178/ようやく言えた、彼女の本音

-_-/曹丕さん

 私の父さまはばかである。
 ある日、霞さ……霞にそう言われた。
 笑いながら、顔を赤くして。
 ……今さらになるけれど、覇王の娘だからって真名を呼び捨てにしろというのは、繰り返すけれど今さらながらに物凄い抵抗を感じる。春蘭には遠慮なく言えるのだけれど。なにせそうしないと泣きそうな顔で見られるから。
 ええと、まあそれは置いておくとして、霞さま……霞、のこと。
 なにがあったのかを訊いたら、髪を下ろしていたところを見られ、似合ってるねと言われたとか。べつに今さらだろうにと霞さま自身は思ったらしいけど、顔は赤くなって、自分でも意外なくらいに嬉しかったらしい。
 どうしてそれで父さまがばかになるのかを訊ねてみた。いや、ばかだけど。
 人の悩みの矛先を周泰さまに向けるほど、ばかだけど。

「はふ」

 曇天の下、中庭が見える通路の欄干に両腕を寝かせ、顎を乗せて景色を眺める。
 出たのは溜め息なのか、ただの吐息か。
 私が父さまをひっぱたいて、はや一週間。
 今日も都は賑やかで、私は久しぶりの何も無い一日を堪能しているところ。
 “休みの日に思い切り休むのも、仕事をする者の務めだ”とは父さまと母さま、両者の言葉だ。
 ああいや、それはともかく、霞さまへの答えだ。

「贅沢な悩みよね」

 “人のこと真っ直ぐ見てあないなことゆぅてくんの、反則やん”、なんて。
 私なんて、引っ叩いてしまった罪悪感で、まともに話せていないというのに。
 ああそれは言い訳か。
 罪悪感というか、叩いてしまったことと怒ってしまった手前、謝られるまで許してあげないみたいな態度を取ってしまっている。
 ……や、もう、その。父さまにはとんでもない速さで謝られてしまったのだけれど。
 むしろ私自身が叩いたことにびっくりして、慌てて謝ろうとした瞬間には謝られていた。
 なんで? と訊こうとしたら、“娘の恋路に首を突っ込むなんて、俺は父親失格だー!”……ですって。いつの間にか私は周泰さまに恋をしていたらしいわ。ええもう本当に、どうしてくれようかしら、この父親って思ったわね。その時は。ええその時は。
 あとになって冷静に考えて……いえ、あとになってというのが、父さまが母さまに耳を引っ張られて厨房をあとにして、怒られてからのことになるのだけれど、そこから冷静になって考えて……結局私は嬉しかったのだ。自分のことに関して首を突っ込まれて、嬉しかった。
 だから誤解だと言いたくても既に父の姿はなく、私は少し寂しい気持ちを味わいながら、食器を片付けた。謝る機会も完全に失った。勘違いをしている相手に会いにいって、まず自分から謝らなければいけないというのは……これでかなり勇気が要るのだ。だって、周泰さまに恋などしていないのに、そんな誤解をばか正直にしてしまっている人に頭を下げるのだ。……出来ないでしょう。普通に考えて。
 しかも“それならば支柱を叩いた罰を受けよう”と覚悟を決めて、会いにいってみれば……父さまは“え? いや、柄も蹴ってくるし、それとあまり変わらないんじゃないか? 氣が篭ってない分、耳の近くとはいえ威力は柄のものより痛くはなかったし”……ですって。
 そういう問題ではないのに。私が父さまを叩いてしまったという事実が問題なのに。
 でも結局はけじめとして、この一週間は仕事が激務と化した。
 遠慮無用にあちこち走り回されて、最初は出来たけれど、途中からは夜の氣の鍛錬をやる余裕すら無くなっていた。父さまが考案した鍛錬法なのに、怠ってしまうとは情けな………………あれ?

(……………………あれ?)

 ……待て。何故私は父さまに罰のことを訊きにいった時、一緒に謝ってしまわなかった。
 またか! またやらかしてしまったのか!

「あぁもう……!」

 ……それから数日。
 父さまはすっかり見守る者だ。
 なにかにつけて周泰さまと私を会わせようとして、周泰さまに首を傾げられている。
 そうして見守る者なのに、ふとした瞬間に居なくなっていて、しっかりと仕事をしている。
 街中で子供たちに纏わりつかれて、二の腕に子供をぶらさげつつ“はっはっは”と笑う父を見て、子供たちに襲い掛かりそうになった私は悪くない。と思いたい。
 ……えと。それ、私のです。触らないでください。じゃなかった、私の父さまです。
 どうにもこうにも独占良くが強い。
 そのくせ、父さまが褒められると自分が褒められるよりも嬉しい。

「べつに……」

 べつに、既に好き合っている三国の皆様とどうしていようが構わない。
 逆に、私と同年代あたりの子らがじゃれつくのを見ていると……こう、もやりと。

「うぅ……」

 もう一度言おう。私は独占欲が大きい。
 “母に似たんだ”とは父さまの……いいえ? むしろ三国全員の言葉だ。
 母さまは否定もしないで胸を張って、“あら。独占出来ずして、なにが王よ”と笑った。
 手中に収めた上で、皆にも分け与える。それが母の言う独占らしい。
 ものの価値は、自分の手元に置いておくだけでは輝かないものが大半なのだそうだ。
 だから、一度手にしてみても、手からこぼしてみなければ解らない価値もあるのだと。
 それを父さまから学んだ、と……遠い目をして言っていた。
 多くの場合、手からこぼしたものは戻ってきはしない。
 だから“ものを見る目”を鍛えなさいと言われた。
 そういうものに出会った時、またはそうであると気づけた時にこそ、口に出てしまうこととは真逆のことをしてみなさいと。
 なんですかそれ、と返すと、母は笑って“ただの体験談よ”と言った。

(“泣きたくなかったら”……かぁ)

 言われた言葉を思い出す。母は泣いたのだろうか。よく解らない。
 あの母さまが泣くなんて、有り得ないんじゃないかなぁ。
 でも、人であるのなら泣くのだろう。なにがきっかけでそうなるかは解らずとも、きっかけがあればきっと。強くあろうと頑張っていた自分でも、たったひとつのきっかけで涙腺がもろくなってしまったのと同じように。

「うん」

 さて。そろそろ自分に戻ろう。欄干に置いた腕から顔を持ち上げて、曇天を見上げた。
 いい加減、私の中でいろいろと答えを出してみようと思う。
 一週間経った。
 父さまが遠巻きに見てくるのは、なんというか寂しい。
 周泰さまが首を傾げながらもいろいろと話してくれるのは楽しい。
 周邵と一緒にお猫様すぽっとなる場所へ行った。猫々しかった。
 妹たちとも随分と話すようになった。

