番外のきゅう/酒は飲めずとも名を傍に

 -_-/黄柄

 私は、自分で言うのもなんだが“女性としての幸せ”とやらを知らない。
 女として産まれてなにが良かったのかさえ知らない。むしろ“いいことなんてないだろ”とか思っていたものだ。
 月のものが来れば気持ち悪いし、いらいらするし、子を産むために抱かれてみれば気持ち悪いし痛いし、子を宿せば重いし気持ち悪いし痛いしいらいらするし、産む時も苦しいし痛いし気持ち悪いし……なんだかなにもかもが作業みたいでつまらないものだった。
 そこに好奇心はあったかと訊かれれば、義務で動くものに望むものなぞ無かったとだけ答えよう。
 ようするに私は女性らしい女性としては育つことが出来ず、だから女性としての幸せなんぞを得られなかったのかもしれないが、それはそれとして置いておきたい気持ちはもちろんある。
 相手があんなつまらない存在ではなければ、きっと楽しいなにかがあったに違いないと思うのだ。
 だって、母は毎日楽しそうだし、他の母もとても幸せそうなのだ。
 それを齎しているのは誰だと問われれば、私はもちろん、他の誰であろうと“父”の名を挙げるだろう。

  そんな時に思うのだ。何故自分は娘に産まれてしまったのかと。

 別に母の娘でいることに不満はない。むしろいい目標だと胸を張れるし誇れる母だ。
 けれど父は違う。父も目標に出来るし胸を張って誇れる素晴らしい父だが、父であるからには伴侶として立つことは出来ないだろう。
 探せば探すほど、世には父ほど素晴らしい男が居ないのだ。そうなれば、己とともに歩むこととなった男と父とを比べてしまうのは当然だ。
 ああもちろん、そんな感情をあの男の前で見せたことなどなかった───……いや、見せなかったからこそ、歪んでいったのかもしれないが。
 私のもとへ来るまでは、奴は男の中では“なんでも出来て優秀”だったらしい。が、城へ来てから全てが変わった。
 自信が叩き折られ、卑屈になるまでには時間は必要なかったのだ。優秀であったが故に、挫折のような面倒なものを知る機会がなかったのだろう。
 なにかにつけて文句を口にして、なにかといえば私に勝とうとする。
 それでなにか一つででも負けてやればよかったのかもしれないが───生憎と私は手を抜いてわざと負けるなんてことはごめんだったので潰した。
 “加減も知らないのか、この猪が”なんて、息を切らせながらついてしまったらしい悪態に、“これでも足りないのか、贅沢だな”なんて言ってみれば泣かれた。

  まあ、なんだ。

 人の悪口を言っている暇があるのなら、その苛立ちを少しでも鍛錬に向ければいいものを。
 己の練磨も怠って、文句しか口に出せないのなら、最初から諦めてしまえばいいのに。いや、違うか。諦めず、妥協したからああなったのか。
 辛いことから目を背けることほど楽なことなどないのだ。背けたからといって、それからが楽になる、などということはあまりないのに。
 そうして日々を送る中、初めての行為で相手を泣かせた、なんて情報をどこかから得たんだろうな。姉妹の旦那のほぼがその情報に躍起になり、前戯もそこそこに貫いたと聞いた。
 阿呆だろう。反撃がないとでも本当に思ったのだろうか。
 当然殴った。殴るだけでなく、真正面から相手の性根の小ささを存分に指摘して、私が痛みに震えた瞬間にへらりと笑ったその最低の自尊心を破壊してやった。
 姉妹間でそんなことが何度も起これば、女からの評価がどれほど下がるか、などてんで考えなかったのだろうなぁ。
 結果として男に抱かれたいなどと思う女は劇的に減少。一時期少子化問題も起こったほどらしい。
 城の関係者はどうあっても子孫を残さねばならなかったため、苦労はしたが。

  つまりあれだ。

 私は、男という存在には期待しなくなった。
 なにかにつけて言い訳を盾に、逃げることしか考えない。
 この時代の男は特にそうだった。
 あの頃は〜などと懐古するのもちょっとあれではあるものの、あの時代ほど気骨のあるものは居ないのだと理解している。
 まあ、平和になってから生まれた男は、それはもうなよなよした輩ばかりではあったが───それも仕方ないのだろう。
 この時代に来てから解ったことがいくつかある。
 男は強者に憧れる。時代の英雄というものに、強く強く。
 けれどそれは、その英雄が男であった場合が多い。女性の英雄に憧れて強者を目指す男は酷く少なく、またそれらを理由にからかわれればあっさりと掌を返す始末。
 憧れ、と名をつけるにはあまりにも粗末な感情だなと、関平が溜め息を吐いていたのを覚えている。

  だから、まあ。

 男が憧れたのは男の英雄。
 北郷一刀という天の御遣いに、男性は確かに憧れた。
 ただしその憧れという点は強さよりも、女性に囲まれた生活を指していた部分が多い。
 まあ、仕方ない。父は好んで自分の強さを書き残そうとしなかったし、周囲にもそれらしい文献を残すことを嫌がっていた。
 故に、男たちは父がどれほど強いかを知らない。
 書物を適当に読み漁っても、女性らに慕われていた、程度のことしか興味を持たれなかっただろう。
 それについては私たちが悪い。父がどう言おうとはっきりと書き記し、遺しておくべきだった。
 いくら“呂奉先の力に迫るものが〜”とか書こうが、書いた者が一人で、なんというか適当に書いたような部分まである文献を真実と受け取るものが、果たしてどれほど居るのやら。
 jとは一度よく話し合うべきだと思う。
 ……ろくに文献も残さなかった私が言っても、説得力に欠けることではあるのだが。

……。

 そんな話は置いておくとしてだ。
 現在、私は父の膝の上で行儀良く正座をして

「あの柄さん? なんで正座なの? 普通に座りなさい?」

 怒られてしまった。それはそうか。

「ふむふむ」

 父の肩を借りて軽く体を起こすと、そのままぽすんと父の腿の上に座り直す。うん、やはり父の足の上はいいな。よく解らんが、安心する。
 いや、それにしても父の自室で静かな時間を過ごせるというのは珍しい……───ああいや。禅には一度、雨降りの日を提案されたことがあったか。
 結局大して時間が合わず、実行には移れなんだが。

「で、俺はどうしたらいいんだ?」
「おおそうだった、丕ぃ姉にしていたのと同じことをしてくれ」
「………」

 あ。父が物凄く微妙な顔をした。いつもの困っている顔だ。いつもってつけられるあたり、父は実に苦労人だ。

「って言ってもな、たぶん普通にやられても鬱陶しいだけだと思うぞ?」
「? 何故だ? 丕ぃ姉はあんなにとろけていただろうに。きっと私もとろけられるに違いないっ」
「あー……なんて説明したらいいやら」

 困った顔のまま呟きつつも、父は行動してくれた。
 抱き締めた状態で頭を撫でたり背中をさすったり、氣を同調したりして。
 けれどなんというか、よく解らん。
 んん? 丕ぃ姉は、こんなもののなにがそんなにいいんだ? それは確かに、父に頭を撫でられるのは嫌いではないし安心さえするが。
 疑問を孕んだ目で、父が言うところの“あだまんたいまい”な丕ぃ姉を見てみる。……と、先ほどまで頬をぷくっと膨らませていた姉は、何故か───「……ふふんっ《ドヤァアアアアアン!!》」───と、勝ち誇った顔をしていた。
 な、なんだあれ。よく解らないけど悔しいぞ?

「ち、父! もっと心を込めてやってくれ! 丕ぃ姉がとろけたのに私がとろけないのはおかしい!」
「いや、だからな? あれは華煉だからああなったっぽくてな? いろいろなものが重なった結果というかだな」
「うぐぐぐぐ……!!」

 布団にくるまって顔だけ出している姉にされるドヤ顔が、こうまで悔しさに繋がるとは思わなかった。
 散々渋って、けれど頬を膨らませながらも自分から場所を譲ってくれたくせに、あの顔はなんなのだ。

「ぬ、ぬう……私と丕ぃ姉で違う部分はなんだ……? 条件としてなにが足りないと……、……《ちらり》…………《ぺたーん》」
「柄?」
「……丕ぃ姉、ちょっと立ってみてくれ」
「え、な、なにかしら? もももういいの? ええ、あなたがいいというのなら、父さまの膝の上は私が───」
「いや、そうではなくて。いいから立ってくれ」

 この姉はたまにひどく愉快だ。父の近くだとよくポカをやらかすから、近くに居て面白い。
 ともあれ困惑としょんぼり感を表情に浮かべたままに立ち上がる丕ぃ姉は───

「立ったわよ。それで? なんなのかしら《ぼいーん》」
「………《ぺたーん》」
「?」
「父。胸に氣脈を作り続ければ、胸は大きくなるだろうか」
「かつての父親になんつーことを真顔で訊いとんのだお前は」

 胸かっ……やはり胸なのかっ……!!
 しかし丕ぃ姉と私とでは、それ以外に違いがっ…………!

