187/丕ぃ散歩 〜 べつに散歩はしない、ぶらり終点自室 〜

 で、見事に何事も無しに部屋に辿り着いたわけだが。

「…………うりゃ」
「《ゾス》ぴうっ!?」

 部屋の中、人様の寝台ですいよすいよと眠っていた丕の脇腹に、人差し指を埋めてみた。
 と、跳ね起きて戦闘体勢。

「ななな何者!? こここここが父さまの部屋と知っての狼藉かぁーーーっ!!」

 人様の部屋に忍び込んで寝台使ってる狼藉者なら目の前にしか居ないのだが。
 目を回してあたふたと叫ぶ丕の言葉に、柄が「ろーぜきってなんだ?」と問いかけてくる。
 うん、私塾で天の言葉は学んでも、主に桂花の話ばっかり聞いてるんだなぁお前は。……ていうか、狼藉って別に日本独自の言葉ってわけじゃ……なかったよな?

「はれっ!? と、…………父、さま……?」
「大変なんだ丕。狼藉者が現れた。そいつは俺の部屋に勝手に入って、寝台ですいよすいよと幸せそうに寝てたんだ。どうすればいい」
「へわう!? あ、え、あ、あぁああわわわわ……!! 潔く切腹!!《どーーーん!》」
「やめなさい!?《がーーーん!》」

 少し意地悪をしてやるつもりが、何を思ったのか、目を回した愛娘は己の真剣を逆手に腹部を出し始めたので全力で止めました。
 落ち着かせる意味も込めて状況を説明してやると、どんどんと顔を赤くしてゆき、最後には頭を抱えて唸りだした。……ウワー、ものすっごい親近感。親だけど。

「ほあー……丕ぃ姉は完璧な人だと思っていたが、これはまた随分と……なんというかそのー……」
「可愛い?」
「それだ」
「実の姉を捕まえて可愛いとはなによ可愛いとはっ!」
「顔を真っ赤にして言われても怖くないぞ、姉よ。その赤さが怒りからなら怖かったんだろうがなぁ……。父に可愛いと言われて赤く《ヒタリ》なばぁーーーっ!!?」
「それ以上言ったら、解るわね?」
「こっ……怖いんだか可愛いんだか、どっちかにしてくれると私は嬉しいぞ、丕ぃ姉……!」

 とてもとてもやさしい笑顔で柄の頬に刃の腹を当てる丕……の、頭をぺしんと軽く叩いてやめさせる。
 華琳もよくやるけど、あれに慣れられると第二の華琳の誕生なので勘弁してくださいとばかりに。

「なんというか、父はどんどんと私たちへの遠慮が無くなっていっている気がするな」
「ん? そうか?」
「うむ。前までだったらそうして気安くぺしりと叩くことさえしなかったぞ。まあ、私はこっちのほうが気楽でいい。前のように顔色を伺ってばかりなのは、逆に疲れる」
「丕もそう思うか?」
「う……その。顔色を伺うという意味では、兵の皆よりも余計に感じていました……」
「───」

 驚愕の事実だった。思わず呆然。
 そりゃあ、なんとか仲良く出来ないかとかそういうことばっかり考えてたから、ご機嫌伺いのようなものをしていた自覚は……あるにはあるんだが。
 でもこうして接してみて、子供というよりは大人っぽいなぁと思っていた我が子らが、その実妙なところで抜けていることに気づきまくって……そしたら安心したっていうところはある。
 なんだかんだで俺自身、娘達に対して腫れ物を扱うーだとか、触れちゃいけないものなのではって、勘違いめいたものを抱いていたところはあるのだ。
 もっと踏み込んでいけばよかったんだよな。隠し事なんてせずに。
 そしたら…………

「でも最近ではそんな視線さえあまり感じなくなって……。……どうして私はあの時に……」

 そしたら、なんだか脇腹を抓られるような現在を知ることもなかったんじゃないかなーとか思うのです。
 あれなのかな。娘達にしてみれば、今までは他人みたいな人が、急に父親になってくれたみたいな状況なのかな。
 だから手探りで知ろうとする中で、これは私の父だーみたいな独占欲みたいなのが働いて、俺が別の子供と仲良くしてると脇腹抓ってきたりとか……。

(ハテ?)

 の、割には、丕、登、延は相手が女の子の場合だけなような……。あ、いや、丕はなんかやせ我慢みたいな表情だったけど。
 述は普通に他の子供全般に頬を膨らませたりするのだが……うん、あれは可愛い。写真に収めようとして思春に刺されそうになったのはもはや………………い、いい思い出……ダヨ?

