199/ブリード先生

 ……で。

「ご……御器噛……?」
「はいぃっ……!」

 夜中。
 目を覚ますまで俺の部屋の寝台で寝かせていた朱里が目覚め、何が起こったのかを聞いていたわけだが…………先生、ゴキブリでした。
 なにか飛んできたと思って咄嗟に手を動かしたら、なんの偶然か見事にキャッチ。“伊達に愛紗さんたちの戦いを近くで見てきたわけではありませんよっ”と、無駄に得意になってフフンと鼻息も弾む勢いで手を開いてみたら……ヤツが居たそうで。
 気絶まではいかないまでも、なるほど、それは驚く。

「ぬ、ぬう……御器噛……!」
「し、知っているの? 柄……!」
「う、うむ……ごきかじり……よもや見ることなどないと思っていたが……!」

 ◆御器噛───ごきかぶり(ごきかじり)
 ごき。御器と書くが、食器、つまり御器をかじるところからそう名づけられ、明治時代までを御器噛、または御器被(ごきかぶり)として過ごし、のちになんらかの表記違いで“か”が抜け、ごきぶりと呼ばれるようになった。
 その動きは初速からトップスピードであり、体内はほぼ液体とも云われ、それ故か冬の寒い時期にはやたらと動きがのろい。
 食事は残飯などとも言われているが、人の髪の毛でも食べるとされ、水があれば平気で生きられる超生命力の持ち主である。
 なおこの生物を師として仰ぎ見る地下闘技場のチャンプが(略)
 師から習った奥義は、かの地上最強の生物でさえ認めるところであり(略)
 *神冥書房刊:『でも菌は持っていないとの噂』より

「ていうか娘達、なんでここに居るの」
「え? 女性の悲鳴が聞こえたから」
「いやあの禅さん? さらっと言ったけど別に俺女性の悲鳴の原因じゃないからね? それを当然のようにされるとなんかもう俺泣くよ?」

 ともかく、朱里が言うには黒いヤツ……ゴキブリ様が出たらしい。

「おおう……かの孔明先生がゴッキーに驚く……! これもある意味孔明の罠やな……! ああーんっ♪ 是非とも8年前に会いたかったわーん! きっとかわゆかったんやろなー! なんっちゅーかもう、羽未ちゃんみたくっ!」
「早坂妹かぁ……ああ、うん、でもどっちかっていうとシスター見習いのあの娘と龍禅寺センセを合わせたみたいな……」
「あーっ! そんな感じかぁ! なるほどなるほどぉ!」
「………」
「………」
『………』
「貴様どこから湧いて出たっ……!!」
「《ひたり》あぁんまたこのパターン! ちょ、やめてぇや甘述ちゃん! それゆーたら甘述ちゃんかていつ来た〜って話やんっ!」

 いや、冗談抜きでどこから湧いてきたんだお前は。
 そして述。きみは本当に思春に似てきたね。どこから出したのその刃物。

「あ、ところでかずピー? ゴッキーに困っとんねやったらほら、やっぱあれっきゃないやろ」
「お前って刃物突きつけられてもタフなのな……」
「提案するだけで殺されるならそれだけの人生や〜って、なんやそんな悟った気分を出してみましたー。かっこえー? 俺かっこえー?」
「ああかっこいーぞ。かっこいーからそのまま頑張れ」
「うそですごめんなさい今すぐ助けて足震えてもうあかん刃物コワィイイイ!!」
「というわけで、殺虫剤を作ろう」
「かずピー!? かずピー!!」
「黙れ」
「《ちくり》ヒアーーーーッ!!?」

 うん、とっても賑やか。
 夜中なんだから静かにしてください親友さん。
 とは、思ってみても言えません。俺も割りとよく叫んでたし。

「さっちゅうざい……ですか?」

 むむ、といった感じで軽く俯く朱里。
 背も大分伸びた所為か、この仕草も様になっている。
 ……小さかった時は、どうしても背伸びしている子供にしか見えなかった……というのも口には出さない。出せません。

「そう。虫が嫌がるものを噴射するものだ。まあこの際、薬じゃなくても氣を噴射〜とかで、虫を殺してもいいとは思うんだけどね」
「氣……はわわ、ということは、また真桜さんに……?」
「そういうの作れる人って言ったら真桜しか思い浮かばないしなぁ」
「うう……ごめんなさいご主人様。私はいつも知識ばかりで、なにも作れず……」
「イヤ、なんかもう知識だけで十分なんで、これ以上なにかされたら僕らの立場ガ……」

 たまにお菓子作ってくれるだけでも本当にありがとうです。
 というわけで真桜に氣を噴射させる絡繰を作ってもらうとして……ただの氣で死ぬんだろうか。むしろ殺虫剤だからこそ、吹きかけたあとでも効果が現れるんであって、ただ氣をぶつけて倒すとなると……それこそ直撃させなければいけない。じゃあどうするか? えーと…………

「なにか毒のようなものを放つものを絡繰の中に仕込んで、その香りを氣で噴出させる……? 毒っていってもな。なぁ娘達、毒と聞いて思い浮かぶものとかってあるか?」
『…………《ソッ》』
「あれ? なんでそこで目を逸らすんだ? なにか心当たりが───……って、禅? どうした? そんなに震えて、もしかして寒いのか?」
「イィイイイィエ!? ぜ、禅、ベツにふるえてナイヨ!? ホントダヨ!?」
「ほんとって言われてもな……どうする? 桃香……は確実に寝てるだろうし、あ、そうだ。今の時間なら愛紗が起きて───」
「ひぃっ!? だだだだめ! 愛紗はだめ! 呼んだらだめだよととさまっ!」
「え? そ、そうなのか? じゃあ他の…………マテ。愛紗? 毒? 愛紗……」

 …………。謎は全て解けた。

「そっか……そうだな……。じゃあ、協力者として春蘭を呼ばないわけには……なぁ……」
「だ、だめだよととさま! 用意してって頼んだら、絶対に一口は食べないと納得してくれないよ!? ととさまはまた、あの炒飯から飛び出した魚の姿を見たいの!?」
「正直二度と見たくありません」

 そう……毒とはまさにそれ。
 空を飛ぶ虫でさえ香りで絶命させる凶悪な料理だ。
 その香りを氣で噴射できるようにすれば…………!!

(……ゴキブリの前に使用者が悶絶しそうな気がする……ッ!)

 い、いや、ここはなんとかなると信じよう。
 そう……この殺虫剤は、誰かの犠牲の上で完成するのだろうからッ……!
 うん、まあつまりは誰かが作って〜って頼まなきゃ作らないと思うのだ、あの二人は。
 その誰かっていうのが……

「……禅」
「いやだよ!?《がーーーん!》」

 全力で嫌がられた。

「……丕」
「父さまは私に死ねと!? う、うぅうう……! でも父さまに、かっこいいところ……!《ガタガタガタガタガタタタタタ……!!》」
「やめなさい父さんが悪かった! ……〜〜〜……はぁあ……ま、まあ……順当にいけば……こうなるよな……」

 訊くまでもなく、どの道俺が食べることニナルノは……まあ、解っていたよ……。

「? かずピー、なんの話ー?」
「刃物つきつけられてるのに、普通に話しかけてくるお前って……ほんと逞しいな。ああ、えっと。…………お、及川ー? もし美人さん二人に手料理作ってもらえるって言ったら、お前どうするー?」
「そらもちろん乗る!」
「え゙…………マジで?」
『っ……!《ずざっ……!》』

 元気なその返答に、俺はもちろん子供たちが一斉に引いた。
 ぬ、ぬうこやつ……知らぬとはいえ本気か……!? って感じに。

「えっ? な、なに? なんやのそれ、相当マズイ……とか?」
「ちなみに今の返事は既にケータイで録音済みだ。貴様はもはや逃れられん」
「いきなり脅迫!? ちょ、タンマタンマ今のなし! ちゅうかケータイにそんな機能あったかいな!」
「及川さん……まだ若いのに……」
「孔明先生になんか今から死にそうな心配された!? いったいどない料理が出されんねや!」

 どんな? どんなって……。

「“炒飯?”と、“杏仁豆腐?”だな。他には匂いだけで虫を殺せる謎の料理が、かつてあった三国の会合の時には名物料理として(主に罰ゲームとして)振る舞われてたな」
「……なんや、どれも普通の───……あら? なんでどれも疑問系なん? 虫を殺せる? どゆ意味?」
「食ってみれば解る」
「でも死ぬんやろ?」
「死なないぞ? 完食したって死ぬもんか」
「……実感篭った言い方やね、かずピー」
「毎度完食してますから」

 世界が白くなって天使がお迎えに来たり、世界が黒くなって死神が迎えにきたりしたけど、食べられないこともない。
 大事なのは……胃袋の丈夫さと、味覚を鈍らせる努力と根性……つまり、努力と根性と腹筋ということで。腹筋関係ないけど、腹に力を込めると少しはマシな気がするんだ。うん。

「えー……孔明先生、かずピーのゆーとること、ほんま?」
「えっ……はい、ご主人様は完食なさってますよ」
「腹、壊したりとかは……」
「してません」

 そう、腹を壊すことはない。以前は壊したけど、この8年でレベルアップした料理は……ハッキリ言えばただ苦しいだけだ。味覚とか舌とか喉とかまあいろいろ。ホービバムビバを叫んで食べた時も、まあ意識が吹き飛んだりはしたものの、腹痛とかはほら、いろいろとアレだったよ? うん。
 ともかく腹を下すとかはないのだ。
 大丈夫、腹に入ればもう辛くないよ? なんだかね? お腹がね? 異常に熱くなる気がするだけで、痛くないよ? ほんとだよ?

