───いつか駆け抜けた春の日の夢。 その夢が遠く過ぎ去ってゆく中、自分は桜の木の下で眠っていた。 暖かな日々だった。 この桜の傍はとても暖かくて、自分はその場所が大好きだった。 春が来るとその場所に訪れ、あの人が帰ってきてくれないかと泣いていた。 もちろんそんなことが叶えられるわけがないということを自分は知っていた。 でも、そうと解っていてもそうしたいことが誰にでもある。 自分にとってこれがそれだった。 今でも思い出せるその人の顔を、自分はいつまで覚えていられるのだろう。 そんなことを思いながら、やがてまた春が来る。 懐かしい穏やかな風に運ばれた桜の花が空に舞う頃。 自分は今も、この地界でその人を待っていた─── ───その全てを幸せと呼ぶコト───
【ケース49:サファイア=クラッツ=ランティス/偽りの日常】 ───春の日が好きだった。 自分と同じ呼ばれ名の花がひらひらと揺れる情景。 その季節に身を委ねながら、今もその風を身に受けている。 だけど……その心の中は穴が空いたままだった。 それでも何かに没頭していればそれなりに夢中になれたし、 生きてゆくことが嫌になったわけでもない。 自分は幸せにならなきゃいけない。 あの人の分まで。 真由美「サクラ、これ4番テーブルにね」 サクラ「はいですっ」 あの季節から二度目の冬の後期。 自分はそれなりに変わろうと努力してきた。 変わらないと立ち上がれなかったから。 自分の子供っぽさを払拭して、ひとりでも立ち上がれるようになりたかったから。 もちろん初めは恥ずかしかった。 慣れなかったこともあったけど、 自分が変わってゆくことに対して抵抗と照れくささがあったのかもしれない。 真由美「これは6番さん、重いから気をつけて」 サクラ「はいですっ」 でもこの口調だけは変えるつもりはなかった。 ……いや、努力はした。 けれど、どこかの奥底でそれを拒んでいる心でもあるのか、 何度やっても駄目だった。 サクラ「真由美、終わったです」 真由美「うん、ありがとうサクラ。奥で休んでていいよ」 サクラ「はいです」 ……あの日から、自分は真由美の家に住ませてもらっている。 与一と住んだあの家は再び物置に姿を戻し、 あの頃の賑わいが嘘のように静まり返っている。 真由美には自分のことを『サクラ』と呼び捨てにするようにしてもらい、 仕事もさせてもらえることになった。 本当は他の誰にもサクラと呼ばれたくなかったのだけれど、 どうしてか真由美にだけはそう呼ばれてもいいと思った。 今では姉妹のように自分と一緒に居てくれる彼女。 その人は『卒業したら鷹志に会いに行くんだ』とはしゃいでいる。 サクラ「───……」 奥に行くと雪音が倒れていた。 うーうーと唸りながら床に倒れている。 さっき余りものを食べてからこの調子だ。 サクラ「雪音、起きるです」 雪音 「うー……誤魔化さなくていいよぅ……わたしは実は不治の病でもう長くは」 ぼかぁっ! 雪音 「キャーッ!?」 サクラ「……今度ふざけてでも不治の病だなんて言ったら殴るって言ったです……」 雪音 「うう、こんな筈じゃなかったのに……」 がくっ。 ぼごぉっ! 雪音 「はうーっ!!」 サクラ「寝てないで起きろって言ってるです……!終いにはシバき倒すですよ……!」 雪音 「ま、待ったぁー!サクラちゃん性格変わって」 サクラ「休憩交代です!いいから起きやがるです!」 雪音 「は、はいーっ!」 どたたたたーっ! ………… サクラ「………」 ───結局、自分以外に与一を憶えてる人は居なかった。 もちろん憶えているからといって帰ってきてくれるわけもなく。 あの桜の樹が現れてからもう随分になる。 今となってはただ流れるだけの時間の中に身を置いているだけという感覚しかなかった。 だけど春に吹く風の穏やかさだけはあの日からずっと変わらなかった。 ……窓越しに空を見上げる。 その空は春になるための準備をしているかのように、 白く濁ったその姿を必死に変えようとしていた。 サクラ「………」 ソファーに体を倒して目を瞑る。 休憩時間は交代制だから一時間くらいはある。 このお店が異常なのか店員の人気なのか、よく混む仕事場に疲れは隠せない。 とは言え、お客様には笑顔でをモットーとするこのお店だから、 疲れが完全に姿を現す前に休憩を取れる。 