167/きっと到るべきところへ到っても万能には程遠い。だって人間だもの。

-_-/孫登

 周囲の反応が変わった。
 どう、と訊かれれば説明するのはちょっと難しいかもしれない。

「はふ……」

 そもそものきっかけ、原因といったものは黄柄、周邵、劉禅にあるようで、三人が兵に“偉いのは親であり私ではない”といったことを言ったところから広まったらしい。
 兵はどういう経緯でそんな言葉を言われたかを話さなかったそうだけど、ともあれそんな言葉は覇王・曹孟徳にまで届けられ、“ならばしばらくは、他人からの必要以上に畏まらない態度というものを経験してみなさい”と……こんなことになったそうだ。
 その結果として、今大変なことを味わっているのは子桓姉さまだろう。
 遠慮を少し消した兵に踏み込んだ物言いをされ、誘われるがままに警備隊に入ったのだと聞いている。
 ……そんな子桓姉さまは今日も街を走り回っている。

「………」

 私はといえば、自分の身の振り方というものを考えていた。
 場所は中庭の東屋の脇。斜になっている芝生に座りながら、空を見上げての思考。
 子桓姉さまは国を知るために働き出したのだと言っていた……けど、目が泳いでいたから確実に嘘だろう。
 この歳で一人でなんでも出来るなんていうとんでもない姉だけど、嘘をつくのはとても下手だ。顔に出やすすぎるのだ。
 全てが嘘だというんじゃなくて、国を知るためってだけじゃないって意味なんだろうな。嘘だったかもしれないけど、立派だと思う。

「………」

 じゃあ私は?
 どれをやっても中途半端な私は、いったいなにをやればいいのだろうか。
 そんな心内を母に打ち明けてみた。
 ……なんだかんだと母に甘えている自分が少し嫌になるけど、自分じゃ向かう先の光さえ見えないような状況なのだ。焦りばかりが生まれて、それなのになにをどうすれば自分が良しと思える道を歩けるのかが解らない。
 姉が優秀で、妹達も優秀だと……挟まれる自分は周囲が怖くなってしまうのだ。
 こういう感情は一体誰に打ち明ければ晴れるのだろう。
 母は知も武も努力で手に入れたと言った。当然、それぞれの一番にはなれなかったけれど、自分の武や知が低いとも思わない、と言っていた。
 私もそれを目指せばいいのだろうか。
 ……解らない。
 私はいったいどうしたら───

「ふぅ。さてとぉ、次は愛紗のところの書簡の点検と、麗羽の……はぁ。麗羽のは理解するのに時間がかかるからなぁ……」

 ───などと思っていた私の耳に届く声。
 ちらりと通路を見てみれば、書簡を抱えて困った表情を浮かべる……公孫伯珪様。

「………」

 この、“通りすがたっただけ”というとんでもなく普通な出会いが、私を変えることとなった。


───……。


 何に惹かれたのか。白状すると、解らないと答える。
 ただ、本当になんとなくだったのだ。なんとなく、通りすがりなだけのその人に声をかけていた。
 私の声に気づいたその人が歩を止めて、振り向いたところへ私も早歩きさせていた足を止める。きっちりとした出会いは、そんな感じで果たされた。

「え? あ、ああ、子高、だったよな。孫子高。知ってる知ってる」
「いえ、私の名前は今はいいです」
「え───いや、名前は大事だろぉ。互いを知るにはまずは名前からだって北ご───あ、いや、誰かさんも言ってたし。あ、ところで何か用なのか? えと、まだ仕事が残ってるから、出来れば手短に済ませてくれるとありがたいんだけど」

 どこか男性にも似た喋り方をする人……だが、別にそれは珍しくはない。
 むしろこの都にはそういった人が多すぎる。母だってそうだ。

「単刀直入に訊きます」
「う……なんかまた面倒ごとが舞い込む予感……ああ、なんかもうどんとこい。周りが私に容赦無いのなんてもう慣れてる」
「……それは、なんというか、えと、とにかく。……伯珪さま。あなたは、なにか秀でたものはありますか?」
「あっはっはー、ほらみろー! 大して関係が深いわけでもない子供からもこんなに容赦ない言葉が出たー!」

