17/守ることの意味

 びしゃああんっ!!

「ぐあぁあっつぁあっ!!?」

 脳天が無くなったかのような痛みが走る。
 厳密に言えば痛すぎて感覚が飛んだ。
 雷が間近に落ちたと錯覚する“音”が、皮膚、頭蓋を伝って脳に叩きこまれた。
 点滅する視界に思わず体をくの字に折り、なにがなにやら解らないままに床に崩れる。
 “ごどしゃっ……!”と、大きななにかが倒れる音。
 自分が倒れた音だな〜って解っているのに、どこか他人ごととして受け取り、あっさりと意識を手放した。

…………。

 ───目が覚めると天井。
 もはや見慣れてしまったそれを忌々しげに睨み付け、倒れた体を反動をつけずにゆっくりと起こす。
 あー……何回目だっけ? ぶちのめされるの。

「起きたか」
「……おはよ《ズキィッ!》あだぁっ! 〜〜〜〜っ……!!」

 起こした体、起きた視線の高さで見る視界には、いつも通りの景色があった。
 じいちゃんが竹刀を持って立っていて、じいちゃんの視界では、綺麗に叩かれた脳天の痛みに顔をしかめる俺が居て。
 ほんと、いつまで経っても上達しない。 

「いっつつつつ……! っはぁあ〜〜……!! あ、あのさぁじいちゃん」
「む? なんだ、情けない声を出しおって。手加減ならする気はないと先に言ったが?」
「違うって。そりゃもちろん加減があればな〜とは思うけど」

 こう何度もボコスカ殴られてると、いい加減ぐったりしてくるし。
 まあそれはそれとして、今訊きたいのはちょっと違うことだ。

「……あのさ、ふと思ったんだけど───じいちゃんが教える剣術にも、“免許皆伝”とかってあるのかな〜って」

 修行をする、剣を教わるっていうのなら、やっぱり気になる免許皆伝。
 いつの日かこう、じいちゃんに“お前に教えることは何も無い……!”とか言われて……ねぇ?
 期待とか不安とか、様々な感情が渦巻いて、だけどやっぱり“期待”が一番うるさくて───

「あるにはあるが、お前にくれてやるには50年は早いわ」
「長ッ!!」

 そんなうるささが、投げつけられた言葉にあっさりと四散。
 上半身だけ起こしてる状態の自分の体を、そのまま倒してしまいたくなる衝撃が俺を襲った。
 大の字に倒れたら気持ちいいだろうなー、なんて考えが頭に浮かぶ。軽く現実逃避だ。
 ああいや落ち着け、いくらなんでも50年ってのはいきすぎだ……よな?

「じ、じいちゃん……? ごご50年はいきすぎなんじゃあ……」
「いきすぎなものか。一刀よ……では訊くが、お前にとっての免許皆伝とはなんだ」
「へ? なんだ、って……そりゃアレだろ? じいちゃんがこう、俺に教えることがなくなって……なぁ? そしたら俺がこう、胸を張ってヒャッホーイって《ぼこっ!》あだっ!」
「口が悪い」
「し……失礼しましたぁあ……」

 同意を求めてみれば、竹刀であっさりと殴られる俺の頭。
 ご丁寧に、さっき強く打たれた場所を殴られた。

「すぐ調子に乗るその性格、なんとかせいと言っただろう。だから皆伝なぞくれてやらんと言っている」
「……え? ちょちょちょちょっと待ったじいちゃん! ……え? 俺、口の悪さだけで皆伝与えられないの?」

 それはいくらなんでもあんまりじゃあ……と続ける俺に、じいちゃんはフンと鼻で笑う。

「だから訊いている。“免許皆伝とはなにか”と。お前にとっての皆伝は、儂がお前に教えることが無くなれば成立するものか?」
「……? 普通そうなんじゃないのか?」
「免許皆伝。師が弟子に奥義の全てを教え伝えること……とは言うがな。では奥義とはなんだ?」
「奥義……岩が斬れるとか鉄が斬れるとか? 斬鉄剣〜とか斬岩剣〜とか」
「お前は儂からそんなものだけを学べれば満足なのか。それで皆伝を謳いたいのなら余所へ行け」
「《ぼこっ!》あだっ!」

 再度竹刀で殴られた。

「やっ、けどさっ! 奥義って言ったら───」
「儂はそんなものを伝える気などない。確かに剣士として、岩を鉄をと斬れれば───なるほど? 怖いものなどないだろう。だがそんなものは通過点よ」
「通過点!? 岩とか鉄斬ってるのに!?」
「学べ、一刀よ。武を背負う者としての在り方を、武道を歩む者としての生き様を。……師が弟子に教えるのは、なにも剣のみではない。皆伝とは、師が教え弟子が学び、師が教え尽くし、弟子が学び尽くした時にこそ自ずと得られるもの。師が“全て教えた”とどれだけ言おうが、弟子がまだだと言えば皆伝などではない」
「え───?」

 そうなのか? ……って、それってヘンじゃないか?
 弟子がどれだけ言おうが師匠が教え尽くしたって言ったら、そりゃ皆伝じゃあ───

「納得がいかんという顔だな。ならばいい。一刀、お前はこれで皆伝よ。もはや教えることなどなにもない、己だけの武を目指してみよ」
「なっ───それは困るっ! …………───あ」

 反射的に口に出た言葉が答えだ。
 自分が自分に突きつけた答えに対し、開いた口が塞がらない状態の俺へ、じいちゃんは「はぁ……」と出来の悪い弟子を持ったって顔で、もう一度俺の頭を殴った。

「それみたことか。師の勝手な押し付けだけで“皆伝”は成り立たん。双方が互いを知り、教え尽くし、教わり尽くすためにどれだけの時間がかかると思う」
「あー……だから50年……」

 軽くヘコむ。
 俺、そこまで理解力が無いって見られてるってことか?

「はぁ……《ぼこっ!》あだっ! 〜〜〜っ……じぃいいちゃんっ! そんなぼこぼこ殴るなよぉっ!」
「……まだまだ教え足らぬわ、まったく。言葉の意味も正確に受け止められんようでは、皆伝なぞ一生渡せんぞ、馬鹿孫めが」
「馬鹿孫!?」

 さらにヘコむ。
 俺……そんなに馬鹿かなぁ……。

「ほれ、とっとと立て。教え足らぬと言ったろう。50年でも100年でも、儂の気の済むまで教え続けてくれるわ」
「うへぇええ……って、どれだけ生きる気だよ!」
「フン? 無論、お前が儂に恩返しが出来るようになるまでよ」

 どこまでもパワフルな祖父様だった。
 この人、衰えとか知らないんじゃあなかろうか。
 それならそれのほうがいい。いつまでも……それこそ、俺がもっともっと強くなれるまで長生きしてほしい。
 肩を並べられるところまで、越すことの出来る時まで、恩を返せる瞬間に至れるまで。
 そこに辿り着けるまでは、守られていよう。
 現状に溺れるのではなく、追い越す努力を続けながら……いつでも守れるようになるために。

「……?」

 そこまで決意を刻みかけて、ふと違和感に気づく。

(……50年でも100年でも、じいちゃんの気が済むまで……?)

 なにか引っかかるんだけど……なんだ?
 気の長い話だな〜とかって問題じゃない。
 もっとこう……ん、んん〜〜……喉まで出かかってるんだけどな。
 言葉にしたいわけじゃないんだから、出かかってるって表現はちと違う。
 ……まあいい、今は目の前のことに集中しよう。

「………」
「………」

 立ち上がり、対峙する。
 竹刀を手に、互いの目を見て。
 いつからそうするようになったのか、自覚なんてない。
 ただ、己の意思を貫かんとするなら、それをぶつける相手の視線から目を逸らすのは卑怯だって思った。
 なにかを為すのならば、相手の目を見る。
 それはたぶん、じいちゃんに教わるようになってから自然に身に着いたものなんだろう。
 本当に、いつからそうするようになったのか〜なんて自覚は、いつ芽生えたのかさえも解らないくらいに曖昧だ。
 じいちゃんがそうしていたから、いつの間にか俺も……うん、たぶんそうだ。

「迷いがあるぞ。いちいち切っ先を揺らすな」
「うあっと……!」

 思考に飲み込まれていると、早速飛んでくる師の言葉。
 だがここで慌てず、ゆっくりと息を吸うことで気を引き締め───

「っ───つぇええぁあああああっ!!!」

 突っ込む。
 多対一ではなく、一対一の心構えで。
 真っ直ぐに構えた竹刀を必要最小限の動きで走らせ、じいちゃんへと打ち込んでゆく。
 突き、払い、斬り上げ、斬り下ろし、突き───
 自分なりに隙を無くせるだろうかと考案した繋ぎ方で、じいちゃんに反撃する隙を与えな《ずぱぁんっ!!》…………うん、無理でした。

「ごぉぉぉぉおおおおお…………!!」

 あっさり頭を叩かれた俺は、床に蹲って行動停止状態。真剣だったらすでに絶命だ。
 ……ちなみに。痛がる俺を溜め息混じりに見下ろすじいちゃんの第一声はというと───

「大振りすぎるわ、たわけ」

 蹲る孫へのダメ出しであった。
 それもまあ仕方ない。最初こそ細かな動きで隙を殺せていたんだが、当たらない焦りからか攻撃は大振りになり、当然生じる隙を縫うように動いたじいちゃんが一撃をくれて、簡単に終了。
 結局こうして蹲る俺の完成だ……もう泣きたい。

「じ、じいちゃん、やっぱり奥義───」
「我が流派に奥義が存在するのならば、それは鍛えた五体と精神とで放つ攻撃の全てよ。奥義を奥義をと願うのならば、その技術全てを手に入れることだ。───解ったらとっとと立たんか《クワッ!》」
「はいぃぃっ!」

 奥義に対する反論を許さぬ迫力がありました。
 クワッ!と睨まれたと思ったら、体がしっかり立ってたりするんだから不思議だ、人体。

「《ハッ!》そうだじいちゃん! 俺に居合いを教えてくれ! 奥義じゃなくてもそっちなら《ぼごっ!》ハオッ!?」

 で、また殴られる俺。
 思いつきでなにかを口走るもんじゃないなぁと、たった今思いました。

「……格好だけでもいい、居合いをやってみせい」
「えっ? 教えてくれるのかっ!? あれ? じゃあなんで叩いて───って、あ、あー……やりますやりますっ!」

 訊ね返すとギヌロと睨まれた俺は、慌てて竹刀を左の腰に構え、左手を鞘にするようにして支える。
 その途端にじいちゃんが襲いかかってきてってオワァーーーッ!?

