弱さを知らない人は決して強くはなれないと思う。 誰かになろうとするんじゃなくて、自分が自分として、そこにあること。 それは単純なことだったけど、難しいことだった。 弱さと強さは表裏一体。 弱かった僕は元の強さから引き裂かれた。 そして今まで、その強さに憧れていた。 だからこそ。 夏が終わる前に、僕は…… ───その想いを、終わらせるつもりでいる─── ───過去に綴られた記憶/水性生物情報屋VTR───
始まりがあれば終わりがある。 誰かが言った言葉を俺は繰り返す。 知らなかったわけじゃない。 ただ、気づきたくなかった。 それを信じてしまえば、その時点で夢は終わってしまう。 俺は夢を見ていたい。 夢を見て笑っていたい。 俺が願ったことで夢が創造されたなら、俺から夢を取り上げないでくれ……。 ……ーン…… カラー───ン…… 柾樹 「……?」 目を開けると天井が見えた。 いつも見ている天井。 自分の部屋の天井だ。 そんな景色に溜め息を吐く。 柾樹 「……はぁ……」 変な夢を見た。 それは過去のようであり、未来とも言えるようなもの。 まとまりを持たない夢。 それが何を意味しているのか俺には解らなかった。 柾樹 「くあ……あ〜ぁ……」 大きく伸びをして服を着替える。 今日は休みだ、好きなように遊ぼう。 ……と言っても、出来ることなんてタカが知れている。 柾樹 「は〜……」 結局のところ、やろうと思うものなどなかった。 柾樹 「いや、待てよ……?」 確か昨日、柿が……。 『エスケープもいいが、勉強もしとけよ〜』 ……的なことを言っていたような……。 しかしなぁ、折角の休日に勉学というのも……。 柾樹 「………」 しかし、やることがないのだから仕方無い。 柾樹 「はぁ……」 溜め息が出た。 それでも勉強道具を引っ張り出し、取り掛かる。 まあ、こんな地道な努力が中の上あたりの成績を出しているわけなのだが。 と言っても毎度毎度、柿やらに言われて仕方無くやっているのだが。 柾樹 「……暑い」 教科書を開き、シャーペンを持ったはいいが、 腕に存在する微量の汗が、ノートを歪ませる。 窓を全開し、続行する。 クーラーだのエアコンだのが欲しいところだが、 それに慣れてしまえば電気代は計り知れない。 自然の力よ、僕を包み込んでおくれ……。 俺は自然に訴えかけた。 柾樹 「お……」 すると、なんだかさっきより……… 柾樹 「………」 ……暑くなった気がする。 柾樹 「大自然の薄情者ォオオオオオオッ!!」 叫んでみた。 すると、風が吹いた。 少し強いが、涼しい風。 ビシィッ!! 柾樹 「痛っ!?」 それと共に飛んで来る砂。 しかも見事に目に入る。 柾樹 「……ぐはぁあああっ!!野郎ッ!!」 俺の中の神に対する憎悪が増した。 大体、二階だぞここは。 わざわざ砂塵を巻き起こしてまで運んでくるなって……。 柾樹 「いいや、もう……」 窓に背を向け、勉強を続ける。 え〜と……。 カリカリ……ザッ……ザザッ……。 シャーペンがノートを滑る音が耳に響く。 渋っていたにもかかわらず、いつの間にか俺は勉強に集中していた。 ふと、小鳥の声に集中が途切れ、我に帰る。 辺りは静かで、朝を思わせるひとときが存在していた。 まるで、公園のベンチに座り、真っ青な空を仰いだあの時のような感覚。 柾樹 「………」 俺はこういう時間が好きだった。 こんな時にこそ、夏を実感出来るような気がする。 立ち上がり、窓から空を仰いでみる。 そこに存在する青。 雲ひとつない、綺麗な青空。 荒かった風もいつの間にか和らぎ、 ゆっくりと俺の体を撫でながら静かな音を奏でていた。 柾樹 「……よし、頑張るか」 柄にもなく、そんな気分が涌いてくる。 