───弱さを受け入れること/軟派浮浪豆捕り物帳───
……自分の弱さは決して嫌いじゃなかった。 むしろ、弱さが自分を支えてくれるのだと思っていた。 今の僕は弱さが象ったもの。 それでもいいと思っていた。 だけど、逃げてばかりじゃいけない時がくる。 それは、自分が誰かの支えになる時だと思っていた。 ……そんな時がくるのかと、疑問にも思った。 幼い頃から、考えることはいっぱいあった。 その中から自分なりの答えを探して歩いてきた。 発せられる言葉は薄っぺらで、それでも心に染みる。 思うことは誰にでも出来た。 喋ることを否定する人も居なかった。 だけど、その先に進むための一歩は、僕には遠かった。 世界は真っ黒で、その先に何があるのかも解らなかった。 でも…………。 その度に、幼かった僕の耳には声が聞こえていた。 心が道に迷うと聞こえる暖かい言葉。 その声はまるで、自分の中の弱さが記憶しているように、心の中から聞こえていた。 …………。 柾樹 「………?」 目を開ける。 そこにはひどく滲んだ天井があった。 どうやら泣き疲れて寝てしまったらしい。 マンガの悲劇の少女じゃあるまいしとも思ったが、 それは自分が弱いからなんだろうと思った。 自分にすら言い訳をするのはもうやめよう。 そうやって、ひとつずつ終わらせていけばいい。 ふと時計を見ると、一時間くらいが経過していた。 柾樹 「………あまり経ってないな」 その割には、ひどく永い夢だった。 柾樹 「よっ……と」 ベッドから跳ね起き、コンポを止める。 机から手鏡を取り出し、自分の顔を見てみる。 柾樹 「……あれ?」 その目は赤くなっていた。 いや、それよりも俺は、涙を拭った跡に違和感を覚えた。 ……気のせい、だよな。 寝返りしたときにでも腕とかで拭ったんだろう。 大体、部屋の鍵は閉めてある。 入ってこれる人なんて居ないしな。 柾樹 「……目薬でもつけておくか」 赤い目が気になり、目薬をさす。 柾樹 「きたぁあああああああああっ!!」 ズビーッ!と、身体が唸りをあげる。 ……別に深い意味は無く、寝起き後の伸びをした時と同じ感覚だ。 柾樹 「よし、目覚めは快調かもしれない」 小さくガッツポーズを決めると、俺は部屋を出た。 そこで悠季美に遭遇する。 悠季美「……あ、丁度良かったです」 そう言う悠季美に向き直る。 悠季美「目……赤いですよ?」 柾樹 「寝て起きて目薬使ったらこうなった」 悠季美「そ、そうですか……」 柾樹 「で?どうかしたのか?」 悠季美「え……と、ちょっと時間、いいですか?」 柾樹 「ここでいいのか?」 悠季美「えっと……」 キョロキョロと周囲を確認する。 悠季美「……いえ、外で話ましょう」 柾樹 「ん、解った」 俺と悠季美は階下へ降りて、そのまま外へと出た。 玄関のドアを開け放った先の景色は、まだ暖かさを保っていた。 柾樹 「んっ…………!!」 その情景の下で俺は大きく伸びをした。 空にはまだ赤は無かった。 柾樹 「まだ夕日も出てないんだな……」 ポツリと呟いた。 悠季美「今年の天気は随分と良心的ですね」 柾樹 「そうだな」 空を見上げる。 その空はかつての蒼い季節のように、そこにある心を見せているようだった。 柾樹 「……っと、そうだ。お前の用事ってなんなんだ?」 思い出し、悠季美に向き直る。 悠季美「え?あ……」 すぐに答えは返ってくると思ったが、悠季美は言い渋った。 どうやら深刻な話みたいだ。 柾樹 「………」 俺は悠季美が話すのを待った。 その間にあった時間はとても長く感じられた。 悠季美「……あの」 けれど、やがて悠季美が口を開く。 俺は悠季美の目を見て、次の言葉を待った。 悠季美「……柾樹さん」 柾樹 「……ん?」 悠季美「わたし、あの日から考えてたんです」 柾樹 「あの日?」 悠季美「……服屋さんでの……その……」 ……あの日、か。 悠季美「時間を貰ったのもそのためです」 柾樹 「そのためって?」 悠季美「……このままじゃいけないって……そう思ったんです」 柾樹 「いけないって、何がだ?」 悠季美「……いつまでも、男の人を恐がってるわけにはいかないって……」 柾樹 「………」 悠季美「だから、その……えっと……」 柾樹 「……うん」 悠季美「あの………………」 必死に言葉を繋げようとするが、その続きが出てこない。 柾樹 「………」 その続きがどんな言葉なのかは解っている。 だから……。 柾樹 「……いいよ」 悠季美「えっ……?」 柾樹 「手伝ってほしいんだろ?」 悠季美「あ、あの……っ」 何かを言おうとする悠季美の頭に手を乗せ、撫でてやる。 柾樹 「いいんだって、解ってる。     お前がどれだけ辛かったかも、どれだけ頑張ってたかもさ。     だから、俺にその手伝いをさせてくれ」 悠季美「あ……、あ……」 柾樹 「遠慮することないんだよ。……幼馴染だろ?俺達さ」 悠季美「はい……っ、はい……!」 悠季美は涙をこぼしながら、頷いた。 柾樹 「それじゃ、早速いってみますかぁっ!」 悠季美「───……え?」 