終端へ/外史の終端。それは想像と創造の始まり

 窓際に設置された病院のベッドから眺める景色は、なんというか味気ない。
 変わり映えのしない景色に溜め息をついてみるも、ついたところで何が変わるわけでもない。
 けど、そんな景色に見知った顔が入り込むと、なんだか無性に顔が緩むのは……退屈だけはさせてくれないやつだからと、心が理解してしまっているからなんだろうか。

「はぁ」

 あれからまあまあの時間が経った。
 といっても、俺の気持ちが落ち着かなかったために、日々を長く感じただけなのかもしれないが、ようやくこうして心が落ち着くくらいにまで……まあ、うん。時間は経ってくれた。
 今さらどう足掻いたってあの瞬間には戻れない。
 終わってしまった世界へ行くには、それこそ願いを叶えて行く以外はないのだろう。
 そして、願いを叶える銅鏡とやらをくれる筈の貂蝉が何処に居るのか、なんてことは……当然と言うべきか、俺が知るわけがない。
 そもそもそれが本当に貰えるものなのかも、貂蝉がこの世界に居るのかも、俺には解らないのだ。

「やっほーかずピー! 暇人の心の友! 及川祐ゥ! ただいま推参やぁーーーっ!!」

 さて、考え事をしているうちに大急ぎで来たらしい友人が、歯を光らせての登場だ。
 ご丁寧に口にペンライトを仕込んで。
 そうまでして歯を光らせたいのだろうか。

「……やっぱ無理やな。歯ァ光らせるなんてどうやったって無理やろ。コレ歯が光っとんのとちゃうもん。歯が照らされとるだけやもん。ペンライトに唾液付くし、踏んだり蹴ったりやん」

 笑顔で自分にツッコミながら、離れた位置にあった椅子を引きずってきて、どすんと座る。

「や、かずピー。調子どう?」
「ん、もうかなり治ってる」

 さて、あれから一ヶ月……と言わず、二週間。
 更衣室で泣き喚いて、及川に心配され、体中がズタズタであることに絶叫され、及川が呼んでくれた救急車で病院に運ばれつつ、しばらくはまともな会話も出来ないままに日々を過ごした。
 で、最近ようやく及川のケータイを貸してもらい、動画や写真が残っていることに笑みを浮かべることが出来て、今に至る。残念ながら手甲と具足は壊れて、もう使えそうもなかった。歪んだままの形で、寮ではなく自宅の方の俺の部屋に置かれているらしい。

「っはぁ〜〜……しっかし、本気でおじいちゃんレベルまで残るなんて、かずピーったら人生経験豊富やなぁ。いろいろ終わったからこうして戻ってきたんやろーけど。ああまぁ、詳しい話は今まで通り、話したなったらでええわ」
「いや、助かる。あんな状態で根掘り葉掘り訊かれたら、全力で暴れ回ってたかもしれない」
「……かめはめ波撃てる男の暴走なんて、事情知っとる俺からしてみたら悪夢以外のなにモンでもないわ」

 正直、及川が動画や写真を残していてくれて助かった。
 あんな最後だったから、あの世界のことが全部嘘だったんじゃ、なんて錯覚まで起こしかけた。
 あれだな、全部無かったことにしてでも、心を正気でいさせようと防衛本能が動いたんだろう。
 動画や写真を眺めて落ち着くまでは、そりゃ長かった。客観的に自分を見る“俺”にとっては。
 “立ち直るまで一ヶ月や半年、それくらいかかるだろう”と、別の自分が冷めた目で見ているような感覚を覚えつつも、このままじゃダメだって思えたから前を向けた。
 落ち込むだけなら誰でも出来るし、なにより……希望を捨てるつもりはないのだ。
 勝利することが出来たのなら、いつになるかは解らないけど貂蝉はきっと来ると信じることにした。
 無茶な願いは、その時にでも叶えてもらおう。

「お医者さんも驚いとったでぇ? 全治を判断するのもややこしいくらいのズタボロ状態やったのに、二週間かそこらでこの回復力。骨があっさりくっついたことに、お医者さん頭抱えとったわ」
「氣って凄いよなー」
「凄いわなぁ」

 あの世界から外れたことにより、御遣いの氣は無くなっていた。
 しかしまあ、それでも自分自身の氣はあるわけで。
 残ったのは攻撃特化の氣だったけど、長い時間を生きて磨いた氣や知識は、それの応用を可能にすることくらい簡単にしてくれた。
 お陰で無理矢理広げてきた氣脈には、悲しんでいる間に氣がたっぷりと溜まり、それを用いては、まずは砕かれた骨の癒しを開始。氣脈より優先させた理由は、妙な形でくっつかれても困るからだ。
 そうして次は氣脈を癒して〜とか、違和感があるところを癒して〜とか、まあ暇な時間を存分に使っては癒してきたわけだ。
 お陰で全快も近い。
 御遣いの氣が混ざっていた時ほど癒しの力は強くないものの、そんなものはやっぱり応用だ。真髄までは知れなくとも、五斗米道を体験し続けた俺だ。
 華佗に癒してもらった時や延に癒してもらった時に、きっちりと自分の中の氣がどう刺激されていたのか〜等も学習済み。ぬかりはございません。本人達には言えないけどね。