普段では想像もつかない気分に苦笑してしまう。 それでも小さな机に向き直り、手と頭を動かす。 カリカリ……。 やがて、さっきまでと同じ時間が訪れる。 シャーペンの滑る音。 そよ風が耳を撫でる音。 小鳥のさえずり。 プルルルルルルル…… ……電話の音。 柾樹 「………」 誰だよ、人が良い気分で勉学に励んでいる時に……。 立ち上がり、自分の机に向かって歩く。 小機を手に取り、耳に寄せる。 柾樹 「もしもし?」 声  『あ、柾樹か?俺だ俺!』 ピッ……カチャ。 小機を置き、小さな机に戻り、教科書に向き直る。 柾樹 「え〜と、ここの展開部は……」 プルルルルルルル…… 柾樹 「………」 再び鳴る電話。 しつこいな。 小機を手に、耳に寄せる。 声  『いきなり切ることないだろ!?まず用件くらい聞い』 ピッ……カチャ。 名も名乗らん奴に用は無い。 まったく、礼儀知らずな奴ぞ。 プルルルルルルルル………… 柾樹 「………」 早いな。 それでいてしつこい。 カチャ……。 溜め息混じりに小機を取る。 声  『ごめんなさい、もう叫びませんから用件だけでも聞いてやってください……』 酷く下手に出る奴だ。 柾樹 「誰だ」 声  『だ、誰だ……って……お前、友人の声くらい憶えておけよ!』 柾樹 「……切るぞ」 声  『ま、待て!待ってくれって!』 慌てた声が小機から響く。 声  『俺だよ、刹那だよ。頼むから声で認識するくらいしてくれよ……』 柾樹 「安心しろ、初めから知っていた」 刹那 『………………』 柾樹 「で?何の用だ」 刹那 『……まあ、いいけどな……。今、暇だろ?どっかに繰り出さないか?』 柾樹 「勉学中だ」 刹那 『熱、計ってみろ』 即答で、しかもかなり失礼な事を率直に言う奴だ。 柾樹 「何が言いたい」 刹那 『隠すなって。     体温計では計り切れない程の高熱を出しながらも俺と話してるんだろ?』 柾樹 「つまりなにか?俺が勉強してるのがそんなに」 刹那 『うむ、信じられん』 柾樹 「切るぞ」 刹那 『だぁあっ!待てって!折角の休日を勉学で潰してどうするよ!』 柾樹 「うるさい。いいか?学生の本分は勉学だぞ?そろそろお前も目を覚ませ」 自分が珍しくも勉強していることを糧に、 言いたい放題の俺。 刹那 『なあ柾樹……本当に大丈夫か?』 トーンが低くなり、本気で心配しているような声が響く。 刹那 『辛いことがあるなら言ってくれよ……?俺で良かったら相談に乗るからさ』 柾樹 「………」 そんなに俺が勉強しているのが変か? 柾樹 「あのなぁ、俺は到って正常だぞ?」 刹那 『……マジか?』 柾樹 「大マジだ」 刹那 『……よし、俺も勉強しよう』 柾樹 「ああ、そうした方がいい」 刹那 『じゃ、あとでな』 柾樹 「ああ……って待て!!どうしてそうなる!」 ブッ……。 柾樹 「……切りやがった」 冗談じゃないぞ! 夕や悠季美と一緒に住んでることが刹那に知られてみろ! ───想像VTR─── ピンポ〜ン。 夕  「ふぇ?お客さん?」 とたとたと玄関に向かう夕。 柾樹 「出るなバカッ!!」 夕  「バカじゃないもん」 柾樹 「いいから、茶でもすすってろ!」 夕  「うぅ〜……」 とぼとぼと戻ってゆく夕。 柾樹 「……よし、と」 カチャ……。 刹那 「よお、来たぞ」 柾樹 「よく来たな、このネギをやるから帰れ」 刹那 「いらん」 柾樹 「な、なにぃ!?受け取れ!そして帰れ!!」 刹那 「お、押し付けるなっ!」 柾樹 「ホレ!さぁ!ネギだぞ!?ネギなんだぞ!?」 刹那 「だから何だ!」 柾樹 「ネギだ!」 刹那 「訳が解らんぞ!」 柾樹 「なにぃ、なら帰れ!」 