───消える夏の日々/やがて訪れる風を待つ日常───
叔父さんの葬式は、雪の降る秋に行われた。 そこには黒い服に身を包んだ人達が居て、 そんな中で俺もただ、呆然とその人垣に揉まれていた。 現実味なんて全然無かった。 だから……ただの冗談だって今でも思ってる。 だけどそれは確かに現実で、叔父さんは箱の中で冷たくなっていた。 だけどその顔はとても穏やかで……幸せそうだった。 叔父さんは幸せだったんだろうか。 騒がしいだけの毎日で、満足だったんだろうか。 他人に命を奪われて……幸せだったんだろうか……。 ……そんなの、決まっている。 幸せじゃなかったら、こんなにやすらかな顔は……。 だったら、俺も笑ってあげないと。 叔父さんは幸せだったんだね、って……笑わないと……。 柾樹 「………ぐ……っ……く……ふ……ぅ……!!」 俺は笑おうとした。 いつか夕にそうしたように。 だけど…… 笑いたいのに涙が流れるのはどうしてだろう……。 渇れることなく、流れ続けるのはどうしてだろう……。 来流美「馬鹿……!なにやってるのよ……!     精一杯生きるって……あの時言ってたじゃない!     由未絵の分まで生きるって……!」 母さんが泣いていた。 もう目を開けることもない叔父さんを見て。 来流美「起きなさいよ……!起きなさいよぉっ!!     どうして……?どうして死んじゃうのよぉ……」 そんな母さんにかける言葉もなくて……俺も泣いていた。 来流美「馬鹿……!馬鹿ぁ……っ!」 母さんの声はとても悲しそうで、俺の中の弱さを激しく揺さぶった。 ……どうして……こんなことになったんだろう……。 そう思ってもやっぱり答は出なくて…… 柾樹 「………」 俺は叔父さんと母さんから離れて、その場をあとにした。 行き先もなく、ただ……そこに居たくなかった。 楽しかった日常は、こうして幕を下ろした。 ……………… ………… ……気がつけば、俺は病院の前に立っていた。 夕が眠っている病院。 夕はあれからずっと眠っている。 死んだわけじゃない。 息もしてれば、血だって流れてる。 だけど、もう笑うことはないのだろう……。 あれから俺は目を覚まさない夕を彼女の家に連れて帰り、 ただ眠っているのだと説明して、預けた。 ……いや、帰宅をしたんだ、夕は。 預かっていたのはこっちの方なんだから。 だけど、夕は目を覚まさなかった。 夕の両親は俺に電話をしてきた。 それを聞いて、俺は病院へと走った。 そこで夕の両親と会って、話を聞いて……俺は、驚愕した。 ───……植物人間。 二重、多重人格者などにみられる症状らしい。 人格……心や思考が多くあるため、脳や神経に普段の倍の負担がのしかかるため、 その容量に耐えられなくなると起きることがあるらしい。 生きているけど、歩かないし喋らない。 点滴という栄養だけで生きる、植物のようなもの。 ……人として機能していないのなら、死んでいるのと同じなのではないだろうか。 俺は目を覚まさない夕に語りかけた。 だけど返事はなく、その瞳が俺を映すことはなかった。 夕の母親は泣いていたけど、俺を責めはしなかった。 どうしてこうなったのかも解らないこともあっただろうけど、 一番は……叔父さんの死のことで気遣ってくれている。 俺はそう感じた。 辛いのは自分だけじゃないと思ってくれている。 だけど……こうなったのはやっぱり俺が願った所為で、逆にその気遣いが心に痛かった。 ……俺が帰ろうとすると夕の母親……静子さんは、 またいつでも見舞いに来てあげてねと笑ってくれた。 その表情が痛々しくて、だけど俺も微笑んで応えた。 柾樹 「……はい、また来ます」 それから毎日……そして、今も通い続けている。 ……そんな日常を送りながら、気づけば……時は流れていた。 いつもの通学路に体を向けて、気の乗らない気持ちを胸に、登校する。 ありきたりの日々。 そんな言葉も薄れゆくような、つまらない日常だった。 学校が終われば病院へ行き、その一日を夕に話す。 ……言葉なんて返ってこない。 それでも、俺はやさしい気持ちでいた。 あの時、俺は誓ったから。 後悔はない。 後悔をしている暇なんてない。 俺には俺の、俺にしか出来ないことがある筈だ。 