191/寂しがり屋が見下ろす景色

 美以言うところのお祭りの最初の相手が春蘭だったことを知り、気絶したのち。
 縄が首を絞めたり、蝋燭が体を焼いたりする前に蜀の軍師さまが割って入ってくれたこともあり、なんとか五体満足で朝を迎えた。
 散々と“なにぃ!? 話が違うではないか!”という意見が飛んだけど、じいちゃん……俺、生きてるよ……。今日を迎えられているよ……!

「………」

 現在……隣で眠る春蘭を見て、何度目かの安堵の溜め息を吐く。
 無事に朝を迎えられたこともそうだけど、その……久しぶりだったので、少々加減が……。華琳の時のように泣くまでとはいかなかったものの、それこそ子供が出来ますようにと何度も何度も……。

「………」

 で、まあ、思うのだ。
 これを、子供が出来るまで続けるのでせうかと。
 いや、そりゃあ体を動かす筋肉が疲れたなら、氣を使って体を動かす方法もあるのだ。実際今回もやった。
 けれどももちろん疲労はどうしようもなく溜まるわけでして。
 日が経つにつれ、他の人の周期がまだ訪れないことに、月の終わりを目指して進む日々に恐怖を抱き始めました。

「春蘭、春蘭〜」

 けれどもそんな自分の恐怖と、彼女らの希望とはまた違う。
 俺も子供は欲しいし、国の先を担う子は、きっと何人居ても足りないくらいなんだと思う。そういったものを育むのも支柱の勤めだし、そうしていきたいと思う自分自身の夢でもある。

「ん、んん……?」

 肩に触れて揺すると、ゆっくりと気だるそうに開く瞳。
 それが俺を捉えると、途端に頬が赤く染まった。

「おはよ」
「う、あ、う、うぅ……あ、あぁ」

 その赤が顔全体を覆うと、彼女は自分の格好に気づいて自分の鼻の頭まで布団を被ってしまう。
 いや、うん。昨日は本当に……その、何度も何度もだったから。いやさ、おかしいんだ。原因はなんとなく予想がつくんだけど、一度始めたら歯止めが利かなくなったっていうか……華佗の針の所為だよね、絶対。
 あれだけの回数を深く深く……そりゃあ改めて顔を合わすのは恥ずかしいよな、うん。昨日は、というか夜を跨いで、だったからなおさら。

「?」

 あれ? ちょっと待て?
 ……排卵日ってべつに、一日限定ってわけじゃなかった……よな?
 それじゃあつまり……排卵日が続く限り、その人とは何度も、というわけで……。
 前にも考えたことだけど、縄だのなんだのの誤解でさえこんなに気苦労が働くことを、それこそ子供が出来るまで幾度も……?

「───」

 俺、無事でいられるのかな。
 そんなことを、少し涙目になって思うのでした。


───……。


……。

 厨房で水をもらって、その場で朝餉の用意をしている凪に挨拶。
 そんな時に呼び出され、中庭の東屋へ。
 そこでは“秘密……?”の小さな集まりがあって、それがなんの集まりかを知る者は極一部。で、ここに集った二人は……

「はわわわわわ……!」
「あ、あわわわわわ……!」

 相も変わらず、はわあわと狼狽えておりました。

「いや、そんな怯えなくても……」
「いえあのでしゅねっ……!? 何度も言おうと思ったんでしゅよ……!? ある日急に愛紗さんがやってきて、“お前たちの知識が必要だ!”と言われて……!」
「ち……知識が必要と言われては……あう……張り切らないわけには……あわわ……!」
「よよよ夜に集まりがあるからと行ってみれば、急に“今まで溜め込んだその知識、存分に披露されませい”と言われましゅて……!」
「あ、あの狭い部屋の……中で……あれだけの人に……き、期待を込めた目で……見られたら……!」
「───……」

 蜀の兵を通じて呼び出された東屋。
 辿り着いてみれば結盟者である二人が待っていて、顔を見るなり「はわぁあーーーっ!」とか「あわぁーーーっ……!!」とか、そんな声とともに泣かれてしまった。
 そして早くも許す以外の選択肢が見つからない状況。元々許すつもりだったのに、なんだろうこの罪悪感……。
 そうは思うも、俺の罪悪感よりも、先に裏切る形になってしまった二人の方が罪悪感は上なのだろう。だったら早くそんなものから解き放つためにも、泣いて怯える二人の頭を撫でて、

「大丈夫。怒ってないよ」

 そう告げた。

「ほ、ほんとでしゅ───はわっ!? い、いえ……! ご主人様ならきっとそう仰ると思ってましたから……!」
「だ、だから……ご主人様としてじゃなくて……あわ……結盟者として……」
「え?」

 はて、なんでだろう。
 許した筈なのに雲行きが怪しくなってきたような。
 なんて思った直後、二人から……『罰を与えてくだしゃい!』という言葉が放たれました。

「───」

 罰。
 いやいや、罰って。
 そりゃあそういう盟約だったけどさ。

「や、朱里? 雛里? そういうことは───」
「はうぅううううぅぅ〜〜〜〜……!!」
「あぅぅううぅうううぅ〜〜〜〜……!!」
「アウワワワ……!!」

 涙目の困り顔で見つめられてしまった。
 え……だめなのか? 罰は無しって選択肢、だめなの?
 そんなこと言われたって、罰って……いやいやいやどうしてそこで桂花の顔が浮かぶ! だめ! あっち方面の、華琳に言われて桂花にやるような罰はまずい!
 まずいので───

「あ、じゃあ。今日は凪が料理を作ってくれるそうなんだけどさ。例によって精がつくもの」
「はわっ!?《ドキッ》」
「あわっ……!?《ぎくっ》」
「……辛いのとか、平気?」
「はっ……はわわわわ、はわわわわわわ……!!《だらだらだらだら……!!》」
「あわわわわわわわわわ……わわ……!!《だらだらだらだら……!!》」

 物凄い挙動不審さを目の当たりにした。
 汗を滝のように、視線はあちらこちらへ、けれど拒否できないそんな切ない状況。

「さあ軍師殿。この状況を覆す策はおありか!」
『ありません……』
「即答!?」

 妙なところで蜀が誇る二大軍師に打ち勝ってしまった、ちょっぴり虚しい朝の始まりであった。
 始まりであるからして、さあさと二人を促して立ち上がる。
 途端にビクゥと跳ねる肩が、辛さへの恐怖を見せ付けているかのようだ。
 そんな彼女らをさらに促して歩くんだが…………ついてくる二人が今から奴隷商にでも売られるかのような怯え方&歩き方なのはなんとかならないだろうか。や、自分で促しておいてなんだけどさ。

