35/日々を語る

 宛がわれた一室にて、話し声が幾つか。
 学校についての話のおさらいをしている俺、冥琳、亞莎、陸遜、朱里、雛里は陽が落ち切ってもまだ、話を続けていた。
 一つの机に俺が座り、今までメモに書いたものを確認しているんだが……あ、ちゃんと漢文でね? って、誰に言ってるんだ俺は。

「えぇっと〜……学校というのは私塾が大きくなったようなもので〜……」
「幼子が通う“幼稚園、保育園”から、小、中、高、大と学ぶ段階に分けての場がある、と……ふむ」
「えと、小、中までは義務教育として学ぶことが義務づけられていて、そこまでは給食という学校から提供される食事がある……で、よかったでしょうか」
「うん」

 そんなわけで、メモに纏めたものを陸遜、冥琳、亞莎が確認していく。
 それを俺の両脇から覗く朱里と雛里がふんふん……と頷きながら、小声で復唱しているのが聞こえて、少し可笑しかったのは内緒だ。
 頭に叩き込むなら復唱に勝るものはそうそうないとか聞いたことがあるし。

「この場合、すでに学のある者とそうでない者を段階ごとに分け、小中高大に分けるべき、なのでしょうか……」
「でも……下に見られて怒る人も……居ると思う……」

 出た言葉がこれ。
 そう……雛里の言う通り、いくら歳が上で武力が素晴らしくても、勉強はてんで……という人物はこれで結構居たりする。
 秋蘭や凪あたりはそこらへんキチっとしてそうだけど、我等が魏武の大剣様は……アレだからなぁ。
 秋蘭が高校、または大学生だとすれば、春蘭は小…………でも通用するのか? ……だめだ、小学扱いにした途端に不平を漏らしつつ、一日でクラスの番長とかになってそうだ。確信に近いレベルで。

「じゃあまずはテストをしよう。簡単な問題から難しい問題を出して、それが解けたものを分けるって感じに。べつに三国の将の全てが通うわけでもないんだし、学びたいって言う人だけにそうした確認をする形で」
「…………北郷。その、“てすと”というのは実力を調べさせてもらう、といった意味で受け取っていいんだな?」
「っと、ごめん。そうなる」
「そうか。……実を言えば私も雪蓮も、公立塾を作るというのは反対だったがな。国も平和になったんだ、民に学ばせるのもそう悪いことには繋がらないだろう。事実、天の国では民が学ぶことが一般常識となっているんだろう?」
「うん。中学までは義務として学んで、高校、大学を受けるかは自由かな。学校に行かないなら社会に出る……まあ働くことになる───って、もう散々説明したな、これ」

 無駄にしないためにも出来るだけびっしりと書いたメモ。
 時々及川の落書きを発見するあたり、あいつは人のメモになんてことをしてくれてるんだとツッコミを入れたくなる。

「知恵を付けた民が暴動を起こさないとも限らない、ですか。私も桃香さまには同じことを言ってはみたんですが……その」
「少ししか話さなかったけど、桃香なら笑顔で“大丈夫だよ〜♪”とか言いそうだな」
「人のことが言えるのか、北郷。私はむしろ、お前こそがそう言い出しそうだと思うのだがな。劉備が案を出さなかったら、お前が出していたんじゃないか?」
「……否定できない自分が怖い」

 朱里や雛里に言わせてみれば、俺の在り方は桃香に似ているんだそうだ。
 民や兵、将のために頑張る姿は本当によく似ていますと、この話し合いが始まる前ににっこり笑顔で言われ───雛里もその言葉に顔を赤くしながらこくこくと頷いていた。
 ……雛里ってやっぱり、物凄い恥ずかしがり屋……だよな。彼女らがここに来て、ちょくちょくと帰った日があったにはあったけど、結構顔合わせもしているっていうのに未だに慣れてくれない。拾われた猫と対面している感じだ。
 それなのに、やたらと手を繋ぎたがるというか……や、嬉しいけどさ。
 だってほら、ウチの……魏の軍師さんっていったらあんな調子だろ? こんなふうにして笑顔を向けながらとか恥ずかしがりながらとかで手を握るなんて…………あ、なんか視界が滲んできた。
 風も稟も桂花も、もうちょっと俺にやさしくしてくれてもいいと思うんだ……うん。

「あー……話を戻そうか。学びにくる生徒たちには食事を振る舞うのか? それによっては学費問題が出てくるけど」
「そうですねぇ〜……国が豊かになったとはいえ、無償で学や食事の提供を出来るほど、国庫は無限ではありませんから〜……」
「じゃあ……弁当持参って形になるのかな」
「高等学校と言われる場ではそうなのだと言っていたな。だが金銭問題で学びたくとも学べない者も居る中で、通うごとに食料を必要とするのも問題があるな」
「だよな。出来れば“学びたい人”に優先的に学んで欲しいって思うし……」
「はぁ……たしかに嫌々学ばれても、教え甲斐は無さそう……ですよね」
「その点亞莎は熱心だから、安心だけど」
「え? ……ふえぇえっ!? わ、私ですかっ!?」

 一度話が始まれば、出てくる言葉は後を絶たない。
 こうすればいい、じゃあこれはどうなる、そっちはこうしようなど、学びたい者のためになる方向と金銭問題で学べない者のことも考えて考えて考えて……これがまた、結構難しい。

「あ、じゃあこういうのはどうかな。お金が無いけど学びたいって人は、国の仕事を手伝うことで免除される、って感じで」
「初めはそれでいいかもしれませんが、仕事というのも無限ではないです……。蜀はただでさえ、生活に困った人が仕事を求めてやってきますから……」
「その、桃香さまもそういった人たちを無下には出来ないお方ですから……」
「な、なるほど……」

 徳で名を知られる桃香だ、たしかにその通りなんだろう。
 となると、これは難しい。
 学びたいけどお金がない、お金がないから学を身につけ出世したい、けど金がない。働きながらでいいなら頑張りますから、なんて人はたくさん居ると思う。
 もし学びたい人たちが全員そうなら、国はかなり参るだろう。
 たしかに発展はするが、国庫が尽きるのが先か国が栄えて国庫が増えるのが先か。平行はまずないと思うから……これは難しいな。

「呉から学びに行きたい、魏から学びに行きたいって人の場合は、旅費も考えないといけないし、滞在するためにも金が…………んー……いっそ寮制度に───って、余計に金銭面での問題が出るか?」
「寮制度?」
「あ、うん。学校自体を大きな宿みたいに喩えて、学校で寝泊りをしながら勉強する、って感じかな。遠い場所から来る人は、どうしても金がかかるだろ? それを、一定の料金さえ払えば用意された部屋で寝泊りしながら学べる、って……そういうもの」
「なるほど……蜀だけで考えた場合でも、町から町へ歩くだけで陽が暮れてしまいますし……あれば便利かもしれませんね」
「それ以前に、蜀のみに学校を構える、というのが無茶ではないだろうか、と……思うようになってきたのだが」

 朱里の言葉に、冥琳が目を伏せた難しい顔で言う。
 うん、いっそ各国に学校を作ってみてはどうか、という話も少し前に上がった。
 けど、教えるのが頭の回る軍師たちである以上、国の仕事もあるわけだからそうそう時間も取れないわけで。
 特に呉は他の国と比べて将の数は少ない。
 学校を作り、たとえば冥琳、陸遜、亞莎を教師として任命したとしたら…………なんだろう、いろいろ危険な気がする。

「なぁ、確認したいんだけど……学校で教えるのは文字や歴史や……農作業とかそういったものでいいのか?」
「ああ、そうなるな。たしかにいつかは再び戦が起こるかもしれない。が、だからといって学を学びに来る者全てに戦術を教えるわけにもいかないだろう」
「学びに来る皆さんには、平和の実りになることを学んでいただければと思ってるんです。民の皆さんに頑張っていただいて、私達はその平和を守るために尽力する。そういった形でいいんだと思いますよ」

 戦は教えない、か。そりゃそうか、兵に志願しに来るわけでも、将に志願したいわけでもない。
 それぞれの民がどんな考えで学びに来るのかなんて解らないけど、今よりももっと上の自分で在りたいって気持ちはよく解る。
 それは知識ででも力ででも技術ででも、きっと変わらない。

「う、んん……難しいですね……。あの、ではいったいどうしたら纏められるんでしょうか」
「そうですねぇ〜……亞莎ちゃんはどうしたいですか〜?」
「わ、私……ですか? 私は……出来るなら学びたい人全てに学んでほしいと思ってます……。私はこうして、学べる場へと迎えてもらえたから学べましたが……そうでない人はたくさん居ると思うので」
「う〜ん……そのためにどうするか、ですね〜……」

 ニ国の軍師がうんうんと唸っている。
 俺はといえば……頭を捻り続けていても良案が出ず、多分ほかのみんなよりも余計にうんうん唸っていて…………相変わらずというか、両脇の二人がそんな俺をどこかうっとりした顔で見ていた。

「あ、の……やはり、一刀さんの言う通り、学費が払えない人には仕事を提供する形でやってもらうしか……」

 と、ここでそんなうっとりさんの片割れ、雛里が帽子の端をきゅっと握りながら言う。
 その言葉にみんながうぅん……と難しげに声を漏らすと、雛里は自信なさげに俯いて、深く帽子を……被る前に抱き上げ、椅子に座る俺の足の間へと、すとんと下ろした。