柾樹 「夕、暑くないか?」 俺は問いかけた。 柾樹 「秋になっても、まだ名残はあるよな」 そう言って窓を開ける。 だけど、風は吹かなかった。 柾樹 「………」 うるさいくらいに楽しい日常だった。 朝が来れば騒いで、学校の中でも騒いで。 家に帰れば叔父さんも一緒になって騒いで。 そんな何処にでもあるような、だけど、そこにしか無いような日常だった。 ……とても幸せだった。 そんな日常に身を置くことで、俺は笑っていられた。 たった3ヶ月程度の短い夏。 暑くて、だるくて、やる気の出ない季節。 だけど、変わらずそこにあって欲しいと思えた季節。 ……そんな、涙の出るような短い季節だった。 …………。 ……いつか過ごした蒼い季節の夏。 見上げた空はどこまでも蒼くて、手を伸ばせば届きそうなのに、その空は酷く遠かった。 僕はいつも空に手を伸ばして背伸びをしていた。 ……けれど、その手が届くことは無いと解っていた。 それは僕の中の諦めだったのだろうか。 もしかしたら届くかも知れない。 そう思って、僕は何度あの空に手を伸ばしただろうか。 空を飛ぶ鳥が自由に感じて、鳥に憧れた季節もあった。 ───けれど、僕は飛ぶことは出来なかった。 飛んで跳ねるくらいが限界だった。 悔しい気持ちを噛みしめながら、もう一度見上げた空。 その空はどこまでも蒼く、澄み切っていた。 そんな蒼さが、その時の僕には悲しかった。 水面に映る空にも触れられず、僕は泣いていたのだろう。 だけど、いつか見た情景の中。 僕はあの空の先に行ってみたいと思った。 だから走った。 一生懸命走った。 つまらない希望を胸に、僕は走った。 だけど……僕はやっぱり泣いていた。 その先にある結果なんてものが解っていたから。 だから思った。 解り切った結果というものが無ければ、僕はまだ頑張れたんじゃないかと。 だから…… 僕は結果を知ってしまうのが恐いんじゃないかと……。 でも、それは逃げているだけだというのも解っている。 それも解り切った結果だから。 だけど、どうしようもない時だってある。 だから余計に恐いんだ。 日常が壊れることが。 自分が消えてしまうことが。 でも……もう、やめにしようと思う。 勇気を持って、真っ直ぐに前を向いて歩いてみよう。 その先には霧に包まれた世界しか無いけど、 その中で自分の道を探すのもいいかもしれない。 立ち止まらず、ただ、ひたむきに…… ……僕の未来を目指して…… ……俺は俺自身でさえも忘れていたような、そんな日常の中に居た。 以前まで当たり前だったような静かな朝を迎えると、 鬱陶しく布団を退けて、制服に着替えて。 それが終わると朝食を取って、家を出る。 肌に感じる外の情景は夏のそれとは違っていて、 まるで衣替えをしたかのように、涼しい物になっていた。 あんなに力強かった木々も、次第に色を落としていた。 そうした気配の中で、夏は終わってしまったんだと認識している自分が居た。 けれども、それに慣れてくると、以前と変わらない日常がやってくる。 学校へ続く路地の途中でクラスの悪友と会って、 マンガやテレビの話なんかで小さく笑いながら、残りの距離を歩いてゆく。 ふと気がつくと、目の前には学校。 校門を通り、昇降口に入って靴を履き代えて、そこで会ったクラスメイトに挨拶をして。 今度は階段を登って教室までのんびりと歩く。 教室のドアは開け放たれていて、廊下から見えるその景色は喧騒の渦中だった。 その中に混ざることで、俺も少しは前の自分に戻ることができた。 そう。 俺は、以前の俺に戻りたかった。 まだみんなと一緒に笑っていた、以前の俺に。 もし、長い夢を見ていたとして。 夢の中に何かを忘れてきたとしたら、それは一体、なんなんだろうか。 そんな、答えのない自問だけを繰り返している。 でも、俺がもしそう思ったとして、 それを俺だけに答えろと言うのなら、その質問の答えは既に出ている。 だけどそれは、決して正解することのない答えだから。 だから、その答えには『答える意味』が無いのだろう。 当たり前のことを当たり前と呼べるのと同じ様に、 出来ないことは、どうあがいても出来ないのだ。 それはどんな方程式よりも簡単だけど、 諦めることは出来ないから、こんなに悲しいのだろう。 