30分も休めば十分だと思う中、それは甘い考えだよとマスターさんに言われた。 そんな時々にでも笑ってしまうような世界。 だけどやっぱり何かが抜けていて。 その何かを知っている分、もどかしさまで襲ってくる。 幸せにする筈だった人に逆に幸せの在り処を教えてもらって、 だというのにその幸せをその人に奪われてしまったような錯覚。 ……辛くない筈がなかった。 それなのに忘れることが……ううん、忘れようという考えさえも出てこない。 自分はそこまで与一のことを想っていたという事実に、彼が消えてから初めて気づいた。 なにもかもが後回しになってしまい、泣いても気分なんか晴れなくて。 ただその悲しみをぶつける場所が欲しくてがむしゃらに日々を送っている。 時々、自分の中で『その場所は見つかった?』と訊かれると、ひどく苛立った。 サクラ「………」 ……もういい、寝てしまおう。 こうして起きていても嫌なことばかりが頭の中をよぎるだけだ。 寝てしまえば。 夢の中でだけでも彼に会えれば幸せかもしれない。 だけど─── この季節に至るまで、夢の中に与一が現れたことなんて一度もなかった。 それでも期待してしまう自分はもう重症なんだと思う。 ……滲んだ涙を軽く拭って呼吸を整えた。 少し眠れば気分は少しは違う。 ───やがて少しずつ現れる眠気に身を委ねて、息を吐いて眠りについた。 ……その夢にも、与一が現れることはなかった─── ───……。 ……。 サクラ「ん……」 真由美「あ、起きた?」 サクラ「真由美……?」 目を覚ますとベッドの上だった。 慌てて体を起こすと、視界の横に入った時計は既に閉店時刻だった。 サクラ「真由美……」 真由美「ごめんね、最近ちゃんと眠れてないみたいだったから。     そのまま眠ってもらっちゃった」 サクラ「………」 真由美「迷惑だったかな」 サクラ「…………」 真由美「サクラ?」 サクラ「……どうして夢は自分の思い通りのものが見れないです……?」 真由美「え?」 サクラ「どうしても見たい夢があるです……。     これだけ強く思っても見れないものってなにです……?」 真由美「……どんな夢なの?」 サクラ「………」 真由美「サクラ」 サクラ「ただ日常が日常である夢です……。誰ひとり欠けることなく過ごす……」 真由美「……この日常には誰か欠けてるの?」 サクラ「………」 真由美「………」 サクラ「……真由美が忘れてるだけです。それと……サクラもきっと忘れてるです」 真由美「……?」 サクラ「真由美……ノアって知ってるです?」 真由美「え───」 サクラ「サクラの知ってる人にその人を訊ねられたです。     ……サクラ、その人のことを知ってなきゃいけなかったです……」 真由美「───……」 サクラ「真由美……?」 真由美「あ、う、ううん……知らない、かな……」 サクラ「………」 真由美「……眠れそうだったらそのまま眠っちゃって。わたしももう眠るから」 サクラ「……はいです」 真由美「うん、おやすみ」 サクラ「おやすみです」 ……真由美が部屋を出てゆく。 その姿を見送って、体をベッドに沈めた。 ……いったい何が気に入らないのか。 そんなことを考えながら、夢に姿すら見せない与一と、 その夢の原因である自分の頭に苛立ちを覚える。 サクラ「……重症です」 電気を消して目を閉じる。 眠気はなかったけれど、無理でも眠らないと気が滅入ってしまう。 精神的な疲れはなんとなく感じている。 居ない人を想うのは辛いことだ。 報われないことが解っているのだから。 それでも好きだという事実は変わらなくて……こんなにも辛い。 サクラ「……与一ぃ……このままじゃサクラ、幸せになんかなれないです……」 また出てきた涙は、拭っても止まらなかった。 それを拒もうとはせず、そのまま気の済むまで泣くことにした。 ───……。 ……。 サクラ「………」 泣き腫らした顔を見て落ちこんだ。 少しは先のことを考えるべきだと自粛する。 泣きつかれて眠ってしまったあたりまでは良かったのだけれど、 朝、目を覚ましてみれば目の周りは真っ赤になっていた。 涙の跡が嫌でも目につく。 サクラ「このままじゃ学校、いけないです……」 からかわれるのはあまり好きじゃない。 