160/未来に歩む今のこと

 見上げる空は……たぶん、いつもと変わらない。
 見つめる景色は様変わりを繰り返して変わっていって。
 見下ろす景色は……これも、やっぱり変わらない。
 そんな変わる景色と変わらない景色の中で、俺はみんなと一緒に随分と急ぎ足で今までを生きてきた。多分……これからもその生き方は変わらない。
 急ぐ足もあれば、少し休むためにのんびりと生きることもあるのだろう。

  ……さて。
  男と産まれたからには一度はやりたいことって、きっとある。

 今日から、そしてこれからの日々を、困惑させて驚かせて、けれど確かに彩りに溢れさせてくれたこの日に……ただ感謝を。

「北郷」
「あ、ちょっと待っててくれ、もう少しで書簡整理が終わるんだ。……あー……っと、これでよし、っと……ごめん秋蘭、お待たせ。なに?」

 確認して落款した書簡を纏めて、積み重ねながら、自室の入り口前に立ち……何故かなにかを言いづらそうにしている秋蘭を促す。
 そんな秋蘭は本当に珍しく、視線をあちらこちらにうろつかせながら「あぁ……」とか「う、うむ……」とか言って、しかしようやく俺が座る机の前へとずかずかと歩み寄ると、

「───華琳様が子を身籠った。……お前の子だ、北郷」
「───」

 停止。
 頭の中で言葉の意味が溢れかえり、混乱しそうになる一歩手前で……溢れる思考の中から自分が一番嬉しい結果を掴み取って椅子から立ち上がった。

「ほ、北郷っ?」

 急な行動に若干驚く秋蘭の前で、机を飛び越えて隣を通り抜けて駆け出した。
 子供……子供。
 実感なんて多分沸かない言葉に、不安も恐怖もごちゃまぜにして走った。
 自分がきっかけで産まれる生命を担うという恐怖。
 生命を育てることへの不安。
 でもそれ以上に───

「華琳っ!」

 駆けて駆けて駆けまくり、ドバンとノックもせずに開け放った部屋の先に、急な来訪に激怒する桂花と……俺を見て少し驚いている華琳が。

「ちょっと北郷! 今の華琳さまは安静にしなくちゃ───」
「っ───でかしたぁあああああああっ!!!!」
「《がばしーーっ!》ふひゃああっ!!?」

 男として、言ってみたかった言葉が自然と出た。
 華琳に駆け寄り、抱き締め、その状態で持ち上げて、溢れてしまう笑顔が止められずに笑った。
 言葉を被せられた桂花がさらに激怒するものの、罵声さえ、不安や恐怖さえ走る隙間もないくらいの喜びが、俺を包み込んでいた。
 華琳も抱きかかえられるとは思っていなかったのか、真っ赤になって慌てている。

「か、一刀っ! ちょっ……下ろしなさい!」
「男の子かな! 女の子かなぁ! 名前はなにがいいかな! ははっ、きっと女の子なら華琳に似て可愛いぞっ!」
「かわっ……ってだからそうではなくて! 下ろしなさいと言っているでしょう!」

 自分の子供! 思っただけで心が弾む!
 名前は───名前はやっぱり曹丕になるんだろうか!
 あれ? じゃあ男? いやでもこの世界だとほぼが女性だったわけで、つまり……!
 娘! 娘かぁ! じゃああれだな! 話が早すぎるけど結婚相手に“貴様なんぞに娘はやらんぞぉおお!”とか言って、せめて俺より強い男でなければって話になって、拳の殴り合いを……!(*相手が死にます)
 いや、でも、男だった時の夢のキャッチボールがだな……!

「………」
「……ん? 華琳?」

 幸せいっぱい夢いっぱいの未来への期待に笑う俺とはべつに、華琳は少し顔に不安を混ぜた珍しい表情をしていた。
 ……って、そりゃそっか、男顔負けの王としての勤めを果たしてきて、ここにきて女性としての巨大な壁だ。
 不安がないわけがないし、そもそも初めてのことなんだ。

「……! ……こほんっ」

 俺の視線に気づいたのか、すぐに不安を押し込めて赤くなる華琳。
 わざとらしい咳払いをひとつ、抱き上げられたまま俺を見ると訊ねてきた。

「ねぇ一刀。あなたは今、うれ───」
「嬉しい!」
「……ああ、そう、即答なのね……」

 溜め息を吐きいた彼女は「解りきっていたことじゃないの、曹孟徳……」と自分に向けて言うと、それからフッと笑った。

「いいわ、だったら迷うこともなにもない。子の名は丕。字は子桓とするわ」
「えっ……お、俺の意見はっ!?」
「あら。“なにか間違っている”のかしら?」
「……───〜〜〜っ……はぁあ。……いいんだな? それで」

 ちらりと桂花を見つつ言うと、汚らわしいものを見る目で見ら「こっち見るんじゃないわよ汚らわしい!」……言われた。
 桂花が居るところで言うべき言葉じゃないんじゃないかって意味だったんだが。

「べつに私が思ってつけた名前だもの、天の“しるべ”に従っているつもりなんて全くないわ。“歴史”についていくつもりはない。歴史が勝手について来ればいい」
「それが、今の覇道?」
「欲しいものを掴み切らなければ、覇道の果てへは辿り着けないわよ。私はまだまだ、てんで満足していないもの。言ったでしょう? 全てを興じてこそ“王”。苦痛だろうとなんだろうと楽しんでしまえば怖くはないわよ」

 誰に何を訊いているつもりなの、とばかりに笑う華琳。
 少し斜め上から見下ろすように人を見る視線は、相変わらずというかなんというか。

「そうよ! 大体あなた、覇王たる華琳さまに向かってなんてことを訊いているのよ!」
「覇道のなんたるかをご教授願おうと思った所存にございます」
「ふんっ!」
「《げしぃっ!》いってぇっ!」

