───せめて笑顔で/Memorie of Summerdays───
───……夏の日差しが好きだった。 鬱陶しく思うくらいに暑かったけど、 その日差しの下には色々な思い出があったから。 ……今思えば、あの日常は夢物語だったのかもしれない。 今の現実とは、あまりにかけ離れていて、その季節は嘘のようだった。 ……いっそ、嘘だったら良かったんだ。 そうすれば、こんな結末は無かった。 夢から覚めれば、またみんなで騒がしい朝を迎えて…… 叔父さんが作った料理を食べて、夕をからかって…… そして…… そして………………。 …………。 柾樹 「………」 静かな世界だった。 その場には俺しか居なくて、家の中は、しんと静まりかえっていた。 俺は主を失った家の中でベッドに倒れこみ、空を仰いだ。 ……見えるのは天井。 何をするわけでもなく、ただそれを滲んだ視界で眺める。 ───掛け替えの無い日常だった。 今まで当たり前にあったこと。 今まですぐそこにあったもの。 今まで笑っていられたこと。 そのすべてが、今の俺には無かった。 何に対しても、気力が涌かなかった。 どうしてこんなことになったのか解らなかった。 その中で、ただ、これだけは解った。 ───……夏は、もう終わったのだ……。 ……秋の中旬。 空気の色や、その温もりが消えかける季節。 普通に過ぎてゆく時間の流れを前に、俺もまた歩き出す。 あまり家の中には居たくなかった。 今まで休んでいた学校へ。 それが、俺が起こした久しぶりの行動だった。 教室に辿り着くと、大した間もなく柿が来た。 出席の確認をして、そして去ってゆく。 心遣いかどうかは解らないが、今は誰とも話し合いたくは無かったから。 心のどこかで柿に感謝していた。 ───出席はとったものの、俺は教室を抜け出していた。 柾樹 「……悠季美、居なかったな」 俺が休んでいたように、悠季美もまた休んでいた。 そこに一握りでも『当然』があることで、日常は成り立っていると俺は思う。 だけど、その『当然』を支えている柱が壊れた時。 やっぱり人は何も出来ないでいる。 そう簡単に割り切れれば、そこに苦労は必要無い。 柾樹 「………」 柿崎 「……ここに居たのか」 声に振り向くと、柿が居た。 柾樹 「………」 柿崎 「久しぶりじゃないか、柾樹」 柾樹 「放っておいてくれ……」 今は誰とも話したくない。 柿崎 「まだ閏璃のことで悩んでいるのか?」 柾樹 「………」 柿崎 「霧波川はどうしてる……?」 柾樹 「……仕事をやめたよ。家に居る」 柿崎 「……そうか」 …………。 長い沈黙。 柾樹 「ひとつ、訊いていいかな」 柿崎 「うん?」 柾樹 「……悠季美、一度でも来たか……?」 柿崎 「……いや、来てない」 柾樹 「そっか……」 屋上から見える景色を眺める。 その視界に、悠季美の家を見つける。 なんとか見える悠季美の部屋の窓はカーテンで閉め切ってあり、 見えなくてもその状態が解る気がした。 ……まだ、泣いているんだな……。 柿崎 「そろそろ昼だ。どうだ?一緒に飯でも食うか?」 柾樹 「…………いや、食べようとしても喉を通らないから……」 柿崎 「……いいから食べろ。お前、やつれてるじゃないか」 柾樹 「……ハハッ、寝不足だよ、ただの」 柿崎 「ほら、行くぞ」 柾樹 「……………」 柿に腕を引かれ、俺は屋上を後にした。 そして、職員室へ。 柾樹 「………」 柿がサイフを鞄から出す。 学食かな。 そう思っていると、俺に気づいた藤村が俺に近づいて来た。 イヤミっぽくて、生徒からの印象は良くない。 藤村 「霧波川、何日も学校を休んで、いい身分だなぁ」 柾樹 「………」 うるさい……。 俺は無視した。 藤村 「ん?なんだその態度は。ちゃんと私を見るんだ!!」 柾樹 「………」 溜め息混じりに向き直る。 藤村 「……フン、お前の家じゃあ人との会話の仕方も教えていないのか?」 お前には関係ない。 藤村 「大体だなぁ、死んだ人間のことを思って何になるんだ?     時間の無駄だな、そんなものは」 柾樹 「……!?」 藤村 「運命だったんだよ、う〜んめい。そう思えば割り切ることなんて」 ボグゥッ!! 藤村 「えひゃぁあっ!?」 ガタン!ガラガシャァッ!! 