「で、だけどさ」
「お? なんやなんやかずピー。なんか訊きたいことでもあるん? あ、もしかして家族のこと? や〜、それやったら見舞いに来た時とそう変わってへんで?」
「いや、家族のことはちょっと」

 剣術鍛錬でどうすればあんな怪我をするのか。そのことに関しては当然、家族からツッコまれた。
 けれども俺がまともに話せる状態じゃなかったため、流れはしたんだが……まあ、いつか話さなくちゃなぁ。
 今度はなんて話そうか。前は天下統一してきた〜って言ったらオタマで殴られたし、今回は……これだな。“歴史と戦ってきた”。うん、間違ってない。オタマは飛びそうだけど、間違ってはいないよな。

「あの時代のことと、今のことを訊きたいんだ」
「ほへ? あの時代? ……や、俺にそれ訊いたってかずピーほど解らへんで?」
「ああ悪い、そういう意味じゃなくて。あー、なんて言うんだ? ほら、一応俺は最後の最後まで残って、その時代の……その、外史? を、中途半端に見届けたんだけどさ」
「中途半端なん? あーまーええわ、まずは聞こ」
「助かる。そう、中途半端なんだ。最後まで見届けることは許されなかった。だからさ」

 だから。
 もしかしたら、もう俺の願いが叶ったりしてないかの確認をしたかった。
 それなら貂蝉が現れない理由も解るからだ。

「過去に活躍した英雄は───」
「───、ん。それがどう関係しとるのかは知らんけど、それはないわ。元のままや」
「……そか」

 訊いてみて、答えられて、溜め息をひとつ。
 願いは叶えられていないようだ。
 なら次の質問だ。

「夢で見たことがあるから訊くな? フランチェスカ内部にさ、こう……筋肉ゴリモリで頭が禿てて、モミアゲだけはあってそのモミアゲを三つ編みっぽくしてるオカマっぽい漢女が居たりは───」

 あの世界で見た夢の中、彼が現れたのはいつもフランチェスカの景色の中だった。
 だったらもしかして、なんて思って訊ねて

「んあ? なんで知っとるん? 確かちょーせんとかゆー筋肉ゴリモリオカマッスルが、なんや古びた丸っこいの持って数日前からくねくね蠢いとってなぁ」
「居たァアアアアーーーーーーーーッ!!!!」

 ていうか既に来てた!
 ちょ……なにやってんのポリスな人に突き出されたらどうすんの!?
 どんな言い訳しても捕まりそうじゃないか! ……捕まったら普通に脱獄して来そうだけど!

「な、なぁ及川……? こういう時ってさ……普通は散々探し回って、何年かしたらひょっこり見つかるとかそんなんじゃ……」
「え? なんの話?」
「………」

 物凄い脱力感とともに説明を開始する。
 と、及川も微妙な表情で頬を掻いていた。

「あー、しゃあけどそーゆーの、最後に探すところを一番最初に探すかどうかの問題やん。あーゆー世界があって、物語っちゅーもんを体験した俺らやから言えることやけど、結局物語って最初にするか後にするかであっさり終わるか長引くかやろ?」
「そうだけどさ……」

 解ってはいるんだが、まあなんというか……脱力。

「ああまあけど解ったわ。よーするにかずピーがあのゴリモリマッチョに会えば話は進むんやな? せやったら善は急げや! 善やなくても急ご! 何がしたいのかまるで解らんけど!」
「その行動力だけは無駄に羨ましいな」

 言いつつも動く。
 さすがに完治はしていない体を氣で繋いで。

「あ、でもどないするん? お医者さんに見つかったらさすがに捕まるで?」
「外の空気を吸いたいって名目で、車椅子だな」
「んっへっへぇ、かずピーも悪やなぁ。あ、なら俺が押したるわ。で、車椅子どこ?」

 ガヤガヤと騒ぎながら用意を開始。
 個室でよかった。
 そうじゃなかったら、もう変人達の会話の域なんじゃなかろうか。

「おっしゃ準備万端! スーパーグレート松葉号! 発・進!」
「なんだよその名前」
「や、松葉杖の松葉って結局なんなんやろなーとか思ぅた結果」

 車椅子が発進する。
 及川はこんな面倒なことにも軽く頷いてくれて、いろいろと支えてくれた。
 振り返ってみれば一ヶ月にも満たない短い時間の中でも、自分が無理してるなって実感を持っている今……そんな気安さがありがたかった。

