幼かったあの日、僕は強くなりたいと思った。 それは誰のため? ───それは幼馴染のため。 あの時、僕がもっと強かったなら、幼馴染の女の子は泣かないで済んだのかもしれない。 気休めなのだろうけど僕はそう信じていたかった。 あの時、それを守れる可能性があったのは─── ただひとり、僕だけだったのだから……。 ───過去の傷跡/破り捨てられた小さな純真───
路地。 その乾いた景色に音をたてて、町並みを駆けていた。 柾樹 「くそっ……!ここらにはもう居ないか!」 幼馴染を探して。 会って何をすればいいかなんて、俺には解らない。 柾樹 「まったく、世話のやけるっ」 だけど探さないといけないと思った。 だから今、俺は走っている。 柾樹 「夕の言う通り、家か……?」 そう思うと、俺の足は閏璃家を目指して駆けていた。 ───程無くして、家が見えてくる。 中に入ると階段を飛ばしながら駆け登る。 すぐさまに悠季美の部屋をノックする。 ……が、返事は無かった。 柾樹 「……入るぞ?」 居留守(?)を使っているのではと思い、ドアを開ける。 だが、そこには何も無かった。 元々あまり、物が置いてある部屋ではなかったが、今は本当に何も無い。 まさか悠季美のヤツ……ここから出ていくつもりじゃ……いや、恐らくそうだろう。 そうでなければ、ここまで片付けたりしないだろう。 柾樹 「……とにかく、話だけでもしなくちゃな……」 悠季美の部屋をあとにして、俺は走った。 再び路地を駆ける。 柾樹 「先に悠季美の家に行っておくんだったなぁ」 学校の近くだから、その方が早かった。 というか、この道でどうやって行き違いになるんだ? 柾樹 「……ま、まさか……」 嫌な予感がする。 かなり別の種に属する嫌な予感だが。 声  「いやぁあああああああああっ!!」 ふと、悲鳴を聴く。 柾樹 「悠季美っ!?」 その声に聴き覚えがあったから、俺は走った。 そして─── 柾樹 「………」 そ、そして……。 服屋 「うぅん、カァ〜ワイ〜わぁ〜ん♪」 ジョリジョリジョリ。 悠季美「ひあっ!やっ……いやぁああああああっ!!」 なるほど、ここを通ったのか。 行き違いになるわけだ。 ……出るかな、クリティカルビンタ。 オカマも男と区別するのだろうか、悠季美は。 悠季美「ぐ……あぅうぅ〜っ……!!」 手を出したいが、流石に殴るわけにはいかないと、理性が押し止めているようだ。 服屋 「ンマァッ!柾樹っちゃ〜ん!」 ゲッ……!! マズイ!見つかった! 悠季美「………」 悠季美がハッとしたような反応をすると、そっぽを向く。 服屋 「……アラ?なにか事情がありそうネ。アタシが相談に乗ってあげまショ」 悠季美「結構です……っ!」 まるで全てを憎むように、悠季美が言い放つ。 服屋 「そうはいかないワ。なんとしても相談してもらうワヨ」 悠季美「いいって言ってるんです……」 服屋 「いいから、さささ、中にお入り」 悠季美「離してください!」 服屋 「柾樹っちゃん、アナタも来るのヨ」 柾樹 「……………………え?」 服屋 「アナタも関係してるんデショ?」 柾樹 「はぁ……そう、ですね」 服屋 「遠慮なんていらないから、ネ?」 柾樹 「はい」 悠季美「ッ…………!!」 悠季美に、怒りの表情が見てとれた。 こんな悠季美を見るのは初めてだ。 ……ん? いや、違う……。 随分前にも確か─── 服屋 「柾樹っちゃん?早く入りなさい」 柾樹 「あっ、はい」 ───いや、今は昔を気にしてる場合じゃないな。 頭を霞めた想い出の霧を振り払い、 俺は促されるままに服屋に足を踏み入れた。 ───……。 悠季美「………」 柾樹 「………」 無言。 その重く苦しい空気の中、俺は招かれた部屋の椅子に腰を下ろしていた。 服屋 「お〜ンまたせぇ〜♪」 服屋の主人(?)が飲物と菓子を持ってきた。 服屋 「さぁ、お食べ。アタシが焼いたクッキーヨ」 コトン。 目の前のテーブルに、クッキーと飲物が置かれる。 服屋 「さぁ、悠季美ちゃんもぐぅっと飲んじゃって」 悠季美「……そんな気分じゃないんです」 服屋 「ンもう、一体どうしたって言うの?」 