-_-/劉禅

 ……昼が過ぎて夜がきた。

「んー……んっ《ボッ》」

 ととさまの手の上で、氣が燃える。
 ここはととさまの部屋。
 普段は私たち子供は立ち入り禁止となっている場所で、ととさまは鍛錬をしていた。

「お見事です、隊長。随分と慣れたものですね」
「頑張ったもん」

 一緒に居るのは文謙さま。
 ととさまの氣の様子を見て、ほう、と溜め息を吐いていた。
 もちろん嫌な意味での溜め息じゃなくて、感心しかないもの……だと思う。
 対するととさまは褒められて嬉しかったのか、子供みたいな口調でにっこり。

「いやー、凪みたいに燃え盛る氣を作るにはーとか考えに考えて、鍛錬に鍛錬重ねてようやくだよ。これは純粋に嬉しい! なんかっ……こうっ………………た、たた喩えられる言葉が見つからないけど、とにかく嬉しいっ!」

 ととさまは信じられないくらいに鍛錬の鬼です。
 暇を見つければ仕事と鍛錬。仕事が終われば娘たちとの遊ぶ時間を設けて、誰とも遊べなければ鍛錬。
 これを知ったら、お姉さまがた……特に曹丕姉さまと甘述姉さまはととさまを見直すと思う。でもととさまは、教えようとはしない。どうしてなんだろう。

「ととさま、それが出来るようになるまでどれくらいかかるの? 禅もやってみたい」
「…………8年《ぼそり》」
「………」
「……その。お疲れ様です、隊長」

 とても時間がかかるようだった。
 しかもととさまの鍛錬は内容が氣についてばかりなのに、それでも8年かかったということは。……他の誰かがやるとなると…………考えたくない。

「禅にも……出来るかなぁ」
「───《ぴしりっ……!》」
「隊長!?」

 私にも出来るだろうかと訊ねると、ととさまがぴしりと固まった。
 固まったら、少ししてカタカタと震えだす。

「デデ、デデデデキルンジャナイカナ……!? ミミッ───ミミミミミンナ才能ノ塊ダシ……!? イツカノ桃香ダッテ少シ教エタラスグニ剣閃デキタシアワババババ……!!」
「隊長! お気を確かに!」
「………」

 ととさまの発作が始まった。
 ととさまはなにも、最初から才能に恵まれていて何でもできたというわけではなくて、ここまで出来るようになるのに相当苦労したらしい。
 最初の頃なんて氣すら全然使えなくて、各国を回りながら必死で……本当の意味で必死で頑張って身に付けたんだとか。……“気脈を強引に広げる方法で一度死にかけたことがあるんだぞー”なんて、笑いながら語られた時はどうしようかと思った。
 でも、だからなんだろう。
 少し教えただけであっという間に技術を吸収する子供たちが羨ましいらしい。
 教えた傍からあっさりとやってみせる存在は、今までの手探りな努力も簡単に越えてしまうんだなぁ、なんて寂しそうに言っていた。

「八年……八年頑張ってようやく出来た力が、もしあっさり行使されたら……!」

 カタカタと震えるととさま。───が、突然ぴたりと停止。

「すごい才能だよなっ!《ぱああっ……!》」

 ととさまはドがつくほどの親ばかだった。

「ようし禅! 今からととさまが氣の燃やし方を教えてやるからな〜!? これが出来たらお前も立派な三国武将の仲間入りだぁーーーはははははぁーーーん!!」
「隊長! 笑顔なのに涙が止まってません!」

 親ばかだけど、自分の才の量は理解しているあたり、奇妙なところで人間が出来ているのかもしれない。
 涙をこぼしつつも笑顔で、ととさまが私の手にキュムと触れる。
 ととさまは人の氣を探るのが上手だ。
 それを簡単に引き出すことが出来て、私ももうある程度氣を操ることが出来るようになっている。

「ねぇととさま。ととさまはどうして、お姉さまたちにはこのことを教えないの?」
「───」

 言ってみる。と、ととさまはひどくやさしい顔をして、私の頭を撫でた。

「反面教師って言葉があってね。俺がぐうたらでだらしない男だってだけで、ああはなるまいと強くなってくれるなら、俺がどれだけ嫌われようがそれでいいんだよ。その勢いの強さがそのまま国のためになる。……俺はまだ、この国に全然返せてないからね」
「隊長……」
「えと。最初から全部曝け出してれば、こんなことにはならなかったんじゃ……」
「自覚があるんだよ。それじゃきっとだめだったって思えるほど。甘やかしてばっかで、娘を堕落させる自信だってある。ある意味これでよかったんだとさえ思えるくらいだ。特に曹丕はね、強く育ってくれてる。華琳の背中を追ってるなら問題はないさ」
「でも。それじゃあととさまが……」
「俺はいーの。そりゃあお前達が産まれる前からやりたかったことなんて、大して叶ってもいないけどさ。ぐうたらだとか怠け者とか……なんで母はあんな男を、なんて思われてもさ」

 やさしい笑顔のままに、本当に壊れ物でも扱うくらいにやさしく頭を撫でるととさま。
 そんなととさまが言う。

「生まれてきてくれてありがとうって言えたことを、ちっとも後悔できないんだ。それって、単純だけど幸せなことだから」
「……寂しくない?」
「はっはっはー、ととさまはこう見えてもい〜っぱい知り合いが居るんだぞ〜? 王も、将のみんなも、兵も……街のみんなも。だからな、禅。ととさまが寂しそうだから〜とかそういう理由で、なにかしらのきっかけを逃したりなんかすることないからな? なにかあったら、俺よりも別のことを優先すること」
「やだ」
「へ? …………ははっ、そっか。いい子だなー禅は。あ、桃香の子だから〜なんて言うつもりはてんで無いからな? 俺は相手が子供だろうが、その個々の在り方こそを認めます。誰かの子供だからこうなって当然なんて、ひどい押し付けだしな」
「う、うー……それ、登姉さまに言ってあげて?」
「甘いぞ禅。……言って、既に蹴られた」

 物凄く陰の差した遠い目をされた。

「自分に才がないのはあなたに似て生まれた所為だ、なんて言われもしたなぁ」
「隊長に似たのならば、むしろ才があるのでは? 私にしてみれば、剣にしても氣にしても、少々教えただけで飲み込めたことに驚いたくらいです」
「あれは才とかじゃなくて、天のー……あーっと、……イメージ、じゃ解らないか。天でよくある題材めいたものを、自分なりに纏めてやってみた結果なんだ。俺が凄いわけじゃない」

 「及川ならきっともっと上手くやるって」なんて言って、ととさまは笑う。
 ……及川というのは、ととさま言うところの天に住む友人らしい。
 どんな人かと訊いたら“怒った顔が怖いヤツ”と言われた。
 誰でも怒った顔は怖いと思うんだけど、どうにもその“怖い”の意味が違うみたい。

「その。隊長? その及川、という人物には、なにかしら齧ったものが……?」
「ああ、うん。女性との付き合い方が異常なくらいに上手かったな。なのに特定の彼女が居ないっていう不思議なやつで……」
「───」

 文謙さまの目が、どの口がそのようなことを仰るのですかと言っている。
 ともあれ、話しながらも私に氣の燃やし方を教えてくれたととさまは、さあ、と私に促してくる。
 こくりと頷いて言われるまま、氣を誘導されるままに集中してみれば、体外に球状として出した氣がくるくると回転して…………ぽすんっ、と消えた。
 どうやら上手くいかなかったらしい。

「…………隊長。顔が大変なことになっています」
「自覚してますごめんなさい!」

 瞬間、ととさまの顔は安堵なのか悲しみなのかよく解らない顔になっていた。
 八年が一瞬で乗り越えられたらどうしようという不安とか、そうならなかった安心とか、我が娘ならきっと出来るという期待とか出来なかった瞬間の続ければ出来るさという期待とか、ともかく何もかもを混ぜたおかしな表情。

「うう、ごめんなぁ禅。弱い父を許してくれ……」
「えと、うん。物凄く人間らしいととさまだなーと思うよ?」
「うう……そうか、人間らし───人間らしい!? え!? 今まで俺人間らしくなかったの!?」
「そ、そうじゃないよぅ!」
「落ち着いてください隊長」
「はうっ!? ……わ、悪い。娘に人間じゃないなんて真正面から言われたのかと」