……。

 外に出てからは……なんというか、ひどかった。
 車椅子を目立たない場所へとソッと隠し、出入り口……まあ、門ではなくて壁を登って外へと出て。スリッパでは進みづらいから足に氣を込めてアスファルトの感触をシャットアウト、裸足で疾走を開始。
 後ろから「もうちょいゆっくり走ったってくれんーーーっ!?」とツッコまれつつも、そんな“悪さ”に懐かしさを感じて、笑った。
 居なきゃいけない場所から抜け出すなんて行為、破ったのはいつ以来だろう。
 あの世界ででもアニキさんの店に行くために、都から抜け出て……とかやったなぁ、なんて思い出す。
 アニキさんが店をやれなくなってからは、あまり寄ることもなくなったあそこ。
 彼の最後は家族に見守られての、黄巾時代を後悔しながらの往生だった。
 あの時代でも、こんな風に看取られて死にたかったやつは居た筈なのになぁ、と涙して逝った。
 先に立つ後悔はない。
 誰かに許されたとしても、その罪悪感はいつだって戻ってくるものなのだろう。

「ぜはーーーっ! ぜはーーーっ!! はっ……あ、あいっかわらずどーゆー体力してんねやっ……!! 俺っ……俺っ……もっ……もうっ……! だめっ……アカン……!」
「お姫さま抱っこでもするか?」
「そないなことして俺とかずピーの間で“アッー!”な噂が流れたらどないすんねん! 俺んこと好きな少女が悲しむやろが!」
「あれから彼女出来たのか?」
「やめて!? その祖父が孫を心配するみたいな目ぇやめて!?」

 ───ひとつの、長い長い旅が終わった。
 聞いたことはあっても見たことは無かった過去へ飛び、違いの多さに驚いて、戦を知った長い旅。
 生きることを学んで、死ぬことを知って、別れの涙を経験して、無力な自分に歯噛みする。
 呆れるくらいの辛さを知って、呆れるくらいの笑顔を知って、呆れるくらいの涙を知って、呆れるくらいの時を生きて。
 ふと振り返ると過去はすぐそこにあって、そんな世界が一瞬にも満たない程度の時間の狭間にあったことに、また呆れる。
 楽しかったかと訊かれれば頷きもするし即答でも出来る。
 けど、悲しかったかと言われても答えは同じ。
 そんな、とても、不思議な不思議な経験をした。

「おお! 自転車少年発見! なーなーかずピー!? こーゆー時って後で返すからとかゆーて奪ってもええ場面やってんな!? な!? んで、これがあとに巡り合いとして続いて、少年と友達になったりそのお姉さんとえー仲になったり!」
「警察に突き出されたりか」
「そんなん巡り合いとちゃうよ!?《がーーーん!》」
「大丈夫だって。お巡りさんと鉢合わせすれば、それは文字通り巡り合いだ」
「そんな奇妙なダジャレっぽい無駄知識いらんよ俺!」

 目を閉ざせば思い出せる日々がある。
 思い出せない顔達も、結果となって心にある。
 ……なぁ、みんな。俺はちゃんと、みんなが生きた証を肯定出来ただろうか。
 悪戯っぽい笑顔を浮かべて、兵と一緒に桃をかじったあの日や、俺の奢りで兵たちと一緒に飯を食べに行ったあの日。
 北郷隊は他の隊より絆が強くて羨ましい、なんて誰かが言っていた。
 そんな隊も、時間が経てば一人、また一人と家庭を持ち、故郷へ帰ったり旅に出たりと姿を消していった。
 それを寂しく思わなかったといえば……一人残された気分だった自分だけは、やっぱり寂しかったのだ。
 みんな旅立って、自分だけが残された、なんて錯覚を、どうしても感じてしまった。

「あ、タクシー停まってんでタクシー! ヘーイタク───」
「金は!?」
「……ヘ、ヘーイ! タスクー! 俺タスクー! タスッ……いやぁあああドア開けんといてぇえ!! すんませんえろうすんません! 金もってないの忘れてたんで見逃したってください!」

 ぜえぜえ言いながらもついてくる及川には、本当に感謝している。
 いろいろなことがぐるぐると頭の中で回るだけだったこの世界で、俯かせてばかりだった顔を持ち上げる勇気をくれた。
 今は考えるより走らなきゃ、見える筈のものだって見えないのだ。
 そう。どちらの世界でも思うことはきっと変わらない。
 いろんな思いが交差するこの世界で、それでも前を向いていられる理由が持てた。
 目標があるなら進まないと。理由があるなら立たないと。
 ……あの日と、あの夜。
 俺の頭を抱いてくれたやさしいぬくもりに報いるためにも。

「ほら及川っ、どうしたんだよ、早く行こう!」
「おんどれ病院からどんだけ走った思ぅとんねや殺す気かオラァ!! 俺かて死に方くらい選ぶ権利あるやろ! “友達に付き合ぉて青春ダッシュして疲れ果てて死にました♪”なんてただの笑い話やろ! 俺もっとアハンな死に方したい!」
「死に方が選べるんならそこの道端で白骨化してみてくれ。瞬時に」
「瞬時に!?」
「もしくは米の食い過ぎとかで」
「それアハンやのぉてご飯やーん! ……つまらんツッコミさせんなやぁ!! もういやー! 俺お家帰るー! ……結局フランチェスカやん! 寮とも呼べんプレハブ住まいやん!」

