08/宴の席にて

-_-/魏

 宴の席は賑やかだった。
 かつては武を競い、別の意思を以って天下を目指した三国。
 その全てが今、ひとつの場所に集まって宴を開き、同じ酒を飲み、同じ料理をつまみ、同じ話題で笑い合うなど、いったい黄巾党征伐のときに誰が予想できただろう。
 方向は違えど、目指すものが同じならばと考えた者は確かに居たに違いない。
 だがやり方の違いで相容れず、やはり衝突しながら互いの理想を武で示す。
 そんな、今では考えられない日々が確かにあったのだ。
 勝てば正しいのか、負ければ正しくないのか。
 時には迷うこともあり、だが己の信念こそが泰平の道なりと豪語し、突き進む。
 兵を友とし、笑顔を守りたいとだけ願い、戦場に出た者。
 兵を牙とし、親より続く意思を天下に轟かすために武を振り翳した者。
 兵を駒とし、力で天下を手に入れんとした者。
 それぞれの意思がぶつかった過去があり、手にした天下は友でも牙でも駒でもない、絆という形で今この場所に集っていた。

 たとえばと考える。
 御遣いの存在無くして彼女が天下を手に入れることが出来たとして、彼女は今と同じように穏やかに笑っていられただろうかと。
 力のみで手に入れたその場には、対等に話し合える小覇王の存在も、場を和やかにするであろう情の王の存在もきっとない。
 孫策は暗殺され、劉備もまた彼女の前に敗れ、弱者と断ぜられ、歴史から姿を消していたことだろう。
 だが、たった一人がこの大陸に降りただけで、三国の歴史は大きく変わる。
 大局に抗い、存在を削ることで彼女を助け───力だけに染まり、力によって潰えるはずだった覇道の色を、少しずつ変えていった男が居た。
 兵は駒ではなく、己の天下掌握を手伝ってくれる大事な存在なのだと、知らずのうちに心に刻ませた。

 だからだろうか───自国の在り方も戦い方も、王の思考も誇りも知らない新兵を前線に出し、戦わせるといった歴史は生まれず───孫策もまた、暗殺されることなく現在を生きていた。
 別の外史では、勝てぬのならばこの先も望めぬと判断し、どんな手段であれ勝利を願う兵をも“駒”のように扱い、頂を目指した少女。
 勝てぬ戦に意味など要らぬ、我が覇道は力の中にこそあり。そう断じて突き進み、聖戦を穢されたと嘆く少女が居た。
 聖戦を願うならば焦ることをせず、兵に自国の戦い方と在り方を教えるべきだったのだろう。
 結果は暗殺に終わり、彼女は好敵手も、この大陸で目指した覇道の意味も失うこととなる。
 が───この外史において、彼女が振り翳すものが力だけではなくなった。
 それだけで、世界はこんなにも変わってゆく。
 変わるたびに、御遣いの“存在”は削られてゆく。
 大局から外れることが消滅に繋がるというのなら、彼という存在は実に儚いものだったと言える。

  ───孫策が死なずに生きる。

 “大局を左右する”という意味では、相当に大きな意味を持つこの死が起こらなかったのならば、その時からすでに矛盾は生じていたのかもしれない。
 天の御遣いという存在が天より降りることで、魏の王が変わったというのなら。
 魏の王が変わったことで、暗殺という事態が起こらなかったというのなら。
 彼の存在は、魏に降りた時点で消滅が決まっていたものだったというのだろうか。

 そう考えると、他の外史において、天下を手に入れた先で彼が消えないのは何故なのか。
 大局というのは片鱗にすぎず、彼が消える理由はやはり王の望みの果てにこそあるのか。
 情の王が皆が仲良く過ごせる未来を願い。
 小覇王が国の民の笑顔を願い。
 だが───少女だけは天下の統一を望み、世に魏の力を示すことを目的とした。
 ならばその願いによって彼が天より遣わされた時点で、彼女がどう変わろうが天の御遣いの消滅は……彼女が天下を統一するとともに消えるさだめにあったのかもしれない。

 だが、今さらそんなことを言ってなにになるというのか。
 天下統一の結果はここにあり、情の王が望んだ笑顔も、小覇王が望んだ宿願も、己の手で叶えたものではないにせよこの場にある。
 手を伸ばすと繋げる手があり、繋いだ手で築ける未来が彼や彼女たちの目の前には存在している。
 ならば今、この場に集まった全ての者たちで目指す未来は、どれだけ意見をぶつけ合っても気に入らないことがあっても、これからも彼女らが望んだ天下に繋がっているのだろう。

  少しずつ変わっていく中で少女が求めた覇道が、いつしかこの場に集まる全ての者の覇道となる。

 そんな事実に少女は笑みをこぼし、恐らくそんな風に笑むことの出来る自分に変えてくれたであろう男へと視線を移す。
 張三姉妹が晴れやかに歌う中で、皆もそれぞれが歌うかのように騒ぐ。その一角で、唯一の男性である彼は……言うまでもなく女性に捕まっていた。

「ほれ、まずは乾杯じゃ」
「乾杯!? 飲めないって! 飲めないからそんなに! もうそのへんでやめて黄蓋さん!!」
「祭でよいと言っておるのに……ほれ、これしきも飲めんでなにが男か」
「酒を飲める量に性別関係ないよ!?」

 華琳の視線の先に居る北郷一刀という名の男は、妙齢の女性に大きな杯を持たされ、そこに酒を注がれて慌てている。
 自分の策を看破してみせ、彼女自身が死にかけた事実に謝罪もせず、胸を張った姿が気に入ったとかで、こんなことになるとは予想だにしなかった彼は今にも泣きそうだった。
 戦っていた姿はなかなかに凛々しかったというのに、ちょっと目を離せばこんなものである。

「んっ……ぐっ……ぐっ……───ぶはぁあっ!! は、はぁっ! はぁっ……! の、飲めた……!」

 杯を乾(ほ)すと書いて乾杯。名の通り、全てを飲み干すのが礼儀である。妙齢の女性、黄蓋もまた同じ大きさの杯を傾け、まるで水を飲むかのようにスッと飲み下す。
 逆に一刀は、あまりの量に目を白黒させながらなんとか飲み切った。

「おう、では次じゃ。いけい」

 だが無情。窒息寸前で酸素を得たかのようにゼイゼイと肩を上下させる中で、置くこともせず手に持っていた杯にバシャバシャと酒が注がれてゆく。
 一刀は当然「えぇっ!?」と小さな悲鳴を上げるが、聞いてくれるわけもない。
 なにか逃げ道はないかと立食ぱあていで賑わう景色を見渡すが、あるものといえば酒と料理くらいである。
 いや、ならば料理を食べていれば酒から逃げられるのでは? 彼がそう考えるまでに、そう時間はかからなかった。
 ……が。

「い、いや、俺そろそろ……な、なにか食べ物食べたいかな〜とか………………ねぇ。なんで俺の前にだけ、北郷一刀専用って書かれた皿と禍々しい“料理……?”があるの? これ、さっきまで向こうのほうになかったっけ」

 自由に歩き、欲しい物を取って食べる立食ぱあてい。
 だというのに、いつの間にか自分の前にある“料理?”。
 匂いを嗅いだだけで涙が滲んでくるそれは、いったいどんな材料から作られた“料理?”なのか。疑問符がなければ料理とはとても呼べないのは確かである。
 一刀はそれが“自分専用”と書かれていることに、いっそ滲んだ涙を滝にして泣きたくなった。

「ありがたく食え北郷。それは私が作ったものだ」
「なんですって!? しゅ、春蘭が……!?」
「なんだ、悲鳴みたいな声をあげて。ああ、そっちのは関羽が作ったものだ。……丁度いい、どちらが美味いか北郷、貴様に判断してもらおう」
「………」

 さあ、と促されると、サア、と血の気が引く音がした。
 ここで何も言わず、女の出したものを食べてこそ漢たるものだろうが───

「…………《ゴ、ゴクッ……!》」

 重苦しく飲み下す、嫌な味の唾液。
 目の前に存在しているものは、人が食べられるように“開発”されているのだろうか。
 一種の殺戮兵器と見紛うほどの存在感と異臭。
 ムワリと湯気らしきものが風に乗って目に当たると、ぼろぼろと涙がこぼれてくる。
 今すぐ逃げ出したい衝動に駆られるが、 なんとなく何処へ逃げても追ってくるような気がした。
 誰かの手によって、自分が気づかないうちに。
 そうなればあとは覚悟を決めるかどうか、なのだが───

「…………黄蓋さん! 俺……酒飲むよ!!」
「おう、それでこそ男よ!」

 死にたくはないので、せめて味が知れている酒へと方向を定める。
 もちろん、それで全てが済むほど彼の周りはやさしくはないのだが。

「なにぃ!? 北郷貴様! 私の料理が食えないのか!」
「い、いや決してそういうわけじゃヒィ!? 空を飛ぶ虫が“臭い”に誘われて息絶えた!?」
「さあ食え!」
「うわややややめてやめてぇええっ!! 食べる食べます食べさせていただきますから押しつけないで押しつけ《がぼっ!》ふぐっ!? ───ハッ!? こ、この口の中でとろけるような食感は───と、とろけ……溶ける! 口の中が溶けギャアーーーーーッ!!!」

 ───賑やかな宴の席でひときわ賑やかな場所。
 そんな賑やかさを目にし、耳にし、誰にも知られることなく小さく笑む少女。

(ふふっ……)