 桂花の蹴りで全弁慶が泣いた。
 桂花とギャーギャー騒ぎながら華琳を下ろし、延長戦のように言い合いを続ける。
 華琳が溜め息を吐きつつやめなさいと言うまで続いたそれは……なんというか、もう日常の一部と化しているのだろう。

  ───みんなが各国を、能力がまだまだ若い人たちに任せてどれくらいか。

 都にはかつて回った国の将のほとんどが集まっており、都も大分大きくなった。
 都にも小さな学校……いや、この場合は塾か。が建てられて、桂花はそこで毎日教鞭を振るっている。
 空手道場まがいなものまで建てられて、そこでは凪が体術を。
 医療術方面は、その道場で氣の強さに恵まれても武力に恵まれない子がそちらへ移り、思春や祭さんや明命が氣での治療についてを軽く教えている。
 最初は華佗にと思ったそれも、五斗米道が一子相伝のために教えるわけにはいかず、それじゃあってかたちで俺も教えることに。
 大きくなったら自分で狩りが出来るようにと、弓術道場やら槍術道場まで作られて、英雄たちの下で習えるってことで目を輝かせて門を叩く子供たちはあとを絶たない。
 問題なのはお金……とくるだろうが、習うだけなら無料で十分、いつか国に返してくれればと、出世払いを期待したものだ。子供の頃から国の仕事に触れることで、国のためにって意識を強めさせるという……まあ、ちょっとずるいかなーと思う方法でもある。

「せいっ!」
「やー!」
「とー!」

 道場には定期的に訪れて、子供たちにも挨拶する。
 なにかやってみせてーとせがまれて……というか、そもそも俺に何が出来るかが疑問だったらしい少年少女が、道場に訪れた俺に“なにか”を求めたある日。
 せがまれるままに氣を黒檀木刀に込めると、金色に輝く木刀に感動。
 ワーワーキャキャーと喜ばれ、調子に乗って剣閃を放ったあたりから、氣を覚えたいという子供は増えた。氣といえば凪。まずは体術道場に通って、それから武器を決めようと話し合う、少し背伸びをした子供を見た時は……なんというか苦笑しながらも応援してしまった。

「………」

 変わってゆく国の中に居る。
 喜ばしいこともあれば、悲しいこともあって……そのたびになんとかしようと走るのに、世の中ってのは悲しいことばかりが上手く解決してくれない。
 理不尽を無くすために駆けては理不尽を生んでしまう瞬間が悔しくて、それでも……笑える時は素直に笑いながら、今も今日を生きている。

「っ……はぁっ! 祭さんっ、もう一本!」
「おうっ! こい北郷!」

 子供が出来たと聞いてから、鍛錬も余計に力が入った。
 守りたいものが増えたのだ、当然だ。
 気脈も随分と太くなって、多少の無茶もなんのその。
 真桜が作った空飛ぶ絡繰の試作、“御遣いくん”を使って……というかこれの名前の由来って、俺が鍛錬の度に空飛ばされてるからなのか真桜。……ああともかく、これを使って空を飛んでみても、氣自体には問題がないくらいに飛べた。氣自体には。
 飛べたことも事実だが、俺がキリモミで空を舞って、氣を緩めたら大地に落下しただけだった。キリモミで大地に落下した瞬間、火山の大地を泳ぐ某ハンティングアクションの竜を思い出したのは別の話。大地に潜るどころか転がり滑って酷い目にあった。
 真桜さん、装着した本人が回転しないように工夫しようね……ほんとに。
 落下しても、大地を泳げたらこんなことにはならなかったんだろうと思うと、ズキズキと痛む体をとりあえずは労わりたいアイディアばかりが浮かぶ。
 たとえそれが無茶なことでも。

「水泳教室を開こう。教室名は───アグナコトラーズ!」
「いや隊長、なに言うとるん……?」

 日常の中の息抜きも相変わらずで、みんなが定めた休日には全員で大盛り上がり。
 その日までにあったことを、とっくに報告しているにも係わらず笑いながら話し合って、楽しくて、嬉しくて。

「むむむむぅううむむ娘に料理を教えるのもっ……しゅしゅしゅ主夫の務めっていうか! 素直に言おう! 娘に料理を教えて、娘の手料理を食べてみたい!」
「はーぁ……? 一刀は娘に対して、随分と夢抱いとるんやなぁ……ウチとの子ぉが出来ても、同じこと思てくれる?」
「当たり前。というわけで霞! 料理の練習をしよう!」
「えー? ウチ食べる専門で───」
「母親が娘に料理を教える光景を、後ろから眺めてうんうん頷くのも男の喜びなんだ! それは華琳が実現させてくれるかもだけど、霞だって子供に伝えたいこととか出来るかもしれないだろっ! あの時習っておけば……じゃなくて今やろうさあやろう!」
「……一刀、えらい興奮しとるなぁ。てかなぁ一刀? 娘と決まったわけやないやろ?」
「いーや娘だ! つか娘でも息子でもいいんだ! どちらにしても教えてやりたいことがいっぱいあるんだ! この世界はすごいんだぞって! みんなが頑張ったから今があるんだって、早く教えてやりたいんだ! あぁあ〜〜〜っ、早く産まれないかなぁ!」
「っはは、そら気が早いわ……けど、それえーなぁ! ウチも今から楽しみになってきた!」
「ああっ! そうだよな、そうだよなぁ!」
「……けど一刀はもうちょい落ち着こうな」
「えっ……だめか?」
「だめや」