悠季美の顔が戸惑いに変わる。 悠季美「行くって?」 柾樹 「刹那の家」 悠季美「ええっ!?」 悠季美が驚いた。 柾樹 「奴は奴で、責任感じてるだろうし……。     まあ、償いのチャンスってものでさぁ姐サン」 悠季美「………」 心底嫌そうな顔をする。 柾樹 「あのなぁ……一体、どうやって男嫌いを治すつもりだったんだ?」 悠季美「そ、それは……」 柾樹 「治療法なんて俺も知らない」 悠季美「ですよね……」 柾樹 「だから、思い付く限りのことを試してみようと思ったんだ」 悠季美「………」 柾樹 「やらずに後悔はするな。やって後悔しろ。     受け売りだけど、説得力は相当なものだぞ」 悠季美「凍弥さん、ですか」 柾樹 「まあ……そうだな」 悠季美「……解りました」 柾樹 「じゃあ、行くか」 悠季美「はいっ」 気合いを入れて、刹那の家を目指す。 ……その途中。 柾樹 「彼奴め、家に居るだろうな」 悠季美「そればっかりは解りませんよ」 柾樹 「確かに」 悠季美「で、具体的にはどういった方法を?」 柾樹 「実戦訓練」 悠季美「……………………はい?」 柾樹 「まず、男に触れることから慣れるんだ」 悠季美「なんか、嫌な響きですね」 柾樹 「触れることもできないのは誰だ」 悠季美「……うぅ……」 柾樹 「まあ、そういうわけですから。     それでは!悠季美ちゃん男性恐怖症克服の旅路!レッツらゴー!!」 悠季美「もう出てます」 柾樹 「……言うな」 なんというかまあ、そんな出だしだった。 パーンポーン。 インターホンを押す。 程無くして…… 声  「どちらさんで?」 刹那の声。 柾樹 「ハンバーグラー」 刹那 「なにィ!?」 ズバン!とドアが開く。 刹那 「……なんだ、お前かよ」 思いきりに溜め息を吐かれる。 刹那 「今日は何の用だ?電話じゃないなんてめずらしい」 柾樹 「ちょっとな。ホラ、隠れるなって」 刹那 「?」 悠季美「あっ、ちょっと……引っ張らないでくだっ……」 刹那 「……いいっ!?」 刹那が数歩、思いきり後退する。 刹那 「かっ……かかかかっ……!!かしっかかか……郭……鷺……っ!?」 真っ青。 そして真っ赤にも似た、類を持たない表情で口をパクパクさせている。 柾樹 「魚類かお前は」 刹那 「俺はアメフラシが好きなんだ」 柾樹 「魚類か?」 刹那 「微妙だ」 柾樹 「で、用というのも他ではない」 刹那 「というと、ここでしかない物なのか。限定品だ」 柾樹 「悠季美の男性恐怖症の克服を試みようとな」 刹那 「で、何故に俺の家に」 柾樹 「用があるのはお前であって、家じゃない」 刹那 「そりゃそうだ」 柾樹 「出られるか?」 刹那 「カツアゲか。あいにくだが金は出せない」 柾樹 「どこに耳をつけている」 刹那 「お前と同じ場所だ」 柾樹 「そうだな。いいからちょいと出てくれ」 刹那 「解った、着替えてくるから、お待ちになってて」 柾樹 「あ、別にそのままでいい。遠出をするわけでもない」 刹那 「そうか?いい服が手に入ったから見せようと」 柾樹 「いらん」 刹那 「うう……ひどいわダーリン」 柾樹 「クネクネするなっ!」 刹那 「まあまあ、じゃあ行こうか」 刹那がパーティに加わった。 刹那 「パーティ!?会場は何処ぞ!!」 柾樹 「幻聴に耳を傾けてないで、行くぞ」 俺達は刹那を引き連れ、公園を目指した。 ───……丘の上に居る。 刹那 「……あの〜……」 途切れた丘。 森を抜けたその先にある、俺のとっておきの場所。 刹那 「お〜い……」 声がした。 その方向へ向き直る。 刹那 「どうして俺、木に縛り付けられてるワケ?」 その姿は異形だった。 柾樹 「人の話はちゃんと聞け。克服のためだ」 刹那 「いや、だからどうして俺が縛られて」 柾樹 「内容知ったら逃げるだろうし」 刹那 「あの、お兄さん。ひとつ質問」 柾樹 「なんデショ」 刹那 「痛い仕事ですか?」 柾樹 「どうしてほしい?」 刹那 「否定して」 柾樹 「ダメ。肯定」 刹那 「ギャアア!!」 柾樹 「だ〜いじょうぶだって。運が良ければ川で帰れる」 刹那 「川!?何!?なんなのっ!?」 柾樹 「お前におじいちゃんおばあちゃんは居るか?」 刹那 「いや……俺が小さい頃に他界してるけど……」 柾樹 「だったら大丈夫だ!」 刹那 「何が!?」 柾樹 「きっと止めてくれる」 刹那 「川!?止める!?老夫婦!?ま、まさか……俺が死ねる!?」 柾樹 「大丈夫、骨は拾ってやる」 刹那 「ま、待って!お待ちになられて兄さん!」 柾樹 「だめだ」 刹那 「ギャア!!血も涙もネェズラ!!」 柾樹 「悠季美の男性恐怖症克服のためだ!漢を見せィ!」 刹那 「あ、あたい女でいいっ」 柾樹 「文部省が許しても、今この場で俺が許さん」 刹那 「イヤァアア!女に生まれたかったわぁああ!!」 柾樹 「こうして、お前も実の父親のようにオカマになるのか」 刹那 「───ハッ!!」 刹那がハッとする。 刹那 「……馬鹿にするな!俺は男だ!」 