柾樹 「あ、あの……」 服屋 「あぁ、そうそう。まだアナタ達に自己紹介してなかったワネ」 柾樹 「へ?」 ことの経緯をいざ話そうとしたが、遮られた。 服屋 「アタシは美都明(みつあきら)ヨ。アキラちゃんって呼んでいいワヨ」 くねっ、とポーズを取る明氏。 ゴポポッ!! 腹の奥底から込み上げる物を感じた。 美都 「アラ?どうかしたの柾樹っちゃん」 柾樹 「イエ……ナンデモゴザイマセン……」 カタコトで喋る。 美都 「それで、どうしたの?」 柾樹 「えぇと……ですね」 俺は、ここまでの経緯を話してみた。 美都    「───……それは、どっちも悪いワ」 悠季美   「そんなっ!どうしてわたしが……!」 美都    「まず、自分の気持ちに素直になってないのヨ。        自分の心を曲げてまですることじゃないワ」 悠季美   「……そんなこと言われたって……!」 美都    「どうしようもないのは解るワ。アタシにもそんな経験あるからネ」 柾樹&悠季美『…………え?』 ほぼ同時に疑問に思う。 なんか解ってほしいような、ほしくないような……。 美都 「好きで好きでどうしようもないんデショ?」 悠季美「……そっ……!…………そんなこと……」 美都 「自分の気持ちに嘘はついちゃイケナイワ。     気持ちがカワイソウじゃないの」 悠季美「………」 美都 「いい?自分の気持ちに気づいてあげられるのは他でもない、自」 コンコン。 ドアがノックされる。 声  「あ、あの……マスター?お客様が……」 そして聴こえる声。 美都 「やかましい!今、大事な話中なんじゃい!     とっとと追い出して看板下げてこんかい!!」 声  「は、はいっ!!」 悠季美「………」 柾樹 「………」 美都 「ゴメンナサイネ?あの子ったら気がきかなくて」 逆らったら死亡せんばかりの男らしさだった……。 美都 「さあ、お話の続きだけど……。     話してたら喉乾いちゃったワネ。さ、飲んじゃって」 柾樹 「は、はぁ……」 悠季美「………」 悠季美はヤケになったように、ぐいっと一気飲みをした。 美都 「あ……」 柾樹 「え?」 美都 「……ン〜ン、なんでもないワ」 柾樹 「……?」 俺もぐいっと飲み干す。 美都 「………」 なんだろうか。 明氏が俺と悠季美を交互に見て……見……て……!? 柾樹 「うぅっ……?」 頭がクラクラしてきた。 柾樹 「あの……ま、まさかこれ、アルコール……」 美都 「くだけた方が話しやすいデショ?」 柾樹 「いや、俺はともかく悠季美は……」 美都 「解ってるワヨ。そんなに強い物じゃないから安心して」 柾樹 「へ?ど、どうして知って……」 美都 「鷹志ちゃんの娘だもの、予想はつくワ」 ……どこまで俺達のことを知ってるんだこの人は……! 美都 「ちょっとした同級生だったのヨ。だから、凍弥ちゃんも知ってるワ」 ちゃ、ちゃん……って……。 美都 「ついでに、いつも息子がお世話になってるワネ」 柾樹 「はい!?む、息子っ!?」 美都 「情報に詳しい男の子、予想つかない?     もっとも、アタシが離婚しちゃってからは光子の方に預けっぱなしだけど」 柾樹 「……ま、ままままさか……!?」 悠季美「………」 柾樹 「刹那……!?」 美都 「そ、刹那ちゃんよ」 柾樹 「じゃあ!もしかして全部つつぬけ……とか!?」 美都 「やァね、そんなスパイみたいなことしないワヨ」 柾樹 「……はふぅ」 悠季美「あはは……子が子なら、親も親ですね……」 柾樹 「おいっ、そんな言い方ないだろ?」 悠季美「だってそうじゃないですか!情報情報って、人のプライベートを調べて!」 美都 「………」 悠季美「しかも……人の悩みに付け込んで……!     人の気持ちなんか考えてもくれない……っ!!     そんな人をどうやって解れって言うんですか!」 美都 「あの子が悩みに付け込むようなことをしたの?」 悠季美「わたしは……っ!     わたしは本気で悩んでたのに……っ!!それなのに……!」 ふいにこぼれた涙の雫。 それが悠季美の手に弾ける。 美都 「………」 ガタン。 