172/誤解、戸惑い、擦れ違い様に静泣

-_-/曹丕

 歯を食い縛って耐え、辛さに体を順応させてゆく。
 三日などとうに過ぎ、十日を過ぎてもまだ土まみれの日々は続いた。
 鍛錬以外に服を汚すことなどなかった自分にとって、警備隊の仕事は過酷だとはっきり言えた。

「はっ……! はぁっ……!」

 今日も青空の下、賑わう街を駆けている。
 無駄口は叩かない。
 無駄を口にすればそれだけ体力を消耗する。
 氣を使わないで動かす身体は、氣でそうするよりも遥かに重く、すぐに痛んだ。
 三日休むなどという余裕もなく襲い続ける痛みに顔が歪むけれど、街で起こる諍いは休息し終える時間など待ってはくれない。
 鍛錬で周囲に吸収が早いなどと言われ、調子に乗っていたと自覚すると、男を下に見る理由など霞んだ。
 女だから男だからなど関係ない。
 この天下は……男も女も居たからこそ叶ったのだから。
 ある日にそれを知った。
 将が女だけで、女だけが強いのなら女だけで戦っていると男が言えば、女は戦ったのだろうか。別の国が兵を連れて突撃する中、女だけが駆ければ果たして勝てただろうか。
 以前の自分だったら頷いていたかもしれない。
 男と見れば下に見た自分はしかし、氣を使わなければ警備隊の疾駆にさえ満足に追いつけなかった。

「ほれ新入りぃっ! ぼさっとするなぁ!」
「───っ!《こくっ》」

 無駄口は叩かない。
 前を走る、やたらと私に絡んでくる男に頷き返し、今日も諍い処理。
 魏の警備体制の見直しをして治安を良くしてみせた者とも長い付き合いとなる彼は、隊の中でも発言力がある。凪や真桜や沙和を除けば最も“彼”に詳しい人、だそうだ。よく話題に出る“彼”に付き合って鍛錬もしたことがあるらしいが、当日に吐き、翌日に全身筋肉痛で苦しみ、その翌日に行動が遅いと凪に怒られ、さらに翌日に少しずつ回復に向かい……その翌日に同じく鍛錬に付き合い、泣いたそうだ。
 そんな自分の過去を笑い飛ばして語る辺り、彼にとっては既にいい思い出らしい。

「頷くんじゃなくて返事っ! お前はいつでも誰かに見られているつもりかぁっ!?」
「目を合わせて頷いているのだからいいでしょう!?」
「返事がねぇから振り向いたんだろが! 警備隊に志願するやつなんざぁなぁ、民と楽しげに会話するところばっか見て“楽そうだから”なんて理由のやつばっかりだ! 実際やってみりゃあ一日目が終わる頃には死んだ目で吐いてやがる!」
「それが私となんの関係があるというのよ!」
「走ってる途中で逃げた馬鹿が居るんだよ! お前さんはついてくるがなぁ! だから面倒でも嫌でも返事はしろ! 足音で気づくだろうなんて返事は無しだ!」
「っ……《ダタタッ》」
「お、お?」

 後ろを振り向きたくないのならと、横に並ぶ。
 一気に身体に負担がかかるけれど、横に並べば先ほどと同じ速度で走ればいいだけだ。
 ふふん、どう? これなら文句はないでしょうと笑むように睨んでやると、彼は速度を落として止まった。

「おいこらー? 急いで何処行くんだー? ここだぞー」
「なぁっ!?」

 慌てて止まる。
 無理に止まった所為で余計に疲れて、だらしなく息を乱しながら戻ってみれば争いをしているらしい…………春蘭。
 ………………母さま。私、もう帰りたい。
 なんなの? 騒ぎを起こすのが民や兵じゃなくて、主に将ばかりってなんなの?
 ……い、いえ、落ち着きなさい曹子桓。
 こんなところでいちいち目くじらを立てていては、偉大なる母には追いつけない。
 私の目標は母を越える者になること。
 これくらいのことで動揺して、怒りに任せて今までの鬱憤を春蘭にぶつけるなど───

「だからさっきから言っているだろうに。小さな胸はあれはあれで良いものだと。お主はあれか。主と曹操殿との間に生まれた子の胸まで曹操殿と比較するという気か」
「華琳様の胸は至高だ! そしてその娘たる曹丕様も例外ではない! 日に日に成長してゆく曹丕様の胸を見ては、いつ膨らみが止まるのかとはらはらする日々だ! あれがもし華琳様のものより大きくなったとしたら、いったい華琳様はどのような反応を───」
「何を天下の往来で人の胸のことを熱く語っているかこの馬鹿者はぁーーーーっ!!!」

 ───無理でした。
 どうやら話し相手が居たらしく、趙雲が叫んだ私を見て「おや」などと呟いた。

「はっ!? そ、曹丕様っ!? 丁度良いところに! この愚か者が華琳様と曹丕様の胸を侮辱したのです!」
「私としては人が集まる中で人の胸のことを絶叫するあなたのほうがよっぽど愚か者に映るのだけれど!? そもそもそれはここでするべき話なの!?」
「はっはっは、いやなに、そこの茶屋で珍しくもこれと出会いましてな」
「貴様ぁ! 人を指差して“これ”とか言うな!」
「春蘭、少し黙っていて……」
「うう……曹丕さまぁ……」

 黙れと言われてしょんぼりする姿は、母さまに言われた時と変わらないらしい。

「私はまあ、酒ばかりなのでたまには茶を選んでみようと思い、こうして寄ったのですが。どうやら曹操殿にお使いを頼まれ……いや、強引にもぎとったのでしょうなぁ。買うべきものが書かれた“みに黒板”を持った愚か者が、ほれ」
「だから指を差して言うなと!」
「まあ、もぎとったという言葉は頷けるわね」
「曹丕様!?《がーーーん!》」

 それは解ったけれど、茶の話からどこをどうすれば胸の話になるのよ。
 そう問うてみれば、茶と筋肉の関係についてを語られた。
 お茶には筋肉に必要なたんぱく質なるものの吸収を妨げる成分があるらしく、鍛錬前後の摂取は好ましくないとか。「……だからどうしてそこで胸の話になるの」と問うてみれば、筋肉という土台がなければ、良い胸は成長せぬということを語ったらしい。
 ようするに覇王に喧嘩を売っているのかこの人は。

