時折に指を折りながら、ひとつひとつを数えるように……思い出を夢に見る自分が居る。
 小さな桜の花びらが風に飛ばされてゆく度に、ひどくカラッポな気分に陥る。
 それでも思い出はカラッポになるどころか溢れるように想い返される。
 それが例えば楽しい思い出ならば、自分は少なからず満足できるのだろう。
 満足なのに少なからずっていうのはどうかな……なんてつまらないことを思いながら、自分はまた、樹の下で夢を見る。
 穏やかな、春の日の夢を───





───ホギッちゃんの厄介な一日のコト───



08/エメラルドモーニング

 朝から騒がしく走り、あれやこれやと準備を進める男ひとり。俺だけど。
 物置……もとい、部屋……もとい、い、家を任されることとなり、その縦に大きく横に狭い場所で、今日も今日とて一日が始まる。

「よしっ! 準備完了!」

 どたばたと騒がしくしていた俺が広間(ここしか広い場所が無いからこう呼ぶことにした)へのドアを開け放つことで、同居人との顔合わせが始まった。
 本日も快晴。
 一人暮らしを願ったことで始まった俺の努力の結果は、まあなんとも……騒がしい。

「はぅ、ごはん出来てるです」

 サクラもパタパタと走り回り、朝食の用意をしている。
 朝は……焼き魚と味噌汁か。
 しかし、大根おろしが無いのはどうか。
 や、別に作ってもらっておいてアレコレ言うのもどうかと思うけど。

「……あぅ? おかしいです、大根おろしと醤油が無いです」

 むう、と心の中で唸ると、サクラが呟いて首を傾げる。
 確かに一緒に用意したですのに……と、妙な言語を呟きながら。

「ん……ノアかな」
「食事前に摘み食いをするようなことは致しません」
「うおわっ!?」

 いつの間にか背後に立っていたノアが冷静に返事をする。
 ああもうなんなんだこの娘は! 人のことをマスターとか呼ぶくせに、明らかにマスター相手って対応じゃないぞ!?
 “三歩後ろを歩く”どころか、“背後を取っていつでも殺れます”的な雰囲気しかないんだけど!?

「与一、ノアは大根が苦手です」
「そうなのか?」
「……お恥ずかしながら」

 顔を赤らめて俯くノアさん。
 ああ、なんだろう。
 意味もなく“やっと勝てた”って思いが溢れてくる。

「マスター、天井を眺めながら握り拳をして泣くのはおやめください」
「俺にもいろいろあるんだ。今はそっとしておいてくれ」
「ご命令とあらば」
「“命令”じゃなくて“お願い”。言っただろ? 俺は人の上に立ったような状況は嫌いなんだ」
「……ではマスター、そのように命令してくだされば二度と間違うことはありません」
「だーかーらぁっ!」
「はい、なんでしょう」
「命令は嫌だって言っているんだよ! 俺はふざけたりする時以外にそんなことはしないんだ!」
「ではふざけていただけますか?《カチリ》」
「………」

 録音をスタンバイしておいて、仮にもマスターを促さないでください。
 小さな溜め息が僅かに開けた口からモブルシャシャアアと吐かれる中、食事を用意してくれたサクラが諦め顔で「与一、無駄です」と仰った。
 ああ、うん……俺もそう思ってたところだよ。

「……いただきます」

 時間が無いっていうのにアレコレ言っても仕方ない。
 食おう。
 まずはそれからだ。
 席に着き、箸を構えておかずやらを口に放り込んで「ブゥウッファッ!?」───吐いた。

「ふや? どうしたです与一」
「………」

 不味い。
 いや、不味いという言葉すら“不味い”という言葉に失礼な味だ。
 これは食べ物じゃない。
 むしろ毒物だ。
 見れば、ノアはひとり食パンをかじっていた。

「ノア……教えてくれたってよかったんじゃないか……?」
「ご命令とあらば、次回からはそういたしますが」
「……もういい」
「?」
「……サクラ、料理経験あるって言ってたよな……?」
「はいです」

 言いながらもくもくと食べるサクラ。

「………」
「?」
「美味いか?」
「美味しいです〜」

 会心のデキです、とその表情が語っている。

「……レイルさまとレインさまは泣きながら食べていたものですよ」
「…………レインって?」
「レイルさまの双子の弟さまです。私たちの教育係りをしてくれています」
「……その人も性格がハジケてるのか?」
「とんでもありません、レインさまはとても穏やかな方です。馬鹿でいい加減で愉快なのはレイルさまだけです。レインさまは天界で神父をしていらっしゃるくらいですから」
「天界で神父……? それってすごく意味ないんじゃないか?」
「……なぜでしょうか?」
「……いや、解らないならいいんだ」

 神を崇めるといった意味では、忠誠心が高いんだと思えば一緒だもんな。
 あれ? そういえば当たり前にそう思ってたけど、天界ってところに神様は居るのか? 天っていえば神って考えだった。うん、そりゃそうだ。
 けど、そんなところからやってきた二人がこんな性格とくる。
 …………居たとしても、ろくな性格じゃないんだろうなぁ、なんて思ってしまうのは当然……だよな?

「与一、いっぱい作ったです。おかわりもあるです」

 さて。軽く食事の話題から脳を逃避させていたところに、サクラからの追撃がやってきた。“たくさん食べるですー”なんて、その表情が物語っている。
 俺はといえば……泣けてきた。

「お諦めくださいマスター。レイルさまもレインさまも同様に、今の言葉で泣きました」
「……あ、あのさぁサクラ? じ、時間が、その……そろそろヤバくて」

 なんとか逃げようとする。
 腹が減っていればなんでも美味いと言うが、ありゃデマだ。
 俺はまだそこまで極限状態ではないからそう言える。

「……食べてくれないです……?」
「はうっ……!」

 ぬおお……! そんな悲しそうな瞳で見ないでくれ……っ!
 なにやらものすごい罪悪感が……!

「おふたりもこれで折れざるをえなかったのです」
「………」

 そのふたりとなら理解し合える気がした。
 いや、レイルって人は勘弁だ。レインって人。うん、その人だけでいい。

「ご、ごめんなっ! 本格的に学校が始まる初日から遅刻するわけにはいかないんだ!」
「……素晴らしい逃走理由です、マスター」
「……はぅ……わかったです……」

 俯くように頷いて、やがてポソポソと食事を再開するサクラ。
 くおお……! 痛い……! 心が痛すぎる……!

「………………あーもう俺も男だ食ってやる!」

 一気に言い放って箸とアゴを必死に動かす。もちろん鼻で息をせず、出来るだけ味をぼかしてだ。
 そんな俺を見て、ノアがクスクスと笑みを漏らしていた。

(あーどうせ馬鹿ですよ俺は! 男ってのは馬鹿なんだよちくしょう!)
(はい、見事な馬鹿っぷりです。けれど、そんなお馬鹿さんは嫌いじゃありませんよ。さすがはマスターです)

 アイコンタクトをしながら一気に朝食を掻っ込んで、茶碗と箸を置く。
 OK、これで笑みを浮かべてごちそうさま! 苦しみを顔に浮かべるのは家を出てからだ!

「ごちそうさま!」
「与一ぃ……」

 サクラのなんとも嬉しそうな顔が眩しい。
 ああ……なんだろうなぁ……レイルにレイン……さん? 解り合える気はする。するけどさ、不味いって感じたなら早めに修正しておいてほしかったよ。
 結局我慢して食った俺が言えたことじゃないけどさ。

「それじゃあ俺、学校に───」
「あ、待つです与一」
「いっ!? おぉおおおかわりはいいぞっ!? 起き抜けだったから腹はそんなに減ってないからっ! なっ!?」
「そうじゃないです」

 そう言って、ぽん、と包みを渡してくる。
 …………この、独特の形と、それを包むこのハンケチーフ……ま、まさか!

「おべんとです」

 ギャーーーアーーーッ!!!
 なんとも表現することすら出来ない衝撃が俺の中を駆け巡った。
 そんな俺の顔を見て、ノアが再び笑みを漏らす。
 人をマスター呼ばわりしながら、どこまで人の不幸が好きな娘ッコなんだ……!