悪意がなくても心に余裕が無いから冗談として受け入れられない。 コンコンッ。 サクラ「ひゃうっ!?」 声  「サクラ〜?そろそろ学校だよ〜」 サクラ「わ、解ってるです!開けちゃダメです!」 声  「はいはい〜」 とたとた…… サクラ「……び、びっくりしたです……」 他の誰にも自分の弱いところを見られるわけにはいかない。 自分は甘える人を決めている。 弱い自分を見せる人も決めている。 それ以外の人に、誰が─── サクラ「…………顔、洗えばきっと大丈夫です」 小さく頷いて部屋をあとにする。 寄り道もせずに洗面所に滑り込むと、そのまま顔を何度も洗う。 ……少しはマシになっただろうか。 サクラ「……もういいです。寝不足ってことにするです……」 ふてくされながらダイニングへ歩く。 その場には真由美しか居ない。 いつものことだ。 女将さんとマスターさんはサクラ達より早く起きてすぐに朝食をとって仕事だ。 そんな朝から人が来るほど、この喫茶店は人気がある。 学生から大人まで幅広い年齢層から好評を得ている。 女将さんのケーキは美味しいし、マスターさんの淹れるコーヒーも美味しい。 ウェイトレスの真由美はキレイだし気が利くし愛想もいい。 人気が出る要素が揃ってるんだから当然といえば当然だ。 だけど、与一が居た頃に来ていた何人かの女達は来なくなった。 ……少し人気が下がったです。 真由美「サクラ?どうしたの、ザマみろこの野郎って顔して」 サクラ「……真由美、言うことがキツイです」 真由美「うーん……自覚はあるんだよ?でも、なんていうのかな。     あー……そう、ホラ、わたし車に撥ねられたことあったよね?     その頃からなんかね、口調が時々ヘンになるんだよね」 サクラ「どこか打ったです?」 真由美「あはは、そうかも。さ、早く食べちゃお?」 サクラ「です」 もくもく……。 真由美「……ね、ねぇ、サクラ?」 サクラ「はう?なにです?」 真由美「あのさ……昨日言ってたノアって人……」 サクラ「───……なにです?」 真由美「あ、ううん……ただサクラは知ってるのかな、って」 サクラ「知らないです」 真由美「う、ん……そっかぁ……」 サクラ「どうかしたです?」 真由美「うん……なんか……その名前聞くとね。     『ありがとう』と『ごめんなさい』って言葉を言いたくなるの。     これってなんなのかな……」 サクラ「なにやらかしたです……?」 真由美「な、なにもやってないよっ!」 サクラ「冗談です」 真由美「うー……」 サクラ「……もういくです。ごちそうさまです」 真由美「え?これだけでいいの?」 サクラ「お腹空いてないです。いくです」 真由美「うん、わたしはもうちょっと時間に余裕があるから。いってらっしゃい」 ダイニングから出て、喫茶店の中を通って外へ。 途中でマスターさんにいってらっしゃいを言われたのでそれを返す。 サクラ「………」 外に出て最初に見るのは空。 今日の空は相変わらず白く濁っていて、未だに蒼い空を見せようとはしなかった。 晴れか曇りかの確信も持たせない優柔不断な天気に嫌気が差す。 晴れれば……行きたい場所があるのに。 天気予報というものは本当にアテにならないなと溜め息が出る。 それでもせっかくの気の紛らわし場所を休むわけにもいかない。 サクラ「───?」 ……そんな風に考えて、ふと思う。 もしかして自分は与一のことを忘れたいのではないだろうかと。 気を紛らわすとか、そんなことを思う始末ではそれも頷ける気がした。 でも……だったらどうしたらいいのだろう。 確かに居ない人を想うのは辛いことだ。 それは認める。 でも彼が居たことは確かだし、好きなことも確かだ。 いっそ忘れてしまえば別の生き方は見つかる。 でもそれで『幸せ』を手に入れられることが出来るとは思えないし、 なにより自分がそれを望んでいるとは思えない。 …………なまじ、地界に居るからいけないのだろうか。 いっそ天界に戻ってしまえば─── サクラ「………」 それもいいかもしれない。 しがらみから開放されればこんなうじうじとした考えもしないで済むと思う。 だとしたらなにも自分に苦しい道ばかり選ぶことなんてないのだ。 サクラ「…………もう、いいですよね、与一……」 立ち止まり、ついにその言葉が出た。 