「喧嘩などとはとんでもない。私は事実を言ったまでであり、曹操殿の胸のことを勝手に語り出したのは夏侯惇だ」
「……え? そうなの?」
「ええ。私はただ、夏侯惇の胸のことを言ったまで。お主のように張った胸のおなごが茶を飲むと、将来的に大変なことになるぞと。……何故かそこから“ならば曹操さまの胸は永遠に輝き続けるなっ”と。ああ、曹操さま、という部分は真名で想像してくだされ」
「………」

 頭痛い。
 帰っていいかしら。割と本気で。

「本当なの? 春蘭」
「もちろんですっ! 華琳様のお美しい胸は永遠の輝きを───」
「そう。じゃあこのことは私からきっちりと母さまに伝えさせてもらうわ。よかったわね春蘭。あなたには母さまから、とてもありがたい褒美が下りるわよ」
「ほ、褒美……? そんな私はただ当然のことを……うへへ」

 とろけた顔でなにやら呟き始めた彼女をほうっておいて、溜め息を吐いた。
 そこへ、「大変ですな」と趙雲が笑いながら話しかけてくる。

「お願いだから、こんなくだらないことで警備隊が駆けつけるほど騒ぎを大きくしないで頂戴。走る方の身にもなってほしいわ」
「ふふっ、それは無理な相談だ。そうしたことの積み重ねで、街は日々を飽きずに過ごせるのですよ。誰か一人が楽をしたいからという理由で、人々の娯楽のひとつは消せませぬ」
「ええそうね、それが私にとっても娯楽であるのなら頷けたのでしょうけれど」
「ならば娯楽にしてみせればよろしい。苦痛も苦笑に、苦笑も笑みに変えられた時に、ようやく見える世界もありましょう。そうして笑んだ先で、それまでの自分を笑い捨てるか受け入れるかは自分次第。そこからを好きになさるといい」
「………」

 この都には様々な物事の“達人”が居る。
 言ってしまえば先人というもので、習おうと思えば様々を学べる。
 一歩進めばその道の知識の鬼に出会えるような場所で、覇王の娘なんて肩書きなどは飾りのようなものだ。実際、私はまだほとんどのことを知れていない。
 当初の目的である警備隊に入ったきっかけもまだだ。
 人に出会えばありがたいお言葉を齎され、その度に学ぶわけだけれど……学べ学べと言われ続けているようで、正直な言葉で言うのなら“疲れる”。ただ、学べることも事実であって、反発しかしない我が儘を振り翳すつもりもない。
 そう考えれば益々母を尊敬するわけだ。
 そんな人々の上に立ってみせた母。
 届かぬ存在と思ったことは何度もあるけれど、諦めようと思ったことは……ない、と言えないが、諦めるつもりは今のところはない。
 私は母に認められたいのだ。
 だから学べる既存は学びつくして、まだ見ぬ何かを自分で拓ける自分になりたい。
 ……そんな目的は、目の前の彼女が言うように“娯楽”に出来るものなのか。

(…………違うわね)

 出来るものなのか、と考えている時点で、出来るかじゃなくてやろうとしていない。
 してしまえばいいのだ。彼女だってそう言ったのだ、してみせればよろしいと。
 それを民が娯楽として受け入れられるのかと言えば絶対に違うだろう。が、決めた。
 私は私の目的を日々の糧とし生きよう。
 わくわくするのであればそれは娯楽と受け止める。

「おや。妙に顔つきが変わったと思えば。先ほどまでの疲れ果てた顔は、もう良いのですかな?」
「やりたくもないことを続けていれば疲れもするわ。ただ、そこに目的があるのなら、こんな疲れる日々も手段のひとつでしかないと気づいたのよ。母がよく言っているわ。様々を興じてこそ王だと。楽しんでやろうじゃないの、辛さも、謎解きも」

 フッと笑ってみせると、趙雲は遠慮することもなく笑った。
 本当に遠慮がない人だ。子供だからと遠慮は無用の通達は知っているのだろうし、今さら遠慮されてもとは思うけれど……この笑いは正直むかりとくる。

「目的といえば子桓様……おっと、遠慮無用とのことでしたな。では子桓殿。お主は警備隊の内情について知るために入ったと聞きましたが」
「ええそうよ。……傍に指示を出す者が居るところで言うべきことではないでしょうけれど」

 ちらりと見ると、一緒に駆けてきていた彼が、赤い顔でうねうねと奇妙に蠢いている春蘭をどうにかしようと必死に語りかけていた。
 趙雲は趙雲でそんな二人を見ては袖で口元を隠し、くすりと笑う。

「警備隊の内情か。なるほどなるほど、それはまた中々に愉快。しかし警備隊というものに入ったのなら、あまり苦労はせずに手に入る情報もござろう。あまり気負いせずに励まれるがよろしい」
「……くすくす笑いながら言われても、奮い立つのはやる気ではなく腹と苛立ちなのだけれど?」
「はっはっは、なに。お主が調べている人物のことは私としても無関係ではござらん。彼は私の友でもある。私が思うこと願うことは、どうかもっと彼のことを知ってほしいということだけ」
「友? あなたの?」

 ……それはまたなんとも。
 知るのが少し怖くなってきた。

「おや、微妙な顔。心配せんでも彼の人の良さは私と冥琳、ねねと焔耶が保証しましょう。実際に彼のお陰で警備体制も良くなったし、学ばされたことも様々だ」
「め……っ……あの周公瑾が?」
「学ぶということよりも冥琳の名に反応しますか。まあ解らんでもありませぬが」

 ふむと一息。それから彼女は語ってくれた。
 彼女と周公瑾と友達関係にある男のことを。
 聞けば聞くほど信じられないような人で、氣が未熟な時に周公瑾を命がけで救ったことがあり、仕合の際に趙雲から一本取ったことがあるそうだ。
 すごい。
 そんな人の名が知れ渡っていないなんて何かの冗談だろうと思うくらい。
 ……そこまで考えて、ふと思った。
 知れ渡るもなにも、もしや既に死んでしまっているのでは、と。
 だから知られることがないのではと。
 死、と考えて、ふと頭に浮かんだのが呂jの言葉。