「《ずぱぁんっ!》はぶぅっ!?」

 為す術なく殴られた。
 頭のてっぺんである……痺れるような痛みが頭から全身に伝っていく感触に、眩暈を起こして床に崩れ落ちた。

「つっ……はぁああ〜〜〜っ……!! な、なにすんだよっ!」

 もちろん急に殴られれば怒りも湧いてくるわけで、頭を押さえながら見上げるじいちゃんに言葉を投げる。
 ……うん、客観的に見ると本当に子供みたいだな〜とか思ったのは、今日の修行が終わったあとだった。

「……一刀よ。居合いの利点はなんだ」
「へ……? そりゃ、速さ……なんじゃないかな」
「その速さを利点に置いた斬撃が、儂の攻撃に反応しきれなかった理由は」
「不意打ちだったからだろっ、急になにするんだよほんと……───う」

 待て。
 不意打ちだったからもなにも、あの世界でそんな言い訳が通じるか?
 不意打ちだろうがなんだろうが、頭に一撃をくらえば死んでしまう世界だ。
 ……その事実にハッとして、じいちゃんを見上げると……じいちゃんは溜め息を吐いていた。それも盛大に。

「居合いが勝負の中で役に立つものか。鞘が無ければ速度を増せぬ、鞘から抜かねば速度が増さぬ、なにより一度鞘に納めなければ放つことすら叶わぬ。お前はなにか、真剣を秒とかからず素早く鞘に納められるのか? それとも納めるまで相手に待っててもらうのか。降参したと見せかけてゆっくりと納め、実は降参してませんでしたと不意をついて斬るのか」
「嫌な言い回しするなぁ……そんなの、練習すればなんとか───」
「だめだな。貴様に真剣なぞ、それこそ50年速いわ。なにと戦うつもりだ、このたわけが」
「うわー……」

 俺に対するじいちゃんの認識が、“お前”から“貴様”にクラスチェンジした。……嬉しくない。

「あ、でもさ。刀で切ろうとする場合、やっぱり勢いをつけるために刀は後方に溜められるだろ? だったら速度が増す居合いのほうが───」
「“斬ること”ばかりに集中が行きすぎる。振り切るために腕が伸び、避けられれば咄嗟に戻せん。重心を落とすために切り込まれれば動けぬ上に、そういった時に立ち回る際には鞘が逆に邪魔になるわ」
「うぐ……」

 漫画とかでありそうだけど、真剣同士で立ち合えば鞘が盾になることなんてありえない。
 鞘を鉄作りにしてみれば平気かもしれないが、そんな重いものをぶらさげたまま戦うのは不利と言えるし、あっちの世界の誰かの攻撃は……なぁ? 片腕で受け止められるほどやさしくないって。
 むしろ鉄ごと砕いて我が身までを───……想像したら怖くなってきた。

「……修行、がんばりま〜す……」

 今は“お前”に戻してくれた事実だけでも喜んでおこう。
 うん……それがいい。

「それでいい。そういったことはもっと強くなってから言え。目指す自分に胸を張れとは言ったが、今のお前では教えたところで身に着かん」
「うわー、すげー言い方」

 実際そうなんだろうけどさ……ヘコムなぁ……。

「………」
「む……? なんだ、まだなにかあるか」
「あ、いや……うん。じいちゃんはさ、なんにも訊かないんだな、って」

 剣道で戦うと思っているだろう俺が、岩を斬るとか鉄を斬るとか、居合いを学びたいとか言っても、それに対する追求が特にはないのだ。
 ただ黙って教えてくれようとする。それがどうにも引っかかって仕方ない。
 そんな思いを込めて、怒られるんじゃないかと苦笑しながらも訊いてみれば───じいちゃんはフンッと小さく笑い、ニヤリと歯を見せて言ってみせた。

「男の成長に余計な詮索なぞ不要ぞ。儂が教え、お前が学ぶ。芯を曲げる要素なぞくれてやるものか。たとえどう教えようと曲がるさだめにあろうが、それがお前が望んだお前の成長ならば、この儂には文句も悔いもないわ」
「───……」

 この人、本当にとんでもない。
 どうしよう……このじじさま、自分の教えに自信を持ってるんじゃなくて、教えることで成長する俺を信じてくれてる。

「本気には本気をもってぶつからなければ礼を失する行為となる。それはたとえ、相手が孫だろうと親だろうと同じことだ。ならば儂も、お前の本気に本気をもって応えよう。お前が学びたいというのなら教え、高みに至りたいというのなら全力をもって協力する。それが儂の“本気”に対するぶつかり方だ」
「じ…………〜〜〜っ……!」

 どうあっても曲がれないじゃないか、くそ……!
 ……ああもうっ! なんか知らないけどすごく疼くっ! じっとしてられないっ!

「じいちゃんっ! 再開だ! 免許皆伝、絶対にもらってやるからな! 10年でも20年でも、俺とじいちゃんが納得するまでどれだけ時間がかかっても!」
「……そうそうくれてやらんわ、この小童が。さあ来い一刀、お前には儂が得た全てを叩き込んでやる。知れ、学べ。儂のように、父親のようになるためではなく、憧れる者のようになるためでもなく。己が己であるために、己の目指した己になるために」

 姿勢を正し、竹刀を構えて心に喝を入れる。
 真っ直ぐにじいちゃんを見て、その眼光に負けない鋭さを以って睨み返す。
 そしていざ、踏み出そうとした時───じいちゃんが言いたかった言葉の意味が解った気がした。

  “50年でも100年でも、儂の気の済むまで教えてくれるわ”

 それはつまり、どれだけ時間がかかろうとも見捨てることなく、俺に教え続けてくれると言いたかったって意味で───

(……はは)

 免許皆伝なんて、当分授けられそうもない。
 そう心の中で苦笑し、だけど表面では鋭さを保ったままで、俺は床を蹴り弾いた。
 全てを叩きこまれるために、全てを学ぶために。

 ……この後、一撃でノされたのは……伏せておきたい。






18/街角探検隊……一人だけどね。

 ボロボロの私服で、顔を真っ赤にしながら走っていた俺を冥琳が止めてからしばらく。
 「そんな格好で街に出る気か」とぴしゃりと言い、冥琳が侍女さんたちに用意するようにと言ったのが……

「……あの。庶人の服とか……ないのかな」

 “ワー、これ高価ダー”って一目で解るような服だった。
 もちろん俺はこれを断固として拒否。「公瑾様のお申し付けですから……」と渋る侍女さんをなんとか拝み倒して、庶人の服を用意してもらった。
 俺は王族でもなんでもないんだから、こんなの着てたら笑われるって。主に雪蓮とか祭さんとか雪蓮とか雪蓮とか祭さんとか雪蓮に。
 冥琳だってそのヘンは解ってると思うんだけど…………あ。もしかして、魏からの客人に粗末な物は着せられないとか、そんなふうに思ったのかな。

「う、う〜〜ん……それなら着ていかないのはかえって迷惑になる……のか?」

 けど考えてもみよう。
 これから街に食べに行く俺が、こんな王族御用達みたいな服を着ていったら───



=_=/想像です

 ワヤワヤワヤ……

「あぁちょいとっ、饅頭どうだい饅頭っ! 蒸かしたてだよっ!」
「おおっ、それはいいなっ」
「嬢ちゃんにはこんな服とかどうだい」
「ととしゃま〜、わたちこれがいい〜」
「はっはっは、そうかそうか」

 建業の街は賑やかだった。
 すたすたと歩くだけでもあちらこちらから楽しげな喧噪が聞こえ、それだけで頬が緩んでしまう自分が居る。

「ほらっ、そこの兄ちゃんもっ! 饅頭───はうあ!?」
「んあ? どしたい女将さん……うおっ!?」
「だ、誰だあれ……」
「いや、知らねぇ……あぁいや待て、そういや少し前に魏から天の御遣いが来たって……」
「あ、あいつが!? あいつが呉に降りなかったために俺達は!」
『死ねぇええええっ!!』
「《ザクーーッ!》ギャアーーーーーッ!!!」


                                     /魏伝アフター……了




-_-/一刀

「庶人万歳!!」

 それはとても輝かしい笑顔だったという。
 けど、急に両手を天にかかげて叫ぶ俺に、当然侍女さんたちは奇異の目を向けるわけで。

「…………《カァアア……!》」

 急に恥ずかしくなった俺は、顔を赤くしながら街を目指し、歩きだしたのだった。


…………。


 そんなわけで、建業の街を歩く。
 魏からここへと来る時も盛大なお出迎えがあったわけだけど、やっぱり呉は賑やかだった。
 民たちは王の帰りを喜び、老人から子供まで元気に燥ぐように。
 ただ……どうしてだろうか。その喜びと視線のほぼが雪蓮のみに向かい、他の武将たちにはあまり向いてなかった気がするのは。
 たしかに向いてはいたんだけど、その数はあまり多くはなかった気がする。
 お陰で俺の顔を覚えている民はまず居ないだろう。うん、それはどうでもいいんだが。
 子供たちの視線が主に祭さんに向いていたのは、驚くのと同時に面白かったけど。
 王を出迎えるんだから、王に目を向けるのは当然といえば当然なんだろうけど……どうにも引っかかる───

「ん……《ぐるるぅ》うぅっ……」

 ───のだが、鳴る腹は抑えられない。
 モノを食べながらでも考え事は出来るし、とりあえずは適当な料理屋へ入ることに決めた。
 手持ちは……値段にもよるけど、軽く食べられる程度。
 本当に狙っているとしか思えない手持ち金だ……あまり高いものは頼まないようにしよう。

「いや待て」

 べつに料理屋に入らなくても、点心を買い食いするって方法もある。
 それなら情報収集もしやすいし……なによりがっつり食うよりも安値で済む。
 腹持ちは少ないだろうが、ようは昼まで繋げればいいのだ。
 この僅かながらだろうが“華琳がくれた金”……一回の食事で全て無くしてしまうのは忍びない。

「……って、違うだろ」

 この国に居る限りはこの国に尽くす。そう決めた。
 だったら……

「……《クワッ!》」

 すまん華琳! これより北郷一刀は修羅道に入る!!
 まずは呉に馴染むために華琳……お前にもらったこの金を使わせてもらう!
 そうだ! 店は適当に決めてぇえっ!

「おっちゃん! この店で一番美味いものをくれ!!」

 本当に適当に決めた店へと勢いよく入るや、声高らかに食事宣言!