忘れるべき時が来たんだ。 もう、いいだろう。 一年は長い。 そして───彼が帰ってこないことを知りながら、自分は永遠に待たなければいけない。 そんなものは自分には耐えられないから。 だから……自分で幕を下ろそう。 与一なら許してくれる─── ───……。 ……。 学校から帰ると、そのまま自分の部屋へ戻る。 そして与一が消えて以来、閉め切っていた箱を開けると、 その中からイマンシペイトを取り出す。 何かの拍子に幸せが消えてしまわないようにと仕舞っておいたものだ。 慈しむようにその魔器に触れる。 途端、データ感知が始まり、ディスプレイに光が点る。 魔器は本人以外が使えないようにプロテクトがかけられている。 自分以外の人が触れても起動はしない。 ……逆を言えば、自分が身に着けている限りは点いたままなのだ。 それが与一の幸せを受け取る結果になるとは思わなかった。 サクラ「……仕舞ったままでごめんです。……でも、もういいですよ……」 自分の口から漏れる諦めたような溜め息。 こんな筈じゃなかったかなと思う反面、どこかで頷いている自分が居る。 もういいだろう。 ……誰にも言わず、天界に帰ろう。 事情を知っている人は居ないのだから、地界とか天界とか言われてもきっと解らない。 だったら誰にも説明する必要なんてない。 ……でも。 サクラ「……そうです。最後なら……与一にだけは言っていくです」 もちろん返事があるわけじゃない。 そんなことは解ってる。 だけど区切りをつけたいから。 これで最後にするから。 だから─── サクラ「……さよならです、真由美」 家を出た先で振り返り、その佇まいにお辞儀をした。 やがて振り返らずに歩いてゆく。 思えばいろいろなことがあった、とか。 そんなことは一切浮かばない自分が少し意外に思えた。 そんな時。 真由美「サクラ?」 サクラ「あ───……」 真由美が買い物袋を下げて向こう側から歩いてきた。 小走りに歩いてきて、自分を見る。 真由美「……どうしたの?その格好」 天界の法衣を見て真由美が驚く。 サクラ「……大事な用事があるです」 真由美「…………わたしも行っていい?」 サクラ「───……構わないです」 口が勝手に動いた。 このまま天界に帰るつもりだったのに、自分から人を招いてどういうつもりだろうか。 それとも何か意味でもあるのか─── 真由美「ちょっと待っててね、荷物置いてくるから」 サクラ「……公園の高台です。先に行ってるです」 真由美「うん、すぐ追いつくよ」 サクラ「………」 返事をしながら走ってゆく真由美を見もしないでそのまま走った。 追いつかれたらきっと決心が鈍る。 自分はもう、この場所に居たらダメになる一方だ。 もう終わらせなきゃいけない。 だから。 だから……─── 【ケース50:サファイア=クラッツ=ランティス/サヨウナラをキミに】 ザァ……───! 桜の樹が風に揺られ、音を立てた。 与一自身でもあるこの桜は枯れることを知らず、 春夏秋冬いつでもその花を美しく咲かせていた。 その樹の幹まで歩いて、寄りかかるようにして座った。 ……見上げる桜は綺麗だった。 決していい天気とは言えない空の下でも、その花はなによりも綺麗に見えた。 サクラ「……与一ぃ……」 不思議なぬくもりを感じて、その樹に体を預けた。 すると間も無く心地よい眠気が体を包んだ。 真由美「───お待たせ、サクラ」 サクラ「───!」 真由美「ね?すぐ追いついたでしょ?こう見えて運動は得意です」 むん、と胸を張る真由美が寝転がるサクラを見下ろす。 その顔が心に残ってしまうほどやさしい笑顔だったことが、いっそ憎かった。 真由美「用事ってここ?」 サクラ「………」 真由美「眠りに来たのかな」 サクラ「………」 真由美「だんまり?」 サクラ「……知りたがりは長生きしないです」 真由美「うん、わたしも質問責めは大嫌いだよ。     でも訊かないと話してくれそうになかったから」 サクラ「…………これが用事です」 真由美「大事な用事?」 サクラ「真由美には解らないです。     サクラにとって、これはどんなことより大切なことです」 真由美「……そっか……」 ───トサッ。 サクラ「真由美?」 真由美「わたしね、解らないなら解らないなりに出来ることってあると思うんだよ。     