振りきった拳が痛むと、藤村は職員の机を巻き込んで倒れた。 俺はそいつに向けて叫んだ。 柾樹 「ふざけんなっ!!運命だと!?あそこで叔父さんが死ぬことが……!!     あんな結末が運命だったとでも言うのか!!」 藤村 「ひっ……な、殴ったな……?お、親にも殴られたことがないのに!!」 柾樹 「うるせぇっ!!」 藤村 「ひぃぃっ!?」 柾樹 「叔父さんはなぁ、笑ってたんだよ!最後の最後まで!!ずっと笑顔だったんだ!     後悔の欠片も無い、やさしい顔だった!」 藤村 「うぐっ……」 柾樹 「運命なんかじゃない!あの時、叔父さんは自分の意志で夕をかばった!     後悔もしないで笑いながら死んだ!     お前なんかに何が解る!?叔父さんの何が解るっていうんだ!!     本当に悲しいことのひとつも知らない奴が、     軽々しく運命なんて言うんじゃねぇよ!!」 藤村 「くっ、教師に向かってなんて口の利きかたを!     た、退学……!退学だぁっ!!」 柾樹 「……!!」 藤村 「ふへはは!お前のようなクズはこの学校に相応しくないんだ!!ハハハ!!」 くっ……!! 柿崎 「まあまあ、少しは落ち着いてください藤村先生」 柿が割って入ってきた。 藤村 「う、うるさい!こいつは私を殴ったのだよ!?     こんな奴がこの学校に居ては、知名度というものが下がる一方!!」 柾樹 「………チッ」 俺のことならいい。 教師を殴ったのは確かだ。 ……悔しいけど、こんな奴でも教師だ。 藤村 「フン、こんなクズに慕われているようじゃ、     その死んだ奴もよっぽどのクズだったんだな」 だけど叔父さんのことだけは…… 柾樹 「ッ!!許せねぇっ!」 俺は再び殴り掛かった。 柿崎 「やめろ」 だが、柿がそれを止める。 柾樹 「……なんだよ……なに庇ってんだよ!     悔しくないのかよ!叔父さんのことこんな風に言われて!」 藤村 「フッ……フヒハハハハ!!     いやぁ、まいったもんですなぁ、柿崎先生。     こんな野蛮な生徒を持つと!ヒャハハハハ!」 柿崎 「あいつは……凍弥は確かにおかしな奴だった。     目が合えば、いつもふざけあって……。     そんなことがいつまでも出来る、ヘンな奴だ」 …………。 柿崎 「でもな……!!」 藤村 「ひぇっ!?」 バガァアッ!! 藤村 「ブゲッ!」 ゴシャアアアッ!! 轟音をたてて、藤村が椅子を巻き込んで倒れる。 殴ったのはもちろん……柿だ。 藤村 「う……うげぇえぇ……」 藤村が頬を押さえて唸った。 柿崎 「学校の立場や自分の地位しか考えないような奴があいつをどうこう言うな!!     今度俺の大事な友達のことを悪く言ってみろ……!!     教員って立場を捨ててでもお前を殴り続けてやるっ!!」 藤村 「ひ、ひぃいい……!!」 柾樹 「………」 柿が本当に怒ったところなんて、初めて見た……。 藤村 「……ぐ……うぅう……」 藤村は大げさにうずくまって、助けを待っていた。 柿崎 「……行くぞ、柾樹」 柾樹 「あ……」 職員室から出てゆく柿を追う。 その背後から藤村の罵倒が飛んだが、そんなものは無視した。 ……───想いはどこまでも続いていた。 時が流れても、受け継いだ血が薄れても。 それはずっと心が知っていたことだった。 口に出した言葉は自分自身の心に響いて、 それが嗚咽に変わるまで時間はかからなかった。 隣を歩いていた柿は何も出来ないでいた。 俺は、何が欲しくて歩いてきたんだろう。 それはずっと側にあった筈だったのに、 今では霧に埋もれて、その面影すら見えなかった……。
その季節はとても近くて、だけど霧に霞んでいた。 空を見上げても真っ白で、俺はその先を見られずに不安を抱いていた。 でもその先にはちゃんと青空があった筈だった。 だから、俺はその青空を見たかった。 だけど空は遠くて、霧を抜けることさえ出来なかった。 だとしたら、もう青空は見れないのだろうか。 そんなことを心のどこかで繰り返していた。 ───目の前の絶望から逃げるために。