  ……それは。客もまばらな時間に起きた、とある晴れの日の物語である。


───……。


 カチャカチャ……カタ……

「……それ洗ったら次そっちだ」
「は……はいぃいい……」

 ……はい。結論から言いまして、お金が足りませんでした。
 きっかけ欲しさの勢いに任せて、一番美味いものなんて頼むんじゃなかった……。
 「……うちはなんでも美味ぇよ……」とドカドカと出され、全てを平らげてからハッと気づけば足りやしない。
 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。

(ああしかし、しかしだ……)

 ……大変おいしゅうございました。むしろ悔いはない。
 有り金全部と、あとは数日働けば返せるそうだから、そこはこう、なんとかしよう。
 代わりになるものよこせ、とか言われなくてよかったよ。

「……注文、取ってこい」
「とっとと、はいはいっ」

 適当に入ってみたこの店は、どうやらおやっさん一人で切り盛りしているようだった。
 味もいいし内装もいい。だけど、どうにもおやっさんは暗い人だった。
 美味いからそれなりに客も来るし、おやっさんに声をかける人が大半のようで、おやっさん自身に人望がありそうなんだけど……

「青椒肉絲ひとつ、麻婆豆腐ひとつ、餃子四つに大盛り白飯二つですっ」
「……おう」

 注文を聞いてくれば、また皿洗い。
 手が空けば指示されるままに動き、される中でも学び、次にどうすればいいのかを自分の中で組み立てていく。
 少しずつ、ほんの少しずつだが組み立てていったそれを実行し、失敗しようがそれも組み立ての材料にして、仕事のパターンを“行動の基盤”にするように身に叩きこむ。
 幸い、体力だけには多少の自信がある。
 今こそそれを活かし、国の役に立つ時さ。

「ありがとうございましたっ! いらっしゃいませっ! こちらが採譜になります! ご注文は以上で!? お待たせしましたっ!」

 キビキビと動く。
 集中し、ミスをしないように出来るだけ注意して。
 ミスをしたら反省し、同じ失敗は起こさないようにと胸に刻む。

(いやっ……しっかし……!)

 どうなってるんだこの店……客の入りが異常なんだが。
 これを普段一人で? おやっさんだけで? 冗談だろ?
 そんなふうに考えていると、客の一人が笑いながら声を張り上げた。

「おーいそこのお前〜!」
「へ? ……お、俺!?」

 ……何故か、俺に向けて。

「そ、お前だよ。お前なにやらかしたんだぁ? 食い逃げか? おやっさんところで食い逃げするたぁ運がねぇ」
「食い逃げ!? 違う、違うって! 俺はただ───……えと、食ったら金が足りなくて」
「それを食い逃げって言うんだろうが」
「逃げてないっ! そこだけは譲れない! 金は足りなかったけど逃げなかった!《どどーんっ!》」
「いや……それ胸張って言うことか?」
「あ……はい……正直もう泣きたいです……」

 俺の言葉に、豪快に笑うお客さん。
 どうやらおやっさんの知り合いらしく、麻婆を掻っ込みながらもおやっさんに気安く声をかけていた。
 そんな人なら知っているだろうかと、気になる疑問を投げかけてみた。

「あの……ここっていつも、おやっさんだけで……?」
「あん? ああ、そうだぜ? ここはおやっさんだけで切り盛りしてんだ。一年と少し前までは息子が居たんだけどよぉ」
「息子さん?」
「連れは早くに亡くなっちまってよ。男手ひとつで育てた、そりゃあ立派なやつだったよ。それがよぉ、なにを思ったのか兵に志願しちまって。そのままコレよ」

 男性が目の前で拝むように手を合わせた。
 ……ようするに死んでしまったんだろう。

「それからだよ。おやっさん、なにをやるにも覇気が無くなっちまって───」
「………」

 よっぽど親しいんだろうか、男性はまるで自分のことのように悲しんでいた。
 卓に飲み干した杯があるにせよ、顔が赤くなっているにせよ、この人が言っていることは事実で───

「おーい兄ちゃーーーん! 回鍋肉まだかー!?」
「ボーっとしてんなよーっ! こっち酒追加なーっ!」
「っとと、はいっ! ただいまーっ!」

 慌てて、止まっていた体を動かす。
 おやっさんのことを話してくれた男性はその後、何度か酒を注文して煽ると出ていった。
 まだ訊きたいことがあったんだけど……引き止めるわけにもいかないし、こればっかりは仕方ない。

(……卑怯かもしれないけど、料理屋は情報収集にはもってこいかもな)

 何気なく入った料理屋にでさえ、戦によって心に傷を負った人が居る。
 ただ賑やかなだけじゃないんだ……目を凝らして見てみないと気づけない傷だってたくさんある。
 俺の認識にしたってあの男性に言われなきゃ、おやっさんはただの“あまり喋らない人”ってだけで終わっていた。

(もっと視野を広げないとな……)

 金が足りなかったのは完全に失敗だったけど、こうして街の人の話を聞ける場に立てたことは一応成功だったってことにしておこう。
 ありがとう、華琳。……決してこんな状況を見越して、あの微妙な金額を渡したわけじゃないよね?



-_-/魏

 ……同刻、魏国洛陽。

「はっ───くしゅんっ!」
「……華琳様!? まさか風邪を!? ───すぐに閨の準備をっ!」
「……? 大丈夫よ桂花、大事ないわ。いちいち事を大げさに捉えないの」
「いけません華琳様。風邪を甘く見られては困ります」
「稟、“大事ない”と、この私が言っているのよ。構わないから話を続けて頂戴」
「は……」

 軍議というよりは些細な話し合いの場。
 集まった文官と話をする中で彼の想いが届いたのか、この後彼女が何度かくしゃみをすることになったのは、べつのお話。



-_-/一刀

 ………………。

「はぁあ〜〜〜……終わったぁああ……」

 終わってみれば、すっかりぐったりな俺が居た。
 体力に自信があっても、やること自体が違うんだから疲れもする。
 そんなことを頭に入れずに動き回った結果がこれだ。

「………」

 最後の客が出て行き、それを送り出して、後片付けをして掃除をして。
 ようやく解放されて、店の卓にでも突っ伏したい気分になるが、なんとか抑える。
 もうすっかり夜だ。いい加減戻らないと、誰になにを言われるか。

「…………飯だ。食え」
「え? あ、おやっさ───って」

 卓に手をついて重苦しい溜め息を吐いていた俺の目の前に、美味そうな料理と白飯が置かれる。
 見ただけで溢れてくる唾液をぐびりと飲み、訊いてみると……おやっさんは何も言わずに背を向けて、自分の分と思われる料理を持ってきた。

「……座れ」
「あ、はい……」

 促されるままに座り、食卓を囲むことに。
 いきなりの展開に目をぱちくりさせるが、つまりこれは賄い料理なんだろう。
 俺はもう一度唾液を飲み下すと、いただきますを唱えて食いにかかった。


…………。


 食事が終わり、その片付けをして、終了。
 食事中、会話なんて一言も無かったけど……お疲れさんって言いたかったのかなって思うことにして、城に《がしぃっ!》……あれ?

「あ、あーのー……おやっさん?」
「……仕込みをする。手伝え」
「やっ、でも俺帰らないと……」
「……いいから、とっととこっち来い」
「《ぐいっ!》おわったたっ!? わ、解ったよっ、行くからっ!」

 ……捕まりました。
 そりゃそうだよなー、今日会ったばっかりのやつを、ちゃんと金を返せてもいない状態で帰すわけがない。
 けど待て、あれだけの忙しさの中で働いても、俺はまだ返せてないのか?
 いったいどれだけ高いものばっかを食ったんだ、俺……。

(空腹すぎた所為で、覚えてねぇ……)

 自分の馬鹿さ加減に頭を痛めながらも、結局は仕込みを手伝うことに。
 仕込みっていったって、あれを用意しろこれを用意しろ、それを片付けとけこれを片付けとけと、雑用ばっかりだったが。
 ……で、仕込みが終わる頃には夜も相当に深く、促されるままに泊まっていく事態にまで至り───

(……戻った時の反応が怖そうだ……)

 無断外泊に不安を覚える学生のように、ひどく怯えながら夜を越すのだった。
 ……や、学生で無断外泊なのは事実なんだけどさ。
 仕方ない、周泰か甘寧が監視してて、雪蓮たちに伝えてくれることを願おう。
 “食べたはいいけどお金が足りなくてこき使わされてます”って………………ただの恥さらしじゃないかっ!
 まずいぞ、なんとかして帰らないと───…………ああいや……足りなかったのは事実だしね……。
 寝ます……僕もう寝ます……。
 明日はいい日になるとイイナー……。





19/痛み

 朝を迎えた。
 料理屋の朝は早く、仕込んでおいた具材や汁などがいい感じになっている中、仕込んでおいておけないものの準備を始める。
 冷蔵庫がないこの時代では、料理に使う具材の扱いも相当に丁寧にしなければならない。
 うっかりそこらに放置していれば、簡単に悪くなってしまうのだから仕方ない。

「ふぅっ……」

 昨日は昨日、今日は今日。卓を掃除して床も掃除して、夜を越す間に積もったであろう多少の埃を拭い、手を綺麗に拭いてからべつの仕事へと移る。
 はじめは指示をされるがままに、徐々に疑問に思ったことのみを訊くように動いて。
 そうして始まる今日一日をこなす中で、人とふれあい、笑い合い、時には怒られて笑われて。
 そうしているうちに、昨日引っかかっていたことが……少しだけ、ほんの少しだけだけどたぐり寄せられた気がした。
 民の視線のほぼが雪蓮ばかりに向いていたこと。
 それはたぶん───雪蓮以外の将が、雪蓮ほど積極的に民と触れ合わないからじゃないか、ってことだった。
 雪蓮のことだから誰かを引っ張り出して、民のと戯れることをするだろうけど───でもそれだけだ。
 他のみんな自身が率先して動かなきゃ、好印象なんて残らないに違いない。

「そういやぁよぉ……聞いたか? 御遣いの話」
「あぁ……魏から来たっていう男の話だろ?」

 そんなことを考える中でも、やっぱり人の噂話っていうのは耳に届く。
 聞きたくないことだろうと聞きたいことであろうと、届いてしまうのだ。

「“国王様”はなにを考えているんだろうなぁ……魏っていったらお前、かつては敵だった場所じゃねぇか」
「いくら同盟を組んだからって、息子を殺された俺にとっちゃあよぉ……」
「……仕方ねぇさ、戦ってのはそういうもんだろ」
「仕方ねぇことあるかっ! 同盟を組んではい終わりってんなら、なんでもっと早くしてくれなかったんだ! 一戦……! あと一戦早けりゃ、俺の息子は死なずに済んだんだぞ!」
「お、おいっ、飲みすぎだぞお前っ、おやっさんだって同じ気持ちなんだから、ここで騒ぐのは……なっ?」

 酒を飲み過ぎたんだろう、顔を真っ赤にして呂律が回らない男性は、さらに浴びるように酒を飲むと泣き出す。
 ……正直、居たたまれない。謝ってでもこの場から逃げ出したくなる。

(………)

 そんな弱い心を押さえ込んでいく。
 覚悟はしておいたはずだ。誰かのために乱世を駆けるってことは、誰かに恨まれること。
 そして俺は、そうすることで傷つく誰かに、たとえ自分がどれだけ泥をかぶることになろうとも、伝えてやりたいことがある。
 それが俺の、単なる押し付けだろうと構わない。
 叫ぶことで届くのなら伝えよう…………戦はもう、終わったのだと。
 終わったのだから、いつまでも悲しむだけではいられないのだと。


───……。


 グッ───ダァンッ!!

