───幕間/夢想───
【ケース532:───/───】 ───雨が降っていた。 いつか聞いた言葉を胸に、空を見上げる俺を、静かに打ちつける雨が。 それはとても冷たくて、ただただ……孤独で居る自分を打ちつけ続けた。  ───汝は、恐らくこの世界で─── ……いつか聞いた言葉。 それは俺の未来を示すものであり、同時に……精霊王から聞いた、 曲げることの出来ない未来だったに違いない。 「………」 晴れていてほしかった。 この空が青だったなら、きっと俺の心もまだ晴れていてくれただろうに。 ……それでも悲しくはなかった。 ここまでを楽しく過ごせて、精一杯駆け抜けてこれて、俺はきっと幸せだった。 だから立ち向かえるんだって信じてる。 信じなきゃ、立っていられないに違いなかった。 幸せだったと信じなきゃ、自分自身が報われないと思えて仕方がなかった。 だから───悲しくないなんて嘘だ……悲しくないわけがなかった。 「なぁ、みんな……───俺は……」 俺は、自分の運命に抗えただろうか。 そしてこれからも、抗えていけるのだろうか。 受け入れるだけじゃなく、もがきながら、苦しみながらでも…… またみんなと肩を並べながら、小さなことに一喜一憂しながら……笑えるだろうか。  血が飛び散る。真っ黒な、景色を塗り潰すことしか出来ない血が。 息が漏れる。 疲労からじゃない、自ら手放した、今では遠い数分前に居た場所を思い。 あんなにも暖かな場所に自分は居たのだと、今さらながらに涙した。  振るう双剣が黒を裂き、滅し、……埋められ、もがき─── 景色が涙に埋もれる中、俺はなにを求めるべきだったのだろう。 景色の全ては黒に覆われ、 ただ見える空だけが崩壊の暗雲に包まれ、他の景色とは違う黒を見せている世界で。 見下ろせば自分の血と、涙と雨にぬれた自分が居た。 義息子がくれた首飾りも、義娘がくれた首飾りも、黒と雨、血と涙にまみれ…… 俺はもう、なにを希望に腕を振るえばいいのかも解らなくなっていた。 「はっ、う、ぐっ……!」 大切な仲間が居た。 そいつらの未来を守れるならって、 勇んで歩んだこの道を───俺は後悔しているだろうか。 それとも、胸を張って、奇跡の果てならば見上げられる蒼空を、 この目で見ることが出来るのだろうか。  黒が放つ撃が、胸を、腕を強打する。 「がはぁっ!───う、っ───!!」 体がボロボロだった。 黒の波に飲まれて、撃を連ねられ続け。 それでも振るう腕だけは止まらず、止めず、黒を滅ぼし続けた。  筋肉が焼ける。息を吸う喉が焼ける。……目が、涙で焼けるように熱かった。 とても幸せな世界に居た。 俺は、その世界を自分にとって一番の場所だと胸を張ることだって出来る。 馬鹿にするやつが居るのなら、そいつといつまでだって戦っていられると思った。  削られる体が痛い。剣を持つ手が、剣を振るう度に摩擦で血塗れになってゆく。 だけど自分から手放してしまったものは、きっともう戻らない。 相手が裏切らない限りは裏切らないという信条まで持っていたのに、 俺はいつ、何処でそれを置き去りにしてきてしまったんだろう。  ───それでも、倒れることだけはしなかった。 信じていたものがひとつだけある。 俺は、なによりも仲間を信じていた。 恋人でも親でもない。 兄弟でも妻でもない。 ただひたすらに、ただひたむきに、この心全てを、我が仲間にこそと。  ───ただ守りたかったから武器を握った。彼らの未来を、守るために。 自分の未来が決まっているのなら、その未来全部を以って、俺があいつらの未来をと。 誰かのために、ではなく……自分がその世界に居たいための、自己満足だった。 ……それでもよかった。いや、それでよかった。 人は愚直なまでに自分のために突き進めばいい。 そんな中で最高の仲間に出会って、笑って、泣いて…… そんなやつらのためにならって思えた時だけ、自分と、仲間のために走ればいい。 だって、他人のために死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。 それを誇りだ名誉だなんて言うのは、つくづく馬鹿だって今でも思う。 でも───誰かのために“生きる”ことは、 とてもとても、泣きたくなるくらいに眩しいことだと信じてる。 だから願わくば。 