23/認めること、生きること

 ───たとえばちいさな頃のこと。
 なにをするにも理由を求めず意味をも求めず、やりたいことをやっていた。
 楽しければそれでよかった。
 意味のないことが楽しくて、たとえそれで服を泥だらけにしてしまったとしても、それすらもが“楽しい”の一つだった。

 ───なにがいけないことで、なにがいいことなのか。
 そういうことを少しずつだけど知っていくと、“楽しい”もまた減っていった。
 自分は大人にならなきゃいけなくなって、いつしか“僕”は“俺”に変わり、見るものの全てが変わってしまっていた。
 小さなシャベルを持つ手はシャーペンばかりを持つ手に変わり、
 道に落ちていた木の枝を振り回していた幼い手は、竹刀を振るう手へと変わり。
 そうして気づけば大人になって……でも、砂場で山を作る楽しさを、砂に水をかけて泥にするだけでも笑えた頃を、時々だけど思い出す。
 そして、同時に考えるんだ。
 自分はかつて描いていた夢の自分に、少しでも近い自分でいられてるんだろうかと。
 子供の頃に描いた夢なんて、もう覚えてはいないけど───
 笑みを絶やさなかった自分は、当時なにを夢見ていたのか……そんなふうに過去を振り返ってみても、思い出せるのはどうでもいいようなことばかりだ。

 高いところに登っては、そこから全てが見えている気になっていた。
 怖いものなんてなくて、犬にだろうが猫にだろうがぶつかっていって、大人が気持ちの悪がる虫を手で掴んでは、自分は大人よりも優れていると笑っていた。
 けど……いつかはそんな自分ともさよならをしなくちゃいけなかった。
 恐怖を覚えた代わりに、純粋に楽しむ心を凍てつかせていく。
 恐怖を知ることが大人になるってことなら、それはどうしても避けられないことであって、受け入れなきゃいけない大事なことなのだろう。

 ……それでも、やっぱり思い出す。
 怪我をすることさえ恐れず、喧嘩をしても謝れば許し合えたあの頃を。
 どれだけ願っても、帰ることも辿り着くことも出来ないあの頃を。
 手を伸ばせば届くのだろうか。
 声帯が許す限りに叫べば、あの頃の自分に届くだろうか。
 そんなことを、本当に時々だけど、考えた。

  
───……


 ───深く思考に沈んでいた頭を振って、溜め息を吐く。
 建業の街から仰ぐ空に感想のひとつも唱えず、視線を街に戻してから、ふと気になって振り向く。
 そこには何も言わない甘寧が居て、目が合うとギロリと睨みつけてくる。
 そんな目に少し苦笑気味に、振り向かせていた体を戻し、歩いた。

「……たぶんさ。華琳は民を許したいなら自分が罪を被れって言いたかったんだよな」

 独り言みたいに呟くけど、返事はない。
 そんなことにも苦笑しながら続けた。

「民への罰が騒ぎの禁止だとしても、ようは呉の民として、悪事らしい悪事を働かなければお咎めなんてないわけなんだから」
「………」
「そんな民への罰の“重い部分”が俺に降りかかって、でも……拒否権の剥奪っていったって、命を取ることもこの地に縛ることも禁じた。甘寧のことにしたって、俺が一人で出歩くのが危険だからって理由でわざわざ“俺の下”につくようにって言ってくれたのかもしれない」

 それでも気になることはある。
 どうして雪蓮や冥琳は、魏に処罰を任せようとしたんだろう。
 刺されたのが俺だからって、処罰の権利を他国に譲るっていうのは、それこそ部下や民に示しがつかないだろうに。
 権力に興味がないから? それとも華琳なら面白い裁き方をしてくれると思ったから?
 考えれば考えるほど、雪蓮っていう人物が掴めない。

「あのさ、甘寧。囲まれてボコボコにされる状況で民を殴るのって、罪になる?」
「なるわけがないだろう。そもそも貴様に罪があること自体がおかしい」
「……それってやっぱりさ、民を無罪にしたいなら俺に罪を被れってことで、いいのかな」
「罰を受ける必要があるとしたら私と民だけだ。罪は罪。相応の罰は受けねばならない。民の分をわざわざ貴様が被るというのなら、止めはしない」
「ん……確信なんてないけどさ、華琳は“死罪が嫌ならそれを除いた刑を、王としてすればいい”程度のことを書いただけで、詳しいことなんてのは書かなかったんじゃないかな。処罰というよりは、“意見”を書く程度で」
「何故そう思う?」
「えっと、それはその」

 “私が非道な王と思ったのならば……劉備、孫策。あなた達が私を討ちなさい”

 そうまで言ってみせた彼女が、理不尽な裁きなんてするはずがない……そう思ったから雪蓮たちは信じたんじゃないだろうか。
 華琳が家臣に求めるのは絶対の忠誠。桃香と雪蓮に“私に仕え、大陸を立て直す力を貸しなさい”とは言ったけど、平和を乱さない限り各国の在り方に干渉しないとも言った。
 それはつまり、他国のことは他国が決めるべきだってことで───

「華琳はさ、国が平和であるなら干渉はしないって言った。俺が刺されたことでそれは崩れかけたんだろうけど、罪は罪だからって理由で民の悲しみ全部を死刑で処理したら、それこそ平和が乱れるよ。華琳は望んで平和を乱すようなこと、しない。だから無罪だけは許さない方向で、こうしたらどうか、みたいに書いた……って、そう思うんだけど」

 華琳からの報せを見ることが出来ればいろいろと理解も早まるんだろうけど、今俺が許されているのは“民たちに罰を伝えること”だけだ。
 書簡か巻物かは解らないけど、王から王へ届けられたものを俺なんかが見ることは出来ないだろう。

「ならば貴様への罰はどう説明をつける? 曹操殿は貴様が罪を被ることも予測できていたというのか?」
「罰かぁ……拒否権を剥奪と、俺の口から民たちに報告、だよな?」

 予測もなにも、手紙を出してしまっている。
 あんな文章を見れば、俺が庇おうとしているのなんて丸解りだ。
 雪蓮だって“俺が無罪にしたがっている”ってことは書いただろうし、予測できないはずもない。

「……愚問だったな」

 甘寧も自分で言って気がついたのか、目を伏せながら小さく呟いて、溜め息を吐いていた。

「甘寧はさ、華琳から届いた報せには目を通せなかったのか?」
「届いた時点で権利剥奪が決まっていたなら、私が拝見できる理由がない。私はその時すでに、将ではなく庶人だったのだからな」
「う……ごめん」
「いちいち謝るな、鬱陶しい。貴様が謝る理由がどこにある」
「だってさ、俺が───いや。そうだよな……うん」

 ごめんばっかりじゃだめだ。
 俺は俺がやりたいように動いて、甘寧はそれを止めずにいてくれた。
 刺されたことは想定外だったろうけど、自分の立場が危うくなることも知っていただろうにそうしてくれた。
 だったら言うべきことはごめんじゃなくて───

「ありがとう、甘寧」
「なっ───」

 歩かせていた足を止め、向き直ってから真っ直ぐに目を見て感謝を。
 止めようと思えばいつでも止められたあの騒ぎ。
 そうしなかったのは、きっと急に招かれた俺なんかにも考えがあったからだと思ったからで、雪蓮に呼ばれたってことでそれなりの信じる価値があると判断してくれたから。
 だからありがとうを。真相がどうあれ、あの時割って入ってこないでいてくれてありがとうと。

(………あれでもし、多少も問題が解消されなかったら、俺……物凄い最低男だったよな)

 自分の足りないものをいろいろと考えて苦笑いしていると、目の前の甘寧がやっぱりギロリと睨んできた。

「あっ、いやっ! 今のは甘寧を笑ったわけじゃなくてっ!」
「………」

 言っても睨むことをやめない甘寧は、さっさと行けとばかりに視線で先を促した。
 そんな態度に一度頭を掻いてから、料理屋目指して向き直って歩き出すと、逸らしていた思考をもとの位置へと戻してゆく。

(華琳からの罰……だよな)

 甘寧への罰が、本当に華琳からのものかは解らない。意見だけを書いて寄越したにしたって、一応は魏の人間である俺が刺されたことに対して、なにも言わないままっていうのもおかしい。
 ……これについては祭さんか雪蓮に訊いてみよう。
 で、俺の罰のことだけど───これは確実に華琳からの罰だとは思う。

