幕間/彼の無意識と彼女らの思惑

 -_-/呉

 ……一刀、思春、朱里に雛里が建業から出立し、しばらく。

「行ってしまったのう」

 姿は最初から見えやしないが、彼らが進んでいったであろう方角を見やり、祭がつまらなそうに呟いた。 
 “姿が見えなくなった”どころか見送りもしなかった彼女らだが、一刀らが向かった先(城壁だが)を眺めては、やがてつまらなそうな顔をどこか面白そうな笑みに変え、息を吐く。

「さて公瑾よ。あれをどう思う?」
「ふふ……どう、とは?」
「解っとるんじゃろうが。含み笑いなぞ止め、さっさと言わんかい」

 彼女ら、とは祭と冥琳の二人。
 雪蓮とともにさっさと仕事に戻ろうとした冥琳だったが、その首根っ子を祭に掴まれ、東屋で酒に付き合わされていた。
 想像するに容易く、戒めのない呉王さまはとっくに仕事をほったらかしにし、どこぞを駆け回っていることだろう。

「……少なくとも、あれで諦める女は呉にも蜀にも……いえ。視野を広めて言うのであれば、この大陸の何処を探しても居ないでしょう」
「まあ、そうだろうのぅ」

 かっかっかと笑う声が響く。
 あれで諦めるようであれば、恋に焦がれる女としては失格だと笑い飛ばすかのように。

「策殿も、気づいていて“北郷の思う通りにする”などと。まったく人が悪いというか面白いというか」
「あれは気づいていますよ。近日中に魏に乗り込むつもりのようで、少し前に曹操へと書簡を送ったようです」
「ほぅ……書簡を? 何が書かれているかは公瑾、お主は知っておるか?」
「北郷を三国共通の財産にする、だのどうのと言っていたのでそのことかと」

 静かな笑みを浮かべながら酒を傾ける。
 中々に強い酒だが、まるで水を乾すが如くだ。

「はっはっは、なるほどなるほどっ、策殿もまた思い切ったことをするっ! ……ところで公瑾よ、返ってくる返事も予想がついておるんじゃろう?」
「ふふっ……ええ、それは。曹操は恐らく雪蓮任せにするでしょう。我々よりも北郷を知る者です。雪蓮からの書簡に目を通せば、雪蓮の好きにさせるでしょう」
「まあそうじゃろうよ。“噂”がつくづく真実なのだとすれば、何もせずとも北郷自身が気づきおるわ」
「必要なのは時間と心の整理、そして余裕。今の北郷には全てが足りていない。これではああいった言葉が出るのも頷けるというもの」
「全ては北郷が魏に帰ってからか……───くっく、それとも……」
「ええ。諸葛亮もどうやら気づいていた様子。蜀でどういった行動に出るのか、楽しみではあります。どちらにしろ、北郷が気づくか蜀の者が気づかせるか」

 「私としては、北郷自身に気づいてほしいものではありますが」と続け、再び酒を傾ける。
 対する祭といえば、若干不安を浮かべ、「それはちと難しいのぅ」と呟きながら酒を飲んでいた。

「ふむ。今のままではどちらにせよ難しいと、そういうわけじゃな。まあ無理もなかろうよ。いつでも好きな時にこの大陸に降りれるわけでないというのなら、北郷が過ごした一年は───およそ魏のこと以外は考えられん毎日だったのじゃろうからの」
「雪蓮などは“そうでなければ落とし甲斐がない”と言いそうですが───……うん?」

 段々と上機嫌になってきた己の機嫌に笑みを零し、再び傾ける酒は美味の一言。
 機嫌が悪い内に含むものなど、よほどに美味くない限りは美味ともとれぬは当然。その味が美味と感じられた……というのに、横槍が入ることにさすがに眉を顰めた。

「あ、はっ───失礼ながら申し上げますっ!」

 まさに大慌てという言葉がよく似合う風情で、兵士数人が駆けてきたのだ。

「騒々しいのぅ……いったい何事かっ!」
「は、はっ! それがっ……伯符さまが急に馬に乗り、“ちょっと魏に行ってくる”と言い、止める言葉も聞き流して外へ……!」
「なっ───!?」
「ほっ……! ふわはははっ、はっはっはっはっは! これはまたっ……なんと思い切りが過ぎる行動っ! のう公瑾っ!」

 冥琳が機嫌ごと平静さを吹き飛ばし、目を見開く中で。祭はむしろ見事といった風情で高らかに……いや、酒に酔い潰れた人のような、豪快さと危うさとを混ぜたような声で笑い出した。
 だというのにさらにさらにと酒を呑み、「い、いかが致しましょうか」と訊いてくる兵の頭をべしべしと叩くと「気が済めば帰ってくるだろうよ、ほうっておけい」と笑って言い、そのままの足で東屋から去ってゆく。
 冥琳はといえば溜め息の連続であり、書簡を送ったのはこのための下準備だったかと……気づけなかった自分にこそ溜め息を吐いた。
 いつか決行するとは思っていたが、まさか相手の出立日だとは……随分とまた急ぎ足だな───と呆れる他なかった。

「仕方のない……。蜀をのけ者にして話を進めるわけにもいくまい……」

 劉備に書簡の一つでも届けるとしよう。
 突拍子もない内容だが、諸葛亮が戻ればその内容もきちんとした形で伝わるだろう。
 そう思い、彼女もまた東屋を後にする。
 残された兵たちだけが、いまいちどう行動すればいいのかを掴めず、しばらく互いの顔を見たりしながら動けないでいた。



-_-/一刀

 カカカンッ、ガッ、カンッ……!

「よっ、とっ……ほっ!」
「………」

 とある青空の下の、とある大きな樹の下。黒檀木刀と、鞘に納めた鈴音とがぶつかる音が響く。
 ヒビが入らないようにと纏わせている氣が微量なためか、祭さんとの鍛錬や、雪蓮との戦いの時のような金属音は鳴らない。

「……ふう。ありがと、思春。十分だ」
「ああ」

 蜀へと向かう過程、一日やそこらで辿り着ける距離でもなく、こうして三日毎の鍛錬は腕をポッキリやったあとでも続いている。
 痛みがないっていうのは大変ありがたいもので、骨自体は氣で固定してあるから走ったりしても揺れないしで、右腕が動かないこと以外は不自由を感じないでいる。
 なもんだから、鍛錬の日が来れば思春が駆る馬から下り、自分の足で走ったり……休憩を取る際にも思春に付き合ってもらって鍛錬をしていたりする。

「………」

 息は乱さずに汗だけを拭い、一息。
 折れた骨に回す分の氣が無くなるまで鍛錬を続けるわけにもいかず、剣術鍛錬自体はそう長くはしないで終える。
 体が鈍らない程度に動かしていれば、今はいいだろう。
 怖いのは左腕ばかりの鍛錬で右腕での感覚を忘れることだ。
 よく漫画とかでも“体が覚えているもんだ”というけど、それは体が覚えてくれるまで、条件反射でできるようになるまで鍛えた場合に限るわけで……俺のはそこまで至っていない……と思う。
 怖いんだな、ようするに。どうなるか解らないから怖いんだ。

「治れ〜、治れ〜……」
「………」
「いや大丈夫、頭がイカレたとかそういうのじゃないから……お願いだからそんな目で見ないでください」

 だから右腕に氣を集中させながら、こんなふうに念を込めるように唸ることがあるわけだが、きまって思春に哀れなものを見る目で見られてしまう。

「たださ、腕が動かせない分、鍛えてきた筋肉のバランス───えと、釣り合いとか均衡って意味だけど、それが変わるのが怖いんだ。だから早く治れ〜って……わ、解るだろ?」

