───通じる心/笑顔を願ったひとつの約束───
柾樹 「…………ん?」 ここから何故か日付けが飛んでいる。 『はうぅ、やっと見つけた。日記が行方不明になった』 柾樹 「……なるほど」 『えっと、いままでのこと書かなくちゃ。  え〜と、え〜〜〜〜と……憶えてるわけないよ。  あ、でも凍弥くんのことなら憶えてる。  ことあるごとにぬいぐるみを貰った。嬉しい。  あと凍弥くんが小学六年生のとき、100点をとった。  来流美ちゃんが明日は嵐ねって言ったら、ほんとに嵐が来た。偶然ってすごい』 ………うおう。 『中学校では部活動が大変。私も凍弥くんみたいに帰宅部にしておけば良かった』 ……… 『クラスメートに茶化された。いつも凍弥くんと居るから、つき合ってるのかと。  どうしたらよかったのかな。私は凍弥くんの側に居ると落ち着く。  でも、そうしたらこんな噂で凍弥くんに迷惑がかかる。凍弥くんに嫌われたくない。  私が笑っていられるのは凍弥くんのおかげだから』 ……… 『一生懸命考えた。  凍弥くんを困らせるくらいなら、私が一緒に居なければいいんだよね』 ……… 『眠い頭を無理矢理起こして、学校に通う日常が続く。  ひとりで学校へ行って、ひとりで帰る。こうすれば迷惑かからないよね』 ……… 『胸が苦しい。凍弥くんと会わないと、胸が苦しい。  時々、涙が出る。どうしちゃったのかな私』 ……… 『自分の気持ちに気づいてしまった。私は多分、凍弥くんが好きなんだ。  でも、私なんかが凍弥くんに告白できるわけがない。  私、ダメな子だから。だからお母さんも怒ったんだ』 ……… 『家に帰ろうとしたら校門で来流美ちゃんが待っていた。  いろいろ訊かれるかなって思ったけど、  来流美ちゃんは前と変わらない笑い話をしてた。  来流美ちゃんには全部話ちゃおうかと思った。  私の親友だから。  覚悟を決めて全部話したら、  来流美ちゃんはやさしい笑顔で「やっと話してくれたわね」って言ってくれた。  気づいてたんだ、私の悩み事』 ……… 『凍弥くんを避けてることを話したら、来流美ちゃんはこう言った。  こんなことしても凍弥くんが落ち込むだけだって。そうだよね。  私も避けられちゃったら自分が何かしちゃったのかなって思っちゃうもんね。  普通にしてればいいんだよね』 ……… 『来流美ちゃんに色々相談をした。  来流美ちゃんの話だと、凍弥くんはニブイらしい。何がニブイのかは解らないけど』 ……… 『休日に降る雨。  何処にも行けず、家でペンギュラムを抱えてると、  来流美ちゃんから電話がかかってきた。  暇だから家に来て話さない?って。凍弥くんは出掛けたっきり戻ってこない。  多分雨宿り中。凍弥くんの家に傘が置いてあったから』 ……… 『来流美ちゃんの家で話をした。凍弥くんのこと教えてくれるって。  アルバムを出して、見せてくれた。  そこには私の知らない凍弥くんが居て、私の知らない表情の凍弥くんも居た。  来流美ちゃんが羨ましい』 ……… 『時間のある朝に書くのは初めてな日記だよ♪  雨は相変わらず止まない。昨日から降りっぱなしみたいだ。  今日は珍しく早起きだった。多分、雨音の所為だと思う。  私は凍弥くんに会って、避けてたことを謝ろうとした。  でも、凍弥くんが居なかった』 ……… 『何気なく、来流美ちゃんに聞いてみる。昨日、凍弥くんは何処に行ったの?って。  そしたら24時間営業の古本屋だって。  そんな所があったんだ。私は凍弥くんの傘を持って、家を出た』 ……… 『迷った。  考えてみれば古本屋なんて何処にあるのか知らない。  しかも不用意に動きすぎて道に迷っちゃった。  泣きそうになったけど、あのとき凍弥くんは笑っていろって言った。  だから泣かなかった。  角を曲がろうとした時、後ろから声が聴こえて、  振り向いたら先の方に本屋さんがあった。  そして凍弥くんを発見した。  良かった。これで帰れる。