40/笑顔が見たい

 ある日の建業。
 城の中庭で準備運動がてらに始めた、左手のみの木刀の扱い方【応用編】を終わらせた俺は、鍛錬を手伝ってくれた思春と昔話をしていた。
 何気なく口に出た誰かのためとか自分のためとか、そんな言葉をたまたま深く考えてみようと思ったために、こんな話題が出てきた。
 起源、なんてものが自分の人生のどこから始まったものなのかーなんて、解りそうにもないことを延々と話しては、“貴様について知る必要のあることなど何一つとしてない”とか一息で言われたんだが……意外なことに、きちんと最後まで聞いてくれた。
 そもそも鍛錬に付き合ってくれること自体が驚きだ。そう思いながら、呉に来てからのことを思い返してみるわけだが、思春が付き合ってくれる理由らしき理由など見つかるはずもなく。まあ、なんだろう。やっぱり気になるわけで。

「なぁ思春。鍛錬とか話に付き合ってくれるのは正直に言って嬉しいんだけど……どうして付き合う気になってくれたんだ? 俺、どっちかっていうと嫌われてるんだと思ってたんだけど」
「………」

 ……あれ? なんだか“なにを言ってるんだこの馬鹿者は”って顔をなさってる?

「国に尽くそうとする者に対して、話も聞いてやらぬ者が、いったい国に対してなにをしてやれる。やり方はどうあれ、貴様は呉に尽くそうとしているんだろう。それに───」
「それに?」
「…………いや、なんでもない。続きを話せ」
「?」

 昔話の続きを促す思春は、木に背を預けながら自分の右手を見下ろして、一度だけ「……フン」と言うとそっぽを向いた。
 そんな仕草でさらりと流れる長い髪の毛や、落ち着いた雰囲気の庶人の服が、これで結構似合っていた。
 動きづらくないのかと訊ねてみても、「貴様相手ならばこれで十分だ」と言われる始末で。この世界に在って、今さら男は女より強いなんて言うつもりもないけど、それはそれで寂しかったりした。
 そんな彼女と対面するように胡坐をかいている俺は、前までだったら見えてしまっていたであろうFUNDOSHIに目を逸らす必要もなく、にこやかに話を進めることができた。

(けど───右手か。怪我でもしたんだろうか)

 綺麗な手を見ていると思春に気づかれ、彼女は顔をほのかに赤くして……またそっぽを向いた。
 赤くなるようなことをした覚えはないんだが……右手? 俺が思春の右手に関係することっていったら、あの日に握手したことくらいだろ?

(…………解らん)

 気にしないことにして、話を続ける。
 正義への疑問を通りすぎて、日々の中で疑問に思ったことや、自分が天の国でどんな生活をしてきたのかとか、無駄な話から真面目な話まで。……なんだけど、なかなか難しいもので。自分では可笑しかったはずの話も、思春は静かな眼のままに聞いていた。
 話して聞かせた言葉が右から左へ流れて行くわけでもなく、雪蓮に言われた“思春の表情を豊かにする”って言葉をそのまま実行に移しているわけでもないんだが、どのみち思春は笑わなかった。
 むしろこうまでキリッとした顔をしていると、意地でも笑顔を見たくなる。
 武に真っ直ぐで真面目な女性……思い出すのは凪なんだが、凪はあれで結構表情は豊かだった。隣に真桜と沙和が居たことも相当に影響しているんだろう。だったら何故、同じく仲間が居る思春がこうも表情を崩さないのかといえば……

(錦帆族……海賊だったっけ。その頭をしてたっていうんじゃあ、それも仕方ないのかもしれない)

 そんな彼女の表情を豊かにさせるためには、いったいなにをどうすればいいのか……うんうんと考え込んでいると、思春が「何を唸っている」とツッコんでくれる。

「あ、んっと…………んん、なぁ思春?」
「なんだ」

 華琳……悩んで解らない時、貴女ならどうしますか?
 俺は直球でいってみようと思います。

「笑ってみせてくれないか? こう、やわらかな笑顔で《ヒタリ》ひえいっ!?」

 いつの間に抜かれたのか、俺の首にヒタリと当てられる曲刀……!
 あ、あぁああの思春サン!? 言っちゃなんだけど庶人扱いの貴女がどこから刃物を!? どうせ当てるなら、鍛錬用に借りてきた木刀を当てましょう!?

「貴様……なにをふざけたことを言っている」
「い、いや〜……ふざけてなんか……! ただ、笑顔が見てみたいかなって……。ほ、ほら、雪蓮が望む呉の在り方が、みんなが笑って過ごせる呉なら……ね?」
「……一理ある。だがたとえ笑顔になろうと、何故“貴様に”見せなければならん」

 うわあ、物凄い正論だ。
 俺が見たいからってことじゃあ理由にはならなそうだ。ならなそうだけど、それは思春にとっての理由ってことで……うん、俺は見てみたい。

「俺が見たいからってことじゃ、理由にならないかな」
「ならん」

 真正面からの言葉がゾグシャアと胸を抉っていった。
 一応は納められる曲刀を見て安堵の息を吐きつつ、ああ……容赦ないなぁ思春さん……などと、相変わらず情けない思考ばかりを働かせながら、胡坐で座したままに後方の草むらに両手をついて空を仰ぐ。

「………」

 ───呉のみんなと戦うことになり、ボッコボコにされたあの日からしばらく。
 大した間もなく朱里と雛里は呉にやってきて、学校がそろそろ出来そうだということを教えてくれた。
 そろそろとは言うが、まだ手を加えられる段階ではあるらしく、追加する意見次第では建築期間は伸びます、とのこと。
 決まった事で重要になったものといえば、町人や兵などに学ばせるより先に、教師にこそ学ばせるということ。まず、気心知れている将を相手に“きちんと教鞭を振れるか”、“教える物事は相手に伝わりやすいものであるか”を調べるためにだ。
 教える側が“知っているのが当然”って考え方で突っ走れば、誰も付いていけないしさ。仕方が無いよな、これは。
 仕方がないんだけど……どうして俺が教師役を任されなきゃならんのだ?

「話は変わるけどさ、思春。どうして俺が教師なんだろう」

 考えてみても解決しなかったから、いっそ訊いてみた。
 すると思春はあっさりと返してくれる。考える素振りすら無しでだ。

「“がっこう”とやらについては、貴様が一番詳しいからだろう」

 うん……そりゃあ、“学校”についてはね?
 でも教えれば理解出来そうな内容だし、俺がやることもないんじゃないだろうか。

「それってさ、“塾”って意味ではみんな知ってるんじゃないのか?」
「必ずしも同じとは限らん。だから貴様に委ねられたのだろう」
「………」

 学校(新築)。教師(俺)。生徒(蜀の将)。
 どうしてこうなったのか……俺は、教師として蜀に招かれるらしい。
 しかも蜀の将を相手に教鞭を振るってみせる必要があるのだと。
 教える内容は俺の世界のものと同じでいい、と言われたけど……丁寧に教えられるかなんて解るはずもない。
 むしろ俺が、“相手も知っていることを前提”にした教え方をしそうでいけない。いけないのに二つ返事って……馬鹿だなぁ俺……。
 でもさ、仕方なかったんだ。朱里と雛里がさ……涙目で服を引っ張ってきてさ……お願いしてくるんだもの……。
 あれ、狙ってやってるんじゃないよな……? あれを断れる人が居たら凄いよ。

「…………ん、それなら仕方ない……のか? 全部が納得できるわけじゃないけど、今は納得しとくよ」
「貴様はいちいち考えすぎだ。魏の人間には、もっとお調子者だと聞いていたぞ」
「そうなの!?」

 ショ、ショックだ……! お調子者……かもしれないが、まさか本当にそんなこと言われていたなんて……!

