───……あたたかな雪の景色の中に居た。 目に映る景色は霧の中に居るように真っ白で、 だけど不思議と不安と恐怖を感じなかった。 むしろ心地よく、俺はその景色に微笑むことが出来た。 そして、その景色の中へと俺は歩いてゆく。 ───その先に待つ、約束の形を目指して─── ───精一杯のサヨウナラ/Promise-約束という名の永遠と終わりの中へ───
───…………風が吹いていた。 どこからここに辿り着いたのかも解らない、孤独な風。 俺の体を撫でるように吹いては軌道を変え、また別の目的地を目指す。 それを繰り返す、やわらかい風だった。 景色がいつもとは違って見えたのは、その風の涼しさからだったのだろうか。 そんなことを、空を見上げながら思っていた。 仰いでいる空。 どこまでも蒼く、その景色は綺麗だった。 今まで散々、飽きるほどに見上げた空が、今では……とても懐かしく感じた。 それも風の涼しさの所為だろうかと、ふと考えてみた。 空はどこまでも蒼く、澄み切っていなければならない。 過去、どこかで聞いたような言葉を思い出してみた。 それは懐かしいことでもあり、悲しいことでもあった。 『警部……俺は彼の言うことが信じられません!』 テレビの中の男が叫んでいた。 そんな景色が、お茶の間風味に展開されている。 その中で、夕がソファーに座ってポテチを食べていた。 それは、本当にどこにでもあるような景色だった。 柾樹 「ただいま」 俺は夕の隣に座り、ポテチを食べた。 夕  「あ、おかえり。何処に行ってたの?」 柾樹 「ん〜……豆村が逮捕される瞬間を見に……な」 実際、見ることはできなかったが。 夕  「ふえ?学校で捕まってたんじゃ……」 柾樹 「逃げてきたらしいぞ」 夕  「……すごいね」 そんなありふれた会話をしながら、テレビを見る。 時間からすると、始まってからそう時間は経っていないようだ。 柾樹 「なんてドラマだ?」 夕  「えっと、アルプスの守護神・刑事」 柾樹 「………」 凄まじい名前だ。 夕  「今日は刑事ドラマスペシャルなんだよ」 そう言って、新聞のテレビ欄を見せてくる。 ……なるほど。 これから約三時間は短編刑事もののドラマがあるな。 三本連続とは……やってくれるぜテレビ局。 柾樹 「……そうだ、夕」 夕  「ふえ?なに?柾樹くん」 柾樹 「叔父さんは帰ってきてるか?」 夕  「あ、えっとね……さっき電話があったよ」 柾樹 「電話?なんて言ってた?」 夕  「あと一時間とちょっとで帰れるから夕食は俺が作る。     だから待っててくれ、だって」 柾樹 「……なるほど。で、仕事場がどこか解ったか?」 夕  「………」 ふるふると首を横に振る。 ……無理か。 少し期待してみたが、それも徒労に終わった。 ……別に労力は使ってないが。 俺は諦めて、ドラマを見ることにした。 ───…………。 …………。 柾樹 「………」 夕  「………」 俺と夕はドラマに没頭し、二本目のドラマを見ていた。 よく『最初を見ると後が気になる』という、言い訳じみた言葉もあるが、これは違った。 それだけ現実味があって、緊迫感もあった。 作り物だと言えばそれで終わりだが、それはシラケる。 状況によって、相応しくない言葉だ。 ……おっと、犯人追撃が始まった。 犯人は車を盗み、路上を走る。 それを追う刑事。 見事なカーチェイスというか、なんというか……。 柾樹 「………?」 なにかを感じ、俺は隣を見てみた。 夕  「…………っ……」 隣……夕を見た時、そこには違和感が存在していた。 さっきまで表情が嘘のように、彼女の顔は蒼白だった。 柾樹 「……夕?」 語りかけても、夕は返事をしなかった。 震えて、汗をかきながら、それでも夕はテレビを見ていた。 まるで、何かの答えを探すように。 柾樹 「おいっ、夕っ!?」 少し声を張り上げた。 それでも、俺の声は届いていないようだった。 ……テレビの中では、犯人が逃げ回り、そして……─── 柾樹 「!?」 横断歩道を渡っていたひとりの男をはねた。 犯人の小さな叫びと、ブレーキの音が鳴り響いた。 やがて、ゆっくりとした世界の中で、はねられた男がアスファルトに倒れた。 ……その男は、 飲物を買ってきますと言って出ていった、若い新米刑事だった。 夕  「……っ……あ……ぁあ……っ!!」 ハッとして、俺は夕に向き直った。 柾樹 「夕っ!?」 夕  「あぁあっ……ぁあああああああっ!!!!」 夕は叫び、頭を抱えた。 柾樹 「夕っ!