「………」

 違っ……

「?」

 …………布団。
 赤いシミ。
 経験。
 父との。

「そ、そうか! 足りないのはそれか! 解ったぞ父よ!」
「お、おお……? いきなりどうした?」
「私に足りないのは父の愛だ! 愛が足りないから丕ぃ姉のようにとろけられないのだ!」
「───《ぐさー》」

 あ。
 勢いに任せて言ってみれば、父が物凄く悲しそうな顔で自分の胸を押さえ、カタカタと震え出した。

「タ、タリ……足リナ……!? ボボ……ボク、コレデモ全力デオ前ラヲ愛シテ……!」
「ち、違う! 違うぞ父! 愛というのはそういうのではなくて! ええっとなんと言えばいいのだ……!? そ、そう、家族愛ではなく恋人とかそういった方向での愛でっ……!」

 おおなんとしたことか。
 禅に言われたことはあったが、まさかこうも父が愛情云々に敏感だったとは。主に足りないだのの方向で。
 今も目尻に涙浮かんでるし。
 それはもちろん、父の家族愛は異常なほどある。他人に話せば引かれるほどだと思う。が、今欲しいのはそっちではないのだ、父よ。しかし気になることがないわけではない。
 たとえば父の家族愛を受け入れ続け、さらにもっと欲しいと願えば、果たしてこの父の愛はどこまで行くのか。
 娘全員の相手を決める時点でも相当に暴走した父だ、きっといろいろと大変なことになるのだろう。むしろ愛情が行き過ぎて自分が結婚するとか言い出すんじゃ───…………おや? それって今の状況と何が違うのか。

「………《じー》」
「ん? ど、どうした? 顔になにかついてるか?」
「いや。父は娘が好きだなぁと」
「基本、男親なんてのは娘にゃ甘いもんだよ。ああ、ただし相手側がこっちを本気で嫌っていて、毎日罵倒されたりすればその範疇には収まらないが」
「む? むー……父が娘を嫌うとか、想像がつかないな……。おや? ならば筍ツはどうなのだ? やはり嫌っているのか?」
「あー……ツなー……。桂花に似て、常に俺に罵倒浴びせなきゃ呼吸が出来ない性質の悪いマグロみたいな娘だけど、困ったことに桂花の所為で罵倒の許容範囲が異常に広がってるんだよなぁ……。もうツ程度の悪口じゃ、ただの日常会話の域だ……」
「父……心が逞しすぎるぞ……」

 つまり、やはり父が娘を嫌うことなど滅多なことではないのだ。
 そしてその状況に到りそうになったいつかを、丕ぃ姉から禅までの私たち姉妹は知っている。
 気になるからといって、またあんな空気の悪い状況になんて到りたくなどないのだ。
 だから私はそうしない。好奇心に動かされることはあっても、自ら不幸に歩むなんてことは、もうしたくないのだから。

「うむ。話題を変えよう」
「自由だなぁお前。そういうところは祭さんっぽい」
「母の娘だからな。まあ同じものになるつもりなど毛頭ないが。父だってそう言いながら、誰々のようになれだなんて言わないだろう」
「応。嫌いだからな。その言葉」

 悪ガキ同士の言い合いのように、父も口調が崩れるのも構わずに告げる。
 父は私との会話の時、時々こうして子供みたいな顔をする。
 気兼ねなく話してくれていると認識するべきなのか、娘とも女性とも見られていないのか。少々複雑な気分はするものの、私もこんな空気が嫌いではないから困ったものである。
 「で? どんな話題にするんだ?」と訊いてくる父は、私の頭と腹に手を当てつつ、はふーと息を吐きながら脱力。氣を同調してきて、私もそれに逆らうことなく脱力する。ああ落ち着く。

「んー……おおそうだ、なぁ父? もし私が女の子らしくなったらどうする?」
「どうするって。また随分と受け取り方を相手に任せた言い方だな。どう、する……んー……参考までに、お前が描く女の子らしさっていうのはどんな感じだ?」
「ふふふ。やはりあれだな、月のような存在だな! 詠が言っていた、あー……立てば……しゃくやく? よく解らんが、三本の花に喩えられるほど女の子らしい!」
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、か?」
「そうそれだ! ……ええっと、ところでだな父。私に喩えると、それはどれが当てはまるんだ?」
「───」

 あ。じんわりと体の中に広がってきていた氣がびしりと固まった。
 父は本当に解り易いというか。
 いや、この場合、私になにを言おうとして言い淀んでいるのかは解らないのだが。
 と、少し期待を以って待っていれば、

「立てば爆薬、座ればボカン、飛び蹴る姿は核弾頭ってところか」
「父にとって私は危険でしかないのか!?《がーーーん!》」

 これである。

「元気な方がお前らしいってことだよ。ああちなみに、俺の言う“お前らしい”は、俺の勝手なイメージが多分に含まれてるから、お前はお前の自分らしさを貫けばいい。いちいち周囲の意見に従う必要なんてないからな?」
「父が言うと、随分と重い言葉だな……」
「伊達にその生涯をあの将や王とともに生きとりゃせんわ」

 ちょっとだけ老人っぽい言葉が出た。
 まあ、確かにそれはそうだ。そうでなければあの母を始め、三国の皆から溢れ出る並々ならぬ元気を受け止めきれるわけがない。
 いや、実に父は凄いな。この体一つで三国や都を一つに纏めていたようなものなのだ。

「父は凄いな」
「いや、俺もいっそお前みたいに祭りを体に閉じ込めました〜みたいな性格だったら───……あ」
「父?」
「祭りを……中に。……おお」
「?」
「単純だけど、お前にぴったりな真名が出来た」
「そうなのか!? というか軽くないか父! いや嬉しいのだが! とても嬉しいのだが! そそそそれで!? それでなんだ父! どんな名前だ父! 父!? 父!!」
「おわわ解った、解ったから落ち着け、まず落ち着け……な?」
「応!《くわっ!》───…………無理だった! 父! 早く教えてくれ!《ぱああ……!!!》」
「ウワーイ娘が元気ダー……」

 棒読みめいた言葉を口からゴファアと溜め息とともに吐こうとも、その手は私の頭をやさしく撫でてくれている。氣が同調させられていることもあって、高ぶる気持ちもすぐに抑えられそうになるものの、それもすぐに好奇心で打ち勝って、体でも氣でも“喜び”を前に押し出した。

「あーはいはい、落ち着きなさい」

 なのにそれが、少しムッとした父の氣にあっさりと抑えられてしまう。
 ……驚いた。
 やはり父は氣の扱い方が抜群に上手い。
 よもや同調しているとはいえ、こんなにも簡単に抑えられてしまうとは。

「こほんっ。えっとだな、柄。お前の真名は───……っと、気に入らなかったらすぐ言うこと。いいな?」
「も、もちろんだ父っ……だ、だから……な? ここここの湧き上がる好奇心を……! 氣で無理矢理おさえるのは……やややめて……やめてぇ、とーしゃまぁ……!」

 力が抜けてゆく。
 同調させられた上で、興奮も緊張も抑制させられてしまって、全て手の上だ。
 父すごいな……改めて凄いな。
 そんな私の前の卓に紙と筆が用意されて、さらさらと綺麗な文字が描かれてゆく。
 文字は二文字。

 祀と───瓢。

「しひょう、って読む。祭さんの真名の文字とは違う意味での“祀る”って字と、それを入れておくもの、瓢。この文字は知ってるよな?」
「瓢箪の瓢、だな……! 竹筒のように、水や酒、調味料などを入れるものと学んだ……おお……おお! 父、ありがとう父! 感謝するぞ父! 酒が苦手な私ではあるが、母の最期の瞬間、ともに酒を交わしたあの日を私は忘れない! 飲めずとも、私は酒と近しくある! 祀りと瓢……いい名だな! 父! 父ー!」
「《ギュギュウメキメキ……!》グオッ……ゴガガッ……! ワ、ワカ、ワカタ……ワカッタカラ……全力で抱き締めるノ……ヤメレ……!」
「おおっ!? す、すまない父……つい興奮してしまった……!」
「げっほ……! 〜〜っ……い、いや……喜んでくれたんならいいんだけどな…………それで、いいか?」
「応! 黄公覆が一子、黄柄は父より受け取ったその二文字を真名として身に刻もう! これより私は祀瓢……祀瓢だ!」

 祀瓢! 祀を身に宿した実に賑やかな真名だ!
 どーだ丕ぃ姉! どうだぁ! 似合っているだろう! よく似合っているだろう!《ドヤァァアアアン!!》
 丕ぃ姉のほうを見ながら、父の膝の上で胸を張り、笑ってみせた。

「《ぺたーん……》…………」

 なにかが負けている気がして、胸張りはすぐにやめた。
 ま、まあ私にもついに真名が! 己のみの名が! 父からつけられた名が出来たわけだ!
 今はこれで十分! これを我が身命に刻むとともに、死する時もまたこの名を背負いつつ───!