「大丈夫だよ。凪の料理は確かに辛いのが多いけど、辛さの中にある旨味がきちんと解る料理だ。辛さブームにあやかって、ただ辛いだけの料理を出す場所とは訳が違う。とても辛くてもきちんとラーメンの味がするラーメンと、ただ辛いだけで香辛料の味しかしないラーメン……どちらがいいかなんて訊くまでもないだろ? ラーメン食べに来たのにラーメンの味がしなかったらまるで意味がない」

 少し戻って、手を握って歩く。
 引かれるように、朱里が歩き、朱里と手を繋いでいる雛里も歩いた。

「だから大丈夫。凪の料理は美味しいよ」
「で、でも……辛い……ん、ですよね?」
「うん辛い」
「はわっ……!!」
「あわ……わ……!」

 きっぱり言ったら怯えてしまった。
 でもなぁ、辛さが苦手な人に、辛いけど美味い料理を知ってもらいたくなる気持ち、辛いもの好きの人なら解ると思うのだ。
 だから知ってほしい未知の領域。
 そうして怯える二人を急ぐでもなくゆっくりと引っ張って、厨房へ歩いた。
 のんびり歩く朝の空気は心地良い。
 なんというかこう……疲れた体に朝の空気はありがたいというか。
 出来ることなら朝一番でシャワーでも浴びたい心境ではございますが……あー、川にでもいけばよかったかも。
 いろいろ考えているうちに厨房には辿り着いて、もはや無言の二人とともに卓へ。そこへ、ずっと待ち構えていたとしか思えない速度で凪がお茶を用意してくれる。

「は、速いな……って、二度目だけどおはよう、凪」
「はっ。おはようございます隊長《ビシッ》」
「……朝から随分と凛々しいな」
「隊長に半端なものを食べていただきたくありませんから」

 わあ、朝から物凄くキリっとしてらっしゃる。
 あ、で、でもあれだよ? 今日はゲストさんがいらっしゃるから、あまり本気を出すと……。

「隊長は、辛さは平気でしたよね?」
「え? ああ、うん。平気だけど……あ、でもな、今日は」
「では仕上げに入らせていただきます!《ダッ!》」
「へ!? やっ、ちょっ、凪!? 凪さぁーーーん!?」

 言ったところで届かない。
 もはや調理に集中しきってしまった彼女には、たとえ俺が何を言おうが……。

「はわわわわわわ罰が当たったんですきっと罰がはわわわわわわ……!!」
「しゅっ……ぐすっ……朱里ちゃぁあん……!!」

 …………神様。
 なんか罰を与える側の俺のほうが、物凄い罪悪感に襲われています。
 これが、俺が思春に話してしまったための罰なのだとしたら、結構キツいです……!
 香る料理の匂いはとてもおいしそうなのに、ちらりと視線を移せば脳内でドナドナが流れるような雰囲気。目を閉じて鼻から息を吸えばこの後が楽しみなのに、目を開けば……いっそ料理が来なければと思ってしまうほどに怯えている少女二人。
 ……どうしろと。
 あ、そ、そうだな、なにも全部が全部辛いわけじゃないだろうし、辛いのは俺が引き受ければ───

「隊長! お待たせしました!」

 ───……なんて思っていた時期が、つい数秒前までありました。
 どどんと置かれる赤。
 次いで置かれる赤、赤、赤。
 白い輝きを放つものが米しかないほどの状況下に、朱里も雛里もはわあわ言うことも忘れ、静かにぽろぽろと涙し始めた。
 い、いやいや大丈夫だよ二人とも! 凪の料理は美味しいから! 辛くても美味しいのが素晴らしいんだから!

「いただきます!」
「はいっ!」

 よほどに自信があるのか、彼女にしては珍しく元気に返された。
 頑張ってくれたんだろうなぁ……ありがたくいただこう。
 じゃあまずこっちの皿の赤から。……赤しかないけど。

「はむっ、ん、んん…………おっ? これ餃子かぁっ」
「はい。カリッと仕上げた餃子に餡をかけました。相性も考え、出来るだけカリカリさを損なわないよう仕上げた餡なのですが、どうでしょう」
「うん、美味しい。こっちじゃ水餃子が基本だから、焼き餃子とか揚げ餃子は嬉しいなぁ!」

 早速ご飯を掻っ込むと、浮き出してきた辛さが米に染みこんで中和される。この時の絶妙な刺激が好きだ。単体では辛いのに、ご飯と合わさるとこうも美味い。
 もちろん餃子だけでも美味しいが、やっぱりおかずはご飯とともにだろう。

「ほら、朱里も雛里も。ご飯と一緒に食べてごらん。怖かったら先にご飯を口に入れておくのもいいかも」

 個人的にはおかずのあとにご飯を追わせるのが好きだけど、やっぱりそれも個人の好みだ。辛さに刺激されて出てきた唾液に、ご飯の甘さが合わさる感覚がいい。
 さらに言えば辛さのために刺激に弱くなった口内に、熱々のご飯を放り込んではふはふするのがたまらない。
 こんな味を是非とも、知らずに怯える人たちに伝えたい。

「………」
「………」

 おそるおそる、箸を取ってご飯を。
 次いで、赤い餡かけ餃子をカリッと食べる軍師二人は───

「ふわっ───」
「ほわっ───」

 俯かせていた顔を持ち上げ、目尻に溜まった涙を散らしながら、頬を緩めた。

「は、はわっ、はわわわわ……! おい、美味しいです、美味しい……!」
「あわわ、かりかりしてて、はふはふして、ぴりぴりして、あかくて、しろくて………………やっぱり辛いでしゅぅううううっ!!!」

 珍しくも雛里絶叫。
 けれど少々の苦しみを見せただけで、涙を溜めつつも食事に向き合った。
 ……そう、そうなのです鳳雛殿───辛さにはクセになるなにかがある。
 それがなにかと唱えるならば、この北郷。それを魅力と唱えましょう。
 ひとたび口にすれば刺激にやられ、多少のつらさも覚えるだろう。しかし、何故か後を引く。もう一度その刺激が欲しくなる。やがてその刺激に舌が慣れた時───