どうしたんだよ!おいっ!」 俺は呼びかけた。 どうなっているのか解らないまま、それでも呼びかけた。 夕  「私……ッ!わ……たし……は……っ!?」 何かを言っていたようだったが、俺の耳には届かなかった。 そして、その表情は……絶望を秘めた、悲しい顔だった。 夕  「……っ……いやぁあああああああああっ!!!」 夕は再び叫び、俺を突き飛ばして部屋を飛び出した。 柾樹 「夕っ!?」 俺は訳が解らず、呆然とした。 だけど、それをすぐにやめると、慌てて夕を追った。 部屋を出ると、風が吹いた。 通路の先から流れる風だった。 それで、夕が外に出ていったことが解った。 柾樹 「なんだっていうんだよ……!」 靴を履き、外に出る。 ……でも、夕がどの方向に走ったのか俺は解らなかった。 ただ、止まることなんて出来ず、俺は走った。 ………………。 空がうっすらと染まっていた。 俺は帰路を歩きながら、空を見上げていた。 手には花。 帰宅路の途中にある花屋で貰ったものだ。 余ったから、どうぞ。 そんな簡単な言葉の後に、俺の手には小さな花があった。 たった一本だけだったけど、花には代わりない。 せっかくだからと思い、俺は道を逸れた。 向かう場所は───……由未絵が事故にあった場所。 いつからこうしていただろう。 思いから決別することが出来ず、俺はいつも空を見上げていた。 最後に丘に行ったのはいつだっただろうか。 ……あの時、俺は自分の弱さを捨てた筈だった。 現に、俺はあの頃から笑っていられるようになった。 それは心からの笑みだった筈だ。 ……かつて柾樹が願ったように、俺も願ったことがある。 あの丘で、あの雪の降る日に。 それ以来、俺はあの丘に立ち寄ることは無くなった。 強くなることが出来たんだと思った。 だけど、思いは捨てずにいた。 それがあるからこそ、俺は立っていられるのだと思った。 凍弥 「……由未絵……」 好きだった人の名前を呼んでみる。 もちろん、返事はない。 だけど、代わりに…… 凍弥 「───……!」 小さな風が吹いた気がした。 それは俺の背中を小さく押し、何かを促した。 そして、俺は走った。 逸れた道をそのまま。 その先にあるのが何かを知りながら、俺は走った。 やがて見えてくる景色。 いつか見た、あの信号。 信号が示す、蒼い光がやけに眩しく見えた。 ……そしてその先。 こっちに走ってくる人影。 ……それは夕だった。 一瞬、その姿が由未絵に見えたのは何故だろう。 彼女は彼女であって、由未絵じゃないと解っている筈なのに……。 頭に疑問が浮かぶのと同時に、車の走る音が聞こえた。 スピードは落とさない。 ……信号を無視する気だ。 凍弥 「くっ!」 俺は思いきり大地を蹴って走った。 もっと速く。 もっと速く……!! 俺は懸命に走った。 走って……走って……。 そして…… ……───それは、俺の目の前で起きたことだった。 大きなブレーキの音に驚き、夕が道路に立ち止まる。 それでも車は止まれず、ブレーキの音だけが大きく唸って…………。 …………。 小さな花が、音もたてずに地面に落ちた。 それは、俺が手に持っていた筈の花だった。
───……いつか、思ったことがある。 あの時、あの場所で……あそこに俺が居たなら、少女を助けられただろうかと。 そして俺はいつか見上げた空を思い浮かべてみた。 隣に居たのは少女ではなく、ひとりの少年だった。 空はどこまでも遠く、澄み切っていなければならない。 少年はそう言い、微笑んだ。 その先には、僕が求める幸せがあるんだ。 そう続ける少年に対し、俺は困惑するしかなかった。 その言葉も春の日に聞いたきりで、俺の記憶の奥底にずっと眠っていた。 ……だけど、今なら解る気がする。 少年と同じように、俺は日常に幸せを求めていた。 そして空。 空はそこに心があるように、風とともに俺達を見守ってくれていた。 少年が言っていた幸せの意味は、そこにあったのかもしれない。 いつからか始まった、俺が歩き続ける長い季節。 その道のりは長くて、目に見えるものではなかった。 だけど、俺は歩き続けた。 その先に何があろうと、その道の跡に過去が残ることが嬉しかった。 笑っていられることが嬉しかった。 それは過去、少女が願ったこと。 だから俺は目の前にある『未来』を守りたかった。 ───だから、今───
