───季節がめぐりゆく時の中。
 春が巡る度に木にもたれかかり、自分はいつも眠っていた。
 その度に見る夢は懐かしくて、目が覚める度に涙の跡を拭っていた。
 懐かしい想いはいつ思い返しても懐かしくて、そして……悲しくもあり、楽しくもあった。
 たった一日でもいい。
 あの日常が帰ってくるのなら───……






03/喫茶カルディオラの攻防(べつに戦わない)

 ───……。

「……はい、ええ……すいませ───え? 別に気にしてない? そ、そうですか」

 燃えカスの荷物の中で生命を維持していた財布を見つけて公衆電話で電話をしている。もういっそそれが幸せで構わない。ありがとう財布。携帯は溶けて変形してたけど、もはや悲しむまい。
 ともかくそれが今の現状だ。
 こんな所によく、公衆電話なんてあったよな。

「ええ……ええ……はい? えっ!? ちょ、ちょっと……それホントですか!?」

 叔父に電話をかけているんだが、どうにも火事で家が燃えたことは気にしていないらしい。
 それどころか、あそこは“|曰《いわ》く付き物件”だったらしい。
 なんでも過去に人が自殺したとかしないとか。ガソリン被ってコンロの火でファイヤーしたとかなんとか。だから叔父も使わなかったらしい。
 おいおいおい、そんな家を人に勧めないでくれ……そんな心境だ。

「勘弁してくださいよ……え? 詫び? ええ、ええ……えっ!? ホ、ホントですかっ!?」

 話していると嬉しいことになってきた。
 叔父の知り合いで、喫茶店を経営している店があるらしい。
 “そこで住み込みでバイトをしながら学校に行く気はないか?”とのこと。
 願ったり叶ったりだ。
 火事についてのことも処理は向こうでやるから、すぐにでも喫茶店に向かいなさいとのことだ。なにからなにまでありがたい。

「ぜ、是非! はい! はい! じゃ、お願いします!」

 興奮したままに、カシャンと受話器を戻した。
 やがて───

「よっしゃぁああああああああああっ!!」

 歓喜乱舞。
 俺は側に居たサクラの手を取り、踊るように|燥《はしゃ》いだ。

「ひやぁぇぇえええぇえぇぇ……きっ……気持ち悪い……ですぅぅうう……」

 で、あっさり目を回すサクラ。
 フラフラとして、倒れそうになるのを支える。

「悪い、かなり嬉しかったから」
「な、なにです……?」
「住む場所とバイトが決まった! ヒャッホウさ!」
「ヒャッホウです?」
「ヒャッホウです」

 なんとも変な会話だ。
 だがそれも気にしない。喜びを全力で表現出来るなら、是非ともするべきだ。嬉しいのに喜ばないのはもったいないしな。

「ここからそう遠くないそうだ。早速行ってみよう」
「です」

 叔父がすぐに連絡してくれるそうだから、今から行っても大丈夫……か?
 焦げた家の前で状況を把握して立ち直るまでの間に既に朝を迎えてしまったから、別に迷惑にはならないだろう。さすがに夜中に訪問するのは迷惑だろうけど。
 でもなぁ、叔父のコネでも相手が断ったらそれで終わりだしなぁ。う〜ん……不安だ。
 しかもサクラも居るし……あぁサクラといえば、サクラが来た時の俺の幸せメーターが5だったな。今なら2を切れると思う。
 そもそも昨日はいろいろ幸せ気分だったから、おかしな状況も受け入れられたけど……そもそもこの娘、ポリスに届けたほうが現実的ではなかろうか。
 そうすれば、ヤケになった彼女がポリスから幸せを奪って逃走。何かしらの毒物でポリスを襲ったとされ、届けた俺までポリスに追われるハメに…………あれ? とっても非現実的だ。ああ泥沼……。
 そうこう考えている間も歩き、歩を止めてみれば目の前には喫茶店。
 ギャアア……。
 ああ、不安だ……これ以上無いってくらいに不安だ。

「……い、いや!」

 ここでジッとしていても道は開けない!! 今こそ勇気を振り絞る時!!
 よしと頷くと輝く未来を切り開く為に、その扉を開けた。

(ここが俺の新しいスタートラインだ……! 第一歩目はトマトで燃えつきたからもう知らない)