「与えられた仕事はほどほどにこなすが、部下に任せてあちらこちらへとうろつくことが多い。兵や部下には人柄で慕われてはいたが、息抜きが多すぎるのが玉に(きず)だと」
「《ぐさり》………」

 正論すぎて何も言い返せませんでした。
 こういうこと言うのは真桜か沙和だろうか……うう、苦労かけてごめん。
 だけど率先してサボリまくってた二人に言われたくはないかなぁ……ああ、じゃあ言い方を変えよう。凪、迷惑かけ通しでごめん。
 うん、しっくりだ。

「さて、くだらん雑談もここまでだ。北郷、貴様の予定を話せ」
「いつもながら、爽やかなまでの“貴様”をありがとう。準備運動的な鍛錬は終わったから、これからイメージトレーニングに入るよ。出来ればまた手合わせしてくれると嬉しいんだけど、思春もいろいろ忙しいだろ?」
「…………」
「うわ。今小さく溜め息吐いた……? そ、そんなに嫌だったか……?」
「庶人扱いの私に。貴様の監視以外のどんな忙しさがある。蓮華様に貴様の行動の全てを逐一報告すればいいのか?」
「や……それはちょっと困るけど」

 そう……だよな。思春も、訊ねられない限りは冥琳や雪蓮にもなにも言っていないっていう。
 それは庶人がするような仕事ではないからであり、訊ねられれば報せるのは、食を賄ってもらっている恩があるからだ。
 思春の態度で忘れがちになるけど、一応俺付きの人なんだよな……庶人で付き人って、変な感じだけど。

(それ以前に、手を繋いだ時からずっと、友達のつもりだけどね)

 思春はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、一緒に居てくれている。
 嫌な顔をひとつせずに。……ただ単に無表情なだけかもしれないけど、これで結構“表情”はある。
 最近それが解ってきて、思春と話すのも楽しいくらいだ。そう思うと、もうすぐこの国ともさよならなのは惜しい。惜しい気もする、どころじゃなくて素直に惜しいって思えた。

「もうそろそろ思春ともお別れか……ありがとな、思春。俺の傍にずっと付いてるなんて、辛かっただろ」

 寝床も一緒で食事も一緒。鍛錬の時はこうして付き合ってくれて、風呂以外ではほぼ一緒だった。
 俺のことを嫌っているのだとしたら、これほど辛い日々はなかったんじゃあなかろうか。
 ……なんて思ってたのに、やっぱり「なにを言っているんだこの男は」って顔をされる。

「貴様は馬鹿なのか?」
「えぇっ!? え───な、なに!? そんなに真っ直ぐに言われるほど馬鹿なの俺!」

 で、何故か前振りもなく馬鹿かと訊ねられた。
 ばっ……馬鹿……いや、自分で天才だーとか言うつもりもないが、俺だってこう……この一年、頑張って勉強も鍛錬も頑張ってさ…………そりゃ、この世界じゃああまり実りになった実感なんてないけど。
 歴史に名を残す人たちに囲まれて生きてみろ、自分の努力が物凄くちっぽけなものだったって思えて仕方ない。
 それでもいつかは役に立つって信じて頑張ってるっていうのに…………ば、“馬鹿”かぁあ…………落ち込むなァ……これは地味にこたえる……!

「忘れたか。私は、貴様に付けと、命じられたんだぞ。将でもない私が、庶人として、貴様にだ」
「あの……そこまで噛み砕かなくても、解るつもりだから───って、え? ご、ごめん、今なんて……?」
「………」
「じゃなくてうんっ! 聞こえたよ!? 散々と噛み砕かれたのに理解できなかったとかそういう意味じゃなくてっ!」

 ま、待て待て? じゃあなにか、思春はこのまま俺についてくるって───そういうことになるのか!?
 だって呉のことはっ!? そりゃあ戦が終わったんだから、武人側は監視や兵の調練くらいしかやることなさそうだけど……呉って結構人手が少ない感があるし、そんな中から思春が抜けたら……ってもっと待てっ! 海兵のみなさんはどーなるっ!
 みんな一緒についてくるとか、やめてくださいよ!? 進軍かと勘違いされるって絶対!

「あのー……つかぬことをお訊ねしますが…………海兵の皆さんはどうなるんでしょうか……」
「問題はない。海の上が故郷だと言うつもりもなければ、呉が故郷でないはずもない。そこいらのモノを知らぬ孺子でもあるまいし、私が抜けて均衡が崩れるようなら下につけていた私の目が狂っていただけのことだ」
「……そっか。信じてるんだな、みんなのこと」
「なっ……! と、当然のことを当然だと言っただけだっ、然を然と呼ぶことに信頼などいらんっ」
「………」

 “やっぱりこの人も呉が好きなんだなぁ”って、しみじみと感じられた。
 だって、呉の話をする思春の目は、どこかやさしいんだ。キリッとした眼光のなかに、ほんの少しだけど……歳相応の、やさしさが含まれる。
 俺は、彼女のそんな瞬間の瞳が嫌いじゃあなかった。だからこそそんな目で笑ってみてほしいんだけど……だめだな、世の中思う通りには運ばない。

(うん)

 こんな話があったな。世界は様々な“軸”で構築されている。
 パラレルワールド、なんてものが存在していて、ようは自分とは違ったべつの自分が存在する世界の話だ。
 その世界は今俺が立っている世界とまるで一緒だけど、明らかに違う事実が存在する。それは、そっちの世界の俺が、必ずしも同じ行動を取るわけじゃない、ということ。
 たとえば剣道を始めるか始めないかでいえば、始めた俺が今の俺で、始めなかった俺がどっかに居る。始めた俺はこんな俺になって、始めなかった俺はこの世界に下りることすらなかったかもしれない。
 剣道をしなかった所為で性格がスレたかもしれないし、始めたお陰でこんな俺になったかもしれない。ようは確率の話になるんだが、パラレルワールドが存在するとしたら、その時その時に感じた直感通りに動くかそうでないかで、そのパラレルってのはいくつも作られ続けてるっていうこと。
 もちろんきっかけは俺だけに始まることじゃなく、そもそも父と母が結婚しなければ俺が産まれなかったりもした、という世界もあるわけで。
 世の中が上手くいかないのは、それだけ昔から続いてるパラレルの一つを変えちまうってことなんだから……自分の思う通りにするのは並大抵のことじゃないってこと。世界を変える気で挑まないと、叶うものも叶わないってことだろう。
 そんなものを一介の学生に望むのは……そりゃ、大変なことだ。大変なことだけど…………ははっ、仕方ないよなぁ。見たいって、俺が思っちゃったんだから。

「な、思春」
「……なんだ」

 また右手を見ていた思春に語りかける。
 返ってくる言葉が解っている分、そこからどんな話に持っていくのかを予想してみるのも……うん。これで案外、俺は楽しかったようだ。



41/続・笑顔が見たい

 ……じゃらり。

「…………え? 親父、これは?」

 予想通りの言葉と予定通りのことを聞き終えてやり終えて、今現在は親父の店の手伝いを終えたところ。
 思春の返事は実に予想通りで、「笑顔を見せて」と言えば「断る」、「微笑むだけでいいから」と言えば「断る」。
 いろいろ誘導してみせては断るの一点張りだった思春と鍛錬をしながらも、同じことを訊ね続け……汗を川で流すと、仕事の手伝い……だったんだが。
 俺は自分の手の上に乗せられた巾着を、首を傾げながら見ていた。

「今まで働いてくれた分の給金ってやつだ。一応、他の店の連中の分も入ってる」
「へ……? や、ちょっと待ってくれっ、俺はそんなつもりで───」
「だはぁっ……いーから受け取っとけってんだ。どーもお前はヘンに遠慮がちでいけねぇ。知ってるよ、国に返すためだーってんだろ?」
「あ、ああ……」
「あのなぁ一刀よ。給金無しで人を働かせられるか? 金も無しに働かせるのが、お前の目指す国の在り方か? 違うだろうが」
「うぐっ……」

 会話開始から一分と経たず、あっさり反論を潰された。
 さすが親父……俺の性格をよく理解している。言葉に詰まったところで、俺の手にあった巾着は俺の手ごと俺の胸に押し付けられ、「返すっつっても受け取らねぇ」ときっぱり言われた。