 登は、なんのかんのと父さまの後を追うようになった。蹴りもない。三日ごとになった鍛錬の日には、父さまを追っては道着の端をちょこんと摘む。……まあ、お姉さまは寛大なのだ。べつに端を摘むくらい目を瞑る。妹は大事にするものだ。いや、家族は大事にするものだ。ろくに友達が居ない私だ、家族にはやさしくありたい。

 延は、なんというかその、自分の空間をとても大事にする子で、本人はぽやぽやしているのに近寄りづらい空気を持っている。父さまとの関係は、本当に親娘というだけ。立派であろうとぐうたらであろうと父は父だ、という気持ちは変わらないらしい。けど、父だから絶対に見捨てないし、見捨てることも許さないといった意志があるようだ。“見守る側に徹しているのよ。いざとなったら自分が泥を被ってでも仲を取り持てるようにね”、と母さまは言う。……私、もっと頑張ろう。

 述は、登とよく似ている。父さまのあとを追っては、いろいろな技術を教えてくれる父さまに随分とべったりだ。何日か前に甘寧母さまに“話が違う”と想いをぶつけに行ったとか。結果は、まあその、顔を赤くして照れつつ、夫の良いところを余すことなく暴露される、という事態に見舞われたとか。相思相愛のもとに生まれたことに、述が安堵して泣いてしまうくらいに幸せそうだったそうだ。もっと早く教えてあげればよかったのに。……当然述も文句を飛ばしたらしいけれど、“秘密が漏れることは言うなと言われていた。約束は守るものだ”と、それが当然といった顔で言われたらしい。

 柄は、隙あらば父さまに飛び蹴りをしている。けれど、今まで当たっていたそれはあっさりと受け止められ、威力を殺され、抱き締められ、高い高いや振り回しに移行。散々撫で回されたのちに解放されて、柄は妙につやつやした顔で戻ってくる。彼女なりの甘えなのだろう。そんな柄は言う。“蹴り込んではみているが、勝てる気は全然しないなぁ!”と、随分と嬉しそうに。平和でなによりだった。

 邵は、こちらも隙あらば……父さまの首に抱きついて、ぶらさがることを狙っている。なんでも今まで相当我慢していたようで、首に抱きついてぶらさがるのがとても楽しく、また、嬉しいらしい。今度私もやってみようかしらと言ったら、“ぜ、絶好のお猫様すぽっとを教えるので、それだけは……!”と必死な顔で頼まれた。なるほど姉妹だ。そういうところでは独占欲が強いらしい。思うに、様々な部分で父さまに“自分だけの何か”を望んでいるのだと思う。

 jは、相変わらず。父さまをお手伝いさんと呼んで、遠くから監視をしている。監視……観察ね。もっぱらの興味の対象が、勉強と父さまになったようだ。父さまをお手伝いさんと呼ぶ理由は変わらず“偉大なる父は死んだ”ということになっているようで、説いてみたって聞きやしないわ。調子の悪い絡繰は叩けば直ると真桜が言っていたけれど、一度殴ってみていいかしら。思っていたことを口にするように“お手伝いさんって誰よ”と訊いてみても、“お手伝いさんはお手伝いさんですよ?”とお決まりの返事しかくれない。いや……だから、解っているわよ。そうではなくて、父さまをそう呼ぶのはどうしてかと……。いい加減受け入れて、父さまを父さまと呼びなさい。

 禅は、……禅も相変わらずね。いろいろと理解を深めても、特に態度は変わらない。ただようやくととさまのことを話せますと、随分と嬉しそうだ。父さまとの接触は逆に少なくなったものの、代わりに鍛錬に夢中になっている感じ。何故かを訊いてみると、武で登や述に負けたくないから、だそうだ。父さまには自分が先に習ったのだから、という気持ちが強いらしい。なるほど、独占欲だ。

 ああ、そうそう。嬉しそうといえば、町人も兵もだ。正式に父さまのことが私たち子供にバレたと知れ渡るや、行く先々でそれはもう自分の自慢話のように話題を振ってくる。その顔は例外なく楽しそう。……どれほど信頼されているのだろう、宅の父は。

「んん……」

 纏める。
 つまり、みんな元気。……じゃなくて。いえ、元気だけれど。
 ……結局はこれなのだ。
 私、父さまと満足に話せていない。
 そもそも私はいつ誤解されたのか。
 そして誤解だと言ってもてんで聞いてくれないのは何故か。
 いろいろと考えてはみるのだけれど、ここでひとつ解ってしまったことがある。
 私、他人のことには頭は回るけれど、自分のことに関しては随分と駄目だ。
 それは述も同じようで、妙なところで話が合ったりする。周りを見る目が発達しているから妙に冷静になれる部分があるくせに、自分のこととなると途端に弱い。狼狽えることが多いのだ。
 なので一人反省会。
 ぱらぱらと降ってきた雨を見て、雨に澄まされてゆく空気を吸っては吐き出した。

「…………《こねこね》」

 無意味に、欄干に乗せた手を捏ねる。無意味と称したからには意味はない。
 さてどうしよう。
 せっかく仲直りをして、遠慮なく話せるようになった矢先にこの有様。
 そんな日々を一週間過ごして、私は随分と悶々としていた。
 なぜって、それは。

「恋? 恋……」

 父さまに言われたことをよーく思い返していた所為だ。
 父さまはこれが恋だと言う。
 父さまは母さまを見ていると、こんな気持ちになるのだという。
 恋というのはよく解らない。
 独占欲とは違うのかしら。
 傍に居てほしくて、自分を優先してほしくて、他の人に笑ってほしくなくて、構ってほしくて、でもたまには叱られたくて、自分にはもっといろいろな顔を見せてほしくて、笑顔を見ると胸が温かくて、そのまま頭を撫でられたり抱き締められたりすると、もう息が詰まるほど嬉しくて…………これが恋?

「違うわね。たまたま幾つかが一致しただけよ。数多くを照らし合わせてみれば、すぐに違うことが解るわ」

 恋は授業では習わない。
 けれど、大体の人に訊いてみれば“両親は好き”との答えが返ってくる。
 それはそうだ、私だって大好きだ。
 きっと、他の子供に負けないくらいに両親が好き。
 そうね、ええそう。べつに父さまに限ったことではないじゃない。
 私は母さまだって好き。当然じゃない。
 ただ少し、父さまを見ていると頬が熱くなって、思考が鈍くなるだけ。
 それだけの差など、べつに普通でしょう。
 妹たちはその時の私を見て、目が潤んでぽーっとしている、と言う。
 潤んでると言われても、べつに泣いた覚えはないのだけれど。どういうことかしら。

