穏やかな春。 俺は陽光を浴びながら眠っていた。 ここ最近は雨も降らず、気分が滅入ることもなかった。 もっとも、雨が振ってもそこまで嫌なわけじゃあなかった。 雨が傘を討つ音は好きだったし、 雨のあとのどことなく澄んだような匂いは嫌いじゃなかった。 ───俺は夢を見る。 この日常が少しずつ変わりながら、いつまでも続くという幸せな夢を。 その夢の中で俺やみんなが笑顔だったかどうなのかなんて…… きっと、考えるまでもないんだと思う。 ───幸せの条件のコト───
───……じゃりりりりりんっ! 遥一郎「ん……?」 目覚ましが鳴っゴガシャアアンッ!! 遥一郎「うおっ!?」 強烈な音に目がハッキリと醒める。 ノア 「おはようございます、マスター」 遥一郎「………」 目を移すと釘バットを持ってお辞儀するノア。 そしてどうしてかグシャグシャになっている目覚まし時計。 遥一郎「あの……ノア?」 ノア 「マスター……マスターはわたしに朝を委ねるのがお嫌いなのですか?」 遥一郎「い、いや……起こしてもらうのは嫌ではないんだが……」 問題は別にあるんですよ。 例えば料理とか料理とか料理とか。 ノア 「それではこれからも朝をお報せさせてもらってもよろしいのですか?」 遥一郎「それはいいけど、料理は作らないでくれ」 ノア 「………」 悲しそうな顔をするノア。 だがここで言っておかないと、いつまた倒れるとも限らない。 遥一郎「起こしてさえくれれば、俺が料理を作るから。     ノアはそれを見ながら料理を上手くなればいいんじゃないかな」 ノア 「実践以上に身になるものなどあるのでしょうか……」 遥一郎「あるったらある。いいから料理は作らないこと」 ノア 「それは命令ですか……?」 遥一郎「う……」 毎度、この言葉には苦汁を飲まされているが……ここはやっぱりビシッと。 遥一郎「……命令だ」 ノア 「っ!!」 ノアが驚愕する。 一歩下がって、震えながら俯くと…… ノア 「申し訳……ありませんでした……」 震える声でお辞儀をして、部屋を出ていった。 遥一郎「あっ……あ〜……」 ノアが出ていったドアを見ながら溜め息を吐いた。 傷つけるつもりはなかったんだけどな。 でも人が倒れるような料理を作らせたままにしておくのは、 彼女自身にもプラスにならない。 厳しいかもしれないけどこれでよかったんだ。 遥一郎「ん……」 俺は重苦しい体で目を擦って立ち上がって着替えると、 階下へ降りて顔を洗って歯を磨いた。 そのままの足でキッチンへ辿り着くと、俺は腕まくりをして気合を入れた。 遥一郎「……ノアは、やっぱり居ないか」 見ててくれっていったって、あんなことを言われてから当日に居るわけがないよな。 声  「ココニイマス」 遥一郎「うわぁあああああああああああああっ!!!!!!!」 ノア 「あ、マスター、わたしですっ」 遥一郎「あ、わっ……ノ、ノアッ!?」 ノア 「はい……」 遥一郎「………」 ノア 「………」 重い空気が流れる。 だが俺はドキドキしながら胸を押さえるようにして、 何故にスパイスガール風だったのかを考えていた。 フレア「何事ですかっ!?」 雛子 「お兄ちゃんっ……!?」 サクラ「………………うっさいです」 そんな中、みんながドタバタと走って現れる。 俺の叫びが届いたらしい。 だがサクラは寝惚け眼で現れ、キツイひとこと。 遥一郎「あー、いや、なんでもない。     時間はまだ十分にあるからゆっくりと着替えてきてくれ」 手をひらひら揺らせてなんでもないと促す。 それによって困惑顔をしながらもフレアとヒナは部屋に戻っていった。 ……が、何故か戻らないサクラさん。 サクラ「…………………………………………う?」 う?じゃないって。 遥一郎「ま、いいか」 サクラの頭をポンポンと撫でてノアに向き直る。 よく解らないけど、重い空気は少しは引いてくれていた。 遥一郎「じゃ、料理……しようか」 ノア 「……はい、よろしくお願いします」 ノアは俺にお辞儀をして、ぎこちなくだけど微笑んだ。 ……さて、クッキングスタートだ。 ───ドグシャアアアアアアアンッ!!! ノア 「きゃっ……!!」 遥一郎「ノアッ!?」 突然、炸裂音とともにノアの悲鳴が聞こえる。 俺は慌ててリビングからキッチンに戻った。 ノア 「……レ、レンジが……玉子で……爆発……」 遥一郎「………」 レンジの中で玉子が爆裂していた。 しかもその余波(?)でレンジも崩壊。 どういう玉子だよ……。 