刹那 「どうしてそこに行き着く!」 悠季美「えっと……どうかしたんですか?」 悠季美が俺と刹那の雑談を聴きつけ、現れた。 刹那 「へ?か、郭鷺……?」 柾樹 「ぐは……」 夕  「……どうしたの?」 刹那 「………」 柾樹 「あ……いや、これは……だなぁ」 刹那 「……………………」 柾樹 「……せ、刹那……?」 刹那 「フ……フフフ……」 悠季美「?」 夕  「?」 刹那 「ウッヒョォオゥ!!大スクープぞ!!」 柾樹 「なっ!?ま、待てぇええええっ!!」 刹那は家を飛び出ると、 メモ帳に特ダネを書き記しながら逃走した。 ───翌日。 教室に入ると、俺が夕と悠季美とで二股をかけてるだの、 ふたりと結婚してるだの、子供が居るだのという噂が巻き起こっていた。 尾ヒレ羽ヒレどころか背ビレや胸ビレまで付いている。 豆村 「毎日3人で寝てるんだって?」 ……いや……既にエラ呼吸だ……。 こうして、俺の平穏は音を奏でずに崩れ去った……。 ───完─── 柾樹 「ぐわぁああっ!!!冗談じゃないぞっ!!」 なんとかしなければ! だが……えぇっと……!! だぁあっ!解らん!!どうしたらいいんだ! いや、待て……落ち着け。 ここでパニックになってしまっては刹那の思う壷だ。 よし、まずはネギを持って……って違うだろ!! 柾樹 「ネギなんかで何をする気なんだ俺は!!」 夕  「料理?」 柾樹 「そうか!料理が出来る!!」 夕  「うん、手伝えることがあったら言ってね」 柾樹 「………」 夕  「うや?」 ボカッ!! 夕  「きゃうぅっ!!」 柾樹 「よし、落ち着こう」 夕  「ふぇえ……」 柾樹 「ところで何をしてるんだ?お前は」 夕  「殴ってから言うようなことじゃないよ……」 柾樹 「悪い、叩いた方が良かったか?」 夕  「そういう問題じゃないよ……」 柾樹 「そうか、残念だ」 夕  「残念がっちゃダメだよぉっ!」 柾樹 「嬉しがれと?」 夕  「……どうしてそういう考えしか出来ないの?」 柾樹 「そうしろとお前が」 夕  「言ってないよ」 柾樹 「なにぃ、すると俺を騙したのかお前は」 夕  「騙してもいないよぉ……」 柾樹 「……っと、お前の相手をしている場合じゃない」 夕  「殴っておいてそれは酷いよっ!」 柾樹 「いいから、ちょっといいか?」 夕  「うぅ〜……!!」 柾樹 「機嫌直せって、俺が悪かったよ」 夕  「………」 柾樹 「な?お前に頼みたいことがあるんだ」 夕  「ふぇ?」 柾樹 「ふぇ?じゃなくてだな。暫くしたら刹那が来るんだ」 夕  「うん」 柾樹 「あいつに在らぬ噂を立てられるのは俺の平穏の最後を意味するわけだ。     解ってくれるな?」 夕  「う、うん、なんとなく」 柾樹 「だから、押し入れに入っててくれ」 夕  「……ふぇ……?押し……入れ?」 柾樹 「うむ、押し入れ」 夕  「………」 柾樹 「………」 夕  「刹那くん、何しに来るの?」 柾樹 「勉強だそうだ」 夕  「それなら、私も勉強しに来たことにすれば……」 柾樹 「………」 夕  「………」 簡単なことだった。 柾樹 「俺の作戦をどうしてくれる」 夕  「そんなこと言われても……」 柾樹 「まあいいや。さて、あとは悠季美だな」 夕  「悠季美ちゃんは自分の家に帰ってるよ」 柾樹 「何故?って、そうだったな」 確か今日は親子揃っての結婚記念日+誕生日だったな。 柾樹 「うむぅ、それにしてもだなぁ」 夕  「?」 柾樹 「だってさ、相手は刹那だぞ?」 夕  「うん」 柾樹 「……あいつに理屈は通用しない。