番外のに/大陸。もはや彼の記憶に残る原型は、別の意味で存在しない

 ───それからは、怒涛のごとくと言うべきか。

 大陸への出発が決まり、移動手段は空。
 恐れ多くもお国が旅費を用意してくれたこともあり、飛行機を時間指定で既に予約されていて、それに合わせるためにドタバタ劇場。
 そして現れる問題、問題、問題。
 外国行くのに足りないものがごっちゃり。
 こんな巨大な塊が空を飛ぶわけがないじゃないと悲鳴にも近い声で叫ぶ覇王様や、馬は大丈夫なのに車酔いしてぐったりな翠や蒲公英や白蓮、ちょっと目を離した隙にナンパされて気安く触られたことに激怒、相手をブチノメした華雄さんや、科学を前に興奮しっぱなしの真桜や……片時も傍を離れず、なにかというと世話をやいてくる思春さんとか。
 問題って言っていいのかは別として、そりゃあもう余裕はなかったと声を大に出来る。
 真っ青な顔で「飛ぶわけがない落ちるんだわきっと死ぬのよそうなのよ」とかぶつぶつ言ってる華琳と桂花、それを見て笑い死にしそうなくらい苦しんでいる雪蓮や、そんな雪蓮に散々と振り回されていぐったりしている冥琳……そしてそんな全員にあれはなにこれはなにあれを見ようこっちへ行こうと振り回されまくってアルティメットぐったりな俺。
 飛行機の中ではゆっくり寝ようって思っていたのに、周りが寝かせてくれない。
 なんの偶然かどういう何がそうしたのか、隣になった思春が周囲に“黙れ”と喝を入れてくれたお陰でようやく眠れそうになった……のだが。
 ピキャーというなんとも奇妙な悲鳴に心底驚き、目は冴えた。
 だってね、叫んだのが覇王さまだったんですもの。
 遥かなる空から見下ろす世界に恐怖し、きっとすぐに落ちるんだと思ってしまったからにはもう大変。その隣だった桂花は既に泡を噴いて気絶している始末で、ああもう本当にどうしたらいいやら。
 俺の顔を見るなり抱き付いて来たかわゆい生物を前に、頭を撫でつつ「なにが起ころうとも天命で済ませるかと思ったのに」って言ってみたら、えーと……その。
 天命を唱えて目を閉じるには、大事なものが増えすぎてしまった、って。
 なんかそれだけで俺も真っ赤になっちゃって。当然眠れるはずもなくて。

「……あぁ」

 疲労を蓄積させながらも、これが自分の日常だって思えてしまえること自体、案外これはこれで幸せってものなのだろう。
 いつか、夕暮れの教室で味わった、あんな孤独感と一緒の幸福とは違う、滲み出るみたいに微笑むことが出来る幸せ。手を伸ばせばそこにあるものこそが幸せの象徴だっていうなら、自分は確かに幸せなのだろう。
 なんでもないものに感謝を。
 無くして初めて気づける“なんでもないもの”が、こうしていつまでも手の届くところにありますように。
 そんなことを静かに思いつつ、

「愛紗愛紗ー! 雲が下にあるのだー! “あにめ”でやってたみたいに乗っかれるのかー!?」
「なぁなぁきょっちー! 雲の上ってのは竜とかが飛んでたりするんだよな! 前は出来なかったけど、今回は全員で戦えるぜぇっ!」
「文ちゃんっ! 戦うなんて言ったって武器もなにもないでしょ!?」
「主様主様ー! あの雲はまるで綿菓子のようじゃの! もしや食べられるのかの!? のう主様!」
「おうい、そこな女〜。酒は売っとらんのかー?」
「申し訳ありませんが、お酒は……」
「ならばメンマはあるだろうか。いや、あるな? 無ければおかしい」
「メッ!? い、いえあの……メンマはさすがに……」
「このじゅーす美味しいのにゃー!」
「にゃー!」
「にゃうー!」
「うわこらっ! 勝手にジュースをだなっ……」
「お客様困ります!」
「あぁああごめんなさいごめんなさい! ……美以ぃいいっ!!」
「み、みぃ悪くないのにゃ!? 置いてあったから飲んだだけだじょ!」

 今は無事、あちらへ辿り着けることを祈っておこう。
 いや、墜落とかの心配じゃなくて、精神的に無事でいられることを願う方向で。
 墜落の心配は……ほら、無駄に運の強い王とか勘が働きすぎる王とか、常に天命の先を歩いてそうな王とかが居るから。……天命の人、今ガタガタ震えてらっしゃるけど。

「………」

 どうしたものかと考えて、どうにも出来ないことを早々と悟った俺は、もうやかましくても寝ることにした。


───……。


 それからのことを……割愛する。
 空港に降り立ってからの道のりは……長いとかそんなことがどうでもよくなるほど、やかましかった。それだけ解ってくれればいい。それだけ……そう、十分なんだ……それで。口にしても疲れるだけなのだ、華琳の言葉じゃないが、察してほしい。
 衣服は皆、この時代で買ったものを装着。
 俺だけは李さんの強い希望でフランチェスカの制服に落ち着いたわけだが……せっかくの旅行なんだから、私服で行動したかったのは、きっと言っちゃいけないことなんだろう。
 と、まあ、そんなわけで。

「冗談でしょう?」

 まず最初に聞いたのが華琳の言葉。
 それも当然。俺達の目の前には、“あの頃の”都の姿があったのだ。
 三国の中心にあるのだから、当然他の国の様子も見てきたのだが、随分と大きく発展していた。緑豊かで綺麗な場所ばかり。
 未来を心配して書き残した書物が頑張ってくれたらしい。
 何が環境にとって毒になるのか、何が環境にとって薬となるのかを口酸っぱく……は出来ないから、筆酸っぱく書き殴っておいたのだ。
 ここまで来るのに車も無ければバイクもない。
 空気を汚染してしまうようなものは無く、ひたすらに絡繰に氣を通しての運用となっていた。
 で、辿り着いたのが都……なんだが、何度見てもあの頃のまま。
 1800年って時間があったにも係わらずだ。
 もちろんところどころに修繕の痕はあるにはあるが、その修繕も綺麗なもので、じいっと見なければ気づかないほどだ。どんな技術があればこんな───あ、ハイ、僕が教えた未来の知識を、1800年掛けてもっと昇華させたんですよね。
 三国1800年の歴史ってやつですね。語呂悪い。

「これはっ……すごいなぁああ……!!」

 語呂は置いておくにしても、素直に凄いと思った。思った瞬間には素直な感想が口からこぼれていたほど。
 発展していてほしいって願望はもちろんあった。あったけど、それはかつてを削ってまでしてほしいことだったか、と訊かれればNOだろう。遺産が遺産のままで残っているのは嬉しいものだ。思い出が当然ある。