 御遣いの氣があった時ほど速くは走れない。
 それでも走れば走った分は進めて、それに呼吸をおかしくしながらもついてくる及川も及川で、途中途中で氣で喝を入れながらも背中を押した。
 ていうか、うん。別についてこなきゃいけない理由もないんだろうけど……ああ、ははっ。これも、彼なりの気遣いなんだろうって思えたら、なんか途中で意地でも最後まで連れていきたくなったのだ。

「げっほっ……! か、かずピ……かずっ……ピヒッ……! お、俺っ……俺もうだめ……無理……! かずピーだけでも……先にっ……」
「だめだ」
「いや冗談とかやのーてホンマに! 死ぬ! 本気で死ブッフ! げっほごほっ!」
「だ、大丈夫か及川! よし! 今からお前の中の氣を引き出すからそれを使って走るんだ! 使いきったらしばらく意識失うけど!」
「やめて!?」
「いや、お前には恩がある。疲れてもついてきてくれるお前を今さら置いていけるか! ほら手ぇ出せ! 慣れないと垂れ流しになって結局気絶するけど」
「《キュム》いやぁあああああやめてやめてやめてぇえええっ!!」

 いい天気だった。
 老人ってくらいの歳まで生きて、こうして元の世界に戻ってきて、姿は変わらなくても経験は高くて、心は老人っぽくて。
 でも……こんな友人と馬鹿みたいな会話を挟むだけで、心があの頃の自分に戻るようで。
 環境が人を変えるって言葉があるように、俺への態度が変わらないこの世界じゃ、俺はきっとかつてのままでいられるのだろう。
 この蒼の下……あの蒼とはまったく別の、時代すら繋がってさえいない空の下で、それでも……俺は。

……。

 気配を消して、及川の陰に隠れるようにしてフランチェスカの景色を歩く。
 入院してるくせに、こんなところでパジャマ姿でなんて、見つかったらただじゃ済まない。なので、及川の陰に隠れて。
 向かう先は、いつか夢の中で見た景色。
 ようやく呼吸を整えた及川に飲みものを奢……ろうとするも、財布を忘れたことに気づいて、後払いということで俺の分と自分の分も及川に買ってもらった。
 「奢りって感じがちぃともせんわ……」と、トホホな涙をこぼした及川と一緒に、景色の先へ。
 そこで待っていたのは……何故かはち切れんばかりのマッスルボディを白衣で包んだ、いつぞやのモンゴルマッチョであり……

「あぁ〜〜〜らぁん! お久しぶりねぃ、ンごぉ〜主人さァ〜まァん!!」

 名を、貂蝉といった。

「よし及川、呼ばれてるぞ」
「ご主人サマゆーたらかずピーやろ!? ャッ……なんか怖い! くねくね蠢きながらこっち来とんでかずピー! なにアレ! なんやのアレ! 話には聞いとったけど、まさかアレが貂蝉やなんて俺知らんかった! 知りたくもなかった!」
「どぅあぁーーーれが闇夜に蠢く裸を曝す変態よりもテカテカしていて不気味な痴漢ですってぇえーーーん!?」
「ヒィごめんなさい! ゆーてません! そこまでゆーてませんけどなんかごめんなさい!」

 Q:白衣を着たビキニマッスルが突然筋肉を隆起させて目を光らせました。あなたならどうしますか?
 A:及川祐の回答/泣く。
 A:北郷一刀の回答/逃げ《しかし回り込まれてしまった!》……泣く。

「んもう! 久しぶりの再会だっていうのにぃん! つぅ〜〜れないんだかるぁん!」
「いやうん、会いに来ておいて、会った途端に逃げようとして悪かったから。妙に“しな”をつくるのやめてくれ。及川が泣いてる」

 “あんな世界があったんやから、もしかしたら貂蝉ちゃんって意識すれば、べっぴんさんに見えるのかも!”とか儚すぎる夢を抱いていた彼の涙は、そりゃあもう見てられない。

「でゅふっ♪ え〜えこんな会話よりも、知りたいことや欲しいものがあるんでしょん? も〜ちろん用意してあるし、どんな質問もバッチリこォい、よん?」
「なんで白衣着てるんだか教えてください」
「何故って、こんな格好なら実験の先生っぽく見えるでしょん?」
(間違いようもないくらいに変態だ)
(ぶっちぎりにイカレた変態や……!)
「にゅふふ、あの世界のことよりもこの貂蝉ちゃんに興味津々だなんて、ご主人様ったらいけないオ・カ・タ♪《ヴァチィーン!》」
「ヒギャアォオアァ!!? かかかかずピー!? かずピーィイイイ!! コレ今ウィンクで突風吹き荒ばせたァアアア!!!」
「コレって誰ェ!! コレって何処ォ!!」
「ごめんなさいなんかもうごめんなさい顔近づけんといてェエエ!!」