 ───カランカラン……。
 喫茶店にはよくある音と共に中へ。
 目に映るのは少し居る客と、その奥の主人らしき人物。……シヴくてダンディだ。
 おお……と思いつつも歩を進めると、それらの視線が俺に集中する。
 そして、どよっ……と、どよめく。
 な、なんだ……? 俺、なにかおかしなことしたっけ……。などと思いつつ、ふと自分の格好を見てみる。もしかして炭とかついてるなじゃないかなーとか思ったからだ。
 そしたら……

「ぐっはぁーーーーーッ!!!」

 思わず叫んでしまった。だってそうでしょう?
 真っ白い服……浴衣のようで、かなり違いが見てとれるそれは、腰部分は帯で縛ってあり、その風貌はまさに……し、死装束……!!
 ええはい、もちろん慌てて輝かしい未来への扉を閉めました。
 そんな状況を見てきょとんとしてらっしゃる桃色さんをちらりと見て、

「サクラァアアアアアアアアアッ!!」

 絶叫Part2。泣き声にも似た悲鳴を上げた。

「どうしてこれも戻してくれなかったんだっ! ていうか散歩してる最中もずうっとこれだったのか俺! 起きてた人が居たら絶対に誤解されるだろもォオオオッ!!」
「あうぅ……気にしてなさそうだったです……」
「絶望から回復した所為で些細なこととか気にしてなかっただけじゃあっ! 頼むっ! 早く元に戻してくれ!」
「はっ、はいです」

 サクラが機械のボタンを押し、ヒスイに触れるように指示する。
 かつてないスピードでそれに触れると死装束が光を纏い、元の俺の服に戻る。

「はぁ……最悪のスタートだ……」

 さっきまでの希望に溢れる心は見事に粉砕された。
 大丈夫なのか、これから。

「……い、いや……ここで挫けてはいけない……」

 再度ドアを開ける。当然ながら、客などの視線が再び集まる。
 それらの大半は首を傾げた。そりゃそうだ、こんなに早く着替えられるのかとか、そんなことを疑問に思っているのだろう。
 そんな視線から逃げるようにそそくさとカウンターまでを歩いて、バーテンダー姿のダンディーな男性に声をかけた。
 ダンディーっていうか、やさしそうな兄さんというかお父さんというか。

「すいません、ここでバイトをしたいんですけど」
「……あ、バイト希望かい? ちょっと待ってくれ」

 そんな人が一度カウンターの奥へと消えて、しばらくして出てくる。
 応接室とかあるんだろうか。あるんだろうなぁ。

「じゃあ、ちょっとこっちに来てくれるかい?」
「はい。サクラ、ちょっとここで待っててくれるか?」
「はいです」

 こくりと頷くサクラに頷き返して、促されるままに奥へ。
 その場は個室になっており、いかにも面接をするような場所だった。ソファーに座るように促されて、腰を落ち着かせる。
 名前が解らないからええっと、ダンディーさんでいいな。ダンディーさんも正面の席に座って、ニコリと微笑んだ。

「今は人手不足でね。バイト希望はありがたいよ。それじゃあ……えっと、これらの質問を埋めていってくれ」

 スッ、と紙を手渡される。
 その紙は名前欄やらなにやら、質問やらなにやらで埋まっていた。
 履歴書みたいなものだな。普通はこっちが持ってこなきゃいけないものなのに、荷物の無さから察してくれたのか、紙を用意してくれた。

(いい人だ……! っと、感激してないで、と……えぇっと……?)

 名前、電話番号、その他を埋めていく。
 携帯は燃え尽きたから、住んでいるところの……グハッ!? 住む場所が無いんじゃ電話番号なんて……!

「……うん? ああ、キミが穂岸くんかっ! それなら先に言ってくれればいいのにっ!」

 と、困っていた俺を前に、名前の部分を見たダンディーさんが声を張り上げる。
 その上で笑いながら、気さくに喋る目の前の男性。

「三波さんから話は聞いているよ。住み込みでバイトだったね?」
「は、はい」

 よかった、ちょっと不安だったんだ。
 まさか電話番号のない履歴書を渡すわけにもいかない。

「仕事が忙しくなったら時間外に駆り出されることになるかもしれないが、それでもいいかい?」
「はい。むしろ扱き使ってやってください」
「助かるよ。さすがに娘ばかりに無理をさせるわけにもいかないからね」
「え? 娘?」
「普段は妻と一緒に経営しているんだが、忙しい時は娘にも手伝ってもらっているんだ」

