風の駆け抜ける季節の中に居た。 いつまでも同じ景色の中を漂っていた。 景色が変わるのは早くて、だけど暖かく流れていた。 それはとても楽しい日々だった。 いつものように町並みを駆け抜けて、 丘へと続く森を駆け抜けて、 やがて見えてくる途切れた丘へ駆け抜けた季節。 その丘に吹く風は穏やかで、とても近くに、やさしさを感じられた。 風はずっと待っていた。 いつか願いが叶えられる、その時を。 そこに訪れる人が誰であれ、そこには奇跡が訪れる。 ……運命なんていらないから。 だから、そこにある奇跡と、未来を歩きたい。 きっかけなんてどうでもいいから。 たとえそれがどんな結末であったとしてもいいから。 ───だから─── ……どうか、その未来に…… ……少女の微笑みがありますように…… ───Summerdays Wind/四季が紡いだあの頃の季節へ───
……───風が、空に溶けている。 やがて訪れるその季節を胸に、以前より暖かな風がこの街に溢れる。 心に染み込むような蒼い空。 目に見えて微笑ましい街の情景。 そんな季節が近付けば、俺は泣くのだろう。 ずっと、そう思っていた。 だけど涙は出なかった。 俺を包み込む風はどこまでもやさしくて…… そしてとても身近に感じられる、暖かい風だった。 それがどう身近に感じられるのかは……多分、言うまでもないのだろう。 未来は、自分が道を歩いて見てゆくもの。 その人はそう言った。 限りある未来を夢見ては、俺はその人を追っていた。 でも、それは憧れとかじゃなく…… 本当はただ一緒に笑っていたかっただけなのかもしれない。 日常が壊れても、いつしか俺は笑っていて…… それが悲しいと感じても、以前より涙は出なかった。 ……俺は強くなれたのだろうか。 また、そんなことを考えている。 だけどその考えを振り払うと、俺は自宅へ走った。 いつかこの街にその季節が届くまで、俺はどこまでも蒼空を追って走ってみたい。 それは過去に諦めたことだけど……でも、そんなことがあってもいいと思える。 どんなことがあっても、それは思い出になるから。 それが悲しいことであり嬉しいことであっても……俺はきっと、走っていられる。 風はどこまでも暖かく、その道を促してくれた。 運命を辿るわけじゃない。 俺は俺として走ってゆく。 過去と決別するのが勇気じゃない。 過去を背負って、苦笑することが勇気じゃない。 いつか、自分が心から微笑むことが出来るその日まで…… 俺はどこまでもあの空を追って風の中を駆け抜けたい。 疲れても、それは確かな日常だから。 いつか鐘の音に目が覚めた時、俺はまた走るのだろう。 その季節を確かめるように、あの丘へ……。 ……夏の日常に吹く風。 常にそこにあって、いつでも俺を見守ってくれている。 それは暖かくて力強くて。 幼いころから、それは身近に感じていたんだ。 それが今は、風となって……雲と一緒に空を流れている。 いつか見た蒼空は、もうそこには無く…… だけど、いつまでも俺の情景の中の空に映されていた。 柾樹 「アホかお前はっ」 路地を駆け抜ける。 悠季美「アホじゃありませんっ」 幼馴染と一緒になって、俺は風の中を駆け抜ける。 柾樹 「犬がいなくなったからってどうして真っ先に俺を起こしに来るんだ!」 悠季美「他は宛にならないからですっ!」 罵倒に似た言葉を飛び交わすと、近所の人達が冷やかしてくる。 並崎    「よっ、こんな朝っぱらから夫婦喧嘩かい?」 柾樹&悠季美『誰がこんな奴とっ!!』 立ち止まり、声を揃えて言う。 並崎 「まあ、頑張りな〜」 再び駆け出すと、その人の声も遠くなる。 柾樹 「で?特徴は!?」 悠季美「犬です!」 柾樹 「アホォッ!!このアホォッ!!」 悠季美「猫と比べたら、それはもう解りやすいですよ!」 柾樹 「そんなこと訊いとりゃせんわっ!!