 ととさまは立派なんだけど、どこか抜けてます。
 将のみなさんに言わせると“だからいい”そうで……完璧な人と一緒に居るのは息が詰まるみたい。

「ととさまは完璧な人は嫌い?」
「またいきなりな質問だな……」
「誰に似たのでしょうね」
「遺伝よりも影響で考えていこうね、凪。で、影響したとするなら雪蓮あたりじゃないかなぁ。話題、ころころ変えるし」
「話題に事欠かないという意味では、隊長もあまり変わりませんが」
「え? そう?」

 きょとんとするととさまだけど、それはそうだと頷ける。
 だってととさま、黙ってる時間なんて氣の集中をしている時くらいだし。どこからそんなに話すことが出てくるのか聞いてみたいくらいだ。
 でもその前に話を戻そう。

「ととさま」
「質問の答えだよな。ん、忘れてないから安心しろ。で、答えだけどー……そだな。完璧な人は嫌いっていうか、苦手かもしれない」
「───! た、隊長っ!」
「うわっと!? ど、どうした? 凪……」
「隊長……! それは、それは華琳様が苦手という意味で……!?」
「? ……苦手、って……いや、好きだけど?」
「いえっ、好きとかそういう意味ではなくてっ!」
「? …………あっ! 完璧な人の話か!」
「話が繋がっていなかったんですか!?」
「や、だって……華琳って完璧か? あれで結構おかしなところでポカするだろ。桃香に料理教えてたら味付けの指示を忘れたこととかあったし」
「あ、あ〜……あっ!? い、いえ、しかし軍事では完璧な……」
「一点での完璧さなら三国に呆れるほど居るだろ。そういう人が集まって支えてるのが三国なんだから、まあ……なんというのか。完璧な人でいるのって、結構寂しいことだと思うぞ? 嫌いとかそういう話じゃなくてさ」

 「ところで凪。今華琳のことで思いっきり納得したよな?」「してませんっ!」……そんな小さな会話が二人の間でされた。  
 文謙さまは普段は凛々しくて真面目で、言ってしまうと硬い印象があるのに、ととさまの前だとすごく……なんというかこう、柔らかいというか、ふにゃふにゃというか。とても口には出せないけど、多分これが一番ぴったり。“かわいい”。

「そんなわけだ、禅。ととさまは完璧な人は苦手だ。なんていうのかな。一人で十分な人の周りには、それを利用しようとする人しか集まらない。足りない部分を補おうって気が無い人と一緒に居ても、一人でなんでも出来る人と一緒に居ても、なんかこう……楽しくない気がしないか?」
「……ととさまは意地悪ですね」
「はい。意地の悪い質問です。完璧な人相手だろうと、その人が気に入れば傍に居るのが隊長でしょう」
「うぐ……」

 目を伏せ、やれやれといった感じで喋る文謙さまを前に、苦笑を漏らしながら頬を掻くととさま。
 ととさまが人を嫌うという状況は、不思議なもので全然想像がつかない。
 悪口をどれだけ言われても文若さまとは本気の喧嘩にはならないし、元譲さまが剣を片手に襲い掛かっても、叫びはするけど本気で怒ったりはしない。
 ……怒ることなんてあるのかな、って思うくらいに温和な人だよね。
 その代わりかどうかは解らないけど、悲鳴みたいな声をよくあげてる。
 夜の鍛錬では特に。
 文謙さまと夜の鍛錬をした時も、氣弾で城壁の一部を壊しそうになっちゃって……女の子みたいに「キャーーーッ!?」って叫んでたし。

「ととさまって能ある鷹なの?」
「いきなりだなぁ……能なら残念ながら───」
「女たらしですね」
「凪さん!?」
「あー……」
「禅さん!?」

 ととさまが驚いた表情で私と文謙さまを交互に見るけど、納得できてしまう。
 だっていっつも違う女性と一緒だ。たらしだと言われても仕方ない。
 たらしの意味なら文若さまによーく教えられたから知ってるもんね、間違いないよ。
 そのことをあたふたするととさまに言ってみると、笑顔で「もうあいつが神でいいから真桜にチェーンソー作らせよう……」と涙しながら言ってた。ちぇーんそーってなんだろ。
 でもととさまってふしぎ。
 自分の娘相手でも“禅さん!?”とか言ったり、冷や汗みたいなの流しながら笑顔でやさしい言葉をかけてきたり。それとも普通の親ってこんな感じなのかな。
 もし違うなら……うん。面白い人が父親でよかった。

「ねぇねぇととさま」
「な、なんだい禅。女たらしじゃないこの父になんのようだい?」
「いつか禅が誰かと一緒になっても、変わらないととさまで居てね?」
「───《ブシッ》」
「隊長!? 何故吐血を!?」

 笑顔のままに口の端から器用に血を吐き出すととさま。
 それからカタカタと震えだしたと思ったら、

「ぜ、ぜぜぜぜ禅サン……!? もももしや、気になるヤロッ……男の子でも、いいい射る……もとい、居るのカナ……!?」

 口が歪んで、眉も八の字で、コメカミでは青筋がばるばると躍動してて、なんというか面白い顔のととさま。……えと。なんだか言ってはいけない言葉だったみたいで、ととさまからモシャアと黒い氣のようなものが。
 でも……気になる男の子? 男の子……ととさまも男の子だよね?

「うん、居るよ?」
「俺の拳が血を求めている!!《クワァッ!!》」
「落ち着いてください隊長!!」
「HAHAHAァ! なにを言ってるんだィ凪さァん! 僕は冷静さ! 相手は禅を幸せにしてくれるかもしれない男だよ!? そんな相手に対してぼぼぼ僕がなにかするなんて! ただ、たたたたタタたたただ、貴様のような男にお義父さんなんて言われたくなななナイダケデ……! オ、怒ッテナイョ凪サァン! ワタシ全然怒ッテナイヨゥ!! タダチョットソノガキブチノメシテミタクナッチャッタナーミタイナ全軍突撃ィイイイイッ!!!」
「だから落ち着いてください!」

 ととさまの体から氣が溢れ出して、それが頭上で“滅”の文字に象られる。
 すごいなー、ととさまは。私じゃああんなのできないよ。
 なんて、私がじっとととさまを見つめていると、文謙さまと話し合っていたととさまが私に向き直って、相変わらず引き攣った笑みを浮かべながら質問を投げかけてきた。

「ぜ、禅ー? その気になる相手っていうのは誰のことなのカナー? とととととととさまにちょっと教えてみてくれないかなー?」
「隊長……訊いてどうする気ですか」
「心の臓! 止めてくれる!」
「支柱があっさりと殺人を犯さないでください! しかも理由があんまりにもあんまりです!」
「肝の臓! 止めてくれる!」
「あ、あの……隊長……止めることから離れてください……」
「と……っ……止めちゃだめなのか……!? ……そう、だな……そうだよな……。なんでもかんでも止めることばかりを意識しちゃ……だめだよな……」
「隊長……!《ぱああっ……!》」
「じゃあ春蘭と愛紗の料理を合成させたブツを食わせて、腹痛が止まらないように」
「絶対にやめてください!!」

 ととさまは愉快な人です。
 時々暴走しますけど、愉快な人です。
 お姉さまがたもこんなととさまを知れば、きっと毎日が楽しいと思うのに。
 もったいないなぁ。
 今だって、怒ったのかなと思ったらもう笑ってる。

「ねぇととさま。ととさまって本気で怒ったことってあるの?」
「どうだろう、凪」
「隊長……ご自分のことなんですから、私に訊かないでくださいぃ……」
「や、俺もそうは思ったけどさ。ほら。本気で怒ったのかどうかなんて、案外自分じゃ解らないもんじゃないか。……華琳を叩いた時は別だけど。《ぼそり》……こほん。なら、こういうのは俺のことを俺より知ってそうな人に訊くのがいいだろ」
「わ、私が……隊長より隊長のことを……?《ポポポ……》」

 あ。赤くなった。
 赤くなった文謙さまって……口では言えませんけど、かわいいです。
 やがて何かが文謙さまの心を動かしたのか、文謙さまがととさまのことを語り出した。
 私ももっとととさまのことが知りたかったので、がんばって頭の中に入れてゆく。

「私と隊長が出会ったのは、まだ世が乱れていた頃のことです。当時私は真桜や沙和とともに───」
「うんうん……!」
「凪っ!? それって俺が本気で怒った時のことと関係あるの!? えっ!? 俺その時怒ったりしてないよね!? お、怒ったっていえばほらっ! 桃香との……劉備軍との篭城戦で、華琳が意地を張った時とか……ああっ! あの時凪は別のとこ行ってて居なかったぁっ! じゃ、じゃあ美羽に拳骨くらわせて……その時も居なかったぁっ! ……じゃあ雪蓮の暴走っぷりに怒った時とか!」
「その時、カゴが壊れてしまいまして」
「ととさま……」
「あれぇ!? 聞いてくれてないのに非難の目だけはしっかり向けられる!?」