日常は……どの景色に立っていても日常だった。 だけど俺は、その日常の中にある悲しみが恐かった。 だから忘れることが出来れば、もう泣くこともないのだろう。 いつも通りの日常の中に居ても、 俺の心は別の何処かにあるようで、それがたまらなく嫌だった。 先生の口から出る、教科書通りの発言に耳を傾ける。 そこに『応用』の文字は無くて、だけどそれが当たり前なのだろう。 当たり前すぎる現実はつまらなくて、だけどそれが普通だった。 それは解っている。 解ってはいるけど、簡単に受け入れられないことも解っている。 それを受け入れてしまえば、俺はきっと悲しむから。 そんなことさえも思わせるような、そんな……楽しい夏だった。 そんな、情景と呼べた季節の中で、蒼かった空は、やがてゆっくりと染まっていった。 夕焼けを見ると、俺は悲しくなる。 くだらないイメージだとは思ったけれど、そんな自分の弱さは決して嫌いではなかった。 授業が終わると当番だった俺は、ほうきを構える。 幼馴染は、そんな俺の姿を珍獣でも見る様な目をすると、 それでも穏やかに笑って、掃除を手伝ってくれた。 もとより一緒の当番であったのだから、手伝わなければ極悪人だ。 掃除が終わる頃には日も傾き、教室を赤く染めていた。 開けた窓から眺めたその景色は遠くて、 だけど手を伸ばせば届きそうな、そんな赤だった。 それから成り行きで幼馴染と帰宅を共にする。 別に嫌な気分ではなかったけど、それでも、その風景もすぐに終わる。 幼馴染が軽く会釈をして、目の前の家に入ってゆく。 幼馴染の家。 彼女はもう、叔父さんの家の居候でもなんでもないから。 目の前で閉ざされるドアを見送ると、再び歩く。 嫌でも目に映る、赤い景色が嫌だった。 そして、俺も家に帰る。 叔父さんの家を通り過ぎて、自分の家へ。 たったそれだけのことなのにそれは悲しくて、俺はまた泣いていた。 その時、ふと声をかけられた。 振り向くと母さんがいた。 俺の顔を見ると苦笑気味に微笑んでみせて、俺の手を引いて家に入った。 俺はまだ子供だろうか。 その時、俺はそんなことを考えていた。 ……───病院。 もう、何度も通い続けている病室。 少女はまだ起きない。 だけど柾樹は普通に日常を語っていた。 今日起きた出来事や授業のこと。 幼馴染が登校するようになったことや、級友との談話のこと。 懸命に話し掛けるけど、やっぱり返事は無かった。 そんな景色を、僕は柾樹の中でずっと見てきた。 だけど、もう終わりにしようと思う。 消えるのは恐いけど、僕も誰かを微笑ませてやりたい。 そう思えるようになった。 だから、僕にかけられていた魔法を、自分の手で解こう。 僕は奇跡の断片であって、本当の意識じゃない。 そんなものはきっと、強くなれない。 だけど……今こそ、僕は勇気を出そうと思う。 僕に残された魔法と、それぞれの想い。 人の想いが奇跡を呼ぶことが出来るなら、願いはきっと叶うから……。 これはきっと、最後の魔法だ。 僕に与えられた魔法が消滅することで解放される、最後の奇跡。 あとは……すべてを任せよう。 僕と一緒に居た人に。 くじけなければ、そこに未来はあるから。 運命なんて言葉を受け入れなくて済むから……。 僕はもう歩けないと思うけど…… それで誰かが笑ってくれるなら…… それこそ、僕の強さなんだろうから……。 だから…… 『さようなら、柾樹───……』 柾樹 「えっ!?」 それは、突然聞こえた声だった。 少年の声。 だけどその声はどこか懐かしくて、俺の心を動かした。 どこかで聞いたことがあった。 必死に考えると、それはすぐに頭の中で弾けた。 ……夢の中にいた、子供の頃の叔父さんの声。 それが答えだった。 柾樹 「叔父さん……?」 周囲を見ても、そこには誰も居なかった。 コンコン。 代わりに、ノックが聞こえた。 静子 「あ、やっぱりもう来てたのね?」 入ってきたのは静子さんだった。 静子 「いつもありがとうね、柾樹くん……」 弱々しい笑顔を見せて、静子さんはそう言った。 俺の側に立ち、夕を見ると、静子さんは言った。 静子 「……いつまで眠る気なのかしらね、この子……」 ポツリと呟いた言葉。 