46/顔合わせ

 蜀の忙しさは結構なものであり、桃香も関羽さんも忙しさの合間に迎えてくれたらしく、何処を歩き回ってもみんながみんな走り回っているような状態だった。
 俺はといえば、よろよろと歩いていく馬岱を見送りつつ馬小屋の清掃を負え、そういえばこれからの予定とかをなんにも聞いていないことを思い出し、朱里と雛里を探して歩き回っていたのだが。
 この目で見るその忙しさっぷりに開口。閉口が出来なくなるような状態であり、ちらほらと見かける張勲が涙目で作業する姿には、なんとなくごめんなさいを言いたくなった。
 三国に降ってもらおう、って言ったのは俺だもんな……うん。
 何か手伝えるものはないかなと声をかけてみるも、急に混ざられても混乱するだけだからと断られる始末。
 だったらと足を別の方向へと向け、歩くことしばらく───建設中の学校を見つけ、ホウ……と息を吐いた。

「へぇえ……」

 纏めていた通り、それは結構な大きさだ。
 しっかりとグラウンドもあるところに特に驚く。
 勉強だけじゃあもやしっ子になるだけだからと助言をした形がこれか……すごいもんだ。

(あ、朱里と雛里)

 作業している男たちの中に、大まかな見取り図を書いてあるであろう紙を広げ、話し合っている少女二人を発見。
 指示をする二人の少女はキリッとしていて、とてもはわはわあわあわ言っていた二人には見えない───と思うのも束の間。
 突然吹いた強風に見取り図を飛ばされると、「はわわーーーっ!」とか「あわわーーーっ!」とか叫ぶ始末であり、なんというかこう……うん、やっぱりあの二人だなぁとしみじみ思う俺が居た。

「ほっ!《バサッ!》……ふう」

 丁度こちらに飛んできてくれた見取り図をバシッと掴むと、慌てて駆けてきた二人に「はい」と渡す。
 二人は腹の底から安心したような溜め息を吐くとそれを受け取り、ぺこぺことお辞儀を……って、

「お、お辞儀はいいからっ、二人とも顔上げてっ」
「うぅ……助かりました……」
「ありがとう、ございます……」
「気にしないでくれって……よかったよ、こっちに飛んできて」

 キリっとした顔は何処へやら、持っていた風船が飛ばされてしまった子供のような顔でしょんぼりしていた。
 そんな顔を見ていたら、この手が自然と頭を撫でようと動きだしたのだが───さすがに蜀国内。軍師様にそんなことをしては、周りからの二人への印象が悪くなるのでは……と考えたら、伸ばしかけた手はピタリと止まった。
 落ち着け俺……指示を出す軍師がそんな、この国の将でもない輩に頭なんて撫でられてたら、作業中の工夫に示しがつかないだろう。
 ……というかそもそも、どんな時でも撫ですぎだ、俺。
 ここは魏じゃないんだ、二人の頭を安易に撫でたりするのは危険として構えよう。

「………」
「………」
「う……」

 そう決めたのに、二人が伸びかけた俺の手をじーーーっと見るわけです。なんかこう……下ろすに下ろせない状況といいますか…………どうしよう……。
 いや一刀よ、ここは鬼になれ……じゃないだろ、これくらいで鬼とか言っててどうする。

「朱里、雛里……ほら、一応みんなの前だからさ……。他国の警備隊長に頭を撫でられるとか、示しがつかないだろ……?」

 だから小声で、そっと囁く───と、ショックを受けたと言わんばかりの表情ののち、寂しげな顔をして俺を見上げて───いや孔明さん!? 士元さん!? 仮にも蜀の名を担う軍師様がそんな、頭を撫でられないだけで悲しそうな顔しないでください!
 たしかにことあるごとに頭撫でたりしてたけど、それが今さら無くなったからってショック受けること……あれぇ!? なんで!? なんでこんな罪悪感を味わってるの俺!

「そ、それでさ、朱里、雛里……俺、蜀に来てからなにをどうすればいいのか、聞いてなかったんだけど……。あ、いろいろあって寝泊りする場所を馬小屋にしてもらったんだけどさ、一応桃香に許可もらって───……えーと」
「………《ず〜〜〜ん……》」
「………《ずず〜〜〜ん……》」

 ……落ち込んでしまった。
 俯いたまま顔を上げてくれず、返事も特に無しというとても息苦しい状況の完成である。
 どうしてこんなことに……とは思ったものの、ふと思い当たることがあったにはあった。
 国に戻れば軍師として働いて、思いつく限り、閃く限りの最善を提案しなければならない立場にあって、常に気を張って視界を広げ、トラブルが起きればそれを解決するためにまた知恵を絞る。
 ようするに彼女たちにとっての俺は……蓮華にとっての俺がそうであったように、“甘えていい場所”なのかもしれない。
 けど待とう。それは嬉しいが、気を張るべき場所でも甘えてしまっては彼女らのためにならない。
 ならばどうするか───

「……時間が取れたらいくらでも付き合うから。今は、ちゃんと仕事に目を向けような?」

 再び小声で。
 途端に頭の中で、華琳の声で「甘いわね」とツッコまれた気がした……けど、聞こえた声が笑み混じりのものだったからだろう。俺も頭の中で「違いない」と笑って返して、二人に「頑張って」と……それだけを伝えた。

「……!」
「……《こくこく》」

 するとどうだろう。
 朱里はきゅっと拳を握り締め、雛里は帽子の位置を軽く直すと頷いて……工夫ざわめく男の楽園へと走っていった……はずが、ぱたぱたと戻ってくる。

「かじゅっ……一刀さんっ、陽が落ちてから、その、蜀の将全員と一刀さんの顔合わせを予定していますので……えと、忘れずに覚えておいてくださいっ」
「へ? 顔……えぇっ!?」

 何を言いに戻ったかと思えば、そんなとんでもないことを!?
 や……それはたしかに、顔も知らないヤツから急に「教師です」とか言われても困るだろうけどさっ!
 でも宴で歌わされたからには知ってる人も居るだろうし……いや待て、そういえば酔い潰れて寝てた人や、俺が一方的に知ってるってだけの人や、相手が一方的に知っているだけの人も……うう。

「あ、それから馬小屋に住む件ですけど、私と雛里ちゃんとで桃香さまに却下を出させていただきますね?」
「エ……それはちょっと」
「だめです、却下です」
「や、だから」
「だめです」
「あの、覚悟がね?」
「だめです」
「でも」
「だめです」
「………」

 お……怒って……らっしゃる?
 取り付く島が見当たらない……ここは何処の大海原で、どうして俺はそんな大海に放り出されたのでしょうか。
 怖い……! 笑顔なのに怖いよ朱里……!