 華佗の言うことが本当なら、俺の傷が癒える速度は普通の人よりも速いはずだ。
 それを今、固定と合わせて氣で癒そうとしている。
 右腕が使えなくても、これはこれで左の鍛錬には丁度いいんだけど……やっぱり右を動かせない事実は、たったそれだけでもストレスに変わる。

「左……左かぁ……。左手だけで出来ること……んー…………届かざる左の護剣(マンゴーシュ)!《クワッ!》」

 ……うん無理。剣っていうか木刀だしこれ……。そんな問題以前に、そういった奥義自体を俺は知らない。
 なにせ、じいちゃんが言うには北郷流に奥義はなく、そんな都合のいい左手奥義なんて余計に存在しないからだ。

(鍛えた五体こそを奥義と思え……かぁ。ほんと、無茶言ってくれる)

 左手に持った木刀を、左手一本で正眼に構え、突きを放ってみる。
 ……速度も大して乗らず、なんだか寂しい気分になってしまった。

「思春、蜀……成都に着くまでどれくらいかかるかな」
「正確な日数はどうあれ、それは幾度も往復をしている諸葛亮や鳳統に訊くべきだろう」

 広大なる荒野を眺めつつ、こちらを見ることもなく返す思春。まったくその通りなのだが、その二人が今は水浴びの最中だから仕方ない。
 これから荊州を抜けて益州に入って、成都へ……って時なんだが。こう遠くては「ちょっと遊びに来たよ」って気安く遊びには行けない。

(学校のためとはいえ、何度も往復するのは大変だったろうな、朱里に雛里……)

 と、広大な荒野から視線を背後に移せば、鬱葱としげる森林。
 この奥に泉があって、朱里と雛里はそこで水浴び中だ。
 ああちなみみに、毎度朱里や雛里を送り迎えする護衛兵のみんなには、森を囲むように立ってもらっている。
 いくら平和になったからといって、女の子二人で旅をしていいものかと訊かれれば、誰もがノーと答えるだろう。

「…………、」
「? 思春、どうかしたのか?」
「……空気が湿ってきたな。ひと雨来るぞ」
「え───」

 空を見上げる。……晴天の蒼がそこにあった。

「こんなに晴れてるけど?」
「だから今動く必要があるんだろう。雨足を防げる場まで行くぞ」
「……そっか、うん、解った。じゃあ朱里と雛里を呼んで来ないと、な……ってごめん思春……頼んでいいか?」
「…………諸葛亮と鳳統を呼んで来る。貴様は兵達に出る準備を整えろと言って回れ」
「ん、了解」

 素直に頷いて走る。こういう時の感覚は、俺なんかよりも思春のほうが上だろう。
 大して広くもない森の外周を回り、護衛兵に出発を告げると兵たちは準備を始めた。
 俺はといえば……その準備を手伝って、「悪いです」と言われても笑顔で返して、黙って準備を手伝った。


───……。


 出発から程なくして、空は突然の曇り空へと変わる。
 いったい何処から集まったのか。
 見上げてみれば、幾つもの分厚い雲が我こそはと名乗り上げるかのように、重なりに重なり、蒼かった空をどんよりとした泥水のような色に変えてしまっていた。
 そんな空の下を朱里と雛里と思春が馬で進み、俺は早歩きで進む。

「……なあ朱里。天候を操ることって出来そうか?」

 こんな急な天候を見て思い返すのは、三国志の赤壁の戦い。
 将と兵とが時間を稼ぐうちに諸葛亮が祈祷を捧げ、風向きを変えてみせるっていうとんでもないもの。
 本来ならそれで敗れるはずだった曹操……華琳は、火計に襲われることもなく勝利を勝ち取ったわけだが……

「天候を操る……ですか? う……ん……その。道士であっても難しいんじゃないでしょうか……」

 何気ない言葉に対しても、ちゃんと考えた上で言ってくれたんだろう。両手を胸の前で握り締め、難しそうな顔で言う。
 道士、と聞いて頭に浮かんだのは、拳と蹴りとでキョンシーを殲滅する男の姿だった。いや、あれはある意味で間違った例だ、忘れよう。

「道士か……そういえば、五胡……っていったっけ? そこには妖術使いが居るって話だけど」

 宴のあの日、雪蓮が五胡が襲いかかってきたことがあった、と言っていた。妖術なんてものを使うんだったら、それこそ天候とかも簡単に操れたりするんだろうかと、何気なく訊いてみたのだが。

「妖術、というのはいろいろな捉え方があります。たとえ本当に術を持たなくても、相手にそれが妖術だと思いこませれば、それは妖術になるんですよ」

 朱里はどこか真面目な顔で、きっちりと答えてくれた。

「たとえばです。空気に湿り気を感じたので、誰かが気づくよりも先に“雨が降る”と言ったとします。街の皆さんは空の蒼を見てそんな馬鹿なと言いますが……一刻後、本当に雨が降ったとしたら───」
「あ……なるほど、たとえその一度目で信頼されなくても、小さなことでも回数を重ねていけば……」
「はい。知を持たない人にとって、それは確かな“予言”に変わるんです」

 …………いや、うん。思春さん? べつに貴女を悪く言っているわけじゃないんですから、気配を殺しつつ背後で俺にだけ殺気を飛ばすの、やめてくれませんでしょうか……。というか俺が言ったわけじゃないのに……。

「ただ、それは私達がそう考えているだけであって、“妖術というものが存在しない、またはする”といった証拠があるわけでもありません……。なにをとって妖術と決めるかは、やはり己の見聞で決めるほかないかと……」
「妖術……うーん」

 軽く、思考を回転させてみる。
 妖術っていうのが本当にあったとして、それはたとえばどういったものを見ればそう思うのか。
 きっかけになった通り、天候を操れれば? ……いや、それは妖術っていうよりは神秘に近いと思う。むしろ崇められる側、神の能力とかと謳われて然りだ。
 じゃあ……あ、そっか。紙から兵を作ったりとか、死者を蘇らせたりとかか。うん、妖術って感じがする。

「あ、妖術ついでで訊きたいんだけどさ。五胡ってところ、どうなったんだ? 雪蓮の話だと、俺が元の───天に戻ってから、ひと騒動あったそうだけど」

 そのことに関しては、華琳も魏のみんなもなにも言わない。
 言いたくないのか、それとも訊かれない限りは答えたくもなかったのか。
 朱里は俺の質問に対して……気の所為か軽く身震いして、弱々しい笑顔で返してくれた。

「五胡……ですか……。ひと騒動で片付けられる規模ではありません……異常ともとれる兵力を以って、理由さえない……あるとするなら、その……“邪魔だからそうした”としか思えないひどい攻め方で……三国に向けて進軍してきました」
「三国に……? どれかひとつの国じゃなく?」
「そうだ。幸いにしてと言うべきか、国境の兵が異常に気づき、報せに走ってくれたお陰で迎え撃つことが出来た」
「………そっか」

 朱里に続き、説明してくれた思春に頷きを返すが……“人が死んだ”。そのことが、胸にズキリと響いた。
 自然と俯きかける俺に、雛里が悲しそうに告げる。

「やっと……平和になって、みんなが笑顔を見せるようになった……途端、でした……」

 馬を歩ませる兵の後ろで帽子を深く被り直し、囁くように。

「持ち堪えてくれていた国境の兵はほぼ全滅……近隣の街も潰されかけていて、そこになんとか駆けつけることが出来た……そんな戦いでした」

 同じく、かつてを思い出してか……震える声を絞り出す朱里。
 そして───

「幸福の中にこそ危機がある。その言葉を現実として突きつけられた。……貴様なら解るだろう、北郷。いくら手を伸ばしても声をかけても、手を握らなかった民たちの悲しみを。三国の何処かが憎いのではない……五胡こそが憎く、だからこそ許せず、手など握れなかった」
「あ……」