「そうか……ついにあれも兵器……もとい、嫌悪あるものを退けるものとなるのか……いや、最初からなってたか?」
「……なぁなぁ孔明先生、かずピーのやつなにゆーとるん?」
「……いろいろあったんです。いろいろ……」

 でもゴキブリがもし嫌悪感を抱かない形だったら、そうそう嫌われたりもしなかったんだろうなぁ。普通に飼ったりしている人が居るって、どっかで見たこともあるし。
 そもそも嫌われる理由ってなんなんだろうか。
 あのスピード? あの形? ……本能が太古の遺伝子に恐怖している?
 ……うん、ワカラナイ。

「というわけで、絡繰は真桜に、毒は愛紗と春蘭に任せる方向で」
「あの、ご主人様? 愛紗さんと春蘭さんにはどう説明されるおつもりで……?」
「二人の料理を食べてみたい人が居るって」
「…………嘘では……ないですよね」
「…………ぎりぎり、嘘ではないよな……」

 ちらり、と二人で及川を見る。
 述に刃物を向けられたままの彼は、それでもめげずに述と話をしている最中だ。

「あの。耐性がないのに、二つ一緒に食べてしまって大丈夫でしょうか」
「…………しまった、それ考えてなかった」

 食べさせなければいいというものでもあるんだが、食べないことには感想は生まれない。なので一口。一口だけでも食べてもらう必要があるのだ。
 というか8年経っても対して変わらない味、というのも……老舗の馴染みの味とかなら嬉しいだろうに、ちっとも嬉しくないんだ。

「あー…………まあ、それらは明日考えよう。なるようになるって期待を込めて。……いざという時は…………延」
「はい〜」

 ちょいちょいと手招きをして、寄ってきた延にいざとなったらの治療を頼む。
 華佗は今、別の国に行っていて居ないのだ。

「はいぃ、任されました〜」
「悪いな。俺が出来ればいいんだけど、真髄まではさすがに知らないから」
「仕方ありませんよぅ、五斗米道は一子相伝ですからぁ」

 一子相伝……華佗の子じゃないけど、まあそれを言ったら北斗神拳だっていろいろある。
 全てを知るのは一人でいいってことだろう。
 ……あれ? この場合、北斗神拳って本当に一子相伝だったのかな。
 ああいや、今はそんなことより明日に備えてさっさと寝よう。

「というわけでみんな〜? そろそろ部屋に戻ろうなー?」
『いやです』

 即答だった。

「ちゅうか……なあかずピー? 今までつっこまんかったけど、なんで自分“ご主人様”やねん」
「……なんでだろうなぁ」
「へ?」

 俺はね、嫌だって言ったんだ。
 言ったんだよ……及川くん……。





200/外史考察番外編

 明けて翌日。
 時は昼であり、ゴキブリと聞いては手を止める理由も無しと、真桜によって早速作られたのがこの毒噴射器であり、名前は……“○○○くん”や“○○○ちゃん”といった名前ではなく、“滅殺はわわジェット”となった。
 その威力は凄まじく、耐性のない生物ならばたとえ人間であろうと気絶させられるほどの威力を誇り……俺の部屋、閉ざされたその密室にて、その大元であるブツを口にした英雄が

「ブゥッフェオゴプッ!!《ゴブシャアッ!!》」

 ……吐いた。
 ハイポーションをストローで飲んだ馬のような吐き方だった。
 いや、吐いたと言い切ってしまうのは酷だ。彼は必死で口を閉じ、ブツが流れ出すのをこらえてみせた。その在り方や、見事。
 彼は食ったのだ。匂いで躊躇していたのに、それでも踏み出したのだ。そんな英雄が今……人の姿も気配もない俺の部屋にて、俺の足元で痙攣している。

「……及川。世界は広いだろ」
「……かずピー……俺……俺な……? 世界が傾ぐほどの料理なんて……漫画の中だけか思っとったわ……」
「……俺もだよ」

 言って、手を差し伸べる。
 伸ばされた手を、きょとんとした目で見たそいつは……ニッと笑って握り返してくると、引っ張られるままに起き上がり……盛大に足を震わせて、ドゴシャアとコケた。

「あ、無理、足にキとるわこれ。脳に異常ない筈やのに足震えとるわ。やっちゅーのに不思議と腹は壊してないとか……なぁかずピー? これって料理? 料理なん?」
「間違い無く料理だよ……俺達の想像の常識を遥かに超えた……」
「……歴史の壁は……大きいんやなぁ……。現代の調理師さんや、料理の出来る人に感謝や……」

 自室で二人、遠い目をした。
 そんな犠牲の下に完成した滅殺はわわジェットの威力は本当にすごい。
 ゴキブリが一発で動かなくなる破壊力だ。
 ただし使用後は窓などを全開にして、空気の入れ替えをしてください。

「ところでな、及川」
「ん……なんや……? 今ちっと感覚おかしなっとるから、回復するまで───」
「これな……? 全部食べたあとに無難な言葉を返さないと、魏武の大剣さまが怖いんだ……」
「───」

 彼は固まった。
 俺も、言いつつ固まっていた。

「もちろんな? 俺だって今まで適当な感想で誤魔化してきたわけじゃない。きちんと言って斬られそうになったことだってある。そんなことを繰り返してもな……? なんでか曲解して“これでいい”みたいに受け取られて、同じものが……」
「……それって、あー、んん、雲長さんやったっけ? その人のも同じなん……?」
「普通の料理を教えた筈なのになぁ……どういうわけか話を聞いてないのか、同じものが出来てばっかで……」
「それってただ、かずピーと一緒に料理してて緊張しとるんだけやない?」
「いや、教えればきちんとな? こう……はい、はい、って返すんだぞ? なのに聞いてないっていうのはおかしいだろ」
「………」
「………」
「かずピー……俺……なんでいっそのこと気絶せんかったんやろな……」
「それはお前が頑丈だからさ……」
「…………タフで損するなんて、思ってもみぃひんかったわ……。ん、せやけど、女の子が作ったモンは意地でも食うのが男の意地っちゅーもんやなっ。かずピー……手伝ってくれるな?」
「えっ」
「えっ」
「………」
「………」

 いや……いやいやいや、なにをそんな、人を巻き込もうと? なんて考えが頭に浮かんだものの、そもそも俺が巻き込んだようなものだ。殺虫剤作るから〜って、なにもこの料理じゃなくても出来た筈なのだ。それを、俺や子供たちが決めてしまった。巻き込んだのは俺だ、ここで動かなければ男じゃない。
 それに……考えてもみよう。ここで無理だ無理だ言って逃げるのって、なんか違うだろ。
 友達ってそういうものか?
 友達って……そいつがチャレンジするものに付き合って、失敗しても笑ってやれるような気安さがいいんじゃないか? さすがに友達が女性の下着を盗んだからって、自分も手にとって頭に装着、なんてことはしないが……

「……いただこう。全部……食わないとな」
「かずピー……」
「俺、忘れてたよ。世界はいつだって戦場なんだ。相手を殺すためのものを作ったのなら……自分も死ぬ気でいかなきゃ……」

 俺達はこれを元としたもので、ゴキブリ師匠の命を奪うのだ。
 ならば俺達も、相応の覚悟で挑まなきゃ……相手に対して顔向け出来ぬ!

「さあいこう及川。二人で完食するんだ」
「お、おう! せやでかずピー! 男が女の作ったモン残す時は、相手が計画殺人考えてる時だけでえーんや!」
「物騒なこと言わないでくれよ! やりそうな猫耳フードに心当たりがあるから!」

 それでも食す。
 作ってくれた人、食材を育んでくれた人たちに感謝し、まずは魚の飛び出た炒飯をバクリと

「ウゴォオッフ!?《ビクンッ!》」
「オゴォオオッフェェッ!?《ブボォッシュ!!》」

 口にした途端に胃から酸っぱいものが込み上げてくるのを、なんとか体が跳ねるくらいで済ませた───横で、及川が閉じた口からキラキラと輝く液体を吐き出していたのは見なかったことにしよう。大丈夫、食材は吐いてない。米の一粒すら糧にしなければ、先人に顔向け出来ない……以前に、そもそもこの料理を作らせた時点でいろいろ冒涜……だったのだろうか。
 ……いや、今はなにも言うまい。
 ともかく、人払いは済んでいる。当然、済んでいるんだ。
 だから誰に遠慮することなく、素直な心を解き放った。
 お解りいただけるだろうか……これが、悪友と大事な話があるということで人払いが出来なければ、製造者……もとい製作者が完食するまで傍でじっと見ているんだ。
 当然、マズイと言えるはずもない。
 こうして心の内を吐ける相手が……同じ思いを共有できる友人が居ること……それだけのことが、どれだけ支えになってくれるか。
 ……結果は二人しての悶絶劇場ではございますが。
 二人で炒飯一皿と戦っているというのに、なんという強きことよ……!
 美髪公の実力とは、食事にすら影響するものであったか……!