柾樹 「その言葉を待っていたぞ!」 刹那 「センキュー柾樹!目が覚めたぜ!!」 柾樹 「よし!それでこそ漢ぞ!……じゃあ、早速……悠季美」 悠季美「はい」 悠季美が準備する。 刹那 「待って」 柾樹 「うおう?どうした?」 刹那 「心の準備が」 柾樹 「駄目だ」 刹那 「即答!?」 柾樹 「大丈夫、死にゃ〜せんて」 おどけて言ってやる。 刹那 「既に死活問題になっているじゃないですか」 柾樹 「死にはしないと言っているんだ。生存は保証するぞ」 刹那 「つまり、良くて半殺しなんですねトニー」 柾樹 「そういうことだマイコー」 刹那 「……どの道逃げられんし……。っしゃあ!!ドンと来いアンソニー!!」 悠季美「誰がアンソニーですか」 柾樹 「まあまあ、早速いってみよう」 悠季美「どうするんですか?」 柾樹 「触るだけでいい」 悠季美「……は、はい」 悠季美の手が、おずおずと刹那の頬に触れた。 ───前略、お袋さま。 先立つ不幸をお許しください。              ───刹那─── 悠季美「……動かなくなりましたけど」 柾樹 「流石の刹那も10連コンボには耐えられなかったか……」 ただでさえ痛いからなぁ……。 柾樹 「ならまず、服を掴むくらいから始めよう」 刹那 「最初っから……そう……しろドア……ホゥ……」 カタコト風に刹那が喋る。 柾樹 「生きてたか」 刹那 「生命の神秘」 悠季美「服……ですか」 刹那 「あぁあっ!!待て待て!!俺に名案が」 柾樹 「駄目だ」 刹那 「0.2秒!?って、話くらい聞けっ!!」 柾樹 「よし、悠季美が手を出しそうになったら、俺が押さえよう」 刹那 「ああっ、俺が言おうとしたのにっ」 柾樹 「嘘はイカン」 刹那 「嘘じゃねェズラ!!」 柾樹 「何語だ」 刹那 「ゴル語」 柾樹 「スナイパーかお前はっ!!」 悠季美「あの……」 柾樹 「おっと、悪い悪い」 刹那 「罪悪感が少しでもあるなら、これ解いて」 柾樹 「駄目だ」 刹那 「うぅ……ちくしょう……」 さて、気を取り直して……と。 柾樹 「さあ、やってくれ」 悠季美「は、はい……」 刹那 「………」 刹那はおびえている。 悠季美の攻撃。 悠季美は刹那の服に触れた。 悠季美の精神にクリティカルヒット。 防衛本能でクリティカルビンタが発動。 俺はそれを押さえた。 ……つもりだった。 見事に遅れ、刹那にクリティカルヒット。 刹那を倒した。 経験値2を獲得した。 柾樹 「強敵だった……って倒してどうするっ!!」 刹那 「ふ……ふふふ……川が見えるぜトニー……」 悠季美「どうして押さえてくれなかったんですかっ!!」 柾樹 「おのれが早すぎるんじゃぁっ!!」 刹那 「男弁を駆使してないで少しは心配しろコラ」 柾樹 「駄目だ」 刹那 「それすらも拒否ア〜ンド即答!?」 柾樹 「じゃあ、続きを」 刹那 「ま、待て……俺にも選択権くらい」 柾樹 「無ェザマス」 刹那 「ギャアアア!!」 柾樹 「今度はあらかじめ悠季美の腕を押さえておこう」 刹那 「おお、暮らし安心」 意味不明だった。 ───前略、お袋さま。 先立つ不幸をお許しください。              ───柾樹─── 刹那 「まっ、柾樹ぃいいいっ!!」 柾樹 「……うぅ……暴走すると我を忘れることを見事に忘れていました……」 押さえたまではいいが、見境無くした悠季美サンが今度は俺に襲いかかった。 結果、俺はマット……もとい、草原に散った。 柾樹 「と、いうわけで」 刹那 「タフだな」 柾樹 「このくらいの耐久力が無いと、あの家では生きてゆけんのだ」 刹那 「そ、そうか」 柾樹 「今度は悠季美の腕を縛ってみました」 片方のロープの端を腕に縛り、もう片方を木に縛り付ける。 刹那 「……誰かに見られたら、とてつもない誤解を招きそうだぞ」 柾樹 「……………………確かに。     まあ、悠季美のビンタは右手から発動するから     縛ってあるのは右手だけだし、触れたと思ったら離れればいい」 刹那 「……恐いぞ」 柾樹 「自分の反射神経を信じろ」 刹那 「お、おう」 自由を得た刹那が、悠季美に近づく。 柾樹 「悠季美」 悠季美「……はい」 ゴクリと息を飲み、悠季美が手を伸ばす。 そして、刹那の肩に触れる。 悠季美「───!!」 そして発動。 刹那 「ヒィィッ!!」 刹那は身をひるがえした。 悠季美のビンタが宙を裂く。 しばらく脅えたような様子が続き、元にもどる。 悠季美「………」 刹那 「………」 刹那がもう一度近づく。 悠季美がビクッと身を震わせる。 だが、手を伸ばし、肩に触れる。 ……悠季美は必死だった。 自分の弱さを克服しようと頑張っている。 ブンッ!! 刹那 「ヒィッ!!」 刹那も必死だった。 必死に攻撃を受けまいと、身を翻してゴパァアァン!! 刹那 「ギャゥッ!!」 刹那が大地に沈んだ。 刹那 「た、たいみんぐがぁああ……」 ピクピクと痙攣している。 柾樹 「おお、刹那!死んでしまうとは何事じゃ!」 刹那 「勝手に殺すなっ!!」 刹那が復活した。 