「…………!」
「……、……!」

 ならば他の辛さとはどういったものなのか。別の辛い食べ物にも興味が沸くのです。
 餃子を攻略した二人は次に、隣の真っ赤な野菜炒めへ。それを口にして、辛さと旨味が上手く絡まったシャキシャキ感に感動。辛さに涙しつつもご飯をはむはむと食べて、次を次をと箸を進める。
 人の知識とは、なにも本のみから得られるものではない。
 未知を知ろうとすることを喜びと感じる知将ならば、舌で探る未知の味にも興味を示すと期待していた。
 そしてそれは、上手いこと彼女たちの味覚を掴んでくれたらしい。……二人とも、辛さと熱さで涙ぼろぼろだけど。

「あの……隊長? 箸が止まっていますが……お口に合わなかったでしょうか」
「へっ!? あ、いやいや美味しいよ! ちょっと二人の食べっぷりに驚いてただけだから!」
「……そうですね。私も、お二人のここまでの勢いを見るのは初めてです」

 新しい味に目覚めた人の食欲というのは、結構激しいものがある。
 用意された皿も多いため、こっちはあっちはと味を確かめる度に、子供のように目を輝かせる二人を見ていると、こちらも頬が緩んでしまう。
 しかし緩んでいるだけで終わるものかと、俺の胃袋も次を催促するかのようにぐるるぅと鳴った。笑いながら箸を持ち直すと、空きっ腹を鎮めるべく二人に負けない勢いで食べた。
 お腹の中が空っぽな、朝っぱらから辛いもの。
 ……後日の厠が怖いなぁなんて思いながら。


───……。


 食事が終わり、結盟の件でいつまでもいつまでもぺこぺこと頭を下げていた二人を見送りつつ……これからのことを考える。
 二人はこれから会議に向けての重要なお報せ的な書類を作るそうだ。
 凪は兵の調練。で、俺は…………昨日の仕事も、結局散歩が終わってからやっちゃったしなぁ。ええ、もちろん気絶から復活してから。
 さて、それはそれとして仕事なんだけど……探せばあるものの、迂闊に首を突っ込んだ仕事の仕方をすると、他の人の仕事を奪うことになりかねないし……そこのところが難しい。
 お小遣い目当てで街での“バイト”を支柱がするのもアレだしなぁ……うーん。

「邵」
「ここに《ザッ》」
「いや、ここにじゃなくて」

 厨房を出たあたりから後方に気配。
 呼びかけてみれば出てきた邵は、俺を見上げるやにっこり笑った。

「お呼びですか父さまっ! 私はべつに、父さまの首を狙ったりなどしていませんよっ!?」
「だから首って言い方やめよう!? 意味は解るけど怖いよ!」

 首に抱き付くのが好きかぁ……面白い“好き”を持つ娘に育ったもんだなぁ。

「こほん。いやな、わざわざ待ってたみたいだったから、何か用なのかって思ってな」
「あ、いえその、用というほどのことではないのですが……ひとつ相談が」
「相談?」

 それが用なんじゃないか、なんてヤボは言いません。
 そんな細かさを気にしていたら、三国同盟の証なぞやってられませんので。
 立ち話もなんだし、東屋にでも行こうと言って歩く。途端に首に飛びついてきた邵に、「狙ってないんじゃなかったのかー?」と苦笑交じりに言ってみても、くすぐったそうに笑うだけで……返事らしい返事もない。
 ああ、本当に和解出来て良かった。出来ていなかったら、こんなくすぐったさすらずぅっと感じられなかったかもしれないんだから。
 軽く鼻歌なんぞを奏でながら、中庭を歩いて東屋へ。
 すとんと邵を下ろして自分も椅子に座ると、少し緊張した面持ちの邵が相談の内容を投げかけてきたのでした。

「───jが?」
「はい。お気づきの通り、jは……どうしてか父さまのことをお手伝いさんと呼んでいます。理由を訊いてみても、お手伝いさんだからですとしか言わないのです」
「お、オテツダイサン……」

 父ですらないのですか呂jさん。
 や、俺も何度かお手伝いさん発言は聞いていたけど、冗談抜きで俺のことだったとは……!

「え、えと。それで、誰のことを父だと……?」

 誰が、いったい誰が?
 もし俺の前でjに父上とか呼ばれている存在が居たならば、途端に俺の拳が血を求める可能性が……!

「いえ、それが、偉大なる父は死んだと」
「あれ本気だったの!?《がーーーん!》」

 お……おぉおおお……! まさか本当に死んでいることになっていたとは……! 校務仮面になってた時もそうだけど、凪からもそれっぽいことを聞いてはいた……けど、なにかの冗談だって思っていたのに……!

「え……じゃあ俺、jにとっては……偉大なる父に成り変わろうと、姉妹に手を出す下衆野郎……?」
「と、父さま……さすがに下衆野郎は言いすぎです……」
「下衆以上御遣い未満か」
「返し辛い質問はやめてくださいっ!」

 でもね、邵。この都において、御遣いなんていじくられてナンボな立ち位置なんだ。割と本気で。それを考えると下衆以上御遣い未満って…………考えないようにしよう。

「で、そのjは? 一度そのことについて、じっくり話し合ってみようと思うんだけど」
「あ、それでしたら今の時間は───」

 言って、ちらりと東屋の屋根の端……空を仰ぐように上を見る邵。
 釣られて同じ方向を見てみると、城壁のさらに上の見張り台の、そのまた屋根の上で本を広げている小さな姿。

「……高いところが好きなのか?」
「高いところというよりは……jは目がいいですから。遠くを眺めるのと本を読むのが好きなんですよ」
「へえ……」

 亞莎のようにキョンシーハットを被り、長い袖をそのままに器用にページをめくる姿。視線を感じたのか俺と邵に目を向けると…………また本に視線を戻した。
 ……ほんと、一度話してみたほうがいいかも。そう思いつつ立ち上がり、邵にそういえばと声をかける。

「なぁ邵。jが本と景色以外に興味を持ってるものは?」
「はい。なんでも仕事をサボって食べるごま団子だとか───はうあっ!? 父さま!? 何故急に崩れ落ちるのですか!?」

 なんたること……! 似なくていい部分が思い切り似てしまってるとか、なんたること……!
 よりにもよってサボリか! サボリ癖が似てしまったのか!
 聞いた途端に膝から崩れ落ちた俺に、あわあわと狼狽えつつ席を立つ邵に、大丈夫と言いつつ立ち上がる。
 どれもこれも話としては聞いたことはあったけど、全部が本当となるとダメージがデカい……!

(い、いや、まだぞ。全ての確信を得るまでは、落ち込むわけには……!)