 きっぱり言われても笑顔が溢れる。
 嬉しくてたまらない日は何日も何ヶ月も続いて……そして。

「あ、あああ……ん、ぬぐぐ……《うろうろうろうろ……!》」
「た、隊長、落ち着いてください!《おろおろ……!》」
「凪かて落ち着かんと、目がぐるぐるなっとるやん」
「ででででもー! でも華琳さまがー! 落ち着けるわけがないのー!」
「かかか華琳さま! 華琳さまー!!」
「落ち着け姉者……こういう時は手に華琳様と書いてだな……」
「秋蘭さま!? 目が渦巻き状になっていますよ!?」
「流琉だってこんなところにまで菜箸持ってきてどうするつもりなのさー! ……ににに兄ちゃぁあん! 華琳さま大丈夫かな! 大丈夫かなぁ!」
「おおっ……いつかはこんな日がくるとは思っていましたがー……一大事ですねー」
「あ、あぁああ……! この扉の向こうでは華琳さまが子を産むために頑張っておいでで……はっ!? 産むということはつまり、一糸纏わぬ姿に近い格好を……う、うぶっ! ぶーーーーっ!!」
「あぁほら稟ちゃん、とんとん」
「ふがふが……!」
「あなたたち! 静かにしなさいよ! こうしている間にも華琳さまは頑張っておいでで……ああっ! なんで私は産婆としての行動を学ばなかったの!? そうすればこんな時でも華琳さまのお傍についていられたのに!」
「や、桂花も大概やかましいやん」
「うるさいわね! うだうだ言っている暇があるなら、その胸のさらしでもほどいて華琳さまの痛みを包み込む準備でもしていなさいよ!」
「傷が無いのに巻いたってしゃあないやろ」
「うぅうう歌とか歌って応援したほうがいいのかな……! それともこういう時って安静にするべきなの!? あぁあもうちぃはこういうの苦手なのよー!」
「大丈夫だよちーちゃん、こういう時は心の中で歌を歌うの。まずは自分が落ち着くために、歌いなれた歌を何度も何度も。そうすると目の前のことなんて忘れて楽しい気分にえへへへへへへ」
「天和姉さんっ! 落ち着いてないっ! 全然落ち着いてないっ! ちぃ姉さんも、確かにまずは自分が落ち着かないと……」
「落ち着くってなに!? 落ち着くって何処! こんな状況で落ち着けるわけないでしょー!? ああもう歌うわ! ちぃ歌うから! 一刀、ちょっと付き合いなさい!」
「よしきた!」
「あかん隊長! そこはきたらあかん!!」

 出産の日……俺はとある世界のとある王の気持ちを知った。
 パパスってしっかりパパだったんだねと本気で思った。
 ああ落ち着かない! 早く産まれてくれ!
 なんていうことを、華琳の部屋の前をうろうろしつつ思っていた。
 う、産湯の用意、オッケー。タオルの用意、オッケー。
 ふっ、ふふふっ、たたた足りないものがあるならこい! 出来れば来ないで!
 しかしこの北郷、逃げも隠れもせぬわ!
 ふははははは! そう、たとえこの北郷が倒れたとしても、俺など四天王の中でも最弱……! 俺が力尽きても凪、沙和、真桜がまだ残っているのだからな……!
 ……ギャアアアアア落ち着かねぇえええっ!! 冗談みたいなこと言ってもてんで紛らわせねぇえええっ!! ───はうっ!? 口調口調! 乱暴な言葉遣いが子供に移ったら大変だもんな、落ち着け落ち着け……だから落ち着けないんだって!

「はうあそうだ子守唄だ! おおぉおおお親たる者、子守唄のひとつも歌えないでどうする! こ、子守っ……ああっ! 知らない! 子守唄なんて知らないぞ俺ぇええっ!」
「落ち着いてください隊長!《おろおろ……!》」
「や、だから凪ー? 隊長ー? さっきからなんべん同じことやっとんねん」
「おおお落ち着くの! こういう時は掌に……ななななんて書くんだっけぇ真桜ちゃぁあああん!!」
「沙和、華琳さまだ。華琳さまと書いて、慈しみをもって舐めあげてさしあげれば……」
「だから秋蘭さま! 目が渦巻き状ですってば! き、季衣もなにか言ってあげてよ! ていうか子供ってなに食べるのかな! ぼぼぼ母乳!? 母乳の作りかたってどうだっけーーーーっ!!」
「うわぁ春蘭さまぁ! 流琉の目までぐるぐるになっちゃいましたぁあっ!!」
「あぁああ華琳さまー! 華琳さまぁーーーっ!!」
「うわぁーーっ! 春蘭さまはもっとぐるぐるだったーーーっ!! 兄ちゃぁあん! なんとかみんなを落ち着かせてよー!」
「ねねねねネンネンコローリャアアーーーッ!! コローリヤァーーーッ!!」
「兄ちゃんそれなに!? それが天の子守唄なの!?」
「うぅん……子守唄よりも、気を落ち着かせる歌を考えたほうがいい気もしますがねー……皆さんそれどころではありませんねー。ではお兄さん、風からひとつ助言があるのですよ」
「じょっ……助、言……? 噴水のように噴いていた稟の鼻血を輸血に使う案ならもちろん却下の方向で」
「お兄さん、産湯が血まみれです」
「へっ? ……うぉわぁあああっ!!? どどどどうしよう! どうしよう!! いやすぐに沸かせば大丈夫! 凪は薪の準備! 沙和は桶を洗って! 真桜は俺と子守唄を考えて!」
「隊長まで目ぇ回っとる! 解りきってたことやけど!」
「だだだだだってさぁ!」
「だーーーっ! えーから黙って待っとけゆーんがなんで解らんねん!!」
「《ハッ!》……そうだ……そうだよな。真桜の言うとおりだな。だから───子守唄を考えよう!《どーーん!》」
「あかーーーん! 隊長ちぃとも解っとらんわぁーーーっ!!」
「歌のことならお姉ちゃんにお任せっ、さあちーちゃん、歌を考えてっ」
「全然お任せじゃないんだけど!? でもちぃを選ぶところはさすがは天和姉さん! ようは子供が寝ればいいんだから、こう、妖術を使うように眠れ眠れと暗示をかけて───!」
「ネンネンコローーリャァアーーーッ!!」
「それだわ一刀!《どーーーん!》」
「どれやぁっ!! んーなんで眠れるわけないやろ!! ……ってうぅわっ! 目ぇ回っとる! むっちゃ目ぇ回っとる!」
「ちぃは回ってなんかないわよっ! 回ってるのは世界のほうよ!」
「思いっきり回っとるんやん……」