「昔より、極力手は加えず、形を残す方向でとのお達しがあったそうで。むしろ住んでいた者が競うように、どちらがそのままの状態を保っていられるかというゲームをしたんだとか」
「それ考えたの黄柄だろ」
「えっ……よ、よく解りましたね。確かに文献にはそう書かれておりましたが」

 案内から説明まで、ガイドをしてくれている女性……あの日、銭湯の前で会った李さんが驚きに表情を崩す。
 普段はキリっとした顔だが、どうにも感情が表情に出やすいらしい。それを隠すためにキリっとしているんだろうけど……ああうん、なんか、アレだ。この人もいつかの丕みたいに、悪い部分ばっかり受け継いじゃった人なのかもしれない。
 というのも彼女、やっぱりというべきかみんなの血を継いでいるらしい。言った通りの状況でもあり、いろいろな恋があっていろいろな結婚があって、国同士は当然仲良く、他国に嫁に出た……えーと、王族って言っていいのだろうかこの場合。ともかく、他国に嫁に出た王の血筋もあったようで、そういう関係がずっと続いて今に至る。
 言うまでもなくそういうことが兵との間にも民との間にもあったようで、困ったことに……現在この大陸に住まうほとんどの人の中に、俺の血が含まれてらっしゃるそうで。え? 家系図? やめてください見たくありません。
 もちろんその血だっていい加減、滅茶苦茶薄い筈なのに……どういうわけか産まれてくる子の大半は女性ときたもので、現在の三国と都はほぼがアマゾネス状態。昔っからだけど、女性の天下って感じらしい。
 男性を見下したりしている者が大半で、さらに男性の方も“女性に勝てないのは当然”というのを受け入れてしまっているらしく、“そんな軟弱者の子など産みたくない!”と、現在は結婚をしたいという女性が減ってきているのだとか。
 ……やっぱり怒りがミシリと沸いてきたけど、今は飲み込んでおく。
 と、いうわけで。

「ええっと、つまり? 俺に、この大陸に住む女性に男性の強さを教えてやってほしい、と……?」
「はいっ、ご先祖様!」
「あの。そのご先祖様っていうの、やめて?」

 秘書っぽい姿なのに、俺を見上げる彼女は珍しい者に目を輝かせる若者そのものだった。……マテ、若者ってなんだ。俺だってまだまだ若い……って、こんなこと考えている時点で若くないぞ、俺。
 あぁもう……無駄に長生きした所為で考え方が老人臭くなってるかも……。

「でもさ、別に俺の血がどうとか言わなくても、女性が強かったのは昔からだろ? 雪蓮や春蘭や愛紗みたいに、呆れるくらいに強い女性が相手じゃ、俺なんてすぐにやられて終わるぞ?」
「……そこです。そここそを、ご先祖様に期待しております。今の時代と違い、死ぬことのない仕合と、かつての死に接していた戦い。その違いを、今の女性に見せてあげてほしいのです。……いいえ、見せてほしいのはむしろ、男性にでしょうか。文献を見る限り、ご先祖様も鍛錬を始める前はとても弱かったと」
「ええそうね。逃げ足だけは無駄に速かったけれど」
「あの、華琳さん……? 急に話に入ってきて、言うことがそれって……」

 そうだけどさ。本当にそうだけどさ。
 軽く落ち込む俺をさておき、華琳は李さんに向き直ってこれからのことを話してゆく。
 おお、飛行機でガタガタ震えていた人と同一人物とは思えない、物凄い迫力だ。
 ただ立っているだけなのにこの威圧感……さすが───《でしんっ!》ひょいとな。

「…………《ギロリ》」
「人の足、踏む、ヨクナイ」

 覇王様が人の思考を正確に読み取って、僕の足を踏もうとしました。
 それを冷静に避けると何故か睨まれます。
 ……つくづく思うけど、どうしてこういう時の女性ってここまで勘が鋭いのでしょうね。飛行機で震えていた〜って考えていたなんて、人の思考を読まなきゃ解らないだろうに。

「そんなわけで早速、誰かと手合わせをしていただければと」

 そして思考の海に逃げ込もうとしていたら、突如として李さんが当然のようにそげなことを仰った。
 ……待ちなさい李さん。あなたはなんですか? 連れてきたばかりの人にいきなり戦えと?

「困ったことに過去から現在まで、この国では男性が女性に勝ったという歴史が無いのです。その歴史を塗り替え、少しでもこの国の男性が“強き”を目指す者になってくれれば、というのが私たちの考えです」
「あ、なんか解っちゃったんだけど……当然さ、男なんてそのままでいい、なんて思ってる人も居るわけだよね?」
「……《ちらり》……は、はい」

 ワア、今この人明らかにどこぞの猫耳フードさんを見た。一瞬だったけど、確かに見たよ猫耳フードさんを。
 むしろ桂花はどうして意地でも猫耳フード付きの衣服の装着を願ったのか。
 さすがにそういうのは無く、現在は猫耳っぽいトンガリがついた帽子を被っているわけだが……。

「確かにそういった女性は居て、男性ではなく女性に恋をしている、という状況にあります」

 ここで全員の視線が猫耳フードさんに集った。
 本人は「なによ……わ、私が原因だって言いたいの!?」と言っているが、血がどうとかは本人がどれだけ言おうと責任なんて取りようがないものなぁ。
 だから俺はソッと桂花の前に立ち、その肩にやさしく手を置い《ベシィッ!》……即座に払われたが、ともかく微笑み、言ったのだ。

「そうだよな、血なんて……関係ないよなっ」
「女ばっかり産まれるてくるのは絶対にあんたの所為だから勘違いするんじゃないわよこの後継血液白濁男」
「なんか血液にまでいちゃもんつけられた!」

 そして一息でなんとひどい。
 いつものこととはいえ、桂花も本当に遠慮や容赦が無い。
 外史統一に到り、様々な外史の記憶を手に入れてからは余計な気がする。
 今でも何処から取ってくるのか、虫を籠いっぱいに詰めて夜中に部屋に侵入しようとするし。……その度に思春に捕まって華琳の前に突き出されているそうな。お約束といえばそれまでなんだろうけど、彼女はその〜……そういうことを続けて身籠ることになったのを、もはや忘れてしまったのだろうか。

「………」
「な、なによっ、孕むからこっち見続けるんじゃないわよっ!」

 アアウン、懲りてないんだねきっと。
 むしろ他の桂花さんの記憶も混ざった所為で、余計に懲りることを忘れちゃったんでしょうね。
 小さくトホ〜と息を吐いて、案内されるままに李さんに続いた。
 いっそ自分たちで自由に見て回りたいって意識の方が強かったものの、かつて住んでいたとはいえ、今じゃ俺達の方がお客さんだ。案内は大事だし、こうまで完璧に遺されちゃ文化遺産も同然だ。迂闊に突撃なんて出来るわけもない。
 案内される中、華琳、桃香、蓮華に話を通して、自国の将に迂闊にものに触れないようにと伝え合う。春蘭とか鈴々とか美以には特に。……そう考えてみて、呉ってやさしいなぁ……とか思ってしまったのは、やっぱり仕方の無いことだと思うんだ。やんちゃな破壊者様がいらっしゃらないだけで、なんともありがたい。