…………名前を必死に呼んでいた……。 性質の悪い冗談だと思った。 だけど返事は無くて、それでも……必死に名前を呼んだ。 体を揺する手に、赤い液体がついた。 それでも、呼び続けた。 その近くの電柱には車が衝突していて、 中に居た男は俺が最も恨んだ男だったのを覚えている。 そいつは呆然としていたが、軽傷で済んでいた。 どうしてだろう。 どうして、世界はこう……不平等なのだろう。 苛立ちと悔しさが胸の鼓動を襲い、俺は泣いていた。 柾樹 「叔父さん!叔父さん!叔父さん……!叔父…………叔父さん……ッ!!」 涙で視界が滲んでいた。 それでも俺は叫んでいた。 ……やがて救急車が辿り着く。 誰かが知らせてくれたのだろう。 ……でも、もうそこに命の形が無いことを、俺は理解していたのかもしれない。 だから…… 柾樹 「ひぐっ……う……うわぁああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!!!」 俺は……空に向かって泣いたのだろう。 頬に伝う涙が熱くて……。 だけど雪は冷たくて……。 俺は子供のように泣いた……。 音の届かない世界の中、ただ……俺の泣き声だけが……虚しく響いていた……。 ……どこをどう歩いて、何を求めて立ち上がったのか。 それすらも、僕はもう覚えていなかった。 ただ、心の中の自分……僕は、ずっと泣いていた。 かつては一緒にあった強さ。 それが目の前で眠っていた。 それは、僕の入れ物でもある『柾樹』を泣かせていた。 僕にはふたつの人格があった。 普通に日常を贈って、友人と笑っている『柾樹』。 そして……閏璃 凍弥の強さから引き裂かれた『弱さ』。 その弱さは『僕』だ。 僕は願いとともに風に預けられ、丘で人を待っていた。 何日も。 そして、何年も……。 そこに来るのが誰であれ、そこに奇跡は起こる。 悲しい記憶は魔法。 暖かい雪は空のやさしさと月のぬくもり。 そして……風は少年の心。 夏の地面に残った桜がひらひらと揺れていた。 風に触れた時、僕の心にはいろいろな景色が流れた。 それはとても身近で。 だけど、とても悲しいものだった。 ───春。 少年を思って消えた、声を出せない少女。 空に姿を変えても少年が好きだった少女。 自らの手で奇跡を放棄した少年。 主の日常のために、自分の命を少女に託した少女。 少女の幸せを願って、自分という存在を捨てた少年。 ───秋。 運命を嫌い、それでも友人を守るために、輝く月に消えた少年。 そして───冬。 あとは僕の心が良く知っている。 悲しい笑顔が胸に痛かったのを覚えている。 その季節は寒くて、だけど……側に彼女が居れば幸せだった。 その季節も雪と一緒に消えて、僕の心にだけ残った。 その半身は引き裂かれたけれど、その思い出は僕の中で生き続けていた。 そして、僕は『柾樹』が眠っている時、その景色を眺めては…… 思い出を忘れぬよう、繰り返していた。 それが『柾樹』にどんな影響を及ぼすかを知りながら。 結果、彼は記憶を同じくした夕を好きになって、そして悩んで……悩み続けた。 その理由は僕という『弱さ』にあった。 辿り着ける道は……ここしかなかったんだろうか……。 『僕』という記憶さえなければ、もっと別の幸せが待っていたんじゃないだろうか。 そう思うと、僕はやっぱり悩むしかなくて……。 そんな自分が彼を苦しめているのを知っているのに……。 僕は消えることが恐かった……。 忘却と決別の果てには何が待っているのだろう。 やっぱり僕は消えるのだろうか。 それとも…… それとも………………。 ……───叔父さんが運ばれていった。 そんな景色を、俺は涙で滲んだ視界で見送った。 降っている雪はその数を増して、すべてを真っ白に染めるように、俺を打ちつけていた。 俺が辿り着いた時、近くで泣いていた夕の姿は無く、俺はその姿を探した。 叔父さんが俺だったら、きっとそうした筈だから。 くよくよなんてしていられない。 だから、俺は立ち上がった。 だけど、嗚咽は止まらなかった。 息が詰まるくらいに襲いかかる嗚咽。 それはきっと、自分の心が泣いているんだということを、俺は薄々とだけど感じていた。 自分の中にはもうひとりの自分が居る。 それが特別おかしいとも思ったことはなかった。 むしろ、その弱さがあるからこそ、俺は立っていられた。 行かないと……と意識的に歩いた。 行く場所は決まっている。 