柾樹 「生きてたか」 刹那 「あたぼーよ!この俺がどうして死ねる!」 柾樹 「あ、後ろ」 刹那 「なにぃ!?ギャアアア!!」 ゴパァアアン!! 刹那が大地にゴシャァと沈んだ。 柾樹 「何をしている!そんなことでは世界は狙えんぞ!」 刹那 「いつから……俺は世界を目指してたんだ……」 カタカタと痙攣しながら言う。 柾樹 「知らん」 刹那 「……すまんな餃子、俺は死ぬかもしれん……」 柾樹 「なかなかの通と見た」 刹那 「こうでなきゃ情報屋などやってられん」 彼は胸を張って答えた。 その姿はまるでボロ雑巾のようだった。 ……ふと、悠季美を見てみる。 柾樹 「………」 症状を克服できない悔しさからか、少し震えている。 柾樹 「……ほら、悠季美」 俺は悠季美の側に寄り、声をかけた。 柾樹 「深呼吸深呼吸」 悠季美「………」 悠季美は黙ってそれに従う。 大きく息を吸い、そして吐く。 柾樹 「……落ち着いたか?」 悠季美「………」 無言で首を横に振る。 確かに、この程度で落ち着けるのなら誰も苦労はしない。 柾樹 「いいか?ゆっくりとだ。心を落ち着かせるんだ。     溜め息を絞り出すように吐け」 悠季美「………」 絞り出すように息を吐く悠季美。 柾樹 「………」 ……やっぱり、妹みたいなもんだよな。 なんかこう、手がかかるけど、放っておけなくて……。 悠季美「……あ」 俺はごく自然に、悠季美の頭を撫でていた。 柾樹 「今度はどうだ?落ち着いたか?」 撫でながら、苦笑気味に訊いてみる。 悠季美「……はい」 悠季美の顔を覗いてみる。 悠季美「な、なんですか……?」 横を向いてしまった。 だけど、さっきまでとは表情が違う。 これならきっと大丈夫だろう。 柾樹 「じゃ、刹那。悪いけど頼む」 刹那 「えっ!?あ、ああ、あああ……」 柾樹 「大丈夫、なんとかなる気がするんだ」 俺の言葉に小さく頷き、刹那が悠季美に近づゴパァン! ───結果から言うと、駄目でした。 柾樹 「刹那!刹那ぁあああっ!!」 刹那 「じいさんや……ワシャもう永くねェ……」 ふと気がつけば轟音が轟き、彼は大地に沈んでいた。 柾樹 「悠季美ぃ……」 俺は半ば呆れて、彼女の名前を呼んだ。 悠季美「落ち着いたくらいで直せるならわたしだって苦労はしませんよぉっ!!」 なるほど、正論だ。 柾樹 「ということで、お前が悪い」 刹那 「お、俺かっ!?俺が悪いのか!?」 まあ、やっぱりこうなってしまうわけか。 でも…… 柾樹 「刹那」 刹那 「な、なんだ……?」 俺は刹那にだけ聴こえるような小さな声で話し始めた。 柾樹 「お前さ、必要以上に脅えすぎなんだよ」 刹那 「な、なにがだ?」 柾樹 「悠季美にだよ」 刹那 「そんなことは……」 柾樹 「いいや、誰が見たって脅えてるって解る」 刹那 「うー……」 柾樹 「もっと楽に接してやってくれ。     敵視するんじゃなくて守ってやるくらいの気持ちでさ」 刹那 「敵視なんて……!俺は……別に……」 柾樹 「だったら、出来る筈だ。余計なことは考えずに、普通にさ」 刹那 「………」 しばらく考えこみ、刹那は立ち上がった。 その姿は落ち着いていて、周囲まで落ち着かせるような雰囲気が含まれていた。 そして悠季美にゆっくりと近づいてゆく。 悠季美は少しビクッとしていたが、やがて静かに手を伸ばし、そして…… 柾樹 「あ……」 その光景はとても自然だった。 そこにそれがあることが当然のように思わせる。 そしてゆっくりと。 夏に流れる小川を眺めているような景色の中で、やがてゴパァン! ……刹那が大地に沈んだ。 柾樹 「アイヤーッ!?」 俺は笑いを堪えながら、刹那に駆け寄った。 刹那 「だッ……!!駄目じゃないかァーッ!!」 刹那が唸る。 柾樹 「貴様には絶対的に欠けているものがある」 刹那 「なにィ!?」 柾樹 「それはやさしさだ」 刹那 「俺は年中無休でやさしいぞ」 もっともらしく頷く。 さすがは俺の友人だ。 柾樹 「さあ、これを使え」 刹那 「なんだこれは」 柾樹 「バファリンだ」 刹那 「いらん」 柾樹 「やさしさが増量するぞ」 刹那 「薬ならドーピングもいいとこだ。そんなものは断じていらん」 柾樹 「紳士な奴よ」 刹那が立ち上がる。 刹那 「それに、俺も解った気がしたんだ」 柾樹 「何が?」 刹那 「郭鷺、必死になって頑張ってる。だから俺も中途半端な協力じゃいけない。     どんなことでもやってやりたくなったんだ」 柾樹 「……おい、それって」 刹那 「あ、最初に言っておくけどな。勘違いするなよ?俺の心は美希子さんの物だ」 柾樹 「……誰かを助けようと思ってる時に他の誰かのことを考えるなよ、雑念だぞ」 刹那 「……そうだな。これじゃあまだ中途半端だ」 そう言うと、刹那は目を閉じた。 刹那 「………」 なにやらブツブツと言っている。 近づいて、聞いてみることにした。 刹那 「……俺は美希子という人など知らん……。     俺は美希子という人など知らん……俺は美希子という人など……」 柾樹 「…………」 自己暗示というやつだ。 