「ひ、雛里───」
「却下……です……♪」

 ゆったり笑顔で却下されました。

「甘寧さんにはきちんと部屋が用意されています。はい、そこが一刀さんの部屋なわけですけど。庶人扱いの甘寧さんが部屋で寝泊りするんですよ? それなのに桃香さまが“来て欲しい”と招いた一刀さんを馬小屋で寝泊りなんかさせたら、“示し”がつかないじゃないですか」
「………」

 ウアー……怒ってる、笑顔なのに怒ってる。
 しかもやばい、逃げ道塞がれた。他でもない自分の発言に。

「それでは、夜のこと忘れないでくださいね♪ いこ? 雛里ちゃん」
「うん……♪」

 ……少女二人が満面の笑みで駆けて行き……そして俺だけがぽつんと残された。
 いや……うん……なんて言っていいやら……。

「この北郷も老いておったわ……。かの諸葛亮、鳳統の理性の量を見誤るとは……」

 “寄りかかってもいい場所”を見つけた人っていうのは、これで案外強くなれるのかもしれない。
 寄りかかる場所自身に矛先が向くのはどうしてなのかーとか、そういうことは度外視するにしても。

(うん、よし……とりあえず馬超さんと馬岱を探そうか……)

 馬小屋の件は却下になりましたと伝えないと……。


───……。


 時は流れて夜。
 陽が暮れる頃には蜀の皆様の仕事も多少の段落を得たのか、本当の本当に顔合わせをすることとなった。
 忙しい中でそんなことしなくてもと止めはしたんだが、皆様は皆様で“天の御遣い”っていうのをじっくりと見たかったらしい。
 玉座の間に集った蜀の主要人物を前に、俺……萎縮しっぱなし。
 隣で桃香がにこにこしていたりするが、それでも気分はソワソワしたりでまいっている。
 なるほど、呉での朱里と雛里はこんな気分だったに違いない。
 そんな中で、同じく別の国の存在(俺だけど)が居れば、多少の気休めにはなったのでしょうか。俺もそんな存在を募集したい気分です。
 気を紛らわす意味も込めて、隣の桃香に「王なのに玉座に座ってなくていいのか?」という質問をしてみるも、「お友達とお話するのにあんなところに座ってるの、変だよ」とあっさり返された。
 なるほど、違いない。

「お兄さん、そんなに固くならなくても大丈夫だよ? みんなとってもやさしいから」
「桃香さん? たとえば自分一人が魏国に招かれて、魏の将全員に囲まれる自分を想像してみてください」
「………………ごめんなさいぃ」

 喩えをあげただけで、線にした目からたぱーと涙が溢れてた。
 ……さて、ともあれ顔合わせというからにはみんなの顔を知って、自分も知ってもらう必要があるわけだけど。

『…………《じーろじろじろじろ》』
「あ、あのー……?」

 見られてる。
 ものすごーく見られてる。
 みんなきっかけが掴めないのか、ただ様子を見ているのか、じろじろと見てくるだけで近づいて来ることはしない。
 ……と思えば、どこか楽しげに歩いてくる女性が一人……趙雲さんだ。

「これが噂の御遣い殿か。なるほどなるほど、気弱そうに見えて、中々不思議な氣を纏っている」
「……どーも、趙雲さん。こうしてまともに話すのは、槍を突きつけられて以来になるのかな」
「ふむ? ……おお、そういえばそんなこともあったかな」

 思い出すのはこの世界に初めて降りた時のこと。
 右も左も解らない状態で身包み剥がされそうになっていたところを助けられ、真名というものの意味を知りつつ槍を突きつけられたね、うん。

「だがあれは御遣い殿に責があろう。許可なく真名を口にしたのだから、問答無用で貫かれていようが文句は言えぬというもの」
「ん……そりゃあ今でこそ頷けるけどさ。真名を知らない天の住人がこの世界に降りたら、一日で何人死人が出るか解ったもんじゃないよ、その理屈」
「む……知らぬは罪にならぬと、そう言うつもりか」
「知らないまま問答無用で殺されるのは可哀想だって話。もしそういうことがあっても、まず一度だけ待ってやってほしいかなって。そういう意味では、あの時は突きつけるだけに止めてくれてありがとう、趙雲さん」

 正直、あそこで死んでたら恨みがどうとかのレベルじゃあなかった。
 どういう理屈で“俺”が降ろされたかは知らないけどさ、助けられた相手に殺されたんじゃああまりに浮かばれない。

「……ふふっ、曹操殿のもとに降りただけあって、中々話せる。さて御遣い殿、我が名は趙子龍。お主の名をお聞かせ願いたいのだが?」

 ありがとうと真正面から言われたことが可笑しかったのか、趙雲は妖艶に笑んでみせると名乗ってくれた。
 ……あの時もせめてこうして、まず名乗ってくれれば……と思うのは贅沢でしょうか、趙雲さん。

「姓は北郷、名は一刀。字も真名もない世界からこの大陸に来た。天の御遣いとか呼ばれてるけど、なにか特別に凄い事ができるとかそんなことはないから、普通に接してくれると……その、ありがたいです」
「ほほう……これはおかしなことを。特別なことが出来ない者を、曹操殿がいつまでも傍に置いておくとでも? 北郷殿の考えがどうであれ、曹操殿や魏の将にしてみれば、お主という存在に“見えるもの”があったからこそ傍に置かれたのだろうに。……というか最後の後込みはどういう意味か」
「や、だから……俺自身がそう特別だなんて思ってないんだってば。庶人が蜀の主要人物に囲まれれば気後れしまくりにもなるでしょ? そういう心境なの、今の俺……」
「………」

 ぽかんとした顔で見られる……けど、事実は事実。
 特別なことが出来ない者を傍に置くはずがないってことだって、最初は天の御遣いっていう“名前”に利用価値があったから傍に居られただけだ。
 そうやって考えれば、警備体制の見直しや三国志に関する知識を使った助言が出来たこと以外に、主立った“特別”があったかどうか。
 現状維持は大事だけど、進む意思がないのなら普通とさえ呼べないと彼女は言った。
 以前と比べれば自分にはそれなりの進歩があるかもしれないが、あの頃を思えばよくぞ捨てられなかったな、と……───そんな考えが顔に出ていたのだろうか、趙雲はクスリと笑うと、

「なるほど。北郷殿が特別なことをしたのではなく、“曹操殿らの中で”、北郷殿が特別なものに変わってしまったと。なるほどなるほど、それは手放せぬはずだ」

 特別……になってくれているんだろうか。
 イマイチ自分自身にはそう自信を持てないんだけど……うん、そう言われて悪い気はしない。
 悪い気はしないから……愉快そうに笑う趙雲を前に、俺も小さく笑みをこぼした。
 そんな笑みに多少の気を許してくれたんだろうか、てこてこと歩いてくる影ひとつ。

「面白い話をしてるなら鈴々も混ぜるのだっ」

 ……張飛である。
 俺と趙雲の傍まで歩いてくると、両手を頭の後ろで組んで、にししーと笑いながらのこの言葉。
 離れた場所では関羽が「こら鈴々っ」と声を張り上げていたりするんだが……いやほんと、嫌われたもんだなぁああ……。

「……大丈夫? あとで怒られたりしないか?」
「にゃ? どうしてなのだ?」
「ほら、俺……関羽さんには滅法嫌われてるし」
「愛紗だけじゃないのだ、焔耶にも嫌われてるのだ」
「《ぐさり》………」

 少女の……少女の無邪気さが胸に痛い……!
 焔耶……? 焔耶って誰……? と辺りを見渡してみると……黒髪に、白に近いほど薄い肌色の髪が混ざった女性が人をも殺せる眼光で睨んでいて───ってあの人!?
 気づかなければよかった! 絶対に本能的に気づこうとしなかったよ今までの俺! 気づけなかったのが不思議なくらいに殺気放ってるし!
 今一度働いてくれ、精神の防衛本能! 胃が……胃が痛い! キリキリ痛い!

「その……張飛は怒ってないのか?」
「お姉ちゃんがいいって言ってるのだ、鈴々が怒ることじゃないのだ」
「…………《ほろり》……人間って暖かいなぁ、趙雲さん……」
「ふふふっ、これはまたおかしなことを。その人間に、殺気を込められ睨まれているのだろうに」
「……そうでしたね、はい……」

 殺気を込められているのを知っているのに、軽く笑って流すなんて貴女も中々にひどいです。
 それでもそうして笑ってくれるなら、俺も軽く流すことが…………すいません出来そうにないです、胃が痛い。

「焔耶ちゃんもあんなところで見てないで、こっちに来ればいいのに……」
「あの、劉備様? 来たら僕の首が飛びそうなくらい睨んでらっしゃるんですけど?」

 貴女はそれを“見てないで”で済ませてしまうのですか?
 見るっていうか睨んでますよ? あまりの殺気に泡噴いて気絶したくなるくらい睨んでますよ!?