 ……そう。そして、こんなところでようやく理解に至る。
 届かないはずだ、頷けないはずだ。
 憎しみが向けられた場所がまるで違う。
 魏を、蜀を憎んでいるのではなく、ただ戦を憎み……五胡という得体の知れないものを憎んだ。
 それはきっと、事情を知らない俺がいくら、なにを言ったところで届くものじゃない。

「……それを俺に教えなかったのは、なにか理由があった?」
「知らないほうが踏み込める心もある。下手な同情ではなく、心から純粋に伸ばす手……それが必要だったと雪蓮様は言った」
「……そっか」
「いつか貴様にした“子を亡くした者たちへの同情か”という質問に対し、貴様は“同情以外のなにものでもない”と言ったな。だが、貴様が同情だと頭で思うよりも、事情を知ってしまって同情するのとではあまりに違う。考え方も、接し方も、その全てが一挙手一投足に現れただろう」
「…………。だから、教えなかった……か」

 伸ばした手を断り続けた彼らには、いったい俺はどう映ったことだろう。
 俺へと罵倒を叫び続けた人の中に、五胡に家族を、友人を殺された人は混ざっていたのだろうか。
 同情ではなかっただろうけど、果たして……馬鹿にしているのかと憤怒を覚える者は居なかったのだろうか。
 そんなふうに、自分の意思とは関係なく次々と苦しさが込み上げる中で、ふと……冥琳の言葉が頭に浮かんだ。

「でも、きっともう大丈夫です。五胡との戦いから今まで、私達は国境や砦の強化、街の警備強化や櫓の増設など……五胡から付け入られる隙を無くすために様々な手を打ってきました」
「そうなのか?」
「は、はい……朱里ちゃんの言う通り、出来る限りのことはしてきました……。たとえもう一度進軍されるようなことがあっても、三国連合が辿り着くまでの時間稼ぎは十分にできるはずです」
「………」
「……、……?」

 軍師モードだからだろうか。噛むこともなくすらすらと喋ってくれる二人に、なんとなく感謝したい気分。
 ……そっか。手を打つことが出来たなら……もう、血を見なくて済むんだろうか。

「不安そうな顔だな」
「いや───もう血を見なくて済むのかなって思ったら、腹の底から安心したっていうか……うん」

 よかった。
 安易に言っていい言葉じゃないかもしれないけど、よかった。
 これでもう、民や兵のみんな、将のみんなだって辛い思いや悲しい思いを背負うこともない。
 これからはずっと、みんなが笑って過ごせる日々が……きっと来る、そう信じよう。来なければみんなで無理矢理にでも、そんな日常を迎えに行こう。

(お前になにが出来る……か)

 あの言葉は、何も知らない俺にこそ向けた言葉だったのかもしれない。
 家族全員を失い、自分だけが生き残った老人。
 あの人は魏、呉、蜀、どれかの戦いに巻き込まれて家族を失ったのではなく、おそらく……五胡の戦いこそで全てを失ったんだろう。
 だって、そうじゃなければ……家族全てが死んでしまうなんてこと、想像できない。華琳も雪蓮も桃香も、民を大きく巻き込んでしまうような戦い方はしないはずだ。
 だというのにあんな老人が居て、ただ生きることが出来るから生きる、なんて人生を歩ませてしまっている。
 答えは最初からそこにあっただろうに、俺はそれに気づけなかったんだ。

「悔いているか?」

 自分の手を見下ろしていた俺に、思春が声を投げかける。
 悔い? 悔いは……

「ん……そうだな、きっと……うん、悔いている。どうして気づいてやれなかったんだって、どうしようもなく思っちゃうんだ、仕方ない」

 頭の中が勝手に、悔いに埋め尽くされそうになる。
 どうして、なんで、滑稽だ、なんて。

「けどさ。あのお爺さんは……俺の手を握ってくれた。“ただ生きているだけ”の、希望を持たない人でも───伸ばした手を握ってくれた。“どうでもよかったから”って言われればそれまでなんだろうけどさ」

 滑稽なんて言葉は今さらだ。
 滑稽でなくなるために手を伸ばすことをやめなきゃいけないなら、俺は滑稽のままでだって構わない。

「それはたぶん、思春が言うように“同情”で手を伸ばしたら得られなかったものだと思うから───うん。悔いはあっても、誰に向ける文句もないよ」

 いつか、雪蓮にも言った言葉を口にする。
 祭さんを殺したことを後悔しているかと問われ、俺は後悔はしていないと答えた。
 自分の“存在”を賭けて、結果として俺の言葉がきっかけで祭さんが討たれたとしても、そこには後悔はないと。
 逆に自分が殺されれば、悔いは残っただろうけど文句はなかったと答えた。
 そうだ、文句なんてない。
 悔いは残るけど、それは必要な悔いで、受け止めるべき悔いだった。
 ───手を繋いでくれた老人が居る。
 繋いでくれなかった町人が居る。
 繋いでくれたから大事なんじゃないし、繋いでくれなかったからどうでもいいわけじゃない。
 今さら真実を知ったところで発した言葉が取り消せるわけでもなければ、取り消すつもりだってないのだから。

「ん……あ、雨?」

 重くなりかけていた心を、熱くなり始めていた頭を潤し、冷やすかのようにぽつぽつと降り始める雨。
 護衛兵たちはすぐに馬を駆けらせ、朱里や雛里を雨宿りできるところまで運ぼうとする。
 思春もすぐにそれに続き、同じく急ぎ駆けてゆく兵を見送りながら、俺は歩いた。

(なにか出来ること、無いだろうか……)

 真実を聞いたばかりで手を伸ばせば、明らかに同情として受け取られるだろう。
 同情としての自覚がある分、俺が伸ばす手は余計に性質が悪いんだろうけど……はは。

「同情になるからって線を引いて接したんじゃ、届くものも届かないもんな」

 俺は俺のままでいいのかもしれない。
 どれだけ泥を被ることになっても、最後に伸ばし続けた甲斐が……誰かの笑顔が見られるなら、その時は俺も笑っていられると思うから。
 たとえそれが俺に向けられる笑顔じゃあなかったとしても───それが生きることを諦めない笑顔ならそれでいい。
 泥を被るっていうのはそういうことだ。

「……頑張ろう、もっと……もっと」

 トンと胸をノックしてから走り出す。
 蜀での暮らしがどんなものなのかが全然予想も立てられないけど、あの劉備さんの国だ。きっと穏やかで笑顔に満ちた国に違いない。
 そう思ったら少しだけ胸が熱くなって、頑張ろうと決めた意思にも暖かさが増した気がした。



45/関係ないけど“蜀”は“イモムシ”と読める

 そう、暖かさが増した…………そんなふうに思っていた時期が、俺にもありました。

「………《む〜〜〜ん……》」
「…………」

 蜀入りを果たし、ようやく成都まで辿り着いた俺達は、何処かで休むこともなく城へと直行。
 普通なら玉座の間で待っているべきであろう桃香に、何故か城に入った途端に迎えられ……朱里と雛里が頭を下げ、思春もまた軽く頭を下げる中………………僕はといえば、桃香の後ろで般若が如き形相をしている関羽さんに睨まれ、冷や汗だらだらに固まっておりました。

(根に持ってる……! まだ根に持ってるよ……!)