 彼の周囲はいつでも騒がしく、そんな空気が彼女はいつの間にか好きになっていた。
 ひどく穏やかに、ひどく賑やかに。
 ようやく戻ってきた“魏の空気”とともに酒を飲むと、その美味しさに笑みがこぼれた。

(……美味しい……わね……)

 あんなにも不味いと感じていたものが美味いと感じられる。
 曹孟徳という存在が、こうも一人の男の存在に心も、味覚までも左右されるなんてと小さく毒づくが、心の中でいくら毒づいてみせたところで誰にも届くわけもなく、逆にそれが可笑しくて笑っていた。

「口直しっ! 口直しをっ……! 溶ける! ほんと溶ける!」
「隊長! これを!」
「すまん凪!《モグリ》ぷぉおっふぇええっ!!? かっ……辛ァアアーーーーーーーーッ!!?」
「うわっ! 隊長が激辛メンマ食いよった!」
「あれ、たしかこの前の宴の時に真桜ちゃんが食べて気絶したやつなの……」
「やぁ〜〜〜……口直しにあれ食べるなんて、隊長も漢やなぁ……」
「口が直されすぎて痛い! みっ……水っ! 水くれ!」
「なにをやっとるかまったく……ほれ、さっさとこれで流し込まんか」
「すすすすいません黄蓋さん!《ゴクリ》ぶはぁっ!? これお酒じゃないですか!!」
「うん? そんなもの水みたいなものじゃろ」
「そうよ一刀、こんなの水水〜♪ あ、今度は祭じゃなくて私が注いであげるね〜? ほらほら、杯持って」
「雪蓮!? いつからそこに!? じゃなくて辛さにやられた喉に酒ってかなり痛いんですよ!? 解ってる!?」
「そ、それで……どうだったんだ北郷! 美味いか!? 美味かっただろう! 美味かったと言え!」
「口直しって言葉聞いておいて!? あ、あー……えっと……オ、オーマイコンブ?」
「おぉー……? なんだ、それは」
「えぇっ!? え、えと……て、天の国、での〜……そのぉお……料理への、褒め言葉…………かな」
「おぉそうか! ならばもっと食え!」
「たすけてぇえええええええええええっ!!!!」

 宴は続く。
 いつの間にか宴の中心に居る彼を見て、少女は長い長い息を吐いた。
 
(……いい天気)

 空を仰ぎ、誰にも聞こえない声で呟く。
 自分の物語の中で胸を張って生きる───そう決めた彼女は、きっと心から胸を張れてなんていなかった。
 自分一人ではここまで辿り着けなかった。
 赤壁で力尽きるか、先へ進めたとしても天下を取るのは自分ではなかったのだろう。
 己の国の武を低く見るのではない。
 己の国の武を誇ればこそ、そうだったのだろうと思うのだ。
 彼の言葉がなければ夏侯淵は死に、彼の助言がなければ自分たちは赤壁で火計に陥り、大打撃を食っていた。

「………」

 時折に、天命とはなにかと考える。
 真に天命をと望むのであれば、自分は彼の言葉を断固として聞き入れるべきではなかったのではないか。
 そんなことを考える日々を過ごしては、首を振って溜め息を吐いてきた。
 しかし───今。

(……なんだ、そんなの……簡単じゃない)

 こうして心から笑う魏の武官文官を見て、苦笑をもらす。
 そう、簡単なことなのだ。

(こうして今、自分が笑むことの出来る場所がある。民が、将が本当の笑顔で手を繋げる。こんな場所に辿り着けたのなら───)

 いたずらに武を振るい、手に入れるものが全てではない。
 この場に集まる皆で騒ぐことの出来る今を手に入れる道が、彼の言葉から生まれたものならば。

(私は、聞き入れてもよかったんだ───)

 これ以上の“現在”など想像できないのだから、これでいいのだろう。
 彼は自分を犠牲にしてまで、こんな穏やかな現在をくれた。
 その上しっかりと戻ってくれもしたのだから、これ以上なにを望むのか。

(こんな簡単なこと、曹孟徳ともあろう者が……)

 ちらりと、口から白いモヤのようなものを吐き出して倒れている彼を見る。
 仰いでいた空から戻した視界は太陽の残照を少しだけ残し、そんな視界が彼の服と重なって、なんだか輝いて見えた。

(私が望む限り、か)

 彼という存在が、本当に自分の願いの果てにあるものなのか。それが真実なのかなど、誰も知らない。
 知らないが、また会いたいと口にしたことでそれが叶ったというのなら、信じてもいいと思えた。
 そんな自分にやっぱり苦笑して、彼女は歩きだす。
 そろそろ彼を自分の傍に置きたい。
 話したいこと訊きたいことはまだまだたくさんあるのだ。
 自分以外の女性に振り回され続ける彼の姿が、なんとなく嫌だったという理由も少しだけある。
 そもそもどうして立食ぱあていだというのに、彼はわざわざ自分から離れた位置に立っているのか。
 もちろんそれは黄蓋と話をするためだったのだが、解っていても納得がいかないことっていうのは存在するのだ。
 自分だけ焦がれているみたいで嫌だということも、自分から離れていった一刀に少しムカリと来たのも事実だろう。
 だから彼女は曹孟徳としてではなく一人の華琳として、気に入っているものを取り戻すために動き───

「か〜〜〜り〜〜〜ん〜〜〜さぁ〜〜〜んっ、つっかま〜えたっ♪」
「《もにゅり》ふひゃあっ!? なっ───桃香!?」

 栗色の悪魔に、背後から胸を鷲掴みにされて停止した。

「えへへへへへ〜〜〜……華琳さ〜〜ん……? さっきからどこ見てにこにこしてたの〜〜〜? お兄さん〜? 御遣いのお兄さんなんだね〜? うひゅふふふへへへへ〜〜……」
「《ぞわわわわわわっ!!》だっ……誰!? 桃香にお酒を飲ませたのは!」
「誰でもい〜〜でしょ〜〜っ? そんなことよりほら〜、こっちに来てみんなと一緒に楽しいことしよ〜〜っ?」
「せっかくだけどお断り───…………動けない!? なんて馬鹿力してるのこの子!」

 酒でいろいろと外れているものがあるのか、劉備の握力はかつて対峙していた時のそれとは一線を画した先へと立っていた。
 傍迷惑な一線である。

「ほらほら〜……来てくれたら胸が大きくなる、私と愛紗ちゃんと紫苑さんと桔梗さん印の秘密の運動の仕方、教えてあげるから〜……♪」
「《ピクリ》」

 その時華琳に電流走る…………っ!

「ひっ……ひ、ひひひ必要、ないわよ……!? 必要ないわよっ! 必要ないから離しなさい!」

 が、勝ったのは王としての意地!
 華琳はワナワナと震えながらも誘惑に打ち勝───

「えへ〜……背も伸びるよ〜?」
「《ギシリ》」

 ───ったところで、さらに電流走る…………っ!
 脳内では天使と悪魔が葛藤を繰り広げ、ついには───! というところで、助け船が流れ込んだ。

「何を言っている! 華琳様はそのお姿だからこそいいのだ!」

 魏武の大剣、春蘭様である。
 いつの間に喧噪の渦中から抜け出してきたのか、少々酒気に頬を赤らめてはいるが、猫化まではしていない様子の彼女は───いっそ雄々しくドドンッと登場し、桃香から華琳を剥がしにかかる……!
 ……のだが。

「……春蘭。それは私など貧相な姿で十分だと。そう言いたいの?」
「え? いえあの……あれ? か、華琳様?」

 ヒクリと頬を引きつらせながらの華琳の笑顔を見て、伸ばした手は宙を彷徨った。

「───案内しなさい桃香。それと───ふふふ……! いつまでも触ってるんじゃないの……!!」
「《ぎゅききぃっ!!》いたたたたたっ! いたっ! いたいいたいー!!」

 いまだに胸を触っていた桃香の手を指で強く抓り、フンと吐き捨てて歩き出す。
 痛みで酔いが覚めたのか、途端にあわあわし始める桃香だったが、「もちろん、嘘だったら一度地獄の苦しみを味わってもらうわ」という華琳の言葉に、今さらウソでしたなどと言えるはずもなく───その日。一人の少女の悲鳴が宴の席に響き渡った。

「ああ……綺麗なお花畑が見える……」
「隊長!? 隊長ーーーーっ!!」
「衛生兵呼びぃ! 一刀!? しっかりしぃや一刀ーーーーっ!!」

 そしてもう一人、この宴の席での唯一の男性が今、魂となって己の口から旅立とうとしていた。





09/お酒の味と危機の味

-_-/一刀

 ふと目を開けると夜空があった。
 視界いっぱいに広がる夜の空は、気温の所為だろうか、どこか冷たく感じる。
 視線をツと横にずらしてみれば、目に映る賑やかな景色。
 どうやら宴はまだ続いているらしく、視線を横に向けるまで、そこが賑やかだったということにさえ気づかなかった。
 気づいてしまえば耳に届く、喧噪という名の祭囃子。
 どんちゃん騒ぎっていうのはこういうことを言うのかな、なんてしみじみと思う。……べつのなにかが見えた気がするけど、俺は見なかった。見なかったさ。

「さて……」

 雪蓮と祭さん(結局無理矢理呼ばされた)に酒を、それこそ浴びるように飲まされてから……───の、記憶がない。

(あれ? 俺どうしたんだっけ)

 体を起こしてみる───いや、起こそうとしてみると、腕に圧迫感。
 見れば、人の右腕を枕にして寝ている劉備……劉備!?
 何故、と思いながらも左腕の圧迫感も気になり見てみれば、そこには黒髪のゲェエーーーッ!! か、かかか関羽さん!?
 あぁ、さっきそこにあっても意識的に見ないようにしていたものの正体はこれかっ!
 神様これは何事ですか!? 俺に恨みでもあるんですか!?
 と、とにかく迅速に行動を……───ダメです動けません!
 しかもどっちを先に起こしても死亡フラグが立っちゃう気がするんですが!?