「ふわっ……!? あわわっ……!?」

 当然大慌てである。あるが、俯く必要も怯える必要もないんだよ、と伝えるため、ゆっくりとやさしく体を抱き締めながら頭を撫でてゆく。
 途端にみんなが驚きの目を向けるけど、俺は雛里には見えない位置で目配せをした。
 どうもあがり症の気がある雛里は、学校の話の時でも喋ることが滅法少ない。
 そんな彼女が落ち着けるようにと、驚かせない程度にゆっくりやさしく撫でていく……って、抱き上げて座らせた時点で相当驚かせてたか。

「……大丈夫、落ち着いて。言いたいことがあるなら言っていいんだ。怯えないで、もっと自分を出して。……はい、吸って〜〜……」
「すぅうう……」
「吐いて〜〜……」
「はぅうううぅぅ〜〜……」

 吐く息が涙声でした。
 ……な、なんだろうなぁ、この……湧きあがる保護欲のようなものは。
 すっぽりと腕の中に納まる体躯に、びくびくおどおどとした風情……理由もなくただ守りたくなるこの衝動……!
 二人が知識で守ってくれるなら、俺は力で守ると言ってしまったから余計……なのか、守ってあげたくなってしまう。
 そんな理由からかどうなのか、俺は雛里をやさしく撫で続け、声でも落ち着けるようにと大丈夫、安心して、力を抜いて、などなど、不安材料を出さない程度の言葉を投げかけ───こてり。

「あれ?」

 ハッと気づいた時には、雛里は俺の胸に頭を預ける形で眠ってしまっていた。

「………」
『………』

 ……やあ、何故か他の皆様の目がとても痛いような。

「えーと……どうしよう」

 と、朱里へ。

「一刀さんさえよければ、寝かせておいてあげてください。雛里ちゃん、いつまで経っても呉で眠るのに慣れてなくて、あまり眠れてなかったんです」
「……そうなのか」

 そのツケが今になって溢れたと。でもこのままじゃあ風邪引くだろうし……

「じゃあ抱きかかえて運ぶから、部屋まで案内してもらっても《きゅっ》……あれ?」

 抱き上げようとしてみて気がついた。雛里の小さな手が、俺の服を握り締めたまま離さない。
 助けを求めるようにみんなを見るが、みんなは何やら微笑ましいものを見る目や仕方の無いものを見る目で同時に息を吐いた。

「一人が寝てしまったなら仕方ないな」
「うーん……そうですね〜、知らないうちに話を進めてしまうわけにもいきませんしね〜」
「あの、それでは今日はここまで、ということで……いいんでしょうか」
「ああ、それで構わんさ。……亞莎、穏ととも今日のことを軽く纏めておいてくれ。私は今回のことを雪蓮に通してみようと思う」
「あ、はいっ」
「任されますね〜」

 で、そんな視線に戸惑っているうちにあれよと人は散っていき、最後に……雛里を抱える俺と、ぽかんとする朱里だけが残された。
 ……ああいや、気配を殺してるだろうけど思春も居るだろうな、きっと。
 つまり血迷って雛里や朱里に手を出そうものならサックリ切られるか腕をキメられて床に倒されて、監禁されたのちに華琳からの直々の命令でグッバイマイサンってギャアーーーーッ!!

「あの、すごい汗ですよ?」
「い、いや……なんでもない」

 心配そうに俺を見上げる朱里に、“ニ……ニコッ?”と疑問的に笑んでみせた。
 さてと。これからどうしようか。
 雛里は俺の服の胸部分をぎゅっと握ったままだし、引き剥がすにしたってあまり乱暴なのはな。

「…………まあ」

 寝るにはまだ早い。城に戻るのが遅かった所為もあって、食事は学校会議の前に終わったし、今することといえば、寝る時間までをどうするか、だ。
 兵舎に行って兵のみんなと話をするのが結構好きだったりするんだが、この状態じゃあ無理ってものだ。
 だったら…………あ、そうだ。氣の練習でもしようか。

「……よし。目標は、小さく……けれど大きく」
「?」

 口にした目標に朱里が首を傾げるけど、気にしないで解放。
 発する氣に雛里が驚いて目覚めたりしないよう、氣の気配は小さく……だが、気自体は大きく鋭く。
 ん、集中───………………まずは右手にうっすらと集めて、と。自分の頬に触れてみてから、刺激がないことを確認。その上で、そっと雛里の頭を撫でてみた。

(……むっ、顔をしかめた)

 これじゃあいけない。もっと細めて、安定安定……!
 やさしく、やさしく……眠る赤子を撫でるくらい、やさしく───……

「…………《きゅんっ》」
「?」

 やさしくやさしくと意識していたからだろうか。自然と目が細り、笑むような表情になっていた俺の視界の隅に、ふと朱里の顔が映る。
 映る……といえばたしかに映っているんだけど、その顔は赤く、その目は薄く潤んでいるようだった。
 あ、あれ? また俺、おかしな表情とかしてたのか? ……いやいや、こういう気になることがある時だろうと集中出来るようでなきゃ意味がない。
 深く眠れば雛里も手を離してくれるだろうし、リラックスさせる意味も込めて、ゆっくりと撫でてゆく。

(……妹が居たら、こんな感じなのかな)

 普段はどこか、びくびくおどおどとしている雛里。
 そんな彼女が、眠気が溜まっていたからとはいえ自分の腕の中で眠ってくれることに、くすぐったいような嬉しさを感じる。
 妹と意識してみて最初に思い浮かんだのは季衣と流琉……なのだが、女性として触れ、交わってしまったからにはもう妹とは見れない自分が居たりした。
 後悔なんて、二人に失礼なことをするつもりはないけど……反省はしような、うん。

「あの……聞いてもいいでしょうか」
「ん……朱里?」

 考えにふけっていた俺の聴覚に届く声。
 意識を思考から外して彼女を見ると、朱里は言葉を続けた。

「その……今さらですけど、一刀さんは何故、魏に下りたんですか?」
「魏に下り……あ、ああ」

 御遣いとしてって意味だよな? 何故と言われても……偶然だとしか言い様がない。もしくは、華琳が望んだからか。

「俺自身、何処に下りるかなんて自分で決められたわけじゃないんだ。“気づいたら、そこに居た”。魏に下りたってわけじゃなく、たまたま華琳が追っていた男たちの前に下りた」
「たまたま……ですか」
「そ。たまたま。そこで趙雲に助けてもらったし、一緒に稟や風にも会った。もしあそこで趙雲が俺を連れていってたら、俺だって魏に居たかどうかも解らない。稟か風と一緒に行ったなら、しばらくあとに魏に入ってたかもしれないし、能力不足で入れもしなかったかもしれない」
「え? あの、それでは……」
「うん。俺が御遣いとして扱われるかどうかなんて、あの時点では一択しかなかったんだ。趙雲にも稟にも風にも拾われず、華琳と出会う。それが、俺が魏へ下りた御遣いになるきっかけだ。そりゃあ、別の場所に下りていれば呉にも蜀にも居たかもしれない。きっかけっていうのはさ、なにが始まりかなんてしばらく経ってみないと解らないものだけどさ。俺にとってはそれがきっかけだったって、華琳に招かれた時点から解ってたんだと思う」

 意地っ張りで寂しがりで、本当は容姿相応に弱いけど強がりな少女。
 そんな華琳に出会って、一緒に天下を統一して。いつの頃からか華琳と見る景色が常になって、好きになって、愛して、別れて。
 いろいろあったけど、離れていた時間は余計に華琳への、魏への想いを募らせた。
 そんな想いも、この世界に戻ってこれたことで安定を見せてはいるが……“彼女のため”になることをしたい、抱き締めたいって感情はきっと、どこに居たっていつだって消えることはないのだろう。
 そこまで考えてみて、まるで恋愛に夢中になる女の子みたいだって思って笑ってしまったことは、一生華琳には内緒にしておこう。

「けど……そうだな。もし呉や蜀に下りてたら、華琳の敵になってたわけか。そこではどんな生きかたをしたんだろうな、俺」

 想像してみる。
 蜀はまだそう面識が高いわけじゃないからイメージ出来ないけど、呉なら少しは……と。
 んー…………まず雪蓮に振り回されまくって、祭さんに酒の相手をさせられたり、字が読めないから陸遜に字を教えてもらって……うわ、襲われそうだ。字は冥琳か亞莎に教わるべきだろ。な?
 あとは……明命と監視というの名のお猫様ウォッチングをしたり、蓮華と鍛錬をしたり思春に監視され続けたり…………あ、あれ? 魏に居る時とあまり変わらないような気がするのはどうしてだろう……。

「なんか……どこに下りても俺の立場ってあまり変わらない気がしてきた……」

 けど、秋蘭が死なずに済んだ一点においては、魏に下りることが出来た自分を褒めてやりたい。
 もちろん、赤壁の戦いで華琳が敗北することがなかったことに対してもだが。
 死んでいってしまった兵たちには謝っても謝りきれないけど……どうか、国の堺なんて気にせず、みんなで見守っていてほしい。
 必ず“笑顔で溢れる大陸”に辿り着いてみせるから。

「朱里はどう思う? 俺がもし蜀に……そうだな。桃園の誓いの前に、俺が桃香や関羽や張飛に拾われてたりしたら……なにかの役に立ててたと思うか?」
「はわっ!? か、一刀さんが蜀に、ですか? えっと…………《ポポポ……》」

