遠い昔のことを思い出す。  自分はまだ小さくて、後ろを付いてくる妹に手招きをしながら当てもなく歩く。  そんな時、ぼくらはいつも笑っていた。  幸せだった、なんて言うつもりもないし、当時はそんな言葉の意味さえ知らなかった。  でも、知っていることくらいはあった。  いつだって穏やかだった時間は遠く昔の景色に霞んで───いつしか自分は笑わなくなり、家を出ることばかりを考えるようになっていた。  そうして家を出てようやく笑えるようになって……自分の中で妹が希薄になっていく事実を恐れることもあった。    ───流れゆく時間。  ぼくらは昔の思い出を糧に、やがて大人になってゆく。  その過程で思い出が歪んでしまうことがただ悲しくて。  それを無くさないように、変えてしまわないように、ただ涙を流した。  涙を流せる限り、きっと忘れないから。  そんな幻想に任せて、自分の周りがいつまでも変わらないことだけを願っていた。  だけど。そう、ぼくらは知っていた。  “表せるもの”が壊れるのはいつでも突然であることを、知っていた。  “心の準備”なんてものが出来るだけで、人はとても幸福なのだと。  本当の不幸や事故なんてものは、いつだって突然やってくるってことを、ぼくは知っていたんだ。 ───例えば彼らの未来の最果てのコト───
28/天地無用 幼年期  ───その春、ぼくはきっと幸せだった筈だった。  ヒナが微笑んでいた。  ぼくはこの笑顔が好きで、笑わせられるのならなんでも出来るつもりでいた。  臆病で気が弱くて。でもどうしてか、ぼくの後ろをついてくることだけは曲げようとしなかったヒナ。  注意されたって聞かなかった。  怒った母さんがヒナを連れ戻そうとしては、ヒナはぼくの背中にへばり付いて離れたかったものだ。  ……懐かしい季節は春。  まだ家族がすれ違う前のあの季節、ぼく達は心から微笑んでいたのに。 「───……」 「…………」  今日もヒナはぼくから離れない。  時々何を考えているのか解らないこともあるけれど、そんな時は決まって、なんとなく頭を撫でていた。  そうするとヒナは微笑んだ。  特別になにかをしなくても、ヒナはぼくと居る時はよく笑った。  でも、自分からぼくに近づこうとはしなかった気がする。  見つけては近寄りはする。けど、手が届く位置まで近づくのは、いっつも僕がすることだった。   ───その春、ぼくは幸せだった。  その幸せがひとつの事故で消え去るまで、ぼくはその幸せはずっと続くものだと思っていた。  何もかも、何かが終わるのはあまりにも突然で……泣く準備すらする間もなく、その幸せは幕を閉じた。  誰かが言った。  心の準備が出来るっていうことは、それだけで幸福なことなのだと。  本当の不幸っていうのは人の覚悟を待ったりしないし、心の準備が出来るのなら、そもそも事故なんて起こるわけがないのだから。  それからよく考えることがあった。  死んだらどうなるんだろう。  学校の先生に訊いてみたら、先生はこう言った。   “天国に行く”と。  天国は何処にあるのかと訊いたら“空の上”と答える先生に、ぼくは苛立ちを覚えた。  そんな蒼の時代、ぼくが目指したのは宇宙飛行士だった。  あまりに単純だったけど、ぼくはそうまでしてでもヒナに会いたかった。  だけど成長するにつれ、夢っていうのは現実に潰されていく。  世界にはあまりに“現実”という言葉がついて回る。  時には教師の言葉に、時には心配をしてくれた知人の悪気の無い一言に。  そのそれぞれに“現実”という意識が付いて回り、夢は薄れていった。  なにより、成長していく過程で空の上に世界があるわけがないと理解した。  そんなものがあるのなら、宇宙にいけるわけがなかったから。  そんなものがあるのなら、夜空に星が見えるわけがなかったから。  それを理解した頃、ぼくの目指すものは───ただ家を出ることだった。  ヒナが居なくなって、フレアが居なくなって、両親が喧嘩して仲直りして。  落ち込んでいた心がやがて落ち着いてきても、ぼくは家を出る気持ちを捨てなかった。  遠くへ行けば何かがあるかと思った。  たとえ仲直りしても、それまではあんなに喧嘩した親から逃げたかったこともある。  だけどその先。  まだ見たこともない世界に飛び込むことで、ぼくは変われるんじゃないかという希望。  それを小さかった頃から心に抱いて、ぼくはここまで歩いてきた。  だけど世界というものがまるで解らない。  自分が何を望んでいたのかが解らなかった。  ───けど、ある時、そこにひとつの光が差し込んだ気がした。  天界人というふたりと、友達になった人達と、そんな人達に囲まれながら変わってゆける自分。  そんな世界を“幸せ”と呼べるのなら、きっとぼくが求めていたものは─── ───……。 ……。 「……《つんつん》ん、ぐ……?」  ……つんつんと、頬を突つかれている感触を感じて目を開けてみた。 