 さあ質問を続けよう。主に希望を求めて。

「ほ、他に好きなこととか嫌いなことは……?」
「え? え、えと……好きなことは勉強で、嫌いなことは鍛錬……だったはずです」
「…………」

 わあ、俺だ。
 まるでこの世界に降り立って、戦いは無理だから勉強をと取り組んでいた俺のよう……!

「あ、でもjはすごいんですよ? 目がいいのもそうですけど、身体能力もすごいんです。妙才さまや黄忠さま、黄蓋母さまが褒めるほどですっ」

 うん。気の所為だった。
 俺にそんな才能無かったよ。

「そっかそっか……どうしたもんかな」
「どうするもこうするも、父さまは父さまなんですから、どどんと向かっていけばいいのですっ! きっとjも照れているだけに違いないですっ!」
「え……そ、そうかな。そう思うか?」
「はいですっ!」
「そ……そっか」

 少し勇気が沸いた。
 そうだよな、俺は……親なんだから。
 もっと構いすぎるくらい前に出るつもりでいかないと、このままじゃ本当にいつかお手伝いさんになってしまう。

「よし、じゃあ見張り台に《くいっ》おわっと!? どうした邵───」
「え? いえ、私はなにも」
「あれ?」

 歩き出そうとした一歩が、服を掴まれることで止まってしまう。
 一緒に居たのは邵だからと振り向いてみても、そういえば引っ張られる方向と邵の位置が一致しない。
 で、振り向いてみれば…………三国無双様。

「ああ、ははっ、恋だったか。どうしたんだ?」

 ていうかいつの間に傍に?

「ご主人様……」
「ん?」
「…………、…………」
「恋?」

 目が合うと、まるで霞がそうするように、俯きながら両手の人差し指をついついとつつき合わせる。ぼーっとすることはあっても、こんな行動は珍しい。

「───」
「……《こくり》」

 ちらりと苦笑とともに邵を見ると、邵はにっこり笑って席を外してくれた。
 ただし去る際にはjの方をちらりと見たあとにもう一度俺を見て。
 ……jのこと、よろしくお願いしますってことだろう。

「それで、恋? どうかした?」
「……《こくこく》……ご主人様」
「うん」
「……恋と、勝負してほしい」
「───」

 うん、と言いつつにっこり、頭を撫でようと軽く持ち上がった手が、びしりと止まった。
 今……なんと?

「ぼっ……坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた……」
「……?」
「……ごめん恋。今、なんて?」

 大丈夫聞き間違いだ。だって理由がないだろう。
 きっとほら、あれだ。似たなにかが間違って耳に届いたんだ。
 ほらあるだろ? しょ、しょー……

「《こくり》……恋と、勝負してほしい」

 うん解ってた。解ってたよ北郷。北郷自分に嘘ついてた。聞き間違いじゃなかったよ。

「勝負か。恋、なにで勝負したい? 叩いて守って? ババ抜き? それとも新しい、何かを使ったものを───」
「……《こくこく》模擬の武器……使う」
「………《にこり》」

 必死に遊びのカテゴリに逃げようとしても無駄だった。
 ああどうしようどうしよう。こんなことならこだわらずにバイトでもなんでもしておけば今頃は……!

「……癖だよなぁ」
「……? ご主人様……?」
「いや。……………………よしっ、やろうか、恋っ」
「……!《ぱああ……!》……ん……やる……!」

 あーだこーだ言って逃げようとするのは癖だ。
 けど、逃げてちゃ未来は築けない。
 困ったことに強くなる必要があるのだ……逃げてばかりじゃ始まらない。
 でもね、でも……なにもその一歩が三国無双じゃなくてもいいだろって思うくらい……許されるべきだよね……?




-_-/呂j

 今日も陽の下で読書。
 とても暑く、むしろ熱い。
 けれど私は学んだ。
 お手伝いさんの言う言葉は正しい。
 人とはじゅんのー出来る存在。
 つまり暑さに慣れたくば、暑い中にあって、それが当然だと体に覚えこませることが大事。
 それが出来た時、呼吸法のひとつで……たとえば周囲が暑いと言う温度も、なんのことはなく過ごせる。
 ただし水分は摂るように。……お手伝いさんは本当に知識が深い。

「慣れてくると、うっすらと掻く汗が体を冷やしてくれる。いい調子です、さすが私。さすがお手伝いさんの知識」

 私はこうして知識を武器に、皆さんが暑い〜だるい〜などと言っている今を乗り切るのです。
 天国の父……見てくださっていますか。jは……周囲より一歩を先んじて、なおかつさらなる知識を望む勉強熱心な子です。えへん。
 え? 武術鍛錬? 知りません。
 大体私は、目を向ければ鍛錬鍛錬と言う人が好きじゃない。
 まるで“私が知を磨くこと”が無駄だと言われているようだから。
 だから……こうして、今日も読書を。

「ふむむ、絵本も奥が深いですね……! 続きが気になって仕方がありません……!」

 鍛錬はサボっても仕事はするjです、多少のお金はありますが……絵本を買うには足りません。
 どうしたものでしょう。
 公瑾さまなら持っているのでしょうが、貸す代償として鍛錬をしろと言われるのが目に見えています。それはいけません。

「ならばなにか、知識欲を満たすものを……あ」

 ちらりと中庭を見下ろしてみると、先ほどは東屋に居たお手伝いさんが奉先さまと戦っていた。
 ……? はて、邵姉さんは?

「j」
「《びくぅ!》はわうえぁあーーーーっ!!?」

 トンと背中をつつかれる。
 驚きのあまり絶叫してしまい、体勢まで崩してしまい、危うく見張り台から落ちそうになってしまった。

「しょしょしょっしょしょ邵姉さんっ! 気配を殺して後ろからはやめてくださいとあれっ……あれほどっ……!」
「鍛錬をしないからです。減点ですよ」
「はっ!? また黄柄姉さまの差し金ですか!? 黄柄姉さまはいつもいつも人が嫌がることをして! くぅうう……いつか眠っているところにご飯粒をつけて、起きた時に黄蓋母さまに“人が寝ている最中に食事とはいい度胸じゃ”と説教をされるよう、仕向けて差し上げましょう……!」
「jが近づいた時点で黄蓋母さまが起きますよ」
「潜入は任せました、邵姉さん!」
「やりませんっ!」