 どうしてか顔を赤くしながら俯いて、胸の前で指をこねこねしながら思考にふける朱里。
 なにを考えているのかは知ることも出来ないだろうけど、なにやら小声でぶつぶつと……聞こえないな。理想のご主人様、といった部分がなんとなく聞こえた気がしたけど、はっきりとじゃないから確信は持てない。
 理想のご主人って……桃香のことだよな、きっと。結構慌てやすいイメージがあったけど、そっか。そんなふうに言われるなんて、案外しっかり者なんだろうな。
 真っ直ぐに慕われる桃香が羨ましく思えて、真っ直ぐに慕える朱里が凄いって思えて、すぐ隣の彼女の頭に手を置いてなでなで。慌てる必要はないって意味も込めてだったんだが、撫でた途端に俯いた顔は一気に真っ赤になって、もうなにがなにやら。

「そ、そそそそのっ、内緒ですよっ? 私がこんなこと言ったなんて、内緒なんですからねっ?」
「え? あ、うん、なにを話す気なのかは解らないけど、わざわざ言いふらすようなことはしないから、安心して」
「はわ……そ、そうですか、それでは、その……」

 うん、と一呼吸おいて、もう一度俯かせた顔を起こして……彼女は口を開いた。胸の前で両手をきゅっと握り締めて。

「その、ほかの皆さんがどう思ったかは解りませんけど、私と雛里ちゃんと桃香さまは……もっと頑張れたと思いましゅっ《がりっ!》はぐっ! 〜〜〜っ……!」
「うわっ! また噛んだ!」

 きゅううう……と細い声を出して痛がる彼女を、雛里と同じく足の上に抱き上げる。
 咄嗟の行動だったにも係わらず、「はわぁっ!?」と声をあげるだけで抵抗らしい抵抗を見せない朱里の口を覗き、血が出てないことや血豆がないことに安心しつつ、ほぅと一息。

「………」
「………」
「すぅ……すぅ……」

 ……マテ。俺、なにやってますか?
 心配するのは解る。咄嗟の行動もまあ頷けないわけじゃないが……その咄嗟がどうして朱里を抱き上げて引き寄せることと繋がるんだ俺!
 欲求!? 欲望!? 俺の中の獣はそこまでどうしようもない状況に達しているのか!?
 い、いや……これは心配の現われだ。だって、引き寄せて一番最初にしたのが傷の心配だっただろ?
 俺はやりとげたのさ……そう、これはただの心配だった。だからこの手を離して、今すぐ朱里を解放………………しませんよこの右手さまったら!

(あ、ありのまま今起こったことを話すぜ……! 俺は舌を噛んだ朱里が心配になった……と思ったら、いつの間にか隣の彼女を椅子に座る自分の膝の上に引き寄せていた……! な、なにを言っているのか…………普通に解るよな、これ)

 よし落ち着こう、俺。
 手を離さないことにはそれなりの理由がある。きっとある。いつの間にか言葉通りの両手に花状態だが、左腕の彼女が服を離してくれない以上、これは仕方のないこと……なのか?
 でもまあとりあえずは。

「《ぽふ……》はわ……か、一刀、さん……?」

 雛里と同じく、膝に乗せた彼女を胸に抱くようにして頭を撫でた。
 舌を噛んでしまった痛みに出た涙を見た瞬間、こうしてやりたいって思ってしまった。
 こうして引き寄せる行動がそこから来てたとするなら、もう無理矢理にでも納得しよう。

(……泣いている子をほうっておけるわけ、ないもんな)

 ぺふりとヘコむ帽子ごと、雛里の時と同じくやさしく撫でる。
 胸に抱き寄せたのは、片手で“抱き締めながら撫でる”なんてことは無理そうだったからだ。
 出来なくはないだろうが……それってまるで恋人同士みたいじゃないか。
 …………余計にマテ、じゃあ今やってるコレはなんなんだ?

(………)

 細かいことは気にしないことにした。今は朱里の涙をなくすことが最優先。
 舌を噛んだだけで泣くことなんてとも思うだろうが、朱里や雛里は迷子になっただけでも泣くからなぁ……。
 と、思い出すのは半月くらい前のこと。
 新たに出た本を買うために、朱里と雛里が町へと繰り出した時のことだった。



-_-/回想

 その頃の俺といえば、誰に命令されるでもなく町を駆け回り、親父や他の父上様、母上様の手伝いをしていた。
 頼まれればサーイェッサーとばかりに振り向き、頼まれるがままに駆け回り……気づけば陽が落ち、眠る。そんな日々の繰り返し。
 その最たる原因が、俺を振り回す元気な元気な雪蓮さんであることは、もはや言うまでもないだろう。
 頭を撫でたあの日からかどうなのか、何故かやたらと俺を引っ張り回したがる彼女は、騒ぎが起こるよりも早く不穏な空気がするわなどと言い、俺を引っ張り出しては兵も用意せずに自分と俺の二人での遠出。
 人の三日毎の鍛錬も頭に入れず、へとへとになるまで奉仕活動をさせては、一人茘枝(らいち)酒を飲んでは“あっはっはっは”と笑っていた。
 そんな小さな愚痴を祭さんにこぼすと、「何故儂も誘わんのだっ!」と怒りだす始末であり……その矛先がど〜してか俺に向けられる事実は、もういろいろと諦めるべきなのだろうと、呉の暮らしにも多少は慣れてきた頃のこと。

「へえ……じゃああの服の意匠は魏から受け入れたものなのか」
「は、はひ……あのっ、あああ、あれは一刀様が意匠した、と聞きましたがっ……」
「そうそう、いやー懐かしいなぁ。そっかそっかぁ、そうだよな、同盟組んだんだし、技術の相談なんかもそりゃあするか」

 漢文の勉強はしたといっても、これで結構細かい部分での違いはあるらしく、そこのところを呂蒙に教えてもらっていた。
 その途中、ふと宴の時に呂蒙が着ていたエプロンドレスのことを思い出し、訊いてみると───俺が服屋の主人と話し合いながら組み立てていった意匠の中の一つに工夫を混ぜて仕立ててみせたものだ、というのだ。
 不思議な縁もあるもので、けれど確かにこの時代で普通にエプロンドレスを作る人が居るわけが……いや、居るか? この時代でも外国……といったら聞こえは悪いが、あっち側の方ではエプロンドレスくらいはあるかもしれない。
 事実、下地となる意匠があっただけでもあんなに見事に作ってみせるのだ、呉の人のセンスに感心を抱いたのは言うまでもない。
 それはそれとして、現在休憩中。
 ほうっておけばいつまでも机にかじりついて日々を過ごす呂蒙を見かね、冥琳が外の空気でも吸ってこいとお暇をくださった。
 俺の手にはほんの一握りのお小遣い。といってもまあまああるのだが。
 まるで「このお小遣いをあげるから外で遊んでおいで」と送り出された子供である。
 ……気持ちは解るんだけどね。俺も呂蒙も、一度なにかに集中しちゃうとそれにかかりっきりになっちゃうし。俺の場合は鍛錬のほうでよくそうなって、呂蒙は勉強だな。そんな二人が一度机に座って集中し出すと、いつの間にか陽が落ちていることばかり。
 そんな前科(と言うべきだろう)もあってか、冥琳は俺達の反対意見など最初から聞く耳持たずで、半ば追い出すように町へと向かわせた。おまけに今日は誰かの手伝いをすることを禁じるとまで言ってだ。
 今日はいわゆる、気力充実のオフ日ってやつだろう。
 しかしこんな、まだ一日が始まったばかりの時分に出されてもな、と思うわけだが───

「………」
「………」

 会話が続かない。
 呂蒙は俺の質問に一生懸命になって返事をしてはくれるのだが、自分から語りかけてくることがまずないのだ。
 まだ慣れてくれていないのか、それとも純粋に男が苦手なのか。そこのところがまだ掴みかねているんだけれど、無視をすることは絶対にせず、話し掛けようとしてくれる雰囲気は見せてくれるので、周泰と同じくとてもいい子なのは目に見るだけで明らかだった。
 一歩近づけば一歩離れるような、素晴らしきパーソナルスペースの持ち主でもあるわけだが、そんなものは誰だって一緒だろう。
 嫌われていないって解るだけでも、今はそれで十分だ。

「なぁ、呂蒙」
「ふえぇえっ!? ふわっ、はひっ!? なななんでしょおぉっ!?」
「………」

 いや……十分だよ? ほんとだよ?
 ちょっと話し掛けただけでも叫ばれるほど驚かれても、嫌われてないってことだけは………………うん、解る……よ?