そう思ったんだけど、凍弥くんも帰り道を忘れたって。  しかもこの雨だから立ち読みで時間潰してたんだって。  疲れないの?って聞いたら「俺は仁王立ちが好きなんだ」だって』 ……… 『高校への進路相談。  お母さんはどうでもいいみたいだった。  「店が忙しい」って言って、来てくれなかった。  それで私ひとりで先生と話した。今回だけは、ひとりで良かった。  お父さんは私に好きにしろって言ってたし、私は行きたい高校があったから。  凍弥くんと同じ学校、鈴問高等学校だ。  成績が高いからもっと上の高校はどうだ?って。  先生が何度も言ってきたけど、断った。私は凍弥くんが居ないとダメなんだ』 ……… 『雪が降っていた。  もう何度目かな、雪を見るのも。雪は思い出を見守っていてくれてる。  忘れかけてた思い出も、雪を見れば思い出す。  凍弥くんが笑ってくれるから、私も笑うんだ』 ……… 『春。  とうとう高校生。そして初日から寝坊。  凍弥くんにスリッパで叩かれて朝を迎えた。  朝ゴハン食べたかったけど時間が無いから来いって凍弥くんに言われて、通学路を走る。  そしてパン屋さんに入った。  そこでは凍弥くんのお姉さんがパンを売っていた。  朝ご飯だけは、タダでパンを食べていいって。  私はハムサンドを貰った。すごく美味しかった』 ……… 『凍弥くんと来流美ちゃんが鈴訊庵でアルバイトをすることになった。  いつも一緒に居られて嬉しい』 ……… 『いつも通りの日常。朝起きて学校に行って、みんなで騒いで家に帰る。  そんな当たり前のような時間に、時々不安を覚える。  いつまでこうして、みんな一緒でいられるのかな。  いつまで凍弥くんと一緒に居られるのかな』 ……… 『来流美ちゃんに言われた。告白しちゃいなさいって。  そんなの考えただけで胸がドキドキする。  だって、ふられちゃったらもう一緒に居られないんだよ?  一緒に居ても気まずいんだよ?そんなのイヤだよ』 ……… 『いつか自分で言った言葉を繰り返し思い出してみる。  人には幸せになる権利がある。  なんか書いてて恥ずかしい。でも、わたしにもそんな権利があるのかな』 ……… ……………… ……………………… 『なにも出来ないまま高校生でいられるのもあと少し。  凍弥くんといつまで一緒にいられるかな。もしかしたら高校を卒業したら……』 ……… 『凍弥くんにハムサンド全部食べられて犬に追われた。  でも何かおごってくれるって。期待しちゃったけど学食に材料がなかった。残念』 ……… 『過去の景色を想い浮かべてみる。お風呂で溺れたあの日のこと。  凍弥くんは私をかばってくれたことを忘れちゃってたけど、私は憶えてる。  感謝してたらキリがないけど、ありがとう凍弥くん』 ……… 『ロバートの頭が陥没した。  変な顔。でも凍弥くんは「男前だ」って。  凍弥くんと料理を作った。お母さんに教えてもらった料理。  お母さんは今も仕事を頑張っている。今じゃそんなお母さんが好きだ』 ……… 『驚いた。  凍弥くんは遥か昔、 古代インドネシアを栄えとした奇人、  ヨーデルハイム・ボルゲニョーラ酸性さんの住むトリケラトンプソン地方の、  ただひとりの生き残りなんだって。  そこだと「黙れ」って言葉が「サランラップ」で、  すごくややこしい場所なんだなって思った』 ……… 『旅館に行ったらロバが痛かった。でも楽しかった。  鷹志くんの実家が旅館だってことを知った。  それとドナルドはスリッパ芸人だった。  スリッパを使って芸をすると、顔が白くなってアフロになるのかな。  やだな、スリッパ芸人』 ……… 『昨日書いたことを凍弥くんに話したら笑われた。  それならパーマ屋は必要無いって。アフロってパーマなんだ。知らなかった』 ……… 『ひとつ気になった。  スリッパ芸人でアフロになってパーマ屋さんが必要ないなら、  もしかしてパーマ屋さんってアフロ屋さん?』 ……… 『ドラマを見た。雪景の歌ってタイトル。  