「で、丕は今日はもう仕事がないのか?」
「は、はい。暇です。予定を入れられようとも全てを拒否できるだけの覚悟が───この曹子桓には出来ているわ!《どーーーん!》」
『───』

 柄と二人、なんだかとっても不思議な覚悟を口にしながら、覇王の覇気を放つこの小さな娘を前に微笑ましいものを見る目で黙った。
 興奮しているのか、眼の色が変わってらっしゃる。
 俺のこげ茶の色から、華琳の蒼色へ。
 興奮で目の色が変わるなんて、本当に不思議な娘だ。
 華佗は氣の影響だって言ってたけど、そりゃそっか。事実として三つの氣を受け入れて生まれたんだもんなぁ。

「………」

 “他の娘にはその兆候がないのは?”とは、もちろん訊ねた言葉だ。
 華佗の返事は単に“氣の相性”の問題らしい。
 混ざり合い易いか否か。
 俺の氣と御遣いの氣が合わさった事実と同じように、氣と氣が殺し合って混ざり合わなかった場合は普通に産まれるのでは、だそうだ。
 なので丕は、“氣”って意味では一番親に近いってこと。
 ……悪い部分まで継承しちゃってるんだから、そりゃ近いよなぁ。

「そっか。でも生憎とこっちも仕事はないぞ? 最近やたらと手伝いに参上してくれるけどさ。丕もなにか趣味とかもってみたらどうだ?」
「え、趣味……えと、趣味、は…………親孝行!《どーーーん!!》」
「おお! それを胸を張って言えるとは、流石だな丕ぃ姉!」
「ふ、ふふっ? これくらい当然よ。というわけで父さま! なにか孝行させてください!」
「え? 孝行……んー……いきなり言われてもな。……あ、じゃあそれだ。布団干すから手伝ってくれ」
「………」

 布団を干そうと提案したら、とても悲しそうな顔で見られてしまった。

「あの……干したら……お日様の匂いだけに……」
「? や、そりゃそうだろ」
「と、父さまの暖かさが……」
「もう昼だし、俺が寝てた頃の暖かさなんてないだろ?」
「………」
「?」

 首を傾げたい状況のなか、とぼとぼと布団を干しにかかる丕。
 ハテ、いったいなにが言いたかったのか。
 ……しかしあれだな。
 運ぶ際、小さな体で布団を抱え、よたよたと歩く姿はなんというかこう……。

「……《ごそごそ……チャッ、カタカタ……》」
「父? またしゃしんとかいうのを撮るのか?」
「ケータイの寿命が来た時点でそれも無駄になるって解ってるけどな。その一瞬はその一瞬にしか残せない。大事なのは残したか残さなかったか……それだけなんだ」
「なにやらいいことのようなことを呟きつつ、娘の姿を形に残す父の図である」
「説明しなくていいから」

 言いつつもカシュリと。
 画面の中には、なにやら消える何かを惜しむようにぎうーと布団を抱き締める娘がおった。

(……太陽の香り、嫌いなのかな……)
(丕ぃ姉は太陽の香りが嫌いなのか……?)

 なんとなくそんなことを思いつつ、画面を覗き込もうとしていた柄と視線がぶつかった。漏れる苦笑。まあなんだ、こういう平和もいいもんだ。

「干した布団の匂いは、安心できるものだと思うぞ、丕ぃ姉」
「? べつに陽の香りは嫌いではないわよ」
「うん? そうなのか? だったら何故干したがらないんだ? 自分のものは率先して干すのに」
「え……あ、だ、だからそれは」
「?」
「……その」
「うんん? 丕ぃ姉らしくないな。ずばっと言わないなんて。もしかして言いづらいことなのか……? はっ!? もしや姉はおもらしをしていて、それを乾かすために率先して」
「父さまの前で何を間の抜けた勘違いをしているのあなたは!!」

 雷が落ちた。
 おお、丕の眼が真っ青に燃えている……! これ以上無いってくらい蒼い……!
 なのに顔は真っ赤である。大丈夫か、いろいろと。

「じゃあどうしてそれ、早く干さないんだ?」
「えっ? ───あっ、いえ、ちがうのよこれは。ただほら。その。布団というものは手放しづらい妙な魅力があって……!」

 問われ、慌てたのかパッと手を離す丕さん。
 ドシャアと落ちる俺の布団。
 慌てて拾い上げようと屈み、ゴドォ、と寝台の角に勢いよく頭をぶつける丕さん。
 蚊の鳴くような声で、「くぁあああぅぃいぃぃぃ…………っ!!」と苦しむ丕さん。
 そしてそんな姉の姿を前に、「しゃったーちゃんすだ、父よ」と激写を促す我が娘。
 どうしてそういう言葉ばかりを覚えるんだ、娘よ。
 思いつつも写真に収めて、ほっこり笑顔な俺が居た。
 ていうかなんかもう見ていられなかったから近寄って抱き締めて、ぶつけたところを撫でてやった。

