205/物語というもの

 許昌の町を出てその先へと進めば、すぐに白の軍勢が目に付く。
 満月とはいえ夜空の下でも目立つほどの白、白、白。呆れるほどの数だ。
 どうやって一瞬にして、なんてことは……きっと道術の類だと早目に納得してしまったほうがいいのだろう。
 そんな、視界を埋め尽くさんとする数を前に怯むことなく立ち、息を吸って、吐く。

「久しぶり、と言うべきか?」

 その拍子、現れたのは一人の男。
 額に妙な紋様のある───……フランチェスカの制服を着た男だった。

「既に知っているだろうが名乗らせてもらおう。左慈だ。この外史を否定する、貴様の敵だ。……ああ、服のことは気にするな。あの日の借りを返すため、あえてこの服装をしているだけだ」
「……そっか。ああ、あんたの存在は知ってる。あんたと戦うために、ずっと鍛えてきたんだから」

 広い広い平原を埋める白い法衣のようなものを纏った存在。
 それぞれが確かに武器を持っていて、しかし微動だにせず立っている。
 普通は揺れたりするだろうに、立っていることに少しの疲れも見せないように、まるで風景のようにそこに存在していた。

「後ろのやつらが気になるか? ……安心しろ、俺がやつらをけしかけることはない。于吉のヤツがどう出るかは知らんがな。貴様のお陰で随分と苦労したが───それも今日、ここで終わる」
「……確かめたいことがある」
「馴れ合いはしない。貴様が肯定に走る以上、俺の願いを否定するも同然だ。そして、俺は貴様の願いの全てを否定したい。散々と苦労させられたんだぞ、貴様の存在そのものを否定して、この外史という連鎖ごと消してくれる!」
「じゃあ俺はこの世界を肯定しないから、俺の否定と一緒にこの世界を肯定してくれ」
「ふざけているのか貴様っ!!」

 言い回しが気になったから試しに言ってみたら、怒られてしまった。
 俺の願いを否定するって言ってたのに。

「悪い。散々と振り回された結果、無駄に度胸だけはついてね。別れには未だに慣れないけど……戦うことへの覚悟は、もう嫌ってくらいにしたよ」
「……フン、ならばいい。この時までを待って、貴様が一瞬で死ぬようならばそれはそれで歯応えがない。あの瞬間、貴様が邪魔をしなければ、俺は───」
「それは俺じゃない俺だから、俺に言ったって仕方ないだろ。そういうの、逆恨みって言うんだぞ」
「うるさい黙れ解っている!!」

 ……えーと。まいったぞ、こいつ結構からかい甲斐がありそうで困る。
 それこそ……あれだ。別の出会い方をしていたら、友達にでもなりたいって性格をしている。

「くっ……おい、北郷一刀。俺と貴様はこんなくだらないことを話すために、この場に立っているわけじゃないだろう」
「ああ、そうだな……。じゃあメシでも食いに行こう」
「何故そうなるっ!!」

 またしても、言ってみたら怒られた。
 ……正直な話をすれば、大切な人と別れたばかりなのに、戦いなんてものはしたくない。
 やらなきゃいけないことがすぐ目の前にあるのは解っている。
 けど、別れにはいつまで経っても慣れてくれないんだ。
 どれだけの覚悟を決めたって、どれだけの時を生きたって、こぼれる涙を止める術を時間以外に知らないんだよ、俺は。
 笑ったって涙は出る。楽しくたって、どうしようもなくこぼれるものを知っている。
 だから……話でもして、意識を前に向けなきゃやっていけない。
 そんな弱さに気づいたのか、左慈が俺を見てフンと笑う。

「……弱いな、貴様は」
「自分が化物だなんて悟れるほど生きてないんだ。それは見逃してくれ、先輩」
「………」
「………」

 見つめ合い、互いに前に出た。
 突き出せば拳が当たる距離。
 そんな距離で、左慈は静かに構えを取る。

「聞かせろ。貴様はこの世界に、外史というものになにを願う」
「想像することの自由を」
「その想像の度に振り回されると知ってもか。願われる度、くだらん“こうだったらいい”に振り回されるんだぞ。似たような世界をほんのちょっと違うだけの世界として、幾度も幾度も……! 自分がこんな結末は嫌だと変えようとすれば、鋭い頭痛とともに己を消され、目覚めればまた一からやり直し……そんな世界を何度もだ!」
「……うん。正直、繰り返さなきゃ解らないことだ。俺がどうこう言える問題じゃない」
「ああそうだ。だから言ってやっている。本来ならばすぐさまに殺してやりたいところだが、話をしてやっているんだぞ」
「左慈、お前ってさ。野菜星の王子だったり───」
「なんの話だっ!!」
「あ、じゃあステーキが好きな、どこぞのお嬢様のボディーガードの」
「だからなんの話だっ!!」
「……実は人造人間で、ロケットパンチが出来たりとか」
「……造られた存在という意味では変わらんが、ロケットパンチなんぞ撃ててたまるか!」

 ツッコミのごとく振るわれた蹴り。
 それをよく見て、氣を込めた手でパンと弾く。

「! ……ほう? 少しは出来るように鍛えてきたということか。そうでなくちゃ面白くない」
「必死に鍛えたからなぁ……っていうかな、攻撃するならするって言ってくれないと、後ろの皆様が怖いんだが」
「別に俺は何人で来ようが構わんぞ? ただし、間違ってくれるなよ北郷一刀。この戦いは俺と貴様とで決着をつけなければ繰り返すだけだ。それこそ、貴様は帰るべき外史との繋がりを失い、俺達のように剪定者として確立されることになる」
「こっちだって、そっちの白い軍勢が突撃してこなきゃ、他を突撃させる気もないよ。……解ってる。これは、俺とあんたの戦いだ。決着をつけるために鍛えてきたんだ、それを間違ったら意味が無い」
「………」
「………」

 再び構える。
 武器を持たない左慈は、構えからして蹴り技重視。
 こちらは腰に木刀、手と足には手甲と具足。
 けれど相手が戦う意思を完全に解放していないから、武器はまだ手に取らない。

「北郷一刀。この場で勝った者……俺と貴様のどちらかが銅鏡を手に、願いを叶えることになるだろう。俺は否定、貴様は肯定」
「ああ、そうだな」
「貴様は何を願う? 肯定は当然だ。だが、肯定にも望み方というものがあるだろう?」
「……そういうあんたは? 人に訊くなら、まずは自分からだろう」
「フン、口の減らん野郎だ……。俺は貴様という存在を消し、外史全てを否定することを願う。正史のみがそこにあればいい。願われるだけ繰り返す世界なぞに興味はない。飽きるほど知り尽くした世界の中で、尽くして悦べるほどマゾじゃない。笑顔だのなんだののために、何故俺達が苦痛を感じなければならない」
「……今、こうすることで苦痛を感じることはあるのか?」
「曹操は死んだんだろう? この世界の主が死んだ世界を他人がどうしようが、もはやそこに理は存在しない。だから今を選んだんだ。全力で貴様を殺せる今をな───!」

 構える左慈の手が、軽く構えられたソレからギリリと力強いソレへと変わる。
 そんな鋭い怒りを真っ直ぐにぶつけられても、俺は───

「じゃあ。俺は……そんな考えも肯定する世界を願うよ」
「なに……? 貴様、何を馬鹿なことを───」
「世界っていうのはさ、肯定も否定もあって、初めて完成するものだって思ってる。否定だけじゃ何も産み出せないし、肯定だけしてたって間違いには気づけない。……左慈、俺は今日まで誰にも言ってこなかったけどな。俺が願う肯定っていうのは、そういう肯定だ。“否定も肯定も合わせた世界を肯定する”。大体、この外史を生きてみて、自分の意思を通せたことの方が少ないんだ。そんな否定だらけの世界でも肯定したいって思える今を、最初っから否定するなんてもったいない」
「……ならば、貴様は」
「繰り返すことが嫌なら、繰り返さないことを肯定すればいい。否定癖なんてつけてないで、頷ける自分作りも始めようぜ、先輩さん」