いいドラマだったのは確かだったけど、それ以上に心に残るものがあった』 ……… 『今日はテストがあった。テスト勉強して、テストをやったらみんなが白かった。  そしてテスト終了記念にみんなで騒いだ……筈。  なんか覚えてない。気がついたら家の布団で眠ってた。  明日凍弥くんに訊いてみよう』 ……… 『やっぱり何かあったんだ。凍弥くんが私のこと避けてた。  そんなことがあったせいなのか、  凍弥くんに嫌われるのが恐いってことが本当に解った。  何をしたのか解らない。  後で訊いてみても凍弥くんは顔を赤くするだけだった。なんだったんだろう』 ……… 『夢を見た。昔の夢。懐かしい景色の中を凍弥くんと走ってた。  そして久しぶりに、あの丘に行った。  凍弥くんと一緒に行けば良かったかな。  どうしてかは解らないけど、私はお願い事をした。  凍弥くんとずっと一緒にいられますように。  ず〜〜っと、凍弥くんと微笑んでいられますように』 ……… ここから先は何も書かれていない。 これが由未絵さんの最後の日記だ。 入院した時、日記は家に置きっ放しだったんだろう。 ふと、涙がこぼれた。 こんなに好きだったのに、それが叶うことは無かった。 幸せになる権利。 そんなものが本当にあったなら、由未絵さんはもっと笑っていられたのだろうか。 少女への気持ちに気づくのが遅すぎた叔父さん。 気持ちに気づきながらも言えなかった由未絵さん。 互いに不器用なふたりが駆けていた季節。 そこには数え切れない思い出があって…… 数え切れない想い出があって…… そんな季節の中でふたりで雪を見て…… 笑って……泣いて。 いつか迎えられる幸せの瞬間を信じていた。 この日記の中にはそんな季節の景色が溢れていた。 もし奇跡を起こせたとして。 そこにその奇跡に価値があるとしたなら。 俺はきっとあの瞬間に、別のことを願っていたのかもしれない。 柾樹 「……あの時?」 頭が痛む。 なんだ……? 俺はあの時……いや……あの時ってなんだ……? 再び日記を開く。 そして目に入る文字。 『私はお願い事をした』 柾樹 「………」 何かを忘れている。 俺は何かを忘れている。 ……カタン。 柾樹 「ッ!?」 背後で物音がした。 俺は驚いて振り向いた。 柾樹 「……夕?」 そこには夕が居た。 そのことを俺の意識が確認した瞬間、俺の中で何かが音をたてて開いた。 柾樹 「俺はあの時……」 いや、思い出したんだ。 夕  「あれ……?ここって……」 スパァーン!! 夕  「きゃぅううっ!!」 柾樹 「いくぞっ!!」 夕  「な、なんなの……?」 柾樹 「いいからっ!!」 俺は半ば強引に夕を家まで引きずっていった。 階段を駆け登って、自室にこもり、考えてみる。 思い出したこと。 それは大切であったこと。 それはあまりにも現実とは離れた物。 悲しい記憶が願いを紡ぎ、風と雪が奇跡を起こす。 そんな不思議な物だった。 蒼い季節、俺は願ったことがある。 そう、俺にも願う権利があったんだ。 悲しい記憶。 それは叔父さんに聞いた由未絵さんのこと。 俺には他人事には思えなかった。 その理由は解らない。 物心ついた頃から叔父さんに思い出話を聞いてきた。 そのせいかもしれない。 だから俺は願いを叶えてもらえることが出来たんだ。 蒼い季節の記憶、あの丘で願った想い。 心から願ったこと。 心から願い、信じた奇跡。 雪の降る中で風を思い、雪に繋いだひとつの希望。 その願いは……───。 ───…………。 自分の部屋。 俺はその景色を何度、見てきたのだろう。 朝に目を覚ましては眺め、部屋に戻るたびに眺め。 そんな当たり前の日常を歩いてきた。 だけど、その日常の中。 ひとつだけ日常とはかけ離れた奇跡。 そう……。 奇跡なんだ……。 俺があの時、あの丘で願ったこと。 それはなんだった? 今思い返してみれば、母さんの言っていた通りなんだ。 どうして聞いたわけでもないのに、母さんや叔父さんや由未絵さんの夢を見るのか。 