「なんにせよ、憂鬱なものね……。せっかくの休みに雨が降るなんて」

 せっかくの休日だったのに。
 出来れば父さまと一緒に、都巡りか……それとも片春屠くんに乗って魏に行きたかった。
 そこで父さまのかつてを知るのだ。
 もう、兵や民から呆れるくらいのことを教えてもらったけれど、それでも足りない。
 兵によって誇張されているのならされているで望むところだ。
 それでももっともっとと願ってしまう理由は、自分でもよく解らない。ただの独占欲だろうか。
 ただその、父さまのことは少しでも多く、誰よりも自分が知っていたいとは思っている。
 それは随分と自然に、私の行動理由となっていた。
 だから私は現状を嫌う。
 父さまが私を見守り、それだけならまだしも、周泰さまに会わせ続ける現状を嫌う。
 あれか。
 私が告白して断られでもすれば満足するのか。
 だとしたら、とても残酷なことだ。
 もはや男を見下していた頃の私とは違う。女性となんて有り得ない。
 だというのに、他でもない父さまがそれを望んでいるというのなら、私は今こそ目を潤ませて泣くのだろう。

「………」

 今日も今日とてそんな日々の一端。
 少し困り顔の周泰さまが、いつの間にか隣に居た。
 どうせ父さまの差し金だ。

「生憎の雨ですねー。お猫様たち、濡れていないといいのですが」
「…………」

 ぼう、っと、特になにも考えずにそんな言葉を聞き流した。
 どうしよう。どうすれば、父さまは満足して私に話しかけてきてくれるのだろう。
 やっぱり私が謝るしかないのかな。
 謝って、もし駄目だったらみっともないな。
 どうしよう、どうしよう。

「あ、あぅあぅあ……そ、そのっ……い、いい天気っ……では、ないですよね……!」

 困っている。
 私が何も言わないので、あたふたと。
 けれど私も困っている。
 どう返せばいいのか、どう話せばこんな誤解は解けるのか。
 どうすれば? …………そもそも父さまは勘違いをしているのだから、それを正すことは悪いことではない筈だ。誤解され続ける日々は私にとっては苦痛だし、そもそもせっかくの娘の休日なのに、以前の誤解は解けたのに、前のように遊ぼうとも言ってくれないとはどういう了見だ。
 ええそうよ! もう八つ当たりだって解っているわよ! でも仕方がないじゃない! 誤解されっぱなしで一週間! 好きな人(らしい)父さまに自分の気持ちを伝えようとすれば“周泰さまに”なんて言われて、引っ叩いてしまって謝ろうとすれば勘違いを継続のまま逆に謝られるし、その後はずうっと娘を監視とか!

「───」

 ぷつり。
 私の中で何かが切れた気がした。
 そう。そうじゃない。私は良い娘ではなかったのだから、こんなことは今さらだ。
 だから自分が思っていることは真正面からぶつける。
 むしろ思っていることすら言えないことを、覇王の娘であることの恥と知りなさい!!

「周泰さま!」
「《びくぅっ!》はうわっ!? え、えと、はいなんでしょう!?」

 びくーんと肩を弾かせた周泰さまに向き直って、真っ直ぐに見上げながら気持ちをぶつける。もはや迷うまい、惑うまい。というか周泰さまも私には“遠慮無用”でお願いします。少しずれているとはいえ、丁寧に話しかけられると調子が狂います。
 狂うけれど言おう。これが、私の本気だ。私は───

「私はっ! 父さまが好きです!《どーーーん!》」
「はいっ、私も旦那さまが大好きですっ《ぽむっ》」
「………」
「………」

 本気をぶつけてみたら、胸の前で手を合わせた満面の笑みで返された。
 …………あれ?

「え? あの……え? わ、私、父さまが」
「? はい。旦那さまは素敵な旦那様ですですっ」

 何故か“です”を二回言われた。
 わ……私はあなたが好きなんじゃない、と言ったつもりが、まさかこう返されるとは。
 と、呆然としていたら、ゴドォッて音がして、

「大変なのー! 隊長が倒れたのー!」
「い、いったいなにがっ……隊長! しっかりしてください! 隊長ぉおーーーーっ!!」
「うあー……めっちゃ幸せそうな顔しとるわぁ……。あー凪? 沙和〜? あんま動かしてやらんほうが隊長のためやでー……」

 なにやら父さまが幸せな顔のまま倒れたらしい。何事だろう。というか、いつもの三羽鳥も一緒だったらしい。覗きが趣味とはいい度胸だ。
 いや、今はいい。顔がとても熱いけれど、いい。むしろどこか清々しい気分だ。
 そうだ、私は独占欲が強い。それを言葉にして何が悪い。
 私は王ではないけれど、欲しいものを欲しいと言えずして何が“人”か!
 そこに遠慮や躊躇を混ぜるのは、言ってからでも遅くはない!

「周泰さま。父さまは私が周泰さまをお慕いしていると勘違いして、周泰さまを私のもとへと呼び続けているのです」
「ふえうっ!? え、あ、ええっ……あうわうあ……わ、私には旦那さまという人がーーーっ!!」
「だから聞きなさい! そうではないわよ!! っく!? 口調……ぁ、あぁもうっ……! すぅ……はぁ……───私に女色の趣味はありません! 大体にして恋がどのようなものかも知りませんし、まだまだ早すぎると思っています! 父さまは何事に対しても慌てすぎなのです! もっとどっしりと構えて、動じぬ努力を───!」
「あ、やー……子桓さまー? 隊長は案外どっしり構えとんでー……?」
「……? どういうことよ、真桜」

 言葉の途中で割り込まれて、つい睨みそうになるのを抑え、訊いてみる。
 と、凪が父さまに肩を貸しながら言った。

「隊長も数年で随分と落ち着きを見せています。ここまで慌てる様を見せるのは、子桓さまや他の子供のことに関すること以外ではそうありません」
「………………嘘でしょう? 見る度に慌てている印象しかないのだけれど。それは、まあ、時折見せる凛々しい顔とか、その、あの、いいなぁ、とは思うけれど」
「その凛々しい顔が、今の隊長の普通なの。親になったからにはしっかりしなくちゃな、って、随分と頑張ったの」
「………」

 まだまだ知らないことが多いらしい。
 むしろ私がまた、これが普通なのだと決め付けていたようだ。

「父さまは、あのやさしい顔が普通なのかと……」
「娘達の前ではやさしい顔なの。子供に緊張を与えてしまうのは父親失格だ〜とか言ってたの」
「ご立派です、隊長」

 立派なのだろうか。私は凛々しい顔も見ていたいのに。
 むしろいろいろな顔を見たい。
 ……これは恋ではなく憧れというものだろう。そもそも恋などをしてしまえば、私は母を恋敵として見なければならない。…………べつにそれはそれで面白いとは思う。敵対するのは、そうだ、構わない。ただこれが恋だとは、どうしても思えないわけだ。
 沙和の所持する阿蘇阿蘇曰く、恋とは日々と女を彩る形のない衣装。
 私はそんなことを意識してはいないし、父さまが似合うと言って買ってくれた服ならば、それこそこだわりなどなくなんでも身に着けられる。つもりだ。
 なので、こだわらない私は、着飾らない私は父さまに恋などしていない。
 恋をすると女性は綺麗になるそうだが、綺麗になろうとも思わない。ただ父さまが違和感を感じず、傍に居たくないと思わない程度の身嗜みが出来ていればそれでいい。
 ほら。これが恋であるわけがないでしょう?
 ふん、と鼻で笑ってみせた。拳を腰に、胸を張り。
 すると三羽鳥が同時に溜め息。
 ? なによ。

「さっすが……隊長の娘やなー……」
「すっごい鈍感なの……」
「あの、子桓さま。そういったことを、口にするのはどうかと」
「………………えっ」

 え? いや、え……え!? 口に出てた!?