(お主こそ、万夫不当の豪傑よ!)
(も、孟徳さん! …………手伝って孟徳さん! 自信満々にそんなこと言ってる余裕があるなら、もう人格交換とかイタイ子とか言われてもいいから交代して!?)
(関雲長が義の刃……我が大望をも断つか……!)
(孟徳さん!? 敵前逃亡しないで!? 一口でいいから変わってったら! 頼むから!)

 ……もはや幻聴は聞こえなかった。
 結局は自分達で片付けるしかないわけだ、この強敵を。
 たった一皿だというのに、フフフ、なんという迫力よ……!
 目を閉じて全てをなかったことにして、青春を求めて駆け出したくなるような武力よ……!(*走って逃げたいだけ)

「フー! フー……! フッ……フー! フー!」
「ア、アゥガガガガ……! か、かずピー……? なんや俺、腰から下ががくがく震えだしてきたんやけど……!」
「甘いな……俺なんてもはや手が震えて食事どころじゃない……!《カチャタタタタタタ……!!》」
「おわっほ!? 匙子めっちゃ震えとるやん! あっはっはっはっは! なんやもう辛さ通り越しておもろなってきたわ! 毒食えば皿までやな! ゴッキーかて食器かじってたゆーなら、皿くらい食ったらなカッコつかんでおぉおりゃあっ!!《バクリ》ブボォオオフェエエッ!!?《ゴプシャア!》」
「そこまで言ったならせめて胃液を吐き出すのも止めような!? ……って言ってるよりはさっさと片付ける! ……すーはー……んっ!」

 息を止めて掻っ込む!
 息が続く限り咀嚼して、限界がきたら一気に飲む!
 そして、嬉しくないけど熟練者としての余裕の笑みを及川に見せてやろう!
 慣れれば食えなくもないんだよって、安心させる意味も込めて!

「……フッ《だらだらガクガクガタタタタタ……!!》」
「ゲッホゴホッ……! か、かずピー……? カッコよぉキメたつもりなんねやろうけど……汗と涙と震えが尋常やないからな……? これを前に見栄とか、無理やって……この短い間で悟ったから……な?」
「い、いや……実際こうじゃなきゃ完食むずかし……うっぷオォオゥエッ!!?」

 ゲップがごぽりと出た途端、地獄の風味が食道を通って鼻腔に届いた。
 ……途端、吐き気を催す悪しき物質を吐き出してしまいそうになり、それを止めるために荒い呼吸を繰り返すはめになった。

「ん、っぐ……! ……んっ」
「ぜー、ぜー…………へっ? な、なんやねんな、この差し出した皿。……え? 俺にも同じことせぇって?」
「……!《こくり》」

 解ってくれ、及川。このままちまちま食べていたんじゃ埒があかない。
 ならば腹痛は起こらないという現実を救いとして受け取って、詰め込むしかないじゃないか……!

「あ、あー……せやったな、腹痛はないんねやもんな。せやったら……すぅ……はぁ。んっ!」

 及川が皿を受け取り、呼吸を止めて一気に行く!
 傾けた炒飯を開けた口にざぼざぼと落とすように!
 そんな炒飯からぼろりと黒っぽいなにかがこぼれ、及川の口にダイレクトに落ちて

「《ゴジョリ》フブゥウウッフォ!!?《ブボォオッフォ!!》」

 吐いた。器用に黒い物体だけ。
 ごしゃっ、ぞぼっ、と音を立てて落下したその黒い物体は…………焦げたにんにくであった。

「うげぇっほげっほごほっ! 砂っ!? 炭っ!? なんやじょりじょりしたもんが───ヒィ砂鉄!? 砂鉄が入っとったん!?」

 落下して砕けたそれを見ての友人の一言がそれだった。
 かろうじて白い部分がなければ、俺も砂鉄か炭の塊かで納得していたであるソレを見て、俺は少し遠い目で壁や天井の先にあるであろう蒼空を見つめた。

(……そういえば……愛紗にアドバイスとしてにんにくを油と一緒に炒めておくと風味が〜……とか言って…………言ったのに、これなのか。ちゃんと輪切りにって言ったのに、まさか丸ごととは……)

 程度ってものを知ってください愛紗さん。これじゃあただの黒い団子だよ。ホウサン団子レベルとまでは言っていいのかどうなのか、下手するとがん細胞とかが活性化するんじゃなかろうか。

「え、えーと……かずピー? つい吐いてもーたけど……皿ん中からっぽなら〜……食ったゆーことで、ええよ……な? まさかこの黒いもんまで食べなあかんとか……」
「……片付けは必要だけど、いいと思うぞ」

 ……二人、こくりと頷いて片づけを開始。
 無言でてきぱきと。かつ、バレないように。無事な部分は食ってもらって。悪いけどな、及川。この世界で食べ物は粗末に出来ない。なんかもうこの作戦自体がそういう方向に向かってそうでも、食べずに捨てることだけは許されないというか、許したくない。
 そうして炒飯とダークマタ……もとい、にんにくを片付け終えると、さあやってまいりました杏仁豆腐。

「おー! 綺麗な色どりや〜ん! なぁなぁかずピー? さっきの“炒飯?”は確かにアレやったけど、これは期待できるんとちゃう? 今までは失敗してたんかもしれんけど、今回は成功したって考えてえーやろ! なっ!?」
「ああっ、そうかもなっ! じゃあ及川、一応お前用にって作られたんだからお前が先に」
「いやいやかずピーにはいろいろ世話んなっとるから、一口目は譲るわ」
「いやいややっぱりお前からじゃないと」
「やぁん、遠慮なんてええねんで? がーっといったってやかずピー」
「………」
「………」
『さいしょはグゥウウウーーーーーッ!!』

 人の、生きようとする本能がそうさせたのだろう。
 俺と及川は同時に動き、拳に振るう拳に全身全霊を込めて互いの運を武器とした。

『ほいっ!!』

 ズバァと振るわれた手。
 そこに存在するのは二つの握り拳。

『あいこでしょぉおっ!! あいこでしょぉおおっ!! あいこでぇえええっ!!』

 振るっても振るってもあいこ。
 力みすぎて手が開けないのだ。
 恐ろしきは生存本能よ……生きようとするあまりに火事場のクソ力的なものが発動して、その所為で逆に手が開けないのだ。

「ふっ……ふへへへっへっへ……! やるやないかかずピー……!」
「ださなきゃ負けよジャンケンポォン!」
「おわ汚ァッ!!?」

 場の雰囲気に飲まれ、強敵と相対するキャラのように顎をグイと拭う及川を無視してジャンケン。惜しい、もうちょっとで後出しになったのに。

「っしょぉ! ほっ、本気っ……っしょぉ! やなっ……かずピー! っしょぉ!」
「あいこでっ……無駄にっ! あいこでっ……鍛えられてっ……あいこでっ! ……るからなっ! あいこでぇえっ!」
「あ、それやそれ。それのこと、ず〜っと気にかかっててん」
「それ?」
「ほい出さなきゃ負けよ、と」
「どれだ?」
「……涼しい顔して普通に出すのなー……かずピーってば隙ないんやからもう」

 じゃんけんを続けながら話を続ける。
 及川の言い分というか、気になっていたというのはこんなことだった。

「や、ほら。俺、なんか急に降りてきたやろ? 俺にしてみたらかずピーはシャワーに出てったかずピーやのに、かずピー自身はもう10年近くもこの夢の中で生きてるゆーし。詳しいことはよー解らへんけど、ようするに戦争にも巻き込まれたし人死にも見たんやろ?」
「……そだな。仲良かったやつが死んだりもした。……正直、辛かったよ」
「それや。……俺、なんや場違いやろ。平和なとこに急に現れて、んでかずピーの友達やから迎えられる〜とか。や、そら俺も孟徳さまに役に立てないなら〜とか言われとるよ? むしろそら当然のことやからそれはそれでええ。ちっこい子供が大人の仕事手伝っとる姿見て、なにも出来んけど飯食わせて寝かせて〜、なんて恥ずかしくて言えるかい」
「まあ、そうだよな」