そこに答はあったんだ。 あいつはどうして鈴訊庵を眺めていた? 本当に偶然、あそこに立っていただけなのか? どうして叔父さんと会った時、あんなに驚いていた? どうして叔父さんに撫でられた時、涙を流した? 俺が……俺が叔父さんの過去の夢を見るようになったのはいつからだった……? 柾樹 (……ッ!!違う!あいつは……あいつは夕だ!!     由未絵さんじゃないんだ!!あいつが夢を見たのだって偶然だ!     偶然なんてよくあることじゃないか!!消えろ……!頭の中から消えろぉっ!!) ……俺は必死になって、頭をかすめた結論を否定した。 だが、否定すればするほど、結論は堅くなってゆく。 ……いや。 否定できなかったんだ。 確信に変わってしまったものを否定することなんて出来やしない。 だって、その奇跡は俺が願ってしまったものだから。 それを夕自身は知らない。 知っている筈が無いんだ。 俺が一方的に願ったことであって、夕はただ巻き込まれただけなんだ。 そう、夕がここに居るのは偶然でしかない。 もしかしたら、ここに来たのは別の人かもしれないんだ。 誰が悪いわけでもない。 俺が……。 俺が願ったことだった……。 だけど、それは残酷なことなんだ。 人が人として機能していないのと同じこと。 でも……俺にはどうすることも出来ない。 叶えられる願いはひとつだけだから……。 俺の願いは叶ってしまったから。 後悔したって遅いんだ。 その時の俺は、後先を考えられない子供だったのだから…… ───……。 数分前までは普通の日常を歩いていた。 今までと、なんら変わらない日常だった。 ───でも……。 全てを理解してしまった俺にとって、それはあまりにも残酷だった。 変わってしまったんだ。 景色が。 日常が。 好きだった風が。 人に対する思いが。 けど……。 だけど……。 俺だけなんだ……。 人から見れば、それは変わらない景色なんだ。 だから……俺だけなんだ。 変わってしまったのは……。 どうすればいい? どうしたら償える? 俺はひとりの少女の人生を奪ってしまった。 それなのに、のうのうと幸せを感じていた。 佐奈木夕という少女の記憶が無くなったのも俺の所為……。 俺の所為なんだ……。 以前、家に来た夕の親はどんな気持ちだったのだろう。 『記憶喪失』と言われた時、どんな気持ちだったんだ? 夕を預けると決めた時、どんな心境だったんだ? 考えても考えても、出てくるのは自虐だけだった。 だけど、俺が悩んでどうにかなる問題じゃない。 それは解ってる。 だけど、だからこそ残酷なんだ。 俺は……どうしたらいい……? どうしたら……。 …………コンコン。 柾樹 「……?」 ドアから聴こえた音に、現実へ引き戻される。 声  「柾樹くん、凍弥さんが呼んでるよ」 夕……。 俺はどんな顔をしてお前に会えばいい? どうすれば……償えると思う……? 夕  「柾樹くん?寝てるの?」 柾樹 「……起きてるよ」 夕  「凍弥さんが呼んでたよ」 なんでもない会話。 どこにでもあるような、ありふれた会話だった。 そう、夕は何も知らない。 もし知ったらどうなる……? 俺を憎むだろうか。 俺を罵倒するだろうか。 夕  「……どうかしたの?」 返事をしない俺を妙に思ったのか、夕が訊いてくる。 柾樹 「………」 夕  「柾樹くん……?」 カチャ……。 ドアノブが回転した。 柾樹 「……ッ!!入ってくるなっ!!」 その瞬間、俺は叫んでいた。 夕  「あっ……」 それは無意識の行為だった。 夕の、びっくりしたような声が聴こえた。 夕  「ご、ごめんね……。勝手に入るなって言われてたのにね……」 泣きそうな声だった。 どうしてお前が謝るんだよ……。 お前は謝るようなことなんかやってないだろ……? 夕  「私、学習能力無いのかなぁ、あはは……」 違うんだ……。 悪いのは……悪いのは俺なんだよ……。 夕  「じゃあ、呼んでるって言いにきただけだから」 無理に取り繕ったような元気な声が胸に痛かった。 