そこには少し、諦めが混ざっているようにも聞こえた。 静子 「起きないって言っても普通の人と変わらないし、     なんだか……すぐにでも起きそうな感じなのよ」 柾樹 「………」 静子 「お医者様は意識は無いって言ってるけど、そんなことはないのよ?この子……」 柾樹 「えっ?」 静子 「ほら、この手……」 静子さんが夕の手をとる。 その手は、まるで意志があるように、強く握られていた。 静子 「開こうとしても、開いてくれないのよ」 少しおかしそうに笑う。 静子 「……そうだ、よかったら夕のこと、教えてもらえない?     この子がどんな生活をしてたのか……」 柾樹 「……はい……そうですね。じゃあ、まずはどこらへんから……」 俺はその季節に起きた出来事を静子さんに話した。 静子さんは黙ってそれを聞きながら、微笑んでいた。 …………。 ……しばらく話したところで、俺は思い立った。 柾樹 「あ、喉渇きませんか?」 静子 「ああ、それなら買ってくるわね」 柾樹 「いえ、俺がパパッと買ってきますから、ここで待っててください」 静子 「……そう?ごめんなさいね」 柾樹 「それじゃあ……」 俺は病室を出て、自販機のある場所まで歩いた。 柾樹 「……えぇと?」 なにかスッキリするような飲物がいいだろうか。 そんなことを考えていると、 後ろから慌ただしい足音が近づいてきた。 声  「ま……柾樹くんっ!?」 その声は静子さんのものだった。 柾樹 「どうしたんですか?」 静子 「ゆ……夕が……目を……!」 柾樹 「……え……?」 俺は考えるより先に、廊下を蹴って駆け出していた。 一分、一秒でも早く、 静子さんの言葉の先を知りたかった。 そして、俺は夕の病室に飛び込んむように入った。 そこには、確かに夕がいた。 目を開けて、天井を見ている。 その景色を見て、俺はうれしくなった。 本当に、飛び上がりたいほどに。 やがて、後ろから静子さんも駆けつける。 柾樹 「夕……」 俺はゆっくりと夕に近づき、その名前を呼んだ。 夕の体は長い間動かなかった所為か、うまく動かないようだった。 だけど、その瞳が俺を映す。 でも…… 夕  「……誰……?」 出てきた言葉は、困惑を現す言葉だった。 ……予想していなかったわけじゃない。 多分、記憶は無くなっているだろうと解っていた。 俺と一緒に居た夕は、もう何処にも居ないんだと解っていた筈なのに……。 でも、微かな希望にすがっていたかった……。 その結果が…… 柾樹 「くっ……!!」 俺は頭を振った。 込み上げる涙を堪えた。 静子 「誰、って……何言ってるの、柾樹くんじゃ……」 俺はそう言う静子さんを制して、首を振った。 夕  「……おかあ……さん……?」 夕は喋ることも難しいように見えた。 そんな夕に、俺は言った。 柾樹 「……キミはあの丘で気絶していたんだ。     それを俺がここまで運んだ。名前を知っているのもそのためだよ」 静子さんが困惑の表情を見せる。 夕  「丘……?わたし……森に行って……それで……」 柾樹 「静子さん……あとは……」 俺は静子さんに軽く頭を下げて、駆け出した。 ……辛かった。 覚悟していたとはいえ、それはとても辛いことだった。 だから走った。 泣きながら、俺は病室から飛び出した。 …………。 静子 「……どうしたのかしら……柾樹くん」 夕  「……おかあさん……わたし……」 静子 「あ、いいからまだ寝てなさい。長い間眠ってたんだから、動けないでしょう?」 夕  「………今の人……誰?」 静子 「……本当に、解らないの?」 夕  「………」 私はなんとか頷いた。 だけど、なにかが私の中で泣いていた。 夕  「……あれ?」 静子 「うん?どうかした?」 夕  「……手に……なにか……」 静子 「手……?あ、そうそう、開ける?」 夕  「……ダメみたい」 静子 「じゃあ、ちょっと痛いかもしれないけど……」 夕  「うん……おねがい」 お母さんが、私の指をひとつひとつ広げていく。 夕  「……なにがあった……?」 私は寝たままで、体が起こせないでいた。 静子 「……なにかしら、これ……。見てみる?」 夕  「……うん」 私はお母さんの質問に応えた。 