犬だったらなんでもいいのかお前は!!」 悠季美「保村さんの家の犬です!散歩を代行していたら逃げられて……」 柾樹 「おアホさん!どうして追わないんだ!」 悠季美「そんなにアホアホ言わないでくださいよぅ……」 相変わらずの日常。 だけど、どこか違う日常。 それは……この季節の所為だろうかと俺は思う。 柾樹 「あれかっ!?」 悠季美「鎖で繋がれている上に寝てるじゃないですか!     何バカなこと言ってるんですか!」 柾樹 「たわけボケ!お前が犬とか言うからだろう!     有力な情報は無いのか!?っていうかそもそも保村さんって誰!?」 悠季美「実家の近所の」 柾樹 「アホォオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」 鐘が鳴るより早く。 俺はこの季節の中を駈けていた。 その景色がどうであれ…… やっぱり、その空には蒼空があった。 柾樹 「どうしてそんな遠くのお犬さまをここで探してるんだバカッ!」 悠季美「保村さんが車で遊びに来たからですよっ!」 柾樹 「その際に犬も一緒で、後に語り継がれるが如く逃げられたと!?」 悠季美「語り継がれません!!」 ……いつか夢見た、見果てぬ空の先。 その空はどこまでも蒼く、澄み切っていた。 悠季美「あっ!あれです!あの犬です!」 柾樹 「気の所為だ」 悠季美「何がですか!」 柾樹 「冗談だ!よし、包囲するぞ!お前は向こうから迂回して走れ!」 悠季美「は、はいっ!」 思えばこの長い季節。 日常は常に長いと感じられるのに、過ぎてみれば、それはあっと言う間の出来事。 柾樹 「よし!じゃあ俺はこっちから……!」 子供の頃に聴こえた夏の声は霧に霞んで、 もう俺の耳に届くことはなかったけど……。 柾樹 「犬!待て犬!保村家のお犬様!待ってーっ!」 だけど、いつも身近にそれはあって…… いつでも、俺の涙を拭ってくれました……。 そんな夏の日が、俺は大好きです。 柾樹 「こ、この……っ!うおおおおおおおおお!!」 だから……この季節を届けてくれた空や月。 そして、桜と風に……心から。 僕はこの言葉を贈りたい。 微笑みをありがとう、と……。 柾樹 「ってオイ!人が必死に走った途端に止まるな!」 ……───やがて……ゆっくりと。 季節の風が流れていった。 柾樹 「あ、すいません!そいつ捕まえてください!」 心の中にあった霧が、ゆっくりと溶けてゆく。 柾樹 「……はぁ、苦労させてくれたなこの……!」 例えば空を目指したあの日。 僕は弱くて、どこにも辿り着けずに泣いていた。 柾樹 「す、すいません……はぁっ……、迷惑……かけます……」 だけど今は…… きっと、どこまでも走っていけそうな気がする。 少女 「………」 柾樹 「……?」 いつか夢見た、あの蒼空を目指して……。 少女 「このコ……あなたの家の……?」 柾樹 「え?いや、幼馴染の知人の……」 麦わら帽子を被った、目の前の女の子が犬を撫でる。 落ち着いた声だった。 なんて思っているとドカァッ!!と背中に衝撃を受ける。 柾樹 「うわっ!?たったたっ!?」 その衝撃のあまり、俺はつんのめり、そして倒れた。 悠季美「はっ……はぁっ……!な、なにが迂回ですかっ……!!     行き止まりじゃないですか……っ!!」 柾樹 「な、なにぃ……?そうだったか……?」 俺は起き上がり、服に付いた砂を払った。 悠季美「なにをわざとらしく……って……」 ……麦わら帽子が転がった。 吹いた風に背中を押されるように、コロコロと。 器用な麦わら帽子だと、くだらないことを考えた。 ふと、見下ろした犬の頭を撫でる少女。 その少女が俺の視線に気づき、そして微笑む。 夕  「おひさしぶり……ですよね」 その少女は……夕だった。 柾樹 「え?