「あ、ありがと……《ニッ……ニコッ……?》」

 精一杯笑顔を作り、それを鞄に詰め込む。
 よし、これは観咲とトレードでもしよう。

「それじゃ、行って来るから……」
「いってらっしゃいです〜」
「いってらっしゃいませ、マスター」
「うん……」

 なにかと心配事はあるが、遅刻するわけにも休むわけにもいかず、家をあとにした。
 家を出て、数歩歩いて、我慢の限界を迎えて顔をしかめ、声は出さずに“オゥエエエエ……!”と苦しんだ自分に……とりあえず、お疲れ様と呟いておいた。





09/子猫じゃなくても迷います

 ……で。

「迷ったぁあああああっ!!」

 咆哮。道が全然解らなかった。
 あぅあわわ……やばい、まずい、ただでさえ時間が少なかったのに……!

「ああもう! なんだってこんなことに……! どこか、どこか知ってる場所はないのか……!? 公園の高台が遠目に見えるーとか……! ……無いな、うん……」
「あっれー? ホギッちゃんだー」

 いっそ泣いてしまおうかと思っていたところに届く、脳天気なお声。
 観咲だ。
 この世界、どれだけ探そうが俺をホギッちゃん呼ばわりするのは一人しか居ない。
 およそ天の助けとは呼びたくもない者の来訪に、俺は溜め息を吐いた。

「やっほぅホギッちゃん! 今日もお空がピーカンだねぇ!」

 振り向けばそこに、シャキーンと奇妙なポーズを取って、お天気模様を教えてくれる触角が居た。
 おお……今日もすごいな、触角。寝癖なんだろうか。

「それじゃ、俺は先を急ぐから」
「待って」
「なんだ」
「ホギッちゃんもこの道だったんだ」
「今日からな……」

 てくてくと歩く。
 そしてそれを観咲が追ってくる。
 歩く度にワサワサ蠢く触角。
 デコピンしてもいいだろうか。

「……なんか用か?」
「一緒に行かない?」
「お断りだ」
「えー? なんでさー」
「お前と一緒に居るとガッデムが伝染る。じゃあな」
「待って」
「なんだ」
「ねぇホギッちゃん、私のこと───」
「してないぞ」
「まだ何も言ってないよ」
「“私のこと、なにか勘違いしてない?”だろ」
「……違うもん」
「そうか、そりゃ良かった。じゃあな」
「待って」
「なんだ」
「澄ちゃんがそろそろ来るからさ、待ってようよ」
「どうして一緒に来ないんだ」
「一緒に来たよ? 来たんだけど途中でおばあさんの荷物持ってあげちゃって」
「それでお前は見捨てたわけか。この外道」
「……ホギッちゃん、私にだけ辛くあたるの、やめてってば」
「ホギッちゃんと呼ぶのをやめろ」
「やだ」
「よろしく馬鹿者」
「ぬー……あ、澄ちゃん」

 観咲の言葉に振り向くと、遠くから走ってくる蒼木の姿が見えた。

「あー、急いでる急いでる。体力ないのに頑張るなぁ」
「なにも観咲なんかのためにあんなに一生懸命に走ることないのになぁ」
「ホギッちゃんヒドイよ……」
「人にヒドイって言えるなら、まず蒼木の手伝いくらいしてやれ……」
「だ、だって澄ちゃんが私に、ぼ、僕のことはいいから先にゆけー! って」
「言ってないな?」
「言ってません……」
「じゃあ俺急ぐから」
「待って」
「なんだ」
「先に行く気、ないよね?」
「ないぞ」
「あはは、ホギッちゃんって案外ノリがいいねぇ」
「自分を変えてる最中なんだ。協力は歓迎するけど、振り回しすぎるのは勘弁してくれ」

 言葉遊びのような漫才をしつつ、立ち止まりながら蒼木を待つ。
 少しして、蒼木が俺達の前に到着した。

「お待たせ、雪音。おはよう、えーと……」
「穂岸遥一郎、与一でいいよ。えーと、澄音でよかったか?」
「……いや、キミとはどこか変わった風に呼び合いたいかな。僕は普段から“澄音”や“澄ちゃん”って呼ばれてる。だから、苗字で呼んでくれると嬉しい。僕も、穂岸くんと呼ばせてもらうから」
「……変わった風もなにも、どこにでもありそうだぞ?」
「それは認識する人次第さ。僕の中では僕が苗字で呼ばれることが稀なんだ。だから、僕にとってはこれが珍しくて風変わりなものなんだよ」
「相変わらずの理屈っぷりだな」
「はは、キミにとっての僕の第一印象は理屈屋だったのかい?」
「ああ、屋上で一度会っただけだけどさ、そんな印象だったかな」
「光栄だよ、歓喜に値する。僕自信、自分は理屈屋だと思っているからね。僕という人格はひとつしかないけど、同じ趣向を持った人なら何人でも居る。そんな中でたったひとり、僕という趣向の人格がキミに出会えたこと。そんな偶然を心から嬉しく思うよ、穂岸くん」
「……俺は少し引いたが」
「それでいいんだよ。人は近づきすぎると擦れ違ってしまうから」
「───言っておくけど、俺にそっちのケはないぞ?」

 何気に距離をとる。

「……? どうかしたのかい?」
「え? あ、いや……」

 すると、きょとんとした顔で、それでも笑みは浮かべつつこちらを見てくる蒼木。
 ……うん、なんだろうなぁこの空気。

「……ホギッちゃんホギッちゃん。澄ちゃんはね? そういうのをまるっきり知らないんだよ?」
「なっ……それじゃあまるで俺がセクハラしてるみたいじゃないか」
「大差ないよ。澄ちゃん純粋だから」
「……今時珍しい天然っぷりだな」
「記念物的な天然っぷりだよね」
「ああ……お前の触角並にな……」
「うんうん……え? え、なになにホギッちゃん、今なんて言ったの? ねぇ」

 制服をくいくい引っ張る観咲を無視して、蒼木と二人、顔を見合わせて頷く。

「そろそろ行こうか。この場でこう立っていても学校には着かないしね」

 屈託無い笑顔で言う。意外だったなぁ……これほどまでにサワヤカ好青年だったとは。
 青年? まあいい、青年で構わないだろう。

「それで、穂岸くん」
「うん? どうかしたか澄───じゃなくて」
「蒼木。僕は蒼木だ。キミにはそう呼んでもらいたい」
「……わかった、蒼木。それで、どうした?」
「握手をしてもらえないかな」
「……ウィ?」
「握手だよ。僕達が知り合えた記念に」

 微笑みながら手を出す。
 そんな蒼木の手を見て、俺も反射的に手を出してしまう。

「よろしく、穂岸くん」
「あ、ああ……よろしく」

 なんの変哲もない握手。
 ただまあその。今まで生きてきた中で、これほどまでに穏やかな人間に会ったことがなかった。そんな相手との握手は……なんだか戸惑いばかりが溢れてくる。
 嫌ってわけじゃないんだけど。なんだろな、これ。

「なぁ、蒼───」
「ね、ホギッちゃん、澄ちゃん、そろそろ行かないと遅刻するよ」
「それは願い下げだね。急ごうか」

 小さく笑って、蒼木が駆け出す。
 さっきも急いでこっちに来てたっていうのに、意外と体力があるらしい。
 もやしな俺とは大違いだ。

「………」
「?」

 訊きたいこと……あったんだけどな。
 まあいいや、そんなに重要なことでも……ないって思っておこう。
 一人、誰に送るでもなく頷いてみせて、俺も駆け出そうとしてア

「いこっか、ホギッちゃん」

 ぱぁっ、と表情を輝かせた観咲に手を掴まれ、引っ張られた。
 その強靭な肉体からなる引力は、もやしな俺では到底逆らえるものではなく、問答無用で駆けようとする観咲を前に、つんのめりながら抵抗した。