静子 「ほら、これよ。ずっと握ってたから何かと思ってたんだけど」 お母さんがつまんで見せてくれた。 それは…… 夕  「……あ……れ……?」 静子 「……夕?あなた……泣いてるの?ど、どこか痛いの?これが嫌なものなの?」 どうしてだろう。 私の目からは涙がこぼれていた。 心が泣いている。 夕  「あれ……?あれ……?涙が……止まらない……」 溢れる涙は止まらなかった。 拭おうにも手は動かなくて、その涙は枕に滲んだ。 夕  「……どうしたんだろう、私……」 慌てたお母さんが手に持っていたものをゴミ箱に捨てた。 それは、色あせた小さな指輪だった。
……───ゆっくりと、季節は流れていった。 時々鬱陶しく思う日常とともに自分の時間を歩いて。 とくに気が乗るわけでもないものに時間を費やして。 だけど……そんな過去を思い出す度に俺は悲しかった。 過去が残ることは、本当に幸せだったのだろうか。 それを声にしても、答えてくれる人はもう居なくて……。 ……俺はやっぱり空を見上げていた。 でも、その空は秋の夕焼けと雲に覆われていて、青空を見せてはくれなかった。 ───やがて、時間は流れ出す。 季節はゆっくりと進み、かつての色を取り戻したり、色を変えたりして。 でも───二度と、同じ時間が訪れることはない。 『当然』っていうのは時に残酷だ。 確かに流れる時間の中でなければ人は生きていけないけど。 それでも、その時間の中に居たかったと思うのは─── ……俺の、わがままだろうか。 ───やがて、時間は流れ出す。 俺は『思い出』という道を何度も振り向きながら、その道を歩いて行く。 どこに辿り着くかなんてことは解らない。 それでも…… いつか、もう一度。 ───自分の意志で、あの夏の風を感じたい。
───…カラー……ン…… ……カラー……ン……。 鐘の音が遠くに聞こえた。 それを合図に目を覚ます。 大きく伸びをしながらベッドから出て、窓を全開にする。 今日もいい天気だった。 来流美「柾樹、朝……なんだ、起きてたの」 母さんがドアを開け、顔を覗かせる。 来流美「ご飯、出来てるわよ」 柾樹 「味見は?」 来流美「してない」 柾樹 「謹んで辞退させていただきます」 来流美「ダメ、食べなさい」 柾樹 「勘弁して」 来流美「いいから。朝ごはん食べないと倒れるわよ」 柾樹 「むしろ、食した方が死ねるかと」 来流美「……なんか言った?」 柾樹 「いえ別に」 来流美「いいから来るっ!」 柾樹 「ギャアア!!」 俺は母さんに腕を引かれ、階下へと連れ出された。 そしてダイニングへ。 来流美「さあ、レッツダイニング」 俺が死ねる。 俺はその時、死を覚悟した。 こんな時にだれかぁ〜……!! ピンポーン。 柾樹 「!!」 来流美「!!」 反応はほぼ同時だった。 柾樹 「客人!待っていろ!今我ガハアァァっ!!!」 突如、お盆がゴパァンと飛翔してきた。 来流美「あららら、お客さんね。私が出るから、それまでに食しておきなさいよ」 ギャア!? 柾樹 「いやいや!滅相も無ェズラ!偉大なる母にそんな雑用!任せられませぬ!」 そんな悶着をしてる中、先の方にある玄関のドアが開く。 悠季美「……あの……」 そこにおわすは悠季美さん。 柾樹 「よく来てくれた!さあ出かけよう!」 来流美「ならぬ!」 ドゴン! 柾樹 「うぎゃあああああああああああっ!!!」 母上のナックルパートが俺の側頭部を直撃する。 脳が揺れた。 パンチドランカーというものだろうか。 それは大げさか。 柾樹 「こんな朝っぱらから暴れないでくれっ」 俺は母さんにそう言った。 来流美「ならば飯を食されませいっ!!」 何故か男らしかった。 柾樹 「別に死ぬわけでもあるまいし……」 来流美「お馬鹿ッ!!朝ご飯をぬいて、死ぬわけでもないですって!?     笑わせるんじゃないわよっ!」 母さんは激怒した。 来流美「……あんたにまで死なれたら、私はどうすればいいのよ……」 母さんは声を小さくして、そう言った。 それはそうだろうが、母さんの料理じゃ逆に死ねる。 どうしろというのだ……というか、父さんの存在は無視? 柾樹 「………」 ふと、悠季美と目が合う。 ……ふむ。 