  今、父と思っている人はお手伝いで、本当の父は───

 ……そこまで考えてぞくりと震えた。
 もしも、仮にもしもそれが真実なら、もしや私の本当の父はとんでもない人であり、あの父は育ての親というだけの話に……。
 だから情けなかったのだ、だから弱かったのだ、だから仕事などなかったのだ。
 “仮に”が頭の中にある疑いから理屈を固めてゆき、どんどんと答えを作る。
 その答えが私の中で固まってしまえば、もう私はあの男を父として見ることなど絶対にないだろう。それでいいのだ、と心が笑う。
 けれど……

  やさしく笑い、頭を撫でてくれた感触を、今でも思い出せる。

 そんなやさしさまで否定していいのだろうか。
 勝手に真実だと思い込んだことで否定しまって、本当にいいのか。
 ずっとなにかが引っかかっていた。なにかおかしいと思っていた。
 子供の頃、父を拒絶してしまったあの日、私は───

  まあとりあえず、俺は丕の前ではてんで仕事はしてないな。それは事実だ。

 …………え?

「あ……」

 丕の前で。
 あの日、父はそう言った。
 今でも思い出せる。苦い思い出だ。友達だと思っていた子たちに拒絶された日。忘れたいことほど忘れられない人って存在は、そんなことばかりを思い出せる。
 だから覚えている。あの時は悲しむばかりで拾えなかった言葉でも、なにかがずっと引っかかっていた。
 私の前では。私の前ではと言ったのだ、あの人は。

(待って……待って、やだ、待って)

 そうだ。
 考えてもみれば、私はあの人といつも一緒に居たわけじゃない。
 部屋にはずっと入れてもらえなかったし、自分が寝ている時だってあの人が何をしていたかなんてことは知らない。
 私はただ一方的に嫌っていただけだ。
 思い込みを抱いて、勝手に距離を取っていただけ。

(ち、違う。違う)

 そうだ、違う。
 もしそうだったら、私はただ一方的に誤解をして見下して、冷たい言葉を放って突き放していただけだ。誰も教えてくれなかったなんて言い訳にはならない。
 書類整理が主だと言っていた。支柱をやっているとも。そうだ、妙に棒読みみたいな喋り方だったけど、答えていたのに。
 自分のことでいっぱいいっぱいで、まともに受け取ることもしなかったのだ。

(………)

 最低な考えが頭の中をぐるぐると回っている。
 あろうことか、自分の罪悪感から逃れたいがために、父がだらしのない男であってくれだなんて思っている。
 そうじゃないことを望んでいたくせに、ひどい掌返しに吐き気がする。

「おや、どうかされたか?」
「……べつに、どうもしないわ」

 ただ、ひどく身勝手な自分に吐き気がしただけだ。
 一度こうと決めてしまうと、それをひたすらに基点に置くのは自分の悪い癖だ。揺るがないのはいいことだけれど、それは時に弱点になるわよと母にも注意されたというのに。
 ……少し頭を冷やしたい。強くそう思った。
 今の自分では冷静になれない。
 仕事に没頭すれば、まだ少しは───

(……弱いな、私)

 事実であろうことから目を逸らそうとした自分の中で、寂しがり屋な自分がそう呟いた気がした。
 けれどもそんな弱さも自分の中から湧き出る言い訳に埋め尽くされてしまい、次いで聞こえた春蘭と警備隊の上官(?)の喧噪によって消えてしまう。
 冷静ではない私は、すぐにその騒ぎに乗じて焦燥から逃げた。
 少しだけ、声が震えているのが解った。
 溜め息混じりに話す私を客観的に見る自分がひどく怖いと感じた。
 淡々と今の自分を冷静に語る、そんな自分。
 しょうがないじゃないか。だって怖いのだ。どうしろというのだ。思いつく限りの言い訳を並べようとしても、陳腐なものしか出せていない自分に呆れもした。
 その時になってようやく気づくのだ。

  ……自分はまだ、背伸びをしていた子供でしかなかったのだと。

 片親を見下して、大人になったつもりでいた子供だったのだと。

「あ……」

 事実を事実と受け止めた時、知らず……涙が滲んだ。
 やめろ、それをこぼすな。私は強くあろうとしてきたのだ。
 それをこぼしたら、私はもう《がぽっ》

「ふむっ!?」
「おっと子桓殿、すまぬ。手が滑って、食べようとしたメンマが貴女の口に」

 押さえ込んでいた弱さが外に滲み出した途端、途中から何も言わずに私を見ていた趙雲が私の口にメンマを捻りこんできた。
 少し口を切ったかもしれないが、血の味が滲むよりも先にとんでもない美味さが舌を襲うと、悲しみが一気に紛れて……心が混乱するのもお構い無しに「はっはっは」とわざとらしく笑った彼女は、この場を春蘭と警備隊の上官(?)に任せると告げると……私の顔を胸に隠すようにして横抱きにし、駆け出した。

……。

 ……しばらく走り、辿り着いたのは街のいずこかではなく城内。
 適当な部屋に入り、ぽつんと置いてあった椅子に私を降ろすと、彼女は「ふう、いい汗を掻いた」などと笑った。
 ……汗などかいているようには見えないが。

「……ここ、どこよ。というか、私は仕事中で───」
「それ以上は言わんでよろしい。時に仕事をサボるのも、まあ“おつ”というものです」

 私の言葉を、偉そうなのか砕けているのか、いまいち掴みどころのない飄々とした言葉が遮る。遮られた私は溜め息ひとつ、食って掛かろうと思ったものの……見たことがない部屋を見渡して、首を傾げた。本当にどこなのか。
 顔を胸に押し付けられていたために、どこをどう駆けたのかも解らない。
 ただ解ることは、この部屋には寝台もなければ、生活感と呼べる、人が暮らしている温度も感じなかった。
 あるのは椅子が二つ。向かい合うように置かれていたそれに私は降ろされ、趙雲は目の前にある椅子に座った。それだけ。……あ、いや。街で会った時と今とでは、違うものがひとつあった。

「二胡?」

 私の問いに、趙雲は“ふふっ”と笑うだけ。
 それの底をとんと床につけると、手にした弦で音を奏でて《ギキュゥウウウウウウィヨォオ〜〜〜ッ》ひぎゃーーーーっ!!?