「いつっ……!」

 「俺が天の御遣いだ」って言った途端だった。
 賑やかだった料理屋の喧噪は一呼吸のうちにピタリと止まり、次の瞬間に生まれたのは俺を睨む幾多の視線。
 “もう少し親密になってからの方が良かったか”なんて考える暇もなく、人気の無い場所へと連れてこられ、壁に叩きつけられた。
 人気が無いなんて言っても、俺の目の前には結構な人数が居て、鋭い目付きで俺を睨んでいるわけだが。

「お前が天の御遣いだったとはな……。ここには何の用で来たんだ……? 偵察か……!?」

 俺を壁に叩きつけたのは、さっきまでの息子の死についてを話し、酒を呑んでいた男性だった。
 “見る者全てが敵”って目をしていて、一目で周りが見えていないのだろうと思える風情。
 怒りのためか目が血走っていて、握る拳もぶるぶると震え、語気も段々と力が篭っていっていた。

「それともなにか? 騒ぎを起こす輩を探して来いって言われたのか?」
「………」
「なんとか言えこらあぁっ!!」

 男性は叫びながら、乱暴に俺の胸倉を掴み、顔を寄せる。
 ぎりぎりと食い縛られた歯から漏れる荒い息遣いが、彼の怒りを俺に伝えているようだった。
 けど……ここで慌てるのはダメだ。
 怖がるのもいけない。
 どちらかが周りが見えなくなった状態で、もう一方まで暴走するのは一番危うい。
 だから、努めて冷静に。

「偵察しに来たわけでも……誰かに言われて来たわけでもない。俺はただ本当に偶然、あの店に───」
「嘘つくんじゃあねぇっ!!」

 ……聞く耳持たずだった。
 そりゃそうか、相手にとっての俺は、ついさっきまで話していた自分の息子を殺した軍の人間なんだから。
 俺が何を言おうが、ただの戯言にしか受け取れないのかもしれない。
 幾多の視線に睨みつけられながら、気づかれないように息を飲み、目の前の男性の目を見る。
 相手が引くつもりがないなら、俺だって引く気はない。
 まさかこんな早くに騒ぎに巻き込まれるだなんて思ってもみなかったけど、無視なんて出来なかった。
 あのままおやっさんのところで働き、目の前の人と親しくなってから“自分が御遣いだ”なんて言えば、それこそ裏切られた気持ちにさせていたかもしれないから。
 だから言った。自分が御遣いだって。
 隠し事をしたまま仲良くなりたいだなんて思えなかったんだ、仕方ない。

(……覚悟を)

 静かに目を閉じて、今一度心に刻み込む。
 そう、じいちゃんが言っていた。“本気には本気でかからなければ礼を失する”と。
 だったら俺も、どんな結果になろうとも自分の本気をぶつけて、意思を通す。
 なにかが出来る状況でなにも出来ない自分は、もう卒業するって決めたんだから。
 思い通りにいかなかったとしても、せめて彼らが日常を放棄しないように頑張ろう。

「じゃあ……俺がもし偵察に来てたとして、あんた達は俺をどうしたいんだ」
「どうする……!? 決まってるだろうが! 気が済むまで殴って! 謝らせて! それから! それから……! 〜〜〜っ……許せるかっ! 死ぬまで殴ってやる! 息子の仇だ!」
「死ぬまで……!? そんなことしたら───」
「同盟が決裂するってか!? はっ、ここでバラして埋めちまえば誰にも気づかれねぇ! お前が勝手に消えるだけだ! 何も変わらねぇのさ!」
「っ……」

 本当に……本当に周りが見えてない。
 後ろに居る人たちも、目の前の男性の言葉に賛同するようにウォオッと叫び、ギラついた目で俺を睨んでいる。

「あんた達は……それで納得出来るのか? それで治まりがつくのか? 俺を殺しただけで、同盟に納得して生きていけ《バグンッ!》いづっ───!?」
「うるっせえんだよ!!」

 口にする言葉も半端に左頬を殴られる。
 喋り途中だったために頬を噛み、口の中に血の味が滲んでくるのが解る。

「どうなったって知るか! もう生きる希望もねぇ……! ねぇんだよ! たった一人の息子だった! 憎まれ口ばっかり叩く馬鹿な野郎だった……けどな! 大事な息子だったんだ! それを……それをてめぇらが! 魏が! 蜀が奪った! なにが同盟だ! 殺された息子のことを忘れて仲良くやれってか!? 出来るわけねぇだろうが!」
「《ガッ!》ぐっ!《ドフッ! ゴチャッ!》あっ、ぐっ……!」

 殴る、殴る殴る……!
 男性は目に涙を溜め、それを散らすたびに叫び、拳を振るって俺を殴った。
 頬を、腹を、何度も何度も。
 それが火付けになったかのように後ろに居た人達も暴行に加わり、全員が全員、俺に向けて恨みを吐き出しながら拳を、足を振るう。

「っ……! がっ、げはっ……!」

 頬を殴られ、突き飛ばされ、蹴られ、咳き込み、壁に押し付けられ、殴られ……
 狂気とは呼べない、ただただ深い悲しみに染まった目たちが俺を睨み、口からは恨みを吐いていく。
 全て俺が悪いのだと言われているようで、心が辛くなる。
 悲しみと恨みだけに飲まれた“人”っていうのは、こんなにも悲しく怖い存在なのか。
 殴られる事実よりも、そんなことが悲しかった。

(…………、この、まま……)

 このまま殴られ続けていれば、いつかは彼らの気は治まるんだろうか。
 殴って殴って、殴り疲れた時……彼らは“自分”を取り戻してくれるんだろうか。
 悲しみに囚われるだけじゃなく、もっと……生きている今を大事に思ってくれるんだろうか。

(……ち、がう……よな)

 ……違う。
 彼らはきっと治まらない。
 俺の“御遣いだ”って一言を簡単に信じて、こうして殴りかかってきている。
 周りが見えていないのは事実なんだ。
 悲しみが強すぎて、カラ元気でもなければ自分が無くなってしまいそうなくらいの心。
 そんな彼らが同じく子を亡くしたおやっさんのところに集まることで、なんとか絶望に飲まれずに済んでいた。
 けど、俺が御遣いだって名乗った瞬間、“カラ元気”も“自分”も、保つ必要が無くなってしまったんだ。
 怒りのぶつけどころを見つけて、気が済むまで殴る。
 気が済むまでっていうのはいつまでだ? この人数が、この怒りが差す“果て”っていうのはどこにある?

(……簡単だ、俺を殺したその瞬間だ)

 彼らはきっと、“人を殺す”っていうのがどれだけ辛いことかを知らない。
 知らないからこんな人数で、たった一人を殴り続けられる。

(……なぁ、華琳……俺は……どうするべきなんだろう……)

 きっと、望んで息子を兵にさせたわけじゃない。
 中には望んで向かわせた人も、息子さん自身が志願した家もあっただろう。
 そんな彼らに俺はどうしてやればいいんだろう。
 哀れめばいいのか? 一緒に悲しんでやればいいのか? それとも……死んでやればいいのかな。

(───)

 違う。
 俺が死んだら、この人達が人殺しになる。
 俺はそんなの許せないし、そもそも死ぬわけにはいかない。
 哀れみたくなんてないし、一緒に“悲しむためだけ”に謝りたくもない。
 だったら……? ───だったら……!!

  バガァンッッ!!

「……へ……?」

 ……人が、一人飛んだ。
 その一発で、あれだけ騒がしかった喧噪は止んで、俺を殴ろうとしていた目の前の男性の手が停止する。
 そんな彼の横で、一人の男性が血を吐いて落下した。
 ……俺が、氣を込めた拳で殴ったからだった。

「なっ……て、てめ……!?」
「……い、っ……づ……! っ……くそっ……くそくそくそっ……! なんでこんなっ……!」

 苛立ちを吐き捨てる。すでにボロボロの自分に対してじゃない。眼前に存在する人たちの在り方にこそ、苛立つように。
 痛む体を庇うこともせずに、キッと真っ直ぐに睨み返して。

「なんだその目は……! てめ……今殴りやがったのか!? てめぇが! てめぇらが悪いくせ《バガァンッ!!》ぷぎゃあっ!?」

 次いで、喋り途中の男性の左頬を、右拳で思いきり殴り───何人かを巻き込んで倒れた彼に一瞥をくれると、苛立ちを、悲しみを吐き出すように叫ぶ。

「誰が悪いとか……! なにが悪いとか……! そんなことを理由に戦ってたんじゃないっ!!」

 その叫びに数人が身を竦め、しかし次の瞬間には急に叫ばれたことに苛立ちを覚えたのか、殴りかかってくる。
 そんな彼らを、もはや殴られるだけの自分を捨て去った拳で殴り返していく。 
 殴り、殴られ、蹴り、蹴られ───多勢に無勢にもほどがある状況でも、退くことはせずに殴り飛ばしていった。
 相手が誰だろうが関係ない。守るべき民だから、なんて言葉は意味を為さない。
 相手が殴るっていうなら、こっちだって殴り尽くす!
 殴った上で……言いたいことを全部伝えてやる! 相手の本気を受け止めるために、自分の本気をぶつけていく!