「恥ずかしがることはありませんですっ、親が好きなのはとても良いことですっ!」

 一気に顔が赤くなる私を見て、けれど周泰さまは嬉しそうに言う。笑顔が眩しい。
 同時に、自分で“その好きとは違う”と思ってしまい、自分の感情に困惑した。

「う、えぅ……と、とにかくっ! 父さまっ! 私はきちんと男性が好きなんです! 女性となんて嫌だし、そのことで誤解されるのだって嫌です!」
「なっ……なんだってーーーーーっ!!?」
「ひえうっ!?」

 叫んでみれば、しっかりとした反応。
 どうやら既に意識は戻っていたらしく、バッと顔を上げた父さまは相当に驚いていた。
 ……そもそも倒れただけで、気絶はしていなかったのかもしれない。

「やっ……だって! あの華琳の子だぞ!? 女を好きになったって、なんら不思議はないかと……!」
「え? ………………あ、あの。父さま? 母さまは………………その」
「ア」
『隊長……』

 三羽烏の声が綺麗に重なった。
 こんな悲しそうな声で言うということはつまり、母さまは本当に……!
 じょ、女色、というもので……!?
 聞いた時には話半分で、まさかとは思っていたけれど、そんな、まさか……!!

「いっ……いやっ、いやいやいやっ! それが本当なら、丕が産まれるわけがないだろ!? かかか華琳だってもちろん男がす───」
「す……?」
「ス、ススス、ス……!」

 父さまがカタカタと震えながら続きを言葉にしようとする。
 けれど声は出ず、やはり“す”を続け……やがて頭を抱えて俯いてしまった。

「た、隊長しっかりするのー! 気持ちは解るけどー!」
「隊長! もう一息です! 気持ちは解りますが!」
「や、でもほらー……なんや? あれやろ? 隊長って華琳さまに好きって言ぅてもろてへんねやろ? 聞けばなんでもかんでも察しなさいで済まされとるとか」
「《ザグシャア!》ゲブゥ!? ……《ザドッ! ズシャアア……!!》」
「あぁーーーっ! 隊長が崩れ落ちたのーーーっ!!」
「まっ、真桜っ! いくら本当のこととはいえ、もう少し───!」
「今度は地面に妙な文字書き始めたのーーーっ!」
「凪かてひどいこと言っとるやん!!」
「うわぁああ違います隊長! 私はっ……!」
「だ、旦那さまっ! お猫様を見て癒されましょう! すぐに、すぐに連れていきま……っ……こ、ここから近いお猫様すぽっとは何処でしたっけ!? あうぁぅああーーーっ!!」

 三人が騒ぐたびに父さまが沈んでゆく。
 それに足して周泰さままで混乱し始めて、静かだった空気は完全にどこかへ行ってしまった。

「えっと……つまり、父さま。母さまは女色ではないのですね?」
「…………《ソッ》」
「隊長……そこで目ぇ逸らしたらおしまいやろ……」
「じゃあ真桜も質問されてみればいいんだ! 真っ直ぐに目を見て言えるか!? その質問に正直に答えられるか!?」
「うぐっ……《ちらり》」

 真桜がこちらを見てくる。ので、父さまが言うように質問してみた。父さまにした質問と同じものだ。……というかやっぱり父さまはこう、落ち着きが無い印象しかないのだけれど。

「あ、あ、えと、ほら、そのぉ……あれや。…………沙和、あと頼むわ」
「えぇーーーーーーっ!!?」

 そしてまた混乱。
 しかしここで埒が空かぬと感じてか、父さまがキリッと凛々しい顔になって……すぐに頭を抱えつつも言った。

「えぇっ……とぉお……その。華琳はな、お……俺と会う前は……いや、会ったあとも結構な女色家でな。今はそこまででもない……と思いたいけど、こればっかりは本人の趣向というか、まあそんなものだと思うし」
「父さまはそれでいいのですか?」
「それを含めての華琳だし」

 きっぱりだった。
 聞いているこちらの方が赤面してしまうほどの真っ直ぐさに、この場に居た全員が口を開けなくなってしまった。
 むしろ、自分もそんなふうに想われてみたいとさえ思えてしまった。おかしいだろうか。

「あー……隊長? 娘の前とか部下の前でのろけるの、あんませんといてほしいんやけど」
「……私もここまで想われるよう、努力しよう……!」
「うわ……凪ちゃんがとってもやる気だしてるの……!」
「大丈夫やーって。隊長ならどーせ、悩むことなくウチらも愛してるーとか平気で言うねんから」
「では旦那さまっ、私たちのことをどう思っていますですかっ!?」
「へ? や、好きだし、大事だし、傍に居て欲しい人だって思ってるけど……」

 訊ねられると、父さまは本当に平気で言った。
 それこそ“それが当然だけど、改まって訊いたりしてどうしたんだ?”ってくらいに。

「うあー……」
「隊長、いっつもすごいこと平気で言うのー……」
「は、はいっ、隊長っ、自分も隊長のことがっ!」
「あぅあぅああ……いつまで経っても言われ慣れないです……! 顔が、顔がちりちりと……!」

 四人はとても幸せそうだ。
 ……いいな、私もあんなふうに言われてみたい。

「でもなぁ隊長? 訊かれんかったらてんで言葉にせぇへんのはあかんで? 女っちゅーんはいつでもどんな時でも、好きな相手に好き言われたいんやから」
「お前は俺に、一日に何回好きって言えっていうんだ」

 ここには三国の王や将が集まってるんだぞ、と言う父さまは苦笑いを浮かべている。
 言われてみて思い出したのか、真桜も「あちゃ、そらそうや」と言ってきししと笑った。
 父さまは好きな人が多いのだろうか。それはそうか。でなければ、違う女性との間にあんなにも妹が出来るわけがない。
 でも倉で見た書物によれば、それは父さまが支柱だからとか同盟の証だからとかではなくて、きちんとお互いが好き合ったからだと知っている。そうでなければ、私はきっと恋なんてものにこんなにも興味は持たなかった筈だ。