 訊ねてみたら泣き笑いされた。
 た……単刀直入すぎたかも。謝ったほうがいいかな。いいかな。

「あ、あー、ちょっと待った。謝るとかは無しな。私はちゃんと自覚を持って生きてるんだから、そこで謝られるのは違うし、謝るのも違う」
「え……自覚?」

 自覚って……秀でたものがない自覚?

「そういうことを訊いてくるってことは、子高は才能とかで悩んでるのか?」
「───」

 きょとんとしているところに、一気に確信を突く一言。
 この人、話しながらでも随分と人を見る人のようだ。
 図星を突かれて軽く肩が跳ねてしまったが最後、伯珪さまは溜め息を吐いて「そっか」と頷いた。

「じゃあ、経験者としてはっきり言おう。そんな小さい内から才能がどうのとか……言っている暇があるなら少しでも鍛錬しろ。他がどうした。姉や妹が優秀だったらお前の成長が止まるのか? 違うだろ」
「っ……で、でも」
「でもじゃない。秀でたものがなくて平凡だっていうなら、平凡の中で最高の実力者を目指せばいいだけの話じゃないか。武でも知でも敵わないから諦めるなら、努力の意味なんて最初からないさ。向かう道が違うんだ、当たり前だろ」
「え……」

 向かう道? 平凡の中の最高って……?

「私もそのことについては随分と悩んだし、お陰で優秀な客将を昔の馴染みに取られたりしたこともあったけどさ。それでも今の自分にはきっちりと満足してるぞ? なにせこれが私なんだからな」
「…………強くなくても、偉くなくても、それでいいって……?」
「ああ。だって、そんなの誰が望んでるっていうんだ。私は望んでないし、他のやつらだって望んでないさ。広く浅くってのがそんなに悪いことなら、優秀なやつだけで国を作ればいい。言っちゃえばそれ、平均的な能力を持つやつは要らないって言っているようなもんだろ」
「あ……それは」

 そう、なのだろうか。
 でも、平凡で一つも秀でたものがないよりは、どれかひとつでも秀でていたほうがいいに決まって───

「それに、広く浅くっていうのはこれで、結構いいもんなんだぞー? なにせ急に空いた穴を、深くはなくとも手伝える。全てに秀でたものがなくても、全てが悪いってわけじゃないんだからな。だったらその全てを、他の人の平均よりも上げちゃえばいいじゃないか。そうすれば、他の人にはない、秀でたところはなくても限りなく万能に近い自分で居られる」
「───!」

 口ごもっていた私は、多分……その言葉で、自分の世界が広がる音を聞いた。
 そうだ、なにも悩む必要なんてなかった。
 秀でたものがないのなら、秀でていないそれら全てを以って自分を誇ればいい。

「一番にはどう足掻いたってなれやしない。でもな、私はこれでも、人を支える行動での一番にはなれたつもりだ。支柱がどうとかは抜いておくとして、」
「………」
「子供にしてみればこんなありきたりなこと言われたって〜とか思うだろうけどな、そういうのを受け取ってみると、案外新しい何かが見つかるもんだ。私も北ご───だ、誰かさんに会ったことでいろいろ変わった。劣等感ばっかりで、自分は目立たない存在だーなんて思ってた自分だったけど、別にそいつと同じくらいの能力が無ければ生きていけないわけじゃない。だったら私は“私の限界”で満足してやらなきゃ、誰も私を褒めてやれないんだ。劣ってるからなんだ。私は私の限界をちゃんと目指せた。頑張って頑張って、壁にぶち当たって、吐くほど鍛錬して、頭が痛くなるほど勉強をして。それでも届かない人が居るからって、自分って存在を自分が否定したら生きる意味までなくなっちゃうだろ」
「でも、それは自分を甘やかす言い訳にしかなりません。自分の限界を自分で決めてしまえば、楽をしてしまうだけです」
「本当の限界にぶつかってもいないやつが“ここが限界だ”なんて言うなら、努力なんて最初から無駄だろ。自分の限界探しなんて、やろうとしたってそうそう出来るもんじゃないし、時の運だって嫌になるくらい働いてくる。上手くいかなかったのが、誰かの何気ない呟きで軽く成功しちまうなんてことだって、本当に嫌になるくらいあるんだ。お前はそんな世界で何を見て、何を限界だ〜なんて断言するんだ?」
「あ……」