この黒の夢が終わった時、あいつらの笑顔に会えますようにと。 一緒に笑えなくなってもいいから。 あいつらの笑顔を守れた証が、そこにあるようにと願わずにはいられなかった。  鋭い爪が足を貫いた。その拍子に崩した体が、黒に飲まれてゆく。 守りたい。 守りたいから来たのに、自分はなんて弱いんだろう。 心もからっぽで、溢れる涙が止まらなかった。 自分を今まで奮い立たせていたものを、自らが捨ててきたんだ、当然だ。 自分があまりに情けなくて流す涙がこんなにも痛い。  痛い。痛いのに、いつまでも撃を止めてくれない黒で、俺の景色は埋められていた。 それでも腕は止まらなかった。 行かせるものかと。 進ませるものかと、撃さえ打たずに進もうとするものから滅ぼしていった。 その拍子に倒れそうになる身体を、歯を食い縛って踏みとどまらせた。 ……感情論なんかで死を免れるなんてことはウソだ。 倒れた英雄が何度も立ち上がれるなんてこと、あるわけがない。 だって、結局は生き物なのだ。 傷つけられれば血は出るし、血が無くなれば死ぬだけだ。  ───それでも。 それでも。 感情論で動く限りは、諦めたくはないと。 この体が、自分の意思で動く限りは諦めるもんかと、歯を食い縛りながら前を見た。  ───それなのに。 振るった腕は剣を前に振り出す筈だった。 だけど……手は動かなかった。 見下ろせば、いつの間にこんなにボロボロになったのか。 血塗れのそれは、もう俺の意志なんかじゃ動いてくれなかった。 それでも動いてくれと願った。 感情論で動く限りはと誓ったばかりなのに、こんなのはあんまりだと。  ───黒が身体を削っていった。 痛くて涙が出た。 こんな痛みを、自分は確かにこの世界でずっと受けてきたはずなのに。 どうして……“死が迫っている”と理解しているだけで、 こんなにも冷たく、こんなにも痛いのだろう。  ───腕を振るう。力を込めてではなく、肩を振り回すように。 まるで紐の先に石を括りつけて振るっているようだった。 子供が長袖の衣服を頭から被り、腕を通さずに振り回して遊んでいる…… そんな滑稽な姿が、自分に当てる喩えにはぴったりだったのかもしれない。  それでも戦った。滑稽がなんだ、と心に激を飛ばして。 誰も居なかった。 俺の傍には誰もおらず、ただ黒だけが俺を襲い続けていた。 助けてくれる人なんて誰も居ない。 それでも───   だけは。 この剣に込められた幾多の思いだけは、俺とともに戦い続けてくれた。 だから頑張れる。 せめて、俺と、こいつが力尽きるまで。 いや……黒が滅ぶまでを、いつまでもいつまでも戦い抜こう。 誰かのために死ぬのなんて、名誉でもなんでもないのだ。 誰かのために生きることこそを名誉と呼び、誇りに思い─── そしていつか、その誰かとともに笑い合おう。 今というこの黒い夢を、ただの夢に変えてしまうために。  ……後方の離れた場所から、嘆きの声が聞こえた。 それでも振り返ることはしなかった。 彼に届けたい言葉は全て届けた。 腹に空いた穴がその証だと、俺は近い未来に滅ぶであろう我が命とともに笑い飛ばした。 相変わらず涙は止まらなかったけど─── その嘆きの声がいつしか消えた時、……俺の役目は終わった。 黒の大半は滅び、残ったものも消え……その場に、俺だけが残された。 「………」 ボロボロの体が地面に崩れ落ちそうになる。 でも、痛む身体を庇って……振り向いた先にある『    』へとズルズルと歩き、 それを動かそうとした。 だが……動く筈などあるわけがない。 先に言われたことじゃないか。  を先に飛ばした時点で、俺が生き残る手段など…… いや、この腹がズタズタな時点で、助かる見込みなどあるわけもなかったのだ。 「……、……」 血を吐いた。 とても嫌な味が口に広がる。 その味が嫌で、なにか口直しが欲しい、なんて馬鹿な考えを頭に浮かべて、苦笑した。 どうしてこんな時に、 仕事で忙しかった両親が二人で作ってくれた料理の味を思い出すのか。 どうして、祖母が作ってくれた暖かい料理の味を思い出すのか。 どうして……一度も料理をしたことなどなかった祖父が、 手をバンソウコウだらけにして苦笑しながら出してくれた、 コゲた歪な料理のことを……思い出すのか。 「……」 『    』の横の壁に背を預け、休もうとした。 