ノア 「せっかくレイルさまにいただいた玉子だったのに……」 遥一郎「ノープロブレムだ、玉子なんてまた入手すればいいよ。それより怪我はないか?」 ノア 「はい、わたしは大丈夫ですけど……レンジが」 遥一郎「いいって言ってるだろ?女の子なんだから自分を大切にしないとだめだろ」 ノア 「マスター……」 俺を見上げるノアの頭を撫でて、ひとまずはレンジのコンセントを引き抜く。 漏電したりしたら死ねるし。 ノア 「あの……玉子を温めようとしたのですが……」 遥一郎「玉子はレンジで熱しちゃいけないんだ。気をつけような」 ノア 「はい……」 ……ああもう、またがっかりする……。 今朝の料理作るだけで何回この顔したかなぁ。 そんなに気にすることないのに。 遥一郎「ノ〜アッ」 ノア 「え?あっ」 俺はそんな顔が見てられなくて、ノアを後ろから抱き締めた。 遥一郎「失敗くらい気にしなくていいんだよ、だからそんな顔するな」 ノア 「ですが……」 遥一郎「ですがじゃないの、スマイルスマイル」 ノア 「…………それでは、失敗しても食べてくれるのですか?」 遥一郎「それは無理」 ノア 「〜〜……っ」 遥一郎「いや食う!食います!だから泣くな!」 ノア 「ではここに完成品が」 遥一郎「ぬおっ!」 しまったハメられた! 今更気づいたが、ノアの顔がオモチャを見つめる子供の瞳に……ッ!! ノア 「さあ」 遥一郎「ぐあっ……!急に盲腸が!」 ノア 「……やっぱり食べてくださらないんですね……」 うぐっ……! こ、この顔反則! こんな顔で見られて断れるわけないでしょうが! 遥一郎「く、くそぉおおっ!俺も男だ!二言はねぇっ!!神よ!俺に力をォオッ!!」 がぼっ!!もしゃもしゃっ!ゴリッ! ───……ゴリ? チュドンッ! 遥一郎「ギャッ!」 ……どしゃあ。 ノア 「マ、マスター!?マスターッ!!」 フフ……このジャリジャリとした成分……火薬……? ああもうステキすぎよノアってば……。 ていうか火薬って噛んだくらいで爆発するんスカ……? がくっ。 ノア 「マ、マス……いやぁああっ!マスタァアアッ!!」 サクラ「ああうー、うるさいですノア……んきゃあああああっ!!     与一がっ!与一が口から煙出して倒れてるですーっ!!」 ノア 「医者っ……医者を……!」 パンポーン。 サクラ「にうっ?だ、誰です?こんな時に……」 ノア 「サクラは玄関に行ってください!     わたしはこれ以上の悪化を防ぐためにアークを起動させます!」 サクラ「がってんですオジキッ!」 ノア 「だっ……誰がオジキですかっ!」 ドバーン! サクラ「はうっ!?」 雪音 「やっほーホギッちゃ〜ん!勝手に入ったよー!」 サクラ「アンローフルインヴェイジョンですーッ!!」 雪音 「え?わ、わわっ!!」 サクラ「サクラの匕首、受けてみよです!シャアアアーーッ!!」 雪音 「ちょっ……待って!そんなの出されたら加減出来ないよっ!」 サクラ「武士道とは死ぬこととみつけたりです!殺すつもりでかかってくるです!」 雪音 「ひぇえっ!いきなりなんでこうなる───あわぁっ!……もうっ!」 ガキィンッ!ドパパパァンッ!! サクラ「んきゃあっ!」 ……ばたっ。 雪音 「……あ。つい正中線連撃が……」 ノア 「いえ、刃物を弾いてからの連続攻撃は見事でした。     ところで……すいません、ここらへんに病院はありますか?」 雪音 「ほえ?ってうわぁっ!!?     ほ、ホギッちゃんてばなんてワイルドなフェイスに……!」 ノア 「はい……一刻も早く病院へ連れていかないといけないのですが、     わたしにはその病院がある場所がわからないんです……」 雪音 「……もしかして、天上人?」 ノア 「───はい。もう事情をお知りなのですね。     お願いします、どうかご助力ください」 雪音 「わ、そんな頭下げたりしないでっ!     えと……とりあえず知り合いに腕のいいお医者さんが居るからそこに行コッ!?」 ノア 「は、はいっ」 ───……。 ……なんだろう、とても暖かい……。 顔の痛みも消えていって……なんだろ……? 遥一郎「ん……?」 目を開けた。 その先に見えるのは 男  「モーニン」 遥一郎「うわっ!?」 妙な男だった。 童栄 「起きたか。まったくよく怪我をするヤツじゃの」 遥一郎「え?童栄のじっちゃん?じゃ、ここって……」 童栄 「ああ、わしの病院じゃ」 男  「ボロっちい病院だけどな」 童栄 「ほっとけ。