夢の日が終わる。 今思い返せば、なんて幸せな夢だったんだろう。 そのどれかひとつでも欠けてしまえば陳腐なものにしかならない筈だったこの夢。 その夢を最後の最後まで見ていたかったというのに、ぼくにはもう時間がなかった。 だけど満足といえば満足だった。 この短い時間を一緒に過ごせて。 掛け替えのない時間を築き上げることが出来て。 だからこう思うのも仕方がなかった。 自分が消えるまで、いや……消えたとしても、ずっと幸せな夢であってほしいと。 ぼくはそう願う。 ───空を見上げた瞬間、その空が真っ青に見えた。 ぼくはその空に微笑み、やがて体を傾ける。 お別れの言葉を言うには惜しくて。 ただ手を振って、またね、と呟いて笑った。 ───その笑みはきっと……ぼくの一番の笑顔だった─── ───幸せの在り処、夢の帰るところのコト───
【ケース44:蒼木澄音/絵空事の童話、少年の日の想い出】 ───目覚めれば見知った場所に居た。 どこかで嗅いだような独特の匂いが僕の鼻をついた。 あたりを見回しても誰も居ない。 ただ時計の秒針だけがやけに大きく聞こえた。 解らないことだらけだったけれど、 自分がどうしてまたここに居るのかがまず解らなかった。 思い出そうとしても起きたばかりの所為なのか頭がちっとも働かなかった。 そうすれば思い出せると思ったわけでもないけど、頭を抱えて身を丸めて考えてみた。 その時だ。 自分の頭に包帯が巻かれていることに気がついたのは。 改めて触れてみるとその頭はすごく痛かった。 その痛みの所為で頭の中に広がっていた霧は一瞬で晴れた。 僕はもう一度考えてみる。 するとあっさりと答えは出た。 自分は親に殴られたんだ、と。 理解した途端、逆上して大き目の灰皿を振り上げた親の形相が浮かんだ。 でも不思議と怖くなかった。 心のどこかでいつかはこうなるんじゃないかって思っていたからか。 それとも自分は子供として冷め切っているのか。 恐怖、憎悪といった感情は全然浮かんでこなかった。 そしてなんとなく理解する。 ああ、僕はきっと───彼らに捨てられるのだろう、と…… ───……。 ……。 ───次に目覚めた頃、僕は数人の白い服を着た人達に囲まれていた。 これは確か『イシャ』とかいう人間達だ。 医者はなにかをぼそぼそと話していた。 僕が目覚めたことには気がついていなかったらしい。 その言葉はこんなものだった。 『脳波にも異常は見つかりませんでした。傷が治れば退院できるでしょう』 簡単な言葉だ。 大して喜びの声も上げずに、医者は『そうか』と淡々とした口調で言った。 その頃からあまり、この医者は好きじゃなかった。 ─── 医者が居なくなってから体を起こしてみた。 不思議と痛みは無い。 もう退院できるんじゃないか、とか思いながら足を動かして立ってみた。 すると突然頭痛がして、体が傾く。 思うようにはいかないものかと溜め息を吐いてベッドに体を預けた。 そして見上げる天井はいつ見ても変わらない。 息を吐いてみると突然冷静になって神経が研ぎ澄まされた。 そうなると秒針の音ばかり耳に入って、目を閉じても眠れやしなかった。 ───……。 ……。 ───入院生活二日目。 わざわざ個室を取ってくれた親には感謝するけど、それはただの罪悪感からだ。 僕は人が思うほど、人を信用してはいなかった。 唯一、幼馴染の少女以外は。 女の子「………」 幼馴染が僕を見つめる。 幼馴染は『観咲雪音』といった。 元気があって、とにかく騒がしい子だ。 僕とはまったく正反対。 でもそれが変だとは思ったことは一度として無かった。 人は人それぞれが一番理想的なのだから。 誰かになろうとするのではなく、自分が自分としてそこにあること。 それがきっと一番だから。 だから僕はこの雪音という幼馴染のことはそう嫌いじゃあなかった。 雪音 「澄ちゃん、まだ退院出来ないの……?」 澄音 「……うん、もう少しかかるって」 雪音 「早くよくなるといいね〜」 澄音 「そうだね」 他愛ない会話。 だけどやっぱり僕は冷めていた。 澄音 「……雪音。お父さんとお母さんはどうしてる?」 雪音 「───あ、えっとさ澄ちゃん。リンゴ持ってきたんだ、食べよ?」 澄音 「………」 不器用なはぐらかし。 解ってはいたけど、やっぱり両親は僕を捨てた。 当然だ。 以前から僕のことを邪魔者扱いしていたし、人数が少ない方がお金も減らない。 澄音 「雪音……」 雪音 「あう……な、なに……?」 澄音 「ありがとう」 雪音 「……お礼なんて言わないでよぅ……」 はぐらかしてしまった罪悪感からか、子供だった彼女は泣いてしまった。 嘘や、曲がったことが嫌いだった彼女にはそれが辛かったんだろう。 それを僕のために曲げてくれた。 ……僕はそれに感謝しながら、ただ微笑むことを望んだ。 ─── 雪音は手を振って帰っていった。 自然に僕はひとり病室に残される形になる。 寝転がりながら、窓越しに眺めた空はいつも通り真っ黒だった。 …………。 ただ、空を見たかった。 