 場違いかどうかは知らないが。

「何気なく食わせてもらってるもんも、その一粒のために兵になったモンまでおる言うやないか。それ聞いて、余計頑張らな思った」

 今現在。
 涼しくなった時節に合わせて、“周期”ではない将は自国に戻って各国の開拓に励んでいる。新しい軍師の指導はもちろん、国境への警戒指導も。
 10年近く経っても、武器を納める国は存在しない。
 平和とは言うが、それはあくまで都……中心の話だ。
 天下統一とはいってもそれはあくまでこの三国での話。
 全てが統一されたのであったなら、俺が居ない間に五胡に襲われるなんてことはなかったのだ。
 だから誰も警戒は解かない。
 それこそ、周辺国との諍いとも思えるものが完全になくなるであろう、50年や100年くらいまで、鍛錬や武技などは廃らせるべきではないと。
 ……当然、俺はそれに賛成した。
 この外史の果てで決着をつけなければいけないとはいえ、相手……左慈が一人で来る保証などはどこにもない。だから、それこそ100年近くは武も技も失わず、練度は保つか鍛えながら進んでいきたい。
 華琳が亡くなったのちに相手が現れるのなら余計に。
 ……みんなが、静かに、安心して眠っていられるように。

「しゃあけどなにを頑張ればええのかも解らん! 焦って手ぇつけてみれば、それは他の人の仕事やって怒られたわ! 手伝わせたってって言ぅても自分がやるゆーてなんにもできん!」
「じゃあ毒見の仕事を」
「わーい仕事や〜♪ ってそーゆーネタ振りとちゃうわ!!」

 ……気づけばじゃんけんはもう、じゃんけんじゃなくなっていた。
 手が振るわれることもなくなって、及川はぎううと拳を握り締めて、俺の目を見て。

「……な、かずピー」
「ん? どした? ぽんっ、と」
「じゃんけんやめん!?」

 グーを出せばグーを出された。ツッコミながらも、姿勢を戻せば「たはっ……」と笑う。

「……はぁ。な、かずピー。かずピーにとって、故郷って何処や?」
「“(きた)”の“(さと)”。───何処だ、なんて決めなくてもさ、長いことそこで育って、短くても必死で生きれば、そこが故郷って名前になるだろ。まあ、この世界で言うんだったら……せっかくだから、やっぱり北の郷だ」
「…………どこ? なんやお相撲さんみたいな名前やな」
「……お前ね、そこで訊かれるとわざわざ遠回しに言った意味がないだろ……。北だよ北。地図で言うと、魏だ」
「あー、なるほどなるほど……といいつつグー」
「その手にゃ乗らん」

 きたのさと。合わせて北郷。いつかそんな故郷を守れる一振りの刀になりたい。
 そういうことを思うたび、名前ってのは大事だなって思うのだ。
 どれだけの時間が経っても、みんなが俺の前から居なくなって、土の下で眠ってしまった未来でも。今、みんなが頑張って作り上げている“生きた証”を……くだらない笑い話で馬鹿みたいに笑えた日々さえ思い出して、そんなものさえ抱えて歩けるみんなの覇道を、こんな名前とともに歩いてゆく。
 その道を守ることが出来たなら、その先でただ願おう。
 銅鏡に託す肯定はもう決まっている。
 きっとそこから歩いてゆける。
 アホのようなきっかけだったけれど、そんな未来の証明をこの悪友が持ってきてくれたから。

「そかそか。……な、かずピー」
「お前ね、一度で用件済ませられないのか? さっきから名前呼ぶの何度目だよ」
「まーま、えーやん俺とかずピーの仲なんやし」
「………」
「………」

 にかっとした笑顔で言われて、きょとんとしてから自然と笑んだ。
 椅子を動かして、卓の上にある存在感たっぷりの杏仁豆腐なのかフルーツポンチなのか解らないそれを挟んで座って。
 そうしてから少しの間を取って、俺も及川も静かに長い息を吐いてから、苦笑をこぼす。

「ごめんな、かずピー。それと……おおきに」
「いーよ。言いたいことは解るから。俺も、ありがと」

 知らない世界へ降りたことがあった。
 耳に届いた名前らしきものを口にしたら、殺されても仕方がない世界だった。
 見渡す限りの荒野は、話しかけられれば“ものを置いていけ”と脅されるような怖い場所で。
 誰にも連絡出来なければ、誰も味方をしてくれない……言葉一つで、相手の受け取りかた一つで簡単に命が摘まれる世界だった。

 ───頑張って咲いた花が簡単に千切られる光景を覚えている。

 摘み取った少女はにこやかに笑って、道の先で待っていた母親のもとへと笑顔で駆けた。
 摘み取られた花の周囲には、少女に踏まれた花があった。
 珍しくもない花々は、踏まれたことさえ気づかれずに……ふと思い出した頃には茶色く変色していた。
 そんなものと並べて考えてしまうくらい、命というものが簡単に蹂躙される……米の一粒のために、命を投げ出さなければ食べてもいけない世界だった。
 必死って言葉がひどく似合う世界で、ようやく少しくらい微笑むことが出来た街の隅で、隠れて桃を食べて笑った。
 気づけば幾度も戦をして、笑い合っていた笑顔が戻らないことを知って、誰にも気づかれないよう涙した。

  平和って眩しいね

 子供の俺が呟いた。
 そんな世界に最初から降りることが出来たならって、きっと誰もが思うだろう。
 ありがとう、ごめんなさい。
 そこに込める言葉の意味も、伝えたいやるせなさも、どうしようも出来ないのだから。
 だからこそ呟く言葉が、こんなにも胸に響く。
 “知っている人が居る”。それだけで、ただただ安らいだ。

「俺、なんもしてへん。戦に貢献したわけでもない。誰かを助けたわけでもない。なのにな、み〜んな笑うんや。かずピーの知り合いやゆーこと知っただけで、眩しいくらい……眩しすぎるくらいにな」
「……ああ」
「孔明ちゃんの悲鳴聞くまで、孟徳さまのところで話きいてた。かずピーがどんなことしてここで頑張ってたか」
「……って、ことは」
「ま、ここ日本やあらへんし、本人同士がそんでえーなら俺が言うことなんてなんもあらへん。嬢ちゃんらのことで怒ったのも、“おとうさん”の一言で怒ったのも、まー理解したらおもろいもんやし。ただ、ご主人様については聞いとらんかったから引いたわー……」
「俺はな、嫌だって言ったんだよ……ちゃんと……」

 眩しすぎる景色には目を開けない。
 見届けなきゃいけない現実も、救えなかった影のことも、みんなみんな眩しさの中にあったのに。
 ……なぁ、みんな。一時でも俺を隊長って呼んでくれたみんな。
 俺は……

「胡蝶の夢なー……こんな世界があって、女の子にぎょーさんモテて、めっちゃ愛の経験積んで、子供まで出来て。そんでも───」
「………」
「な、かずピー。もう、終わらしてしまわん? はっきり言ってこれ、夢は夢でも“そこまで都合のええもん”とちゃうやろ。人は死ぬし歳も取る。けどかずピーは10年経ってもそのまんま。こんなんよっぽどアホやなけりゃ気づくわ。……かずピー、自分このままやと、下手すると子供の最期看取るかもしれんねやぞ?」
「………」

 ……俺は。
 俺はここまでこれたよ。これたのに……平和な世界に居るのに、先に進むのが怖くなってるんだ。
 贅沢だよな。
 このまま賑やかな景色に埋没して、ずっと笑えていられたらって、思わずにはいられない。
 ある季節がやってくるたび、何度桃を持って魏に戻っただろう。
 兵舎に行くたび、何度とっくに処分された名前を探しただろう。
 笑った日のことも、どんな話題で笑ったかも思いだせるのに。
 どうして……笑顔ばかりが、その表情ばかりが記憶から消えていってしまうのか。
 ……あれからたくさんの人と会ったよ。
 たくさん思い出が出来た。
 一度天に戻ってさ、自分でも呆れるくらいに鍛錬したんだ。
 サボってばっかりだった俺がだよ。
 そんな過去さえ思い出して笑えるのに。

「果てには行くよ。約束があるんだ。俺は、俺が歩いてきた道も……あいつらが生きてきたこの世界も、否定したくないから」

 心が冷たくなると、自分の頭を胸に抱いてくれた温かさを思い出すようにしている。
 道があるのなら歩まないと。
 覇道はまだ続いている。
 怖くても、辿り着きたい未来と、肯定したい世界があるから。

「……かずピーは、孟徳さまに願われたから降り立って聞いた」
「……ああ。そうだな」
「二度目はまた会いましょう、やったか?」
「……ああ」
「な、かずピー。かずピーは……自分のこと銅鏡のカケラがどうとか言うとったよな?」
「? あ、ああ……言ったな」
「銅鏡は願いを叶えるだの世界を変えるだのの力があるんやったな?」
「ああ……それがどうかしたのか?」

 らしくない真剣な目と自分の視線がぶつかった。
 らしくないのはきっと俺も同じで、出来ることならニヘラと笑って、こんな空気を壊したかった。
 でも、そいつの目があんまりにも真剣だったから。誤魔化すようなことはしないで、話を待った。

「かずピーの話を纏めると、この世界は一度役割を失ったけど、孟徳さまの世界になったお陰でカタチをたもてた……で、えーんやったな? なんや、自分までそういった世界の住人や認めるんは気味悪いけど……それはこの世界のみんなかて同じやしなぁ」
「……そだな」