  “貴方ね……騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方自身が騒ぎを起こしてどうするの。少しは反省しなさい”

 ───的な感じで。
 その罰の内容っていうのが……一、呉の将からの“頼み”、または“命令”あたりを拒否することなく死力を尽くして行うこと。
 そしてニ、民への罰を、俺自身が一言一句違えることなく伝えること。
 ……一については、言われるがままに動くってことでもいいから、きっかけを作ってさっさとみんなと仲良くなって、力を合わせて迅速に問題を解決して、とっとと帰ってこいってこと……なんじゃないだろうか。
 もっと別のきっかけ作りの方法もあるだろうに……これってやっぱり、心配させたことへの報復だったりする……?
 じゃあ、ニ。俺の口から言えっていうのは───

(拒否権のことは置いておくとして、“俺の口から一言一句違えることなく民に伝える”っていうのは……刺された俺自身の口から言うことで、罪っていうのを民に刻み込むため……かな)

 “二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”
 この罰自体は……うん。呉の民として普通に暮らしていれば、そう間違ったことは起こらない。
 起こせば鞭打ちになるって解っているのに、スキ好んでそれを受ける輩は居ないだろう。

(こういうことって、普通は民を集めてから言うんだろうけど……)

 一言一句違えることなく伝える。でも、伝え方くらいは選ばせてほしい。
 そうしたらもう我が儘は言わない。許可なく城を抜け出すこともしないし、華琳に心配させるようなことはしないから。

「……考えは纏まったか?」

 いつの間にか地面ばかりを見ながら歩いていた。そんな視線を真っ直ぐに戻すと、後ろから聞こえてくる声。
 それに「ああ」と返すと、少し速度を上げて歩く。

「今、仮説をいくら立てても仕方ないよな……知識は足で知っていくよ。今はまず、親父達に言うべきことを言わないと」

 言ってはみるけど気が重い。
 息子代わりになるって言って数日で、“罰がありますよ”なんて言わなきゃいけなくなるなんてなぁ……。

「…………おい」
「ん? なに?」

 仮説がどうこう言いながらもまた考え込みそうになっていた俺に、甘寧は特に感情を込めずに声をかけてきた。
 なんとなくだけど、振り向かずにそのまま歩いて聞けって言われている気がして、振り向けなかった。

「そういえば貴様は、民を親と呼んでいるな。子を亡くした者たちへの同情か」

 やっぱり随分とストレートな人だ。遠慮ってものを知らない。
 だからこそ返しやすいってこともあるわけだけど。

「……ん、同情なんだと思う。子を亡くす痛みは解らないけど、誰かが急に居なくなる痛みは解ってるつもりだから。本当に同じ痛みを感じることなんて出来ないだろうけど、可哀想とも素直に感じた。どれだけ理屈を並べようと、同情以外のなにものでもないよな」

 でも、今ではよく受け取られがちの“見下す感覚”のそれとは違う。
 空いてしまった穴があるなら、俺を利用してでもいいから埋めて、微笑んでほしいって本気で思った。
 こういうことって、言い始めたらキリがないけどな。

「俺はいずれ魏に帰る。ずっとあの人達の息子代わりではいられないけどさ。たとえばこうして、今ここに居る間だけでも息子代わりになって、少しでもあの人達の心の隙間を埋めることが出来るならさ。それって、きちんと意味のあることだって思うんだ」
「そうして隙間を埋めておいて、時が来ればさっさと帰るか。……無責任だな」
「うん、それだけだったら本当に無責任だ。でもさ、思い出にだって隙間を埋める力はあるよ。息子さんの思い出でも、俺との思い出でもいい。それが“悲しい”だけの埋め方じゃなければ、きっと笑ってられるよ」
「………」
「……それにさ、二度と会えないわけじゃないんだし……まあ、二度と来るなって命令されたら、従わないわけにはいかないけど」

 俺じゃなくても、今なら呉の将だって民と積極的に繋がりを持とうとしてくれている。
 だったらきっと、俺が空けてしまう少しの隙間も埋まってくれると信じよう。

(うん)

 頷くと同時に、ザッ、と辿り着いたそこは親父の料理屋。
 まだ賑わっているらしく、中からは笑い声が漏れてきていた。
 その賑わいを崩すかもしれないと考えると、やっぱり気が重い自分が居る───が、ここでこうしていても始まらない。覚悟を決めると、店の中へと入っていった。

「んぐ? ……むぐっ……ほっ……ふぁぶふぉばべぇぱ(訳:一刀じゃねぇか)」

 迎えてくれたのは卓に着いて炒飯をモリモリと食べていた別の親父。
 その声に、次々と視線を俺に向ける食事中の皆様方。
 ……困った、予想以上にみんなが笑顔だ。

(でも、言わないとな───……よしっ)

 深呼吸をしながら、どう伝えるかを思案。
 ストレートに? それとも遠回しに? 遠回しって言ったって、一言一句違えることなくだからなぁ……。

「みんなっ! ……その……ちょっといいかな」

 笑顔を向けてくれる民たちに、まずは自分の声が届くように声を張り上げてから、あまり良い報せではないことを解らせるように沈んでいく声。
 故意にそうしようとしたわけでもないのに、自分の心境がそうさせた事実に自分が一番驚いた。

「な、なんでぇ、急に沈んだ顔して。もしかしてメシ食いにきたのに懐が寒いとかか?」
「はっはっは、だったら俺が食わせてやる! ……と言いてぇところだけどよ、俺の懐も寒いもんだしなぁ……」

 料理屋の中に笑いが響く。
 こんなふうにしてみんなが笑っていられる日を望んでいたはずなのに、それに水を差すっていうのは…………いや。罰は罰、だよな。

「えっと……さ。雪蓮からの“罰”を報せに来た」
『───』

 口にしてみればほんの一瞬だ。
 今まで賑やかだった場は凍てついたように静まり返り、耳を澄ませば一番離れた卓に座る人の息遣いまで聞こえてきそうな静寂に支配される。

「罰か……やっぱり流れたりはしねぇよなぁ……」
「覚悟はそりゃしてたけどよ…………なぁ一刀。俺達はどうなるんだ? 死刑にでもされるのか?」
「…………」

 反応は様々だ。
 落ち着いて受け止める者、震え出す者、叫びたくなる自分を抑えて呼吸を荒げる者。
 そんな彼らに、俺は罰を告げる。死ぬことはないのだと、せめて早く伝えるために。

「“二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。これが、罰の内容だ」

 すぅ、と息を吸ってからしっかりと届ける。一言一句違えることなく、はっきりと正確に。
 すると親父達は、言葉を聞いていたにも係わらずビクリと身を竦ませて…………たっぷりと時間を取ってから、パチクリと目を瞬かせた。

「…………へ?」
「ん……あ……? ちょ、ちょっと待て一刀。今なんて言った?」
「さっ……騒ぎを……起こさなけりゃいい、って……?」

 それぞれ困惑を口にする。
 かつての敵国に居た者に暴行を加え、刺傷まで負わせたというのに、事実上の無罪───それがみんなに逆に不安を覚えさせる。

「ああ。騒ぎを起こさなければ大丈夫。呉に尽くすって部分も忘れずに暮らしていけば、問題らしい問題は起こらないはずだ」
「そ……う、なのか……?」
「や……けどよ。なんでそんな……」

 一度は静まった場が再びざわざわとざわめきを見せる。
 不安なのは俺も同じだけど、そんなにひどい結果にはならないはずなんだ。
 真っ直ぐに受け止めて、どうかまた笑顔を見せてほしい……そう思うんだけど、不安っていうのはなかなか取り除けないものだ。
 笑顔を取り除くことは簡単なのに、不公平だよな……。

「大丈夫だからさ、不安に思わなくても平気だ。きちんと決まったことだし、騒ぎを起こさなければ罰せられることはないよ。だから───」

 どうか解ってほしい……そう届けたいのに、みんなは不安を口にするばかりで俺の声を聞いてくれない。
 一刻も早く自分の中の不安を取り除きたいから質問を投げかけるのに、投げかけることに必死で俺の声が届いていないのだ。
 まるで報道陣みたいだなと思いながらも、一人一人の質問を受けるたびに、その人の目を見てから質問に答えていく。
 いっぺんに片付けようとするから届かないなら、一人一人に届けよう。それでもダメなら……えっと、どうしようか。
 そんなふうに少し困りかけていたその時だった。