(どうにかしないとな)

 俺と一緒に居る呂蒙が、息苦しい思いをしないためにも。
 誰かと一緒に居て、話づらかったりするのは辛いだろうし……んー……。
 なにかプレゼントしてみるか? 新しい筆───はちょっと手が出せそうにない。使い慣れたもの以上となると、どうしても値段が上がりそうだ。
 だったらどうにかして自分で作ってみるとか……いつ出来るか解らないな、却下。

(もっと単純な、軽くにこやかになれるようなものとかはないだろうか)

 呂蒙の性格は魏にはなかったものだからな……真面目と弱い部分とでみると、どちらかといえば凪に近いものを感じないではないけど……凪はここまで人見知り的ではなかったし。
 うーん…………及川だったらこんなとき、どうコミニュケーションを取るんだろうか。

  「そら自分、モノで釣るに決まっとるやろ」

 ……思い出の中の眼鏡男子が、口を歪ませ眼鏡を輝かせ、自信たっぷりに仰った。
 モノ? モノって……やっぱりプレゼントか。

  「や、そら自分、違うわ。そんな、大して親しくもない相手から形として残るモン急に渡されて、きゃ〜んありがとぉ、なんてことになる思とんのか?」

 いや……逆に引くな。むしろどうしてプレゼントされるのかって警戒する。

  「せやろ? やからここはなぁ、まず食べ物から入るんや。渡されて嬉しい、しかもお腹も満たされるっちゅう一石二鳥のモノ! それが食べ物っちゅーわけや!」

 お、おお! なるほど! 冴えてるじゃないか及川!

  「ふふーん、伊達にモテへんわけと違うんやでかずピー。俺かて本気出せば───」

 伊達にモテつつフラれつつしてないなっ!

  「うわぁあああんかずピーのドアホォオオオオオオッ!!!!」

 ……思い出の中の眼鏡男子が、顔を歪ませ涙を散らし、走り去っていった。
 えーと……ありがとう、及川。お前がくれた助言、胸に刻むよ。

「………」

 とはいったものの、“モノで釣る”っていう言い方の所為でこう、罪悪感のようなものがじわじわと滲み出てくるんだが。
 い、いや、これは必要なことなんだ。呂蒙が緊張しないために、“まず”の一歩。よし、うん、じゃあ問題は“なにをあげるか”だよな。

「んー……」
「……?」

 辺りを見渡してみる。
 少しずつぎこちなさが剥がれ始めた賑わいの中、誰もが急ぐわけでもなくのんびりと、その喧噪を楽しんでいる。
 呼びこみの声やものを焼く音、香ばしい香りや甘い香り、目を向けなくても何をしているのかが解るくらい、声や音や香りが溢れていた。
 そんな中で俺が目を向けたものは───あんまんだった。

「おや一刀。どーだい? 食ってくかい?」
「や、おふくろ。んー……」

 湯気が漏れる店の前、集まる客を捌きつつも俺を見つけ、声をかけてくれるふっくらしたおふくろさん。
 威勢がいいことで有名で、一度“皆にゃ内緒だよ”と食べさせてもらったあんまんはとてもとても美味しかった。
 考えてみれば魏では野菜や肉やラーメンばっかりで、こういった……甘味って呼んでいいかは判断がつかないものを食べる機会はあまりなかった。
 凪や真桜や沙和と食べに出かければ、麻婆豆腐や餃子などが主だし、季衣とともに食べる流琉の料理はがっつりしっかりと食べるものばかりで、デザートのようなものはあまり……だよな?
 たまに華琳が春蘭と秋蘭を連れて甘味を食べに行くのを見ていたくらいで、俺が食べたのなんて数回程度だ。
 と、今はそんなことより呂蒙だ。
 どうするかを思考する中でちらりと見れば、店には寄らずに離れたところにちょこんと立つ呂蒙。
 どこか、親とはぐれた子供のようにそわそわと微妙に肩を揺らし、視力の弱い目で必死に俺を見ていた。……相変わらず睨まれているようにも見えるわけだが、俺を見失わないようにしてくれているのであれば“嬉しい”の一言で済ませられるんだから不思議だ。

「ん、ごめん。今回はいいや」
「おやそーかい。まぁ、またいつでも来るんだよ。あぁ、なんなら今手伝ってくれてもいいし」
「ごめん、それはまた今度。今は先約があるから」
「先約?」

 きょとん、と俺が振り返る場に視線を向けるおふくろ……の目が呂蒙をおどおどとしている呂蒙の姿を捉えるや、

「〜〜〜……あぁあらあらあらあらっ、子明様じゃないのさっ。一刀ぉ、あんたいつから子明様とそんな仲良くなったんだいっ?」

 さっぱりとした笑顔がにたりとした笑みに変わり、店からどすどすと歩いてくるや俺の背中やら肩やらをバンバンバシバシと叩いてエェッフ! ゲッフ! ちょっ……妙なところキマった!! 少しは加減を知ってくれおふくろっ!

「そ〜かいそ〜かい、一刀は大人しい子が好きかい。だったらもう子明様は文句なしだろうねぇっ、あっはっはっはっは!!」
「《ばしんばしんばしんっ!》あっ! だっ! ぐはっ! ちょ、おふっ、オフッ! ゲッフ! おふくろっ……! 客っ、お客さん困ってるって!」
「おぉっとと、しまったしまった。仕事ほったらかしにしちゃ、おまんまなんて食えないってねぇ。ま、上手くやるんだよ、一刀。あんたにゃもったいないくらいの相手なんだから」
「それと勘違いしないっ! 俺はされてもいいけど、呂蒙が迷惑するだろっ?」

 散々と叩かれた背中をさすりつつ言ってみるが、おふくろは「馬鹿言うんじゃないよ」とすかさず言ってみせ、

「女ってのはねぇ、興味のかけらもない相手をああやってずっと待ってたりしないもんだよ。ほら、とっとと戻っておやり」
「おふくろさん!? なんだかとっても勘違いされている気分が足下からじわじわと体をよじ登ってくるのですが!?」
「あぁもう男がうだうだ言ってんじゃないの、しゃきっとしなさいっ、もう!」
「いやそんな急に典型的なかーちゃんみたいなこと言われても……! あ、じゃ、じゃあ一つ訊いていいかな。女の子が喜びそうな食べ物っていったら……なんだろ」
「……ははぁん……?《ニヤリ》」
「ごめんやっぱりなんでもないです」
「お待ち」
「《がしぃっ!》離してぇええーーーーーっ!!」

 女性に年齢などないのだと感じた瞬間、俺はニヤリと笑うおふくろに肩を掴まれた。
 子供からおばさままで、女性というのはとかく、色恋には興味津々なようだ……だから逃げようとしたのに。

「ふっくっくっくっく……なぁんだかんだ言って、やっぱり本気なんじゃないのこの子ったら……!」
「…………」

 俺の本当の母さんも、俺に恋人が出来たとかって聞いたらこんな顔して笑うんだろうか……そんなことをしみじみと思ってしまうほど、滅茶苦茶に嬉しそうな顔で笑われていた。
 どうしよう、今すぐ逃げ出したいのに逃げられない。
 どの時代でも、奥方様というのはこういう話に飢えているものなのかもしれないなぁ……。

「そう嫌そうな顔をするんじゃないの。一刀、あんた金はあるのかい?」
「あ、うんまあ、多少なら」
「んー……そうかいそうかい、こんだけあれば買えるだろうさ。ちょっと待ってな、今材料と地図を書いてやるから」
「?」

 材料? 地図? ……話が急でよく解らないんだが───しかしながら、ざっと書かれたにしては案外丁寧な文字と地図を手に「頑張ってきなっ」と背中を押された日には、なにがなにやら解らんまでも頑張らなきゃいけない気にはなるというもので。
 首をかしげつつも呂蒙のもとへと戻ると、呂蒙は睨むような眼光を落ち着かせると同時に、ホッとした表情で迎えてくれた。まるで寂しがりの子犬を見ている気分で、こう……抱き寄せて無茶苦茶に撫で回したくなるような衝動に駆られ───落ち着け俺! 思春様が見ている!

「……?」
「お、おまたせ。行こうか」
「は、はあ……」

 よく解らないといった風情で、けれど訊くことはせずについてきてくれる。
 そんな様子にただ思う。呂蒙に恋人が出来たら、彼女はきっと恋仲になった相手を立てる女の子になるに違いない、と。
 こう、なんていうのか……男の後ろを三歩離れた位置からついてくるような……そんな感じ。
 俺は……隣を歩いてくれていたほうが嬉しいけど───って、俺の好みはどうでもいいから。

「あのさ、呂蒙。おふくろになにかのメモ貰ったんだ。今からこの材料を集めてみようと思うんだけど、時間大丈夫かな」
「ふえっ……あ、は、はひっ、だだ大丈夫ですっ」
「そ、そか」

 いつまで経っても慣れてくれない。
 他のみんなにいくら声をかけられても、ここまでおどおどすることはないんだけどな。
 やっぱり男が苦手なんだろうか……と思いつつ、も、いつか手を握って友であることを約束したことを思い出せば、少なくとも自分は嫌われていないと頷けるわけで。

(焦らない焦らない)

 まずは一歩一歩だ。
 距離を縮められないなら、方法を探せばいい。
 そして今俺がしている行為は、おふくろが言うにはいいことに繋がる……はずなのだ。
 自分だけじゃどうにもならない状況なんだ、素直に従っておくべきだろう。
 そんなわけで俺は呂蒙を連れ、点々といろいろな店を歩いてまわり───


───……。


 一頻り材料を揃えたのちには、城の厨房に二人で立っていた。

「じゃ、始めようか」
「は、はい……」

 腕まくりをする俺の隣には、エプロンドレスに着替えた呂蒙。
 どうやらおふくろは俺に材料を集めさせ、さらに一緒に料理をすることで親密度をUPさせよう、という魂胆の下に俺の背を押したらしい。
 書かれていたものは材料と地図、そしてレシピだ。
 そんでもって、俺達がこれから手をつける料理というのは、ごまダンゴという物体。
 簡単で、しかも美味しいのだという。
 そんなので呂蒙との距離が縮まるのかな……と心配になったが、料理というよりはおやつ作りというのも初めてに近い。
 なにごともとりあえず経験だと思ってしまっては、もう後に引くことなど考えることもなく、こうして腕をまくっていた。