明氏が席を立つ。 美都 「……ちょぉっと、待っててネ?」 柾樹 「え?何処に……」 美都 「───狩りだ」 そう言った彼の中に、確かな殺意を感じた。 美都 「あのガキ、ブチノメーション……!!」 そう呟きながら、部屋を出てゆく明氏。 柾樹 「………」 恐い。 ハッキリ言って恐すぎる。 と、そんなことを思っていたその時だった。 声  「あ!親父!郭鷺、見かけなかっ」 声  「こんガキャァアアアアッ!!     わしの悠季美ちゃんを泣かせやがって何様のつもりじゃおんどりゃあっ!!」 声  「うぇっ!?いやちょっ……待ギャァアアアァァァァァァッ!!!!」 ドンガラガッシャンドカバキゴワシャァアアアアアン!! 絶叫とともに聞こえる騒音。 俺は心の中で刹那の冥福を祈った。 しばらくして、ドアが開く。 美都 「お・ま・た・せ♪」 満面の笑顔だった。 先ほどまで喧騒があった街は、今は静まりかえっている。 柾樹 「あ、あの……何が?」 美都 「うん?ああ、ちょっとバカ息子が来たから、     勘当のジェノサイドパーティーをネ」 ちなみにドアの向こうからは物音ひとつしない。 俺はもう一度、冥福を祈った。 柾樹 「それはそれとして……」 美都 「そうそう」 柾樹 「悠季美、お前どうするつもりだったんだ?」 悠季美「………」 柾樹 「やっぱり、出ていくつもりだったんだな?」 悠季美「……柾樹さんには関係ないでしょう?」 悠季美は酔っているようで、ハッキリと言葉を唱えた。 柾樹 「なんだよ、その言い方」 悠季美「別に、普通です」 柾樹 「何を怒ってるんだよ」 悠季美「怒ってません」 柾樹 「怒ってるだろう!?」 悠季美「怒ってません!」 柾樹 「じゃあなんなんだよ!さっきからピリピリして!」 俺も自分自身で歯止めが効かなくなってきた。 思ったことが考える間もなく口に出る。 悠季美「だからあなたには関係ないでしょう!?」 柾樹 「関係あるんだよ!幼馴染として放っておけるか!」 悠季美「幼馴染……?だから何だって言うんですか!?     幼馴染ならその人を心配しなくちゃいけない、     そんな義務でもあるって言うんですか!?」 柾樹 「何を意地になってるんだよ!んなこと言ってたら何も信じられなくなるぞ!」 悠季美「……ええ、そうでしょうね!     わたしはもう誰も信じたくないんですよ……!みんな……みんな大ッ嫌い!」 柾樹 「───このッ!」 悠季美「…………っ!!」 俺は反射的に手を振り上げた。 それとともに、悠季美がビクッと身を強ばらせる。 柾樹 「………馬鹿たれ……」 ぴしゃっ。俺は手の勢いをゆるめて、軽く悠季美の頬を叩いた。 悠季美「……?」 脅えた表情で、 目には涙を溜めた悠季美が静かに顔をあげる。 柾樹 「……そんな、悲しいこと言うなよ……」 そう言って、いつかしたように悠季美を抱き寄せた。 悠季美「……っ……て……だってぇ……!!」 腕の中に居る悠季美がしゃくりあげる。 悠季美「……恐いんだもん……っ……!     信じることが……裏切られる……ことがぁ……」 柾樹 「悠季美……」 悠季美が溜めた涙を流しているのだろう。 肩に染みる感触を覚える。 悠季美「……あの時みたいに……裏切られたら……!     わたし……わたし……ふ……ぅえぇぇ……」 ついには、泣き出してしまった。 『あの時みたいに』 その言葉に、さっき頭を霞めた記憶の霧が集結してゆく。 それは昔のこと。 まだ幼くて、難しいことなんて考えられない蒼い季節。 悠季美がまだ、誰とでも遊べた日常。 ……そう。 悠季美が男性に対して恐怖や嫌悪感を憶える前。 思い返せば返すほど、胸が焼けるような思い出。 そして、悠季美が初めて泣いたあの日……。 ───……蒼い季節。 それはもう随分と前の景色だった。 移りゆく季節はいつも同じで、僕らはただ楽しく笑っていられれば良かった。 つまずいて転んでも笑っていられたあの季節。 見る物全てが新鮮で、僕らは景色という景色を記憶に焼き付けていた。 楽しい思い出。 面白い想い出。 そして……辛い思い出さえも。 