「なるほど。父はそうして、数多の女性を落としてきたんだな」
「落とすとか言わない。そういう言い方は、それを目的として近寄っているヤツにだけ言ってやれ」
「んむ……ああ、それこそ正しくなるほどだな。目的としてないのに落とすとかいわれるのはちょっと嫌な感じだ。父は〜……あれか? やっぱりそういうことをいろいろなやつに言われたりするのか? そういう事実に頭を悩ませたりしたのか?」
「父さんとしては、娘にこういう話題を振られるって今現在に首を傾げたい」
「いいじゃないか、私以外じゃこんなことを訊くやつが居ないだろ。父はあの母を出し抜くほどの素晴らしい人だが、それ以上にこの気安さを受け入れてくれるから好きだ。こーきんなんかはひどいんだぞ、やれその態度はーだのその口調はーだのと」

 こういうことを訊くヤツって意味では、案外延がズバズバ踏み込んでくるんだが。
 のんびりゆったりペースで訊いてくるもんだから、聞き方によっては相当ねちっこく。
 でもまあ……言われたりするのは事実だ。また落とした〜とか、なぁ。

「まあ、そうだな。言われるよ。また種馬が〜とか、またですか〜とか。冷やかしみたいなもんだから笑って誤魔化すしかないんだけどね」

 言いつつ、浮かんできた丕の涙を拭う。
 ついでに赤く腫れている額に氣を集中させて、癒すのも忘れない。

「ふむ……? 父はその、種馬〜とかいうのはもう受け入れているのか? なんというか、娘としてはあまり、聞いていていい気分になれるものじゃないのだが」
「言われ慣れたって部分はあるよ。大体、否定したところで現状がそんな感じなんだし、どうとも言えないだろ」
「いやいや、待ってくれ父よ。種馬、では男側など誰でもいいみたいに聞こえるじゃないか。私は嫌だぞ、父が父じゃなければ絶対に嫌だ。母も母だ、こんな不名誉な呼称を言わせたままにするなど……」
「へ? いや、むしろ率先してその言葉で俺をからかってきたのは祭さんと雪蓮だけど───」

 バッ───と。
 ここまでを聞いていた丕が、突然俺の抱擁から逃れ、柄に突きつけた時もそうだったがいつから持っていたのか解らない剣を鈍く輝かせ───って光どこから来た!? ……って違うだろ! まず武器をどこから出したのかを疑問にだな! ええいもうなんか慣れすぎてる自分が怖い!

「柄、いくわよ。二人がかりででもあの勘頼りの元呉王を潰すわ」
「今までの雪辱を晴らすときだなっ、丕ぃ姉! ……あ、母はほうっておく方向で」
「はいはい待ちなさい」
『《わっしゃり》ふぐっ!?』

 しかし今こそ好機、打って出ると言わんばかりの二人は止める。頭を鷲掴みにしてでも引き止める。
 まずあの二人に勝つというのが無茶だし、そもそも俺は別に気にしていないから平気だ。

「けど父さまっ! 父さまを種馬扱いなど、私はっ!」
「おぉなるほど。種馬が相手だから璃々姉ぇも、父を相手に〜とか思ってるとか? 対象が“種馬”ならば、父親とか兄として見る必要がないから」
「わたっ───………………」
「ん? はて? どうした丕ぃ姉、続き、言わないのか?」
「ひうっ!? えあっ……い、言うわよ!? 言えばいいんでしょう!?」
「え? え? なんで私が悪いみたいに怒鳴られるんだ?」

 なにやらわたわたと自分を奮い立たせる我が娘。
 ちっこい華琳さんに黒髪が混ざったような容姿そのままに、左拳を腰に、右手をバッと右方へと払うように広げ、まるで華琳のような姿勢で俺に向き直る。