「では確認! だんご粉!」
「えと、これ……ですね」
「声が小さいっ」
「ひゃうっ!? え、えと……?」
「だんご粉!」
「う、う……ば、ばっちりですっ!」
「よしっ、あんこっ!」
「まあまあですっ!」
「ごまとごま油っ!」
「揃っていますっ!」
「よぅしっ! それじゃあこれからクッキングタイムに入りたいと思います」
「はひっ! ………………くっき……?」
「とりあえずでも大きな声で返事してくれてありがとう」

 叫んでから首を傾げた呂蒙が可愛くて、思わず頭を軽く撫でてしまう。
 呂蒙は顔を赤くしたけれど、逃げることはせずに撫でられたままでいてくれた。
 ……よし、それじゃあ始めよう。

「えー…………? まずだんご粉を水で溶いて……? 耳たぶくらいの硬さになるまでよくこねる、と……ダマにならないようにしないとな……」
「だま……?」
「ん? ああ、ほら、こうして水を入れてさ、箸とかで溶いてみると……ほら、粉の塊の表面だけが固まって、玉みたいになるだろ? これがダマ。これは箸とかじゃなくて手でこねたほうがいいらしい」
「そ、そうなんですか。それじゃあ……えと……」

 戸惑いながらも、呂蒙はぐっ、ぐっと生地となるだんご粉を練っていく。
 俺は横から水を少しずつ加えてやり、硬さを調べながらジリジリとサポート。
 こういう場合は男の俺がやるべきだろ、って? いや、それは確かにそうだけど、勉強大好きの呂蒙さんにも勉強以外のことを学んでほしいと思うんだ。
 これはその過程のひとつ。勉強も大事だけど、他にも学べることはあるんだよって言葉を、声としてじゃなあなく届けたいんだ。

「あ、隠し味に生地にも砂糖を混ぜてみるのもいい、って書いてあるな。砂糖は…………って、勝手に使って大丈夫なんだろうか」
「それは……その、ちょっと解りません……」
「だよな。じゃあ今回はこのままでいってみよう」
「はいっ」

 ねりねりとこねていく。
 単純作業だが、これで案外共同作業のようなものが好きなのか、生地をこねている呂蒙の顔は綺麗な笑顔だった。

「よし、これくらいかな」
「はふっ……結構疲れます……」
「ははっ、普段使わなそうな筋肉だもんな。代わろうか?」
「い、いえ、やってみたいです。じゃ、なくてっ……そのっ、い、いい……いしょ……一緒、に、その……」
「……? ああ、うん。一緒にやろうか」
「…………はいっ!《ぱああっ……!》」
(あ……笑顔)

 呂蒙は……正直なところ、あまり笑顔を見せてくれない。
 周泰のようににっこにこで元気ッ子というわけでもないため、だけでもない。
 男が苦手だ〜という仮説はいくらでも立てたが、そもそもの時点で人が苦手なのだろう。いわゆる人見知り。
 見知らぬ人に吠えるでもないのだから、番犬のようだ〜とは言わない。猫だな、うん。それも子猫タイプ。
 そんな彼女の笑顔を見れる瞬間には、知らずのうちに入っていた肩の力だろうがなんだろうが、スッと抜けるくらいの可愛さがある。
 滅多に見れないものへの安堵感やら感動やら、そういったものが混ざるからだろうかなぁ。見ると安心するんだ。

「じゃあ次に生地をいくつかに千切って薄く伸ばして───……このくらいかな?」
「餡子を包めるくらいの大きさ……ですよね」

 ぐっ、ぐっと手の付け根あたりで押し広げるようにして伸ばしてゆく。
 薄白い生地が上手く円の形に広がっていくと、たったそれだけでも俺と呂蒙は互いの顔を見て笑い合った。
 そこにせっせと小さく取った餡子を乗せ、生地で包みこむようにしてこねこねと丸める。

「なになに……? 丸める際には、厚いところと薄いところ、ばらつきがないように綺麗に丸めること……か」
「は、はい。えと……伸ばす時に注意すれば大丈夫ですね。なんとか出来そうです」

 こね、こね、こね……と生地と餡子を合わせ、団子を作っていく。
 現時点ではただの団子。これに白ゴマという名の装飾を施したのちにごま油でカリッと揚げたものがごまダンゴとなる。
 しかしまだだ。この餡子を包むという作業、これでなかなか難しい。
 大きな生地から千切った小さな生地には、どれだけの餡子が包めるのかが把握できないのだ。
 餡子が大きすぎれば包み込めず、小さすぎても中身のないただの空洞ダンゴになるだけだ。
 当然餡子の大きさの問題だけではなく、千切る生地の大きさにもよるので、これがまた余計に難しい。
 にこにこと笑っていた俺と呂蒙はいつしか無言となり、キリッとした顔で黙々とダンゴを作ってゆき───

「できましたっ!」
「こっちもだっ!」

 生地と餡子が尽きた頃には、ほぼ同時に顔を上げ、目が合うとにっこり笑顔。
 出来上がった団子の数々を見せ合うと、どうにも二人ともでこぼこだったりした。
 それに気づくと、恥ずかしがりながらも笑って、形を整えるべく再びこねこね。
 見れる形になってくると、今度は適当な容器に開けた白ゴマの上に団子を落とし、押し付け埋め込むようにぐっぐっとゴマをくっつけてゆく。
 あとは熱しておいたゴマ油にごま団子(未完成)を投入、カリッとなるまで揚げれば───と、はい。ここに完成しているものが───あるわけがなかった。

「ガスコンロだったら微調整もできるんだけどな……愛英知クッキングヒーターでもいいけど」
「天では“英知”で火の加減が調整できるのですかっ!?」
「あ、いや……愛英知っていう、火を使わないでモノを熱くする道具があるんだ。モノが燃えることはないけど、とても熱くなる」
「す……すごいです、そんなものが天にはあるんですか……」

 呂蒙の言葉ももっともだ。感心する姿勢を取ってみなけりゃ解らないことだが、よくもまあそういったものが作れるなと感心する。
 なにもないところから始めて、手探りでそこまでの技術に達したんだから、つくづく先人って存在は凄いと思える。

「まあ……じゃあ、揚げてみようか」
「は、はいっ」

 気合一発、ぐっと両の握り拳を胸の前に構えた呂蒙が熱された油の前に立ち、素手で掴めるだけ掴んだダンゴをンゴゴゴゴと震える手で油へと───ってちょっと待ったァアアッ!!

「呂───」

 否! ここは叫んで駆け寄るところじゃない! なんというかその……あれだ! そのパターンはびっくりさせてバッシャーンでギャーーなパターンだ!
 故にここで正しいと思われる選択! それは静かに駆け寄りそっと止める! 結論を出したその瞬間には既に行動は終わっており、俺は静かなる無駄のない動作で呂蒙の両手をそっと掴み、行動を停止させてい───

「───〜〜〜っ!! ひゃうぅあぁあああああっ!!?」

 ……た、はずなのに響く絶叫。
 なにを間違えたのかと言えば、彼女がひどく人見知りの激しい子だって事実を閃きの中に混ぜなかったことが敗因。
 急に抱き締めるように後ろから止められた呂蒙は、絶叫とともに身を振るい、手に持った団子を宙へと飛ばし───って、なにぃ!?

「───!」

 飛ばされた団子の数……およそ6!!
 うち四つが同じ方向へと飛んだが、残り二つはバラけて困った方向に……!

「呂蒙! 左側、任せたっ!」
「ふえっ!? は、ひゃうっ!?」

 俺は右側───四つ飛んだ方へと駆ける!
 といっても城の厨房とはいえそこまで大きなモノではない分、そこまで駆ける必要も無い……のだが、壁や天井にぶつかってしまうくらいならば多少無茶でも止めてみせる!