子供の記憶は駆け出したばかりで、目に映る物…… そして、起きたことを鮮明に記憶に焼き付けた。 そのため、いつまでも引きずってしまう人も少なくない。 悠季美もそんな人の中のひとりだった。 ───その季節は夏のように暑くて、だけど心地良い風の吹く秋だった。 見上げた空はどこまでも青くて、その綺麗な景色を僕はいつも見つめていた。 子供だった僕達は純粋で、疑うことを知らなかった。 ただ、それだけだった。 だけど、たったそれだけのことがいけなかった……。 ───……ある日のことだった。 近所に引っ越してきた男が居た。 やさしくて、格好よくて。 俺はそんなあの人のようになりたいと憧れていた。 そして、その人は悠季美の初恋の人でもあった。 どこにでもよくあるような、他愛ない話だ。 ただ、それだけでは終わらない話。 初恋だったのかどうかは、俺が完全に知る術はない。 だけど、子供なりに真剣だった筈だ。 だからこそ、悠季美は今……泣いている。 純粋すぎたんだ。 それがいけなかった。 事の始まりは、こんなことだった。 よく晴れた朝だったのを憶えている。 そんなありきたりな日常。 だけど、問題はここからだ。 悠季美「わたし、啓介兄ちゃんのお嫁さんになるの」 そんな、子供ならよく言うような言葉。 そんなことを毎日のように言っていた。 そしてある日。 悠季美が僕に相談してきた。 悠季美「柾樹ちゃん、わたしね?啓介兄ちゃんのお嫁さんになりたいの」 柾樹 「……知ってるよ、何回も聞いてるもん」 悠季美「違うもん。今度は本気の本気だもん」 柾樹 「えっと……それを言いたくて呼び出したの?」 悠季美「違うよ、手伝って」 柾樹 「え?」 悠季美「どうすればお嫁さんにしてもらえるか訊いて?」 柾樹 「……僕が?」 悠季美「うんっ」 柾樹 「………………やだ」 悠季美「え〜?お願いだから〜」 柾樹 「やだったらやだ」 悠季美「……あのこと、バラすよ?」 柾樹 「あのこと?なにそれ」 悠季美「柾樹ちゃんが来流美お母さんのお酒を」 柾樹 「わっわっわっ!解ったからっ!」 悠季美「うん、お願いね」 柾樹 「うー……」 そんなことの後、僕は馬鹿正直に啓介兄ちゃんの家を訪ねた。 もちろん、お嫁さんの条件を訊くためだ。 啓介 「ん?どした?」 柾樹 「えっとさ……。     啓介兄ちゃんのお嫁さんになるには、どうすればいいのかな」 啓介 「……あぁ〜あ、あのしつこ……あ、い、いや、悠季美ちゃんのことか」 柾樹 「……え?ん、そうだよ」 啓介 「……そうだなぁ。へへっ、それはなぁ」 柾樹 「う、うん……」 僕は、啓介兄ちゃんが時々見せるこの表情は恐かった。 啓介 「指輪は必需品だな。     そんじょそこらの安物じゃないやつだ。それと…くくっ、ラブレターとか?」 柾樹 「……らぶれたー?」 啓介 「あん?なんだ、そんなもんも知らないのかよ」 柾樹 「う、うん」 啓介 「ラブレターってのはな、     好きな奴に自分の気持ちを書いて、手紙にして送るものだ」 柾樹 「へぇ〜……」 啓介 「んじゃぁ、俺は勉強しなきゃいけないから、出てってくれな」 柾樹 「え?う、うん……」 部屋から出る。 その瞬間の啓介兄ちゃんの、あの面倒くさそうな顔は絶対忘れない。 啓介兄ちゃんの家を出ると、悠季美が待っていた。 悠季美「どうだった?ねぇ?どうだった?」 柾樹 「……えっと……」 その時、僕は話すべきかどうかを悩んだ。 そんなことは初めてだった。 何か、嫌な予感がしたからだ。 悠季美「早くっ、教えてよぉ!」 だけど、悠季美は啓介兄ちゃんが好きなんだよな。 自分の両親が幸せだから、自分も幸せになれると信じて疑わなかったのだろう。 柾樹 「えっとね、安物じゃない指輪と、らぶれたーっていうやつが必需品だって」 悠季美「ひつじゅひん?なにそれ」 柾樹 「絶対にいるものってことなんじゃないかな」 悠季美「それがあれば、結婚できるの?」 柾樹 「……そう……なのかな」 もう一度、あの顔を思い出す。 あの面倒くさそうな顔。 それと、面白い遊びをしているような顔。 柾樹 「……やめとこう、こんなこと。ね?」 