「劉備様、じゃなくて桃香だよ。友達は友達を様づけでなんて呼ばないんだよね? お兄さん」
「………」

 はい……俺が朱里や雛里に言った言葉ですね、それ。
 明命と亞莎がそうだった分、せめてと拝み倒して了承を得たんだけど……今の“劉備様”はそういった意味で言ったわけじゃないと、せめて悟ってほしかったです、はい。
 あぁああああほら! 睨みがさらにヒートアップしてらっしゃる! 友達って言葉にメラメラと怒りの炎のようなものが! 怖ッ! 関羽さんの比じゃないよあれ! なにが彼女をああまで怒らせているのですか!?

「あ……でもごめんなさい、お兄さん。馬小屋のこと、朱里ちゃんと雛里ちゃんに……その。魏からの客人を、本人たっての希望だからって馬小屋で寝泊りさせては示しがつきません、って止められちゃって……」
「ああ……うん……本人達から直接釘刺されたから……うん……。こっちこそごめんな、無茶言っちゃって」
「あ、ううん、それはいいんだよっ。お兄さんの誰とでも友達になろうって気持ち、私も解るし。ちょっとでもその手助けが出来ればいいなって思ったんだけど……」
「…………《じぃん……》」

 どうしてかなぁ……殺気込められてジッと見られてるからかなぁ。
 誰からの理解も心に染み入って嬉しく、心にやさしい……。

「あなたが噂の天の御遣い……」
「うーむ……名ばかりの洟垂れ孺子と踏んでおったが───まあ多少は想像の域を外れてはおるな」

 再びほろりときそうな心境のさなか、音も静かに歩み寄る姿がふたつ。

「あ……ど、どうも、北郷一刀ですっ」

 一目で目上と解るや、自然と頭を下げてしまうのは……じいちゃんの躾の賜物と受け取っていいんだろうか。

「ふふっ、そんなに畏まらないでください。私は黄忠、字は漢升。魏での貴方の武勇、しかと聞き及んでいますよ。そんな貴方に畏まられては、こちらのほうが困ってしまいます」
「……え? 武勇?《バムッ!》いたっ!?」
「とぼけた顔をしおって、ほんに解っておらんか? っと、わしは厳顔、名前くらい知っとるだろう?」
「そ、そりゃもちろん知ってるけど……っ、近い近いっ!」

 背中に張り手を一発、まるで友にそうするかのように俺の首に腕を引っ掛け、ぐいと顔を寄せて笑う厳顔さん。
 えっと……素面……だよな? なのに酒の香りがするのは、常日頃から酒をかっくらっているから……なんでしょうか。
 ……あー、どうしてだろうなぁ。頭の中で祭さんが「当然じゃろ」とか言って笑ってらっしゃる。

「あ、の……? 自己紹介は嬉しいんだけど、武勇って……?」
『………』
「?」

 俺の言葉に、二人がにこりと笑ってある一点を指差す。
 疑問符を浮かべながら、方向を辿って見ると…………顔を赤くしつつ、馬超の後ろに隠れながら俺を見る馬岱さんがいらっしゃ……ァアアアアアアアアアアッ!!?

「……ア、アノー……モシカシテ」
「もしかしなくとも、そういうことよ。くっく、険厚き魏の連中が、お主の前では猫となる。思い浮かべるだけで酒の肴になるわ」
「……俺も、厳顔さんの性格が誰かさんによく似てて、これからの自分を思い浮かべるだけで挫けるなって言いたくなったかも……」
「むう? 何処ぞでわしに縁のある者とでも出会うたか?」
「いや……関係は全然ないかも」

 馬鹿なことを……いや、早まったことをした。
 豪快に笑う厳顔さんの腕に首根っ子を捕らえられつつ、俺はただただこれからを思って溜め息を吐くことしか出来なかった。

「桔梗様っ! そんな男に触れていては穢れが伝染(うつ)ります! い、いくら桃香様が平気だ大丈夫だと仰ったからとはいえ、この魏文長───もはや我慢の限界!!」

 ウソですごめんなさい! たった今から溜め息以上の何か(主に悲鳴とか)を吐き出したい気分です!
 ズカズカと近寄ってくる睨んでた人(たしか魏延)を前に、俺の胃痛はすでに臨界点に───! 血、血が! 今なら血だって吐けそうな気がする!

「焔耶よ、たかだか覗きくらいでいつまで引っ張りおるか。男に覗かれる女というのは、それだけ魅力があるということ。ある種、女の誉れぞ。それともなにか、焔耶よ。お主は桃香さまには男が気にするほどの魅力もないと言うのか?」
「そんなことは在り得ません! むしろワタシが覗きたいくらいです!!《クワッ!》」
「……焔耶ちゃん……」
「───ハッ!? い、いえ違うのですよ桃香様! ワワワタシはべつにおかしな意味で言ったわけではっ! 護衛……そう、護衛という意味であって、決してやましい気持ちなどっ!」
「……と、こやつはこういう女だ。よく覚えておけ、御遣い殿よ」
「うん……なんかすごーくよく解った……」

 知力じゃなく、武力に長けた桂花みたいなもんだね……うん。
 彼女からは百合百合しいオーラがひしひしと伝わってくる。
 ホワハハハ、魏で生きた俺にしてみれば百合の花の一本くらい、野に咲く花ほどに見慣れているさ! ……自慢することじゃないね、うん。
 違いがあるとするなら、桃香がその思いを受け取っていないってことくらいか。華琳あたりなら「いいわよ、たっぷりと可愛がってあげる」とか言って一発OKが出そうだけど。
 そんな彼女も酔っ払った桃香だけは苦手とくる。……世の中、どんな得手不得手がどう引っくり返るのかなんてのは解らないもんだなぁ。

「貴様ぁああっ! なにをへらへら笑っている!」
「うぃっ!?」

 困り顔の華琳を思い出して笑ってただけなんだが、どうやら自分が笑われたと思ったらしい魏延さんが、顔を真っ赤にして矛先を俺に向けてきた。
 正直に「思い出し笑いをしてただけだって!」と言ってみるも、何故だか問答無用で俺を悪者にしたげな雰囲気を纏いつつ、厳顔さんに捕まっていた俺の襟首を強引に引き寄せて……お、おおぉお!? 片腕!? 片腕で持ち上げられっ……!?

(お、おぉおおお……春蘭に勝るとも劣らぬこのパワー……! まさに国宝級である……!)

 って感心してる場合じゃなくて……! あ、あの、魏延さん!? 俺一応怪我人でしてっ……右腕使えないから上手く首とか庇えないし、喉が痛くて……あのぉ!?

「元を正せば貴様が桃香様の着替えを覗くなどという最低行為をするからっ! 全て貴様が悪い! ききき貴様のせいで、桃香様からあらぬ誤解を……!」
「ぇええええっ!? 今のってどう見ても聞いても、魏延さんが勝手に自爆しただけだろっ!? たしかに覗くって結果になったのは何度だって謝りたいけど、それで魏延さんの覗き願望まで俺に押し付けられても困るぞっ!?」
「おっ……押し付けなどでは断じてないっ! 貴様のような八方美人にワタシの桃香様への崇高な想いを語られてたまるか!」
「すっ……《ごくり……》……崇高だから覗くのか……!」

 思わず、自由である左腕で顎を拭い、片腕で俺を持ち上げる彼女を量りかねていた自分に呆れを抱く。
 覗きにまで崇高さを求めるなんて桂花でもやらないことだろう。彼女の桃香への想いはつまり、そこまで出来てこその愛というわけで《メキキキキ……!!》ごおおおお喉が絞まる喉が絞まる……!!