 言って、軽く拳を振るった。
 左慈はそれを軽い動作でパンと弾いて、それから……俺の目を真っ直ぐに見て、笑った。

「それが貴様の願いか。そんなものが。そんな願いを叶えて、自分の外史さえも諦めるつもりか!」
「いや全然。むしろそれを願ってからじゃないと、本当の願いには届かないんだ。だから───あんたの願いも肯定するけど、負けてやる理由には全然、これっぽっちも繋がらない」
「なに……!? なにが言いたいんだ貴様!」
「なにが言いたい……ああ、えっと、うん。───肯定者北郷一刀! あんたをぶっ潰して自分の願いを叶える! 肯定することは当然のこととして胸に刻んだ! ここであんたを殴るのは、一人の北郷一刀として行き場の無い鬱憤を身勝手に晴らしたいだけだ! 文句あるか!!」
「なっ……!? ああいいだろうかかってこいこの見境無しの種馬野郎! 俺だって貴様が最初の北郷一刀とは関係ないことくらい解っている! これだって立派な八つ当たりだということも解っている! だがそれでもそれが決着に繋がる! ようやく解放されるんだ俺達は! だから……貴様を否定する! 文句はあるまい!」
「大有りだこの馬鹿! 逆恨みで存在ごと消されてたまるか!」
「こっちだって大有りだ! 苛々するんだよそのツラその格好! 人の希望をくだらん正義感で文字通り砕きやがって! カケラを追って来てみれば、貴様は守られながら女どもと幸せそうに……そんな世界を何度見せられたと思っている!」
「……ちょっと待て、もしかしてあんたの行動理由って妬みとか」
「そんなわけがあるか殺すぞ貴様!!」

 本気の殺気をぶつけられるほどに違ったらしい。
 でもなるほど、確かにそうだ。
 ようやく希望を手に入れたのに邪魔されて、希望を砕かれて、それでもカケラを集めて願おうと思ったら、そのカケラ的存在が幸せになる外史ばかりを繰り返し見せられたら……うわあ、最初の俺を、俺こそが殴ってやりたい。

「俺はただ、北郷一刀というファクターによって作られたこの世界を壊し、俺の願いを叶えたいだけだ!」
「俺も最初の北郷一刀はブン殴ってやりたいけど、一緒に俺まで否定されるのは冗談じゃない。だから、全力で抗う」
「当然だ。それとも何もせずに死んでくれるのか?」
「いや。ただ、負けた時は……友達にでもなろう」
「正気で言っているのか? 俺は、殺すと言っているんだぞ」
「外史は否定すりゃいいさ。負けたなら従うのが当然。この世界で学んだことだ、逆らう気はない」
「……ほう?」

 その時、初めて興味を持った目で見つめられた気がした。
 まあ、それも当然なのだろう。
 怨敵に抱くのは興味じゃなく、憎悪なのだから。

「けど、下した相手と手を取って明日を見たことも、この世界で学んだことだ。俺はそれを否定したくない」
「おい待て貴様。負けた上で、まだ肯定云々をほざく気か?」
「選択肢をひとつだけしか用意しないのはつまらないだろ」
「ならば貴様が俺に勝った時は、俺に友達になれとでもほざくつもりか?」
「いや殺す」
「鬼か貴様は!!」

 息を吸って、吐く。
 心を、戦場へと持ってゆく。
 華琳は死んだ。みんな、死んだ。
 もうかつての仲間は居ない。
 かつてともに戦場に立った兵も、とっくに家庭を持ち、自分の故郷へと帰った。
 戦を知るのは自分だけだ。
 けど、相手も一人だ。
 学んだことを全て活かせ。
 与えられたもの全てを用いて実力以上の世界へ到れ。
 そのための準備だった筈だろう? 北郷一刀。

「……《チャリ》」

 手甲、具足、衣服に付けられた幾つもの絡繰が音を慣らす。
 ひとつひとつに氣を装填しておけるものだ。
 当然、手甲にも具足にも、それ自身に氣を込めてある。
 氣脈の強化も十分だ。
 それだけやってもまだ、勝利に確信を持っているかと言われればNOだ。
 結局俺は、愛紗には勝てなかったから。
 それに、歳を重ねるごとに、彼女たちがいつまでも武器を振るってなどいられなくなったのが最大の理由だ。
 それは、主に俺が遠慮した。武器を振るうばかりでなく、女性として幸せになってほしかったからだ。
 そうして重ねた日々の結果が、華琳が言うように幸せの上で眠りにつけたというのなら……それは、彼女達を守れたこととして、誇ってもいいのだろうか。
 今となっては、もう誰も答えてくれない。

「フッ……いい具合に目が濁り始めているじゃないか。そのまま傾き、否定に染まってしまえばいい」
「傾いたら傾いたまま肯定するさ。あんたが年齢的にガンコなジジイなら、俺だってもうそんな歳だ」
「そうか。それは残念だ。ならば───」
「ああ、だから───」

 距離をさらに縮める。
 腕をどう振るおうがぶつかるような距離で睨み合って、やがて───

「貴様の存在を───!」
「それでも、これまでの道も、あんたの今までの人生も───!」

 否定と肯定が、拳と足をぶつけ合った。

「否定する!」
「肯定する!」

 氣が篭った手甲と足とがぶつかり、閃光のような火花を発する。
 それを合図に白装束の軍勢が動き出し、それに対抗するようにこちら側も一斉に動き出した。

「チッ! 于吉め、余計なことを!」

 左慈が舌打ちとともに叫び、同時に放つ蹴りを左の手甲で逸らし、右の手甲で反撃する。
 それを、身を回転させることで避けながら、逸らされた右足ではなく左足で蹴り上げ、着地するや屈みこみ、流れる動きで足払いへと移行。
 だがむしろ蹴られて構わんとばかりに、構えた状態から加速の直突き。
 水面蹴りにより、体ごと回転するその頬へと、カウンターを決めるように拳を振るった。
 けれど左慈は拳が頬に触れた瞬間に脱力。
 頬に氣を集束させて、クッションとして代用。俺の拳を軸に身を回転させて、殴られた衝撃を外側へと逃がしてみせた。

「何を驚いている? 肉体は成長せず、氣を高めるか道術を鍛えるしかなかった俺達だ。こんなことくらい、出来て当然だろう?」
「ああそうだなっ! っせぃっ!」
「フン、馬鹿正直な突きだ。構えも視線も真っ直ぐすぎて、避けることさえ作業になる」

 右拳を真っ直ぐに突き出すも、左慈は僅かな動作だけで無駄なく避けてみせた。
 そんな彼を、

「そりゃ、避けさせるための行動だし」
「《がしぃっ!》なにっ!?」

 肘を曲げて頭を掴み、引き寄せると同時に左手に込めた氣を、腹部に埋め込むように放つ。
 いや、放とうとしたが、その掴んだ頭でさえ軸にして、彼は身を回転させて左の掌底を避ける。
 ならどうするか? 引き寄せる動作を受け入れて、前回転で攻撃を避けた彼……その体を抱き締めるようにして、

「パイル!」
「《がどぉっ!》おごぉっ!?」

 パイルドライバー。
 普通じゃ絶対に聞けないだろう悲鳴をあげて、しかし左慈はすぐに起き上がり、俺が顔面目掛けて振り下ろした下段突きを躱す。

「づぅうっ……! き、貴様ぁあ……! この状況でプロレス技だと……!?」
「状況や手段を選んで勝ちを拾えるほど、平和で余裕な鍛錬なんて……生憎、許されなかったんだよ」

 どんな方法だろうと相手の隙は穿て。じゃなければ、同じく成長する将らには一生勝てやしない。
 俺にそう教えてくれたのは冥琳だ。
 勝ちたいと本気で思うのなら、綺麗な勝利など最初から想定してはいけない。
 決められた型の武術で勝つ戦いなんてものは、意識するよりもよっぽど綺麗なものだ。
 美学を持ち込まない勝利というのはとてもドス黒いもので、それこそ戦う以前に毒殺してしまうことほど確実なものはないのだと。
 ただしそれは、相手から呆れるほどの怒りを買うものだとも。
 そりゃそうだ。