悠季美「どうして?」 柾樹 「どうしてって……」 悠季美「わたしね、お父さんとお母さんみたいになりたいの」 柾樹 「……無理だよ、きっと」 悠季美「そんなことないもん!」 柾樹 「だって、指輪なんてないんだよ?」 悠季美「……う……えっと……。そうだ、お母さんの指輪!」 柾樹 「それは駄目だよっ!」 悠季美「どうして?」 柾樹 「あれは真由美お母さんの大切な物だよ!?」 悠季美「啓介兄ちゃんならあとで返してくれるよ」 柾樹 「……違うよ。違うんだよ悠季美ちゃん……」 悠季美「もうっ、わたしの邪魔しないでよぉっ」 柾樹 「あ……」 悠季美ちゃんは、僕の言葉なんて聞きもぜずに走っていってしまった。 ───……翌日。 真由美さんの大切な指輪が消えた。 僕はその原因を知っている。 だけど、どうすることも出来なかった。 ……その日の昼。 僕は橋の近くで遊んでいた。 その下は河原のようなものがあり、僕はこの場所が嫌いじゃなかった。 しばらく遊んでいると、聞き覚えのある声が聴こえた。 声  「───ほんっと、馬鹿らしいよなぁ」 声のする方を覗いてみる。 そこに居たのは……啓介兄ちゃんと、その友達のような人だった。 啓介 「マジに指輪とラブレターだぜ?笑っちまうよ」 男  「今時ラブレターなんてなぁ。言う方も言う方だが、書く方も書く方だぜ」 啓介 「『わたしをお嫁さんにしてください』だってよ。もう聞き飽きたっつーの」 男  「なぁ、俺にも見せてくれよ」 啓介 「ああ、こんなダセェもんでよかったらな」 男  「自分で言っといて、よく言うぜ」 啓介 「モテる男はつらいぜ?親の方達のご機嫌もとらなきゃならねぇし」 男  「ギャハハハ!違いねぇ!」 ………… 柾樹 「…………っ!!」 初めて、怒りという感情を覚えた。 あいつはただ、僕達の親の目を気にして、僕や悠季美と一緒にいただけだったんだ。 啓介 「しっかし、綺麗な指輪だよなぁ」 男  「売ったらいくらくらいになると思う?」 啓介 「おっ!俺も同じこと考えてたところだ。     どうせ無くなった罪はあのガキにくるんだ。     ま、俺は今日中に引っ越すし、いいこづかい稼ぎになったってところだぜ」 柾樹 「……おいっ!」 僕はもう、我慢ならなかった。 啓介 「ゲッ!お前……」 男  「知り合いか?」 啓介 「ああ、近所のガキだよ」 柾樹 「指輪を返せっ!」 啓介 「あぁ?なに寝言言ってんだよ。     これは俺のだぜ?あのガキに手渡されたんだからなぁ」 柾樹 「違う!それは真由美さんのだっ!」 啓介 「ん〜なもん知るかよ。     勝手に持ってきて、勝手に怒られるのはあのガキだろ?」 柾樹 「くぅっ……返せっ!」 啓介 「ウゼェなっ!」 突っ込んで行ったが、ひょいと避けられた。 啓介 「テメェには関係ねぇだろうが!あぁ!?」 柾樹 「関係あるんだっ!悠季美ちゃんは僕の大事な友達だっ!」 啓介 「チッ!美しい友情だ……なっ!」 ドカッ!! 柾樹 「うっ!」 脇腹を蹴られる。 啓介 「今時、こんな古くさい頭の奴がいるとウゼェんだよなぁ。     今は流行の時代だぜ?もっとハジケろよ鬱陶しい」 男  「おいおい、あんまやると後で親がうるさいぞ」 啓介 「かまうかよ。     どうせ今日でここともおさらばなんだ。     今までくだらねぇおママゴトにつき合ってやってやってたんだ」 柾樹 「……うぐっ……うぅ……」 啓介 「おぉ?泣くか?ダッセェ男だ───なァッ!」 柾樹 「……!!」 僕は最後の抵抗をした。 迫ってくる足を小さな腕で掴み、そして噛みついた。 啓介 「いってぇっ!こ、このガキィッ!」 ドガッ!! 柾樹 「かふっ……」 腹部に激痛が走る。 啓介 「人が優しくしてりゃあつけあがりやがって!!」 ガスッ!ドカッ! 男  「お、おい……!落ち着けよ……!」 柾樹 「ケホッ……あ……うぁ……」 啓介 「……ムナクソ悪ィ!」 柾樹 「……返せ……指輪……!」 啓介 「……!!」 その場を去ろうとしたそいつは怒った顔で近づいてきた。 啓介 「いいこと教えてやろうか?お前の大事なお友達について」 柾樹 「…………?」 