「口の減らないやつめ……! そうして口八丁に魏でも呉でもおべんちゃらを立てることで、信頼を《ガゴォンッ!!》はぴゅうっ!?」

 ……心が冷えそうになった瞬間、目の前で物凄い音が鳴った。
 途端に魏延の手からは解放され、ストンとようやく床を踏み締めることが出来たわけだけど…………危なかった。
 今のはちょっと、いろんな意味で危なかった。

「馬鹿者っ! 民や兵や将の信頼が口八丁程度で得られる物なら、誰もが労せず天下を取れるわっ! ちぃと考えれば解りそうなことを、何を血迷っておるかっ!」

 冷静さを取り戻そうと努める中で聞こえる声に、俯かせていた顔をあげると……拳を硬く握り締め、魏延に向けて罵声を発している厳顔さん。
 ……なるほど。あの拳が唸って、あの音か……。

「すまんな、御遣い殿。こやつはどうにも桃香さまのこととなると我を忘れてな……」
「……いや。いいんです、ありがとう。こっちもその、助かりました」

 ……そうだ、助けられた。
 危うく叫び出すところだった。
 俺のことなんて、どれだけ侮辱されても馬鹿にされても構わない。
 そりゃあ、ちょっとは怒ることくらい許してほしいけど……───こんな俺を信じ、手を握って信頼を託してくれた人を馬鹿にされることだけは、心が冷えるくらいに許せなかった。
 厳顔さんが先に拳骨を見舞ってくれなかったら、正直どうなってたか……自分でも想像できないくらいだ。解らないくらいだけど、自分が考え無しだったことにも気づいた。
 崇高だと正面から言えるくらいの思いなんだ、馬鹿にしていいことじゃあなかったはずだ。
 冷静にならないと……───と、そう思いながら気づかれないように深呼吸をしていたら、ふと……頭をやさしく撫でられた。

「え? あの」

 振り向いてみれば黄忠さん。
 穏やかな顔で俺の頭を撫でて、振り向いた俺の目をそのまま真っ直ぐに見て……言ってくれた。

「……貴方はやさしい人ね……。誰かのために本気で怒ることが出来る、やさしい人。でも───」
「ちょ……《ずきぃっ!》いつッ……!?」

 やさしい言葉のあとの、やさしい行動。
 何一つ痛がる要素はなかったのに、俺の左手はずきりと痛んだ。
 黄忠さんの手に持ち上げられるままに左手を見てみれば、その手は赤く濡れて───!?

「え!? 赤っ……血!? なんで!?」

 たった今気がついた。
 原因さえ解らないままに、どういうわけだが血に濡れている俺の左手。

「気がついていなかったの……? 真っ白になるくらい、握り締めていたのに……」
「………」

 全然気づかなかった。
 どうやら自分の指の爪で、掌を傷つけてしまったらしい。
 漫画とかでよくある表現だな〜とは思ってたけど、まさか自分がやるとは思ってもみなかった。

「《ごすんっ!》ふぎゃんっ!? 〜〜〜っ……き、桔梗様っ!? 何故無言で拳骨を……!」
「やかましい、解らんのなら黙って受けろ馬鹿者が」
「〜〜…………?《ズキズキ……》」

 首を傾げている俺をよそに、黄忠さんは慣れた手つきで俺の手に布を巻いてくれた。
 自分のを使うから───と止めにかかろうとするが、そういえば俺のハンカチは明命の手当てに使った上に、引き裂いて使ったからそのままゴミ箱直行コースの代物だった。
 ……困った、まるで母親に手当てされる子供のような心境だ。
 しっかりと布で巻かれたあと、再度頭を撫でられるし。
 振り払うわけにもいかず、黄忠さんの気が済むまで堪えよう……と構えれば、黄忠さんは「あらあら」と呟いてにっこり。何かが彼女の気を良くしたらしく、頬に手を当ててにこにこ笑顔な黄忠さんはさらにさらにと撫でて───って!

「ちょっ……ななななにっ!? 俺、何かした!?」

 笑顔にさせるようなことをした覚えがない俺としては、それは本当に謎の笑顔。思わず頭を撫でる手から逃げ出してしまったが、黄忠さんはやっぱりくすくすと笑って、怒る様子の欠片も見せない。
 それどころか申し訳なさそう……なんだけど、笑顔でごめんなさいを言われた。

「ふふっ、ごめんなさい。あなたくらいの歳の子は、頭を気安く撫でられることを嫌がると思っていたから……。本当に、着飾りのない素直な人だって思ったら、止まらなくて……」
「いや、そんな嬉しそうに言われて《ガシィッ!》もばっ!?」
「おうよ。威勢ばかりが強く、触れる者すべてに棘を見せる誇りだらけのボウズどもとは大違いよ」

 ……どっかで聞いた言葉だ。そういえば祭さんにも似たようなこと、言われたっけ───と、再び首を引き寄せられつつ思った。

(前略華琳様……酒が好きな人は豪快な性格になるものなのでしょうか。もしこれで、酒を呑むとさらに豪快な性格になるとしたなら……それが絡み酒なのだとするのなら、僕は今すぐ逃げ出したい気分です、はい)

 頭を撫でられつつ首を捕まえられて。
 どう動けばよろしいんでしょーかと困りつつ、間近にある四つの丘に目のやり場に困っていると……それすらにも気づかれてしまいまして。

「ふっはっは、今さら女性の胸などに赤面するとは。魏将相手に見飽きるほど奮戦したのだろう?」
「あ、飽きるほどとかそういう問題じゃないって……! 二人ともちょっと無防備ですよっ!? その、こんなに近くに居られると、正直目のやり場が……!」
『………』

 顔に熱がこもるのを自覚しながら、なんとか離れるようにと頼もうとする。しかし大人の女性にとってはその焦りこそが心擽るものだったのか、撫でる手にも引き寄せる手にもさらなる感情がこもり……ハッとした時はいつかのように手遅れでした。

「あらあら、なんだか照れるわ……♪」
「女として見られるなぞどれくらいぶりか───……よしっ、気分がいいっ。どうだ御遣い殿、これからわしらと酒の一献でも───」
「あの……今顔合わせの最中だってこと、忘れてませ《ずりずりずり》運ばないでぇえええええっ!!」

 有言実行が過ぎます厳顔さん!
 黄忠さんもにこにこ笑顔で俺のこと引っ張ってらっしゃるし!
 しかしガッチリと左腕を固められ、抵抗が出来ずに困っていたところへ救いの声があがる───!

「だ、だめだよぅ桔梗さん、紫苑さんっ! お兄さんには早くこの国に馴染んでもらわないといけないんだから〜っ!」

 桃香である。
 少しぷんすかと怒ったような表情で、他国の客を拉致しようとした二人をハッシと捕まえてくれる。
 と、桃香……ホワホワしてる天然さんかと思ったら、目上の人にもちゃんと怒れる娘だったのか……! ごめん桃香、俺……認識を改めるよ。キミはしっかりとした、蜀の王だ───!