 それは、そうだ。
 人の限界なんて知らないし、自分自身の限界さえ私は知らない。
 だって、私はまだ成長出来る段階だ。
 これから先のことなんてなにも知らないし、今まで出来なかったことが急に出来るようになるのかもしれない。

「私の知る誰かさん曰く、“これで終わり”とか“そろそろ終わる”って考えは持たないこと、だそうだ。単純に考えている人ほどよく伸びる。壁にぶつかったからってここまでだって思うんじゃなくて、壁にぶつかったなら、乗り越えられたら自分はもっと自分を高く出来るって考えるんだ」
「自分を……もっと……?」
「そうだ。それが自然と出来るくらいに柔らかい思考を持てるようになれば、自分の限界なんて見えなくなるさ。自分の限界なんて、知らずに生きた方が楽しいぞ。夏侯惇や恋……呂布や、り……張飛を思い出してみろ。難しいことなんて考えないやつはみんな強い」
「…………それは、納得すると自分がひどく惨めになる気がします」
「しちゃえばいいって。それくらい“強さ”ってものに素直なら、才能なんてなくたっていけるところまでいけるんだ。……いいかぁ? 壁にぶつかったらな、まずはいろいろな人に訊いてみろ。頭が痛いことに、この都にはそれぞれの方向に向いた人が呆れるくらいに居る。武のことだからって武官に訊くんじゃなくて、知の方向にも相談してみろ。で、試せること全部を試してみて……」
「は、はい。試してみて……?」

 期待を込めた目で見上げる。
 伯珪様は“言ってもいいものか”って顔で少しだけ目を伏せたけど、すぐに“ええい構うか”って顔になって言ってくれた。

「……それでも壁を越えられなかったら、“この人には訊いても無駄だ”って思う人だろうが、一度相談してみるんだ。信じられないかもしれないが、そういうことで開ける道っていうのもある」
「無駄だと思うのに……ですか?」
「ああ。いろいろな人の言葉を耳にするっていうのは、それだけ方向性を枝分かれさせるってことだ。軽く試してみただけで進むべき成長の枝を見つけるなんてことは、私たちには出来ない。才能ってものがないんだから当然だよなぁ、ははっ」

 自嘲するような言葉だったけど、伯珪様は苦笑だろうと笑っていた。
 あなたはどうだったのかと訊いてみれば、「私はまだ限界を探してる途中だ」と、やっぱり苦笑。……なるほど、今の自分が限界限界言うのは、先人にしてみれば失礼なことなのだろう。

「だからまあ、今はがむしゃらに、出来るところまで突っ走ってみればいいって。何を言われても自分の考えを第一に置きたがる癖はなかなか消えないだろうけど、受け入れられるようになれば、枝分かれが激しかろうが試せる道はたくさん広がる。まずは人の言葉を耳じゃなく心で受け止められるようになりゃいいさ」
「耳ではなく、心で? あの、言っている意味が少し……」
「あ、あれ? 解らないか? え、あ、うー……えっと。つまりさ」