「と、父さま!」
「うん、なんだい、丕」

 そんな姿が背伸びをする子って感じがして、微笑ましく思う。
 なもんだから口調もやさしく、にっこり笑顔で続く言葉を待った───

「り、璃々姉さまと子供を作るんですか!?」

 ───結果がこれだよ。
 やさしい笑顔も裸足で逃げ出すわ。

「丕……そりゃね、紫苑には何年か前、璃々ちゃんが大人になったらって言われたよ? でもな、だからって本人の意思を蔑ろにした行動は───」
「いやいや父よ、待っていただこう。璃々姉ぇのあの父を見る表情……あれは父に惚れてるぞ? 同じ女として断言しよう」
「手を繋ぐ先の行為を握り潰しと断言した子のどんな発言を信じろと」
「うぐっ……!? だ、大丈夫だ! 代わりにその先の行為については博識だぞ!」
「はっはっは、偉いぞ柄ー。その意気を見込んで、桂花の寝顔に虫の大群をばら撒く仕事を依頼したいくらいだあっはっはー」

 ええい私塾でどんなことを吹き込んどるんだあの猫耳軍師はァァァ……!!
 日常的に人の悪口ばっかり叩き込んでるじゃなかろうな……!

「………」

 ああ、うん。なんかもうそれが当たり前すぎて、今さらなに言ってんだって自分にツッコミ入れちゃったよ。
 前略おじいさま。娘達の知識の量が、まず性教育側から強化されていっている気がしてなりません。華琳に言って、罰の厳しさをUPしてもらわないとやめるものもやめないんじゃなかろうか……。

「なぁ二人とも。桂花が嫌がることってなんだと思う?」
「父さまに関係することの全てです」
「父に抱き締められたり愛を囁かれることじゃないか? 随分嫌っているし」
「ウワー……」

 もはや娘達にまで、嫌われてるって事実が広まってるぞー桂花ー。

「いっそ今度は筍ケさまと子供を作ってみてはどうか。毛嫌いする相手の子を宿すとなると、相当な屈辱だと思うんだが」
「冗談でもそういうのはやめような、柄。実際にそうなって泣いた人だって居ると思う」
「う……そ、そうか。考えが足りなかった、すまぬ父……」

 きちんと謝れるのは、それだけですごいことだと思う傍ら……なんだか言われたことがいつか事実になるんじゃないかと不安に思ったとは、口が裂けても言えません。
 さすがにもうないよな……いくら華琳の命令だからって、桂花を抱けとかは……なぁ?

「あ……父さま、桂花といえば───」
「? あ、そうだ父、思い出した。嫌がることで引っかかっていたんだが」
「ん? なにかあったのか?」

 ハテ、と訊ねてみると、こくりと頷いた柄ではなく、丕が説明してくれる。

「はい。桂花が教えることに偏りがありすぎると、民からの声があったとかで。……何度目かは忘れましたが。母さまが盛大に溜め息を吐きながら“罰が必要ね……”と」
「そう、それだ。私も聞いたぞ。私の場合は、民が話しているのを偶然聞いただけだが」
「───」

 ああ、フラグでしたか……。
 そう思いつつ涼しげな笑みを浮かべ、布団を干した窓から遠くを眺めることしか出来ませんでした。


───……。


……。

 まあいろいろあったものの、布団を干しながらの団欒は続いた。
 いい天気ってこともあって、太陽光で充電している携帯電話も今はまだ動いている。
 いつ壊れてもおかしくはないが、その命尽きるまで、せめてともに生きてゆこう。
 さすがの真桜も映像データをコピーする絡繰までは作れない。
 俺が長い時間を生きていく中で、これらを残せなくなるのはとても悲しいけど……こればっかりは仕方のないことだろう。
 ともかくそうして会話は続いた。
 途中、祭さんが俺に一言文句を言いに訪れたりしたものの、丕が居ることに気づくと、大した愚痴もこぼさずに俺をいじり倒すだけに留め、去っていった。
 ……丕から冥琳に報告されるのを恐れたんだろうか。
 それ以前に勝負ごととはいえ、ちゃんと勝ったんだものなぁ。
 去る際、少し悔しそうにしていた理由は、そんなところだろう。

「しかしまあ、なんだ。邵がこぼすように、父の傍は居心地がいいな」
「そうか?」

 さて。いろいろと考えている俺の膝の上には、どういうわけか柄が居る。
 つい先ほど届けられた警備隊の報告書に目を通す傍ら、“ちょっと失礼して”なんて言いつつ登ってきたのだ。
 その際、丕がなんかもうすっごい顔になったんだが、喩えられる言葉が見つからない。
 えーと……いや、ほんとなんと言っていいのか。ともかく凄い顔になって固まった。
 口をぱくぱくさせて柄を指差して、何かを叫ぼうとして踏みとどまって、思案して、俺と柄を何度も見比べて……胸の前で指をこねこね。これが現在の状況である。