啓介 「そいつ、今日俺に告白してきてなぁ」 柾樹 「………」 啓介 「『お嫁さんにしてください』って言うからな、俺はこう返事してやったんだ」 目の前の男が笑う。 啓介 「そんなもんごめんだね、ウゼェんだよお前。     ガキがダセェことしてんじゃねぇよ、ってなぁ」 柾樹 「───!!」 啓介 「その時の顔、お前にも見せてやりたかったぜ!     思いっきし笑えたからなぁ!ギャハハハハ!!」 柾樹 「……くそぉ……!!」 啓介 「差し出されたラブレターのひとつ、目の前で破り捨ててやったぜ?」 柾樹 「───ぁあああっ!!」 その時、僕の中で何かが切れた。 ……気づいたときには目の前の男に殴りかかっていた。 ベチッ! だけど、僕は弱くて。 啓介 「……テメェ、いい加減にしろよ」 ドボォッ!! 柾樹 「───うぇ……っ!!」 どうしようもなく弱くて…… 啓介 「おやおや、弱いナイト様だ」 すぐ目の前ある指輪を取り返すこともできなくて…… 柾樹 「う……ふぐぅぅ……」 啓介 「おいおい、泣いてるぜこいつ!ダッセェ〜!ギャハハハハ!!」 自分がどうしようもなく惨めで……泣くことしか……。 啓介 「そんなにこの指輪が欲しいなら探してきなっ!」 男は指輪を川に向かって放り投げた。 柾樹 「あ……ぅ……」 僕はそれを取ろうと、身を返す。 ポチャッ。 軽い音をたてて、指輪が川に消えた。 柾樹 「あっ……」 僕は痛む体を庇いながら、川まで走った。 近寄り、眺めてみた川は広くて、何処に落ちたのかさえ解らなかった。 啓介 「オラ、んなとこからじゃ見つけられねぇだろ?ホレ、行けよっ!」 ドンッ! 柾樹 「うあっ……!」 男に蹴り飛ばされ、僕は川に落ちた。 柾樹 「ぷあっ……ケホッ……!!」 啓介 「おいおい、見ろよアイツ!溺れてるぜ!?     この川浅かったんじゃなかったか?」 柾樹 「……あ……」 啓介 「ギャハハハハ!馬鹿みてぇっ!腹痛ぇぜまったく!」 男  「おいおい、そのへんにしとけよ」 啓介 「わぁってるよ。これでラストだ」 そう言って、あいつは悠季美ちゃんのラブレターを手にし…… ビリィッ!ビリッ!グシャグシャッ! ……僕の目の前で破り捨てた……。 柾樹 「あ……あぁあ……!!」 啓介 「ん〜じゃぁな、弱いナイト様!」 ……何も出来なかった。 立ち去る男を前に、僕は何もすることが出来なかった。 浅い川の水に震えながら、僕は泣くことしか出来なかった。 流れる悔し涙は止まらなくて…… 息が出来なくなるほどに込み上げる嗚咽が苦しくて…… 川を流れてゆく幾つもの紙きれを眺めながら…… 僕は、ずっと泣いていた……。 ───……どれだけそうしていただろう。 秋に流れる川は冷たくて。 僕はその冷たさに震えながら、せめて指輪だけでも、と……川の中を探っていた。 夕焼けに赤く染まってゆく川の水面を、僕は必死になって揺らしていた。 だけど…… 掬いあげるものは全てがゴミばかりで、僕の手に感覚など残っていなかった。 指先は投棄されたビンのガラスで切れ、血が流れていた。 だけど、痛みすらも感じなかった。 流されてしまったんだろうか。 そう考えた僕はその場を立ち、川から出て、少し歩いた。 だけど足は力を無くし、からまった。 ……ドサッ。 その結果、僕は転んだ。 柾樹 「…………は……あはは……」 その瞬間、どうしようもなく惨めになって笑った。 泣きながら笑った。 自分が情けなかった。 だから、僕は自分をけなすように笑った。 その笑い声は次第に治まり、いつしか嗚咽へと変わっていた。 ───僕は泣いた。 誰も居ない河原に、無様に倒れながら。 結局、自分はなにも出来なかったんだ。 勝手に相手をいい人と思い込み、そうなりたいと幻想を抱いて。 その挙げ句がこれだ。 ……馬鹿みたいだ。 声  「……柾樹?」 ふと、声が聴こえた。 柾樹 「………」 その時、そこに現れたのは仕事帰りの叔父さんだった。 凍弥 「どうしたんだ?びしょ濡れじゃ───」 僕は側に来た叔父さんに抱きつき、そして泣いた。 思いきり。 凍弥 「ど、どうしたんだ?