「あ、起きたです」 「……サクラ?」  開いた瞼の先には天井……ではなくサクラ。  にっこり笑顔で迎えてくれたその顔は、見た感じの通り楽しそうだった。 (───夢か)  変な夢見たなぁ……。 「……おはよ、サクラ……ん───んぅ〜〜〜……っ!」  まずは朝の挨拶をして伸びる。ああ、この伸びる瞬間がたまらなく好きだ。  ───さて。 「ところで何故にマウントポジションをとっておられるのですか?」 「起きないからマウントパンチをお見舞いしようと思ってたです。ゴクツブシ女郎が持ってた本で花山って人がやってたです」 「───来てるのか?」 「来てるです」  ゴクツブシ女郎。言われた途端に観咲を連想できるだけ、慣れたもんだなぁと思う。  ともあれ、やつが来てるなら暢気に寝てはいられない。起きなければ。 「……サクラ、起きるからどいてくれ」 「はいです」  サクラがベッドから降りるともう一度伸びをして、俺も降りる。  しかし相変わらず軽いな、この天界人は。一体、体重は何キロなのか。  ……関係ないけど、女性を抱き上げて軽いなと言える人は相当マッチョだと思うのだ。  俺だったら絶対無理。持ち上げた途端に食い縛った歯の隙間から、ぶしーぶしーって荒い息を吐き散らす自信がある。 「っし、っとぉ。それじゃあ着替えるから先に下に行っててくれ」 「………」 「サクラ?」 「与一、サクラは……サクラは|守人《もりうど》失格です……」  ……。ん? え? なに? もり……え?  もりうどんのお仲間かにかであらせられるのか? 「……なんなんだその謎の名前の職業は」 「今朝、ゴクツブシ女郎に思わぬ奇襲を受けて、台所を占拠されたです……」 「またあいつか。よし、とりあえず下に行こう。って、その前に着替えるから先に下行っててくれってば」 「はう、了解です……」  てほてほち歩き、開けっぱなしだった扉をパタムと閉めて出てゆくサクラを見送ると、俺もさっさと着替える。  しかし、台所なんて占拠して何をしでかすつもりなんだろうな、あの触角さんは。  実は料理が上手いとか? …………いやいや、いやいやいやいやいや、言っちゃなんだがイメージが結びつかない。  あいつは……あれだろ。砂糖と塩を間違えるなんていうことを実際にやってのけるタイプだろ。  普通硬さや粒とかで解りそうなものだけどなぁ、砂糖と塩って。 「さて───《ふらっ》……っと……───んん」  少しフラついて、頭を垂れて呼吸を整える。  ───最近、体がおかしいと感じている。  気の所為ならそれでいいんだけど……なんだかなぁ。  熱が出るんだよな、まず。で、フラついて……───風邪か。風邪だな。  今朝は風邪薬でも飲むか。  うん、そうしよう。  こくこくと無意味に頷く。意識して思考から外したかったのかもしれない。 「……ていうかこの家に風邪薬とかあったっけ……? 無かったらまた出費が───……ん」  お金のない生活に頭痛を感じたその時、ふとエッグが視界に入る。  確かにな、これって体の調子がよくなるよ。特に朝の目覚めなんて最強。  でもなぁ、この体の変調が出てきたのって、これが届いた時からなんだよな。 「………」  もしかして天界の人にしか効きませんよ、ってなもので、地界人には有毒とか?  ───まぁ、まさかなぁ。  小さく笑い飛ばして、部屋を出て階下を目指した。 ───……。 ……。  で、階下。  普通にいらっしゃる蒼木に、とりあえず「おはよう」と声をかけて、最近こんな事態に慣れつつある自分に少々呆れる。 「おはよう、穂岸くん。今日はごめん、雪音がちょっと……」 「観咲が台所奪ったって聞いたんだけど」 「そうなんだ。今日は雪音の母が寝込んでいてね。そうなると作ってくれる人が居ないから朝食を食べられなかったんだ。僕が作るって言っても穂岸くんの家に行くって聞かなくて」 「その……一応訊かせてくれ。……観咲の料理の腕は?」 「………」  おお……! あの蒼木が黙秘だ……! 朝から雲行きが怪しくなってきたぞ……。  よし、今日の朝は我慢して購買でパンでも買おう───って、俺にはそんな無駄金がないんだってばさ。ただでさえ風邪薬かなにかを買うか、病院に行かなきゃなのかもしれないのだ、無駄な出費は抑えたい。  この前乗った電車賃と、もりそば代で結構逝ったからなぁ。  週末の初給料まではこれで凌ぐしか───ってマテ。  今さらだけど、何故に彼らがここで朝食をとることが日常になりつつあるんだ?  ……考えるまでもありませんでした。相手の方からこちらに来た。 「あっ、ホギッちゃんモーニン! 今日もお空がピーカンだよー!」  これでもかと言うくらいにズビシャアァと決めポーズを取る観咲。ライダーにでも変身しそうだ。  なんかもうツッコむ気力も失せた。  朝っぱらから脱力させてくれるなよ頼むから……。 「というわけでー! 今朝のごはんはゆきちゃんスペシャルでーす!」 「相手を空中に放って三角締めの要領で首を捉えるのかい?」 