「んむ? おー、おーおーおー、なぁ父よ」
「ん? どしたー?」
「次は丕ぃ姉が膝に乗りたいと」
「ひぃぅっ!? い、言ってないわよ! だだだ誰がそんなっ!」
「……違うそうだが」
「む? おかしいな。私の目も衰えたか」
「その歳で衰えたとか言わない。なぁ丕? …………丕?」

 ちらりと、さっきまで指をこねこね、顔を赤くしていた丕に視線をやってみれば……なにやら頭を抱えて落ち込んでいる丕さん。
 ……この僅かな時間にいったいなにがあった。

「丕ぃ姉はいろいろと苦労しそうだな。もっと素直になれば良いものを」
「……私はその時の感情に立派に素直よ……。素直な結果で後悔しているのだから、悔いはあっても文句は口にしないのよ……!」
「……おお、なるほど。誤魔化すのも確かにその時の素直な反応と言えるのか。丕ぃ姉はいろいろな意味で博識で墓穴堀りだなぁ」
「ほうっておきなさいっ!」

 姉妹の会話の意味が微妙に解らず、首を傾げているうちに丕は勉強にとりかかった。……勉強だよな? 隣の円卓で一人、書物に目を通しているわけだし。

「丕はどんな本を読んでるんだ?」

 ちょっと気になったので訊いてみる。
 と、丁度開いていた部分を見せてくれた。
 てっきりびっしりと文字が書いてあるかと思われたそこには、絵と文字。つまり絵本だった。

「絵本か。丕ぃ姉でもそういうのを見るんだな」
「う……その。さ、様々を興じてこそ…………うぅ」
「思いついたことを素直に言うのは、素直っていうのか、丕ぃ姉」

 見せてくれたのは絵本。
 それは確かだが、懐かしさを覚える絵本だった。
 結構前、まだ俺が盛大に嫌われていた頃に、俺が丕に一緒に読まないかと言った絵本だ。

「懐かしいなぁそれ。なんだかんだで読んでてくれたのか?」
「…………い、いえ。これが、初めてです」
「あれ? そうなのか?」

 一緒に読まないかとは言った。ええ、もちろん断られましたさ。
 しかも俺が絵本を奨めたってだけで、丕は絵本から遠ざかりました。
 当時はもうショックでショックで……。けれどもそんな丕が絵本を……!

「絵本か。私も絵本は随分と読んだなぁ。というか、戦術書とかは読んでいると眠たくなってくる。絵本のように解り易いのがいいな、うん」
「お前はもうちょっと勉強しような……」

 苦笑をひとつ、ミニ黒板を柄の前に置いて、そこに軽い問題を書いてみせる。
 で、それを解いてみろ〜と言ってみれば、

「はっはっは、任せろ父よ! 勉強は好まんが頭が悪いわけではないぞ! 姉妹の中で私だけがたわけであるなどとは思われたくないからな!」

 祭さんのように腰に手を当ててからからと笑ったのち、すらすらと解いてみせる。
 おお……さすが祭さんの娘……って、この言い方は比較の第一歩だからやめような。
 登や述はこれをされるととんでもなく落ち込む。
 褒めるのなら解いてみせた本人を褒めるべきだ。

「どうだ? 合っているだろう父。私はこれでも文武両道というものを目指しているのだ。丕ぃ姉に敵う気はしないが、いつか追いついて背中を預けられるほどの猛者になるのだ。格好いいだろう?」
「……星に、そんな状況を静かに、けれど熱く語られたりした?」
「何故解った!?《がーーーん!》」
「いや……うん。人の言葉に乗せられやすいのは、もう仕方ないのかもしれないなぁ……」

 俺もそんな感じだから。
 と、賑やかにしつつも一問解かせては一問を出す。
 無駄話をしながらなら案外勉強も好きなようで、出す問いにもきちんと答えていった。
 ……なるほど、あの堅苦しい“勉強のみをしなければいけない空気”が嫌いなのか。
 言っちゃなんだけど、祭さんの娘らしい。
 …………はぁ。俺もすぐに親と比べる癖は直しておかないとな。
 口にしないからって、態度で解ることだって当然ある。
 なにより宅の娘たちは鋭すぎるから。

「〜〜……父さまっ」
「ホ? どうした? 丕」

 考え事をしながら一問一答を繰り返す俺と柄を見て、丕がシュバッと挙手をする。
 左手で胸の絵本を抱き、右手でシュバッと。うむ元気だ。元気だけど最近顔が赤い日が多い気がする。
 やっぱり華琳のように頭痛持ちとかの遺伝で、微熱持ちとか……?