 その後、少し表情が怖い、赤い顔の文謙さまにととさまのことをそれはもうみっちりと教え込まれました。必死に止めようとするととさまですが、何故かととさまのお話なのに“黙っていてください”と睨まれたととさまは瞬間的に正座をしてしょんぼり。
 ……威厳みたいなものはないのかもだけど、私は威厳よりも傍に居てくれるととさまだからこそ大好きです。最初こそぐうたらなのかなぁとか思ってたけど、それはかかさまが素晴らしき天然っぷりで破壊してくれた。
 その瞬間、ぐうたらだと思っていた父は自慢の父に変わった。
 元々そうだったのを、私たちが確認もしないで誤解していただけ、といえばそれまでの話なのに、それを認めたくないのが困ったことに人間なんだよーなんて、ととさまは笑いながら言っていた。
 人っていうのは上に居る完璧な人よりも、下でもがく人のほうが周囲ってものを見れるもんだって言っていた。コツは嫌なことよりいいところを探すこと。嫌うより好きになる努力をすること、だって。嫌なことばかりに目を向けてしまうのが人間だとは言ったけど、逆にいい方にばかり目を向けられる人も居るから“ばらんす”は保たれるって。

「ととさま」
「うう……なにかな、禅……」

 文謙さまの隊長語りに顔真っ赤にして恥ずかしがっているととさまに、私は“さむずあっぷ”をして笑う。

「楽しいって、いいねっ」
「俺は今大絶賛恥ずかしいけどね!! 娘や部下にいじられる父親になるなんて、この世界に降りた時は微塵にも思ってなかったよ!」
「ととさま……禅も、ととさまのこと嫌ったほうがいいの……?」
「いじってくださいごめんなさいぃ!!」

 泣いてしまった。
 ととさまって、なんか全力で生きてるなぁってよく思わせてくれる人だ。

「なぁ凪……反面教師って……自分からするのってすごい辛いな……」
「隊長……それは、聞くたびに辛くなるので……その」

 ああ、一回や二回じゃないんだ……。
 ととさま、少し可哀相だ。
 ……うんっ、ここは事情を知ってる私だけでも、ととさまをきちんと励まさないとっ。
 え、えぇと、ととさまが喜ぶことってなんだろ。
 たしかー……かかさまが言うには、えとえと……あっ、そうだ、あれ。

「ととさまととさまっ」
「……なんだい……?」
「禅は、ととさまが居てくれて“よかった”だよっ!」
「───」

 かかさまが言うには、ととさまにそう言われた時と自分がそう言った時に、強くととさまを意識するようになったとか。
 あの時はまさか、とろけそうな顔で親の初恋のお話をされるとは夢にも思わなかった。
 当時はととさまが凄い人だなんて知らなかったから、疑いにかかる私たちをなんとかしたかったんだろうけど……親の恋する顔を見るというのはあれで、結構……うん。嬉しいやら恥ずかしいやらだった。嬉しい気持ちのほうが強かったのは確かなんだけど、恥ずかしかったのも事実なわけで。

「…………《スゥウウ……》」
「ふえっ!?《びくぅっ!》」

 なんて思ってたら、瞬きもしないで静かに涙を流し始めるととさま。
 普通はしゃっくりするみたいに泣き始めると思うのに、なんの動きもないまま涙を流し始めたりしたからとても驚いてしまった。こんなこと、出来るんだ。

「凪……俺もうこのまま死んでもいいかも……」
「恐ろしいことを幸せの笑顔のままで言わないでください」
「よ、よし禅! ととさまになにかして欲しいことはないか!? ととさまに出来ることならなんでもやっちゃうぞぅ!」
「え……じゃ、じゃあととさまっ、お姉さまがたにととさまの秘密を」
「それはダメ《キッパリ》」
「なんでー!?」

 とろけた顔が急にびしぃって引き締まった。
 でも数秒も保たずにとろけてしまう。
 本当にととさまは変わった人だ。
 自分の威厳とか名誉よりも、国のこれからのことばっかり気にしてる。

「ううー……ととさまはもっと、自分のこと考えたほうがいいよぅ」
「いや違うんだぞ禅。俺はこれで、自分のためにしか行動してないんだ。ただその自分のためが、“俺が国に返したいから”って理由からくるものだからこうなってるってだけで」
「そんなの屁理屈だよー……」
「屁理屈も立派な理屈だよ。……っと、ほら。もうそろそろ夜も深くなるし、寝た寝た」
「……今日、ここで寝てもいい?」
「だめです。ちゃんと桃香のところに戻ってから寝なさい」
「むー」

 ととさまは娘にあまあまなのに、一緒に寝たいと言っても全然聞いてくれない。
 眠る時はかかさまのところで。
 これはもう、ずっと前からのことだ。

「さ、公嗣さま。お部屋までおともします」
「うぅー……ねぇととさま? ととさまが一緒に眠っちゃだめって言うのは、夜になるたびに将の誰かとそのー……」
「凪。明日……一緒に虫取りにでも行こうか。そして捕まえた虫たちを、桂花の机の引き出しにみっしりと」
「隊長、気持ちは解らないでもありませんが、やってしまった時点で隊長が疑われます」
「……凪も言うようになったね」
「隊長の悪評ばかりを流されていれば、さすがに。桂花さまもいい加減、隊長嫌いを少しずつでも改善するべきだと思います。……隊長が桂花さまになにをした、というわけでもないというのに」
「……ありがと、凪。でもこれはこれで悪いことばかりじゃないんだよ。平和にかまけて緩みすぎる自分が、もっとだらけすぎないための抑止力にはなってくれてるから。……ある意味で、ああはなるまいって娘達が張り切る一番の理由かもしれないし……」

 言ってる途中から頭を抱えて落ち込みだすととさま。
 打たれ弱いのになんでも抱え込んじゃうからこうなってしまう。
 かかさまもだけど、ととさまもちょっと頑張りすぎだよ。
 だからここは禅……私が、もっともっと頑張らないとっ!

「あ……」
「? 文謙さま?」
「あ、いえ」

 やる気を漲らせるように小さく“がっつぽーず”を取ると、途端に文謙さまが戸惑うような……ええと、なんともいえない微妙な顔をした。
 なに? と目で訊いてみても、とほーと溜め息を吐くみたいに諦めの吐息を吐くだけ。
 ……あれ? なにかあったのかな。
 ああいや、うん、今はととさまを元気付けるのが先だよね。

「ととさまっ、禅がお仕事手伝ってあげるっ」
「いえ結構です《ズヴァーーーン!!》」
「物凄い速さで却下されたっ!?《がーーーん!!》」

 あ、あうう!? なんで!?
 もう夜だから!? いつもなら喜びとか切なさとかやさしさとか絶望をごちゃまぜにしたみたいな不思議な顔で喜んでくれるのに!

「ぜ、禅? さ、もう寝なさい? とととととさま、禅には立派に成長してもらいたいなぁと常々思ってるから、成長ホルモンが分泌される11時から深夜2時あたりまではぐっすり眠っていただきたいなぁと……! ……時計無いけど」

 ぱきゃりと、けーたいでんわとかいうのを開いて、いっぱいいっぱいの笑顔を向けるととさま。昔はあの小さな物体で時間が解ったそうだけど、今はそれもあてにならないって、寂しそうな顔で言ってた。
 でもそれは今はいいとして、とにかくととさまを元気づけることに真っ直ぐになる。
 禅、やっちゃいますっ!

「まだいーの! 禅はこれからもっとも〜〜っと、かかさまみたいに綺麗になるもん! だから今はととさまのお手伝いするの!」
「だめだ《どーーーん!》」
「なんでー!?」

 どうしてかとても濃い顔になったととさまが、悲しみと愛を込めた瞳でずっぱり。
 普段はやさしいのにこういう時だけはっきりと切ってくるのも、ととさまの不思議なところのひとつだと思う。
 ……そっか、きっと文謙さまの……部下の前だから恥ずかしいんだ。(違います)

「いいもん! じゃあ無理矢理手伝うもん! この墨、あっちでいいんだよねっ!?」
「だーーーっ! なんで先が解りそうなものから掴むかなぁこの娘は!! や、やめなさい禅! 今ならまだ間に合う! 墨質を解放しろーーーっ!!」
「墨質!?」

 片付けようと墨を手にすると、途端にととさまも文謙さまも慌て出す。
 ……失礼だよ。そりゃあ、張り切りすぎちゃってひっくり返しちゃったこともあるけど、禅は学べる私なのです。さあいざ輝かしい一歩を《ぐきぃっ》あれぇっ!?