「静まれ」
『───っ!!』

 低かったのによく通る声が、店の中を一瞬にして静寂の空間に変えてみせた。
 声を放ったのは……甘寧だ。

「かっ……甘将軍……!?」
「甘将軍がなぜ……?」

 キンと張り詰めた緊張が場を支配する中で、今度は疑問によって静かにざわめき始める場。
 しかしそれも、横に立った甘寧がギンとひと睨みするだけで静まってしまった。
 …………あの……僕の発言は彼女のひと睨み以下なんでしょーか……。

「………」
「あ……っと」

 軽く、本当に軽くショックを受けていると、甘寧が視線で先を促してくる。
 これじゃあいけないと気を取り直して、罰についてのことを事細かに説明していく。
 ……のだが、やはり納得がいかないのか、俺を殴ったことをそんなに重く感じてくれているのか、みんなは中々受け入れようとはしなかった。
 そうして、どうしたものかなと考えていると───

「納得出来ないというのなら聞け。お前達の罪の残りは、この男が被った」

 甘寧の一言で、場はあっさりと混乱の渦へと投げ出された。

「ちょっ、甘寧!? それはっ───!」
「黙っていろ。事実上の無罪では納得がいかないというのなら、多少の罪悪感を持たせてやればいい」

 民がそれを望んでいるならなおさらだ、と続ける甘寧に、思わずポカンと開口。
 そんな俺へと、彼女はさらに言葉を投げた。 

「貴様はこう言ったそうだな……“届けたいなら手を伸ばせ”と。ならば貴様も手を伸ばせ。自分だけが全てを背負う気で向かったところで、民も将も喜ばん」
「………」
「民が笑顔になり、代わりに誰かが背負いすぎるのが貴様の言う手を取り合うことならば、私から言うことなどなにも無いがな」
「───……いや」

 そうか……そうだ。また間違うところだった。
 手を取り合うって、一方的に背負ったりして相手の負担ばっかりを消すだけじゃないよな……。
 まいったなぁ、本当に。
 じいちゃん、俺……まだまだ守られる側、教えられる側みたいだ。

「かっ……甘将軍? 一刀が背負ったって……いったいどういうことなんで……?」
「お前達が受けるべき罪は重いものだ。騒ぎを起こすことには確かに理由があったとはいえ、同盟国の者への暴行。さらには刺傷までを負わせれば、無罪で済むはずもない」
「う……っ……そ、そうですが、なぜそれで一刀が……っ」
「この男がお前達の無罪を願った。代わりに、とまでは言わないが、その分の罪はこの男が背負うことになった」
『っ……』

 みんなが息を飲み、ざわざわと話し始める。
 けどその話し声も長くは続かず、シンと静まってから……親父がみんなより一歩前に出てきて、言った。

「一刀。正直に答えろ。お前は……それでいいのか?」

 真っ直ぐに俺の目を見て、虚言を許さぬ凄みを持って。
 だから俺も真っ直ぐに見つめ返して、頷くとともに返事を返した。

「ああ。それでこの件が治まってくれるならそれでいい。だから……みんな、お願いだ。今を、思いっきり楽しんでくれ。べつに俺は死罪を背負わされたわけじゃないからさ、死ぬなんてこともないし」
「一刀……お前……」
「ごめんな、親父、みんな。補うって言ったのに、もう手伝いとか出来ないと思うんだ。もう勝手な行動は取れない。ここに来た理由を果たすために、呉の国に尽くすんだ」
「理由? そりゃ、なんだ?」
「ん……」

 チラリと甘寧を見る。と、「好きにしろ」と目で返事をされた。

「……うん。えっとさ、民の騒ぎを止めること、だったんだ」

 その一言でみんなが再びざわめく。
 みんなが俺を見て、視線を外さないままに。

「でも、間違わないでほしい。確かに最初は頼まれたことだった。雪蓮は気まぐれみたいに頼んだんじゃないかなって今でも思うけどさ。でも……みんなに解って欲しいって思ったのは俺の本音だ。戦いはもう終わったんだ、“笑ってやらなきゃウソだ”って言った言葉だって、俺の本当の気持ちだ」
「あたりめぇだ。下手な同情から出された拳があんなに痛くてたまるかよ」

 いやあの……こっちだってめちゃくちゃ痛かったんだけど。
 ああうん、今はそれはいい。

「うん。そうやってみんなと向かい合ってぶつかり合ってさ。今まで上っ面ばかりしか見えてなかったものの内側が、見えた気がした。考えるだけじゃ解らないこと、ぶつかりあってみて初めて聞ける本音っていうのがあるんだって。……痛かったけどさ。殴られた場所も、殴った拳も痛かったけどさ。知ろうとすることが出来て良かったって今なら思えるよ。器用な人なら殴り合わずに解決できるのかもしれないけど……うん。こうして生きてる今だから言えるんだろうけど、殴り合えてよかった」

 殴り合えてよかったなんて、言葉としてはおかしなものかもしれない。
 戦は終わったんだって教えたかったのに、殴り合ったことがよかったなんて、本末転倒だ。
 でも……そんな中で斬られる痛みを知って、民の痛みを知って。自分は少しは以前の自分よりも“何か”を学べたんだと思う。

「おめぇはやっぱり、どこかヘンだよなぁ」
「天の国ってのはお前みたいなのばっかりなのか?」

 苦笑する親父たちが口々に呆れをこぼしていくと、さすがにヘンなんだろうかとか考えてしまいそうだが、どう思われようともそれが自然体なら胸を張れるってものだ。

「そんなお前が騒ぎを起こすやつを静めるってか……お前一人でどうこう出来る問題じゃあねぇだろう」
「ああ、それは俺だけでやるんじゃない………………よね?」
「私に訊かれたところで答えられん。私はもう将ではないのだからな」

 親父からの疑問に答えつつも訊ねてみると、甘寧はそんな俺をばっさりと切り捨てるように言った。
 うわーい、この人俺にはとっても冷たいやー。

「え……? か、甘将軍……? 今、なんと……?」
「私はもはや呉の将ではないと言った。現在の私の立場はお前達とそう変わらん。この男がお前達に暴行を加えられているところを傍観し、あまつさえ刺されるのを見過ごした。この結果は当然のことだ」
「っ……───申し訳ありませんでしたっ! あ、あっしらが騒ぎなんぞ起こしたばっかりに……!!」
「構わん。お前達が騒ぎを起こしていたのは、家族を失った悲しみからだろう。戦ばかりをしていた私達では、力で押さえることくらいしか出来なかっただろう」

 そこまで言ってから一度口を閉ざすと、甘寧は俺を横目で見てからもう一度口を開く。

「……それをこの男が、綺麗にとは言えないが、治めてくれた。お前達の心が少しでも救われたのなら、私の地位くらい安いものだ」
「かっ……甘将軍っ……!」

 言い方は素っ気無いものだった。だけど、すぐ近くで見ていれば解ることがある。
 口調がどれだけ素っ気無くても、みんなを見つめるその目は鋭く冷たいものではなく、とても暖かいもので───あ、あれ? なんか急に目付きが鋭く……って甘寧さん!? なんで睨むんですか!? 俺ただ感動して見つめてただけだよ!?

「……そうだな、貴様の言う通りだ。戦はもう終わったのだ。今必要とされるものは武器を振るう手や立場ではなく、人を思う心だろう」
「え……甘寧?」

 睨む目は変わらず……なんだけど、口から出るのは目つきとは逆の言葉。
 ……素直に驚いた。さっきもそうだけど、この世界ではみんながみんな、自分の立場を大事にすると思っていたから。
 それを安いものだと言ってみせるなんて……自分の地位よりも民を優先させることが出来るなんて。

「……将としての甘興覇はもはや死した。命ではなく、地位を失うことで人が救えるのなら、今の私はそれを誇りに思うべきだろう」
「甘寧……」

 言いながら、睨む目を穏やかな色に戻し、自分を見つめる民たちを見渡す。
 そうしてから一言、小さく「ああ……悪くない」とだけ呟いた。
 ……そうだ。きっといろいろな人が思っている。
 武を振るい、戦い続けることで国を、民を守ってきた者は、戦を失ってからはどう国を守るべきか。
 ただずっと監視を続けていればいいのだろうか。騒ぎが起こらぬよう、警邏だけをすればいいのだろうか。
 そうだとしても、そこに今までの“将”としての地位は必要だろうか。
 戦に己の生を費やし、確かに国を守ってきた。
 けれども戦が無くなった今、国を守るのはむしろ将ではなく民なのかもしれない。
 食物を育み、人を育み、国を大きくしていくのは民の手であり武ではない。
 だったら───武から離れんとするその手で出来ることは、いったい何なのか。
 それは……