いや、月並みにでも人としての暮らしをしたかった。 産まれてからずっと病院で過ごしてきた僕は、ただそれだけを望んで。 一度でいいから家の中でみんなと笑ったり、話し合ったりしたかった。 けれど、僕の体は普通じゃあなかった。 人並みの行動をしてしまったら倒れるほど弱かった。 黙って病院を抜け出したのは僕が悪かった。 だけど……まさか、実の親に殴られて戻ることになるとは思ってもみなかったな……。 確かに僕の暮らしは病院の生活が定常になっていたからさほど不幸だとは思わなかった。 でも───夢くらいは見てもいいと思っていたんだ。 それが……なんて結果だ。 殴られ、捨てられ……孤独になってしまった。 これが夢を望んだ結果なのかな……。 ───コンコン。 ふと聞こえるノック。 僕はどうぞ、と言って促した。 音を立てて開くドアの先から現れた人は医者だった。 やさしそうな顔が印象強かったけれど、僕から見てみればうわべだけの顔だった。 へらへらとして、逆に嫌な感じがしたほどだ。 そんな医者がニコニコしながら言った。 キミのご両親、どっかに行っちゃってお金払えないんだってね、と。 ここまで崩れた医者が居るのか。 そう思う反面、それは正論だった。 自分で稼げる体でもない僕がそれに抗える筈もなく─── 僕はその医者から目を背けることしか出来なかった。 人を救うための、そのための職業が───これか。 人を救うって行為はこんなにも汚いものなのかな。 ……もちろんボランティアなんかで暮らして行けるほど、人は強くない。 でも………………───いや、もうやめよう。 どれだけ思っても僕は僕、彼は彼だ。 望んでも無駄なら望まなければいい。 そうしたら……僕はもう傷つくことはないんだから。 ───……。 ……。 ───入院生活八日目。 僕は相変わらず空を眺めていた。 医者の小言を聞き流しながらの生活は続く。 この無限とも言える景色に憧れながら、僕は日に日に弱っていった。 既に身寄りと呼べる人も居ない僕は、ただ放置されているだけの人形にすぎなかった。 どれだけ言葉に出しても足りはしない。 産まれた環境が悪かったのだ。 誰の所為でもない。 でも───僕は僕。 産まれた環境がどうであれ、結局それは変わらない。 だとしたらこれを受け入れるのもいいのかもしれない。 もう疲れた。 でも、出来ることなら空に近い場所で……この世界にお別れを言いたい。 ───だから歩いた。 ベッドから降りて、医者に見つからないように。 ……不思議と高揚した。 何も出来なかった僕が自分の意思で何かを目指す。 人並みの生活をする夢は叶わなかったけど……それならせめて、これだけでも。 僕は汗をいっぱいかきながら屋上のドアを開けた。 少しの距離がとても遠くに感じながら、息を吐き散らしながら。 僕は自然と笑っていた。 やがて広がってゆく景色。 まぶしい光の空に立って、その空を仰いだ。 ───ああ、なんて綺麗な空─── その眩しさを体いっぱいに受け止めて、僕は泣いた。 たったこれだけの距離を歩いただけで体がガクガクで、僕はその場に座り込んだ。 なんて嬉しいんだろう。 こんな気持ち、初めてだ─── 僕にとって、こんななんでもないことが……確かに『幸せ』だった。 そして泣いた。 笑いながら泣いた。 不思議と笑いが止まらなかった。 なんにも達成することが出来なかった自分が何かを出来たこと。 それが嬉しくてしょうがなかったんだと思う。 こんな些細なことが大冒険に思えて仕方が無かった。 でも……僕の冒険はひとつの足音を最後に幕を閉じた。 僕は医者に無理矢理連れて行かれて、病室に戻された。 そして言われた。 『ガキが馬鹿なことするな』と。 そうかもしれない。 普通に動ける人にとっては、僕の行動なんて馬鹿なことにすぎないのだろう。 それは解っている。 だけどきっと、どれだけ経っても他人には解りはしない。 僕は確かにひとつの希望を叶えた。 それだけで満足だった。 ───……。 ……。 ───入院生活二週間目。 いつものように窓越しに空を眺めていたらノックの音が聞こえた。 この時間なら雪音かな、と思ってどうぞと言った。 だけど入ってきた人は変わった服を着た人だった。 その人は大きなダンボールを置くと、 『お届け30分以内は当たり前!』と言ってポーズをとった。 それがなんなのかは解らなかったけど、その人が中々真面目だったのは解った。 真面目にふざけていた。 やがてその人はごしゃー!と物凄い速さで病室を出ていった。 僕は呆然としながらも何かと思ってダンボール箱を開けてみた。 そこには───女の人が居た。 穏やかに寝息を立てている。 ……綺麗な人だった。 今まで出会った人とは違って、裏の無いような……純粋っていうのかな─── 女の人「ん……」 小さな声をあげると女の人はうっすらと目を開けた。 その瞳が僕を映す頃、彼女はやっぱり穏やかに微笑んだ。 そして、結局なにがなんだかまるで解っていない僕に自己紹介をした。 その人はレイチェル=イレーズ=ランティス。 自分のことを天界人だと言った。 