「出会う人全員に好きって言ってたら、そのうち刺されそうで怖い」
「隊長が刺されたら、私はその者を刺し違えてでも潰します」
「怖いよ!? だ、大丈夫だって! 言ってみただけだから!」

 そうだ。父さまが刺されたなら、私はその人を許さない。
 凪が言うように、刺し違えてでも潰してくれよう。
 ……というかそんな命知らず、まず居ないわよね。
 父さまだってただでやられるとは思えないし、傷でも負わせようものなら……

「《ぶるっ!》っ……!」

 脳裏になにか、嫌な思い出が一瞬だけ蘇った気がして、すぐに頭を振る。
 お陰ですぐにそのなにかは消えてくれたけれど……二度と思い出したくはないわね。
 それがなんであったのかすらももう思い出せないが、それでいいと心が怯えている。
 いったいなにがあったというのかしら。

「え、えと。ところで、父さま」
「へ? あ、ああ、うん。どうした? 丕」
「はい。結局のところ、母さまは女性が好きで、けれど男性では父さまだけが好き、ということでいいのですよね?」
「《ポッ》……あ、ああ。うん。恥ずかしいけど、勝手に察するなら、そうだ」
「んっへっへ〜、隊長〜? 子供相手になに照れとるん〜?」
「隊長、照れてるの〜っ♪ かっわい〜♪《ごすっ!》ほきゅっ!?」
「《ぼごっ!》あだぁっ!? 〜〜〜っ……お、おぉお〜〜……! な、なにするんや凪〜〜〜っ……!」
「隊長をからかうな。……大体、華琳さまは真っ直ぐなお方だ。何人の女性に目を散らそうとも、隊長のことを深く想っているのは見ていれば解るだろう」
「そらそうやけど、なにも殴ることないや〜〜〜ん……」

 ……父さまの照れた顔を、間近で見てしまった。
 顔が緩む。た、耐えなさい曹丕、だらしのない顔を父さまに見せてもいいの?

「でも旦那さま、華琳さまからは未だに“察しなさい”としか言ってもらえてないのですよね?」
「ん……まあ。それも華琳なりの考えがあるからだとは解ってるつもりだけどね。前に丕に料理を作ってもらった時だって、この程度で満足してもらっては、って言ってたし……うん」

 恥ずかしそうに頬をこりこり掻きながら、父さまは自分で確認するように言う。

「俺が満足したら、俺がここに居る理由が無くなるかもしれない。無くなったら、また天に帰ってしまうかもしれない。そういう不安を抱えてるんだと思う……って、そうだよ! 俺まだ言ってないこといっぱいあるじゃないか!」
「え? あの、旦那さま?」
「あ、あー……悪いみんな! 俺ちょっと華琳に言わなきゃいけないことを思い出した! だから急で悪いんだけどこれで───」

 ? 言わなきゃいけないこと? それって………………ハッ!?

「す、好きと言いに行くんですかっ!?」
「違いますよ!?《がーーーん!》」

 訊いてみたら即答された。違うらしい。
 じゃあなんなんだろう……などと考えているうちに、物凄い速度で走っていってしまう父さま。追おうにも、あれは無理だ。

「隊長……足、速なったなぁ〜……」
「日々の鍛錬の賜物だな。私も付き添うものとして、恥ずかしくない己で在り続けよう」
「や、凪はもうちょい砕けたほうがええって。ただでさえ今の隊長、なんでか知らんねんけどほれ、蜀の関羽───あぁ、まあ真名許してもろてるからええか。愛紗を打倒するのが目的とかゆー噂があるやろ? 真面目で説教ばっかで〜、なんて続けてたら、凪ぃ? 今度は凪がそうなってまうかもやで?」
「《さああああああ……!!》た、隊長が………………自分を…………!?」
「きゃーーーっ!? 凪ちゃんがすっごい勢いで真っ青になってくのーーーっ!」
「あ、やっ! うそ! 嘘やで凪! もしもの話やもしもの!」
「でもでもですよ? そもそも関羽さんはどうして旦那さまに狙われることになったのでしょう」
「へ? そらやっぱしあれやろ……説教したり真面目すぎたり?」
「うわあぁーーーーーっ!! 隊長! 自分はっ! 自分はぁーーーっ!!《がんがんがんがんがんっ!!》」
「あわわわわ凪ちゃん落ち着くの! 落ち着くのーーーっ! 欄干に頭ぶつけてもなんにも解決しないのーーーっ!」
「………」

 なんというか、もうこんな光景を見慣れてしまっている自分が悲しいわね。
 警備隊でもこれなのに、どうして私は休日にまでこんな光景を見ているのかしら。
 遠い目をしながら、そっとその場を離れて移動を開始した。
 どこへ行こう。
 ここ最近では珍しくも、父さまの視線が外れた。そのことを意識すると、何故か逆に緊張する自分。べつに自然に出来ていたとかそういうことではなく、見つめられていて安心できたというだけ。
 ……おかしなことではないわよね? 子は親の傍では安心出来るというし。
 うん、自然だ。きっと自然。

「休日だし、休むと決めたからには揉め事は見たくはないわね。なら───」

 人があまり居ない場所。
 そうだ、あの部屋へ行って、二胡の練習をするのはどうだろう。
 あそこなら穏やかに過ごせそうだ。

「それに……今ならいい音が」

 出せそう。
 そう、頭の中に浮かんだ言葉を口にして噛み締めようとした途端、どこからか聞こえる騒音。次いで、父さまの声で「おぉわあーーーーっ!!?」と。
 最近やたらと父さま関連に敏感な自分は、意識するよりも先に走り出して、そのまま母さまの部屋へ。というより、未だ続いている騒音、喧噪の発生源がここだったというだけ。
 辿り着いたそこでは、…………え?

「こんのっ……ばかぁっ!! そういうことはもっと早くに言いなさい! 散々と悩んだ私が馬鹿みたいじゃないの!! 苦悩した時間を返しなさいこの能天気御遣い馬鹿!!」
「能天気御遣い馬鹿!? って、そんなこと言ったって俺だっていろいろ悩んでたんだって!」
「悩むくらいなら相談くらいしなさい! 大体、前に呉であったことに関してを話し合ったでしょう! 冥琳や朱里や雛里が一緒だったとはいえ、そのあとでいくらでも話せたことではないの!?」
「一人で考える時間くらいください!? 駄目だったらちゃんと話すから!」
「……ふぅん? あなたがそれを言うの? それで勝手に覚悟を決めて、冥琳に余裕がないと言われていろいろと考えを改めたと、たった今言ったあなたが?」
「《ゾスゥ!》ゲブゥ!? ぐっ……た、たしかにそれはその……!」