「ちょわっ!? っととと!? な、なにをするかっ!」
「え? 独り寝の夜が寂しいホギッちゃんに愛の手を」
「偉大な太陽の力を浴びながら、お前は何を言っとるんだ。ていうかだな、夜だの愛だのって、会ってそれほども経ってない男相手に言うもんじゃないだろ。お前はもう少し女らしく振る舞え」
「いやー、それほどでも〜」
「誉めてない誉めてないっ」
「私が誉められた気分になってればそれで十分。自我を誇りに思ってるんだよ、私」
「……誇りに思うほどの性格か?」
「……ぶー、ホギッちゃんいちいちツッコミ入れないでよ。そういうのって漫画とかだと脇役の仕事だよ?」
「吉良吉影が俺の理想像だ」
「吉良吉影って……ジョジョ? あんなのがいいの? もっと元気に〜とかは?」
「馬鹿、あれこそ平和の象徴じゃないか。分け隔てなど無い環境。結構だと思わないか?」
「刺激が足りなすぎだよ。もっとこう、野生的なオトコノコがいいな」
「お前は原始人が好きなのか」
「それは極論だよホギッちゃん。私が言いたいのはね? アダムとイヴが人の……げん、げん……元素? 原初? ……とにかく、最初の人だとしたら、どうしてあんな……原始人? が、人として産まれ出でたのかが不思議って……あれ?」
「話が変わってるぞ」
「でもさ、考えは間違ってないよね?」
「それは言えてる」

 穏やかな住まいに囲まれた通学路。
 俺達は声を上げて笑い合った。
 そしてハッと気付けば蒼木の姿は無く、遠くからチャイムが聞こえてきた。
 俺と観咲は我先にと走り出し、お互い足を引っ張りながら学校へと急いだのであった。

「そういえばホギッちゃーーーん!」
「なんだ観咲! っくはっ……! 俺は走るのだけで精一杯っ……ぶっは! はぁっ……はぁーーっ!」
「最近、ここらで大根おろしと醤油が消える怪事件が頻発してるそーだよー!?」
「そうなのか!? おれっ……っはっ……はぁっ……俺の家でもっ……今朝、けさっ……っひゃ……はー! はー……!!」
「ホギッちゃん疲れすぎ……」
「ゲラゲラ笑いながら人を引っ張ってこの速度で走れるお前がどうかしてるんだよ!! ───ぐっはっ! はぁーーっ! はぁーーーっ!!」

 言ったところで止まりもしない、自我を誇る触角暴走娘。
 俺はといえば、当然のことながら息苦しさに涙まで流しつつ……なんとか遅刻はしないままに、学校に辿り着くことに成功した……ら、よかったんだけどな。ああ、無理だったよ。遅刻だ。
 ……え? 道順? ……あんな状況で覚えろと?

……。

 疲れながらも学校に着いた後、当然といえば当然ながらに説教をくらった。
 俺と観咲はお互いを理由にして逃れようとしたが、話が大袈裟になりすぎて余計に説教をくらってしまった。
 で、この始末である。

「………」
「………」

 バケツの水がパシャッ、と音を鳴らした。実に青春。まさか廊下に立たされて、しかもバケツとくるなんて。

「あのさ、どうして俺がお前と一緒に廊下に立たされなきゃならないんだよ」
「それがふたりの運命だったんだよ」
「恐ろしいこと言うなよ……」
「もちろん冗談。ホギッちゃんが面白いからからかってるだけだし」
「お前なら報道部とかがお似合いだ」
「うん、中学の時は入ってた」
「ウ〜ワ〜適材適所〜……」
「そいでね、澄ちゃんは天文部だった」
「天文? ……なんだかあいつらしいというか」
「正式な部じゃなかったけどね。部員は澄ちゃんだけだったし、夜じゃなくて朝か昼。蒼空の時にだけ屋上に登って空を見る。それだけの部」
「……それは一種、帰宅部と変わらないんじゃなかろうか?」
「そだよ」
「………」
「………」

 右手に持つバケツをソッと廊下に置いて、自分の左側に立つ観咲へと……左手に持つバケツより、

「《びしゃっ》ひゃっ!?」

 デコピンの要領で水を飛ばした。

「……やったね?」
「やってないぞ」
「仕返ししていい? いいよね? 先にやったのホギッちゃんだもんね?」

 一度やってみたかったんだ〜、と花が咲いたような笑顔。
 こんな笑顔を普段から出来れば、さぞかしモテるだろう。
 一瞬ドキッとした自分をドツきたい。

「お前さ、子供の頃に水遊びとかで熱くなったクチだろ。蒼木とか無理矢理付き合わせてさ」
「澄ちゃんは昔っから病弱だったから出来なかったんだよねー。……言ってる意味、解るよね?」

 彼女の顔が嬉しそうにやわらぐ。
 ようするに、ようやく獲物を見つけた、と言いたいのだ。
 キミの周りにはアレか? 男性は蒼木しか居なかったのか?
 ああいや……みんなこんな性格の触角から逃げ出したんだろうな……うん、解るよ。解るけど、それは心の中だけで。

「解らない、って言ったら?」
「誠意を持って解らせてあげるー♪」

 “ぱぁああ!”っと表情が輝く。

「解る、って言ったら」
「誠意を持ってホギッちゃんに決闘を申し込むよ!」

 “クワッ!”と目を見開く。が、顔はホコロんだままだ。

「そんなことしたらますます怒られるだろ……こういうのはもっと静かにだな」
「チッチッチ、解ってないなぁホギッちゃん。教師を恐れて遊ぶお馬鹿さんが何処にいるの?」
「………」

 バケツ持ちながら、チッチッチなんて、立てた指を器用に左右に振るう怪力触角さん。
 一緒に揺れるバケツと水が、ゴヴァッシャゴヴァッシャと波を立てている。
 助けて、なんか殺されそう。

「成績の云々よりも青春と思い出の謳歌! 私の野望はこれだよー!」

 “うきゃーぁあ!”と、今度は両手のバケツを軽々と頭上まで掲げて嬉しそうに狂喜乱舞する観咲サン。
 ああ前略、今は亡き妹さま……。
 俺……とんでもない人と知り合いになっちゃった……。

「お前のことなんぞどうでもいい。蒼木のこと教えてくれ」
「わあ、やっぱりふたりは結ばれる運命だったんだね」
「水ぶっかけていいか?」
「いいよ、仕返しは倍にして返すから」
「………」

 仕返しと倍返しで意味が被ってる。
 いや、そっとしておこう。

「やらないの?」
「俺は風邪を引きやすい体質なんだ」
「ぬー、それじゃあ水掛けられないよぅ……」
「掛ける気満々だったのかお前」
「あのさ、さっきからずっと気になってたんだけどね。その“お前”っていうのヤメてね。なんかくすぐったいよ……」
「妙な想像だけはしてくれるなよ。観咲が妻の奴の気分になると泣けてくる」
「ぬー……別に私はホギッちゃんのこと嫌いじゃないよ?」
「それは俺も同じだ」
「だったらさ、そんなに邪険にしないでよ。さすがに私も傷ついちゃうよ……」
「………」

 確かに言い過ぎたかもしれない。
 が、この自分の言動が理解できないのは俺も同じだ。
 ていうかむしろ観咲が俺のことをホギッちゃんと呼んだのがきっかけなわけで……うむう、どうしたものか。

1:和解を求める───と見せかけて|目潰し《サミング》

2:握手をしてみる───と見せかけて飛びつき腕ひしぎ十字固め

3:抱きつく───と見せかけてウェスタンラリアット

4:頭を撫でる───と見せかけて頭掴みラリアット

5:愛の告白をする

 って、なんでみんなプロレス技に派生するんだよ!
 ああもう訳解らん! それと5! それはない!
 などと、立たされているのに騒いでいる俺達の横。教室へと続く戸が、スッと開かれた。

「お?」
「あ」
「やあ」

 音を立てて教室から出てきたのは笑顔の蒼木だった。
 ……何故か、その両手に空のバケツを持って。

「……蒼木? どうかしたのか?」
「あはははは、ちょっと眠っちゃって」
「澄ちゃん、またやったんだ」
「面目無い」

 言って、また笑う蒼木。
 どうなってるんだこいつは。
 とても昼寝するような奴には見えないんだけどな。

「不思議そうな顔をしているね、穂岸くん」
「実際、不思議だから」
「はは、うん。僕を見た後の人はみんなそう言うよ。僕はね、朝は本当に弱いんだ。気をしっかり保ってないと眠ってしまうんだよ」