なにかあったのか?」 ただ、悔しかった。 何も出来なかった自分が。 弱い自分が。 だから……僕は泣いた。 泣いたんだ。 その日は本当に、いろいろなことがいっぺんに起こりすぎて、 僕にとってはいい思い出にはならなかった。 やがて泣き止んだ僕は、叔父さんに今日起きた出来事を話した。 すると叔父さんは迷うことなく川へ入り、一緒に指輪を探してくれた。 それからしばらくして。 指輪は先の先の方で発見された。 見つけた時は水びたしになりながら、ふたり揃って思いきり笑い合った。 そしてその格好のまま、家に帰っていないという悠季美を探し、街中を駆け回った。 息が切れるほど。 だけど、なんの手がかりも掴めないままに帰宅した。 溜め息を吐きながら、叔父さんの家の中の自分の部屋に戻る。 すると……自分のベッドが異様に盛り上がっているのを確認した。 僕は叔父さんを呼んで、その盛り上がった布団を矧ぎ取った。 案の定、そこに居たのは悠季美だった。 頬や目に涙の跡を残しながら、泣き疲れて眠っていた。 既にこの時から悠季美がこの部屋に来る癖が出来ていた。 僕と叔父さんは苦笑しながら悠季美を静かに起こし、 指輪をその手の平に置いてやった。 すると悠季美は僕と叔父さんを指輪を交互に見た後、 僕と叔父さんに抱きついてきた。 涙と嗚咽に震えるその口から出る言葉は、『ありがとう』と『ごめんなさい』。 そのふたつだけだった。 ───その後。 鷹志さんや真由美さんには僕から事情を話し、許してもらった。 悠季美は純粋だった心を無惨に否定され、その原因である男性を嫌うようになった。 ……いや。 恐がっている、と言った方がいいな。 信じて裏切られる恐さを知ってしまったんだ。 それが初恋の相手ならば尚更だ。 その為に、人を完全に信用しないようになってしまった。 口調も丁寧語になり、人との干渉を避けるようになった。 だけど、あの時。 指輪を見つけてきた俺と叔父さん。 そして親である鷹志さんには心を許してくれている。 けれど、その奥にある不安が消えることはないのだろう。 純粋だったからこそ、その傷は深いのだから……。 ───……その後のことだ。 確か小学校高学年の時のこと。 ふと思い出し、あの男の話をしてみた。 すると一目でそうであると解るほど、 悠季美の顔にはっきりとした怒りが見てとれた。 まだ吹っ切れていない。 いや、吹っ切れることなんてできないのだろう。 悠季美は弱い子だから。 だけどそれを精一杯隠しながら、元気に今を生きている。 ……でも、それでもその辛さは自然と溜まってゆく。 いつかそれは限界まで膨らみ、やがて爆発する。 不安や苦しみが溢れ、制御できなくなるんだ。 だから何かに頼らないと崩れてしまう。 精一杯頑張っても、どうにもならない時があるように。 だから誰かがそれを支えてやらなければならない。 そして悠季美は、その頼る場所に俺を選んだ。 だけど俺は差し伸べられた悠季美の手を払ってしまった。 俺は悠季美ではなく、夕を選んでしまったから。 だから………… 柾樹 「……落ち着いたか?」 悠季美「……うん、ごめんね……」 取り乱し、過去を思い出した悠季美の口調は、 飾らないあの頃のままの口調だった。 悠季美「………………」 柾樹 「………………」 ……沈黙。 悠季美「あっ、あの───」 柾樹 「あのなっ───あ……」 …………。 ほぼ同時に言葉を放ち、相殺してしまう。 美都 「微笑ましいワ」 こっちは真剣なんです。 悠季美「……さ、先に言って……ください」 柾樹 「……口調、無理しなくてもいいんだぞ……?」 悠季美「いいんです、これで……」 柾樹 「………」 悠季美「本当に好きになった人には、     飾らないままの、偽らないままのわたしでありたかったけど……。     でも、あなたには夕ちゃんがいます」 柾樹 「悠季美……」 悠季美「本当は誰にも取られたくないんです。     ずっと一緒にいたい。でも……わたし、わがままだから……」 柾樹 「悠季美っ、あ、あのな?」 俺は自分の中に現れ、溢れた言葉を口にようとした。 美都 「……甘いワ!」 ───が、邪魔される。 