「って違うぞ父! いや、真名はとても嬉しくてそれはもう心躍り胸躍っているのだが……」
「………」

 言ってみれば苦笑して、ぎゅーっと抱きしめてくる。
 同じ背格好ということもあり、なんだかもっと小さないつかを思うと、自分も大きくなったものだと苦笑が漏れてしまう。
 あの頃は、父にすっぽりと抱きしめられて軽々と持ち上げられたりしていたな。それが今では……うん、なんだかくすぐったい。
 だがそうして成長したと思っても、私は結局女としての喜びというものを知らない。
 そうだ、私はそれを知ってみたい。
 丕ぃ姉も知っている、おそらくは父にこそ教えられた、あんなとろとろにとろけるくらいの……楽しいのかどうなのか、なってみなければわからない状態。
 なので同じことをしてみてくれと言ってみても、父は“私に”準備が足りていないという。
 むう。私が何かしらで悪いのか……しかしそのなにかしらがまるで解らない。
 理解したいのに、純粋に訊いてみたところで言葉として聞いてみたところで解らないからと言われてしまう。
 ……実際、言われてみてもなるほど、よく解らなかった。

「父。あの痛いだけの行為を父とすれば、私にも理解できるだろうか」
「……意識改革ってやつか。でもな、それこそ心の準備ってのが必要に───」
「私ならいつでも来いだが。痛かったら殴るだけで」
「柄───いや、祀瓢。そういう“心の準備”じゃないんだよ」
「そ、そうなのか?」

 抱きしめられ、頭を撫でられながら耳にささやかれる。
 少しどきっとした。けど、じゃあどんな意味なのだろう。

「余計なお世話な話になるけどな、たぶんお前はまだ、人を……ああえっと、男を好きになったことがないと思う」
「んん……そうだな。恋とか言われても正直、なにがなにやらだ」

 愛だの恋だのと璃々姉さんに言われても、まるで解らなかった。
 それでも父を慕った人はほぼ知っていて、その誰もが幸せそうだったから……憧れはあったのに。
 国のためにと血を残すことを願っては、なんともくだらない男と子を作り……まあ、子が可愛くなかったわけではなかったが。
 一度で済んでよかったと、心から言える。あれに抱かれるなど二度とごめんだ。

「こーら。氣が荒れてきてるぞ、落ち着け」
「あ……お、おお……すまない父」

 くしゃりと頭を髪ごと撫でられ、こめかみあたりの癖っ毛がぴょいんと跳ねると、不思議と心も落ち着く。
 そうだ、今は父と一緒に居るのだから。
 父はいいな、アレとは明らかに違う。傍に居て安心するし、男の中では心を許せる数少ない存在だ。
 はー……いいなぁ、父はいいなぁ。
 こうしてなにも考えず、身をゆだねても怖くないのは父くらいだ。
 一度大人の自分というのを経験していても、それだけの長い年月をかけても、結局そういった存在は父以外に見つけられなかった。
 母たちが羨ましい。
 私も最初から、父が相手であったなら、どれだけ……女性に生まれたことを喜べたのだろう。
 きっとこうして安心できることも、そういった喜びのひとつ…………いや、これは違うか。父が父で、私が娘だから得られるものだと思う。
 だったら、女性にはこんな喜びの先があるのか。
 それは……羨ましいな。

「……父。私は」
「───祀瓢」
「え? あ、はい……え?」

 私の肩に顎を載せて、父が私の耳に囁いた。
 なんだかくすぐったくて、少し面白いと感じる。まるで父にいたずらをされているみたいだと。
 母たちなら顔のひとつでも赤く染めそうなものを、私は楽しいと感じるだけだ。

「すこ〜しずつ、な……?」

 父はそう言って、はむりと私の耳を───

「うひゃあっ!? ちっ、父!? なにっ───《ぎゅうっ!》っ!?」

 驚いて逃げようとするのに、父の腕が私の体を包み、逃がしてくれない。
 それにさえ驚いた私はより強い力で振りほどこうとするのに、その力にも勝てない。

「え、え……? ち、父……?」
「祀瓢、暴れるな。してほしいって言ったのは祀瓢だろう?」
「い、いや……そうなのだが……え? ひ、丕ぃ姉もこんなことをされたのか? こんな、父らしくもなく、力任せに……《はむっ》ひゃうっ!」

 もう一度、耳が銜えられる。
 唇と唇が耳を挟む瞬間に熱い父の吐息が漏れ、耳にかかる。
 それだけで寒気のようなものが走り、押しのけたくなるのに押しのけられず、そのまま耳が、ゆっくりと、父の口で蹂躙されてゆく。

「や、やめてくれ父……! これは、なにか違う……違うのだろう……!? こ、こんなものが母たちが求めているものなわけが……! うっ、くっ!」

 暴れてみるのに、私の全力が力で捻じ伏せられるように、なんの変化もこの状況にもたらしてくれない。
 耳がぞるりと舐められ、耳たぶが軽く歯で噛まれ、やがて舌が耳の穴に入ってくると、私は……!

「う、うわっ……わぁああっ! やだっ! やめてくれ父っ! こんなっ、こんなものはっ!!」

 思い切り暴れる。いや、暴れようとした。それでもだめで、氣を使ってみてもだめで。
 けれど妙なところに意地があって、私は───


───……。


……。

 コーーーン……

「はっ……はっ……! はぁっ……はぁっ、はぁっ……!」

 半刻近く力比べみたいなものをして、結局勝てず、力も氣も使い果たした私は父にひょいと抱き上げられ、ぽすんと寝台に軽く投げられ、きしりと布団の柔らかさに迎えられた。

「は、は……はー……ち、父……?」

 強い。
 力でも氣でも勝てなくて、全力でも抑え込まれて、こんな簡単に寝台に投げられてしまって。
 父がこんなことをするなんて、と息を荒くしながら思わず見上げた先に、見たことのない顔つきの……“男性”が居た。
 父……北郷一刀である筈なのに、いつも見てきたあのやさしい顔などどこにもなく。
 もはやこれぞ父と言えるほど見飽きた、ふらんちぇすかの上着を脱いで……上を黒の布着だけにすると、きしりと寝台に膝を立て、近寄ってくる。

「っ……」

 びくりと体が震えた。
 その時ようやく解った。
 近づいてくるこの人が父じゃなく、男であることが。
 尊敬する相手に親ではなく男を見てしまい、心が震え、思わず距離を取ろうとして下がるのに、背中はすぐに壁にぶつかった。
 喉が詰まる。
 怖い。
 私は───

「《ぽむすっ》ひゃっ………………、…………? ふえ?」

 手が伸ばされ、頭に触れた瞬間、思わず目を閉じてしまった。
 しかしなにも起こらず、おそるおそる目を開けてみれば、はぁ、とため息を吐く父。

「え? え?」
「とりあえず第一段階な。……男って怖いだろ」
「あ…………、はい……」

 はい、なんて声が出て、顔が熱くなる。
 けど、怖かった。
 抵抗も出来ず、抗ってみせても押さえつけられ、軽々と自分が持ち上げられ、放り投げられてしまう恐怖。
 私はこの人には敵わないって思い知らされた気分で、体の強張りがまだ取れない。

「まずは父として見てる部分の破壊から行ったけど、どうだ?」
「どう、だ……と言われても」

 怖かった。怖かったけど……

「あ、あの……ち───…………あれ? ち……あれ?」

 なんでか、父、と呼ぶことに躊躇が生まれた。
 それ以外でなんと呼ぶ気なのかとあきれてしまうくらいなのに、どうしてか。
 もちろんそれもすぐに直ったが……

「なんとなくな。お前に意識させるなら、強い俺を見せたほうが早いんじゃないかって、そう思った」
「父……そうだとしても強引すぎだぞ……。こ、怖かったん、だからな……?」
「言ってからやったんじゃ、お前は別の意味で心の準備するだろ。それじゃあ演技にしかならない。ただでさえかつての娘を、なんて状況になってるんだ。俺だって考えることくらいあるよ」
「父……」
「女性としての幸せを知らないとか、ただ痛いだけだったとか、そんなこと言われちゃあ、背中を押した俺達だって悔いが残る。さすがに本当の娘を抱くとかは無理だからな。こんな、今でも夢でも見てるんじゃないかって状況でもなければ頷けない」
「…………なぁ、父」
「ん。どした? 祀瓢」
「……その行為は、本当に、その。丕ぃ姉のようにとろけられたり、母が笑顔になれるくらい、特別なもの……か?」
「……心の準備は必要だけど、そうだな。お前が、きちんと受け止められるなら、きっと」
「そ……そうか。…………そうか。だったら……どうしたらいい? 私はそれを受け入れたいと思う。あ、もちろん痛かったら殴るが」
「結局殴るのか……はは、まあいいか。応、受け止めてやる。男だからな」