「甘寧」

 それはきっと、とても簡単なこと。
 踏み出す勇気さえあれば、誰にだって手が届くもの。
 戦が無くなる国を守るのが民の手だというのなら、自分も民の一人なのだと認めればいい。
 同じ“国に生きる者”として、武を振るっていた手を……今度は食物を育み、人を育む手へと変えて。

「俺と、友達になってほしい」

 ───手を伸ばす。
 民を見ていた彼女へと真っ直ぐに、この平穏を生きるために、国に返していくために。
 どこか優しげだったその目が驚きに変わるのを見ながら、伸ばした手と彼女の手が繋がることを小さく願う。

「……何を言っている。私が貴様に付かされたことを忘れたか。すでに将ではないが、下された罰は───」
「地位よりも人を思う心、なんだろ? 一緒に国に返していこう。一人より二人のほうが、出来ることが増えるよ」
「………」

 返事らしい返事はなかった。
 ただ少しだけ、将としての自分は死んだと言ったことに頭を痛めるような素振りを見せると───

「友として認めるかは後回しだ。下に付くからといって、貴様ごときに真名を許すほど、貴様という人間を認めてもいない。だが……国に返すという言葉と、経緯はどうあれ貴様が作りだした民たちの笑顔。それは認めよう」

 伸ばしていた手に、彼女の手が繋がった。

「ただし、こうして手を繋いだからには貴様の奇行は全て防がせてもらう。民と殴り合おうというのなら、実力を行使して黙らせるぞ」
「…………《ごくり……》……オ、オテヤワラカニオネガイシマス」
「私が認めたのは、“貴様の行動によって民の騒ぎが治まった”という一点のみだ。それを増やすも減らすも貴様の行動次第ということを忘れるな」
「……《カリ……》冥琳にも似たようなこと言われたよ」

 空いている左手で頭を掻いて一言。さて、そんな経験済みのことに対して、俺はどう返すべきか。
 ……思うままにが一番だな。

「甘寧、奇行を防ぐってことはさ、間違ったことをしたら止めてくれるって受け取っていいんだよな? ……ん、ありがとう。そうしてくれる人が居てくれるなら、心強いよ」
「なっ……!」

 心の底からの感謝とともに、自然と笑みがこぼれる。
 俺はまだまだ学ばなきゃいけない子供だ。そんな自分を戒めてくれる人が居てくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
 だから右手で握っていた手に左手を重ね、ありがとうを唱えた。
 途端に戸惑う風情を見せて、顔を赤くする甘寧……って、ハテ? 何故に顔が赤く? なんて思ってるとスパーンと手が振り解かれ、甘寧は俺からこれでもかってくらいにゴシャーと距離を取った。
 ……あの、そんなに離れてちゃ友達としてはどうかと……。やっぱり俺、嫌われてるのかなぁ……。
 そんなふうにして少し落ち込んでいると、親父たちの笑い声でハッと復活。

「なぁ一刀よ。お前はいつまで呉に居るんだ?」

 そんな親父が、前置きもなく単刀直入で訊いてきたのがこれだ。
 答える覚悟は以前からしていたから、多少驚きはしたけど……大丈夫。真っ直ぐに目を見て答えられる。

「騒ぎが治まるまで……かな。それ以前に“貴方には無理だ”って上から言われればそのまま帰ることになりそうだけど」

 自分の力は過信しない。過信しないで、引き上げられるところを上げ続ける心が大切だ。
 慢心は敵だ。自分ならこれが出来るって突っ込んで、結果が何も出来ないんじゃあ笑い話にもならない。
 だってのに考えもなしに行動するのが自分で、殴り合ったり刺されたりするのも自分なら……それが監視だろうがなんだろうが、近くに居て“止める”と言ってくれる人が居るのは嬉しいんだ。
 自分がそういった行動に出る時は、もちろん相応の理由もあるだろうし譲れないこともあるんだろうけどさ。
 ……今はこんなことは後回しでもいい。今は……言うことをちゃんと言わないと。

「な、なんだなんだ? 帰っちまうのか一刀……」
「俺ゃお前はずっとここに居るとばっかり……」
「ごめん、そういうわけにもいかないんだ。すごく身勝手なことを言ってるって自覚もあるし、無責任だってことも解ってる。補い合えばいいって言っておいて、時期が来れば勝手に居なくなるんだ、怒られる覚悟も殴られる覚悟も出来てたよ」
「……だが、知ってほしかったってんだろ? 悲しいだけの思い出に浸ってんじゃねぇ、ってよ」
「親父……」
「あまり大人ってのを甘く見るなよ、一刀。俺の親父の言葉にこんなものがある。“思い切り泣いてから、涙を拭って立ち上がった野郎は弱くねぇ”。今よりも昨日よりも、一昨日よりも過去よりも。泣いてから笑うことの出来たやつってのは、以前の自分よりも一歩も二歩も前を歩いているもんだ、ってな」

 そう言うと、親父は俺の胸をドンとノックした。

「お前はお前のしたいことをしてりゃあいいさ。涙を流すのに大人も子供も関係ねぇ。散々絶望しても、またこうして前を向けたならよ、俺達はそう簡単にゃあ折れねぇよ」
「……うん」
「胸を張って前を見やがれ。お前が自覚しなくても、お前は俺達に悲しむ以外のことを思い出させてくれたんだぞ? 兵なんぞに志願して、勝手に死んじまった馬鹿息子を、“国のために戦った自慢の息子”にしてくれたんだ。……どんな肩書きがつこうが、悲しい気持ちが変わるわけじゃあねぇ。胸に空いた隙間が完全に埋まるなんてことはきっとねぇだろうけどよ。馬鹿息子じゃねぇ……自慢の息子なら、俺もいつか誰かに誇って話せるに違ぇねぇんだ」
「っ……」
「いつか、この世の中が本当に呆れるくらい平和になってよ。昔は戦なんてものがあったんだってことを聞かされた悪餓鬼がよ……? じゃあどうして戦は無くなったんだ、なんて訊いてきたらよ……」

 真っ直ぐに見つめる自分の目。そこに映る親父の顔が、まだ“作っている”ってところを払拭できていないけど、確かな笑みに変わる。

「こう……こうな? 笑顔で言ってやるんだよ……俺達の息子や、国を守るみんなや……同じように世の中を変えようとしたやつらが頑張ったから、戦は無くなったんだ、ってよ……」

 嗚咽が混ざった声だったけど。
 それを必死に抑えようとする、震えた声だったけど……それはとても胸に響いて、心を暖かくさせた。

「だからよ……お前は俺達がそうやって、俺達の息子やお前って息子を自慢出来る世の中を作ってくれ。天の御遣いってのがどんなことが出来るやつなのか解らねぇ。どれだけ偉いのかも知らねぇけどな。お前みてぇに真正面から俺達とぶつかり合ってくれたやつなんざ居なかった。それだけでも、信じてもいいって理由にはなるんだ」

 そんな嗚咽を誤魔化すように俺の頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でると、ニカッと笑ってみせてくれた。

「全部やり終えたら、また会いに来やがれっ! そしたら美味いもん、たらふく食わせてやらぁっ!」
「親父……《じぃんっ……》」
「ま、金はもちろん貰うけどな」
「だぁっ!?《がくっ》……ちゃっかりしてるなぁおいっ!」

 こんなやりとりで、胸の痞えは取れるんだから不思議なものだ。
 見せてくれた笑顔に安心したって理由もあるけど、もしかしたら俺が被った罪のことで、城のほうに押しかけたりしやしないかって心配だった。
 ……そんな心配が顔に出たのか、親父は苦笑するように笑ってから真面目な顔をする。

「すまねぇな、一刀……今はまだ、罰を背負うお前に頼ることしか出来ねぇ。どんな罰かも知らねぇのに、こんなこと言うのはずるいだろうけどよ……死罪なわけじゃねぇって言葉を信じるなら、ここは笑ってやるところだろ?」
「───……ああ。笑って欲しい」
「よし、んじゃあ決まりだ。いつでも“帰ってこい”、馬鹿息子代理。どれだけ時間がかかろうが、俺はお前を迎えてやらぁ。みんなも……それでいいか?」
『………』