もう……休む必要などない体だけど、ここまで頑張ってくれたのだ。 せめて少しでも休ませてやりたかった。 「───」 そうしてから、小さく息を吐く。 じくじくと痛む腹は血塗れだ。 時を待つ必要もなく、俺は死ぬんだろう。 「……やだな」 死にたくない。 死にたくない。 死にたく……ない。 座ってたらきっと、このまま死んでしまう。 時が来ればこの世界ごと自分は死ぬのだろうが、それでもその瞬間までは生きていたい。 それに……もしかしたら助かるかもしれないという、 微かな希望にすがっている自分も居た。  ……助かるわけがないのに。 立ち上がろうとした身体は、もう動かなかった。 五体は血塗れ。 傷がないところなどほぼ無い。 それでも……まだ口が動かせる程度の余力があるんだから、 今際の際の人間ってのは笑える。 ここでべらべら喋っていたら生きていられるだろうか。 そんなことを考えてみて、虚しくなった。 そんな常識破壊をしても、もう楽しんでくれる人など居ない。 守ったからこそ俺は孤独であり、孤独だからこそこんなにも悲しいのだ。 「……、……」 意識は既に朦朧としている。 ゴロゴロと響き渡る雷鳴が耳障りなのに、意識だけは朦朧だ。 こんなにも五月蝿いのなら、眠気を飛ばすように、この朦朧さも覚めてくれればいいのに。 「は、あ……」 砕け、壊れた塔から見上げられる空。 そこから降る雨が、ただ冷たかった。 次から次へと溢れる血を流し、固まることを許さないそれは、 ゆっくりと……俺という精神を削ってゆく。 ……死んだら肉体だけが残されるのだろうか。 精神の無い、カラッポの肉体だけが…… の部屋に。 それは、───ひどく滑稽だ。 精神が無くても魂があるのなら生きていられるんだろうか。 解らないけど、ただ小さく……寂しいなと思った。 まだまだやりたいことがあったのに……俺はこんなところで─── 「……、空界に帰ったら……  を迎えに行って……  ずっとずっと、みんなで笑い合いながら生きて……    が紹介してきた男を殴って……でも最後には、認めてやって……  ……  の結婚式で……緊張しながらスピーチして……はは……  空界に結婚式場なんて……あるわけないのにな……」 ふと笑った拍子に血を吐いた。 でも、思考を止めるようなことはしなかった。 せめて……頭の中だけでも未来をと、痛みに顔を歪ませながら未来を馳せた。 「結婚の前に……授業参観とかにも……出たかったな……。  空界の魔法学校に通わせて……そこで、お父さんと解いてみましょうとか言われて……  はは、俺はこう言うんだ……俺は生粋の地界人だから……魔法学なんて知らん、って……  そしたら   が苦笑いして……ずっとそうやって……家族を困らせて、笑わせて……」 なのに…… 「それから……、……は、あ……それ、から……  ───、……あ、れ……へん、だな………………  先のこと……未来のこと……考えたいのに……───  過去のことしか……今まであった出来事しか……浮かんで、こないや……」 涙が止まらなかった。 未来を思うことさえ出来ず、声は震え、やがて、どこの部分にも力が入らなくなる。 「……」 身体を打ちつけるように降る雨はやまない。 それどころか、狭まる世界を前に圧縮され、勢いを増すばかりだった。 「……冷たいな……」 心も、そして身体も冷たすぎた。 もう、なにを願っても叶うことなどないのだ。 このまま冷たくなって、ただ死んでゆく。 それが悲しいのに……もう、涙すら……出なくなっていた。 打ちつける雨が目尻に残った涙を弾き、涙ではないものが目を、頬を伝い落ちてゆく。 その涙はちっとも熱くなくて。 せめて最後に人としての暖かさが欲しかった自分にとっての希望さえ、 その雨は奪っていった。  ……、ああ…………死にたく……ないなぁ……─── もう声も出ない口から、肺に残ってた最後の酸素が漏れた。 それは俺の思いだけを乗せ、この滅びゆく世界に溶け込み…… やがて、冷たくなった体が炸裂するような眩い光に包まれた時。 俺の意識は……ブラウン管の電源が切られるように、あっさりと消え去った。 ……その光が、冷たくなりすぎた身体にはどこか暖かかったのが─── きっと、救いといえば救いだった…… Next Menu back