「うーむ、しかしな桃香さま。女として褒められたのであれば、女として返さねば名折れというものでしょう。この厳顔、いくさ人として生きてはきたが、女を捨てた覚えはありませぬ」
「少しだけ、お酒に付き合ってもらうだけですから。ね?」
「ね、じゃないですーーっ! 桔梗さんと紫苑さんの“ちょっと”は、私達で言う飲みすぎなんですっ! あ、愛紗ちゃんも黙ってないで止めて〜!」

 ……という感動も束の間、あっさりと関羽さんに「たすけて〜」と仰る玄徳さまに、笑顔のまま真っ白に燃え尽きそうな心境な自分がおりました。
 なるほど……たしかに俺と桃香、似てるのかもね……。

「はっはっは、良いではないですか桃香さま。どの道いつかは捕まり、たっぷりと付き合わされる破目に陥るのであれば、洗礼として受け取っておくのも馴染みに繋がるというものでしょう」
「星ちゃん……で、でもぉ〜……」
「いえ桃香様。むしろ二人に任せ、酔うだけ酔わせて醜態のひとつでも曝させれば、馴染みも深まるというものです」
「愛紗ちゃんまでっ!? う、うぅ……そう、なのかなぁ……」

 いや違う、桃香、それ違う。
 負けないで、お願いだから負けないで。今気にするべきところは酒のことよりむしろ、女として褒められたとかそっちのところだから。
 
「ねー愛紗ー、桔梗はいつ女を褒められたのだー?」
「しっ……知らんっ」
「ふふっ、見当はついているだろうに。何を焦っている、愛紗」
「なっ───焦ってなどっ!」
「星は知ってるのかー?」
「ふむ……女として産まれたからには、戦無き時くらいは女として見られたいもの、ということだろう。将が将として武勲を得るのが誉れならば、女は女として認められ、好かれることこそ誉れ。そうだろう? 北郷殿」
「………」

 あーではないこーではないと話し合う女性に囲まれ、掴まれてるために逃げ場がない状態でソウデスネ……と呟いた。
 うん……ちょっと───いや、かなりか……? 蜀の人たち、無防備かも……。というかね、趙雲さん。ニヤリと笑んでないで助けてほしいんですけど。

「……御遣いのお兄ちゃん、顔が真っ赤なのだ」
「ふふっ、いろいろと当たっているからだろう。左右に四つ、前方に二つ。大方目のやり場に困り果て、内なる獣と戦っている最中、といったところかな? 当たらずとも遠からずだろう、北郷殿」
「解ってるなら助けてぇえええーーーーーっ!!」
「貴っ様ぁああ!! 貴様を庇ってくださっている桃香様のやさしさを無視し! そのお美しい胸ばかりに欲情していたというのかぁあっ!! 許さんっ! 貴様のような外道はやはりワタシが───!!」
「キャーーーッ!!?」

 さらにここで、魏延さんという名の二つの丘が増えました……もう勝手にして。
 もはや目を瞑る以外に方法は無く、俺はただただ早くこの状況から逃れたいと思うばかりでした。
 安易に動けばむにゅりとこう……わ、解るだろ? 動いたらあらぬ誤解を受けるって確信が持てる。だから動くわけにもいかず、目を開けておくわけにもいかず……ああ、動けないってこんなに辛かったんだなぁ……。

「…………愛紗よ。お主の目には、あれが嬉々として女性の肌を覗かんとする男の姿に見えるか?」
「………」
「顔を真っ赤にしながらも、よく堪えている。聞けば確かに魏の将全てと関係を持っているという。女たらしもいいところだとお主は言ったがな。生憎と私の目には、女と見たら即座に欲情するような男には見えんのだが」
「しかし星、だからといって───」
「そこに双方の同意があれば、何を咎める必要がある。無理矢理でも迫ろうものなら、魏の連中のことだ。それこそ北郷殿の首が先に飛んでいただろう」
「ぐっ……」
「私はむしろ、あの百合百合しい空気の中で全ての将を落としてみせた北郷殿に、感心の念すら抱いている。……鼻の下も伸ばさず、必死に堪えているところを見ると……なるほど? 魏の連中に操でも立てているのだろう。男だというのに生娘のように初心(うぶ)であり、なんとも面白───もとい、美しいではないか」
「………」

 ……動かないで目を瞑るのって、結構残酷ですね。
 聞かなくてもいいことが耳に届いたっていうか、むしろ解ってて言ってるのか。
 感心しなくていいからむしろ助けてくださいってとても言いたい状況なのに、言ってしまえば余計に魏延をあおることになってなにも言えやしない。
 ていうかあの、趙雲さん? 今、面白いって言いそうになったよね? 今絶対、面白いって言いそうになってたよね!?

「結果がどうあれ、あれが誤解で始まったのなら、長引けば長引くだけ抜けない棘になるだけというもの。……幸いにして、どうやら助けを求めようにも求められず、困っているようだ。いい加減、互いの棘を抜いてしまったらどうだ?」
「………」

 ……スッ、と……感じていた険しさの一つが緩んだ気がした。
 次いでこちらへ向けて歩いてくる気配。
 俺はおそる……と目を開けて、願わくばこの状況を打破してくれる彼女に、改めての謝罪と今贈る感謝を───

「おーーーっほっほっほっほ!!」

 ───……台無しにされた。

「そこの凡夫さん? この袁本初に生涯仕えると誓えるのなら、助けて差し上げてもよろしくってよ?」
「れれっ……麗羽さま……っ、ここはさすがに空気を読まないと……!」
「あー……ほら、あっちで愛紗が固まっちゃってますよー?」
「そんな石像ごっこなんて知りませんわ、勝手にやらせておけばよろしいでしょう?」
「うあー……ほんとこの人は……」
「文醜さん? なにか仰いまして?」
「いーえー、なにもー?」

 ……………………えーと、たしか袁紹……だっけ。
 袁本初って言ってたから、まず間違い無いよな。反董卓連合の時、華琳をびりっけつ呼ばわりしてたから嫌でも頭に残ってる。特にあの高笑いが。
 後ろの二人は文醜と顔良で、反董卓連合の前……季衣を探しに来た流琉との騒動の時に一度会ったよな。やあ、懐かしい。
 宴の時はろくに挨拶も出来なかったし───と、ほのぼのと考える余裕なんてなさそうだった。

「魏の連中、主に華琳さんとか華琳さんとか華琳さんを垂らしこんだその手練手管……その実力を手中に納めれば、もはや華琳さんなど敵ではありませんわっ! さ〜ぁ泣いて喜び、この袁本初に助けを───」
「あ、結構です……」
「んなっ……! ちょ、ちょっと貴方? 囲まれていて困っていたのではなくて? 今ならこのっ、わ・た・く・し・がっ、救ってさしあげてもよろしいと言っていますのよ?」
「いや、結構です……」
「ッキーッ! どーーいうことですの!? ついさきほどまで情けない顔でピーピー喚いていたというのに! 貴方、自分が置かれている状況を正しく理解していますの!?」
「いや〜……理解してないのは麗羽さまただ一人じゃないかなー……」
「猪々子さん!? なにか仰いまして!?」
「いーえー、なにもー?」

 ……蜀っていろんな意味で賑やかなところだなー。
 こんな場所で過ごして、果たして心安らぐ時間は手に入るのだろうか。
 そんなことを思いつつ、心の中を落ち着かせていると、朱里と雛里が傍までやってきて、俺のことを心配そうに見上げる。
 ん、大丈夫。心のざわめきは、もう起こらない。

「えっと、袁紹さん。悪いけど目的がどうであれ、華琳に……魏に迷惑をかけることに繋がるなら、俺は意地でも助けは乞わない。それにさ、そもそも俺なんかを盾にして、あの華琳が油断とか加減とかをしてくれると思う?」
「………《じー》」
「……えと。袁紹さん?」
「まあ、そうですわね。あの華琳さんがこんな下男のために戦を投げ捨てるなど、想像出来ませんわ」
「げなっ───いや……いいけどね」

