58/床に伏せた日

 ───朝。
 頭の痛さで目が覚めた。
 体がひどく重く、起き上がろうとしても起き上がれない。
 もしかして体がまだ眠っているんだろうか、なんてことを考えた。

「……あれ?」

 手を持ち上げてみるんだが、重くてだるい。
 手を持ち上げるなんて行為がこんなにも大変だなんてことを、久しぶりに思い出した。
 寝転がりながら隣を見てみれば、そこにはすやすやと眠る思春。

「………」

 たしか、昨日は関羽さん……じゃなくて、愛紗の看病をして……ああ、なるほど。

「風邪だ、これ」

 結論に至ると、余計に体が重くなった気がした。
 なるほど。人間、氣がどうのこうのと言ってようと身に付けようと、風邪になる時はしっかりとなるらしい。

「ん、ん……ぐぐ……!」

 まず水を飲もう。この重い体に潤いを。汗をかくための水分を。
 重い体を無理矢理起こして(上半身で精一杯だったが)寝台から降りる。
 寝台に腰かける姿勢でだらりと足を下ろすのだが、踏ん張ってみても立ってくれないこの体。
 ……ううん、本格的に風邪か。
 あー……誰かに伝染せば治る、なんて言わなければよかった。

「う、うぅ…………、……これで愛紗が治ってなかったら、引き損だよな……」

 頭がグワングワンしている。
 こう、体が重いくせに頭だけは軽くて、常時左右に揺さぶられているような。

「〜〜〜……っ……」

 反動をつけて無理矢理立ち上がると、靴を履いて服を着て、いざ部屋の外へ。
 扉を押し開けた途端に訪れる空気の流れが、熱い体にありがたい。いやむしろ寒い。体が震える。

「あー……寒気なんて、ここ最近じゃあ対人でしか感じてなかったのに……」

 主に思春に睨まれた時とか思春に詰め寄られた時とか思春に追いかけ回された時とか。
 ……はて、思春関連ばかりが思い浮かぶのはどうしてだろうか。

「……さて」

 厨房ってどっちだったっけ。困ったことに頭が回ってくれない。
 水……水が欲しい。

「水……」

 ともかく歩き出した。
 ふらふらよたよた、自分の体とは思えない体で、まるでゾンビが如く。


───……。


 で…………

「ここは何処なんだろうな……」

 いや解ってる。
 確かに水がある。さらさらと流れてる。
 でもどう見たって川だよ。水は水だけど川だよ。

「あ……あれぇええ……?」

 とうとうヤツもイカレちまった……ではなく。
 やばいぞ、いろいろとまともに認識出来てない。というか気づけ、辿り着く前に。

「おおぉお……自然が……大自然が残像を……いや、これは分身……?」

 やばいしまずい。世界が滲んでる。
 様々なものが重なって見える。
 戻らないと……あれ? 戻る道ってどっちだっけ?

「………」

 遭難した時はね? 下手に動かないほうがいいんだよ?
 心の中で誰かが仰った気がした。

(今こそ好機! 全軍、討ってでよ!)
(も、孟徳さ───何処に!?)

 いよいよもって眩暈がしてきた。
 やばい、遭難じゃないけど、こんな風通しのいい場所に居たら悪化するだけだ。
 寒気も随分と増してきた。

「……い、いやっ! こんな時こそ体を鍛えるんだ! どんな時でも動ける自分であってこそ、ここぞという時に役に立てるんじゃないか!」

 キッと意識を覚醒させる!
 やがてその第一歩を踏み出し、不安定ながらも氣を使って走り出した───!!

  ……その後。
  森の中でぐったりと気絶しているところを、孟獲に拾われたらしい。


───……。


 ズキズキズキズキ…… 

「うぅ……あたまいたい……」
「自業自得だ」

 目を覚ませば宛がわれた自室。
 寝台から見る天井に安堵の息を吐きながらも、痛みが取れない頭に嫌味のひとつでも飛ばしたくなった。
 どうやら部屋に居るのは思春だけらしく、いつもの庶人服に身を包み、髪を下ろした彼女は……まあその、寝台の横に運んできた椅子に座りながら俺を見下ろし、溜め息を吐いていた。

「俺、どうなったの?」
「森で倒れているところを孟獲に発見されたと聞いた。ご丁寧に手足を縛られ、棒に括りつけられて運びこまれた時は、文醜が腹を抱えて笑っていたな」
「…………」

 いつまで人を猪扱いなんだ、あの子は。
 ああでもなるほど、手首を見てみれば少しだけ縄の跡が。
 跡が残るほどではあるものの、頭痛に邪魔されて手首や足首からの痛みは感じない。
 ああ……水飲みに行って、悪化させてどーすんだよ……。