「どうしてもいらねぇってんなら、道端にでも捨てろ。金を粗末に出来るんならな」
「ぐっは……! き、汚いぞ親父……!」
「ははっ、なぁに言ってやがる。俺の手が汚れたのは、おめぇを刺した一度だけよ。それをおめぇが許して、笑顔を向けてくれるんならよ。俺は自分を見失わず、汚れとして受け取らずに立っていられるんだ。胸張って受け取れ、馬鹿義息子(ばかむすこ)」
「親父……」

 本当に……本当にうっすらとだけど、もしありえるなら……何処かに別のパラレルがあったとして、俺が両親のもとに産まれる前……前世ってのがあるのなら、この人の息子であったらいいなって……そう思った。
 そんな人生も悪くないって思えた。歴史通りにいけば、俺は戦の中で死ぬんだろうけど───きっと、嫌なことばかりじゃないって思えるから。

「……今言うことじゃあねぇかもしれねぇけどよ。また、いつでも来い。おめぇは俺の……あぁいや、この街の息子なんだからよ」
「親父……ああっ、絶対にまた来るよっ。……はは、でもたしかに、今言うことじゃないよな」

 別れまでは時間がある。けど、無限じゃない。
 一歩先で已むに已まれぬ事情があって、何も言えないまま別れることもあるかもしれない。そう考えれば、こういう遣り取りだって無駄じゃない。
 俺の胸をドンッとノックする親父に、俺も自分で胸をノックして頷いた。

「親父たちはまだ仕事か?」
「ああ。おめぇは……どうするんだっけか?」
「俺は朱里……ああえっと、蜀から来てる軍師と、冥琳や亞莎や穏を混ぜての話し合いがあるんだ。まだ結構時間はあるけど───」

 ちらりと卓を見れば、相も変わらず人で埋まる席。

「早くに抜けさせてもらってなんだけど、大丈夫なのか? 捌ききれる自信とかは……」
「ふっ……そんなものはねぇ。だが努力と根性と腹筋でなんとかしてみせる!」《ムキーーン!》
「いや……ポーズ取りながら言われてもな……」

 力こぶを作ってみせる親父に、いささか不安を感じた……無茶して倒れたりしないといいが。それでなくとも最近のこの店の込みようはすごい。
 どういった理由からか人が集まって、がつがつむしゃむしゃと食べていくわけだ。暗黙の了解なのか、以前までは食べ終わっても話し込んでいた人も、さっさと帰って卓を空けるもんだからフル回転は確実。
 一日中仕事を手伝うときは、夜には目を回していたりする。

(それも最初の頃に比べれば、全然楽にはなってるけどさ)

 客に気を使いながら動くのは、肉体じゃなく精神を疲労させるよ。
 さて、今気にするところはそんなところではなく───

「なぁ親父。ものは相談なんだけど……」
「あん? どうした」

 ……気は引けるけど、思春の笑顔を見るなら呉の中がいいと思うから、少しだけ無茶をしてみようと思った。
 引けるのが気だけでいいなら、もっとやりやすいんだけどさ……俺の中から魂が引かれたらどうしようか。


───……。


 オォオオオオオオオオオオオオッ……!!!

「オォオオオオオッ!!」
『うぉおおおおおおおおっ!!!』

 店が沸いていた。
 いや、厳密に言えば、店に集まっていた客のほぼが沸いていた。叫んでいた。

「素晴らしきかな、エプロンドレス……ッ!! まさか、まさか思春にこうも似合うとは……っ!」

 ……理由は簡単。
 思春に頼み込んで、店の手伝いを一緒にすることになったからである。
 服屋のオヤジに訊いてみれば案の定というか、亞莎が着ているエプロンドレスとはまた違った意匠のエプロンドレスが存在していた。
 黒と白の二色で占められた色合いに、手首まである袖、丈の長いスカート───いわゆるロングドレスに、さらりと流れる長髪のてっぺんに存在するホワイトブリム。この場合は解りやすくメイド服と呼ぶべきなんだろうか。
 なんの資料もなく、手探りでこのドレスまで辿り着くなんて……服屋のオヤジのイメージ力に乾杯したくなる。
 そんな服を着た思春が、どんよりとした顔でこの場に立っていた。
 俺はといえば、“そういえば宴の時も、亞莎以外にもエプロンドレスを着た娘が居たな……”なんて思い返しながら、そんな思春を眺めていた。

「……こんな格好で働けというのか。……一度脈という脈の全てを止めてみるか?」
「それって世間一般では“死んでみるか?”って意味だよね!?」

 言いつつもエプロンドレスを着ている思春は、ひらひらとした感触を嫌がってか難しい顔をしている。庶人の服はもっと大人しい感じだから、無理もないかもしれないが。

「ほ、ほらほら、民の、国のためを思えば軽いことだって言ったのは思春じゃないかっ」
「…………こんな格好をするとは聞いていなかったがな」

 ギラリと睨まれても、今なら可愛いって言葉だけで通せる気がした。親父たちもそれは同じ意見のようで、拍手しながら涙さえ流している人まで居たくらいだ。

「美しい……これが美しさか!」
「今日もここへ来てよかったぜ……」
「なんちゅうもんを……お前なんちゅうもんを見せてくれるんや……!」

 え? なんで京極先生? ……などと親父たちの反応を見ながら、俺もまた感動の涙すら流せそうだった。
 頼んでみたときは冷や汗だらだらだったけど、まさか本当に着てくれるなんて。自分で言っておいてだけど、どうして着てくれる気になったんだろう。やっぱり……呉の民のためにって言葉に反応してくれたんだろうか。

(……だとしたら俺、親父たちのことを利用して無理矢理着替えさせた鬼みたいな気が……ぬおお)

 嬉しさと罪悪感とが乱れて浮かぶ。けど、蜀に行けばしばらくこっちには来れないだろうし、蜀でやるべきことを終わらせたら、きっとそのまま魏に帰る。
 いっそ忘れられないくらいの脳裏に焼く付く思い出を作っておいたほうが、蜀でもやっていけるかもしれない。

(あ……そっか)

 たぶんそれだ。だから思春もこんなことを了承してくれた。

「……もはや将としての威厳などないな。なにをやっているのだ私は……」
「───ん。なにって、国のためになることじゃないのかな。自分がそうだと信じれば、きっとそれは国のため。だから頑張ろう! まずは接客業の基本、笑顔から!」
「笑顔……? そういえば貴様、城でもそんなことを……───まさか」
「《ギクリ》……や、やー……!? ソソソソンナコトナイヨ!? 思春の笑顔が見たかったからこういうことに誘ったとかそんな!」

 人を殺せそうな眼光が俺の目を真っ直ぐに射抜きました……怖ッ! いつまで経っても慣れないよこれ!

「……まあいい。国のためになるならと納得した時点で、こんなことになることも覚悟の範疇だったはずだ」
「あれ?」

 また曲刀でも突き付けられるんじゃあと身構えていたが、そんなことはなく。思春は溜め息とともに、「それで? 私は何をすればいい」と俺を促した。
 なにを、って……笑顔のことは華麗にスルーしたいらしい。

「そ、そっか。うん、そうだな……まずは───」

 ……基本の笑顔はあとにして、まずは軽く仕事に慣れるところから。慣れてくればきっと、自然に笑顔になるであろうことを信じていこう。それがいい。


───……。


 ……で。

「《ギンッ!》……よく来た。もたもたせずに注文し、速やかに食しさっさと出て行け」
「ヒッ……ヒィイイイイッ!!!《バタタタタッ!!》」

 …………。そしてまた、一人の客が逃げ出した。
 もう呆れる他ない。

「思春んん〜〜〜……」
「…………なんだ」

 さすがに思春も自分が客を退けていることには気づいているらしく、眉を下げ、目を伏せながら考え込んでいる。
 訪れて早々にあの目でギンと睨まれれば逃げ出したくもなるよ。俺が客だったら、きっと逃げ出すに違いない……。