大体なにしに来たんじゃお前は」 男  「冷やかしに」 童栄 「とっとと帰れ」 妙な男は童栄さんの知り合いらしく、気軽に話し掛けてる。 ……って、この顔ってどこかで─── 遥一郎「って、あぁーっ!!!」 男  「ヒィ!?な、なんじゃいいきなり大声出して!」 遥一郎「あんた!あの時のエセ校長!!」 男  「なにぃ!?き、貴様俺様の過去をどうして知っている!?」 遥一郎「……あの時俺も居たから」 男  「そうか。ならば仕方あるめぇ、名乗ってやろう」 遥一郎「いや、別にいいや」 男  「聞けこの野郎!」 遥一郎「………」 男  「俺さまの名前は伝説のうどん職人……弦月彰利ぞ!!」 遥一郎「………」 彰利 「驚きのあまりに声も出ぬか。ていうか無視すんなこの野郎」 遥一郎「童栄さん、この変態とどういう関係?」 彰利 「親子だ」 童栄 「冗談じゃないわっ!貴様のような子供はこっちから願い下げじゃ!」 彰利 「ギャアヒドイ!そこまで言う!?     てめぇこのジジィ!中傷したお詫びにレタスよこせ!」 童栄 「持っとらんわそんなもの!」 彰利 「なにぃいっ!?中傷され損かよオイ!     ふざけんなよハゲェ!なんかあんだろハゲハゲてめぇこのやろハゲェッ!!」 童栄 「ハゲとらん!これだから貴様が来るのは嫌なんじゃ!」 彰利 「どうだ、孝行息子だろう?」 俺を見て満面の笑みで言う彰利とやら。 遥一郎「……どこをどう見て孝行息子だと判断しろと……」 彰利 「主にこの大胸筋かな」 そう言ってムキーンと筋肉を隆起させる彰利。 ……キモイ。 彰利 「ふむふはははははは!!俺様の筋肉の美しさに声も出ないか!     そうだそうだろうそうだろうともそうじゃなきゃ俺様が許さねぇ愛に誓って!     ああっ!俺、今とっても輝いてる!」 ギシャアア!! 遥一郎「キャーッ!?」 いま、いま…… 遥一郎「か、かかか……顔が光ったぁーっ!!」 彰利 「実は俺様はそこに居る胸毛ジジィに造られた人造人間でな」 童栄 「ウソじゃ。信じるな」 彰利 「協調性の無いこと言うなよムナジィ」 童栄 「誰がムナジィじゃ!」 彰利 「あ、ムナジィというのは胸毛ジジィの略で」 童栄 「わざわざ説明せんでよいわ!冷やかし終わったなら帰らんか!」 彰利 「いやー、悠介の前じゃあまだ公に月操力使うわけにはいかんのよ。     せめてルナっちが来襲して月鳴力のなんたるかをインプットしてくれるまでは、     ウヴな悠介を堪能したいわけよ俺としては」 童栄 「頬を染めながら言うな、気色悪いわ」 彰利 「ムフウ、この心が解らないとは。所詮ムナジィはムナジィか」 童栄 「違うと言っとるだろうが……!」 彰利 「やーいムナジィ〜!ムナギャァアアオォゥムナギャァアアオォゥッ!!」 童栄 「きっ、キサマ!!」 彰利 「はっはっは、まあそう怒るなご老人。俺様はこれでも紳士だ、老人は労わる」 ウソだ。 遥一郎「ところで……今何時?」 彰利 「10時2分だ。遅刻オメデトウ」 遥一郎「ぐはっ……!」 マタデスカーッ!? 彰利 「いや、そんなことはどうでもいいんだ。それよりオヌシ」 遥一郎「そんなことって……」 彰利 「こ、このメイド服着た幼気の残るガールはキミの知り合いかい?」 人の話を全く無視して、彼は詠った。 うん、失礼なヤツだということがよぉ〜っく解った。 遥一郎「……そうだけど。そうれがどうし」 彰利 「テ、テイクアウトは可能かっ!?」 遥一郎「───はい?」 彰利 「いや!何も言うな!解る、解るぞ……!     貴様も男のはしくれならメイドさんに憧れたことくらいはあるだろう……!     そして手に入れたメイド様を手放したくない気持ちも解る……ッ!」 遥一郎「いや……なに言って……」 彰利 「だがなー!キサマだけが幸せだなんて許せねィェーッ!!     表へ出て俺と勝負しろ!男らしく刺繍で勝負だ!」 遥一郎「どこらへんが男らしいんだ!どこらへんが!」 彰利 「オーガにも勝るこの背筋が!」 遥一郎「無関係だろそれは!」 彰利 「まあそう怒るな。男の嫉妬はみっともないぞ」 ……俺はツッコミをいれているのであって、嫉妬じゃないことは確かだ。 そもそもこいつはなんなんだ? 名前が解ったところで、人間性がまるっきり謎……あ、いや。 人間性を唱えるならこいつは紛れも無い純粋な変態だ。 うん、それは間違い無い。 問題はなぜこの変態がここに居て、俺を見ていたのかだ。 