そして、扉から離れてゆく足音。 柾樹 「…………くぅぅ……っ!!」 ゴッ!! 壁を殴る。 柾樹 「何やってんだよ俺は……ッ!!」 夕にあたってしまった自分に腹が立った。 だから殴った。 壁を何度も。 何度も。 血が滲んだからなんだというのだろう。 痛いからなんだというのだろう。 こんなことをしても後悔が和らぐわけじゃない。 だけど、どうしても自分が許せなかった。 柾樹 「…………」 深呼吸をして、少し落ち着くことにした。 こんなことをしても意味なんてない。 そう、自分に言い聞かせる。 柾樹 「……よし」 部屋を出て、階下へ。 ダイニングに行くと、叔父さんが待っていた。 凍弥 「今年もやるんだろう?誕生パーティー」 柾樹 「……ええ」 凍弥 「……どうした?何かあったのか?」 柾樹 「え?いえ、別に……」 凍弥 「別にって顔じゃないぞ」 柾樹 「……本当になんでもありませんから」 凍弥 「……そうか」 叔父さんはそれ以上、訊くようなことはしなかった。 凍弥 「だがな、これだけは言っておくぞ?」 叔父さんが俺の目をしっかりと見て、言葉を繋ぐ。 凍弥 「自分のしたことを後悔していても意味が無いぞ。     後悔する暇があったら自分に出来ることをやれ」 柾樹 「……自分に出来ること……?」 凍弥 「それだけだ」 そう言って、飾りを取り出す叔父さん。 柾樹 「………」 自分に出来ること……。 今、俺に出来ることはなんだ? 自虐なんてものは誰にだって出来る。 後悔なんて誰にでも出来る。 じゃあ、俺は何をするべきだ? …………。 なんだ。 簡単じゃないか。 俺は俺で居ればいいんだよ。 それが俺に出来る、俺にしか出来ないことだ。 柾樹 「叔父さん」 凍弥 「ん?」 柾樹 「……ありがとう」 お礼を言う。 心からのお礼。  凍弥 「……答えは出たか?」 柾樹 「はい!」 言って、俺はダイニングを飛び出た。 ───……。 凍弥 「……ふう、まったく……。誰かを見ているみたいで歯がゆくて仕方無いな」 柾樹が出ていった場所を見ながら呟いた。 凍弥 「……ところで、この飾り付けは俺が全部やるのか?」 居なくなった助っ人を頭に思い浮かべながらも、手を動かすことを止めなかった。 コンコンコン。 ドアをノックする。 柾樹 「………」 コンコンコン。 柾樹 「夕……?」 そっと、名前を呼びかけてみた。 声  「……柾樹……くん……?」 その声に反応して聴こえた声は、あまりにも力無い言葉だった。 掠れていて、今にも泣き出しそうな声だった。 柾樹 「……入るぞ」 ドアノブを回し、中へ入る。 夕  「わっ……!今は……!!」 拒絶の声が聴こえた。 だが、俺は構わず中に入った。 ……時折に見る景色。 前に見た景色と、今のそれは大差は無かった。 ただ、少女が泣いていたこと以外は。 夕  「……ッ」 顔を伏せる。 あれだけで泣いていたんだ。 ただ、入ってくるなと言っただけで。 夕は、あまりにも純粋すぎたんだ。 本当の意味で疑うことを知らなくて、いつもからかってばかりいて気づかなかった。 この子は本当に弱い少女なんだ。 それでもいつも元気に振る舞って。 馬鹿でボケで、そのくせ頭がよくて。 そして……寂しがり屋の少女。 だから、俺はそれを助けてやればいい。 彼女が彼女である瞬間だけでも。 柾樹 「……ごめんな」 目に涙を溜めた少女を抱き締めた。 夕  「……柾樹くんは謝るようなことしてないよ……。私が……悪いんだから……」 柾樹 「いいから、謝らせてくれ。俺が悪いと思ってるんだからな」 夕  「……んぐぅ……勝手だよぅ……」 そう言うと、少女は溜まっていた涙を流した。 柾樹 「泣くな。笑っていてくれ」 夕  「ふえぇ……泣かせてるのは柾樹くんだもん……」 柾樹 「何を言う、俺は善人で有名だぞ」 夕  「善人は怒鳴ったりしないもん……」 柾樹 「……なんだ、やっぱり恨んでるんじゃないか」 夕  「うぅ〜……」 柾樹 「なぁ……夕」 夕  「ふぇ……?」 