 満面の笑顔で話を進める男性。
 ……なんだか少々嫌な予感。

「娘さんが居るんですか」
「ああ、愛娘というやつさ」

 相当な愛娘なんだろうなぁ……視線が別の世界に飛んでいる気がする。
 親ばかか……初めて見たなぁ。

「そうそう、娘もここに住んでいるんだ。作業一般を教えてもらうといい」

 そんな親ばかにも係わらず、男の俺が住むことになっても落ち着いた雰囲気で話したりする。
 信用されてるってことでいいのだろうか。……叔父の紹介の影響だとしたら、泥を塗ることにならないように努めようか。
 ともかく今はダンディーさんの言葉に「はい」と返して一息入れる。
 ……いい加減、ダンディーさんでは疲れるな。

「あの」

 とりあえず名前でもと思って、口を開く───と、その時。カチャ……と、俺が入ってきた場所とは別のドアが開いて、その先から一人の女の子が出てきた。女の子……同い年くらいの人だ。

「お父さ……あ、ごめんなさい、お客さん?」

 お父さん、ということは……なるほど、この人が娘さんか。
 ……綺麗な人だ。親ばかなのも解るかも。
 黒髪ロングのカチューシャ少女だ。エプロンが凄く似合っている。

「ああ、構わないよ。紹介しよう、この男の子がさっき話した───」
「あっ、ここで住み込みのバイトをする……」

 あっ……と。これはきちんと自己紹介する場面だな。
 バッと立って綺麗にお辞儀。自己紹介、大切です。

「穂岸遥一郎です。これからお世話になります」
「うん。こちらこそ、よろしくお願いしますね」

 相手も軽く頭を下げ、微笑む。

「紹介するよ穂岸くん。この娘が私の愛娘の……」
「|柏鷺《かしわさぎ》真由美です」

 再び、ペコリと頭を下げられる。礼儀正しい人だ。

「これから一緒に住むことになるが、ヘンな気を起こしちゃいけないよ? なんといっても、真由美には既に想い人が」
「!? おとうさんっ!!」

 顔を真っ赤にして、ダンディーさんの声を遮る真由美さん。
 うん、なんか納得。綺麗な人が恋している姿は、見ていると安心する。

「なんだ、今更恥ずかしがることもないだろう」
「無理に言うことでもないよっ、もう……」
「そうか? 残念だなぁ……っと、そういえば自己紹介が遅れたね。私は柏鷺祐司。気軽にマスターと呼んでくれ」

 気軽の領域かは解らないけど、呼び難いわけでもない。
 マスターか。むしろ呼びやすいと思う。祐司さん、おか店長とか呼ぶよりは、ノリでいけやすいとだろう。

「それで……どうするんだい? 今日からでも早速ここに泊まるかい?」
「あ、はい。お世話になります」

 良かった、やっぱりいい人そうだ。
 泊まるかどうかで再確認するのもどうかとは思うけど、実際に家がないから仕方ない。こればっかりは甘える他ないのだ。

「それと、ひとつだけお願いがあるんですけど」
「なんだい? 言ってみるといい」
「えっと……もうひとり、お邪魔させてもらっていいですか?」

 なんのことはない、サクラのことだ。
 今もカウンターにちょこんと座って待っている……筈。

「う〜ん、どんな人だい?」
「妹のようなコです」

 実際、そんなものだ。
 というかさっき会っている筈なのだが……もしかして俺とは別の客と思われた?
 ピンク髪の謎素材ポンチョの少女だもんなぁ……。

「一緒に来ているのかい?」
「あ、はい。外……お店のほうに」
「そうか、じゃあ連れてきてみてくれ」
「はい」

 言って、席を立つ。
 フロアに戻ると、客がレジの前に立っていた。

「あ、お勘定お願いします」
「あっ、は〜い」

 真由美さんがパタパタと小走りにレジに立って、手慣れた手つきで会計を済ませる。
 って、冗談抜きで早い……。
 そんな光景を横目に、カウンター席の一番端へ。そこにちょこんと座っているサクラに声をかけた。

「はや? 与一、終わったです?」

 目が合うと、早速話し掛けてくる。
 素直というのかなんというのか。手持ち無沙汰だった〜とか、そういう文句はないのか。
 ……いい娘だ。

「ああ、それなんだけど……ちょっと来てくれ」
「ふや? なぜです?」
「用があるから」
「どんな用です?」
「お前が一緒に住めるかどうかの瀬戸際系」
「了解です」