「澄ちゃん、それロビンスペシャル。ほら澄ちゃんにホギッちゃん! こっちこっち! こっち来て食べよ!」  楽しそうな観咲に手招きされて、テーブルへと歩み寄ってみれば……謎の物体が皿の上に盛られ、並べられていた。 「朝からトバしてるところを悪いんだが……これ、なに?」 「ゆきちゃんスペシャル」 「味見は?」 「したよ」 「どうだった?」 「───」  マテ。  何故に視線を逸らす。 「ノア」 「はい、マスター」  声をひとつ上げただけでズシャーと背後に現われるノア。  まるで“誰かある”とか言ったら、“ここに”とか言って現れる忍者っぽいなにかのようだ。 「これは人類が食べられるものか?」 「───分析を開始します」  訊いてみれば、頭のヘルメットのような機械……魔器・アークで分析を開始したらしいノアさん。  いや、そんな大げさなことじゃなくて、ただ普通に見た目の感想が欲しかっただけなのに。 「結果が出ました。飢餓状態でなくてはとても食べれません」 「……あの、観咲サン? 人の家の食材でいったいどういった調理をしやがったんですか?」 「花嫁修行ぉーーーー…………ごめんなさい」  訊ねてみれば、元気よく返されたのちに、しょんぼりと言葉を繋げられた。 「花嫁修行って、一体どういう風の吹き回しだ?」 「うー、だって昨日のテレビで料理の出来ない娘は嫁の貰い手が無いって……」 「お前はなにか、テレビで知った物事に心動かされると、人の家の食材を消費するのか。そんなことで人の家の食材を巻き込まないでくれ頼むから……」  確かにサクラがポシェットから出してくれるものが大半だけど、出てきてくれないものはきちんと買ってるんですよ? それを無断で消費されるとかなりキツイのですが? 「そんなことって───ヒドイよぅ、これでも深刻な問題なんだよ?」  ええこちらも深刻です。 「観咲……今の世の中、女より男の方が料理できるって言われてるほどなんだぞ? 花嫁修行を志す女も過去の日本風でいいと思うけど、料理が出来ないからって結婚できないなんてことは稀なケースだろ」 「うう、そうかなぁ……」 「心配なら料理出来る人を彼氏にしたらいいんじゃないか?お前の言う、張り合いがあって料理が上手な男でもさ」 「そんな都合のいい人居ないよぅ……」 「とにかく、朝食は俺が作り直すからそこで蒼木と待っててくれ」 「あ、うー、ごめんなさいだよ……」  観咲が落ち込み拍子で蒼木の隣に着席した。反論もないなんて珍しい。  料理を失敗したのが結構痛かったのかもしれない。  しかしこれ以上食材を滅ぼされても困るので、腕まくりをしてさぁいざクッキン! と構えたところで、両脇にサクラとノアがすちゃりと参上。……参上もなにも、さっきから居たが。 「与一、手伝うです」 「却下」 「マスター、わたしが」 「却下」  申し出たふたりを即座に却下する。  手伝ってもらいつつ教えていけば、料理の腕も上がるんだろうけど、それをするにはちょっと時間が足りない。  教えるなら休日に、じっくりとだ。 「ふたりは蒼木と観咲の相手をしててくれ。今日は俺が作るからのんびりとな」 「手伝うです」 「ダ〜メ。ほら」  ズイと一歩踏み込んでくるサクラの肩を掴んで、くるりと後ろを向かせ、ポムと押す。 「みうっ……わかったです、行くです……」 「……言っても無駄ですか?」 「俺が作るから。待っててくれな」 「……わかりました」  ふたりが一直線に観咲ではなく蒼木のところに行くのを見送ると、改めて腕まくりをして調理を開始した。 ……。  それから十と数分後。 「ほいお待ちー」  料理を盛った皿を、次々とテーブルの上に置いていく。これはさすがに手伝ってもらって、運ぶ皿が無くなればご飯をよそってゆく。 「わ、ほんとに上手」 「……上手です」 「ほい、どんどんご飯受けとってくれなー。……っと、よし。それではいただきまーす」 「いただきます」  一同がいただきますを言って箸と口を動かす。  我ながら上手く出来たと思う。あまりお披露目する機会がなかったが、そうだよ、俺は一人暮らしのために成長させた家事スキル持ちなのだ。なのに何故こうなった。 「───うぐ……お、おいしい……ショックだよ、なんてこったいだよぅ……」 「おいしいならその“うぐ”はなんなんだよ……」 「マスター、機会がありましたら料理をご教授ください。どこまで近づけるかは解りませんが、地界の味に慣れてみせますから」 「サクラも頑張るです」 「そだな。休日に時間を取って、毎食ごとに練習しような」 「はう、約束です」  指切りをしての約束。  うん、これは破れない。約束は守るもので、指切りは繋ぐものだからな、うん。  指切りをし終えれば、食事を再開。  下準備をしておけば美味しいものも結構あったが、残念ながら今日のは速度重視の料理ばかりだ。  しかし美味しい、悪くない。蒼木も美味しそうに食べている。 「───うん、また腕をあげたかい?」 