 ……え? いやこの場合、根に持ってるとかいうのか?
 確かに桃香の着替えを覗いてしまったわけだが、あれはその、なんというか不可抗力であったわけでして。
 しかもそのことについては桃香からはもう気にしていないって許しを得たわけで……あの……。

「おかえりなさい、朱里ちゃん、雛里ちゃんっ。御遣いのお兄さんも、ようこそ成都へ。歓迎しますっ」
「へっ? あ、ああ、久しぶり、桃ヒィッ!?」
「ひゃうっ!? え、どど、どうかしたのお兄さん……と、逃避? どこかに逃げるの?」
「え、いやあの……ナナ、ナンデモナイデス……」

 怖い……怖いです関羽さん! 桃香のことを真名で呼ぼうとした途端に目が光った! ていうかあの!? ここ城内で、迎えてくれただけですよね!? どうして青龍偃月刀を構える必要が!?

(………)

 桃香、って言葉とヒィッて悲鳴が合わさって、逃避って言葉と勘違いされた。
 微笑ましいことだ。その悲鳴が本気の悲鳴じゃあなかったら、きっと俺も笑えてた。

「コノ度ハ、ワタクシゴトキヲ教職ニ招イテクダサリ、アリ、アリガ……アリ、アリアリアリアリアリーヴェデルチ……!!」
「わぁお兄さんっ!? なんか口の端から泡が噴きこぼれてるよっ!?」

 殺気が……殺気がね……!? こう、誰にも向けることなく俺にだけ向けられて……! 喉が、肺が鷲掴みにされているような気分になってきて……!
 今すぐ“さよならだ(アリーヴェ・デルチ)!”とか言って逃げ出したい気分です、というかもう言ってるので逃げていいですか?

「桃香」
「はい?」
「よく……聞いてほしい。俺はここに、学校についてを説明するためにきた……そうだったね?」
「うん。でも朱里ちゃんと雛里ちゃんには、教師役もしてくれるって聞いたよ?」
「将を相手に、“ちゃんと教えることが出来るか”って課題だったね。うん、覚えてる。で、その……授業には、関将軍も……?」
「当然だっ!《クワッ!》」
「ヒィッ!?」

 ボソリボソボソと話していたはずなのに、カッと目を見開き叫ぶ関将軍! 思わず同じ読み方の甘将軍たる思春にヘルプとばかりに視線を送ってみるが……わあ、無視だ。

「貴様、まさかこの機に乗じて桃香様によろしくないことをおおおお教えたり……! 許さんっ、この関雲長の目が黒い内は、この地で貴様の好きなようになど───!」
「……どうしてだろう。今の関羽さんなら、春蘭と仲良く出来る気がする」
「同感だな」

 俺の何気ない呟きに、思春が即答で頷いてくれた瞬間だった。

「もー、愛紗ちゃんてばまだお兄さんのこと怒ってるの? その、べつに愛紗ちゃんが覗かれたわけじゃないんだから、そんなに怒ることないのに……」
「桃香様はもう少しご自愛すべきですっ! 誰とも知らぬ男に肌を覗かれ、事も無しとしたのでは示しがつきません!」
「え? いやあの……俺、戦ったよね……? かっ……華雄と戦わされたよね!? あれってなんのための戦いだったの!? 事も無しって、あの戦いさえ無かったことにされてるの!? ねぇ!!」
「そうだよー、愛紗ちゃん。お兄さんはちゃんと戦って勝って、私にも許されたんだから。愛紗ちゃんが怒る理由、ないと思うよ?」

 うう……桃香、いい子だなぁ……。
 不可抗力とはいえ着替えを覗かれたのに、こうして庇ってくれるなんて……。
 ……いや、もしかすると天然なだけなのかもしれないけど。

「う……しかし桃香様」
「とにかくだめ。せっかく平和になったのに、小さなことで諍いを起こしてたら台無しになっちゃうよ。……それに、朱里ちゃんや雛里ちゃんの報告を聞けば、お兄さんが悪い人じゃないってことくらい……愛紗ちゃんも解るよね?」
「そっ……それはっ、この男が朱里や雛里の前でだけ自分を演じただけかもしれないでしょう!」
「ウワー、凄ク信用サレテナイヤー」

 いっそ爽やかとも取れるくらいに信用されてない自分を笑いたくなった。
 ここまで嫌われてると、さすがに……ヘコムなぁあ……。

「え、えーと……ごめん、話を進めてもいいかな。俺が関羽さんに嫌われてるのは、よく解ったから……」
「えっ、や、違うんだよお兄さんっ、愛紗ちゃんはただきっかけが掴めないだけで、本当は仲直りしたいな〜って。ね? 愛紗ちゃん」
「有り得ません《キッパリ》」
「も〜〜〜っ、愛紗ちゃんっ!?」

 冷めた視線を俺にくれると、腕組をしてそっぽを向きつつぶつぶつと呟き始めた。
 うん、ヘコミはするけど、慣れてないってわけじゃない。
 と、いうかね、桃香。今の言い方って、まるで謝れない子供を叱りつける母親のようだったよ?
 ……そっぽ向いてぶつぶつ言う関羽が子供っぽく見えるって意味では、あっさり頷けるほど納得だけど。

「それで……桃香。俺はこれからどうしたらいいかな」
「え? あ、うん。お部屋を用意してあるから、まずはそこに案内するね? それで……えっと」
「? ……ああ」

 胸の上で指を組みながら、ちらちらと思春を見る桃香。
 思春が一緒に来るなんて報せはなかったんだろう、戸惑いは当然だ。

「玄徳様、事情は存じておりましょうが説明させていただきます。私は自身の罪と孫策様の命により庶人扱いとなり、今はこの男……北郷の下に就いております」
「あ、はい、聞いてたけど……わー、本当だったんだぁ……」

 素直に驚いたらしい。
 ホワーと口を大きく開けたまま、俺と思春とを見比べている。
 そうして見比べられる俺はといえば、思春の口調に驚いて……うん、ホワーと口を大きく開けたまま固まっていた。
 てっきり孫家の人以外には敬語は使わないかと思っていたから、なおさらに驚いた。
 そんな俺の顔になにか関心を引くものがあるのか、朱里と雛里がじーーーっと見つめてきたり……いやほんと、なんなんだ? 俺の顔ってどこかおかしいんだろうか。そう思いながら二人の顔を見つめ返してみると、慌てた風情で目を逸らして……朱里が、桃香に話し掛ける。
 誤魔化したな……うん、誤魔化した。

「はわっ……そ、それでは桃香しゃまっ……はわわ、桃香さまっ、一刀さんたちをお部屋に……」
「あ、うん、そうだね。それじゃあ……《チラリ》」
「…………《む〜〜〜〜ん……》」

 笑顔で頷きながらもチラチラと関羽を見る桃香───……え? ま、まさか桃香? 関羽に案内を任せるつもりか!?

「そんな自殺行───」
「っ!《クワッ!》」
「───為、なんて思ってマセン!! お、おおお俺っ、かかか関羽さんに案内されたいなぁ!!」
「わっ、そうなんだ、よかったー♪ このままずっと仲が悪いなんて、悲しいもんね。……愛紗ちゃん、頼んでもいいかな」
「はっ」

 関羽がキリリとした表情で頷くと、俺の胃もキリリと痛んだ。
 俺と思春……じゃなくて、俺だけを一瞥したのちに歩き出す関羽に戸惑いつつもついていくと、思春も黙ってついてきてくれて───ううぅん、先行き不安……いろいろと疲れる生活になりそうかなぁ……。
 でも衣食住が保証されているなら、そう悪いこともないか。うん、頑張っていこう。


───……。


 ……などと思っていた時期が、俺にもついさっきまでありました……。

「………」
「………」
「………」

 案内されるままについてきてみると、

「ヴォルヒヒィ〜〜〜ィィン」

 ……心地よい高音域で馬が鳴いてらっしゃった。
 え……? あれっ…………? 目……っ、目が悪くなった…………っ!?
 否……否…………っ! 馬屋…………っ! どう見ても馬小屋…………っ!