「思春……氣で病気を治すとかって……出来ないかな」
「華佗でもなければ無理だろう。安定していない貴様の氣に私の氣を送り、僅かに安定させてやることくらいならば出来るだろうが、華佗が言うところの病魔を消せるわけでもない」
「……だよなぁ」

 困った。
 常時頭が揺れている。お陰で気持ち悪くて仕方ない。
 そんな気分から解放されたいのに、無理に氣を使ったもんだから体全体が弱くなっている。
 あれだ、抵抗力が頑張って病魔と戦ってたのに、その抵抗力を自ら圧し折ってしまったような……うん、今回の場合、その抵抗力が氣だったわけで。
 あー……俺のばか……。

「………」
「………」
「…………」
「………」

 眠気が沸いてこない。
 会話もなく、そもそも寡黙であり自ら人に話し掛けることが少ない思春(注:蓮華は除く)と病気の俺とでは、話に花を咲かせろというのが無茶に近い。
 それでも話し掛ければ応えてはくれる思春にありがとうを。

「はぁ……これからって時に風邪引くなんて……」
「………」
「あの。思春さん? 病人をそんな、“なにを言っているんだこの馬鹿は”って顔で見るのはどうかと思うんですけど」
「貴様の言葉通りだ」
「……馬鹿ですいません」

 でもせめて、こんな時くらい貴様呼ばわりをやめてくれると嬉しいです。

「傍から見ても貴様は働きすぎだ。政務の手伝いから工夫の手伝い、遊びに誘われれば断らずに騒ぎ、買い出しや掃除、馬を洗いもすれば料理も手伝い、その中で延々と氣の鍛錬をし、三日毎の鍛錬。風邪がどうのの問題以前に、貴様のそれは過労だ」
「うわ……」

 視線でずぅっと“馬鹿め、馬鹿め”と言っているような目で、思春が口走る。
 対する俺はといえば、正論すぎて何も返せないでいた。
 なるほど、いくら体を鍛えていても、弱っていく部分はきちんとあるってことか。

「自分では普通にしてたつもりだったんだけど……なるほど、並べられてみると、それだけやってれば倒れもするって納得出来る……」
「……今まで倒れなかったこと自体が、そもそもおかしいと思うべきだろう」
「はは……いろいろ必死だったからさ……」

 そもそもが一介の男子生徒。
 それが、天下の統一に関わったり人の生死に関わったりだ。
 自分が特殊だったのかどうなのかはさておいても、平然と過ごせるわけもない。
 周りが優秀だった分、頑張らなきゃいけなかった。
 だからといって、好んで難しいことに首を突っ込みたかったわけでもない。
 誰かに任せれば済むことなら、なんだって任せていたかった。
 天の知識を以って、役立つことは出来ても……いつしかそれが、“自分が”役に立っているわけではないと気づいた。
 ……頑張らなきゃいけなかった。傍に居てくれるだけで安心するって言われて、嫌なわけじゃあ決してないけど……どうせなら役に立ちたいと思うことが出来たのだ。
 それからは努力の連続だ。いつかこの世界に帰ることを夢見て、それ以外のことへと思考を向けることなく突っ走って。
 気づけばあの世界の何もかもを置き去りに、ここへ来てしまった。

「…………」
「………」

 無言。
 考え事をしながら眠る努力をしてみるのだが、まだ朝だ。
 起きたばかりと言っても間違いにもならないこの状況で、どう寝ろというのか。

「昔々あるところにお爺さんとおばあさんがげぇっほごほぉっ!! うう……」
「何をしているんだお前は……」
「いや……耳が寂しいから、セルフ昔話を……」

 頼んでもやってくれそうにないし。
 結局は、とうとう出始めた咳に邪魔されてしまったが。

「……はぁ。何でもいい、してほしいことを言ってみろ」
「え……?」
「言え、と言っている。そういう気分だ。その、深い意味はない」
「………」

 深い意味はないのか。
 だよな、うん。
 してほしいことか……してほしいこと……うーん……。

「ただそんな気分なだけだ……そうだ、意味などない。当然だ。気分なのだからな、ああそうだ」
「?」

 ぶつぶつ仰っているが、本当にぶつぶつとなので耳には届かなかった。
 むしろ頭の痛みから逃げたいって意識ばかりに気がとられて、聴覚に意識を集中することが出来やしない。