「い、いぃいいっ……い、いつかの約束通り、絵本を読んでくださいっ!」

 ……心配を余所に、言われた言葉は絵本に関してのこと。
 ハテ、約束? いつかの約束とは……。

「えーとだな、丕。あれは一応約束に入るのか?」

 あの時の会話を思い出してみる。
 丕に“一緒に絵本を読まないか”と訊ねて、丕が“ええいつかね。いつか”と言って去っていった。
 ───完。
 思い出しつつ訊ねてみれば、丕自身も無理があると思っているのか、不安そうな顔で俺を見上げるばかり。椅子にちょこんと座りつつ挙手していた手もいつしか本を抱いて、まあなんというか……純粋に絵本をおねだりする子供に見えて、なんだか妙に安心してしまった自分が居た。
 能力がズバ抜けた子供を前にすると、子供らしい一面があることにいちいち安堵してしまう俺は、やっぱりまだ天での癖みたいなのが残っているのだろうか。
 能力が高い子供を持つと、親って苦労するもんなぁ…………自覚とともにお届けする言葉がこんなに重いなんてことは、いろいろな方面で知っているつもりだ。これでもこの世界でいろいろと苦労しておりますから。
 しかしまあ。
 絵本を読んでほしいと乞われて断る理由なぞ、今の俺には無いわけで。
 ……当時にこんな風にお願いされてたら、それこそ断る理由なんて皆無だった。

「よし、じゃあ一緒に読むか」
「……!《ぱああっ……!》」

 で、OKしてみればこの笑顔だ。
 こんな笑顔が待っているかもしれないと想像した上で断るなんて、俺には無理だなぁ……。

「お? では丕ぃ姉はここに来るといい。父の膝の上は心地良いぞ〜?」
「! ……こ、こほんっ。え、ええ、それは、一緒に読むのだから、とと当然……当然…………〜〜〜……《ほにゃああ……!》」
「丕ぃ姉、俯いても顔が緩んでるのが丸解りだぞ。妹の前だからって完璧であろうとするの、疲れはしないか? なんというか私はもう、丕ぃ姉がいろいろと失敗する姿は見ているから、気にせず父に甘えていいのだぞ?」
「なぁっ!? あ、あああああなた、いつから……!?」
「いや……いつからもなにも、父と仲直りしてから今日までだけで、十分すぎる気がするのだが……」
「───! はぅうっ……!」
「むしろ自分が案外抜けていると気づいていないのは、丕ぃ姉だけじゃないか?」
「《ザグシャアッ!》……! ……!!」

 妹の言葉に突き刺さるものがあったのか、頭を抱える我が娘。
 拍子に胸に抱いていた絵本が落ちて、床に落ちる前に取ろうとしたのか……物凄い勢いで机に頭をぶつけて悶絶した。
 どごぉん、って凄い音が鳴った。
 痛いな……あれは痛い。「きゆぅぃいいいいゅぅぅぅぅぅ………………っ!!」って、声にならない声が絞り出されてるし。

「なんだろうなぁ父よ……私は丕ぃ姉が文武両道でありながらも、妙に人間くさいところに安心するのだが……」
「ああ、それは俺も同じだ……」

 頭を押さえて痛がる娘を前に、ほっこりしながら言う言葉では断じてないだろう。
 しかし、まるで喧嘩でもしているかのように構うことも出来なかった頃を思うと、柄の言う通りなんというかこう……安心するのだ。
 自立を自覚しているからこそビシッとしている人、居るよね。けどそういう人って、ひとつでも寄りかかれる場所を見つけると、一気に気が抜けるらしい。それこそ自覚は無いそうで、心が自然と甘えてしまうんだそうだ。
 だからやったこともない甘えや愚痴を拠り所にぶつけてしまい……その拠り所が人であった場合、ぶつけ方にもよるのだろうけど多くの場合が破局……って、何を考えてる俺。破局とか…………あれ? この場合、ぶつけられてるのってもしかして俺?