 恥ずかしい話だけどね、と笑う蒼木。
 よくよく笑う奴だ。
 笑うと言っても、これは“微笑む”という言葉が一番適切だろうが。

「あ───そういえばさっき、病弱だとかなんとか……それが関係してるのか?」
「雪音……」
「ごめん、喋っちゃった……」
「いや、責めているわけじゃないよ。ただその軽い口や喋りたがりを罵倒しているだけなんだ」
「やっぱり責めてるよーーーっ!!」
「あはは、冗談だよ雪音。僕はあまり物事を深く考えないから。何度も言ってるだろう? 人の行動は自由であって、わざわざ僕が注意することじゃないって」
「ぬー……でもやっぱり悪い気がするし……」
「それなら話さなければいいんだよ。それできっと解決する」
「……やっぱり怒ってる?」
「怒ってないよ。むしろ話す手間が省けたと思えばそれで済むじゃないか。ありがとう、雪音。お陰で話が進めやすくなったよ」
「……ぬー、私としては張り合ってほしいんだけどなぁ。澄ちゃんてば絶対自分で物事を呑み込んじゃうからつまんないよー……」
「ごめんね、僕はこういう性格だから……期待には応えられないかな……」
「おーい……」

 すっかり話に置いて行かれた俺は、どうしたらいいものかと考えていた。

「ああごめん。僕の体のことだったね」
「………」

 大丈夫なんだろうか。
 なにがって、蒼木の行動基準が。

「僕はね、病弱だったんだよ。産まれたときからね。どこでどう育ったかといえば病室で天井を眺めながら。親に捨てられちゃってね」

 困ったものだよね、と苦笑する。
 そんな表情を見て、こんな話をするのは一度や二度じゃないことが解った。

「でもその病気も良くなって、今ではこの通りさ。退院してからは、少しは体を鍛えることが出来たと思う。それでも、ようやく平均に届くかどうかってくらいだけどね」
「どんな病気なんだ?」
「うん……実は、病名も解らない病気なんだ。だからなんとも言えないかな。ただ……産まれ付きの病気と、そのあとにかかった病気があったんだけどね、まあいろいろあって、今はこんな調子なんだ」
「ふーん……」
「うん、難しく考えず、適当に受け取ってくれたらそれでいいよ。……あ、それよりお知らせがあるんだ」
「お知らせ?」

 お知らせ、お報せ、意味はまあいろいろとあるだろうが、ともかく重要ななにかがあるらしい。教室から出てきた蒼木が言うのなら、それはきっと先生から言われたことであり……ああ、嫌な予感。

「うん。実は明日、実力判断テストがあるらしいよ」
「え゙……」

 観咲が固まった。
 テスト。おや、別に嫌な予感ってほどでもなかったか?
 テストが好きなわけでもないけど、だからって絶対に嫌だってわけでもない。

「テストか。早速って感じだなぁ」
「………」

 観咲は固まっている。
 心無しか、カタカタと震えてはいるが。
 こんな学校なのだ、勉学優先って意味では逆に頷けるくらいだ。
 そういった意味では、ここじゃあ観咲のほうがイレギュラーなのだ。

「蒼木は勉強できる方か?」
「あ……はは、僕は全然だよ。この学校には雪音の親に入れさせられたんだ。そして……僕にはそれに伴った能力は無い……かな」
「……頭良さそうに見えるけどな。雰囲気とかも」
「人は見た目じゃないってことだよ」
「そういうものかな。観咲は本当に見た目通りだけど」
「それだけ純粋なんだよ。元気な人は嫌いじゃない」
「元気っていうよりは馬鹿ってだけな気もするけど」
「そう思うかい?」
「ああ、思うな」
「実を言うと、僕もね」
「……お前にはそういう考えは似合わない気がするけど」

 というか、もったいつけた言い方や言い回しをしておいて、観咲馬鹿説に賛同って、それでいいのか?
 ほら、地味に観咲、がーん、って顔してるし。

「それもまた、見た目の問題であって、僕の深層意識とは異なった考えだよ。それに“馬鹿”っていうのは人であるものの理想形だと思うよ? 馬鹿になりきれずに後悔する人もいれば、自分で作ってしまった立場と人格のために馬鹿になれない人だって居る。それって結局、みんながみんな責任とか義務とか夢とか、そういう“背負うもの”から解放されたがっているんじゃないのかな」
「そんなもんかな」
「言ってしまえば極論と極論かもしれないけど、絶対と言えるほど的外れではないと思えるよ。人はそうやって、異端から歴史を始めるしかないんだから」
「……異端?」
「喩え話だよ。例えば神の存在のことだけど」
「うん」
「本当に“神”なんて存在があったと思うかい?」
「………………抵抗のある質問だな」

 サクラが言うには、神様は居るらしいからな。
 そう考えれば、この質問には居ないと言っていいのか、居ると言っていいのか。
 いや、居ても別に構いやしないんだ。これは本当だ。
 ただ、存在しているからってこう……天界の下の……まあ、ここに住む俺達が神だどーだって言っている存在だけを信じて、居ると答えるのとも違う。
 居る人はそりゃあ居る。でも、人々が信じる神がその神だとは絶対に言えない。
 そんなの、人の理想をその神に押し付けているだけだからだ。

「たとえ居たとしても、その存在が“神”だとは限らないんだ。僕らが“神”と呼んでいるものは結局、僕らが“神”と呼んだだけなんだから。案外、神さまとしてはいい迷惑かもしれないよ? 自分の本当の名前を無視されて呼ばれているのかもしいれないんだから。そしてもうひとつ言ってみるとしたら……」
「…………したら?」
「そう言った意味では、人間こそが創造主といえるってことだよ」
「……似たような考えはあるけど、創造主とまでいくとは思わなかったな」
「そうかい? まあこれも極論だけどさ。“神”の存在は僕達人間が創造したものってことさ」

 まあ、それは解る。
 それこそ極論だが、俺達人間が“それ”と呼んでいるものの悉くは、俺達がそう呼んだからこそ“それ”になったものだ。
 種族にしても名前にしても、名付け親が居なければただの生物でしかない。
 鳥だって、羽の生えている小さな生き物、ってことになるだろう。

「想像はつくだろうけどさ、例えば“あだ名”っていうのは他人がつけるものだよね? だとするなら存在の云々は置いておくとしても、“神”という存在を作ったのは間違い無く僕達なんだよ」
「……蒼木さ」
「うん?」
「もしかして、例え話が好きなのか?」
「あはは、惜しいところかな。僕は認められそうにない物事を拾うのが好きなんだよ。それはつまり異端であって、僕ひとりがそうだと思っているだけかもしれない。そういうものの先を考えることが好きなんだ。もったいないと思わないかい? 折角そういう風に考えることの出来る条件が人間にはあるのに、それを最後まで考えようとしないで放棄してしまうなんて。認められないから捨てるんじゃなくて、認められないなら証明してみせる。それくらいの考えがこの世界に一番必要なものだと思うよ」
「……だからか。異端から始めるしかないって言ったのは」
「うん、合ってもいないし間違ってもいない。僕らが常識だと思っているものの全ては、元々は異端でしかなかったんだよ。物事の根本から考えてみれば、僕らの知識は経験者から得た知識でしかない。どうして数の最初は“1”なのか。どうして1と呼ぶようになったのか。どうして“神”だなんて存在を信じ、どうして存在すると思えたのか。それもやっぱり解らないけど、それを考えるのも面白いかもしれない。案外僕が知らないだけで、その元となった話はあるのかもしれない。言ってみれば、結局あれかもしれないこれかもしれないから始まっていて、その全ては、確信から始まったものなんてありはしないんだよ」

 世界ってものが宇宙の爆発から始まったっていうならそれは否だ。
 爆発出来るなら、それ以前に始まっている。
 宇宙の始まりはなんだったのか、なんて考えるだけ無駄だとも取れるけど、それを考えるのが楽しいって人にしてみれば重要なことだ。
 ニワトリが先かタマゴが先か。
 それで言うなら鶏に進化する前の鳥っぽいなにかが、環境に適応するために鶏へと進化した結果がソレなわけだから、結局は卵ってことになるのだろうけど……じゃあ世界はどうだろう。
 スーパーノヴァがどーのこーのと言うより先に、それが起こる以前の空間はあった筈だ。じゃあどうしてその爆発は起きたのか。どうして爆発じゃなきゃいけなかったのか。考え出したらキリがない。
 そこに正解と思えるなにを宛がおうとしたところで、様々な人は否と言うだろう。
 つまりはだ。