「ちょっ、やめっ、やめなさいっ! 鳥肌がひどい!」
「おお、たったひと弾きで感動を与えるとは。いやはや、私の技術も捨てたものではないな」
「別の意味での感動よ! 飄々となんでもこなせるのかと思えば、二胡を弾けないの!?」
「おや。音色を聞いて鳥肌が立つのは感動の証だと、主に言われたことがあるのだが」
「音色ならばよ! 雑音で鳥肌が出るわけがないでしょう!?」
「はっはっは、これは手厳しい。ならば」

 すい、と差し出される二胡。
 え、と声を放つ間もなく、あまりに自然な動作だったため、流れるような動作でそれを受け取ってしまった。

「私が弾けないとでも?」
「もちろん」
「むっ」

 かちんときた。
 ならば弾いてやろうじゃないと構え、弾いてみれば……身の毛も弥立つおぞましい音色が。途端に力が抜け、「なんなのよこれは!」と叫んでいた。

「体験してもらったとおり、それは普通では綺麗な音色なぞ出せぬもの。大多数にとっては正しく役立たずのもので、直しもしないものだから誰の手にも触れられることもありませぬ」
「捨てないであるのはどうしてよ」
「なに、難しいことではござらん。何事にも例外があるということです。一人、これで綺麗な音色を出せる人物がおる。それだけの話です」
「これで!? 嘘でしょう!?」

 だとするならとんでもないことだ。
 と思うのと同時に負けた気分になったので、ならば私もと弾いてみたのだが……半刻を待たずにお手上げした。

「その人物に会わせなさい!」

 お手上げと同時だった。
 負けず嫌いとでも言えばいいのか、このままなのはなんだか許せない。
 うがーと吼えつつ二胡を趙雲に押し付け言うのだけれど、趙雲はとぼけた顔で返すだけだ。

「残念ながら今は都にはおりませぬ。いつ来るのかも解っていない上、人前でやることも限られている。というか、その者とよく一緒に居る人物も何度も試してはみたものの、結局上手くはいかなんだ。子桓殿でもおそらく無理でしょう」
「無理と思うから無理なのよ。やろうと思えば大体は出来るものよ。だから誰なのか教えなさい。私が知っている人物?」
「ええ、まあ」

 くすりと悪戯を好む目をしている。
 何かの策にでも嵌めようとしているのだろうか。

「さて、この二胡。直すもなにも、これが完成した形なのです。直したら逆に怒られてしまう。なにせその者、普通の二胡は弾けぬとくる不思議な人物。器用なのか不器用なのか。ああいえ、不器用なのでしょうなぁ。その方が面白い」
「随分と虚仮にするのね。身分の低い者……けれど城にも入れる? 楽隊?」
「さて。答えを唱えるつもりはありませぬ。ただ……」

 くっと弦を合わせると、趙雲は音を奏でた。
 先ほどのような気色の悪い音ではなく、きちんとした音色が……って。

「弾ける人ってあなたのこと!?」
「おっと」

 声を張り上げたら音は乱れた。
 ……もしかすると、よっぽど集中しないと音色と呼べるものは出せないというの?

「はははは、いやいやお恥ずかしい。白状すると、この二胡。氣を使うと良い音色が出るという変わったものなのです」
「え……氣!? 氣で音色が変わるの!?」

 ちょっと貸しなさいとばかりに強引に奪い、けれど品位は殺さず、心を落ち着けて、目を閉じて、そう……サアッと吹く風に揺らされる草原のような柔らかな心で、ゆったりと氣を込めて弾いて《ホギャァアア〜〜ォオオ!》殴っていいかしら! ねぇ殴っていいかしら! なにこの音! あと趙雲! 笑うならはっきり笑いなさい! 耐えられるのもそれはそれでむかつくわ!

「い、いやっ……失礼っ……! ぶっふ! 穏やかな弾き方の割りにっ……ぶふっ! 随分と賑やかな音色で……くぶふっ!!」
「〜〜〜〜っ……あなたって、本当にいい性格しているわね……!」

 しかし弾けないのも悔しいのと、嫌な音でも出して苦しめてやろうかという意地が沸いて出てきて、手放す気にもならなかった。
 ともかく弾いてみる。“弾けない”と理解したら“絶対に弾けない”と決めてしまうのは私の悪い癖だ。無駄を省いて時間を短縮、という意味では大事なことかもしれないが、それは大して学びもせずに全てを捨てるのと同じだ。

「……こう? いえ、こう?」

 加減を変えながら弾いてみるのだが、これが案外難しい。というより出来ない。
 キィ、きぃ、と嫌な音が出始めるとすぐに手を止めているのだけれど……本当に綺麗な音なんて鳴るんでしょうね、これ。……いえ、目の前でやられたのなら鳴ることはなるのよ。となれば、悪いのは私の腕だけ。
 二胡自体は偉大なる母に教わって、きちんと弾けるのよ。弾けないのはこの二胡が異常だからであって…………ああいえいえ、落ち着きなさい。だからといって“弾けはするもの”に対して悪意を持ってどうするの。心を落ち着かせて、そう……気分を尖らせては、どれだけ腕があっても良い音色は出せないと、母にも教わったじゃないか。

「すぅ……はぁ……」

 深呼吸。
 ……途端、吐いて、吸うという動作が私に懐かしい香りを届けた。

「………」

 随分と前の、温かかった光景が目に浮かんだ。
 心に届いたのは姉代わりの美羽と…………父の香り。そして……まだ私が素直に、あの人を父と呼んで遊んでもらっていた頃の情景。
 なんだか、ああ、なんて心が頷いてしまった。
 これを弾ける人、というのは、きっとあの人なのだろう。
 何を疑うかとかそんなこと以前に、この部屋に残る香りと二つの向かい合わせの椅子なんてものだけで、この心は“ああそうか”と受け入れてしまった。
 姉代わりであの人にべったりな美羽は、様々が出来る異常な人だ。あれがかつてはほぼ何も出来なかったと言うのだから、七乃の冗談好きこそが異常ととれる。
 むしろ努力した結果があれだというのなら尊敬は出来るけれど、あの人が居なければ途端におろおろする姿は見ていて少々あれだ。