「誰かを殺したかったから旗を掲げたんじゃない! 誰かが憎いから武器を手に取ったわけじゃない! みんながみんな、自分なりの泰平を目指して立ち上がったんだ! 殺したくて殺したわけじゃない!」

 途端に殴られるが、仕返しとばかりに殴り、地面に叩きつけた。

「泰平だぁ!? だったらどうしてもっと早くに同盟を結んでくれなかった! 最初から争わずにいられたなら、そもそも誰も死ぬことなんてなかったんだ!!」

 相手の膝が腹に埋まり、痛みに肺の中の酸素を思わず吐き出し、そうした途端に顔面を殴られた。

「っ……ふざけんなっ! “最初から争いがなければ”なんてこと……! 誰も考えなかったって本当に思ってるのかよ! 争いたくなかったのは誰だって同じだ!」

 それでも殴り返す。
 手加減なんてしないで、思い切り振り切るつもりで振るった拳で。

「最初から俺達に国を動かすだけの力があればって! “そんな力があったら”ってどれだけ考えたと思ってる!」
「《バゴォッ!》ぐっ……て、めっ……!」
「力を得るために戦った! 戦うたびに誰かが死んだ! 力を得るたびにみんなが“自国の王こそが”って期待した! 期待に応えるために理想を目指して戦った! 自国の王なら平和な未来を、って期待したんだろ!? そんな王を今さら否定するのか!? じゃあ訊くけどな! 期待に応えない王にあんた達はついていけたのか!? 信じることが出来たのか!? 理想を追い続けた王だったから、あんた達は息子を託せたんじゃないのかよ!!」
「っ……うるせぇうるせぇうるせぇええーーーーーーっ!!!!」

 もう、誰が相手でも返事はきっと変わらなかった。
 叫び合い、殴り合い、血を吐きながらも自分の、自分たちの言葉を、怒りを、悲しみをぶつけ合っていく。
 痛みに負けて倒れてしまいたくなるのを、歯を食い縛りながら耐えて。

「人の生き死にを背負って、様々な命令を下さなきゃいけない将の気持ち、少しでも考えたことがあるのか!? その決断が間違っても間違ってなくても消えてしまった命があった! 戦だから仕方ないだなんて言葉で片付けられるほど軽くない……軽く思えるわけないじゃないか! だってみんな生きてたんだ! 戦う前まではなんでもない日常の中で一緒に笑ってたんだ! あんた達にとってだけ大切なわけじゃない! 俺達にとってだって大切な命があったんだ!」
「だったらなんで死なせちまったんだ! なんで守りきらなかったんだよ! 強いんだろ!? 国を守るやつらが弱いわけないだろうが!」
「〜〜〜っ……このっ……! どうして解ろうともしないんだよ! 王だけで国が成り立つもんか! たった一人が強いだけで、戦で勝てるわけがないだろうが! どれだけ強くたって、どれだけ頭が良くたってなぁっ! 俺達は同じ人間なんだよ! 守りたくても守れないものなんて山ほどあるんだ! 守りたいって思うだけで守れるんだったら……っ……俺だって、……俺、だって……! 誰も死なない“今”が欲しかった!!」

 涙が溢れる。
 滲む視界をそのままに向かってくる人たちを殴り、慟哭する。
 殴られようとも蹴られようとも、歯を食い縛って受け止めて。

「俺達にだって魏の兵を殺された辛さがある! 悲しみがある! あいつらが死なずに、今を笑って生きている未来があるなら欲しいって思うさ! でも───でもなぁっ!!」

 次々と殴り倒し、殴る数が減っていき、気づけば立っている人なんて二人程度の今。
 おやっさんと、料理屋で息子を殺されたことを苛立ちながら話していた男を前に、俺はおやっさんではないもう一人の男に掴みかかり、壁に押し付けた。
 その人は俺の手を掴んで抵抗したけど───

「そんな“もしも”に手を伸ばして“自分が生きている今”を手放したりしたら! 死んでいったあいつらの意思や託された思いはどこに行けばいい!? あいつらと目指した平和な世界を捨てるのか!? その世界を選ぶ代わりにこの世界の全てを忘れるっていうなら───そんな世界なんていらない! 辛くても悲しくても、この世界で生きていく!」
「っ……」
「平和を目指したんだろ!? 天下統一を! みんなが笑っていられる天下泰平を王と一緒に! だったらどうして一年も腐ったままで生きたんだよ! たしかに目指した形とは違う泰平かもしれない! けどもう戦は終わっただろ!? 平和になったんじゃないか! なのにどうして笑おうともしないんだよ!」
「……笑う、だと……!?」

 怯むことなく思いをぶつけるが───次の瞬間には頭突きをされ、たたらを踏んだところへ腹部に前蹴りをくらい、無理矢理引き剥がされる。

「笑えるわけねぇだろうが! 子を殺されて……へらへらへらへら笑ってろってのか!?」
「づっ……く……! ああ、そうだよ……! 笑わなきゃいけない……! 笑ってやらなきゃ嘘になる……! だって───俺達は生きて“今”に立ってるんだから……! 死んでいったやつらが争いのない未来を望んで武器を手に戦ってくれたなら……その“今”に立ってる俺達が笑ってやらないで、誰が今を笑ってやれるんだ……! 与えられた平穏かもしれない……望んだ泰平じゃないかもしれないさ……! それでも、“平和”に辿り着いた俺達が“ここまで来れたよ”って笑ってやらなきゃ……っ……あいつらが安心して眠れないんだよぉっ!!」
「《バガァンッ!》げっはぁっ!!」

 勢いをつけての“ストレート”とも呼べない乱暴な右拳が、男の顔面を捉え、叩きのめした。
 どがぁっ、と地面に倒れる男を見下ろしながら涙を拭い、嗚咽に乱れる呼吸もそのままに歩く。
 間違った考えかもしれない。怒られて当然のことかもしれないけど、せめて言葉だけでも届きますようにと願い。

「俺達は……っ……はぁ……! いろんな人の犠牲の上で、今……ここに立ってるんだ……。傷ついた人はもちろん、癒えない傷を負った人……体の一部を失った人や……死んでしまった人たちの思いの先にある今に……《ズキッ……!》いつっ……! ……だから……っ……頼むよ……! 生きている今を、“どうだっていい”だなんて言うな……。“生きる希望がない”なんて……言わないでくれ……っ!」
「………」

 体を庇いながら歩み寄った先の彼───おやっさんは、昨日と今日、見てきたそのままの沈んだ顔で、俺を見ていた。
 睨むのではなく、“なにも見ていない”ような風情で。
 それでも俺は言う。どうか届いてほしいと願いながら。
 この世界においてなにが正しいのか、自分は本当に正しいのかなんてのは結局のところ誰にも解らない。
 解らないから信じるしかないし、信じるなら貫かなきゃ嘘になる。
 だから……たとえ間違っているのだとしても、我を通すと決めたなら歩みを止めちゃいけないんだ。

「足りないものがあるなら補い合えばいい……。届かないものがあるなら、手を伸ばし合えばいい……。不満があるなら言ってくれ……届かないなら叫んでくれ……! 叫んで、自分はこんなにも苦しいんだ、助けてくれって……もっと周りに頼ってくれ……! 届かないものだって……《ミシッ……》ぐぅっ……! 届かないものだ、って……決めつけないで…………解り合う努力を…………っ……」

 言いたいことがあるのに視界が揺れ、意識が保っていられなくなる。
 一撃で確実に立ち上がれなくするためとはいえ、氣を無理に移動させすぎた。
 ふらつき、倒れないためにと伸ばした手はおやっさんの肩を掴み、俺の体重がそこへと加わる。
 けど。倒れてしまう───そう思ったのに、倒れることはなかった。

「…………補う……? 無くしたものを……子をお前が補えるとでも言うのか……?」

 目の前から聞こえるのは歯が軋む音。
 触れている手がおやっさんの震えを感じとり、語調が怒りに染まる事実に息を飲んだ時、少しだけだけど消えかけていた意識が戻ってくれる。

「子を失った悲しみを、お前みたいな孺子が補えると……? 不満を言えば届くと……!? 叫べばこの苦しみが! 悲しみが! 届くとでもいうのかぁああっ!!」

 だっていうのに、意識が戻った瞬間に思い切り怒気をぶつけられ…………思わず、怯んでしまった瞬間。

   ズ……ゴリュッ……───

 ……鈍い音が、自分の体から聞こえた。

「……、え……?」

 見下ろせば赤。
 その赤は、俺が着ている服から…………いや。俺の腹部から滲み出し、流れていて…………。
 伝う先には赤く染まっていく……ついさっきまで、誰かが美味しいと喜んでくれる料理を作っていたであろう包丁が……

「補える代わりなんて居ねぇ……居るわけねぇだろ! ───届くわけねぇだろ! 俺達の痛みが、命令するだけの将に! お前らはそうやって、自分たちは安全な場所で命令しているだけなんだろう!」
「……っ……あ、は……っ……」
「どうだ刺された気分は! どうせ味わったこともない痛みなんだろう! 息子はそんな痛みよりももっと痛い思いをして死んだに違いねぇ! 苦しいか! どうだ! 苦しいかぁっ!!」

 ……痛い。
 頭が考えることを放棄してしまうくらい、痛い。
 痛くて痛くて、なにもかもを放棄して叫び出したくなる。
 叫べば痛みが引いてくれるだろうか、なんて考える余裕もない。
 ただ痛くて、苦しくて。訳も解らないままになにかに謝りたくなった。
 “痛い思いをしているのは自分が悪いからだ、だから謝ってしまえって”、ようやく考えることを始めてくれた頭の中が混乱を見せる。

「っ……ひ、ぐ……はっ……あ……あ、ぐ…………ぁああぁぁぁ……ぁ……!!」

 長く吐けない息がもどかしい。
 痛みに呼吸が乱れて、呼吸が苦しくて。

「〜〜〜っ……」

 …………知らなかった。
 ドラマとかで刺された人が、あっさりと倒れていく理由が解らなかった俺だけど、今なら解る。
 人はあまりの痛みの前では、立っていることすら出来ない。
 ひたすらに痛みから逃れたいと願うあまりに、体が“立つこと”すら放棄する。
 現に俺の膝はゆっくりと折れていき、力を入れないで済む格好を求めるかのように多少の力を込めることさえ放棄しようとする。

(……、でも…………)

 ……でも。
 刺された場所が熱いのに、体は冷たく感じる気持ちの悪い状況でも、視線だけは戻し、おやっさんの目を見た。
 つい今まで俺を見て、罵倒していたその目を。

「ど、どう…………だ………………どう…………」

 震え、少しずつ力を失っていく俺を見て、おやっさんはやがて顔を青くしていった。
 俺の血で赤く染まった手を見て、どこか見下すように歪んでいた表情は怯えに変わり、足が震え、歯がガチガチと音を鳴らしていた。

「え……、え……? お、俺……?」

 取り返しのつかない間違いを起こしたその姿に、もうさっきまであった怒りなど消え……人を殺してしまうという事実に怯える姿だけが、そこにはあった。
 そうだ……どんなに間違っていても、人を殺すなんてしちゃいけない。
 まして、この包丁は───誰かを刺すためじゃない、料理で人を満たすためにあるのだから。