 落ち着こう、及川。
 貂蝉もな、慣れれば普通の気の良い人なんだ。格好はアレだけど。

「ぬふん……よかったわん、いぃ〜〜〜ぃ笑顔が出来るようになったのねぃ、ご主人様ん。あんなことの後だったから、ここに来るのはもっと後かと思ってたんだけども」
「……ああ。思い出と経験と……友人に感謝だ」

 友人、泣いてるけどね。

「さぁ〜てとゥン、軽い話はここまで。そろそろ真面目な話、していきましょ? 訊きたい事、あるんでしょう? ご主人様」
「ああ。……まず、俺が居た外史がどうなったのか、教えてくれ」
「そうねぃ、崩れていっているところよん。曹操ちゃんが死んじゃったあたりから崩れ始めて、それでも“ご主人様と左慈ちゃんが決着をつける舞台”って名目で、左慈ちゃん自身がその場限りの意味を持たせた。けど、それも終わったから、崩れるだけ」
「…………白装束とみんなとの決着は」
「ごめんなさい、それは解らないのよん。見届けてしまったら、私も外史の崩壊に巻き込まれてしまうから」
「見てたのか?」
「ええ。助けることはしなかったけれど」
「いや、いいよ。助けたら、それこそ連鎖が終わらなかったんだろうし」

 そっか。
 ……そうだな、どうなったのか解らないほうが、まだ希望が持てる。
 全滅した未来なんて、聞かされなくてよかった。
 今はそう思っておこう。

「で、私はご主人様がこの世界に来る前にここに来て、ずっと待ってたわけだけれども」
「そんな前からか!? な、なんで」
「だってご主人様が左慈ちゃんに勝ったら、いろいろと意味が変わってくるじゃない? あのねん、ご主人様ん? 今のご主人様はね? 曹操ちゃんが天下統一をした時と同じような状況なの。ここはご主人様が主軸の世界。突端同士が戦ってご主人様が勝ったから、この世界は今、ご主人様を主軸に置いた状態なの」
「………」

 言われてみて、少しホッとした。
 願った未来に、それは内容の一部として存在していたから。
 本当は全部を銅鏡に託すつもりだったけど……そっか。

「ご主人様が左慈ちゃんを倒すことで、世界にあった銅鏡のカケラの権利が完全にご主人様に移った、と言えばいいのかしらん」
「ああ、うん、十分だ。あ、で、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「あらん? 私のことをもっと知りた」
「違う」
「んもぉお〜〜〜ぅう、さぁいごまで言わせてくれたっていいじゃな〜いのぅん! でもそんないけずなご主人様もス・テ・キ♪」
「ギャッ……ヤヤッ……!!《ガタタタタタタ……!!》」

 ちなみに現在、貂蝉との間に及川を挟んで話している。
 逃げないように肩をがっしりと掴んで。
 なのでウィンクによる突風も、くねくねとした視覚ダメージも、ムチュリと飛ばされた投げキッスもほぼを及川が痙攣しながら受け取ってくれている。

「銅鏡に託す願いは、どうすれば叶えられるんだ?」
「銅鏡に触れれば叶うわん。そうじゃなかったらそもそも、最初のご主人様の考えが外史に繁栄されることなんてなかったでしょん?」

 ……なるほど、そうだったら、その前に及川に“実はメンマが〜”とか言われてたら、多少は繁栄されるよなぁ。

「……解った。早速で悪いんだけど、銅鏡って……」
「あるわよん? あ、もちろん私がもっているからってぇ、私の願いが叶えられるなぁ〜〜んてことにはならないかぁ〜〜らぁ、あぁんしんしてオッケイよんっ?《ヴァチーム!》」
「キャー!?」

 震える及川が、先ほどから元気だ。主に恐怖側の感情で。
 そしてウィンクで風を発生させるのはやめてくれ、本当に。

「願い事は決まっているのよねぃ? やっぱり外史の肯定?」
「まあそのー……とんでもない願い事。あ、でも渡される前に訊きたいことがあるんだけど」
「きゃんっ、なんて真面目な凛々しい目。さ〜すがのこの貂蝉ちゃんの心もぅ、こぉんな目で見つめられたぁらぁん、そっと目を閉じてぇ、唇を突き出してしまうわぁん!」
「ヒギャーーーーギャギャギャギャギャギャアアアアアア!!! やめてかずピーやめてぇええ!! 離して! 離してぇえええ!!」

 及川が元気だ。
 そして離さない。ソレよりも話そう。

「実はさ、───」
「……、……あらぁん」

 望みを話して聞かせると、貂蝉は相当に驚いたようで目をぱちくり。
 でも、やがて穏やかな表情で笑うと、静かに「ありがとう」と言ってくれた。

「ええ、もちろんそれは、辻褄合わせってものが働いて、一気に、なんてことにはならないと思うわん。あぁんでも、そんな願いを聞かされちゃ〜あぁあ、ま〜すます託さないわけにはいかないわねぃ! さあ! ご〜〜主人さ〜〜まぁ! これが銅鏡よん!」