僕はそれを聞いて、『天国への迎えに来たの?』と訊ねる。 自分自身、あまり生きる希望を抱いていなかった僕はそんなことすら当然に思えた。 だけどその次の瞬間、僕は彼女に叩かれた。 突然のことに驚いた。 驚いたけれど、彼女はそれより先に言葉を放っていた。 自分が死んでしまうだなんて考えないで、と。 その時僕は本気で感情をぶつけられていることを心の底から感じた。 僕は彼女にやさしく抱き締められて。 希望は捨てないこと、夢は抱き、目指し続けること。 人として生きることの喜びを忘れないでと言われた。 ───きっと、他の誰かの口から聞いていたら嘘だらけの言葉に聞こえていたんだろう。 でも彼女は違った。 会ったばかりだというのに僕のことを本気で心配してくれていた。 人の黒い部分ばかり知っていた僕にとって、それは衝撃でしかなかった。 だけどそれが興味に変わっていく頃、僕は彼女のことばかり考えるようになっていた。 ─── 彼女は僕に言った。 自分のことはレイラと呼んでほしいと。 名前の頭部分をとった名前が呼ばれ名の由来なんだという。 何度も思うけれど、レイラはとても穏やかだった。 綺麗で、やさしくて、どこか可愛くて。 僕は彼女なら信用できる。 そう思った。 そのレイラが言う。 澄音さんのお世話をさせてもらいますね、と。 お世話ってなんだろうとか思いながら、僕はふたつ返事で了解した。 ───……。 ……。 ───入院生活十五日目。 レイラは病室に入ってくると穏やかに微笑んだ。 そして手続きは済ませましたと言って、僕の傍まで来て額に手を当てる。 彼女は熱は無いみたいですねと言ってまた微笑むと、今度は体を洗ってくれた。 あまりに突然で、あまりに間の無い事々に呆然としていた僕だけど、 ようやく思考が追いついた時に質問してみた。 するとレイラはお世話をさせてもらいますって言ったじゃないですかと微笑んだ。 ……こういうことだったのか。 僕はまた呆然とする。 澄音 「ねぇレイラ、気持ちは嬉しいけれど僕の世話なんかしない方がいいよ。     ただでさえ僕はこの病院の医者にイヤな目で見られているんだよ?     それをキミが世話なんかしちゃったらキミまで」 ぽかっ。 澄音 「え……?」 レイラは僕の言葉を止めさせるように小突いてきた。 そして珍しく少し睨んで言う。 レイラ「澄音さん、自分のことを『なんか』扱いしないでください。     あなたはその医者という人と同じ『人間』なんですよ?     それなのに体が弱いというだけで別個扱いされるのは間違っていますし、     あなた自らがそう思うのも間違っています。もっと胸を張ってください。     誰がなんと言おうがあなたは個々の意思を持つ人間なんですよ」 ───そこまで言われて初めて気づく。 いや、気づかされた。 この人は僕を特別扱いしたりしていない。 小突く時は小突くし、文句言う時は言う。 それはつまり───僕をハンディキャッパーとして見ていないってこと。 他の人と違って、僕をひとりの人として見てくれている。 小突かれたのは驚いたけど……なんて嬉しいんだろうか。 実の親ですら人を邪魔者扱いしていたというのに。 レイラ「悲観的にならないでください。誰にだって幸せになる権利はあるんです」 ……ああ、そうか……。 逃げていたんだ、僕は。 この世界から、この弱い体から。 だから何かを達成することが出来た時、あんなにも嬉しかったんだ─── 澄音 「……弱い僕にも弱い人なりに出来ることがあるのかな」 レイラ「もちろんです」 レイラは当然というかのように微笑む。 レイラ「でも訂正してください。あなたは弱くなんかありませんよ」 澄音 「……でも僕は」 レイラ「まず自信を持ってください。     あなたはそうやって自分を追い込んで楽しいですか?」 澄音 「た、楽しいわけ……」 レイラ「だったら、まず楽しいことを見つけましょう?     わたしにそのお手伝いをさせてください」 ……彼女は穏やかだった。 元気なのに穏やかだという印象を受けるものがあるなんて、とても不思議だった。 どこか理屈的な部分もあるけれど、そんな彼女を僕は嫌いじゃなかった。 ───……。 ……。 ───入院生活二十日目。 そういえばレイラが訪れてから医者が来なくなったことに気づく。 僕はそれを疑問としてぶつけてみると、彼女はやっぱり微笑んだ。 レイラ「手続きは済ませたって言いましたよね?」 ……なんの手続きだったのか気になったけれど、 果物ナイフを手に微笑む彼女に緩やかな恐怖を感じ、僕は言葉を濁した。 レイラ「言いたいことは言っていいですよ?わたしはそれを拒んだりはしませんから」 澄音 「それって僕が無茶な注文をしても受け入れるってこと?」 レイラ「ふふ、言うようになりましたね?でも違いますよ」 澄音 「……僕だってこんなこと好んで言ったりしないよ」 レイラ「ええ、解ってますよ」 レイラはこうやって、時々に僕をからかう。 それは僕が昔から一度としてやったことのなかった、 『友達』としての語らいだったんじゃないだろうか。 