「とにかく……うわっ! 二人とも酒くさっ!」

 むわっと香る匂いに思わず目を閉じる。
 そんなことをして匂いが消えるわけでもないが、反射的な行動だったからどうにもならない。
 もしかして酔い潰れて寝てる……? それにしたって、なんだって俺の腕を枕に。

「う……」

 どちらを向いても、整ってはいるがどこか幼さを残した綺麗な顔立ち。
 無防備な寝顔を見て、心臓が高鳴ったのは覆せない事実だ。
 特に劉備は何故か頬を赤らめて、閉ざされている瞼の端には涙の痕があり、それらが余計に幼さを感じさせた。
 なんというかこう、無条件で守ってやりたくなるような、そんな感情が湧き出してくる。
 べつに嫌ってるわけでもないし、関羽がせめて敵視しないでいてくれたらな、とは思う。初見ってわけでもなかったが、印象が悪すぎた。なにせ覗きだ。

「……はぁ」

 そうやって理想を心の中で語っていると、視界の隅でゆらりと動くなにか。

「………?」

 仰向けに寝転がった状態で天を仰ぐように、上を見やる。
 視界に入ったのはネコミミと言っていいのか解らないフード。そして……ニヤリと笑う、どこぞの軍師様。

「ふふふふふ……北郷? 目覚めの気分はどうかしら」
「桂花…………これはお前の仕業かっ!」
「あら、そんな大声を張り上げていいのかしらぁ? 貴方が関羽に嫌われているのは知ってるのよ? ここで起こして、貴方なんかの腕で寝ていたことに気づいたらどう思うのかしら」
「うぐっ……」

 心底楽しそうな顔がさくりさくりと近づいてくる。
 しかも両手にはなにやら禍々しいオーラ(湯気であってほしい)を放つ料理……! まずい、この状況はよろしくないっ!

(いい! とりあえずあのオーラ料理を食うくらいなら、怒られる覚悟で二人の頭の下から腕を解放 《グイッ》……おや?)

 まずは関羽から、と思ったわたくしの腕が、その関羽自身の手によって掴まれます。
 何事? と見てみれば、うっすらと開いた目からは無言の重圧……!

「……桃香様をお起こしになること、この関雲長が〜〜……んむー……許さ〜ん……」

 関羽さん!? 貴女起きてらっしゃって……ってネボケてらっしゃる!!
 寝惚けていても王の身を案ずるその在り方、なんと見事……って言ってる場合じゃないんだってば!!
 関羽起きて! 関羽ーーーーっ!!

「っ……ええいっ!」

 ならば劉備! 彼女の頭の下から腕を逃がして───殺気!?

「…………《ゴゴゴゴゴゴゴ……!》」
「え、あ……え……か、関羽サン……? ね、寝惚けていらっしゃったんじゃ……」
「刺激臭がするので起きてみれば……貴様、これはどういうことだ。何故貴様が私の隣で寝ている……!」
「ど、どういうこと〜と仰られましても、ぼぼぼ僕のほうこそが訊きたいくらいでして……!」

 ば、馬鹿な……! なんだ、この尋常ならざる力の波動は……!
 戦場での兵たちはこんな殺気を前に立ち向かっていたというのか……!

「あ、あのー……ですね、関羽さん? まずは状況の整理と、出来ればそのー、腕を離してくれるとありがたいというか……」
「! ふひゃああっ!?」

 あ、飛び跳ねた。
 寝てたっていうのに器用だな〜なんて思いながら、関羽が俺を挟んだ隣に眠る劉備を見てハッとするのを見届けると、心の中で静かに十字を描きました。エイメン。

「桃香様!? なぜ桃香様が───き、ききっ、き、貴様……!《ジャキリ……!》」
「気づいてなかったの!? 何処から出したのその青龍偃月刀! ツッコミどころ多いなぁもう! いやそれよりもまず落ち着きましょう!? これ全部桂花───筍ケが企てたことで!」
「なにを馬鹿なことを! 筍ケなど何処に居る!!」
「えぇ!? すぐそこに───あれ居ない!!」

 けっ……桂花……サン? 桂花さん!? ウソでしょう!?
 こんな状況だけ残して、自分だけはちゃっかり退避ですか!?

「この関雲長の青龍偃月刀を前に虚言とは……その胆力だけは褒めてやろう」
「嬉しくない! 全然嬉しくない! はははは話をしよう! 誤解があるから解かせてほしい!」
「誤解などない。貴様が桃香様の、あ、あああられもない姿を覗いたことに、なななんの誤解がある。その上、こ、ここここのようなぁあ……!!」
「だからそれが誤解なんだって! いいから話を───!!」

 相当に重いはずの青龍偃月刀を片手で持ち上げ、頭上高く振り上げる姿に思わず“ゲーッ!”と叫びたくなる。
 しかしここまで騒いでいれば当然、隣の彼女もいい加減目を覚ますというもので。

「んう……なに〜……?《ズキッ!》はうっ! ……は、はたたた……なんか頭が痛……え? ……ひゃうっ!」

 目を開けた劉備は二日酔い……二日目かどうかは別としても、頭の痛さに顔をしかめるが、自分がなにを枕に寝ていたのかに気づくと、俺の顔を見て上半身だけを起こした。
 これでようやく自由の身! 俺は今こそ自由を手に、身を起こすことで振り下ろされる青龍偃月刀から逃走し、完全に立ち上がると…………振り向いた途端に喉に青龍偃月刀を突きつけられ、両手を上げるしかありませんでした。
 ……儚い自由と人生でした。

「あ、愛紗ちゃん!? ちょっと待ってなにやってるの!?」
「いえ桃香様。この者は桃香様が眠っているのをいいことに、お、己の腕の中に桃香様を引きずり込んで───!」
「えぇっ!? ち、違うよ違うっ、御遣いのお兄さんは私が華琳さんにその、いろいろやられてるときにはもう眠ってたの!」
「その後に目覚めて引きずり込んだという可能性が無いと言い切れますか?」
「してないしてないっ! そもそももしそうしたとして、片手が塞がってるのにどうやって二人に腕枕なんて出来るんだ!」

 思い切り首を横に振る。
 誤解で斬首されたんじゃあ俺の人生、首が幾つあっても足りやしない。

「とにかく、だめだよ愛紗ちゃん。せっかくみんな仲良くなったのにこんなことしちゃ。華琳さんも言ってたでしょ? どれだけ笑顔を見せても、握り拳をしてたらお話なんて出来ないんだから」
「うぐ……し、しかし桃香様、この者は桃香様のお召し換えを……」
「それは忘れていいのっ!」

 先ほどのように、夜の暗がりでも解るくらいに顔を真っ赤にした劉備が叫ぶ。
 俺はといえば、ようやく引いてもらえた青龍偃月刀を見て長い長い安堵の溜め息を吐いていた。
 そうしてからまじまじと、劉備と会話をしている関羽を見やる。
 身振り手振りでわたわたしながら話をする劉備とは対象的に、どっしりと構えて話をする関羽。
 その表情からは、安堵だの困惑だの、自分の主が壮健であることなどの、劉備への思いが溢れている。
 つくづく忠臣だなぁと思ってしまうのは、仕方の無いことなのかもしれない。
 これが華琳だったら、間違いなくアッチの方向へと転がるんだろうけど。

「………」

 ていうか俺、どうしてここに放置されてたんだろ。
 ちらりと見やれば賑やかな宴の席。そこから少し外れた、パッと見るだけでは目立たない場所に寝てた俺。
 桂花がそうしたにしても、せめて部屋に寝かせるとかは…………なんて思っていると、宴の席からこちらへ歩いてくる人影。
 上気した顔で、ホウと息を吐く彼女の手には、重ねられた二つの杯と一本の大きめの徳利。
 金髪のツインドリルテールをゆらゆらと揺らしながら、彼女……華琳は目立たないこの場へと歩いてきた。

「……? あら、目が覚めたの」
「ああ。……で、これってどういう状況?」

 頑固者に言い聞かせるように、やがてヒートアップしていく劉備の声調。
 対する関羽は少し困ったような顔をしながらも、その言葉を受け止めていく。
 ……俺の話題が出るたびに苦笑に歪む顔が真面目顔になるのを除けば、それはまあじゃれ合いにも見えた。

「貴方が春蘭と愛紗の料理を食べたあとに凪の激辛料理を食べて、お酒を飲みすぎて気絶した。ここまでは覚えている?」
「え? あ、あー…………思い出した。けどその後、お花畑に行ったよな? 何処だったんだあそこ、綺麗だったなぁ」
「………」
「……? 華琳?」
「い、いえ、なんでもないわ」