 だめですか。人を散々と驚かせておいて、人のお願いは聞いてくれないとは……周邵姉さんも中々にいじわるです。

「j、気配察知くらいは出来るようにしておくべきですよ? 遠くも見れて近くにも敏感。強くなれますです」
「では“こつ”だけ教えてください」
「そんなものはありません。努力あるのみですっ」
「じゃあいいです。私は知さえ磨ければ十分ですので」
「あぅう……」

 別に目が悪いわけでもないけれど、半眼になって中庭での攻防を見守る。
 奉先さまの攻撃を避けて、避けて、避けて……反撃しないお手伝いさん。

「うわー……速いですね」
「《こくり》……お手伝いさんは相変わらず見事です」

 きっと今は亡き父の姿に追いつこうと努力を続けたのでしょう。
 みんなが彼を父と呼んでいるのがいい証拠だ……きっと強くあることで、みんなを落胆させないために……私たちに気づかれぬよう表ではぐうたらを、裏では血の滲むような努力を……!
 もうあれですね、お手伝いさんは立派な人だ。

(そういえば……)

 偉大なる母によると、偉大なる父は輝いている人なのだそうだ。
 驚いた。人とは輝くのだなぁと。
 なんでも、良い眼鏡をかけて見てしまうと眩しすぎて直視できないほどに輝いているらしい。すごい、やはり偉大な父はその姿だけでも偉大なのだ。
 そんな父に会えなかったことは残念だ。
 この、無駄に視力だけはいい目で、その輝きというものを見てみたかった。
 ……実際にそうして、目が潰れてしまわないか心配ではありますが。
 お手伝いさん知識によれば、輝いていることを“しゃいにんぐー”とか言うらしい。なるほど、お手伝いさんが時折ぶつぶつと言っていた“しゃいにんぐ・御遣い・ほんごー”というのは偉大なる父のことだったのだ。
 きっと乱世の時代、敵国に夜襲をかける時もご自分の輝きにご苦労なされたに違いない。いや、むしろ堂々と戦ったのだろう。さすがだ。かつては後方で戦を見ていただけとも聞いたけれど、その際も全体を見ていろいろと知恵を絞ったに違いない。素晴らしい。
 ……うっ? いや、そうなると呉や蜀と戦ったことになるのだから、敵国ということに……うう。
 なるほど……偉大なる母のご苦労も窺えるというものです。かつての敵国の相手に恋をし、さぞご苦労なされたことでしょう。

「ふわー……父さますごいです」
「お手伝いさんはさっきから避けてばかりですが……なるほど、相手の動きを見切る練習ですね」
「おお、解りますかj」
「目にだけは自信があります。えへん」

 言いつつも、そうじゃないかと思ったことを口にしただけです。
 だって鍛錬嫌いですから、きっとそうなのだろうという知識しかありませんし。見切りなんて言われたって解りませんよ。
 “よく見える”=“絶対に躱せる”ではないのですから。

「jは奉先さまの攻撃、見えますか?」
「よく見えますけど、躱せはしません。それは絶対です」
「うう、もったいない……。jはもっと鍛えるべきです」
「解っていませんね邵姉さん。例えば私がどれだけ目が良くとも、鍛えた程度であれを避けられると思いますか? 思わないでしょう。見えていても事故は起こるから事故なのだ。お手伝いさんはとてもよい言葉を私に教えてくれました」
「あぁああ父さまぁあーーーーっ!!」

 「話の切っ掛けが欲しかったんでしょうけど、失敗です、それは失敗ですぅうう……!」と、周邵姉さんが頭を抱え始めた。
 文謙さまもそうだった。
 なぜにこう、お手伝いさんの話題になるとみんな一様に頭を抱えるのか。
 そう思った時、ひと際大きい衝突音が耳に届く。
 ぱっと中庭へと視線を戻してみれば、吹き飛ぶ奉先さま───を追って、驚く速さで距離を詰めるお手伝いさん。
 何があったのかは……会話までは聞こえないから解らないけど、ちょっと珍しい。お手伝いさんが中庭で誰かと戦う姿を見るのは、もうあの日から数えれば一度や二度じゃあありません。
 その中でも、多少の距離を詰めることはあっても、吹き飛んだ人に目掛けて全速力というのは……やっぱり珍しいです。
 吹き飛んだ奉先さまも、いつもなら座った状態でお手伝いさんにぽこりと頭を叩かれて負けを認めるだけだったのに、今日は体勢を崩しもせずにお手伝いさんを迎え撃っている。

「え、え……? いつもならこれで終わるのに」
「すごい……お手伝いさん、本気です」

 いっつも本気ではあったと思う。
 けれど今日のお手伝いさんは……ううん、むしろ奉先さまから感じる気迫がいつもと違う。
 まるで強者を倒さんとするその眼光は、いっそ怖いと思ってしまうほどで───その気迫のままに攻撃をするけれど、お手伝いさんはそれを避けて、いなしてを繰り返す。
 いなす場合は一撃一撃に体を持っていかれているけれど、当たってしまえばほぼ一撃。だったらたとえそうでも無事でいられる方を選ぶとばかりに……氣がどうとかは解りませんが、見たままの攻防にそのままの感想を述べるなら、すごいの一言。

「っ───にぃいいい回目ぇえええっ!!!」

 お手伝いさんの絶叫がここまで届く。
 と、奉先さまの武器の長柄の部分を左手で受けたお手伝いさんが、右手の木刀で奉先さまを吹き飛ばす。
 すぐにまた追うのかな、と思ったけど、受け止めた左手が痛かったのか、腕をばたばたと振るだけで追うことをしない。
 そうこうしている内に奉先さまが走って戻ってきて、その勢いのままに武器……ほうてん、なんでしたっけ、を振るう。
 お手伝いさんはそれを棒立ちのまま迎え入れて……凝視っていうくらいに奉先さまの……肩? を見つめて、振るわれたそれに一瞬で手を添えると、力の向く方向を奉先さまに向けて、……わあっ!? 返した!? すごい!
 結果として大振りの空振りに終わって、体勢を崩した奉先さま───の、がら空きになった脇腹にそっと手を添えた。

『あっ!』

 周邵姉さんと声が重なる。
 あれは確か、曹丕姉さまと校務仮面さんが戦った時に、校務仮面さんがやった技───そう記憶を過去に遡らせた瞬間には衝撃が徹ったようで、奉先さまがお腹を庇って後ろに飛ぶ───のを追って、その首に木刀を突きつけた。
 ……すごい、あの奉先さま相手にあれだけ───あ、あれ? 優勢に見えるお手伝いさんのほうが、物凄く息を荒く肩を上下させてます……どうしたんでしょう。