 父は、じゃあ、と言って……寝台にあぐらを掻き、もう一度私を抱き上げると……その胡坐にすぽりと座らせ、背中からぎゅうっと抱き締めてきた。
 この時点で丕ぃ姉は父に言われ、私に「幸せになりなさい。私も父さまも、それを願っているわ」と言い残し、出て行った。
 それからは……父言うところの、心の準備とやらが始まった。
 男性の強さを意識させられ、父に男を意識してしまってから、その強さを認め、受け入れてしまうと……促され、氣を同調させ、腹を撫でられるだけでも顔が熱く、頭を撫でられれば恥ずかしく、無防備な姿にされれば体が震えるくらいどうしたらいいのかもわからなくなって、なにがなにやら動揺してばかりになる。
 それでも嫌悪感は沸かず、父という信頼する人だから体重を預けるのではなく、強き者───己を絶対的に征服してみせた人だからこそ身を委ねるという行為に、羞恥と同時に安心感も沸いてくる。
 しかしされるがままというのもなんというか納得がいかず、抵抗したり攻撃に移ってみたりをしてみたのだが、これが全て受け止められて、その上で甘やかされて。
 そんなことを夜になるまで続けてみると、

「〜〜〜……」

 だめだ。なんだこれ。顔熱い。たすけて。
 力も守りも攻撃も防御も、甘えも怒りもなんでもかんでも、全部受け入れられて、その上でやさしく包まれた。
 包まれて、しまった。
 すると、私の中にあった力強いなにかがへにゃりと曲がってしまい、力が籠められなくなってしまった。
 途中、もちろん食事をしたり厠へ行ったりもした。
 その時……父から離れているときは、それはもう漲るほどに拳に力も入ったし、氣だって充実。“なんでも出来る!”みたいにこう、無敵感というのか? も沸いてきたものだが……なぜ、なぜ父の傍に行くと顔が熱く、父に後ろから抱きしめられると力が抜けて、父の膝に乗ると……顔が、顔が緩んで……!
 い、いいのだろうか。こんな奇妙な感情に心から乗ってしまっては、私はもう私に戻れないのでは?
 いいのだろうか。感情に乗せられるままに動いてしまって、いいのだろうか。
 わわわ私は、私は私はぁあーーーーっ!!

「祀瓢?」
「ひゃふい!? あ、い、いやっ、そのっ……」

 現在、寝台の上で父に抱きしめられ、ちりちりと熱い顔をなんとかしたくてもがいていた……のだが、ぼそりと耳元でささやかれただけでもうだめだ、ちりちりがみしみしってくらい顔が熱い。たすけて丕ぃ姉! たすけて! 私こんなの知らない! なんか怖いぞこれ!
 いやそれよりも、今日一日でもぞもぞしたりぱたぱたしたり、時には暴れたりもがいたりした所為でこう、汗が……! に、匂ったりしないだろうか。父に、その、匂う女とか思われたり───い、いやだ! それはいやだ!
 いやちょっと待て汗は鍛錬の証だとか思っていた私なのになにをいまさら!
 わわ私は日々強くあるために! わわわ私! 私はぁーーーーっ!!
 そうだ軟弱だこんなもの! 強くあれ!
 思い出すのだ、獣にも負けぬと、呉にてシャオ姉さま(と呼べと言われていた)が連れていた虎をも威嚇してみせた獣の心を───!

「祀瓢」

 きゃいん。
 心の獣が腹を見せた瞬間だった。
 うわわわわやめろぉお! 腹を撫でるな顎を撫でるな包むように抱きしめながら頭を撫でないでくれ父!
 わ、私は! 私はぁあーーーっ!!
 そそそそうだなすがままなどさせるものか!
 最後まで抗ってこそ母の娘!
 ふっふふふ雰囲気で解るぞ!? 応解るとも! ここここれからあの痛いだけのあれをするのだろう!?
 ならばくるがいい! 痛ければ遠慮なく殴ってやる! ちちち父とて容赦はしないぞ!
 痛かったら───痛かったら、痛かったら───!!
 あ、あれ? や……あれ?
 父? いやあの……あの男はそんなことは……あれ?
 あぅ、あっ、いや、あの、ななななにをしているんだ父!
 これはあれなのだろう!?
 父の父をあのそのええとあれがああして……!
 ととととにかく私は断固反撃を《ちゅっ》きゃいん。
 …………じゃじゃじゃじゃなくて! なにをするんだいきなり! 接吻、じゃなくて! そういうことを言いたいのではなくて!
 大体父は《ちゅっ》きゃいん。
 ……だだだだからやめろぉ! なんか力が抜けるからやめっ……だっ、どっ、どこを触っているんだ! わわわ私の胸など触ったところで《ちゅっ》きゃいん。
 やめろぉ! 接吻やめろぉ! 心が負けそうになるではないかぁ! やめろぉ!やめっ……うわわわわどこに顔を突っ込んで! 父!? 父ーーーっ!?
 ややややめっ、なんか力が抜けてっ!
 いやそれよりもよくわからないなにかが爆発しそうで! うぅうやめっ《ちゅっ》きゃいん。……ってだからやめ《ちゅっ》きゃいん。や《ちゅっちゅっ》きゃいん、きゃいん……やめっ《ちゅー》きゃいん。
 だだだだからやめろぉおお《びくっ!》はうぅっ!? うわっ、あわっ……! あうーーーーっ!!


───……。


……。

 …………朝である。

「………」

 ああ、なんたること。なんたることか。
 殴れなかった。いやこうして言うと殴るために行為をしたみたいに聞こえるが、どちらにせよ殴れなかった。
 散々と抵抗した。立ち向かった。押しのけようともしてみた。
 けれどそのどれもを受け止められ、受け入れられ、接吻されるたびに心の中の獣がきゃいんと鳴き、その上で散々と包まれ、許された。

「………」

 寝台には血痕。私のものだ。
 確かに痛いと感じはしたのに、どうしてか殴る気など起きず。
 それどころか包まれている時間が……なんというかこう……その。
 喩える言葉を持ち合わせていないのが悔しいな、くそ。

「………」

 隣には眠っている父。
 あの男よりもたくましく立派なアレを見て叫んだりもしたが、というかよく入ったなあんなものが。
 人とは実に不思議だなぁと。
 しかし困った。ああ困ったなこれは。
 顔が緩んだまま締まらない。
 と、いうかだ。
 ……まともに父の顔が見れない。
 あの手が私を。
 あの口が私を。
 わ、私は、私はぁあ……!

「うわぁあああ…………!!」

 誰にも聞こえないような、溜め息みたいな声で、私は唸った。
 喉から息が一気に抜けるような声。聞こうとしても、きゅうう、としか聞こえなかったかもしれない。
 そんな声をあげて頭を抱えて寝台に蹲る私は、自分が裸であることを思い出し、そそくさと衣服を纏う。

(っぐ……)

 ち、父に脱がされて……父に、父に父に……!

「あぅ……あう、あうあうあうあう……!!」

 なんだろう、視界がぐるぐるする。
 顔がちりちり熱くてじんじんして、なんだかもういっそ叫びたいのに、声を出せばきゅううと息の抜けたような声が絞り出されるだけ。
 ええいこの、と眠っている父に八つ当たりでもしたくなるのに、視線をそこに向けると顔が灼熱してふりだしに戻る。
 わ、私はその……この人とどう接していただろうか。
 いや、つい昨日のことだろう!? なにを忘れることがある! これでも記憶力には自信が……! じ、自信が……!

「〜〜〜〜〜っ!!」

 なにかしら過去のことを思い出そうとしてみれば、眠る前のことを思い出して灼熱。
 ほ、ほわっ……ほわー! ほわぁあーーーーーっ!!
 さ、叫びたい! なんだか叫びたい! 黙っているのが辛い!
 でも叫ぶと父が起きてしまうし、どうしたとか訊かれたら答えられる気がしない!
 くそう父め! 幸せそうな顔で寝おってぇえ……! 幸せっ……し、しあっ……!