(錬氣集中!!《キンッ》)

 練った気を足に集中させ、石造りの床を蹴る! 瞬間、床から離れた足の底は勢いよく壁に衝突し、その勢いが無くならぬうちに壁を駆け上がるように走り───団子が壁の高い位置に衝突するより早くトチャッとキャッチすると、安堵の瞬間集中が切れ───ドグシャアと床に落下した。

「あいっ! 〜〜〜っ……つっはぁあ〜〜〜……!」

 しかし、しっかりと団子は死守。
 ホッと息を漏らしつつ呂蒙のほうを見てみれば───……

「………」
「………」

 運悪く、天井の出っ張りにさっくりとくっついてしまっている団子が二つ。
 棒かなにかで落とそうか……と視線を外した途端、デドッ、と妙な音。
 視線を戻してみると、見上げていた顔面に団子を二つ乗せつつ、手をクロスさせて天井へと向けている呂蒙の姿があった。
 …………たぶん、落ちてくる団子を手で受け止めようとしたんだろうけど……なんだろう。後ろから見ると、バイクで走るハイブリッドインセクターヒーローの変身ポーズにしか見えない。
 そんな彼女の顔の上からひょひょいと団子を取ってあげると、いろいろな意味で恥ずかしいところを見せてしまったといった様子で、俺からババッと距離を取ってあたふたと言葉にならない言葉を放ち出す呂蒙。
 ……うん。とりあえずは手にある団子を器に戻すと、二つの団子のへこんだ部分を包丁で刳り貫き、パックマンみたいになったそれをささっと丸めていく。
 そうしてから、何故かカタカタおどおどと震えている呂蒙を笑顔で手招きして、手を差し伸べる。

「失敗なんて気にしない気にしない。一緒にやるって言っただろ? 失敗は次回に活かせるけど、挫折は失敗の念しか引きずれないよ。……やるなら最後まで、一緒に楽しくだ。な?」
「………」

 おずおずと近づき、伸ばされた手が俺の手を握る。
 俺はそれを笑顔で握り返すと、少々照れくささを感じながらも……改めて、ごま団子との格闘を再開させたのだった。


───……。


 と、いうわけで。完成したものがここにあります。

「できましたっ」
「オ、オオ〜〜〜ッ」

 出来上がってみれば、焦げたりゴマが剥げたり餡子が飛び出て悲惨だったり、“大小”と“代償”が様々な団子が……。
 だがそれがなんだというのだろう。俺達は互いに懸命に、こうして形になるものを作り上げたのだ。
 うん、餡子がごま油に溶け出して爆発したときは、呂蒙ともどもホギャーって感じだったけど。
 銃弾や矢、魔法やら落下物から女の子を守る男ってのは聞いたことも読んだこともあろうものだろうが、跳ねる油から女の子を守るスケールの小さい男なんて、俺くらいなもんなんじゃあなかろうか。
 しかしそんな寂しい調理感想は横に置くどころかポリバケツにでも捨てて、回収してもらうとしてもだ。
 焦げたものはいくつかあるものの、初めてにしては十分な出来じゃないか。
 ただひとつ言えることがあるとすれば、もはやどれがどっちが作ったごま団子なのかが解らないといったところくらい。出来上がってみれば、形が整ったものなど大してなかったのだ、仕方ない。

「じゃあ、せっかくだから外で食べようか」
「はいっ」

 形を問題にするのはお金持ちや見栄っ張りさんに任せよう。
 華琳はブスッと怒るだろうが、今ここで重要なのは一緒に作ったものが美味しいかどうかなのだ。
 それに……べつに不味くてもいいじゃないか、重要って言った矢先だけど、一緒になにかを作るっていうのはこれで案外楽しく、悪くなかったといえる。
 あのままただ漠然と歩いたりしているだけじゃあ、呂蒙のこんな笑顔は見れなかった確信があるから。

「〜〜〜♪」

 いそいそと紙を敷いた籠にごま団子を移す呂蒙を見る。
 鼻歌まで歌って、本当ににこにこ笑顔だ。
 ほら。形こそは歪だし、もしかしたらその多少の違いで美味しいものが美味しくなくなるかもしれないけど……こんな笑顔が見れたんなら、俺も笑うべきだ。というか自然と笑ってる。
 それに気づいた呂蒙が、もはや気恥ずかしさも見せずに純粋な笑顔を見せてくれるくらい、なにかを作るって作業はささやかだけど確かな興奮を、俺達にくれたのだ。


───……。


 そうして訪れたのは、東屋の傍にある軽い斜面。
 さらさらと整った毛並みのように茂った緑に背を預けると、呂蒙はその横にちょこんと腰を下ろした。

「………」
「………」

 互いに無言。
 でも嫌な空気はなく、むしろ自分たちで作ったものの味を今こそ……と、妙に気負った空気がこの場にはあるのだが───その時、ふわりと吹いた風が、甘い香りを鼻腔に届けてくれた。

「……ははっ」
「ふふふっ……」

 なんとなく見つめ合って、小さく笑う。
 俺は悪餓鬼みたいにニッとした表情で目を細め、呂蒙はくすくすといった感じに。
 そして、まだ熱々のごま団子をお手玉しながら口に頬張ると───

「おっ───」
「わあっ───!」

 ふわりと広がるごまの香りと、ふゆり……と歯で千切れる生地の食感。そして、追ってやってくる餡子の甘みが口一杯に広がって。

「んまーーーいっ」
「お、おいしい、です───!」

 続く言葉なんてそれだけで十分だった。
 でも熱かったのは事実で、ほふほふと口に空気を招きながら食べてゆく。

「香ばしくって、もちもちしてて、甘くって……こんな美味しいもの、私初めてですっ!」

 呂蒙は興奮冷め遣らぬといった様子で、小さく開いた口で懸命にぱくぱくとごま団子を口にした。

(す……《ごくり……》すげぇぜおふくろ……!)

 甘いもの、おそるべし。
 おどおどしてばかりだった呂蒙が、こんなにも笑顔を持続させて、それどころかここまで燥ぐなんて……。
 思わず強敵と出会ったバトル漫画の主人公のように、意味もなく顎の下に伝った汗を手の甲で拭った。

「はむっ……はふっ、〜〜〜……♪」

 寝転がりながら、右隣に座ってぱくぱくとごま団子を食べる呂蒙を見る。
 歳相応、笑顔がとても可愛いその姿からは、普段の書簡や文献とにらめっこをしている姿は連想できない。
 無邪気で、甘いものが好きで、こんなにも笑顔が可愛くて。
 そんな笑顔を、自分との作業で見せてくれたことが、俺は思いの外嬉しかったんだろう。
 緩んでいく表情を抑えることができず、いつしか俺も自然と笑顔でごま団子を食べていた。


───……。


 ……さて、おやつの時間も終わり、ほっこり笑顔でそれではーと手を振って別れた呂蒙を見送ると、俺もまた歩き出す。
 きっと少し経てばまたおどおどな呂蒙に戻るんだろうけど、それを今ツッコんでみて自覚させてしまうのはもったいない。
 俺はこれからのことを考えつつ城から街へと下り、町の賑やかさに笑んでいたところで…………ふたりの少女に、出会った。

「あれは……しょ……っとと、孔明に士元?」

 つい諸葛亮に鳳統と口にしそうになるのをこらえる。
 そこまで親しいわけでもないという理由で、名を呼ぶのは控えているところだ。
 その割には孫権のことは普通に孫権って呼んでるけど……うん、でも仲謀って呼ぶのも違和感があるんだよな。
 印象の違いっていうやつだろうか。諸葛亮っていえば孔明。孔明と呼ぶのになんの引っかかりもないのに対し、孫権を仲謀って呼ぶのは、言ってはなんだが孫権らしさがないというか……解ってくれるだろうか。
 親父たちは仲謀様と呼ぶんだけど、咄嗟に言われると誰のことだか考えてしまったりするわけで……うん、そういった意味では真名っていうのは本当にありがたい。

「おーい、孔───……?」

 声をかけようとした。したんだが、二人はのんびりと歩くことはせず、ぱたぱたと走っていってしまう。
 出てきた場所は……書店? でもなにか買った様子はなかったな。
 もしかして本を探してるのか? たしかあと三件ほど、書店はあったはずだが───……うん、なんだか普通に建業のどこになにがあるのかが解る自分が、少し面白い。
 この短い間で雪蓮にさんざん引っ張り回されたからな……人の顔も、住む位置も嫌でも覚えるってもんだ。
 たとえで言うなら、これだけ広いのに……そう、目に見える位置にご近所さんが出来たって……そんな感じ。
 目に見えるっていうのはもちろん実際の視覚的なものじゃなく、感覚的なものだ。遠く離れていても、まるで近所に住んでいるように親しいとか、そういった感じ。

「……にしても、なんだってあんなに慌てて……?」

 まるで人目を避けるかのように、ぱたぱたと駆けては通り道の角に張り付いて、あっちをきょろきょろこっちをきょろきょろ。
 てっきり見つかるかな、なんて思ったけど、丁度目の前を通った町人に遮られ、彼女らは俺に気づかなかった。

「〜〜!」
「……? ……、……」

 二人ははわあわとなにかを話し合っていて、突如真っ赤になって叫んだり急にしぼんだりと忙しい。
 いったいなにを求めて書店に行ったのか、あんなに慌てる内容の本が、果たしてここらに売っているのか。
 なんとはなしに気になったので、尾行(つけ)ることにしました、オーバー。

「………」

 しかし、俺はといえば、歩けば“俺”と丸解りのフランチェスカの制服。
 陽光を受けてさらりと輝くソレは、町民と商人だらけの町中ではあまりに目立ち過ぎた。
 そう、こんな人通りの中だろうが、孔明と士元の二人がよく目立つのと同じように。

「ふむ」

 追うのはいい、決定だ。決定だが、バレるのは気まずい。
 よいか北郷一刀よ、これはミッションである。彼女らに気づかれず、彼女らの怪しい行動の意味を知るのだ。
 そのためにならば、俺は修羅にも羅刹にもなろう。ついでにアシュラマンにもなろう。ごめん無理です。

「……お」

 と。さささっと歩く途中、はた、と目が合ったのはさきほどいろいろと都合をつけてくれた饅頭屋のおふくろ。
 きょとんとした顔ののちににこぉっと笑って、「上手くいったようだねぇ」と言ってくれる。

「ああそうだ、さっきちょいと桃をもらったんだけどねぇ、ちょっと量が多くて余っちゃってるんだよ。三つって半端な数だけど……一刀、いらないかい?」
「へ? ……い、いいの?」
「ああ、いいんだよ。悪くなりかけだってんだから、あたしもつい貰っちまったんだけどねぇ。ちょいと全部は食べ切れそうにないから。ちょっと待っといで。え〜〜……とぉ? たしかこのあたりにぃ〜……ああほら、これこれ、これよぉ」

 ガサリと、桃が入っているらしい紙袋を渡してくれる。
 それを受け取ると、やはり不安だったので中身を確認すると……むわっと広がる桃の香り。
 なるほど、ちょっと柔らかくなりすぎているらしい。店に置いておけば、あと半日と経たずに台に接触している部分が崩れ、そこから腐るだろう。
 これはすぐに食べないともったいないことに───……あれ? 三つ?