あ……そう……だな」 夕が、犬から手を離し、立ち上がる。 悠季美「……柾樹さん、確か夕ちゃんは……」 悠季美が、小声で話し掛けてくる。 ……そう。 夕はもう、俺達と一緒に夏を過ごしていた夕じゃない。 柾樹 「もう、大丈夫なのか?」 出来るだけ平静を装い、俺は喋った。 動揺は……無いと言ったら嘘になる。 夕  「去年の秋が終わる前には、もう退院しました」 口調はやっぱり他人行儀。 それは当然だ。 柾樹 「……今日は、どうしてここに?」 走っていた時は気づかなかったけど……ここは、鈴訊庵の前だった。 夕  「……夏は……ここから始まるって。心がそう言ってたから……」 少女が空を見上げる。 その空は蒼くて……。 その季節の始まりを見届けるように…… 夕  「そうだよね?柾樹くん……」 柾樹 「えっ!?」 ゆっくりと……風を吹かせた。 それとともに少女が地面を蹴って、俺に抱きつく。 それを俺は混乱気味で……でも、しっかりと抱きとめた。 柾樹 「え……?ゆ、夕……?」 夕  「私、ずっと待ってたんだから……。     それなのに全然迎えに来てくれないなんて……」 柾樹 「ちょ、ちょっと待ってくれっ!なにがどうなって……!?」 例えば……心の中にあった弱さ。 その弱さが勇気を持って、未来を夢見たとして。 存在を(なげう)ってまで奇跡を起こそうとした。 夕  「色々思い出すこともありましたけど……     でももう大丈夫……私、思い出せたから……」 柾樹 「思い出した……って……」 それは自分に託された奇跡を放棄することで、他の何かを叶えようとしたとしたなら……。 柾樹 「夕……?夕……なのか?」 夕  「……うん」 少女は言った。 『いつか目が覚めて、元気になったら……』 もし。 もしもだ。 その言葉が叶えられたのなら……。 柾樹 「は……ははっ……」 俺達はまた、微笑み合えるのだろうか。 また……あの頃のように、一緒に…… 柾樹 「抱き締めっ!!」 夕  「きゃっ!」 柾樹 「ははは……あははははっ……!!」 いつしか、俺は笑っていた。 夕  「あははっ……はは……ふぇえ……」 夕は泣きながら、それでも笑っていた。 もし、願ってくれたのが、叔父さんの幼い頃の弱さだとしたなら……。 俺はやっぱり、叔父さんに何度お礼を言っても言い切れないだろう。 悠季美「ちょ、ちょっと!なにふたりの世界作っちゃってるんですかっ!」 柾樹 「えっ?あ、いや、これは……」 夕  「………………ふぇ?」 夕が首を傾げる。 悠季美「な、なんですか」 夕  「………………どなたでしたっけ?」 悠季美「はうぅっ!?」 悠季美があとずさる。 悠季美「ど、どなたでしたっけ、って……」 柾樹 「……冗談?」 夕  「……ううん、初体験」 柾樹 「それを言うなら初対面だ……」 少女の目は、どうしようもないくらいに本気だった。 と、いうことは……だ。 思い出せたのは……俺だけ? 悠季美「ちょちょちょちょっと待ってください!忘れたとは言わせませんよっ!?」 夕  「す、すみません、ごめんなさいっ」 必死に謝る夕。 どうやら本当の本当らしい。 悠季美「は……」 思い切り呆れたやら力が抜けたやら。 悠季美は頭を抑えた。 まあ、仕方無いのかもしれない。 もともと、既に起こった奇跡のカケラの魔法だ。 ようするに、そこまで力が残っていなかったのだろう。 ただ、気になることがひとつある。 それは夕の口調。 なんというか……丁寧なところもあれば、以前のように。 まとまりを持っていない。 柾樹 「なんか口調、変だよな」 言ってみる。 夕  「あっ、すいません……。夏の話方がまだ残ってて……。     普通はこんな言葉遣いじゃないんだけど……」 ……なるほど。 つまり、元の『佐奈木 夕』は丁寧な感じで、 だけど夏の夕……つまり、由未絵さんの記憶。 