「うー……」

 頭が痛い。眠りたい。なのに眠気が無い。
 どうしようか、いっそのこと治るまで気絶でも───あ。

「思春、思春……」
「なんだ、してほしいことがあるのか? 病気の時くらいは……特別だ、なんでも言え」
「うん……───俺を気絶させてくれ。正直、起きているのが辛い……」
「───……」

 ……あれ? なぜかビシリと空気が凍ったような。
 気の所為? ……気の所為だよね、ウン。

「貴様……仮にも“なんでもいい”という言葉に対して、気絶を求めるとは……!」
「え? あ、あれ? あの……思春さん?」

 景色が……! 景色が歪んでる!?
 某格闘漫画のようにぐにゃあああと! これは殺気!? ……ああハハ、熱があるだけだよきっと。そうだよそう、お願いしますそうであってください。

「いいだろう、黄泉路送りの渾身を叩き込んでやる。拳がいいか? 鈴音がいいか?」
「後者死にますよね!? そもそも黄泉路送り前提!? 気絶! 気絶希望ですよ思春さん! 解ってくださってますよねぇっふぇげっへごっほぉっ!!」
「! ……あ、ああ、その、すまん」
「けほっ……い、いいよ、思春。勝手に騒いで勝手に咳き込んだだけだし……」

 そうは言うが、思春は少しだけしょんぼりとしていた。
 はて……思春がこんな顔をするなんて、もしかしてなにかあった?
 こんな顔っていっても、大した違いなんてないけど……なんとなく解る。
 小さくだけど、「庶人……私は庶人だろう……刃を振るうな」とか言ってるし。
 あの。だからってゆっくりと拳を作るのはやめません? せめてキュッとひと思いにですね。

「ゴメンナサイやっぱり気絶は無しで」
「いいだろう」

 それで当然とばかりに頷かれた……と思えば、願いを叶える龍のような目で、寝転がる俺を見下ろす思春さん。

「ギャルのパン───なんでもないです」
「?」

 いろいろと落ち着こうな、俺。熱で脳味噌とろけてるのか?
 誰の、どんな人のものかも解らず喜ぶ豚人間の気持ちは、きっと俺には一生理解できないものなのだ。
 って、だからそうじゃなくて。

「えと……じゃあ………………ごめん、傍に居て」
「!? …………───」

 返事は特になかった。
 が、椅子に深く座り直して目を伏せる彼女からは、しょんぼりした雰囲気は無くなっていた。


───……。


 一言で言えば退屈とも言える時間があったのはいつだっただろう。
 風邪なんて引くもんじゃないな……退屈だと言えた時間が懐かしい。
 風邪なんて病気を患って、そんな様々な思いを抱くことになるなんて、俺は知らなかったんだ。

「………」
「………」

 眠れるわけもなくボーっと過ごした。
 思春は時折に額の布(タオルというよりは面積の多いハンカチのようなもの)を交換してくれて、どこまでも静かな時間を二人で過ごしていた。
 結構な時間が経ったと感じられても、案外時間は経たないもので───それでも。
 会話が無くても気にすることもなくても、“動かずに静かに過ごす”なんてことをするのが随分と懐かしく感じられた。
 結論からいえばそんなひと時も吹き飛ばしてしまう事態が起こってしまったわけだが、軽い現実逃避くらいは許されて然るべきだと思うんだ。

  朝飯。朝餉? 朝食。うん朝食。

 全てはそこに終着せん。
 食欲が無くても、食べなきゃ体が活動しないこともあり、思春が粥を作ってくれることになった……のだが。
 どうしてだろうなぁ、さっきまで思春が座っていた椅子には、KAYUが入った器を手にニコリと微笑む愛紗さんがいらっしゃる。
 その後ろには珍しくも気まずそうにする思春の姿があって、これからの俺の未来がその目に見えているかのようだった。
 とりあえず、元気そうでよかった。伝染った病は無駄ではなかったんですね?

「私が軟弱だったばかりに病を伝染してしまい、申し訳ございません。この関雲長、及ばずながら恩返しも含め、看病を」

 …………ニゲタイ。よかったと思う心と危険感知能力は別です。
 粥と言うにはあまりに紫色で、何故かそこから魚が顔を突き出しているKAYUを前に、冷や汗がダラダラでございます。
 危険だっ……あれはあまりに危険だ……! アレからは春蘭の手料理並に危険な信号が飛ばされている……! 何故かモールス信号で……!
 否、まずはこのKAYUの安全性を確かめるのが先決!
 愛紗に気づかれないように思春と視線を交差し、目で会話を!