 及川の質問に答えながら、杏仁豆腐を軽く掬ってみる。
 口に入れるとほのかな酸味と酸っぱさが口内を支配して───マテ。なんで杏仁豆腐から魚の生臭さが香ってくる。

「……かずピー。きっと、これで最期や。孟徳さまが願ったからゆーて、また何か願いが叶う、なんてことはまずあらへん」
「? どういう意味だ? ……ぐっふ! えふっ! おほっ!」

 杏仁豆腐の味と格闘しつつ、先を促す。
 及川もつられてほんのちょっとだけ食べて……顔を紫色に変色させながらも、吐くまいと堪えていた。

「げほっ……! ん、んんっ……えっとな、勝手な推測やし笑ってくれてかまわんけどな。世界は願われた数だけあって、その分だけ予想される銅鏡のかけらもかずピーの数も変化する。せやったら、最初の願いは御遣いを下ろして天下を取ること。そんでその世界の願いは終わってもーてる。天下統一されたあとの願いは御遣いやのうて、“孟徳さまがまた会いたいかずピー”の召喚や。んで、もうそれも叶ったな?」
「あ、ああ……そうだな。けど、これで最期ってのは?」
「存在意義が書き換えられた時点で、この世界は新しい世界ってことになっとったんやとしたら、最初の世界とおんなじで天下統一を目指すなんて願いが誰かによって叶えられて、それを孟徳さまがたまたまた拾った。まあ、これがかずピーやな」

 及川が自分の荷物からメモとシャーペンを取って、図を描く。

  一回目の世界の願い:天下統一という平和=かずピーの召喚

「あ、“かずピー”って部分は天の御遣いって感じで覚えたってや。最初の世界っちゅうのも、銅鏡ってのが割られた世界ってことやで?」
「ん」

 軽く返して、図の先を促す。
 
  一回目の世界の願い:天下統一という平和=かずピーの召喚
  二回目の世界の願い:また会いたいかずピーの召喚
  三回目の願い:〜〜、、……

「及川?」

 三回目の願い、という部分で、及川はメモに波線を書いたり点を落としたりと、躊躇しているようだった。

「んーと」

 途端、ばつの悪そうな顔。

「アニメのことやけど」
「へ? 今関係あるのか?」
「重要やな。……出てきていきなり去っていくキャラっておるやん? あれって意味あったんかなーとか思うよなー」
「……一応、なにかのきっかけにはなってるんじゃないか? そんなキャラを好きになる人だって居るわけだし」
「せやな。でも俺はあんまり好かん。出たからには、もっと活躍してほしー思う」
「まあ、そりゃそうだけどさ」
「でもな、召喚されてみて思ったわ。理想ではあるけど、現実的やあらへん。誰かが頑張って築いた世界に急に降りて許されるのんは魔王だけって思う。けどなぁ、俺に魔王なんて似合わんし……親友の“敵”になるのは、もう嫌や」

 シャーペンが走る。
 そこに書かれたのは……

  三度目の願い;かずピーの心労の除去

 ……一瞬、意味が解らなかった。
 心労? べつに俺は───と言おうとしても、どうしてか言葉が出なくて。

「孟徳さまにな、訊いてきた。俺が降りる前、どんなこと考えてたんや〜って。散々話逸らされそうになったけど、かずピーに関することで、重要なことやからって言ったら教えてくれたわ」
「……及川、これって」
「女ばっかの場所で、周りに居る男は自分を友達とは見てくれない。そんな場所でずっと生きて、本当に心の底からの息なんて吐けるもんかい。孟徳さまの考えがどうあれ、かずピーの心を癒そ思ったら、世界がそれに反応した。それだけのことや」
「……この“三度目”ってのは?」
「銅鏡の数だけ世界があるなら、世界自体が銅鏡のかけらやろ? まあ予想やねんけど。んで、降りるかずピーも銅鏡のかけらの数だけなら、それに影響されとる。三度目のかけらは“かずピーの中のもの”や。最初の誰かの世界でかずピーはたまたま孟徳さまに拾われて、一回目の願いを叶えた。あとは孟徳さまを軸とした世界って感じで世界は上書きされて、そこに二個目のかけらが宛がわれた。二度目の願いでそれはのーなったってわけや」
「そりゃまた、“想像”すぎる話だな」
「こーゆーのは合ってなくても簡単な定義作って“頭に覚えさせる”のが重要やろ? 忘れるよりはマシや」
「………」

 文字と図が描かれてゆく。
 三度目。
 軸である華琳が願って、傍にカケラがあったから叶えられた小さな願い。
 世界に影響があるほどの願いなんて叶えられないけど、せいぜいで人ひとりの心が安らぐ程度の時間の夢を叶えるもの。

「……な、かずピー。ちっとくらいは楽しめた?」
「……そだな。遠慮することなく騒げたのは、久しぶりだったかもな」

 口調でも態度でも、人をツッコミで殴るのでさえ懐かしかった。
 今じゃ、やるとしてもデコピンくらいだから。

「そかそか。まあそんなわけやから……俺はそう長くはこの世界にはおられへん。天下統一した時点でかずピーが元の世界に戻ったなら、俺かてかずピーの心が癒されたら戻ることになるやろ。それに……この世界は、この世界で頑張ってきたみんなのもんや。俺みたいな、平和になってから急に現れたモンが笑い飛ばせるもんやあらへん」
「それ言ったら子供たちはどうなるんだよ」
「次代を担う子ぉらやろ? 俺はそんなんとちゃうよ。支柱になんてなりたないし、仕事の量かて目ぇ回るほどや」
「や、少ないほうだぞ? こんなの」
「あっははー、そら基準がおかしいわー」

 ズビシとツッコまれた。
 ……まあ、そうか。軍関係の仕事が減ってきたなら、それこそ量が減るのは当然だ。
 代わりに街づくりや野山を削っての開墾が盛んになっているから、そっちの処理で将らが遠出をすることが増えたくらいで。
 武器を手放す日はまだまだ遠いし、周辺国も合わせて武器を手放す日までは油断は出来ない。平和なんていつ崩れるか解らないのだから、それまでは街を作りながら、築かれていく景色を見守っていようと思っている。

  狡兎死して走狗煮らる

 戦で活躍した武将は道場を開いて学びたい人に武を教えている。
 学校で教えている人も居れば、それぞれの道場で軽い競い合いをしている場所もあったりする。もちろん殺伐したものにならないよう、やるとしてもそこはやっぱり運動会レベルの催し物だ。
 人が増えれば学を得ようとする人も増えて、増え始めた私塾で教鞭を取る文官も増えた。
 ……現状は少しずつ変わっていっている。
 見慣れた景色が削られていくたびに、そこで見た笑顔を思い出せなくなってしまって、新しい笑顔でそれらが塗り潰されてしまっても……。

「一度さ、相談されたことがあるんだ」
「相談? 世界のこと?」
「いや、戦いが終わってからのこと」
「あー……武将のみんなはそら、考えるわなぁ」

 霞には結局答えは出せなかった。
 羅馬に行こうと言ったけど、行ったとして解決には繋がらない。
 春蘭は道化になると言っていた。
 けれど彼女は華琳を楽しませる道化になると言っていたのであって、それでは稼げない。
 理想っていうのは思い通りにはいかないもので、そう在れたらいいなと思うことほど上手くはいってくれない。

「華琳は……孟徳さまは、言った通り戦いの場も知を振るう場も用意してくれたな。お陰で10年、お祭り騒ぎをずっと堪能したし、忙しさの中で武将の嘆きを聞くことも、そう無かったよ」
「……でも、そらただ言わんかっただけなんとちゃう?」
「ん、俺もそう思う。戦があった時ほど役に立ててないって、いつか恋……呂布が言ってたよ」

 ただでさえ動物をいっぱい傍に置いているから、何かで役に立ちたいと。
 けど、だからってなんにでも首を突っ込んだら、今度は民や兵の仕事が無くなる。
 今でこそ開墾や新しい街づくりで補っているけど、これから何年何十年と続けば、それはどうなってしまうのか。
 本当に平和になって、将からただの民に戻った時、呼び方も態度も気にせずに民達と笑って仕事が出来るか、といったら……それは多分違うんだと思う。
 結局は先送りにしているだけで、解決できていることなんて少ないものだ。

「けどまあ……んー、せやなぁ。難しく考えることないのとちゃう?」
「え? なんでだ?」
「いや、なんでて。あんなぁ、いくら強くたって、人間やろ? 一騎当千やゆーても、人一人にはかわらへん。仕事っちゅうんはなんや? 力がある〜なんて理由で、他の人の数倍を一人に押し付けるもんか?」
「けどさ、能力の───」
「有効活用以前に人間や。将でなく人として考えればええねん。そしたら、仕事なんてそこらじゅうに落ちとるやろ。そんで給金もらってメシ食って、生きてけばええ。戦の場は孟徳さまが作ってくれるやろ。俺みたいな一般人から見たら、もはやかずピーの考え方は異常や」
「いっ……!? 異常、か……!? 常識的だとばっかり思ってたのに……!」
「相手を女の子として見とるくせに、仕事となれば将として見とるんやろ? 差別することあらへんやん。考えることの達人に力仕事任せたら自分、それまでと同じ量の仕事を力仕事として押し付けるん? ちゃうやろ?」
「…………うわー」