「ならば───こうだ!」

 勉強の続きだ。
 そうして、相手にとっての“自分が思いもつかない行動”で虚を突かれた場合、多くは相手に苛立ちを持たせる。
 そして無意識下で対抗意識というものを燃やす相手が多く、“ならば”と卑劣一歩手前の行動をしてくることも多い。
 “予想通り”に足下の石を蹴り弾き、俺へと飛ばしてきた彼───の眼前へと、飛んで来た石を手甲で弾きながらも一気に詰める。

「なっ!?」

 相手が驚きに身を硬直させる瞬間を逃す手は無い。
 地につけた右足から一気に螺旋の加速を開始して放たれた拳が、左慈の腹部へと突き刺さる。───が、その手応えがやけに軽い。
 直後に左慈は吹き飛び、しかし地面に手をついてひらりと体勢を立て直す。
 ……腹部に氣を込めて、自分から後方に跳躍してダメージを殺したのだ。

「……よくもまあ、あの一瞬でころころと次の手を」
「貴様こそ、随分と姑息に徹することに躊躇が無いな。貴様に武を教えた者は皆、そうであれと唱えたのか?」
「いいや? 正々堂々ぶつかって勝てって人ばっかりだったよ」
「ハッ。だったら貴様は随分と仲間との絆とやらを軽んじる北郷一刀なんだな。俺が今まで見てきた北郷一刀とは随分と違うらしい」
「貫く理想があるから、その過程でどう思われるかなんてことはとっくに切り捨てたよ。勝たなきゃ辿り着けないなら、勝たなきゃ───話にもなりゃしない!」

 踏み込んで正拳。
 逸らす動作とともに、どんな力が働いたのかこちらの体が宙を舞う。
 まるで漫画とかで見る合気だ。
 回転しながら吹き飛ぶ自分を何処か他人事に感じつつ、その回転を利用しての蹴りを放つが、それすらも逸らされ、地面に激突させられる。
 すぐに跳躍からの踏みつけが容赦なく顔面へと落とされる。その空中に居るという状況を逆に利用して、起き上がる体勢も半端なままに、地面についた手から腰にかけてを螺旋加速。
 逆に左慈の顔面に浴びせ蹴りをかましてやり、衝撃を逸らされて逃げられても構うかって勢いのままに、踵で捉えたまま地面に叩きつけた。

「ぐはっ!? きさ───ちぃっ!」

 すぐに起き上がって顔面目掛けて拳を振り下ろすけど、それより早く起き上がった左慈には当たらない。
 それどころか振り下ろそうとした動作さえ隙と断じて、すぐに蹴り込んでくる姿に呆れと感心の念さえ抱く。
 長い間を鍛えたのだろう。
 先輩って呼びたくなる意識の大半はそこからくるものだ。
 けど、だからってなにもせずに否定を受け入れる覚悟なんて刻めやしない。
 絶対に勝つ。
 勝って、なにもかもを肯定して、自分が願う未来に、必ず───!

「おぉおおぁああっ!!」
「勢いづくのは勝手だがな……! 直撃を食らっていないからと調子に乗るな!」

 構えから、蹴り。
 当然のようにしなければならない動作から、ソレは放たれた。
 が、振るわれた足が膝の先から見えなくなるほどの速度であったそれに、一瞬、取るべき行動を忘れた。
 直後、左腕に衝撃。
 その痛みで戻ってきた意識に、動けなかった自分に驚く。
 戦いながらあそこまで棒立ちになるなんて、いったいなにを考えているのか。
 そうは思うが、あまりにも綺麗だったのだ。
 それこそその攻撃を完成系にまで昇華させたと思わせるほど、動作から攻撃までの流れに目を奪われた。

「棒立ちのまま喰らうとはな。まさかもう疲れたとでも───」

 けど。
 そんなことを言って全てを投げ出すわけにはいかない。
 鍛錬したのはこちらも同じ。
 だったら、今、その成果を発揮しないでどうするんだ。
 相手の武術に感動している場合じゃない。
 そんな武さえ乗り越えなきゃ望んだ未来には辿り着けないのだから。

「ッ───!」

 将と兵が白装束の軍勢とぶつかり、一気に周囲が騒がしくなったこの場で、決めた覚悟を胸に殴りつけ、痛む左腕は癒しの氣で痛みを和らげる。
 それを、地面を蹴って距離を詰める過程で終わらせて、再び螺旋加速を実行。手甲も無しに振るったんじゃ、拳や筋を壊してしまう速度をそのままに拳を振りきる。
 左慈はそれを見切って必要最低限の距離を下がることで避けてみせるが、お生憎様、というやつだ。

  ヂパァン! という音が、喧噪の中で響いた。

 振り切った拳から放たれた、繋げたままの加速した氣を“鞭をしならせ音速を越えさせる方法”の応用で、さらに加速させて体内へ。
 その速度を保たせたままに足へと走らせた速度を、今度は具足で地面を蹴り弾くことで一気に接近、肉薄。

「な」
「おぉおおおりゃぁあああああっ!!!」

 驚愕の声なんて最後まで聞いてやらない。
 再び振り切った拳が今度こそ左慈の腹へと勢いよく埋まり、

「がぁっはぁあっ!!?」

 鈍い手応えとともに、彼は胃液をぶちまきながらも追撃を警戒して距離を取った。
 逃がすものかと足に氣を込めた矢先、その足にいつの間に放たれたのか、左慈の氣弾が直撃。たたらを踏んだ時点で追撃のタイミングは無くなっていた。

「ぐ、うぅぅっ……! よくも……貴様、っ……はぁっ……! 北郷、一刀ぉおお……!!」

 グイ、と口周りの胃液を袖で拭い、憎々しげに俺を睨む左慈。
 追撃が出来ないと判断するや、俺は俺で呼吸を整えることに努めていた。

「こんな雑魚の攻撃に、この俺が……! これは油断か……? ああ油断だろうな……! 忌々しい……こんな男の攻撃を受けて、反吐さえ吐く自分こそが忌々しい……!」

 素直な怒りをここまで真っ直ぐにぶつけられるのは、そう珍しいことじゃなかった。
 これも春蘭との付き合いのお陰だろうか。
 こんな、体の中を無理矢理冷たい刃で掻き回されるような殺気も、冷静に受け止められる。
 ただ、冷静になった時にも注意が必要だと教えてくれた人も居た。
 熱くなった存在は一点に意識が向きやすい。
 ただ、冷静になってもその状態を保たせようとする意識が走りすぎることがある。
 幾度も幾度も鍛えた者の場合、無意識に状況に対応出来るのが一番だと彼女……秋蘭は言った。
 意識しすぎるな。ただ、状況に順応して、経験したことのないものさえ今から学んで刻み込め。同じ攻撃は二度以上体に埋め込むことなどしないよう。

「容赦はしない───その首、蹴り落としてやろう!」

 構え、蹴り。
 再びの動作に心臓が跳ね上がる。
 また見えない蹴りが来る───そう頭が考えるより先に、俺の目は彼の膝より上を見ていた。
 膝から先が消える? だったら───膝の向きでその先を予測しろ。見えないものばかりに意識を持っていかれるな。

(そもそも、右足での攻撃なら《ドッカァッ!》っ……正中線から左側にしか、来ないんだろうからな───!)
「!?」

 膝の位置から軌道を予測。氣を込めて構えた腕にズシンを重い衝撃が走るが、そんな驚愕もこちらにしてみればありがとうだ。
 左腕に走った衝撃を装填、振るう右拳から氣弾として放ち、再び腕の長さの分だけ軽く下がって避けるつもりだった左慈へと直撃させた。

「ガッ!? 小細工をっ……!」

 顔面に直撃、弾けたために猫騙しのような効果までもたらした反撃を前に、左慈は顔を庇うように下がる。
 その動作に重ねるように俺も間合いを詰めに地を蹴って、同じ分だけの距離を縮めるや