(……ちなみに味見は?)
(…………《ふるふる》)

 ソウデスネ……ソウデスヨネ、こういうパターンデスヨネ。
 アイコンタクトなど容易に出来るはずもなく、ゼスチャーで言いたいことを察してくれた思春───から、絶望通告。
 味見は無しか……フフ、解っていたよ思春。私こそが敗北者だったのだ。
 女の子に看病などと、甘く彩られた時間がその実、暗黒に満ち……───

「さ、一刀殿」
「《がぽっ》ふご───…………」

 ……その日。
 俺は確かに花畑と川を見たんだ───……


───……。


 世界が花の香りで彩られてから数分。
 ビクッと体を痙攣させた拍子に戻ってこれた俺は、何故か涙を流していた。

「一刀殿!? ……は、はぁあ……! よかった……! 急に泡を吹いて倒れるから……」

 見渡してみれば、愛紗と思春。
 自分の身に何が起きたのかを思い出すまで、少し時間が必要だったが───

「……暖かな……とても暖かな夢を見ていた気がする……」

 言えることはそれだけだった。
 あのまま走っていけば、とても暖かな世界へと旅立てたような……と、上半身を起こしながら涙を拭う。
 すんなりと起きれた───と思えば、それで体力を使い果たしたのか再び重くなる体。
 不便だ。

「まあそれはそれとして。愛紗、そのKAYUちょっと食べてみて? 世界が広がるから」
「? いえこれは一刀殿のために───《がぽっ》ふむっ!?」

 有無も言わさず、レンゲで掬ったそれを口に突っ込んだ。
 すると、ぼてりと寝台に倒れる愛紗さん。

「やさしいだけじゃ……人は成長出来ないんだ……」
「もっともらしいことを言って、復讐したかっただけじゃないのか?」

 なかなかひどい言いザマである。

「復讐って……いや、普通の時なら我慢してでも食べるけど、病人に味見してないもの出しちゃまずいだろ……これがもし桃香相手だったら、下手すると愛紗自身が責任感じて無茶しちゃうだろ?」
「……甘いな、貴様は」
「甘くていいんじゃないかな。みんな、一年前まで頑張ってたんだし。今は甘さを受け取るくらいが丁度いいよ」

 本人、気絶してるけど。

「それにしても……眠れないからって気絶なんてするもんじゃないな。余計に気分が悪くなったよ……」
「当たり前だ」

 うん、ほんと当たり前だ。
 余計に目が冴えてしまって、頭もガンガン痛むとくる。これは眠るのは絶望的に無理だ。
 と、なれば……

「よ、よし、お粥を作ろう……」

 無理にでも起きて、腹に何かを───あ、だめだ、眩暈が……!

「…………もはや俺にはこのKAYUしか残されていないのか……」

 食べた先で、土中におわしたミミズの畑中さんに会えるだろうか。
 ……いや、誰かが作ってくれたものを残すのは恥ではなく失礼と刻みなさい。
 人は思いの分だけ、せめて感謝の心を忘れぬ人であるべきだ。
 たとえ自分のためと唱えようとも、正義を胸に悪を振り翳そうとも、感謝だけは忘れてはなりませぬ。

「覚悟、完了───!」

 熱の所為かじくじくと痛み、震える右手を伸ばし、食らってゆドシャア……!

(ごふっ……! か、関雲長が義の刃……我が大望をも断つか……)
(孟徳さん!? しっかりしてくれ孟徳さん! 孟徳さぁあああん!!)

 ……一口で夢の扉が開いた。


───……。


 さて。そうして二度目の気絶から帰還した俺なわけだが……相変わらずの頭痛と熱に苦しまされていた。
 世界がぐるぐる回って、汗が止まらない。
 風邪の時は汗を流すといいっていうけど、どうしてだろう……この汗はいろいろな意味で危険な気がする。
 今なら毒に侵されたRPGの主人公の気持ちが解る……そんな心境を、寝台で仰向けになりつつ真っ青な顔でお送りします。解りやすいですか?

「げっほごほっ! ごはっ! ごっほぉおっ〜〜───〜〜ほげっほごほっ!!! 〜〜っ……はっ……な、なんでだろう……はぁ、はぁ……! 休んでるはずなのに……悪化ばかりしているような……!」

 呼吸が詰まるくらいの重い咳が絞り出る。
 ああ、頭がガンガンする、気持ち悪い、吐きたいのに吐けない、今吐いたら間違い無く脱水症状にも蝕まれる。
 呼吸すると気道が詰まったみたいにヒューヒュー鳴って、音が気になって眠れない。もともと眠気ゼロだけど。

「はぁ……ふたりとも、俺のことはいいからさ、あ〜……な、なんだったっけ……えぇと頭がぐらぐらしてて、言おうとした言葉が……はぁ、はぁ……」

 咳のたびに手で口を押さえているとはいえ、近くに居てくれる思春や愛紗に風邪を伝染すといけない。
 だからえぇと……そ、そう、“この部屋から出ていったほうがいい”。これだ。