「……はぁ」

 思い出してみよう。
 あの人をまだととさまと呼び、今では硬い表情ばかりの私が普通に微笑んでいた頃のことを。
 あとはその時の“楽しい”を氣に込めて、弾いてみればいい。
 上手に弾きたいから手に取るのではなく、誰かの笑みが生まれますようにと……べつに笑われたっていいのだからという心を込めて、弦を。

「───……」
「……? ほう」

 静かに弾いた。
 最初はぎちぎちと鳴ったそれは、けれど最初だけ。
 心があの頃に戻れば戻るほど穏やかになってゆき、いつかの笑顔ばかりが溢れていた日を完全に思い出した頃には、綺麗な音色となってこの部屋に広がっていた。
 けれどそこまで。
 あの人のやさしい笑顔を思い出せなくなった途端、穏やかさに雑念が混ざって音が狂う。
 当然だと思う。“楽しい”を音に込めた途端に音色となるのなら、楽しいが無くなれば音など出るわけもない。
 ……そうか。私は今、楽しんでいないのか。
 今というのは“今この時”ではなく、あの人から離れてからの日々だ。
 充実しているつもりだったけれど、つもりはつもりだったのだろうか。

(……だからといって、今さらどうこうという気にもならないわね)

 だから溜め息ひとつ、二胡を置く。
 楽しい気分で構えなければ弾けないものなんて、今の私には必要がない。
 母は様々を興じてこその王というけれど、私は王ではないのだから。

「もういいわ。戻りましょう。仕事をサボる気はないわ」
「そうですか。ふむ、これは中々の難敵。ちょいと揺らせばころりといくと思ったのだが」
「ころり? なんの話よ」
「いやいや、こちらの話。ところで子桓殿。聞けば今現在警備隊に居るのは、警備隊の活動内容を知るためだとか」
「え? え、ええ、まあ、そうね。それが?」
「いやなに、ふと思い到り……こう言うのはなんなのですが、子桓殿が望む過去の記録は、魏に行かなければないのではと」
「───」

 ちょっと待て。じゃなくて待ちなさい。
 そう、そうだ、そうじゃないか。
 そもそも私はあの人の過去が知りたくて警備隊に入ったのよ?
 でも、都入りしてからの彼は警備の仕事などしたの? というか仕事している姿を見たことすらない私は、都の過去に何を期待したのか。
 え? あれ? もしかして、また? またなの? またやらかした?
 結論を急ぐあまりに、答えを求めるあまりにやらなくてもいいことをやらかした?

(……あ、あの警備隊の兵、ぶん殴ってやろうかしら……!)

 って、考えてみれば彼は、私の警備隊の記録が見たいという言葉に対して当たり前のことを言っただけであって、べつに私を騙したわけでもなかったぁあーーーーーっ!!?

「……私…………私って……《ずぅううううん……》」
「お、おおお? どうされた? なにやら先ほどまでの元気加減が腐り落ちるほどの、暗黒を煮詰めたようなどす黒い顔色をしておりますが」
「いいの、ほっといて……ていうかいくら遠慮無用だからって、王の娘の顔色に対してその喩えってどうなの……?」

 ああ頭痛い。
 なんなのかしら、私。
 空回りばかりでいい加減うんざりだ。
 大体どうして私がこんな思いをしなければならないんだ。
 そうだ、そもそも詠が思わせぶりなことを言うから、こうして……!

「───」

 思わせぶり? 本当にそれだけ?
 彼女はただ、あの部屋には入るなと言っただけであって、別の場所───あ。

「っ!《ガタッ》」
「おぉっとと? これこれ、急に立ち上がるものではありませんぞ? 二胡が足元にあることを忘れられては───」
「趙雲! 書簡竹簡が片付けられている倉庫! 何処にあるの!?」
「…………」

 半ば叫ぶように言う私を見て、きょとんとする。
 けれどもそのきょとんとした顔は次第ににんまりと笑みに変わって、

「軽い仕事くらい任されているでしょうに、倉の場所を知らんとは……」

 やがてそれは呆れの苦笑へと変わった。うるさいわね、どうせ片付けは兵に任せていたわよ。

「生憎と真実に近づくことを口にする行為は認められておりませぬ。探すのならばご自分で」
「そう。なら真実は倉にあるということでいいわけね?」
「さて。それはどうでしょう」

 とぼけて言うが、顔は笑っていた。穏やかな、嬉しそうな顔だ。
 ……なんなのかしら。隠しているというのに真実に早く辿り着いてほしいみたいな、その振る舞いは。邪魔するわけでもないし、むしろ“さあさ”とばかりに行動を促してくる。
 そうなのよね。どうしてかあの人の部屋に入ることだけを禁止している。
 こうなるとあの部屋が気になって仕方がないのだけれど……それとなく禅に訊いてみる? ……いや、こういうのは自分の力で行けるようにならなければ意味がない気がする。
 そうね、真実を見てしまえば、いろいろ変わることもあるはずだ。
 その時は───

「…………」

 その時は。……どうするんだろう。
 掌を返すのか、それとも……。

「自分は自分のままに。……許されている分だけでも、好きなように生きればよろしい」
「っ……随分とまた、人の心を覗いたようなものの言い方をするのね」
「はっはっは、なにを当然のことを。都は人を見るには事欠かぬ場所ゆえ、人の考えを読むなど容易い容易い。特に素直でない者の内側となれば、もはや己の思考とさえ思えるほどに容易い」
「……そう。なら、あなたは好きなように生きているのね?」
「当然。許される限りに、友の現状を心配する程度には」

 …………。ここまで考えることがあれば、もういい加減解ることもある。
 彼女の友とはあの人のことだろう。
 そもそも私は彼の過去を知りたいから動いているのだし、その過程で出てくる者といえばあの人くらいのはずだ。

(ようするに)

 間違っていたのは私のほうだ。
 それを、少しずつ受け取っていく。
 確信にはまだ早い。ただ、見下していた自分を戒めるつもりで、一歩一歩自分を叱りつける。たとえ勘違いで終わったとしても、もう……辛い当たり方などしないように。

(さて、行きましょうか。真実までもう一歩。これで全てが解る筈だ)

 倉を目指して歩く。
 急ぐことはしない。きちんと一歩一歩を胸に刻むように、ゆっくりと。

(………)