「面白いものじゃのう、こうまであの頃の在り方を遺しておけるとは。北郷の家でこの時代のことは学んだが、儂にしてみればこちらのほうが落ち着───おお、酒屋がそのまま残って」
「祭殿。他国の将が勝手を我慢しているというのに、あなたが真っ先に団体行動を乱すつもりですか」
「ぐっ……! 相変わらず硬いのう公瑾……! 儂はただ、あの頃と味が変わっていないかを確かめるためにじゃな……!」
「必要ありません」

 ばっさりだった。
 そんな祭さんに続き、雪蓮がこっそりと突撃しようとして、冥琳に捕まった。
 いや、捕まったっていうか、パブロフっていうか。
 一言、冥琳が「雪蓮」と声をかけただけで“ビックゥウウ!”と動きが止まった。さすが、一番怒られているだけのことはある。
 パワーバランスって、やっぱりあるよなぁ。
 呉は軍師……もとい、冥琳が強くて、蜀は武将……もとい、愛紗さんが強くて、魏は華琳様絶対主義。
 それはどの外史とくっつこうが変わらなかったらしい。
 だからこその安定なんだろうなぁ。他の誰かが主導を握ろうとしても、きっとだめなんだろう。つくづくそう思った、とある日の出来事でした。


───……。


 まず最初に通されたのは都の屋敷。
 自分たちがかつて過ごした場所は、多少ものの位置が変わっている感覚は覚えど、強い違和感を覚えることもなくそこにあった。
 書物などもそのままのものが遺されていたり、写本があるものも存在。むしろ原文そのままが残っていることの方が驚きだ。どうやったのかを訊いてみれば、本に氣を込めて、虫が寄れないようにしたり文字が劣化しないようにしたり、古くから工夫されてきたらしい。

「ご先祖様が何年もの間、木剣を大事にされていたという事実を先人様が実践してみようという形で為されました。紙も竹簡も元を辿れば木。ならば氣を通し続け、ご先祖様が大事にしていた木剣のようにしてしまえば、と」
「ナ、ナルホドー」

 木刀への工夫がこんなところで生かされていたなんて、思いもしませんでした。
 そしてなんだか無性に恥ずかしい。くすぐったいといえばいいのか、ともかく恥ずかしい。子供の頃に自分がやったことを、クラスのみんなの前で先生に褒められるような感覚、といえばいいのか。

「一刀、時代から外れてまで貢献するのはどんな気分?」
「すごい複雑」

 ちりちりと顔が熱い自分をからかうように、笑みを浮かべた華琳が言葉を投げる。それに短く返した俺は、そんな彼女の視線にさえくすぐったさを感じてしまい、視線をあちらこちらへ彷徨わせるばかりだ。
 だが待って欲しい。時代から外れてまでの貢献って意味では、俺以上が確実にいらっしゃる。そんなことを挙げてみれば、皆様の視線は真桜に向き、彼女は真っ赤になって俯いた。

「そうだったわね。ここでは機械なんてものは使わずに絡繰を使い、燃料も氣で補うといった異常さ。無駄な伐採も開墾も避けたようで、自然も多いまま。特にあの排気ガスがないのはいいことだわ」

 車が大層嫌いな華琳様が、ハフゥと溜め息を吐きつつ言った。
 速く移動出来るのはいいものの、あの排気ガスだけは好きになれないらしい。
 そんなわけで、排気ガスを嫌う者が真桜を褒め称え、彼女が真っ赤になって狼狽える姿を眺めつつ、俺は俺で許可を得てから書物に目を通していた。
 かつて自分が執務をしていた部屋。
 綺麗なまま残っていて、訊いてみればこういった建物も氣で補強されているんだとか。
 俺が残した鍛錬書物を応用して、補強素材などに氣を混ぜて固定。それを用いて補強したものは壊れにくいし劣化速度も遅い。利用しない手はなかったんだとか。

「………」

 目を通した書物には、なんだかくすぐったいものばかりが書かれていたりした。
 寄せ書き、って言えばいいのかな。
 俺を知る人が最後に書いたもののようだ。
 それは娘だったり孫だったり曾孫だったり、兵だったり民だったりと、分厚い本にぎっしりと。
 そんなものを見てしまえば、民との交流も積極的にやっていた自分は間違ってなんかいなかったんだなぁって、ゆっくりと心が納得してくれた。
 ありがとう、生まれ変わっても会いたい、言葉にしようにも足りないほどの感謝が、頁をめくってもめくっても書かれていた。
 言葉のあとには名前。
 学校でよく見た民の名前もあって、顔がどうしようもなく緩んでしまう。
 北郷隊で一緒だった兵の名前もあって、つい“こんなの書いてないで仕事しろ仕事”なんて、苦笑と一緒に呟いてしまって。そんなことを言えるほどサボリから離れた自分がこれまたおかしくて、笑みが止まらなくなってしまう。

  こちらこそ、ありがとう。

 こんな俺についてきてくれて、感謝してくれて、ありがとう。
 これがいつから書かれていたものなのか、なんて解らない。置いてあった場所も、そもそも別の場所だったのかもしれない。
 最初の頁あたりには、それこそ最初に北郷隊をやめた者の名前が書いてあって、じゃあこれは彼らが引退する時に遺していったものなのか、と妙に納得した。
 学校で文字を学ぶ子供に負けていられません、なんて文字を教わりにきた兵も居たのを思い出せば、ああなるほど、と笑ってしまうのも仕方ない。それでも学べなかったであろう者の感謝は、ほぼ三つに絞られていた。

  謝謝 多謝 勤謝

 その文字の後にそれぞれ名前が書かれていて、誰が足したのか、“もっと伝えたいことがあるのに、文字が書けなくて悔しがっていましたよ”なんて書かれている。

「───……」

 寄せ書きなんて初めて手にした。しかもその寄せ書きが一つの書物になるほどの頁の多さ。
 なんだか可笑しくなって笑いそうになるのに、笑ったら涙までこぼれそうで、震えそうになる体を落ち着かせることに集中するはめになった。泣いたらいけないなんてことは無かっただろう。いっそ泣いてしまっても良かったんだろう。でも、ここで泣いていたら行く先々で泣いてしまいそうだったから、息を大きく吸って、ただただ我慢した。
 泣きっぱなしはちょっと勘弁してほしい。