 キッパリ言ってみればパタパタと小走りに近寄って、服にしがみつく。
 こらこらやめなさい、服が破ける。やめなさい、やめて。

「破けたら魔法で元通りにするです」
「何が言いたいのか解っててやるんじゃあない……ていうか直せないんじゃなかったのか?」

 確か、直すことは出来ないと言っていた筈だ。
 もし直せるんだとしたら、あの家をもう一度……!
 コンロが爆発する? 望むところだその度に直してもらう!
 ……うん、俺が意気込む理由が一切無い。役立たずだな俺。

「与一の服はデータに取り込んでありまです。家みたいに大きな物は無理でも、これくらいならだいじょぶです」

 だから、“ありまです”ってなんだ。

「汚れても大丈夫……と、そういうことなのか?」
「です」

 なるほど、それは便利だ。
 一家に一台ってやつだ。
 って、そっか、なるほど。

「ああ、だから雨に濡れても大丈夫だったわけだ」
「です。でもあの時は、記憶してあったサクラの状態に戻しただけです」
「え? それってつまり……」
「例えば濡れてない状態を記憶してあれば、それをロードするだけで乾くです」
「……便利だなぁ」
「記憶は状態とはまた別の固形ですので、記憶にまでそれが及ぶことはありませんです」
「応用が効くんだな」
「効くです」

 ふたりして、カウンターでうんうんと頷く。
 実に奇妙な光景だろう。

「じゃ、ちょっとついてきてくれ」
「はいです」

 軽く話し込んでしまった。呼んでくるって話だったのに。
 少し慌てながら、サクラを連れて再び奥へ……と、向かう途中。

「あれ? そのコがそう?」

 食器の片付けをしていた真由美さんが話しかけてきた。
 視線はサクラに釘付け。対するサクラは素早く俺の影に隠れるとしがみつきつつ真由美さんをジィッと見た。……やめなさい、怪しまれるから。

「ああええっと、はい、このコです」
「はう、このコです」
「いや、復唱しなくていいから……」
「そですか?」
「そです」

 親の真似をする子供かキミは。
 いいから前へ、とサクラを押し出すと、真由美さんを見上げてびくりと震えた。基本、人見知りなんだろうか。……その割には俺には結構堂々と……ああいや、震えていたか。
 天界の誰かはどうして彼女に幸せ集めなんぞ頼んだのだろうか。
 本当に天界なんてものがあるのかは別としてもだ。
 と、俺がいろいろ悩んでいる内に真由美さんがニッコリ笑顔でサクラに話しかけていた。

「えっと、名前はなんていうのかな」
「名前です?」
「うん、名前です」

 だから復唱はいいですってば。俺も人のこと言えないけど。
 あ、しまった。サファイア・クラッツ・ランティスなんて名乗ったら、妹的な存在って紹介が無駄に…………あれ? 妹的、だからいいのか? 外国から来たホームステイ的な感じで? ……マテ、ステイどころか家を求めて彷徨ってたのに、それが通じるわけがないだろう。
 ぐるぐると心配事が胸中に渦巻くさなか、そんな俺の苦悩を我関せずなサクラさんは、

「書くです」

 などと言って、どこから出したのかペンとメモをムンと構えた。
 ペンとメモ。そして書く? ───天界文字でしょう。

「うわわっ! 書かなくていいっ!」
「ふえ? どしてです?」
「お前また、天界文字ってやつで書くつもりだろっ……!《ぼそぼそ……!》」
「それが天界の流儀ってもんです。へえ《ギシャーン♪》」

 何故か男気溢れるニヒルスマイルとともにそう返された。
 今にもおひけぇなすってとか言いそうだった。もうどうしてくれようかこの天然ピンク。あと人がヒソヒソと話してるっていうのにそんなにキッパリハッキリ天界とかだなぁっ……!

「てん……かい?」

 ギャアア聞かれてたァアアーーーーーッ!!
 そりゃそうだよね! この距離だもんね! 聞かれるよねぇ!

「あ、あっは!? いやっ……ハハハハハハッ…………はぁあ」
「?」
「え、えっと、このコはサクラ。さっきも言った通り、俺の妹的な存在で───」

 ええい構わん、強引だろうと誤魔化す!
 毒を食らわば皿まで舐めて、その毒を地獄への片道切符にして地獄旅行を満喫してくれるわァアーーーッ!!