「この部屋から、いやむしろ俺から離れてくれ。じゃないと……うぁー……きもちわるいぃい……」

 続けようとした言葉が嘔吐的な呼吸になり、止まる。
 だめだ、風邪の時はどうも弱気になる。
 しかしここは鬼にならなければならない時だ。主に自分に対して。
 なのに、

「なりません」

 きっぱりと言う愛紗に、ぐったり気分。
 うん、なんとなくだけどそう言われるんじゃないかと思ってた。
 これと決めたら引かない人だということも知ってる。
 彼女との会話は、よっぽど譲れないこと以外は一言目を受け入れるのが上策なのだ。
 伝染すのは大変嫌な事態だが、本人に出ていく意思がないなら仕方ない。

「……じゃあ、ごめん……正直もう喋るのも辛いから……」

 ちらりと思春を見る。
 はぁ、と溜め息をついた彼女が歩み寄り、寝た状態の俺の上半身だけを起こすと、頚椎あたりにシュトンッと手刀を落とした。
 それだけで意識は飛んで、俺はくたりと自分が闇に落ちるのを感じた。



59/真実を伝える、別の意味での悪夢

 ざぁあっ……と風が吹いた。
 幾度も風に吹かれたためか、草の幾つかが茎から離れ、青空へと飛んでいく。
 それを眺めて、ようやく自分が緑の上に立っていることを知った。

「……ここ」

 景色はどう見ても日本。
 それも、フランチェスカの公園の、手入れをされた広い芝生……ある意味で“草原”の上だった。
 どうしてこんなところに、と思うのだが、深く考えずに離れてしまったその世界を前に、懐かしさが込み上げた。
 空気はまだ大陸のほうが綺麗と感じる。
 流れる川も綺麗だし、聞こえる小鳥の囀りが耳に心地よいのを知っている。

「未練かな……って、当然か」

 大陸で生きていこうと思った。けど、日本での生活が嫌だったわけじゃない。
 いつか帰れるならしっかりとじいちゃんに恩返ししたいし、悪友ともまだまだ一緒に騒ぎたい。
 置いてきてしまったものと断言し、忘れてしまうにはあまりに思い出が多すぎる。それはどちらの世界にも言えることで、行き来出来るのならどちらの世界にも居たいと思うのは当然だ。

「……なあ一刀。俺は今、幸せか?」

 きっと誰にも解らないことを口にしてみる。
 自分にだって解らないことだ。誰に訊いてみたところで解るはずもない。
 あの日。華琳のもとから離れ、学校で目を覚ましたあの日に感じた幸せの形が、今は思い出せない。
 気づいてしまったことがあるから。
 どちらか一方の世界で幸せだと唱える前に、必ずどちらか一方の世界が思い返されるのだ。
 家族は泣いているだろうか。
 それとも、時間は止まったままでいてくれているのだろうか。
 そんなことを小さく考えて、頭を振った。
 今は今。どちらか一方にしっかりと立っている今は、その場所のことだけを考えろ。
 あの時知った幸福の意味は、確かにこの胸にあったのだから。

「ごめん、じいちゃん。恩返しはずっとずっと先に───いや。もう戻れないかもしれないけど、学ばせてもらったことをせめて忘れずに生きていくよ」

 日本でも大陸に向けて、似た言葉を送った。
 戻れるかは解らない、それはどちらに居ても思うことだ。
 俺はべつに、日本での暮らしに絶望を感じていたわけでも出て行きたかったわけでもない。

「…………」

 もうとっくに“懐かしい”になってしまっている空気を胸いっぱいに吸う。
 そうすると、少しだけ勇気が貰えた気がして、いつの間にか笑っていた。

「夢……なんだろうな、これは」

 誰も居ない静かな世界に居る。
 動物の鳴き声も聞こえず、風に草花が揺れる音しか届かない。
 ドーム20個以上の敷地の傍ら、車が走る場所までは遠すぎるこの場は、本当の本当に静かだった。
 そんな中、ふと後方から草を踏む音が風に乗って聞こえてくる。
 この世界、この景色───こんな暖かな場所での“音”。きっと懐かしい誰かに会える予感とともに振り向いてみれば───

「ぬふぅうううん♪ お久しぶりねん、ご主人さまぁん♪」
「ぎゃあああああああああああああああおばけぇえええええええええっ!!!!」

 視界の先に存在するマッシヴなビキニパンツ一丁(や、ヒモパンか?)の男を前に、絶叫する破目になった。
 しかもこの歳で“おばけー”である。

「あらやだご主人さまったらん、怖いくらいに可愛いだなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃないのぉん」
「どれだけ脳内変換されたらそう聞こえるんだ!? ヘタなストーカーでもそうまで都合よく解釈しないだろっ! って覚めて! 夢覚めてぇええっ!! 夢っ! お願いだぁあーーーっ!!」

 お解り頂けるであろうか……マッスルで髪が少ないビキニパンツの男性が、くねくねとしなを作りながら頬を染めて近づいて来る恐怖……! 足がっ、足が震えて動けない!