その頃の夕の記憶と口調が残っているため、しっちゃかめっちゃかと、そうゆことだな。 で、問題なのは……。 『佐奈木 夕』も、俺を好きでいてくれるのだろうか。 夕  「……好き、ですよ」 柾樹 「え?」 夕  「記憶も関係してるかもしれませんけど……。     病院で別れてから、あなたのことばかり考えてましたから」 柾樹 「……えっ……と」 聞いてみると恥ずかしいものだ。 柾樹 「……って、ちょっと待った。どうして俺が考えていたことが……」 夕  「……なんか、解っちゃいました」 夕か……。 というか、ややこしいな。 どっちも夕だったわけだから……ぬおお。 夏の夕……おお、ならば夕夏(いうか)と例えよう。 悠季美「なにを納得したように頷いているんですか!」 柾樹 「怒鳴るな、やかましい」 悠季美「やかましいって……大体ですねぇっ」 柾樹 「……お?犬はどうした悠季美」 悠季美「え?あーっ!!」 気づいた時には犬はもう居なかった。 悠季美「シィーット!!ごめんなさい!追います!!」 悠季美はがむしゃらに走ってゆく。 柾樹 「…………元気だな」 感心に値する。 夕  「足、早いですね……」 夕も感心する。 柾樹 「それにしても……」 夕  「はい?」 柾樹 「…………いや、なんでもない」 夕の言葉遣いに違和感を覚えるのは仕方無いことだ。 それに、あれは夕夏の口調であって、夕に強要するのは失礼だ。 夕  「……ねえ、柾樹くん」 柾樹 「ん……?」 夕  「……ごめんね、指輪……捨てられちゃった……」 柾樹 「……そっか」 夕  「思い出した時にはもう……」 柾樹 「いいよ、気にするな」 空を見上げる。 その瞬間、俺の鼻に何かが落ちてきた。 いや……舞い降りた。 柾樹 「な、なんだっ?」 慌てて指で取り、確かめる。 柾樹 「……え?」 それは、綺麗な桜の花びらだった。 柾樹 「………」 夕  「どうかしました?」 夕が俺を見る。 柾樹 「……いや、なんでもない」 俺は視線を戻し、夕を見た。 柾樹 「夕……」 夕  「うん?」 口調がやけに変わる少女に笑いかける。 柾樹 「あそこ、行こうか」 夕  「……うん、行こっか」 どちらともなく、歩き出す。 ……向かう場所は決まっている。 ……───僕らの……とっておきの場所へ───……。 ……季節に起こる奇跡は見上げる空と桜から始まった。 柾樹 「夕は……風、好きか?」 訪れた冬の季節、少女は微笑みを知り、やがて眠る。 夕  「うん、大好き……」 月の出る夜を待った秋の日、少年は昔話を思い出す。 柾樹 「俺は空が好きだぞ」 夕  「私は雲かな」 夏は幾つもの想いの跡と記憶を胸に、風とともに訪れた。 柾樹 「なるとしたら、何になりたい?」 それぞれの季節にあった想いと約束。 夕  「んと……やっぱり、風かな」 そして願いと奇跡。 柾樹 「……やっぱり、そうか……おっ」 その魔法も風とともに夏に消える。 柾樹 「夕、手を出せ」 その道の跡に幸せが残るのなら、僕は笑って手を振りたい。 ……その季節達に別れを告げるように……。
「代用品……ってわけじゃないけどな」 「あ……指輪」 「まあ……また緑だけど」 「いいよ、うれしいから……」 「そっか、じゃあ……」 『夏が、そこに在りますように……───』 教会の鐘の音色がこの街を包んだ。 ……それとともに…… 四季が紡いだ夏が、ゆっくりと始まった。 そして僕らは走り出す。 ……あの蒼い空の先を目指して…… ───季節外れの雪を眺めていた。 幾度となくめぐり続ける季節を眺めていた。 いつか望んだ日常を胸に、 かつて幼い少年と少女が微笑んだこの街で。 僕らは風が紡ぐ日常を駆け抜けていた───
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