 こんな下男扱いでも。意味的にはあまり違わない気もするし。
 けど、実際はどうなのかな……もし俺が敵に捕まったりしてたら、華琳はどういう行動に出てたんだろう。
 いやむしろ……どういう行動を俺に求めただろうか。
 むざむざ殺されるくらいなら、将の首を道連れにして息絶えろとか言ったかな。それとも無様を見せずに静かに死になさいと言っただろうか。
 いろいろ想像するだけなら簡単だけど、しっくりとくる結末がどうにも思い浮かべられなかった。

(逆に今の自分ならどうかな……)

 考えてみる。
 多少武術をかじって、氣も使えるようになった自分なら………………だめだな、余計にだめだ。
 そもそも武でくぐりぬけるとか、自分のガラじゃない。
 自分を高めるために鍛錬をして、いつかは守れるようになれればとは思っているけど……力を得たからって力で解決しようって考えが出るのは一番まずい。
 鍛えるのはいい、強くなることもいいだろう。
 けど、その結果“自分”を消してしまうのは最悪だ。笑えもしない。
 俺は俺のまま、自分を高めるって決めたんだから…………ああ、そっか。さっき厳顔さんが魏延を殴ってくれた時、助かったって思ったのは心の冷たさ云々の問題だけじゃあなかった。
 なにをするか解らない、なんて……それこそ暴力を振るってたかもしれないって考えが頭の隅っこにでもなければ、浮かぶこともなかったはずなのに。

(………一歩間違えれば……)

 暴力、振るってたかもしれなかった。
 守るためにと高めている五体で、人を傷つけるところだった。
 魏や呉の信頼を、思いを守るためなんてそれこそ口八丁だろう。
 あの瞬間に俺が守りたかったのは、彼女らを思う俺の心だけだったのだろうから。
 そう考えたら……呉では、迫られたとはいえ高めた力で強引に避けることが多かった事実に気づいて、愕然とした。
 魏のためにと高めた五体で、自分はいったいなにをしていたのかと。
 以前までの自分だったら、頭突きをしたり投げたりなんてしなかったはずなのに、今の自分は……と。
 ……骨、折られてよかったかもしれない。じゃなきゃ、ゆっくり考えることなんて……きっと出来なかった。
 そんな自分の情けなさに、ふと泣きたくなってしまった。

(……強くなりたいなぁ……体だけじゃない、心も……意思も、もっと強く……)

 男なら、頭の中では最強の自分を思い描いたりする。
 それは理不尽なまでの強さで、誰もが敵わないと言っている敵にだって簡単に勝ち、褒め称えられる自分だ。
 褒められるのなら、強いのならそのままそれを受け容れればいいのだろう。胸を張っていればいいのだろう。
 けど、俺が目指した強さは……そういうのとはちょっと違ったはずだった。
 最強じゃなくてもいい。守りたいものを守れて、守った先に誰かの暖かな笑顔があれば、次もきっと頑張れるって……そんな強さが欲しかったはずなのに。

(……泣くなよ、北郷一刀。強くあれ、もっと強く……)

 大きく深呼吸を───と思った途端、誰かに引っ張られ、人垣の中から救出された。
 ……のはいいんだが、急に引っ張られたものだからたたらを踏んで、なんとか体勢を立て直したところに……関羽さんが居た。 

「愛紗ちゃん?」
「あ……いえその。失礼ながら、客を囲んで口論をするのも国の醜態を曝すだけかと。この者───……北郷殿も、困っているようだったので」
「───……」

 ……困った。
 関羽さんは俺の手を掴んだまま口早に言葉を発して、小さく息を吐いた。
 ……困った。
 繋がれた手から伝わる暖かさが、女性特有の小さく柔らかな暖かさが胸に染み入る。
 ……困った。
 自分の在り方に落胆して、弱ってしまった心に……その暖かさは困る。

 ───道を間違わず、真っ直ぐに歩くのは難しい。
 目指した場所があるのならそれは余計で、道に迷っているのに迷ったことにさえ気づけないことなんて何度でもあるだろう。
 沈んだ心のままでこの国で頑張っても、いい結果なんか残せなかったに違いない。
 それどころか、信頼してくれたみんなのことを悪く言われた時点で暴力を振るっていたら、自分はもう戻ってこれなかったかもしれない。
 そう思ったら沈むばかりで、けど……そんな場所から引っ張ってくれたこの手は、俺のことが嫌いだったはずなのにとても暖かくて……

「…………」
「《きゅっ》うわぁっ!? き、貴様、なにを───!」
「……ありがとう」
「っ───……え……」

 気づけば繋がれた手に軽く力を込めて、泣き笑いみたいな顔で感謝を口にしていた。
 次の瞬間には厳顔さんに引っ張られ、また騒ぎの中に連れ込まれたけど───その時にはきっと、弱い自分を殺した笑顔の自分でいられたと思う。



-_-/雲長

 …………。
 なにを……私は何をしていたのだろう、と……ただ漠然と、そう思った。

「うん? どうした、愛紗よ」

 玉座の間にて天井を仰ぐ私にかけられる声も、どこか遠くに聞こえる。
 そうして天を仰ごうとしても、見えるのは冷たい天井だけであり、聴覚に意識を向けてみても、聞こえるものは北郷という男を愉快そうに引っ張り合う者たちの声ばかりだ。
 感覚が曖昧といえばいいのだろうか。
 ただ……そう、ただ。北郷───殿、に握り返された手の感触と、あの……泣いているような笑顔だけが、自分の中から消えてはくれない。
 だからだろう。不覚とまでは言うつもりはないが、口から言葉がこぼれていた。

「…………人間…………だった」

 人間。
 当然のことだと誰もが笑う言葉だろう。
 そう、人間だったのだ、間違いであってほしいと思ってしまうくらい。

「……? すまんが愛紗。話が見えんのだが?」

 私の言葉に、当然のことながら星は眉を顰める。それこそ当然だ、私とて眉を顰めたい。顰めたいが……事実がそこにあってしまった。

  ───天の御遣い。

 管輅に予言された存在。
 天より遣わされ、世に平安を齎すとされた存在。
 予言の通りと言えばいいのか、あの男は魏に相当な貢献をし───そう、最初は知らなかったとはいえ、己の“存在”を賭けて戦ったと聞いた。
 前線に出ないというのに“存在を賭けて”というのがどういうことを意味するのかは知らない。魏の将から曹操殿がそう言っていたと聞いたにすぎない。
 それと関係しているのか、三国の戦の全てが終わる頃には、魏の将と交わした約束を果たせぬままに───天の御遣いは最初から居なかったかのようにその姿を消した。
 天に帰った、とは曹操殿の言葉だ。
 魏の将達は北郷という男が約束を果たさぬまま消えるものかと口にはするが、天に帰ったと口にするのが自らが信ずる主ならば、信じないわけにもいかない。
 各国が一つの国に集まる最中、酔っ払った張遼が涙ながらによく愚痴をこぼしていたものだ。

(…………)

 戦局を一手も二手も先読みし、覆される理屈が存在しない状況を看破、覆してみせた存在。その力が蜀にあったなら、と……時折に朱里と雛里が口にしているのを私は知っていた。
 違うな……蜀と名乗るよりももっと前。
 乱世を歩む歩が、まだ桃香さまと私と鈴々のみだった頃に出会えていたなら……もしやすると我々も、もっと別の目的のためにも奮闘できたのではないだろうか。

(……いや)