 苦笑をもらしながら、華琳は杯の一つを俺に促す。
 両手が塞がっている彼女の手から一つの杯を取ると、ハテ、と思いながらも酒が注がれていないソレを見る。

「少し付き合いなさい。他の子とはもう、散々楽しんだでしょう?」
「付き合わされたって言っていいんだと思うけど……この状況への説明は無しか?」
「そんなの私が訊きたいくらいよ。私が知っているのは、一刀が倒れたことくらいだもの。それからのことは、むしろ一刀のほうが私よりも詳しいでしょう?」
「む……そうかも」

 木の陰になっているところを除けば広めの場所。
 その適当な場所に向かい合って座ると、華琳の手から徳利を抜き取って酌をする。
 そのまま自分の杯にも注ごうとするが、それは華琳に止められた。

「華琳?」
「人のは酌しておいて、自分は自分でするつもり?」
「や、でもな、華琳は王で───」
「宴の席でいちいち堅苦しいことを言わないで頂戴」

 言いながら徳利を奪った華琳は、俺の杯に酒を注いでくれた。
 そうしてから徳利を置くと、なんだか改まって言うのも恥ずかしいけど視線を合わせて───

『乾杯』

 多めに注がれた酒を一気に飲み干す。
 ふぅ、と息を吐くと再び交差する視線。
 なんともムズ痒い状況に思わず笑みがこぼれて、少しだけ笑った。

「…………なぁ。ここに俺を運んだのって華琳か?」
「あら。なぜそう思うのかしら?」

 再び注いだ酒を、今度はちびちびと飲みながら言う華琳。
 俺も同じく、言い争いとはまた違った、やさしいじゃれ合いをしている劉備と関羽を肴に、のんびりと味わいながら飲んでゆく。

「いや、特に主だった理由があったわけじゃないけどさ。部屋に運ばれることもなく放置って意味では、今日の華琳ならやりそうかなって思った」
「………」

 酒からくる上気とは違うのだろうか。
 頬を赤くしてそっぽを向く華琳は小声で何かを言ったが、それは劉備と関羽の話し声に掻き消されて届かなかった。
 代わりにズイと杯を突き出され、一度頬をコリ……と掻いたのちに酒を注いでいく。
 “いいから一緒に酒を飲め”ってことでいいのだろうか。

「なぁ華琳」
「……なによ」

 注いだ酒をちびちびと飲みながら上目遣いに睨んでくる姿に、“俺、なんか悪いことした?”と訊きそうになるのをなんとか堪える。
 言葉を飲み込むようにして酒を飲み、喉を鳴らしてから真っ直ぐに目を見ると……訊きたかったことを訊くことにする。

「……酒。美味いか?」
「………」

 訊かれた華琳は“なにを言ってるんだろうかこの男は”って顔をして……けれど小さく溜め息を吐くと、ちびちびとではなくスッ……と喉を鳴らし───

「……ええ。悪くないわ」

 目をやさしく細めて、そう言った。

  “そんなの、一年も前から不味いわよ”

 川のほとりで聞いた言葉を思い返すと、自然と俺の目も細る。
 だから俺は「そっか」とだけ返して、酌をする。

「ふぅ……それで? あれはいったいどういうこと?」
「うん? ……ああ」

 促されて華琳から視線を外してみれば、いまだなにかを言い争っている劉備と関羽。
 酒のことで話題が逸れたが、そもそもその話もしていたことを思い出す。

「ちょっとゴタゴタがあって、そのことについて譲れないものがあるらしい」
「ごたごた?」
「さっきまで俺、ここで倒れてただろ? ああ、もう華琳がここに寝かせたって方向で話を進めるけど」
「ええ、事実だから構わないわ」
「やっぱりそうなの!?」

 帰って早々、人に風邪でも引かせたいんだろうかこの人は。
 ああ、いい、今さらだ。華琳はこうだから華琳なのだろう。

「ああ、えと……うん。……ふと目を覚ますと、空は夜だった。まず目に入ったのは星が輝く夜空。離れた位置からは宴の喧噪が届いてきて───」
「簡潔に話しなさい。なんなのよ、その妙な回りくどい話方は」
「いや、雰囲気が出るかな〜と。うん。えっとな、目が覚めたら大の字に寝てた俺の両脇に、俺の腕を枕にした関羽さんと劉備さんが居た」
「《ビキッ!》…………一刀?」
「待て待てっ! いいから最後まで聞いてくれっ! 全部桂花が仕組んだことだったんだよ!」
「桂花が? 桂花の細腕で愛紗や桃香を運べると思っているの?」
「あ」

 あれ? じゃあ待て、なにかおかしいぞ? まさか…………共犯者が……居る……? と考えて、また違和感。

「……ちょっと待て? なんだって劉備さん、あんなに俺のこと庇ってるんだ?」

 耳を傾けてみれば、「お兄さんは悪くないよー!」とか、「桃香様は少々人を信じすぎます!」とか、酒を飲む前よりも熱くなっていってる会話。
 違和感というか疑問は消えることを知らない。

「………《じぃいいいい……》」
「ほんとなにもないよっ!? 睨まれても知らないから!」
「ふぅん……? その割には、いつの間にか“お兄さん”で定着しているほど仲がいいみたいだけど?」
「う……その点は俺にも解らない」

 風がハキハキと元気になったらあんな感じになるのかなぁなんて、能天気なことを考えてる場合じゃない。
 とりあえず俺は、華琳に劉備のことを訊いてみることにした。
 華琳にいろいろされた、とか言ってたから少しは知ってるんじゃないかと思うし。

「桃香の行動? ……虚言を口にした罰を与える前は、雪蓮と話し込んでいたわね」
「雪蓮と?」
「ええ。その後もふらふらになりながら雪蓮のところに行って………………ねぇ一刀?」
「ああ。俺もなんとなくそうじゃないかなって思ってる」
「貴方が引きずり込んだ可能性も否定できないけど?」
「それはしてない。誓ってもいいよ」

 慌てそうになる自分を押し込みながら、真っ直ぐに返す。
 華琳は「そう」とだけ言って、雪蓮のことを疑問に思った時点で俺に対する疑惑は無くなっていたのか、軽く頷いてくれた。

「桃香。ちょっといいかしら」
「ふぇっ!? あ、な、なにかなっ華琳さんっ」

 謎が謎のままなのが許せないのは性分なんだろうか。
 間も取らずにすぐに劉備に声を掛けると、自分の隣に座るように劉備に促す華琳。
 主が座したならばと関羽もそれに習って……何故か俺のことを睨んでます。

「訊きたいことがあるのだけれど。倒れていた一刀の腕を枕に眠っていたのは本当?」
「ひうっ!? う、えと、その…………」
「曹操殿、それはこの男が───!」
「愛紗、少し黙っていて頂戴。今は桃香の口から聞きたいの」
「う……し、しかし……」
「まあまあ華琳、そんなに邪険に───ってなんで俺のこと睨むの関羽さん!」

 この状況、俺は口を開くことはしないほうがいいのかもしれない。
 なんとなくそう思い始めてる俺が居た。…………酒でも飲んでよう。

「えっと……上機嫌の雪蓮さんにお酒に誘われて、お兄さんの話を聞きながらお酒を飲んだ……ところまでは覚えてて、気づいたら華琳さんに手を抓られてて、い、いろいろされて……そのあとでまた雪蓮さんに捕まって…………」
「雪蓮ね」
「ああ、雪蓮だな───だから睨まないでくれったら! 喋るだけで睨まれるって、どこまで嫌われてるんだよ俺!」
「愛紗。貴女はどうして一刀の隣で寝ていたのか、覚えていないの?」
「は……星に酒を呑まされ、その途中で笑みを絶やさぬ桃香様に、さらにさらにと呑まされたところまでは覚えているのですが……」

 みんなの視線が劉備に注がれる。
 ……うん、そうだね、俺の嫌われ具合はどうでもいいんだね、みんな。

「し、ししし知らない知らないっ、私そんなの知らないよっ!?」
「桃香……貴女は少しお酒に強くなりなさい。大胆になるなとは言わないけど、貴女の場合は少しいきすぎよ」

 そういえば……桂花は自分でやった、なんてことは一切口にしてなかった。
 してなかったからって、謎料理で人を毒殺していいわけでもないが……実害を被らなかった分、ことあるごとに俺を睨む関羽と、宴の中で華琳を探しているであろう春蘭よりはマシなのかもしれない。
 “そうしよう”と思っててあの料理を作っていない分、関羽と春蘭も性質が悪いんだけど。

「まあそれはそれとして。桃香? 雪蓮が貴女に話していたことっていうのはなに? 一刀のことだというのは解っているわ。その内容を話しなさい」
「曹操殿、それはいくらなんでも勝手が過ぎませんか」
「あ、ううん、いいんだよ愛紗ちゃん。べつに隠さなきゃいけないことじゃないし、お兄さんは魏に降りた御遣い様なんだから、ちゃんと許可は取らなきゃ」
「許可……?」