「そう……夢はいつかは覚めるもの。ご主人様もそれを理解した上で、ここに立っていると信じてるわよん」
「え……」

 マッスルが急に真顔になってそう言う。
 ……ポーズはいちいち女性のソレだが。

「夢から覚めた貴方がもし道に迷ったら、“繋がり”を探すこと。元よりこの世界は“外史”。何者かが何かを思うたび、違う行く末を思うたびに構築される世界なの。その中で繋がりを見つけ、求めることこそが繋がった心を届かせる絆というものなのよぉん」
「絆? いったいなにを言って───」
「い〜〜いご主人さまん? よぉく考えてみるの。彼女たちのもとへ降りたのが、“何故貴方だったのか”を。貴方でなければいけないきっかけが確かにあって、その決着がつくまではいつまでも外史が作られ続けちゃうの」
「………」

 きっかけ……? それっていったい……。
 いやいや待て待て、それ以前に何故俺はオカマッスルにいろいろと説かれてるんだ?

「いぃつか“彼”もぉ、そちらへ辿り着いちゃうわぁん。そこで決着をつけられるかどぉかはぁ〜……ご主人様次第にゃ〜にょよぉん」
「……普通に喋れないか? 言ってることはなんとなく解るけど」
「きゃぁん、解ってくれて嬉しいわぁ〜〜ん♪」

 バチーンと雄々しいウィンクをして、頬を染めるカイブツが居た。
 それを視界に入れた途端、全身に鳥肌が走り───!

「《ぞわわぁっ!!》うひぃいいっ!? そそそその顔できゃんとか言うなぁあっ!」
「だぁ〜〜〜れが海坊主と般若が混ざり合って産まれた怪物みたいな顔ですってぇえーーーんっ!? しどいっ! いくらご主人様でもしどい! しどすぎるわ!!」
「いやいやいやいやそこまで言ってないだろ!? ていうかだ! そもそもそのご主人様ってなんだ!? そしてあんたはどうして男でおっさんなのにそんな───」
「喝ァアアアアアアアアアッ!!!」
「うわっ!? や、ちょ、いきなりなんだよおっさ───」
「喝ぁあああああああああっ!!!」
「だ、だから何───」
「おっさんって誰ェ!? おっさんって何処ォ!!」
「…………いや、それはあんたが」
「喝ーーーーーーーーーーッ!!!」
「うぉわぁあああっ!!?」

 ゴシャーン!と音が聞こえるくらいに目を輝かせたマッチョでモミアゲ以外に髪が無いおっさんが、ギラリとこちらを睨んで───って怖ッ!! 滅茶苦茶怖い!!

「ひどい、ひどいわ! 花も恥じらう漢女をまたおっさん呼ばわりなんてっ!!」

 …………また、と申したか。
 以前会った覚えも言った覚えもないんだが。
 会ったら夢に出てきそうなくらい、存在感あるし───マテ、だから夢に出てきてるのか? いったい何処でエンカウントしてしまったんだ……?

「………」

 とりあえず、ええと……おっさんって部分には触れるなってことですね?

「あ、あー……うん、はい……おっさんじゃない、おっさんじゃないから。それであんたは、いったい何が目的でそんな格好をして俺の前に? そもそもコレ夢だよね? 夢であってください、お願いします」
「そうねん、確かにこれは夢。“可能性”を持つご主人様を探して、片っ端から夢に語り掛けているところなの」
「片っ端から? ……待ってくれ、前提からしてちょっと解らない。引っかかることは確かにあるんだけど……」

 そもそもそんなことが出来るこいつは何者だ?
 只者じゃないのはこの格好だけでも解るけど。

「“歴史に軸あり”よん。過去にこういうことがあったから現在がある、もしあの時そうだったらこの世界はああなっていた、様々な過程や仮定を用いても、その過程や仮定を肉付けするためには軸が必要よねぇん?」
「ああ、それは解るが……俺にはそもそも、どうして俺が夢の中でビキニパンツ一丁のおと───こほんっ、誰かと草原で語り合わなきゃいけないのかがまず解らんのだが」
「そこは触れちゃダメ。だって夢に割り込んだだけですものん。語りかけることが出来たとしても、この外史がどの外史で、ご主人様が何処に居るのかまでは解らない。そしてこの場所がたとえ氷室の中でも、わたしはこの格好で現れたわ。だって踊り子ですもの!」