 考えていたことはそうではない。
 私はどうしようもなく解ってしまったのだ。
 天の御遣いとどれだけ謳われようと、彼の者は“人間”だった。
 いつだって不安に駆られ、しかし守りたいものがあるからと震える足で立つような……そう、考え方の根本こそは違えど、彼の者は本当に桃香さまに近しかった。
 悲しければ泣きたいと思い、辛ければ逃げ出したくもなっただろう。
 あの曹操殿の下に居たのなら、余計に責任というものが重く感じられたに違いない。
 しかし彼はそんな中で今も魏に立ち、胸を張って生きている。
 だが───どうなのだろう。
 桔梗が言ったな……こやつの前では魏の連中が猫になる、と。
 それは魏の猛将たちが、北郷という男を拠り所に、寄りかかれる場所にしているということだ。

(ならば……)

 ならば。
 自分の都合ではなく、勝手に乱世に降ろされた彼の拠り所はいったい何処にあるという?
 天の国から来たというのであれば、当然この大陸に身寄りなどあるはずがない。
 孤独の身で乱世に降り立ち、予言があったからと勝手な期待を抱かれ、働きが想像以下ならば勝手に落胆される───……果たして、私達が先に出会っていたとして、私は彼に自分勝手な幻想を抱かずに居られただろうか。
 勝手な期待を押し付け、期待で押し潰し、期待していた分だけ勝手に落胆していたのではないだろうか。

(私は……)

 桔梗や紫苑に囲まれ、困り顔ながらも笑っている彼を見る。
 そこにはもう、一瞬だけ見せた儚げな笑顔の影は欠片も無い。
 ……それで、ひどく納得してしまった。
 彼はきっと、これからも弱さなど見せないのだろう。
 気を許した相手にでも、恐らくは一時程度しか見せようとはしない。
 そんな生き方を誰に学んだのだと言ってやりたいくらい、なんと不器用なことか。

「……おーいぃ……? そろそろ私も自己紹介くらいしたいんけどー……」
「にゃ? 白蓮いたのかー?」
「居たのかってなんだ! 居ちゃ悪いのかっ!」

 桃香さまには人を惹きつける力がある。
 それと同じく、あの男……北郷殿にも人を惹きつける不思議な魅力があるのだろう。
 敵意をまるで感じさせない笑顔は本当に桃香さまのようで、どれだけ振り回されても、慌てはするが“本気の文句”のひとつも飛ばさない。

「おー! この前のエサにゃー!」
「エサじゃないよ!? 久しぶりに会って、開口一番でエサ扱いとかしないでくれ猛獲!」
「……? ん〜〜〜………………《ハッ》イノシシにゃ!」
「違うって! 北郷! 北郷一刀っ、人間であって食物じゃあ断じてないっ!」
「無論そうであろうとも。北郷殿は“食べる側”だ。……それも女性に限り」
「趙雲さん!? 誤解しか生まないことを当然のように言わないでほしいんだけどっ!?」
「む、これは心外。誤解以外にも、皆との距離が生じているのに気づかなんだか、北郷殿」
「……俺、もう泣いていい?」
「はっはっは、男子の涙とはまた貴重な。うむ、存分に見せるがよろしい。泣き方を忘れた御仁よりも、素直に泣ける御仁のほうが、私としては好ましい」

 星が一瞬、こちらを見て穏やかに笑ってみせた。
 ……星も気づいたのだろうか。北郷殿の中にある、無理矢理に押し込めたような小さく儚い感情に。

「……やっぱりやめた」
「おやそれは残念。泣くというのであれば、この胸くらい貸してくれようかと思っていたのに」
「趙雲さん、冗談でも男に向けてそういうこと、言っちゃだめだ。いつか傷つくことになるかもしれないぞ」
「フッ……生憎とこの趙子龍に見合う男子など、容易に見つかろうはずもない。いつか傷つくのであれば、傷ついた自分ごと包みこんでくれるほどの、広い包容力を持った男と出会いたいものではあるが」
「包みこんでくれるだけでいいなら、そこらへんにいっぱい居ると思うけど」
「ふむ。好みに合わんので遠慮しよう。民として、兵としてなら見れるが、男としては無理と言っておこう」
「……男の事で苦労しそうだね、趙雲さんは」
「ふふっ、その言葉は苦労の分だけいい男に会える……という意味として、受け取っておこう」

 星が今一度こちらを見て、肩を竦めてみせた。
 苦労の分だけ……つまり、時間をかければ寄りかかれる場所にでもなれようと、そう言いたいのだろう。
 ……そう。桃香さまに似ているということは、頑張り続けてしまう癖があるということにも繋がる。
 桃香さまも人に頼りはするが、寄りかかることをしないお方だ。その癖は、あの日……曹操殿と刃を交えた頃から拍車をかけている。
 “王になるべきではなかった”という言葉が、重かったのだろう。その言葉とともに打ち下されたのだ、当然だ。

「へぇ? 天の御遣いって聞いて見に来てみれば、あんたイノシシなの」
「え、詠ちゃんっ……そんな言い方、御遣い様に失礼だよぅ……」
「様ぁ!? ちょっと月!? なんでこんなやつに様とかつけちゃってるのっ!? だめよだめっ、同盟国だろうと位の高い相手なら解るけど、警備隊長程度のこんな男を───……な、なによ」
「……ごめん。俺のことならどれだけ馬鹿にしてもいいから、隊長としての俺を信頼してくれるやつらのためにも、警備隊を“程度”呼ばわりしないでくれ。……これでも、俺の誇りの一つだ」
「え……う……」
「……詠ちゃん」
「うっ……わ、悪かったわよっ」
「……うん。ありがとう」
「わ……」
「ほう……?」

 ふと、北郷殿を囲んでいた皆の口から、溜め息にも似た声が漏れる。
 何事かと、自然と俯いていた顔を持ち上げれば……そこに、桃香さまの笑顔によく似たやさしい笑顔があった。

「己の立場よりも兵や民の信頼のために、か。北郷殿に思われている兵や民は幸せだろうな」
「……? どうしてだ?」
『……ぷふっ!』

 星の言葉に、心底解らないといった顔で首を傾げる北郷殿。
 その様を見て、周囲の皆は軽く笑みをこぼした。

「え? え? どうして笑うんだっ!? えっ!?」
「みんな、どうしたのっ? え? 今の笑うところだった?」
「はっはっは、いやいや桃香さま。そういうわけではござらん」
「はい。一刀さんの反応があまりに桃香さまに似ていたために、少しおかしくなっちゃっただけです」

 知らぬは本人ばかりなりというのか……桃香様も北郷殿も、たしかに解りようがないのかもしれないが、不思議そうに首を傾げていた。
 対する星と朱里は心底楽しそうだ。

「うーーーん……似てるかなぁ……」
「いや、俺に訊かれても……えっとそうだな……。桃香に思われてる兵や民は幸せだろうな」
「え? どうして?」
『……ぶふっ!! あっはっはっはっは!!』
「えっ───どうしてお兄さんまで笑うのー!?」

 気づけばそこに笑みがある。
 先ほどまでたしかにあった多少の緊張など何処に飛んでいってしまったのか、今では蜀の将の全員が桃香さまと北郷殿を中心に、笑みを浮かべていた。
 外見が似ているとかそんなものではなく、何気ない行動、何気ない言動。民や兵を思い、自分よりも他人を優先させるその在り方が、そうさせているのだとしたら───そうか。

(なるほど……桃香さまが我々を頼りにしているように、北郷殿も魏を拠り所にしているのか)

 魏の連中が北郷殿の前で猫になるというのなら、北郷殿もそうなのだろう。
 だが……そうだな、星の考えも解る。
 あくまでそれは“魏に居れば”の話だ。
 たとえば桃香さまがたった一人で魏に行き、何ヶ月も滞在することを想像してみれば……私は少し怖くなる。
 王であるが故に、たしかに持て成されるだろう。
 だがそれが一介の警備隊長であったならどうだ?
 天の御遣いという名があるとはいえ、地位で言ってしまえばそこまで。
 もし、桃香さまが同条件で呉や魏に向かうとしたなら…………その場に、私や焔耶のようにその者を嫌うような輩が居たとしたら───