遥一郎「……あのさ、童栄のじっちゃんとはどういう関係なんだ?」 おそるおそる訊いてみる。 出来れば話したくはないんだけど、 そうしないことにはずっとこいつのペースに巻き込まれそうな気がした。 自分の弱さにほとほと呆れる。 彰利 「オウ?オウオウオウヨ〜!キミがその質問をしてくれて嬉しいよ。     ……と言うとでも思ったか小童が!愚民が俺様に意見など5秒早いわ!」 5秒なんだ……。 ますます解らない変態っぷりに俺は項垂れるしかなかった。 その間にも彰利はギャースカ喚き散らして、俺の脱力感を増幅させている。 そもそもの狙いというか、どんな用事があったのかが解らない上に、 その相手が変態ときている。 俺はまるっきり謎めいて、悩むことくらいしか出来そうになかった。 ……無視して帰ればいいんだろうけどさ、ノアが眠っちゃってるんですよ。 背負っていけばいいんだろうけど、 さっきの口調からしてこの男は俺がノアを背負った時点でいろいろと騒ぎそうだ。 先ほどから嫌な未来図ばかりを提供してくれる鍛え上げた頭に、俺は少し悲しみを憶えた。 でも、と思い直して立ちあがる。 もちろん帰るためだ。 遥一郎「えっと、何度も迷惑かけてすいません。それじゃあ俺、帰りますね」 童栄 「……フン、精々養生するん」 どげしっ。 童栄 「むおっ!?」 彰利 「やいてめぇ!その幼子ガールは寝ているというのにどう帰るつもりだ!」 押しのける必要もないのに童栄さんを押しのけて、変態は語る。 今、一番言ってほしくなかった言葉だ。 どうやら予想通りの展開になりそうだ。 そんな状況に、やっぱり俺は項垂れるしかなかった。 遥一郎「……背負っていく」 やがて覚悟を決めてそう言う。 彰利 「なにぃ!?」 で、訪れたのは予想よりかなり大袈裟な反応。 彼は人を指差しながらガクガクと震え、尚且つジリジリと距離をとった。 彰利 「き、貴様メイドさんを背負うというのかコンチクショーッ!!     なんて羨ま……羨ましい!」 結局羨ましいんかい! どもって言い直す意味がねぇ! 遥一郎「仕方ないだろ、置いていくわけにもいかないし」 彰利 「置いていけ。俺が愛す」 真面目な顔で俺に語りかける彼の言葉に、押さえていた脱力感が流れ出す。 もちろん言う言葉は決まっている。 遥一郎「余計に心配だからダメだ」 彰利 「なにぃ!?そんな殺生な!てめぇメイドさんを独り占めするつもりか!?     しかもこんな幼さの残る娘ッコメイドを!」 遥一郎「メイドメイド言うな!」 彰利 「おー!?メイドじゃなかったらなんだって言うんだこの野郎!」 遥一郎「え?えっと……」 本気で怒るように言い放つ彼の迫力に、俺は一歩を引いた。 どうして俺が、という考えよりも……なんていうか負けたくない気持ちが溢れる。 よく解らないけど人の家庭事情を誰かにとやかく言われる筋合いなどないのだ。 特にこの変態には。 遥一郎「……あれだ、使用人」 彰利 「ギャア最低!」 遥一郎「えぇっ!?」 彰利 「ウダラこんな娘ッ子を『使用人』とおっしゃいますか!     何に使うつもりなのか事細かに逐一報告してみろコラァ!!」 遥一郎「なっ……」 いきなりの質問に戸惑う。 思うんだけど、どうにも俺はこういう質問には強くないらしい。 無駄に知識があっても表現力が追いついていないっていうか、 とにかく自分には何かを表すための何かが足りないんだと思う。 咄嗟に判断出来なかったり言い返せないのはそういうことなんだと思う。 ……もっとも、目の前のこの変態相手に口で負けるのは癪だった。 嫌なヤツに喧嘩で負けるのが悔しいと思うものと似ている。 鼻息を荒くして『ン?ンン〜ッ!?』と見下したように発言を促すこの男には相当だ。 だから負けない。 というより負けたくない。 遥一郎「使用って、そういう意味のことじゃないって!     いや、そもそもどうしてお前に逐一の報告が必要なんだよ!     俺の事情に首を突っ込んで何様だ!」 彰利 「俺様だ!」 遥一郎「………」 呆れた。 突き放すような発言も無意味だった。 むしろよく解らない自信をつけたのか、さっきより馴れ馴れしく俺を見下している。 彰利 「やぁねぇ逆ギレしちゃって。おんどれ礼儀ってもんがなっちゃいねぇザンスよ?     まったくこれだからメイドを雇っているような金持ちボンボン野郎は嫌サンス。     ま、もっとも?アタクシが嫌なのはメイドよりむしろおんどれの方ザンスがね。     