「全ては矛盾から始まったって、そういうことか」
「そういうことだね。基準の知識に縛られていたら先に進む歩幅は狭いけど、基準が無ければなにも出来ないのも確かだよ。だけどそれを過信しすぎる人は絶対先には進めない。義務や責任なんてものを唱えるんじゃないんだ。少しだけ異端を認めようとする心があればそれでいい。そういう意味では、真面目な人よりは馬鹿な人の方が好きだよ、僕は」
「………」

 なるほど、常に正解を選ぶ人より、馬鹿である理想の先か。
 回りくどいけど、そういった意味で馬鹿のほうがいい、って話なのだろう。
 と、ここまで纏めてから改めて隣の触角を見てみる。

「………」
「……! ……!《ガタタタタタタ》」

 難しい話についてこれず、ガタガタと震える触角が居た。

「……これでもか?」
「難しいことを共有することは大事だよ。悩んでたって辛かったって、どこかで笑い合えるところがある筈だからね」

 ……しかしだな、蒼木よ。
 このカタカタさんを認めるのはどうかと思うが。

「…………ホギッちゃん」
「ホギッちゃんって呼ぶな」
「勉強教えて?」
「………」
「それは名案かもしれない。僕からも頼むよ」
「………」
「実は成績の悪い人を後ろから10名、教室の掃除を命じられることになっているんだ」
「えーっ!? 私明日、見たいテレビがあるのに!」
「お前は掃除でもしてた方がいいと思うぞ」
「なにをーぅ!? ロミオの青い空をどうでもいいなんて思える人なんて、ただの頭脳明晰型お馬鹿さんだーっ!」
「ああ、あれか。あれは名作だ。あれなら認められる。だがお前は認めん」
「あうぅ! なんかよく解らないけどガッデムゥ! なんかムカツクよぅ!」
「あーぁハイハイ、それで、どこでどうやるんだ?」
「ホギッちゃんの家!」
「却下 蒼木、どこがいいと思う?」
「あーっ! 刹那級に却下したーっ! しかもその後に間も全然無かったーっ! ホギッちゃぁああん! 最初から却下するつもりだったなんてヒドイよぅ!」
「僕も穂岸くんの家がいいかな」
「う……あのさ、俺の家って言ったって真由美さんの親に借りてるだけなんだ。そうそう暴れる奴を連れこむわけには……」
「暴れる奴って誰だーーーっ!」
「お前以外に誰が居る、スタンピードガッデム」
「ガッ……ガッデムーーーッ!」

 ホギャーと謎の叫びを上げる触覚。
 頼む、あまり騒がないでくれ、先生が来ると面倒だ。

「それじゃあ穂岸くんの家に集合ということで。学校終わってからすぐでいいかな」
「そこ! 勝手にまとめにかからない!」
「ここで言い合っていても埒があかないよ。手短に決めてしまうのが一番だと思うよ僕は」
「その基準で、俺は提供者でしかないのか?」
「不服だったらお昼でもご馳走するよ」
「お昼?」
「あ、ホギッちゃん運がいいねぇ。澄ちゃんの料理って美味しいんだよ〜?」
「蒼木を信用しないわけじゃないけど、観咲の言葉を鵜呑みするのはどうかな」
「あーっ! それどういう意味!?」

 横でギャースカガッデム叫ぶ観咲を押しやって、蒼木に向き直る。
 観咲、そこはギャースカだけにしておこうな。

「味は保証するよ。僕は料理くらいしか取り柄がないんだ」
「……一度その言葉には騙されているんだ。同じ言葉というわけでもないんだけど」
「じゃあここは雪音ちゃんが腕を振るうよー!《どーーーん!》」

 想像の中の観咲が剛腕は振るって、キッチンを破壊する様子が頭に浮かんだ。
 さあなんという言葉を届けよう。にっこり笑ってはいアンサー。

「却下」
「賢明な判断だよ穂岸くん」

 当たり前の答えだった。

「ふたりともヒドイよ……」
「まあ……いいか。たまには誰かの美味しい料理を食ってみたいし。じゃあそういうことで学校が終わってから……って、いつ終わるんだろ」
「はいはいはいは〜い! そこのところは私こと雪音ちゃんにおっ任せぇえーーーいっ!」
「任せられん」
「勢いついてるところに待ったをかけるなんて人間じゃないよ!?」
「そうだな、すまん。お前は触角だった。名前はツムリーかマイーマでいいか?」
「それナメック星人の若者だよ!? 性別からして合ってもいないよ!? 人型なだけマシだけど! って、言っていいことと悪いことがあるよぅホギッちゃん! こんなプリティー・キュートなわたしをつかまえて、人でなしだなんて!」
「人間じゃない、って言ったのはお前なんだけどな……で、プリティー? キュート? 誰が?」
「わたし〜♪」
「…………観咲」

 ポム。と、彼女の肩に手を置く。
 もちろんバケツなど真面目に持っていたりはしない。

「そういうことは一度でもプリティーとキュートの意味を調べてから言え」
「ヒドイよーっ! ちゃんと調べたもん! ……意味は忘れたけど」

 ちなみに意味だが。
 ◆プリティー……かわいい様。
 ◆キュート……かわいい、きれい、利口、抜け目のない様、など。
 となる。

「………」

 自分で自分を“かわいくてかわいくてきれいで利口で抜け目がない”と言いたいらしい。
 ……そうだな。確かに可愛いと思う。……思う。思うだけだ。頭は残念だが。
 しかし、綺麗……? り、利口……? 抜け目がない……!?

「観咲」
「うんっ、なにかなホギッちゃんっ!」
「お前にはあの空が何色に見える?」
「え? 青じゃないの?」
「そうか。結論から言うと、お前は確かにかわいいと思う」
「わふぅ!? え、あ、え!? ホギッちゃんもしかして雪音ちゃんにホの字っちゃった!?」
「けどな、綺麗で利口で抜け目がないって言ったらウソだ。絶対にだ」
「え───」
「穂岸くん、プリティー、キュートの意味はそういうことなのかい?」
「ああ。蒼木はどう思う?」
「……雪音」

 蒼木がとてもやさしい顔で観咲の肩に手を置く。バケツ? 当然持ってない。

「きみはもうちょっと、自分っていうものを認めてあげるべきだと思うんだ」
「えぇえええ!? 澄ちゃんまでひどい! わ、私ちゃんと自分を知ってるもん!」
「なっ……ってことは記憶が戻ったのかツムリー!」
「ナメック星人じゃないよ!?」
「…………マイーマ!?」
「だから違うってば!」
「むしろその触角ってどうなってるんだ? 寝癖にしては異常だろ」
「これ? んふふー! これこそ選ばれた者だけに存在するえーとえーと“アフールヘヤ”とかゆーのだよー!《どーーーん!》」
「………」
「………」

 胸を張る観咲を前に、俺と蒼木、硬直。
 あふーる。a fool……アホウ、阿呆。ヘヤーは多分ヘアーだから……アホ毛。

「え、ええっと、観咲〜? その名前はいったい、誰から聞いたのかな〜?」
「え? なんか頭がツンツンしててメイドメイド騒いでた人」
「………」
「………」

 “なんでそんなヤツの言葉を鵜呑みにしようと思ったのだろう”と、蒼木と目を合わせて悲しみの表情を浮かべた。
 どうせ“選ばれた者”って言葉に惹かれたんだろう。
 どういうきっかけで話すことになったのかはさておいて。