 落ち着く落ち着かないは別として……ひどく長く感じたその一日は、ある瞬間を境にあっという間に過ぎ去った。
 産まれたのだ、小さな命が。
 俺、あれだけ騒いでいたのに呆然としちゃって……産声聞いたら、呆然としたままぽろぽろ涙こぼして泣いてた。
 涙の意味も解らないまま、ぽんって真桜に背中押されて……部屋に飛び込んで、赤ちゃんの顔を見て……疲れきっている華琳の頭を、いつかのお礼と今までのお礼と、今の感謝の全てを込めて胸に抱き、泣きながらありがとうを繰り返した。

「……っ……はぁ……馬鹿ね……。感謝を届ける相手が……違うでしょう……?」
「間違ってるもんか……! 華琳……ありがとう……! あの時拾ってくれて……今も一緒に居てくれて……! そして───」

 そして。

「産まれてきてくれて、ありがとう……“曹丕”」

 親としてはそのまま丕って呼ぶべきかも、なんて考える余裕がその時は無くて。
 ただ産まれて来てくれたことにありがとうを届けた。
 赤子は……返事なんてもちろん出来なくて、泣いていた。
 やさしく抱いて産湯で体を洗ってあげて。
 そんなひとつひとつの作業が、自分に小さな生命を抱くことの重さを教えてくれる。
 ……その。
 華琳が言うには……その時の俺の顔は、間違いなく親の顔だったんだそうだ。
 あとで聞いて、しこたま恥ずかしかったのを覚えてる。
 ただ……同時に、とても誇らしかった。

───……。


 天才が産まれると解っているからつまらない、なんてことはなかった。

「丕……子桓が大きくなったら、なにをやらせてみようか……。たしか歴史上だと随分若い頃から文関連に強くて、戦についても結構なもの、だったよな」

 自室の椅子に座り、机に肘を立てつつ携帯電話をいじくる。
 べつに歴史上の曹子桓と重ねる必要なんてなく、俺はあくまで親として彼女に接するつもりだ。あー、まあその、うん。女の子だった。予想通りって言えばいいのかな。
 現在は毎日ビワーと泣き出しては、華琳を困らせている。
 乳母でも迎えようかって話になったんだが、華琳は子育てすら興じるつもりらしく……あっさりそれを却下した。

「うー……私も出産に立ち会いたかったよぅ」
「そればかりは仕方ないだろう? 華琳が魏だけでいいと言ったのだから」
「むぅっ。蓮華ちゃんだって立ち会いたかったって言ってたくせにー」
「う……」

 問題が起こるたびに問題解決に走り、ひとつひとつの問題を潰していくだびに国が安定に向かってのんびりと歩いている現在、俺はといえば……携帯電話をいじくり、“成長する子桓となにをするかリスト”をニヤケ顔で打ち込んでいたりした。自身の仕事と子育てに追われる華琳とは別に、桃香と蓮華は暇を見つけてはちょくちょくと俺の部屋へ来る。そのちょくちょくな現在、訊ねてきている人の前で携帯電話をいじくる失礼な御遣いがここにおる。いや、解ってるんだ。解ってるんだけど、待ち受けに登録している娘の顔を見るといろいろと止まらない衝動がございまして。
 あ、ああ、もちろん俺以外がこのリストを見たところでなんと書いてあるかも解らないのだから、安心して打ち込める。横から見られたって多少の気まずさ恥ずかしさは浮かぶものの、そのまま打ち込める。……ありがとう日本語。

「お兄さん……わっとと、ご主人様はさっきからなにをやってるの?」

 と、そんなニヤケ顔な俺に、桃香が語りかけてくる。
 ぎくりと体が震えそうになるのをなんとか堪え、にっこり笑いながら「子供のために出来ることをいろいろ考えてるんだ」と返した。間違いではないものの、言ってしまえば俺がしたいことと子桓が喜んでくれることとは別だ。実の祖父相手にぼっこぼこにされた自分の、実感が篭った“家族の感覚”。免許皆伝云々の時もそうだったが、そうなのだ。相手がやりたいことと自分がしてほしいことは別じゃなきゃいけない。同じだったら嬉しい限りだが、現実はそうじゃないことが大体だ。
 なので、きちんと子桓の成長を見つめながら対応する必要がある。
 勝手に押し付けすぎないよう、離れすぎないよう、親として───!

「……うふふへへへへぇえええ〜〜〜……」
「……こほんっ! ……一刀。顔がだらしないぞ」
「ホワウッ!?」

 でも子供の寝顔を待ち受けにしている時点でいろいろとアレなのかもしれない。
 蓮華に咳払いとともにツッコまれ、奇妙な声をあげつつ早速反省。
 親って難しいなぁ。や、まあ、ニヤケられる内にニヤケたモン勝ちだってことは解ってるつもりだ。子供の可愛さにニヤケていられるのなんて、子供があどけない内だなんてことは解っている。加えて、さっきの“歴史上の曹子桓と重ねる必要性”の話を交ぜ返すことになるものの、幼い内から頭の回転が速かったとされる曹子桓だ。ニヤケていられるのなんてほんの短い期間だけだろう。
 だったら今ニヤケないでいつニヤケますか。

「ていうか桃香。やっぱりそのご主人様っていうの、なんとかならない?」
「ふえっ? だ、だめかな。じゃあそのー……だ、旦那様?」
「桃香との関係や呼び方云々で俺と焔耶が揉めたの、もう忘れた?」
「ああうん、あれは凄かったねー」
「笑顔でさらっと言われる凄さじゃないだろあれ……」