「………」
「…………《じー》…………《ボッ》ひゃうっ」

 じーっと見てたらまた顔が赤くなった。
 ぁあああけど父の顔、見辛かったのに見てしまうとこんなにも……!
 あ、あの顔が近づいてきて、私の口を口でふさがれるたびに、私の中の何かがぐにゃぐにゃにほぐされていって、わわわ私は私はあうあうあう……!

「……!《ハッ!》」

 いや待て、今じゃないのか?
 こんなよく解らない状況……あの、どこかポーっとしていた丕ぃ姉を思い出すに、今こそあの時の丕ぃ姉の真似をすれば、顔がとろけたりとかするのでは!?

「…………《ご、ごくっ》」

 ま、まずは……その。ふ、服の端っこを抓むところから……こう。

「……《きゅっ》」
「……すー……すー……」
「…………〜〜〜〜っ……!!」

 あれ!? なんだこれ! あれ!? なんだか知らないけど心があったかくなっていく!
 それに引っ張られるみたいに心の内側が父に抱き着きたくなって、自分の内側から飛び出そうとしているみたいな錯覚を覚えて、それを押さえつけようとすると心が“きゃーきゃー”騒ぎ出して、落ち着いてくれない。
 い、言うことを聞けこのっ! 私は今まで自分は完璧に律してこれただろう!
 遊びだって食欲だってそうだ! 怒れば素直に誰が相手でも拳を振りかぶったし、あ、いや、もちろん孟徳母さまにそんな大それたことをしたことはないが、母にだって父にだってやったことはあって…………あ、いや、父には軽く逸らされて、その上でこう、ぽすんって抱きしめられて、あ、あ、頭を撫で、ななな……! うわー! うわぁああーーーっ!!
 なにをやっているんだあの頃の私! 何故堪能しなかった! 子供じゃないとか言って振り払ったりして! 阿呆か! 阿呆なのか!
 ぐううっ! それを考えると、丕ぃ姉に場所を譲ってもらってまで足の上に座っていた私は……!

「〜〜〜《かぁあああああっ!!》」

 もうだめだ涙出てきた恥ずかしい死にたいでも嬉しい無くしたくない。
 こ、これか。父が言っていた心の準備というのは、これのことだったのか。
 なるほど、これが恋というものなら……人を想うということならば、私は確かに準備など出来てはいなかった。
 だが、だが待て、これにおぼれるのは少々軟弱なのではないか?
 色恋に夢中になって鍛錬を疎かにしてしまうようでは、武人として母に顔向けが……あ、いや、母は両立させていた……のだよな? 私を産んだし、戦もしていたそうだし。
 ……………………ふむ。

(母に出来て私に出来ない道理はないなっ!《どーーーん!》)

 そうだな、そうだ、そうだとも、こんな気持ちも鍛錬の糧にしてしまえばいいんだ。
 そそそそうだな、そうだともさ! たくさん強くなって、父にいいところを見せて、こう、ほら、その、なあ? ほ、ほめてもらう……とか。…………《ボッ!》

「───! ───っ! 〜〜〜っ!!《じたばたじたばた!》」

 寝台に転がり、ばたばたともがいた。
 だだだだめだ! 頭がうまく働いてくれない!
 そうじゃないだろう! これまでの私はこうじゃなかっただろう!
 何故だ! 何故判断基準のすべてが父になっている!
 このままではいけない! 打ち勝て! 打ち勝つんだ祀瓢!
 恐れずして立ち向かえ! 真正面から打ち下してこそ黄一族が娘!
 そ、そう! 真正面から! 真正面───ま、ままま……!

「………」

 ごくり、と喉を鳴らしながら、横向きで寝ている父を見る。
 穏やかな表情で寝ている。
 ふ、ふふはっ、ふはははははは! やはりそうだ! いくら父が強かろうと眠っていれば無防備!
 いいぞ、私の中で答えが固まってゆく!
 父は弱い存在として《がばぁっ!》

「ふきゃーーーっ!!?」

 突如、父が腕を広げて私の頭と体包み込み、無理矢理布団に引きずりこんだ。
 やめてとか言う暇もない。
 でも言わなければ! しかし言わなければ! だが言わなければ!
 言って、起こして、そして拳のひとつでも振り被って、隙のない父に簡単に押さえ付けられれば、この軟弱な考えも吹き飛んで、立派な父に負けぬよう鍛錬をしようという意欲が───!

「〜〜〜! 〜〜〜〜っ!《むぎゅー!》」

 近い近い近い! あと父、裸のまま!
 汗が乾いた父の素肌が私の肌にさらりとこすれ、父の匂いが私を包むと考えていたことが一気に吹き飛んで、暴れようとするのに力が抜けて……う、うあ、うぁああ……!
 い、いやっ! ここで負けてはいけないだろう!
 寝ている相手にさえ負けるなど、母の娘として情けな───

「ん、んむゅ……祀瓢……《ぽそっ》」
「───」

 ぎゅー、と抱き締められ、耳元で真名を囁かれた。
 だめだった。
 力が完全に抜けて、心がきゃいんと鳴いて、視界がじわりと滲んで、頭が灼熱して、なにも、いや、父のことしか考えられなくなって───





-_-/北郷一刀

 ……さて、早朝を過ぎ、朝である。

「ふっ! せいっ! はぁあっ!」
「よっ、とっ、ほっ……! あーもうっ、相変わらず攻めづらいなぁ、その手甲……! ていうかご主人様いつ疲れるの!?」

 現在、中庭にて蒲公英と鍛錬中。
 実戦形式で組手をしている。
 もちろん蒲公英もレプリカとはいえ槍を使っているから、リーチ的には圧倒的に不利なものの……これも鍛錬の賜物ってやつだろう。左慈の、アホみたいな速度の蹴りや、これまで散々と付き合ったり付き合ってもらったりしたみんなとの鍛錬の成果か、どのタイミングで踏み込めばいいのかも体が覚え、突き、蹴り、裏拳の順に攻撃を仕掛けては、しかし避けられる。
 相手の攻撃? 手甲でしっかりだな。ほら、逸らしたり、いなしたり。
 懐かしい空気と景色と空の下での鍛錬も手伝ってか、様々な記憶と経験が体に馴染むのも中々早いもので……といってもやっぱりそれなりに時間はかかるが、仕合をしていると嫌でも体が思い出してゆく。なにせあの頃の各国の皆さま、どの記憶の中ででも実践大好き人間だったため、説明で“この瞬間にあぎゃんやってこぎゃんやってぎゃーんやるギンよか”とか説明だけで終わらせてくれる人、居なかったし。
 だからこうして戦ってみれば、体が“教えられたら今すぐ覚えろ会得しろ! じゃないと死ぬぞ!”とでも脅迫されているかのように、かつて教えられた物事を吸収していくのが解る。
 それを理解した上で答えよう。
 いつ疲れるのか? ……人生に疲れた時くらいじゃないでしょうか。

(───構え、蹴り───!)

 やられ、脳裏にすっかりこびりついている左慈の鞭のようにしなる居合蹴りを真似て、蹴りを放つ。
 氣が十分に乗り、間接ごとに加速して体重移動も完全に成功した上、同時に行使した足の後ろで爆発させた氣が蹴りの速度を加速させ、空気の抵抗を失くすために風の流れを氣で作っていた部分にそれは乗り、異常な速さで繰り出されたソレはしかし、咄嗟に距離を取った蒲公英にあっさり躱されてしまう。

「うひぃっ!? ちょっ……ご主人様あぁっ!? いまっ……今のなに!?」
「へ? なにって……蹴りだが」

 つか痛い! 銅鏡の数だけ分かれた自分の意識を利用して、氣の同時使用も分割して最高速度を叩き出したまではよかったけど、こんなのいつかの加速居合の失敗と同じだ! 振り切らないと股関節が死ぬ!