「……ち、ちが……違う、俺はっ……! 違うんだっ、これは───! ほっ……ほらっ、すぐ抜くからっ!」

 頭がボウっとする。
 だから、混乱したおやっさんがなにをしようとしているのか、咄嗟に判断できなかった。
 伸ばされた両手が、腹部に刺さったままの包丁を掴んで───そして。

  ……それがどういう意味に繋がるのかに気づいたのは、次の瞬間に響いた声が耳に届いた時だった。

「よせ! それを抜くな!!」
「へ……?《グッ……イ───!》」

 聞こえた声におやっさんは振り向いた。
 ……その手で、包丁を掴んだまま。

「がっ……! ──────!!」

 瞬間、噴き出す鮮血。
 ぐぢゅり……と、体を伝って耳に届く嫌な音が俺の五感の全てを支配した。
 声にならない叫びが場に響き、その声に振り向いたおやっさんの顔に、鮮血が飛び散った。

「え、あ、……えああ……っ!?」

 もう、怯えも怒りもなにもない。
 ただ、もはやなにがなんだか解らなくなってしまい、目の前の光景の意味だけを求める子供のような目が、俺を見ていた。
 そんなおやっさん目掛け、地を這うように走る姿が視界に入った。
 
  そんな姿を見たら、もうダメだった。

 よせばいいのに、このまま死ぬんじゃないかってくらい苦しい体を無理矢理に動かして……呆然とするおやっさんと、地を蹴り走る───甘寧との間に立った。

「───!? ……なんの真似だ」

 甘寧が言う。“信じられない愚か者を見た”といった、冷静さに驚愕を混ぜたような顔で。
 ああ、本当に……なんの真似なんだろうな……。自分でも笑えてくるよ。

「い、ぐっ……つ…………ぁ……は、はぁっ……は、ぁ……!」

 借りた庶人の服が真っ赤に染まる。
 あまりの赤さに気を失ってしまいそうなのに、痛みが気絶を許してくれない。
 …………いや、今はその痛みに感謝を。今、気絶するわけにはいかないから。

「っ……なにを……するつもりなのかっ……知らない…………けど……っ……はぁっ……! この人を……傷つけるっていう、なら……っ……黙ってなんか、いられない……!」

 心臓が鼓動するたびに、脈の鼓動さえもが激痛を走らせ、言葉が途切れ途切れになる。
 こんな思いまでして、本当に……なんのつもりなんだ。
 自分でそう思えてしまうくらい、今の自分は滑稽だっただろう。
 でも。でもだ。

「……正気か? そこまで殴られ、刺されてなお民を庇うなど」
「っ……はは……うん、馬鹿みたいだけどさ……正気、だよ……」
「貴様がどう出たところで、その男には相応の処罰が下る……当然、傍観していた私にもだ。貴様がこうして間に立つことは無意味だ。……黙って死なない程度に倒れていろ」

 甘寧は俺が刺された事実に眉ひとつ動かさない。
 包丁を抜くなとは言ってくれたが、ようするに死ななくて済むかもしれない者を殺したくはなかった程度の忠告。
 普通は抗議でも口にする場面なんだろうけど、逆にそんな冷たさを前に俺は安心していた。
 
「そんなこと……ないさ……。少なくとも……《ズキィッ!》ぐあぁっづぅっ……ぁあああぁぁ……!!!」
「喋るな。本当に死ぬぞ」

 ハキハキと喋れもしない俺を横に押し退け、甘寧がおやっさんへと歩み寄ろうとする。
 それを、俺は通せんぼするように腕を左右に伸ばした。

「…………もう一度訊く。なんの真似だ」
「〜〜〜っ……させない……。処罰なんて、する必要ない……。この人は……言って当然のことを言って……届かない思いを、届けようとしただけなんだから……」
「……? なにを言って───」

 歯を食い縛る。
 人を刺した事実に腰を抜かし、逃げることも出来ないおやっさんを後ろに庇いながら。
 そうだ、歯を食い縛れ……力を抜くな。
 脱力するのなんて、全てが終わってからでいい。
 覚悟を……意思を貫け。どれだけ泥を被ろうと、貫き通すって決めただろ……?

「間に立つことが無意味なんてこと……ない……! 伸ばしても届かない人の手を……繋いであげられる……! 届かない声を……代わりに届けてあげられる……! っ……辛い、って……苦しいって……助けを求めてる人を、処罰する……なんてこと……っ……俺は許さない……!」
「………」

 甘寧が俺を睨む。
 本当に、なにを言っているんだって目で。
 内心、呆れているのは俺も同じなんだろう。
 誰を呆れるでもない、自分自身を一番呆れる。
 それでも貫くと決めた意思は、決めて向かった覚悟は、最後まで責任として刻み込む。

 ……ああ、やっと解った。
 この国の王でも重鎮でもない俺に出来ること。
 雪蓮や孫権に出来なくて、俺なんかができること。
 ただ俺は俺として、真っ直ぐにぶつかってやればよかったんだ。
 国のことをどうとか言うんじゃなく、民の苦しみ、辛さを受け止めてあげればよかったんだ。
 それがたとえ怒りでもいい、王に向かってなんてとても叫びきれない嘆きの全てを、殴れる、殴らせられる立場の自分が受け止めてあげれば。
 王は民を傷つけることなんて出来ず、民は王を傷つけようだなんて考えれない。
 だから……いくらボロボロになろうとも、俺に出来ることなんてのはこんなことでよかったんだ。

「集団で殴りかかる相手を……自分を刺した相手を庇うというのか? 正気を疑う」
「疑われてもいい……笑われたっていいさ……! ……っ……“俺の親父たち”だ……! 手を出すな……!」

 俺がいくら受け止めようが、相手は受け止めてくれないかもしれない。
 伸ばした手は伸ばされたまま、相手は握ってくれないかもしれない。
 それが泥を被るってことで、道化だなんだって馬鹿にされようとも───そうさ、伸ばした手は引っ込めない。
 そんな道化を見て誰かが笑ってくれるのなら、それでもいいじゃないか。
 子の死を嘆くだけで微笑めないよりずっといい。
 たとえカラ元気だとしても……───どうか、彼らが目指したこの平和の中で笑うことを……忘れないでほしい。
 そう。一緒に悲しむために謝りたくなんかない。一緒に悲しみ、笑うことの出来る繋がりを……この平和な青の下で感じたい。

「睨み合うだけじゃなく……もっと歩み寄ってくれ……。言えないことも言い合えるくらい……歩み寄って……。不満を持ったまま、っ……つぅ……! くっ……平和の、中に居ても……はぁ……きっと、笑えないから……だから…………」

 もう力の入らない手で、右手でおやっさんの手を、左手で甘寧の手を取って、触れさせる。
 二人は手を繋ぐことはしなかったけど、嫌がって手を振り払うことをしなかっただけでも…………俺は満足だった。

(あ───)

 そうして満足した途端、体から力というものの全てが消える。
 まだ言いたいことがあったのに、力を込めることを放棄した体は、なんの受身もとれないままに地面に倒れた。
 どさっ、なんて音じゃなく、ゴドッ……って鈍い音を立てて。
 意識が遠くなるさなか、俺を呼ぶ声が何度も聞こえた。
 それが、甘寧とおやっさんの声だったことがどこか嬉しくて……それを安心の材料にするみたいにして、俺は意識を手放した。





20/いつか、本当の笑顔で笑い合えるその日まで

 …………。
 ふと、意識が浮上する。
 開いた視界で見たものは天井。
 道場の天井じゃないだけ、少しマシかなって思ったのを、少し反省。
 ここは宛がわれた自室だろうか……なんにせよ生きていることを喜ぼう。

「ん……《ズキーーン!!》あいっだぁああーーーーーっ!!!?」

 起き上がろうとして激痛。
 「なに!?」と自分の体を確認してみれば、腹部が包帯ぐるぐる巻きにされている事実に驚愕。
 あ、あれ? 俺……ってそうだよ、さっき生きてることを確認したばっかりじゃないか。

「そ、そーだったそーだった、刺されたんだよな、俺」

 いかん、もしかして血を流し過ぎたのか? 頭が上手く働いてくれない。

「…………うん」

 でも、これだけは解る。こうしてなんていられない。
 おやっさんたちがどうなったのか、確かめに行かないと。
 そう思って起き上がろうとするんだけど、痛みが勝って力が入らない。

(……よく立ってられたな、俺)

 人間、無我夢中の時は案外無茶が利くようだ。
 二度とごめんだ〜って思うくせに、同じ状況になったらまたやりそうな自分が自分で怖い。

「はぁ……あ、そうだ。傷口に氣を集めたら治るとか、そんな漫画的なことはないだろうか」

 早速集中……霧散。

「あれ?」

 上手く集中が出来ない。痛みの所為? 違う、なんかこう……下半身がムズムズするっていうか。

「…………エ?」

 テントがあった。
 腹部ばっかり見てて気づかなかったけど、こう……寝起き特有の“おテント様”ではなく、明らかに強大な力を秘めているであろうおテント様が……!

「い、いや待て、俺は極めたはずだろ? 落ち着け〜、落ち着け〜……!」

 あんなことがあって、目が覚めたらこんな状態って笑えない。
 静まれ、鎮まれと二つの意味で落ち着かせようとするが、一向に落ち着いてくれやしない。
 そこでハッと気づくが、服が刺された時のものとは違っていた。
 あの服よりも若干高級感がある服で、その上着だけをはだけられた状態で、俺は寝ていたようだった。
 いったい誰が着替えさせてくれたのか……って、はうあ!?

(き、着替え……させた? こんなおテント様を張っている俺を、誰かが……!?)

 事実に気づくや赤面状態だ。
 顔がチリチリして、今すぐ頭を抱えて七転八倒したい気分である。
 い、いやいやいやいやいや!! きっとその時はおテント様を張ってなかったってきっと!
 じゃなくて状況を弁えろよ俺ぇえええっ! あんなことがあった直後だぞ!? それを───……

「……待て。直後?」

 ……今、何時だ? いや、時計なんてないから解るわけもない。
 俺が気絶してからどれくらい経ったんだ? そもそも今日は同じ日なのか?