わたしはサクラのこと姉妹だと思ってるし、それ以前に大切なお客様だし」 サクラ「…………知った風に言わないでくださいです」 真由美「……サクラ?」 サクラ「真由美、今自分がどれだけヒドイこと言ったか解ってるです?」 真由美「え……?なにか気に障るようなこと言ったかな……」 サクラ「じゃあ訊くです。     サクラがお客としてあの喫茶店に来たのは何がきっかけだったです?」 真由美「なにって……ほら、……あれ?」 サクラ「……どうして大切なお客様って言えるです?」 真由美「え……あれ……?やだ……なんか頭の中が……」 サクラ「…………真由美は何も解ってないです……。解らないのも当然です……。     忘れたことさえ忘れてる真由美が、サクラの気持ち、解るわけないですよ……」 真由美「サクラ……」 サクラ「………」 ぐしゅぐしゅっ。 涙を拭って目を閉じた。 視界が黒く染まり、色を消してゆく中。 空からの光で目に焼きついた桜の形だけが心の中でいつまでも映える。 声  「……ねぇ、サクラ?」 サクラ「…………なにです」 目を開けずにぶっきらぼうに応える。 声  「もう一度訊いていい?その格好なんなの?」 サクラ「……真由美には関係ないです」 声  「……うー」 拗ねたような声が聞こえる。 でももういい。 いっそ、この心地いい眠気に全てを委ねてずっと眠ってしまうのもいいかもしれない。 それこそ自分の存在を消してでも。 ……ああ、それはいいかもしれない。 それなら願ってみようか。 奇跡の魔法で、与一の居る世界へ行けますようにって─── 声  「……眠っちゃった?」 サクラ「………」 声  「……ふぁ……あ、れ……?なんだろ……ここってなんか落ちつ……う、ん……」 声が掠れたと思ったら、次に聞こえるのは寝息。 かくいう自分ももう眠気が限界だった。 まるでこの樹が眠れと言っているような…… チッ───チキキ───フィイー───……ン…… サクラ「…………ん……ぅ……?」 音が聞こえた。 聞き慣れた音だったけれど、自分が何もしていないのに起動するのはヘンだ。 眠気のあまりに満足に開けていられない視界で、なんとかその音の発生源を確認する。 それは、光り輝くイマンシペイトだった。 どうして───? そう思う間もなく、先ほどよりも強くなった眠気に飲み込まれて、そのまま眠りに陥った。
【Side───サクラ】 ───……。 その景色が美しかったのを憶えている。 いや、今その場所に立っているというのに憶えているというのは変かもしれない。 ただそこはとても懐かしい気分にしてくれる世界だった。 声  「フレア〜ッ」 ただ声が聞こえた。 振り向いてみれば少し離れたところから走ってくる与一。 どうしてその子供が与一だと解ったのかが心に残ったけれど、 そんなことよりも彼が目の前に居る。 それはどんなことにも勝る嬉しいという感情をもたらした。 サクラ「与一ぃっ!」 子供の与一に抱きついた。 いや、抱きついた筈だった。 でもその腕は彼の体をすり抜け、その姿を抱き締めることさえ無理だった。 驚いて、自分の体を通りぬけていった与一に向き直る。 その先には─── 遥一郎「ごめん、待ったか?」 フレア「……、……」 …………その先には。 ……何度も夢に出てきた女の子が居た。 与一にフレアと呼ばれていたその子、フレア=レインハート。 髪型と髪の色、そして目の色こそ違うが……その姿はまるでサクラ自身だった。 その姿に驚くばかりで、何がなんだか解らない。 思考がまともに働いてくれない。 いや、それよりも。 ……与一があんなに笑っている。 なんて自然な微笑みだろう。 幸せを微笑みで喩えるなら、きっとあんな感じなのだろう。 ───やがて与一はフレアと別れると、その場から離れた。 だけど家に帰ろうとはしない。 どうしてかと思っていると、突然景色が流れ、与一はお墓の前で立ち尽くしていた。 そのお墓に何かを言うと突然こちらへ振り返り─── 遥一郎「……よ、サクラ」 そう言って笑った。 その途端、桜吹雪が舞い、視界が塞がれる。 次にその景色を眺めると、そこはもうさっきまでの場所じゃなかった。 見上げてみれば桜の樹。 ここはあの高台か。 