「………」

 ア、アレーー……? 普通は男がぎゃーぎゃーと愚痴こぼして、ってドラマ的な展開を想像するだろうに、自分がぶつけられている光景しか浮かんでこないヤー。
 そっかー。俺、この世界でドラマを作るとしたら女性側の立ち位置だったのかー。

「父?」
「あ、いや」

 ここで私が母ですよとか言って抱き締めたらどうなるのだろう。
 そんな馬鹿なおふざけが浮かんだものの、おふざけとして取られなかったら大惨事になるのでやめておいた。
 そういったヘンテコ思考を展開していると、柄がぴょいと俺の膝の上から降りて、痛がる丕をがしぃと捕獲。驚く丕をそのまま持ち上げて、俺の膝の上によいせと押し付けてきた。

「ぴぃっ!?」

 ……瞬間、痛みすら忘れたのか、コキーンと固まる丕。

「………」

 ええと。とりあえずそのー……押さえていたところに手を当てて、氣でもって癒してゆく。もはや当然みたいになったけど、不思議なもので。俺が氣なんてものを使えること、人を癒せること……努力の結晶ではあるけど、それも"御遣いだからこそ”だと思ってる。
 きっと天に戻ればこんな力も無くなるのだろう。
 それどころか、いろいろな人とお別れすることになって………………

「…………《ちょいちょい》」
「ん? どうした、父」

 ふと感じた寂しさに、固まっている丕と、手招きすることで寄ってきた柄……を、抱き締めた。「ほゃぁあぃぇあひゃわぁあっ!?」……何故か片方がとんでもない声を出したが、どちらかは言わないで置こう。

「お、おぉお……? どうしたんだ父。私は別に褒められるようなことをした覚えはないが」
「褒めるって……あのなぁ、ご褒美なら抱き締める以外にもなにかあるだろ。お前は父さんをなんだと思ってるんだ」
「……ふむ、そういうものなのか? 丕ぃ姉を見ていると、そうは思えないんだ」

 ど……どちらかとは言わないが、片方が顔を真っ赤にして目を潤ませて、ふるふると震えていた。もしかして泣く寸前なのだろうか。
 さらにもしかしてを唱えるなら、仲直りはしたものの、俺なんぞに抱き締められるのは冗談ではないと思っていたとか───!?

「っ───あ、ああー! 急に抱き締めたりして悪かった! そりゃびっくりするよな! うん! ほ、ほら丕もっ、もう痛みは無くなったと思うから、そろそろ絵本読もうかー!」

 嫌われるのは怖い。
 またあの日々のように無視されたり突き放されたりを娘にされるのは、今の俺には相当なダメージだ。
 なので慌てて、抱き締めていた柄や丕をすとんと床に下ろすのだが───

「……父はあれだな。乙女心が解ってないと、よく言われるだろう」
「なんで解った!?《がーーーん!》」

 娘にまで乙女心云々を唱えられる俺が居た。
 そこまで解っておりませんか、俺……。

「ほら丕ぃ姉、絵本、読むのだろう?」
「……なんというか、あなた。随分と砕けたわね」
「王の娘だとか将の娘だとか、本来なら気にしなければならんことなのだろうがなぁ……丕ぃ姉や父、母を見ていると、なんというかもったいない気がする。私はもっと、父が話す“天の家族”みたいな関係でいたい。母は母、姉妹は姉妹で、もっと楽しくだ。堅苦しい肩書きよりも、家族を大事にしたいと思う」
「……、……そう。そうね。それは、とても眩しいことだわ」

 以前の私では、決して、考えることさえなかったことね。
 そう言って、丕は寂しそうに笑った。
 が、だ。
 どれだけそうであろうとしようが、国というものはそういう馴れ合いを良く見ようとはしないものだ。
 王の娘に気安く接するな〜なんて、誰かが言いそうな言葉だろう。
 歪んでいる部分もあるだろけど、そういった関係もあるからこそ、今の状況があるといってもいいのだから。
 たとえば春蘭や秋蘭が華琳相手にタメ口を利くようだったら。華琳の言うことをてんで聞かなかったら。
 それを考えてしまえば、こういう関係は“良くも悪くも”といった無難な位置に落ち着いてしまう。
 じゃあどうすればいいのか。考えながらも、躊躇している丕を抱き上げて膝の上へ招く。とすんと座らせれば、あとは机に向かって座り直すだけだ。
 抱き上げた瞬間にコキーンと固まってしまった丕が、なんだか本当に動かなくなってしまったんだが……いろいろと考えることがあるのだろう。だ、大丈夫。抱き締めなければ嫌われないさ、きっと。
 俺の膝へ座ることへのあれほどのまでの驚愕が、嫌悪からきていなければきっと……!