「え、えぇと……関羽さん? 馬でも愛でに来たんでしょーか……」
「………」

 問いかける僕に対し、彼女は馬小屋の隣、小さな……文字通りの“小屋”を目で促す。
 ……え? 隣になっただけで、結局馬小屋(隣)?

「………エ、エエト……?《カタカタカタ……!》」

 状況が飲み込めず、カタカタと震える僕。
 そんな僕をほったらかしにすると、関羽は思春を連れてどこぞへ歩いていってしまった。

「───」

 残される俺。そして視界いっぱいに広がる馬小屋。

「……悲しい時は……泣いたって、いいんだよ……?」

 マイホームが出来ました。出来た途端に泣いてました。
 セルフ慰めももはや虚しいだけでしたさ……。

 ……ちなみに。
 この時、関羽も思春も俺についてくるように促してくれていたらしいんだが、馬小屋を宛がわれたと勘違いした俺はショックのあまりにそれに気づけず、多くは語ろうとしない二人に置いてけぼりにされた。
 それが冗談だったと解るまで、まだしばらく時間が必要だったのだ。


───……。


 ……。

「昔ベツ○ヘ〜ム〜の〜…………馬ぁやぁ〜〜どぉ〜〜にぃい…………うぐっ……ふぐっ……うぅうう……」

 馬宿に産まれしイエス様……ネロとパトラッシュと僕に贈られる奇跡の鐘は何処にあるんでしょうか……。
 馬小屋でTAIIKU-SUWARIをしつつ歌っている俺の目からは、もはや雇われ教師とは思えないくらいの待遇に感動の涙(皮肉)が溢れ出て止まりません。

「い、いやっ、こんなふうに泣いたら、ここで暮らしている馬に失礼だっ! 大丈夫だよ俺っ、呉では周々や善々と一緒に夜を明かしたことだってあるじゃないかっ!」

 最低限、寝泊りできる環境があるんだ……もはや何も言うまい。
 関羽さん……俺はこの待遇を、蜀における今の自分の地位とし、覚悟として受け取るよ!!

(覚悟───完了!)

 決まったらあとは早い。
 早速お世話になる場所の掃除を開始するべく、腕をまくってから鼻息も荒く作業に取りかかった。


───……。


 ごしゃごしゃごしゃごしゃ……ザサッ、ザサッ、ザサッ……

「ふんふんふふ〜〜ん♪」

 敷き藁を天日に当てたり、タワシで壁の溝を磨いたり、雑巾がけをしていったりする。
 物置だったのか、清掃や作業に使われる道具一式は揃っていたようで、なんの不自由もなく行動に移せた。
 ふふふ、こう見えて雑巾がけなどの掃除は得意なのだ。稽古をつけてもらう代わりに、じいちゃんに道場の掃除をやらされた。
 ……最初は本当に“やらされた”んだけど、途中からは率先してやってた。

「よしっ、あとは……」
「ブルッ?」

 お馬様と目が合った。
 ……うぅむ、体を洗うにしても、こういう場所じゃなくて川とかでやるほうがいいよな?
 でもさすがに放すわけにはいかないし……

「お客さん……痒いところ、ありますか?」

 特に名案が思いつくでもなかったので、馬とスキンシップをとることにした。
 今はもう少なそうな、床屋の上等文句を使いつつ。

「ごめん、ちょっと触るな? ん、んー……」

 しなやかでありつつ、筋肉もしっかりとした様……しなやかマッスルに触れてゆく。
 時折に指を滑らせ、痒いところに反応があるかどうかを調べつつ。
 そういえば馬にもそういうのってあるんだろうか。犬とか猫はよく後ろ足で体を掻いたりしてるけど、馬のそれは……ちょっと想像つかない。
 痛覚がある限りは、そういうのもちゃんとあるだろうけど……うーん。

「指圧の心は母心〜♪」

 ついでに、大きく盛り上がった背中……あ、いや、肩甲骨……でいいのか? この部分は。
 ともかくそこに、軽い指圧をしてゆく───と、その馬は首を傾げるように振り向くと、俺の顔に自分の顔をこすりつけてきた。

「お、おおっ? もしかして気持ちよかったりするか? だったら……うん、嬉しいかなぁ」

 最初は助言者、次は教師……挙句が馬屋番バッサシ。というか馬屋に住む者になった俺。
 そんな俺にも誰かを喜ばせることが出来た……そんな些細なことが嬉しかった。……うん、まあその……相手がたとえ人間じゃなくてもさ……。

「いやいや、そんなことじゃあいけないよな」

 呉で得た理想、誰もが笑っていられる世を作ろうって思いは実に素晴らしかった。
 そんな意思に関心を得たならば、動物にだって心地よく住みやすい環境が必要だ。

「よし……俺、頑張るよっ! 出来ることからコツコツと!」

 差し当たり、俺が出来ることは……この場に居る馬のみんなを喜ばせることのみに絞られる、というか絞る。
 さあ始めよう……刻んだ覚悟の分だけ、俺はここに居るみんなに笑顔を───!

「あ、でも勝手にそういうことやってると怒られる……か?」

 もしかしたら馬屋番の誰かがここの掃除をしていて、それで給金をもらっているかもしれない。
 だというのに、俺が勝手にそんなことをしたら……いつか華琳に怒られた時みたいに迷惑をかけてしまう。

「うぐっ……でももう随分と掃除しちゃったしな……」

 いや、今日はせめて、宛がわれた部屋の掃除をしていたってことで納得してもらおう。
 それじゃあ元気よく……いや待て、どうせなら───



-_-/馬超

 近々客が来る、と聞いてたけど、それが今日だと知ったのはついさっきだ。
 桃香様が魏からの……えっと、なんていったっけ……なんとか“ごう”……ほん? ほんだっけ、ほん、ごう、だっけ? ……ああそうだ、ほんごうとかいう男だった───を、迎えに行った。
 天の御遣いだかなんだか知らないけど、魏からの客人だからって桃香様が直々に迎えるっていうのもなぁ……相手は警備隊長なんだし。
 全員で、玉座の間で迎えるべきだと思ったけど、朱里の報せでは畏まられるのが苦手な相手だっていうことで、迎えるのは桃香さまと愛紗だけって形になった。
 心配っていえば心配なんだけど……愛紗が居るんだ、警備隊長くらいならたとえ暴れ回ったとしても、ものの数秒で鎮圧できるさ。

「ま、いいや。あたしはあたしの仕事を〜っと…………あれ?」

 今日も馬の世話を───と馬小屋にやってきた。
 それまではいい。それまではよかったのに……

「誰だっ!!」

 その馬小屋で、片腕で馬をべたべたと触っている謎の存在を発見した。
 紙袋を被ってる所為で顔は見えないけど……

「?」

 あたしの声が届いたのか、ぴくりと反応を示すと……軽く手をあげて、「やあ」と挨拶をしてきた。

「………」

 拍子抜けって、こういう時に使うんだなって……気が抜けた瞬間だったよ。

「な、なんなんだよお前! 軍馬に手を出してただで済むと思ってるのか!?」
「あいや、落ち着きめされい。我は校務道を極めし者、校務仮面。世にある雑用の全て、こなさずにおれん体質なのだ。どうか勘弁してほしい」
「は……? こ、こうむ……?」
「うむ。近々開かれる学校にて、雑用をこなす気である」