「ホワーーーーッ!?」
「公嗣さまっ!」

 一歩目にして躓きました。
 傾く私。宙を舞う墨汁。
 傾いてゆく視界で、弾けるように駆けるととさまと、瞬時に宙に跳ぶ文謙さまを見た。

「…………だはぁ、セ、セーフ……!」
「隊長、こちらも無事です」

 ぱちくりと瞬きしてみれば、滑り込むように私を受け止めてくれたととさまと、見事に墨の容器を手に着地をする文謙さまの姿。
 またやってしまった。
 怒られるかな、と少し怖くなった途端、きゅむりとととさまに抱き締められた。

「ふみゅっ!? と、ととさまっ?」
「はうあっ!?《びくーーん!》」

 声をかけてみれば驚いたみたいに体を弾かせて私から距離を取る。
 離れる際にしっかりと私を立たせてから、こう……しゅぱーーーんと。

「隊長……」
「いやっ……なんかごめんっ……! 理由はどうあれ、娘に抱き付かれたのなんて久しぶりだったからっ……!」
「いえ、責めているわけではっ……! な、なにも泣かなくても……」

 離れた先で労わる顔の文謙さまと小声で何かを話すととさまは、なんだか寂しげだ。
 ……やっぱりここは禅が……私が、なんとかしてあげなければならないよねっ!
 禅、やっちゃいますっ!

「あ」
「?」

 またがっつぽーずを取っていると、文謙さまがびくりと肩を震わせた。
 ととさまも気づいたようで、青い笑顔のままで震えながら私を見る。

「ぜ、禅? ととさま元気だから、今日はもう寝よう? 禅のやさしさウレシイナ。だから寝てくだ───寝よう? な?」
「……ほんと? ととさま、元気になった? 禅、失敗したのに」
「その手伝おうとしてくれた気持ちで十分さ! ウウウ嘘じゃないよ!? ねぇ凪!?」
「えっ!? あ、は、はい、その通りです。隊長は公嗣さまのやさしさをとても嬉しく受け取っています。……や、やさしさを」
「じゃあもっと手伝うよー!《どーーーん!》」
「ゲェエーーーーーッ!!!《がーーーん!》」
「こ、公嗣さまっ! 子供はもう眠る時間です!」
「だめ! 手伝う! だってととさま顔が真っ青だもん!」
「隊長! 今すぐ顔の変色を!」
「なに言ってんの出来るわけないでしょ!? 凪ってたまにとても無茶な注文するよね!」

 いろんな意味で逞しくなったなぁもう! なんて言うととさまを前に、ハッとした文謙さまは真っ赤になって慌て出している。
 そんな二人をよそに、もう勝手に手伝っちゃおうと机に詰まれた竹簡を手に取ると、またもや「ホワーーーッ!?」と叫ぶととさま。私が思うにあれこそが、ととさまの歓喜の声に違いない。
 だってあの声を出したあと、私が失敗しても“嬉しかった”って言うのだ。
 あれは歓喜の声。あとの問題なんて、私が失敗しなければいいだけのことだ。
 でも大丈夫、これを運ぶことくらい、私には簡単なことで…………しまった扉が開けられない! え、えとえと、こういう時はどうすれば。……あ、そういえば夏侯惇さまが、扉というのは思い切り締めれば鍵がかかって、開けたいときは思い切り蹴飛ばせばいいって言ってた。

「うん、よしっ」
「なにが!? なんかもう扉の前で頷く時点で嫌な予感が! やめなさい禅! やめてお願い!」
「えっとたしか……ちんきゅー……きぃーーーーっく!!」

 氣を充実させて駆ける私。
 大丈夫、まだちょっと苦手だけど、扉を開けるくらいの威力は出せる筈!
 だから跳ぶ私。扉目掛けていざ蹴りの構えで───

「相変わらずうるさい部屋ね……ちょっと北《どぼぉっ!》ごほぉっ!?」
『あ』

 ───そして勝手に開く扉。現れた筍ケさま。
 ……の、お腹にめりこむ、私の蹴り。
 充実していた氣の分、ドカバキゴロゴロズシャーーアーーーッ! と転がり滑ってゆく猫耳ふーどの軍師さまの姿が、ただただこの部屋に静寂を齎したのでした……。

「けけけけ桂花ァアーーーーーッ!!?」
「桂花さま!?」

 持っていた竹簡の分だけ重みが増した私の蹴りは、氣の充実も手伝って、自分が思うよりも素晴らしい威力を叩き出したようで。
 ただひたすらに走る罪悪感の中、ととさまと文謙さまの表情が少しだけすっきりしたような顔だったのはどうしてだろうと考えつつ、私も慌てて駆け出したのでした。

「だめだろ桂花! 人の部屋に入る時はノックしないと!」
「う、げほっ……よ、よくもそんな嬉しそうな顔でそんなことを……!」
「大方人の部屋に忍び込んで虫をぶちまけることが習慣になってた所為でノックすること自体を頭の中から消し去ってたんだろ桂花ちゃんたらイケナイ子っ☆」
「気色悪いほど清々しい笑顔で注意なんてするんじゃないわよ!」
「桂花……悪いことをするとな、いつかその咎は自分に返ってくるものなんだよ……」
「説教される謂れもないわよ!」
「ところでなにか用なのか? 夜に俺の部屋に来るなんて珍しい。夜中と間違えたのか?」
「あなたねぇ……! 私が夜襲以外に訪ねることなんてないとでも思ってるの……!?」
「…………え? 違うの?」
「ちがっ───………………」
「否定して!? そこは否定しようよ!」

 言い争いを始める筍ケさまとととさまを前に、真っ青になる私。
 どうしよう、軍師様蹴っちゃった。
 これって重い罪になるんじゃ……!

「そんなことはどうでもいいわよ! ……それより、あなた子供にどんな教育しているのよ。娘に人を蹴るように仕向けるなんて」
「あれぇ!? なんか俺がやらせたみたいになってる!?」
「違うのだとしてもこれは問題にさせてもらうわよ。そして問題を前に苦しむ姿をせいぜい私の前で存分に披露すればいいんだわっ」

 あわわ……! やっぱり問題なんだ……!
 どうしよう、とんでもないことしちゃった……!

「それなんだけど、桂花。頼むから、ここではなにも起こらなかったことにならないか?」
「……はあ? なるわけないでしょ? なに言ってるの? とうとう頭の中まで白濁色に染まったの?」
「全身白濁男とか言ってるくせに、それは今さらだろ……」
「とうとう認めたわねこの公認白濁男! 汚らわしいから近寄るんじゃないわよ!」
「公認白濁男!? なにそれ!」

 そしてととさまにおかしな通称がつけられてしまった!
 う、うぅう……私の所為だよね? ごめんなさい、ごめんなさいととさま……!

「ま、まあまあ、そう言わずに。頼むよ桂花」
「嫌よ。なんで私があなたが喜ぶようなことをしなければいけないのよ」
「どうしてもだめ?」
「だめ」
「頼んでも?」
「だめね」
「そっか……じゃあ俺も、桂花のことで黙っていたこと全てを、とうとう華琳に話す時が来たんだな……」
「《ぎくっ……》……な、なに? なによそれ。私が華琳さまに隠していることがあるとでもいうつもりなの?」
「桂花が知らないうちに起こったことだもん。俺だけじゃなくて、証言してくれる人なら結構居るぞ?」
「……ふんっ、どうせ言い回しで丸め込もうって魂胆でしょう? 私が北郷ごときの口先で気を変えるとでも───」
「結構前、桂花が仕掛けた落とし穴に桃香が落ちてさ」
「《びくぅ!》ぶっは!?」

 ひう!? じゅ、筍ケさまが、何かを口に含んでたわけでもないのに何かを吐き出すみたいな反応を!?

「それは桃香が笑って済ませたからいいけど、もしあそこに愛紗が居たらと思うと……」
「……〜〜〜……ふ、ふん、どうせ出任せかなんかで……」
「そのあとには蓮華が落っこちてさ」
「《びびくぅっ!》…………!!」

 ……だ、大丈夫なのかな。筍ケさまの顔色がどんどんと青くなって……!