「《ずぼぉっ!!》ごっ!? っ……あ、かはっ……!?」

 ……。鋭い蹴りが、俺の腹に突き刺さった。
 やられた。
 踏み込んだ勢いの分だけ、カウンターダメージとして返ってきた。
 骨のある硬い部分は狙わず、内臓を抉るような下から斜め上に減り込ませるような鋭い蹴りだった。

「うぶっ! がはぁっ!」

 恥もなにもない。今度は俺が吐く番で、逃げる番だった。
 胃液をぶちまけながら、追撃として振るわれた蹴りを避け、それでも相手をしっかり睨みながら距離を取る。
 腹を庇うように体を屈ませ、下がる姿は滑稽に映ったのだろう。左慈はにたりと笑みを浮かべながら、どれだけの反撃が来ようが構うものかと一気に近づき

「《ヒュゴどがぁんっ!!》げがぁあっ!!?」

 間合いに入った瞬間に一切の容赦無く振るわれた加速居合いの直撃を受け、地面に転がった。

「っ……ぶ、はぁっ───! がっはっ……はぁ、はぁっ……!!」

 一撃を腹に喰らったあたりで用意はしていた。
 予め絡繰に蓄積させておいた氣を加速に利用して、腹を庇う姿勢のままに重心を下ろして、近づけば居合い。
 吐きそうなくらいの集中力を無理矢理振り絞ったこともそうだし、腹部へ受けたダメージも本物だ。追撃したいのに、腹の中のものをぶちまけることにしか働いてくれない自分の稼動可能な意識に、涙さえ溢れてくる。
 不完全だった。
 全ての順序を正しく加速に向けられた筈だったのに、なにかが引っかかるみたいに氣の流れが途中で鈍った。だから追撃をしなければいけない。
 今動ければ決着がつけられる。
 吐きながらでもいいから動けと命令するのに、なんの冗談なのか足が動いてくれない。
 腹に喰らったのはマズかった。
 意識を蹴られた部分の奥に向けてみれば別の氣が滲み込んでいて、それが氣脈の動きを邪魔していた。
 これの所為で、居合いは完成に到らなかったのだ。

  と、なれば。

 確実に起き上がってくる。
 だから動けと命じるのに足は動かないし、氣で動かそうにも澱みが邪魔をして満足に動かせない。
 すぐに澱みの除去に意識を向けるも、どれだけ練りこまれた氣だったのか、中々消え去ってはくれず……動けるようになった頃には、相手も立ち上がって呼吸を整え、改めて俺を睨んでいた。

「フフッ……今ので決着といかなかったのは、貴様にとっては絶望の結果だったようだな」
「勝手に決めるなよ。望みを絶ってたら、こうしてあんたと向き合うことだってしないって」

 呼吸を整えて向かい合う。
 周囲は騒がしいが、白装束が意図的に俺と左慈を避けているのか、どちらかの軍勢が俺達を巻き込むことはない。

「上手く誘導したんだろうが、その木刀を喰らうことは二度と無いぞ。身に着けているものに一切の注意を向けないとでも思ったか?」
「居合いが来るのを予想していたみたいな言い回しだな」
「氣を用いての加速など、氣しか伸ばせるものが無い俺達では選んで当然の道だ。加えて俺は、この世界に居る傀儡どもと違って他の世界の知識を知らんわけでもない。貴様の知るフランチェスカがある世界にも居たことがあるんだぞ? 居合いの知識くらい、持っていて当然だろう」
「そうだな。ファクターだのなんだの、普通に言うくらいだもんな。……で、その当然の中で、どうしてあの貂蝉は」
「知らん言うな考えるだけ無駄だ」
「お、おう」

 やっぱりそこらへんは謎らしかった。
 そんなやりとりにみんなとの日々を思い出し、クスリと笑って……緊張ばかりだった心に少しのやすらぎを。

「……? 何が可笑しい」
「解ったことがあったんだ。誰が何をどう言おうが、それは受け取る側の問題なんだって」
「当然だろう。それがどうした」
「あんたが愛紗並みに強くても、戦い方が違えば、武器が違えば取る方法も変わる。むしろ戦う手段の大半が氣を用いたものなら、愛紗と戦うよりも自分らしい戦い方が出来る」
「ほう? それがなんだ。俺に勝てるとでも言うつもりか?」
「勝てるさ。まず俺がそう信じなきゃ、どんな勝機も見逃すことになる」
「出来るのか? 仲間が居ない貴様に。お得意の、女の影に隠れて勝利にのみ酔うことは出来ないのに」
「俺とあんたとの決着じゃなきゃ連鎖は終わらないんだろ? だったら他に頼ることはしないし、出来ない」
「……ああそうだ。よく言った」

 相手の氣が充実してゆくのを感じる。
 どこからあんなにも濃い氣が湧いてくるのか、全身に氣を行き渡らせたらしい彼は、構えののちに疾駆。
 間合いに入るや右の蹴りを放ち、こちらは木刀を振るうことで迎え撃ってはみたが、相手の足を砕くどころか、左慈は木刀を足で受け止めてみせた。

「フン、足でも砕くつもりだったか? 笑わせるなよ北郷一刀。俺の氣は、抜き身の刃でだろうと斬れはしない」

 言うや、木刀を手で掴んで前蹴りへとスイッチ。
 まるで細剣を相手に立っているような尖った寒気に襲われた俺は、咄嗟にこれを避ける。
 ……、掠った制服が、あっさりと穿たれた。

「ッ! せいっ!」

 どういう氣の練り方をしているのか。
 確かに湧いた焦りから、咄嗟に左拳での反撃を。
 左慈は掴んでいた木刀を離すと突き出された拳に手を添えるようにして逸らし、内側へと体勢を崩した俺の顔面へと突き出した足を戻す過程で膝蹴りを。
 咄嗟に離された木刀の石突でその膝を殴りつけるが、勢いに負けて俺の手から木刀が飛ぶ。

「そらっ! 頼みの武器サマは飛んでいったぞ!」

 次いで突き出される貫手。
 体勢からして全ての悪条件が揃っている状態。躱すか受けるか。
 足に込めた氣を弾かせて下がれば当たらないだろうが、相手に攻撃の勢い……攻勢を持たせることになるだ───って考える余裕なんてない! ぶつかる!

「っ───だぁっ! ……りゃあっ!!」

 迷ったなら突撃。
 左手が右側へ、右手も膝を殴ったような半端な格好で、足の氣を弾かせて下がるのではなく前へ。
 貫手を掠らせながらも左肩からタックルをかまして、膝が浮きっぱなしだった左慈の体勢を崩して……躱した貫手を掴んで一本背負いを。

「! 貴様っ!」

 踏み込んだ足から螺旋加速を行使しての、強引な一本背負い。
 相手の腕を捻り切るつもりで実行したそれはしかし、左慈が俺の背に手を添え自分の体を宙へと飛ばし、腕を追うことで威力を殺される。
 しかもそれだけでは終わらず、跳躍の際に氣を加速。宙に跳んでから、さらに俺の“捻り切ろうとする力”さえ氣に乗せて、蹴りを放ってきた。無茶苦茶だ。
 当然一本背負いなんて格好の俺がそれを避けられるわけもなく、なんて考えるより先に手を離した。

「なにっ!?」

 勢いが乗り切った彼は放り投げられる形で宙を舞う。
 そこへ、手甲に込めた氣を砲弾のように放つことで追撃。
 左慈は振るった蹴りの勢いで空中で体勢を立て直すと、その氣弾を氣を込めた足で蹴り弾くことで余裕を以って着地する。

「っ……ふっ!」

 その着地に合わせて駆ける途中、落ちてきた木刀を手に横一閃に剣閃を放つ。
 それを屈むことで避けた左慈は、立ち上がる勢いを利用して一気に疾駆。
 振るう木刀と蹴りとが再度ぶつかり、氣の火花を散らした。