 声からして男らしいそいつは、紙袋をごそごそと鳴らしながら喋る。
 言葉を信じるなら───……あー、なんだっけ……学校っていったっけ? の、関係者らしい。
 けど、その“なんたら仮面”って名前は聞き捨てならない。

(こいつ、あの華蝶仮面とかいうやつの仲間か……?)
(……ちょっと正体がバレないように掃除するつもりだったのに……えらいことになった……!《カタカタ……!》)

 心無し震えているようにも見える……けど。あいつの仲間だったとしたら、あれも油断させる手段なのかもしれない。

「おいお前……華蝶仮面の仲間か?」
「……かちょ? いや、聞いたこともないが」
「───じゃあもういい、まずはそのおかしな被りものを取って、顔を見せてもらおうか」

 槍は持ってきてないけど、注意だけは怠らないままに近づいてゆく。
 まさか、見せられないほど醜い顔があるわけじゃないだろうな……と少し不安に思いながら。

「いかん! 校務仮面の素顔は絶対に秘密なのだ!」

 けどそいつは、あたしがジリっと近づくや挙動をおかしなものに変えると、距離を取る。
 怪しんでくれって言ってるようなものじゃないか。

「…………今なら素顔をさらすだけで勘弁してやるって言ってるんだよ、当然そのあとは桃香さまの前に突き出してやるけど」
「それ全然“さらすだけ”じゃないよね!? 断固として断る! この校務仮面は、己の住む場所への感謝を込めて掃除をしていただけなのだ! 後ろめたいこと一切無し!」
「住むぅ!? なんだそれ、馬小屋に住むように言われたってのか!?」
「言われてない! 言われてないけど関羽さんにここに連れてこられた! 部屋さ……ここは部屋なんだ! この校務仮面にはもはや、ここが黄金卿にすら見えるさ理想郷にすら見えるさエルドラドだよちくしょーーーっ!! 部屋に案内するって言われたのに馬小屋に連れてこられたこの校務仮面の気持ち、誰が知る! それでも……それでも突き出すのかーーーっ! そっ……それでもっ……うぐっ……ぐすっ……うぇえええ……!!」

 うわっ、泣いたっ!?

「お、おいっ、なにも泣くことないだろっ!? 解った、解ったよ! ちゃんと事情聞いてやるから……!」

 ……なんだかよく解らないうちに、突然泣き出した校務仮面とかいうやつの話を聞くことになってしまった……。
 なにやってんだろ、あたし……。



-_-/一刀

 不覚にも泣いてしまったのち。
 困った顔は浮かべるものの、聞く姿勢をとってくれたポニーテールな彼女に感謝しつつ、話をする。
 ……しかしなんだろう、何処かで見たような気がするんだけど……宴の時に会ってるのかな。

「へえ……じゃあ本当に愛紗に連れられてここに来たのか」
「はい……」

 頭には校務仮面を被せたまま、がっくりと項垂れてみせた。
 一応事情は理解してくれたらしく、彼女は「なにやってんだ愛紗のやつ……」と愚痴のようなものをこぼしている。

「それであんた、名前は?」
「《ビシィッ!》校務仮面だ」

 訊ねられれば即座に姿勢を正し、誰の耳にも届くようなはっきりした声で名乗ってみせた……途端に胡散臭い視線を向けられてしまった。

「格好としての名前じゃなくてふつーの名前だよ。あるだろ? あたしは馬超。字は孟起だ」
「ば……あ、あーあーあー!」

 馬超……馬超か! どうりで見た覚えがあると……! ううん……ここは秘密だとか言ってる場合じゃあ……ない、か……?
 蜀の将が名乗ってくれたのに、それを返さないとくれば無礼にもあたる。仕方ない……よな。ごめん、校務仮面……自ら正体を明かす俺を許してほしい。

「《ガササッ……》ふぅ……俺は北郷一刀。魏で警備隊長をさせてもらってる。宴で顔合わせくらいは出来てたと思うけど」
「へ?」
「え?」

 校務仮面を取って、真っ直ぐに馬超の目を見ながら名乗った……ら、馬超は目をぱちくりと瞬かせたのちに───

「あっ……あぁあーーーーっ!! お前っ! 桃香様の着替えを覗いたっていう天の御遣いっ!!」

 人を指差しながら、大声でとんでもないことをおっしゃいました!!

「それはもう解ったから大声で叫ぶのやめてくれお願いだからっ!! 関羽さんに嫌われたり華雄と戦わされたり、関羽さんに恨まれたり馬小屋を部屋に宛がわれたり関羽さんに睨まれるだけじゃなく、さらに曝し者にする気なのかっ!?」
「あ、あぁああ悪いっ、悪かった! あたしが悪かったから泣くなよっ……!」
「え? うわっまた泣いてる!」

 言われてみて、視界が滲んでいることに気づきました。
 ああ……俺、蜀に居る間中はずぅっと変態覗き魔として十字架を背負わなきゃいけないのかな……。
 そんな未来に軽く眩暈を感じながら、ばつが悪そうにする馬超さんに“この世界に戻った時のこと”を事細かに説明し始めた。


───……。


 ……さて。
 懺悔室で神父様に悲しみを打ち明けるような気持ちで、馬超さんに自分の罪を打ち明けた。
 覗くつもりもなければ、偶然が罪になってしまう悲しき状況で、果たして俺はベツ○ヘムで暮らすべきなのでしょうか否か。
 ……いや、正直に言えばもう覚悟を決めてしまったあとなので、今さら部屋に案内されても頷けるかどうか。

「ふ、不可抗力だろうが覗いたのは事実なんだろっ? だったら完全にあんたが悪いんじゃんか、このエロエロ大魔神っ!」
「《ぐさり》…………」

 ベツ○ヘム(馬小屋。勝手に命名)在住決定。俺もう馬小屋在住の遠征痴漢野郎で結構です。
 エロエロ大魔神……エロエロ大魔神か……ハハ……いろいろありすぎて否定できないよ、魏のみんな……。
 と、落ち込んでいる俺の腹に、ごしごしと顔を摺り寄せてくる馬が一頭。

(ああ、そういえばこいつのマッサージ、やり途中だった)

 胸にぐさりと刺さった棘を落とすように、馬のマッサージを再開する。
 人間のものと感覚が同じかどうかは別として、より負担のかかりそうな場所に、最初は軽く、次第に強く。
 それが気持ちいいのか、馬はさらにさらにと顔を擦り付けてくる。

「ちょ、ちょっと待った、くすぐったいって! ていうかそんな押されると《ドスッ》いっだぁあーーーーーーーっ!!?」

 少し距離を取ろうとした途端、さらにと寄せてきた馬の頭が治りきっていない腕に衝突! 痛みはもう随分引いてたけど、やっぱり衝撃があると響く……っ!