 部屋を出て、兵と言葉を交わし、倉を目指す。
 倉のことを訊いた途端にぱあっと表情を明るくした兵に、少し呆れたけれど……もう少し。
 案内されるままに辿り着いた大きな倉。
 鍵がかけられていて、見張りをしていた兵は案内してくれた兵に説明されるとやっぱり笑顔。けれど私に一礼をしたのち、当然のことを訊いてきた。

「開けるのは構いません。が、どういった目的で? よほどのことがない限り、開けることは良しとされてはおりません」
「目的? それは───」

 あの人の過去を知りたいから……では、報告しようがないし、鍵は開けてもらえないだろう。見たい竹簡がある、なんてことも同様だ。言って開けてくれるのなら、悪事を働かんとする者の一人や二人、出てきてもいいくらいだろう。
 ならば? 賊では無理で私ならば出来ることは───……

「……その。わ、私が書いた竹簡に、誤りがあった気がしたから。それを調べるために、よ」

 自分の失敗を口にするようでとても屈辱的だ。けれど、これで文句はないでしょう? とばかり睨んでみせると、兵はやっぱり笑った。

「ははあ、それは仕方がありませんね。纏めて提出される分は手前側へと揃えてありますので、その中から探してもらうことになります。ああ、なお一度入っていただきましたら、隙をついての賊が侵入しないよう再び鍵をかけさせていただきます。調べ終えたら扉をのっくしてください。開けますので」
「そう、解ったわ」

 まずは安堵。
 なんだかとても嬉しそうに鍵を開ける兵を前に、ふぅと息を吐いた。
 そうこうしている内に錠前の鍵は開けられて、兵ら二人は『ぃよしっ!』なんて小さく言って拳をゴツッとぶつけ合わせていた。なんなのかしら、ほんと。
 どうぞと渡された、火の灯った燭台を手に倉の中へ。

「………」

 少し涼しく、しっとりとした空気に包まれる。
 奥へと進むと扉は閉ざされ、高い位置にある隙間と燭台以外の光はなくなる。

「さてと」

 さあ、調べものだ。
 正直に言えばどれをどう調べればいいかなど解らないし、そもそも私は父の筆記を見たことが無いから、どれがどれなのかも解らない。
 ただ、重要なものには落款印がある筈だ。
 ご丁寧に名前が書いてあるわけもないだろうが、印を探せばそれが近道となるだろう。
 魏でならば、北郷隊の隊長の印があればそれで解ったのだろうけれど……許昌に向かうのは時間が掛かりすぎる。ならばこちらで、責任者の名前くらい書かれているであろう竹簡や書簡を調べた方が早い。

「………」

 古いと思われるものから調べてゆく。
 よくもまあこれだけ溜めたものだと思うほどの量に、軽く眩暈を覚える。
 けれどそれでやめることはせず、ひとつひとつにしっかりと目を…………

  都の建築についての案件───北郷一刀

 ……いきなり見つかった。
 ちょ……ちょっと待ちなさい? こんな、ひとつ目で見つかるなんて予想外もいいところだわ。あ、いえ、そうね。そうに違いない。どうせこの古いものくらいしか書いたものがないという結果で───

「………」

 次。……北郷一刀。次……北郷一刀。次───次……! 次次々……!!

「な……なに、これ……」

 純粋に驚きの声が漏れた。
 なんだこれとしか言いようがない。
 同じ書き方、同じ名前、よく考えられた案。それらが書かれた竹簡書簡の数……。

「………」

 ぐるりと、広い倉を見渡した。
 書店ともとれるほどの広い場所にある、棚という棚に置かれたそれらの数。
 どれを取ってみても北郷一刀の名前があり、どれに目を通してみても落款印があった。
 そして、どれを読んでみても感心する内容であり…………私達姉妹が子供の頃からやっていた氣を使っての鍛錬が、北郷一刀が考案したものだということも解って───

「はっ……は、は……!」

 鼓動がおかしい。
 初めて怖いものに遭ったような、目には見えない何かに心臓を鷲掴みにされているような内側の圧迫感に息が荒れる。
 違う、違う違う違うと、自分の目の前にある事実を心が否定したがっている。
 なんだこれは。
 どうして、なんで。
 だって、ぐうたらな筈だ。仕事をしていたとしても、どうせほんの少しな筈で。

「っ……!」

 慌てて、新しい方のものを手に取る。
 見てみれば、そこにはあの人が家出する前に書いたものであろう、自分が居ない際に起こるであろうことについてのこと、それに対する対処法、済んだあとの警戒の仕方など、よく考えられたものがそこにあった。
 ……おまけとして、誰に向けて書いたのかは知らないけれど、“眠いです”と。

「………」

 “嫌な方向”での予想が当たってしまった。
 やはり寝る間を削って仕事をしていたのだ。
 呼吸があれる中で、古いほうから飛ばし飛ばしに書簡を見てみれば、私が産まれたばかりの頃のそれを発見。……もう疑う必要もない。そこには、“娘と仲良くする方法”とやらが書かれていた。

「…………っ……」

 “俺の鍛錬は華琳から見ても異常だそうだから、娘には見せないように夜中にやる”
 “仕事は夜に片付けよう。さっさと済ませて娘と遊ぶ時間を増やす”
 “となると部屋に入れるのはまずいよなぁ”
 “頭抱えてどたばたして処理するところを見せたくないし、よし立ち入り禁止”
 “美羽に鍛錬とかを任せてみている。結構順調みたいだ。つか、これ日記みたいだな”
 “いつか娘たちに聞かせようと二胡を猛特訓。でもやっぱり上手くいかん。何故だ”
 “なのでまた真桜先生。氣で奏でる二胡を作ってもらった。もうほんとなんでもありだ”
 “気持ちの強さで鳴る音が変わるっぽい。あの真桜さん? どうなってんのこれ”
 “切ない気持ちで弾いてみたらアアアアェイ゙!!って鳴った。……どうしろと”
 “ともかく楽しくなるのは確かだったので美羽の歌と一緒に奏でた。これは楽しい”