だが、そんなものでなんとかなるのだろうか。 柾樹 「………」 いや、こいつは結構単純に出来てるからな。 効果は期待できるかもしれない。 それなら…… 柾樹 「……お前は悠季美を守ってやりたくなる……。     お前は悠季美を守ってやりたくなる……お前は悠季美を守って……」 刹那の暗示に合わせて、耳打ちしてやった。 刹那 「………」 すると、刹那の動きが止まった。 ……バレたか? そう思うや否や、刹那が歩きだす。 その先には悠季美。 悠季美が身を震わすが、刹那はそのまま歩いた。 そして、手を差し伸べる。 刹那 「………」 その手が悠季美の肩に触れる。 悠季美「───いやっ!!」 それと同時に、刹那は叩かれた。 柾樹 「お、おい刹那っ!?」 慌てて駆け寄るが、刹那がそれを手で制す。 刹那そして立ち上がり、悠季美に手を伸ばす。 その度に刹那は叩かれ、それでも立ち上がった。 それを何回、何十回も繰り返した時。 悠季美「……もうっ……もうやめてくださいっ!!」 悠季美が叫んだ。 悠季美「これだけやってダメならどうせ治らないんです!」 それは諦めと同時に、悲痛を感じさせる叫びだった。 刹那 「……そんなこと、言うなよ」 その言葉を否定するように、刹那が口を開く。 既に頬は腫れあがり、口の中を切ったのか、口から血が出ている。 刹那 「恐がる必要なんて、どこにもないんだ。     だから、諦める必要だってどこにもない。     俺はキミを裏切らないよ……」 悠季美「ふざけないでっ!口ではなんとでも言える!     簡単に割り切れるなら誰も悩んだりしないっ!」 悠季美の声はかすれ、涙声になっていた。 口調も戻って、その言葉にどれだけの想いが込められているのかを痛感させた。 刹那 「……だから、諦めるのか?」 刹那が低い声で言葉を放つ。 悠季美「……!」 刹那 「キミはそれを本当に望んでいるのか?」 悠季美「………」 悠季美は何も言わなかった。 ……いや、言えなかったんだろう。 刹那 「もっと素直になればいいじゃないか。     治したいから頑張ったんだろ?諦められないから一度で止めなかったんだろ?」 悠季美「そっ……それ……は……」 悠季美が声を震わせ、視線を逸らす。 刹那 「信じることまで諦めたら、それこそ誰も信じられなくなる。     そうなりたくないから頑張ろうと思ったんだろ?……違うか?」 悠季美「…………」 悠季美は下を向いたまま、首を横に振った。 刹那 「……だったら歩かなくちゃいけない。     誰でも手は貸してやれるけど……最初の一歩は自分で踏み出すんだ!」 柾樹 「………」 俺は黙ってその景色を眺めていた。 刹那の言葉には、その場限りの嘘は無く、悠季美のためを思って喋っている。 ……こんな奴だったかな、こいつ。 もしかして、暗示効果……か? 悠季美「……わたし……わたしに、出来るかな……」 やがて、今まで黙っていた悠季美が口を開く。 刹那 「……キミが望むなら、訊くまでもないだろ?」 悠季美「わたし……また、笑ってもいいのかな……」 刹那 「笑う行為に資格や権利なんて無いよ」 悠季美の不安を打ち消すように、刹那は言い放った。 悠季美「……はいっ」 そして、少女は微笑んだ。 そして自分の力で歩き出し、刹那に抱きついた。 ───……までは良かったんだけど。 柾樹 「せっ……!!刹那ぁああああっ!!」 彼は結局、大地に沈んだ。 刹那 「なぁ友よ……。空ってこんなに綺麗だったんだなぁ……」 掠れた声で少年は呟いた。 悠季美「ご、ごめんなさい!ごめんなさいっ!」 悠季美が頭を必死に下げている。 刹那 「……いや、いいんだ。これであの時のことも少しは償えただろうか…」 悠季美「え?……あ……」 あの時のこととは多分、悠季美が相談しようとした時のことだろう。 刹那 「あの時は本当にゴメン……。俺、自分のことしか考えてなかった。     郭鷺が怒るのも当たり前だ……」 悠季美「………」 刹那 「あれからずっと、何かの力になれれば、って……そう思ってた」 刹那は後悔を念を口にするように、淡々と話し始めた。 刹那 「だから、今日こうして力になれることが俺にとっては本当に嬉しいことだった。     ……でも、それ以上に恐かったりもした。     『叩かれるのは嫌だな』って思ってた」 柾樹 「刹那……」 刹那 「でも、きっと郭鷺の方が痛かったんだ……って。     必死で悩んでたのに利用されそうになって、     本当に痛かったんだろうなって、思った。     俺も解るから……。解ってた……筈なのに……」 ふと、刹那の瞳に涙が溜まった。 それを慌てて拭うと、刹那は再び話し始めた。 刹那 「……もう知ってるだろ?俺の親父とおふくろ、離婚したんだ」 ……知っている。 父親から直々に聞いたことだ。 刹那 「……俺は、幸せだったんだ。ただ親父とおふくろが居るだけでさ。     子供の頃、ふたりが笑い合う光景が好きで好きでたまらなかった……」 再度、刹那は涙を拭った。 