遥一郎「まったく……来るの遅いよお前は〜……」 ぐりぐりっ! サクラ「ひゃうっ!?」 遥一郎「大体にして2年だぞ?毎日でも来てくれてれば待つことなんかなかったのに」 サクラ「な、なにです……?」 遥一郎「なにですじゃない馬鹿。俺はずっとここでお前が来るのを待ってたんだよ」 サクラ「………うそです」 遥一郎「うそついてどーする」 サクラ「それだったら桜の樹になった時点で迎えてくれたら良かったです」 遥一郎「それがなぁ、一応この樹になったことはなったんだが、     以前の……まあ俺の記憶か。それが完全に定まってなかったんだよ。     それがまた厄介でな。でもまあ神様ってのも本当に居るらしいな。     生前、あれだけ文句言ったのが効いたんだろ、俺の意識の確立を手伝ってくれた」 サクラ「神様が……?」 遥一郎「おかげでな、こうしてお前とも話せる。     問題点って言えばイマンシペイトをつけた状態じゃないと、     こうやって夢に引きずり込むことも出来ないことだが」 サクラ「……これ、夢です?」 遥一郎「……まあな。俺はもう樹になっちゃったからさ。     人間の体でこうして会えるのは夢の中だけなんだ。     ……それと、真由美さん連れてきてくれてありがとな」 サクラ「え───?」 遥一郎「サクラ、腕を」 サクラ「……はいです」 与一がイマンシペイトに触れる。 するとその幸せが光を放ち、やがて─── 遥一郎「もうひとりのお客さまのご来店だ」 その光が形を作ってゆく。 ノア 「……ここは……?」 遥一郎「ノアッ!」 ノア 「きゃっ……!」 遥一郎「こーの……ばかたれぇっ!」 ぼかぁっ! ノア 「あうっ!」 遥一郎「お前馬鹿!もう馬鹿!すごい馬鹿!どうして黙ってあんなことしたんだ!」 ノア 「マスター……?」 サクラ「……ノア?」 ノア 「サクラも……ここは?」 遥一郎「俺の話が終わってないぞぉおおお〜……!!」 ぐりぐりぐりぐり……!! ノア 「あ、い、っ……マ、マスター、おやめください……!」 遥一郎「───……」 ぎゅっ……。 ノア 「マスター……」 遥一郎「……馬鹿……人がどれだけ……!」 ノア 「…………ごめんなさい、マスター……」 遥一郎「ごめんじゃないっ!」 ノア 「───っ」 遥一郎「俺は……っ!俺はなぁ……!お前を……守ってやりたかったのに……!」 ノア 「……おにいちゃん……」 ……どうしてノアのことを忘れていたのだろう。 それは不思議だったけれど、おにいちゃんって……? 遥一郎「……悪い、取り乱したな」 サクラ「与一……」 遥一郎「……ノアのこと、思い出したか?」 サクラ「……サクラ、どうして忘れてたです……?」 遥一郎「このヴァカが真由美さんと同化した所為だ」 サクラ「ノアが?」 ノア 「……ヴァカは余計」 遥一郎「奇跡の魔法、だったよな?それを使ったんだよ。     この樹になってからは目に見える景色の声が聞こえるようになったんだけどさ。     どうやら事故にあった真由美さんを助けるためらしくてな」 ノア 「あ、あれはマスターが、誰かの未来を助けろと」 遥一郎「自分犠牲にしてまでやれだなんて誰が言った!」 ノア 「ご、っ……ごめんなさいマスター……!」 遥一郎「───……」 ぎゅうぅ〜っ。 ノア 「あ、マスター……?」 遥一郎「……約束しろ。自分の言った言葉くらい守れよ?」 ノア 「え……?」 遥一郎「同化体でも構わない。いつか先の未来で、必ず幸せになれ。     真由美さんが結婚して子供が生まれて───     もしお前の人格が少しでもあるなら、その幸せを捕まえてみせてくれ。     しつこい女は嫌われるかもしれないけど、     そのくらいが丁度いいくらいの男を見つけるのも悪くないだろ。     人を嫌いになるのも構わない。     でも……その先で心を許せる人が見つかったら、その人を追ってみろ。     そいつに好きな人が居なければうまくいくだろ」 ノア 「……いい加減です」 遥一郎「ばか、俺はお前のことを思ってだな」 ノア 「わたしはマスターがいいです。この世界でいつまでも一緒に───」 遥一郎「それこそアホゥ!そんなことしたら真由美さんが眠ったままだろが!」 ノア 「う……」 遥一郎「お前はお前の未来を開け。