「自分じゃよく解らないけど、そう言ってもらえると嬉しいもんだな」 「おお、ホギッちゃんてば努力マン。どんどん美味しく出来るならそれってとってもステキ───あれ? 料理が出来て、張り合いがあって、退屈しなくて───」  はて。観咲がなにやら茶碗と箸を置いてまで指折りして、なにかを数えているんだが。 「ん? どうした観咲」 「んー………………ああっ《ポムッ》」  小さく手を合わせる、視線の先の観咲サン。  やがて彼女は「ホギッちゃん、お婿にきて!」なんてことをのたまっ《ぶふぅっ!》 「ひゃうぅっ!」  そして噴き出す俺と、一粒だけ飛んだ米粒を危ういところで避けてみせるサクラ。 「ゲッホゴホッ! な、なに言いだすんだお前は!」 「だってホギッちゃんてば料理も出来るし張り合いもあるし面白いし。隣街に行ってから、なんかいじめっ子属性もやさしくなってきたし」  んぐ。  いや、それはだな。あーうーいやそのぅ。  そういうのはこう、好きになった者同士でじっくりと話し合っていくべきでしてネ? 「だめです。与一はゴクツブシ女郎なんかに渡せないです」 「あなたは身の程を知るべきだと思います」  もじもじと気色悪くも考え込んでいた俺に代わり、サクラとノアが反論を放ってくれる。 「そーだそーだ。大体にして俺はだなぁ、自分に好意を抱いてくれていない奴のところに婿に行くつもりなんてないぞ」  そうなれば今ぞとばかりに言葉を用意する俺。実に軟弱である。 「じゃあサクラはいいです?」 「却下に決まっているでしょう。ええ却下します」 「僕ならいいのかな」 「だめですっ」  ノアが名乗り上げの悉くを却下してゆく。  ああ、なんか頭痛い。どうなってるのこの世界。あと蒼木、ノらなくていいから。 「はぁ……それはそうとマスター」 「うん?」 「マスター自身、恋人を作ろうとは考えないのですか?」 「考えない。自分のことで手一杯だし」 「そうでしょうか。少なくともわたしとサクラは養われていますが」 「それはサクラのポシェットのおかげだよ。あれから食材取り出して食費の免除……免除? まあ、無くしてるだけだから」 「……マスター、たとえマスターご自身が手一杯だと思われたとしても、わたし達は確かに癒されています。あなたの存在が癒しとなっているのであれば、手一杯ということはないのです」  えっと……恋人の話じゃなかったのか? そう口にすると、ノアは「はい」と頷いた。 「ですがマスター、忘れないでください。わたしはマスターと共に居られることが自身の喜びであることに気付きました。それはとても幸福なことです。だれかひとりでも幸せに出来る人は、きっといろいろな人に好かれるものです」 「……えーと……」 「もちろん、照れて恥ずかしがっているマスターも好きです」 「こ、こらノアッ!」  いきなりなんてこと言いはらすばいこんげら!  ぴしゃりと言うつもりがどもってしまったため、顔が熱くなった。  そんな俺を眺めつつ、観咲と蒼木とサクラが椀を置きつつ『ごちそうさまー』と。ああいや、サクラだけは「ごちです」だった。 「え? あれ? もう食べたのか?」 「うん、胸がいっぱいだ、ごちそうさま」 「そうだよねー、ホギッちゃんてばロリコンだったもんねー」 「与一、最近ノアとばっかり遊んでるです……」 「うぐ……」  言いたい放題言われているが、サクラの言葉はもっともだった。なんでかノアと一緒に居ることが多い。  ……まさか───いや馬鹿な! 俺はロリコンなんかじゃないぞ!?  ぶんぶんと顔を振って嫌な想像を思考から追い出す。  よく解らない恥ずかしさを紛らわすようにご飯を流し込み、水を飲んで一息ついた。 「マスター、頬にご飯粒が……、んっ」 「え?」 「あ」 「?」 「!」  ……頬に柔らかい感触が伝わった途端、ただならぬ殺気を感じた。 「ノッ……ノアーーーッ!! なんてことするですーーーっ!!」 「ご飯粒を取っただけですが」 「だったら指で取るです! 口で取るなんてフケツです!」 「そう言われても困ります。マスターがそうしてくれと耳打ちをしたので」 「与一!?《がーん!》」 「わ、やっぱり!」 「あはは」 「ばっ! なっ! ん、なっな、なにあることないこと吹聴してるんだノアァッ!! あと観咲! やっぱりってなんだやっぱりって!」 「与一……! 最近変だと思ってたです……! こういうことです……!?」 「なっ、違う! 馬鹿、気づけ! これはノアの───」  視線が俺に集中しているのをいいことに、ノアはクスクスと笑っていた。  やられた……! 最近ハメることをしないからって油断してた……! 「オジキの仇はサクラが殺るです……!」  スラッと引き抜いた匕首をギシャアと輝かせて、サクラが俺を凝視する。  ギャアヤバイ! 圧倒的な誤解で命を狙われるハメに! ていうかなんで匕首を出す必要があるんだよ! え!? ノアとそういう関係になったら刺されるのが世界の常識なのか!? 「鉄砲玉の覚悟、その身に刻み込むですーーーっ!!」 