刹那 「でも、その幸せも中学を卒業する前に壊れた。     仕事仕事で、俺をほったらかしにした、     してないなんて些細なことから波紋は広がった。     確かに家に帰っても誰も居ないことが悲しかった。     ふたりを恨んだりもした。だけど……だけどな……?」 だけど、拭っても拭っても、その涙は止まらなかった。 刹那 「そんなふたりをひとりで待つことが、     俺にとっては大切な日常だったんだよ……!」 流れる涙に腕を押し付け、もう拭おうとはしなかった。 刹那 「疲れて帰ってきたふたりに『おかえりなさい』って言って、     そしたらふたりとも疲れてるのに笑ってくれて、     俺に言ってくれてたんだ……。     『ただいま、刹那』って……!それなのに……それだけが嬉しかったのに……」 刹那の声はもう、嗚咽だった。 こみ上げる涙を押さえようとしても、出来ないでいた。 刹那 「みんな無くなっちまったんだ……。俺の守りたかったものが……」 少年は泣いていた。 彼も、どこにでもあるような幸せを望んでいた。 そして、その願いがずっと続くことはなかった。 人の人生は必ず幸せに終わるとは限らない。 ……人が生きる時間は、多くて百年弱。 とはいえ、この残りの人生の中、再びその幸せが戻ることは無いのだろう。 だとしたら、その人は何を励みに生きればいいのだろう。 柾樹 「………」 ……その答えは解らなかった。 だけど、いま刹那に言うことの出来る言葉はあると思う。 柾樹 「刹那ぁあああっ!」 ドフッ! 刹那 「ぐぅっ!?……な、なにすんだよっ!」 俺のフラッシングエルボーを腹に受けた刹那が声を出す。 柾樹 「いや、当てやすそうだったから」 刹那 「時と状況を考えてやれよ馬鹿っ」 さすがに泣いていた人への攻撃は危険だ。 なんたって気が立っている。 まあそんなことはいい。 柾樹 「刹那、俺達……友達だよな?」 刹那 「……は?」 柾樹 「そうだよな?」 刹那 「あ……あぁ」 柾樹 「なら、今の人生状況の中で幸せを求めてみるのも悪くないんじゃないか?」 刹那 「………………お前、意味解ってるか?」 柾樹 「おうともトニー」 悠季美「柾樹さんに賛成です」 刹那 「……おまえらなぁ……ぷっ、あははははっ!」 刹那は何かを言おうとして吹き出した。 柾樹 「何がおかしい!」 とりあえずツッコんでおく。 刹那 「いや、悪い悪い、あんまり真剣に言うんで笑っちまったよ」 柾樹 「……真剣にもなるさ」 俺は呟いた。 俺にも大切な日常が消える日が近づいている。 そう考えたら、俺も刹那と同じなのかと考えた。 大切な日常が消える。 それは叔父さんも経験していることで、 その話を子供の頃から聞いていた俺にとって、それはとても身近なことだった。 だから、黙っていることなんて出来なかった。 刹那 「……ありがとな、柾樹」 刹那は笑ってみせてくれた。 刹那 「じゃあ、帰るか」 悠季美「もうちょっと付き合ってください」 立ち上がりながら言う刹那へ、悠季美が言う。 刹那 「まあまあ、今日のところは解散解散!」 ポンポンと俺と悠季美の背を叩く。 悠季美「嫌ですよ、あと少しで克服出来そうなんです」 柾樹 「…………あれ?」 刹那 「…………おう?」 俺と刹那はほぼ同時に首を傾げた。 そして顔を見合わせる。 柾樹 「もしかすると……」 刹那 「……もしかするかも……な」 刹那がポム……と、悠季美の頭に手を置く。 悠季美「なっ、なんですかっ、なにを………え……っ?」 悠季美も気づいたようだった。 柾樹&刹那『よっしゃぁあああっ!!』 俺と刹那は、スパァン!と手を弾き合わせた。 柾樹 「やったぜトニー!」 刹那 「オーライマイコー!」 悠季美「わたし……治ったんですか……?」 刹那 「はい握手」 刹那が悠季美の手を軽く握り、上下へ揺らした。 しかし、ビンタは飛んでこない。 柾樹 「卒業おめでとう、アンソニー」 俺はささやかではあるが、拍手を贈った。 悠季美「誰がアンソニーですか」 しかし、冷静にツッコまれる。 柾樹 「悠季美ちゃん、ノリ悪い」 刹那 「こういう状況で茶化すような発言は厳禁さ」 柾樹 「場を和ませたかったんだ」 刹那 「和んだか?」 柾樹 「いえ、作戦は見事、失敗に終わりました」 少し悲しい瞬間だった。 柾樹 「なにはともあれ、おめでとう悠季美」 悠季美「はいっ」 悠季美は相当に喜んでいた。 刹那 「じゃあ、今度こそ帰りますか。それでは皆様!お手を拝借!!」 悠季美&柾樹『嫌です』 ほぼピッタリのタイミングだった。 柾樹 「グッドテイスト」 悠季美「美味しいですか?」 柾樹 「知らん」 刹那 「馬鹿やってないで解散しましょうよ皆様」 柾樹 「何を言うかアルティメット馬鹿!事の発端は汝ぞ!」 刹那 「これでも俺は善人で通っている」 柾樹 「どこらへんを?」 刹那 「駅付近にある『トリトン通り』を」 柾樹 「お前はそこに居ると善人になるのか」 刹那 「ああそうだ。そこを通った途端、やさしさが俺の毛根から」 柾樹 「それはもういい」 刹那 「えっ?