 コリ、と頬を掻いたあとに、伯珪様は説明してくれた。
 誰のどんな意見が来ようと、努力してきたヤツっていうのは今までを無駄にしないために、意地でも自分の意見を前に置きたがるものだ。
 けれどそれだけじゃ、自分が成長するための大切ななにかまで無意識に思考の隅から捨ててしまうことにも繋がる。だから、耳で話半分に聞くんじゃなくて、聞いた言葉も自分のものに出来るような自分になれと。だから“心で聞く”。
 それくらいが出来ないようじゃ、その人の言う限界なんてものは小さなものだし、強くなりたいと本気で思ってもいないのだと。本気で思っているのなら手段なんかにこだわってなどいられない。いられないなら、他方からの意見だろうが血肉にできないようでどうする。
 ……そういうことなのだそうだ。

「だから、誰々のように強く、なんて思うなってことさ。上を目指すのはいいけど、限界はここだって決めた時点で成長はしなくなる。経験談だ、疑らずに受け取ってくれ」
「む……難しいです」
「ああ、難しい。だから子供のうちに頭の中を変えちまえばいいさ。ただし、傲慢には育っちゃだめだ。出来て当然って思うのはいいけど、出来なかった時の周囲への迷惑は考えような。自分の強さでいうなら迷惑はかからないだろうから、そこは思い切りだ」
「余計に難度が上がりました」
「よかったじゃないか、目指す位置が高くなった。まだまだ伸ばせるぞ」

 軽く言ってくれる。
 けど、そのくらいがいいんだろう。
 だったら……なるほど、向かえばいいのか。

「相談することは恥ずかしいことじゃない。まず覚えるのはそこだ。そして、助言を貰うからには受け取れる自分になること。あ、でもあんまりにも押し付けがましい意見は……あまり参考にならないかもなぁ。夏侯惇や張飛あたりには気をつけろ。あれは教える気があってもこっちが理解できない」
「そ、そうなんですか」

 想像してみる。
 ……なんだかすぐに理解できた。
 “ここはどかんとやって、そこは近づいて殴ればいい”とか簡単に言いそうだ。
 いや、これじゃない。もっと簡潔に……うん。

(突撃と粉砕と勝利しか教えてくれなさそうだ)

 結果的にはそうなんだろうけど、それで何を学べというのか。
 私には無理だ。まだ私はそこまで理解力もないし、簡単なことでも難しく考えてしまうのだから。

「ええと。そこまで強さに素直な人が、実際に居るのでしょうか。少なくとも私は知りません。皆、自分なりの強さを持っていて、誰かから学ぼうとする人自体が少ないと思います」
「そうだなぁ。私もまだそういう意地は取りきれてないし、完全にってのは難しい。でも、強くなるために手段を選ばないって意味でなら……いろいろなやつに教えられて強くなっているってやつなら、一人。とびきりの馬鹿を知ってるな」
「ど、どういった方ですか!? 私の知っている人ですか!?」

 興奮。
 フンスと鼻息も荒く訊ねてみると、伯珪様はやっぱり苦笑。
 「知ってはいるけど、実は秘密の話だから教えられない」と言われた。
 残念だ。ひどく残念。
 その人にいろいろと教えてもらいたかったのに。

「それでその。その人はどのくらい強いんですか?」
「へ? あ、いやー……どのくらい、か。そうだなー…………」

 悩む、というよりは言うべきかを迷っている風情で、伯珪様が首を捻る。
 腕を組んでうんうん唸る姿が、なんだかひどく似合って見えるのはどうしてなんだろう。

「そうだな。まず……孫策に勝ったことがある」
「えぇっ!?」

 それだけで驚きだった! 大驚愕! あの叔母……雪蓮さまに!? 
 最近では華雄さんと戦ってばかりだけど、傍から見ても化物じみたあの人に!?
 ……って、まさかその人って華雄さん?