 …………想像してみた。
 ……怖かった。
 草原でよかった。
 これが寝台の中とかだったら俺はショック死していただろう。
 あと踊り子だろうがなんだろうが、ビキニパンツで踊り子を名乗る存在なんて初めて見るわ。

「最初のご主人様……“北郷一刀”が外史に触れるきっかけとなったご主人様は、確かに新しい世界を創ったわん。けどそれは外史を纏める結果には繋がらなかった。幾つも存在する外史が増えただけ。わたしは祝福できるけど、納得出来ない者……それを壊そうとする者はやっぱり存在するの。だからわたしは未だにご主人様を探して、外史を旅し続けてるのよん」
「…………マテ。いろいろ聞き捨てならない言葉が出たぞ? 俺が……なんだって?」
「だぁ〜かるぁ〜〜ん、外史に触れるきっかけとなったご主人様は───」
「そこっ!」
「きゃんっ」
「だからきゃんじゃなくてっ! きっかけ!? きっかけってなんだ!? 俺、なにかをした覚えなんて全然ないぞ!?」

 きっかけもなにも、俺は急に大陸に飛ばされたんだ。
 そこで初めて華琳に会ったし、世界なんて創った覚えもない。

「んもうせっかちさんなんだから……でも嫌いじゃないわ、そういうの……ぬふん♪」
「ウィンクとかいいから……!」

 疲れる……普通に話したいだけなのに、妙なところで流し目だとかくねくね動いたりだとか、もういや……言っちゃなんだけど視界の毒だよこれ……。

「いいわ、教えてあ・げ・る。事実として受け容れるかはご主人様に任せるけどねん」
「ああ、それでいい」

 解らないことがいろいろある。
 それを纏めるにはいい機会だ。
 たとえ夢の中だろうと、それが納得出来ることなら───


───……。


 ……話を始めてしばらく。
 途中途中で妙な話に逸れたり逸らしたりを繰り返しながらも、“最初の北郷一刀”のことを知った。
 左慈という男と出会ったこと。
 彼が資料館から奪った銅鏡を資料館に戻そうとして争い、拍子に銅鏡が割れ、それがきっかけとなって大陸に飛ばされたこと。
 北郷一刀はそこで愛紗ら蜀の人物と出会い、“劉備”の位置づけで蜀を率い、乱世を駆けたこと。
 その中で彼……貂蝉も仲間入りをし、故に俺をご主人様と呼ぶこと。
 そして……最初の俺は託された鏡にて世界を創り、その世界へと消えたこと。
 けど、それだけじゃあ“外史の連鎖”は消えなかった事実が残った……と。
 いろいろとややこしいが、とりあえずはだ。一番最初の北郷一刀か、他の外史の北郷一刀が目の前の巨漢をおっさん呼ばわりしたと、そういうことらしい。
 よく言った、キミは正しい。でもショックを受けているってことは、訂正したってことであり……ああ、圧力に勝てなかったか。それも正しいよきっと。
 つまり、やっぱりそこには触れるなってことですね?

「外史が生まれるたび、わたしたちは走り回るのよん。左慈ちゃんはそんな連鎖を終わらせたがってたのよね。幾度も幾度も続く歴史、繰り返され続ける“自分”って存在を」
「じゃあ……結果的に、俺はそれを邪魔したことになるのか?」
「お互いに守りたいものと目指したい場所があれば、衝突するのは当たり前でしょぉん? ご主人様は鏡を使って世界を創り、そこへ旅立った。残された外史の欠片たちは、必要とされなくなった時点で消えていくしかないの。その中で、自分たちだけ幸せになったりして許せないわぁん!! ……なんてことを思う者も居たかもしれないけどねぇん」
「………」
「世界は確かに創られたけど、それだけじゃあ終わりにはならなかったの。新たな世界が築かれることで、“外史”はさらに歪んだわ。ご主人様じゃなく、劉備ちゃんが蜀を率いる現在、孫策ちゃんが生きていて、周瑜ちゃんが黒幕じゃない現在、いろいろとねん」
「冥琳が黒幕!? 確かに頭はいいけど、そんなこと考えるようには思えないぞ!?」
「そういう外史もあったってことなのよん」

 外史か……って待て? 外史……外史?