「《くいっ》………」
「与一、与一っ」

 脳内が賑やかに騒がしくなってきたところで服を引っ張られ、見下ろせばサクラさん。そんな彼女が、「サクラ、自分で自己紹介したいです」と仰ってきました。
 なのでこの穂岸遥一郎。真心込めてお返事いたします。

「ダメ」

 却下の方向で。
 え? 酷い? すまない、なんかもうぐだぐだに付き合うよりも安住の地が欲しい。

「自己紹介、したいですしたいですっ。し〜た〜い〜で〜すぅ〜〜〜〜〜っ!!」
「だわっ!? こ、こらっ! 袖を引っ張るなっ!」
「まあまあ、ええっと、穂岸くん? だっけ? ほら、私もまだ名前覚えられてないから、自己紹介くらいしよ?」
「穂岸遥一郎です《キリッ》」
「えっ? あ、えと。柏鷺真由美、です」
「じゃあ行きましょう!《クワッ!》」
「えぇええええっ!? や、ちょっ……えと、サクラちゃん? だっけ? この娘の自己紹介はっ!?」
「マスターが待ってます! 今行かないと次はいつ会えるかっ……!」
「十歩も歩かず会える距離だよ!?」

 いろいろと悶着があった。三波さんへの報告は、それだけでもいいのだと思う。
 ああ、あと……サクラにこういうややこしいことを吹き込んだのは、レイルって存在だということを知った。
 いつかなにかしらの仕返しが出来たらいいな……。
 完全に逆恨みだけど。




04/入学式への邁進

 ───朝。見慣れない部屋を前に、ボウっとしている頭を軽く振るう。
 同時に軽快なノックの音が耳に届いて、次いで真由美さんの声。

「与一くん、急がないと遅刻するよっ」
「……んぐ?」

 ……意識が追いつかない。えっと……ノック? 真由美さん?
 あれ? ここ何処?
 見慣れない景色。
 ベッドから抜け出し、辺りを見渡す。と、隣にもうひとつベッドがあることに気がついた。
 そこには少女が寝ていた。

「あ……そっか」

 真由美さんの家に住み込みで働くことになったんだっけ。

「与一くん、起きてるっ?」

 聴こえる声。ちょっと焦った感じの、真由美さんの声だ。

「はい、起きてます」
「うん、えっと、そろそろ学校に行かないと」
「え? もうそんな時間でグッハァーーーッ!!!!」

 絶叫。 そろそろなんて時間じゃなかった。

「サクラァアアッ! 起こしてくれるんじゃなかったのかぁあっ!?」

 穏やかな表情ですいよすいよと寝ているサクラを揺すった。こう、遠慮なくがっくんがっくんと。するとどうでしょう、「ううんあと五分です……」などと、まさか現実で聞けるとは思わなかった言葉が耳に届いた。

「お前はなにか!? 次は“もう食べられない”とか言うつもりか!?」
「もうたべられないです……」
「言ったァアーーーーッ!!? じゃなくて起きろぉおおおおっ!!」

 揺するどころか持ち上げてみた。…………ダメだ、起きない。
 どうやら朝は弱いらしい。それもとんでもなく。
 それでよく、俺を起こすなんて言えたものだ。
 ガッツポーズまで取って、“名誉を爆砕するのです!《どーーーん!》”なんて言ってたのに。…………あれ? 爆砕!?
 ……ああ、既に名誉なんて言葉すらなかったな……なるほど。

「えっと、急がないととっても危険な時間だよっ」
「あぁあすいません! すぐ仕度しますっ!」

 パパっと制服に着替え───って!!

「制服、無いですよっ!?」
「それは学校で支給されるから今日は私服登校っ。そのままでいいから早く行コっ?」
「は、はいっ」

 それならば話は早い。服がこれしかないから、このまま……ぐっはヨレヨレだ……! え、ええと、サクラさーん? 形状記憶装置、お願いしていいですかー?
 コソリとささやくと、「んやぅう……」ともごもご言いつつも機械を操作してくれた。
 服が光を纏い、やがて治まると……そこには見慣れた死装束が───!