僕はそれを自然に受け入れていて、 まだまだこの世界には楽しいことがあるんだなと実感出来た。 僕にはまだまだ知らないことがあるんだ。 体が不自由という理由でそれを放棄してしまうのはもったいない。 だから─── 澄音 「……よろしく、レイラ」 レイラ「なにがですか?」 澄音 「ちゃんと言ってなかったよね、お世話に対する返事」 レイラ「……そうでしたね。ええ、こちらこそ」 この人が気づかせてくれた。 それなら、これからのこともきっとこの人と一緒なら気づける筈だから。 僕はその時、生まれて初めて心の底から微笑んだ。 ───……。 ……。 ……夜は深い。 その無意味に寝苦しい夜に、僕は目覚めた。 周りを見渡しても当然なにかあるわけでもなく。 僕はそのままもう一度ベッドに倒れた。 そして目を閉じる。 すると、願ったわけでもないのに神経が研ぎ澄まされた。 息を整えてその闇から逃げ出そうとして、必死に眠気にすがり付く。 僕は闇というものがあまり好きじゃあなかった。 闇は怖い。 漆黒の闇の中では自分が何をしているのかさえ解らなくて。 手を動かしたのにその確信が持てない恐怖は、きっとどんな恐怖より─── 澄音 「っ…………」 ───眠れない。 楽しい時間を知ってから、僕はこの静か過ぎる世界が苦手になりつつあった。 怖い。 怖い、怖い、怖い……! ……そんな風に怯えている時だった。 僕の頭がやさしく撫でられたのは。 驚いて顔を上げてみると、そこにはレイラが居た。 そして言う。 なんとなく来ちゃいました、と。 悪戯っぽく笑う彼女がとても可愛く見えた。 それと同時にとても嬉しかった。 澄音 「でもレイラ……もう面会時間過ぎてるよ?」 レイラ「秘密の抜け道があるんです、子供達の自慢の」 おかしそうに微笑む彼女はやっぱり綺麗というよりは可愛くて。 僕は─── レイラ「……どうかしました?」 澄音 「…………うん。楽しそうに笑うんだな、って」 レイラ「ええ、楽しいですから。変な顔してましたか?」 澄音 「ううん、カワイかった」 レイラ「───っ」 暗い中でも彼女が赤くなったのが解った。 その後必死に何かを言い並べて、照れをはぐらかそうと必死だった。 ───やがて落ち着いた頃、彼女は言う。 あまり変なことを言わないでくださいと。 僕はそれに、うん、と頷く。 だけどレイラは僕の言葉に少し驚いて、一瞬だけど悲しそうな顔をした。 その顔が、今も頭の中で色あせない。 ───……。 ……。 ───入院生活三週間目。 月は変わり、少しずつだけど世界は暖かくなってゆく。 僕は相変わらずベッドから動けなかったけれど、 彼女が居るからそう寂しくはなっかった。 彼女は言う。 闇を恐れるんじゃなくて、ひとりきりの時間を怖がるんじゃなくて。 そのそれぞれの時間を自分だけの時間と考えると、きっと心が落ち着くと。 考えることはたくさんあるのだから、その時に考えればいいのだと。 僕は頷きはしたけど、それを実行できるようになるまでは時間がかかりそうだった。 澄音 「ねぇレイラ」 レイラ「はい?なんですか澄音さん」 澄音 「レイラは好きなものとかってあるの?」 レイラ「そうですね……」 少し考えるような仕草をしたあと、彼女は微笑んだ。 レイラ「地界ではお団子が好きですね。あの食感がたまりません」 澄音 「地界?」 レイラ「……あ、そういえばまだ詳しく話していませんでしたね。     わたしは───これはもう言ったかもしれませんが、天界人です。     空の上にある世界の住民ですよ」 澄音 「……───本当、なのかい?」 レイラ「わたしが澄音さんに嘘を言ったことがありますか?」 澄音 「……そうだね」 レイラ「この世界は大雑把に言うと三つの場所で構築されています。     天界と呼ばれるサークライド、地界と呼ばれるここ、ミッドガルド。     そして空界と呼ばれるアルマデル。     この三つを合わせて呼ぶ名がサーフワールズ……天地空間といいます」 澄音 「ねえ……レイラ?そんなこといきなり言われても解らないことだらけだよ……」 レイラ「ふふ、そうですね。でも隠し事はしたくないので、     聞き流すだけでも構いませんから聞いてくださいね」 澄音 「う、うん……」 レイラ「三つで構築されているサーフワールズですが、あとふたつの世界が存在します。     それは冥界と神界。冥界……ハデストルは地獄などと呼ばれている場所ですね。     黄泉を主とした世界で、死神達が存在しています。そして神界───あ」 澄音 「………………」 レイラ「……そこまで解りませんでしたか?」 情けないことに、僕は難解な言葉の中で眠ってしまった。 眠ったといっても、どちらかというと気を失ったようなもので─── 後になって『人の話の最中に寝てしまうなんて』と自分を責めた。 ─── 目覚めて最初に発した言葉は『ごめん』だった。 なんにも知らなかったといえばそれまでの僕には、 難しい言葉は理解に苦しむだけだった。 