「一刀?」
「!《びくぅっ!》」

 華琳に声をかけられて、肩を弾かせた。
 みんなに見られないようにって背中を見せてコソコソ見ていたのに、我らが覇王様はどうやらほうっておいてくれないらしい。
 それでも涙を見せるのは恥ずかしい……じゃないか。照れくさかったから、誤魔化すように李さんを促して、次の場所へ向かうことにした。
 ……落ち着いたら、また来ます。
 その時はゆっくりと、今までの歴史を紐解かせてください。
 そう呟いて、かつては自分が仕事をしていた部屋に、頭を下げた。


───……。


 で、次の場所。

「…………《む〜〜〜〜ん……!》」
「は、はああ……!!」

 李さんを促しておいてなんだけど、話はそもそもそういうことだったことを忘れていた。
 移動してみれば天下一品武道会にも使われた武舞台。
 その中心に立つのはいかにもなオネーサマ。
 思わず姐御とか呼びたくなるような、自信に満ち溢れた女性が……そこに居た。
 髪の色は紫に近く、身だしなみとかはあまり気を使わないのか、大雑把に切られたような髪形は、肩まで届く程度のボサボサ。
 衣服は霞に近いものの、やっぱりこちらも大雑把だ。着られりゃいいって考えが前面に押し出されており、我が娘がこんな格好をしたならとりあえず正座させたいくらいの姿がそこにあった。
 あー……どう説明したものか。いや実際、霞っぽいのは確かだ。半被とか袴とか、それっぽい。ただし崩れたら崩れっぱなしというか……なんかもう“視線なんてどうでもいい、これがあたしだ”って、おかしな方向に開き直ってしまいました、って……そんな感じ。

「はぁん? あんたが? 噂のご先祖様?」
「………」

 値踏みされるかのように、ジ〜ロジロジロと足から頭までを睨みとともに見つめられまくる。俺も見たから別にいいけど、そのニヤニヤをやめなさい。
 で、散々見たあとに出てきた感想といえば、「弱そうだな」だった。

「そこいらの男の方がまだ強そうじゃないか。おいおい大丈夫なのかい李よぉ。お前が迎えに行くっていうからあたしは許可したんだぞ?」

 残念って言葉を隠しもしない、溜め息交じりの言葉を吐かれる。
 そのまん前に立っている俺は、まずは包拳。それから名乗って、相手の出方を待った。

「姓は北郷、名は一刀。字も真名も無い、日本国出身だ」

 相手の様子は……少し不機嫌そうだった。
 というかまだ名前も知らないんだが。

「……ふぅん? 礼儀くらいは知っているのか知らないのか。まあどっちでもいいんだけど。あたしは|甘尖《かんせん》。字で十分だろう? 名を知りたきゃあたしを倒してみるんだな」
「…………甘?」
「ああ。本当にご先祖っていうなら知っているだろう? あたしこそが、かの錦帆賊の頭をしていた甘寧の子孫、甘尖さまよ!《どーーーん!》」

 親指で自分を指して、どうだーとばかりに胸を張る姐御。
 同時に、観客席からモシャアアアと黒い殺気を感じました。うん知ってる。俺よく知ってるよ、この殺気。
 エ、エート、いかがイタシマショウカ……!?

「………」
「……《ビッ》」
(ギャアアーーーアーーーッ!!)

 ちらりと見た殺気の発生源で、興覇さんが喉を掻っ切るポーズをしてらっしゃいました。ようするにやってしまえということらしい。

「え、えっと、その、だな。名を知りたきゃ勝ってから〜とか、そういうのはいいんだけどな? せめてその、出会ったばっかりだっていうのに小ばかにしたような態度はやめないか……?」
「あんたもかつての頭を傍に置いたっていうなら、力で解らせてみな。それともなにか? 合図が無ければ構えることさえ出来ないほど、あんたらが生きた時代はぬるかったのかい?」

 ニヤリと笑いつつ、彼女は鍛錬用の木剣を構え

「《ドボォオッファァンッ!!》───っ……、───かっは……!?」
「あ」

 よーいどん、だった。
 相手が構えた瞬間を戦う意思として受け取ったその時、瞬時に充実させた氣で地面を蹴って、懐に入るやその腹部に掌底を埋めていた。
 背中まで突き抜けるほどの、それは見事な錬氣掌底でございました。
 えーと。倒れちゃったんだけど、どうしよう。
 一応アレか? 正当性っぽいことを口走っておいたほうがいいのか?

「ア、アーごごごめ、ん……? 合図があったからそのー……攻撃した。武器構えたなら戦闘開始でいいよな……? ま、まずかったか?」

 腹を押さえて倒れた彼女に声をかける。
 と、憎々しげに睨んできた。だめだったらしい。

「ま、まずかったか、そっか。じゃあ回復させるから、どっちも構えてからな?」

 手に癒しの氣を込めて、何故だか嫌がる彼女の腹部に触れて、癒していく。
 なにしやがるとか言いながら拳を振るってくるけど、それを片手でベシベシと叩き落としつつ。
 あーはいはい暴れないの、いい子だから静かにしてなさい。注射を嫌がる子供かキミは。
 さて、それが終わると仕切り直しである。
 しばらくして拳も振るわれなくなったので、癒し終わってから立ち上がって向き直ったら……なんか涙でぼろぼろでした、彼女。
 な、なにが……!? いったい彼女の身になにが……!?

「たいちょー……さすがに喧嘩が自慢っぽい子の攻撃を癒しの片手間にべしべし逸らしたら、可哀相なのー……」
「え? …………あ」

 図星だったのか、泣いた彼女は顔を真っ赤にして言葉にならない言葉を叫んだ。
 これはさすがに思慮が足りなかった……いやっ、ていうかねっ? 俺もその、左慈の攻撃とか経験しちゃってる分、あれ以上の体術じゃないと遅く見えちゃうっていうかっ……!
 今じゃあれをイメージトレーニングの相手として鍛錬しているくらいだから、腰も氣も入らずに振るわれた拳なんて……ねぇ?

「えっとそのー……ま、まだやるのか?」
「うるせぇ! てめぇ覚悟しやがれ!?」

 涙目の彼女は、それはもう叫びました。
 叫んで、木剣を手に襲い掛かってきたのです。
 俺はといえば……そんな彼女の上段から振り下ろされる攻撃を、冷静に右手で受け止めて……俺の上半身にばかり気が向いている彼女の足を、氣を込めた右足でズパァンと払う。次いで慌てて体勢を立て直そうとする彼女の力の向きを利用して、受け止めた木剣を引っ張って、さらに足を払って、空中で一回転した彼女を石畳にどかーんと叩き落した。もちろん背中から。
 で、背中を打った衝撃で手放してしまった木剣を手に、その先端を倒れた彼女の喉に突きつけて決着。

「まだ、やるかい?」

 どうせならばと花山さん。
 問われた彼女は───……突如として目を輝かせ、バッと立ち上がるや、

「やるっ!! 全力だっ!!」

 大きく元気な声で返し、なんと拳を振るってきた!
 武器が無いなら拳で! その在り方、実に天晴れ!
 精神年齢がお爺様なだけあって、こういう諦めない姿勢で臨む在り方が、ひどく眩しく見える。
 なので俺も真っ向から立ち向かい───!