 各国の王と心を確かめ合って、結ばれる夜の少し前、焔耶に呼び出されて喧嘩をした。
 武器は使わずに殴り合いだ。
 女を殴るつもりはないなんて、相手の本気を無視した言葉なんぞ完全に捨てた泥臭い喧嘩。殴り殴られ、鼻血も出したし涙だって出たが……結果はまあひどいものだった。
 誰が勝ちだなんてそういう目的もなかった喧嘩は動けなくなるまで続き、お互いぼろぼろになりつつ桔梗に頭を撫でられ紫苑に説教され、お互いに顔を見合わせて、ひっどい顔のままに笑ってお互いの胸をノックした。いや待て違う、焔耶が俺の胸をノックしただけであって、俺は焔耶の胸にはしていない。誓ってしていない。
 どうやら幸せにしろという覚悟の確認と意思表示だったらしく、俺は痛む顔を無理矢理笑わせて、思い切り頷いた。顔の痛さで簡単にしかめてしまうような笑顔だったが、それでも「お前らしい」と笑ってくれた焔耶には感謝したい。女性を巡って殴る相手が女性だとは、まあ思いもよらなかったが。

「でもでも、隣に立ってくれるならやっぱりそうなるんじゃないかなぁ。お兄さんはなんていうかそのー……一緒に居てほしい人だし、やっぱり特別だし、居てくれて嬉しい人だし」

 胸の上で指を組んで、にっこりというよりは……どこか“うっとり”的な笑顔な桃香さん。居てくれてよかったは俺も同じなんだが、あまり人前でそういうのはやめてください。なんかさっきから蓮華さんの目が怖い。

「ん、んんっ。……一刀」
「ハイナンデショウ蓮華サン」

 目を伏せてのわざとらしい咳払いみたいなものののち、改めて俺を見る蓮華。こちらもしっかりと蓮華の目を見て返すと、少し声が棒になるのを感じつつもちゃんと返す。

「私もなにか特別な呼び方をしたほうがいいだろうか」

 ちゃんと返した結果がこれだった。

「あ、それいいかもっ。蜀のほうも私がご主人様〜って言い出したら、みんなもそう呼び始めたし」
「へぇっ!? ちょっ……初耳なんですけど!? それってもうやめてくれって言ったって聞いてくれないんじゃないか!?」
「朱里ちゃんとか雛里ちゃんは、むしろ喜んで呼んでる気がするよ?」
「彼女らのなにがそうさせるんだ……」

 机に肘を立てたまま頭を抱え、オオウと唸る俺が誕生。
 ……こんな悩む姿が彼女らにそうさせるのでしょうか。ああ解らない、悩んでいる人の姿を“かわいい”と言える軍師らの気持ちが解らないぃいい……!!

「でも、うーん。蓮華ちゃんに似合うご主人様の呼び方かー……」
「や、だからご主人様はやめてって……」
「お兄さんからの要望とかってあるのかな」
「無視か!? それともそれは桃香自身の話なのか!? ……あ、ああいいや、とりあえず保留は保留で。でだけど。呼ばれ方についてはー……素直に“相手に対してなんてこと訊いてんだ”って返す」
「えぇっ!? だ、だってお兄さん自身の話なら、お兄さんに訊いたほうが早いって思って」
「じゃあ桃香。桃香はなんて呼ばれたい? “桃香”って真名以外で」
「えうっ!? え、え……え───えーと」

 目をつつっと逸らし、天井を見て、やがて俯き、目を糸目にして「ゔー」と唸り始める蜀王さま。
 蓮華はそんな彼女の正面で、椅子に深く背もたれしてふうと息を吐いた。やれやれって顔だ。胸の下で腕を組みながらの苦笑がすっかり慣れてしまった彼女は、そんな顔のままにちらりと俺を見てくる。

「一刀は呼ばれたい名前かなにかでも、あるの?」

 訊ねる口調は女性のソレ。
 王としてではなく女性として訊いているそれに、俺も肩の力を抜いて対応する。

「蓮華は是非そのままで。桃香にも出来れば一刀って呼んでもらえたらって」
「それはだめ」

 笑顔で即答でした。
 桃香って普段はぽやぽやしているのに、自分が曲げたくないことではとことん頑なだから困る。頑なで固いから頑固か。言葉を考えた人は実に見事だ。

「特別な人は特別な呼び方で、だよ。私の中でお兄さんはお兄さんだけど、傍に居たいのはご主人様だから」
「あ、すいません、意味が解らないですハイ……」
「一刀にとっての華琳と同じだろう。かつての一刀にとっての、ついていきたい相手は曹孟徳だったかもしれないが、傍に居たいのは華琳。違うか?」
「……あ」

 なるほど、そういうことか。
 ……ああ、こういう時ってちょっと自分が嫌になる。
 もっとよく考えてから返答するべきだったなぁと。

「だから私にとってはお兄さんはご主人様なんだよ」
「でもちょっと待とうか桃香。特別なのにさ、名前じゃなくてご主人様って呼ぶのってどうなんだ?」
「あ、あれー……? こんな流れだと、お兄さんが笑顔でしょーがないなーとか言ってくれるんじゃ……」
「どんな流れだよ……。じゃあ仮に、蓮華が適当につけた呼び方を俺が気に入ったとして、ずっと桃香をそう呼んだらそれはどうなんだ?」
「蓮華ちゃんが?」

 と、ちらりと蓮華を一瞥。すぐにぱあっと笑顔になり、「いいと思うよっ」と。

「はいここで蓮華さん」
「能天気桃色娘」
「よろしく能天気桃色娘さん」
「それはいやだよっ!?《がーーーん!》」

 そして早速のダメ出しが。
 むしろ蓮華がノリノリで名づけたことに驚きだ。
 ……普段からそう思ってるとか、そんなんじゃないよな?