「………《ガサリ》」

 紙袋を揺らしつつ、もう結構先のほうまで歩いていってしまった二人の少女を見やる。
 ……丁度いい……かな? 話すきっかけくらいにはなるかも。

「ありがとな、おふくろ。これ、もらってく」
「ああ、またおいで。今度は、ちゃあんと買っていくんだよ?」
「ははっ、お金があったらね」

 急ぎ、見失わないように駆け出す。
 さて、距離はとれているけど見失うのもほんの一手先。ちょいと道を外れられれば、簡単に見失ってしまう。
 そのためにもあまり距離を離しすぎるわけにもいかないんだが…………いや、待てよ? 紙袋……紙袋?

「!《テコーン♪》」

 閃きを感じた俺は、すぐに行動に出た。
 あまり大きな行動はとらず、だが急いで……服屋へ。
 そこで鋏と書くものを借りると、紙袋に細工をして───


───……。


 じゃーーーん!!

「イエイ」

 変装をして、服屋から産まれ出でた。
 陽光を浴びて大地に立つその姿、まさに別人。
 制服の上は脱ぎ、腰に回して両袖を腹の前で縛ることで固定。
 上をシャツだけにし、頭には先ほど細工した紙袋。目の部分に長方形の穴を空け、額となる部分には“校務”の二文字。
 両手には、いい香りを放つ桃を右に二つと左に一つずつ。
 ズシャリと歩き出すその姿……その名を校務仮面。
 学校に存在し、用務員的なことをこなす不思議な不思議なマスクマンさ。

「さあ、これで見つかる心配もなく孔明たちを追え──────……見失った」

 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。


  ……その日。とある町の一角で、大地に両手両膝をついて項垂れる奇怪な輩を発見したと、雪蓮に報せが届いたとかなんとか。


───……。


 スタスタスタスタ……

「…………」
「………」
「………《む〜〜〜ん……》」

 自分の馬鹿さ加減に頭を痛めつつ、町を駆け回ったのちに……探していた孔明たちは、そういえば本を求めていたのでは───という答えに辿り着くまで、そう時間は要らなかった。
 そうして見つけた二人を眺めつつ、一定の距離を取って監視する俺が居る。
 時々、ちらちらと孔明がこちらを見るが、俺は隠れることもせず堂々と、彼女らを見守った。うん、ストーカー行為だよね、相当に悪質の。
 しかもどうしてか桃を持っているので、さしもの孔明もこの校務仮面の目的がまるで掴めておらぬと見えるわ、ゴワハハハ。などと悪役になっている場合ではなく。
 ……ちなみに、士元のほうは怖さのあまりかこちらを振り向こうともしない。
 ただ、彼女たちが歩き、俺も歩く音にびくり、びくりと肩を震わせるばかりだ。

「…………」

 ただ、なんだろう。そろそろ嫌な予感がしてきた。
 落ち着こう、俺。もしここで二人が町人か誰かに助けを求めたりしたら、校務仮面を被って彼女を追っていた俺って……問答無用でとっ捕まるんじゃないだろうか。
 そうなれば騒ぎを鎮めにいったのにまた貴方が……と華琳に怒られて……い、いかん、それはまずい。
 だったら今こそこの桃の出番です。えー……おほんおほんっ!

「もし、そこの二人」
「きあーーーーーーーーーーーっ!!」
「あわーーーーーーーーーーーっ!!」

 とたたたたたーーーーっ!!!

「……………」

 あれ? …………え? 声かけただけで逃げ───? って!

「の、逃すかぁーーーっ!!《ギャオッ!!》」

 はい、と桃をやさしく渡すおじいさんを演出しようとした俺を前に、逃げ出した二人を即座に追う!
 もちろん人通りの多い場所に辿り着く前に、氣を関節に集中させて加速した足でだ。
 で……軍師殿二人の足は、予想通りと言うべきか遅く、あっさりと回り込みに成功した。

「は、はわ、はわわ……!!」
「〜〜……!!」
「…………えーと」

 で、回り込んでみて、余計に怯えられていることに気づいた。
 そりゃそうだ、ストーカーが自分より足が速く、しかもあっさりと目の前に回り込んできたら、俺だったら勘弁してくれと嘆くだろう。
 え、えーと……違うよ? 俺ただ、桃……そうっ、桃だ桃っ!
 よし、俺だとバレない程度に大げさな話をしつつ、警戒も解いてもらって……

「娘らよ。我は校務道を究めし者、校務仮面。世に在る全ての雑用、こなさずにおれん!!」
「……!《びくびく……!》」
「……! ……!《がたがたがたがた……!》」
「あれ?」

 大げさすぎた。急な大きな声に萎縮してしまった二人は、それ以上深くは被れないだろうに必死に帽子を引っ張ると、懸命に顔を隠して俺が見えないように視界を遮り震えていた。

「あいや落ち着きめされい。実は旅の道中、辺りを警戒しながら歩くうぬらを見かけてな。心配になったがゆえ、こうしてあとを追った」
「……《がたたたたたた……!!》」
「……《ふるるるるるる……!!》」

 ……あの。ものすごい勢いで震えてらっしゃるのですが。しかも涙流してる!

「あ、あー……ごほんっ! ……娘らよ! うぬらにこの桃を進ぜよう! この桃、ただの桃と思うことなかれ! 一口食べればたちまちに背が伸び、ニ口食べればあがり症が治り、三口食べれば───…………何故かゴリモリマッチョになります。上半身だけ」
「ふぇええええっ!!?」
「あわぁあっ……!!?」
「さあ……食べられよ!《どーーーん!!》」
「い、いぃいいいいりませんっ! いりませんんんっ!!」
「いらないですっ……!」

 怯えてたわりに即答でした。
 どーん、って迫力ある(つもりの)渡し方をしてみたんだが……全然ダメだったようだ。

「いや……なにもそんな全力で拒否しなくても……ほ、ほら、美味しいよ? いい匂いだし」
「いりませんっ!」
「い、いらない、ですっ……!」
「いやほんと、毒とか入ってないからっ! 美味しいってば! ───よ、よし解った、だったらキミたちにこの中の一つ、どれでも好きなのを選んでもらって、その一つを俺が食べよう。それで毒が入ってないって安全性は理解してもらえるよな?」
「き、きっと口の中に薬が隠されているんですっ」
「どこまで用意周到なの俺!! そんなことしないからっ! ───はっ!?」
「…………?《……じー》」
「…………!《ハッ》」

 うわまずいっ、つい地声でツッコミをっ……!
 見れば孔明は首を傾げて俺を見て、士元はハッとなにかに気づいた様子で───!

「あ、あわっ……み、みつ《がぼっ!》はみゅっ……!?」

 悪いとは思ったが、小さく開かれた口に桃を押し付け、チャック代わりに!
 咄嗟に口を庇うように伸びた手が桃を掴むと、即座に手を離してダッシュ!!

「そ、それでは気をつけて! さらばっ!」

 擦れ違う瞬間に、ひょいと孔明にも桃を投げ渡し、俺は人気のない道を全力で駆け抜けた。
 ……バレた? バレたよな、たぶん。御遣い、の“みつ”まで出かかってたし、孔明は孔明で、もう少しで答えに辿り着きそうな顔してたし。
 まいったな……校務仮面の正体は絶対に秘密なのがルールなんだが───


───……。


 ……などと馬鹿なことを考えながら、二人の様子を見守る時間は続く。
 二人はきょろきょろと辺りを見渡しながら道を進み、三件目となる本屋に入ると───……しばらくして、顔を赤くしながら一冊の書物を手に出てきた。
 ハテ……赤く? などと首を傾げた俺だったが、恐らくこれがのちに俺と彼女らが結盟を結ぶきっかけとなるものの一冊なのだろう、と思うのは、これから約半月後のことである。
 そんな事実も解らないかつての俺は、首をかしげつつも……なにやら興奮しているらしい二人があっちへふらふらこっちへふらふらする様をハラハラと見守りつつ、さらにさらにと後を追ったのだが。

  それから……軽く五分後。

 ……俺は、軽く眩暈を起こしそうな頭痛にため息を吐いていた。

「はぁあああ〜〜〜うぅうう〜〜〜……!!」
「あぁあああ〜〜〜……うぅう〜〜〜……!!」

 ……赤かった顔も興奮もどこへやら。
 いつしか涙を目尻に溜め始めた二人は、手を繋いだまま───迷子になってらっしゃった。
 どうやらここまでの道のり、本を買うことばかりに意識が向かいすぎてて、来た道を忘れてしまったらしい。
 加えて今の時間は人が最も賑わう時間帯。ざわざわと行き交う人たちに飲まれては、頑張って互いの手を離さないようにするので精一杯のようだ。