「……麒麟が一目で懐くなんて……」
「?」

 麒麟? 麒麟っていうのか、この馬。

「なぁあんた、もしかして警備隊長ってのは嘘で、名のある馬屋番だったりするんじゃないのか?」
「名のある馬屋番ってなに……? いや、生憎と馬に乗るのもまだまだ不慣れで、誰かに誇れるほど、馬との付き合いはないかなぁ」

 魏では多少かじった程度……普通に乗れる程度の経験しかない。
 思い返してみれば、関羽さんや恋を相手に立ち回っていた華琳を馬に乗って助けに入ったのは、相当な無茶だったと震えられるくらいだ。
 あの時、もしも呆れるくらいに馬に乗ることすら出来なかったら……俺はその時の自分を一生恨み、悔いていただろう。
 経験っていうのは大事だよな、それが後悔だろうと楽しいことだろうと。何気ないところでも、何かの糧になってくれる。
 嫌々やり始めたことだろうが実りになって返ってくれば、経験を積むことにも躊躇なんて無くなるもんだ。

「あ、でも警備隊の仕事は本当に誇りに思ってるし誇れるよ。自分が頑張れば頑張るほど、民や兵が笑顔になってくれる。……てっきり、ずっとそうやって笑顔を見守りながら過ごしていくんだろうなぁって思ってたのに」

 どうして俺、呉に行ったり蜀に来たりしてるんだろうね。
 ……と、そういうふうに思うことはあっても、それが後悔に向かうかといったらそうじゃない。
 結果として冥琳を救うことが出来たし、呉にも笑顔が増えてくれた。友達も出来たし、信頼も得られた。

「結局さ、とんでもないことに巻き込まれたなーとは思うけど、自分の足で、意思で、華琳の隣に居たいって思った時から……その“とんでもないこと”は俺にとっての常、“日常”ってやつだったのかもしれない」
「日常?」
「そ、日常。だからさ、情けないことに泣いたりもしたけど……良かったらここ、使わせてもらえないかな。理由はどうあれ、こうしてここを宛がわれたのも何かの縁だと……───無理矢理思うことにした」

 ……俺の突然の言葉に、ポカンとする馬超。
 本当に突然だから気持ちは解らないでもないし、そもそも“馬小屋に住まわせてくれ”なんて言う客人なんて普通は居ないだろう。

「あ、や、まいったな……んなこと言われたって、あたしが勝手に許可出せることじゃないしさ……」

 当然のことながら馬超は眉を八の字にしつつ、困った風情で頭を掻き始めた。

「それ以前にいくら愛紗に嫌われてるからって、あの愛紗がそんな陰険なことを本気でするとは思えないんだけどなぁ」
「え……じゃあ冗談だったのを俺が本気にしちゃった……とか?」
「あたしはそう思うけどな」
「………」

 ……ありえるかも。
 そういえばショックのあまり呆然としてたし、その時になにか耳に届いたような届いてないような……あ、あれぇええ……!?

「で、どーすんだよ。誤解かもしれないって思ってて、まだここに住むとか言うのか?」
「言います《きっぱり》」
「言うのかよっ!?」
「だってもう覚悟決めちゃったし……決めた覚悟は意地でも貫くって決めてるんだ。なんかもう今さら泣きたくなってきたけど、俺は俺の覚悟を貫く!」

 そうと決まれば善は急げだ。
 力強く頷くとともに駆け出し、さっきまで桃香が居た場所へと向かった。
 後ろから馬超の俺を止めようとする声を聞き流しながら。


───……。


 で……

「許可を貰ってきたよ〜」
「なぁああーーーーーっ!!?」

 しこたま驚かれた。

「あ、あんた魏からの客人だろ!? それがどうして馬小屋に住むことを許可されるんだよっ! いくら桃香さまでもそんなことの許可なんてしないはずだぞっ!?」
「“馬と仲良くなりたいから”って言ったら満面の笑顔で“それじゃあどうぞ”って」
「うぁ…………言われてすぐに“言いそうだ”って納得できた……。なにやってるんだよ桃香さまぁ〜……」

 桃香はどうも、“仲良く”って言葉に弱いのかもしれない。
 結果としてそれに付け込むような形になって申し訳ないが、これも男の小さな意地のためと思って。

「えっと……馬超さん。なにかやっちゃいけないこととかってあったりする? 馬と一緒に生活するにあたって、気を付けることとかがあったら教えてくれるとありがたいかも」
「………」
「?」

 訊いてみるが、なにやらじーーーっと顔を睨まれるだけで、返事はない。
 俺もその視線から目を逸らすことなく見つめ返すと、馬超は急に顔を赤くしてそっぽを向いてしまい───

「な、なぁあんた。ほんとに、ほんっと〜〜〜に、ここに住む気なのか?」

 そんな状態のまま、視線をこちらには向けないでそんなことを訊いてくる。
 もちろん俺はその質問にうんと頷いて、お世話になりますと言ってみせた。……もう後には引けない。

「そっか……はぁ。……あんた変わってるな。魏の連中って、もっと固いやつらばっかりだと思ってたのに」
「……? 固い、かな。結構砕けてると思うけど……ああでも確かに、華琳以外にはそういうところを見せない人ばっかりかも」

 季衣や流琉、凪に真桜に沙和、霞や春蘭や風…………あれ? 思い出すだけでも結構砕けてそうなヤツ、居るぞ?
 秋蘭や桂花や稟は確かにキリッとしたイメージが沸きそうではあるけど、それ以外は打ち解けやすいと思うんだが……。
 けどまあ、気持ちは解る。
 魏は“そういう空気”を纏ってる感があるにはある。
 なにせ王が華琳なんだ、自然とそういう空気を纏ってしまうのも仕方ない。
 どう仕方ないんだーと訊かれたら……ううむ、どう説明したらいいものか。
 華琳にはこう……桃香や雪蓮にあるような、にこーとした雰囲気がない、と言えばいいのか? 年中キリッとしてるわけじゃないけど、誰かに寄りかかることを良しとせずに生きる者、というか。
 だからこう、宴の時に俺の胸の中で眠ってくれた時はかなり感激だった……のは、華琳にはずっと内緒にしておこう。じゃないと殺されそうだ。
 殺されないまでも、張り手のひとつは飛んできそうだもんなぁ。

「………《じーーー》」
「?」

 思考が顔に出てたのか、馬超が俺を物珍しげに見ていた。凝視と言ってもいいくらいにだ。
 さっきまでそっぽ向いてたのに……俺の顔って珍しいのかな。呉でもしょっちゅう見られてた気がするし……。

「……なにかついてる?」
「! なっ……ななななななにもっ!? べつにあんたの顔なんか見ちゃいないさっ!! なに勘違いしてんだよっ! べつにあんたのニヤケた顔なんてっ……!」
「……え? 俺ニヤケてた?」
「うぁっ……しし知らないって言ってるだろ!? 〜〜〜っ……あたしもう行くからなっ! 住むっていうなら勝手にすればいいだろっ!?」
「え、あ───」

 呼び止める間もないままに、“ゴシャーーーアーーーッ!”と走っていってしまう馬超さん。
 ……え? あれ? 俺、まだ注意するべきこととか全然聞いてないんですけど……? 勝手に……? 本当に勝手にしていいの? というか思いきり避けられたというか逃げられた気がして、むしろそれがショックというか。

「……誰か今の状況を事細かに教えてくれる人、居ませんか……?」

 だからだろう。
 微妙な心細さが心に突き刺さったとき、そんな言葉が口から漏れて───

「ここに居るぞ〜〜〜っ♪」
「《ビクゥ!》誰!?」

 ───呟きに返事が返ってきたもんだから、ビクゥと肩を振るわせて辺りを挙動不審者のように見渡しまくった。
 すると、馬小屋の裏側からひょいと顔を出す少女……!
 少女……少女が……………………誰?

「あの、失礼ですがどちらさまで?」
「《がくっ!》ありゃっ……もうっ、ここはもっと溜めて、ばばーんとたんぽぽが名乗るところだよ〜?」
「───」

 口調、物腰、纏っている雰囲気……宴の時に出会ってはいるはずだが、感じたものの全てで判断しよう……彼女は間違い無く“シャオ”と同じ、もしくは近い雰囲気を纏っている。
 僕の心が気を付けろと必死に訴えかけてきております。

「えーと、それでその、いったいどこから聞いてらっしゃったんで?」
「むかしべつれ○〜む〜の〜、ってところから」
「ぐああああああああっ!! さささ最初からじゃないかァアア!!」

 しかも聞かれてた! 歌聞かれてた! 恥ァアアずかしぃいいっ!!