レイラは仕方ありませんよと微笑むだけで、僕を責めようとはしなかった。 ……いっそ責めてもらった方が吹っ切れた気もしたのだけど…… 僕は彼女がそれをしないことを知っていた。 もちろんそれは僕が病人だからという理由じゃなくて、彼女の性格面の問題だ。 彼女は根の部分からやさしくて、そんなことをしようとする人じゃあなかった。 張り合いが無いといってしまえばそれまでだ。 でもからかう時はからかう。 今思えば、僕は彼女に似たのかもしれない。 雪音が僕に『張り合いが無い』と言うのも頷ける。 でも僕はそんな彼女だからこそ惹かれた。 その時だ。 人の心の移り変わりというものは、本人の意思とはまるで無関係なのだと理解したのは。 その気持ちは面白いもので、本人の意思とは違う筈なのに─── 一度好きになってしまったらその人意外に考えられなくなってしまう。 雪音に言わせれば例外もあるそうだが、僕はそうは思わなかった。 そんな僕に雪音は『澄ちゃん、絶対好きな人のことで苦労するよ』と言った。 ───うん。 今ならその言葉が身に染みて解る。 でも後悔はない。 だって僕は彼女が居なかったらみんなに会うことも出来なかったんだから。 ───……。 ……。 ───或る日。 最近レイラの様子が変だった。 病室には来てくれるんだけど、僕の顔を見ると目を逸らす。 まるで訳が解らなかった。 もしかして彼女を怒らせるようなことをしてしまったんだろうか。 そう思った瞬間、謝りそうになってしまった。 僕はそれをなんとか抑える。 レイラは謝られることがあまり好きじゃあなかった。 いっつも謝ってばかりだった僕に、謝るより感謝しようと教えてくれたのはレイラだった。 でも……この状況で感謝しても謝っても、なにも意味がない気がする。 どうしたらいいんだろう。 こんな時、僕はなにも出来ないちっぽけな人間だということに気づかされる。 ───だけど何もしないよりは何かをした方がいいなんてこと、僕でも知っている。 だから…… 澄音 「ねぇ、レイラ」 レイラ「っ───!?」 話し掛けた途端、レイラの体が跳ねる。 驚かせてしまったみたいだ。 でもレイラはゆっくりと僕を見ると、顔を赤くした。 澄音 「───熱でもあるのかい?」 レイラ「や、な、なんでも……ないですから……」 顔を伏せながらパタパタと手を振る。 なにがなんだか解らないけど、僕は僕の言いたいことを言えばいい。 いつも彼女が教えてくれた。 だから僕はそうした。 澄音 「……レイラ、笑ってほしいな。僕、レイラの笑顔が好きなんだ」 レイラ「な、わ───え、───」 赤かった顔を真っ赤にして、彼女は口篭もった。 俯きながらごにょごにょと何かを言う彼女はカワイかった。 レイラ「……澄音さん。あ、あなたは……わたしのことをどう思ってますか?」 澄音 「大好きだよ」 レイラ「っ!?」 がたっ! 座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がり、レイラは益々顔を赤くした。 僕はそんなレイラを見つめて微笑んだ。 彼女の受け売りだ。 レイラ「あ……せ、世話役として、ですよねっ!?」 澄音 「世話役かどうかは関係ないよ。僕はキミが好きだ」 レイラ「───」 目の端に涙を溜めて、レイラは半歩下がった。 思えば、彼女は数日前のあたりから変だった。 『あまり変なことを言わないでください』という言葉に頷いてからだ。 ……それは、言ってほしかったってことなんだろうか。 それとも可愛いって言ったことが『変なこと』って認識されたのかな。 ……そうだ、きっと。 レイラが悲しそうな顔をしたのは僕が頷いた途端だったんだ。 だったら─── 澄音 「あの、レイラ」 レイラ「ま、待ってください!まだ心の準備がっ!」 澄音 「え?」 レイラ「───っ!ごめんなさいっ!」 ───……レイラはそのまま出ていってしまった。 正直、なにがなんなのか解らなかった。 ……そして次の日。 レイラは病院に来なかった。 ───……。 ……。 ───入院してどのくらい経つのかも数えなくなった頃。 レイラは一週間ぶりくらいに顔を見せた。 そして赤い顔のままで僕に微笑む。 そして予想もしなかった言葉が彼女の口から発せられた。 ───わたしも、澄音さんのこと、好きです。 区切るように聞こえたのは彼女が恥ずかしがりながら言っていたからだと気づくには、 それなりに時間が必要だった。 僕はその言葉に戸惑いを隠せなかった。 驚いたこともあったけど、なにより嬉しかったから。 僕のどこを好きになってくれたのかは解らないけれど、─── 澄音 「あ、え、えと───あ、ありがとう」 レイラ「───はい」 他の人が見たら、きっと変な光景だったんだろう。 でも僕は間違い無く幸せだった。 人に心が通じることがこんなにも嬉しいことだと知った。 なんだか心にもやもやがどんどん出てくるんだけど、その度に綺麗に晴れてゆく。 それはとても言い表せないけれど、僕はきっと、それをこう呼ぶ。 ───『幸せ』と─── ───……。 ……。 ───日常は普通に過ぎてゆく。 確かにレイラと居ると時間が経つのがとても早かった。 それはきっと充実した時間を過ごしているからだと僕は思う。 以前、勇気をもって訊いてみた。 僕のどこを好きになってくれたの?と。 緊張の所為か大声気味になって、レイラは驚いていたようだった。 でも微笑むと、そういうところをですよと言って一層微笑んだ。 そういうところ? ……僕ってそんなに緊張したり大声あげたりしてるのかな。 少し考えてみたけど思い当たるところが今回のことくらいしか浮かばなかった。 そこでまた考える。 そんな僕を見ながらレイラはクスクスと笑っていた。 訳が解らなかったけど、彼女が笑ってくれるならいいかと思って僕も笑った。 ─── その日の午後、ひとつの箱が届けられた。 それは僕宛の届け物だったけど思い当たるものが何一つとしてなかった。 今僕と親しいのは雪音とレイラだけなのだから。 それ以外の人が僕に届け物をするだろうか。 ……考えられなかった。 そんなとき、レイラが名義を見て『ああ、天界からですね』と言った。 『開けていいですか?』と訊ねるレイラに僕はうんと頷いて促す。 そして出てきたものは玉子のような形をした機械だった。 持たせてもらったけどとても軽く、なにかの飾り物かなと思った。 でもレイラはこれはエッグというものですと微笑んで、僕にそれを説明してくれた。 エッグとは天界に住む者には無くてはならない物だそうで、 これがないと天界は空気が薄すぎるのだという。 そして天界の空気に慣れている天界人には、地界の空気は汚すぎると。 だからこれがないと病気になる可能性が高いのだと。 だとしたらこれは僕に届けられたものじゃなくてレイラに届けられたものだ。 ……その時の僕は愚かだったと今でも言える。 僕は初めて見る機械に興奮して、 『つけなくてもいい』と言うレイラの言葉を聞かずにスイッチを押してしまったんだ。 彼女は普通の人として、僕の傍に居たいと言ってくれたのに。 ───結果、エッグは軽い爆発を起こした。 その途端に眠くなって。 少しチリチリと熱くなった体の変調を気に留める間もなく、僕は倒れてしまった。 ───……。 ……。 ───高い熱が出始めたのは春の終わりが近づいてからだった。 異常なまでの苦しみと嘔吐しそうになるのに吐けないような気持ち悪さ。 頭を鋭利な刃物で刺されたような突発的な激痛。 発狂しそうになるほどのその苦しみに、僕はいつしか泣いていた。 そんな僕を、レイラは必死に看病してくれたけれど─── ……僕の病気はいつになっても治らなかった。 ─── 寝たきりの状態が続いた。 発作は夜から朝にかけて起きるようで、 苦しみの所為で眠れなかった僕は発作が治まってから眠ることが習慣になりつつあった。 レイラは僕のことを寝ずに看病してくれて、 僕がキミも寝てくれと頼んでも首を横に振った。 天界のミスだからと苦笑いするレイラを見て、 彼女にこんな顔をさせているのが僕だという事実に愕然とした。 ─── 某日。 レイラがとうとう倒れた。 ずっと眠っていなかったための寝不足と過労の所為だ。 軋む体を必死に起こして彼女の傍に行こうとすると、彼女は目を開けてそれを拒んだ。 眠れば大丈夫ですからと言うレイラの返答に、僕は頷くしかなかった。 ……でもレイラは眠ろうとしなかった。 僕はだんだんもやもやとしてきて、無理矢理体を動かしてレイラをベッドに寝かせた。 驚いた顔をしているレイラに、お願いだから眠ってくれと言った。 その時彼女の頬に水滴が落ちるまで、自分が泣いていることに気づきもしなかった。 レイラはそんな僕を見て、悲しませてしまってごめんなさいと謝ってきた。 ……自分でも驚いていた。 他の誰かのために泣くことが出来る自分に。 人をこんなにも大切だと思える自分に。 きっと、彼女に会う前の僕だったら自分の体のことを言い訳に、 誰かを思うことなんてしなかったに違いない。 だからこそ願った。 ───弱い自分がどれだけ生きていられるか解らない。    だからせめて、生きていられる内は彼女と一緒の時間を過したいと─── 【ケース45:蒼木澄音/そうして、それから】 ───僕の発作はやっぱり夜から朝あたりまでということが確信出来た。 それが解ってからは僕はレイラに発作が治まってからは寝てくれるよう頼んだ。 反対されるかと思ったけどレイラはあっさりと頷いてくれた。 心配してくれていること、解っていますからと微笑む彼女に、僕も笑顔で返した。 一緒に眠っていると、不思議と安らいだ。 心に落ち着きが出てきて、症状も楽になった気もした。 だけどそれが錯覚であることを気づかされる時は、もう目前に迫っていた。 澄音 「───!」 突然、発熱が始まった。 いつもの発作とは違う、尋常じゃない苦しみが僕を襲う。 息を吸っているのに息苦しくて、僕は喉を掻き毟りたくなった。 汗が止まることを知らないかのように流れ出て、涙も止まらなくて。 レイラは僕の苦しむ声に目を覚ますと、 すぐに汗を拭ってくれたりなどの看病をしてくれた。 