柾樹 「人って、難しいな……」 俺は苦笑しながら言葉を放った。 柾樹 「思ったように行動できなくて、それなのに他の人に文句ばかり言って」 夕  「………」 柾樹 「少なくともその人は頑張ってるのにさ、見ただけの注意ばっかり言って……」 腕に抱き締めた少女の表情を覗いてみる。 すると照れたように顔を逸らす。 柾樹 「でもさ、そんな奴でも好きな人と最後の瞬間まで、     一緒に居ることくらいは出来ると思うんだ」 夕  「……え?」 柾樹 「だから……お前は笑っていてくれ」 夕  「……もしかして、恥ずかしいこと言ってる?」 答える代わりに、そんなことを訊いてくる夕。 いつもなら叩いているところだ。 柾樹 「ああ、恥ずかしいぞ」 だけど、それとは逆に、夕を強く抱き締めた。 柾樹 「だから……頷いてくれ。そうしたら……俺は安心できるから……。     もっと、強くなれると思うから……」 恐くて仕方が無かった。 どんな言葉を口にしても、不安は消えはしなかった。 だけど……少女は頷いてくれたから。 涙を溜めながらも、やさしく微笑んでくれたから……。 俺はその時、不安から解放されたんだと思う。 柾樹 「夕……」 夕  「ふぇ?……!」 だから……嬉しかったから……俺は少女にキスをした。 夕  「………」 後悔は無い。 俺は───……少女と一緒に居ることを選んだ。 それがどれだけ悲しいことかは、願った俺が一番よく解っている。 柾樹 「俺は……夕が好きだから……。笑っていてくれると嬉しいんだ……」 それでも俺は、その道を選んだ。 夕  「……うん」 顔を真っ赤にしながらも、夕は笑ってくれた。 そんな笑顔が心から嬉しかったから。 だから……俺は最後の瞬間まで笑っていたいと思う。 たとえそれが、どんな結末であっても……。 ───……パァン!スパパパァン!!ゴバァン! 夕  「きゃうぅっ!」 総員 「ハッピーバースディ!悠季美!」 夜。 悠季美が帰ってきたタイミングと同時に、クラッカーがけたたましく破裂する。 夕  「ま、柾樹くんっ!破裂しちゃったよぉっ!!」 驚愕の表情で慌てる夕。 柾樹 「何言ってるんだ、クラッカーは破裂するものだろう?」 夕  「そ、そうだけど、そうじゃなくてぇっ!!」 柾樹 「あのなぁ、どういう意味……って、うおっ!?」 夕の手元を見ると、確かにクラッカーが破裂していた。 ……原型をとどめていない程に。 凍弥 「ん?ああ、それは俺が作ったやつだ」 柾樹 「作ったって……」 凍弥 「クラッカー10発分を凝縮、収納したものだぞ」 柾樹 「恐ろしいもの作らないでください」 凍弥 「任せろ」 悠季美「………………」 ダイニングへの入り口では、悠季美が唖然としている。 柾樹 「おいおい、毎年のことだろう?今更呆気にとられてなんとする」 悠季美「……い、いえ、前までは招かれてからでしたから……。     心の準備というものが出来ていたわけで……」 凍弥 「なるほど。まあいいさ、食そう!狂おしいほどに!」 柾樹 「宴の始まりぞ!!」 夕  「ホラ、悠季美ちゃん!早く早くっ!」 悠季美「え?あ、ハイ……」 柾樹 「しかし、毎年思うけどさ。家族揃って同じ日生まれって珍しいよなぁ」 悠季美「毎年が賑やかだから、楽しいですよ」 柾樹 「そうか?」 悠季美「ハイ」 柾樹 「そっか……」 俺は母さんがあれだからなぁ。 祝ってもらった憶えなど、数えられる程度だ。 まあ、今となってはどうでもいことだが。 凍弥 「では、毎年恒例のエキスパートルールだ。料理は早い者勝ちの名の下に!!」 夕  「え?え?」 凍弥 「レディ……ファイッ!!」 俺と悠季美は懸命に手と口を動かす。 ガツガツガツガツ!! 夕  「わわ……」 凍弥 「早く食わないと無くなるぞ」 夕  「う、うんっ!」 それに夕が加わる。 夕が謎の物体に箸を伸ばした刹那!! 柾樹 「いつかの恨みぃいいいっ!!」 