「邵姉さん、あれは……」
「奉先さま相手にあれだけの行動ですから……それはもうずうっと緊張しっぱなしの筈です。というか奉先さまの攻撃の速度に合わせて手を動かして、武器に手を添えるなんて無茶苦茶ですよ……」
「あれはどういった技なんですか?」
「アイキ、とか言っていた気がします。父さまお得意の“出来たらいいな講座”で語られた技です。相手の力に自分の力を乗せて、相手に返すというものらしいですけど……下手をすると自分が空を飛ぶか、危うくて大怪我、絶命の可能性を考えれば、成功させても精神的に疲弊するのでは……」
「………」

 それはなんというか、だめなんじゃないだろうか。
 けれど返して見せた。すごい。

「?」

 決着がついた……と思ったのに、奉先さまがまた構えた。驚愕のお手伝いさん。
 それからはまた攻防が始まって…………

……。

 ───……お手伝いさんがぜひーぜひーと、それはもう全力で息をしている。体全体で息をするって言葉があるなら、きっとあんな感じ。
 対する奉先さま。
 もう、何回吹き飛ばされたり木刀を突きつけられたのか……数えていませんでしたが、なんだか目がすごく爛々と輝いています。
 でもやっぱり……氣、ですよね? 内側に衝撃をぶつけられ続けたのが効いたのか、少し息を荒くしています。

「あぅあぁあああ……!! い、いつまでやるのでしょう……! もう見ているだけでも怖くて、邵は、邵はぁあ……!!」
(…………お手伝いさん、がんばれ!)

 まだまだ戦えるといった感じの奉先さまに対し、ぼろぼろのお手伝いさん。
 なんのかんのと仕切り直しみたいな感じのことをやって、えーと……なんていうのでしょう。なんぼんしょーぶ? 先に何回勝ったら勝ち、とかそういうものをやっているのでしょうか……お手伝いさんが奉先さまの頭を何回木刀でポコリと叩こうが、首に木刀を突きつけようが、奉先さまは向かっていきます。

「……でも、父さま上手いです。奉先さまの力が武器に乗り切る前に衝撃を吸収して、少ない氣の消費で奉先さまを吹き飛ばしています」
「それも何回でしたっけ……」
「ついさっきので6回目。木刀を突きつけた回数は3回。次勝てば丁度10回ですね。負け無しでここまでなんて、偶然でもすごいですっ!」
「奉先さまの強さは私でも知ってますが……お手伝いさん、一体何者なのでしょう……!」
「いえ、ですから父さまですよ」
「偉大なる父は死にました」
「死んでません!」

 ……でも。ああいえ、偉大なる父のことではなくて。
 でも、奉先さま……きっとなんだかんだで手加減はしているのでしょう。
 さすがに本気で潰しにはかからない……と思います。
 けれどどうしてでしょう。お手伝いさんの勝ちが重なるたびに奉先さまの目が輝いていって、まるで何かを熱望するかのように、やがて鋭く、目で見えるほどの何かが溢れ出してってキャーーーッ!!?

「な、なななななんですかこれは邵姉さん! 奉先さまから赤黒いモヤのようなものがー!」
「ぬ、ぬうこれは……」
「し、知っているのか雷電……」
「はい。父さまが言っていた過去のお話に、こんなものがありました……。なんでも奉先さまはとある大会で、氣で巨大な武器を作り上げたことがあるとか……!」
「……え? いえあの、それを……ここで?」
「………」
「………」
「だ、大丈夫です! お手伝いさんなら……お手伝いさんならきっとなんとかしてくださいます!」
「その父さまが今、奉先さまの目の前で悲鳴を上げているんですが!?」
「えぇええええっ!!?」

 見れば確かに大慌て。「キャーーーッ!?」と全力で叫ぶお手伝いさんは、誰の目から見ても泣いています。
 ああ……解りますよお手伝いさん。離れている私たちでもこうなのに、目の前のお手伝いさんはもっと怖いことでしょう。
 ですが私はお手伝いさんを信じます。勝手に。

「どどどどうしたというんですか奉先さま……! 急に戦って、それも急に全力でなんて……!」
「お手伝いさんが何かをやらかしてしまったのでしょうか……」
「最近は一緒に居ましたけど特に奉先さまと何かがということはありませんでしたよ!? むしろ散歩の途中で気絶してしまってからは、会うことすらなかった筈ですし!」

 だったら別の何かがあったということでしょうか。
 ……と、原因を考えていると、ぞろぞろと集まってくる人、人、人。
 戦いの最中にもちらほらと来てはいましたが、この氣の放出に軍師の皆様までもが集まったようで。

「こ、こら! 恋ーーーっ! いったいなにをしているのだぁっ!!」

 雲長さまが叫ぶ。けれど爛々な瞳の奉先さまには届かない。
 やがて奉先さまが持つ、ほうてんなんとかに赤黒いもやが集まっていって……鈍く輝いた。なんだろう、特になにがあるわけでもないし、もやも消えてくれたのならって思うのに、あの武器に触れただけで指が吹き飛びそうなくらいの危うさを感じます。
 対するお手伝いさん。
 途中で悲鳴を上げなくなって、どうしたのかなと見てみると……深呼吸を続けて、胸を何度も拳で叩いている。
 あと、なんだか……溢れ散って漂っていた奉先さまのモヤ……氣? が、少しずつだけどお手伝いさんの体に流れていっている。

「あ……集氣……外氣功」
「しゅうき? がいき? なんですかそれ」
「……やっぱりjは武術の勉強もするべきですよ。えっとですね、氣功には内氣功と外氣功というものがありまして」

 周邵姉さんが説明してくれている間にも事態は進む。

「自分の内側に存在する自分の氣、つまりこれが内氣で、体外に存在する良い氣、または自分以外の氣を自分の氣として吸収、力にするのが外氣功で───」

 奉先さまが構えて、少し屈むみたいにする。
 お手伝いさんはそれを見てすぐに構えを取ると───もう呼吸も乱れてない、肩も上下していない様子のままに、自分も奉先さま目掛けて弾かれるように走りました。
 響く両者の咆哮。
 説明中の周邵姉さんもびくっとなって声を詰まらせるほどの迫力同士が、中庭でぶつかり合った。
 もはやどうなろうと構わんって感じで衝突する武器と武器。
 お手伝いさんが持つ木剣からは金色の輝きが溢れて、奉先さまが持つ模擬の武器からは赤黒く鈍い輝き。
 それらが轟音を立てた時、同時に何かが砕ける音も響いた。
 途端に突風。
 中庭から全方面へと、何かが爆発したみたいに解放されたそれは…………

「………」
「……、……」

 奉先さまが持っていたほうてんなんたらが砕け、中から漏れた氣だったのだと……のちに、周邵姉さんが教えてくれました。
 直後に場を埋めつくす歓声。……と、怒声。
 怒っているのはもちろん雲長さまだったけど、それ以外のほぼは安堵と歓声ばかりだった。
 将のみなさんがお手伝いさんへと駆け寄る中、お手伝いさんは立っているのも辛いってくらいのふらふら状態で、けれど……そんな状態のままに軽く手を上げて……奉先さまの頭に、ぽこりと手刀。
 自分の砕けた武器を見下ろして呆然としていた奉先さまは、一度頭を両手で触ったのち……ぱあっと目を輝かせると、お手伝いさんに抱きついて───はぁああわわわわわ!?