なにがだ?」 柾樹 「いや、こっちの話だ」 刹那 「まあいいか。じゃあな、俺は先に上がらせてもらうよ」 柾樹 「用事でもあったのか?」 刹那 「……あのなぁ、俺が年中無休で暇してると思ってたのか?」 柾樹 「悪い、思ってた」 悠季美「一体、何をしでかす気ですか?」 刹那 「しでかすって……既に悪行扱いですか」 柾樹 「で?何をするつもりだ」 刹那 「別に何もしない。ただ豆村と会う約束をしててね」 豆村……どこまでも元気な奴よ……。 柾樹 「しかし、彼奴は捕まっていた筈だが」 刹那 「ああ、それなんだけどさ、教師が便所行ってる隙に逃げたとか……」 さすがだ、豆村……ただでは終わらん……。 柾樹 「悠季美さん」 悠季美「柾樹さん」 俺と悠季美は顔を見合わせた。 柾樹 「お供するよ刹那」 悠季美「左に同じ」 刹那 「なにしに?」 柾樹 「もちろん実験」 悠季美「です」 うんうんと頷く。 刹那 「実験って……もしかして豆村でも大丈夫かと?」 悠季美「わたし、不安なんです。だから、今の内にいろいろ試してみた方が……」 刹那 「……じゃあ、一緒に来るかい?」 悠季美「行くと言いましたけど」 柾樹 「耳の悪い奴め」 刹那 「お黙り」 とりあえず談笑しながら待ち合わせの場所へ向かった。 場所はそう遠くないらしい。 その言葉の通り、待ち合わせ場所とやらには大した間も無く辿り着いた。 そして、既にそこには豆村の姿。 刹那 「おーい、豆」 柾樹 「待たれよ」 豆村を呼ぼうとした刹那を押さえる。 刹那 「なにかな?」 刹那も雰囲気さながらに返す。 柾樹 「良い作戦を考えましたぞ、殿」 刹那 「むう、申してみよ軍師」 柾樹 「任せろ」 実に変な会話だった。 柾樹 「まず、悠季美をそこらへんに配置します」 刹那 「うむ」 柾樹 「その際、悠季美には髪型を変えてもらって……」 刹那 「ふむふむ」 柾樹 「で、豆村と合流した刹那が悠季美を発見、報告」 刹那 「ふんふん」 柾樹 「そして豆村にナンパを実行させる」 刹那 「ギャア!」 柾樹 「ここで注意だ。お前は豆村に言うべきことがある」 刹那 「どんなだ?」 柾樹 「『ナンパの成功例はまず、肩をポムと叩くことにあり』とな」 刹那 「……なるほど、それにより、効率よく実験出来るというわけだな」 柾樹 「相手が悠季美だと解ったら、豆村はビンタを恐れて近づこうとしないだろう」 刹那 「なるほど、ナイスアイディア」 柾樹 「誉め称えろ」 刹那 「断る」 悠季美「上手くいきますかね」 柾樹 「いくさ。さて……ちょっとごめんな。よ……っと」 悠季美「え?わっ、きゃぁっ!!」 悠季美のヘアバンドをひょいと外した。 悠季美「返してよ!」 標準語になった。 柾樹 「お前はヘアバンドで性格が変わるのか」 悠季美「知らないわよっ」 柾樹 「だが返さん。このミッションが終わるまでの辛抱だ」 悠季美「郭鷺家の娘はヘアバンドを外すと、そこの娘じゃいられなくなるの!」 柾樹 「何処かで聞いた話だな」 悠季美「もうっ……、お父さんが言ってたのっ。なんかの本を見ながら……」 柾樹 「ちなみにタイトルは?」 悠季美「確かキン肉」 柾樹 「解った、もういい」 言い途中の悠季美を遮り、予想通りの答えを打ち切った。 悠季美「訊いてきたのに、いきなり打ち切らないでよ」 柾樹 「ままま、いいじゃござあませんの。準備はいいか刹那、悠季美」 悠季美「……解った、やればいいんでしょ」 刹那 「よし、ドンとこい」 柾樹 「作戦名:ジェノサイド豆村さん!各自、実行されたし!!」 悠季美「了解」 刹那 「おうっ、っていうか、殺る気満々だなぁ」 ふたりが小走りに配置に着く。 フフフ、豆村め。 覚悟するがよかとです……。 刹那 「よっ、豆村」 その一言で、ミッションはスタートした。 豆村 「おう、遅かったな刹那」 刹那 「何を言う、お前が早かったんだ」 豆村 「そうなのか?それにしても……」 刹那 「ん?どうした」 豆村 「見ない内に男前になったな」 豆村の言う通り、刹那の顔は腫れている。 刹那 「……俺は漢を貫いたのだ。これはいわば、その勲章でもある」 豆村 「紅葉型の勲章か。大した勲章だなトニー」 刹那 「やかましい、ほっとけ。そしてさっさと忘れろ。……で、これからどうする?」 豆村 「もちろん宣言した通り、極秘キッチョムテープを」 刹那 「まあそれは置いとくとして」 豆村 「置くのか」 刹那 「置いとけ」 豆村 「涙を飲もう。で?他に何かあるのか?」 刹那 「……うむ、時にビーンよ」 豆村 「誰がビーンだ」 刹那 「まあまあ、お前は青春を満喫しているか?」 豆村 「してるぞ。花の無い青春だが」 刹那 「そんな貴様に吉報だ。今からナンパに繰り出さないか?」 豆村 「なにぃ!?」 豆村が驚いた。 豆村 「ナナナナンパというとあの、女性に声を掛けて仲良くなるアレか!?」 刹那 「いや、難破」 豆村 「大海原での遭難!?」 