「星……趙雲からも一本取ってるな」
「ちょうっ……!? ……う、うわー、うわーうわーうわー!」
「あ、お、おい、興奮するなとは言わないけど、そんなに目を輝かせるなって」

 もっともっととねだるように見上げる私に、伯珪様は困ったような顔をする。
 けれど話してくれるようで、やっぱり迷うそぶりを見せながらもぽそりと言った。

「あと。偶然の要素も多大にあるけど、恋……呂布に勝ったこともある」
「誰ですか弟子入りします!!《クワッ!!》」
「うわっと!? だ、だから秘密なんだったら!」
「だってあの奉仙様ですよ!? あの人に勝つなんて何者ですか!? 陳宮さんが言うには、かつては雲長様や翼徳様を同時に相手にしても負けはなかったとか!」
「ねねの恋絡みの話は大げさになりやすいから、あまり信じすぎないようにな」

 興奮したまま、握ったまま少し持ち上げていた手をふんふんと上下させながら熱弁。
 ……思い切り引かれてしまった。

「では名前だけでも!」
「名前って。それ、全部教えるようなもんだろ……」

 呆れを孕んだ顔でキッパリ言われてしまった。
 けれどハッとすると、少しニヤケた顔で口にする伯珪様。

「そうだなぁ、じゃあ名前だけ。校務仮面ってやつだ」
「こうむかめん!」

 姓がこう、名がむ、字がかめん、なのだろうか……凄い名前だ、なんだか強そう。

「女性ですよね!?」
「お前、そうやってずるずる答えを引き出すつもりだろ……」
「うぐっ……だ、だって」

 気になるのだから仕方が無い。
 むしろ自分でも信じられないくらいに自分の行動に素直だ。
 前は武にも知にもこれくらい素直だったのに、今は自分の駄目なところばかりを見つけるのが上手くなって、素直に行動できなくなってしまった。
 褒めてくれれば嬉しいのに、他の姉妹とは違って出来が悪い私は、微妙な顔で見られるばかりになってしまってからは頑張る理由を見つけられなくなってしまったのだ。また微妙な目でみられるだけの時間が始まると考えてしまえば、事実がそうじゃなくても落ち込んでしまうものなのだ。

「まあ、見つけられたら弟子入りなんかしなくても、じっくりと教えてくれることは確実だ。もちろん、お前がちゃんとそうなりたいって願えばってのが前提だけどな」
「う………………あの。私なんて、最初はよくても途中で───」
「お前なぁ。そいつの前でそれ言ったら、絶対に次の日……いや、当日でも足腰立たなくなるぞ? そういう自虐はやめておけ。いいことなんてないから」
「でも」
「でもじゃない。説教にしか聞こえないだろうけど、“でも”で何かを考えてる暇があるなら、上達する道を探してみろ。つまらないことでも、探し続けていればほんの僅かな光くらいは見つかるかもしれないぞ。……まあ、そんな僅かも他の暗さに飲み込まれやすいってのはよくあることだけどな……はは……」
「伯珪様こそ、笑顔に陰が差してますよ……」
「報われない努力って辛いって知ってるからなー……。けどな、今のお前の歳でそれを唱えるのはまだまだ早い。私だって優秀な人材の中でもがきまくって、壁を知りまくって、へこみまくって、溜め息を吐き散らしながら生きてきたんだ。それくらいのことは先駆者として言ってやれる。まだまだ頑張れ。“頑張れ”なんて言うだけなら簡単だ〜なんて、言ったヤツに悪態つける元気があるなら、まずその“頑張れ”を言ってくれる人が居るだけマシだって思っとけ」
「……期待を込めてというより、表面上を繕って言っているような人でも、ですか?」

 本当はそうではないのかもしれない。
 心から頑張れと言っているのかもしれないけれど、自分にはそう見えてしまう。

「素直に受け取っておきゃあいいじゃないか、背中を押されたことには変わりない。頑張れって言われたら、“ああ”とでも“うん”とでも、“ありがとう”とでも言ってみろ。自分を変えるっていうのは、そんな些細から始めるくらいが丁度いいんだ」