「蹴り!? えっ!? けっ……!? むむむ無理無理なに今の! あんなの当てられたらいくらなんでも大怪我するってば!」
「簡単に避けてたじゃないか」
「たまたまだから! 距離取って勢いつけて攻撃しようって下がったら、なんか避けられただけだから! 〜〜……ていうか、今そうしなかったら、今頃……!」
「?」
「うわー……ご主人様全然自覚とかなさそ……。日本の道場でもそうだったけど、ご主人様、氣が安定してきてから動きが鋭くなってない?」
「ん……そうか? 自分じゃいまいち解らないんだよな……。今の蹴りだって、左慈の方が速いだろうし」

 あいつの蹴り、ほんと危なすぎだからなぁ。
 クリティカルヒットとかしたら本気で首とか折れそうだ。
 なのに組手になると本気で殺しにかかってくるから笑えない。そりゃ、死に物狂いで体捌きも身に着けるよ。

「力に溺れないで鍛錬出来る人って、それで十分って思えないから厄介だって昔、お母さまが言ってたっけ……。その分だけ上を目指せるけど、上ばっか見てるから足元を掬いやすいって。でもあのー……お母さま? この人、下も十分に見まくってて掬うのがとっても難しそうなんだけど……」
「蒲公英?」
「あ、えと、ななななんでもないよご主人様っ、それより続きやろ続きっ! あ、でもさっきの速いのは無しで!」
「え……でもな。じゃないと俺の攻撃当たらないだろ」
「当たったら死んじゃうから! 死ななくても大怪我するからぁっ! たんぽぽたち、ご主人様みたいに攻守の氣を同時にとか氣を分割して同時使用とかできないから!」
「蒲公英ってたまに面白い冗談言うよな」
「あれぇ信じてくれない!? ちょっ……ご主人様ー!?」

 俺が出来る程度の氣の行使が、みんなに出来ないわけがない。
 精進しなさい北郷一刀。
 攻守の氣が俺だけのものじゃなくなった今、みんなは俺以上に鍛錬をしてもっともっと強くなる。
 それを見守るだけじゃだめだ。
 約束したのに消えることしか出来なかったあの悔しさを思い出せ。
 次は必ず、守っていくために。

「よしっ! 来てくれ蒲公英! 全力で挑戦させてもらう!」

 いつかやっていたように、自分の氣を限界まで外に放出、繋げたまま留まらせて、自分を包み込むように安定させてから瞬間錬氣。それを七度繰り返して、氣の皮膚を作り上げる。
 こうしておけば体内に必要になった分は繋いだままの部分から流れ込んでくるし、錬氣をして時間を食うこともなくいつでも使用出来て、しかも纏っている分防御力も上がる。
 使えば使うほど防御力がなくなるってことだけど、そんなものは錬氣する隙を考えればこっちのほうが全然いい。
 隙は出来るだけ殺していかないとだ。
 氣を体に纏ってるから、氣で地面を蹴れば単純動作で一気に間合いを詰める疾駆も可能だし、ひとつになった意志の数だけ分割した氣の行使も可能。ここまで後押しされて、ようやく将のみんなに敵うかな? と首を傾げられる程度。だと思う。だってみんなも御遣いの氣を持ってるんだし、慢心は敵だし。

「ね、ねぇご主人様〜? あのー……今まで詳しく訊かなかったけど、そんな鍛錬を、たんぽぽたちが鍛錬に付き合えなくなってからも、ず〜〜〜っと……?」
「ん? あ、あー……そうだな。結局は氣しか鍛えられなかったから、あとは状況に応じてどれだけ動けるか〜とか、どれだけ氣に関することでの自分の中の常識を破壊して、好き勝手に行使出来るか〜とか」
「な、なんでそこまで……」
「? 守りたかったから……だけど」
「───……」

 当たり前だろって感じで答えると、蒲公英が停止。
 なんでか俺を呆然と見たまま、けれどすぐに目をごしごしと腕で拭って、槍を構えた。

「ご主人様って、馬鹿だね。もう、ほんと……! 行くから! ぶつけるから! なんか急に暴れたくなったから!」
「へ? あ、うん? よろし───……応!!」

 少し赤くなった目で俺を睨むように見つめる蒲公英に、俺も手甲を構え、具足で芝生を踏みしめ、地を蹴った。
 氣による常時加速攻撃を技としてふるったいつかは過去に置いていく。
 振るう度に漲らせるのでは体にも氣脈に負担をかけるし、やっぱり瞬間錬氣を使っても時間はかかるのだ。
 やればやるほど氣脈も細るし、それだけ生命エネルギーのようなものを絞りだすのであれば、体が悲鳴を上げるってもんだ。
 だから纏い、絞り出すのではなく“そこにあるもの”として行使する。
 やっぱり最初に絞り出さなければいけないものの、その後に負担をかけなくてもいいのはいい。
 ……やっぱり準備に時間はかかるけど、ようするに常に戦闘態勢でいれば問題はないのだ。
 それどころか、日を重ねるごとに纏う氣の密度が増していくわけで。
 なんだ、いいことしかないじゃないか! ……と気づいたのが少し前。
 準備に手間取るなら、常備しておけばいいのよ!

「はっ!」

 蒲公英が槍を一閃。
 点がそのまま俺を突こうとするも、それを氣を宿した目で凝視して、手甲の湾曲部で滑らせるようにして外へと弾く。
 その動作そのままに踏み出された足の分、接近した身を捩じって加速。盾のように構えた左腕の手甲を発射台に見立てるように、矢を放つ際に弓をずらすように、開けた視界目がけて目一杯の“鈍”を加速させ、突き出した。

「《じょりゃあっ!!》しひぃいっ!?」

 しかし、それは咄嗟に顔を逸らした蒲公英にあっさり躱される。

「ごごぉおおごごごご主人様ぁっ!? 今遠慮なく顔! 顔狙ったでしょ!?」
「え? いや……やっぱり避けられるだろうなぁって」
「そりゃ避けるよ!? 避けなきゃお嫁にいけない顔になっちゃうから!」
「ははっ、またまたぁ」
「ご主人様ちょっと待ってご主人様ぁっ! ご主人様絶対なにか勘違いしてる!」
「勘違い? なにが? ……あ、もしかして今攻撃を避けたことか?」
「そうそれ!」
「………」

 勘違い。
 いや勘違いってそんな、全然してないぞ?
 むしろ当てるつもりで放ったのにあんな紙一重で避けられて、ああやっぱりかって相手の強さに納得してしまったくらいだ。
 ていうかまあ、当たっても氣がクッションになるから、吹き飛びはするけど風が衝突した、くらいの衝撃に触れる程度だろうし、お嫁にはきちんといける。ただうん、ほんと吹き飛びはする。

「……もしかして、紙一重で避けたって思ってたさっきのは───」
「そ、そう! それのこ───」
「───実は避ける必要もないくらい軟弱だったのか……!!」
「ちっがぁああああああう!! え、や、ちょ!? ご主人様!? なんでそうなるの!?」
「思えば集中も加速も完全じゃなかった気がする……蒲公英、あの一瞬でそこまで見切って……!」
「ね、ねぇ? ご主人様? ねぇ? 話聞いて? ね? ごしゅっ……ご主人様!?」
「そうだよな……何十年も鍛錬を続けても、油断と慢心を突かなきゃ左慈に勝てなかった俺が、御遣いの氣を手に入れたみんなにそう簡単に届くわけが……! よ、よし蒲公英! このまま頼む! 胸……貸してくれ!」
「たすけておねぇさまぁあああああっ!!」

 なんか蒲公英が叫んでたけど、油断なく構え、立ち向かった。
 ハテ、この状況で助けて? …………え? もしかして俺、蒲公英の腕じゃフォロー出来ないくらいにダメダメなのか?
 ……ショックだ……! だ、だめだな、だめだ、こんなんじゃ。もっと強く、しっかりしないと……!

  ……と、こんな鍛錬を蒲公英としているのには理由がある。

 元々は朝を迎え、俺の腕の中で真っ赤になって気絶している祀瓢を発見してから始まったことだったのだが。
 いや、まあ気絶云々はこの際どうでもいい。
 問題なのは、目覚めた祀瓢が俺を見るなり「ぴやぁあああっ!?」って聞いたこともない悲鳴をあげて、逃げ出したこと。
 かつてない速さで部屋を飛び出し、呆然としている俺なんぞ置いてけぼり。
 しばらくして我に返った俺が、服を着て朝食を摂って、中庭でいつもの運動をして……と、そこまで来たところで違和感。
 視線を感じたのであたりを見渡せば、通路側の大きな柱の陰からじーっとこちらを見つめる、華煉と祀瓢を発見。目に氣を込めて見てみれば、顔が真っ赤でぽーーーっと熱にうかされたみたいな顔をしていた。
 風邪でも引いたのかと慌てて駆け寄ってみれば、『ぴやぁあああっ!?』と、二人して逃げ出す始末。

  ……え? 俺、なにかした?

 娘に悲鳴をあげて逃げられたことが思いの外ショックで、しょんぼりしながら運動をしていると、また視線。
 見てみれば、また柱の陰からこちらを見つめる目、四つ。
 どうしろっての。
 と、そこへ丁度蒲公英がやってきて、二人に後ろから声をかけたら絶叫。
 二人して慌てて蒲公英から距離を取って、後ろを見ながら全力で走っていたため俺の立ち位置には気づかず、どすんと衝突。
 勢いのままに倒れそうだった二人を即座に抱き寄せた瞬間、二人は悲鳴をあげて…………気絶した。
 「……ご主人様ぁ、今度はなにしたの?」とは蒲公英のセリフである。
 いや、そんないつもなにかをやってるみたいな言い方やめてくださいません? 俺、ただ普通に生きているだけだよ?