───……。


 死ュウウウ……!

「…………」
「………」

 いやあのその…………やりすぎた。
 あの手この手で向かってくる姐御さん相手に、それはもう真っ向から技術であろうと策であろうと叩き潰して黙らせた。
 で、とうとう泣かせてしまいまして。
 アッチャアアア……!! 強者であることのプライド、ぶち壊しちゃった……!?

「相手の氣の総量さえ見極められんのか……未熟者が」

 そんな俺の困惑なぞ関係ないとばかりに、思春さんが甘尖に呆れた視線を投げつつ仰った。……観客席から結構離れているのに、案外聞こえるものだなぁ。

「えーと、李さん。用事も済んだし、娘たちの墓参りをしたいんだけど」
「──────えっ、あ、は、ははははいぃっ! ただいまぁっ!!」

 呆然としていた李さんに声をかけると、ビクーンと体全体で跳ねた彼女が慌てて動き出す。
 一応喝を入れることが目的だったんだし、いいよな、これで。

「っ……ま、待て……!」

 そそくさと移動しようとしたら、ガシィと掴まれる我が衣服。
 急だったんで思わずヒィとか言いそうになったものの、なんとか飲み込んで向き直る。

「お、お前……あたしの名はいらないってのか……!」

 名? ……ああ、そういえば字で十分だろうとか言われてた。
 でもなぁ、それよりもやってほしいことがある。

「ん、名の前に……そうだな、少しは身だしなみに気をつけなさい」
「なっ……!? るっさい……! そんなの、あたしの勝手《でしんっ》いたっ」
「勝手を語るなら、まずは勝ちなさい」

 蹲りつつも睨む彼女の額に、軽く手刀を落とす。
 きょとんとした顔が見上げてくるけど、まあ結局はこの娘のこの反応の原因はアレなのだろう。

「戦も刺激も無い世界だろうけどさ。先祖がどうだろうと、自分には同じ功績なんて得られるわけがなかろうと、お前はお前だ。なにも思春───甘興覇の名に勝とうなんて思う必要なんて無いんだよ。見えない伝説を追うんじゃなくて、今ある世界を存分に楽しめばいいんだ。……名前は?」
「え───あ……|史《し》……。姓が甘、名は史で……字が尖|《わしゃわしゃ》ぷわっ!? なっ、こらっ! なに急に頭をっ!」
「そか。じゃあ、史。何度でも受けて立つから、何度だってかかってこい。誰の娘だろうが子孫だろうが関係ない。ただの甘史尖として」
「撫、で───…………」

 わしゃわしゃと引っ掻き回すみたいに頭を撫でて、最後にポムと弾ませるように撫でると立ち上がる。
 そう、偉大な存在を親や祖父、先祖に持ったりすると、伝説ばかりが大きすぎて、自信の置く場所を忘れてしまう人が居る。
 先祖とまで大げさに言わずとも、娘や孫や曾孫がそうだったのだ。じっくりと目を見ればこの北郷、もはやそれしきのことなぞ軽く見抜いてみせましょうぞ。

「じゃ、行こうか」
「……さらっと落としたわね」
「落としたねー……」
「一刀。あとでちょっと話があるわ。そこまで顔を貸しなさい」

 ニコリと笑顔で観客席へと向かったら、なんだか王らがジト目で向かえてくれた。

「……あの。蓮華さん? 桃香さん? 落としたってなに? それと華琳さん? あとでと言いながらどうして既にツラ貸せって感じで通路の陰を指差しているので? しかも親指で」

 流れで見ると、喉を掻っ切るポーズと指差すポーズが一緒になって怖いのですが?
 え、あの……俺、そこの陰で死んだりしませんよね? ね!?

「リ、李サン、次ニイコ? オイドンマダ死ニタクナイデゴワス」
「え……あの、疲れたりとかは」
「へ? いや、あれくらいじゃ疲れないって」
「で、ですが私たちが知る男性は、多少の氣を使うだけでも息切れをするほどで……!」
「───」

 軟弱であった。
 現代の男よ……なんと軟弱!
 いや、恐らく男のみに限ったことじゃないぞこれ……!
 確かに俺も、覚えたての頃は散々と苦労したけど……なんだか嫌な予感がする。
 バッと華琳を見ると、彼女も呆れた表情でこくりと頷いた。

「李さん! 今すぐ各国の腕自慢を集めてくれ! 年齢性別問わずで!」
「え……まさか戦うおつもりでは───」
「おつもりです!《どーーーん!》」

 そんなことはないと心から願う!
 だがしかし、思春の血筋でこうならば、他はどうなのか! 血筋だから強いとかを高々に語るつもりはないが、これで自信満々なのはおかしい! 絶対におかしい!
 だから───ああ、だから───!!


───……。


 ───……嘘だと言ってよトニー。誰だトニー。

「………」

 懐かしの中庭の中心で、頭を抱えた。
 周囲には息を切らして肩で息する末裔さん達や、気絶して起き上がってこない末裔さん達。
 え? ええ、まあ、うん……勝っちゃったんだ……俺……。
 勝っちゃったんだよ……一人で……。

「李さん。質問」
「《ビグゥックゥウッ!!》ひゃはぁっ!? ははははいぃいっ!?」
「いや、なにもそんな慌てなくても……」

 現在、五体満足なのは李さんだけ。
 “男が何用ぞ”とばかりにのっしのっしと歩いてきた末裔さん達を、こう……大暴れ将軍のように千切っては投げ千切っては投げ。

「あのさ。世界大戦でも影に潜んで勝利を得てきたとか聞いたんだけど……」
「あの……はい。時代の流れといいますか。ご先祖様の仰る通り、現在は戦などありません。競い合う競技が多少ある程度で、それも氣を使ってしまえば有利に立てるので……」
「……多少鍛えた程度で満足してしまっていると」
「……お、お恥ずかしながら……っ!」

 なんだろう。
 今、初の超野菜人2になれた子供が青年になった頃のあの漫画を思い出した。
 これも平和ボケってやつなんだろうか。
 痛む頭をもう一度抱えるように息を吐くと、近くで震えていた少女が俺を睨んでくる。

「図に乗るなよ男がっ! 御遣いだかなんだか知らないが、所詮はそんなもの、語られてきただけの誇張の話だ! 嘘ではなく貴様が本物だというのならっ! この書物に書かれている御遣い式鍛錬とやらをやってみろ!」

 で、その震えていた少女がバーンと広げて突き出してきたのは。
 いつか俺が書き記した、鍛錬の仕方【粉骨砕身編】だった。
 子供編や青年編、大人編があるそれの上級者向け……いわゆるとことんまでに自分をイジメ抜く“御遣い編”だった筈だ……! まさかあんなものがまだ存在していただなんて……!