 それは確かにそうだ。
 文官の仕事量を、力仕事も同じように押し付ければ文官が潰れる。
 それと同じで、確かに無理にキツい仕事を任せる必要はないのだ。
 少なくとも、それで稼いでいけるのだから。
 ……まさかそんな単純なことさえ忘れるほど、この世界に染まっていたとは……。

「武将のみんなもな、戦がのーなって落ち込む前に、別ののめりこめるもんを探してみればええねん。今で言うなら〜……せやな、子作りでも子育てでもなんでもええ。やったことのないもんに手ぇ出しまくってみればそれでええやん。そんなん出来るの、将である内だけやで〜? 多少の自由が利く内になんでもやってみて、酒作りでも勉学でもやってみればええんや」
「…………そっか」

 難しく考えることはなかった。
 この三国だけでも、空いている場所なんて呆れるほどある。
 街を作って人を集めて、そこで仕事を用意すれば出来ることなんて山ほどだ。
 武人として立っていたから武だけしか出来ないなんて、そんなのは……うん、そうだ。やってもいない人の言い訳でしかないのだから。
 兎を追った犬だって、なにも兎を追うだけしか出来ないわけじゃないんだから。
 ……なんだ、それこそ“出来るまで教える”ってことじゃないか。
 自分で提案しておいて根本を忘れるなんて、なにをやってるんだか。

「……そ〜……っと」
「ほい」
「そっと出したじゃんけんくらいそっとしといてくれん!?」
「おおダジャレか。つまらないな」
「狙ったわけやあらへんもん。それにな、ダジャレってのは畳み掛けるから面白いんや。つまらんものも積もれば一笑。その一笑に価値を見い出せるかどうかや」

 むんっ、と無駄にガッツポーズを取って見せる及川───の隙をついてグーを出した。
 慌てて出されるグーに、俺も及川も顔を見合わせて笑う。

「まあ、けどさ。武だけしか、って言ってた人だって、それを探さなかったわけじゃないと思うんだ。むしろ誰よりも探してたと思う。そういうところは俺には見せてくれなかったけど」
「見せなかったんやのーて見せたくなかったんやろ? かっこわるいとこ、好きな相手に見せるなんて恥ずかしいやん。や〜、俺から見たらものっそいかわええ反応やで〜? かずピー、やっぱ肝心なとこで鈍感やし」
「ぐっ……追求しなきゃ解らないこともまだまだあるからなぁ……反論が難しい」
「なっははは、けどまぁ将のみんな見とったら、あんま心配なさそーやし。ちゅうかほんまに“戦”って10年も前の話なん? あの娘ぉらめっちゃ若いやん」
「いや、あれは俺にも解らない」

 元々小さかった将は相応に大きくなった。
 璃々ちゃんは特に。ねねもかなり。朱里と雛里もそれなりに……なんだけど、いつまでもはわわあわわ言っている所為で、あまりそういうものが伝わってこなかったりする。

「ま、ぜ〜んぶ夢なら夢で、それはそれで言葉通り夢があってええねんけどなー。目が覚めてみて、ハッとケータイ見てみたら、そこには夢の中で見たみんなの姿がー! って」
「まあ、実際そうなるんだろうな。俺のケータイは……途中で壊れるだろうから、お前にデータ預けたわけだけど」
「ハッと目覚めた俺……かずピーのデータ入りのケータイ……。そっとシャワー室を開くと、そこには……かずピーがおらんかった」
「勝手に消すな」

 けど、実際どうなるんだろう。
 ささやかな願いなんていつかは消えてしまう。
 俺の心が癒されるとかこじつけはしてみても、気づけば及川も居なくなっているかもしれない。
 その場合、俺の心が疲れたらまたこいつは召喚されるのか。
 ……しないだろうな。
 そもそも俺の中に銅鏡のかけらが、なんて言うなら、もっと早くにこの世界に来ることが出来たんじゃないか? それこそ、俺の中のかけらで無意識に願って。
 ……あ、そっか。この場合、俺がこの“基盤の世界”に来なければ、かけら自体が存在しないのか。外史ってややこしいなぁ。
 でもマテ、俺、一度この世界に来てるよな? 帰りたくないってあの時に願ったなら、それこそ華琳の傍に居られたはずだ。
 つまり願いを叶えるかどうかは……やっぱり世界の軸の問題ってことになるよな。

「………」

 ようするに、天下統一って願いに比べたら、俺に会いたいなんて願いは簡単すぎたってことだろう。だから及川を呼べるだけの願いの枠が残ってた、とか……そんなところなんだと思う。

「納得できた、って顔しとるやん。つまらん予測も大事やろ? 俺がどー言おうが結論出すのはこの世界やかずピーやもん」
「……はぁ。お前さ、それって自分はさっさと戻りたいって言葉に聞こえるぞ?」
「ん、帰りたいな。自分の在り方や生き方、周囲に完全に掴まれた状態でここに居たいなんて、普通は考えられへん。言葉を間違えれば首が飛ぶ世界やろ? 正直言うわ、帰りたい」
「………」
「解るやろかずピー。俺は確かにかずピーのために呼ばれたんやとしても、知り合いがかずピーしかおらんねや。出来るだけフレンドリーに踏み込んでみたけど、や〜、攻撃力高すぎて俺の体のほうがもたへんわ」
「いや、それはおかしい」

 思わずツッコんだ。
 そもそも平気だった方がおかしかったんだが、今は及川の言葉のほうがおかしいと感じてしまう俺はおかしいのか?

「まーま、落ち着きなさいなかずピー。仲間や子供がおるかずピーとは違うっちゅう話や。な〜んも難しいことあらへん。結局長いこと居座っとるわけやけど、かずピーの友達ってだけで、立場は庶人となんも変わらへん。ただ城で勉強教えてもろてる特別な庶人てだけやろ?」
「だから帰りたい?」
「おかしいかなぁ。俺当然のこと言っとるつもりやけど。いや〜、いろんな小説とかアニメとか見てきたけど、実際なってみると怖いわこれ。俺のほうこそ心の癒しが欲しいくらいやで」
「………」
「なんて言われたら、かずピーの心労増える?」
「よし殴らせろコノヤロウ」

 強く強く、巻き込んでしまったことへの罪悪感が生まれた……頃には、及川はニパッと笑ってそう言った。
 軽い取っ組み合いをしては笑って、あとは覚悟を決めてから杏仁豆腐を食らう。

「あ、けどな、帰りたい思ったのはほんまやで? 死にたない思っとるのもほんま。帰る手段があるなら帰りたいって思う。でもな、かずピーこのままにして帰る気にはなれんかった」
「及川……」
「これから何年生きていく気ぃなんかは知らんけど……あんま、世界がどーとか考えすぎんようにせぇや? 孟徳さまにも言えへんようなこと、俺に相談してくれたんは、そら親友冥利につきるけどなぁ……重いやろ、これ。なにかしてやりたくても俺じゃあなんもしてやれへん」
「……悪い」
「悪いことなんてあらへんて。これも貴重な体験やし、死なずに戻れたならいくらでも喧嘩してから笑い合えばええて。あ、しゃあけど強いてゆぅならこれ食うのに付き合せたことだけは謝るくらいじゃ許されへん」
「随分軽いなお前の危機感!」
「じゃあこれ全部食うてな?」
「ゴメンナサイ」

 食べ物を粗末にしたくはないと思っていても、やっぱり辛いものは辛いのです。
 でも食う。今まで一人で平気だったのだ……いけないことなどありはしない!

「《じょぼりビグゥウックゥッ!!》ウビュウム!?」

 器を傾け、口の中に一気にじょぽりと。
 全部は流石に無理だったが、限界まで流し込んで……肩を震わせた。こう、二度一気に痙攣するみたいに。あとヘンな声出た。なんだ今の。

「……ピー!? かずピー!? しっかりしぃやカズピー!」
「…………、……んはっ!?」

 及川がなんか叫んでる。
 おかしいな、食べてから吐きそうな自分を抑えていただけなのに、叫ばれるまで気づけなかった? ……マテ。もしかして気を失ってた?