「貴様が言う通り、相手の目を見て言葉で迎え、席に案内しようとしただけだぞ、私は」
「ごめん、それやっぱりちょっと待った……。笑顔、笑顔でやってみて? そうすればきっと───」
「む……なぜ私が…………いや。───こ、こうか《クッ……クワッ!!》」
「《ビクゥッ!》ヒィッ!?」

 持ち上げられた口の端から覗く白い歯に、ピンと吊り上げられた目の端。ニコリというよりはニヤリという言葉が怖いくらいに似合い、それを真正面から受けた俺は……思わず悲鳴を上げて後退っていた。

「だめっ! それ絶対にだめ! 笑顔っていうのはもうちょっとこう……暖かく柔らかく! なんで笑顔になるだけなのに殺気がこもってるの!?」
「……なぜ私が……いや」

 やっぱりいろいろと葛藤があるらしい。
 思春は先ほどから“なぜ私が”を繰り返すけど、その度に「私は庶人だ」と自分に言い聞かせるように呟いて、いろいろなことに挑戦してくれている。
 それがいい方向に向かっているのかといえば……思春が迎えた客は全員逃げ出しているという結果だけが残っている。

「えっと、そうだな……たとえばほら、蓮華を迎えるみたいに、蓮華を安心させるようにやってみて。そうすればきっと逃げないから」
「………」
「あとは……言葉のほうも。“いらっしゃいませ、どうぞこちらへ”、だけでもいいからさ。さすがにさっさと出て行けはまずすぎるって」
「………………いいだろう、やってやる。このまま貴様から下に見続けられる屈辱を思えば容易いことだ」
(あの……どこまで俺のこと嫌いなんですか、思春さん……)

 そんな悲しみを胸にしている俺をよそに、思春は早速来た客へと歩み寄り…………逃げられた。ってなんで俺のこと睨むの!? ヒィとか思い切り叫んでたのってお客様であって俺じゃないよ!?

「わ、解った! 笑顔の練習をしてみよう! ちょっとさっきの客にしたみたいに笑ってみて!? ね!?」
「…………屈辱だ」
「笑顔を見せるだけで屈辱なの!?」
「あのよぉ……どうでもいいが、さっきからてんで注文が来やしねぇんだが……。客、追い出してるわけじゃあねぇよな……?」
「大丈夫だよ親父! 今にきっと、思春の笑顔を受けて入ってくれる人が現れるって!」
「……そりゃあよ、たまにはこんな日もねぇと休まらねぇからいいけどよ」

 悲しそうに愚痴をこぼす親父にはひとまずごめんなさいを。
 けどそれを済ませたら思春だ。この恐ろしき笑顔を、なんとか柔らかなものに変えないと危険だ……危険すぎる。今に“死神の笑み”とかヘンテコな噂が流れるに違いない!

(そんなの、絶対にだめだ)

 いくら将ではなくなったとはいえ、思春だって呉のために戦った人のひとりだ。そして今も、国のためにって頑張ってくれている。
 他のみんなが民との交流を深める中で、彼女だけが浮くなんてことは俺が嫌だ。だからこれは、もはや俺が思春の笑顔を見たいなんて理由に留まることじゃないんだ───!

「思春、このままじゃあだめだ。呉のため民のため、思春はもっと綺麗に微笑むべきだっ」
「頭がおかしいのか貴様は。私が微笑むことが、なぜ呉のためになる」
「うわっ、今度は気変わりせずに最後まで否定されたっ! でもダメなものはダメなんだっ! 思春っ、笑顔は幸福の第一歩! 笑顔無くして弾ける喜びは叶わないのさ! だからもういっそこの時だけでもいい、俺の言う通りに行動してみてくれ!」

 このままではいけない。そんな言葉が俺の心に火を灯した───

「断る《きっぱり》」

 ───途端に断られた。

「えぇっ!? すっ……少しは考えてから断ろうよ!」
「黙れ」
「だまっ……!?」

 取り付く島は、僕らが出会う前から水没済みだったらしい。
 問答無用で断られてしまえば続く言葉なんて出るはずもなく……俺は、開いた口を閉じることも出来ずにポカンと───

「いいやっ……いいや! 俺はその“断る”と“黙れ”を断る! 国だけが善くなったって、そこで生きる人が笑顔じゃないならそんなもんは本当の幸せじゃない! だから思春! 俺はキミの笑顔が見たい!」《どどんっ!!》
「なっ!《ぐぼんっ!》」

 ───否だ。開いたままの口からだって吐ける言葉は山ほどある!
 身振りまでして熱く語り、自分が本気であることを理解してもらう。その上で、俺は彼女が逃げ文句を考えるより先に行動に入る! なんだか思春の顔が赤くなっている気がするが、今は驚きの顔より笑顔だ笑顔!

「一方的な押し付けだって感じたなら、もういっそ殴ってくれたって構わないか《ばごぉっ!》ぷおっはぁっ!? ……え、えぇえっ!? そんな、言い終える前から殴るほど押し付けがましいか!?」
「はっ!? い、いやこれはっ……きき、貴様が笑顔を見たいなどと言う、から……! ───《キリッ》つまり貴様が悪い」
「………」
「……な、なんだ」

 無理矢理にキリッと戻した表情に、少しだけ……むずりとくすぐったいものを感じた。それは睨めっこをしている時のようなくすぐったさで、まるで思春が“笑わないように顔を引き締めた”ように見えて……不覚。相手を笑わせるつもりが、気づけば自分が笑っていた。

「はっは……あはははははっ《ヒタリ》はぁーーーーーっ!!?」
「貴様……何が可笑しい……!」

 笑い始めた俺の首に当てられる、恒例なのかどうなのかの曲刀。
 スッと引けばブシャアと首が飛ぶことが容易く想像できるほど、綺麗に手入れをされていた。でも……叫びはしたけれど、怖くはなかった。

「ははは……な、思春。顔を真っ赤にしながら凄まれても、怖くないぞ」
「っ……き、ききき貴様はっ───!」
「手。……繋いでくれただろ? 俺の勝手な言い分なのは重々承知だ。承知の上で、思春が自然に笑顔を見せてくれるような場所が欲しい。全ての場所で笑顔でいてくれなんて言わないからさ、まずはここから始めてみないか?」
「〜〜〜っ……」

 とある日、とある晴れた昼下がり。
 俺は、顔を真っ赤にして目を伏せながら……小さく、本当に小さく頷く目の前の彼女を見て、改めて笑った。……途端に殴られた。



-_-/孫権

 町が賑わっていた。
 笑顔と活気に溢れた道を静かに歩き、かけられる声全てに声を返し、この賑やかさを胸一杯に吸いこむように呼吸をしながら歩く。
 心地よい風が時折に吹くと、様々な香りが風に乗って届けられ、それが吹く度に違う香りを運んでくるものだから、少し可笑しくなって笑った。
 そういえばもう昼になる。たまには外で食事をとるのもいいかもしれないと思い、辺りを見渡す。

「………」

 どこで食べるのか、なんていうのは……実はもう決まっていたりした。彼は今日もそこで手伝いをしているのだという。
 最初こそ、その存在が疎ましかった者……北郷一刀。
 天の御遣いなどという胡散臭さは元より、姉さまに気に入られたという事実に……そう、私は嫉妬していたのだ。
 彼という存在を受け容れられず、“彼”という人間は見ても、“北郷一刀”という人間を見ようとはしなかった。
 何処にでも居る存在だと決め込み、一刀自身を見ようとしなかった。

「……愚かしいな、私は」

 “何をやるにも国に迷惑がかからなければいい”。その程度の見方で放置し、刺傷事件の頃から注視するようになり……国のために懸命になる彼から、いつしか目が離せなくなっていた。
 彼にとっては他国だというのに、国のためだと尽くしてくれた。
 ……人というのはおかしなものだ。
 嫉妬のために、憎くすらあったというのに……頭の中が嫉妬でいっぱいだったために、一刀という存在を認めてしまったら───頭の中を占めていた分が、全て裏返しになってしまった。
 嫉妬で占めていた分だけ、彼を認めてしまった。
 そうなれば、面白いくらいに彼のことを知りたくなる。自分しか知らない彼が欲しくなる。“逆になった”という意味で唱えるなら、嫉妬の対象は一刀ではなく姉さまになったくらいだ。
 姉さまだけが知っている一刀を私も知りたい。
 その上で、私しか知らない一刀を知りたいと、そう思ってしまっている。
 本当に、愚かしい。