「ままま待てーーーっ!!」  まさに特攻。  刃を手にてほてほと駆けてくるサクラは───うん、なんというか言葉の割に迫力が足りなかった。  ただしその手にある刃は本物であり、刺されればただでは済まないわけで。 「シャアアーーーッ!!《ツキューーーン!》はうっ!?」  シャーとか言いつつ、刃を低い位置に構えたサクラだったが、それを仕舞おうとしたところでノアの頭のメットもどき、アークによって狙撃された。  するとふらふらと揺れ、とさりと俺にもたれかかって沈黙する。 「冗談を冗談と感じ取れなければ人生は面白くありませんよ、サクラ」  あっはっはー、そっかー、そうだよなー、冗談だよなー。  ……冗談ならよかったのに。 「アノ、ノアサン……? シメククッテルトコロ、悪インダケドサ……」 「はい、マスター」  腹の一部がズッキーニ。もとい、じくじくズキーン。  妙に痛むそこを手でさすって、その手を彼女に見せた。  すると、ひく、と息を飲んで、真っ青になり、ヴァターンとぶっ倒れるエメラルドさん。  ……気絶していた。 「わぁあああああっ! ホギッちゃんが刺されたぁああああっ!!」  シャレになってない。そう、アークの豆鉄砲で狙撃され、眠ったサクラの匕首が、トチュリと腹に刺さっていた。  ああくそ、どうしてこう厄介事ばかり。なんにせよ、刺されたのって初めてだ。これはそのー……あれか? なにかここでしか出来ないことをやってのけるべきなのか?  ほ、ほら、なんじゃあこりゃあとか叫んでみるとか、大げさに騒いでみるとか。  いや、そこは我慢な。まだ驚愕が上回っているお陰で、鋭い痛みとかは追いついてないから、その内に考えるんだ。冷静に、冷静に……!  ……むしろ冗談とか口にしたほうが気がまぎれるかも。 「フフフ、観咲よ……俺はどうやらここまでみたいだ……。さ、最後に貴様に頼みがある……!」 「な、なにっ!? なんでも言って!」 「……救急車呼んでくれ《がくり》」  気絶した。それから先を覚えてないから、気絶した。たぶん。 「うひゃあーーーああああ!? ホギッちゃぁあああああああん!!」 「雪音! 早く救急車を! 僕は応急手当と匕首の処理をするから!」 「え、え、でもでも」 「雪音っ! 落ち着くんだ!」 「は、はいぃっ!」  あとで聞いた話だと、蒼木が普段の様子からは想像出来ないくらいに動いてくれて、いろいろな処置をしてくれたそうだ。  あ、ちなみに腹の傷はこう……まな板の上で包丁を使用中、落とした際に床まで落ちないようにと咄嗟に台と体の隙間を塞いだところ、ぞぶりと包丁が刺さってしまった、というおバカエピソードを捏造、救急隊員には「たまに居るんですよね」と苦笑されたらしい。居るのか。マジですか。  いやまあモノを落とした時、咄嗟に体とシンクとかとの隙間を埋めようと、身を乗り出す勢いで突き出しちゃうときとかあるけどさ。  包丁の時にそれをやってしまう人とか、居るんだなぁ……。 29/幕間 -_-/蒼木澄音  加賀見総合病院、ロビー。  救急車で運ばれた穂岸くんが手術室に直行することになり、僕らに出来ることは待つだけ、という状況。  深い位置まで刺さったわけではないものの、縫合が必要とのことで……いや、ここで頭の中を纏めたところでどうしようもない。 「ホギッちゃん、大丈夫かな」 「大丈夫だよ。ノアちゃんが居るから」 「そうなの?」  訊ねられ、思った通りのことを口にする。  そう、大丈夫な筈だ。 「そうだよね、ノアちゃん」 「ええ、問題はありません。こうなったのもわたしとサクラの責任です。わたしの魔器でマスターの不幸を吸い取れば、これ以上の悪化は防げる筈です」 「そこでサクラが与一の幸せを奪うです《べしっ!》みうっ!」 「冗談を言っている場合じゃないでしょう」 「えうぅ……サクラの匕首が与一を貫いたです……。サクラ、どうやって落とし前つけたらいいですか……?与一……与一ぃ……」  貫いてはいないんだけどね。たぶんだけど、大事な血管等も傷つけていないとは思うし。 「気を紛らわしたい気持ちは解りますが、無事を祈ることくらいは出来るでしょう」 「そもそもサクラは途中で止めるつもりだったです。なのにノアが」 「ぐっ……あ、あれはっ……あなたが急に刃物を手に走るからっ……!」 「……どっちも悪かったです」 「……ですね」  溜め息をつく二人は、本当に落ち込んでいる。落ち込み過ぎているって言ってもいいくらいだ。 「うう……せめて祈るにしても、サクラ、祈り業は苦手です……。それならレインにいさんかディグにいさんを呼ぶです」 「だめです。これから先、いつまたこのような事態が起こるか解りません。その度に彼らを呼びにいくつもりですかあなたは」 「えぅ……」 「意見としては賛成したいところですし、むしろ今回だけ頼み、以降はこんなことにならぬよう、と気を張りたいところですが、そもそも居る場所が遠すぎます。……なので、わたしたちが頑張る他ないのです。