俺の……俺達の、とっておきの場所へ……─── 夏の終わりに吹く吹雪。 少女が泣いているんじゃない。 空が……空の心が、泣いている……。 雪のひと粒ひと粒に悲しみが込められているように、その雪は冷たかった。 ……森を歩く。 既に世界は冷たくて、今が夏だということを忘れさせる。 雪は緑色の葉に付着して、その微かな暖かささえ奪っていた。 雪の降り続ける中、俺はただ一直線にその場所を歩いた。 やがて、景色がひらける。 そこには幼い日、蒼い季節に眺めた雪景が存在していた。 生まれる前、それを見た記憶があるのは弱さのため。 俺はもう、それを否定することをやめた。 そこに降る雪は穏やかで、ぬくもりを帯びていた。 そして、そこにある人影。 柾樹 「夕……」 俺はその人の名前を呼んだ。 夕  「………」 ゆっくりと、夕は振り向いた。 その顔は今もなお、涙に濡れていた。 夕  「……全部、思い出したんだ……」 俺に向かって、苦笑いに似た言葉を絞り出す。 柾樹 「………」 夕  「私は……ここに居ていい人間じゃなかった」 諦めにも似た、苦しげな言葉だった。 夕  「私は……記憶こそ支左見谷 由未絵の物だけど、体は佐奈木 夕……。     夏が終われば……私は誰でもなくなるから……」 柾樹 「夕……」 夕  「ごめんね、柾樹くん……。私、柾樹くんのこと好きだって言ったのに……。     あれは記憶の所為だったんだね……」 柾樹 「記憶……由未絵さんのか?」 夕  「……うん。     多分、私の中の由未絵さんが、柾樹くんの中に凍弥くんを感じて……」 柾樹 「………」 そう……なんだろうか。 夕  「凍弥くん……どうして私なんかをかばって……」 悔しそうに、目の前の少女は泣いた。 柾樹 「決まってるだろ、そんなこと」 夕  「え……?」 柾樹 「……助けたかったからさ。他に理由なんていらない筈だ」 俺だってそうした筈だ。 夕  「だって、私は作り物なんだよ……っ?     私なんか……私なんか助けて何になるっていうんだよぉっ!」 夕は涙を散らしながら叫んだ。 自分への怒りが押さえきれないでいる。 俺にはそう見えた。 夕  「こんなに辛いなら……っ!!こんな記憶……欲しくなかった……っ!     元の私でいられたなら、心から好きって……     柾樹くんを好きって言えたのに……っ」 柾樹 「……今の夕は……」 夕  「え……?」 柾樹 「今の夕は……どうなんだ?」 俺はそれが知りたかった。 夕  「……それ……は……」 涙で赤くなった目が、俺を見つめる。 柾樹 「俺は……。俺はお前が誰だったとしても、この気持ちに嘘はない」 夕  「……!!」 柾樹 「全部ひっくるめた状態がお前だったんだから、     今更、嫌いになれるわけないだろう。     それとも俺はそんなに軽い男に見られてたか?」 夕  「………」 夕は答えなかった。 柾樹 「叔父さんは知ってたよ、今日が最後の日だって」 夕  「!?」 夕が俺をハッとした顔で見る。 柾樹 「作り物だからとか、そんなことを考えてもいなかった。     たとえ記憶だけの存在でも、現にお前が居る。     俺や叔父さんにとって、それは人間であると同じだ」 夕  「…………」 俺の言葉に、夕はうつむいた。 柾樹 「どうせ今日居なくなるからとか、そんなことを考えたら誰も助けない。     でもな、お前はここに居る。     それがあと少しで消えてしまうとしても、     叔父さんはきっと同じことをした筈だ」 夕  「……っ……」 夕の目に涙が滲む。 柾樹 「お前が望むなら、俺はいつまでも一緒に居る」 夕  「……無理だよ……。私、消えるんだよ……?」 柾樹 「だったら、その前にやりたいことをやろう。     諦めて残りの時間を全部捨てる気か?」 夕  「……どうして?」 柾樹 「……ん?」 夕  「どうしてそんなに……私に……」 柾樹 「好きだから。他意は無い」 夕  「………」 夕が、ゆっくりと俺を見る。 夕  「……残りの時間、どのくらいあるか解らないんだよ?」 柾樹 「ああ」 夕  「一歩歩き出したら、別の誰かになってるかもしれないんだよ?」 柾樹 「ああ」 夕  「……ッ……私……私……」 夕は静かに泣いていた。 夕  「私……もっと一緒に居たい……。柾樹くんと……一緒に……」 そして、その言葉は発せられた。 柾樹 「……じゃあ、行くぞ」 俺はそう言うと、やさしく夕の手をとった。 夕  「……え……何処に……?」 柾樹 「何処だっていい。時間が許す限り、一緒にこの夏を……」 夕  「…………うんっ!」 少女は俺の手を握り返した。 そして、俺達は残りの夏へと駆け出した。