女が居れば絶対に誤解する」 夕  「あ……そうだよね」 柾樹 「まあ、でも夕だから大丈夫か」 夕  「……なんか引っかかるんだけど」 柾樹 「気のせいだ」 ピンポーン。 夕  「あ」 来たようだ。 柾樹 「じゃあ、まずは居留守を使うぞ」 夕  「えぇっ!?」 柾樹 「なに、相手は刹那だ。安心しろ」 夕  「そういう問題でもないと思うんだけど……」 柾樹 「他人の空似だ」 夕  「関係ないってばぁ……」 ピンポーン。 夕  「呼んでるよ?」 柾樹 「空耳じゃないのか?俺には聴こえなかったな」 夕  「…………」 ………………ガチャリ。 ドアを開ける音がする。 アンローフル・インヴェイジョン!? ベランダに出て、自分の家へ飛び、そこから外に出る。 そして素足で叔父さんの家の玄関まで歩き、刹那を確認する。 柾樹  <不法侵入とはいい度胸だコンチクショウ……> 俺は刹那の背後に駆け寄り、蹴りをかました。 ドグシャッ! 刹那 「ぷおっ!?」 刹那が家の中に吹き飛ぶのを確認すると、素早くドアを閉める。 そして俺は自分の家まで逃走し、 再びベランダを飛び、叔父さんの家の俺の部屋に戻る。 そして、階下へ。 柾樹 「……何やってるんだ?刹那……」 廊下に倒れている刹那に話し掛ける。 刹那 「い、いや……誰かに蹴られて……」 柾樹 「誰かって?」 刹那 「……いや……やっぱいい」 柾樹 「じゃあ、これを受け取れ」 刹那 「これ?」 スッ、とブツを渡す。 刹那 「……なんだこれは」 柾樹 「ネギだ」 刹那 「……これをどうしろと?」 柾樹 「確かお前、風邪引いてただろ?」 刹那 「いつの話だ」 柾樹 「昨年の冬の話だが」 刹那 「もうとっくに治っとるわっ!!」 柾樹 「遠慮するなって!ホレ、首に巻いてやる」 刹那 「遠慮する」 柾樹 「いいから、フンッ!!」 キュッ!! 刹那 「オギュッ!?」 柾樹 「おお、顔色が良くなってきたな」 みるみる内に刹那の顔が赤く染まってゆく。 刹那 「ギ……ギブ……!!」 柾樹 「うむ、そろそろヤバイかな」 スッと離す。 刹那 「ゲフッ!!カハッ!!オホッゲホッ!!」 柾樹 「滑らかな旋律」 刹那 「う、うるさ……ゴホッ!ゴホォッ!!」 柾樹 「冗談だ、安心しろ」 刹那 「……ハァッ!ハァッ!!冗談に殺されるところだったぞ……!!」 柾樹 「いいからいいから、勉強しに来たんだろ?」 刹那 「………」 柾樹 「そうそう、夕も来てるんだ。なにかと役に立つぞ」 刹那 「……なるほど、教えてもらっていたワケか」 柾樹 「いや、俺は俺でやっていた。お前ほど馬鹿じゃないからな」 刹那 「失礼な奴だな」 柾樹 「情報ばっかり追いかけてないで、勉学に励んでみたらどうだ?」 刹那 「断る。これは俺の生き甲斐だ」 柾樹 「いつか友達無くすぞ」 刹那 「任せろ」 柾樹 「そういうことを自信満々に言うなよな……」 刹那 「なぁ、このクソ暑い中を歩いて来たんだ、何か冷たいものをくれないか?」 柾樹 「……遠慮って物を知らんのかお前は……」 刹那 「いからいいから、な?頼むよ」 柾樹 「……解った、上がって待ってろ」 刹那 「サ〜ンキュゥ!助かるよ」 柾樹 「俺の部屋は知ってるよな?」 刹那 「情報は物理力」 柾樹 「漁るなよ」 柾樹 「解ってるって」 刹那が靴を脱ぎ捨て、二階へと上がってゆく。 柾樹 「……さてと、何がいいかな」 冷蔵庫を開け、そしてブツを探る。 ……フム、あれがいいかな。 カチャ……。 トレイを持ちつつ、自分の部屋のドアを開ける。 刹那 「よう、ノート写させてもらってるぜ」 柾樹 「写すな馬鹿!」 刹那 「なんだよ、漁ってないならオールオッケーって」 柾樹 「いつ言った!」 