「………」

 歩いて歩いて、考え事をしながらでも辿り着けるくらいに簡単に辿り着ける店の前に立つ。
 彼のことが気になって、こうして訪れはするものの……中に入ることが出来ずに戻る、という行動を何度も繰り返した。
 けれどそれももう終わりだ。彼はやがて帰ってしまう。
 ならば帰ってしまう前に、少しでも彼のことを知りたいと……そう思ったからこそここに立ち。今、まさに店の中へと───…………歩を、進めた。
 ───すると。

「《しゃらんらぁ……!》いらっしゃいませ、どうぞこちらへ……♪」

 見惚れてしまいそうな笑顔で、自分がよく知る人物が迎えてくれた。
 流れるような髪に、綺麗な意匠の衣服。僅かに傾けられた体勢と、柔らかでやさしい笑顔が、他の誰でもない私に向けられ───

「───《びしり》」

 ───その目が私を確認するや、びしりと硬直した。

「あ……し、思春……? 貴女、なにを……」
「れ……れれれ、れ…………れ、ん……!?《ガタタタタタ……!!》」

 しかもガタガタと震えだし、笑顔のままに硬直した顔に汗がだらだらと流れると───

「北郷ぉおおおおおおおおおっ!!!」
「キャーーーッ!!?」

 直後に爆発。
 笑顔なぞ最初から無かったという形相で、奥に居た一刀へと走り。女性のような悲鳴を上げた彼に向け、固く握り締めた拳で───って!

「よ、よせ思春! このような場で暴力を振るうなっ!!」

 慌てて追い、逃げ惑う一刀を追う思春を止めに入る。
 思春を止めるには相当な時間を要し、止められた頃には……店が無事な分、一刀が随分とぼろぼろだった。



-_-/一刀

 「思春の笑顔を?」という蓮華の疑問に、正座をしながらハイと応えた。ええ、また正座です。僕、なんにも悪いことしてないのに……。
 救いなのは、思春も俺の隣で正座中ってことくらいだろうか。

「たしかにさ、打算的なことだったとは思うよ? 人との交流を増やしていけば、自然な笑顔を見せてくれるんじゃないかな〜って、うん、そう思った。でもまさか我を忘れるほどに襲いかかってくるなんて……」

 借り物の服がすっかりボロボロである。
 これって、もしかしなくても俺が弁償しなきゃいけないんだろうね。
 お給金貰ったばっかりだったのに…………トホホイ。

「思春、どうしたというのだ……公共の場で拳を振り回すなど、お前らしくもない。店に誰も居なかったからよかったものを、これでひどい重症でも負わせれば、庶人扱いのお前は……」
「……面目次第もございません」
「はぁ……このことは不問とする。私は何も見なかったし、店主。お前も何も見なかった」
「へ、へい……店が荒らされてないなら、こちらも……」
「あれぇ!? 俺への心配はゼロ!?」

 そりゃあ前みたいに刺傷事件じゃあなかったわけだし、ボロボロになるのは鍛錬でも慣れてるからいいけどさ。
 そのー、少しくらい心配してくれたって……。

「ふふっ……急所は全て避けていたでしょう? 傍目から見ても、心配するほどのこととは思えなかったのだけど?」
「……そうだけどさ」

 うん、たしかに避けるのだけは上手くなった。
 イメージトレーニングってやつは、何度も何度も繰り返すと“こう来る”と見切った瞬間には体が動く。だから通常よりほんの少しだけ早く動けるわけで……蓮華の言う通り、急所だけはひたすらに避けた。代わりに他がボロボロなのは、どうかツッコまないでほしい。
 しかしなんだ、人によって口調を変えるのは大変なんじゃあなかろうか。そうである時もあればそうでない時もあるようだけど、なにやら俺に向けての言葉は柔らかく、他へ向ける時はシャッキリした口調。
 慌てた時などはその範疇ではないものの、言葉だけでも忙しないイメージがあった。

「それで、これはいったいどういうことなの? “思春の笑顔が見たい”というのは解るけど、思春に手伝いをしてもらう理由にはならないでしょう?」
「ああうん、それなんだけどさ。接客業は笑顔が命だから、少し続ければ自然な笑顔が見れるかな〜って……思った俺が浅はかだったよ……」
「……一刀? 説明からそのまま後悔に向かわないでほしいのだけど……」

 だって実際がこんななんだから仕方ない。得られたものは、思春のエプロンドレス姿と怒りの矛先だけなんだもんなぁ。
 けどまあ、口で後悔を語るわりには心の中は嬉しさでいっぱいなんだから、しょうもない。俺には見せてくれなかったけど、笑顔にはなってくれたって事実がどうやらたまらなく嬉しいらしいのだ。

「それで、蓮華こそどうしてここに? って、昼だもんな。今日はここでメシ?」
「え? え、ええ……そう、そうなの。それでその。なにか一刀のお勧め出来るものはある?」
「───《ギラッ!》」
「───《ギラリッ!》」

 蓮華の言葉に、俺と親父の目が交差し輝く。
 次の瞬間には立ち上がり、ダダンッと親父ともども地面を踏み、力一杯叫ぶ!

『この店は! なんでも美味いっ!!』《バァーーーン!!》

 拳を握り締めて熱く熱く!
 しかしながら、こういう熱さっていうのはどうにも───

「…………《ぱちくり》」

 ……うん。周りには受け容れられ難く……蓮華もそれが当然であるかのように、目を瞬かせて停止していた。ご丁寧に“バァーーン”なんて効果音を頭に思い描いてみたところで、届くかどうかなんて解らないもんだ。

「あ、ああえっと……そういえば以前、冥琳が青椒肉絲を食べていったぞ? たまに食べたくなる〜みたいなことを言ってたし、いいのかも」
「……熱く勧めたわりには、自信はあまりないのね」
「やっ、美味しいのは事実だ。これは譲れない。けど、相手にとってもそれが美味しいかはまた別なわけで……親父〜、自信作ってあったっけ〜?」

 俺が考えても仕方ない。作り手の親父の自信作を食べてもらうのが一番だろう───と思ったんだが。

「いや。ここは一刀、おめぇが作ってみろ」

 ……ニヒルな笑みでニカッと笑い、腕組みをした親父さまがとんでもないことを仰いました。
 どうやら停止する順番が、俺に回ってきたらしい。


───……。


 俺になにが作れるのか、なんてことは……考えてみれば簡単に解ることで、ヘンな見栄を張らなければきちんと作れるものは何品かはある。
 それを丁寧に愛情を込めて作ること……それが“食べてもらうこと”と俺は受け取った!

「覚悟……完了!」

 俺が蓮華の食事を作る。呆れた事実に引きかけはしたものの、誰であろうと客は客。客に素人の作ったものを食べさせる気かーとか言われそうだが(というか思春には言われた)、食べてもらう人への愛情をもって誠心誠意作らせてもらおう。
 俺なんかじゃ無理だと断るのは簡単。ならいっそ難しい方向に進んでみるのも悪くない。そんな考えの下、あっさりと請け負った俺は現在調理中。
 作るものは……オムライスだ。ただし中身はチキンライスではなくチャーハンでいく。無理に背伸びをしようとしたところで、失敗は目に見えているんだ。難しい料理はいい……簡単かつ美味しく作れるもので勝負をする!