 他の親父たちに振り向いて言う親父だったけど、親父達からの返事はない。
 代わりにあったのは……その場に居た全員からの、俺の胸へのノックだった。
 ……うん、嬉しいけど、この人数全員からだとさすがにいろんな意味で胸が痛い。

「気になることはそりゃあ多いさ。だがお前が大丈夫って言うんなら、それを信じてやるのが仮だろうが親の務めってもんだ。お前が胸張って進んでいけてるんなら、俺達から言えることなんざ一つだけだ」
「けほっ……い、言えることって……?」

 最後にドンと親父にノックされて、軽くムセてるところに疑問の浮上。
 次から次へと降りかかる情報処理に苦笑を漏らしながらも、やっぱり真っ直ぐに目を見て受け取る。

「“元気でやれ”ってだけだ。刺しちまった俺が言うのもなんだけどよ」
「………」

 人が学べることって、なにも本や偉い人からの言葉だけじゃない。
 自分より経験の多い人だろうが、経験が少なくても自分とは違う感性を持った人が教えてくれることは多い。
 あとはそれを、自分がどう受け取れるかだけであって───

「ははっ……今すぐ帰るってわけでもないのに、帰らなきゃいけないムードになってるのはどうなのかな……」

 ノックしたあと、その高さのままに俺の前に差し出された腕が、自分を試しているようだった。
 その腕に、自分の腕をドスッとぶつけると、苦笑を笑いに変えて言う。

「ああ、元気で生きていくよ。親父達も元気で」
「おう。息子代理が教えてくれたことだ、もう間違わずに頑張っていけるさ。なぁ、おめぇら」
『おめぇに言われるまでもねぇっ!』
「うぉっ……たはは、手厳しいなぁおい」

 振り向いて言ってみれば、一斉に同じことを言われる親父。
 その顔が苦笑でも笑ってくれていることが今は嬉しい。
 ……うん、いつになるかは解らないけど、絶対にまた会いに来よう。
 そのためにはまず、自分に出来ることをしていかないと。

「じゃあ……行くな?」
「おうっ、行ってこい馬鹿息子っ」
「また来いよー、一刀ー!」
「絶対だぞっ、絶対にまた来いっ!」
「生きてその顔見せねぇと承知しねぇからなー!」

 一歩を引き、一礼をしてから歩き出す。
 背中には様々な言葉が投げかけられるけど、伝えたいことはきっと伝えられたから、もう振り向くことはしない。
 さあ、頑張ろう。
 全てが思う通り、願う通りにならないってことは、今回のことで痛いほど学べた。
 これからするのはその清算だ。
 どんなことが命じられるかなんて解らないけど、俺はそれを拒否することなくこなしていく。
 それが、俺が願った“親父達の未来のために出来ること”だったに違いないんだから。





24/権力? なにそれ

 城に戻るなり、兵から俺に告げられたのは玉座の間に行くこと。
 雪蓮が待っているらしく、俺は心にきつくきつく覚悟を作り上げながら、長い長い通路を歩いていく。
 甘寧は“庶人の私が行けるのはここまでだ”と城の前で待機することになった。
 下に付くことになったならいいんじゃないかとも……まあその、遠慮がちに言ってみたんだが、首を縦には振ってはくれなかった。
 そんなわけだから一人、城の通路を歩いているわけだが……自分はよっぽど怖い顔をしていたんだろう。
 途中の中庭からドスドスと歩いてきた周々が、俺の顔をそのデカい舌でベロォリベロリと舐めてきた。

「ぶわっぷ!? ちょ、周々!? いきなりなにをっ!」

 離れようとするが、こう……ボクシングで言うクリンチをされるみたいにガシリと掴まれ……って重ォッ!! 重ッ……ぐぉおあああああっ!!

「んっ がぎっ……! くはっ……! し、心配っ……して、くれてるの……かっ……!?」

 メリメリと足とか腰とかに来る重みを、筋肉に力を込めることで緩和させていく。
 それでもはい、重いものは重いわけですが。

「……ありがとな。そうだな、気負ってばっかりじゃあ潰れるのも早いもんな」

 どんな命令をされようが、それは呉の国のためになる。
 そう思えば、死力だって尽くせるってものだ。
 命令だから、従わなきゃいけないからって理由で向かうんじゃなく、国のためになるならって前向きに行こう。

「……よしっ!」

 ぽぽんっと周々の左前足を軽く叩くと、周々は舐めるのをやめてクリンチを外してくれた。
 それからドスッと俺の腹に頭突きをすると、もうなにもせずに寝転がっていた位置まで戻っていく。

(……動物にまで教えられて……はは、まったく俺は……)

 自分の頬を二度叩き、喝を入れる。
 どんなことを言われるかなんて二の次でいいだろう。
 呉に居る間は呉に尽くすと決めたからには、どんな命令や願いだって───!


───……


 覚悟を胸に、玉座の間に立つ。
 段差の先の玉座に座る雪蓮を前にし、掌に拳を当てて一礼。
 玉座の間に並ぶ呉の将を一度横目に見てから、真っ直ぐに段差の先の雪蓮を見る。
 さあ、まずはどんなことが───と、ヘンに構えていたんだが。

「ご苦労様、わざわざ呼び立てたりしてごめんねー、一刀」

 ……ハテ? と首を傾げてしまう。
 雪蓮の態度は以前となんら変わりなく、むしろ笑顔が何割か増している気がする。
 いやいや待て待て、自国の将が将としての権利を剥奪とかそんな事態になってるんだぞ、それがこんな笑顔だけで終わるはずが───

「……一刀? ちょっと一刀、聞いてるのー?」
「へぇぁっ!? あ、ああ、聞いてる聞いてる」

 考え事をしながらでもちゃんと耳には入れていたが……み、妙ぞ……こは如何なること……?
 なんだか世話話みたいなものから始まって、罰のことも確かに話の中には出てきているんだが……いや、でも口を挟むわけにもいかないし。

「というわけで一刀には、呉に居る間は私達の言うことを聞いてもらうってことになったんだけど」
「ああ、それは覚悟してる」
「いいの? そんなに簡単に了承しちゃって。たしかに華琳から一刀への罰だけど、一刀の意思とか無視しちゃってるでしょ?」
「それについて、話をすることを許可してもらいたいんだけど……いいか?」
「うん、べつにいいけど」

 ……玉座に座ってるのにどこまでもマイペースというか。
 普通、キリっとした顔で向かい合うんだろうに……いつかの宴の時で見せたみたいにさ。
 ほら、冥琳だって少し頭痛そうにしてるし。

「俺に罰が下るのは、民の分を俺が背負うってことで納得してるから構わない。意思を無視しているっていうよりは、きちんと汲んでくれてるんだって思えるから。でも、雪蓮はいいのか? 俺の所為で甘寧は───」
「思春のことは思春のことよ、一刀には関係がないわ。助けなかったのも傍観していたのも思春の意思で、相応の罰を受ける事実に思春は頷いたんだから」
「……華琳は手紙になんて書いてきてたんだ? 死罪にならない程度に、王として貴女が罰を下しなさい、くらいしか書いてなかったんじゃないか?」
「わ、すごーい。よく解ったわね一刀〜」
「………」

 ビンゴだった。思わず手で顔を覆って俯いてしまうほどにビンゴだった。
 しかもそれをあっさり認めてしまう雪蓮も……ああ、冥琳が溜め息吐いてる……。

「あ、でも一刀への罰はちゃ〜んと華琳が考えたものよ? “その状況で民を許したいなら、貴方が罪を被りなさい”、って」
「……ん」
「あと、“騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方が騒ぎを起こしてどうするの”って」
「《グサッ》はうっ!」

 胸にグサリとくる言葉でした。
 ……うん、ほぼ予想していた通りだったからまだ耐えられるけどさ。

「とにかく、思春のことについてはちゃんと私が決めたことだから。罰は罰。一刀がどう言おうが、これは覆らないわよ?」
「……解った、受け入れる」

 息を吸って、吐いて。しっかりと胸に刻み込む。
 自分がやったことが本当に正しかったのかは、各自が決めることだ。
 親父たちは笑顔になってくれた。甘寧は呉のためになるならばと受け入れてくれた。
 だったら俺が考えるべきことは───

「ってちょっと待った。雪蓮が決めたって言ったよな? ……俺、祭さんからは華琳からの罰報告として聞いてるんだけど」
「華琳がねー、そうしないと一刀が受け入れようとしないだろうから、そう言いなさいって。私もそっちのほうが一刀が慌てたりして面白いかなーって。ほら」

 ばさっ、と巻き物らしきものが広げられる……が、生憎とここからではてんで見えやしない。
 見えやしないが……あの、華琳さん……? 俺、今とっても母親と一緒に別の親御さんに謝りに行っているような気分なんですが……?
 しかもそんなことを伝えるために巻き物一本って……書簡じゃあダメだったのか?