 ……喧嘩しているようです。
 父さまと母さまが喧嘩なんて、初めてかもしれない。
 やったことはあるのかもしれないけれど、私は……見るのは初めてだと思う。
 軽い言い合いを見たことはある。でもあれはじゃれあいだと、傍から見ても解るものだ。
 けれどこれは違う。明らかに母さまが怒っている。

「そもそもの問題点として、あなたは考え始めると周りが見えなくなるのだから、一人で考えるのはやめなさいと言っておいたでしょう!? だというのに懲りもせずに一人で考えて───!」
「やっ……夢のことじゃないけど、相談ならしただろ!? “目標を目指すことと自分を壊すことを同じにしないことね”って言ってたじゃないか!」
「だから何故その時に夢のことも言わなかったのかを言っているのよ!」
「余計な心配をかけたくなかったからに決まってるだろ!? せっかくこうしてみんなが落ち着いたり笑っていられる世界まで辿り着いたのに、死後のことにまで思い悩んでいたら素直に笑っていられないかもしれないじゃないか!」
「誰がそれを余計だなんて言ったのよ! 余計なんかじゃないわよ! あなたのことでしょう!?」
「言わなくたって察しろっていうのが華琳の───…………へ?」
「……? なに───……っ……!?《グボッ!》」

 言い争いが急に止まって、父さまがきょとんと。
 次いで、釣られるようにきょとんとした母さまが沸騰した。
 ……前略、黄蓋様。こういう時はこう言うのでしたね。

「……ごちそうさまでした」
『《ビビクゥッ!!》丕!? いつからそこに!?』

 ええっと、なんでしょう。
 馬鹿馬鹿しいと言ったらいいのでしょうか。
 相思相愛の両親というのはとてもいいものですね。
 今なら口から甘い汁とか吐けそうです。ほんと、なんでしょうね、この気持ち。

「あ、あぁああすまん、丕、今は…………。で、華琳。今の……」
「く、ぅうう……!! ええそうよ! あなたのことよ! 余計なわけがないでしょう!? 察しなさいとは言ったけれど、好意を好意と受け取るのは勝手だと言ったつもりであって、全てを勝手に受け取れなんて誰が言ったのよ!」
「………《ちょいちょい》」
「? あ」

 父さまが、母さまに叫ばれながらも部屋の扉を後ろ指で差す。
 私はそれを静かにぱたむと締めて、鍵をかけた。
 その間も続いている母さまの叫びは、どれもこれも父さまを思っての強い気持ちだった。
 聞いていて顔が熱くなるくらいの想い。
 想いってすごいな、恋ってすごいな、って、本当にそう思うくらい。
 なんて感動すら覚えた瞬間、扉がどんどんどんどんと殴られた。

「華琳さま! 華琳さまーーーっ!! なにやら騒音が! もしや賊が!?」

 春蘭だった。
 春蘭だったけれど……そういえばと考えて、驚いた。
 あの誰よりも母さまを優先させる春蘭が、私より遅く来るなんて───

「華琳さま! いったいなにが───ってあなたなんて格好してるのよ!」
「ん? なんだ桂花か。なんて、と言われても、見たままだが」
「なんで裸でここに居るのかって訊いてるのよ! とうとう頭でも狂ったの!? ……ああ、狂ってたわね、だからこうなったのよね」
「なんだとぅ!? 誰が筋肉ばかりが発達して頭が発達しない戦闘狂だ!」
「誰がそこまでっ………………言えるわね。で? あなた今までどこに居たのよ。その格好で今まで騒がれていなかったってことは、倉に居た私よりちょっと前に来たんでしょう?」
「んん? ああ、先ほどまで華琳さまに言われていた日課を済ませていた。以前街中で趙雲と胸のことに関して語っていたんだが、その褒美にと天に伝わる心を引き締める儀式とやらを、他の皆には内緒で伝授してくださったのだ!」
「…………やり方は?」
「裸になって冷水を浴びるのだ! 冷たければ冷たいほどいいらしい! ふはははは! 浴びるたびに身がみしみしと引き締められていくのを感じるぞ! どうだ! 貴様もやってみるか!」
「やらないわよ! いいから服を着なさいよ!」

 ああ……あの時の罰、まだ続いていたのね……。
 ともあれそんな外の騒がしさも、秋蘭が辿り着いてくれたようで一応の治まりをみせたようだ。なによりも「ふ、服を着てくれ、姉者……!」という切実な声が、妙に人を黙らせるほどの力を持っていた。
 誰が悪いわけでもないのに、外に気まずい空気が流れているのがこちらにも伝わってくる。勘弁してほしい。こちらも結構大変なのに。───と、視線を向けてみれば、いつの間にか抱き締め合っている両親。
 ひぅ、と小さな悲鳴が漏れて、慌てて手で目を隠した。……隙間から覗いているのは内緒だ。

「……あなたね。なんでもかんでも抱き締めればいいとか思っていないわよね?」
「届かせるなら、すぐ近くじゃなきゃ。大体、華琳だってなんでもかんでも溜め込んで、こういうことが起こって、勢いがつきでもしなきゃ全然口にしないじゃないか。 “非道な王にはならない”って、ちょっと気にしすぎじゃないか?」
「う……、……そうね。それは、あるわ。これでも気を張っているもの。言動のひとつひとつに気を使わなければならないしね。なってみて、こうして平和を生きて、改めて思うわ。覇王というのは“楽しく”はあっても“楽”ではないわね」

 言いながら、母さまは父さまの背に回した手で服を掴み、父さまは胸に抱いた母さまの頭をやさしく撫でている。
 そして私はさながら空気だ。
 ……そ、外に出ていたほうがいいのかしら。というか先ほどの父さまの合図、あれってもしかして扉を閉めろ、ではなくて“今は二人にしておいてくれ”っていう退室の合図だったのかしらと今さら苦悩。またやらかしてしまったのかもしれない。
 いえ、これも恋の勉強になる。きっとなる。なるはずだ。してみせる。だから居る。うん。
 とりあえず出来るだけ気配を消して……ああいやいや、急に気配が消えたら気づかれる。
 特に父さまはそういうのに敏感な筈だ。
 だからこのまま、息を殺す。
 外からは相変わらずどんどんとのっく。
 静かになさいと叫びたいのを我慢して、もはや騒音など茶飯事なのか、特に気にせず二人の世界に居る両親を前に、苦笑を浮かべた。

「……本当、なのね? 私が死ぬまで、あなたはここに居るのね?」
「貂蝉の言葉が正しいなら。むしろ正しくなければあんな夢、全部覚えていられないよな。夢なんて、覚めれば大体忘れるものだし」
「……そう。それは………………ええ、それは」
「それはって。えと、言いづらいことか?」
「うぅ……」

 母さまがこしこしと、父さまの胸に自分の匂いをつけるように顔を押し付ける。
 う、うあああ……あの母さまがあんな……! 熱い、顔熱い……!