「………」

 解らない。
 解らないなら、少し冷静になろう……そう思って、水差しでもないものかと横へと視線を逸らせば、寝床の端に自分の腕枕を構え、すいよすいよと眠っている……周泰と呂蒙。

「───……うあ……」

 胸がとくんと大きく鼓動する。
 看病してくれたんだろうか、心配してくれたんだろうか、ありがとう、ごめんな……いろんな思いが胸に溢れ出して、申し訳ないと思う気持ちと感謝の気持ちがごっちゃになる。
 そんな彼女らの頭を撫でようと手を伸ばしかけるが、ふと目に映ったおテント様がその行為を停止させる。
 落ち着きなさい一刀、まずはこちらをなんとかするのが先でしょう? 自分を心配してくれた友達に、こんなものを見せつけるつもりですか?
 ていうかこんな状態で頭撫でてるところを誰かに見られたら、それこそ取り返しがつかないだろ。

「よ、よーし落ち着け落ち着け……ってさっきよりも猛っていらっしゃる!?」

 え、えぇえっ!? なんで!? 徹夜の修行の成果は!? 極めた俺は何処に───……ハッ!?

「………」

 あの時の状態を思い出してみる。
 睡眠不足で、空腹で……でも煩悩を掻き消そうと躍起になってた。
 ここで問題。人間の三大欲求ってなんだったっけ?

(…………うあぁああああああああ…………!!)

 今こそ頭を抱えて転がり回《ズキーーン!!》ギャアーーーーーッ!!

「うぁああだだだいがががぁああ……っ!!」

 重症よりも恥ずかしさが勝り、激痛に苦しむ馬鹿者がここに誕生しました。
 ソ、ソウカー……ハハ、ソッカー。
 俺、ただ三大欲求のうちの食欲と睡眠欲で、性欲を押さえつけてただけなんだー……。

(ぐあぁあっ……! 死にてぇっ……!)

 極めた気になっていて、蓋を開けてみればこんなものである。
 そして、睡眠欲が消えるまで寝ていたっていうのに、窓から見える景色が明るいってことは───今日は俺が刺された日じゃないってこと。
 いったいどれほど寝ていたのか。

「………」

 いや、今がいつかなんてどうでもいい。
 今はおやっさんたちが心配だ。

(…………っ……───)

 体に必死さが伝わったんだろうか───氣が傷口に集中し、痛みを和らげてくれた。
 そうなれば起き上がることもそう難しいことじゃなく、散々騒いでおいてなんだけど、ぐっすりと眠っている周泰と呂蒙に気づかれないよう、そっと寝床から下りて歩き出す。
 おテント様も自重してくれたようで、安堵の溜め息を心の底から吐きつつ、静かに部屋を抜け出た。
 ……まあその、窓から。
 歩き回っているのを見つかったら、寝ていろって言われそうだったからだ。

(甘寧あたりにはもう気づかれてそうな気もするけどね……)

 だとしても、押さえつけたりしないならありがたい。
 一度こくりと頷くと、走る───ことはさすがに痛すぎて無理だったので、ゆっくりと歩いていった。


───……。


 そしてやって来た建業の街。
 暖かな賑わいを見せるそこは、誰かが刺されたとか乱闘したとか、そんな事実を忘れるかのような賑わいを見せていた。
 肉まん片手に呼びかける、少しぽっちゃりした威勢のいいおばちゃん。
 買い物をしていった客を送り出す服屋。
 書物の整理をしているのか、バタバタと慌しく走り回る本屋。
 目に映るもの全てが元気に溢れ、笑んでいた。

  ただひとり、店の前に座りこんでボウっとしているおやっさんを除いて。

 行き交う人の流れを静かに眺め、何をするでもなくボウっとしているおやっさん。
 店は開いているようだけど……客が来ないのだろう。
 噂ってのは伝わりやすいものだ。
 本人が口にしなくても、その場に居た誰かが口を滑らせるだけであっという間に広がる。
 恐らくは……俺を刺したことが誰かの口から漏れたんだろう。
 刺したことじゃあなかったとしても、周りから一歩引かれるような噂が。
 そうでなければ、あんなにも込んでいた店を誰もが避けて通るはずもない。

「………」

 でも、よかった。おやっさんがちゃんとここに居てくれて。
 もしかしたら厳罰に処するとかいって、二度と会えなくなってたりしないかって不安だったんだ。
 刺されたのが雪蓮とかだったら大変だったんだろうけど───いや待て? もしかしてこれがきっかけで、同盟に亀裂が───…………は、はは……まさかね?
 うん。心配ごとはあるにはあるけど、今はおやっさんだ。
 誰にともなくそう頷くと、店の前に座りこむおやっさんのもとへと向かう。

「…………? う、お、おめぇっ……!」

 おやっさんは俺を見るなり───刺した感触でも思い出したのだろうか、表情を驚愕の色に染めた。
 俺はそんなおやっさんの隣に立つと、困惑顔で俺を見上げてきているおやっさんにとりあえずニカッと笑ってみせる。

「や、おやっさん」
「っ……無事、だったのか……」
「それはこっちの台詞だけど。よかった、処刑とかになってたらどうしようかと思ってた」
「…………王が……“雪蓮ちゃん”がよ……。刺されたお前自身が不問とするなら、私が死罪を下せるわけがない……ってな。ただ、無罪には出来ない、追って別に下されることがあるから、それは覚悟しておけ……だとよ」
「………そっか」

 雪蓮がそんなことを……って、“雪蓮ちゃん”?

「お、おやっさん? 雪蓮ちゃん、って……」
「こう呼べって言われたんだよ……民に手を伸ばすその一歩だ、ってな……。言いたいことがあるなら言ってほしい、一緒に国を善くしていこう、だとよ……」
「…………」

 おやっさんは喋りながら、街の雑踏へと視線を戻す。
 ちらちらと行き交う人が店を、おやっさんを見るが、視線が合いそうになると慌てて目を逸らし、足早に歩いていってしまう。

「───建業で騒ぎを起こしてたやつらはよ……雪蓮ちゃんに言いたいこと言って大分すっきりしてたようだぞ」
「……? 名乗り出たのか?」
「お前を殴ったやつの大半がそうだったってだけだ……。結局騒ぐだけ騒いで、殴るだけ殴って……少しはすっきりしたんだろうさ。俺も、あいつらも」
「おやっさん……」
「けどよ……見てくれ、今の俺を。お前の言う通り、あいつの死を悲しむばっかりじゃダメだってことには気づけた。けどな……もう街に自分の居場所が無いみてぇによ……みんなが俺を、店を避けやがる。あれだけ“許せねぇ”とか“死ぬまで殴る”とか言ってたやつらまでもがだ」
「………」

 黙って同じ雑踏を眺めている。
 おやっさんのようには座らず、だけど同じ景色を。
 そうしていると、おやっさんは長い長い溜め息を吐いたあとに口を開いた。

「あいつのために“今”を笑って過ごしてやりたい……今ならそう思えるのによ……こんな状態で何を笑える……? 滑稽な自分を笑えばいいのか……?」

 言葉のあとに、嗚咽が混じったような溜め息を吐くおやっさん。
 そんな彼に、小さく言ってやる。
 “それはとても簡単なことだよ”、って。

「簡単……? 簡単だったら俺は───」
「《すぅっ……》みんなぁあああっ! 腹減ってないかぁーーーーっ!!?」
「うおっ!?」

 おやっさんの言葉に返事をする代わりに、大きく息を吸いこんで大声を発する。
 何事かと街の人たちが振り向く中で、俺は大きく手を振って自分の存在をアピールした。

「さーあ美味いよ美味いよー! 軽く食べられるものからガッツリ食べられるものまで! なんでも作れる料理屋だよー!」
「お、おいっ……!?」

 当然おやっさんは困惑顔で俺を止めようとするけど、俺はその顔に向き直って笑いながら言ってやる。

「ほらっ、客が来ないなら呼びこまなきゃダメだろ? ここは休憩所じゃなくて、料理屋なんだから───なっ、親父っ!」
「───……お、や…………?」
「俺さ、結局のところ呉に来たところで自分になにが出来るのか、はっきりと解ってない。受け止めるにしたって、一人でやることには限度があるし……さ。でもさ、無理に見つけてそれをするんじゃなくて、自然に見つかったものをやっていくだけでもいいんじゃないかなって今なら思うよ」
「……? なに言って───」
「そのためにはまず言ったことを守る! 息子さんの代わりになんてなれないってのは解ってるけどさ、手伝えることなら手伝いたいって本当に思うんだから仕方ないっ!」

 その一歩目として“親父”と呼ぶことを胸に刻む。
 補うための第一歩として踏み出し、行う行動の全てを笑いにするために……道化でもいい、誰かが笑える道を歩みたいと思う。

「難しく考えることなんてなにもないんだよ、親父。無駄かもしれない行動がなにかに繋がることって、俺達が気づかないだけできっといっぱいある。こんな呼びかけでも“誰か”に届けば来てくれるし、そこから増えていくかもしれない。そうしてさ、自分たちの手で少しずつ呉って国が変わっていくのって、凄いことだって思わないか?」
「! ───……」

 俺の言葉におやっさん……親父は目を見開いて、俺を見たまましばらく固まっていた。
 その間にも俺は呼び込みを続けて、何人か止まってくれる人に事情を説明しては、食べていかないかと促していく。
 そんな中で───

「…………おかしなもんだなぁ息子よぉ……。顔も性格も全然似てねぇのに…………言うことばっかりがいちいちお前に似てやがる……」

 すぐ隣から、やっぱり嗚咽混じりにも似た声で親父が何かを言ったんだけど、呼びかけるのに夢中で聞こえなかった。
 一度気になったら知りたくて問いかけてみても、親父はどこか吹っ切れたように笑うだけで。座らせていた体を立ち上がらせると、頬をびしゃんっと叩いて呼びかけに参加してくれた。

「おらっ、そんな小さな声じゃ誰にも届かねぇぞ孺子!」
「…………ははっ、ああっ! 親父こそ声が小さいんじゃないのか!? 気が沈んでた時間が長すぎて、声も出なくなったか!?」
「んーなことはねぇっ! ───おらー! 腹減ってるやつはいいから寄ってこーーーい!! 俺の料理が食えねぇってのかーーーっ!?」
「なんで喧嘩腰なんだ!? それじゃあ客が逃げるだろっ!」
「うーるせぇ! どうせ今の状態が最悪なら、これ以上悪くなんてならねぇよ! それよりおめぇも声出さねぇか!」

 二人して店の前で叫ぶ。
 いろんな人が逆に逃げてる気もするんだけど、そうなればたしかにヤケになるしかないわけで。
 なるほど、今が最悪ならこれ以上悪くなりようがない。
 それなら形振り構わず、むしろ無茶なことも言えるのだ。