「そ、そんなことしなくても、それが罰ならちゃんと受け止めるつもりだったのに……」
「ほお? そうかのぅ。随分と食って掛かっていた気がするが?」
「うぐっ………………うぅうう……」

 横からの祭さんの言葉に、見事に言葉を詰まらせてしまう。
 はい……思い切り食って掛かってましたね……。
 それってつまり、全部華琳が予想していた通りの俺の行動だったってわけで…………穴があったら入りたいです、はい……。

「じゃあその……甘寧が俺の下につくってことを考えたのは……」
「? 私だけど?」

 きょとんとした顔であっさりと言われた。

「罰は罰としても、それが善い方向に向かう罰の方がいいに決まってるでしょ? 思春はどうもこう、固いところがあるから。一刀の下に付くことになれば、柔らかくなるかな〜って。それと一緒に民との交流も持ってくれればいいなって。ほうっておけば四六時中蓮華のことばっかり考えてるんだもん、これくらいしなきゃね」
「………」

 アノー……雪蓮サン? 少し離れたところから冷気が……いや、鋭い殺気めいたものが……。
 これ、彼女ですよね? 間違いなく孫権さんですよね……?
 そんな孫権さんがクワッと雪蓮を睨み、声を張り上げた。

「雪蓮姉様!」
「え? なに?」
「なにではありません! そのようなっ……そのようなことのために、思春をこんな男の下につけたというのですか!!」

 ズビシと指差された上にこんな男呼ばわりである。
 やっぱり孫権には滅法嫌われてるようだ。甘寧があんなことになったんだから、仕方の無いことなのかもしれないけど、結構ツラい。

「こんな男って、失礼ね蓮華。一刀はね、こう見えて…………」
「………」
「…………なにか特技あったっけ?」
「いや……うん……雪蓮さん? 虚しくなるからそこで俺に訊くの、やめようね……?」

 自分で自分の特技を口にするのって勇気が要る。
 しかも自分で考えてみても、自信をもってこれだと言えるものなんてまだまだ全然だ。
 剣術はまだ修行中だし、勉学だってまだまだ…………あれ? じゃあ俺の特技ってなんだろ……?
 なんて、顎に手を当てながら本気で考え込んでいると、ふと感じる視線。
 見れば、孫権が俺を睨んでいた。

(きっ……嫌われたもんだなぁああ……)

 だけど挫けない。
 目標があるのなら挫けそうになっても進んで、挫けてしまっても立ち上がる覚悟をもって挑むべし。
 挫けたら終わりなんじゃなく、立ち上がれなくなったら終わりなんだ。
 だから今は“こんな男”でいい。特技が思い当たらなくてもいい。
 魏のため、そしてこの国のため、自分に出来ることをやっていこう。
 そうしてうんうんと小さく頷いている間にも、雪蓮と孫権は話を進め……いや、ややこしくしてるのか?

「そう睨まないの。心配だったら一刀に“思春に近づくな〜”とか命令すればいいのよ。一刀は拒まないだろうし、貴女も満足するでしょ?」

 あっはっはー、なんて暢気に笑いながら、ひらひらと手を揺らして言う雪蓮。
 孫権はそんな雪蓮の言葉にムッと顔をしかめると、一度目を閉じてから息を吐き、吸ってから目を開いた。

「……姉様。私は北郷が民のためにとぶつかったことを、認めていないわけではありません。そんな存在に、自分が気に入らないというだけの手前勝手な理由で命を下すなど、出来るはずがないでしょう」
「………え?」

 首を傾げたのは俺だけ。
 てっきりとことんまでに嫌われているんじゃないかと思っていたのに、まさか認められている部分があるなんて。
 雪蓮はそんな俺を見て“にこー”と笑うと、孫権へ視線を戻して口を開く。

「それが解ってるなら、どうしてそんなにつんつんしてるのよ」
「つっ……つんつんなどしていませんっ! 私はただっ! こんな、他国の男に思春をつかせるという行為自体が間違いだとっ……!」
「じゃあ庶人のままのほうがよかった? 庶人のまま、呼び出さなきゃ城にも入れない状態のほうが?」
「そ……それは……」
「一刀の……警備隊長の下につくってことは、たしかに将としては屈辱に値するかもしれないけどね。同時に一刀が願えば城の中に入ることくらいは出来るってことなのよ。そこに王の許可も入れば、堅苦しいこと言いっこなし。ね?」
「あ……」

 ぽかんとする孫権を玉座の上から見つめながら、組んだ足に立てた頬杖の上で笑顔を見せる。
 下した罰をマイナスだけで終わらせないのは見事……なのかもしれないが、引っ掻き回される人のこともちょっとは考えようね、雪蓮。
 いや、むしろその引っ掻き回すのを楽しんでいるのか?

「罰は下さないと示しがつかない。それは当然よ。でもね、一刀と殴り合う中で思春が割り込んだりしたら、民はそれこそなにも吐き出せないままに鬱憤を溜めてたわよ。そうなれば余計に騒ぎが起こるだけ。ね、冥琳」
「ああ。他にもやり方はあったろうがな」

 あー……言葉がさくりと突き刺さる。
 がっくりと項垂れた俺に、雪蓮が“落ち込まないの”と言ってくれることだけがささやかな救いだった。

「起こったことは変えられないし、変えられないなら少しでもいい方向に向かうように努力するのが大事なの。皆が笑っていられる国を目指すのに、一刀が受け止めたかったこととか民が言いたかったことを見守っただけで死罪なんて、あんまりでしょ?」
「だから、庶人扱いでも比較的に傍に居られるよう、北郷の下にと……?」
「どう結論づけるかは各々に任せるわよ。けどね、蓮華の下に庶人として付かせたとして、今までの扱いとなにかが変わる? 罰になる?」
『……………』

 総員、沈黙。
 みんながみんなそっぽを向きつつ、だけどきっと同じことを考えている。
 “なにも変わらない”と。

「戦はもう終わったの。死を強いる必要なんてないし、死んでもらうくらいならその生をこれからのことのために尽くしてほしいって思う。なんでもかんでも死罪死罪で通したら……うん。たしかに騒ぎは治まるだろうけど、きっと誰も笑わなくなるわよ。そんなのは私が目指す呉の姿じゃないわ」
「姉様……」
「天下は取れなかったけど、極端な話をすれば、世が平穏に至っているなら争う理由も勝とうとする理由もないのよ。ただ、みんなが笑顔で今の世を生きてくれたらいい。……でもねー、思春ってばあまり笑わないでしょ? だったら一刀の下につかせれば、表情も豊かになるんじゃないかなーって」
「オイ」

 思わずズビシとエアツッコミを入れる。
 途中まではキンと引き締まった空気が流れていたのに、“でもねー”のあたりであっさりと吹き飛んだ。

「文官は知識を生かすことが出来るけど、武官はなかなか難しいのよ。乱世にあってこそ武を振るうことが出来るけど、平和になっちゃうと逆に自分が何を為すべきか、解らなくなるの。明命は一刀と“自分に出来るなにか”を探す気でいるみたいだけど、思春は自分から誰かに手を伸ばす性格してないからねー」
「本人が居ないからってひどいな……」
「そ? べつに本人が居ても、私は言うわよ?」

 ぐ〜〜っと伸びをして、座っているのにも飽きたのか玉座から降りて、たんとんと段差を降りてくる。
 そんな様を、“あー、たしかに遠慮なく言いそうだ〜”とか思いながら見守った。

「じゃあ最後に言いたいことだけ言うわね。一刀もなんだかんだで責任感じてるみたいだし。……思春の全権を剥奪したことで一刀を恨んでる者は、名乗り出なさい」
「っ」

 ビクリと肩が震えた。
 いきなりだったってこともあって、おそるおそる伺うようにみんなを見るが………………名乗り出る人は、誰一人として居なかった。

「え……なんで……」

 首を傾げるどころじゃない。
 雪蓮は“甘寧がしたくてしたことだから”みたいに言ってくれたけど、みんながみんなそれで納得出来るとは思ってなかったのに。
 そういった考えが頭の中でぐるぐると回って、やがてなにも考えられなくなりはじめた頃。