悠季美「えっ……?」 美都 「悠季美ちゃん?アナタの想いはその程度だったの?     どうして遠慮ばかりで、進むことを考えないの」 悠季美「進む……?」 美都 「そう、アナタは遠慮しているだけヨ!     恐がっているだけ!     幼馴染のままなら裏切られることがないって、     そう思い込んで逃げてるだけだワ!!」 悠季美「あ……」 呆気にとられて、明氏を見る悠季美。 美都 「好きなら好き。最後まで諦めちゃダメヨ。     せっかく、そんなに想ってるんだから」 柾樹 「……あ、あの……?」 美都 「一途に相手を想って、時には強引に行きなさい。     それと、もっと自分に自信を持ってネ。     せっかくこんなに可愛く生まれたんだから……」 悠季美「……ありがとう……ございます……っ」 悠季美は涙をこぼしなが笑顔を見せると、静かにその場に泣き伏せた。 随分と見ていなかった、蒼い季節のあの笑顔。 その笑顔が戻ったような気がして、俺はなんだか嬉しかった。 美都 「……柾樹っちゃん、モテるわねェ」 柾樹 「ふたりとも、見る目が無いんデショ」 俺は明氏の口調を真似てみた。 美都 「ルックスも悪くないし、性格もイイし。     そしてなによりも、やさしいじゃないノ」 柾樹 「性格については……約一名、意地悪と唄う者がおりますが」 美都 「そこがまたイイんじゃなァ〜いのぉ〜ン♪」 柾樹 「それに俺、やさしくなんか……。     弱いし、相手の気持ちも解ってやれなくて……。     いつも人を傷つけてばっかりで……」 美都 「………」 柾樹 「……あの、どうかしましたか?」 なんか、明氏の瞳が潤んで────── 美都 「んんマァアアアアッ!!なぁんていいコなの柾樹っちゃぁぁああん!!」 柾樹 「えぇっ!?今の話でどうしてそうなギャアア!」 美都 「相手のことをよく考えてる証拠じゃないノ!」 柾樹 「え!?いや、だから、俺はそんなんじゃ───」 美都 「アアんモウ!カワイイ!!カワイイワ!もうチューしたげるわ!!     ハァア!ラ、ラブリィッ!うぉお!ラブリィイッ!」 グワシィッ!!と捕まる。 振り払おうとしたが、ビクともしない。 恐ろしく、そしておぞましいパワーだ。 柾樹 「ひえっ!?いやちょっ───やややめて!!     ぎぃやぁああああああああああっ!!!!」 美都 「ンン〜……」 柾樹 「ヒ、ヒィイイイイイイイイイ!!!」 悠季美「だっ───だめっ!!」 柾樹 「ゆ、悠季美ぃっ!」 美都 「ムチュ?」 悠季美「わたしの柾樹さんに手を出さないで!」 柾樹 「うわっ!?」 バッ!と、悠季美に引き寄せられる。 悠季美「柾樹さんは……柾樹さんはわたしの……!!」 美都 「……ンフ♪悠季美ちゃん、アナタのその行動を待ってたワ」 なにやら満面の笑みを見せながら、子供の成長を見届ける親のような顔をする明氏。 美都 「……いい顔してるワヨ、悠季美ちゃん」     瞳が生き生きとしてるワ。それぞまさしく恋する乙女の瞳ヨ……」 悠季美「恋……」 美都 「さあ、アナタはアナタの恋を貫きなさい。     障害なんてブチノメーションなのヨ」 悠季美「……は……はい……」 柾樹 「……お〜い」 なにやらふたりの世界が展開されている。 空気が乙女チックだ。 悠季美「柾樹さん」 柾樹 「ハヒョウッ!?な、なななんだ!?」 悠季美「わたし、負けないよ。     たとえ柾樹さんが夕ちゃんを好きでいても、     わたしはわたしの愛を貫くことにした……」 柾樹 「悠季美……?お、お前……口調が……」 悠季美「柾樹さん、大好きっ」 ガバァッ! 柾樹 「うわっ!?こ、こらっ!抱きつくな!」 悠季美「いやだもん」 柾樹 「子供かお前はっ」 悠季美「側にいれるなら子供でもいいの。絶対、離れないから……」 柾樹 「えぇっ?あ、あのなぁ……!」 美都 「アナタの成長が見れて嬉しいワ、悠季美ちゃん」 柾樹 「だぁあっ!勘弁してくれぇえええっ!!」 最近、めっきりいいことがない。 そんなことを常々に思う、とある夏の季節だった。 Next Menu back