「すぅ……はぁああ……」

 自分の氣を厨房の空気に溶け込ませていく。余計なことは考えず、ひたすらに蓮華のために調理する男であれ。

「よしっ」

 まずはチャーハン。
 チャーハンはスピード勝負だ。何よりもまず、全ての材料を火の傍に置いておくことが重要だ。あれが足りないこれがない、と取りに行っていたのでは焼きすぎてしまう。故に、材料から調味料まで全てを揃えておく。ここで忘れがちなのが盛り付ける皿だから、材料ばかりに気を取られて用意し忘れないように、と。
 肉、野菜を細かく刻み、米と混ざっても存在を主張しない程度の大きさに纏めておくといい。肉や野菜も小さく刻んだほうが火が通りやすいし、油も絡みやすいから焼く時間を短縮できる。ただしご飯を焼いているところに投下すると、野菜はもちろん肉からも水分や肉汁が出てご飯がくっつきやすい。気になる方は予め、別の鍋で肉や野菜を炒めておきましょう。
 油は少しで、よく熱して鍋に馴染ませておく。油を多く使う予定があるなら、むしろ中華鍋で油をたっぷりと熱して、問答無用で鍋に馴染んだ時点で別の容器に油をとっておくって手も有りだ。こうすればご飯が油でギトギトになることもない。
 では、梳いておいた卵を火にかけた中華鍋へと。ジュワァッとよい音を耳にしつつ、すかさずお玉と鍋とを捌きつつ軽く回すように焼き、固まりすぎるより早くご飯を投下。油と卵とご飯が上手く絡まるように小刻みに混ぜて、ご飯の固まりはお玉で叩くようにしてほぐす。
 油を吸ったご飯が熱でパラパラになり始めたら肉や野菜を投下。小刻みに混ぜ、大きく宙に飛ばし、浮いたご飯の一粒一粒に熱を当てていく。
 味付けはお好みで……といきたいところだけど、ここはあっさり目。この時代では濃い味付けよりも薄い味付けだ。
 出来上がったら手に構えた大きなお玉に、混ぜっ返す要領で宙に放りつつ炒飯を入れてゆく。で、お玉に炒飯が溜まったら、熱い中華鍋の内側に押し付けるようにして形を整え……カンッと皿に移せばドーム状の炒飯の出来上がり!

「次っ!」

 お次はスピード勝負。
 すでに油を馴染ませておいた別の中華鍋に、下味をつけた梳き卵を投下!
 お玉の底でオガーと掻き混ぜるように卵を焼き、固まりすぎるより先にクルクルと器用に丸めて……ま、丸めて……! ぐわっ! 中華鍋だと案外丸めるの難しい! オムレツが上手く出来ない!
 ですが諦めません。焼きすぎを注意しつつもなんとかくるりと卵を丸め、オムレツ状に。これを盛りつけておいたチャーハンの上に寝かせ、プツプツと切り開いていけば……とろとろオムライスの完成である!

(……正直、ライスを包む形じゃないとオムライスって呼びにくい気がするんだが)

 固いことは言いッこなしだ。
 あとはこれに薄味のスープをつけてと……(よし)ッ! 完成!
 オムライスとスープだけっていうのも寂しいが、なにせ女の子…………あれ? つい女の子は小食って先入観で作っちゃったけど、考えてみればこの世界の女性って大体が結構食べるような。
 …………い、いやいい、量の問題じゃない、今は蓮華に食べてもらうことが目的だ!

「さあ! 食べてみてよ!」

 どこぞの味ッ子のように声を上げ、蓮華が座る卓の上にオムライスを乗せる。蓮華は目の前に置かれたそれを見て“ほう……”と息を吐くと、レンゲを手に食事を開始する。
 さあ、反応や如何に……!?

「…………《はくっ……もくもく》」

 …………口に運ばれ、咀嚼されるオムライスを見送った。
 ごくりと鳴る俺の喉は、さっきからやけに渇いている。こういうときの渇きは、困ったことに水を飲んだところで潤ってはくれない。
 蓮華が一口を咀嚼し飲み込む過程で、いったい何度喉を鳴らしただろう。唾液が滲むことも間に合わず、息を呑むような行動を繰り返しては余計に喉を渇かせていた。

「───……」

 やがて、一口目を嚥下した蓮華がスープを口にしてから───評価を下す。

「……普通、ね」

 …………。

「…………」

 ……フツー? 普通……普通? ふ…………

「普通……そっか、普通か! よかったぁ、不味いとか言われたらどうしようかと思ったよ!」

 シンと静まり返った店の中、俺の歓喜だけが響いた。
 途端に蓮華や思春、親父の不思議そうな視線が俺に向けられるけど、俺はそんなことは気にせずに喜びで胸を満たした。

「お、おいおい一刀? 美味いって言われたわけでもねぇのに、なんでぇその喜び様は」

 そんな俺に向けて親父がツッコミを入れるけど、嬉しいものは嬉しいのだ。

「だってさ、味付けの好みも解らない状態で“普通”って評価が貰えたんだぞ親父っ! むしろここは喜ぶところじゃないかっ!」

 そう。俺は蓮華の味の好みを知らない。薄味が好きかどうかなんてことも知らなければ、ただこの世界の食事全般が薄味だからって理由で薄味にしたくらいだ。
 そうした味付けをした料理をきちんと噛み締めてくれて、評価をくれた。レンゲを置かれて黙って去られるとか、そんなことにならなくてよかったって思えたら、もう嬉しさしか残らなかったんだ。
 ……あー、ほら。魏には居るだろ? 料理にとことんまでに駄目出しをくれる人。あんな前例があると、人様に料理を作るなんて恐ろしくて恐ろしくて。
 だけどよかったー、普通か、普通………………ああ、普通ってステキだ……!

「……よく解らんが、料理に関しての貴様の理想は随分と底辺をうろついているようだな」
「な、なに言ってるんだよ思春! 料理は……料理はなぁ! 立ち直れないくらいボロクソに罵られた上に、同じ材料で次元の違う美味さを表現されて絶望を味わわない限り、決して底辺なんかじゃないんだぞ! 思春は……思春は“普通”と言われる喜びを知らないからそんなことをっ……!」
「……付き合い切れ───……いや。そ、そうなのか?」
「《じ〜〜〜ん……》……俺さ、思春がそうやって“聞く姿勢”を取るようになってくれて、本当に嬉しいよ……」
「なばっ!? 何を馬鹿な! わた───《キリッ》……私は普段から話を聞く姿勢を保っている。単に貴様の話が聞くに堪えんだけの話だろう───な、なにが可笑しいっ、笑うなっ!」

 こうして様々な人を見ていると、呉も変わってきているんだなって実感がある。なにがどう変わった、なんて言葉に出来るほどのことじゃないんだ。それでも少しずつ一人ずつ、誰かが変われば誰かを取り巻く環境も変わり、それがやがて別の誰かを変えて……そんな連鎖が少しずつ広がっていっていた。
 一番変わったのはきっと思春。最初の頃からは考えられないくらい、彼女は俺の話を聞こうとしてくれていた。以前の思春だったら俺の言葉なんて聞く耳持たずだったのに、今は条件反射的に憎まれ口みたいなことは口にしても、自分でそれを否定してでも聞こうとしてくれる。
 彼女の中でどんな心変わりがあったのかは……訊いたら反感くって、最悪“聞く姿勢”を取ること自体を拒絶しかねないから怖くて訊けない。本当に庶人のようになろうとしているのかもしれないし、気が向いただけなのかもしれないけど……うん、なんだか嬉しかった。

「………」

 もちろん、そんな思春の変化に戸惑っている人も居る。盛大に慌てる思春を見て、食事を続けるのも忘れてポカンとしている蓮華がそうだ。
 普段が冷静すぎる分、突然こんな思春を見れば……うん、普通は驚くよな。俺も驚きと嬉しさが混ざったような状況に陥ったし。

「思春、お前は……」
「《ハッ!?》……失礼しました蓮華さま、どうぞ食事を続けてください」
「い、いや、食事よりも……《ちらり》……ふぅ、いや。せっかく一刀が作ってくれたものだ。いただこう」
「………」

 あからさまに思春のことが気になっているんだろうに、ちらりと俺を見ると咳払いをする仕草を取ってからレンゲを手に、食事を進めてくれる。
 てっきり掻き込むように食べるのかなとも思ったものの、蓮華の食べ方は優雅であり静かであり綺麗だった。きちんと一口一口を味わって食べてくれて、それだけでもこう……胸の中に喜びが浮かんでくるというか、むずむずする。
 今言えることがあるとしたらたったひとつだろう。