いいえ、むしろメイドは崇めるべきザンス称えるべきザンス拝むべきザンスよ。     昔っから思っとったんじゃけんど、メイドより偉い主人など存在するんかねぇ。     メイドとは即ち家事のエキスパート!主婦よりも優れ、掃除屋にも勝る機能性!     全てのものをこなし、その屋敷の事情を脳に叩き込んである真の意味での主人!     おかしいと思ったんだ。どうして雇っただけの分際で、     主人という役柄というだけの分際で雇い主が踏ん反り返っているのか。     メイドこそ館の主。メイドこそ心のオアシス。     家事や掃除を言われるまでもなく完璧にこなすパーフェクトヒューマン。     メロドラマの姑の嫌味なんぞ足元にも及ばない完璧なまでの仕上がり。     そう、メイドこそ人間の完成形であり、人類が作り出した最高の職業だ。     つまりは人に奉仕することで人の心を癒し、     主人に忠実に仕えるのだからこそ出来るその行動。     主人を否定しておいてなんだが、出来の悪い主人が居てこそメイドは輝く。     いや、違うな。如何に輝いた主人が居ようとも、メイドの輝きには劣る。     そもそも主人などという役柄にメイドと同じようなことが出来るわけがない。     出来るのならば雇いはしないし、頼ったりもしないだろう。     この頼る、という部分が重要だ。     そもそも主人という役柄は上位のものとしての印象が高いが、     ことメイドに関してはその威厳も薄れる。     何故なら主人という者とて所詮は人間。     メイドに頼らなければ掃除も出来ず、     豪邸をむざむざ廃墟にするような存在なのだからな。     その上クソ坊ちゃんごときに料理が出来るわけがなく、     そんな調子で餓死することは目に見えている。     その事柄を合わせ、総合するに至り。     主人という役柄は態度がデカイだけのデクノボウに過ぎない。     メイドの前では輝きを失い、     自分ひとりでは何も出来ないクソミソ人生を送る可哀相な役柄さ。     解るか?お手伝いとして誰かを雇うのとメイドを雇うのとでは明らかに違う。     ベビーシッターはメイドとは違う。掃除夫などもその考えからは除外する。     メイドとは家の番人にも勝る、究極と言って差し支えないない職業だ。     生半可な覚悟で挑める職業じゃないのは元より、     半端な技術レベルで取り組める仕事でもない。     鉄壁の一面と蒼空のような一面。その両面を持ち合わせた者だけがなれるんだ。     鉄壁とは即ち仕事に対する意欲と努力と完璧さ。     蒼空とは即ち主人に対する笑顔に献身にひたむきさ。     いいか、従順さなどというのはこの際、二の次なんだ。     なんでも言うことを聞くのがメイドだというんじゃない。     献身だ。誰かを思うことほど人を強くするものはないんだ。     それはある種の欲なわけだからな。人を突き動かすのは欲望なわけだ。     それで動かないのは道理に至らない。ああ、ようするにこういうことだ。     メイドを雇うなら主人もそれなりに見合った性能がなければならない。     そのメイドがその主人に就くに価値する者か否か。すべてはそこに終着する。     ……俺はそう考えているわけだ」 長いって……。 あんまり長いもんだから意識飛ばしてたじゃないか。 遥一郎「よく解らないから帰っていいか?」 彰利 「解らなかったか、仕方ねぇのう。いいか?そもそもメイドってのは」 遥一郎「説明はもういいから!」 彰利 「なにぃ!?謎が謎のままでいいとでも言うのか貴様!」 遥一郎「とにかく!俺もう帰るから!それじゃっ!」 彰利 「なにぃ!?こ、これ待たんか!もっとメイドガールを見せろ!」 お断りだった。 俺はノアを抱きかかえて診療所から逃げるように駆け出した。 いや、実際逃げていたんだと思う。 うん、逃げた。 思うどころの話じゃない。 だって、後ろから聞こえるおぞましいほどの足跡を聞けば、誰だって逃げたくなる。 彰利 「さ、触らせろォオオオ……!メイドォオオオ……!!」 その姿はまるで幽鬼。 形を持たないナニカのようにザワザワと追ってくる彼は、まさに脅威の存在だった。 声は地の底から聞こえてくるようなくぐもった声。 だというのにハッキリと聞こえ、それがかえって不気味だった。 しかも相当早い。 