マスターは必ず救ってみせます。自分の誇りにかけて。それくらい出来なければ使用人として不出来です」  穂岸くんを傷つける原因になってしまったのが本当に悔しいんだろう。  ノアちゃんはメイド服っていうもののスカート部分をぎゅううと握って顔を俯かせている。  そんなノアちゃんに、サクラちゃんが言う。 「……ノアは、与一が好きです?」 「な───」 「赤くなったです、そうです?」 「……関係ありません」  赤くなった顔を持ち上げたノアちゃんが、今度はそっぽを向いてしまう。  けどその方向にサクラちゃんが駆けて、向き直るや言った。 「あるですっ! サクラも与一が大好きです! だから───だから与一のこと、ノアに任せるです!」 「任せる?」  任せる。  その言葉を聞いた瞬間、心の奥底がひどく冷たくなるのを感じた。 「サクラ、与一のためなら消えても平気です。会ってから一年も経ってないですが、与一の傍は幸せでしたです。だから───」 「なっ───!? やめなさいサクラ! 無理に能力を使ってまでマスターを助けてもマスターは喜びませんよ!?」 「えへへ……サクラ、与一に迷惑かけてばっかりです……。こんな子、きっといらないです」 「サク───!?」 「待った、サクラちゃん」  消えるだとか能力だとか、そういうことは今はいい。横に置こう。  心の奥に湧いた冷たさを握り潰して、暖かくして、サクラちゃんを止めにかかる。 「サクラちゃん、穂岸くんを思うなら自分を犠牲にとか言っちゃいけないよ。彼にとって、サクラちゃんはもう家族なんだ。一緒に住むようになってからキミを追い出そうとしたことはあったかい?」 「で、でも……です」 「だめだよ。そんなことをしたら穂岸くんは悲しむよ。彼の幸せを望むなら、ずっと一緒に居てあげなくちゃ」 「………」 「───? …………」  そう、傍に居るべきだ。  誰かが居なくなるっていうのは、とても……とっても悲しいことだから。  冷たさを口から吐き出すように言葉を届けると、ノアちゃんが戸惑いを孕んだ目で僕を見た。  僕はそれに苦笑を返して……その時、手術室が開く。  出てきたのは、当然だけどお医者さんだ。 「あ───あのっ!」 「よ、与一はどうなんですっ!? 大丈夫ですっ!?」  駆けだしたのはサクラちゃんとノアちゃんだ。  雪音も駆けだそうとしてたけど、二人の早さにその足を止めたみたい。 「ええ、特に問題はありません。ただ少々の筋を削っていたようで、しばらく入院してもらうことになります」 「あ、あうぅう……!? 与一が入院……!? サクラ、サクラなんてことを……!《べしぃっ!》みうっ!」  顔色を青くしてゆくサクラちゃんだったけど、その頭をもう一度ノアちゃんに叩かれる。  ノアちゃんは……悲しみを一瞬見せたけどそれを飲み込んで、凛々しい顔でサクラちゃんを真っ直ぐに見つめた。 「泣いていてもマスターは喜びません。今は、わたしたちに出来ることを、でしょう?」 「えぅう……ノア、ノアぁ……」 「───それで先生、マス……遥一郎さまは───」 「ああ、起きるまでには時間がかかります。麻酔が効いているから、まあ今夜か明日の朝には目覚めるでしょう」 「そう、ですか……」  目覚める。それを聞いたノアちゃんの顔が、緊張から解放されたように緩む。  けれどすぐに引き締めると、もう一度スカートを握った。  喜びたいんだろうに、きっとそれは快復してから、と決めたんだろう。 「……ホギッちゃん、大丈夫なんだ……よかったぁ……」  医者が歩いていくのを見送るのと一緒に、緊張が解けたのか、雪音が長い長い溜め息を吐いた。  気持ちはわかる。けど……あまり、安心も出来ないかもしれない。 「うん……良かったには、良かったんだろうけど……」 「え? なにか問題があるの?」 「あ……いや、なんでもないよ」 「……? 澄ちゃんてさ、ホギッちゃんに会ってからなんか変だよね」 「そうかい?」 「うん。初めて会った時なんかあんなに喋ってたし。澄ちゃんが自分から友達になりたい人が居るなんて、って驚いたよ」 「………」  思い出すのはあの屋上での邂逅。  そして、見た瞬間に感じた、あの─── 「……ねぇ、澄ちゃん? なにか隠し事してない?」 「……そうだね、しているかもしれないね。でも誰にでも隠し事はあるよ」 「うん。言えって言ってるわけじゃないからいいけど……」 「───学校に電話をしておこうか。とても授業を受けられる気分じゃない」 「そだね。そぃじゃあわたしが行ってくるよ。澄ちゃんはサクラちゃんとノアちゃんのこと、お願いね」 「うん」  ぱたぱたと雪音が走ってゆく。  たぶん公衆電話を使うんだろうけど、お金は持ってるのかな、なんて心配をまずしてしまうあたり、僕も雪音のことは大分心配らしい。  そんな僕を見つめたまま、疑問の視線をぶつけてくるのは……ノアちゃんだ。 「……ひとつ、訊いていいでしょうか」 「うん?」 