「ぬー……なんか疑ってる目、してる……。最初っから信じる気なんてないでしょ」
「いや、俺の中では観咲雪音という存在は、からかうに値するほど気の許せそうな存在であってだな」
「え? え? ……やっぱりホギッちゃん、雪音ちゃんに惚れちゃった?」
「おぞましいことぬかすな触角搭載馬鹿女」
「馬鹿ってゆーなーっ!」
「雪音、彼はとりあえず、友達だって言ってくれているんだよ」
「ゔ〜〜〜ぅ……そうは聞こえなかった……」
「そんなことはないぞーぅ? 翼くんだって最初はボールに恐怖してたんだぞ」
「それってつまり私が怖いってことじゃないのさーーーっ!」

 ボールは友達怖くない。怖くないから存分に蹴ろう。子供心に、あの言葉には戸惑ったものだなぁ。
 その点で言うと、顔面で友達を受け止める石崎くんはとてもいいヤツだ。

「怖くてもボールと友達になった人が居るって前例じゃないか。そんな友達をからかった代償として、俺の弁当を進呈したいんだけど、食べるか?」
「え? ホントッ!? いいのっ!?」
「ああ、ホントだ。たっぷり食べてくれ」
「穂岸くん……言っておくけど、雪音は食べるよ? たくさん」
「尚更だな。あまり腹減ってなかったんだ。折角だから蒼木の料理を待つとするよ」
「そう言ってもらえると光栄だよ。僕も精一杯腕を振るわせてもらうよ」

 しかし、なんだろう。
 罰として立たされているのに、随分と自由に騒いでいる。
 というか観咲のうるささに先生が叱りにこないのも、ある意味ですごい。
 なんて思っていたら早速開く教室の戸。
 直前まで考えていたことが“叱る”だなんてものだったため、思わず身構えてしまう。

「そこの三人、もう中に入っていいぞ」

 けれど放たれたのは解放への言葉。
 廊下に置かれたバケツたちを見下ろして、盛大に溜め息を吐く先生の気持ちは横においておくとして、さて教室へ───って、そうだ。

「先生、このバケツと水は?」
「捨ててきなさい」

 当たり前だった。
 捨てるのは当然水だけだろうが、置きっぱなしにするわけにも、持って入るわけにもいかない。

「ホギッちゃん、頼んでいい?」
「アホかお前は、自分で行け」

 そしてなにをいきなり人に押し付けようとしているのだこの触角は。
 第一、自分の分もあるっていうのにどうやって他のものまで持てというのだ。
 そこのところをよく考えてもらいたい。

「ケチー」
「おお、ケチだとも。お前はバカだけどな」
「むきーぃいッ! ガッデムゥ!」
「雪音、僕が持とうか」
「あ〜っ♪ ありがと澄ちゃ〜ん♪ ……どっか意地悪さんとは大違いだね」
「まったくだ、幼馴染に自分の罪を擦り付ける奴の気が知れない」
「うーきゃーぁあああっ!! 澄ちゃん! やっぱいい! 自分で行く!」
「お? どうしたのかねバカ者」
「バカって言う方がバカだもん!」
「そういう屁理屈を言う奴が真のバカだ。頭が廻らないからそういう返し方しか出来ない」
「うー…………澄ちゃぁん……ホギッちゃんがいじめるよぅ……」
「大丈夫、僕は雪音の馬鹿なところが好きだよ」
「!!」

 あ……“ぐさっ!”て擬音が聞こえてきそうな程の驚き具合だ。
 ………………悪気は……無いんだよな?
 観咲の奴、涙目になってしまった。

「ホギッちゃん! こうなったら勝負だよ!」
「勝負? なにでだ?」
「明日のテスト!」
「穂岸くん、あざやかな勝利だったよ」
「ありがとう蒼木、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 勝負は決した。

「まだ何もやってないぃっ! 澄ちゃんヒドイよぅ!」
「でもね雪音。少しは身の程を弁えた方がいいと思うよ?」

 身の程。
 なんというか、普段生活していると案外聞かない言葉が耳に届いた。
 ……それほどなのか、この触角は。

「え……そんなにヒドイのか?」
「テストで20点以上を取ったことがないほどの実力者だよ」
「……親のコネとはいえ、よく入れたな……ほんと」
「うぅう……がんばるもん……がんばるんだもん……」
「それで、この後の勉強会には出るのか?」
「うぐぅっ……敵に教わるわけには……」

 おお……! この触角は一応、そういうところにはきちんと志的ななにかがあるらしい。まさかそう来るとは。
 喜んで参加すると思っていた自分にとって、観咲の言葉はそれこそ予想以上に驚きでもあり、新鮮さを含んだものだった。

「そっか、じゃあ蒼木、俺達だけで高得点狙うか」
「雪音、ご愁傷様」
「死んでないもん! ……いい! 私も行く!」

 そしてあっさり改められる志を持った発言。
 ……少しでも見直した俺が馬鹿だった。こいつも馬鹿だけど。

「ふーん! ふんふんふんふーーーんだ! ようはホギッちゃんに勝てばいいんだもん! 手段なんてこの際どうだっていいんだもん! ホギッちゃんは自分で敵を強化して雪音ちゃんに負けるがよいのだ!」
「そう身構えるなって、テストって言っても基礎知識さえあれば解けるから」
「え? そうなの?」
「社会に必要な知識を憶える為の基礎鍛錬学校なんだから当たり前だろ?」
「それなら……うん、澄ちゃんよりは点とれるかな」
「そうだね」
「そうなのか?」

 談笑しているふたりに訊く。
 どっからどう見ても、観咲の方が馬鹿っぽく見えるのに。
 もしかして幻覚? 俺が見ている蒼木は蒼木であって蒼木じゃない? そんな馬鹿な。

「さっきも言ったけれど、僕は病弱だったんだ。だからもちろん、勉強をする暇もなかった。その結果が今の僕さ。よく“寝てるだけなら勉強する暇くらいあっただろ”とか言う人も居るけどね。……本当に“病気”になってみれば解るよ。ともに勉学に励む人も居ない、教材を買ってくれる親も居ない、学校の授業範囲だって解ったもんじゃない。そんな状態で、孤独のままにどれだけ勉強が出来るのか、ってね」
「……そっか、大変だったんだな」
「はは、そうでもないよ。僕は結構自分が好きなんだ」

 「自分を嫌いになったら何も見えなくなるからね」、と笑う蒼木。
 実に穏やかだ。
 そんな蒼木を見ていると、不思議と心が和む。
 なのに道を塞いだままでガッデム騒ぐこの触角は、和むどころか騒がしいままだ。
 ……幼馴染……いわゆるご近所さんか、観咲の家に引き取られたかしたんだろうけど、どうしてこうも性格が違うのか。
 ああ、そっか、天然だからか。
 などと考え事をしていると、やっぱり来訪、救世主浅田センセ。

「こーらー。ずっとそうやって立っているつもりか?」
「望むところだよぉ!」
「そうか、では……蒼木、穂岸、お前達は入っていいぞ」
「お心のままに」
「それじゃあな、観咲。直立、ガンバれ」
「はうああぁっ!? い、今のは勢いのアヤとか言うやつで」
「バケツはそのまま持っていて構わんぞ。自分から罪を償うつもりで立たんとするその心意気を、先生は嬉しく思う。だがそれに他の生徒の時間を巻き込むのはいけないよな? だから頑張れ」

 ぴしゃん。
 そうして、戸は閉ざされた。

「………………ひどい」

 観咲の小さな言葉を残して。

 ◆自業自得───じごうじとく
 自分の悪行の報いを自分が受けること。
 特に馬鹿者が起こすことが多いもののことを言う。
 *|神冥書房刊《しんめいしょぼうかん》:『世界に名立たる最先端馬鹿辞典』より



───……。


……。

「さて、昨日話したように、今日は知らせることがあっただけだ。各自解散を命じる。……尚、明日のテスト脱落者のために、今日は掃除をしないでよろしい。明日を楽しみにするように」

 そんな言葉のあと、それぞれが帰り仕度を始める。
 そんな中、俺と蒼木はこれからのこととかを話して小さく笑っていた。
 高校生男児っぽくて実にいい。
 亡き妹に届けよう……勉学ばかりだった兄にも友達が出来ました。