「………」

 これで行けと?
 素晴らしい高校デビューが待っていそうだ。とりあえず殴っていいですか?
 もう面倒なので、サクラの手を取って機械のパネルを勝手にいじくる。
 俺の手でやるといろいろとありそうなので、ええと……確か昨日はここのボタンを……はいポチっと。

「《キュパァンッ!》おおっ!?」

 着ているものが変わった感覚───! 成功か!?
 思わず部屋に備え付けてあった姿見で自分の格好を確認した。

『………』

 肉襦袢を装着したモンゴルマンが居た。

『……《ぐいぐいっ。ぐいぃいっ!!》……』

 しかも脱げない。

『………』
「よ、与一く〜んっ!? 時間〜!」
『………』

 迫る時間。扉の先で慌てる真由美さん。困惑しすぎてフリーズするモンゴルマン。
 状況は実にカオスだった。
 とりあえずあれだ。サクラを起こそう。モンゴル式格闘術で。

『アトーーーッ! アトッ! アトーーーッ!!』
「《ベシベシビシベシビシ!!》へやぁぅうううっ!!?」

 幸せそうに眠っている少女へ、モンゴルマンからのさわやかなモーニンチョップ(弱)。彼女はそれはもう爽やかな笑顔で目を覚ました。

「…………《ぬぼぉおお〜〜……》」
『………』

 嘘だ。物凄くだるそうで眠そうだ。
 しかしそんな少女は部屋の中に悠然と立つモンゴルマンを見て───……気絶した。

『アトーーーッ! アトッ! アトーーーッ!!』
「《ベシベシビシベシビシ!!》へやぁぅうううっ!!?」

 なのでまた起きてもらった。
 そして不思議がる前に一気に説明をして、モンゴル状態から直してもら───

「《ガチャッ》与一くんっ、ほんとに遅れキャアアアーーーーッ!!?」
『キャーーーッ!!?』

 ───う、前。


  ……その日。

  喫茶店を営むとある家の娘は、モンゴルマンとの|邂逅《かいこう》を果たした。

  これは、天界から降りてきた少女と出会った少年と。

  見知った家の中で|“伝説”《レジェンド》と出会った少女のビンタから始まった、数奇な運命の物語───……



───……。



 いや、もちろん冗談だ。
 そんなわけで、遅刻は免れそうなものの、路地を駆けながら真由美さんに話し掛けた。
 いやしかし、まさかモンゴル状態で一発ビンタを喰らうとは思ってもみなかった。

「いつもあんな感じなんですか?」
「あんな感じ……って? ……《ハッ!》まさか与一くん、パジャマにはいつもモンゴルマンを」
「何処をどう見ればあれがパジャマだと誤解しますか!? 話の流れも全然違うでしょうが! そうじゃなくて! 〜〜……ほら、さっきの、お客の皆様の」
「ああ、あれ? うん、いつもあんなだよ」
「そっか、人気者ですね」
「う〜ん……そんなことないよ。きっと与一くんのモンゴルパジャマのほうが」
「だから違いますってば!!」

 家を出る前、客にいってらっしゃいとかがんばれとか、声をかけられて送り出された。
 真由美さんはお客からも随分と可愛がられているようだ。
 いいな、ああいうの。俺の周りにはなかった暖かさだ。

「あ、そうだ。学校の場所って解ります?」
「……え? 知らないの?」
「ここらへんには来たことがないんで……。あ、でも近道は発見しましたよ」
「えっと、もしかしてあの公園の?」
「あ、やっぱり知ってました?」
「地元人民ですから」

 えっへん、と胸を張る真由美さん。
 走りながらだからヘンな格好だ。

「走りながら胸を張らないでくださいよ」
「そうだね。危ないし、やめとくよ」

 少し残念そうに微笑む。結構やんちゃな人なのかもしれない。
 そりゃそうか、これくらいじゃなきゃ、急に一緒に住むことになった男とこんなふうに会話が出来るわけがない。

「それじゃ、えっと……近道使います?」
「それはダメだよ」

 せっかくなので提案してみたら瞬速で却下された。
 や、もちろん俺も使うつもりはなかった。理由はもちろん……

「やっぱり初めは校門から登校したいからね」
「ははっ、確かに」

 それに限る。

(…………ふう)

 ……───結局。
 俺とサクラは裕司さんの厚意でふたりとも住まわせてもらえることになった。ただし同室でという条件。条件というか、住まわせてもらえるだけでもありがたいことなのに、そんな条件でいいのかって思うくらいだ。……男女が同じ部屋ってだけで、抵抗が無いわけじゃあないのですが。
 だが、贅沢は言っていられないわけで。
 まあそんなこんなで今の状態にある。
 俺が訪ねた時、奥さんは友人の結婚式に出席していたとかで、帰りは夜中だったらしい。だから朝、初めて会ったわけだが……モンゴルマンのままで降りなくてよかった。心底そう思う。

