俺だって命が惜しい!」 ノア 「ど、どういう意味ですかそれは!」 後ろから聞こえる罵倒を無視して、ヒナを抱えながら走った。 に、逃げるんだッ! 走るンだッ!! どこか安住の地へ逃げツキューン! 遥一郎「うごわっ!」 あ、あらっ……!? な、なんか体から力が抜け…… ───がくっ、どさっ。 俺はとうとう立っていられなくなり、ヒナを降ろして膝をついた。 ノア 「マスター、さあ家に帰りましょう。脱走は許されません。     今度逃げたら麻酔弾くらいでは済みませんよ」 遥一郎「あ、あのなぁ……!」 マスターって呼ぶ人にここまでするか……!? 雛子 「お、お兄ちゃん……!」 ノア 「妹さん、マスターはわたしがお運びいたします。     余計なことはしないでください」 雛子 「……やだ」 ノア 「───そうですか。わたしの使用人としての作業を邪魔するのでしたら、     いくらマスターの妹さんとはいえ手加減は出来兼ねますが」 雛子 「絶対にやだ」 ……バチバチと頭上で火花が散る。 どうでもいいけど道路に寝かせたまま騒がないでくれ……。 ああ、蟻が……蟻が……。 ……俺はしばらくそうして解放の時を待った。 が、解放されたのは予想を大きく上回る時間。 ハッと我に返ったふたりに、蟻に襲われていた俺が助けられたのは陽が落ちる頃だった。 ───ちなみに。 余談ではあるが、その日以来、ノアとヒナの仲が微妙に悪くなった。 Next Menu back