俺はそれをかっさらった。 夕  「あぁっ!」 柾樹 「ぬおお、ワンダホゥ!ビューテホー!ウェキサイトゥィン!!」 かっさらったそれを口に押し込む。 そして尚も手を動かす。 悠季美「負けません!」 悠季美もその体型に似合わず、よく食べる。 柾樹 「ぐむっ!の、飲物!!」 口に摘めたものを流し込むため、手近な飲物を飲み下す。 ふう、やはり叔父さんの料理は美味ぞ。 悠季美「───!」 俺と同じく、飲物を飲み終えた悠季美と目が合う。 柾樹 「ふふふ、やるな……」 悠季美「今年こそは負けませんよ……」 言って、尚更に手を動かす。 柾樹 「ぬおおおおぉぉぉおおおぉぉぉっ!」 悠季美「はぐはぐはぐ……コホッ!むぐ……はぐはぐ!」 夕  「…………」 夕は呆然としていた。 夕  「毎年、こうなんですか……?」 凍弥 「うむ、食べた皿の数で競うゲームだ。     だが、それでは女の悠季美が不利だからな。     だからハズレを用意してある。それを引くと問答無用で減点3皿だ」 夕  「ハズレ?」 凍弥 「食べ物関係のハズレといえば、ワサビと相場が決まっているものだ」 夕  「……た、食べなくてよかったかも……」 凍弥 「まあ毎回、皿にハズレは無い。メインディッシュが楽しみぞ」 夕  「メインって……」 凍弥 「このケーキだ。既に切ってあるが、どれかにワサビが入ってる」 柾樹 「だしゃあっ!」 悠季美「皿、終了しましたっ!」 凍弥 「よし、現時点で柾樹が6皿、悠季美が4皿か。今回はよく食したな、悠季美」 悠季美「敗けません!」 ちなみに去年は俺がハズレを引いたにもかかわらず、 それでも俺の方が皿をこなした数が多かったため、俺が勝利を治めている。 今回ばかりは俺もハズレを引くわけにはいかない。 柾樹 「………」 悠季美「………」 目の前に、ふたつの皿が置かれる。 その上にはケーキが存在している。 ゴクリ……。 去年は死ぬところだった。 その一昨年もだ。 叔父さんの用意するワサビは尋常じゃ無い。 本当にワサビかと問い詰めたくなるほどに……キツイ。 口から鼻を引き裂かれんばかりの刺激。 そして脳内を揺さぶらんほどのその香り。 数時間は味覚が麻痺する恐ろしい代物だ。 普通、そんなものが中に入っていれば嗅覚で解る。 だがこれはアルティメットファイトだ。 己の勘のみを力とし、勝利を治めるのが本当の勝利だ。 だから距離を取り、遠くからどちらかを選ぶ。 柾樹 「右……いや、左のケーキだ!」 この場合、多く食した方が決められる。 右はありきたりだ。 なんとなくそう感じた。 柾樹 「………」 ゴゴゴゴゴゴ……。 俺の神経から緊張が溢れ出す。 柾樹 「い、いただきます」 俺は一気にそれを口に押し込んだ。 もぐもぐもゴフッ!!! 柾樹 「ぐああああああああああああああ!!!」 俺は頭に来る衝撃に、その場に崩れた。 凍弥 「柾樹、吐き出したらもうひとつだぞ」 そう、これはアルティメットファイト。 敗者に情けは無用なのだ。 俺は大して噛みもせず、ケーキを飲み下した。 その際、飲物の服用も反則行為とされている。 柾樹 「ぎぃ、ぎぃゃぁああああああああっ!!」 腹が燃えるように熱い。 舌に激痛が走り、脳内が鈍痛に襲われる。 目からは涙が溢れだし、体中から汗が吹き出る。 柾樹 「ぐぅううっ……!!あぁああああ!!!     がぁあぅあああああああああああ!!!!!」 その場で暴れ苦しむ。 凍弥 「良い子の皆さんは真似しないように」 夕  「したくないよ……」 悠季美「はぅ……勝てましたぁ……」 悠季美が安堵の溜め息を吐き、ケーキをつつく。 お、おのれぇ……! ぐぅぅう……!!だ、だめだ……! 力が入らん……。 柾樹 「きゅう……」 ガクッ。 夕  「あ、死んだ」 凍弥 「気絶した方が楽だしな」 悠季美「夕ちゃんも食べてみれば解りますよ……」 夕  「ふぇぇっ!?い、いいよ私はっ!」 そんな言葉を耳に、俺の意識は途切れた。 Next Menu back