 ハテ、といった感じに疑問の色を浮かべる華琳。
 かく言う俺も、頭の中は疑問符でいっぱいだ。

「お兄さん、私とも手を繋いでくれますか? 国を善くしていくために、国に返してゆくために」

 けど、この劉備の言葉で納得の二文字が思考に溶け込んでゆく。

「なっ……桃香様!? このような者の力を借りずとも、蜀は───!」
「……ううん、愛紗ちゃん。それじゃあダメなの。私、雪蓮さんからお兄さんのこと聞いてて思った。伸ばした手、伸ばされた手を取り合って、みんなで作れる笑顔が欲しいって。そのためには、私達だけがどれだけ頑張っても意味がないの」
「桃香様……」
「……私ね? みんなのことが好き。ここに居るみんなや、街の人達の笑顔が好き。でも、それって蜀の国だけで手を取り合ってても続いてくれる笑顔なのかな」
「それは……」
「華琳さんにはまた“甘い”とか言われるかもしれないけど、今ならそれも無駄な夢じゃないって胸を張れるよ。私には誰かと戦う力が無い。朱里ちゃんや雛里ちゃんみたいに頭を働かせるのもあんまり得意じゃない。それなら私は、手を繋げないでいる誰かと誰かの間に立って、繋ぐことの出来る“手”になりたい」

 劉備はそう言うと、俺と関羽との空きすぎている間に座って、左手を俺に、右手を関羽に伸ばす。

「愛紗ちゃんは……私の手を取るのは嫌かな」
「と、とんでもありません!」

 その右手に、関羽が手を伸ばす。

「御遣いのお兄さんは、私と手を繋ぐのは嫌ですか?」
「……いいや。でも俺は、どうせなら関羽さんとも繋ぎたいけど」
「お断りする」

 即答でした。ええ、解っておりましたとも。そう思いながらも繋いだ手はやっぱり小さく、女の子なんだなぁとしみじみと思わせた。
 外見からして当然なんだけど、こんな子たちが乱世を駆け巡ったのだと思えば、今さらとはいえ改めて驚きたくもなる。

「はは……まあ、今出来ないことを今どうのこうのと言っても始まらないよな。……姓は北郷、名は一刀。字も真名もない場所から来た男だけど……よろしく、劉備さん」
「あ、うん、こちらこそっ。えへへー……男の人のお友達って初めてかも……えっと、姓は劉、名は備、字は玄徳。真名は桃香だから、そう呼んでね、お兄さん」
「桃香様!? こんな男に真名を許すなど!」
「ほら〜、愛紗ちゃんもいつまでも怒ってないで、挨拶挨拶〜」
「なにを暢気なっ! 一国の王たる御方が、こんな男に───!」

 ……そして再び騒ぎ始める二人。
 それを再び肴にしつつ、俺は華琳との酒を再開させた。

「随分と慕われているじゃない」
「嫌われっぷりのほうが凄まじいだろ、どう見ても」
「それだけ愛紗にとっての桃香は大事な存在ってことでしょう? 呉に置き換えれば蓮華を思う思春のようなものよ」
「…………? 孫権は解るけど───」
「孫権と甘寧よ。……そうね、一刀。貴方はまず、この宴の席に居る全ての者の真名を覚えるか知るか、どちらかをなさい」
「それって真名を呼ぶことを許されろってことだよな? ちょっと無茶じゃないか? 雪蓮と桃香の真名を許されただけでも奇跡に近いのにヒィッ!? だだだだから睨むなってば!! その物騒なものしまってくれ関羽さん!」

 桃香……劉備の真名を口にした途端に殺気が溢れ、視線をずらせば青龍偃月刀。
 もちろん握っているのは関羽さんで、怒るとか悲しむとかそういう次元の表情ではなく、ただただ冷たい表情がそこにありました。
 こんな目を向けられれば、ジョセフだって売られてゆくブタの気分にもなるさ。

「なにも今すぐにとは言わないわよ。もちろん私も、皆に“一刀に真名を許しなさい”なんて言を放たない。貴方が繋ぎたい手というのは、言われたことをやるだけの相手ではないでしょう?」
「む……そんなことないぞ。言われたことしかやらないヤツだって、覚えれば出来るようになる。そうなれば、今すぐなにか出来る必要なんてないじゃないか」
「……はぁ。本当に甘いわね。どっかの誰かさんといい勝負だわ」
「うう……華琳さん、どうして私のこと見るのかな……」
「ていうかあのー、関羽さん? 俺のことが気に入らないのは解ったけど、せめて武器を向けるのだけはやめてくれないかな……」
「そうだよ愛紗ちゃん。華琳さんの前で魏の人に刃を向けるのはよくないことだよ」
「う……」

 桃香に言われて、ようやく青龍偃月刀を引いてくれる関羽。自分でも解っていたんだろう、申し訳なさそうに華琳に謝っていた。

「いいわ、気にしてないもの。それより桃香? 許可がいる、というのは自己紹介のことだけではないでしょう?」
「うん。手を繋いで仲良しになったところで、いろいろ手伝ってほしいことがあるかな〜……って……」
「はぁ……そんなことだと思ったわ」
「……え? え? なに?」

 華琳と桃香は俺をそっちのけで頷いたり溜め息を吐いたり。
 関羽も桃香の言葉の意味が解っていないのか、ただ「このような者の手伝いなど要りません」とだけきっぱりと。
 ……結構根に持つタイプなのかなぁ関羽って。真面目そうだもんなぁ。悪い意味でカタブツとも言えるのかもしれないけど。

「一刀。桃香は貴方の知識を蜀に役立てたいって言ってるのよ」
「俺の?」

 自分を指差して言うと、桃香はコクリと頷いて真面目な顔をする。

「魏国の治安の良さや警備体制も、元は御遣いお兄さんの立案があってこそだって凪ちゃんが言ってたんです。もちろん今、騒ぎを起こす人なんて成都にはあまり居ないけど……でも、これから始める学校のことで相談に乗ってくれる人が居ればな〜って思って。華琳さん言ってくれたよね? “こちらからも学びたい者を寄越して構わないなら、いろんな技術を教えられる人を派遣しても構わない”って」
「……華琳?」

 ちらりと華琳を見る。
 と、華琳は少し“やられた……”って感じで額に五指を当て、難しい顔をしていた。

「桃香。学校のことについては、確かに一刀ほど知識を持つ存在は居ないわ。学校という呼び名は天の国での……そうね、公立塾とでも言うのかしら? そこから取った名前だそうだから」
「わっ、そうなんですかっ?」

 対して、華琳の説明に胸の前で手を合わせて目を爛々と輝かせる桃香。
 ……ああ、桃香って結構、華琳が苦手なタイプなのかもしれないと思ったのはその時だった。
 加えて言うまでもないが、桃香の真面目な顔は一分と保たなかった。

「じゃあじゃあお兄さん、私達と一緒に蜀に来てくれますかっ?」
「え……けど俺、魏に……───ああいや、解った。俺なんかの力が必要だって言ってくれるなら、喜んで。……いいよな? 華琳」

 勝手に答えを出してしまったが、さすがに華琳の許可無しで出て行くことは出来ない。
 言いながら華琳に視線を戻すと、華琳は「約束を守れるのなら」と言った。

「約束?」
「ええそう、約束よ。“勝手に居なくならない”と、ここで私に誓いなさい。今度こそ、本当に」
「…………じゃ、華琳も。俺のことを“要らない存在”だなんて思わないでくれ。そうすればしがみついていられると思うから」
「………」

 真正面から見詰め合う。なにを言うでもなく返すでもなく。
 その状態は長く続いたが、何を思ったのか───華琳は残り少ない酒の全てを俺の杯に注ぐと、呑めと促してくる。
 俺は首を傾げたのちに軽くそれを呑んだ……んだが、半分呑んだあたりだろうか、軽く斜めにして流し込んでいたそれを華琳がひったくり、驚く俺の前で残り半分を呑んでみせた。
 その顔は真っ赤に染まっていた。

「か、華琳?」
「この宴の席、この杯、そして己の名に誓ってあげるわよ。いいからさっさと行ってさっさと帰ってきなさい。一刀の帰る場所は魏の旗の下なんでしょう?」
「うぐっ……」

 うああヤバイ……! 顔が熱い! 絶対赤面してるぞ俺……!
 いや、でも誓いには誓いを。顔がニヤケそうになるのをなんとか我慢して、俺も誓う。

「ああ。必ず帰ってくる。勝手に居なくなるなんてこと、もう受け入れてやるもんか」

 再び消えるなんてこと、この大地にしがみついてでも許してやらない。
 今度消えるのは天寿を全うするか、華琳の願いが尽きるまでだ。
 俺はそれまで、この大陸に様々なものを返していこう。
 この世界から貰ったものを、俺に出来ること、繋いだ手で出来ることの全てで。

「あ、でも待った」
「え? どうしたんですか?」

 しかし待て、と思い当たる。
 そんな俺の反応に桃香が首を傾げ、華琳が不思議そうに俺を見る。

  “もちろん私たち孫呉にもいろいろと貢献してくれるのよね?”

 思い当たったと言うのか、思い出したと言うべきか。
 桃香の前に、俺は雪蓮にも国への貢献をするという返事をしてしまったことを……うん、思い出した。

「……えっと……俺、雪蓮にも孫呉に貢献するって言っちゃって《ぱかーーんっ!》てぽっ!?」

 杯が空を飛んだ。
 ああよかった、徳利じゃなくて。なんて思いながら、痛む額をさすっていると華琳が突っ込んできて俺を地面に押し倒し、襟首を掴んで揺さぶって……オ、オアーーッ!!