刹那 「冗談だよ、気にするな」 柾樹 「それより、ホレ」 俺は持ってきた冷たい物を刹那に渡した。 刹那 「おっ、悪いな」 それを受け取る刹那。 刹那 「待て」 ───が、飲もうとはしなかった。 柾樹 「どうした、遠慮せず飲め」 刹那 「飲めるか!」 柾樹 「だってお前、冷たい物って」 刹那 「言ったけど、これはないだろうっ!?」 柾樹 「我侭な奴だ」 刹那 「我侭か!?我侭なのか!?」 柾樹 「やかましい、近所迷惑だ」 刹那 「解凍前の秋刀魚なんか持ってこられて、騒がない奴が居るかっ!」 柾樹 「それじゃあ食卓に出る時は、毎回騒がれているとでも言うのか」 刹那 「それは極論だ馬鹿たれ!!」 柾樹 「五月蝿い、静かにしろ。冗談だ」 秋刀魚を戻し、別の物を渡す。 刹那 「おお、こういう飲物を待ってたんだよ!」 それを受け取り、飲み下す刹那。 刹那 「うっわ!美味ぇっ!!」 絶叫。 柾樹 「結果がどうあれ、やかましいじゃないか」 刹那 「なあ、もっと無いか?これ」 柾樹 「それだけで我慢しろ。そうそうあげられる物じゃないんだ」 刹那 「くっ!じゃ、じゃあなんて名前の飲物だ!?」 柾樹 「大吟醸 紬薙羅」 刹那 「………………え?」 柾樹 「知人の話によれば珍品として名高い酒、その名もツムギナギラだ」 刹那 「さ、酒……?」 柾樹 「うむ」 刹那 「マジかっ!?酒ってこんなに美味かったのか!」 柾樹 「ちなみに一本50万以上」 刹那 「ぐはぁっ!!」 値段を聞いた途端、刹那が叫ぶ。 刹那 「お、おおお俺の中に50万以上の雫が……!!」 ガタガタと震えだす。 柾樹 「少しを冷水で割っただけだ、気にするな」 刹那 「だ、だだ……だけどよぉ……!うああ、気が遠くなってきた……!!」 バタリ。 刹那が倒れた。 刹那 「ぐが〜……!!」 しかも寝ている。 そんなにアルコール強いのかな、コレ。 夕  「寝ちゃったけど」 柾樹 「いいよ、これでゆっくりと出来る」 夕にオレンジジュースを渡し、秋刀魚を片付ける。 そして勉強再開。 カリカリ……。 刹那 「ぐが〜……」 カリカリカリ……。 刹那 「ンゴゴゴ……」 カリ……カリ……。 刹那 「うう……ウランが……ウランが漏れる……!」 カリカリ……。 刹那 「ンン……鮭をシャケと言うなぁ……!!」 カリ……ッ!! 柾樹 「だぁああっ!!やかましぃいいい!!」 ガバァッ!!と刹那を抱え、ベランダを移る。 そして自分の部屋のベッドに降ろし、窓を閉める。 再びベランダを移り、部屋へ戻る。 柾樹 「ふうっ……!!」 これで静かになったな。 カリカリカリ……。 シャーペンを動かす。 夕  「えっと、出された課題って何だったっけ」 柾樹 「今、俺がやってる所」 夕  「あ……そっか」 いつの間にか夕も加わり、静かな時間が経過してゆく。 ───……。 ………。 …。 柾樹 「……くぁああああ……!!終わったぁ〜……!」 倒れるように、大きく伸びる。 夕  「わ、早いね……」 柾樹 「そりゃあな、朝早くからひとりでやってたんだ。     特に解らない箇所が無ければ、早く終わるのが道理というものだろう」 夕  「うん、そだね」 カリカリ……。 夕  「うんっ、終了!」 パタン、とノートを閉じる。 柾樹 「なんだ、お前の方がよっぽど早いじゃないか」 夕  「えへへぇ、勉強は得意だよ」 柾樹 「そうか、それは何よりだ」 夕  「うん」 柾樹 「うむ」 どうということもなく、無意味に頷き合う。 夕  「あ、そうだ」 柾樹 「ん?」 夕  「よく課題があるって知ってたね」 柾樹 「朝のホームルームで言ってただろう」 夕  「うん、言ってたけどさ。柾樹くん、途中で逃げたでしょ?」 