柾樹 「悠季美、朝飯は食したか?」 訊いてみる。 悠季美「食しましたっ!」 即答だった。 柾樹 「………」 俺はとりあえず、十字をえがいた。 柾樹 「アーメン」 ドゴォッ!! 柾樹 「ギャアア!!」 殴られた。 しかも再び側頭部だった。 柾樹 「ぐくっ……!!ああもう、食したらぁああっ!」 俺は殴られるのが嫌で食すことにした。 …………。 その結果がこれだ。 悠季美「顔色がすぐれませんね」 柾樹 「………」 腹が痛い。 悠季美「……大丈夫ですか?」 柾樹 「この顔色が目に入らぬか」 悠季美「入ったら恐いです」 正論だ。 柾樹 「うぅう……」 腹が悲鳴をあげている。 ごめんよお腹の子供達。 拙者が浅はかだったばっかりに……。 だが、仕方が無かったんじゃよ。 ……まあ、そんな意味不明は捨てるとして。 柾樹 「お前、これから?」 悠季美「ええ、大学です」 柾樹 「そかそか」 俺はうんうんと頷いた。 悠季美「柾樹さんは?」 柾樹 「俺は仕事。誰かさんが実家を手伝わずに大学入ったから」 悠季美「いやな言い回しですね……」 柾樹 「なに、雑用だから気にするのは少しでいい。     大体、やってるのは喫茶店の方だし」 悠季美「だったらわたしが言われるようなことは……」 柾樹 「それがあるんだ。手が空くと、旅館の手伝いまでだぞ?     一日に何回喫茶スーツと白衣を代えてると思う」 悠季美「…………ごくろうさまです」 頭を下げられた。 俺は逆に空を見上げた。 顔を上げた悠季美がそれにならう。 悠季美「…………去年は……いろいろありましたね」 ポツリと、そう呟く悠季美。 俺は何の反応もせず、ただ空を眺めていた。 いつまでもくよくよしていたって始まらない。 そう思って、俺達は必死に努力してきた。 そして一年近くも経った春、俺達はこうして笑っている。 もちろん、忘れたわけじゃない。 思い返してみれば、今でも俺は泣きそうになる。 だけど、最近はそれにも耐えられるようになってきた。 それが弱さとの決別の証なのかは解らないけど、 今……こうして笑っていられれば、それで十分なんじゃないだろうか。 柾樹 「……大学、楽しいか?」 悠季美「……女子大ですから」 柾樹 「なるほど」 前にも同じ質問をした。 というか、毎回している気もする。 その度に、俺はこう続けている。 柾樹 「……刹那は?」 ドボォッ! 柾樹 「ほごォッッ!!」 突如、脇腹ボディーブローが俺を襲う。 これは痛い。 悠季美「どうしてそこで、刹那さんが出てくるんですか」 悠季美は力を溜めている。 柾樹 「いや……なんとなく」 悠季美「…………はぁ」 溜め息を吐かれた。 悠季美「……昨日、告白されました」 柾樹 「……えぇえええええええええぇぇぇっ!?」 俺は叫んだ。 柾樹 「マ、マジか!?」 悠季美「……はい」 コクリと頷く。 うおう。 俺は驚きを隠せないでいた。 隠す必要があったかは置いておくとして。 柾樹 「で、お前……返事は?」 悠季美「断りましたよ」 柾樹 「………やっぱり」 俺は予想通りの返事にうなだれた。 かわいそうな奴よ……。 柾樹 「……で?刹那の敗因は?」 悠季美「わたし、まだ諦めてませんから」 柾樹 「へ?」 悠季美「……なんでもありませんっ!それじゃあっ!」 そう言って、悠季美は駅前行きのバスに乗り込んだ。 ……やがて、バスが出発する。 その瞬間、悠季美にあっかんべーをされた。 子供かお前はと苦笑したが、別に悪い気分じゃなかった。 俺は代わりに手を軽く上げて、その場をあとにした。 柾樹 「……ところで……」 俺は誰にともなく、声を発した。 柾樹 「あっかんべーって、他に言い方無いのか?……かなり恥ずかしいぞ」 それはとてもくだらないことだった。 それでも気分は晴れて、俺は笑いながら旅館に向かった。 足取りもいつしか軽くなっていた。 もう一度見上げた空。 それはいつか叔父さんと見上げた空と変わってなくて、その景色は綺麗だった。 柾樹 「………」 いい天気だった。 俺は改めて大きく伸びをした。 柾樹 「……今日も一日、がんばります」 誰にともなく、そう呟いた。 その言葉を合図にしたかのように、風が俺を撫でていた。 Next Menu back