余計に怖くなって、俺は地面を何度も蹴った。 ───が。 途中、彼の絶叫とともに足音は消え、振り返ってみても彼は居なかった。 遥一郎「……?」 気になって戻ってみたら、深い穴が出来ていた。 落とし穴らしいその穴は本当に深く、中からは悲しげな声が聞こえている。 やがてその声が『しくしく』という鬱陶しい鳴き声に変わる頃、そいつは現れた。 澄音 「やあ」 まるで幼馴染にかけるような気慣れた言葉で俺に声をかけるそいつは蒼木澄音。 最近知り合った友人は、俺に微笑みかけながらこちらに寄ってきた。 俺はその姿に違和感を持って、口に出す。 遥一郎「今日は車椅子じゃないんだな」 そう、今日は車椅子に乗っていない姿に違和感を憶えたのだ。 俺の疑問に蒼木は困ったような顔をして言う。 澄音 「リハビリの一環、ていうものなのかな。     治ったわけじゃないんだけどね、     こういうものは治ろうとする気持ちが大事だって、童栄さんがね」 遥一郎「そっか」 理由を聞いた俺はひとまず納得する。 実際その通りだと思うし、少しずつでも体を動かさないと筋肉が硬直してしまう。 だけどそれ以上にフラフラと危なっかしい蒼木を見ていると、こっちも気が気じゃない。 遥一郎「大丈夫なのか?」 澄音 「実を言うと、今日は調子がいい方なんだ。歩くのに支障はないよ」 遥一郎「……そっか。それはなによりだな」 澄音 「ははっ、そうだね」 病気だというのに変わらないその笑顔に、俺は少し戸惑いを感じた。 どうしてこんなに笑ってられるのかな、って。 遥一郎「……こうしてると、お前って普通の人だよな」 だから、そんな言葉が漏れた。 無意識だったのかもしれないし、言うつもりがあったのかもしれない。 澄音 「ひどいなぁ、僕だってちゃんとした普通の人だよ」 苦笑するように言う澄音は、だけど傷ついたような素振りを見せなかった。 人を傷つけることも嫌いなら、傷つけられることには鈍感というのか、 例えようがないけど、傷つくという概念があまり感じられなかった。 もちろん感情が死んでいるだなんて言うんじゃない。 ただ、何かをどこかで諦めているように感じてならない。 遥一郎「いや、違う。そういう意味じゃなくてさ。     病気だ、なんて言われても信じられないって意味だよ」 澄音 「……うん。そうかもしれない」 遥一郎「無粋を承知で訊くけど。本当は病気なんかじゃないんじゃないか?」 澄音 「…………そうだね」 蒼木は俺の言葉を聞いておかしそうに笑った。 澄音 「僕もね、時々忘れるんだ」 遥一郎「忘れるって……何を?」 澄音 「自分が病人であることを」 楽しそうに笑う蒼木。 そんな顔を見ていたらますます病気だなんて信じられなくなる。 ……いや、信じたくないだけなのかもしれない。 知り合って日は浅いけど、俺はこいつが嫌いじゃない。 むしろ友達として大事な存在だ。 澄音 「信じられないよね。     不治の病だ、なんて言われているわりに僕は案外動けるんだよ。     だから、天気のいい日なんかは自分が病人であることを時々忘れてしまう。     それで毎回怒られているんだけどね。学習能力が無いのか、僕は懲りないんだ」 遥一郎「………」 子供っぽい悪戯な笑みを見せる蒼木。 どうしても苦しむ顔なんて思い浮かばないそいつは、ずっと笑顔なんだと思った。 だけど、違う。 こいつはその病の辛さを知っているし、治らないことも知っている。 でも……不思議と可哀相だなんて思わなかった。 だって、こいつは不平をもらさない。 いや、言ったかもしれないけど─── そこにそれほどの恨みや憎しみがあるようには感じられなかった。 それはどうしてなのか。 突っ立ったまま、蒼木の声も聞かずにただ考えた。 だけど答えは出ない。 当然だ。 俺は蒼木じゃないし、その病気にかかっているわけでもない。 それは本人にしか解らないわけだし、 俺の頭でいくら考えても健康な俺が辿り着ける終着とは思えなかった。 澄音 「……キミは、運命ってものを信じるかい?」 遥一郎「え……」 突然のハッキリとした言葉に、意識を戻した。 はっきり言って目の前に蒼木が居たことすら忘れていた。 そして、その質問の意図を考える。 『運命』─── その言葉は誰かの希望であり、または誰かの絶望でもある。 口にするにはあまりにも簡単なのに、それは時として死神の鎌にさえ成り得る。 俺はそんな危ういものを背負いながら生きていくつもりはないし、 元よりそんな神懸りなものを信じるつもりはない。 