いいか?ひとつのことで挫けるな。     どんな形であれ、ひとつでも幸せを掴んでくれ。     ……俺は、それだけで十分だから」 ノア 「………」 与一はそれだけ言うと、抱き締めていたノアを離した。 すると、ノアの姿が光になって消えた。 ……きっと夢から醒めたのだろう。 ───そして、与一のその目がサクラに。 ぎゅっ。 サクラ「与一……?」 遥一郎「……ごめんな、あんな別れ方で」 サクラ「与一の意思じゃないです……あれはしょうがなかったです」 遥一郎「……いいかサクラ。他の人が羨むほど幸せになれ。     俺の幸せを使っても構わないから。     ていうかもともとそのために渡したのにいきなり仕舞うとは何事だ馬鹿」 サクラ「馬鹿馬鹿言わないでくださいです……」 遥一郎「うーるーさーい。いいから笑ってろ。     俺は落ち込んでるお前を見たくて未来を譲ったわけじゃないんだぞ?     変えられない過去よりも可能性のある未来を。それが俺の望んでたものだ。     お前にはフレアの頃から世話になりっぱなしだったけどさ、     だからこそお前には幸せになってもらいたいんだ。     ……まあサクラになって現れてからのこと考えれば世話になったかは微妙だが」 サクラ「うるさいです」 遥一郎「そうそう、そのくらいの元気をいつでも持っておけ。     ……それじゃ、今度こそお別れだ」 サクラ「え───?」 遥一郎「多分、まあ……次会えるとしても次の春くらいだな。     あ、って言ってもまだ冬だから次の春もすぐか。     そういう意味じゃあ次の次の春だ。     その頃お前がどうしてるかわからないけどさ、辛くなったらここに来い。     自分で頑張れそうだったら来なくていい。     お前はお前が頼れる人を見つけるまで、自分ひとりの力で頑張ってみろ。     ……あ、そうは言っても他人の力を借りるなって言ってるわけじゃないからな?     頼りたい時に頼れ。笑いたい時に笑え、泣きたい時に泣け。     でも幸せはいつでも目指せ。     お前にとっての幸せは俺は与えてやることは出来ないけど……」 サクラ「与一……あ、ん───!?」 遥一郎「………」 あ、え……? 遥一郎「……勇気づけることは出来るから。     ……それじゃあな、サクラ。もう起きる時間だぞ」 サクラ「あ───待って……!サクラ、まだ与一に伝えてないです!     サクラ、与一のことが───!」 遥一郎「……ありがとな、サクラ。     解ってたけど、あの状態で受け入れてたら俺が消えた時に悲しむだろ?     ……俺も、お前がフレアだった頃からずっと好きだったよ。……サクラ」 サクラ「───!」 遥一郎「もう行け。こっちはお前が来る場所じゃないよ。     お前はそっちでまだまだ幸せを探すんだ。     天界でも地界ででもいい。お前が思う幸せを、お前が描いてみろ。     それまで……───元気でな」 サクラ「よっ……与一ぃっ!」 ……ポン。 サクラ「みうっ……?」 澄音 「……泣かないで、サクラちゃん」 サクラ「澄音……?」 レイラ「サクラ、泣いているだけじゃ幸せが逃げてしまいますよ」 サクラ「お姉さま……!?」 澄音 「……穂岸くんとは僕が一緒に居てあげるから」 レイラ「まあ、わたしはお払い箱ですか?」 澄音 「レイラ、その冗談笑えないよ……」 レイラ「ふふっ、苦笑でも笑えることはいいことですよ。     ……それじゃあサクラ……いつかその時が来たら、また会いましょう……」 サクラ「あ、あ───!ま、待って……!ふぇっ……!」 レイラ「……泣いちゃだめよ。いつでも強くありなさい。     泣いていると幸せは逃げるばかりよ?」 サクラ「でも、でも……サクラ、強くないです……サクラ……」 レイラ「……忘れないで。遥一郎さんの気持ちはあなたと共にある。     気持ちが通じ合ったんですもの……それを大事にしなさい」 サクラ「お姉さまぁ……っ」 レイラ「……それじゃあね、サクラ」 澄音 「───キミの未来が幸せでありますように」 サクラ「やぁっ……!待って───!置いていかないで───!待───……」 ヒィイイイイー───……ン…… 消えてゆくその姿を追おうとして手を伸ばした。 でもその指の先から光になって消えてゆく。 泣きながらその光の先に手を伸ばしたけど─── もう、その指が大好きな人を掴んでくれることはなかった─── 【Side───End】