「あ・な・た・はぁああ……!! 戻って早々に見せつけることが武でも知でもなく女を落とすことなの!?」

 曹操殿は大変怒ってらっしゃった。
 そのまま手を振り上げ、往復ビンタでもかましてくれようかって勢いに、俺は慌ててストップを掛ける。

「待て待てっ! 落とすなんてそんなつもりないぞっ!? 俺はただ俺の力で手伝えるならって思っただけで《ずぱぁんっ!》はぶぅいっ!!」

 ……まあ、無駄に終わったけど。

「いつか警備についての立案の際に注意したわよね……? これはなに? 国を善くする計画の立案!? それとも以前のように計画実行のための根回し!?」
「やっ! 華琳の許可を得なかったのは謝るけどっ! 根回しとかじゃなくて、“力が必要になったら言ってくれ”って言っただけで!」
「それは貴方から言い出した時点で、乞われれば断れないということじゃない! 少しは凛々しくなって帰ってきたかと思えば、根本はまるで変わってないわ! どこまで一刀なの貴方は!」
「どんな罵倒文句だそれっ! 北郷一刀なんだから一刀なのは当たり前だぁあっ!!《グミィッ!》ほふがっ!? ふぁりんっ!?」
「この口? この口が口答えをするの? ……今日という今日は我慢の限界だわ! 嘘をついて一年も居なくなって! 帰ってきたと思えば桃香の着替えを覗いて! かと思えば雪蓮を口説くわ桃香を口説くわ!」
「《ぱちんっ!》ふおっ! ……口説いてないっ! 口説いてないぞ俺! それ言うんだったら華琳だって俺を散々からかったじゃないか! 雪蓮から聞いたぞ! 祭さんのことで俺をからかうように仕向けたって!」
「……あらそう、桃香の着替えを覗いたことは否定しないのね?」
「事故だぁあああああああああああっ!!!!」

 華琳が俺の腹にマウントポジションをした状態での口論は続く。
 途中、桃香が「あのー」と声をかけてきたが、「ちょっと席を外してなさいっ!」という覇王の怒号に「ひぃっ」と悲鳴をあげ、関羽を連れ───宴の賑やかさへと消えていった。
 その間にも言い合いは続き、酔っている所為か……気づけば溜まっていたものをぶちまけるかのように、俺と華琳は自分の心をぶつけ合っていた。
 けど……真っ直ぐに自分を見下ろす少女の口から放たれる言葉に、ふと気づくことがある。
 どれだけ王として国を治めていようと、華琳だって一人の人間なのだと。
 日々を不満無く生きる者など居るはずもなく、彼女もまた、その胸に押し込めてきた様々な思いがあるのだと。
 いつしか叫ぶのは華琳だけとなって、俺は黙ってその罵倒にも似た叫びを聞いていた。
 彼女の頭にやさしく手を添え、自分の胸にゆっくりと招き、抱き締めながら。
 その間も罵倒は続くけど───いつか彼女が俺にしてくれたように、俺は彼女の頭を胸に抱き、ゆっくりと撫でていった。





10/今日の日はさようなら

「………」
「………」

 言いたいことの全てを吐き出すことが出来たんだろうか。華琳は叱られた子供のように急に静かになって、俺に撫でられるがままに俺の胸に鼻を押しつけ、すぅ……と息を吸った。

「なぁ、華琳《べしっ!》あたっ!?」

 そんな華琳に声をかけようとしたら、空気を読みなさいとばかりに額を叩かれた。
 地味に痛く、目をぱちくりさせながら華琳の顔を覗こうとすると、華琳はそっぽを向いて言う。

「…………いいわよ、行ってきなさい」
「へ? 俺、まだなにも《べしっ!》いてっ!?」

 頭を撫でるのをやめたらまた叩かれた。
 まるで拗ねた子供だ。
 けど……まあ。
 どうやら俺は、華琳がそんな一面を見せてくれることが思いのほか嬉しかったみたいで───

「………」

 華琳がそっぽ向いているのをいいことに、顔を盛大に崩しながら、華琳の頭を撫でた。
 笑う、というよりはくすぐったいのだ、こんな華琳が。
 だからこう、むず痒く表情を崩した状態で華琳の頭を撫でた。
 もういっそ、ぎゅうっと抱き締めたくなる衝動に駆られるが───

(出過ぎだぞ! 自重せい!)
(も……孟徳さん!)

 別の次元の曹操さんに止められた気がしたのでやめておいた。
 うん、落ち着け俺。

「…………すぅ……」
「……? 華琳?」

 馬鹿なことを考えていたら、ふと耳に届く穏やかな呼吸。
 撫でる手はそのままに、ゆっくりと様子を見ると……どうやら眠ってしまったようだった。
 まあ……結構呑んだもんな。
 けどこんなところで寝てたら風邪引くな……よし。酒での眠りは深いけど短いっていうし、このまま部屋に運んでやろう。

「よっ…………と」

 華琳の体ががくんっと動かないように少し強く抱き締めながら、ゆっくりと体を起こしてゆく。
 そうしてから一度華琳を腹の上からどかし、立ち上がるのと同時にお姫様抱っこで持ち上げる。

「………」

 覇王を抱き上げる時はなんて言うんだろうか。
 覇王様抱っこ? ……覇王様抱っこだな、うん。

(しっかし、寝てる顔は本当に無防備だなぁ……)

 お姫様抱っこの特権。相手が寝ていれば思う存分寝顔を拝見できます。
 いつも気を張っている顔が、この時だけは無邪気な少女に戻る。
 ……こうして、一年ぶりに見た少女の顔はとても穏やかで、こんな顔を守っていけるといいなと……やっぱり思ってしまう自分が居た。
 それがいつになるのか。いつ自分は華琳を、みんなを守れるほど強くなれるのかなんてのは解らないが……この寝顔を見ることで強くなった思いは、決して嘘なんかじゃあなかった。

「はは……頑張らないとなぁ」

 こんな顔を見せられれば、ますます心が奮起する。
 暖かくなった心を胸に、まずは華琳の寝室へと向けて歩きだす。
 華琳には許可はもらったから、あとはみんなの許可……だよな。
 小突かれるくらいで済めばいいけど。

「ただいまを言ったその夜に“いってきます”を言わなきゃいけないなんて……我ながら笑えるなぁ」

 でも、それも仕方ない。
 ただ生きるだけじゃなく、生きる目的を見つけられた。
 それは今すぐどうにか出来ることじゃないけど───少なくとも、今の自分にもこの寝顔を少しの間だけ守れる力がある。
 今はそれをゆっくりと広げて、いろいろなものを守れる自分へと高めていこう。
 そのためにはみんなに怒られることくらい覚悟しないと。

「桃香や雪蓮が帰るにしても、明日すぐってわけじゃないだろうし……みんなには明日話すかな」

 なにも宴で楽しんでいるところに水を差すこともない。けど、機を逃すと話づらくなるし───話さずに行ったらそれこそ刺されそうだし。

「よしっ、まずは華琳の部屋に───」
「部屋に!? ああああ貴方まさか! 華琳様が眠っているのをいいことに、自分の部屋に華琳様を連れ込んで……!」
「───行、くか…………って……」

 華琳から視線を戻し、真正面を見れば……ズンと進行方向に立ち塞がっている筍ケさん。
 しかも物凄く困る場所から聞いてくだすってたらしく、激しく誤解してらっしゃる。

「汚らわしい! 今すぐその汚れた手を華琳様から離しなさい汚らわしい!」
(汚らわしい二回言った!?)

 “汚”という言葉で言えば三回である。
 俺はなんとか怒れる桂花をなだめようとするが、桂花の声が耳に響くのか、華琳が寝苦しそうにモゾ……と動く。
 当然寝返りなんて出来るわけもなく、喉の痞えが取れないみたいに苦しそうな顔をする。
 これは……よろしくない。ならばと俺は桂花に歩み寄り、何故か「ななななによやる気!?」と奇妙な構えを取る桂花に、はい、と華琳を差し出す。

「え? あ、ちょっと!?」

 思わず手を伸ばす桂花へ華琳をお姫様抱っこのかたちのままに渡す。
 「はぐぅっ!」なんて言ってたけど、大丈夫、抱き上げられてる。

「汚らわしくてごめんな。じゃあ、あとは任せた。お前のその穢れのない手で華琳を部屋まで運んでやってくれ」
「あっ、貴方ねぇっ……! はくっ……ふ、ぅう……!!」
「もちろん落としたら大変なことになるので、決して落とさぬよう……貴殿の武力に期待します」
「くぅううっ……! お、おぼえっ……おぼえて、なさいよっ……!!」

 桂花の腕力じゃあ華琳でも重いのか、ズシーンズシーンといった感じに歩いてゆく桂花を見送る。
 最後までそうするつもりだったが、ふと思い立って桂花に近づくと───両腕が塞がっているのをいいことに、その頭をなでなでと撫でる。

「ひっ……!? なっ……触らないでよっ!」
「ん? ん〜…………」

 嫌がられても撫でる。さらに撫でる。
 が、なんとなく危なげに蹴りが飛んできそうだったので、桂花から離れる。

「このっ……変態! 色情魔! 全身白濁液男!」
「………」

 離れた途端に罵倒が飛んでくる。
 言われてみて、そういえばフランチェスカの制服の色って…………と思って、ちょっと傷ついた。
 いやいや、女子だって同じ色のやつ着てるんだから、認めるのは失礼だろう、うん。

「……な、桂花」
「なによっ! 耳が腐るから喋らないでくれるっ!?」
「腐るって……あ、あのなぁ………………ああいいや。一応、いってきます」
「…………《ずしーんずしーん》」