人の人生っていうのは危うさで支えられているものだけど…… そんな、最初っから決まっているものに頼るつもりはない。 遥一郎「……俺は運命なんて信じないよ」 澄音 「……うん。僕も運命は嫌いだよ。僕が信じたいのは『希望』だから」 彰利 「そうそう。運命なんて信じちゃならねぇぞ」 遥一郎「うわっ!?」 突然の声に振り向くと、そこに立つ男。 ……こ、この人……落ちたんじゃなかったっけ……? 彰利 「知ってるか?     誰もが誰も、『運命を変える』とかなんとか大層なこと言ってるけどな。     変えられる運命なんてものは運命とは言わないって」 遥一郎「え……?」 変えられる運命は運命じゃない……? 遥一郎「それってどういう……?」 彰利 「ん……」 俺の質問に途端に真面目な顔になり、どこか悲しさを含んだ目で俺を真っ直ぐに見た。 彰利 「……あのな。運命ってのはさ、あれだろ?最初っから『決まってるもの』。     だったら『変えられる決まってるモノ』ってのはなんだ?     それは変えられた状態でも『運命』っていえるか?     結論。変えられた時点で……いや。     変えられる時点でそれは運命なんかじゃないのさ。     どーとでもなる普段の日常と変わらないのさ。     大体、先のことも解らないのに運命だなんて言葉を作った先人の気がしれないね。     そもそも現代の人物は先人の物事を間に受けすぎなんだよ。     そんなことじゃあ思考の回転が先祖から腐っていって、     いずれ産まれる子孫は一定のことしか考えられない馬鹿者集団になる。     はーぁ、そんな未来はアレだな、クズだよ」 遥一郎「はぁ……」 よく解らずに気のない返事をする。 ああ、別にそうしたくてしたわけじゃなくて、 実際に気が抜けたように、そんな声が勝手に漏れたんだ。 彰利 「あ、でも……でも、な?」 遥一郎「え?」 ひとことひとことを大切に扱うように、同じ人とは思えない大人びた顔をする彰利。 彰利 「……運命は変えることは出来なくても、歴史は……変えられる。     それは俺が保証するよ。……って言っても、普通は出来ないけど」 まるで長年の友人に話すように。 彼は、本当に見惚れるくらいにやさしい顔で笑っていた。 彰利 「───……あ。あ、えーと……忘れろ。今のは忘れろ。     俺が人前であの顔をするのは悠介の前だけなんだからなっ!忘れろ!」 が、突然に険しい顔をして怒鳴り散らす彰利。 なにがなんだか解らない。 彰利 「あ、ところでYO。メイドさん目を覚ましたみたいだぞ」 遥一郎「え?」 その言葉に反応してノアを抱え直してみると、確かに『ううん……』と呟いた。 遥一郎「ノア……?」 ノア 「あ……マスター……?」 目をコシコシと擦りながら、どこか寝惚け風味に言葉を紡ぐノア。 ……なにやら可愛い。 一応その目がハッキリと開かれるまで、俺は待つことにした。 なんだかんだ言って、俺はおなごに弱いらしい。 あ、いや……そんなことは随分前から知っていたような気もするけど。 遥一郎「……ん?」 澄音 「………」 ふと視線を感じてノアから視線を外すと、蒼木が穏やかに笑っていた。 俺はなんだか心を見られているような気恥ずかしさに迫られて、 慌ててノアを……確実に、転ばないように立たせた。 それを見て蒼木は余計に笑った。 遥一郎「ん〜……そんなにおかしいか?」 澄音 「ああ、ごめん。なんだかひどく優しそうな顔していたから。     よっぽどその子が大事なのかなって」 遥一郎「…………」 大事。 まあ、そうかもしれない。 料理も下手で要領を得ないやつだけど、俺は別に嫌っていない。 俺は誰かのために頑張れる人は無条件で凄いと思うし。 遥一郎「…………ところでさ」 澄音 「うん、なにかな」 遥一郎「あの変態男は?」 澄音 「ああ、彼ならさっき、風よりも早く走り去っていったよ」 遥一郎「………」 音、聞こえなかったんですけど。 遥一郎「え〜と……」 居なかったら居ないで表し抜けするようなヤツだったなぁ。 べつにいいけど。 遥一郎「それにしても……はぁ。またサボリだよ……」 考えてみれば入学以来、一度も行っていない気がしないでもない。 どうしたものかと本気で考える。 …………いいや。 なってしまったものはしょうがないし。 暗いままじゃあどうにもならないよな。 遥一郎「あ、そうだ。なぁ蒼木?レイチェルさんって魔器持ってるのか?」 