「ほら。いつか、思春の風当たりが異様にキツい時があっただろ? その時丁度思春も近くに居てさ。刑に処されることになろうとも、刺し違えてでも殺してくれるとか言い出して、止めるのに苦労したんだ」
「…………《だらだらだら……!》」

 風当たりがきつい時、というのに心当たりがあるのか、筍ケさまの顔色がもっともっと青くなってゆく。

「っ……脅迫する気……!? 北郷のくせに、この私を……!」
「脅迫じゃないって。最初から“頼む”って言ってるじゃないか」
「じゃあ私が話すって言ったらどうするつもりよ」
「愛紗からの風当たりが悪くなるかも」
「じょっ……冗談じゃないわよ! どうしてか以前からやけに睨まれるって思ってたら、それが原因!? そんなの落ちるほうが悪いんじゃない!」
「んなわけあるかぁっ! 掘るほうが悪いわ!!」

 うん、それは私もそう思う。
 文謙さまもこくこくと頷いている。

「しかも掘っておいて、華琳に呼ばれたって理由で埋めないまま移動して、誰かが落ちたことすら知らずに忘れてたって、そっちこそ表ざたになったら軽い罪どころじゃないだろうが!」
「う、うぎぎ……!! 北郷のくせに……!」
「私怨の所為で物事認めたくないってのはどうかなぁ! …………あーもう、とにかく。ほら、ちょっとこっちこい」
「《ぐいっ》ひいっ!? ちょっ……なにする気よ! まさか助けに入る者が誰も居ないのをいいことに、このまま私を寝台に引きずり込んで───!」
「するかぁっ!! 子供の前でなんてこと言ってんだこの脳内桜花爛漫軍師!! 桃色な妄想に走りすぎるのも大概にしてくれほんと!!」

 本気で抵抗する筍ケさまのお腹に無理矢理手を当てるととさま。
 途端に筍ケさまが悲鳴をあげるけど、ととさまは構わず手を当て続けて───ぱっと離せば、筍ケさまの表情には蹴られた所為で存在してた苦悶がちっともなくなっていた。

「痛みを治すだけでここまで叫ばれたのって始めてだよ……」
「だったら最初からそう言いなさいよ! 本気で叫んだ私が馬鹿みたいじゃない!」
「言ってたら余計に抵抗してただろうが!!」
「当たり前でしょ誰があんたなんかに触らせるもんですか! これで孕んだら呪い殺してやるから覚悟してなさい!?」
「孕むかぁああっ!!」

 そしてまた言い争い。
 その中で、結局は痛みも消えたし、今日は見逃してやるわと言ってくれた筍ケさまに感謝を。ほとんど脅迫みたいな感じになっちゃったけど、何事もないことになってよかった。
 ……と思ったら、ととさまにぺしりと額を叩かれてしまった。
 痛くなかったけど、気をつけようなと言われた瞬間、やっぱりとんでもないことをしてしまったんだって後悔が私を襲った。ただととさまの手伝いをしたかっただけなんだけどな。上手くいかないなぁ。

「大丈夫だよ、禅。……なにかしてあげたいって気持ちは十分届いたから、そんなに落ち込まない。ありがとな」

 落ち込んでいると頭を撫でられた。
 それだけで落ち込んでいた気持ちが喜びに変わってしまうんだから、私は随分と単純なのかもしれない。

「じゃ、じゃあ今日はととさまの部屋で」
「戻って寝なさい」

 でもこっちの“なにかしてあげたい”は全然受け取ってくれないようだった。
 してあげたいっていうか、一緒に寝たいだけなんだけど。
 もちろんしつこく言える気分でもなく、結局はしょんぼりしたままととさまの部屋をあとにした。連れ立ってくれる文謙さまにもいっぱいごめんなさいを言いながら、かかさまが待っているであろう自分の部屋へと戻ったのだった。





-_-/陸延

 …………ぱちりと目を開けた。
 意識して息を重苦しく吐くと、耳の裏側あたりで“ずううう”、と血が体内を巡る音が聞こえる。いい感触だ。この音に耳を傾けていると、意識が鋭く覚醒してゆく。

「……はぁ」

 のそりと起き上がると、そこは自室の寝台の上だった。
 隣では母が静かな寝息を立てている。

「………」

 静かに寝台から下りる。
 気配は殺して、母に気づかれぬよう。
 部屋を出てからはそのまま兵にも気づかれぬように、気配を殺しながらと物陰に隠れながらの二段構えで中庭へ。
 中庭に着くと、そこでは劉禅が小さな体で鍛錬をしていた。
 その傍には楽進さまが居て、体捌きなどを教えている。

「また来ましたね」

 そしていつも通り、二人の前へ辿り着く前から気づかれてしまう。
 待ち合わせで目が合ってからの距離を小走りで駆ける時のような、奇妙な気恥ずかしさを感じながらふたりのもとへ。

「今日もやってますねぇ、禅ちゃん」
「…………むー」
「……どうしていつも禅ちゃんは、まずは延を睨むんでしょうねぇ」
「誰かが接近すると、一番に隠れてしまう人が居ますから。さ、陸延さま、こちらへ」
「あ、はいー」

 昼は眠くて仕方ない延ですが、夜は別です。
 夜に鍛錬をする禅を見かけてからというもの、延はこうしてふたりに混ざって鍛錬をする、ということを続けている。
 昼は無理。やったら延は死にます。
 何事もほどほどがいい。黄蓋さまはそのへんのところの加減を知らないのだ。
 昼は勉強。夜は鍛錬。これでいいのだ。延はやれば出来る子ですよ?
 ただどうしても、太陽の光の傍だと眠くなってしまっていけない。
 武にも文にも恵まれてはいるものの、眠気に勝てない延です。

「氣は充実しているようですね」
「えへへぇ、普段から溜めてますからー」

 言いつつ掌に氣を集める。
 丕姉さんと登姉さんを抜かせばお姉さんな延の氣は、なんだかぽわぽわしている。
 聞けば癒しに特化しているらしく、時折華佗さんが「我が五斗米道を受け継ぐ気はないか!」と熱く勧誘をしてきたりするのです。
 他に居ないのでしょうかと訊ねれば、居るには居るという。
 ただ、寿命で死なないかもしれない人に全てを託しては、一子相伝の意思は次に引き継がれないのだといいます。寿命で死なないって、どういう意味でしょうかねー。

「癒しに使える氣はぁ、珍しいんでしたよねー?」
「ええ。それを使えるのは極僅かであり、その中でもそれらを極めたのが五斗米道といわれています。ただしその秘術は一子相伝とされており、秘術としてでなく、一般的な医療術であるならば多少の知識提供は可能だとのことです」

 聞く限りでは、既に華佗さんは一人に教えられる限界部分は教えたそうです。
 ただし一子相伝の秘術までは教えていないそうで、教えたのはあくまで医術。秘術ではないそうです。
 それでも元気になれー、とは叫ぶのが一種の“おやくそく”というものらしくて、きっと延の知らないところで今日も誰かが叫んでいるのでしょうねぇ〜……。

「それにしても、気脈拡張の技術は本当に疲れますね〜……その分、効果があるのはいいんですけどー……」
「何事も積み重ねです。医療特化の氣に有効な鍛錬も開発済みですので、積み重ねは手探りだった頃ほど大変ではありませんから」
「楽進さまは、いつも一人でこうしてるんですか〜?」

 こうしている、というのは氣の鍛錬のこと。
 基本、私たち姉妹は少し早い夜の内に寝かされる。
 夜中の一定時間をすぎれば好きにしていいと言われているけれど、それを誰が言い出したのかは……公言されていないんですよねぇ。
 ただその睡眠時間には“せーちょーほるもん”なるものが分泌されるらしく、成長するには必要なのだそうで。これを上手く利用しないと、どれだけ鍛えても無駄になる可能性が高いのだといわれてしまっては、眠らないわけにはいかないのですよねぇ……。

「身体能力も申し分無し。文武に長け、氣は癒し。“そうであったなら”がこうまで揃っている人というのも珍しいというのに……」
「えへへぇ、どうして眠り癖なんて持ってしまったんでしょうねぇ〜」
「自分で言わないでください」

 そればかりは延にも解らない疑問なので仕方がないじゃないですか。

「ですが眠りはいいものです。本に囲まれて眠るのはとても幸せなことなのですよぅ? いえ、幸せでありながら福まであるという意味での幸福でしたら、お父さんの腕の中が一番なのですけどねぇ?」
「あ───で、でしたら、ともに眠ればいいのでは?」
「いえいえぇ、べつに包まれるのがいいというだけで、一緒に寝たいかと言われればそうでもありませんのでおかまいなくー」