ゆっくりと、夜を迎えた。 だけど俺はそんなことも気にせず、残っている時間に身を委ねた。 夜なのに、見える風景は暗闇じゃなかった。 まるで、雪のひとつひとつが鏡のように、 月の光を吸収しながら輝いているようだった。 そんな時の中、俺と夕は走っていた。 雪が体を打ちつけても、その気温が寒くても。 俺達は時間を忘れ、ただ笑っていた……。
……───少年が笑っていた。 柾樹 「ゆーきやゲホゴホ!あられ……ゲホッゴホッ!」 そして、その手を引かれた少女も笑っていた。 夕  「あははははっ、雪、美味しい?」 その景色はとても暖かくて…… 柾樹 「大声で歌えないじゃないかっ!なんなんだこの吹雪はっ!」 そこに強い想いが込められているのが僕にも解った。 夕  「口を開けるといっぱい入ってくるね」 反面、それは今にも崩れてしまいそうで……。 柾樹 「子供は雪の子!寒くない!」 僕は泣き笑いのような顔でそれを見守っていた。 夕  「それを言うなら風の子だよ」 ふたりの精一杯の笑顔が眩しかった。 柾樹 「そうだったっけ?まあいいや、うりゃあっ!!」 時間が経つとともに、雪は積もっていって。 夕  「きゃうっ!い、いきなりは反則だよっ!」 いつしかふたりは、雪合戦をしていた。 柾樹 「意表をついてこその行動!これ基本ギャア!!」 無邪気に笑い合うふたりの声が、空に響いていた。 柾樹 「こ、こらっ!まだ喋り途中……ギャアア!!」 いつか少女と笑い合っていた冬の季節のように…… 夕  「意表をついてこそでしょ?あははははっ!!」 その景色が、とても懐かしく感じられて…… 柾樹 「こ、このっ……せいっ!はぁっ!とあっ!」 僕はいつしか、泣いていた……。 夕  「わっ、わわっ、きゃうっ!一個ずつ投げてよっ」 その涙は暖かくて……それが嬉し涙だと解るまでに、時間はいらなかった……。 柾樹 「はははははっ、腹痛いよまったくっ……」 反面、少年は笑っていた。 夕  「うぅ〜……笑わないでよ……」 ……彼は、もう僕とは違う。 夕  「……あ、そうだ!雪だるま作ろっ?」 だったら……僕はもう必要じゃないのかもしれない。 柾樹 「よし!胴体を作ってくれ!」 ……僕は……。 夕  「えぇっ!?普通、逆だよっ!」 ……最後に、彼に償うことが出来るだろうか……。 ……気づけば、雪は穏やかになっていた。 降っていた雪は勢いを無くし、静かに降り揺らいでいた。 柾樹 「はぁ……疲れたぁ……」 夕  「うん……疲れた……」 完成した雪だるまは、かなりのアンバランスだった。 顔が異様にデカく、体は酷く小さかった。 ……というか、潰れた。 顔の重さに耐えられなかったんだろう。 結果、アメーバボディの顔デカナイスミドルが完成した。 ナイスミドルの意味など知らんが。 柾樹 「よし、次は何したい……?限界まで走り続けるか?」 夕  「それ、余計に疲れるよ」 柾樹 「はははっ、そうだな」 それは他愛ないやりとりだった。 消えることなど考えず、今を精一杯に駆けている。 それが、今の俺と夕には必要なことだった。 夕  「……ちょっと、休憩しようか」 柾樹 「ああ、解った」 俺は雪の上に倒れた。 柾樹 「ギャアア!!」 そして悲鳴をあげた。 そして今更、自分が半袖だったことを思い出した。 柾樹 「……人間やればなんでも出来るんもんだな……」 緊張や想いといったものが、俺を走らせていた。 そこに悲しみはなくて、俺は笑って走っていられた。 夕  「違うよ、柾樹くん」 ふいに、夕が何かを否定する。 柾樹 「ん?」 倒れたまま首をひねり、夕を見る。 夕  「私ね、行きたい場所があるんだ。だから、そこで休も?ね?」 手を差し伸べられる。 柾樹 「……よしっ」 その手を掴み、俺は立ち上がった。 柾樹 「で?