「あなたはわたしの魔器のことを知っていたのですか?」 「魔器?」 「この頭の機械のことです」 「なんのことだい?」 「とぼけないでください。でなければ“わたしが居るから大丈夫”などと言える筈がありません」 「あれはキミならなんとかしてくれるんじゃないかって思ったからだけど」 「───え?」 「え?」  返す言葉に、ノアちゃんがぽかんとする。  けど、納得出来たって顔じゃあ断じてない。 「……あの。魔器のこと、知らないんですか?」 「へえ、この機械って“マキ”っていうのかい? かわいい名前だね」 「………」 「ノアちゃん? 顔赤いよ? 大丈夫かい?」 「な、なんでもありませんっ! ああもう馬鹿馬鹿しいですっ! サクラッ! いきますよっ!」  ちっとも納得してないって顔で、ノアちゃんがずっかずっかと歩いてゆく。  僕は雪音を待たなきゃいけないから追えないけれど、その役はサクラちゃんがするだろう。 「あ、待つですノアッ! ───え、と、ありがとです澄音。サクラ、まだまだ与一のために出来ること、探すです」 「うん、頑張って。ずっと一緒に居ればきっと見つかるよ。だからどんなことがあっても、一緒に居ることを諦めちゃだめだよ」 「任せるですっ! その言葉、しかと心に刻み込むです!」 「うん、その調子だよ」 「大丈夫です! サクラ、今の言葉を忘れない限りずっと与一と一緒です!」  何気ない言葉に、しくん、と。心のどこから痛んだ気がした。 「───そっか。それじゃあ忘れてしまったら大変だね」 「む、サクラ記憶力は高いです」 「……ごめん。僕は酷なことを言ったかもしれない」 「はう? サクラ別に怒ってないです。酷じゃないです」 「───どうか、キミの未来が幸せでありますように」 「みう……?」 「もう行ったほうがいいと思うよ。ノアちゃんが待ってる……ああいや、そのまま一人で行っちゃいそうだし、穂岸くんはキミ達に任せるから。それじゃあね、どうか彼を幸せにしてあげてくれ」 「……? 澄音、なんか変です」 「そうかもね。でもきっと明日には治ってるよ。ばいばい、サクラちゃん」 「はう、ばいばいですー」  手を振って、ぱたぱたと走ってゆく姿を見送った。  その後ろ姿に、いつかのなにかを重ねながら。 「……澄ちゃぁあああああんっ! って───あれ? 他のふたりは?」 「やあ雪音。電話は済んだのかい?」 「うん、用水センセが物分りのいいセンセでよかったよ」 「はは、亮錐先生も悩みが晴れないなぁ」 「え? なにが?」 「なんでもないよ。行こうか」  先生に心の中でごめんなさいをしながら、促すように歩を進める。  けれど雪音は、術後の後処理などをされているであろう、未だに手術室の中に居る穂岸くんを心配するように、ちらちらと手術室の扉へと目を向けていた。 「えー? 一度だけホギッちゃんの顔見てイコ? ね?澄ちゃん」 「穂岸くんなら間違い無く大丈夫だよ。傷が原因で悪化することは絶対にないから。僕が保証する」 「うー、なんで澄ちゃんが保証するのか解らないけど……。でも澄ちゃんがここまで言うなんて珍しいよね。どしたの?」 「不吉な思いは不吉な結果しかもたらさないものだよ。だから僕らはただ、彼の無事を祈っていればいいんだ。“想いの力”を甘く見ちゃいけないよ、想いはなにものにも勝るんだから」 「そうなの?」 「うん、人の思考はまず想いから。だから想いに勝るものはないんだよ」 「よく解らないけど───ホギッちゃんのこと見にいかないの?」 「そういうことになるね。……さ、僕らももう帰ろうか」 「え? あ、ちょっと待ってよぅ」  二歩、三歩と踏み出していくと、さすがに雪音もついてきてくれた。  お見舞いはいいかもしれないけれど、さすがに縫合のあとに洗いもしていない血まみれな穂岸くんを見たら、雪音だって気絶してしまうかもしれない。  穂岸くんだってそんな自分は見られたくないだろうしね。 「………」  でも……そっか。  ……やっぱり、世界はやさしくないね。 30/変調。そして───  ───……体が熱くて仕方がなかった。  傷からじくじくと熱が高まって、体全身が熱くて、吐き気はするのだが吐けずに、喉の奥が押し潰されそうになる感触。  苦しい。  誰か助けてくれ。  苦しい───! 「───はぁっ!」  目を開けた。  視線の先にはうっすらとした闇に包まれた見知らぬ天井。  独特の消毒液のような臭いが鼻をつく。  それだけでここが病院だと気付くのに時間は要らなかった。 「……いっ、つぅ───!?」  まず傷口が痛んだ。  触ってみて感じたことは異常な熱。  まるで自分の肉体じゃないと錯覚を覚えたほどだ。  それに気づいてしまうともうダメだった。  一瞬にして熱が全身に回っていく錯覚。  ミシミシと軋む幻覚を覚え、体が段々と動かなくなっていく。  やがて体を蝕む激痛。  本能が喉から漏れて、助けてと言った。 「はっ───はっ……! ぐ───あ───……!」  息がとても熱く感じた。  