 お父さんは氣を使えたんでしたっけ?
 あまり関心を持たなかったので解りません。
 ただ、隣で眠ると物凄く気持ちよく眠れるのは確かです。
 その際の睡眠こそが延の幸福であり至福なのです。あれはとてもとてもいいものです。

「以前から疑問に思っていたのですがぁ〜……癒しの氣を氣弾にして当てたら、どうなるのでしょうねぇ〜」
「やった人ならば既に居ますよ。もちろん、相手の氣とぶつかりあって怪我を負いました」
「やっぱりですかぁ。癒しは相手の氣に合わせないとぶつかり合うだけですもんねぇ」

 なので直接触れて、相手の波長に合わせた氣を送らなければいけないのです。
 延はそういう……自分の氣の色、というんでしょうかね。それを多少いじくれる方向に長けた氣を以って生まれたらしいんですよね。
 とても珍しいものだと華佗さんに驚かれました。
 だからこその五斗米道への勧誘なんでしょうねぇ。

「…………ふむぅ」
「? どうしましたぁ? 楽進さまぁ」
「あ、いえ。こう言ってはなんですが、その。親が“ああ”なのに、娘であるあなた方は随分とその……露出が少ない服を着ているのだなと」
「あ〜、なるほどぉ。それはお父さんが断固譲らなかったそうで。肌を見せるのは愛した人だけにしなさいと」
「……なるほど、想像しやすいです」

 苦笑を混ぜた笑みを浮かべて、楽進さまが頷く。
 ……えぇと。それでなんですけど……さっきから一言も喋らずに黙々と氣を集中させている禅ちゃんはどうしましょう。
 いつもならなんらかの会話があるのに、今日はどうしてか怒っているように感じる。

「えぇと……禅ちゃん? 怒ってる?」
「ふぇぅっ? え、あ、ち、ちがうよっ? 怒ってない怒ってないっ。ただ、と───じゃなかった、文謙さまに、怒気を氣に混ぜる鍛錬っていうのを教えてもらって、それをやってただけだよっ?」
「………」

 必死になって誤解を解こうとする禅ちゃん……可愛いですねぇええ〜〜……!
 ですけど、怒気を氣に混ぜるというのは……どういった意味があるんでしょうね。

「怒気を氣に混ぜると、どうなるの?」
「場の空気を変えたり出来るんだって。怒った人同士が居るお部屋に行くと、空気が重かったりするよね? それを意図的に作り出せたりするんだって! すごいよねっ!」

 さっきまで黙々と錬氣をしていた子が、もう笑顔です。
 禅ちゃんは他の妹たちと違って素直で、なんというか……撫でたくなっちゃいます。

「えっとね、こうやって……んん〜〜〜〜〜〜っ!!」

 禅ちゃんが目を閉じて歯を食い縛って、ん〜〜〜っと力を溜める。
 あ、いや、力じゃなくて怒気を溜めてる……んですかねぇ。
 それから少しすると、禅ちゃんの体から漏れるいつもやさしい氣が、少しだけ色を変えたように感じられて……途端、《クキュウ》と可愛い音が鳴って、禅ちゃんが真っ赤になって慌て出した。

「ち、違うよ!? 禅じゃないよ!?」
「あらあら〜、禅ちゃん、なにがぁ?」
「なにがって、えっと、ほら、くきゅうって」
「延はな〜〜んにも聞こえなかったよ〜? もしかして一番近い人だけにしか聞こえなかったのかなぁ」
「はうっ!? ……き、きのせいだネッ!? 禅も実はなんにも聞こえなかったかも! あ、あはは《きゅるる〜》はうーーーーっ!!?」

 真っ赤です。
 観念したのか軽く手を挙げて、お腹が空きましたと白状する禅ちゃんのなんと可愛らしいこと。

「それじゃあ誰かに料理を作ってもらおーかぁ」
「え、だ、だめだよそれはっ。だって、夜にご飯食べたらいけないって、ととさまがっ」
「禅ちゃん? ととさま言うところの“かろりー計算”は、一日に必要な量さえ守ればいいんだよー? つまり量を満たしていないなら寝る前だろうがどうだろうが構わないの」
「……禅はもう食べちゃったよぅ」
「かく言う私も食べちゃいましたー、えへへぇ」
「だめってことだよそれっ!」
「ふむぅ、仕方ないなぁ禅ちゃんは。お父さんの言いつけとなるとすぐに頑固さんになるんだからぁ」
「みんながととさまのことをおかしな目で見すぎてるのっ! 禅が変なんじゃないもん!」
「まあ延はそういう偏見めいた目で人を見る気はないけどねー? 別にお父さんが偉くても凄くても、ぐうたらでも情けなくてもどっちでもいいんだよぅ? 重要なのは延がどう思うかどうかだもの。そして延は、お父さんのことはお父さん以上でもお父さん以下でもないから、居てくれればそれでいいかなーって」
「……あぅう」

 思っていることを言ってみると、禅ちゃんはとても不満そうでした。
 きゅっと握った手が小さくふるふると震えていて、何か言いたいことがあるのに言えないみたいなもどかしさを表しています。ああ、きっと伝えたい言葉をまだまだ整えきれないのでしょう。可愛いですねぇ、頭撫でていいでしょうか。

「いつも思うことですが、陸延さまは他の子供たちと比べて随分と落ち着いていますね」

 ホウ、と妹の可愛さに心癒されていると、楽進さまがやさしい顔で語りかけてきます。
 そうですねぇ……親離れが早い娘で助かりますとお母さんにも言われたくらいですし。
 ただ、両親よりも興味を引くものがあったからこその現在なわけです。本という素晴らしいものが無ければ、延もここまで親に普通の感情を持たなかったと思うのですよね〜……。本はいいんですよぅ? いろいろな知識が得られますし、つまらない本を見ていればすぐに眠たくなります。そうしてすぅっと眠る時の心地良さは異常なほどです。目覚めた時に関節の痛みに苦しむのも、もはや一連の流れというものでしょう。
 眠気さえ取れればこうして鍛錬もしますし、やってやろうという気も沸き上がります。他の姉妹のように父を嫌って母を愛すという気分でもありませんし? 母を嫌って父を愛するというわけでもありませんしねぇ。波風立たずに静かに眠れるのが一番じゃないですか。なのに黄蓋さまはなにかというと延を引きずり出して鍛錬鍛錬と。あんなことをされましては、夜も鍛錬をする延はそのうちに倒れてしまいま…………はうぅっ!? 合法的に眠れるということでしょうかそれはっ……!

「落ち着いているというよりは、そうですねぇ〜……荒事が起きて、うるさくされるのが嫌なだけですよぅ? 眠る時は静かなほうがいいに決まっているじゃないですかぁ」
「うぅ? 禅は傍で誰かの寝息が聞こえたほうが安心出来るけどなぁ」
「ある日のこと。禅ちゃんが一人で寝ていると、一人のはずなのに傍からすぅすぅと聞き慣れない誰かの寝息が……!」
「ぴぎゃーーーーーーっ!!?」

 耳元で軽い怖い話をすると涙目になって叫ぶ禅ちゃん。
 あぁんもう可愛いですねぇ禅ちゃんはぁ!
 な、撫でていいですよね? 撫でていいですよねぇっ?

「こほんっ。……陸延さま」
「はうっ!? い、いえいえぇ? 延はべつに禅ちゃんを抱き締めてすりすりなでなでなんてそんな、えへへぇ」
「どうしてこの姉妹はこう、考え始めるとおかしな考えに……。隊長も時々……いや、結構……いや、大分……い、いや、今はそれはよしとしておこう。はぁ……陸延さま、氣が乱れています。集中を」
「へぁ? ……あ、あーあー! そうですねぇ、集中大事ですもんねぇ〜! では集中〜! へや〜!」
「……そしてどうしてこう、気の抜けるような掛け声しか出せないのだろうか……」

 その割りに氣は安定しているし……と呟く楽進さまには、なにかしらの苦労が滲み出ているように見えた。この国には“国のために”を思う人がたくさん居ますが、楽進さまも例に漏れずに頑張り屋さんです。
 頑張り屋さんだからこその気苦労があるのは解りますけど、子供たちの前でそれを見せるのはどうかと……って、違うんでしょうね。私たちだからこそ、そういうところを見せてくれるのかもしれませんね。