 ヒュボォアア! と両手で、銅鏡が突き出された。
 途端、及川の眼鏡があまりの突風にパリーンと割れて……彼は再び泣いた。
 俺はそんな状況に笑いながら、心静かに……けれど、いっぱいの願いを込めて、それを真実と疑わずに、銅鏡を受け取───る前に。

「及川、悪い。ケータイ貸してくれ」
「ひゃ、ひゃい……」

 目の前のゴリモリマッチョさんに恐怖しつつも、ストラップ付きのソレをカチャリと渡してくれる。
 俺はそんなケータイを操作して、映像の中に居るみんなを見つめながら……強く、強く心の中に思い描いた。願うべき世界を。願うべきこれからを。
 そうしてから銅鏡に手を伸ばして……それを、受け取った。

「……うん」

 ずしりと手に乗る重み。
 あんな願いを託すには、ちょっとばっかり軽いかな、なんて思わなくもないけど。でも、全てを託そう。託した上で───

「これで、もう叶ってるのかな」
「うぅん、確認のしようがないわねぃ。たとえばあっちの世界ではあって、こっちの世界ではないものがあったりすれば───」
「あっちの世界ではあって…………あ」

 ハッとして、自分の内側に意識を向ける……と、ここでまたどうしようもなく頬が緩むのを感じて、全ての準備が整ったことに、素直に笑った。
 さあ。無茶を始めよう。
 そもそもが……そう、突端からして無茶だらけだった長い長い旅の終わり。
 でも、人の話なんてものは誰かが想像してしまえば、そこからどれほどまでも創造できるものだ。
 そんな“もしも”が連なって出来るのが外史ってもので、こうだったらいいなが形になった世界だから。そこに、正史なんてものは存在しない。外史は外史なのだから。

  ニカッと笑って空を仰ぎ、願いを叫ぶ。

 銅鏡に願った思いとは別に、世界の辻褄が現在に届くよりも先に。
 辻褄とともにいつかはこの氣脈の中に戻るであろう、“御遣いの氣”を思いながら。

「華琳! みんな! 俺はここだぞ! みんなが居ないと寂しくてやってられない子供な俺だ! どうか、こんな弱い俺を助けてくれ! ───ははっ、頼むよ! “御遣いさま”!!」

 ───遠いいつか。
 覇王に到り、世界の軸となった少女が願った末に、一人の御遣いが召喚された。
 御遣いは少女が願う通りに“またね”を叶えて、そんな世界をずっと一緒に生きた。
 その過程で少女は、そんな御遣いの友人に会ってみたいと思い、同時に御遣いの心労を癒してやりたいと願った。
 結果として友人が召喚された。
 じゃあ、左慈に勝つことで外史の軸って立場を濃くした自分は、なにを願うだろう。
 世界平和? 退屈の抹消? 願ったところで、きっとそれは、本当の願いまでにはどれも一歩が足りていない。
 だったらそんなものを消してしまえるくらいの、頼りになる天の……ああいや、ここが天なら……うん。“地の御遣いさま”を召喚しよう。
 銅鏡が俺の願いを叶え、“外史の全て”をくっつけ終える前に。

「ちょ、ちょちょちょちょっと、ご主人様ん? みんなってまさかぁ、曹操ちゃんたちをここへ呼ぼうって魂胆にゃ〜〜のかしらぁん!?」
「魂胆っていうか、決めてたことだよ。無駄に時間はあったから。もし自分が勝つことで、覇王になった華琳みたいに“願える立場”になったならって。銅鏡に託す願いとは別にね」
「それはさすがに無理よん! 曹操ちゃんだってそもそも、呼べたのはご主人様一人だったでしょん!?」
「外史は過去からじっくりと、辻褄を合わせながらくっついていってるんだろ? だったら、そこにあった銅鏡のカケラの分だけ、願いだって叶えられるよ。願うだけならタダだし……それに」
「それに?」
「あの世界で及川が前例を作ってくれた。人一人を召喚するのなんて、天下統一を成し遂げるより、簡単だろ?」
「………」

 貂蝉はぽかんとしたのち、とんでもなく……本当に、本当にやさしい笑顔になって、頷いてくれた。
 そう。
 銅鏡に願ったのは外史の結合。
 全ての外史を一つにして、“ここ”までを繋げる。
 いつか禅に聞かせた通り、あの頃から今まで……1800年後で待てるように。
 歴史での曹操は男だった。
 けど、そんな過去は正史に任せよう。
 俺達は外史を生きてきた。
 外史はどこまでいっても外史でしかないのなら……そんな世界を肯定して、そこからみんなで歩いていけばいい。

「でもねぃご主人様ぁ? 確かに天下統一よりは簡単でしょぉ〜〜ぅけぇれどもぉん。それだって、呼べて一人か二人くらいになるんじゃないのん?」
「“俺”が誰かの御遣いとして降りる世界は、カケラの数だけあったんだろ? それが一つになるんだ。呼べる人だってそれだけ増えるって」
「……あらやだ、ごぉ〜主人様ったぁ〜るぁん、意外にずっこいこととか考えちゃうのねん」
「心が老人になるまで生きれば、常識からちょっとズレたところを探すくらい誰でも出来るよ。ほんと、時間だけはあったんだから」