「言っておくがなぁ……この書物に書かれた鍛錬は、私が幾度も挑戦し、その度に吐いて昏倒したほどの鬼畜鍛錬だ! およそ人間のやるものではない! だが……本当に本人なら、出来るだろう?《ニヤァ……!》」
「………」

 ニヤァと笑うこの少女。
 なんというか小さな春蘭みたいである。オールバック的な処理こそしていないものの、髪を前に降ろした春蘭というか、なんというか。

「ええっと、それはいいんだけど。きみ、名前は? 俺は北郷一刀」
「ふははははは! よくぞ訊いた! 我こそが世に知らぬ者無し! 曹孟徳様が築いた魏の旗の下に立つ現代の魏王の娘! 夏侯|頌瑛《しょうえい》である!《どーーーん!》」

 なんと、魏王の娘であったか!
 ……などという驚きも半端に、一日は待ってくれないので、早速トレーニングを開始した。
 もちろん、ぷんすか怒る夏侯さんの手を引っ張って。
 王の娘がするなら自分たちもと動き出す魏の者たちにニコリと笑みつつ、俺達の鍛錬は始まった……!
 あ、ちなみに一緒に来たみんなも、せっかくだからと鍛錬に参加してくれた。桃香なんて久しぶりだな〜なんて笑っているくらいだった。……だった。

……。

 で、数時間後。

『…………』
「よしっと。じゃあ次はたっぷりと柔軟な〜……って、おーい、聞いてるかー?」

 死屍累々。
 別に言葉通り、“死体が多く重なっている”とかじゃあないが、それに近い状態が視界の先にあった。

「ほらほら、ぐったりしてても柔軟はするぞ? 散々足に負担をかけたんだから、血のめぐりを良くしてやらないと違和感が残るんだ。リンパとか小難しいのは抜きにして、むくみを取るものだって思ってくれ。ほら、立て立て〜」

 ぐったりさん達を促して柔軟を促す。
 もちろん走る前にも入念な柔軟をさせたが、走り終わってからの柔軟だって相当大事なものだ。
 なにせ、やったのとやらないのとじゃあその後の鍛錬に酷く影響が出る。
 まずはゆっくりと水を飲ませるのも忘れない。水分補給、大事。
 次に足を肩幅より少し広く開いて立たせてから、その状態のまま足の外側で立つみたいにして足の裏の内側、土踏まずを持ち上げるようにする。故意にO脚を作るみたいな感じだ。
 その状態でしばらく固定。次は逆に足の裏の外側を地面から離すようにして、足を内側に絞る感じでぎゅ〜っと……こちらもそのまましばらく固定。
 それを何度か繰り返したら、今度は軽く屈伸。あまり素早くやらないように。
 次は手を大きく伸ばして背伸びの運動〜。
 はい次。はい次。はい次は───

……。

 コーーーン……

「華琳、大変だ。みんな動かなくなってしまった……!」
「少しは加減を知りなさいっ、このばかっ!」

 過去に生きたみんなは……まあ、武官であった皆様や一部の文官であった皆様は無事だ。一部の文官っていうのは主に亞莎。というか亞莎。
 が、現代に生きる子孫達はもう……本当の本当にぐったりさんで、もはや荒い呼吸を繰り返すだけの存在になっていた。

「お兄ちゃんの鍛錬、久しぶりだったのだー!」
「久しぶりにやるとさすがに疲れるな……」
「はい。蓮華様、拭く物を」
「ありがとう、思春。……けれど、前ほどは疲れないわね。一刀、やっぱりこれも“御遣いの氣”が原因なの?」
「たぶんね」

 両手を頭の後ろで組んで、にゃははと笑う鈴々の傍ら、軽く汗を拭って訊ねてくる蓮華にそう返す。予想は立てられても、実際にそうなのかは俺にも解らないからなぁ。
 というか蓮華さん。独り言と俺へ投げる際の口調が違いすぎます。独り言は男らしささえ感じたのに、俺に訊ねてくるとなったらどうしてここまで女の子になれるのか。これが王の在り方なんだろうか。
 うーん、王って解らない。

「ん」

 ともかくだ。
 まずは少し休ませてから、良い体作りのための第二歩、栄養摂取を。
 ということで料理をしましょう。厨房を借りても平気だろうか。
 ぐったりさんな頌瑛さんに訊ねてみると、かろうじてこくりと頷いた。
 むしろ“今は休ませてくださいお願いします”と顔に書いてあるようだった。

(───)

 やれるものなら、という条件に乗ってしまってなんだけど。
 ごめん、娘達。向かうの、ちょっと遅くなる。


───……。


 料理を作り終えたのちのこと。
 料理に関しては腕自慢の将……ああ、もう将じゃないんだった。
 流琉や斗詩、祭さんや紫苑に手伝ってもらって、料理は普段の倍以上の量で仕上がった。
 それらを、俺を除いたみんなに食べてもらっている隙に、俺は一人、街から外れた場所に建てられた、立派な廟の前に立っていた。
 中国の廟では墓は別の場所にあるっていうけど、ここだとどうなんだろう、なんて考える。いわばここは仏壇であり、墓とはまた違う。ここで手を合わせれば、墓まで届くかと言えば首を捻るけど……それは仏壇で手を合わせる日本でだって同じことだ。

「………」

 ……思えば、“こっち”じゃどういった作法なのかを知らない。
 適当にやっていいものではないだろう、とも考えたんだけど───どうしてだろうなぁ。作法はそりゃあ大事だけど、今は“俺らしく”やらないといけない気がした。
 だから……まあ。怒られた時は怒られた時ってことで、手を合わせた。
 ご苦労様ともお疲れ様とも言える、長い長い時間。
 いろいろと堅苦しいこともあっただろう。
 面倒なことだって当然のようにあっただろう。
 それでも…………ああ、それでも……こんな、自分のことばっかり考えていた親との約束を守ってくれて……本当に本当にありがとう。
 きちんと届いたから。
 この1800年後まで、届いてくれたから。

「……ありがとう」

 やっぱりそれしか伝えようがない。
 誇らしいって言うのとは違って、自慢出来る、と言うのとも違う。
 ソレは確かにそうであっても、欲しいのはきっと、叶えてもらった俺が踏ん反り返るような未来とか、そんなものじゃあ決して無い。。
 じゃあなにが? と問われれば、結局ありがとうしか届けられない。
 今この場に居てくれたなら、自分に出来ることなら叶えてやりたいって思うのに。