「与一くん、これから帰るところ?」

 そんな心の報告の中、真由美さんが話し掛けてきた。

「やることもないから。ていうか真由美さん、あの家はなんなの?」
「え? お父さんの物置みたなものだけど」
「わあ」

 あっさり物置だって言っちゃったよこの人……。
 驚きと悲しみの瞬間だった。
 まあいいや、バイトの分際で拠点を頂けただけでも奇跡だ。
 これを良しとせず、何を良しとするか。

「穂岸くんはこのへんに住んでいるんじゃないのかい?」
「えーと、俺はまあ転校生みたいなものなんだ。ここが故郷というわけじゃない」
「それじゃあ住む場所とかはどうしているんだい?」
「えーと」

 まさか住んでいた場所が……否。
 住もうとした場所が全焼しただなんて言えないしなぁ。

「真由美さんの親が所有してる物置に住まわせてもらってる。横に狭くて縦に長い。パッと見たら物置だとしか思えない不思議な形だ。いや、住まいって思うことよりアート的ななにかだって考えのほうが先に立つぞ絶対。けど、いずれ都級に住みやすくなる。と信じたい」
「住めば都かい?」
「そゆこと」
「あはは……お父さんも、“仕方が無かったとはいえ、申し訳ないことをしてしまった”〜って言ってたよ?」
「お知り合いさんはしばらく帰らないんで?」
「うん。知り合いっていうか親戚なんだけどね? いい歳して吸血鬼を探している〜だなんて燥いでる、おかしな方向で元気なおじさんなの」
「───」

 吸血鬼ときましたか。
 まあ……天界人が居るなら、案外居るのかもなぁ。

「吸血鬼。すごいね、それは。やっぱり首に噛み付いて血を吸うんだろうか」
「あ〜……それずっと首傾げてたことなんだけどさ。なんで吸血鬼は首から吸うんだろうか。やっぱりあれか? 血管が太そうなところがいいのか?」
「あ、私も気になってた。あれって頚動脈とか傷つけちゃわないのかな〜って」
「うーん……僕が思うに、ライオンとかと一緒なんじゃないかな。抵抗すればいつでも殺せるんだぞって、そういう意思表示に近い意味で」
「首への噛みつきを許した時点で、抵抗は無駄だって思い知らせてるってことか?」
「想像だけどね」
「なるほどー……じゃあ首にニンニクエキスとか塗っておけば大丈夫だったりするのかな」
「それも思ったんだけどさ、真由美さん。たまねぎとかにんにく突きつけられて、嫌がらない人って居るの?」
「………」
「………」

 改めて考えてみても、吸血鬼じゃなくても嫌だと思う。
 嗅覚とかすごいから、匂いが強いものがダメって意味もあるかもだけどさ、それなら“ししとう”も案外やってくれると思うのだ。
 アレのハズレの破壊力は凄まじい。……ちなみに獅子唐の“辛いヤツ”に関しては、当たりと言うところもハズレと呼ぶところもあるので、あまり気にしちゃならない。
 ……豆知識に強くたって、あだ名が“おばあちゃん”になるだけで、友達が出来るわけじゃないから気をつけような。

「えと……あ、あはは……えっと。それじゃあ吸血鬼ってなにが苦手なんだろうね」
「そうだね。もうワサビでいいんじゃないかと僕は思うのだけど」
「だな。現れたらタバスコでもプレゼントしてあげよう」
「……二人とも、容赦ないよ……」
「そういう真由美さんは?」
「え? からし粉末。水で溶かないと使えないアレ」

 吸血鬼さん、全力で逃げてください。
 目の中に入りでもしたら地獄です。涙で溶けて眼球に付着して地獄の苦しみを味わうことに……!

「………」

 からし粉末から連想して、ワサビ粉末だった場合を考えると、蒼木も結構容赦ないなぁと素直に思った。

「驚いた顔してるけど、この中じゃ与一くんが一番ヒドいからね?」
「いや、人の血を狙ってくる相手に遠慮なんてしてどーするのって意味も込めて」

 まぁ、ともかく。話を戻すにしても、蒼木や観咲が来たとしてもサクラやノアの正体なんて誤魔化しが利くだろう。
 なんとかなるなんとかなる。
 が、やはり誰も来ないに越したことはない。
 ならば一応確認をするべきだろう。

「えーと? 話を戻すけど、これから所有者の娘が認めた物置に来るんだよな?」
「そのつもりだよ。迷惑だったらかまわない」
「俺は一向に構わないけど。借りてる場所を私物化するほどたわけじゃないし、むしろ来る者は拒まず、去る者は地の果てまで追いまわして抹殺───」
「抹殺!?」

 ポロリと出た言葉に真由美さんが盛大に驚いた。
 蒼木はきょとんとしている。

「ああごめん、今のは言葉のあやとかいうもの」
「あ、あはは……そうだよね。驚いちゃっ───」
「うむ、100%中の2%くらいは嘘だから」
「───それって殺る気満々だよね!?」

 真由美さんってやっぱり結構ノリがいい。
 ……素で驚いてるんじゃないよな? じょっ……冗談だからね!? 本当に冗談だから!

「ははは、穂岸くんは付き合いやすいタイプだね」
「絶賛、自分の言動を後悔中なんだけど……そう思うか?」
「頭のいい人は付き合い難いって先入観があるからね。その点キミは脳への栄養が面白い感じに分配されてるようだ」
「……とても誉めてるようには聞こえないが」
「人を誉めるのは苦手なんだ」
「………」

 涼しげな顔をして、中々ヒドイことを言ってくれる。
 まあ気にしない程度に重くも軽くもない相手というのはいいものだ。

「あ、あー……一応言っておくと、俺は勉強ばっかりで、人付き合いが苦手な自分をなんとかしようって張り切ってる最中だからな? 正直、おかしな言動も結構無理してる」
「そっか……それは、なんというかすごいね。僕もそういうのは頑張ったほうがいいのかもしれない」
「手探りの自分の言動で場が静まり返った時の恐怖といったら、もう怖くて怖くて……って、それはいいか。それじゃあ行きますか」
「仰せのままに」

 微笑みながら冗談を言う蒼木は本当に穏やかだった。
 ……あ、ちなみに観咲はまだ廊下に立っていた。意地にでもなったのか、バケツを六つ腕に装備して、何故か仁王というか……えっと、なんだ? よくああいった像が取っている、歌舞伎の構えをちょっと控えたようなポーズで。

「そういえばさ、蒼木。仁王像とかがとってるあのポーズにも、構えの名前みたいなのはあるんだろうか」
「正座にだって様々な名前があるんだから、きっとあるんじゃないかな」
「正座か。|結跏趺坐《けっかふざ》が好きだぞ俺は」
「奇遇だね。僕もだよ。というか、実はそれしか名前を知らなかったりする」
「……どうすれば結跏趺坐を知る機会だけに恵まれるんだよ」
「偶然が働いたのさ」

 そういったくだらない雑談を交わしながら、俺達は帰路を辿った。
 今日はいろいろあったなー、なんて思いながら、平和的に───

「澄ちゃんホギッちゃん無視するなんてヒドイ!」

 ───仁王触角像に回り込まれた。
 回り込んでまでそのポーズはやめなさい。

「真由美さんも無視してただろ」
「ううん? 無視はいけないなーと思って、じいっと見つめつつ歩き去ろうとしたよ?」
「おお……無視じゃないな」
「うん、無視じゃないね」
「ある意味無視よりひどいよぅ!!」

 ショック顔で言う観咲は、途中から仁王ではなく歌舞伎ポーズになっていた。仁王は動揺すると歌舞伎になるらしい。

「じゃ、帰るか。観咲、バケツの水捨てるから一個貸せ。一個な」
「おおう! ホギッちゃんがやさしい! でも一個を強調するのはさすがだね。オトコノコなのに非力さーん♪」
「うるさい、鍛えるさそのうち。ああそのうち」
「うわー……やらない人の言い方だー……」
「じゃあ観咲、お前は頭を良くしような?」
「そのうち良くするよ、うん。そのうち」
「………」
「………」