「大丈夫ですよぅ楽進さまぁ。延は冷静に周りを見ているつもりですから、他の子が解らないことも多少なりとも理解しているつもりですからぁ」
「“つもり”や“多少”など自信のない言葉回しを多用するあたり、隊長の血を感じます」
「過信は禁物なんですよぅ? それなら自信の無いことを意識して確実にやっていったほうが周囲も安心できますから〜」
「……はぁ。訂正します。隊長の娘らしい言葉です」
「それで、楽進さまはお父さんのどんなところを好きになったんですか?」
「《クワッ》それはもちろん隊長のお考えや目指す位置、そして国に対する在り方や遠く離れても絆を忘れないその暖かな《デシィッ!》きゃうっ!?」

 息を吐いて油断をしたところにお父さんの話を混ぜると、興奮気味にお父さんについてのお話を熱く語る楽進さま……の頭に、妙な氣を纏った石が飛んできた。
 驚いて可愛い声を出す楽進さまでしたが、ハッとすると真っ赤になって辺りを見渡す。
 あの氣は……癒し側の氣、ですかね。
 石に癒しの氣を混ぜて投げれば、そこまで痛くない……不思議な応用です。
 石が飛んできた方向を見れば、何かが慌てて隠れました。

「………」

 気になったので、足に氣を込めて走ってみると、突如として逃げ出す影。
 荒々しい氣を纏って走るそれは、てっきりお父さんかと思ったらまるで違う荒々しさを持っていた。近くに居るだけならとても心地よいお父さんの氣とは似ても似つかない。
 追って捕まえようとするも、足運びが異常に上手く、延ではまるで追いつけません。
 氣の扱いには慣れているつもりでしたが、まるで勝てる気がしませんでした。
 そうこうしている内に影は視界から完全に消えてしまって、そうなると延は息を乱しながらも立ち止まるしかありません。
 なんと逃げ足の速い。
 あれは恐らく、子桓姉さまでも周邵でも追いつけないでしょう。
 そして楽進さまが慌てていない様子から察するに、侵入者の類ではありません。
 ううぅん、まだまだ知らないことが多いですねぇ、この世界は。
 本当に、退屈だけはしなさそうです。

「………」
「? あの、陸延さま? どうかしましたか?」
「今の、侵入者ではないんですか?」
「えっ───あ、ああ、えぇと、……はい、違います。ですので追う必要はありません」
「………」

 意外。そう思うみたいに禅ちゃんが楽進さまを見上げます。
 あらあらぁ〜、そっかそっかそうですかぁ、禅ちゃんは今の人の正体を知っているんですね?
 と、普通でしたらここであの人物の正体を〜などと張り切るところですけれど、延はそんな無駄な努力はしたりしないのです。何故って、べつに正体を調べてなにがどうなるわけでもありませんからね〜……。私、陸延は静かに暮らしたいのです。なので無駄な刺激要素は睡眠時間を邪魔するものでしかありません。
 知らないほうがいいことだって世の中にはたくさんあります。
 その点で言うと、本で知ることは“誰に何を知ったか”を追求されることがほとんどないので安心です。
 本と睡眠。それだけあれば延は幸せですから。






-_-/パパん

 何かを為したあと、人はなにかしら声を発することが多い。
 走ったあとにわざわざ息ではなく声でフゥと言ってみたり、欠伸をする際にわざと声を高く出してみたり。
 闇夜の道を逃げ駆けたこの北郷めが最初に放った言葉も、きっとそれに類するものだ。

「不幸だ……」

 幻想殺しが言いそうな言葉だが、事実なのだから仕方ない。
 なにせ娘との至福の時……隠すことなどなにもない素の自分でいられた瞬間を、別の娘に邪魔されるどころか気づかれそうになってしまった上に部下である凪の暴走を止めるために石を投げてしまった。
 軽く自己嫌悪。
 “いっそもう全部ゲロっちまったほうがいいんじゃないか”と脳内の自分がカツ丼片手に語りかけてくるのだが、困ったことに自分がだらしないと認識させている方が娘達の成長が良いということも実証されているわけで、わたくしこと北郷一刀は今日も頭を抱えているわけです。

「大体、俺が普段から仕事していて、その合間に娘との関係にそわそわしている父親だとか知られたら、余計に引かれるんじゃなかろうか」

 その考えは多分正しい。嫌な予感ってやつはどうしようもなく当たるもんだ。
 だからこのままでいい。誤解されたままがベストなのだ。
 バレた時に全部を打ち明ければいいのだ。どうせ、知られたところで今さら何をって話しになるに決まっている。

「ぐうたらって思われてるだけで、嫌われてるわけじゃない……もんな?」

 疑問系が離れません。誰か助けて。
 いやいや、前向きに行こう前向きに!
 娘の成長を第一に願えばこそ、それが俺が望む未来ならば俺のため!
 そ、そう、これ、俺のためだよ? ツツツ強ガッテナイヨ!? 僕、強イ子ダモン!!

「……明日、時間に余裕が出来そうだからまたアニキさんのところ行くかな……」

 おやじの店は心のオアシスです。
 今度は華佗も連れて行こうかな……子供達におじさんおじさん言われてヘコんでたし。

「男って……辛いなぁ……」

 女が辛くないと言うんじゃない。ただこの世界での男っていうのが辛いだけだ。
 辛い……いやいや辛くない辛くない! 自分のためなんだから辛くないんだぞ一刀!
 そ、そうだよな! 辛くないならおやじの店で吐き出すことなんてないよ!? ほんとだよ!? だから明日は呉に行って、親父たちと飲み明かすんだ! 蜀のメンマ園で飲み明かすのもいいなぁ!(メンマ汁を)な、なんだ! 俺まだまだ行ける場所あるじゃないか! 辛くないよ!?

「…………また紫苑に親相談でもしに行こう……」

 心だけは出来るだけ前向きに、とぼとぼと歩きだした。
 ……が、ざわつく心は一向に治まらず、もはや誰も俺を止めることは出来ぬゥウウとばかりに走りだす。自室に辿り着けば書き置きをして、着替え一式が入ったバッグ片手に部屋を飛び出て。
 片春屠くんを使わず、己の氣と足のみで外へと逃走。
 家出……ではなく、子供たちが生まれてからというもの密かにしか出来ていなかった鍛錬をここで一気にという意味も含め、呉までの長い長い距離を駆け出した。

「氣と体捌きと木刀術と体術だけは立派と言われた北郷です。その力……忍者にも負けない! ……といいなぁ!」

 人にして人に非ず。日に百里も歩むとされる忍者に倣うように駆けた。
 国境で捕まったりもしたが、ここ八年でおやじの店に泣きに行ったり親父のところへ人生相談しに行ったりした俺にとって、国境なぞ顔パスでございます。泣いてませんよ?

「北郷さま……またですか」
「今度、自分たちと一緒に飲みにいきませんか? 都の酒屋には負けるかもしれませんが、村にいい酒を作る場所があるんですよ」
「…………《はらはらはら……》」
「だから泣かないでくださいってば! あ、ああもう、これだからこの支柱さまはほうっておけないんだ!」
「まあ、なんというか物凄く身近な偉い人だよなぁ……あ、ほら北郷さま、こちらへ。見張り交代の際に飲もうと思っていた酒がありますから」
「うう……人のやさしさが身に染みる……!」
「普段どんな生活してるんですか……」
「いや……みんなは今までと変わらず接してくれるよ? でもさぁ、娘がさぁ」
「もう娘はそういうもんだって思うしかないでしょう、それは」
「なにぃ!? 宅の娘が解らず屋だと言うのか!?」
「だぁあああああーーーーっ!! 面倒くさい人だなぁもう!!」

 親というのはいろいろと大変です。
 距離を取られていても可愛くて仕方が無い娘ならば余計に大変です。

「あ、いや、ごめん。これよかったら食べてくれ。俺が作ったお菓子」
「っとと、毎度すいません。喜んでいただきます」
「もうこれ、賄賂みたいなものですよね……」
「ああ……死ぬときは一緒だな」
「巻き込まないでください!」
「冗談だって。大丈夫、死ぬつもりなんて全然ないから」
「……とか言いながら、娘に大嫌いとか言われたら直後にでも首を吊っていそうなんですが」
「…………《はらはらはら……》」
「だから泣かないでください!!」
「とにかくもう行ってしまってください! あまりこういうところを見せると、後輩に悪影響しか与えませんから!」
「っと、そうだった。ごめんな」
「隊長と自分らの仲じゃないですか」
「北郷さまとの付き合いももう長くなりますしね」

 それでは、と頭を下げる見張り番に手を振って、先を急ぐ。
 さあ行こう。
 どうせ仕事は前倒しでやりまくっている。
 数日空いたって取り戻せるものだし、前倒し分の仕事もバッグの中に装填済みだ。
 装填って言い方なのは、ある意味仕事が戦みたいなものだからだとかそんなことはどうでもいい。子供ばかりに持っていかれている意識をこの世界へ戻そう。
 国のために。今はただ国のために───!