「おぉおらっ!」
「しぃいっ!」

 振るわれる拳は逸らし、鞭のような蹴りは出来るだけ避けて、上段で来ればくぐるように避けては軸足を狙い、避けられてはまたぶつかり合い。
 絡繰に込めた氣はここぞという時以外には使わず、散った氣の少しずつでも吸収しては、一撃一撃を必殺の意志で繰り出す。
 普通ならこんな攻撃、直撃すれば相手は死ぬだろう。
 殺せば殺人による罪悪感が胸を支配するのだろうか。
 ……今さらだろう。
 乱世の中、自分が考えた作戦で死んだ人が居なかったなんて言うつもりはない。
 もっと無意識に自分を投げ出せ。
 考えずとも動けるだけの鍛錬を、いったいどれほど積んできた。

  相手が仕留めに全力で来たのなら、相手にこそ避ける余裕などない

 春蘭が教えてくれた、敵に一撃を当てる方法。
 目に殺気を込めて仕掛けてきた左慈の一撃に、全力を以って攻撃を重ねる。
 当然、勢いが乗った足の先ではなく、外側ほど勢いの乗らない足の付け根へだ。

「がぁっ!?」

 当然避ける動作なんてしなかったから、こちらも一撃をくらってしまう。
 だが怯む動作なんてものはほんの少しでいい。痛みなんて歯を食い縛って忘れてしまえ。

  敵に勝ちたいなら、気持ちで負けてはいけない

 鈴々が教えてくれたこと。
 怯もうが恐怖しようが、勝てることを疑うな。

「貴様殺す!」

 そして。
 相手がこちらの氣に集中した時にこそ。

  ヒュトッ───

 気配を殺して、

「!? 消え」

 仕留めにかかる!!

「《ズボォッ!!》げがぁあっ!!?」

 一瞬でよかった。
 それこそ、一番最初に明命が教えてくれたように、“少しでも攻撃の意識を見せると気取られる”程度の隙でいい。
 散らさずに満たしていた氣を周囲に溶け込ませ、目の前に居るのに見失うという状況の中、咄嗟に行ってしまう“敵を探す動作”の間隙を縫っての一撃。

  最速の一撃を当てるなら、正眼からの突き

 蓮華とともに磨いた意識だ。
 それでも左慈の防御は間に合い、喉を潰すつもりで放った突きも、見えないなにかがクッションになったのを感じた。
 呆れるほどに存在する氣を、常に盾にでもしているのだろう。それを、殺気が向けられた場所へと集束させることに、既に慣れている。
 そりゃそうだ、生きた時間なら相手の方が遥かに長いんだ、経験で勝てるだなんて思っていない。

「けどなぁっ───!」

 こっちだって、何も学ばずに生きてきたわけじゃない。
 教えてくれる人達が居て、刻み込み続けられるほどの生き様を見てきた。
 生きることに絶望して、全てを否定するための生き方とは絶対に違う。
 長く生きる事に心が折れかかったことだってあった。
 大切な人を、普通の数倍見送ることに、その日が幾度もくることに、心が枯れそうになったこともあった。
 それでも……そんな世界を肯定したいって思い続けることが出来たのだから。

「図に乗るな貴様ァアアッ!!」

 喉への衝撃で濁った声での怒声が響く。
 追撃を仕掛けに駆けた俺へと加速された蹴りが繰り出され、俺はそれに加速させた木刀の一撃を合わせて再び合い打ちに。
 確実に当てるのならこれしかない……そう思ったが、足と木刀がぶつかった瞬間、木刀に込めていた氣ごと、俺の攻撃が逸らされた。

「!? えっ───」

 頭に浮かんだのは、自分でもよくやった方法。
 相手の氣に自分の氣をくっつけて逸らした、あの───

「おぉおらぁっ!!」
「! くあっ!《ギャリィッ!》」

 木刀に氣を取られた瞬間に放たれる、氣が篭った崩拳を手甲で逸らす。同じ方法で。
 途端に左慈の表情が驚愕に染まり、それも隙として攻撃出来るほどに長くは続かず、攻防だけが続いた。
 避け、逸らし、防御し、そうした動作の中で飽きることなく攻撃を重ね、相手の行動を頭に叩き込んでゆく。

  鍛錬するのであれば、架空の相手と戦うことを想定して

 祭さんや雪蓮に、元の知識の上にさらに叩きこまれたことだ。
 こうして戦っている最中でも相手の動きを学んで、次の攻撃へと備えてゆく。
 一撃一撃が来る度にその癖を見て、掠める度に力強さを学び、受け止めるのに必要な氣の量を計算して、相手の行動の一手先を───!

「これで───寝ていろ!」

 構え、蹴り。
 完成された動作は確かに美しい。
 けど、完成されているからこそ体に当たるまでの時間も読み易い。

(───ここっ!)

 相変わらず膝から先が見えない蹴りを、振り上げた左拳で上へと殴り弾く。
 確かな手応えとともに膝から先の目視が完了した頃、左慈の表情が凍りつき、そうなった瞬間にはもう、袈裟掛けに振り下ろした木刀が左慈の左肩を強打していた。

「ぐぅあっ!?」

 氣を込めればモノも斬れる木刀。
 本気で打ちつけたそれだが、馬鹿げた氣の量の所為なのか道術の力なのか、強打は出来ても一撃で下すことなど出来ない。

  ───そんなことが解っているからこそ。

 一度で終わるなんて慢心をするな。
 相手が一撃の防御に集中している時にこそ、肩から一番遠い場所へと追撃を仕掛ける。
 木刀に込めていた氣は自分の中から振り絞った氣。
 そして、自分の左肩に意識と氣を集中させているであろう左慈の右脇腹に添えた手甲からは、手甲に装着した絡繰から放つ氣で、

「《ズドォンッ!!》げっはぁっ!!?」

 わざと混ざり合うことのない氣の色に変えたソレを、左慈の腹部で炸裂させた。
 木刀で殴った時よりも強く激しい手応え。
 よろめき下がる姿を追撃しない手は無く、再び氣を装填させた木刀を、加速させた体で振るう。

「───馬鹿がっ!」

 そんな刹那だった筈だ。
 口の端から血を滲ませながら、歯を食い縛った姿が一瞬で目の前に現れた。
 どうする、なんて考える暇もない。
 最初から、こちらの思考が完全に“攻撃”に向いた瞬間を狙われていた。
 踏み込みと同時に震脚で硬い具足ごと左足の甲を潰され、次いで放たれる左掌底で右膝を砕かれ、右の貫手が腹部に突き刺さり、貫手の動作と同時に戻された左手が、心臓部分へと掌底を埋める。
 自分の意思とは関係なく崩れる体。
 その動きさえ利用され、こんな至近距離だというのに顎を跳ね上げるのは彼の足の底だった。

「そこそこは楽しめたが、まあこんなものだろう」

 ……追撃は来ない。
 やがて倒れる体を静かに見下ろして、左慈は口の端の血を制服の袖で拭った。

「貴様はそこで見ているがいい。無力を噛み締め、世界が否定される様を」

 口角を軽く持ち上げて笑う姿には余裕があった。
 一方の俺は足を砕かれ膝を砕かれ、腹には穴が空いて、心臓は弱々しく脈打つだけ。
 ……そう、それ“だけ”だ。
 足と腹に癒しの氣を。
 心臓は氣を使って無理矢理鼓動させる。
 癒しきれない損傷は氣でもって繋げて、無理矢理に体を起こして……!