 バケツを渡され、空いた片手と片手が繋がった。握手である。

「そっかそっかそうだよね! ホギッちゃん頭いい! 私、運動得意! 私たちが手を繋げばもう怖いものなんてないよー!《どーーーん!》」
「お前に学ぶ気が無いのが一番怖いわ」
「ホギッちゃんだって鍛える気なんてないでしょ?」
「いや、正直真面目にやろうと思ってる。ちょっと走った程度で呼吸が荒れるのはちょっとなぁ……」
「ホギッちゃんが体鍛えたら私いらない子だよ!?」
「お前は俺にどうして欲しいんだよ!!」
「鍛えちゃヤ」
「断る」

 即答。
 けれど観咲はショックを受けるでもなくケラケラ笑うと、「ホギッちゃんそうじゃないよ〜」と言う。

「ホギッちゃん? そういう時は“だが断る”って言わないと」
「……わざわざ言うってことは、なにかの真似なんだろうけどな───って、ジョジョか。そういえばあったな……なんだったか……ああ、岸辺露伴か。吉良吉影ばっかり記憶に残ってた。……で、だけどな。会話の仕方を間違えるな。“だが”ってつけるなら、その前になにかしらの賛成に傾けた言葉を言うべきだ」
「え? あれ? そうなの?」
「そうだな……ああ、うん。確かに俺が鍛えなくてもお前が力を担ってくれるなら、そこに力は必要なくなるよな」
「あ、そうだよそうでしょそうだよねー!? だからホギッちゃ」
「だが断る《どーーーん!》」
「えぇえーーーーーっ!!?」
「……と、こんな風に、相手が会話にノってきた時にズッパリ言うべきだ。脈絡もなく“だが”をつけたって違和感ばっかりだろ」
「うぅうう……」

 怯みと睨みを混ぜたようなヘンテコ顔で俺を見る観咲。
 その隣では、あははと真由美さんが笑っている。
 俺の反対の隣では蒼木がくすくすと笑い、なんというか……笑いながらの下校が完成している。えっと、ちょっと待て、なんだこの微笑ましいものを見守るような状況は。

「与一くんって面倒見がいいよね。将来、保父さんとか合ってるんじゃないかな」
「将来のことなんて、まだ全然固まってないけど……そうだなぁ。とりあえず、もうあの家には帰りたくないかな」
「え……そんなに物置物置してた?」
「あ、いや、あの家じゃなくて、俺の実家」

 いい思い出が無い。
 あったとしても思い出せない。
 俺の中じゃあそこはもう、妹が死んだ場所でしかない。
 死んだ存在から目を逸らすつもりも忘れるつもりもない。
 ただ、あの冷たい家に帰りたくないだけだ。

「……穂岸くんは、子供は好きかい?」

 続ける言葉もなく黙った俺に、蒼木が質問を投げる。
 子供? 子供は───そうだな。

「全員子供で居られたらいいのになって思ったことならあるよ。純粋すぎて残酷なことだってあるけどさ、喧嘩しても簡単に仲直り出来るイメージなんて、もう思い出せないんだ」

 “大人になるってことは人と喧嘩し続けることだ”、なんて言った人が居た。
 子供だった俺は、“へんなの。じゃあ仲直りすればいいのに”なんて笑った。
 でも、大人になると謝ることが難しくなるって……その人は困った顔で言う。喧嘩別れしてしまって、二度と会えなくなることだってあるんだと泣いたりもした。
 大人なのに泣き虫だなぁ、なんて笑ったいつか。
 それから少しもしない後、俺は妹と二度と会えなくなった。
 大人は泣き虫だ。
 大人は臆病だ。
 そう笑うことが出来なくなった理由を抱いたいつか。
 どうして泣き虫で臆病なのかを知るってことは、それらを経験する以外のなにものでもない。
 当然だ、知らないことを知れば、泣きたくもなるし臆病にもなる。
 知らないから笑えた自分はもう遠い過去だ。
 こぼれ落ちたものを拾えない世界だなんて知らなかったんだ。
 そして、知らなかったで済んだ頃とはもう違う。
 だから───

「そっかそっかぁ、つまりホギッちゃんは子供が好きなんだね! えーと、ろ、“ろりこん”だっけ?」

 ───だから。とりあえず、胸の中で渦巻いた黒い気持ちをブチノメしてくれたこの触角をどうしてくれようか。

「《ディシィッ!》ふやぅっ!? え!? え!? なになになにするのホギッちゃん!」
「そのテユンテユン蠢く触角にデコピンをしている。動くな、手元が狂う」
「つまりデコピン合戦だね!? じゃんけんして勝ったらあっちむいてホ《ディシィッ!》ホギッちゃん! じゃんけんしてないのにデコピンしちゃダメでしょ!?」
「じゃんけんほい」
「《ディシィッ!》じゃんけんすればいいってことじゃなくてぇえっ! ていうかなんで人の髪にデコピンするの!? デコピンっておでこにするからデコピンって言うんだよ!?」
「ほう。じゃあ“ピン”はなんだ」
「え? えー……ピンゾロから来てるんだよー!《どーーーん!》ほらほら、サイコロで1がそろうのをピンゾロ〜、っていうでしょ? つまり指一本で弾くから1! フルネームはきっとデコピンゾロだよー!《どどーーーん! ディシィッ!》きゃーーう!? ホギッちゃん! 人が話してるのに髪の毛を弾かないでよう!」

 無駄に捻くれた説明が出てきた。
 ああ、うん……頭の中が愉快そうでいいな、こいつ。
 でもそれに助けられる時もあるんだろう。……気負いしない相手っていうのは……なるほど、気安い。

「おっと、もう昇降口だ。じゃあな観咲、明日も元気に登校してこいよ」
「え? う、うんっ、もっちろんだよー! 元気溢れる雪音さんは、病気知らずで元気元気なのだー! ……って、ホギッちゃんの家に行くんでしょ!? ていうかデコピンのお話は!?」
「詳しい語源は無いんだけどな? 実はデコをピンッと弾くからデコピンと言うらしいぞ? つまりデコにやらなきゃデコピンじゃない」
「え、えと……? つまりさっきからホギッちゃんがやってるのは?」
「ヘアーにやってるからヘアピンだな」
「おお〜……!」

 何気ない馬鹿話をしながらも靴を履き替えて帰る。
 そんな中でも、真由美さんも蒼木も俺と観咲のやりとりを見ながら笑っている。というか真由美さんが笑いっぱなしだ。大声でってわけじゃないにしても、どうにもヘンなところでツボに入ったらしい。
 実に平和。
 これで、家に行ったら待っているのが絶望じゃないって確信が持てればなぁ。
 はぁ……頼むぞサクラ、ノア……破滅へ激走するようなことだけはしてくれるなよ……?




ネタ曝しです。 *偉大な太陽の力を浴びながら  DEENソングより、VOYAGE。  偉大な太陽の力浴びながら僕はなにをしているんだろう *吉良吉影  ジョジョの奇妙な冒険第四部より、平穏を愛する人。  実は実力があるのに、中間を敢えて選ぶことで存在感を無くす者。  これであんな願望がなければ、相当な最強人類だったろうに。 *ツムリーとマイーマ  通称:ナメック星人の馬鹿者。  超サイヤ伝説にて登場。  めっちゃ弱い。 *ボールは友達、怖くない  きやぷてつばさいいいいいいいい  ではなくて、キャンテン翼。  愛と勇気だけが友達よりは……いや、友達蹴りまくってるわけだしなぁ。 *愛と勇気だけが友達  子供は大好きアンパンマーン!  北海道で童心炸裂させてやってみたガチャガチャで、バイキンマンを手に入れた。  スイッチを押すと「俺様バイキンマン!」って喋る。  でも途中から電池が無くなって、「ボレザヴァヴァイビンバン!」と謎の言葉になったりオンドゥルっぽかったりいや忘れよう。 *オンドゥル  オンドゥルルラギッタンディスカー!  仮面ライダーブレイドより、滑舌の悪さが生んだ奇跡。  こういうネタがあってもいいと思う。  けど、他人に押し付けるのはヨクナイ。  でもオンドゥルっていうよりウォンドゥルに聞こえる。 *だが断る  有名だけど使いすぎると「マタダー」ってなる、ジョジョネタ。  というよりやっぱりいきなり“だが”をつけるのはネタに笑うよりも違和感が先に走る。  のんびりしすぎてます。  もうちょっと更新速度上げたい。 Next Menu back