 「……ていうか、些細なことくらいからじゃないとまず実行できないんだ。私たちみたいな“才能”ってものが一点に集中してないやつは」と続けて、がっくりと項垂れてとほ〜と溜め息を吐く伯珪様。
 ……なるほど、物凄く経験が積み重なったような溜め息だ。
 それに急に大きなところから変えてみろと言われても、確かに反発したくなる気持ちもあったのだ。言われなければ気がつけないくらい、自分は自分の些細なことすら変えたくないくせに、自分は何をやっても駄目だと言い続けていたのだと。
 そのくせ、自分のやり方には妙な誇りみたいなものがあって、他者の意見を心が受け入れようとしない。こんなんじゃ上を目指す気がないのと同じだ。強くなりたいのに、上手くなりたいのに他者の言葉を否定して自分が正しいと怒鳴り散らしているようなものだ。
 でも、自覚が出来たからってすぐになんとか出来るかといったらそうじゃないんだ。
 それが出来るならとっくに直していた筈だ。それが出来ないから、才能がないことを理由に逃げてしまうから、そして実際にやってみても上手くいかなすぎるから、心が挫けてしまう。
 そんなことを、私たちは言葉にしなくても解り合えてしまった。

「失礼かもしれませんが……他人のような気がしません」
「うへっ……よしてくれ、私はもう随分とひねくれちまってるさ。子供のように無邪気にとはいかないさ」

 やだやだとばかりに手をひらひらとさせる。
 少し年寄り臭く見えたけど、顔は笑っていた。この人なりの冗談らしい。
 けど、「ただ」と続ける伯珪様にきょとんとすると、伯珪様は少し笑って言ってくれた。

「先人として教えてやれることは結構あると思うぞ。別に、もう今さら自分より年下に追い抜かれて〜とか言う気分でもないし」
「でも、やっぱり悔しいですよね」
「……言うなよ」

 やっぱり解り合える気がした。
 私もそれは妹たちの実力を見て味わったことだから、悔しいのは解るのだ。
 それでも伯珪様は教えてくれるという。……いい人だ。この人はいい人。

「これでもいろいろと悔しくて、それこそ自国のやつらや他国のやつらに氣の扱い方とか強くなる方法とかを訊いたりしたんだ。さっきも言った通り、“自分の在り方”を自分で潰すようで辛かったけどな。……ぶっちゃければそれでも上を目指したかったんだ。形振り構うくらいなら、恥なんて一時のものだって思うくらいに」

 「いつまでも普通普通って言われるのが悔しかったからな」と続けるその表情は、当時を思い出したのか本当に悔しそうだった。
 ……私はたぶん、姉妹内で言う中の“普通”にすら辿り着けていない。
 伯珪様の表情を見るだけでも悔しいって感情が沸いてくるのは、その所為だろう。

「まあ、それにその。そういう気持ちを受け取って、鍛錬に付き合ってくれたやつもいるし」

 しかし、そんな悔しそうな顔が一転、ぽむと赤く染まる。
 子供心に“ははぁん”と思ってしまうあたり、私も随分と好奇心とかいうのが大きいのだろう。あまりこういうのは好きじゃないのに。
 ……基本、私たち姉妹は都に集まった軍師が管理する私塾で勉強をする。元は桂花様の私塾だったらしいけれど、あまりにも教える知識が偏っているためにという理由で、各国の軍師が日によって教えるという体制になったのだとか。
 なんでこんなことを思い出したのかといえば、まあ……そこで教えてくれることの中には、色恋についてのこともあるからだ。それが結構どす黒い。主に桂花様の所為で。知力向上を願って、民の中からも勉強をしに来る者も居て、かつ男の子も居るというのに“男は害虫である”なんてことを平気で言う。
 なので桂花様が担当する時間や日は、男の子がほぼ居ない。我慢強い子なんかは来たりもするのだけど……まあ、言うことはきついけれど知識は本物なのだ、仕方ない。……って、子桓姉さまが言っていた。その男の子も本気で自分の知を役立てたいって思ったから我慢したのだ、と。
 とまあそんなわけで。……人の黒さとか色恋については、困ったことに知っている。
 ははぁん、なんて嫌な思考が働いてしまうのも全部桂花様の所為だ。人の所為にして生きるのはやめようって思ったけれど、こればっかりは無理だ。