「……やっぱりあの二胡……」

 となると、彼女の友もやはりあの人。
 周公瑾とも友であり、命の恩人であり……

「………」

 “調理が上手くいかん! 丕に食べさせたら物凄く微妙な顔をされた!”
 “華琳の料理の後だったとはいえ合わせる顔がないので、甘味を届けさせた。そっと覗いてみたら、美味しいっ! と笑顔を弾けさせていた。俺の料理、そこまで微妙か……”

「甘味? 甘味って」

 “丕はどうやら、お汁粉とか綿菓子などが好きらしい。今度、驚かせる意味も込めて氷菓子でも用意しよう”

「氷菓子……あいす!? え……え!?」

 “どうやら氷菓子も当たりらしい。……料理は普通扱いなのになぁ。もちっと頑張ろう”
 “黄柄が酒が苦手という事実が発覚。祭さんが悔しそう。大人になったら日本酒でも送ろう。あれなら多分……いやどうだろうなぁ。気に入ってくれるように頑張ってみるから、部屋の扉蹴り開けて酒に誘うのは勘弁してください”

「日本酒……も……?」

 “……丕が俺のこと嫌いになったみたいだ。泣いた。泣いたと言うか泣いてる。だからね、七乃さん? 人が泣いている横で氣の二胡をぎこぎこやるのやめてくれません? いえ、だからってアアアアェイ゙は鳴らさなくていいですから”
 “仕事中、桃香がやらかしてしまった。なんと禅が部屋に来訪。仕事してる俺を見て、なんだか目を輝かせていた。……それから、禅がべったりになった。なんか感動した。他の娘たち、俺のこと嫌いっぽいもんなぁ”

「…………」

 “娘たちがやたらと俺を蹴る。……嫌われたもんだなあ。なにが悪かったんだろう。遊べる時間、頑張って作ってたんだけどなあ”

「っ……」

 “だからって手を伸ばさないんじゃ、今までの自分の道に嘘つくことになるよな、うん。積極的になってみよう。というわけで丕の部屋に”

「……あ……」

 “あなたなんかのために割く時間などないと言われました。ふふふ、だが甘いぞ丕よ。それしきで諦めるくらいならば、三国を回って歩いた際にいろいろ諦めておるわ。あ、でもちょっとオヤジの店いってきます。いえ折れてませんよ? ただちょっと生き抜きしたいなーなんてうわぁあああんん!!”

「…………ち、ちが……わたし、わたしは……」

 “寒くなってまいりました。ていうか雪降ってる。せっかく積もったのでいつかのように華雄と雪合戦をした。死ぬかと思った。雪って凶器だよね。物珍しさから、誘えば丕も来るかなと誘ってみたが、結果は……いつまで子供でいるつもり? と鼻で笑われてしまった”

「知らな……かったから……っ……」

 “いろいろ言われてきたけどその言葉だけは聞き捨てならん。童心こそ人の原動力だーと叫びたくなった。……なったんだけど、急に大声張り上げても今さら嫌われるだけだろうなぁ。そう思ったら素直に引き下がれた”

「知らなかったの……っ……」

  “夜間鍛錬に禅が参加し始めた。娘とする鍛錬……素晴らしい。なので調子に乗って自分の知る氣の使い方などを伝授。……やっぱり簡単に行使してた。人がどれだけ苦労したと……! やっぱり、俺って才能ないのかなぁ”

「う、うぅう……」

 “そろそろ心が辛くなってきたので旅に出ようと思う。探さないでください的なことはいつも通りだ。えぇとなに書こう。ああそうそう、最近隊長が誤解されっぱなしなのは、って言ってくれる兵が増えた。前から居たものの、むずがゆいけど嬉しい。けどまあ、今さら教えたところでどうせ最近になって始めたんだろとか言われるだけだろう。だったら今まで通り、誤解されたまま、ああはなるまいと頑張るほうが娘達のためになるだろう。これでいいのだ”

「───」

 ……目を通した言葉が胸に突き刺さる。
 掌返しは嫌いだ。
 だから、私はきっとあの人がどれだけ努力していたとしても、その結果を“なにを今さら”と笑っていたに違いない。
 なのに現実はこうだ。
 書簡の中には北郷隊に関することも書いてあって……いえ、むしろ母に向けた言葉までもがあって、そのどれもが私を心配する言葉や、姉妹を心配する言葉、そして世話になった将や兵、町人らに向けたものも書いてあって。
 それを見たら、耐えていたはずの涙がこぼれて……気づけば泣きながら、ごめんなさいを繰り返していた。


───……。


 あれから何度か日を跨いだ。
 警備隊の仕事は相変わらず続けていて、ただ……以前ほど身体は疲れず、少しは慣れてきたのだろうかと自分の手を見下ろした。 
 ああ、あと……男性を見下すこともなくなった。立派な掌返しかなと思ったりもしたけれど、そんな自分のつまらない意思よりも、父への申し訳なさのほうがあっさり勝ってしまったのだ。
 ……泣かされもしたし、あれは一種の敗北ととるべきで、負けたなら従う。それでいい。むしろそうじゃないと自分を無理矢理にでも納得させることなど出来そうになかった。

「はぁっ……」

 貰った休憩時間に大きく息を吐いた。
 最初の頃に比べれば、あまり汚れなくなってきた警備隊の服を見下ろして……誰かにどんなもんだと胸を張りたくなったのは、べつに言わなきゃいけないことでもないだろう。

「………」

 街の出入り口をちらりと見た。結構遠くにあるそれだけれど、あの人……父はまだ帰って来ない。こんなにもあの人……うう、父が戻ってくるのを待ったことなどあっただろうか。
 訊きたいことが、話したいことが山ほどある。許してもらいたいことも山ほど。
 情けないとは思う。でも悪いのは、答えを得たわけでもないのに勝手に誤解した私だ。
 だからひとりで謝りたい。集団の一人に混ざって謝るなんて、誤魔化しにも似たことはしたくない。そんな心境の表れなのか、姉妹にはあの倉で見たことは話してはいない私が居る。
 相変わらず父に対してぶちぶちと愚痴をこぼす姉妹に、そうではないのよと言いたい自分が自分の中で暴れているものの、そんなものは自分の今までを辱めることにしかならない。一言で言うと情けないのでやめた。
 “私は秘密を知っているんだ”という優越感に浸りたいという感情も、まあ……当然のようにあるのだけれど。