「その。……居るのよね? 一刀が何かしらに満足したからといって、突然消えたりとかは……私が満足したから、とかは……」
「ん、ない。死ぬまで一緒に居る。死んでも一緒に居る。ていうか……な。この世界に俺が居る理由が無くなるまで、同じ覇道を歩かせてくれ。終わりじゃないって思えればいつまでだって続くだろうしさ。俺はそんな道を、悔いが残らないように歩きたい」
「…………〜〜〜っ……」
「《ぎぅうう……!!》お、おぅっ……!? ……ははっ……」

 強く強く抱き締める。
 母さまの顔は、胸に埋まって見えはしない。
 けれどきっと、なんとも言えないような嬉しい顔をしているのだろう。
 だって、私だったらあんなこと言われてしまったら、自分でも見たことがないほどに顔が緩むだろうから。

「……ずっと、ついてきなさい」
「おおせのままに、我が王」
「ずっと、傍に居なさい」
「もちろんだ、パートナーさん」
「ずっと、好きでいなさい」
「言われるまでもないって、華琳」
「それから……それから」
「ん、なんだ?《ぎゅっ》……っとと」

 さらに、強く抱き締める。
 服を握る手にも余計に力が入ったようで、いったい母さまはこれからなにを───



  「……好きよ、一刀。あなたを愛している」



 ───なにを、どころじゃなかった。
 停止した。
 思考も、体の動きも、いっそ外から聞こえる扉を叩く音さえも、自分の耳は受け入れようとしなかった。
 ただ、母さまが放った言葉だけを確実に耳が受け止め、その事実を受け止め、やがて……それらの意味を理解したのちに、ようやく静かに、鼓動の音を聴覚が拾った。

「え───か、かり……? 今……、す、好……?」
「………」

 胸から離れ、父さまを見上げる母さまの顔は真っ赤だ。
 そんな母さまを見ていたら、私も自然と顔が熱くなった。さっきから熱かったけど、余計に。
 目が潤んでいる……あんな母さまを見るのはやっぱり初めてだ。
 私も潤んでいる時はあんな顔なのだろうか。
 そんな母さまが悪戯っぽく笑う。笑って、言うのだ。

「あら。返事は聞かせてもらえないのかしら?」

 と。
 途端、大慌てで返事をしようと口を開いた父さまに、背伸びをしての不意打ちの接吻が炸裂……えぇえええええーーーーーーっ!!?
 ひっ、ひうぅっ!? かかさま大胆っ……かかっ……か、母さま! 母さま大胆!

(う、うぅう……! 恥ずかしい……! 父さまと母さまが好き合っているって知れたのは嬉しいけれど、これは……!)

 生き地獄とでも言えばいいのかしら。
 いえ、嬉しいのよ。本当に嬉しいのだけれど、逃げられもしない上に、目を逸らすのもなんだかおかしな気分で、実の親の接吻現場をこうして見せられて、しかもそれが……すぐ終わるかと思ったら随分と長くいたしてらっしゃって、もう丕は、丕はどうしていいのか……!
 そう。すぐに済むと思ったそれはしかし、本当に随分長く続き……私が真っ赤になってあうあうと戸惑い、目が回ってきたところでようやく終わってくれた。
 ほう、と息を吐くのも束の間、

「だ、だから……あなたねぇ。なにも泣くことないじゃない」

 どうやら父さまが泣いたらしい。背中しか見えないから解らないけれど……えと。父さまって割と泣いている気がして、泣いたと聞いてもあまり、こう……なんて言えばいいのか、言葉が思い浮かばないわ。こういう時ってもどかしい。
 そ、そうね、もう十分に勉強したのだし、父さまの涙をそんな、じいっと見つめたいなんてきっといけないことよね。出ましょう。そっと出て、春蘭たちにも事情を話せばいいのよ。
 そう、ここは速やかに───

「姉者っ、あまり強く殴りつけると華琳さまのお部屋の扉がっ……!」
「大丈夫だ! 鍵というのは強く締めれば勝手に閉じて、思い切り殴れば勝手に開く! つまりは思い切り殴ればここも開く!」
「いいからその前に服を着なさいって───あ、あーーーーっ!!」
「ふんっ!!」

 どごぉん。
 強い音だった。
 頭の中で奏でた音のなんと可愛いこと、なんて思えるくらいに大きな音。
 苦笑を漏らしながら取っ手に手を伸ばしていた私は、その苦笑のままに固まった。
 ……鍵が今の衝撃で変形して、妙に絡まって…………扉、あかない。
 え……え? 嘘でしょう!? だって、今後ろでは父さまが泣いてっ……かかか母さまが父さまを屈ませて、頭を胸に抱いて……! 母さまが見たこともないようなやさしい顔で頭を撫でて! あ、あう! あうーーーっ!!
 だめ! なんだかこの先は見てはいけない気がする!
 娘としての私の中で何かが大きく変わってしまいそうな気がする!
 ちょっ……開いて!? なんで開いてくれないの!? 鍵っ……ちょっ、壊れて!? どうせ変形して固まるくらいならいっそ壊れて頂戴!!
 あ、ぁあああ……! さっきまでのが二人の世界だなんて勘違いもいいところよ!
 これが……今この時こそが二人の……! だ、だってあんな母さま見たことないもん!
 フッと笑うことはあっても、あんなに穏やかな顔なんて!

「こ、のっ……! いいから開きなさいと───!」
「んん? なにやら引っかかっているな……なに、ならばもう一発だ!」
『せぇのぉっ───!!』

 氣を込めた全力の一撃と、遠慮を忘れた、というかする気もなかったらしい一撃が、外と中から見舞われた。結果、余計に鍵は捻れ、金具が扉や縁に突き刺さったりめり込んだりして、余計に開かなくなった。
 こうして私は脱出できなくなり……深く愛を確かめる親を背に、頭を抱えて時が過ぎるのを待ったのでした。