「あははははまあまあ、そんなに恥ずかしがることないじゃん。哀愁漂っててとってもいい歌だったよ? たんぽぽ的には、宴で歌ってた歌のほうがじぃんときたけど」
「うぐっ……」

 やっぱり宴で会っているようだ。
 そういえば季衣や流琉、張飛と混ざってほわーほわーと叫んでいた子の中に、こんな子も居たような……。

「おにいさんって歌人かなにかなの? 警備隊の隊長さんだって聞いてたけど」
「普通に警備隊の隊長で、それ以外の役職は持ってない……はず。天の御遣いは役職じゃないと思うし」
「へぇえ〜〜〜……」

 なんか……物凄い勢いで全身隈なく見られてる……。
 桃香との謁見に合わせて、服はフランチェスカの制服を着てたわけだけど……それが珍しいのか、本当にじろじろと。

「綺麗だね〜、何で出来てるの?」
「ポリエステル……って言っても解らないか」
「ぽりえすてーる? それって上等な絹かなにかの名前?」
「化学繊維……天然繊維じゃないよなぁ。えっと、天の国の素材で作られた服なんだ。天の国の学校では、大体がこういう服を着るのが義務付けられてる」
「えっ、そうなんだっ? じゃあもしかして、ただで貰えたりとかっ……」
「それはない」
「あっはは、だよね〜♪」

 退屈してたのか、普通に話すだけで楽しそうだ。
 そして質問の答えは依然として返ってこなかったりする。
 ……俺、一番最初に“誰?”って訊いた……よなぁ?

「それでえぇと……俺は北郷一刀。ここには学校のことについての助言と、お試し教師をするために来たんだけど。名前、よかったら教えてもらえるか?」
「そしてたんぽぽもお姉様みたいに口説き落とすんだねっ……!」
「落としてないし落とさないしお姉様って誰!?」

 軽く握った手を口に添え、物憂げな顔をして言う彼女にツッコミ三閃。
 お姉様、ってところには先ほど物凄い速度で走っていったポニーさんが該当しそうだけど、落とすつもりも落としたつもりもまるでない。
 しかし俺の慌てっぷりがお気に召したのか、少女はにっこりと笑うとようやく自己紹介をしてくれる。

「お姉様はお姉様だよ、従姉の馬超お姉様。で、たんぽぽの名前は馬岱。蜀の南蛮平定美少女戦士とはたんぽぽのことだーーーっ!」

 エイオー! と右手を天に突き上げて元気よく発声。
 うん、本当に元気だ。シャオと同じ感じがしたと思ったものの、そんなものはどうやら第一印象だけだったらしい。
 少し子供っぽいところはあるものの、それも歳相応といった感じで、シャオのように無理な背伸びはしてなさそうだ。

「で、その美少女戦士さんは……いい加減状況を事細かに説明してくれるのでしょうか」
「つれないなぁおにいさん。もうちょっとたんぽぽに付き合ってくれてもいいのに。あ、もしかしてお姉様に夢中? お姉様とお近づきになりたいとか? ───だったらまずたんぽぽを倒してから言えーーーっ!!」《ヴァーーーン!!》
「人の話を聞けぇええーーーーっ!!」
「問答無用! お姉様に近づく輩はたんぽぽが認めない以上はたとえお姉様が許してもたんぽぽが───…………あれ?」

 馬岱が背中に手を回す! ───ミス! 武器は持っていないようだった!

「うゎえっ!? あ、あれっ!? おかっ、おかしいな、や、槍、どこに置いてきちゃったかなぁ〜……」
「………」
「……えっと」
「………」
「…………許す!」《どーーーん!》
「……お願いします……話、聞いてください……」

 武器がないと知るや、腕を組んで胸を張る彼女に脱力以外のなにも生まれませんでした。


───……。


 で、砕けて話し合ってみれば解ることもあるもので、馬岱はむしろ味気ない日常にはうってつけの調味料を見つけたとばかりに、俺のことを根掘りまがいに訊ね続けた。
 え? こっちの質問? うん、ほぼがスルーです。

「ねぇねぇおにいさん? おにいさんはさぁ、魏のみんなを抱き締めちゃったわけだよね?」
「………」
「誰が一番よかったの? やっぱり胸の大きい人? それとも慎ましやかな───」

 シャオが自分の恋慕に真っ直ぐ正直なら、馬岱は他人のことに真っ直ぐだ。解ったのはそれだけ。
 あれだな、奥様が話題を欲するあまりに、立ち入ったことを訊き漁るアレによく似ている。
 “名乗りあったばかりの人にそれを訊くか”と言い返したいことばかりを平然と訊いてくるもんだから、こちらとしても面を食らうばかりで……面を食らってたらどんどんと話が勝手に広がるし、否定しようとしても笑顔でスルー。
 ……神様、僕もう逃げていいですか?

(今こそ好機! 全軍討って出よ!)
(も、孟徳さん!)

 出る!? 出るって何処にですか孟徳さん!
 ……ハッ、そうか! スルーされるからって受身のままなのがいけないんですね!?
 よ、よし! だったら……乗ってやるぞ、その話に!

「馬岱!」
「《ガッ!》ひゃあっ!? え? な、ななななにかな、おにいさん。まさかこんな話してて、たんぽぽに欲情しちゃったとか───」

 休むことなく喋り続ける馬岱の左肩をガッと掴み、その眼を真っ直ぐに覗き込む。
 途端に彼女の表情に焦りが生まれるが、もはや遅い。

「……今ここに居るのは俺と馬岱だけだ。この意味、解るよな?」
「えっ……や、やだっ、まさか本気で……?」
「ああ、本気さっ。本気じゃなければこんなこと、出来るもんかっ!」
「で、ででででもおにいさんっ!? たんぽぽたち出会ったばっかりなのにっ! ほらっ、名前だって知ったばっかりなんだよっ!?」
「促したのは馬岱だ……俺も、もう覚悟を決めた」
「はうっ……! や、やっ───」

 そう、俺はもう覚悟を決めた。
 真っ直ぐに見つめるままに、震える彼女へと顔を近づけ───


 …………魏のみんなといたしたことを、その耳元で赤裸々に語ってみせました。


───……。


 ふしゅぅううう…………

「はう……はぅ、はぅう……」
「………」

 今の心境を一言で片付けるとしたら、「やっちまった……」に限るんだと思う。
 質問攻めにぐったりしていたのは事実だが、なにもこんな少女な彼女にアレやコレやを生々しく伝えることはなかった……うん、なかった。
 お陰で馬岱は顔を真っ赤にさせて目を回しながら、馬小屋の戸に背を預けてへたり込んでしまっている。
 心なし、湯気が出ているようにも見える……刺激が強すぎたんだ、正直にごめんなさい。

「けどこれで少しは───ハッ!?」

 待て!? これってもしかして……教師として蜀に来た俺が初めて教えたこと……ってことになるのか!?

「………」

 今度は俺が、戸に背を預けて崩れ落ちる番だった。
 ……変態教師って噂が流れないよう、ただただ祈ろう……本気で。




◆ネタ曝しにござる  *届かざる左手の護剣  パンプキンシザーズより。王家より授かりし技術。……だっけ?  *アリアリアリアリアリーヴェデルチ!(さよならだ!)  ジョジョの奇妙な冒険第五部、ブローノ=ブチャラティより。  *昔ベツレヘムの馬宿に  サクラ大戦2より、奇跡の鐘。  *馬屋番バッサシ  ブレイブフェンサー武蔵伝より、馬屋番バッサシ。 Next Top Back