刹那 「いや、前者だ」 豆村 「どっちだこの野郎」 刹那 「方向から言うと、回りやがれ右」 豆村 「こっちか?」 豆村が回りやがれ右をする。 ……どういう言葉だ。 豆村 「!!」 まあとりあえず、その先には後ろ姿の悠季美が居た。 豆村 「…………美女の香り!!」 豆村の鼻は敏感で有名だ。 刹那 「さあ行け!己の青春を花咲かせるのだ!」 豆村 「うっしゃぁああああっ!!行ってくるぜ義兄さん!」 刹那 「誰が義兄さんだ」 そのツッコミを無視し、奴は走った。 よし、作戦通りだ。 あとは悠季美の行動を暖かく見守るだけだ。 豆村 「我に希望を!」 小さく叫び、豆村の手が悠季美の肩に触れる。 言われなくても実行してくれるとは。 さすがは豆村だ。 豆村 「ヘ〜イ、カ〜ノ」 そして、悠季美が振り向く。 豆村 「ジョォオオオオオオオオオオオオオッ!!??」 豆村、絶叫。 その顔は正に地獄を見ていたようだった。 その後の出来事といったら、それはステキな物でした。 結論から言えば、ビーンは大地に沈んだ。 刹那 「……駄目、だったなぁ……」 柾樹 「………………そうだなぁ……」 しみじみと呟く。 その風貌はあたかも、縁側で緑茶をたしなむ老人のようだった。 悠季美「……すいません、ちょっと失礼します」 悠季美が刹那の手を掴む。 悠季美「………………平気、ですね」 柾樹 「う〜む……」 刹那 「なにが悪かったんだか」 柾樹 「多分、ビーンが欲望のままに走ったからじゃないかな」 刹那 「郭鷺は、それを本能的に読み取ったと」 柾樹 「奥が深い」 うんうんと頷く。 悠季美「じゃあ、気絶している今なら……」 柾樹 「おお名案」 刹那 「ささ、どうぞ」 悠季美「………」 緊張した面持ちで、悠季美がビーンに触れる。 悠季美「…………ぃゃっ!!」 途端、小さな悲鳴を上げた悠季美が、 ビーンにドゴンッ!とトドメを刺す。 …………ガクリ。 死んだ。 柾樹 「………ぬ、ぬお……お……、ひでェ……」 今度は悲鳴を聞くまでもなく、ビーンは沈黙した。 悠季美「……だめですね……」 悠季美がうなだれる。 柾樹 「えぇと?つまり……」 刹那 「……俺が許容範囲に加わった、と……ただ、それだけのこと?」 柾樹 「……みたいだなぁ」 悠季美「………」 実に微妙だった。 男性恐怖症は直ってなかった。 俺と刹那は、開いた口が塞がらないでいた……。 帰路を歩む。 刹那 「……な〜んだったんだろうなぁ、俺の苦労」 柾樹 「いいんじゃないか?一応殴られずに済むんだし」 刹那 「プラス思考ってやつですな。でもさ、もう一生分くらい殴られた気分だぞ」 悠季美「……ごめんなさい」 悠季美はさっきからとても落ち込んでいた。 まあ、それも当然かもしれない。 治ったと思っていたものが全然治っていなかった訳だし。 柾樹 「気にするなって」 悠季美「……無理です」 フォ〜ゥォ、と溜め息を吐く。 柾樹 「ほら、プラス思考プラス思考」 悠季美「うー……えぇっと」 柾樹 「………」 刹那 「………」 悠季美「………」 何も浮かばなかった。 悠季美「救われません……」 柾樹 「まあ、一歩前進ということで解決しとこう」 刹那 「おお、ナイスプラス思考」 悠季美「……プラスでしょうか……」 柾樹 「プラスだ。ひとりでも心を許せる人が増えたのだ。     プラスと唱えずなんとする」 悠季美「……そのプラスが無くなるまで、わたしは何回、男の人を殴ればいいんですか」 柾樹 「……数千万回?」 刹那 「いや、案外……億単位にも及ぶかもしれん」 悠季美「……はぁ」 柾樹 「落ち込むなって、俺の例えは世界各国の男を例えた物なんだから」 刹那 「待て、世界各国じゃあ数千万じゃ済まんだろ」 柾樹 「……そうか、過去一億三千万人は日本国内か」 と、なると……考えたくないな。 柾樹 「まあ、少しずつ慣れていきましょうアネさん」 刹那 「うむ正論」 悠季美「徒党を組まないでください」 柾樹 「友情だ」 悠季美「………」 柾樹 「じゃあ、解散するか」 刹那 「ああ、そうだな」 悠季美「そういえば、豆村さんは……」 柾樹 「それなら大丈夫。奴なら公園のベンチに横にしてきた」 刹那 「あたかも野宿している浮浪者のような格好で」 悠季美「……あそこの公園、そういう人を補導してる筈ですけど」 柾樹 「はっはっはっは……マジですか?」 悠季美「はい、間違い無い筈です」 刹那 「………」 柾樹 「………」 丁度その頃、遠くに警報が聴こえた。 柾樹 「………」 刹那 「………」 悠季美「………」 それに次いで聴こえる悲鳴。 柾樹 「何処かで聞いた声だな……」 しみじみと言う。 刹那 「身近でよく聞いた時があるような気がするよな」 本当にしみじみと言う。 悠季美「あの……」 悠季美が口を開く。 柾樹 「……帰ろうか」 それを光の速さで押さえ、極めて冷静に言い放つ。 刹那 「帰宅万歳」 こうして我らの旅は終わった。 何処かで聞いたことのあるような気がしないでもない、 そんな声を背に、我らはそれぞれの帰路を歩いていった。 Next Menu back