「……及川、俺……どうなってた?」
「どう、て……それ食った思ったら固まって、そのあと気色悪いくらい震えだして、なんやわけのわからんことぶつぶつ言い始めて」
「ごめんやめてやっぱりいい」

 気になるけど知ってはいけない気がした。
 なので、あとは及川に任せることに。
 スッと差し出せば、ごくりと喉は鳴らしたもののしっかりと受け取る我が友。
 大丈夫だ、半分は食った。あとはキミの頑張り次第だ。

「……こう言うのもなんやけど……吐けないって、こんなにキツいことやってんなぁ……」
「喉もと過ぎればなんとやらだよ……隣接する臓器に熱は伝わるから、熱さ忘れるってのはちょっと違うんじゃないかって前から思ってたけど、大丈夫だ。臓器に味は伝わらない」
「うわーいちぃとも気休めになってへーん」

 それでもグッと構える及川は、ある意味で勇者だ。
 むしろこの状況をオイシイとさえ思っているのだろうか。こう、芸人気質風に。

「お笑い芸人やったらこの状況、オイシイとか思うんねやろか……食べ物は美味ないのに」
「そういう状況の芸人って好きか?」
「あー……大げさすぎてよー好かれへん。あーゆーのってこう、ほんまに美味ないなら、マズいとか言う以前に《ぱくり》ブゥウウッフェェッ!!?」

 まあ、うん。……言う以前に吐くよなぁ。
 けど見事だ及川。
 吐きそうになっても歯だけは食い縛って、咀嚼物が放たれるのを防いだ。
 その所為で今も味覚と格闘中だけど、ナイスファイトだ。

「んぐっ……! ごっふ! ぐすっ……ウゥェッ……! と、ともかく、や……! どれだけマズかろうが、頑張れば食べられんことはないと……そう思っとった時期が、俺にもあったわ……! ゲテモノ料理かて、食べてまえば平気やって……強気でおった頃もあったのに、なんでやろなぁ……。今やったら、これとゲテモノどっちを食べる〜訊かれたら、ゲテモノに全力疾走する自分しか想像でけへん……!」
「いや……俺が言うのもなんだけど、なにも泣くことないだろ」
「感涙ってことにしといたって……女の娘ぉの手作りモン食べて、マズい言うわけには《ぱくり》ブプウゥッシュ!!《ブシュウッ!》」

 震えながらももう一口いった及川だったが、吐き出さないように完全に口を閉ざしたのがまずかったのだろう。鼻から謎の汁がブシュウと噴き出した。

「頑張れ及川! あと一口だ!」
「先にもっと言うことあらへん!?」

 紳士としてポケットティッシュを持っていたらしく、汁を優雅に拭きとってから再び杏仁豆腐と向き合う及川。
 俺はそんな彼の勇姿を温かく見守り───

「ってなんで俺ひとりで食うみたいな状況になっとんねん! あとこれ一口って量とちゃうで!?」
「なんで、って。俺が半分食べたからだろ。そして流し込めばいける。俺もいった。キミもいける」
「かずピー!? なんか目ぇ怖なってんで!? つかそもそもこれ、かずピーにって、えーと……雲長さんにげんじょーさん? が作ったもんやろ? そんな愛の結晶を俺が半分も食ってええわけが───」
「気にするなって。俺達……友達だろ?《ニコッ》」
「気にする! めっちゃ気にするから食って!? むしろ手伝ぉてくれんともう無理! 鼻腔にこう、杏仁豆腐の匂いがこびりついて今にも失神しそうなんやって! 足もなんやフルオートマシンガンみたくズゴゴゴゴって震えとるし!」
「……むしろさ、しんみりした話だったんだからさぁ……。しんみりと終わる努力、出来なかったのか……?」
「そもそも殺虫剤の素材をこれにせぇへんかったらこないなことにならんかったわ!! 孔明センセに頼めばなにか別にそういう成分のもの用意出来たのとちゃうんか!?」
「………」
「………」
「……何かで役立てたかったんだ…………許してくれ…………」
「…………あぁ……うん…………そ、そか…………うん……」

 ……しんみりとした。
 そんな気分の内に、結局は残りを半分に分けて片付けて…………話は、終わった。
 い、いいよな、うん。しみりしたし。うん。
 頑張ったよ俺達。努力出来たよ。
 馬鹿な友達のノリとしては、多分申し分ないと思うよ。


───……。


 さて、そうした犠牲の上で完成した“滅殺はわわジェット”だが。

「今でしゅ!」

 厨房の一角にて、ヘニョリと構えた朱里が、壁にカサリと張り付いていたゴキブリに《マシュー!》と噴射してみせれば、元気だったゴキブリがドシャアと落下。
 殺傷力はないものの、気絶が約束された素晴らしき威力を発揮。
 や、及川と食事する前に試しては見たから知ってるんだけど……朱里の張り切り様を見ていると、そういう野暮なことは言いっこなしだろう。

「はわわご主人様! 敵を殲滅しちゃいました!」

 で、落下したゴキブリをハリセンでベパァーンと殲滅。
 はわわジェットとセットで作られたハリセンの威力は、真桜が推すほどの破壊力だ。もちろん虫限定で。
 人間にやるならツッコミ用だけど、もちろんゴキブリ用をツッコミに使えば、やられた者の激怒を頂くことになるだろう。

「知識でしかお役に立てなかった私が、今……戦うことでお役に……!《ぺかー……!》」

 ところで……ええと。
 ゴキブリを仕留めて感動なさっている伝説の名軍師さまを前に、この北郷……どういった反応すればよいのでしょうか。
 今まさに“この平和な時代に光を得た……!”みたいな顔で、胸の前で手を組んで空を見上げてらっしゃるのだが……殺虫剤とハリセンを胸に抱いて。

「あ、あー……あーの、朱里ー……?」

 初めて会った頃から比べればすらりと伸びた背と、少し伸ばした髪。
 ぱっと見ればとても落ち着きのある、大人し目でやさしい印象の女の子って感じ……なのだが。

「はわっ! こ、この感動を雛里ちゃんにも教えなきゃ! ごごごっごごご主人様! そんなわけですので私はこれで失礼しま《ゴリッ》しゅひゅふ!?」

 噛んだ。
 しかも言いながら駆け出してたもんだから、痛みに思わず目を瞑ったのちに出入り口の壁に激突。ドゴォンとステキな音が鳴ったあとはふらふらとふらついて、そこで止まればいいのに無理に先を急ごうとして転倒。
 拍子にはわわジェットが噴射され、鼻に直撃を受けた彼女は体をビクンと弾かせたのちに動かなくなった……。

「………」

 厨房の窓枠にそっと手を添え、空を眺めた。
 ……いい天気だった。
 などと現実逃避してないでと。

「朱里……もうちょっと落ち着こうな……?」

 人のこと言えないけどさ。
 言いつつ朱里の顔を布で拭いてから、ひょいとお姫様抱っこして歩き出す。
 ついでに拾ったはわわジェットは、きちんと文字も刻まれたスグレモノだ。
 教えた通りに作ってくれた真桜に感謝だな。

(………)

 うんうん魘されている朱里を見下ろす。
 舌を噛んだ上に頭から壁に激突、はわわジェットで滅殺されかけた彼女の額は、やっぱり赤い。いや、そんなことを確かめたかったわけではないんだが。
 まあその。
 ここに居るってことは、うん。つまり彼女は現在、周期なわけだが……不思議だなぁ。こんな彼女の子供が優秀である予想が全然出来ない。
 諸葛瞻……孔明の子供って、武将だったっけ。
 記憶力がよかったとかいろいろ言われて、実力以上の周囲からの期待を受けていた人、だったよな。
 実力以上の期待……かぁ。
 なんだろうなぁ、もし子供が出来たとして、そこのところだけは……妙にリアルに想像出来る自分が居る。
 孔明さまと御遣いの子供だーとか言われて、期待されまくって、それが嫌で武に走る、とか。

「うわあ……」

 気をつけてあげなきゃだな……産まれたらの話だから、気の早いことだけど。
 娘たちも親のことでいろいろあったし、今度は最初から支えてあげられたらいいなぁ。

「……あ、そういえば、子供って新しい妹とか弟が出来ると嫉妬するっていうけど」

 なんていったっけ。幼児退行? 嫉妬して、子供っぽく振る舞って構ってもらおうとするアレとか…………なんかちょっと違った気がするけど、そういうことは……ないな。なんというかしっかりしすぎていて、逆に怖いくらいの子供たちだし。
 考えることが子供っぽくないっていうのかなぁ……やっぱり周りにすごい人が居ると、ああいう子供が育つのだろうか。
 でもちょっと見てみたい気がするのです。赤子に嫉妬する我が子かぁ……いいなぁ。いいけど……どうしてその嫉妬の矛先が、俺に向けられていること前提での想像ばかりが頭に浮かぶのか。
 ほら、赤子を見てデレデレしていたら、足を踏まれるだとかどこかを抓られるとか。
 ……あれ? それって子供の嫉妬の反応として合っておりますか? どっちかというと恋人っぽい方向性なんじゃ…………。

「えっと、蜀側の屋敷は……」

 考えながらも蜀の屋敷を目指す。
 とりあえず朱里を部屋に戻したら、桃香と街散策の約束があるし、はわわジェットは雛里に託すとして……

「………」

 子供かぁ。
 今さらだけど、本当に……遠いところまで来たなぁ。
 この世界で外史の終わりを見届けて、それで天に戻るとして……俺、また学生からやり直しなんだよな……?
 ……大丈夫だろうか、趣味とかお爺様化していたりしないだろうか。

「ははっ、案外じいちゃんと話が合うようになってたりして」

 …………。

「シャレにならん」

 いいかもだけど、あのおじいさまと意気投合して肩を組んでわっはっはしている自分を想像したら、こう……謎の汗がだらだらと。
 だって、あのじいちゃんだぞ? 普段からむすっとしたあのお方が、俺と肩を組んでワッハッハ……!?