澄音 「レイラかい?持ってるって言うか、あの帽子がそうらしいよ」 遥一郎「あれですか……」 奇妙な形の帽子を思い出す。 ……どんな効果があるんだろうなぁ。 澄音 「その娘も天界人だよね?雪音が言ってた」 遥一郎「そっか……って。あいつにノアが天界人だって教えた憶えは無いんだが」 澄音 「ノアちゃん自身が教えたんだじゃないかな」 ……そっか。 そういう考えがあったか。 ノア 「自己紹介がまだでしたね。わたしはノア。ノア=エメラルド=ルイードです」 澄音 「僕は蒼木澄音。ごめんね。     雪音がキミのことを『ノア』って呼んでいたから呼ばせてもらったけど……」 ノア 「構いません。略されて『ノエル』と呼ばれるよりはいいですから」 澄音 「そうなのかい?」 ノア 「そうです。それから、マスターを助けていただいてありがとうございました」 ノアは姿勢を正して深々と頭を下げた。 澄音はそれを見た途端におろおろしだして、すぐに顔を上げるように頼んだ。 どうやらそういうのに慣れていないらしい。 ……誰だってそうか。 澄音 「ほら、顔上げてってば……。穂岸くんを助けたのは僕じゃないんだ」 ノア 「いえ、お礼を言うべき人が早々に立ち去ったのであれば、     せめて言葉を発する相手は欲しいものです。     あの……何かお礼をしたいのですが」 ノアがどんどんと話をややこしくしている気がするのは俺だけだろうか。 いや、真剣なんだろうけど、なんか……なんて現せばいいのやら……。 遥一郎「ノア、やめなさい。蒼木が困ってる」 ノア 「しかし……」 澄音 「その気持ちだけで十分だと思うよ、ノアちゃん」 ノア 「お言葉ですが、気持ちは表さなければ届きません。     ですからわたしは意地でもあなたにお礼をします」 澄音 「………」 遥一郎「………」 蒼木がアイコンタクトで『変わった娘だね』と言ってくる。 苦笑にも似たその顔は、まるで妹を見るようなやさしい顔だった。 澄音 「それじゃあどうしようか」 遥一郎「え?あ、や……俺に言われてもな」 アイコンタクトから目線をずらさず、そのまま言葉を放つ。 それでも苦笑気味なその顔は変わらずに穏やかだ。 遥一郎「んー……なにか困ったこととかあるか?」 澄音 「困ったこと……うん。病気くらいだよ。僕はこの生活は嫌いじゃないし」 ノア 「病気?」 ノアがピクッと反応。 やがてその顔が弛む。 ノア 「それはヒドイ病気ですか?」 澄音 「持病ってやつかな。ずっと続いている」 ノア 「現在の体調はどうですか?」 澄音 「いつもと比べると……そうだね、驚くくらいに好調だよ」 ノア 「本当ですね?」 澄音 「ウソを言ってもしょうがないよ」 ノア 「……解りました。アーク」 遥一郎「え?」 ノアが『アーク』と唱えると、どこからともなく変な物体が飛んできた。 そしてノアの頭の上に乗っかると広がり、 それはメットのような帽子のような、とにかく微妙な被り物になったのだった。 ノア 「あなたから不幸を取り除きます。     調整をすればそれ以上病状が悪化することが無くなります。     しばらく動かないでくださいね」 澄音 「え?あ、……」 メットが淡い光を放つ。 その光はどうやら蒼木から何かを吸収しているらしく、どんどんと強くなっていた。 最後に『キュポン』という、その場に不釣合いな音を奏でて……その光は消えた。 ノア 「完了です。これで病状がそれ以上悪化することはなくなりました。     好調な時の状態ですから、動くのにも問題はない筈です」 澄音 「………」 蒼木は手を握ったり開いたりを繰り返した。 そしてダッ!と走ったかと思ったらすぐに止まった。 澄音 「あ……はは……っ!」 そして弾けるくらいの笑顔を見せた。 俺も自分のことのように喜んだ。 が。 蒼木は限界にチャレンジしたくなったのか、突然全力疾走を始めた。 慌てて追いかけたが、疲れることを知らないとでも言うように、蒼木は走り去った。 遥一郎「……マジですか……」 俺の方はダメです。 息切れです。 ハラショーです。 ……ハラショー関係無いっちゅうねん。 ノア 「……喜んでいただけたようですね」 遥一郎「……相当にな」 もう呆れた。 将来きっと、ステキなスプリンターになれるよ彼。 遥一郎「……帰るか」 ノア 「はい、マスター」 程よい……とは言えない奇妙な脱力感に抱かれながら、俺は自分の住まう場所を目指した。 Next Menu back