凍弥 「馬鹿っ!!立ち止まるな!!」 ───俺は叫んだのだろう。 スピードを下げず、倒れるように走ったのだろう。 夕  「───凍弥く……っ!」 夕の口が何かを伝えようとした。 けれど俺は、その小さな体を突き飛ばしていた。 ……あとは、全てが霧の中だった。 世界の動きはゆっくりで、その景色の中で俺は夕に微笑んだ…………───
……───霧が、小さく形を作っていた。 それはやがて波紋を広げて大きくなると、 川の流れのようにその場に溶け込んでいった。 その景色はとても綺麗で、見覚えがあった。 いつか見た、懐かしい場所だった……。
…………。 ……。 トン、トン。 …………。 ……。 ……小さな感覚があった。 まるで、肩を叩かれたような感触。 誰かが遠くで俺の名前を呼んでいた。 しばらくすると、その声も遠のいた。 ……が、しばらくすると、近づいてくる足音が聴こえた。 ゴパァン!! 壮快な音とともに、鋭い痛みが俺を襲った。 凍弥 「ってぇなっ!!誰だっ!!」 来流美「あら、ご挨拶ね」 凍弥 「なんだお前か……」 来流美「なぁ〜にが『なんだお前か』よ!さっさと立ちなさいよ!」 凍弥 「んあ?なんだ、なにかあったっけ」 来流美「こっ……この男は……っ!!」 由未絵「凍弥くん、今日は一緒に帰る約束でしょ?」 凍弥 「…………そうだっけ?」 来流美「まったくぅ……!珍しく誘ってきたかと思えばこれだもの……」 凍弥 「待て、授業はどうした。確か先ほど、一時限目をやっていた筈だ」 由未絵「わわっ……じゃあ、ずっと寝てたの……?」 凍弥 「……なにが」 来流美「もう放課後もいいとこよ」 凍弥 「……掃除はどうした」 来流美「もう終わったわ。あんたの席の周辺以外は」 凍弥 「……俺だけ汚いみたいな言い方するなよな……」 来流美「力とはこういうものよ!!」 凍弥 「やかましい!!」 由未絵「け、喧嘩してないで帰ろうよ……」 凍弥 「……フッ、このケンカ、預けとくぜ……」 来流美「望むところよ……」 バチバチと睨み合った。 来流美「今日、バイトのシフト組んであったっけ?」 突然目を由未絵に移し、問いかける来流美。 凍弥 「負け犬め」 来流美「うっさいわね、私は暇じゃないのよ」 由未絵「えっと……ううん、無い筈だよ。今日は私だけだった筈だから」 来流美「あらぁ〜……遊びに没頭しようと思ってたのに」 凍弥 「骨の随まで遊ぶことしか無いのか貴様は」 来流美「あんたよかマシよ」 凍弥 「まあそれは捨てといて」 来流美「せめて置いておきなさいよっ!!」 凍弥 「ひとりじゃ大変だろ?俺も手伝ってやるよ」 由未絵「ふえ……?いいの?」 凍弥 「ああ、暇だしな」 来流美「あっ、あっ、じゃあ……!」 凍弥 「どっかの誰かさんは、大ッ変忙しいらしいから」 わざと『大変』の部分に力をこめる。 来流美「野郎……」 来流美が男らしくなった。 凍弥 「じゃあ、俺はこのまま鈴訊庵に行くから。     忙し〜い来流美さんは先に帰ってください」 来流美「ムッハァーッ!!こんクソガキャ!!     いつか泣かせたるけん、覚えとれやぁああああああああああっ!!」 来流美が吠えて逃げた。 凍弥 「悪は去った……」 由未絵「凍弥くん、あんな言い方……」 凍弥 「……大丈夫だって、あいつも冗談だって解ってるから」 苦笑しながら説明する。 由未絵「……そうなの?」 凍弥 「ああ、なんとなくだけど解るんだ」 由未絵「そっかぁ……」 由未絵が少し納得したような顔をする。 由未絵「…………私もそうなりたかったな……」 凍弥 「え……?」 ……いや、解っている。 これは俺の中の夢にすぎない。 都合のいい、夢だ。 由未絵「……私はね、凍弥くんに他の幸せを見つけて欲しかったよ」 凍弥 「……俺は後悔してない」 由未絵「……うん、そうだよね。凍弥くん、強いもんね……」 凍弥 「………」 由未絵「私ね、ずっと凍弥くんのこと見てたよ」 凍弥 「……ああ、知ってる」 由未絵「夕ちゃんの中に居た時も、ずっと……」 凍弥 「ああ、だから気づくことが出来た」 由未絵「ずっと……一緒に居たかった……」 凍弥 「……解ってる」 由未絵「私は……凍弥くんに生きてて欲しかった……」 凍弥 「……見捨てた時点で、俺は自分が許せない」 由未絵「……解ってる。でも……」 凍弥 「なあ、由未絵……」 由未絵「……え?」 凍弥 「……話したいこと、いっぱいあるんだ。聞いてくれるか?」 俺は少女の涙を拭って、微笑みかけた。 由未絵「……うん、聞かせてほしい」 少女も微笑み、俺達は廊下を歩き出した。 凍弥 「……えっとな……何から話そうか」 由未絵「……アハハッ、相変わらずだね」 凍弥 「言うな。