「………」

 なんでだろうなぁ。
 この世界の最果てまでを経験した自分なら、いけそうな気がしたよ。
 苦労話じゃ負けないって頷ける気さえしたんだ。おかしいよね……。

「まあ」

 それもまた、この世界の果てまで行ってからの話だ。
 その先で自分がどうなるかなんて、まだまだ解らない。
 華琳がいつまで生きていられるのかだって、もうとっくに史実の話からは離れてしまっている。史実でだって、正確な日時も知らない有様だけど。

(それに……)

 言ってしまえば、決着をつけなきゃいけないっていうのに戦う相手の顔さえ解らない。
 なにが決着で、戦いだけでしか決着をつけられないのか。その基準も解らないでいる。
 でも、一番最初の自分の所為で彼の行き先が崩れたのなら、彼はきっと俺を殴りたいだろうし、俺にしてみれば彼にとっての“こんな世界”を否定したくはない。
 だったら……自分の意地を通すなら、どんな形であれ負けてやるわけにはいかないのだ。

「っと、ごくろうさまー」
「おお、御遣いさま、ご苦労さまです」
「さまはやめてくれって……」

 蜀の屋敷前の門番に挨拶。
 お決まりのやりとりをしつつも通してもらう中、口にはしないが“またですか……”という苦笑いを含めた表情をいただいた。
 うん、またなんだ。
 何も起こらずに一日を見送る、なんてことは本当に珍しい。
 今日も誰かがどこかで悶着を起こして、その度に俺が連れ出されたりする……そんな日々を何度も過ごす中、門番の対応にも“またですか”が定着していった。
 いや、いいんだけどね、これはこれで。
 たださ、威厳とかさぁ……ねぇ?
 世代が変わるにつれて、新しく配属される人の中には、“本当にこんな人が天下取りに貢献したのか”とか疑うの子も出てくるんじゃなかろうか。
 いやむしろ出てくるだろう。
 で、無謀にも戦いを挑んでこてんぱんにノされて……。

「うん? ご主人様? なにかこちらに用事でも?」

 考え事をしながら苦笑をしていると、後ろから声をかけられた。
 勝手知ったるなんとやら、無意識に通路を歩いていたらしい俺が振り返ると、そこには書類を抱えた愛紗が。

「朱里? ……もしやご主人様、周期だからといって昼間から」
「いきなりそっちへ行かない! ほら、これっ! これこれっ!」

 抱き上げている朱里が掴んでいるブツを見るように促す。
 “滅殺! はわわジェット!”と書かれているそれを見ると、愛紗も「ああ、なるほど」と頷いてくれた。

「大方、妙に張り切った朱里が誤って自分にこれを噴射、気絶したというところですね?」
「うんまあその通り」
「やれやれ。知識は信じられないくらいにあるというのに、何故こうも落ち着きがないのか」
「………」
「? なにか?」
「イエナニモ」

 8年以上も練習していて、何故ああも料理が下手なのか……。
 似たようなことを思ったなんて、言ったら大変なことになりますね。

「ところでご主人様。さっちゅうざい、というこれは、どういったもので出来ているのですか? 真桜が作ったとは聞いておりますが」
「ああうん、材料を中に詰めて、氣を送ることで中身を混ぜて、その香りを噴射イエゴメンナサイナンデモナイデスワスレテクダサイ」
「忘れてと言われましても、私が聞きたくて訊いたことですが……」
「ア、アアウン、でもごめん、朱里を部屋まで送らないといけないからボクもう行くネ?」
「そうですか。……ああ、それでしたら私が部屋まで」
「あぁ今俺物凄く朱里を部屋まで全力で運びたいナァ! だから行くねほんとごめんごめんなさぁああいぃい!!《ダッ!》」
「ご主人様っ!?」

 なんかもう墓穴堀まくったためにいたたまれなくなって駆け出した。
 ……いつか……いつかきちんと説明しないとなぁ。
 じゃないとバレた時にどれほどの地獄が待っているか……。

「ああなんかもうアレだ」

 どの道ひどい目には遭うわけですね?
 そうだよね、合意で作ったわけじゃないもの。
 自分が頑張って………………が、頑張って作った料理……料理? を、殺虫剤に使われたら……そりゃあ誰だって怒るよね……。
 よし、朱里を運ぶついでに雛里と話し合って、別の殺虫剤の素を考えよう。
 きっと雛里なら、素敵な案を出してくれるに違いないから───!


 ───……俺の足取りはとてもかろやかでした。
 のちに雛里と相談して、その帰りの足取りも。
 ただ、その様子を愛紗に見られ───問い詰められた雛里が慌てるあまりにいろいろこぼし、我が頭上に美髪公と魏武の大剣様の稲妻が舞い降りたのは……それからほんの少しあとのことでした。




ネタ曝しです *ブリード先生  ハイパーレストランより、ブリード呉樹。  ゴキブリ好きの謎の……変人。  変人しか出ないから、変人って言っていいのか迷う。  でも結局変人しか出てこないから変人は変人なわけで。 *ゴキブリ師匠  範馬刃牙より、ゴキブリダッシュをバキに伝授……はしてない虫。  その技術は父・範馬勇次郎も認めるところであり、足に相当負担をかけるであろう技をバキに編み出させた。  筋肉を極限まで緩めて、一気に力を込めることで爆発的なマックススピードを可能にした。でも緩いものをいきなり緊張させると断裂の恐れとか……なんてヤボなことは気にしないでいこう。 *滅殺はわわジェット  恋姫ブログより。用意していた最後の恋姫ブログネタ。  最初は子供薬であった。画像は祭さんでしたね。  「はわわご主人様、敵をせん滅しちゃいました」 *ハイポーションをストローで飲む馬  ニコニコ動画ネタより、馬犬さんの“ハイポーション作ってみた”。  あの吐き出す時の声が思い出しただけでも笑える。  当時はツボに入って笑いすぎて腹筋が大変でした。 *下着を頭に被る  男子高校生の日常より。  友情のためにここまでやれる勇気がすごい。  そのあと友人も道連れにしてたけど。  とてもとてもお待たせしております。  147話をお送りいたします、凍傷です。  今回は3万字。二話分となっておりますが、区切りのいい部分がなかったのでこのまま。  えー…………遅れた言い訳を口にするのであればただひとつ。  艦これ……艦隊これくしょんにハマってしまいました。  以前からその存在は知っていたものの、完全に興味が向かなかったので触ることさえしなかったのですが……あまりにも様々な場所で見るようになって、しかも基本放置ゲーというのであればと手を出してみました。  すると2月初めの抽選で見事提督の仲間入り。  ちなみにそれまでの適当な前情報知識↓ 「艦これってどんなもの?」 「んあ? ああ、女の子造って自分好みに育てるゲーム」 「!?」  混乱したのは言うまでもございません。  いえまあ、調べていけば確かにいろいろ知れたわけですがね?  イラスト見ても艦隊よりも女の子が前に出てるんだから、そりゃ誤解するわって話で。  ええまあ、そんなわけで少々やってみて……気づいたらどっぷり。  ただこれ放置ゲーじゃない……絶対放置ゲーじゃない……!  やることいっぱいありすぎじゃないか……!  あーだこーだやってるうちにこんな日付です。  ええと、とりあえず念願の2−4攻略が済みましたので、いい加減小説を進めます。  いやはやこんなにハマるだなんて思いませんでした……。  さて、そんなこんなで今回はいろいろとお話の回。  平和になってから現れた人には、戦の辛さはわからんとはよく言いますが……友人がそれを経験していて、自分はそんな場所に召喚されればどうすることも出来ません。選べたわけでもございませぬ。  帰りたいかと言われればそりゃあ帰りたい。そんな普通の人のお話。  つくづく勇者はすごいと思うのです。こんな場面で世界を救うまでは〜とかキッパリ言えてしまうのですから。  異世界から訪れる主人公、的なものの多くは、まあ衣食住を条件に無理矢理ってパターンが大体ですね。  勝手に召喚しておいてそりゃないだろと多くの人がツッコむでしょうなぁ……凍傷もその中の一人です。ただ実際住むことになって、勝手に召喚されたから何もしないのに衣食住を保証しろっていうのもなんというかアレな考えだと思うの。  むしろそんな人が居たとして、ずうっと何もしないのに衣食住が約束されて、じゃあ帰還の魔法の準備が出来ました〜って時、その人は帰りたいと思うのか否か。  ……帰らないと思うなぁ。  で、戦争だ〜って話になったら「さっさと帰せこの野郎」とか叫びそう。  ……これは主人公だろうか。確かに人間味はございますが。  いやいやいろいろ書いている暇があるならUPですね。  では、また次回で。  ……っと、そうでした。  感想返しした人はもう知っているでしょうけど、及川はずっと一緒には居ませんよ?  役目としては、ひどい話ですけど“一刀の心労を癒す”のと“ケータイのデータを受け取る”のと、最期に“ラストでのアレコレのための複線みたいななにか”という部分で終了しております。  及川の存在をアリだと言った人、勘弁だと言った人、大体半々です。  ご意見、ありがとうございました。  それでは今度こそ、また次回で。 Next Top Back