何処なんだ、そこ」 夕  「……う〜ん……私も、よくは知らないんだよ」 夕はちょっと困った顔をすると、それでも歩き出した。 夕  「ただ、鐘が鳴る場所」 そして、振り向いてそう笑った。 そこが何処なのか、俺は理解することが出来た。 柾樹 「それなら解る。よし、行くかっ」 俺は夕の手を引いて、白く染まった大地を強く蹴った。 夕  「わっ、走ったら休憩にならないよぉっ」 柾樹 「何!?そんな筈はない!休むのはここじゃないと言ったのは誰ぞ!」 過ぎていった季節を懐かしむように、 俺はいつものようにふざけながら言った。 夕  「……あははははっ♪そうだねっ」 夕は笑っていた。 反論をすることもなく、それを受け入れてくれた。 やがて、俺達は霧に埋もれるような景色に駆け出した。 それはまるで、 駄菓子屋に走る子供のように無邪気な姿で、だけどそれに抵抗はなかった。 子供でもいいと思った。 くだらないプライドや、こだわりを脱ぎ捨てて…… 俺は今、この時に……童心を取り戻して、子供に戻りたいと思った……。 ……───いつか目覚めた夏の日の朝。 その引き金は教会の鐘だった気がする。 それはいつからだっただろう。 気がつけばその日常に馴染んでいて、それがおかしいと思ったことはなかった。 例えば幼い日に見上げた遠い空。 目に見えて近くに感じるけど、それは遠かった。 それと同じように日常はすぐ側にあって、だけど……手に掴めるものじゃなかった。 過去を懐かしむことは悪いことじゃないと思う。 それがたとえ、弱さだと言われても、俺はそんな弱さを嫌いになれないと思う。 強くなることが、その弱さを捨てることだとしたら、 その人の歩いてきた跡には何が残るのだろう。 俺にとって、弱いことが強さだ。 だったら、弱さが無くなった時、俺はどうなるのか。 ……それに答えは無い。 弱音を吐くか、立ち上がるか。 ただ……それだけなんだろう。 ……小さな音をたてて、それは開いた。 教会の中はまだ少し暖かく、外のそれよりはマシだった。 柾樹 「……うわ……」 俺は小さな歓喜の声と驚きの声をあげた。 柾樹 「中に入るのは初めてだったが……」 キョロキョロと見渡す。 柾樹 「……すごいな」 俺は誰にともなく、同意を求めた。 夕  「柾樹くん、こっちこっち!」 だが、同意をしてくれる人は祭壇に立っていた。 いつの間にあそこまで行ったやら……。 柾樹 「……忍者か、あいつは」 小走りに祭壇に向かった。 柾樹 「なにかあったのか?」 到着と同時に、訊いてみた。 夕  「ん〜ん、なにも。ねねね……結婚式、しよ?」 柾樹 「ああ、いいうえぇっ!?」 夕  「お」 柾樹 「いや、そうじゃなくて」 夕  「『ああ、いいぞ』って言おうとしたんでしょ?だったらやろうよ、ね?」 柾樹 「…………そうだな、やるか!」 気合いを入れた。 夕  「結婚式に気合いはいらないと思うけど」 柾樹 「……お前は心を読めるのか」 夕  「だって、端から見ても気合い入れてたし」 柾樹 「………」 読心術じゃなかったらしい。 ……期待はしてなかったが。 夕  「……えっと、どうすればいいのかな」 夕が頭をひねる。 柾樹 「たったふたりで結婚式が勤まるかっ」 夕  「うん、頑張ろう」 小さなガッツポーズ。 俺の話は聞いちゃいない。 夕  「えっと、新郎、霧波川 柾樹。     汝は新婦、佐奈木 夕を生涯の妻とし、愛し続けることを誓いますか?」 柾樹 「……虚しくないか?」 夕  「ふぇえ……だって……」 柾樹 「……まあ、いいけどな……」 夕  「あうぅ……誠意が感じられない……」 柾樹 「……あのな、とっても恥ずかしいんだぞ」 夕  「知ってるよぅ……。私だって今、すっごく恥ずかしいもん……」 柾樹 「じゃあ、痛み分けってことで」 夕  「そこで解決しちゃ駄目なのっ!」 柾樹 「………………」 夕  「……ちゃんと、言ってほしいな」 夕が俺を見る。 と、そこで気がついた。 夕の髪の毛に、緑の葉がついていた。 多分、さっき騒いだ時に髪の間に絡まったのだろう。 柾樹 「………」 俺はその葉を手に取り、起用に形を作ると、 夕の手をとって、その指に緑色の指輪をはめた。 その指輪は不格好だったけど、とても綺麗だった。 柾樹 「……夏が、そこに在りますように……」 そして、ゆっくりとそう呟いた。 