柾樹 「ああ、そのことか。悠季美を誘拐した時に、悠季美に訊いた」 夕  「……悠季美ちゃん、よく話の内容が頭の中に入ってたね」 柾樹 「肝心なことは聞くタイプなんだよ、あいつは」 夕  「……当てつけ?」 柾樹 「そう聞こえたなら、もっと努力しような」 夕  「うぅ〜、どうせ肝心なこと聞いてないもん……」 柾樹 「まったくだ」 夕  「ヒドイよぉ……」 柾樹 「さてとぉっ!じゃ、俺はちょっと出掛けてくる」 夕  「ふぇ?何処に?」 柾樹 「ああ、気にするな。すぐ帰ってくるよ」 夕  「……私も行っていい?」 柾樹 「ダメ」 夕  「うぅ〜っ」 柾樹 「悪いな、こればっかりはひとりで行くことに決めてるんだ」 夕  「じゃあ、せめて何処に行くかくらい……」 柾樹 「ついてくるからダメ」 夕  「うぅ〜……」 柾樹 「いい子だから留守番してなさい」 夕  「子供じゃないもん」 柾樹 「二十歳過ぎるまでは、誰であろうとも俺は子供と認識する」 夕  「……どうしてもついていっちゃだめ?」 柾樹 「うむ、駄目だ」 夕  「うん、解った。待ってるよ」 柾樹 「ああ、じゃあな」 財布をポケットに突っ込み、部屋を出る。 階下へ降りて玄関まで行き、靴を履いて外へ。 柾樹 「ぬおお……」 夏の日の下で、改めて伸びをする。 清々しい空気を吸うと、少しは眠気が飛んだ。 それを確認すると、歩き出す。 今年は何がいいだろうか。 そんなことを考えながら、道を歩いてゆく。 バスに乗り、降りて、駅前のデパートまで歩く。 中に入り、品物を眺める。 ……うむ、よく解らん。 毎度のことながら、こういうのは苦手だ。 夕を連れてくれば良かっただろうか。 だけどまた争い兼ねないからなぁ。 柾樹 「えっと、これでいいかな」 あまり高くなく、目立つわけでもないけど決して悪くないものを選ぶ。 柾樹 「すいません、これ……」 レジへ行き、会計を。 毎年ながら、これが一番苦手だったりする。 さてと、目的の物も買ったことだし……。 帰ろうと思ったが、バスが来る時間は少し先だった。 自転車で来た方が良かっただろうか……。 まあいいか。 近くの本屋へ足を運び、立ち読みで時間を潰す。 おっと、そうだ。 ふと思い出し、小説コーナーへ。 柾樹 「ん〜……」 列に目を通し、目的の物を探す。 柾樹 「……まいったな、ここにも無いか」 小説ってのはどうしてこう、見つかり難いかな。 そう思いながらも、再度目を通す。 柾樹 「……おっ!?」 あった! 柾樹 「……って、これは……」 頭の文字だけ同じだけで、頭の部分以外は全然違うタイトルだった。 喜んで損した……。 バスに乗り、流れる景色を眺めていた。 車内が蒸し暑く、それでいて独特の香りを醸し出していなければ、 純粋にそれを嬉しく眺められたのだろうが。 バスの中の独特な香りは苦手だった。 頭にジワジワと染みるように香る匂い。 鉄やら何やらの香りが鼻腔をくすぐる。 ……この場合、鼻腔をくすぐるとは言わないだろうけど。 ああっ!早く目的地に着いてくれぇっ!! こ、これ以上は臨界点を突破してしまう……ッ!! その時、見慣れた景色が目に映る。 よし!間に合った!! ぶしぃ〜……。 ドアが開き、俺は地獄からの生還を果たした。 臨界点を越えることは無かったので、車酔いは無い。 危ないところだった。 暑い日差しを背に、路地を歩く。 柾樹 「暑ぃ……」 家に居た時はそうでもなかったが、さすがに日差しの有無は大きな違いだなぁ……。 柾樹 「暑さと疲労で体がバターになりそうだ……」 もちろん冗談だが。 柾樹 「ぬおお……」 頭の中で愚痴を重ねながらも歩く。 暫く歩くと、叔父さんの家が見える。 