「う、うー! お兄さんは!? お兄さんはその呼び方を気に入ったの!? 気に入ったら呼ぶって話だったよねっ!?」

 ねっ!? と念を押してくる桃香さん。
 胸の前できゅっと組まれた両手は、まるで神にでも祈る人のように強く強く組まれている……と、パッと見でも解るくらいだ。そんなに嫌なのか、能天気桃色娘。

「ぬ、ぬう……! ここで俺が気に入ったって言ったら、桃香の呼び方が決定されるわけか……!《ゴクリ》」
「ごくりじゃなくてっ! お、お兄さぁ〜〜〜ん……!」
「一刀」
「いや、悪かった、冗談だから。気に入ったりしないから安心してくれ。ていうか、蓮華に振ったあたりで“悪ふざけはそれくらいにしろ”くらい言われるかと思ってた」
「蓮華ちゃん……」
「ど、どうしてそこで私を恨みがましく見る! あ、いや、私が悪い話の乗り方をしたからか。すまない」

 ばつが悪そうに、目を伏せて謝る蓮華。
 それをあっさりと笑顔で許す桃香は相変わらずだが、それにしても蓮華が悪ノリねぇ……大方、祭さんか雪蓮あたりに妙なこと吹き込まれたんだろう。頭が固いから少しは悪ふざけかなんかでもしてみろ、みたいに。
 で、生真面目にそれを実行してみて、余計におかしな結果になったじゃないか……! などと後悔しているところだろう。なんか俯きながら頭抱えてるし。

「で、呼び方云々だけど。やっぱり一刀って、名前で呼んでくれないか?」
「えー? でも、お兄さんはお兄さんだよ?」
「じゃあもう俺も能天気桃色娘で」
「えぅうっ、それはやめてほしいっ……! じゃ、じゃあそのっ……うう、か、か……」

 か、と何度も呟きつつ、胸の前でついついと人差し指同士をつつき合わせる桃香さん。
 ……ハテ、この反応は……おお、解る、解るぞこの北郷にも。女性というものを考え続けて早どれほどか、恋心は未だに難しいままだが、何気ない仕草から想像出来る答えは確実に増えている。

「……もしかしてさ、桃香。俺の名前を呼ぶの、恥ずかしいだけ?」
「はうっ《ぎくぅっ》」
「……一刀。そういうものは本人が言うべきではないだろう……」
「俺……誰々が言うべきではないとか、それはあいつが悩んで答えを見つけなきゃいけないことだとかって言葉、正直ちょっと嫌いでさ……」

 特に後者には散々苦しめられている北郷です。
 別に答えが見つかるのが早いか遅いかの問題なんだから、教えてくれてもいいと思うんだ。そりゃ、自分で気づいたお陰で身に染みた答えも随分あるけどさ。早くに教えてもらって、そこから染み込ませていくことだって出来ると思うんだよ、俺。

「でもさ、あ……呼び方の話に戻るけど、ご主人様っていうのはこう……個人を指していない気がしてちょっと苦手意識があるんだよ。お兄さんっていうのも妙に他人行儀な気がするし。だから出来れば一刀って呼んでほしかったんだ」
「他人行儀か。確かに兄でもなければ主人でもないな」
「ううっ……」
「というわけではい、一刀と」
「……あぅ。呼び捨てじゃなきゃだめ……なのかなぁ」
「だめだなぁ」
「だめだ」
「蓮華ちゃんまで!? あ、う、うー……じゃあいいもん、言っちゃうもん。べつにお兄さんって呼び続けてたから、今さら呼び直す機会がなかったとかそういうのじゃないんだから、きちんと呼べるんだからね?」

 めちゃくちゃ語るに落ちていた。
 呼び直しがしたかったなら、ご主人様って呼ぶタイミングで直せばよかったのに、どうして───って、それこそタイミングか。

「それじゃあ……か、かずっ…………うう、一刀っ! …………さんんっ……!《ぷしゅううう……!》」
「赤っ!? 桃香!? 桃香ーーーっ!」

 勢いよく一刀と叫んだものの、自分の声に驚いて、さらには真っ赤になりつつ“さん”を付け足してしぼんでゆく蜀王さまの図。
 しかも俯かせていた顔を持ち上げると、すぐにわたわたしながら“一刀……さん”発言を撤回して、「やっぱりだめ! ご主人様はご主人様だもん! 私がそう呼ぶのはお兄さんだけで、これだってちゃんとした特別なんだからいいの! これでいいんだよー!」と断固として譲らなかった。

「あぁ……これはもうだめかぁ……」
「あなたの負けね、一刀。こうなった桃香は、もう何を言っても曲げないのだから」
「蓮華、口調」
「ふぐっ!? ……ん、んんっ! ……お前の負けだな、一刀。こうなった桃香は……わ、笑うなっ!」

 律儀に口調を硬くして言い直す蓮華を前に、笑ってしまう。
 けど、こうして俺や呉の将以外の前でも気安い口調が出るのは、彼女が以前よりも他の人たちに気を許している証拠なのだろう。同盟を組んだとはいえかつての敵。しかも王を前にしての話でも、蓮華が笑顔を見せる回数が目に見えて増えてきている。
 そんなところをつつくと意固地になりそうだと考えもするものの、蓮華には自覚も必要だというのも理解出来るので容赦無くツッコミを入れる。もちろんバカにする風ではなく、そうなってくれて嬉しいって気持ちと笑顔を乗せて。

「まったく、あなたという人は……!」

 顔を赤くしながらも、口調では怒ってもどうしようもなく漏れるのは笑顔だ。
 そんな表情に俺もやっぱり笑い返して、穏やかな時間を───

「ん……ん、んんっ!?」

 ───過ごす、筈だったのだが。
 突然蓮華の様子が変わり、口を両手で押さえて椅子に座らせていた体をさらに折った。

「蓮華!?」
「え───あ、蓮華ちゃん!? どうしたの!?」

 明らかにおかしいと解る様子に乱暴に立ち上がり、机を飛び越えて蓮華のもとへ。
 対面して座っていた桃香も机を回り込んで横につき、苦しそうにしている蓮華の背中をさすった。
 俺もそれに続き、苦しそうにしている彼女を寝台までゆっくりと連れてゆき、そっと座らせる。横になることを奨めたが、彼女は苦しそうな顔のままに首を横に振った。

(なんだこれ……吐き気? ついさっきまで平気そうな顔をしてたのに……?)