「べつに父さんは、二人が姉妹らしくあったって何も言わないぞ? むしろ嬉しい。だからな、丕、柄。俺の部屋に来た時くらい、姉妹でいなさい。外に出れば王の娘と将の娘。そんな関係だっていい。成長すれば、周囲はもっと厳しくなるだろうからさ」
「父……それはやはり、母が言う“策さまや権さま、尚香さまには失礼のないように”というあれなのだな?」
「そゆこと。母と近しい者だからって、気安くしていい時代じゃない。や、天でもそこはきちっとしてた方がいいけど」

 堅苦しいよりは仲良く居たい。
 そう思うのは、どの世界でも一緒だろう。気安すぎるのもアレだけど。
 俺としては、おやじの店みたいな気安さが心地良い。
 御遣いとか民だとかじゃなくて、一人の男として、親として話せる場……最高です。

「なんというか……父は、父だなぁ。うん、是非そのままの父で居てほしい」
「そのままって。どういう意味でだ?」
「はっはっは、そうやって訊き返してくるくらいの父が丁度良いという意味でだ。あと、もっと姉妹が欲しい」
「オイ《ズビシ》」

 さっき種馬がどうとか言ってたじゃないか。
 ツッコんでみると、それはそれ、これはこれと笑われた。

「私はもっと、気安く“家族”で居られる先を目指したい。堅苦しいのは好きではないのだ。そうすれば、街中でも堂々と父に飛びつき甘える丕ぃ姉が見れるだろう。というか、平気か丕ぃ姉。さっきから黙りっぱなしだが」
「べっ!? …………べっ……べつにっ、どうも……しないわよ? こほん。えぇえ……え、絵本に……集中していただけなの、だから」
「……その割には、一頁目からてんで進んでいないんだが?」
「あっ……! 〜〜〜……あたっ、当たり前、じゃない。絵本に集中していたのだから」
「………」
「………」
「絵に集中していたのか?」
「お願いだからそっとしておいて頂戴!!」

 なんだかいろいろあるらしい。
 もはや懇願とさえ思える丕の叫びには、いったいどういった意味が含まれていたのか。
 苦笑どころかやがて普通に笑い始めた柄は、実に楽しそうだった。

「はっはっは、家族というものはいいな。やはり私は気安いものがいい」
「柄はそういうところ、祭さんじゃなくて星に似てる気がするよ」
「おや、そうか? ……しかし、こういった場合、あの方の場合は“そうですかな?”と返すな」
「言っても敬語、やめてくれないしね」

 メンマの友なら普通に話してくれって言っても聞きやしない。
 偉大なるメンマ神がどうたら〜って熱く語られて、結局は敬語だ。

「で、今さらだけど……膝を降りて、柄はどうするんだ?」
「ふっふっふ……忘れたか父よ! 時も良き頃合! ほんわり干された父の布団で、思う様眠るのだ!《どーーーん!》」
「あ、悪いけどそれ、もうちょっと干しておいてくれ」
「え、なっ……そ、その方がいいのか? むう……ならば仕方無い……」

 時々無茶だけど、結構素直な子です。
 冗談だと言いつつ丕を促して立ち上がり、一緒に布団の回収に移る。
 柄は「父はいじわるだ! いじわるだー!」と言いつつも、程よく太陽の熱を吸収した布団を抱えると、ほやー……とまったり顔に。
 丕はおそるおそる掛け布団を持ち上げると、ちらりとこちらを見上げてから……パスッ、と布団に顔を押し付けた。…………そして、少ししてから顔をあげると、なんだかとても悲しそうな顔で溜め息を吐いていた。やっぱり陽の香り、嫌いなんじゃなかろうか。
 そんな些細な団欒を経つつも、少し賑やかな時間はまったりと過ぎていった。




ネタ曝しです。 *丕ぃ散歩  ちぃ散歩。ぶらり途中下車。  べつに丕は散歩しない。 *ここが父さまの部屋と知っての狼藉かぁーーーっ!!  エンジェル伝説より、ここが校長室と知っての狼藉か!  あの人はもう……なんというか、もう……。 *絵本  関係ないけどやっぱり思い出すホワッツマイケル。  マイケルを素早く言うのと、天池と言うのがなんとなく似ている気がする。  シスター天池(フォーチュンアテリアル)なんて、難聴者が聞けばきっとシスターマイケルになるに違いない。  だからか、ホワッツマイケルの歌を思い出すと、シスター天池も思い出すのです。  よくぞここまで辿り着いた。さあ回復をしてやろう!  ブラウザを閉じて眠れば回復するぞ!  え? 私は何もしないのか?  ……フフフ、私は四天王になれたのが不思議なくらいの小物よ。  ていうか別に四天王がどうとかなんて135話たる私は関係ないっていうか……。  133話が勝手に言い出したことだし?  だ、だからそのー……私を倒してもなにもいいことなんてありゃしねーのじゃよ?  物語のゲスキャラあたりが言いそうな言葉を言わせてみる。  ええ、意味はございませんでした。 Next Top Back