「え、あ、えっ!? な、舐めっ……!?」
「あぁうあぁあああああっ!? ほほほほ奉先さま、大胆ですっ!」

 押し倒される形になったお手伝いさんは、抵抗する力も残っていないのか舐められるがまま。周りの将のみなさんが剥がしにかかるけど、離れません。
 まるで自分のものに匂いを付けるのに一生懸命な動物さんみたいです。
 ……と、ここでふと気づく。
 今、お手伝いさん……右手で手刀しましたよね。
 あれ? 木剣はどこに───

「《ガランゴロガタァンッ!!》うひぃえぁあぁああああっ!!?」
「はうぁああっ!?」

 ───直後、空からびゅおんびゅおんと回転した木剣が落ちてきました。
 とんでもなくびっくりです。
 けれどそれがお手伝いさんの木剣だと気づくと、屋根から落下してしまう前に慌てて掴みます。

「わ、あ、熱い、です……」

 掴んでみれば熱かった。
 しかもあれだけの轟音と衝突だったのに、折れてもいない。

「どんな作りをしているんでしょうね……模擬の武器を砕いたというのに」
「あ、あはは……いえいえj、あれはちょっと違うんですよ」
「違う? とは?」
「砕いたというか、砕けたのだと思いますです。普通の奉先さま愛用の方天画戟ならまだしも、あれは模造の、鍛錬や仕合用の武器ですから。形だけを似せた適当な素材で出来たものに、奉先さまの氣を凝縮して詰めれば……しかもあれだけ思い切りぶつかれば、爆発しちゃいます」
「……え? それでは、お手伝いさんが勝てたのは……」
「言ってはなんですけど……運ですね。氣を込めずに向かってきていたら、きっと父さまは負けてましたです」
「………」

 勝負は時の運、という言葉くらいは知っていますが、やっぱり努力だけでなんとかなる世界ではないのでしょう。
 ……あ、引き剥がされそうになった奉先さまから、また赤黒いもやが……。

「うひゃわああああっ!! 恋ちゃんが怒ったーーーっ!」
「恋っ! 桃香さまに氣を向けるんじゃない! というか暴れるなぁああっ!!」
「うわわわわ恋落ち着きぃ!! あーもうねねはどこやー!!」
「ねねなら璃々と買い物に出てるわよ! それより恋! 落ち着きなさい! 月もいるんだから暴れない!」
「うわわ兄ちゃんぼろぼろだ……! 流琉、ボクちょっと華佗のおっちゃん呼んでく───」
「おっちゃんではない! お・に・い・さん! だぁーーーッ!!」
「うわぁっ!? おっちゃん居たの!?」
「だから俺はまだおっちゃんではないと! ……しかしなるほど、これはまた随分と強引に錬氣をしたな、一刀」
「相手が全力でくるなら全力で……って、下手すりゃ死んでたけどね。恋も気が済んだみたいだし……はぁ、流石にもう無理動けな《ブスッ》痛ッツァーーーーーッ!!?」
「ははは、それだけ叫べればまだまだ元気だ。が、あまりこういった無茶は、医者としてはお奨めできないな。だから必治癒は無しだ。少しは懲りろとの、覇王さまのお達しだ」
「俺だってどうしてこんな大バトルになったのか教えてほしいくらいなんですが!? なんとか七回ずつ全力錬氣で吹き飛ばせたけど、これ以上続けられたら───……あ、あれ? 勝ったの十回? 十? 十回連続……───ぁ……美以ぃいいいいっ!! 恋にへんなこと吹き込んだのお前かぁあああっ!!」

 眼下に広がる世界はとても賑やかだ。
 わいわい騒いではどこかから悲鳴が聞こえて、聞こえたと思ったら笑い声に変わって。

「十回連続? ……あ」

 そんな眼下をよそに木剣を眺める私の隣で、周邵姉さんが妙に納得いった、といった感じの声をあげる。訊ねてみると、なんでも奉先さまはお手伝いさんに“強者”であってほしかったとかなんとか……なんのことでしょう。
 一回勝てるだけでも十分に強いと思うんですが。

「ますます産まれるお子さまが楽しみですっ!」
「? 産まれるんですか? まあ……はい、そう……ですね。その通りです」
「jっ、これからもっともっと都は賑やかになりますよっ!」
「はい、思い浮かべるだけで、賑やかというかやかましそうです」
「次に産まれる子たちに負けぬよう、鍛錬鍛錬ですっ!」
「え? 嫌ですよ鍛錬なんか」
「ここは素直にのってきてくださいぃっ!!」

 お手伝いさんの木刀を、強く強く握ってみる。
 偉大なる父も木剣使いだと偉大なる母に聞いた。
 感じるこの温かさは、父に近しいモノを握っているからでしょうか。
 ……普通にお手伝いさんの氣の残りの所為ですよね。

「………」

 温かい氣です。
 氣でいいんですよね? この温かさは。
 触れていると、まるで守られているような気分になって、少しだけ楽しい気分になってくる。

「あっと、それは父さまに返さなければいけませんね」
「はい」

 軽くひゅんひゅんと振るってみる。
 ……が、重い。拾った時にも思ったけれど、この木剣……重いです。
 この黒さが重みの秘密だったりするのでしょうか……私とて木剣を持ったことはありますが、こんなに重いものは持ったことが……!