───…… サクラ「与一───っ……あ……」 目を開けると、その視界はひどく滲んでいた。 目を擦ってみると大粒の涙。 目じりは涙でひどく濡れていた。 初めて、夢の中に与一が出てきた。 それは憶えているのに、他に誰が出てきたのか思い出せない。 ……隣を見てみると、同じく真由美が涙を拭っていた。 真由美「…………?」 わけがわからない、といった感じで拭った涙を見ている。 それは自分も同じだった。 サクラ「………」 見上げるようにその樹に触れてみる。 その時に初めて気がついた。 サクラ「……桜が……枯れてるです……」 まるでたった今むしられてしまったかのように、桜の花びらは消えていた。 その所為で枝の先の闇が見えて、今が夜だということに気がついた。 サクラ「次の次の春……そういうことです……?」 イマンシペイトを覗いてみると、そのメーターは0だった。 サクラ「…………与一……サクラ、幸せになれるです……?     サクラの幸せは与一と一緒に居ることだったです……。     それでも、サクラに幸せが掴めるです……?」 解らないことだらけの事実。 受け入れなきゃ前に進めない悲しみ。 自分が望んでいた夢はこんなものだったのだろうか。 彼に会えれば───きっと自分は幸せになれると思ったのに。 真由美「……ねぇ、サクラ……?いま、夢が……」 サクラ「…………真由美、聞いてほしいです」 真由美「サクラ……?」 サクラ「サクラ、天界に帰るです」 真由美「え?てん、かい?」 サクラ「お空にある世界のことです。サクラはそこの住人です」 真由美「ちょ、ちょっと待ってよ……いきなりそんなこと言われても……」 サクラ「言わないと解らないです。ホントは何も言わないで帰るつもりだったです。     でも気が変わったです。……真由美、ばいばいです」 真由美「だから待ってってば!みんなに何も言わないで帰るの!?」 サクラ「……信じるです?」 真由美「信じるよ……だってサクラ、ウソついてるように見えないもん……」 サクラ「…………ありがとです。でも、やっぱり他の誰にも挨拶はしていかないです。     ……真由美、そういえばまだ本名言ってなかったですね」 真由美「本名……?」 サクラ「サクラの名前はサファイア=クラッツ=ランティス。     その頭文字を取った呼ばれ名がサクラです。     それと……真由美?幸せにならないと許さないですよ」 真由美「……サクラ……───っ!?」 イマンシペイトを操作して、天界へのゲートを開く。 その光に当てられて、桜の樹が綺麗に輝いていた。 サクラ「……多分もうこの世界には来ないです。     だから、学校のみんなには転校したって伝えてくださいです。     女将さんやマスターさんには故郷に帰った、って……」 真由美「…………ホントに行っちゃうの……?」 サクラ「サクラ、幸せにならなきゃいけないです。     そのためには天界じゃないときっとダメですよ。     地界は……辛い思い出が多すぎるです」 真由美「サクラ……」 サクラ「ありがとです真由美。サクラ、想い出だけは絶対忘れないです」 真由美「……引き止めても無駄なんだよね?」 サクラ「当たり前です。もう決めちゃったです」 真由美「……うん。でもさよならは言わないでおくよ。いってらっしゃい、サクラ」 サクラ「……変わった人です。でもサクラ、変わった人は嫌いじゃないです───」 キィイイイーーー───……ィィィ…… 耳鳴りのような音とともに、体が浮いてゆく。 サクラは真由美に手を振ると、さよならと呟いた。 真由美も手を振ってくれる。 そんな景色を最後に、地界は白く霞んでいった。 ───さよならです、与一─── 全てが光に包まれる頃。 大好きな人にお別れの言葉を呟く。 その途端、大粒の涙が溢れ、光に消えてゆく。 さよならを言うことがこんなに辛いことだとは思わなかったな─── そう思いながら、もう見えない想い出の世界に手を振った。 ……それが。彼女が地界で最後にした行為だった─── Next Menu back