……待ってろ、今話す」 由未絵「丘に行かなくなった時のこと、聞きたいな」 凍弥 「……そうだな」 途中の階段を一歩一歩踏み締める。 それはとても大切な日常のかけらだった。 凍弥 「あの約束の日が過ぎて……桜が咲いて、緑が色をなして、枯れ葉になって……。     そして冬がきたあの日、俺は丘に登った……」 二階につくと、今度は廊下を歩いてゆく。 凍弥 「雪が降っていた……。     その景色は悲しかったけど、何故だがとても暖かかった。     空が見守ってくれている気がしたんだ」 由未絵は俺を見ながら歩き、穏やかに微笑んでいた。 凍弥 「この空は願いを叶えてくれる。俺は何故かそう思った。     ……まるで、空がそう語りかけてくるように、俺はその言葉に暖かさを感じた」 廊下の窓から見える景色は、 かつての景色と何ひとつ変わらなかった。 凍弥 「だから、俺は願った。     俺の弱さを取り除いて、誰かに移してしまってくれ、って」 その景色が懐かしくて、 思わず窓を開けて手を振りたくなる自分がいた。 凍弥 「その弱さが誰の心に移ったのかは解らないけど、     俺の後にあそこに辿り着いた誰かに……それは届いたんだと思う。     まあもっとも、傍迷惑な贈り物だろうけど」 懐かしくて、懐かしすぎて、泣きたくなる自分がいた。 凍弥 「俺の弱さが記憶の幾つかだとすれば、     多分そいつは俺達の夢を見たりするんだろうな」 過ぎ去った季節はあまりにも心に染みて、 取り戻せなかったものがそこにあって、俺はそれが嬉しく思えた。 幻想でもいい。 もう一度この季節に戻れたことを、俺は嬉しく思う。 凍弥 「……楽しかったな」 いつしか、俺はそう呟いていた。 それはとても自然な言葉だった。 由未絵「そうだね、楽しかった……」 やがて、俺と由未絵は目的の場所へと続く廊下に足をついた。 そして、そこで……いつか出会った少年と会った。 少年 「……空は見守ってくれたかい?」 そう言って、少年は微笑んだ。 凍弥 「……ああ、十分すぎるくらいだ……」 俺がそう言うと少年は俺に近づいて、そして擦れ違った。 少年 「空には心が宿っている。とてもやさしい心だ。     願いを叶えたのは幾つもの純粋な心だった。     ……そう覚えていてくれると、うれしいな……」 そう言うと、少年は笑った。 少年 「こんなカタチの再会でごめん。……名前、聞かせてもらえないかな」 凍弥 「へ?───ははっ、あの約束、覚えてたのか。律儀なヤツだな」 少年 「ふふっ、そうだね」 笑い合って、小さな自己紹介をし合った。 そして、少年……蒼木澄音は、俺達が来た道へと消えていった。 凍弥 「……本当に、ありがとう……」 その言葉は、誰に向けたものだったのだろうか。 言葉は空気に散って、音を無くした。 やがて、どちらともなく歩き出す。 そして、その場所は大した間も無く、目の前に現れた。 ここは約束の場所。 いつか交わした約束を果たすために、俺達はここに来た。 ───……お互い、無言だった。 言葉を交わさなくても、お互いの気持ちは解っていた。 だけど、どうしてもこれだけは自分の口で言いたかった。 凍弥 「……遅れてごめんな」 由未絵「あはは……一番に遅れたのは私だよ」 顔を見合わせて、俺と由未絵は笑った。 凍弥 「行くか、由未絵っ」 由未絵「うんっ、凍弥くん」 ───……あたたかな雪の景色の中に居た。 目に映る景色は霧の中に居るように真っ白で、 だけど不思議と不安と恐怖を感じなかった。 むしろ心地よく、俺はその景色に微笑むことが出来た。 そして、その景色の中へと俺は歩いてゆく。 ───その先に待つ、約束の形を目指して───…………
「……なぁ、由未絵……」 「うん……?」 「俺は……精一杯、生きていられたかな……」 「………」 ……少女は答える代わりに、穏やかに微笑んでくれた。 ……俺はそれで十分だった……
───……雪が降っていた。 白黒に染まる空と、真っ赤に染まる大地。 秋になる準備を始めた季節はまだ暖かいのに、 空から幾粒もの白い結晶が揺れ落ちていた。 そんな季節外れの雪を、俺は何度も見てきた。 だけどその雪は冷たくて、空は泣いているんだということが痛いほどに解った。 そして、そんな景色の中。 穏やかに微笑みながら、叔父さんは眠っていた。 それは今までで一番幸せそうな笑顔だったのに。 ……もう、その人が動くことは二度となかった。 Next Menu back