「……呆れたしぶとさだな。骨を砕かれても戦うのが、貴様が学んだ戦か?」
「ははっ……はぁっ……! ああ、そうだなぁ……! 腕が折れることなんて、日常茶飯事だったかもなぁっ……!!」

 腕が折れた状態で戦ったことなんて何度もあった。
 氣脈が痛んでいようが戦うことだってもちろんあった。
 足の甲の骨が踏み砕かれようが、膝の皿を砕かれようが……それを無理矢理動かす知識を学んだ過去がある。
 動けるのなら、敗北なんて認めてやらない。───決着は、ついていないのだから。

「情けで命まではと思ってやったというのにな。死にたがりなのか、貴様」
「死にたいなんて思わない。寿命以外でなんて、余計にだ。勝ちたいだけだよ……っ……つはっ……! 勝って……俺の願いを、叶えたいだけだ……っ!」

 足の痛みに息が荒れるのを、癒しの氣でがんじがらめに縛りつけるようにして誤魔化す。
 腹から血が出ているが、幸いと言っていいのか、風穴が空いたわけじゃない。
 こちらも癒しの氣で包んで、痛みを誤魔化した上で構えた。

「……今の貴様を潰すのに、一分もかからん。最後の情けだ、勝負を諦めて決着を認めろ」
「すぅ……っ……はぁぁあっ…………! ───いやだねっ! 逆の立場だった時を考えてから言えっ!」

 砕けた部分に氣のクッションを挟み、痛みは歯を噛み締めて───疾駆。
 途端に全身が硬直してもおかしくないほどの激痛に襲われるも、痛みにだって散々と慣れた。
 その上でのやせ我慢を貫き、ただ目の前の敵を倒すだけを意識する。

「……先に言っておくぞ。───無様だと」

 けど。
 そんな、満足な状態でも攻撃を当てることすら苦労した自分が、こんな状態で満足に渡り合える筈も無い。
 再び連撃をこの身に喰らい、地面に倒れ伏した。

「理解しろ。人の限界が想像の域を越えることなど決してない。想像を具現化出来るならまだしも、俺達はそれを叶える側じゃないんだよ。叶えるために繰り返すだけのくだらない傀儡だ。……もう動くな、北郷一刀。これでようやく全てが終わる。願われれば叶えるだけの、叶えなければ苦しむだけの世界が終端へと辿り着くんだ」

 立ち上がろうにも立ち上がれない俺を見下ろし、それから周囲で戦いを続けているみんなを見て、何処か寂しそうな表情をした。

「呆れた連中だ。兵一人一人が氣を当然のように操るか。傀儡どもでは保たんな。……まあ、普通は、だが」

 見れば、氣を乗せた攻撃で敵を貫いてみせる孫の姿が。
 しかし貫かれた白装束の存在はボフンと煙のように消え去り、左慈の近くから新たに出現しては、またみんなのもとへと駆けてゆく。

「見ただろう。アレは方術で象った傀儡だ。ただ敵のみを倒すために動き、生み出す者自身が止めない限り、滅びることもない」
「………」
「さっさと負けを認めろ。認めれば、傀儡を消してやる。今はいいだろうが、次第に体力を枯らし、刺されて死ぬぞ。術で動く傀儡と違い、やつらは疲れる。殺し合いを知らんやつらがその初戦でどれほど神経をすり減らしていくか。知らんわけでもないだろう」
「……随分、やさしいんだな。問答無用で殺しにくるかと思ってたよ」

 呟きは当然の疑問。
 なんだって、殺す殺すと言っていたのにトドメを刺さないのか。
 その答えはあっさりと返された。

「他人のためだのなんだのと甘いことを抜かして生きる貴様には、武の敗北よりも仲間の死こそがこたえるだろう。そうした絶望を味わわせてやったほうが、決着というものは刻まれやすいものだ」
「………」
「負けを認めるなら助けてやる。認めないと言うのなら───」

 俺から視線を外し、軽く手を上げる左慈。
 そんな姿に躊躇なく剣閃を放ち、手で弾けさせた氣を反動に一気に起き上がった。

「!? 貴様ッ!!」

 脅迫なんてものには頷かない。
 決着もついていないのに、敵から視線を外した相手に遠慮なんてしてやらない。
 弾かれるように宙に舞った体で、剣閃を躱した姿に自分の体重ごと木刀を振り下ろした。
 木刀は氣を込めた手で受け止められ、振り上げられた脚が跳んだ俺の腹に突き刺さるが、そんなものは望むところだ。
 脊髄を駆け上り脳天を貫くような激痛に身が緊張しかけるも、そんなものはとっくの昔に経験済みだ。
 あの頃は庶人に腹を刺されるだなんて思ってもみなかったし、それが痛みの想像力を跳ね上げてくれるなんて思ってもみなかったけど───

「お返しだぁああっ!!」

 振り上げられ、伸びた脚。
 その膝の皿へと、絡繰から引き出した氣と自分自身の氣を合わせて握り固めた手甲を、躊躇の一切も無く振り下ろした。

  左手甲から腕を伝ってくる、何かを砕く感触。

 穴の空いた腹に蹴りを入れられれば攻撃どころではないだろう、なんてタカを括っていたのだろう。
 意識の外からの攻撃に悲鳴を上げた彼は、掴んでいた木刀を離して距離を取ろうとして……その場で崩れ落ちるように膝をついた。
 好機と見て着地とともに構えようとするが、こちらだってとっくに両膝が壊れている。
 着地の衝撃で勝手に悲鳴を上げてしまうほどの痛みが走り───……それでも。

「ッ……つ、ガァアアアアアアッ!!!」

 木刀を振るう。
 痛覚なんて置いていけと意識に命令をしたところで、それはきっと叶わない。
 だったらそんなものさえ意識出来ないほどに守りを忘れた獣になれ。
 攻撃の意識を隙と見られるなら、その攻撃ごと破壊するつもりで。

「舐めるなっ!《ゴッぱぁんっ!!》」

 手による防御、と視認した次の瞬間には、木刀の軌道が逸らされていた。
 氣で弾かれたのだろう。
 構わない。
 もう、どうせ満足に動けないなら、体にある氣の全てを───!

「おぉおおおおあぁああああっ!!!」

 一撃一撃を全力で。
 自分の中で技とも呼べない、けれど将であるみんなと打ち合うために身に付けたそれ。
 振るう度に一気に散る氣を瞬時に満たして振るい、ぶちかまして、相手の氣の防御を破壊してゆく。

「ッ……!? 貴様正気か!? こんな馬鹿げた戦法がいつまでも続くと───!」

 散った分を吸収して上乗せして、弾かれようが逸らされようが、隙を穿たれて攻撃を受けようが……歯を食い縛って、一歩も退かずに振るってゆく。
 捨て身……? ああ、捨て身なんだろう。
 足に送るべき癒しの氣さえも攻撃に回して、痛みが脳天を焼こうが、優先すべきは勝利なのだと、心が理解しているのだ。

「〜〜〜っ……! ああそうだろう! ここで余裕を残すことに意味などない! ならば───《バキャアッ!》っ……!? な、なん」

 四度、五度、六度と続いて、手に氣を込めて防御していた左慈の手が、鈍い音を立てて砕ける。
 なんだと、と続けられる筈だったのであろう言葉は驚愕に飲まれて、やがて。

「これでぇえっ……!! 終わりだぁああああっ!!!」

 作戦も勝機も、先へ繋ぐ予測もない。
 自分の命ごとをぶつけるつもりで続けた、七度きりの瞬間錬氣。
 氣脈は痛んで、体も激痛に襲われ、視界なんて激痛による涙で滲みっぱなし。
 傍から見れば子供の喧嘩みたいに見えるんだろうな、なんて馬鹿なことを考えながら……自分の中から氣っていうものが枯れ果てて、振るった木刀にのみ装填される感触を、ただ感じていた。





───/───

 ───信じていたものがあった筈だった。
 たとえば自分というもの。
 なんのために生きてなんのために死ぬのか、なんて、普通に生きていればいちいち考えることなどないだろう。
 なにかにぶつかって、辛い思いをして、初めてそんなことを考えるのが人間というものだと俺は思う。
 だからこそ、そんな風に思うばかりになってしまった自分の頭で、なんのために生きているのか、産まれたのかを強く強く考えた。
 誰かの望みを延々と叶えるため?
 そのために自分が望む“こうであったら”を放棄して?
 そんなものは違うと思った。
 ならば自分の願いは誰が叶えてくれるのか。
 いつしか不満しか持てなくなった世界というものの理を、他でも無い世界が与えた力でこそ砕いてやりたくなった。