「《キュッ……》……あ」

 自分の両手が、なにか温かいものに包まれる感触にハッとした。

「一刀様、もっと胸を張ってください」
「周泰……」
「そ、その、えと……一刀様は、私達には出来なかったことを、し、しししてくださったのですからっ……」
「呂蒙……」

 見れば───両脇に立ち、片手ずつを手に取ってくれた二人。
 繋がっている手が暖かく、その暖かさと包みこむようなやさしさが、二人が心から自分を励ましてくれている証なのだと理解させてくれた。

「そうだよ一刀。ちょぉっと乱暴だったかもしれないけど、町の人たちが笑ってくれてたんだったら、一刀はちゃ〜んと“呉のために”なにかが出来たってことなんだから」
「孫尚香……」
「《ピクッ……》……シャオでいいって言ってるでしょー!?」
「ええっ!? ここで怒るのかっ!? い、今すごくやさしい雰囲気が《がばーっ!》うわーーーっ!?」

 俺の目の前でにっこにこ笑っていた孫尚香が、突如として俺と呂蒙の間を潜るようにして背後に回ると、俺の首に抱き付いてきて……はうっ! こ、このささやかだけどたしかに感じられるやわらかな感触……じゃなくて!
 ややややめてくれぇええっ!! 押さえていた(ジュウ)が! 俺の中の獣が目を覚ましてしまう! こんな状況でそれはイヤァアーーーーーーッ!!

「おうおう、随分と懐かれておるのぅ、北郷」
「……我慢は体に毒だぞ、北郷」
「ちょ、祭さん! これは懐かれてるとかじゃなくて首っ! 首が絞ま───冥琳!? がが我慢ってナンノコトデスカ!?」
「一刀さんはケダモノですね〜」
「チガイマスヨ!?」

 両手を周泰と呂蒙にやさしく包まれ、背中には孫尚香。
 目の前には慌てる俺を見て穏やかに笑う、祭さんと冥琳と陸遜。
 嫌われることがなくて良かったと安堵するのと同時に、少しでも認めてもらえたことが純粋に嬉しかった。
 たしかに、やろうと思えばもっと別のやり方があったのかもしれない。
 殴り合うんじゃなく、時間をかけて少しずつでも親父たちの心をほぐしてやればよかったのかもしれない。
 そうすることが出来たなら、甘寧だって元のままで居られたのかもしれないけど───

「ほ〜ら〜……シャオだよ、シャ〜オ〜。言ってみて〜一刀〜……♪《ふっ》」
「《ぞわわわぁっ!!》ふひぃっ!? みみみみ耳に息吹きかけるなぁあああーーーーーっ!!!」

 受け止めてやれるかもしれない状況で、なにかが出来るかもしれない状況で、歯噛みするだけの自分は嫌だった。
 そんな時でも状況を弁えて踏みとどまるのが賢い生き方なんだろう。
 あの時の俺は賢くなんかなかったのかもしれない。

「大人気だな、北郷」
「め、冥琳…………人気って言えるのかこれっ……って、そうだ。冥琳、一応聞かせてほしいんだけど、親父の青椒肉絲、冥琳の思い出の味に届いてたか?」
「───っ!? なっ、う……北郷! それはっ───」
「うん? 思い出の味の青椒肉絲? ……ほほう、それは興味があるのう公瑾」
「……いえ祭殿。これは北郷が適当なことを言っているだけで、私は青椒肉絲など……」
「そういえば北郷を見つけたのがお主だったわりに、公瑾。お主は戻ってくるのが遅かったと聞くが……」
「ああ祭殿。話は変わりますが、次回の同盟会合のために寝かせておいた酒の(かめ)が一つ消えているのですが……」
「うぐっ! …………あ、あー……いや、青椒肉絲なぞ、意味もなく急に食したくなる日もある……のぅ」
「ええ。酒を甕ごと飲みたくなる日などそうそう無いとは思いますが」
「ぬっ……卑怯じゃぞ公瑾!」

 それでも、それでいいって思える今がある。
 殴られたり刺されたりもしたけど、その痛みの分だけ親父達が笑顔になるのも早かった。
 それが自分にとって嬉しいことだったのなら、喜ばなければ嘘になる。
 もちろん、見守ってくれていた甘寧にとっては、とんだとばっちりになってしまったわけだけど、彼女がそれでもいいと言ってくれているのなら、俺も受け止めないと。
 と、決意を新たにしながらも、現状といえば───

「もーーっ! いいから言うのーーっ!」
「《こちゃちゃちょちょちょちょ!》ぶはっ!? ぶはははははっ! 孫しょっ……脇っ、脇はやめうひゃははははっ!!? 解った! 言う! 言うからやめてぇえええっ!!」

 ……周泰と呂蒙に両手を封じられて、孫尚香に脇を擽られているなんて有様である。
 どこの国でも女って怖いなぁとか思いながらも、一番怖いと思うと同時に大事に思える人の顔が浮かんでくると、こんなのも悪くないって思えるんだから不思議だった。

「じゃあほら、言ってみて? みんなが居る前で、た〜〜っぷり愛を込めて」
「愛はともかくとしてちゃんと………………あの、孫権さん? 甘寧のことで俺が気に入らないのは解るけど、そう睨まれると……」
「に、睨んでなどいないっ!」

 う、うそだっ! 隙を見せれば襲いかかってきそうなくらい睨んでた!
 まるで理解に至らないものに出会った科学者みたいに……どんな顔だそれ。

「なに、権殿はお主の扱いに戸惑っておるだけじゃ。孫家の者として、功績は認めるべきじゃが……北郷、お主のやり方の問題もある。民を殴り飛ばして教え込むなぞそうそう出来ん。儂はこういった解りやすいやり方も好きじゃがな」
「え……そうなのか?」

 祭さんに言われ、孫権へと視線を移す。
 孫権は目を合わせようとはせず、そっぽを向きながら思い悩むように呟いた。

「っ……守るべき民を殴ることで治めるなど……。だがそのために民が笑んでいるのも事実…………貴様という存在が解らん。なんだというのだ、貴様は」
「なんだと言われてもな……《ぐいっ!》どわっと!?」
「一刀、今話を逸らそうとしたでしょ〜! ダメなんだからね、ちゃんとシャオのこと呼ばないと!」
「そんなつもりありませんよ!?」

 多少は認めてもらっていることに喜びと戸惑いとを混ぜた心境のさなか、俺の腕をぐいっと引っ張って現状に戻すのは孫尚香。
 いっそのことほうっておいてくださいと言いたいのに、今の僕は呉の将の願いを叶える御遣いさん。
 だから呉の将の言葉は絶対で………………マテ。じゃあ、た〜〜〜っぷり愛を込めてっていうのも死力を尽くさないといけないのか?

「…………《だらだらだら……!》」
「? 一刀様、どうかされたのですか? なんかすごい汗出てます」
「青春の汗です《ニコリ》」

 心配してくれる周泰に、スッと汗を拭って満面の作り笑いで返した。
 その動作で二人と繋がっていた手は離れて、まずは深く深呼吸。
 ……そ、そう……そうだよ、な。これが民のための罰なら、俺は……俺は……!

「孫尚香っ!」
「《がしっ!》あんっ、どうしたの? 一刀」

 背後から目の前に立たせた孫尚香の両肩をがっしと掴み、その目を真正面から覗き込み…………そう、あたかも華琳へと思いをぶつけるかのような気持ちで───

「───小蓮」

 心から、たった一言に思いを乗せて呟いた。
 すると《グボンッ!》と孫尚香……じゃなくて、シャオの顔が真っ赤に染まって……

「───…………《ぽー…………》……はっ! あ、や、やぁだ〜一刀ったら、そんなまるで伴侶の名前を呼ぶみたいに〜!」

 たっぷりと間を取ってから、彼女が反応を見せた。
 妖艶に笑むのではなく歳相応といった風情で、俺に背を向けて。
 そんな僕らの様子を見ていた祭さんが一言。

「なんじゃ。北郷は少女趣味か?」
「違いますよ!?」

 ええ、そりゃもう全力で否定させてもらいました。
 ここで言ってしまうのもシャオに悪い気もしたけど、誤解だけはしないでほしかったので本音をぶつける。

「……なるほど〜、つまり小蓮様の真名を呼んだのは、小蓮様の命令だったからと〜」
「だぁあっ! それも違うからぁっ!!」

 誤解はさらなる誤解を生むっていうけど、どうやらそうらしい。
 にっこにこ笑顔で間違ったことを言う(多分わざとだ)陸遜に待ったをかけ、さらに事細かに説明を……ああっ、なにやってるんだ俺っ……!