柾樹 「宣誓!俺、霧波川 柾樹は!佐奈木 夕を生涯の妻とし!     愛し続けることを誓いますっ!」 尚且つ宣誓してやった。 夕  「わぁあっ!誰に宣誓してるんだよぉっ!」 柾樹 「知らん。宣誓に相手は必要ない筈だが」 夕  「スポーツマンシップに乗っ取りたくて、ここに来たんじゃないよぅ……」 正論だ。 俺だって教会で400メートルリレーなどやりたくない。 柾樹 「じゃ、今度は夕だな」 夕  「ふえ?……あ、そうだね」 柾樹 「汝、久遠の絆、絶たんと欲すれば……」 夕  「呪文永唱じゃなくて誓いだよっ!」 柾樹 「ぬう、なんなんだ今の呪文は」 夕  「そんなのこっちが訊きたいよ……」 柾樹 「新婦、佐奈木 夕。     汝は新郎、霧波川 柾樹を生涯の夫とし、愛し続けることを……誓え!」 夕  「ふえぇっ!?」 柾樹 「さあ誓え!今誓え!すぐ誓え!」 夕  「はうっ、はううっ」 柾樹 「……そうすれば、俺も歩けられるから。     もっとも、どんな顔で歩くかは保証出来ないが」 夕  「……別に強要しなくても、私、誓ったよ?」 柾樹 「気にするな、この方が俺らしいと思ったんだ」 夕  「……そうかもしれないね。じゃあ……はい、誓います」 柾樹 「………」 夕  「………」 柾樹 「……このあと、どうすればいいんだろうか」 夕  「指輪を……って順序が滅茶苦茶……」 柾樹 「こんなものだと思うぞ、俺達の結婚式」 夕  「……ちょっと悲しいけど……いっか、これが私達だもん」 そう言って、無邪気に笑い合う。 それは大切な日常だった。 俺はいつか誓ったように笑っていて、 それが心からの微笑みであることが嬉しかった。 夕  「じゃあ、もう最後だね」 柾樹 「ん?なにかあったっけ?」 夕  「……誓いのくちづけ」 ……ギャア。 俺は心の中でまったりと叫んだ。 そして、有無も言わさず、夕は俺にくちづけをした。 柾樹 「………」 そして訪れる沈黙。 夕  「……私、ずっと好きだからね」 俺から離れた夕が呟いた。 柾樹 「え?」 俺はそれを……いや、その言葉を疑問で返す。 夕  「いつまでも、ずっと好きだから」 柾樹 「………」 夕  「つき合ってくれてありがとう……。私、嬉しかったよ……」 その言葉は、俺に終わりの合図を知らせる言葉だった。 柾樹 「夕っ……」 離れた夕に駆け寄ろうとした。 夕  「来ないでっ!」 だけど、夕はそれを拒んだ。 夕  「もう十分だから……」 夕はそう言うと、涙を流した。 だけどその顔は穏やかで……微笑んでいるのが解った。 気づけば教会のステンドグラスからは光が差して、 今が朝だということを俺に気づかせた。 そう。 夏はもう、とっくに終わっていたのだ。 柾樹 「お前……っ」 俺は小さく叫んだ。 それでも夕は笑っていて……。 夕  「もう……限界みたいだから……。夢は……もう、終わりにしよう……?」 だけど、その顔は苦痛に歪んでいて……。 柾樹 「……ずっと我慢してたのか……?」 夕  「………」 俺の言葉に小さく首を振る。 夕  「違うよ……。私が、柾樹くんと一緒に居たかったから……。     苦痛じゃないならそれは我慢じゃないから……」 柾樹 「……っ!」 俺は駆け出してしまいそうな自分を必死に押さえた。 どうして押さえているのだろうと、疑問にも思った。 だけど、少女は自分ひとりで消えることを望んでいる。 そう思えた。 だから……なのかもしれない。 柾樹 「……馬鹿だよお前……」 だから俺は、その場に立って喋ることしか出来なかった。 柾樹 「夢はさ、目覚める瞬間まで、ずっと見ているものだろう……?」 夕  「………」 夕はただ、俺を見て笑った。 夕  「……恐いから」 そして、口が動いた、 発せられた言葉の意味は解らず、俺は困惑した。 夕  「記憶が消えて、本当の『夕』に戻った時……     目の前に居る柾樹くんのこと、きっと知らないから……。     傷つけるって、解ってるから……。     嫌われたく……っ……ないから……」 顔は笑っていても、夕は泣いていた。 柾樹 「……嫌いになると思うか?」 