(それにしても……)

 サクラの言葉はあまり当てにならない。
 昨夜、翌日に備えて寝ようとした俺だったが、目覚まし時計もなにもないことに気づいた。あるのはただの壁掛け時計。
 こりゃアカン。そう思ったわけだが、そこでサクラが提案してきたのだ……“サクラが起こしてあげまです”……と。
 例により、“あげまです”ってなんだと思ったわけだが、とりあえずそれはポリバケツに詰めて捨ててしまおう。
 問題はそこからだ。
 かなりの自信に満ち溢れた表情だったので頼んだのだが、サクラ自身が朝に弱くて話にならなかった。
 寝坊ならまだしも、“あと5分”とぬかしおる。あれにはさすがに溜め息のラッシュアワーだ。
 べつに俺が気をつけていればいいことだった。それは確かにそうなのだけど、厚意を無碍にするのもな、なんて思ってしまった。
 すべての原因はそこにある。つまり、俺のアホウ……。

「与一くん、どうしたの? ボーッとして」
「えっ? あ、いや……昨日はいろいろあったなぁと」
「……それだけ?」
「え? はあ、えと。それだけ、ですけど」
「うーん……そっか、てっきり近道を使えなかったからいじけてるのかと思ったよ」
「いじけ……!?」

 そんなことでいじけていられますかい。
 ただ本当に、昨日はいろいろあったって思い返していただけなんだ。昨日だけじゃなく、今日もだけどさ。

「でも与一くんって器用だね。ボーッとしてるのに曲がり角でもちゃんと曲がるから。わたし、驚いたよ」
「エ……」

 俺、夢遊病のケがあるのか……? い、いやっ! 寝てたわけじゃないから夢遊病じゃないっ!
 じゃあ……なんだろう。謎だ。

「はい到着」
「えっ!?」

 真由美さんの言葉に、考えていた内容は吹き飛び、気づけば校門の前。
 ……え? もう? 高校……え? あれ?
 もっと時間がかかると思っていたら、話ながらだとあっという間だった。
 そんな経験、ありませんか? 今、自分は思い切りそれを味わっています。
 ぽかんとした表情のままに硬直するそんな俺に、真由美さんはにっこり笑顔で言ってくれた。

「おつかれさまでした」
「え? あ、はい、おつかれさま、でし……た……?」

 小首を傾げるように返すものの、次の瞬間には思わず苦笑してしまった。
 なにやってんだかって感じで。当の真由美さんも、にっこり笑顔から普通に笑に移行したようで、くすくすと笑っている。

「………《ざぁあっ……!》」

 そんな笑顔に“おつかれさま”への感謝を抱きつつ、体を撫でる風が木々の葉っぱを揺らす音を耳に、大きな校舎を見る。

(……ここを通れば、俺は高ノ峰の生徒……)

 心が弾んでいるのが解る。
 ひとり暮らしがしたいなんて、そんな理由で受験した場所だけど……いつの間にか、ここに立つこと自体が俺にとって、俺の中で、とても大事なものに変わっていた。
 それが実感できることが嬉しかった。
 どんな理由だろうと、一生懸命にやってきたんだから……だから、俺はこの場に立っていることを誇らしく思える。
 自分が頑張った結果がカタチとして目の前にあるのだ……そんな瞬間がたまらなく嬉しかった。

「………」

 大きく深呼吸をする。
 そして、一歩を踏み締めた。
 たったそれだけ。
 だけど、とても大事なことだった。

「与一くん、入学、おめでとう」

 真由美さんが優しい声で迎えてくれる。
 他人からのその台詞が、それが自分の勘違いではないことを確信させてくれる。頬は緩みっぱなしだった。

「ありがとう、真由美さん」

 照れてしまう。
 失礼かもしれないけど、途中から真由美さんが居たことすら忘れていた。
 それくらい、喜びの瞬間の中に浸っていた。

「あ、すいません、俺だけ浸って。真由美さん、入学おめでとうございます」
「うん、ありがと。いいんだよ、気にしてないから。それに……与一くん、とってもいい顔してたよ?」
「え? あ……」