  …………なお。

  考えてもみれば窓から逃げればよかったことに気がついたのは……

  やらかしてしまったというべきか、相当あとになってからだった。




ネタ曝しです。 *な、なんだってーーーーっ!  MMRより、隊員のお決まりのお言葉。  驚くことがあれば“な、なんだってー!”や、“なんですってー!”と叫ぶ。  電話中、背中を向けながらの“なんだってー!”は随分と寂しい気がした。 *相当あとになってからだった  せっかくなのでこれも。意識はしてなかったけど、思い出したので。  涼宮ハルヒの憂鬱より、キョンくんのアレ。  宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力や悪の組織(略)この世に存在しないのだということに気づいたのは相当あとになってからだった。  小説では“宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力者”ではなく、“超能力”なんですよね、これ。“者”がついてないんです。アニメから入ると違和感が凄かったという例。  126話をお送りします、凍傷です。  最近寝ても寝たりません。  朝起きるとハイ眠たい。そんな毎日。  当然眠気はあとを引いて、夜になる頃には意識をよく飛ばします。  不眠症の方に半分お譲りしたいくらいです、もう今この時も目が霞んで、頭から胸へかけて、なんとも言えぬ見えない重りをつけられたような感覚で。  ええとまあそんなことはどうでもヨロシですね。  さて126話。  恋と愛のお話。  華琳さまが我慢を無くした日とも言えます。  一刀くんを満足させないためにいろいろと頑張ってきたところへ、あの夢の話です。  そりゃあ今までの苦悩を返しなさいとも言いたくもなりましょう。  でも結局は我慢することございませんと言われたようなもので、受け入れられればあとは、と。  それらを間近で見る子供というのはどういう心境でしょうなぁ……。  むしろ凍傷は自分の両親のそんなものを見てみたかった気もします。  あ、唐突ですがここからおまけ入ります。  おまけ番外IF/ある日のトラウマ  -_-/かずピー  曹丕が生まれてからしばらく経った。  首がすわり、ハイハイから立ち上がるに到り、やがては不安定ながらも走れるようになった頃。大体転ぶが、まあそんな頃。 「ととしゃまー」 「おぉ、どうした、丕〜」  でれりとした顔を自覚しつつも愛娘に視線を向ける。  といっても丕は膝に乗せて抱き締めているので、見下ろすカタチになる。  東屋の円卓から見る景色は、なんとも賑やかでもあり穏やかだ。  現在は凪と焔耶が軽い仕合をしていて、本気ではないものの、中々の寸止め攻防を繰り広げている。 「あれは、なにをしてりゅんでゅしゅか?」 「あれか? あれはなー、鍛錬っていうんだ」  まだ舌が上手く回らないらしく、“してるんですか”が“してりゅんでゅしゅか”になっていた。敬語のような口調は、多分周りの将からの受け売りみたいなものだろう。 「たんれん?」 「そう、鍛錬。強くなるために、守りたいものを守るために、頑張ってるんだぞー」 「まもりたいもの……んん、わかんない」 「んー……そうだなぁ。たとえば丕が大事にしてるものがあったとして───」 「ととしゃまー!」 「へ?」 「ひ、ととしゃまだいじー!」 「………………《きゅん》」  いや、きゅんじゃなくて。 「そ、そそそそそっか。そっかぁあ……!! あ、そ、それでだな。……俺も丕が大事だよ」 「えへへぇ、うん!」 「…………俺……このまま死んでもいいかも……」  でもなくて。 「つまりだな、丕が大切にしているものが、急に壊れちゃったら嫌だろ?」 「うう……やー」 「だよな。うん。そうならないために、こう……自分で守るために、自分を強くするんだ」 「つよく……?」 「そう。いつかは丕もああして、自分を強くしていくようになるさ」 「うん! ととしゃまとかかしゃまは、ひがまもるー!」 「《じぃいいん……!》……良い娘……!!」  撫でまくりました。  前略おじいさま、一刀は、一刀は幸せにございます。  今なら幸せの絶頂に立っている自信があります。  動かない漫画家の読み切りの中ならば、浮浪者の怨念に襲われる確率が100%と言えるほど幸福です。  そんな中、丕が「おろしてー」と言い出したので、そっと下ろす。  下りた彼女は凪と焔耶の寸止めの攻防を見て、目を輝かせていた。  こうなると子供というのは真似したがるもので、「へやー!」とか「てやー!」とか言いながら俺の足にぺちぺちと拳を当ててくる。  くすぐったい。でもこれってちょっと違う。そう思いながら、大笑いしたくなるのを耐えた。 「おいおい、丕ー? ととさまが大事なら、ととさまを殴るのは本末転倒じゃないかー?」 「ほんま……? むずかしいこと、わかんない」 「そっかそっかー」  首を傾げつつ、ちらちらと鍛錬をする二人を見ながら拳を振るう。  たまに蹴りもしようとするが、まだまだバランスは上手くとれないらしく、途中で止めている。  そんな時だった。  中庭の二人が互いに礼をして、鍛錬を終了させた。  丕は急に終わってしまった鍛錬にこてりと首を傾げながらも、続きがあることを期待するようにぺちぺちと俺の足を叩いてくる。  しかし当然鍛錬は終わっており、続きなどあるはずもない。 (まあ)  だったらこっちも終わりにしよう。  そう思った俺は、良いところ悪いところを指摘し合っている凪、焔耶に視線を向けている丕にもきちんと聞こえるようにと、少し大きめの声で言った。言ってしまった。 「グワ、ヤラレター」 「?」  聞こえた声に反応してこちらへ振り向く丕さん。  そして、わざわざ椅子から下りて倒れたフリをする俺───と。 「一刀の仇は恋が取る───!!《モゴォッファァアアアッ!!》」  たまたま近くに居らっしゃったのか、最初から全力モードで無遠慮に氣を解放してらっしゃる───三国無双ォオオオオオッ!!?  氣の波がモゴファーと皮膚を叩きつけるほどの圧迫感!  どこから持ってきたのか、鈍く光る方天画戟が放つ死の香り!  そしてなにより丕自身に向けられる、圧倒的な絶対強者の鋭い眼光!!   ……直後、愛娘は絶叫するように号泣、気絶しました。そりゃそーだ。  それから丕は三日ほど魘され、目覚めた時にはいろいろと忘れてらっしゃった。  防衛本能というものでしょう。  もちろん俺は恋に、あまり過剰に反応しないようにねとお願いをして、彼女も頷いてくれた。  ───ともかくそんなことがあったからか、本能がそうさているのか。  現在の三日ごとの鍛錬。  その途中、俺が仕合などで危うくなると、丕の挙動が明らかにおかしくなったりした。  急にカタカタ震えだし、視線をあちらこちらに飛ばしては、恋を見つけると真っ青になったり。  そんな娘を見て、この北郷めは思うのです。  ……幼少時に勝るトラウマっていうのは、そうそうないんだろうなぁ、と。                    完  おまけはおまけ。  凍傷の幼少時代のトラウマは……なんだろう。  なにかとても嫌なことが……、思い出した。  二度と見たくない、なりたくないという意味では、あれも一種のトラウマでしょう。  高熱を出した時に必ず見た夢のお話ですが、まあどうでもいいことなので略。  夢って大体忘れるものだけど、どうしてかあれだけは鮮明に…………略。  そんなわけで126話でした。  今回こそ誤字脱字がない……といいなぁ……!  確認はした、きちんとした……筈。  っとと、そういえば。 おまけのネタ曝しです。 *動かない漫画家  “岸辺露伴は動かない”より。  幸福の絶頂に到ると呪いに来ます。  娘のパンチ力の高さに驚きます。 *グワ、ヤラレター  イメージはメルティブラッドで。  秋葉さまにわざと負けた志貴くんチックなアレ。  ではまた次回で。 Next  Top Back