  まあともあれ、あれだ。

 気絶から復活した二人から話を聞いてみれば、なんかまともに俺の顔を見られなくなってしまったらしい。
 主に乙女的恥ずかしさで。……はい蒲公英さん、そこでニヤリと微笑まない。

「むふふへへへへぇ〜……! そっかそっかぁ、ご主人様、とうとう娘に手を───」
「蒲公英、鍛錬を手伝ってくれ」
「え?」
「華煉も祀瓢も。一緒にやらないか? 恥ずかしいのはまあ、俺もだし、照れもある。そういうのは体を動かして吹き飛ばそう。な?」
「ふえっ、あのっ……わ、私は見ているだけで……!」
「…………《ふるふるふるふるふる!》」

 顔を逸らされ、見ているだけでいいと華煉に言われ、祀瓢にはめっちゃ首を横に振られた。目は合わせないまま。
 ……ショックだった。

「ていうかご主人様ー? 初体験したばっかの女の子に運動しようとか無茶もいいところだよ? まだきっとほら、異物感、残ってると思うし」
「!? !?」
「《ぼかぼかぼかぼか!》いたたたったたたたた痛い痛い! 柄ちゃんやめて! ていうかせめてなにか喋ろうよ!」
「〜〜……《ふしゅううう……!!》」

 ……うん。祀瓢がさっきから一言も喋らない。悲鳴はあげたけど、喋らない。

「あ、の……と、とう……さま」
「お、うん、どうした? 華煉」

 もしかして嫌われたのだろうかとか、少しずつな、と言いながら、俺は急ぎすぎてしまったのだろうかと考えていると、おずおずと小さく手をあげた華煉が、声をかけてくれる。
 それだけで嬉しいって、どれだけ娘との間の愛情に不安を抱いているのか。
 だ、だってしょうがないだろ! 男親なんて、いつだって子供から親への感情に不安を抱いているもんだと思うぞ!?

「あの……柄は、その……父さまに、乱暴な口調の自分の言葉を聞かれたくないとかで……」
「え? そうなの?」

 つい本気できょとんとした顔と言葉を出してしまった。
 やめて蒲公英、笑わないで、今自分でかなり恥ずかしい。

「は、はい……先ほど急に部屋に来て、父さまに関することを訊いてもいないのに話されて……そ、それで、聞いていたら私もなんだか意識してしまって……! ご、ごめんなさい父さま、異物感は、その、嫌ではないので、どうか消えてしまうまで激しい運動などは遠慮させてください……。消えてしまうまで、大事に心に刻んでおきたいのです……」
「………」

 マジですか。
 いやマジなんだろうけど……そんな真っ赤な顔で、目を潤ませてまで言われても。

  ……と、いうのがことの始まりだったわけで。

 ようするに静かではあるが、二人とも鍛錬の様子は見ていた。
 ちらりと東屋側を見れば、その斜面の芝生に座りながらこちらを見ている二人。

「……慢心しない父さま……わ、私も見習おう……えへへ《ぽー……》」
「うぅう……ち、父……父を見ていると胸が、顔が……! た、鍛錬はしたいが、乱暴な立ち回りなど見られたら私は……! はっ!? い、いや、女の子らしくなるんだ、口調には気をつけて……! え、えっと、えぇっと……! そ、そうだ、服も……! 父はどんな服が好みなんだろうか……昔、露出が多い服を着てみようとしたら怒られたことがあったから……!」

 ……なんか、東屋の傍の斜面に座る二人だけ、とっても赤いんだが。大丈夫なのかほんと。

「ところでご主人様ー? もうあの黒い木剣は使わないのー?」
「いや、今日は手甲でって思って。せっかく真桜がまた作ってくれたんだ、使わなきゃもったいないだろ」

 かつて左慈戦のために使った篭手……まあ手甲か。と、具足は、古の武具として都に献上するかたちで保管されることになった。日本に置いてきたのを国のお偉いさんが届ける形で。いや、あれ一応純粋に過去の時代で作られて、この時代にタイムスリップしてきた世にも珍しすぎる物体だからね。ある意味で価値は相当だよ。デコボコだけど。
 で、回収に行った李さんによれば、あれにも黒檀木刀と同じく氣脈が出来ていたらしく、そんなことを言われてしまえば出来れば手元に欲しかったんだけど……まあ、言った通りデコボコに砕かれちゃってるし、溶かして鍛ち直すとしたら氣脈も溶けるって真桜に言われたから、どうにも出来ない。そうなれば献上するしかないでしょう。
 ほんと冗談抜きであの時代のものだと言えるものなんて珍しいし、むしろそっちに目が行ってくれたお蔭で、木刀を献上してくれとか言われなくて本当によかった。
 氣脈が出来た武具としての価値も認められての献上だったから、冥琳の話だと木刀も献上してくれって言われやしないかって……結構危なかったらしい。
 黒檀木刀なんてこの時代にはありふれたもの……まあ値段はありふれたものじゃあないけど、過去の技術で作られた武具に比べればありふれたものだ。
 その差もあったんだろう。大体俺以外の氣が馴染むことは無いらしいしね。あ、いや、普通の氣と御遣いの氣さえ混ざってればいいのか? ……ああなんだ、結局俺限定じゃないか。みんな、氣をひとつにしようとしないし。

「ところで蒲公英? 華煉が言っていた助平のことで、ちょおっと個人的に話があるんだが」
「あっ、ご主人様っ、たんぽぽ仕事があるの忘れてたっ! お姉さまにどやされちゃうっ! すぐに戻るねっ!?」
「待たれよ」
「《がしぃっ!》ごごごごごめんなさいご主人様ぁああっ!! でもでもだって、子桓ちゃんてばご主人様関連のことだと言ったこと全部鵜呑みにするから! ちょっとさすがに信じないだろうってこと言ってみたくなっちゃってぇええっ!」

 逃げ出した蒲公英の襟首をオートで加速した速度でガシィと掴むと、そのうなじに触れてゾゾォゾルゾルと氣をくっつけて冷たい怒気を流し込んでゆく。
 自分の氣と御遣いの氣とが混ざっていない蒲公英はすぐに氣を乱され、ぺたりとその場に座り込んでしまう。

「まったくの八つ当たりだけど、いろいろな事情が重なって、一人の恋に夢見る少女の殺し文句が最低最悪のものになったんだ。罪悪感がすごいから、とりあえずへとへとになるまで鍛錬に付き合ってくれないか?」
「たっ……たたたたんぽぽのなにがどう影響したのかは知らないけど、八つ当たりっていうならたんぽぽ関係ないんじゃないかなぁ……って」
「そうか。じゃあえーと……こほんっ。蒲公英よ、そちの助平発言により、朕は大変迷惑を被ったでおじゃ。王として命じるぞよ。───鍛錬付き合え」
「えぇえええっ!? なんかいろいろ驚いたけどご主人様の王に対する印象ってそんななの!? ていうかどうせやるなら最後までやろうよ!」
「さーぁ最初っから御遣い級の鍛錬から始めるぞー? 御遣いの氣があるんだから蒲公英だったら余裕だよなー♪」
「だからご主人様はもうちょっと自分の異常性に向き合ってみたほうがい《グィイずるずる》ぃいやぁああああっ!?」

 蒲公英を引きずり、柔軟から始めてランニングに移り、氣のみで体を動かす方法から氣を全部対外に出したあとに錬氣する特訓に移り、ともかくこれでもかというほど鍛錬を《ドシャアア……!》……蒲公英が気絶した。

「た、蒲公英どうした! 蒲公英!? たんぽぽぉおーーーっ!!」

 しかしこういう時には慌てない。
 蒲公英の手を握り、自分の氣の色を変化させながら蒲公英に流し込めばはい覚醒。

「ん……はれ……? た、たんぽぽどうして───」
「わ、悪い蒲公英、ちょっと飛ばしすぎたな」
「あ……ご主人様。あ、うん、いきなり枯渇するまで放出とか無理で───」
「だからまず氣脈を拡張しよう」
「ゴッ……ゴシュジンサマ? なにが“だからまず”なのか、たんぽぽまるっきり解んナイ……」
「大丈夫大丈夫、俺なんかでも超えられたんだし、みんななんてあっさり乗り越えられるって」
「……ね、ねぇご主人様? よくわからないけど、それやったらご主人様はどうなったの?」
「え? 一番最初はなんか空から天使が迎えにきたり」
「たんぽぽ帰る《がしぃ!》離してご主人様!」
「あとは爪が全部剥がれても気にならないくらいに衣服を掻きむしってベッドでのたうち回って気絶して……とか?」
「たすけておねえさまぁああああっ!! たすけてぇえええっ!!」
「大丈夫だって蒲公英っ、俺がアレで済んだなら、あの時代を生きた蒲公英たちなら余裕で乗り越えられるって!」
「ののの乗り越えられなかったら!?」
「え……そうだな。半端に意識を保つように訓練されてるところがあるし、気絶出来ないの地獄の苦しみを味わい続けることに」
「帰るぅううっ!」
「待たれよ」
「《がしぃ!》離して! 離してぇええっ!!」
「解った悪かったもう言わないから! 〜〜……ていうかほんと、蒲公英たちなら楽勝だと思うんだぞ? 俺が言うのもなんだけど」
「ご主人様はたんぽぽたちのこと絶対に誤解してるから! 確かに魏の夏侯惇とか呉の孫策とかなら軽くやっちゃいそうだけど、そんなの絶対無理だってば! やるならあの脳筋にやってよ!」
「………」
「あ、華雄じゃなくて」
「ん……すまん」
「あ、ううん……なんか、焔耶以上が居るとか、あの頃も正直驚いたし……」
「まあ……長く付き合ってても、やっぱりそう思うよな……。いろんな外史の記憶がくっつけば余計に」