 大切な人が亡くなる度、何かに費やす時間は減ったのだ。
 それこそ鍛錬ばかりになってしまって、娘や孫に怒られたのを覚えている。
 そんな過去に頬を緩ませながら、はぁと息を吐く。
 空を見上げ、目を閉じて……しばらくそうして風に吹かれてから、目を開いて手を見下ろす。
 まるで風に解けたかのように消えて無くなった銅鏡に、頼んだぞ、なんて思いを浮かべながら。

「あ、あぁああ……けどな、ななななかずずず」
「落ち着け及川」
「《ドス》えひゃい!?」

 動揺中の友人の脇腹に貫手をすると、彼はアミバ的な悲鳴を上げて、震えを止めた。

「あ、あぁええとやな。さっきかずピー叫んどったけど、昔の人ここに呼ぶなんて、出来んの?」
「未来の人を過去に飛ばすことだって出来たんだ。上手くいくよ。いかなければいかないで、仕方ないって」
「仕方ないって顔しとらんけどな、かずピー……あ、で、やけど。呼んだらおばーちゃんになったみんなが来るん?」
「……なんのために動画見てたと思ってんだおのれは」
「あ、あーあーあー! そゆことー! そうやったんかなるほどなるほどー!」

 思い出せる笑顔はたくさん。
 思い出せない笑顔もたくさん。
 思い出せないものにごめんを唱えると、心の中の俺が泣いた。
 それでも歩いていきたい未来があるんだ。
 一人ぼっちじゃ寂しい世界を、本来なら居なかった筈の俺が、自分として居るべきこの世界で……本来なら居ないみんなを願う。
 いつになってもいいから、どうか叶った日には顔を見せてほしい。
 それこそ、臨終の時まで待ってるから。
 だから、また出会えたその時は。
 みんなで、あの懐かしい大陸に帰ろう。
 娘とそう約束をしたから。

「願った瞬間に叶う願いなんて、そりゃないよな」
「そら、願いってのは大体自分で叶えるもんやしなぁ。他人の力借りて叶えることに、時間がかかりすぎや〜なんて文句言っても始まらんわなぁ」
「そうねぃ、それにそんなとんでもないお願い、世界に受け入れられるかも解らないしねん」
「ん……いやぁ、それは大丈夫なんじゃないかな。少なくとも、もうそれを否定したい相手は……うん、居ないと思うから」
「あらん? それってばどぉ〜〜ぅゆぅ〜ことぉん?」

 願ったものは外史の結合。
 外史ってものをくっつけて、ひとつにする。
 そこに、別の世界の住人だから成長しないもの、なんてものはない。
 つまり───

「今度はさ、友達になれると思うんだよ。本気でぶつかり合った男同士ってのは、単純で馬鹿なんだ。今度は一緒に歳とって、一緒に酒でも飲める仲になりたいよ」

 あの日に姿を消した二人とも、きっとまた出会える。
 もう願われるたびに、それに従って生きる必要もない。
 だから、まあ。
 もし出会えたら……とりあえず于吉は一発殴ろう。グーで殴ろう。

「じゃあ……これで」
「そうねぃ、私も役目を終えることが出来たようだぁ〜〜かるぁん。……って、あらん? ちょぉ〜〜っと待ってん? ご〜主人さぁ〜まぁん。私これから、何処へ帰ればいいのかしらん」
「何処って。もうこの世界以外に外史なんて無くなるから、貂蝉もこの世界で歳を取って死ぬだけだぞ?」
「………」
「……いや。まさか気づいてなかったのか?」

 訊ねてみる……と、貂蝉は少し震え、ひと雫の涙を零した。
 ……どうした、なんて訊かない。
 生きてみれば解る、歳も取らずに見送る寂しさを、俺はもう知ったから。
 それが、ようやく大切な人と歳をとれる。
 それは当たり前のことだけど、大切なことだから。

「……ありがとう、ご主人様。まさかこんな形で剪定者の役目から離れられるなんて思ってもみなかったわん……!」
「……よかった。余計なことだったらどうしようかと思ったよ。今回のことで一番怖かったのは、肯定者の反応だったんだ」
「あー、そら解るわ。否定するモンにしてみりゃこれはありがたいことやろーけど、肯定してたモンにしてみりゃ余計なことをってもんやろーしなぁ」
「あ、でもその場合、身分証とかはどうすればいいかな」
「そこんところはソッチ系の力で強引に捻り込むわよん。なんだったら左慈ちゃんと于吉ちゃん探して、方術で偽造してもいいしねんっ」
「もう否定も肯定も滅茶苦茶やな……いがみ合ってたのとちゃうん?」
「否定も肯定も認められたこの世界だ〜もにょん、今さらよん、そんなものは」