「いらっしゃいいらっしゃーい! 美味いよ安……なぁ親父。この店の料理って安いのか?」
「《ガクッ……!》こっ……こらこら……! それ今ここで訊くことか!?」
「い、いや……いろいろ食わされて金が足りなかった俺としては、安いのか高いのか疑問で……う、うん、まあいいや」

 叫んでいく。
 カラ元気でもいい、最初はそこから始めて、笑うことを少しずつ思い出して。

「おっ、そこのぼうず、腹減ってそうな顔してんなぁ。どうだ、食ってかねぇかい? 心配すんな、金ならこの兄ちゃんが」
「金ないから雑用押し付けられたんだよね!? 俺!!」

 冗談半分にじゃれあうように喧嘩をしながら。 
 チラリとこちらを見て、そのまま素通りする人が多かったけど───

「いらっしゃーい! 手頃な値段でいい味が楽しめるよー! ……時々人を刺すけど!」
「なっ! こ、こらっ!」
「……ぶふっ! は、あっはははははは! 刺された本人と、刺した本人だーーーっ! でも刺された本人はこの通り元気で、刺されたことなんて気にしてないから! だから食いに来てくれ! もっともっとお互いを知っていくために!」
「…………おめぇ───」

 ───手を繋ぎたいなら、仏頂面はだめだ。
 だから自分の気持ちを打ち明けて、笑顔で呼びかける。
 すると……

「お、おい……刺されたって……あの……?」
「じゃああいつが魏から来たっていう御遣い……」
「刺したって聞いたときはもう同盟は終わりかと思ったが……」
「大丈夫……なのか? また戦が起こるなんてことはないのか……?」

 いろいろな囁きが聞こえてくる。
 それを受け止めながら、やがて全員の目が俺に向けられるのを確認してから口を開いた。

「みんな、聞いてほしい。戦なんて、もう起こす必要はないんだ。俺はたしかに腹を刺されたけど───こうして生きて笑っていられるなら、俺がその事実を許せるなら、どうしてまた戦をする必要があるだろう」

 ひとつひとつ、丁寧に……ちゃんとみんなの耳に届くように。

「俺達は互いに、大事な家族を殺してしまったかもしれない。でも、死んでいった人たちが天下の泰平を目指して戦ったなら……今。その泰平に立っている俺達は、笑うべきなんだと思う」

 伸ばした手が、たとえ今は振り払われても、いつかは届くと信じて。

「俺はこの人に、子供を死なせてしまった人たちに、無くしてしまったものを“補う”って言った。大事な家族を補うってことは無茶がすぎると思うけど……代わりにはなれないかもしれないけど。でも、どうか手を握ってほしい」

 今もまだ、戦に囚われて悲しむことしかできない人に届かせるために。

「俺達はこれから国を善くしていく。そのためには王ひとりが頑張るんじゃなく、民だけが頑張るんじゃなく、国のみんなが力を合わせて頑張らなきゃいけない。それでも善くできなかったとしても、今の俺達には手を伸ばせば伸ばし返してくれる同盟国がある。だから……伸ばしてほしい。助けが欲しいって、辛いって思ったなら……迷わず声を届けてほしい。ずっとそうやって、無くしてしまったものを補っていかないか? せめて……死んでしまった人たちのことを、悲しいだけじゃない……いつか微笑みながら“自分にはこんな息子が居た”って誇れるように───」

 そう。国のために武器を手にして、彼らは戦った。
 それは無駄なんかじゃなかったし、むしろ誇りに思ってもいいことだった。
 それを悲しむことしか出来ないなんて、あんまりじゃないか。

「死んでいった人たちは国のため、家族のため、理想のために戦った。そのことをどうか、誇りに思いこそすれ……悲しむだけしかしてやれない現状のまま、踏みとどまらないでほしい」
『………』

 民のみんなが俺をじっと見る。
 それは親父も同じで、だけど今度は俺を刺す前に見せた、どこか虚ろな表情じゃない。
 新たな思いを心に刻むみたいに、困惑色だった表情をすっきりしたようなものに変えていた。

「あ、あー……みんな、聞いてくれ」

 そんな親父が、みんなを見て口を開く。

「俺はよ、その……息子を失った悲しみで、この一年……なにをやってもだめだった。一年って長い時間、ずっとボウっと過ごしてたよ。……けどよ、この男に会って、叫びたいこと叫んで……その、刺しちまったら……俺の息子もこうして誰かを刺したんだ、斬ったんだって思っちまったら……もう、なにも憎めなかったよ……」

 ざわりと民がどよめくけど、親父は続ける。

「そうだよな、誰も誰かが憎くて戦ってたんじゃあねぇ。息子たちは国のため、王の理想が眩しかったから志願したんだよ。金欲しさに立ち上がった野郎もそりゃあ居ただろうさ。でもよ……それも結局はよ、国を善くするためだったんだよ」
「親父……」
「こいつはよ、刺されても俺のことを恨みもしなかった。補うって言った言葉は守るなんて言って、俺のことを“親父”なんて呼びやがる。いつかあいつが言ってたみてぇに、“自分たちの手で呉が変わっていくのって、すごいことだって思わないか?”なんて言いやがる……」
『………』
「俺は……俺はよ、あいつが死んじまった時点で、あいつは国を変える手伝いをできなかったんじゃないかって思ってたけど……違ったんだな。違ってくれた。あいつはたしかに国を変えるために戦って、理想のために散っていったかもしれねぇが……あいつが死んでも、あいつが求めた国は作られていってるんだ。俺は……そのことを誇りこそすれ、無様に思うことも情けなく思うこともねぇ。国のために立ち上がったやつを情けなく思うなんて、そもそもしちゃあいけねぇことだったんだ」

 親父の言葉が続く。
 そんな中で、一人が歩くともう一人も、と……人々の足がこちらへ向く。

「俺はこいつを刺したことを後悔してる。もうこんな気持ち、誰にもさせちゃならねぇ。誰かの命を奪うのが当然の“戦”なんてもの、もう起こしちゃならねぇんだ。死んでいったやつらの……呉だけじゃあねぇ、他の国のやつらのためにも……よ」

 親父にかける言葉なんてない。
 ただ、その肩を何人もの人がポンッと叩き、店の中へと入っていく。
 親父はそんな光景をどこか力が抜けたような顔で見て───

「よっし親父っ! 客だぞ、ホウケてないで仕事仕事っ!」
「へっ? あ、お、おうっ!」

 まだ言いたいこともあったんだろうが、俺達を見る人たちの中で、この店に向かっていない人が居ないなら、もう十分なんだ。
 しこりは残るかもしれないけど、完全に解り合うのはやっぱり難しいのが人間だ。
 だから、今はこれで。ゆっくりと、気づけたことの輪を広げていこう。
 みんなが心から笑っていられる国にするために。

「きりきり働けよ、馬鹿息子代理!」
「ばっ……!? 馬鹿息子代理じゃなくて一刀だ! 北郷一刀! そっちこそ疲れ果てて倒れるなよっ!?」
「あぁそうかよ! だったら一刀! きりきり働けよ!」
「解ってるって!」

 叫べば届く言葉がある。叫ばなきゃ届かない言葉がある。
 言わないでも解ると思えるまで、俺達はどれだけの付き合いをしなければならないのだろう。
 どうして付き合いが浅いのに、言わないでも解るだろうと決め付けてしまうのだろう。

「親父!? 親父ーーーっ! 採譜は!? 掃除は!?」
「うおおおーーーっ! どうせ誰も来ねぇだろうって散らかしっぱなしだったーーーっ!」
「な、なんだってーーーーっ!!? うぅあどうするんだよこれ! 仕込みは!? 材料は!?」

 もし決め付けてしまったことで繋げなかった手があるとしたら、それはいつか後悔に繋がるかもしれない。
 そうならないためにも……届けたい言葉を口にしよう。繋ぎたい手を伸ばしていこう。
 そういう小さなことから人の輪が生まれるなら、こんなことからでも国は変えていけるのだから。

「ととととにかくお客さん第一! まずは卓の整理を───!」
「おうよ! ……って、どうしてこんなに散らかってるんだよ!」
「親父たちが、俺が“御遣いだ”って言った途端に暴れ出すからだろっ!?《ズキィッ!》あだぁっ!? ギャーーーッ! 傷口が開いたーーーっ!!」
「うおおおお!? 一刀ーーーっ!!」

 そんな些細なことが出来る今を、精一杯生きていこう。
 騒ぎが起きてたのは建業の街だけじゃないだろうけど、だったらこの街を第一歩にして笑顔を増やしていこう。
 どんな辛さも、いつかは笑って話せる日が来るまで、ずっとずっと。










 …………ちなみに。無断外泊や乱闘騒ぎを起こしたこと。
 刺傷事件のことや、抜け出したことについては、あとでしっかりと冥琳に怒られました。
 しかも傷口が開いてたってんだからもう大変。
 店の中で正座をしながら怒られた俺は、その迫力に怯える民のみんなを見て思った。
 民と将が手を繋げる日って……いつ来るんだろうなぁ……と。

  ……そのさらに後に、雪蓮と祭さんと周泰と呂蒙に怒られたことを追加しておく。
  いや……悪かったけどさ……。なんでみんな俺に正座させたがるんだろ……。




ああ……物凄く時間かかりました。 今日も会社だ明日も会社だ、明後日も会社。ラララそして─── はい、とくに曝すネタがない今回です。 中盤、シリアス通しで疲れました。 今回は民とぶつかる回ということで、思春くらいしか出番がないです……無念。 真・恋姫をやっていると、“こんな時、民はどう思ってるんだろうなぁ”と思う時が結構あったんですよ。 だったら少ない頭なりに自分で書いてみたらどうだろう、と書いたのが今回です。 真・恋姫よりも恋姫をやっていた時のほうが、実はズキリと感じる部分があったんですよね。 初陣を終えて帰って来た場面で、家族の死に泣いている民たちの姿を想像したらもう……。 将も大事ですけど、民あっての国。大事にしましょう。 今回文章がごっちゃりしてて見づらいかもしれません。 あ……それは毎回かも……すいません。 シリアスを書くと、逆に“こんなのでいいんだろうか”とか思ってしまいます。 投稿するのに少し抵抗があったりしましたし。 民の回……たまには一刀くんも体を張ってみるべきではなかろうか。 まさかの刺傷事件や、人を殺してしまうかもしれないという恐怖に怯える民。 一刀に“斬られる痛み”を、民に“人を斬るという恐怖”を教えるためのことでした……はい。 どちらも戦わなければ解らない恐怖ですね。 やっぱり戦なんて無いに越したことはないです。 こんな外史ですが、根気よく付き合ってあげてください。 Next Top Back