(“作って良かった”)

 暖かなむず痒さは蓮華が食事を終えるまで続いた。……うん、続いたんだけど。口周りを吹いて一息ついた蓮華が思春に詰め寄ると、そんなむず痒さは四散した。
 苦笑いを浮かべつつ卓の上の食器を片付ける俺に、ポンと肩を叩く親父の手が大きく暖かかった。
 だ、大丈夫だよ? ちょっとだけでも味の余韻に浸って欲しかったな〜とかそんな贅沢なこと思ってないから。普通、そう、普通だったんだから余韻なんて、ねぇ? はは、はははは…………はぁ。



42/飴と……鞭ではなく練乳蜂蜜ワッフル。ようするに甘さカーニバル

 笑顔作戦が頓挫したものの、蓮華は「綺麗な笑顔だった」と言ってくれたので良し……でいいんだろうか。どうせなら俺も見たかったんだけどなぁ。
 ……ちなみに思春はもうとっくに着替えて、また気配を殺して消えている……んだと思う。なにせ気配がないから解らない。

「じゃあ昨日の復習から。俺が住んでいた国ではこういう文字を使ってて───」

 と、そんなことはさておいて。現在は呉と蜀の軍師を前にしての勉強の時間。教えるのが天の国のことでいいということなので、まずは理解力の早い軍師様たちを相手に教鞭を振るってみている。
 場所はいつも通りというべきか、俺が借りている一室。机は大きいのが一つと小さいのが一つ、椅子は三つしかないから、別の部屋から借りてきたものをそれぞれだ。

「ふむ……まず文字を覚えるところからかと溜め息を吐いたものだが、なるほど。北郷もこの大陸に降り立ってばかりの頃は、こんな調子だったのだろうな」
「あ……解ってくれる?」

 いつか桂花が子供達相手にやってみせていたように、大きな木板に紙を張り、そこに文字を連ねていくんだが。みんな難しそうな顔で眉を寄せていた。
 黒板とチョークがあればなぁと思うものの、それはさすがに贅沢……なのか? なんというか探せばあるような気がしてならないんだが。

「……丁度いいかも。俺、大陸のことに関してはそこまで詳しいわけでもないし、いっそ俺に当てられた時間は頭を鍛えるためのものって割り切ってもらえば」
「はぁ……頭を鍛える〜……ですかぁ?」

 たは〜……とぐったり気味な顔で言う穏に、「そう」と返して説明開始。うん、日本語……特に平仮名は皆さんには不評のようである。

「人間の脳はまず、“考えること”で刺激される。考えなければ使われないんだから、当然といえば当然だけど。で、この脳ってのを鍛えてやると物覚えの良さや早さが身に着いて、記憶力も良くなる」
「覚える速度が……か、一刀様っ、その、“脳”を鍛える具体的な方法はっ……なななにかないでしょうかっ……!」

 覚える速度に自分で不満があるのか、挙手をしてまで発言する亞莎に「うん」と返す。

「具体的っていっても、やっぱり“考えること”なんだ。細かに言うんだったら、“考える、声に出す、書く、聴く、読む”の五つ。それを繰り返して脳を刺激して、鍛えていくんだ」
「え……あの、一刀様? それだけでいいんですか?」
「うん、“それだけ”。けど、実際にやってみるのは難しいよ。聞いただけじゃあ簡単だって思うけどね、なにより継続させるのが難しいんだ。何事も意思が強く、根気がないと続かないものだから。でもさ、それを“授業”として受け容れれば、案外なんとかなるものなんだ。もちろん、本人のやる気も必要にはなるけど」

 継続は力なり、とはよく言うけどね。まずは“やろうとする気”と継続させるための根気、そして遣り遂げようと思う意思が必要だ。
 継続する力が日常ってものに溶け込めば、あとはもう当然のように出来る。俺が鍛錬を続けるみたいに、日常化が出来るんだ。
 ……問題があるとしたら、“そこまでに至れるかどうか”なわけで。

「じゃあ亞莎、今から言う言葉を平仮名で書簡に書きながら自分でも復唱してみて」
「ひゃうっ!? わ、わわわ私がっ、ですかっ!?」
「ん、亞莎が。いくよ?」
「ままま待ってくださっ……!」
「だ〜め。じゃあ───」

 わたわたと慌てる亞莎を余所に、言葉を連ねる。あまり難しいものを口にして、書けないのでは意味がないから……うん、名前でいこう。

「呂子明。これを平仮名にして、書いてみて」
「はうっ……あ、あの……それはつまり、これを書けないと……」
「ふむ。己の名も字に書けぬ愚か者ということになるのか?」
「ふえぇええっ!?」
「ないない、そんなことないって。もしそうだったら、字を習ってない人はみんな愚か者だろ? 冥琳、あんまり突付かないでくれ」
「ふふっ……いや、こうして誰かとともに学ぶことなど久しいのでな。それに“学校”とは難しくもあり楽しくもある場所だと言ったのは北郷、お前だろう?」
「“楽しむ”の方向が明らかに違う気もするけど、間違いだって断言できない……」

 くっくと笑う冥琳に苦笑を返しつつ、うーうー唸りながらも平仮名を書簡に綴っていく亞莎を見る。
 悩みながらも筆を進め、“出来ません、無理です”とは決して言わない姿勢に、なんというかこう……応援したくなる気持ちが溢れてくる。
 ……俺も、ここに来たばかりの頃からしてみれば、変わったんだろうな。誰かが、小さなものだろうが“変化を持つこと”で周囲にも影響を及ぼすっていうなら、きっと。

「りょ・しめい……か、書けましたっ」

 やがて、どっと疲れた風情で挙手する亞莎。そんな彼女の傍に寄って文字を見ると…………“りよしぬい”と書かれていた。まあ……そうだよなぁ、漢文に小文字なんて無いもんな。言われてここまで書けるなら、お見事ってくらいだ。

「ん、よく出来ました───って言いたいところだけど、ちょっと惜しい」
「あ、えっ? まま間違ってましたかっ!? そんなっ」
「これだと“りよ・しぬい”になるんだ。ほら、漢文にも似ているようで違う文字があるだろ? それと同じで、これは“め”じゃなくて“ぬ”。“りょ”って読ませるなら“よ”は小さく書くこと」

 木板の前に戻って文字を連ね、事細かに説明。出来ないのが当然ってくらいの考えなんだから、間違うのは恥じゃない。問題になるのは、失敗を苦に投げ出してしまうことだ。

「う、うう……頑張ります……」

 しょんぼりとする亞莎を見て不安になるけど、早速復習をするかのように書簡に筆を滑らせているのを見て安心した。頑張り屋だなぁ……こういうところ、真桜や沙和にも見習ってほしい。あいつらは別の方向に意識が行きすぎて、こういった勉強は最初っから“解らん”、“解らないのー”で済ませそうだし。

(……っと、いかんいかん)

 ふとした時に魏のことばかりが頭に浮かぶのは、もはや癖以上のなにかだ。離れていた分だけ、頭の中が魏で埋め尽くされてしまっていることは、もはや隠しようもない事実で、隠す必要もない現実だ。
 しかしこういった場で魏のことだけを考えているわけにもいかず、俺は頭を振って“この場”に意識を集中させる。

「しゅう・こうきん……と。北郷、私も書いてみたが───これでよかったか?」
「えっ、あ、ああっ……えっと……おお」

 さすがと言うべきか当然と言うべきか、冥琳は達筆ともとれる完璧さで平仮名での自分の姓字を書いてみせていた。……うん、むしろ俺より上手いよこの字……。

「文句無しどころか俺より上手いよこれ、さすがだなぁ」
「ふふ、そうか。……しかし、これは確かに難しいな。見知らぬ文字を学ぼうとすることがこれほど《くしゃっ……》───!?」
「うん、よく出来たな、偉い偉い。冥琳は本当にいい子だな」
「ほぶっ!?《ぶしぃっ!》」
「ふわぁあーーーーっ!!? かかかか一刀様っ!? なななにをーーーっ!?」
『あわはわわぁあーーーーっ!!?』

 突如、穏がスズーと口に含んだ茶を噴き出し、亞莎が叫び、朱里と雛里が騒ぎ始め……ハテ? なに……なにを、と言ったのか? なにをって……。

「………」

 自分を振り返ってみる。むしろ今の自分を。
 “何を”もなにも、ただ冥琳の頭を撫でてるだけじゃ…………おぉ?