 自分の中の自分達が、それぞれの国の脳筋を見て“すげぇ……あ、でもウチの○○○ほどじゃないや”と思う中、それでも華雄以上はそうそう居ない。
 え? 春蘭? いや春蘭は脳筋じゃないよ? 春蘭は脳華琳様だから。行動の基準に華琳が居るから、華琳に止められれば止まるし。
 焔耶だって桃香に言われれば止まるよ? 雪蓮や祭さんだって、脳筋というよりは戦好きで、冥琳に言われれば止まるし。
 本当の脳筋というのはね、北郷たちよ……いいかい? 本当の脳筋というのはね? そこが開けば本気で自分の陣営がヤバイってのに、とある関門をどかーんと開けて突撃するようなお方のことを言うの。
 確かに理由はあったかもだけど、それで味方巻き込んじゃだめでしょ。
 でもそんな彼女も自分を侮辱されるよりも大切に思えることができたようで、いつからか随分と落ち着いたもんだっけ。
 今は他の外史の自分と重なった所為で、いろいろ葛藤もあるんだろうけど……そこは俺も同じか。
 随分馴染んだし、お蔭で氣の分割使用なんてものも出来るようになったけど、それでも整理しきれないものはいろいろあるのだ。 
 というかほんと、他の北郷一刀の意識がこれっぽっちもなかったなら、もう血が繋がってないとはいえかつての娘を抱くなんてことは絶対になかったんだろうなぁ。

「ところでさ? ご主人様」
「ん、なに?」
「明確な敵が居るわけでもないこの時代で、まだ鍛錬を続ける意味ってあるのかな」
「俺のはもうあの頃じゃ鍛えられなかった部分を昇華させたいっていうのと、やっぱりみんなを守りたいって思いからかな。日課っていうよりは、自分が腑抜けにならないための行動でもあるな」

 なにかをやめてしまうのなんて簡単だ。
 ただ、それをしてしまうと立て直すのにはとても時間がかかる。
 なにせ、蒲公英の言う通りこの世界じゃ強くなる意味がほとんどないのだ。
 そんな事実がある以上、“それは無意味だ”を世界にこそ永遠に囁かれ続けているような状態だろう。
 けどだ。
 やりたいって思っているからやる。なにかのきっかけ、突端なんて、そんなものでいいんだと思う。
 自己満足だーなんて言われても、世の中のなにがそうじゃないんだって言ってしまえる。なんだったら趣味として扱ってくれてもちっとも構わない。
 “敵”に向けてこれらを振るうことは、きっと二度とないのだとしても。
 ……まあほら、仕事にはなるんだろうし。
 道場を続けるにしたって、師範が弱いんじゃ格好つかないだろ。なんとなく。

「そんなわけだから鍛錬に付き合ってくれ」
「氣脈の拡張? とかいうのをやらないんだったらべつにいいけど……」
「ああまあ、べつに強制してどうこうなるようなものじゃないからなぁ」

 いろいろ言いはしたけど、あればっかりは個人の意思でいいと思う。実際痛いし。気絶したし。
 そんなわけで鍛錬を続けた。鍛錬っていうか、組手……仕合……まあ、いろいろ。
 もちろんぶつかればぶつかるほど俺の氣の皮膚は薄くなっていって、あとになればなるほど氣が散って、氣で体を動かすことに慣れていた体が次第に鈍くなっていって、長く続けていれば歩く誰かが鍛錬現場を発見、儂も混ぜろ次はワタシがと賑やかになるというもので。
 いやあの!? 俺もうだいぶ疲れててっ……! 瞬間錬氣ももう7回使っちゃったし、自然に錬氣するのはもうキツいかなーって……え? いいから構えろ? ですよね!?
 その後、ものの見事に戦好きの武将らにとことん付き合わされ、ちっとも終わらない仕合地獄に、“ほら見ろやっぱり俺の鍛錬なんて生易しいもんじゃないかー!”と絶叫したくなる衝動をなんとか抑えた。
 でも続ける。だって嬉しいし。
 途中、祭さんと祀瓢が話し合っているのを見かけたが……ずっと見続ける余裕なんぞあるわけもなく。
 ただ、ひどくしおらしい祀瓢に、祭さんが本気で驚いて───けれど、その頭をやさしい笑顔で撫でていた光景は、意地でも心のフォルダに焼き付けておこうと思った。
 うん、祀瓢。
 今度、服屋にでも着てみたいと思う服を見に行こう。
 そこで思う存分、かつては出来なかった女の子としての楽しみ方を噛みしめていくのもいいと思うんだ。
 だから……だ、だからっ……とりあえずまずは、この状況を五体満足で切り抜ける努力を……!
 ちょ、春蘭!? 今俺疲れてるから加減を……! え? だめ? ちょ待って! そんなの全力で振るわれたらいくらなんでもっ……! いやぁああ! たすけてぇええっ!!




ネタ曝しです。 *この瞬間にあぎゃんやってこぎゃんやってぎゃーんやるギンよか  南国動物楽園奇談……だったっけなぁ。  もはや覚えていないですが、その中でどこぞのおばちゃんが言っていた言葉。  こん道ばあぎゃん行ってこぎゃん行ってギャーン行くギンよか、的なこと。 ◆あとがき的ななにか  久方ぶりにございます、凍傷です。  最終更新日が去年の6月ってね、もうなにをやっているのか。  ええ、俺ガイルにハマっておりました。SS漁りの日々に、書くことよりも読むことを優先させた結果がこの有様にございます。  10月には我慢出来ずに書く方にも乗り出し……ええほんと、二度と二次創作なんてー! とか言ってたくせに、書いてました。  それから約五ヶ月間、約100万文字を書き出して割と満足したので復帰いたします。  書きたい衝動を抑えてそのままギャフターを書こうとしても、気が散ってろくに進められなかったのです……ごめんなさい。  なのでピクシブにて、“大盛たこ焼そば”名義で書いてきました。途中から“凍傷”に戻しましたが。  調べてみたら合計132万5486文字。  えー、ギャフターが330万ですから……3分の1程度ですかね。  ギャフターの執筆期間を考えると、なんかアホみたいな速度でゴリゴリ書いてたってことですね。  現在は英雄譚をやりながらの執筆となっております。蒲公英の印象が思い切り吹き飛びました。幼かったお子がいきない大人になったみたいな印象。  あ、それと多少やってみての、改めての結論ですが。  英雄譚で追加されたキャラを出す予定は一切ないので、ご了承ください。  いえほんと無理ですから! これ以上キャラ増えたら死んじゃいます!  なんだかんだでやっぱり苦戦した柄の真名ですが、とりあえず祀瓢で。  曹丕=華煉/かれん  孫登=好蓮/はおれん  劉禅=桜花/おうか  黄柄=祀瓢/しひょう  柄については“祀”の文字は絶対に入れようと思い悩んで、なんというか女の子っぽい名前が浮かばないなぁと苦労しました。  祀乃(しの)とか祀呑(しのん)とかも考えましたが、それってSAO思い出しちゃってアレでしたし。  だったらもう呑むって部分から瓢箪でも連想して、それとくっつければ? と、祀瓢。  祀の文字を見るとモンハンの祀導器を思い出すのは僕だけ……でしょうね、はい。  英雄譚で娘たちの真名が一切出なかったのは、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか……。いえまあ情報として聞いただけなので、まだまだプレイして楽しまねばですが。  そんなこんなで大変お待たせしました、番外の9です。  3月になったらあげられるかも! とか言っておいて、とうとう最終日ですよなにやってんですかねもう。  とりあえず復帰第一話ということで2万8千文字あたりで。  次からは小刻みに……いけたらいいなぁと。  それではまた4月に。  エイプリルフールどうしましょ……今から書いても間に合わないような……。 Next Top Back