少しでも痛みから逃れたくて身を捻った。  けれども効果は得られず、ただ苦しかった。 「───苦しいかい……?」 「───!?」  突然聞こえた声に全神経が反応した。  脂汗、と呼ぶものなのかもわからないものが全身から滲み出る中で、いつから居たのか、ベッドでゆっくりと無様にものたうちまわる俺を見下ろす影。 「だ、れ───!?」  うつ伏せの状態で額をベッドにこすりつけ、そのベッドを蹴るように片膝を立て、胸を掻き毟るように服を握り締めながら、目からは涙をこぼし、その滲む片目でなんとか見た先に、見おぼえるのある人影。 「あ、おぎ……?」  暗い暗い、外からの月の光もカーテンに遮られるそこに、蒼木澄音が居た。 「……大丈夫かい?」 「───っ……!」  情けないが、首を横に振った。  何かの冗談だと思うくらいに苦しかった。  首を横に振る、という行動でさえ、ずり、ずり、と額をこすりつけるような姿にしか見えなかっただろう。 「話があって来たんだ。返事はしなくていいから聞いてくれ」 「───、……?」 「今キミの体は傷ついた場所の修復に集中し続けているんだ。だけど逆効果な部分もあって、それが黴菌のように溜まって汚染されていってる。少なくても明日の朝。もしかしたらそれ以上続くかもしれない。だけどどうか耐えてほしい。そうじゃないと、キミはきっと悲しい人生を送ることになる」 「な、に言ってんのか……わか……ね、よ……!」  口調が汚くなるのも構わないほどに余裕がなく、それでも返事は届けた。  ああ、本当にわからない。ただ、黴菌がどうのの部分がウソだということは雰囲気で感じ取れた。  傷の修復とやらもウソだろう。俺を気遣ってくれているのが痛いほど解った。  ただ、苦しみながら……“なんでそれを気遣うことが出来るのか”が頭の中で引っかかった。  気休めで言っているんじゃあないこともわかる。目が冗談を挟んでいない。ただ心配だからでまかせを言っているわけでもない。  つまり……? 「返事はしなくていいんだ。ただ耐えるだけのために体力を温存して欲しい。……今日、サクラちゃんがキミのために自分を犠牲にするようなことを言った。キミはそれをどう思う?」  自分を犠牲……? 自分を……、───まさか、あの馬鹿───!? 「はっ───! あ、おぎっ……! サクラはっ……!?」 「ノアちゃんに止められて、やめてくれたよ。今はきっと家に居る」 「あおぎっ……! サクラに、心配するなって……言ってくれ……! 無茶するなって……!」  無茶をするな、なんて言ったところでなんのことかもわからないのが普通だろう。  でも蒼木は言った。“やめてくれた”と。引っ掛かりはそれだ。  サクラがなにをしようとしたのかは、俺は見ることは出来なかったけど───それがもし俺が思っている通りのことで、奇跡の魔法だかなんだかのことなら……こいつは、蒼木澄音は───天界ってものと関係があるのだ。 「悪いけど、それは出来ないよ」 「───!? な、ん……」  なんで、と言おうとして喉が詰まった。  熱が滲み出てきて、ミチミチと景色が赤く滲み、どくんどくんとその赤が躍動する。 「耐えてほしい。そして、それはキミ自身が言うべきだ。少しでも未練を残すんだ。そうじゃないとキミはきっと負けてしまう。今この痛みに負けてしまったら、キミはもう戻ってこれないだろう。───友達として酷いことを言っているのは解ってる。だけど、どうかこちらの願いも解って欲しい。そのためなら僕は、キミに嫌われても構わない」  ───くそっ……!  どうして俺の周りにはこう馬鹿ばっかりなんだ……! 「嫌うかよ……! 俺のために言ってくれてるって……解ってるのに……!」 「……ごめん」 「謝らなくていいからっ……! は、はっ……ん、ぐ、ぎぃいぁ……!! っ……せ、せめて誰か呼んでくれないか……!? 体が熱いんだ……! 何かを壊したい気分になったり……! それなのに体が動かなくて……! どうにかなっちまいそうだ……!」 「キミの症状がそれ以上悪くなることはないよ。でも、良くなるとも言えない。ああ、ごめん。実は僕、ここには黙って忍び込んだんだ。僕はここの病院に居た時間の方が長かったから勝手も知っているから。ナースコールを渡しておくよ、僕は窓から出ていくから。それじゃあ」 「蒼木っ……!」 「うん? なにかな」 「忠告とお見舞い、サンキュ……!」 「……うん、朝にもう一度会おうね」  ───蒼木はそれだけ言うと、窓の鍵を開けて外に逃げ出した。  階数が気になったが、どうやらここは一階だったらしい。 「…………」  涙が滲み、どこんどこんと躍動する赤い景色の中、手にしたナースコールを押すべく力を込める。 「………」  込める。 「…、……〜……!! ……! ……!! 〜〜……!!」  ……手に力を込めたが、もはや指も動かなかった。  まいった、ナースコール押せない。  マジですか神様……─── Next Menu back