 面と向かって言われると恥ずかしい。
 だらしなく頬を緩めている自分を想像しつつ、両手で頬をほぐした。

「それで……悪いんだけど。敬語使うのをやめてもらえないかな」
「でも、お世話になっているわけですし」
「でももパンデモニウムありません! いいから直すのっ!」

 真由美さん……パンデモニウムってなにさ……。

「じゃあ……なんて呼びまショ。真由美ちゃん、とか?」
「水臭いなぁ、気軽に真由美様でいいよ?」
「様!?」
「あははははっ、さすがに冗談だよっ」
「真由美さぁ〜ん……」
「ごめんね、呼び方は今のままでいいよ。でも敬語はナシ。同い年で敬語は変だよ」

 実にいたずらっぽい顔で笑う。
 それでもそんな表情が似合っているあたり、人生楽しそうでなによりです。

「そうかなぁ、元々の口調が敬語だったら……」
「ん〜……与一くんの場合、サクラちゃんと話してる時は敬語じゃなかったから、今更言っても遅いよ?」
「ぐっ……了解」
「あ、人が少なくなってきたね。そろそろ本気で遅刻しちゃうかも。行こっか」
「はい、そうですね」
「───《ギロリ》」

 うわっ! 睨まれてる睨まれてる! そこまで敬語が嫌なのか!?

「あ、え、えと……あ、ああ……解った……」
「そうだね《ニコリ》」

 ……まいったなぁ。どう足掻いても敬語は許してくれないらしい。
 別に困るものでもないだろうに。
 溜め息をモブルルシャアアアと大げさに吐きつつ、前を歩く真由美さんの後に続いた。

……。

 ───……校門をくぐってすぐの場所。
 昇降口らしき場所の前に、造花で飾られた看板があった。
 それによると、

  “新入生は体育館に集合してください”

 とのこと。
 ちゃんと体育館への道のりも書いてあった。道のりというか地図だ。
 真由美さんとともに小さく頷いて、地図通りに校舎を歩く。
 来客用スリッパが廊下を歩く新入生の数だけ、コパンコパンと鳴り響く。いい音だ。スリッパの音は嫌いじゃない。

「……みんな、迷ってるのかな」
「そうみたいだね。遠くから見てもこの学校って広いから」

 いくら地図を見たとはいえ、これは広い。
 途中途中で「新入生の方はあちらへ〜」と案内してくれる生徒……たぶん上級生だろうけど、そんな人が居るには居る。が、新しい景色を覚えようとする頭が、先ほど見たばかりの地図の全貌を忘れさせてゆく。これはまいった。

「えっと、この通路を右だね」
「………」

 真由美さんは真由美さんで、メモ帳を片手にずいずいと進んでゆく。
 地図をメモ帳に軽く描いていたときは驚いたが……まさか役に立つとは。

「あ、あれがそうじゃないかな」

 渡り廊下の先にある大きな建物を指差す……って、普通はそうだよな。
 “体育館”じゃなくて“渡り廊下”を探せば大体は見つかる気がする。どうして体育館の前には渡り廊下があるのかは永遠の謎だろう。
 真由美さんに促され、体育館へ。
 もう大半の人が集まっていたけど、先ほど迷っていた生徒はまだだった。
 それから約10分後。
 挨拶だのなんだのが始まり、俺を含む生徒達が校長の長話に苦しめられた。グラウンドでは是非ともやってほしくないな。
 それからクラス分け。
 どう決めるのかと思いきや、クジ引きだった。
 男女に分かれてのクジ。
 男ばかりのクラスや、女ばかりのクラスが出来る心配は無いというわけだ。
 俺も早速引いてみる。

「えっと……《コサリ》」

 神社とかでありそうなおみくじ的な筒を振るって、クジを出す。
 コサリと紙が擦り合う音と一緒に出てきたそれを広げてみれば、

  “大凶”

 大凶だった。うわぁい、運勢最悪さ、ってちょっと待てぇえええええええええええええっ!!
 どうしてクラス分けで大凶が出るんだっ!? さっきからおかしいって思ってたけどやっぱりおかしい! おかしすぎるだろこの学校!!

「……かみさまのバカヤロウ」

 とりあえず、あるかも解らない、居るかも解らない天界のお偉いさんに悪態をつくことにした。
 校門を跨いだあの時の感動などが塵と砕かれた瞬間だった。
 感動を返せコノヤロウ。



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