 そう、今さらってことでいいのだろう。
 これからのことはこれから考えよう。
 持っているものでどうにでも出来るんだったら迷わずしてしまえばいい。
 ああもちろん、殺しとか脅迫は無しの方向で。

「それじゃーねぃ、ご主人様。縁があったらまた何処かで会いましょん?」
「ああ、貂蝉も、げ…………うん、元気じゃない貂蝉って想像できないな」
「あー、解るわーその気持ち」
「どぅあーーれが常時筋肉を震わせてゲラゲラ笑う怪物ですってぇえん!!?」
『そこまで言ってないよ!?』

 あまりの迫力に、素に戻った及川とともにツッコンだ。
 ともあれ手を振って別れてからは、急に静かになった広いフランチェスカの敷地内で、芝生の上に腰を下ろしてボウっとした。

「……はぁー、せやけど、なんやほんと夢みたいな時間やったなぁ」
「そうだな。……この世界に戻ってきた時、胡蝶の夢って言葉、思い出したよ」
「ああ、こっちが夢なのかあっちが夢なのかーってやつやな? いやー、まさか自分らが経験するとは思ってもみんかったなぁ。貴重体験やけど、きっと誰に話しても信用されんな」
「だよなぁ。及川だって、今でも夢みたいだろ?」
「……今ここに立ってることとかも、なんや不安定に思えてきたくらいや」
「……ん。俺もだ」

 これで段落はついたのだろう。
 あとは過去から現在へ、辻褄合わせが済めば……正史なんて関係ない、外史だけの物語が続いてゆく。
 そもそも最初っからこの世界が作られた世界だって知っていたなら、正史なんてものを大事に思う必要もなかったんだ。
 正史の曹操がどんなことをしてどうなったのか。正直なところ、伝え聞いたことくらいしか知らない俺達だ。
 実際に彼らが何を為し、何を思っていたかを知る人は居ない。
 それが正史ってものなら、俺達が経験した全ては外史で、俺達が立っている場所も外史なのだ。正史なんてものは、関係がないものだったとさえ言えてしまうわけで。

「あー……しゃあけどかずピー? 辻褄合わせはえーけどな? どんな過去がここまで来るのか〜とかは解るん? や、もしかしたらやけど、俺達が知る外史とは違てる外史が過去にあてがわれるかもしれんねやろ?」
「外史を結合させようなんて考えた人間がどれだけ居るかじゃないか? あの外史を経験したのは俺だけなんだし、そんな俺が願ったなら……まあ」
「あぁ、せやな。そら言ったって始まらんわ。なってみてのお愉しみやね」
「そゆこと」

 顔を見合ってニカッと笑い、ぽてりと寝転がった。
 いい風が吹いていた。
 大きく吸って吐いたなら、そのまま眠れそうなくらいのやすらぎを感じる。
 そこまで考えてみて、ああそういえばと笑った。
 華琳に呼ばれてからずっと、自分は御遣いとして気を張ったままだったんだなぁと。
 ただの学生に戻るまでにいったいどれほどの時間がかかったのか。
 やらなきゃいけないことから意識が逸れるまで、どれほど時間がかかったのか。
 ようやく息を吐けたのだ。
 そりゃ、やすらぎもする。

「あ、ところでかずピー? 一発殴らせろゆーたの覚えとる?」
「ん、ああ、覚えてるよ。その拳に俺がクロスカウンターを重ねる約束だったな」
「生きすぎてボケたのとちゃうよね!? ただ俺が殴るって約束やったやろが!」

 くだらないやりとりも気安いもの。
 結局は傷が完治してからって話になって、そのままくだらない話をした。
 勉強のことがどうの、女の子のことがどうの。
 「遊びに行く約束パーになったんやから、今度は思い切り付き合ぉてもらうでー」なんて、眼鏡を輝かせながら言う友人に、ん、と頷いて。

  長い長い旅は終わったのだ。

 空を正面に捉えて、目を閉じた時。
 そんな言葉が自然と心をノックした気がした。
 覚悟完了を唱えるまでもなく、理解したのだろう。終わったものは懐かしめても、その日には戻れないのだと。
 だから、今は帰ろう。
 あの世界の故郷ではなく、今の自分が帰るべき場所へ。
 そこで、この世界でしか出来ないことをしながら……ゆっくりと待とうか。
 いつか、辻褄が自分の氣脈に御遣いの氣を持ってくる日を。

  立ち上がって、歩き出す。

 新しい目標を思い描いて、まずはなにをしようか、なんて笑いながら。
 及川は何処か美味いメシ食べに行こう、なんて言って、“当然女の子と”なんて付け加えてニシシと笑っていた。
 いつかはあの蒼と繋がるだろう空の下、忙しくもない日々が、再び動き始めた。
 新しい第一歩は踏み締めたばかり。
 友人とくだらない時間を過ごしながら、時には意外性に走りつつ、日々を待とう。
 願ったことが、せめて少しでも多くの人に笑みを贈ることのできるものだと信じて。



  …………まあ、誰かが笑う前に。


  戻った先の病室で、お医者さんに激怒されたのは言うまでもない。




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