柾樹 「……あ」 ふと、立ち止まる。 柾樹 「前は夕の所為で任務続行できなかったな」 目の前の鈴訊庵を見て思い出す。 柾樹 「丁度暇だしな」 立入禁止区域に入り、中を見る。 相変わらず蜘蛛の巣が目に映る。 柾樹 「え〜と」 俺は階段を上り、ほこりの溜まった家の中を歩く。 そして目的の場所に着く。 『由未絵の部屋』。 そう書かれたプレートが、昔と変わらず掛けてある。 ここだ。 ドアノブをゆっくりと回して中に入ると、静まり返った部屋が現れる。 そこに叔父さんが話してくれた、ぬいぐるみの雪崩が起きることはもう二度とない。 少し寂しい気持ちにかられながら、俺は部屋に入った。 外で奏でられる日常の喧騒が静かな部屋に木霊していた。 そんな刻の中で、俺は押し入れだった場所に歩き、そしてその中の天井を押した。 埃を散らし、天井がずれる。 そして、その天井裏にある何冊かの本。 由未絵さんの日記。 子供の頃、悠季美と隠れんぼをしていた時に、偶然見つけたものだった。 見られたくなかったのか、こんな所に隠してあった。 これ以外は家族が持っていってしまったのだろう。 部屋の中は本当に何も無かった。 この日記以外といえば、叔父さんが持っているペンギュラムとロバート。 そして母さんが持っている動かない腕時計とレシピ本。 すべて由未絵さんのだった物だ。 いまは大切な想い出として、大事にされている。 もっとも、ロバートに関しては……俺が無茶をしてるが。 俺は苦笑しながら日記を開いた。 すぐに目に入る文字。 子供の字だ。 『おかあさんがこのほんをくれた。  きょうからこれでにっさをかこうとおもう』 見事に漢字がひとつも無い。 しかも『にっき』じゃなくて『にっさ』だ。 まあ、最初はこんなものだろうか。 『え〜と、う〜んと、かくことない』 柾樹 「………」 凄まじい日記だ。 『わたしのうちは、おそばやさんをやっている。  ときどきおてつだいをすると、  おかあさんがわらってくれる。うれしい』 柾樹 「………」 『おてつだいをしてたらころんだ。  おさらがわれちゃったけど、おかあさんはわらってた』 無言でページをめくる。 『がっこうでいじめられた。おまえのいえのそばはおいしくないって。  そのことをおかあさんにいったら、  おかあさんは、じゃあ、もっとがんばらなくちゃってわらってくれた』 ……… 『ゆきがふっていた。  きれいだった。おかあさんが笑った。  おかあさんはゆきがすきなのかな。だったらわたしもすきになろう』 ……… 『おかあさんにおりょうりをおしえてもらった。  なんどもしっぱいしちゃったけど、おかあさんはおこらないでおしえてくれた。  わたしのつくったのをおいしいっていってくれた』 ……… 『よるおきたら、となりにおかあさんがいなかった。  おりょうりつくるところにいってみたら、おかあさんが、おそばをつくっていた』 ……… 『おかあさんのげんきがない。ふらふらしてる。だいじょうぶかな』 ……… 『がっこうからかえってきたら、おかあさんがたおれてた。  おとうさんにはなしたら、おかあさんは、しろいくるまでどこかへいっちゃった』 ……… 『今日はお母さんがかえってくる。  けっこう長く家にいなかったけど、今日、かえってくるっておとうさんが言ってた』 ……… 『お母さんが昨日、かえってきた。  いつもみたいに私にわらってくれた。でも、夜にはやっぱりおそばをつくっていた』 ……… 『お母さんが私にそばを食べてみてと言ってきた。すごくおいしかった。  それをお母さんに言ったら、ほんとうにうれしそうだった』 ……… 『お店にお客さんがいっぱいくるようになった。  