だけど痛みも息苦しさも引かなかった。 今日のは変だ。 何かが圧倒的に違う。 二択を迫られたら死ぬことさえ選んでしまいそうな苦しみ。 少しでも気を紛らわせたくて、本能的に暴れた。 訳の解らないことを叫んで、ベッドを殴ったりして。 それでも苦しみは増してゆき、涙がとめどなく溢れた。 危なく、僕を止めようと掴みかかってきたレイラを殴りそうになった。 それだけは抑えた。 人を殴るような男にだけはなりたくなかったから。 だけど、もう耐えられない───! だれか 僕を 楽に───殺してくれ─── そんな言葉が口から漏れた瞬間。 僕の頬に、苦しみとは別の痛みが襲った。 一瞬、時間が止まったのかと思った。 レイラに叩かれた頬は他のどの部分よりも痛くて。 目に涙を溜めながら『そんな悲しいこと言わないでください』と言う彼女を見て。 僕は後悔の思いで、自分の意思で涙を流した。 僕はひとりじゃない。 分かち合うことは出来ないけど、 せめてレイラが傍に居る時だけは、生きる希望を捨てないでいよう─── 僕はもう一度固く意思を持った。 そこまでして初めて、苦しさが無くなっていることに気づいた。 開放されたんだと納得したら、気が抜けて倒れた。 レイラの話だと、僕はそのまま眠っていたらしい。 自分勝手だとか思いながら、 そんなことを話してくれたレイラと一緒になって僕は笑った。 ───……。 ……。 ───或る日。 不思議と、発作は無くなった。 それどころか弱かった筈の体とは思えないくらいに歩いて回れた。 どういうことかまるで解らなかったけれど、僕とレイラは手を取り合って喜んだ。 初めて走り回った時、嬉しくて涙した。 初めて陽光の下に立った時、嬉しくてハシャぎ回った。 屋上とはまるで違うその世界に僕は感動した。 ひょっとしたらもう体は治ったのかもしれないと嬉しがって、 レイラの手を引いて走り回った。 レイラはイヤな顔ひとつしないで一緒に喜んでくれた。 それからレイラの提案で、彼女が借りている部屋に行くことになった。 手料理を食べさせたいのだという。 僕は自分の家ですら満足に入ったことがなかったので、 病室以外の部屋というものが珍しくて仕方が無かった。 キョロキョロと部屋を見渡す僕に、レイラは冷静に何もありませんよと言う。 うん、本当に必要なものだけを揃えたって感じで何も無かった。 さっそく料理を作ると微笑むレイラに、僕は料理を教えてとお願いした。 病院が締まるにはまだ時間があったから彼女は穏やかに笑って頷いてくれた。 食材との格闘が続く。 僕は彼女の一挙一動を目に焼き付けるようにして料理を憶えることに専念した。 ───辺りは暗くなり、やがて食事が出来る頃。 ふたりでは食べきれないほどの料理の多さに、ふたりで声を上げて笑い合った。 結局半分も食べることが出来ず、少しずつ食べていこうと笑いながら病院に戻った。 ……その頃、僕は神さまに感謝していた。 自分の体のことは自分が一番解るって、そんな言葉を思い出す。 きっとこれが最後だったから。 少しだけだけど、こんな僕に時間をくれて、ありがとう─── ───……。 ……。 ───……夢の始まる日。 この日をそう唱えるなら、きっと今の僕は夢から醒めていない。 僕はその日、まだ体が動くことに安心すると病室を抜け出した。 別れを言わないわけじゃない。 きっと彼女も気づいていると思う。 確かに別れを言うには、僕には勇気が足りない気がする。 それでもそれなりの覚悟は決めてあるつもりだ。 少しずつ痛み始めてきた体を庇いながら屋上を目指す。 大体普通に歩く僕に目が行くと、医者が奇異の目で僕を見た。 最後だからという理由で僕は頭を下げ、それなりにお世話になりましたと心の中で呟いた。 その中には部屋を貸してくれたこと以外のお礼の言葉なんてありはしなかった。 ……やがて冷たく重いドアが僕の手で押し開かれる。 その瞬間、陽光が僕の目を閉ざし、まるで行く手を阻んでいるような気分をもたらす。 でもそれに慣れると陽射しはいつものように穏やかで。 僕は苦笑しながらその屋上のフェンスまで歩いていった。 ───見下ろす世界は賑やかだった。 かつて夢見た場所がすぐそこにある事実。 だけど手を伸ばしても僕だけじゃあ決して届かなかった。 僕にそれを与えてくれたのはレイラだ。 感謝してもしきれない。 ……トン。 澄音 「───……?」 男  「………」 澄音 「……天界人、ですね」 男  「……ああ」 澄音 「───いい天気ですね」 男  「そうだな」 物音に気づいて振り返ると、出入り口の上に男が立っていた。 流れるような長い髪を後ろで束ねている、落ち着いた雰囲気を出す人だった。 彼は自らを『アルベルト=カルデリアス=ディオライツ』と言い、僕に頭を下げた。 今回のことに関してはこちらの不手際だった、と。 謝ってほしくなんかなかったけれど、 相手側もそう言う以外に他がなかったことぐらい察することが出来た。 その人が言うにはあの機械───エッグは自分達が送ったものではなく、 自分達を恨んでいる者が送ったニセモノなんだという。 