「登。禅。延。述。邵。柄。j。…………丕」

 ありがとうを唱えれば笑ってくれるだろうか。
 いつか見た幻みたいな仲間のように、笑顔をくれるだろうか。
 こんなに食べられませんよ、なんて……あんなふうに笑ってくれるだろうか。
 そんなふうに思うのに、口から漏れる言葉は違って。
 何を飾るでもなく考えるでもなく、俺の中で……俺の知らない間に、届けたい言葉なんてものは決まっていたようだった。

「……頑張ったな」

 届けた言葉は父としてのそれだった。
 手を合わせ終えた廟の中で、真っ直ぐに前を見て、目を閉じるでもなく、どうしようもなくこぼれる笑みのまま。
 確かに誇らしくて、確かに自慢したくて、届けたい言葉がありがとうだったとしても、他人行儀に感謝を届けるのではなく、過去に生きた伝説に届けるのではなく。
 ただ親と子として、褒める言葉を口にした。
 呆れられるだろうか。
 笑われるだろうか。
 それでもいい。
 それでいい。
 その方がきっと、自分らしいに違いないのだから。

「また来るな。って、次に向かうのが墓だから、またすぐに会うことになりそうだけど」

 たははと笑って、踵を返す。
 墓に向かう前に食事っていうのもなんか違うなって思ったから、実は何も食べていない。
 くぅ、と鳴る腹を一発殴ったのちに、やっぱり笑って一歩を踏み出───した直後。いや、踏み出したどころか、その一歩が地面につく前に、───

「………」

 くいっと、服を引っ張られた気がした。
 振り向いてみても、当然誰も居ない。
 そんな状況で思い出したのが、よりにもよって……子供たちが小さな頃に聞かせていた、即興昔話とかだったんだから笑える。
 当然、怖い話もしたのだから……なるほど、こんな仕返しもアリなのかな。
 怖い話をした所為で泣いたりしてしまった娘達を思い出して、やっぱり笑った。

「そこに、居るのか? ……居るなら聞いてくれ」

 笑ったけれど、それは“そんな馬鹿な”と嘲笑するようなものじゃあなくて。
 みんなと再会したあの日、かつての仲間たちの幻を見て泣いた日を覚えているからこそ、そんなことだってあるのだと理解しての笑みだった。

「頑張ったな、なんて言葉しか口に出来ないで、ごめんな。今さら頭なんて撫でられて喜ぶわけもないと思うけど、《びしびしびし》いてっ! いててっ!?」

 何故か、何も無いのに足を蹴られたような痛み。
 ……ワーイ娘ダ、娘ガオルヨー。
 じゃなくて、居る。確実に居てはります。
 凄いな、ポルターガイストとは違うんだろうけど……いや、そうなのか?
 なんにせよ……エート、まずはごめんなさい。絶対に、絶ッッッ対にマナー違反なのは解っておりますが。

「激写《カショリ》」

 ケータイで写真を撮った。
 するとどうでしょう。

「………」

 ……腰に手を当てて、ぷんすか怒ってる丕さんが居た。
 姿は……16〜8あたりの歳の頃のものだろうか。
 その後ろに隠れるようにしている、幽霊の守護霊さんみたいな存在にも、呆れと同時に笑みがこぼれる。

「お前なぁ……どれだけ強い思念を遺せば、こんなハッキリ写るんだよ……。幽霊の存在率の定義なんて知らないけどさ」

 娘の強き執念を知った気がした。
 その後ろにたくさんの……人影、シルエットって言ったほうがいい、輪郭しかないヒトノカタチがあるのに気づいたけど、それはきっとここに意識を遺した者たちの影なのだろう。
 俺達や娘達だけが頑張ったから果たせた約束じゃあないのだ。だからこそ、想いも約束もここにある。

「………」

 廟の中には、俺以外には誰も居ない。
 監視役は居るようだけど、李さんが話は通してありますと言った通り、注意されることもない。写真を撮った時は睨まれたけど……うん。とりあえず自ら近づいて、事情を説明した。もちろん写真も見せた上で。そしたら逆に感心された。俺が、じゃなくて丕が。
 そうだよなー、本当に怖いくらいにハッキリ写ってるもんなぁ。
 なんかもうお墓参りの時にある独特のしんみり感なんて、これだけで吹き飛んだよ。
 風情云々よりもまず、この方が俺達らしいなんて思ってしまうあたり、散々とあの時代で振り回された者の“慣れ”ってやつが、随分と染み付いてしまっているようだ。

「禅も、頑張ったな。随分と待たせちゃったけど……───ただいま。今、帰ったよ」

 写真の中、ぷんすかさんの後ろに隠れるようにして存在する娘にも、感謝を。
 ようやく果たせた約束を思って笑った途端、なんだか懐かしい香りがした。
 亞莎に膝枕をした雨の日に抱きしめた、娘の香り。

(……どうしてだろうなー、そんなわけじゃないのに、俺が“抱き締める”とか考えると別の方向に誤解されそうな気がするのは)

 漏れるのはやっぱり苦笑。
 昔からずうっと、たぶんそれはこれからもあまり変わらない。
 もっと素直に笑えたらいいのにって思わなくもないけど、苦笑だって立派な笑みだ。
 慣れてしまえば、そんな笑みだって大事に思える今に辿り着ける。
 だから……だから。

「みんなぁっ! ───今っ! 帰ったぞぉおおーーーっ!!」

 しみじみ言うだけじゃ足りない。
 待ちくたびれて、疲れてしまった人にも届くようにと大声で叫んだ。

  ───途端、ぱちんって音。

 まるで視覚のスイッチが切り替わったかのように見えている景色が変わって、あの頃の景色が見えた。
 それは長い時間ではなかったけれど、その景色の中に、見知ったみんなを見た瞬間には……我慢することもせず、叫んでいた。
 ただいまもごめんなさいも、遅くなったもありがとうも。
 触れることの出来ない景色に精一杯に手を伸ばして、待っていてくれた人達に叫んで届けた。
 娘達だけじゃない。
 民や兵が、国で隔てることもなく、そこに居た。
 溢れるように届けられる感情は“ありがとう”ばかり。
 感謝の数だけ想いは溢れて、自分がそんなにも感謝されていたことに、当然の困惑も抱いたけれど……それを疑って捨てるほど馬鹿じゃないし、みんな以上と自負できるほどに俺だって感謝してきた。
 こんな自分と一緒に歩いてくれてありがとう。
 信じてついてきてくれてありがとう。
 ともに笑顔でいてくれてありがとう。
 ……一緒に死ねなくて、ごめん。
 もう、自分がなにを叫んでいるかも解らないくらい、感情が溢れていた。
 涙は止まらないし嗚咽が邪魔して上手く声を出せなくて。
 それでもみんなは笑顔でそこに居て……笑顔のまま、静かに消えていった。