お母さんがよろこんでるから私もうれしい』 ……… 『お母さんが笑ってくれなくなった。  話し掛けても忙しいからとしか言ってくれない。  でもお母さんはいっしょうけんめいがんばってる。  私もがんばろう。そしたらきっとほめてくれる』 ……… 『またころんじゃった。  お皿が割れたら、お母さんが怒った。  お母さんが怒ったのははじめてみた。  でもわるいのは私だからしょうがない』 ……… 『お母さんが恐い。お母さんにたたかれた。泣いてたら、もっとおこられた。  お母さんが変わっちゃった。お母さんが恐い』 ……… 『学校からかえってきたらお母さんによばれた。  家に看板がなくなってて、トラックがあった。  お母さんがのれって言ったからのった。  車の中でどうしたのか聞いてみたら、ひっこしをするんだって言った。  なかよくなった友達におわかれも言わないで、  このまま行くのはヤだって言ったら、顔をたたかれた。  泣きたくなったけど、怒られるのが恐かったから泣かなかった』 ……… 『知らない場所にいた。大きな家が目の前に建ってた。  今日からここが私たちの家だってお母さんが言った。  お母さんは笑ってたけど、前とは何かが違った』 ……… 『知らない道を歩いてた。  迷ったりしないかなって思ったけど、ものおぼえには少しじしんがあった。  公園があったから中に入ったらへんな男の子とあった。ないすがいってなんだろう』 ……… 『明日は私のたんじょうび。今年は祝ってくれるといいな』 ……… 『へんなひと。たしかと〜やくん。その人が友達になってくれた。  ここにきてはじめての友達。そしてその人が私のたんじょうびを祝ってくれるって。  そう言ってくれた。どうしてかわからないけど、涙がとまらなかった』 ……… 『とっておきの場所に行った。きれいなけしきを見て、私は笑っていた。  それに気づいたのはとうやくんに言われてからだった』 ……… 『とうやくんはやさしい。おもしろくて、やさしい。  とうやくんといると、私は笑っていられる。  とうやくんといると、私は元気になれる。  でも、おさななじみの、え〜と、くるみちゃん。  その女の子ととうやくんがいっしょにいるのを見たら、  なんかモヤモヤした。なんでだろう』 ……… 『新しい学校、新しいクラスの中にいる。  教室に入ったらとうやくんがいた。くるみちゃんも。うれしかった』 ……… 『学校のテストで100点をとった。うれしくて、お母さんに言った。  でも、私を見てもくれなかった。とうやくんは16点。  くるみちゃんは58点だった。とうやくんがコツを教えてくれって言ってきた。  コツって言われてもわからないよ。  そのあと、とうやくんにお祝いだって、ぬいぐるみをもらった。5コも』 ……… 『お母さん達がりょこうに出かけた。わたしはおるすばん。  ひろい家でなにもできなくて、しずかなのが恐くて泣きそうになった。  そしたらとうやくんがあそびにきてくれた。  ひろい家であそぶほうほうとか、おもしろいこといっぱい教えてもらった。  今日はずっととうやくんといっしょだった。  いま、となりでとうやくんが寝てる。  「ネギ畑がぁ〜」ってねごとを言ってる。やっぱりおもしろい』 ……… 『おふろでおぼれた。  いっかい服を着たままで入ってみたかったんだけど、服が重かった。  とうやくんが助けてくれた。  でもちょうどそのころお母さん達が帰ってきて、  怒られそうになったけど、とうやくんが「おれのせいなんだ」ってかばってくれた』 ……どこか心が暖かくなる思いに駆られながら、 俺はしばらく日記を流し見ることにした。 Next Menu back