 解らない。いったいなにが───? と考えていたのだが、一つだけ心当たりが。

「………」
「ご主人様っ、早く華佗さんを呼ばないと!」
「ちょっと待って、桃香」
「え───で、でもっ!」

 蓮華の手を両手でやさしく包み、目を閉じて意識を集中。
 自分の氣で蓮華を包み込み、それらを変換しながら彼女の中の氣を探る。
 すると……彼女の中に混じって、ひとつ……とても小さいけれど、確かに彼女のものとは違う氣がひとつ。
 それは、つまり───

「でっ───」

 疑問が理解に変わった刹那、この腕とこの口は勝手に動きそうになり、理性でそれを強引に止める。落ち着け俺! 気持ち悪がってる人にそれはまずい!

(出すぎだぞ! 自重せい!)
(も、孟徳さん! どうせならもっと早くお願い!)

 孟徳さんにも止められた。
 華琳の時と同じく抱き締めてしまいそうになったのだ。
 つまりはそう、そういうこと。
 彼女の……蓮華の中に、新しい生命が。

「え、あ、あれ……? 蓮華ちゃん……? どうして辛そうなのに笑ってるの……? え? えっ!? 蓮華ちゃん!?」

 見れば、蓮華も自分で気づいたのだろう。
 目に涙まで浮かべて、辛そうなのに笑んでいた。
 辛そうなのに愛おしそうに腹部を撫でて、目に涙を浮かべたままに俺を見て……

「……ふふっ……これで、どれくらい国に貢献できたのかしら」
「男の俺からじゃ考えられないくらいに。……ははっ、約束は、俺の負けかな」

 笑い合って、いつかのように手と拳をパンッと叩き合わせた。
 直後にくたりと力を抜いて倒れそうになった蓮華を抱きとめ、彼女の頭を胸に抱いたまま、その頭を撫でた。やさしく、ゆっくりと。口から自然にこぼれた「ありがとう」は、自分で言っておいて実感へと変わり……その意味に気づいた桃香が顔を真っ赤にして慌てて華佗を呼びに行った。慌てすぎて扉に激突したことは、ツッコんじゃいけないのだろう。


───……。


 賑やかなる平和な日々が続く。
 蓮華の懐妊に続くように呉の将の間で懐妊騒ぎが起こり、都は連日パレード状態だ。
 穏、祭さん、明命、亞莎と続き、実はそれより先に思春まで。
 これにはもう雪蓮は大爆笑。「ほんとに父になるなんて、やっぱり種馬の噂は本当だったのねー♪ あっはははははは!」なんて大声で、それこそ大爆笑しながら冥琳に絡んでいた。冥琳も「まあ、今は各国も大分安定はしたし、国も若い衆に任せているから問題は……ない、か?」と苦笑をもらしていたものの、喜んではくれていた。ただやっぱり、いざという時に主要人物のほぼが妊娠状態なのはどうなのかと難しい顔をしていたが。

「ねーえー、めーりーん……私も子供が欲しいんだけど……出来たら名前は大喬なんてどう? で、冥琳の子供が小喬」
「孫大喬に周小喬……か? それはせめて姉妹に名づけてやるべきだろう」
「ああ違う違う、真名よ真名。きっといい仲になると思うのよ、二人」
「産まれてもいない子供のことで、よくもまあそこまで断言出来る。それも勘か?」
「うん、そーゆーこと」

 にっこり笑いながら言う雪蓮は、本当に楽しそうだった。
 どうやら戦なんてするまでもなく、彼女の心は変化し続ける現状ってものが満たしてくれているようだ。今も魏からわざわざ来てくれたアニキさんの料理と酒に舌鼓を打ち、ご機嫌だ。
 しかしながらそんな連日の祭りの中でも、少し俯いてしまっている人物が。しゅんとしていて、「うー……」と時折呟いては、自分のお腹をさすっている。

「………」
「………」

 しゅんとしているというか、俺の服の袖を小さくつまみながら、ずぅっと俺の後ろをついてきている……まあその、蜀王様。

「あー……その。桃香サン? 別にさ、王の中で自分だけまだ、とかそういうのは気にする必要は……」
「で、でもでもっ、やっぱり少し……ううん、結構……」
「王としての責任とかを感じる……って?」
「…………《こくり》」

 顔を赤くして俺を見上げる桃香。
 そんなことを気にする必要はないんだって、せめて安心させなきゃと……頭を撫でるために持ち上げかけた手が、腕ごと行動を停止させられた。他ならぬ桃香によって。通路の途中でなにやってんだとか言われそうな陽の高い昼の頃、俺の腕は桃香に抱き締められ、行動を封じられた。

「……と、桃香? なにを───」
「ご主人様と私、相性が悪いのかな……」
「───」

 驚き、思わず強引に振り払いそうになった腕が、やっぱり今度こそ一切の行動を封じられた。そんなことを寂しそうに言われれば、男としてって以前に人として振り払えない。

「あ、あー……こほん。桃香? ああいうのはね、相性とかじゃなくて、そ、そのー……おぉおおしべとめしべが……ね?」
「〜〜〜……」
「《ぎうう……》うう……」

 おろおろしながらの言葉は腕をきつく抱き締められる結果に終わった。
 下手な言葉はどうやら、蛇が下宿中の藪を突くことにしかならなそうだ。
 だったらと、空いている片方の手で桃香の頭を撫でて、なにも言わずに一緒に居た。
 気の済むまでこうしていよう……そう、心に決めて。