「じゃあ、ややこしいから決め事を作りましょう」
「決め事? ……雪蓮、またよからぬことを考えているのではないだろうな」
「だ、だーいじょうぶ! 大丈夫だから! どーして冥琳はすぐそうやって疑うかなぁ!」
「疑われたくないのなら、私から必死に耳を隠すその手をどけてからにしなさい」
「うぐっ……一刀〜、冥琳がいじめる〜、やっつけて〜」
「なんてこと命令しようとしてるんだぁっ!! そんなことに死力を尽くしたら、俺に明日なんて来ないだろっ!!」
「ぶー、一刀ったら私にやさしくな〜〜〜い」

 こんな状況でどうやってやさしくしろと!?
 なんて目で訴えかけてみると何故か俺のすぐ傍まで来て、少し身を屈めて頭を軽く突き出す雪蓮。
 ……エ? あの……まさか撫でろと? 無理です、無理ですから話を進めてください。
 俺の反応を伺ってか、投げかけてくる視線にそう返すと、及川が拗ねた時みたいに口を尖らせてぶーぶー言う雪蓮。
 ああ、及川よ……キミは今どうしている? 俺は今、とても困った状況に立っているよ。
 どうせ帰ったとしても一秒も経っていないんだろうけど。

「それで、姉様。決め事とは?」
「むー……冥琳?」
「ああ。では北郷、今日よりお前にはこの国を離れるまで、呉に尽くしてもらう。とはいえ、我々が言う言葉全てに死力を尽くされては、こちらとしても話し掛けづらくもなる」
「え? あ、あー……そう、だよな」
「そこでだ。北郷に命令をする時は、命令だときちんと伝えること。これを“決め事”とする。それ以外のことはあくまで“してもらいこと”に留める、ということでいいのだな、雪蓮」
「さすが冥琳、解ってるー♪」

 ……すごいな、言葉が無くても理解するって、こういうことを言うのか…………と感心してみるが、普通に雪蓮が話したほうが明らかに早かったよな、今の。
 “ここはツッコんだら負けなんだろうか”と思いつつ、話を続けてくれている冥琳をじーーーっと見つめていた。

「私達が何気なく言った言葉でも、北郷は死力を尽くして実行しなければならない。そんなことになれば、北郷が保たないだろう。それはそれで面白そうではあるが」
「……途中まで少しでもじぃんと来てた俺の心のやすらぎを今すぐ返してください」

 言ってはみるけど、すでに撤収モードに入ってしまったこの雰囲気は流せそうもない。
 暗い気持ちなんてとっくに流されてしまっているし……ああ、いい。
 流されてしまったなら、教訓としては刻み込もう。もう何度も何度も刻んだことだけど、もう一度。
 そして、雪蓮が甘寧を俺につけた理由が罰と……それと彼女の笑顔を望んでのことなら、その願いを叶える努力を……うん。

(誰かのためかぁ……そういや、いつだったかじいちゃんが言ってたっけ)

 他人のためではなく自分のために生きれる男であれ。
 自分のために全てを行えば、失敗を犯した時も誰かの所為にすることもなく、己だけが傷つくだけで済むのだから、って。
 自分が自分のために動くことで、結果として誰かが助かる……そんな生き方をしてみろって。

  これは……どうかな。自分のためではあるのかな。

 そう自分に問いかけてみても、そんな自分に対して漏れる苦笑しか耳には届かない。
 つまり、それが答え。

「孫権」

 自分の“苦笑”って答えを耳にして、一度笑ったあとに孫権へと向き直る。
 呼ばれて振り向いた孫権とは違い、雪蓮は暢気に「がんばれー」って笑っていたりする。
 今はそんな、声も笑顔もありがたい。

「まだ、少しでもいい。ほんのちょっとでも認めてくれている部分があるなら、見ててほしい。俺……もっと頑張るから。この国のために出来ること、頑張って探して返していくから。だから、いつか孫権が俺を本当に認めてくれたら…………俺と、友達になってほしい」

 そんな笑顔に励まされながら、握られないであろう手を差し出す。
 そして、その予想通りに孫権は俺と目を合わせることもせず、俺の横を通りすぎようとするけど───その足音が、擦れ違った一歩目で止まる。

「……私は貴様を認めていないわけではない。祭の言う通りだ、貴様という存在を持て余す」

 振り向こうとしたけど、振り向いちゃいけない気がして、静かに息を吐く。

「思春のことで苛立ちがないと言えば嘘になる。だが貴様の監視を思春に任せたのは私だ……そう、私が“監視せよ”と命じたのだ。思春は命令を忠実に守っただけで、本来罰などというものがあるのなら私が───」
「───……」

 ……ああ、そっか。
 甘寧がそうした意味が、なんとなくだけど解った。

「……そう言うと思ったからなんじゃないかな」
「なに……?」

 だとするなら伝えたい。そう思った時には、もう口は動いていた。
 孫権が振り向いたであろう音と気配に意識を傾けながら、自分は振り向かずに言葉を続けた。

「甘寧はさ、孫権がきっとそう思うだろうって思ったから、孫権が自分を責める前に“その罪で構わない”って受け入れたんじゃないかな」
「……思春は私のために、反論もせずに受け入れたと……?」
「誰かのためにとか、そんなのじゃないと思う。自分がそうあってほしいと思ったから、孫権に罪の意識を持ってほしくなかったから、そうしたんじゃないかな」

 誰かのためにと頑張れば頑張るほど、人は案外挫けやすい。
 自分のためだからと頑張れば、確かにどこかで自分を甘やかしてしまうのが人間だが……そこで挫けたままでいるか、立ち上がれるかは自分次第なんだ。
 そして甘寧は庶人扱いでもいいと頷いて、罰を甘んじて受けながらも前を向いている。
 挫けていないのだ。彼女にはそんな強さがある。

「……そうだな。そうかもしれない。ならば───私がこうして悔やむことも、思春の行為を無駄にする」
「え? いや、無駄とまでは《ぐきぃっ!》あだぁっ!?」
「命令だっ、振り向くなっ」

 命令って……! 振り向こうとした顔無理矢理捻り戻しておいて、命令もなにも……!

「と、とにかくっ。決まってしまったことは覆せない。思春は庶人扱いとなって、貴様の下についた。だがそれは貴様も同じだ。思春の上に立つというのなら、部下に不自由を強いるようなことは許さない。……“見ている”から、それを証明してみせろ、“北郷”」
「………」

 ……北郷。
 貴様でもお前でもなく、北郷と呼んでくれた。
 それがなんだか、むず痒いくらいに嬉しくて《ごきぃっ!!》

「ふごぉうっ!?」
「ふっ……振り向くなと言っただろうっ!」

 ……嬉しくて、振り向こうとしたら思いきり捻られた。
 こう、骨を通して聴覚に直接響いたみたいな“ごきぃっ!”って音とともに。
 するとどうだろう……全身から力がスゥッと抜けていって…………あ、あれ? 景色が明るい……真っ白……だぁ…………《どしゃあっ》

「…………北郷!? ちょっ……北郷!?」
「……? どうかされたのですか蓮華様……───一刀様!? かずっ……はぅわあっ!? かかか一刀様が白目むいて泡噴き出してますーーーっ!!」
「えぇっ!? ちょっ……なにしたの蓮華!」
「なななにをと言われても! 私はただっ……!」

 視界の白さを越えた先で辿り着いたお花畑を前に、なにやらいろいろな声が聞こえてきた。
 そんな穏やかな状況の中、俺は……何故かお花畑の先にある川のさらに先で、来ちゃだめだーと叫んでいるかつての仲間たちと出会いながら、今日という朝……いや、仕事手伝ったり話したりで昼になっていた時間を、気絶って形で終わらせた。




ネタ曝し  *み、妙ぞ、こはいかなること……?  シグルイ。言葉の運びと言いますか、ともかく大好きです。 予想以上に時間がかかっております。 もうしばしかかりそうなので、呉編だけでも。 いえまあ“本当に書いてるの?”ってツッコミがあったりもしましたが、ちゃんと書いているのでご安心を。 Next Top Back