そんなものは僕には確認のしようがなかったし、 レイラだって知り合いから送られてきたと思えば疑う筈もなかった。 最後にその人は僕に、『辛いことになってしまってすまない』と頭を下げて消えた。 もちろんそれだって彼の責任じゃないってことは知っていた。 こんなことをした人以外を恨むつもりなんかなかったし、謝られるのも筋違いだった。 でもそうしなかったら気が済まなかったんだと思う。 それは自分の気分を尊重したいんじゃなくて、 弱くても続く筈だった僕の人生を誰かが奪ってしまったことに対する謝罪。 彼が他人を大前提に動く人だということくらい一目で解った。 ───でも、だからって謝ってほしかったわけじゃない。 小さく息を吐いて空を見上げる。 ああ、なんて綺麗な蒼だろう─── こんな空になれるとしたら、きっと…… 澄音 「───……!」 突然、体の力が抜けた。 そこで『ああもう終わりかな』って勝手に思考回路が決定を下した。 フェンスに背中を預けて、また空を見上げた。 そうしたらなんだか、立っている時よりよっぽど遠くに見える空。 その空に届きたくて手を伸ばしてみた。 ───その手が、誰かの手で包まれる。 特に驚くこともなかった。 彼女はいつだって僕の傍に居てくれたから。 僕の手をやさしく握りながら彼女は微笑んだ。 その笑顔がどこか思いつめたような表情で、 僕は自分の奥底から生まれるイヤな予感を払拭することが出来なかった。 レイラは僕の隣に座ってから思い出話を始めた。 自分のことや僕とのこと、天界であったことや地界であったこと。 その全てが穏やかな思い出だったり、悲しい思い出だったり。 けれど彼女はその全てを『ひとつの幸せ』として僕に教えてくれた。 ……僕には彼女がどうしてこんな話をするのか解らなかった。 ───レイラは僕の名前を慈しむように唱えると、僕にキスをして立ち上がった。 驚いている僕をよそにレイラは空を見上げた後に僕に言った。 レイラ「この蒼空を、どうか好きでいてください───」 今度は本当の笑顔を見せて、レイラはお辞儀をする。 その体が光に包まれていってどんどん見えなくなってゆく。 イヤな予感が確信へと変わった途端、僕は手を伸ばして彼女を繋ぎとめようとした。 だけど空に手を伸ばしたかのようにその手は届かなくて。 やがて光が霧散する頃───僕は大声で涙した。 ───……。 ……。 ───……時間は何ひとつ変わることなく、いつも通りに過ぎていった。 時間というものに変わり映えなんてものがある筈もなく、僕は苦笑すら出来なかった。 雪音 「澄ちゃん、退院おめでとー!」 幼馴染が拍手で迎えてくれた。 体に不調と呼べるものが一切無くなって退院した僕は、 雪音の家に引き取られることになった。 拍手をしてくれる雪音に気の無い返事をして、僕は俯いた。 ……理由は簡単だ。 消えてしまったレイラと、その存在を誰もが覚えていない事実に愕然としたからだ。 僕以外に彼女を覚えている人は居なかった。 雪音も見舞いに来てくれた時に何度か会っていたのに、一切憶えていなかった。 もちろん医者もだ。 彼女が消えた日、僕の体は普通の人より強くなっていた。 彼女が何をしてくれたのかは解らないけれど、 自分を犠牲にしてまで僕を助けてくれたことくらいすぐ解った。 消えてしまった彼女を思い、 その存在が幻じゃなかったことを確信したくて僕は病院を駆け回った。 だけど知らないのが当然とばかりに、知っていた筈のみんなは僕を笑った。 それが彼女の存在を馬鹿にされたみたいで─── 僕にはそれに耐えるだけの余裕が無かった。 ……僕は暴れた。 戒めから解き放たれた体で初めてすることがこんなことだった。 でも涙が止まらなかった。 それが事実であることに気づいてしまったから。 僕は取り押さえられて病室に戻された。 入院生活のストレスが溜まっていたんだろう、と。 そんな勝手なことを言われて、僕は病室に閉じ込められた。 ……だけどもう、僕にはここに居る理由が無かったから。 僕は病室の窓を開けて、そこから抜け出した。 ───そこで……僕の童話みたいな物語は終わりを告げた。    空の上から降りてきた女の人と恋におちるなんて絵空事のような夢。    僕はいつからか彼女が『好きでいて』と願った空へ届きたいと思うようになり。    そこで彼女が待っていてくれるような気がして、そこを目指した。    当然いつかしたように手を伸ばしたって届くわけもない。    けれどもいつか届くと信じている。    ……いつか僕にかけられた魔法が解ける頃。    もしくは、僕がそれを放棄する頃。    僕はきっと、あの空になることを願い、消えてゆくのだろう。    その頃にはこの世界に別れたくない人だって居るかもしれない。    悲しい別れになるかもしれない。    だけど僕はその事実を、嫌なことも全部合わせた上でこう呼びたいと思った。    掛け替えのない、『ひとつの幸せ』と─── Next Menu back