「おおお……これをあんなに簡単に振るうなんて……。お手伝いさん、やはり只者では……!《ズルッ》───あ」
「だから父さまだと───あ」

 重々しくのろりのろりと振るっていた木剣がすっぽ抜けた。
 途端、さああっ、と血の気が引く。
 あれはお手伝いさんが大事にしているものだ。
 中庭に来る時は大体持っていて、休憩しようという時でもそこらに投げ捨てて休憩、なんてことをせず、わざわざ長い布袋に入れてそっと傍に置くくらい。
 それを落下させてしまった。いや、まだ落ちきってない。

「……くぅっ!!」
「えっ!? あっ、jっ!? だめっ!」

 駆けた。駆けて、飛んだ。
 城内で一番高い場所から、屋根を蹴って。
 その勢いの分だけ、黒い木剣には近づけた───けれど、今さら余計に血の気が引く。
 木剣と自分の落下地点を考えれば、落ち切る前に掴めはする。するけれど……痛いで済めばいいなぁ。
 ああ偉大な父……あなたもこうして、なにか大切なもののために命を賭したのでしょう。心血注いで民のためにと駆けたのでしょう。
 たった一本の武器のために、もしやすれば命さえ失いかねないことをする私は、あなたの娘として己を誇るべきですか? それとも無謀だと笑われるべきでしょうか。
 ……笑われるのでしょうね。
 皆が望むことをしようともしない私は一人です。
 結局、自分が目指したいものも周囲には認められず、あれをやれこれをやれと言われるだけで、誰に褒められることも誇られることもなく死ぬのでしょう。
 それが……今はとても悲しいです。寂しいです。
 出来ることなら───もしこの先で死ぬのだとしても、次は誰かに褒められて、誇ってもらえるような自分になりたいな。

  木剣を掴む。

 さあ、あとは落ちるだけ。
 されどこの木剣は意地でも守りましょう。
 どれだけ痛いのだろう。
 目を瞑れば痛くないかな。
 そう思って目を閉じる刹那、仰向けに倒れたままのお手伝いさんと目が合った。

「ぅぁっ!? 亞莎!!」

 途端、ぼろぼろの体を起こして、傍に居た母の名を呼ぶ。
 見上げた母の目つきが瞬時に鋭いものへと変わって、即座に振るわれた長い袖から暗器が飛び出してうひゃわぁあああああっ!!?

「旦那さま! いきます!」
「こいっ!」

 飛び出した暗器……鎖のようなものが私の体に巻きついて、一気に引かれる。
 落下を待っていた体は横へと流れ、けれどこのままだと地面を滑るか母に激突してしまう……なんて思っていた私が玩具のように振るわれて、地面にぶつかるどころかそのまま鎖から解放されて、飛んだ先には……ぼろぼろの体なのに、私を抱きとめてくれる……お手伝いさん。

「いぃっつ……!! くはっ……!! だっ…………〜〜〜……だ、大丈夫か……? j……!」

 痛いだろうに、心配をかけまいと無理矢理普通の顔をしようとして……失敗している。面白い顔だった。
 ……ああ、やっぱりこの人はいい人。
 これで一番最初にくるのが怒声だったら、少し泣いてました。
 いえ、目尻にあるのは涙ではなくて謎の汁ですよ? 驚くと分泌されるのです。涙ではありません。
 などと誰に言い訳をしているのかも解らない状況の中、お手伝いさんがどすんと尻餅をついてしまう。やっぱり無理をしてくれたようだった。
 将のみんながすぐに駆け寄ってくれる。
 振り回される私の軌道上から見事に避けてくれていました。なんというか、さすがです。

「お、お手伝いさん……」
「ああ、ははっ……だ、大丈夫大丈夫……! 娘がハンマー投げの要領で振り回される貴重な場面を見れた代償だって思えば……!」

 はんまーなげってなんでしょう。
 あれですか? 許緒さまのいわだむはんまを投げるといった感じの意味ですか? …………ああ、確かにそうかもです。

「で、どーして急に空から…………って、なるほど」

 はふぅ、と溜め息を吐きながら訊いてくるけれど、私が胸に抱いた木剣を見て、大体のことは納得してくれたみたいです。
 さすがお手伝いさん……私の行動などお見通しですか。

「ありがとう。大切なものなんだ、守ってくれて本当にありがとう」
「《さらり……》あぅ……」

 やさしく頭を撫でられる。
 この人は、この気安さがいい。
 踏み込む時は遠慮が皆無というくらいに踏み込む───それは上から見ていたので知っていますが、それ以外は距離というものを知っています。
 相手が望む距離を保ってくれるので、とても心地がいい。

「で〜もっ」
「《ディシィッ!》はうっ!?」

 おでこに軽い衝撃。
 それでも木剣を離さない私にお手伝いさんは苦笑して、

「木刀は壊れても、まあ……思い出は砕けるけど、忘れるわけじゃない。でもな、jが死んじゃったら代わりは居ないんだぞ? 守ってくれてありがとう。でも、無茶をしたのは怒ります。今のデコピンは、その分ってことで」
「………」

 ぽかんとしてしまう。
 そんな中、お手伝いさんは「っていうか、今せいぜいでデコピンが限界なだけなんだけどね……」と苦笑を崩して痛がっている。
 そんなお手伝いさんを見て将のみんなは笑って、……ハッと何かの気配に気づいた時。

「…………《にこり》」
「はぅがっ!? はっ……はああ……!!」

 傍らに立つ、笑顔なのに怖い偉大なる母の姿に、私の体は固まった。




ネタ曝しです。 *ありません……  ヒカルの碁より、負けた時のキメゼリフ。……キメゼリフ? *お手伝いさんなら……お手伝いさんならきっとなんとかしてくださいます  それでも仙道なら……仙道ならきっと何とかしてくれる。  スラムダンクより。ツェペリ男爵と波紋の呼吸法は関係ない。  さらに言うと、既にこのネタ曝しはやっている。  前回は“明命なら……”でしたが。 *ハンマー投げ  こう、鎖でくるりと巻き込んで、高い位置から横へと流して一刀へシュウーーーッ!! 超! エキサイティン!  元武官だからこそ出来る芸当ですね。  昔、月刊か週刊かのジャンプかなにかで室伏さんの漫画がありました。  父のイメージが……今、俺のものに! 的な感じの。  ハンマーを投げたあとに叫ぶのはよくあったみたいですが、さすがに娘を投げて叫ぶことはありません。ええありません。  ハイ、恋さん無意識に手加減しております。  負ける度にかずピーは強い男強い男って思いが募って、無意識のタガが外れていってますが、手加減しています。  負ける相手は一刀だけと決めているだけあって、そこらへんのガードは緩いものの、ひとたび他の人が挑めば……人が空を飛びますね、はい。  では、後半へ続きます。 Next Top Back