「………」

 ちらりと眺めてみれば、実は一番最初に通った通りであるこの場所。
 二人は迷子になったという混乱のあまりにそれに気づいておらず、先ほど桃をくれたおふくろの前を通っては、おふくろにきょとんとされていた。
 けれどおふくろもこの人の波を饅頭で捌いていくので手一杯だ。声をかける余裕なんてあるはずもなく、ようやく少し時間が空いたかと思えば、少女二人はもう離れた位置へと歩いていってしまっているわけで。

「………」

 さて。
 そんな人垣の中を、人の流れを予測してすいすいと歩いている俺なのだが。
 これで結構イメージトレーニングというものはありがたいものだなぁと実感している。
 相手がどう動き、それに対して自分がどう動くか。それを想定に入れた修錬の一つなのだから、こうした場面でも役には立ってくれた。
 ……イメージしてきたのが春蘭や華雄、祭さんや思春や周泰である分、むしろこういった町人の動きはゆったりとしたものにも思える。

「………」

 そうしてじわじわと近づいて……じゃないっ、近づきすぎだっ! なんというかこう、すでに撫でやすい位置に二人が居らっしゃるじゃないですか!
 ……あ、でもこれならコケそうになった時は咄嗟に───

「《ふわり……》……?」
「あ」

 ハッと気づけば、鼻をひくひくと動かした士元が俺を見上げていた。
 そして気づく。俺の手には、俺が持ちっぱなしだった桃の一つが握られっぱなしだったということを。
 風かなにかでふわりと流された香りに、こてりと首を傾げるように振り向いた士元の目が、はっきりと……そう、俺を捉えていたのだ。
 途端に、絶望の中で神にでも出会ったような喜びと不安たっぷりの顔からぶわぁっと涙が溢れてホウワァアーーーーーッ!!?

「はぐっ……みちゅっ……御遣いさまぁああ〜〜〜っ……!!」
「《がばしーっ!》だわーったたっ!? ち、ちがっ……俺は校務仮面でっ!」

 突如として腰に抱きつかれた。当然そうなると、手を繋いでいた孔明も引っ張られる形となり───……校務仮面の正体は、泣く少女二人を前に、あっさりと露呈することとなる。
 だってさ、御遣い様御遣い様って何度も言って、そのたびに違うって否定すると、すごく悲しそうな顔するんだぞ?
 たとえ、もし、本当に、今ここに居る校務仮面が俺じゃないべつの誰かだとしても、ここまで泣かれてここまで御遣いであることを望まれたら、目を逸らしながらでも「御遣いです……」って言わなきゃいけない使命感みたいなものに襲われる。絶対にだ。



-_-/一刀

 と、そんなことがあって以来、俺と二人の関係は少しずつだけど近づいた。
 まず御遣い様だったの呼称が一刀様に変わり、それからの付き合いや説得により一刀さんに変わり。
 そして、亞莎ともごま団子がきっかけでよく話すようになり、時々暇を見つけては、“もっと美味しいごまだんご”を目指し、頑張っている。
 ……お金が亞莎持ちというのが申し訳ないところだが。

「……っと、あれ?」

 思い出に浸っていると、胸に重みを感じた。
 見下ろしてみれば、いつの間にやら朱里も眠ってしまったらしく、俺の胸に頭を預けるようにして穏やかな寝息をたてていた。

「……この体勢で寝るって……息苦しいだろうに」

 二人をきゅっと抱き寄せるようにして、自分の頬をひと掻き。
 こうしないと指が届かなかったんだから仕方ない。
 ……仕方ないんだが………………どうしようか。
 立ち上がろうにも、二人は完全に俺の太股と胸に体重を預けてしまっていて、無理に下ろそうとすればあっさりと起きてしまうだろう。
 とはいえ、このままだと俺も眠れないというか……せめて寝床には行きたい。
 ひょいと持ち上げて下ろす、という方法もあるんだが、下ろすって何処に? 俺の寝床に?
 ……か、勘弁してくださいよ神様。俺、ただでさえ思春と同じ寝床で寝てて、彼女の息遣いとか自分のものとは違う体温を感じたりとかで、大変な思いしながら寝てるんですから……!
 などという嘆きを頭の中で口にしてみても、脳内神様は「長寿と繁栄を!」と言うだけだった。

「…………えーと。どうしようか、思春」
「それは貴様が決めろ」

 意識ある者が居なくなった途端、俺の問いに応える人、降臨。
 しかも椅子に深く腰掛けている俺の後ろで、なんの断りもなしに聞こえる衣擦れの音。
 ……相変わらず、こちらの都合などお構いなしの人だ。着替える姿を見せないのは、むしろ俺はやさしさだと受け取ってるけどね。
 見せられたらどうなるか、想像に容易い。もちろん全力で踏みとどまる気は常に最大値ではあるが。

「………」
「………」

 それから思春は特になにも喋ることなく、寝床に潜ってしまう。
 俺はといえばこの状況をどうするか〜と考えて、

「……あ、じゃあ」

 抱き締めた二人の感触に、ちょっと頭がボウっとしてきている。
 こんな自分の目を覚まさせるためにも、少し素振りでもしようか。
 そうと決まれば行動は速い。出来るだけ揺らさないように朱里と雛里を片手ずつで持ち上げ、思春が横になり目を閉じている横に寝かせてゆく。

「……? なんのつもりだ」
「いいよ、寝てて。俺ちょっと、素振りしてくるから」

 目を開いて質問を投げかける思春にそれだけ言い残すと、護衛のためというか監視のためというか、起き出そうとする思春を押し留める。
 しかし思春は聞いてくれず、解いていた髪をシュタタタタッと纏めると、先ほどまで着ていた庶人の服を纏い、俺を促した。

「うう……だめ、って言っても聞いてくれないんだよな?」
「それは貴様とて同じだろう」
「……そうかも」

 だったら行くしかないか。
 寝床の傍らに置いてあるバッグの傍ら、立てかけてある黒檀木刀を手に取ると歩き出す。

「……な、思春。今日はちょっと真面目に相手してもらっていいか?」
「元よりそのつもりだ。満足に寝床につけると思うな」
「怖いよっ!? えっ!? 俺なにかしたっ!?」
「必要なこととはいえ、次から次へとよくも女を懐柔する言葉が湧いてでるものだ……その口、一度徹底的に叩きのめす必要がある」
「あ、あー、あーのっ!? 意味がよく解らないのですが!? 女を懐柔って……俺ただ普通に───」

 発する言葉も右から左へ。
 思春が歩くままについてゆき、中庭に辿り着いた俺はその後、見張り番というか見回りの兵に声をかけたのち、軽い準備運動のあとに思春と実戦訓練を開始。
 何故だか怒っている思春を前に、空が白むまで戦いは続き……その間中、俺はこれでもかというほどにボコボコにされたのだった。




ネタ曝し  *い、いや……なんでもない  キン肉マン。二千万パワーズの会話より。  顔色が優れないようだが。い、いや……なんでもない。  *あ、ありのまま今起こったことを話すぜ……!  ジョジョの奇妙な冒険第3部より。ジャン=ピエール=ポルナレフの名言。  *サーイェッサー  凍傷の中ではサーイェッサーといえばウォートラントルーパーズ。  ミサイルだってぇ!?訓練とはいえ命懸けだぜ!の言葉が最高に好きでした。  *しゃきっとしなさいっ、もう!  銀魂のかーちゃん。揚げ足取りが嫌いらしい。  アンタァァァァ! いつまで寝てんのほんともォォォォ!!  *思春様がみている  マリア様が今日も何処かで誰かを覗いていらっしゃるワ!  まあ! マリア様のスケヴェ! 破廉恥ですわ!  ……ごめんなさい、“マリア様がみている”です。  *愛英知クッキングヒーター  IHクッキングヒーター。  IHとは、Induction Heating、誘導加熱のことらしい。  うん、実はよく解ってない。  *バイクで走るハイブリッドインセクターヒーロー  仮面ライダー。変身ポーズにいろいろあるのがステキ。  個人的には仮面ライダーGとRXのポーズが好きです。  しかしこの場合、インセクターヒーローではなくインセクトヒーローでいいと思う。  *アシュラマン  キン肉マンより。  二世のリボーンアシュラマンも、声がつくとしたら郷里大輔さんなのだろうか。  *校務仮面  芹名ボッカ←正体。忘却の旋律より。  額部分に“校務”と書かれた紙袋を常時装着。  正体は絶対に秘密とされている。  学校の備品修理などを人知れずやってくれる、大きな妖精さんのような存在。  *逃すかーーーっ!《ギャオッ!》  ドラゴンボールでありそうな言葉と擬音。  勢いがある効果音って印象があるのに、実際に音として聞くとなるとどういう音なのかが想像できない。  *世に在る全ての雑用、こなさずにおれん!  殺意の波動に目覚めたリュウより。  目にする生き物全て、壊さずにおれん!  *長寿と繁栄を!  映画、タイムマシンより。  この映画に出てくるヒロイン(?)、エマを、凍傷と凍傷の兄は尊敬している。  何故って、物語でありがちの死に際のしつこさが一切ないから。  物語の瀕死の人って、結構喋るじゃないですか。そこまで喋れるなら治療すれば助かるって、ってツッコミたくなるくらい。  でもエマさんは違った。荒い息遣いののち、コトリと素直に死んでしまう。  その潔さにほれ込みました。謝謝、謝謝エマ先生!  当人にとっては要らない尊敬だよね、絶対に。 Next Top Back