「はぁ……」

 憂鬱だ。
 父が偉大であったことは素直に嬉しいと感じた。申し訳ないという気持ちはその数倍。
 謝って許してもらえる問題かといえば……あの人のことだ、絶対に笑って許す。
 そんな確信はあるものの、今までが今までだったために謝ることに躊躇している自分が居る。大変、まことにひどい話だ。勝手に誤解して勝手に見下していたというのに、あろうことか謝らずに済むのならそれでいいのではなんて思っているのだ。
 これはいけない。

「うぅ……」

 呆れた。私はこんなにも父っ子だっただろうか。
 そりゃあ、母がああいう人だから……甘えるといえば父だった。
 悩みを話すのも父だったし、母は偉大だとは思っても……近寄りがたかったのは確かで。

「っ……《かぁああ……!》」

 少し考えただけでも立派な父っ子だったと自分で理解した。
 なんだこれは、ばかなのか私は、と頭が痛くなるくらい。
 けれどそれも終わりだ。
 素直になるのは難しいだろうけれど、これからは普通に───

「隊長が帰ってきたぞぉおーーーーーっ!!」
『!!《ババッ!》』

 誰が叫んだのか、その一言で街の人が一斉に都の出入り口へと目を向けた。
 私もその中の一人で、見れば視界のあちこちから警備隊の人たちが現れ、出入り口へ向けて駆けていた。

(ちょっ……ま、待っ……!? まだ、心の準備がっ……! え!? これ、私も行ったほうがいいのっ!?)

 行くべきなのは解っていた。
 戸惑った理由は、“隊として行くべきか”を悩んだから。
 その割りに、この身体はさっさと走ってしまっていることに、途中で気づいた。
 なんと言おうか。ごめんなさい? 許してほしい? 何も知らずに居てごめんなさい?
 いろいろな言葉が頭の中に渦巻いて、けれども兵や町人に囲まれて笑う父をみたら、そんないろいろなど吹き飛んでしまった。
 好かれるわけだ、当然じゃないかと彼の凄さを胸に、速度を落とした足を動かして前へ。
 周囲の人と話しながら城へ向かう父へ、期待を込めて声をかけて───

「あ、あのっ───」
「? …………」

 かけて…………固まった。
 父は私を一瞥すると、特に何を言うでもなく視線を戻して……私の横を通り過ぎた。

「え───」

 そんな筈はないと振り向いてみても、兵や町人は楽しげに話すのに夢中でそんな違和感に気づかない。
 どうして、と手を伸ばしかけるけれど、伸びきる前に心が理解してしまった。

  “どうしていつまでも構ってくれると思えた?”

 父である自分を見下す娘……そんなかわいげのない子をいつまでも見ている親など居ないのだ。
 結論が浮かぶと同時にやるせなさが込み上げて、それは次第に後悔という言葉で塗り潰されて……涙しそうになるのを空を見上げて堪えた。
 周りの声も聞こえないくらいの困惑に胸を締め付けられて、呆然とした。

「……ん? んおっ!? ちょ、隊長!? なんで泣いてるんですか!?」
「泣いてないよ!? 僕強い子だもん!」
「いやいやなに言ってんですか!」

 なにか騒ぎがあったような気がする。
 でも私は自分の中に浮かぶ後悔をどうにかするのにいっぱいいっぱいで、そんな言葉さえ耳に届いていなかった。




ネタ曝しです *アアアアェイ゙!!  呪いの館のイ゙ェアアアア!!を逆にしたもの。  オリジナル小説では“アアアアェイ゙!!、お茶”というのが存在する。  “お〜いお茶”どころではない。  119、120話をお届けします、凍傷です。  いやぁ……随分と遅くなりました、ごめんなさい。  黄金週間……ゴールデンウィークがやたらと忙しく、休めなかった腹癒せに、訪れた平日の時間に小説を読み漁っていました。  いやぁ、随分と良き気分転換になりました。  お陰で更新は遅れましたが……。  さて今回は、親子仲解決編……ではなく、こじれ編ですね。  人生って“今ぞ……!”って時に判断しないと、取り返しがつかないことが多々あり、今回はまあ……やろうと思えば取り返せますってお話。  好きなおなごが居るのに言い出せなくて、まごまごしていたら、そのおなごが別の人と付き合っていた、なんてことがないよう、全力前倒しで気持ちをぶつけられるように……なったらなったで問題もありますが。  今までの関係が壊れるかもって思うと、前に踏み出せませぬわなぁ……。  とある愛の物語を読んだのですが、なんてゆゥかアレでした。  おなごも男も両思いなのに言い出せず、ずるずると時は過ぎて、ようやく決心した男が告白をする、というものでした。  でもおなごは既に付き合っている男が居て、「今さらなに言ってるの?」なんて告白した男に言ったとです。  その時の僕の反応  「おいおいちょっと待てふざけんなァァァァ!」  おかしいでしょう。  言い出せなかったのはおなごも同じです。  なのに言おうと立ち上がった男が鼻で笑われて責められるようなこの状況。  ……言い出す勇気は必要だけど、やっぱり関係が壊れるのが怖かったのでしょうなぁ。  で、もやもやするくらいなら好きだと言ってくれた男と、という話。  …………なんだろうなぁ。好き同士で結ばれてほしかった。悔しい。  結局どうしたらよかったのでしょう。いえそりゃあまあ好き合っていた、なんてのは後で知ったことなんだろうし、お互いに気持ちを知らなかったなら、当時告白して上手くいくかなんてのはわからないわけで。  そういうのが解らないからこそ、そういう物語を欲するのでしょうかなぁ。  えーはい、てんで恋姫と関係の無いお話となりましたが、いつものことなので問題無し。  あと軽く女性といふ存在について考えていたこともあり、指が走らなかったというか。  軽く……か、軽かったのかな? 一時的におなごって怖い……!と本気で思ってしまったので、おなごだらけの作品に向かうのが少々。  しかしもう復活できたので、頑張っていきませう。 「さぁて、来週のサザザさんは〜?」 「ノリスケです。うちのタイ子が、鯛かと思ったら明太子でした」 「うちは両親が津波と漁船ですが?」 「………」 「………」  少し無理にでもテンション上げていきます。  さて、ではまた次回で。  長寿と繁栄を! Next Top Back