夕  「………」 柾樹 「俺は、お前が好きだ」 夕  「……うん」 柾樹 「俺は……後悔はしたくない」 夕  「………」 柾樹 「だから、最後まで一緒に居てほしいんだ」 夕  「………」 訪れる沈黙。 だが、それもすぐに掻き消された。 夕が倒れた。 それがとても自然に見えて、俺は呆然としていた。 柾樹 「……夕っ!」 だけどすぐに事態に気づいて、駆け寄った。 柾樹 「夕!おい夕っ!」 抱き起こすと、夕の体が異状なほどに熱いことを感じた。 柾樹 「お前……熱が……?」 夕  「……気にしないで……。私の記憶と一緒に、この熱も消えるから……」 そう言って、微笑んだ。 どうして笑っていられるのだろう。 そんな疑問が浮かんだ。 だけど、そんなものは考えるまでもなかった。 ……俺が言ったんじゃないか。 ずっと笑っていてくれ、って……。 柾樹 「……っ……ごめんな……!」 俺の目には涙が滲んでいた。 夕  「……?どうして……謝るの……?」 微笑みを絶やさず、俺の涙を拭う夕。 柾樹 「ごめん……」 夕  「あははっ……何がごめんなのか解らないよ……」 ただ、俺は笑おうと思った。 あのとき誓った思いを今、掘り起こそうと思った。 だけど笑顔は作れなくて……。 微笑んでやりたいのに涙で顔は歪んで……。 夕  「……ありがとう、柾樹くん。でも……いいよ、無理はしないで……」 ……違う。 俺は無理なんてしようとしてるんじゃない。 純粋に、ただ笑ってやりたいんだ。 夕  「……ねえ……」 込み上げる嗚咽を胸に、俺は返事すら出来なかった。 夕  「手、握っててくれるかな……」 ゆっくりと、夕の手が動く。 俺はそれを握ろうとしたけど、視界が滲んでいて、なかなか掴めないでいた。 でも、その手をとり、やさしく握ることが出来た。 夕  「……結局、私……強くなれなかったね」 その言葉はきっと、ひとりで最後を迎えようとした、 自分への言葉だったのだろう。 夕  「でも、もういいんだ……。     私、最後まで柾樹くんと一緒に居たい……。そう思ったから……」 その言葉が嬉しくて、 だけど……泣いた顔は微笑むことはなかった。 夕  「………ッ!」 やがて、その時はきた。 夕が苦しみだした。 柾樹 「……!」 だけど俺は手を握ってやることしか出来なかった。 かける言葉も見つからなくて、俺は戸惑うばかりで…… それでも、俺は一生懸命に笑おうとしていた。 目の前の少女は苦しみながらも、俺に笑いかけていてくれたから。 夕  「……ッ……ごめん……ね……。もう……ダメみたいだ……」 そう言うと、夕は目を閉じた。 柾樹 「……!ゆ、夕……ッ!!」 ようやく出た言葉も涙で掠れて、情けない声だった。 柾樹 「……夕……!」 だけど、そのとき俺に何が出来たというのだろう。 俺は人間であって神じゃない。 奇跡を起こせるわけでもなく……ただ、手を握って……。 夕  「もし……」 夕が、口を開いた。 夕  「もし……目が覚めて……元気になったら……」 その声は穏やかで、とてもやさしいものだった。 夕  「また……一緒に笑い合いたいな……」 そう言って、最後に目を開いて俺を見た。 夕  「……ああ…………ありがとう、柾樹くん……」 そして微笑みながら目を閉じて…… ……俺の手の中にあった少女の手は、微かに残していた力を失い…… 柾樹 「……夕……?」 床に小さな音をたてて、動かなくなった。 柾樹 「………」 次の瞬間、教会に鐘の音が響き渡った。 毎日のように聴いていた筈なのに、その音はどこか悲しげで……。 俺はその音に耳を傾けたくなかった。 教会に響いているように、俺の心に響く音。 俺の中の弱さがそれに誘発されて泣いている。 だけど、俺は声を出して泣いたりしなかった。 必死になって、笑顔を作っていた。 いつか誓ったように。 最後まで笑顔で……。 だけど溢れる涙は止まらず、何度も頬を伝っては落ちた。 それでも俺は笑顔を絶やさなかった。 ……それは泣き笑いにも似た、情けない笑顔だった。 柾樹 「どうして、ありがとうなんだよ……」 自然に、言葉がこぼれる。 柾樹 「こんな変な笑顔に……どうして……ありがとうなんて……」 涙が、夕の頬を濡らす。 柾樹 「夕……夕……っ!」 そして、やがて鐘の音が途切れた頃。 ───俺は、大声で涙した。 Next Menu back