「それで、その。私たちのような才の無い者が強くなるには、どうしたら……?」
「ん。まずは才能って言葉なんて忘れちまえ。その言葉は邪魔だからなぁ」

 で、訊ねてみたら、あっさりとそんなことを言った。
 それは、解らないでもない。才能が無いなら才能才能言ったって仕方がないし。

「で、あとは自分に合った鍛錬方法を探すんだ。自分の中では何が一番伸びるのか。これが地味に時間のかかることでさぁ……って、愚痴なんか聞きたくないよな。……まあ、これが結構面白いことに繋がるんだけどさ。ようやく見つけた一つを伸ばしてみると、いつの間にか他のものも伸びてたりするんだ」
「他も……?」
「ああ。必死に勉強して必死に鍛錬してるんだから当たり前って言えば当たり前なのかもしれないけどさ。よ〜するに私たちは、他のやつらにしてみれば一点に集中してる“伸びるなにか”が全体にある所為で、時間はかかるけど万能にはなれるって感じだ。それが“広く浅く”だ。……はは、まあ、随分と底の浅い万能ではあるけど」
「えと、えと……?」
「ああ、ええっと。一言で言うとだな。……誰にも勝てないけど、誰の手助けも出来る。そんなやつになれるぞ。私はそんなものの一番を目指した。結果が今で、こうして書簡整理や纏めなんかをやってるわけなんだけどな。……周りにしてみれば雑用係りにしか見えないこれも、私にとっては“自分に出来る最高の仕事”だ」
「………」

 一瞬でも“それって結局雑用仕事なんじゃ”、なんて思ってしまった自分が嫌になった。だって、どんなものでも誰かがやらなければいけない“仕事”だ。
 そして、それは知力が高ければ誰にでも出来るわけでもなく、武力があるからって誰でも出来るわけじゃあない。どちらも高くて周囲に目を向けられる人じゃなければいけないんだ。それも、周囲に目を向けて、相手の言葉を自分の意地で潰してしまわないような人でなければ。

「……すごい」

 そう思えたからか、自然とそんな言葉が出た。
 伯珪様はそんな私の言葉にきょとんとしたあと、大きく笑ってから言う。

「すごいって思えるなら、進んでみりゃいいさ。その先で胸を張れれば、今までの上手くいかない自分なんて馬鹿馬鹿しくなるぞ」
「あ……は、はいっ!」

 ハッとして、伯珪様の笑い声に負けないくらいの大声で返事をした。
 ……向かう道を見つけた。
 それは、才ある人にとっては地味なものだと笑ってしまうようなものだろう。
 王の子なのにどうしてそんなことをと言われるかもしれない。
 でも、じゃあ訊こう。
 そんなことを言ってくるあなたは、私にどんな道をくれると言う。
 期待するだけして、駄目ならば溜め息しか吐けない口で、なにを願ってくれる。
 この道は、味わってみた人でなければ解らない。
 だから私は……たとえ歩みが遅くても、一番にはなれなくても、いつかはみんなの助けになれて、みんなにありがとうって言われるような人に……なってみせるんだ。

「ところで……その奉仙様に勝ってみせたお方は、才能に満ち溢れた人で───」
「いや。戦が終わって三国が落ち着くまでは、氣の扱い方すら知らなかったそうだぞ」
「えぇっ!? ……い、いえ、いえ……それってやっぱり才能があったからでは」
「いやぁ……それがさぁ。氣を使わない状態なら王の新鋭兵にも勝てないらしいぞ……? 何度か打ち合って、相手の動きを知って、ようやくついていけるってくらいだそうなんだ……本人が言ってた」
「えぇええ……!?」

 ……前略お母様。
 世の中にはよく解らない人がいっぱいのようです。





 後半へ〜、続く  丁度いい分割ラインがなかったので、容量的には偏りがあります。 Next Top Back