「……アレ?」
「……! ……っ……!《なでなで》」

 首を傾げながらも、とりあえずは冥琳の頭を撫で続ける僕の右手。
 傾げた拍子に真っ赤になって俺を見上げる冥琳と目が合ったわけだが……ウワー、真っ赤になった顔も綺麗だー……ってそうじゃなくてっ!

「あ、う、うわすまんっ! なんか物凄く自然に手が出てたっ! あ、いやっ、この場合の手が出たってのは変な意味じゃなくっ……しゅ、朱里! 雛里っ! きゃーとか黄色い悲鳴をあげないっ!」

 な、なにやってるんだ俺はっ! 目上の人(で、いいんだよな?)の頭を気安く撫でるなんてっ! そりゃあ以前雪蓮の頭も撫でたけどさっ、これはあの時よりも明らかに状況が悪いだろっ!
 出来て当然のようなことで偉い偉いって頭撫でられて、誰が喜ぶって───と、ヒビの入った椅子とは別の椅子に座った冥琳を見下ろしてみたわけだが。

「…………《かぁぁあ……!》」

 ……あれ!? なんか喜んでる!?
 顔真っ赤にしたまま俯いて、文句も飛ばさずに……撫でられた頭を触って───はうあ!? 今笑った!? 小さくだけど笑った!?
 なに……!? なにごと……!? 今、公瑾さんの中でどんな混乱が巻き起こっていらっしゃるの……!? それはどういった公瑾の乱であらせられるの……!?
 お、俺はただ、冥琳の中で会った小さな冥琳と約束した通り、頭を撫でただけであって……やっ、そりゃみんなが見てる前でやることじゃあなかったって気づいたよ!? 気づいたけどさ! 気づいたからこそ今慌ててるんだけどさ! 仕方ないじゃないか、気づくまで本当に自然に手が出てたんだからっ!

「…………? あ〜、もしかして上手く書けたら、一刀さんが頭を撫でたりするご褒美があったりするんですか〜?」
「へっ? あ……えと、そう……なのかな? たしかに“褒美”って意味では違わないだろうし……それに、頑張った人を褒めるのは悪いことじゃないから」

 自分の手を一度見下ろしてみて、こんなものに褒美としての価値があるのかと疑問を抱く。抱くが……

  “また、なでてくれる? いいこだねっていってくれる?”

 ……あんなこと、言われてしまったのだ。
 そうなるとたとえ自分の身の一部であろうとも、馬鹿にしたらいけない気がしてくるんだから不思議だ。

(まあ、そうだよな)

 頭を撫でられることが嬉しかった昔がある。褒められて嬉しかったあの頃を覚えている。子供の頃のことだ〜なんて否定するよりも、そうやって褒められることに一喜一憂していた自分を取り戻すことが出来れば、逆にいろんなことを学ぼうと思えるんじゃないだろうか。
 見栄なんか張らずに……いや。見栄を張ったっていい、それで前を向けるなら、子供も大人も一緒だ。辿り着きたい場所に向けて馬鹿みたいに真っ直ぐでいられる心を持ち続けていられるなら、それでいいだろ。

「よし、それじゃあ───」
「しょかっ……しょかつこうめい、書けましたっ!」
「ほ、ほう……ほうほほ……ほう、しげん……かかかけまし……た……」

 ……と、見下ろしていた手から視線を戻せば書簡を突き付けられる。顔を離して見てみれば、そこにはきちんと書かれた二人の名前の平仮名バージョン。なのだが……えーと。
 “しょかっ・しょかつ・こうめい”に、“ほ・ほう・ほうほほ・ほう・しげん”……ね……。

「……なるほど、言葉通りだな……」
「ひゃ、ひゃいっ!」
「ががが、がんばりっ……ましたっ……」

 文字でどもるって……いろいろな意味で凄いぞこれ。そして何故俺は期待がこもった爛々と輝く目で見上げられているんだろうか。
 ……撫でろと?

「……亞莎、あ〜〜しぇ」
「……? は、はいっ? なんでしょう一刀さ《くしゃりなでなで》まぁっひゃぁぁあーーーーーっ!!? かかかかずっ……!?」

 俺の声に、書簡を睨む視線を俺へと向けた亞莎の頭を黙って撫でる。なんだかとんでもない悲鳴みたいな声をあげられたが、振り払われないのをいいことに、いい子いい子と丹念に撫で上げる……丹念に撫でるってなんだ? まあいいや。
 ともかく撫でた。きちんと心を込めて。だって、ここで朱里や雛里を撫でたら、最初に頑張りを見せてくれた亞莎が可哀想だ。だから先に、じっくりと……いつもの頑張りを労うように、やさしくやさしく……。

「いつもいつも頑張ってること、ちゃんと知ってるから。たまにはさ、力を抜いてやらないと倒れちゃうぞ? 力を抜いて〜……? はい、脱力脱力〜……♪」
「《ふしゅぅううう……!!》ふあっ……ふぁ……ひゃ……はぃい……!」

 俺を見上げる目がぐるぐると回ってきたあたりで、なんとなくだが危険を感じた俺は亞莎の頭から手を離した───途端、かくんっとその頭が垂れ、ドシャアと机に突っ伏した亞莎は……頭から湯気を出したまま、動かなくなってしまった。
 ね……熱暴走? なんで? と疑問を抱いていると、クンッと引かれる制服。

「………」
「………」

 振り向いてみれば、期待に満ちた目で俺を見上げる二人が居て───あ、あー……なんだか間違った方向に進み始めていないか? 俺はただ、学校計画の発展や脳の強化のために教師役を請け負っただけだっていうのに。
 それが、褒美を餌に授業をさせる怪しい教師的立ち位置に納まりつつあるのはどうしてなんだ。

「はわわぁあ〜〜……♪」
「…………♪」

 そう考えながらも撫でてしまう俺は、本当に馬鹿なのでしょうね神様。馬鹿だから、次の展開もなんとなく読めるわけですよ神様。

「…………《にこぉ〜〜♪》」
「…………」

 椅子が引かれる音を聞いて振り向いてみれば、“りく・はくげん”が微笑んでいた。
 予想通りだよ、ああ予想通りだとも。予想通りで、しかも寄ってきた彼女の頭に手を伸ばしてしまうあたり、どうやら俺は……スパルタ教師には永遠になれそうにはなかった。
 ……なりたいわけでもないけどね。




ネタ曝し  *努力と根性と腹筋  ザ・キングオブファイターズドラマCDより。矢吹慎吾の台詞。  *京極先生  美味しんぼより。鮎を食べた京極さん。  ケロロ軍曹ではスターフルーツとなる。  *トホホイ  刻の大地より。幻想大陸でもOKだったはず。  歌って踊れる聖騎士、カイが大好きでした。  レヴァリアースも思い出深いなぁ……。  *さあ! 食べてみてよ!  ミスター味っ子より。  これの“なんという柔らかさだ……!”という言葉を聞くと、北斗の拳のハート様を思い出すのは凍傷だけじゃないはず。  *練乳蜂蜜ワッフル  ONE〜輝く季節へより。里村茜さんの好物(?)。  通称バスターワッフルといい、ドラマCDでは口にしたC子さんが「うぃんにょぉおおお」と奇妙な声を上げていた。  *公瑾の乱  ラジオ真・恋姫無双より。いい名前です。 今さらですけど……最後まで突っ走るって言ってたくせに途中投稿たぁどういう了見だ、とか言われそうですね……お許しを。 全部終わるまで評価/感想を覗くのはよしておきますが、矛盾とかあったら笑ってやってください。 Next Top Back