「───」

 それからの日々は、否定とともに頭痛や自分自身の存在の希薄感に吐き気を覚える毎日。
 願われる度に初めから歩き、果てに着けば戻されて。
 こんな世界を願っていたのかと他者の願いに呆れを抱き、視界に納める世界を、どこか冷えた心で眺め続けていた。
 それでも希望があったから、目的があったのだから、まだ歩ける理由にはなったのだろう。
 その全てが終われば、ようやくこのくだらない連鎖からも解放される。
 解放された先にはなにがあるのだろうと考えて、高揚したことだって……確かにあったのだ。
 もしかしたら自分も願う側に立てるのかもしれない。
 叶うのなら、あんな未来が無い世界を、などと。

  そんな希望が砕かれた。

 くだらない正義感を振り翳した男によって、それこそバラバラに。
 その時の絶望をどれだけ説こうが、目の前の男には届くまい。
 どうすればいいなどと訊かれようが、謝罪など相手の自己満足以外のなにものでもない。
 許せないのではなく許さないだけ、なんて言葉も霞むほどに恨んだ。
 恨みは消えず、枯れず、ただ俺は、そいつが仲間を作って幸福へと辿り着く世界を何度も何度も見せられた。
 自分がいつか願った、願う側に立つという世界を、他でも無い自分の願いを砕いた男が叶えていたのだ。
 目の前が白くなるのと同時に、心が冷たくなるのを感じた。
 僅かに残った何かが砕ける音がした、と思えば、もはや破壊する心しか湧かず。
 繰り返せば繰り返すほど、憎しみは増すばかりだった。

  ……いつだったか。

 意味を無くして消える筈だった世界が消えず、別の意味を持って続いたと于吉が言った。
 耳を疑ったが真実らしく、あろうことかその世界に役目を終えた筈の北郷一刀が戻ったのだという。
 放った言葉は“ふざけるな”だった。
 呆れるほどある砕けた欠片の世界を潰し、それが終われば連鎖も終わると信じていた俺は、怒る以外になんの感情も持てなかった。
 だが、そこに現れて助言を放つ存在があった。
 貂蝉だ。
 もはや欠片の世界と連鎖、人の願いと欠片の世界が繋がっている。
 本当に連鎖を終わらせたいのなら、突端を終端へ辿り着かせるしかないと。
 突端。つまり、北郷一刀と俺の因縁。
 あんな出来事から始まったそもそもが突端ならば、俺はそもそもあの軸で、北郷一刀に願う世界を任せるべきではなかったのだ。
 あいつが願ったのはさらなる世界の拡大。
 その連鎖の分だけ広がった世界を、俺はまた最初から歩くことになった。

  こんなもの、肯定したのと変わらない。

 やはり否定しなければ、終端には辿り着けないのだと。
 それからの日々は、曹操が死ぬのを待つ日々となった。
 意味を持った世界の主が死ななければ、その世界に干渉することは容易ではない。
 夢の中に入る程度ならば可能だろうが、生憎と“世界の理”に反しきれるほどの力を俺達は許されていない。
 だから待った。
 この時を待って、干渉に成功した時点で曹操が死んだと確信し、この長いだけでなんの希望もない旅を終わらせられると思ったのに。

  なぜ貴様が立ち塞がる。

 簡単に倒せるなら、それでは気が治まらないとは思った。
 だが、ここまでしぶといなどとは思わなかった。
 氣のみを磨くことをいつかの自分のように実行し、その操り方にも迷いが無い。
 それどころか様々な応用を加え、氣の量で勝っている筈の俺を悉く出し抜いてくる。
 こんな男に負ける筈が無い。
 攻撃の度にそう思い、相手の骨を、肉を穿つ度に確信し───その度、仕返しを受けた。

  貴様の所為で。貴様が居たから。

 ふざけるなは頭の中から生まれ続ける。
 攻撃を返し、膝を砕かれ、目の前の相手のように氣を緩衝剤にして立とうとするも、相手はそれを許さない。
 馬鹿げた量の氣を得物に宿し、攻撃を続け、俺が足に氣を送る時間を与えない。
 逸らした先からこちらの氣が散らされ、どれほど無茶な錬氣をすれば全力を続けられるのかと、目の前の存在の在り方を疑った。
 だがそれがどうした。
 こんな戦法が長く続く筈が無い。
 この一撃を逸らして腹に空いた穴を穿ち、痛みを思い出させてやろう。
 そうして意識を攻撃と防御に分けた途端、一撃を受けた手から乾いた音。

  ───

 え、なんて馬鹿な声が喉の奥で鳴った気がした。
 そんな一瞬さえ待たない、一歩先の余裕さえ捨てた一撃が目前に迫っている。
 防御を捨てた一撃だ。
 ……問題ない。これに思いきり返してやればいい。
 今まで見てきた北郷一刀など、守られてばかりの甘ちゃんだった。
 どうせ人を殺すことさえ躊躇するだろう。
 敵を殺しきれない馬鹿ヅラに、こちらのありったけをぶつけ……今度こそ、俺は───!!

  ───瞬間、何かを砕く音ののち、赤が吹き出した。

 思考が追いつかない。
 突き出した貫手は砕かれ、肩から脇腹に掛けて赤が吹き出して。
 何をするんだったのか。
 ああそうだ、敵を殺し切れない相手に、一撃を……

  構え、蹴り。

 ずっと、こればかりを磨いた。
 その一撃なら届くと信じて疑わず。
 ……だが。
 信じれば届くのなら、じゃあ……俺が今まで味わってきた世界は、何故理想に届いてくれなかったのか。

  当たると確信していたそれが、途中でだらりと折れた。

 膝を砕かれていたことすら忘れていたのか。
 結局それは相手に当たることすらなく。
 木刀を握ったままの手甲が眼前に迫った瞬間、俺の中で……こんな、人の願いの悉くを砕く世界への希望が、頬へ走る衝撃と一緒に……完全に砕け散った。




-_-/一刀

 氣も乗らない、勢いだけの拳が左慈の頬を捉えた。
 いつかのように波立たせたチェーンソーのような氣が左慈の手を砕き肩から脇腹までを斬り、けれどそれで、絡繰の氣も俺自身の氣も枯渇して。
 それでも決着はつかないのだろうと、拍子も置かずに振るった拳が、左慈を殴りつけた。
 氣も込めずに人を本気で殴ったのはどれくらいぶりだろう。
 そう思った瞬間には膝の骨がガコンッとズレて、その場に崩れ落ちる。
 思い出したように走る激痛に、声にならない声を上げて……それでも敵からは目を逸らさず。

「はっ……はっ……はぁっ……! はぁああ……!! ん、ぐっ……! つ、はっ……!」

 視界が赤く点滅する。
 鼓動の度に、ずぐんずぐんと赤くなり、力を込めようとする体をメキメキと噛み締めるように蝕んでゆく。

  動け。

 どうすれば決着がつくのかなんてこと、俺は知らないのだ。
 それこそ相手が降参するまで終わらないのであれば、俺はまだ立たなきゃいけない。
 なのに足は持ち上がらず、それどころかありえない方向へと膝から先が曲がっており、自分の体だというのに気持ち悪さを抱く。

「はっ……はぁあ……! はぁっ……!」

 立てないのなら、体を引きずってでも。
 ずる、ずる……と前へと進もうとするが、自分の体にさえ遠慮もせずに加速を行使し続けたためか、腕すらもが動かなくなっていた。
 もはや、回復することも出来ない。

「くそっ……!」

 歯を食い縛って無理矢理動かそうとしても、痛いだけでぴくりとも動かない。
 腹からはじわりじわりと血が滲んで、痛みと寒気で吐き気までもが体を襲う。

「ああ結構。もう動かないでください」

 自分に無力さを感じ始めた……そんな時だった。
 男の声がして、ばっと顔を持ち上げれば……さっきまではそこに居なかった筈の不思議な服を着た男が、左慈に肩を貸しながら立っていた。

「あぁ申し遅れましたね。私は于吉。左慈と同じく、この連鎖を否定する者の仲間ですよ。まあ、私は左慈に付き合っているだけであって、世界がどう転ぼうがどうでもよいのですが」

 特に感情も乗せない表情で淡々と言う姿は……どこか不気味さを感じる。
 いや、それよりも否定者ということは……!