……。

 と、思っていたのだが。

「………」
「………」

 ……桃香がおかしい。
 なにやら異常に俺のあとをついてくる。

「よしっと。じゃあ纏めた書簡は持っていくな?」
「あっ、わ、私もいくよっ!《ガタッ! とととっ……きゅむ》」
「…………」

 仕事の時もずっと傍に居て、乾いた書簡を持っていこうと椅子から立ち上がると、散歩へ向かうと理解した犬のようにシュタッと立ち上がり、とととっと近づいてきて服を摘んできたり───

「っ……ふうっ! ダッシュ終了! ……桃香? 大丈夫か?」
「はふー! はふー!《こくこく……!》」

 鍛錬の時もダッシュに付き合ってまでついてきて、終わる頃には随分とお疲れで……なのに俺が移動を始めるとしっかと道着の端を摘んできて、ついてきたり───

「出でよ鳳凰! ……まあ、出るわけないんだけど。よし出来上がりっ!」
「へー! 天の料理は調理中の食材から鳳凰が出るんだー!」
「いや、出ないから」

 食事の時も調理している横でしっかり服を摘んで離れようとしない。なにがどうなっているのか……。

「……えーと、桃香? どこまでついてくる気?」
「え? えーと……ごっ……ご主人様はっ、そのっ、何処にいくつもりなのかなぁっ」
「……厠」
「へうっ!? あ、そ、そっか! じゃあえっとそのっ! わわわ私もっ!」
「いやいやいやいや落ち着け桃香! さすがにそれは待とう!?」

 あまつさえ厠にまでついてこようとする始末。いったい彼女の身になにが起きたのか。
 さすがにおかしいと、桃香にずずいと問い詰めてみれば、

「え? あ、えと……どうして子供が出来ないんだろって、たまたま会った小蓮ちゃんに訊いてみたの」
「待とう。人選明らかに間違ってる」
「えっ……でもでも、いっぺんにご主人様の子供を孕んだ、呉のシャオが言うんだからぜったいぜ〜ったい間違いないよーって、小蓮ちゃんが」
「その言葉の時点で問題外っ! あ、ああぁあ……! いいや、それで……シャオはなんて?」
「う、うん……なんだか言うのが怖くなってきたけど……私とご主人様に子供が出来ないのは、私に女子力が足りないからだって」
「じょしりょく?」

 ……なんだろう、早速頭痛くなってきた。
 妙に耳年増なところがあるシャオのことだから、まーた房中術がどーのとか言い出すのかと思ってたのに、どうしてここで女子力? むしろこの時代でそんな言葉を聞くとは思わなかったよ。

「好きな人の傍に寄り添って、身も心も一つになりたいって思い続けることで、お腹に子供を作る準備をさせるんだーとか……そのぅ……」

 語る桃香は真っ赤っか。
 それでも服を離さないのは真っ赤になろうが信じているからなんですね桃香さん。
 でもごめん、それ絶対間違ってるし騙されてる。

「あ、あー……その……な? 桃香。女の子にはそのー……」

 こうして俺は、本気で悩んでいる桃香に、安全日だの危険日だのをうろ覚えのままに桃香に説明することになり……熱心に「それでっ!? それでっ!?」と続きを催促してくる彼女を前に、今度は俺が真っ赤になりながら、今もどこかで無邪気に笑っているであろうシャオに怨念を送った。

……。

 で……後日。

「で……なんでまた腕を組むんでしょうか、桃香さん」
「えへへー、華佗さんに訊いたら、好きな人と一緒に居ることは確かに効果があるって」
「……マジで?」
「うん、“まじ”で。“我が五斗米道は房中術においても死角なし!”っていろいろ教えてくれたよー? ……あっ!? べべべつに華佗さんとそういうことをしたわけじゃないくてねっ!? え、えとー……うん。ご主人様と腕を組んでるとすごく安心するから、これでいいの」

 服を摘む行動が腕を組むに超進化した。
 デジタルなモンスターになぞらえて、トウカモンとか呼んだ方がいいんだろうか。
 いや、この場合はリュウビモンのほうがそれっぽいか? ……ゲントクモンはないな。うんない。
 とまあそれはともかく、移動の度に腕を組まれるようになってしまった。
 しかもそれを見た各国の将らがそれを真似るようになってしまい、腕が落ち着く日々がほぼ無いという事態に。……これって贅沢な悩みだろうか。




ネタ曝しです。 *でかしたぁああ!  子供が出来たときにこそ叫んでもらいたい言葉。  実際に言った人はどれくらい居るんでしょうね。 *火山の大地を泳ぐ某ハンティングアクションの竜  アグナコトル。モンスターハンター3より。  トライでも3Gでもこやつは苦手で、亜種なんてもっと嫌い。  でも象さんは好きでも嫌いでもないです。関係ないですね。 *アグナコトラーズ  アグナコトルとリトルバスターズの融合。  3時代は爪を四本とも破壊しないと爪が手に入らないという鬼仕様だった。  でもあの、口をカパタタタタと閉じたり開いたりする姿が大好きだ。 *産婆  古くは取り上げ婆、戦後は産婆、のちに助産婦と呼ばれていた。別にネタではない。  産まれてくるお子を迎えるお方ですね。 *パパス  ぬわーーーっ!! ぬわーーーーっ!!  燃やされた時と燃え尽きる時に、ぬわーと叫ぶ王である。  ドラゴンクエスト5より。 *大喬小喬  雪蓮と冥琳の子供がその名前、というのは以前に見た恋姫小説を参考にさせていただきました。  なんで大喬小喬居なくなっちゃったんデショ。  やっぱりアレだからですかね……。 *いでよ鳳凰!  覚えてる人……いやむしろ見ていた人が居たかどうか。  オーマイコンブのラスト近くの料理人が、中華鍋からそう叫んで鳳凰出してた。  出たからってなにがあったとかそんなことは全然ありませんでしたが。 *デジタルなモンスター  デジモン。超進化って言葉は結構好きです。  では次へどうぞ。 Next Top Back