「べ、べつに寂しくなんかないんだからねっ!?《ポッ》」

 ……意味もなくツンデレ怒りをしてみたら、ぽろりと涙がこぼれました。
 深く考えるな北郷一刀。
 俺はただ子供たちが生まれる以前の俺に戻る。

(一刀……それでいい、気にするな……。そうすることで国に返すことが完全なる勝利なのだ。これでいいんだ全ては……)
(もっ……孟徳さん!?)
(父親とは縁の下の力持ちだ……。お前はそれを解き放つことが出来た……それが勝利なんだ……)

 などと脳内孟徳さんとともにブチャラティしながら駆けてゆく。
 特に考えもなく心の自分に敬礼をしてみるつもりで手を挙げてビシっとしてみたら、左手敬礼になった。……どうやら心の中の自分はまだまだ諦めるつもりはないらしい。敬意を払うどころか右手を見せずに心の刃を隠しておるわ……!
 なのでまだまだ諦めない。
 左手敬礼は不敬の証。顔でサワヤカ心に刃。左手で敬礼をするなと言う人々よ、それを見た時点で相手の心の中の刃を知りなさい。したくもない相手に敬礼をする場合は左手だ。汝、屈することなかれ。

「娘達よ……この北郷はただでは死なぬぞ………………いや、ほんと死なないけどさ」

 ぐうたらぐうたらと侮っておるがよいわ!
 いつかうぬらが我慢ならぬと我に刃を抜いた時、この父は真の壁となって巣立ちの時を祝おう! 世界は広いのだということをきっちり教えてあげるのだ! 大人気なくてもやるのさ! だってそこまでやって初めて、俺の目的……“我が娘らは立派な子に育ってくれた”という目的は達成されるのだろうから!
 誰かも言っていたじゃないか。
 人は何度か泣いて、本当の大人になる的なことを。
 なので泣かします。容赦なく泣かします。罪悪感に押し潰されそうな予感が滲み出てきてるけど泣かします。

「そのためには鍛錬!」

 どうせまたぐうたらしているんだと娘達が思っている間に、より一層強くなるのだ。
 そ、そしていつかこの父も娘達から見直されて、またととさまととさまってエヘヘ……はうあっ!?

「邪念雑念は捨てような! エイオー!」

 国境を越えて間もなく、自分でも不安な旅が始まったのでした。




ネタ曝しです。 *怒ってないよ凪さぁん! 私全然怒ってないよぉぅ!  怒ってないよミキコォゥ! 私全然怒ってナァーイヨォゥ!  ……ミキコ、スマイルアゲィン?  昔見たFlashより。ミキコ殺しますよ!? いっぺんブチますよ!? ぇあ!? *全軍突撃ィイイイ!!  ア、ア、ア、アナタタチミタイナシロウトニイワレタクナイデス……。  オ、オコッテマセンヨ、ワタシハ。  タダチョット、アノシロセメオトシテミタクナッチャッタナーミタイナゼングントツゲキー!!  大喬小喬にからかわれた朱里の反応。 *氣が頭上で滅の形に  殺意の波動に目覚めるとなんか出る。  神人、と無理矢理書く豪鬼さんとかが出す。 *心の臓! 止めてくれる!  カプコンvsエスエヌケイより、殺意の波動に目覚めたリュウの勝ちセリフの壱。  好きなボイスです。 *肝の臓! 止めてくれる!  肝臓が止められる。グリコーゲンが作られなくなって割りと大変。  カプエス4コマネタ。 *陸延は静かに暮らしたい  吉良吉影は静かに暮らしたい。  ジョジョの奇妙な冒険第四部より。 *不幸だ  とある魔術の禁書目録より、上条当麻のセリフ。 *人は何度か泣いて本当の大人に  ジャングルの王者ターちゃんより、ターちゃんがマイケルに言った言葉。  初めて流す悔し涙か。男は何度か泣いて、本当の男になるのさ。 *一刀……それでいい、気にするな……  ジョジョの奇妙な冒険第五部より、ブチャラティのセリフ。  あの言葉回しが凄く好きです。何回ジョルノ言うんですかってくらいジョルノです。  109話をお送りします、凍傷です。  今回流れに流れて3ヶ月更新ですよ。なにやってんでしょうねまったく。  ええ、正直に申しますと一月は年末年始のゴタゴタまみれで書く余裕がなく。  二月は途中までゴリゴリと書き、なんとなくで買ったDSのDQ7に無駄にハマってしまい、T樫先生状態に。  これはいかんと書き出して間もなく北海道へ旅立ち、その間は一切小説には手を出せてませんでした。  そして温泉宿とホテルに泊まったんですよ。  ンマーって感じのホテルでした。  温泉では北海道に行ってまでカツ丼食べました。  写真のカツ丼がやたらとおいしそうだったので。  でもやっぱり、まあ、その、カツ丼でした。  美味しかったですけど、カツ丼はカツ丼だったんだなぁと。でも揚げ餅美味しかった。  さて、北海道といえばラーメン。個人的にはそんな感じでした。  食べてみた感想は……スープが美味しい。でも麺はよくありの硬めで出されたためか、それが標準なのか、ほら、よくあるじゃないですか。スーパーとかで三食入りの生ラーメン。あの麺を少し茹でてすぐ上げたみたいな硬さとかん水臭さというのでしょうか、そんな味ばかりが目立ちまして。正直スープだけ飲んでいたほうが美味しかっ(略)  さて。  ええ、食事の話をしたかったわけじゃないんですよ。  問題があったのはンマーです。ホテルです。  宿では問題はなかったんですよ。  ンマーでは……ものすんごい胸糞悪くなるドス黒い夢を見たんですよね。  あんまりにもひどくて目を覚ましました。夜中です。  ホラーものが好きで、ビデオとかも見てるから妙な緊張とかあったんだろうなと、自分に呆れながらまた寝ました。  ええ、これだけなら問題ないですよ。  ……同じ夢見ました。続きです。  また目を覚まして、その次も。  ……目が見えなくなった女性が、目が見えなくなるまでは友達だった複数の男どもに乱暴された上に人生ぶっ潰されるっていう夢です。  不思議とンマー以外では見なかったその夢。  あそこでなにかあったのかなーと調べてみても、そういった噂は全くなし。  なんだったんだろうなぁと首を傾げるばかりです。  あぁ、あと。  お婆様の様子を見に病院へいきました。  最後に会ったのが十何年かくらい前だから覚えてもらえていないのは当然でした。  当然だったから逆に安心できたのかもしれませぬ。  いえ、それでも元気そうでなによりでした。  問題は会ったあとだったんですが。  実は凍傷、エレベーターが嫌いです。  使うくらいなら階段使います。  でもなんか流れで乗ることになったんですが……お婆様に会ったのち、降りる時に使いました。親戚一同結構ぎっしりと乗りました。  途端、親戚の子供が泣きました。まだ小さなお子です。  嫌〜な予感がしました。お子が「嫌だぁー!」と泣いております。  みなさんはそのお子が懐いている人が居ないからぐずっているんだと思ったようです。いえ、まあ実際そうなのでしょうが。  階段を使うつもりで離れていたその人は泣き声を聞いてすっ飛んできました。素晴らしい速さだすばらしい。  ええ、それで泣き止んでくれればなーと願っておりましたよ。ずぅっと、その人じゃなくて天井付近見上げてる子供に。  エレベーターの扉が閉まって、下に降ります。  で、妙な堰みたいなのが聞こえたと思ったら、エレベーターが途中で止まりました。  扉が開きます。誰も居ません。子供が泣いてます。誰も居ません。相変わらず斜め上を見て泣くお子に、嫌な寒気が襲ってくる。  なんかね、もうね、どうしろと、といった気分でした。  ンマーホテルに泊まったのがそのあとだから……ま、まさかねぇ。  ともかくそんな体験がありました。  全部僕の勘違いだったなら最高です。  そしてやっぱりエレベーターは嫌いです。  いや、絶対に勘違いだ。OK勘違い。  えーと、つまり何が言いたいかといいますと。  ホラーは好きだけど実際の怪奇現象は苦手です。  あと、小説の話に戻りますが、娘達が結構難しいです。  親に似てないのはきっと呂jでしょうね。性格的な意味で。  そしてこの言葉をあなたに。  更新遅くてすいませんでした。  ではまた次回で。 Next Top Back