 うわっ、無視して歩いていった!
 でも歩き方がロボットみたいだ……予想外のところで桂花の知られざる歩き方を見た気分だ。
 ……普通こんな状況に陥ること自体が無いんだから、当たり前って言えば当たり前だけど。

「よし、それじゃあ……いきますかっ」

 杯二つと空の徳利を手に駆け出す。
 すぐに酔いの所為でフラつくけど、そのフラつきも宴の一つとして受け取って喧噪の渦中へと突っ込み、賑やかな宴の席を盛り上げていく。
 その途中途中で魏の皆と話をつけていくんだけど、凪が急に「ならば自分も蜀で知を学びます」と言い出した時は本気で驚いた。
 そこはさすがに「警備隊の誰かが抜けるのはまずいだろ」と言うのだが、なんでもついこの間までは真桜が呉に行っていたというのだ。
 思わず言葉に詰まるが、ひとまずは学校というのを“組み立てる”ところから始めなきゃいけない現状。
 生徒を募集……ってヘンな言い方だけど、それが出来るようになるまではまだまだ時間が必要だ。
 その旨を話して聞かせると、凪は残念そうに顔を俯かせた。

「すぐ戻るからさ。な?」
「隊長……はい、お待ちしております」

 凪の頭の上で手をポンポンと軽く弾ませて、撫でてゆく。
 そんな調子で宴の喧噪の中を駆け巡って、騒ぎながら一人一人に説明してゆく。
 呆れる者や怒る者、悲しむ者から励ましてくれる人まで様々だ。

「おおっ……ではお兄さんは、今度は蜀の種馬としてひと花咲かせるわけなのですね?」
「咲かさないよ!? 学校のことでいろいろ話を進めてくるだけだって!」

 ……約一名、予想の範疇をおおいに飛び出した言葉を贈ってくれた人も居たが。

「そうですか。ではでは近い将来、三国同盟全ての人の夫がお兄さんにならないことを祈っているのですよ。それはそれで面白そうではあるのですけどねー」
「あの……風さん? なんかシャレになってないからやめて……」
「いえいえ、そうなれば同盟の絆はもっと深まるのですよという、ひとつの例えをあげてみただけですよお兄さん。もしそうなれば、必然的にこの大陸の父はお兄さんということになりますねーと思っていたのですが……はてさて」
「………」
「同盟と絆を深めるのも大切なことですよーお兄さん。ですからそんな旅立ってゆくお兄さんに、風がお守りを差し上げるです」
「お守り……?」

 少しじぃんときてしまう。
 いつも眠たげに日々を過ごしていても、俺のことをきちんと心配してくれてるんだなと……感極まって泣きそうになった。
 そんな俺の気持ちとは裏腹に、風は頭の上のツヤツヤしている物体に手を伸ばし───

「宝ャ参式、ナマコくんですー」
「ヒィッ!?」

 ひょいと差し出されたのは───胸に太陽の紋章、右目部分に雷をマークをつけたような、丸目がキュートな宝ャではなく。
 黒いボディと斜に構えられた逆カマボコな左目。胸には太陽の紋章ではなく“魏”の文字、右目にあった雷のシンボルのようなものは、天という文字になるように変形されていた。頭にあったはずのトンガリ帽子のようなものはバッファローの角もかくやというほどの立派な二本の角に変貌し……!
 えぇとつまり。正直…………怖いです。

「真桜!! 真桜ォオーーーーッ!! 今すぐ作り直しなさい!! 主に名前を宝ャに戻せるところまでェエエッ!!」
「この宝ャさえいれば、悪い虫などつかないのですよー」
「虫がつかない以前に誰も近寄ってくれなそうなんですけど!? 手を繋ぐどころか悲鳴あげて逃げられそうだよこれ!」

 口に右手を軽く添えて、策士が微笑むかのようにニヤリと笑う風に、正直な気持ちをぶつけてみました。
 すると風は俺の目を見上げつつ、しばし思考の回転に没頭するかのように───

「…………ぐぅ」
「寝るなっ!」
「おぉっ? お兄さんがあまりに真剣に見つめるので、つい体が脱力を選んでしまいましたー」
「真剣に見つめたら寝るのか!? どんな境地なのそれ!」
「解ってるぜー皆まで言うな兄弟。そこからあんちゃんは風が寝ているのをいいことに、あげなことそげなこと」
「しないから! 妙な疑いを宝ャに語らせるのは───ってそもそもほんとこれどうやって動いてるんだ!? つくづく謎で───こらこらこらっ! 頭に乗せようとしな───ヒィッ!? 頭にくっついた! 吸いついたみたいに取れないぞこれ!」
「宝ャはお兄さんの体から溢れ出す、女を惑わす香りに釣られて動くですよ」
「………………いぃいいいやそんなことあるわけないだろっ!」
「お兄さん……今、少しだけ信じましたねー……?」

 ごめんなさい少しだけ信じかけました。思わず手の甲を鼻に近づけて嗅いでしまうところだったし……しっかりしてくれ、俺……。

「……はぁ」

 ───そうやってからかわれたり遊ばれたり、時には泣かれたり怒られたり。
 それでも最後には許してくれる魏のみんなに、心からの感謝を。
 まだ行くって決まったわけじゃないけど……いや待て?
 行くこと前提で話が進んでるけど、本当に俺、行っていいのか?

「えっと……桃香は……」

 宴の席を見渡す……が、前方に栗色の長髪は見当たらず。
 ならば後方と振り向いたその時だった。

「か〜ずとっ♪」
「《がばしっ!》うわっ!?」

 視界いっぱいに広がった笑顔が俺の左頬へと逸れて、気づいたときには体を包みこまれるように抱かれ、ふわっと浮いた桃色の髪が俺の鼻をくすぐっていった。

「雪蓮っ!? きゅきゅきゅ急になにっ!」

 いろんなことでの不意打ちの連続に、そろそろ心が挫けかけてる。
 頭には宝ャ(ナマコというらしい)が乗ったままで、感情の変化によってギチリギチリと動いてるような気さえする。
 これ、俺が疲れてるだけだよね? 動いてないよね? ね?
 試しに取ろうとしてみると、「アモギェエ〜〜〜ッ!!」と、とても嫌な悲鳴を出す始末。
 喋れたのか!? って疑問よりも先に、なんだかとても悲しくなった。
 神様……俺、なにか悪いことをしたのでしょうか……。

「…………」

 ほら見ろ……雪蓮だって大絶賛引きまくり中だ。
 もういっそ壊してくれようかとも思ったが、頭に吸いついているって時点で……なんかこう、壊したら毒針でも出して脳天に打ち込みそうな気が……なぁ?

「え、えっと……それで、なに……?」
「あ、あー……うん……」

 凄いな宝ャMk-3……あの雪蓮を思いきり困惑させてる……。ていうかもう俺泣きたい……。

「ん、んんっ、こほんっ……うん。…………はぁ」

 溜め息つかないでくれ……ほんと泣きたくなるから……。

「桃香に聞いたんだけど……一刀。学校のことで蜀に行くって本当?」
「ん……ああ。一応華琳にも許可を得たし、行こうとは思ってる」
「……“思ってる”?」

 俺の言い方に疑問を感じたのか、少しだけ首を傾げた雪蓮が言葉をそのままに疑問をぶつけてくる。
 俺はそれに苦笑をもらすと───いやいや頭上で怪しげな笑みがこぼれてるのは気の所為だ、気の所為。
 大体どうやって喋ったりするっていうんだ、気の所為気の所為……………………い、いや、カメラとか簡単に作っちゃう真桜が手を加えたならもしや……あぁいやいやいや……!
 あぁでも張三姉妹のマイクにしたって……いやいやしかし……!

「………」
「…………一刀?」
「雪蓮……気にしたら負けって言葉、とても大事だと思わない?」
「いきなりなに? ……まあ、楽しんでるときに野暮なことを気にするより、思いっきり楽しめたほうがいいなーとは思うけど」
「だよねっ!? そうだ! 俺は気にしなくていいんだ! おめでとうありがとう!」
「一刀? ちょっと一刀っ、どうしたのよいきなりっ」
「───ハッ!」

 ……と気づけば、両手を上げて叫んでる自分。
 そして、宴の席に居る大半の人が、俺を見てポカンと停止していた。
 もう……泣いていいよね、俺……。

「えぇと……はい……それでこの哀れなホウケイ野郎にどういったご用でしょうか雪蓮様……」
「様なんかつけないでよ。雪蓮。ね? はい」
「…………雪蓮……」
「うん。それで話の続きだけど───“行こうとは思ってる”ってどういうこと?」
「あ……」

 えぇと……そうだ、そういうこと話してたんだよな、うん……。
 気にするな俺……強く生きろ、俺……。

「ん、んんっ……こほんっ」

 照れ隠しをするみたいに、雪蓮の真似をして咳払い。
 そうしてから真っ直ぐに雪蓮の目を見ると、雪蓮は《にこー》と笑って俺の目を見てくる。

「えっとさ。“行こうとは思ってる”っていうのは、確かに俺……桃香に誘われてはいたんだけど、関羽さんが頷いてくれてないんだよ。だから……まあその、そんな状態で行って、門前払いとかされないかな〜とちょっと心配になってたんだ」
「あぁあの子。ちょっと難しそうな顔してるわね〜……」