(桃香さまは、果たして笑顔でいられただろうか……)

 そんな心の不安の現われが、先ほどの弱々しい笑顔だとするのなら、私は……

「聞いたよ。あんた結局、馬小屋に住む事を却下されたんだってな」
「ああ、馬超さん。そうなんだよ、せっかく決めた覚悟がこう、霧散した思いで……」
「そんなものに向ける覚悟があるなら、もっと別のなにかに向けろよ……」
「いや、うん……俺も正直、そうは思ってたけど」
「それを言うために、さっきはお姉様を探して走り回ってたんだもんねー?」
「馬岱はすぐに見つかったのにね……逃げられたけど」
「だってあんなこと言われたあとじゃ、さすがに心の準備が……」

 そんな想像をしてみたところで、そんな状態になるのはどうせあの男なのだから、と下に見てしまっている自分が居る。
 その事実が、胸に痛い。

「あんなことっ!? お前っ、たんぽぽに何言ったんだっ!!」
「言えないっ! ていうか言わないっ!」
「言えないよねぇー……あれはお姉様には刺激が強すぎるもん」
「いいから言えっ! もしヘンな事を吹き込んでたりしたら、お前っ……!」
「えへへぇ、仕方ないなぁお姉様は。じゃあ教えてあげるから耳貸して? えーとねぇ……」
「いやちょっ……馬岱!? それはマズ───!!」
「……? この男が? 魏で……? ………………★■※@▼●∀っ!!!?」
「───桃香サン、僕、コノ国ニ来レテ楽シカッタ。デモモウ行カナキャ」
「え? 行くって何処に? だめだよぅ、まだ恋ちゃんとねねちゃんと話してないのにっ」
「《がしぃっ!》離してぇえええーーーーーーーっ!!!」
「〜〜〜っ……こ、ここっ、こっっ……このっ……ここここのエロエロ大魔神!! たんぽぽにっ……人の従妹になんてこと教えてるんだぁああーーーーーーっ!!!」
「うわー、お姉様顔真っ赤。えっへへー、もしかしておにいさん、学校でもこんなこと教えてくれるの〜? そしたらお姉様の恥ずかしがりなところも治るかもしれないねっ」
「☆□○△×〜〜〜っ!!? かっかかかかか帰れぇええっ!! 帰れこのエロエロ大人! お前に教わることなんてあるもんかぁああっ!!」
「中国スケールで壮大にエロエロ扱いされた!? ……趙雲さん。胸は貸してくれなくていいから泣いていい?」
「うむ。存分に泣きなされ」

 …………。
 小さく頭を振った。
 考えて考えて、考え続けてみたが……結論など一つだ。
 あの男は、弱くもあり強くもある。
 いや……本当は弱いのだろうが、強くなろうと努力をしている最中なのだ。
 現実と向き合い、自分に出来ることから一つずつ一歩ずつ、目指したものへと歩んでいっている。
 その目指す道というのが何かまでは流石に解りはしないが───

「……ああ」

 嫌う理由は、もはや無くなった。
 ……それも否だな。桃香さまの言う通り、私はきっかけを探していただけなのだろう。
 あの男に悪意がなかったことなど、呉での働きぶりを聞けば解りそうなものだ。
 どれだけ誘われようとも、親しくなろうとも、魏のみを愛すと呉王孫策に言ってみせたと聞く。
 そんな男が間違い以外で覗きなど……するはずもなかったのだ。

(己が恥ずかしいな、雲長よ……)

 桃香さまのこととなると、自分は我を忘れすぎる。
 まずは一歩だ。
 あの男のことを知るところから始めてみよう。
 
「……? あれ? そういえば七乃ちゃんは?」
「あっちの隅っこで落ち込んでるのだ」
「飽きませんわねぇ……美羽さんの何処に、尽くそうと思えるところがあるのかしら。理解しかねますわ」
「いやー……それを麗羽さまが言いますか?」
「わわっ……文ちゃんっ」
「……文醜さん? ちょっとこちらにいらっしゃい」
「うわっ、聞こえてたっ! 助けて斗詩ぃっ!」
「えぇえっ!? れ、麗羽さま、ここは穏便に───」
「お黙りなさいっ」

 いつも通りの騒がしさの中を歩く。
 あの男が来てから、線を引いていた距離を軽く踏み越えて。
 まずは何を話そうか。謝罪か、それとも普通に話すべきか。
 急に謝罪されても困るかもしれない……ならば普通に? いや、それでは一方的に怒っていた私が、それを無かったことにしているようで……ううむ。

「いやいや、まさか本当に泣き出すとは。しかし子供のように泣き喚いたりはさすがにしないようだ」
「そんなの望まれても困るんだけど……でもうん、少しすっきりしたかも」
「無論だ。無理をして我慢していたものを解放するのなら、負担も軽くなるというもの。どうせ吐き出すのなら、本気で喚いてもよかったと思うが」
「趙雲さん、それってただ俺の泣き喚くところが見たかっただけじゃない?」
「弱きところを見せ合ってこそ信頼は生まれるというもの。お主がそういう部分を見せてくれるのであれば、私もやぶさかではなかったという話だが……ふむ。自分から見せるには、些かばかり無駄な誇りを持ちすぎた」
「苦労しそうだね、武人っていうのも」
「苦労も面倒事も、興じてこその武人。なに、これで案外楽しんでいる。己が誇りに道を左右されるも己が意思で誇りを捻じ曲げ左右されぬも、己の選択一つで変わること。選ぶ権利が自分にあるだけ、我らはまだまだ幸福だ」
「へぇ……じゃあたとえば、ここで友達になってくださいって手を差し出されたら、どんな選択をする?」
「ふむ。今は断ると言うだろう。生憎とまだまだお主のことを量りかねているところ。手を伸ばすのは、互いをより知ってからでも遅くはなかろう?」
「そっか。じゃあ、これからしばらく……よろしく」
「うむ。……これでしばらくは退屈せずに済みそうだ」
「え? なにか言った?」
「おっと。独り言だ、お気になさるな」
「……敬語とかは勘弁してくれな。もっと砕けてたほうが話やすそうだし」

 星はおどけ、随分と砕けて話している。
 飾らない雰囲気が気に入ったのか、警戒の色はすでに無い。
 なるほど、悩むよりも話してみれば解ることなど山ほどある。
 ならばともう一歩を踏み出し、彼に近づこうと……するより早く、北郷殿の服を“くんっ”と引っ張る姿がひとつ。

「え? なに───って、恋?」
「……《こくこく》」

 ───瞬間、辺りが騒然とした。
 ざわりと空気が震え、その後に発せられる言葉など一切無く。
 ただピンと張り詰めた冷たい空気のみがこの場を支配した。

「……あ、れ……? あのー……どうしてこんな、急に冷えた空気が───」
「…………?」

 真名を。今、真名を口にしたのか、あの男。
 何処で知ったのかは知らんが、軽々しく真名を呼ぶ者と知ったなら、今こそ───!




ネタ曝しです  *この北郷も老いておったわ  この張譲も老いていたか。董卓の無法の量を見誤るとは。  蒼天航路より、張譲さんのステキなお言葉。  *春蘭に勝るとも劣らぬこのパワー、まさに国宝級である  大地を揺るがすこのパワー! まさに国宝級である!  ザンギエフの勝利コメント。たしかX-MENvsストリートファイター。 Next Top Back