「……い、いまの……は……」
「………」

 震えながら声を絞り出したのは、一緒に居た監視役の人。
 彼にも見えたのだろう。
 呆然としたまま震えて、けれどその目からは涙がこぼれていた。
 溢れるほどのたくさんの感情に当てられたのだろう。
 ……困ったことに、俺も涙が止まらない。

「…………〜〜……」

 みんなから届けられた言葉は“ありがとう”と……“おかえりなさい”。
 それと、激怒と一緒に届けられた“死ねなくてなんて言うな”だった。


───……。


 IF。
 もしもって言葉が通用する世界があるとするなら、たぶんこの世界ほど許される場所はないんじゃないかなって思う時がある。
 正史を排除して出来た外史の世界……世界中の様々な人の“もしも”が集まって出来た世界がここだ。
 幽霊に話しかけられる“もしも”なんて、立派な霊能力者さんなら日常的なのかもしれないし、そう考えれば……それはそれほど“もしも”な意味なんてないのかもしれない。
 勉強をしたから勉強が出来るようになりました、なんてものと一緒で、学べば出来る“もしも”なんて……案外自分たちが方法を知らないだけで、それに合った学び方さえ出来たなら、簡単に覚えられるものなのかもしれない。

  後日のことを話そうか。

 廟をあとにして娘達の墓へ行くと、そこには大きな墓があった。
 墓地というか……宮殿? いや、それは言いすぎか。
 先祖を大事にするという風習が過去より強く存在しているらしく、特にこの大陸を外から守り抜いた者や、そもそもの過去の英雄たちは大変大事にされているそうで、どれくらい前かは解らずとも、大抵の者は皆、そこで眠っているそうだ。
 そこで墓参りもして、みんなのところへ戻る最中、声を聞いた。
 聞こえた声は……最初の方がかすれていたけど、強い思いを宿した声だった。

  ……、……れ変わればいいのよ。簡単じゃない。

 聞こえた声に振り向いても誰もいない。
 首を傾げつつ……戻り、一夜を明かした。
 問題なのはここからだった。
 話は変わるんだけど、“霊は時間に縛られていない”って話を知っているだろうか。
 有名だった某霊能力者さんは、先立ってしまった家族の霊に未来のことを聞かされ、降りかかる災難などを回避したこともあるという話があった。
 霊に会ったら死後の姿じゃなくて、若い頃の姿だった、なんて話もよくあるだろう。実際、今回会った丕や、民や兵だって昔のまんまの姿だった。
 霊と知り合えた人が霊に時間を訊ねると、朝であるかも夜であるかも解らない場合が多いらしい。
 その上で腕時計を見せたところで、時間は文字の上に水を落としたように滲み、歪んでしまい、知ることが出来ないともいう。

 ───と、まあ霊についてを語ったが、そう。問題なのはここからなのだ。
 ここが“IF”って期待に溢れた世界だというなら、一番強いのはたぶん幽霊だと俺は言う。
 遥か過去に霊体となった者が居たとして、ずうっと未来の誰かさんのことが心配で、そのずうっと未来のことを見たとします。
 お誂え向きに途中からは廟なんてものが作られて、霊体にとってはとても居心地が良いです。
 で、そんな廟で待ってたら、待っていた人が約束を果たしに来てくれました。
 そう。

  約束が果たされる未来を、その霊達は知ってしまったのです。

 ではこれからどうしましょう。
 今から誰かの身に宿って、生まれ変わりましょうか?
 だとしても赤子からでは一緒に歩けません。
 産まれるまでだって時間がかかりすぎます。
 じゃあどうするか?

  過去に戻ってから生まれ変わればいいのよ。簡単じゃない。

 帰り道に聞こえた声は、たぶんこれ。
 生まれ変わり説はこの世界にはよくあるものだ。
 前世の記憶がある子供、なんて仰天な番組があったのを覚えている。
 じゃあ、どうして俺がこんなことを思い返しているのか〜というと。

「………」

 朝。
 目が覚めたら、昨日まで見ていた景色がそこになかった。
 そう言われて信じる人は何人居るだろうな。
 いや、間違い無く自分の部屋なんだ。
 あの時代で使っていた、間違えようのない自分の部屋だ。
 ただし。

「………」
「………」

 誰か居た。
 上半身だけ起こして見た視界の中、寝台の横ににっこにこ笑顔で立つ誰かさん。
 アレレー、オカシイナー。つい先日写真に撮った姿とまるで一緒だぞー?

「あっ……」
「……!」

 口から声が漏れる。
 もう我慢出来ない……口を開いた途端、何かを期待するようにきゃらんと輝いた彼女の目を真っ直ぐに見て、言い放った。

「悪霊退散!!」

 返事はビンタであった。




ネタ曝しです。 *む〜〜〜ん  カメレオンより、ギャグ調に威圧感を出す者が居ると、大体このオノマ先生が頑張っている。 *オノマ先生  オノマトペ。擬音。  ドカーンとかバコーンとか、ざわ……とかそういうの。 *は、はああ……!  以前にも曝したけどもう一度。  武論尊さん漫画でモブさんらが驚いた時や怯えた時に言う言葉。  は、ああ……! というのもある。 *まだやるかい?  殴ってぐったりな相手の襟首を掴んで、真っ直ぐに言ってやりましょう。  バキより、花山薫とスペック。 *嘘だと言ってよトニー  嘘だと言ってよ、バーニィ。  機動戦士ガンダム0080より。ネタです。実にネタ。  きっかけのビデオレターを見たからといって、アルが言っているわけではない。ただのサブタイトルである。  ちなみにトニーはワイルドアームズより。  トニーより始まりラギュ・オ・ラギュラで終わる物語。 *初の超野菜人2になれた子供が青年になった頃のあの漫画  悟飯はなんというか……平和ボケがね……。  そりゃ、子供の頃から修行か死闘以外は特にしてなかったんだから、勉強くらいしてもいいとは思うけど……あれはひどい。  むしろあそこまで鍛えてよく背が伸びたなぁと感心するばかり。  修行もせずに力を得て我が物顔で力を行使する存在は結構苦手な凍傷ですが、アルティメット悟飯は何故か好きなんですよね……。なんでだろう、ほんと。 *悪霊退散!  4年1組起立!より、ブー。  だっとさーーん!の意味が解らなかったけど、車のブランドの名だということを知ったいつか。  単行本にお別れのストンピング回がなかったのは、いろいろとまずかったからだろうなぁ。  同作者の浦安鉄筋家族は、昔ほどオチが笑えるものじゃなくなった気がするのですが……凍傷だけでしょうか。  アニメで“ガンガンガンジェーーーン!”が見られる日は来るのだろうか。 Next Top Back