「そう警戒しないでほしいものですね。決着はもう着いています。今さら私がどうこう言うつもりはありませんよ」
「っ……はっ……、え……?」

 痛みに荒く吐く息ののち、疑問が吐息とともに出ると、于吉と名乗った男は“やれやれ”といった感じで目を伏せた。

「この世界がどうなろうと知ったことではないと言ったのです。ああ、あなたの勝ちだとも。心配せずとも、もう左慈に戦う意思はありませんよ」
「っ……」

 言葉に詰まった理由はそこじゃあない。
 確かにそれも心配ではあったけど、于吉───于吉と名乗ったんだ、目の前の男は。
 于吉……白装束が襲い掛かって来た時、左慈が言った名前だ。
 つまりこの男が白装束を操って……!

「い、ぎっ……! な、なぁあんた……! 白装束は、あんたが動かしてるのか……!? 勝負がついたなら、《ズギィッ!》ギッ……!! っ……〜〜〜……白装束を、」
「止めろ、と?」

 痛みに軋む体を庇いながら言った言葉に于吉は軽く訊ねてくる。
 俺はそれに頷いて返したが、

「ああ、お断りですね。止める理由がありません」

 そんなものは拒否で返された。
 どうして。
 そう返す前に、彼は語る。

「ええ、外史連鎖の勝負はあなたが勝ちました。油断なく確実に殺すつもりでいけば、あなたなどに負けなかっただろうに。左慈も詰めが甘い。が、外史の終端とその戦いとはまた別ですよ。あなたが勝とうが負けようが、外史は終わらなければならない。曹操が死んだのなら、この世界も“結末”を得て終わらなければならないのです」
「ど……どういう、意味だ……!」
「簡単ですよ。たとえば誰かが考えた物語があるとします。それは誰かが願ったから出来たものであり、それはなんの意味もなく急に終わることなどありません。願った者が放棄しない限り。解りますね?」
「………」
「意味を持って終わることは、物語にとっての最後の役目と言えましょう。だからこの世界は終わる必要がある。白装束の兵と戦って勝ち、次代を担う者がそれからも生きました、めでたしめでたしとなるか、白装束に襲われて全滅しました、で終わるか」
「全滅……!? そ、そんなこと、誰がさせるかっ!」
「無駄ですよ。今のあなたに何が出来るというのです。あなたはいわば、曹操の物語に無理矢理入ってきた部外者です。今さら今の物語の終端に入り込むことに意味などありません」
「……だから、どうした……! 守りたいから守るんだ……! それが強くなった理由だし、この世界に帰ってきた理由だ!」
「………」
「っ……」

 睨み合う。
 いや、俺が一方的に睨んでいるだけであって、于吉は窺うような目で俺の目を覗きこむだけだ。
 けれどそんな状態が少し続くと、彼は小さく息を吐いて目を伏せた。

「まあ、構いません。止めもしません。どうぞご自由に。そんな状態で、何かを為すことが出来るのなら」

 最後にフフッと笑うと……左慈を連れた于吉は、幻だったかのように消え去った。

「………」

 なのに、白装束は未だに消えない。
 みんなを襲っては、疲れも見せずに暴れ回っている。

「〜〜〜っ……く、ぉお……!!」

 起き上がろうとする。
 立てない。
 這おうとする。
 手が動かない。
 今こそ誓いを、約束を守る時なのに、体は動いてくれない。
 動け動けと頭が熱くなるくらい命じても、僅かな氣もない体は、段々と力を無くすばかりだ。

「なんだよ……! なんなんだよ!!」

 決着はついたんじゃなかったのか。
 自分が勝ったんじゃなかったのか。
 勝てたのに、体は動かない。
 今こそ守るべき時なのに。
 みんなが死んでしまったこの地を、今こそ守れる筈なのに。
 なんのために鍛えたんだ。
 なんのために戻ってきた。

「動けよ、くそっ……動け───、っ……!?」

 再び無理矢理動かそうとして、ドクンと心臓が跳ね上がった。
 知っている感覚だった。
 自分の存在が怖いくらいに希薄になって、手が足が、体が透けるこれは……!

「……、うそだ。だって、今じゃないか……! 約束したんだよ……自分に誓ったんだ、覚悟を決めてきたんだよ! 自分の力じゃみんなを守れやしないからって! だったらみんなが動けなくなったら守ろうって!《ズキィッ!》いぐぁっ!? 〜〜っ」

 痛みとともに消えてゆく。
 視線の先では、まだ娘達が、孫達が、兵たちが戦っているのに。

「……くそ……! 動けよ! まだ消えるな! 終わってなんかいないんだ! これからなんじゃないのかよ! やっと心配事が消えて、作り笑いなんてものをする理由もなくなったんだよ!」

 指が消えてゆく。
 ゾッとした時には手が見えなくなった。
 視界に映った娘の姿に手を伸ばそうとしたが───

「やっと返せるんだ……! 守ってやれるんだよぉっ! 華琳が愛した世界を! みんなが育んできた国を! 大陸を!! 俺達の“幸せ”を!!」

 伸ばしたい手は既に無く、進めたい歩は動かせもせず。

「散々受け取ってきたんだ……! 守ってもらってきたんだよ! やっとそれを返していけるって……! 報いることが出来るって思ったのに───!」

 涙を流しながら叫ぶ。
 伸ばし切ることが出来たなら、きっと届いたであろう、この外史の未来へと手を届かせるように。

「っ……終わりなんかじゃない! 終わりなんかじゃっ……!! 俺達の覇道は……俺達の幸せは……っ……! ───っ……華琳ーーーーーッ!!」

 ただ、伸ばした。
 声でも消えた腕でも、いっそ体ごとでもよかった。
 自分の何かが届くのなら、届いたなにかで少しでも報いることが出来るなら、と。

  ───顔も消えたのか、目の前が真っ白だった。

 それでも伸ばす。
 もう、なにを伸ばしていいかも解らないのに、ただ……なにかが届けばいいと、いつまでも、いつまでもこの世界のことを思い。

  ───泣き叫ぶ喉も消えたのか、もう声も出ない。

 それでも悲しみは消えないで、涙を流すことしか出来ない自分を……深く深く恨んだ。
 そうして辿り着いた、今はもうなんの感覚もない中で、やがて───



      ……ごつり、と。なにかがなにかに触れる。



 ……途端に全ての感覚が戻って、俺は───その“扉”を開けた。


 ───……。


「…………」

 そして…………立ち尽くした。
 呆然として、震えてくる体を止めることもしない。
 目の前の光景が信じられなくて、どうして自分がこんなところに立っているのか解らなくなる。

「は……はは……? は……」

 胡蝶の夢、という言葉が思い浮かんだ。
 いつか城壁の上で華琳と話した。
 自分は夢の中で蝶となって飛んだのか、自分が蝶が見ている夢の中の住人なのか。

「なんで……どうして……」

 足が思い出したかのように震えて、床に崩れるように座りこんだ。膝は砕け、足も砕けている体が立っていられるわけもない。
 かつてここから魏へと飛んだ瞬間の姿勢に戻って、支えきれずに倒れたのだ。

「………」

 そう……開け放った先にあったもの。
 そこは道場の更衣室……だった。
 あの日、汗を流したのちに及川とともに遊びに行くはずだった、第一歩。
 それを───いまさら、踏みしめていた。

「なん、だよこれ……! 俺は……俺は魏で……都で……みんなの夢を……幸せをっ……! こんなっ……! なんで……!」

 言葉が意味を持たなくなってゆく。
 嗚咽はもう止められず、叫び出したかった声も……もう、抑える必要すらなかった。

「あ、あ……うあぁぁああああああああっ!!! あぁあああああああああああっ!!!!」

 ただただ、四肢が動かぬ体で天井を仰ぎ、叫んだ。
 誰にでもない、今の状況にこそ。
 それを聞きつけ駆けつけた及川になにを言われても反応すら出来ず、喉が枯れ、涙が枯れるまで、俺はただ……何もかもを……強くなりたかった意味さえも失った自分として。
 かつての故郷に、立っていた。



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