 ツ、と視線を動かす雪蓮に習ってみると、視線の先では元気を取り戻した宴の中で、ひときわ元気に騒いでいる桃香。
 あんなところに居たのかと思いながら───酔っ払っているのか、手当たり次第に周囲の女性に襲いかかっては、ケタケタと笑っている桃香に少し言葉を失った。
 ……あそこまでひどい酒乱って初めて見た気がする。あれなら春蘭の猫化なんてまだ可愛いかもしれない。

「それで、訊きたかったのってそれだけか?」
「ううん、まだある。ね、一刀。蜀より先に呉に来ない? 乱世終結から一年余りだけど、騒ぎを起こしたがる連中が後を絶たなくて困ってるのよ。……一応、力を示すことで抑えてきたところもあったから」
「あ……そっか」

 力を示すことで民や野党などを抑えてきたんなら、同盟を結んだとはいえ“敗北した”って事実はついて回る。
 それに乗っかって問題を起こす輩は増えただろうし、だからといって平和にし、善くしていこうと決めた矢先に力のみで再び抑えるのは得策じゃない気がする。
 もちろん話して聞いてくれるような輩だったら、雪蓮だって“来てくれ”なんて言わないだろう。

「桃香のほうは学校のことでしょ? こっちは出来れば急ぎなの。この一年で大分減ってはくれたけど、騒ぎを起こすからって殺したりでもしたら、それはただの見せしめの殺戮よ。力は必要だけど、今必要なのはもっとべつの力。たとえば……」
「……えと」

 真面目だった顔が《にこー》と無邪気に緩んでゆく。
 普段穏やかだけど凛々しさが残った表情をしてるのに、笑む時はこんなにも子供っぽいなんて反則だろ……。
 そんなふうに思いながらも、ふと自分の二つ名を思い出す。

「……天の御遣いか」
「ん、そーゆーこと。しかも魏の王を天下統一まで導いたとくれば……ね?」
「でもそれ、無駄な圧力にならないか? 呉の人達から見れば、俺は敵国の王に天下をとらせた男だろ。なんで呉に降りてくれなかったんだ〜とか言われるのは……ちょっと怖いぞ」
「うん、だからね? 一刀にはもっと、内側のほうから呉を変えていってほしいの。上からの圧力じゃない、呉に生きる人達が呉に産まれてよかった〜とか思ってくれるくらいに」

 ……あの……雪蓮さん?
 あなた方が一年かけて出来なかったことを、俺にやれと言いますか?
 そんなジト目を向けていると、雪蓮はやっぱり《にこー》と笑って、

「大丈夫。一人の兵士の死を大事なことだって悲しめる一刀なら、きっとそれが出来るから」

 自信たっぷりに、そう言ってみせた。
 その根拠がどこにあるのかは解らないが、それでも真剣に考えていることくらいは感じられる。
 笑顔の先、瞳の奥には不安が見え隠れしているように思えたから。
 だから、俺の答えは───

「……ん、解った。桃香には悪いけど、まずは呉に行くことにするよ。……はぁ、ま〜た関羽さんに怒られるかなぁ」
「ああ大丈夫大丈夫、そこのところはもう桃香に言ってあるから」
「…………」

 華琳さん、こんな時あなただったら怒りますか? 怒りますよね? さっき俺のこと怒ったばっかりだもん。
 事後承諾みたいなもんだよな、これ……根回しとはまた違うだろうけど……いやどっちも似たようなもんか……はぁ。

「それでも、ちゃんと謝ってくるよ。誠意は見せなきゃ意味がないと思う」
「……そっかそっかー、ふふふ……うん。じゃあ一緒に謝りに行こっか」

 俺の言葉に一瞬、きょとんとする雪蓮だったけど、すぐに笑みを浮かべるとそんなことを言い出す。

「え? いや、俺だけでいいだろ。話の進みかたはそもそも、桃香のほうが早かったんだ。それを急に雪蓮の話を優先させるなんて言ったのは俺なんだし」
「いいの、やらせて。……ね?」
「…………あ、ああ……」

 困惑する俺の頬を面白そうにつついて、雪蓮は歩きだす。
 一歩遅れた俺もすぐに後を追って歩き出すが、内心は結構怖がっていたりする。
 いい加減覚悟決めろ、逆に関羽なら“元より呼んでない”とか言うかもしれないだろ?
 …………嫌われていること前提で予想したらの話だけど。
 それでもとりあえずは前向きに頑張っていけたらと思う。
 思うから、思うだけじゃダメだって気になれるし……そんな気になれるから頑張っていける。
 鼻歌を歌いながら前を歩く雪蓮を見て、これは謝る前の態度じゃないだろって苦笑を漏らすけど……そうだよな、宴の席なんだ。
 しかめっ面とかつまらなそうな顔で歩いてたら、せっかく楽しんでいる人に迷惑だ。
 だから、まあやっぱり怒られることになるんだろうけど、せめて笑顔で。

「そういえばさ」
「え? なにー?」

 やがて桃香がケタケタと笑う場所まで辿り着くという時。
 ふと思って小走りに雪蓮の隣に並ぶと、疑問をぶつけるために口を開く。
 みんなが騒ぐ中でも聞こえるように、少し声を大にして。
 ちらりと見てみれば、酔っ払ってない人など居ないってくらいに騒がしい宴の席。
 どっさりとあった料理の数々もいつの間にか消え、もはや酒しかないと言わんばかりに数々の豪傑たちが喉を鳴らしてゆく。
 中でも霞と祭さんと厳顔さんの酒飲み対決は圧巻で、それがまた張三姉妹への季衣や流琉、馬岱や張飛が張り出す声援に後押しされるようにペースを上げるもんだから、周りは沸くばかりだ。
 “ほわぁあーーーっ!”って声援とともに酒を呑む同盟国のみんな。
 見ていてこんなにもおかしいのだから、酒に酔いっぱなしのみんなからすればもっとおかしいのだろう。
 そんな景色に俺も笑みをこぼしながら、雪蓮に言葉を投げた。

「どうして、その……兵士の死を大切に思える俺だからって、呉の問題を任せようだなんて思ったんだ?」

 御遣いってことを抜きにしても、と続ける俺。
 雪蓮はそれを聞いて、どこか楽しげにうんうんと頷くと……俺より一歩先に歩き、自分の肩越しに振り向きながら、俺の目を見て言う。

「あはは、そんなの簡単簡単。一刀なら大丈夫って思ったの」
「……? や、だから、それがなんでかって───」

 俺の手を握ってくれた時のように“難しいことなんて知らない”と言うかのように。
 ……向かう先のほうでは顔を真っ赤にした桃香が手を振っている。
 それに気づいた雪蓮も俺から視線を戻して前を向く。
 それでも俺に聞こえるような、だけど宴に水を差さない程度の声で、彼女は言った。
 もう一度俺へと振り返りながら、いたずらっぽい笑みで。

「ん〜? んふふー、私の勘♪」
「勘!?」

 ───ふと気づけば夜は深く。
 一緒に謝った途端に桃香に泣きつかれたり関羽さんに殺されかけたり。
 そうやって騒ぐ中でも笑みが絶えることはなく、喉が枯れるほど騒いでも暴れても、叫べば叫ぶほど、暴れれば暴れるほどに仲良くなれる気がして───いつの間にかしがらみなんて気にしないで、叫ぶように笑う自分たちが居る。
 そうした宴の気配の中……静かに。
 この絆を、笑顔を大事にしていこうと思える今が、なによりも愛しいと思えた。
 いつの間に酒を呑んだのか、顔を真っ赤にした張三姉妹に舞台の上に連れていかれたときはどうしようかと思ったが。
 困惑する俺に、霞と真桜が“歌えー!”と言ったのがそもそもで……これまた気づけば歌えコール。
 天和も地和も人和も促してくる始末で、俺は頭の上の宝ャとともにがくりと項垂れた。

「あ、あー……」

 でも、と思ってマイクを握る。
 これはどうやって作ったのかとか、あまり突っ込むことはしない。
 静かに自分のするべきことを実行するために息を吸って、歌を歌う。
 日本の流行歌だとか英語ばかりの歌じゃない。
 それは小さい頃に歌ったきりの歌だったけど、今の自分達にはよく合ってる気がしたから───
 ただ静かに、この同盟がいつまでも続くようにと願い、歌い始めた。


  ───いつまでも絶えることなく、友達でいよう、と───




編集中にエラーが出ました……書き直しです、ショックです。 ……ネタ曝しをやってしまいましょう。  *なんだ、この尋常ならざる力の波動は  ヴァルキリープロファイルのガノッサ様より  *出過ぎだぞ!自重せい!  真・三國無双シリーズで突っ込みすぎるとツッコまれます。  *オーマイコンブ  OH!MYコンブより。インパクトはあったけど、覚えてる人は少ない。  連載中、会員証を得るとリトルグルメが投稿できるというシステムがあったようななかったような。  出来るグルメは悉く微妙だった。  *電流走る  アカギより。実は麻雀のルールが全然解りません。  そんな俺ですが、アカギは雰囲気と緊張感を楽しんで見ています。  *ジョセフ  ジョジョの奇妙な冒険より。  ヘルクライムピラー編はその難度よりも、エリザベス=ジョースターさんの冷たい視線が有名だった。 だめだ……時間がない。 もっと編集作業進めたいのですが、どうやらここまで……。 小説家になろう!だと、筍ケの“いく”の文字が“?”になってしまい、上手く表示されません。 自分のHPでは平気なんですけど、これはいったい……? Next Top Back