「なぁ貂蝉、未だに貂蝉って呼ぶことに抵抗を感じるけど、その左慈ってやつも……」
「ええ、繰り返される世界の住人よん」
「そいつが、最初の北郷一刀の世界に現れたってことは、つまり───」
「そうねん。ご主人様が居る元の世界も、外史ってことになるわ。そうじゃなきゃそもそも、外史に干渉できるきっかけそのものがないのだからねぇん」
「───……」

 そうか。
 歴史に軸あり……つまりそういうこと。
 俺の世界では関羽たちが男であるが、この世界では女。
 俺はフランチェスカで学生をやっているが、もしかしたら実家の学校に通ってたかもしれない。
 平行世界、パラレル、鏡の中の世界……つまり外史ってのはそういうものなのだ。
 この世界が未来へ続き、そのまま俺達の時代まで続く可能性だって在り得る。
 けど俺の世界での歴史では劉備や関羽は男だ……つまりこの外史は俺が産まれた未来には繋がっていない。
 あくまで外史と接触するきっかけとなった“北郷一刀”って存在だから、俺はこの世界に飛ばされた……ただそれだけ。
 もし最初の軸で銅鏡を割ったのが及川だったなら、ここに降りたのは、別の外史に降りたのは及川だったってこと。

  この世界は銅鏡を割ってしまった者を基点として作られたのだ。

 即ち俺と───おそらくは、左慈って存在を基点に。
 元々俺達が存在する世界が“外史”って言葉で纏められていたとして。
 この世界も俺が産まれた世界と同様に銅鏡を割る前から存在していたとして、俺が飛ばされるきっかけになったのが“銅鏡を割ったこと”ならば。
 “飛ばされたのがこの大陸のこの時代”だった理由は……その左慈ってヤツがこの時代を生きるものだったから、なのだろうか。
 だからこの場に左慈ってヤツが居なくても、この世界は機能する。
 そこに“北郷一刀と大陸の歴史”って基点が存在するなら、いくらでも外史は作られるってことだ。

「……他の外史の俺は、どうしてるんだ?」
「そうねん……蜀に降りて劉備ちゃんと一緒に天下を統一したり、呉に降りて将の女の子ほぼ全員と子供作っちゃったり、まあいろいろよん」
「うわぁ……───で、そいつらとも今と同じ話をしたのか?」
「それがそうもいかないみたいなのぉん! んもうヤになっちゃうわぁん!?」

 目の前でぷんすかウネウネ動かれてる俺のほうが、もういろいろと嫌になってますが?
 ああ……いろいろ知るチャンスではあるけど、早く覚めないかなぁこの夢。

「こうして会話が成功したのはこの外史のご主人様。つまりあなただけなのよん……」
「へ? ……俺、だけ? なんでまた」
「ぬふん、それはきっとわたしが氣を辿って会話しているからねん。他のご主人様も何かに気づきはするみたいだけど、声までは届いてくれないみたいなのよぉん……」
「そりゃ羨まし───あ、いや、なんでもない。それはつまり、俺に多少なりにも氣があるから……なのか?」
「そうみたいねん……こうして意識を研ぎ澄ましてみると───ああっ! ご主人様から甘ぁい香りがするぅん! もう抱き締めてスリスリしたくなっちゃう!」
「全力で遠慮する! お願いだからやめてくれ!」
「あんもうつれないんだからぁん……! でもそんなちょっぴりお堅いところもす・て・き、ぬふぅうん♪」

 つれない自分で本望! スリスリなんてされたらそれこそ意思が自殺を選ぶわ!
 大体甘い香りって……氣を辿って話し掛けてるとか言っているのに、そんないい匂いとかするわけが───…………いい匂い?

  “んにー……いい匂い……するにゃああ〜〜……”

 ……以前、孟獲がそんなことを寝言で言ってたっけ。何故か俺の寝台で。
 もしかして、だけど……動物に好かれるようになったのって、“氣”の所為か?

「……ちょっと訊きたいんだけどさ。氣が多少使えるようになったからって、動物に好かれるようになるとか……そんなことってあるのか?」
「それはもちろんあるに決まってるわよぉん。動物が好きなのに、どうしてか子供の頃から動物に嫌われやすい人って居るでしょぉ? それと同じで、そういうのを内側に閉じ込めちゃってる人も居るのよねん」
「俺が……その例ってこと?」
「う〜〜〜ん…………ちょぉっと違うわねぇ。確かにそれもそうなのだけれどもぉ……ご主人様には二つの氣があるのは知っている? 一つは北郷一刀としてのもので、一つは天の御遣いとしてのもの。感じるもの“そのまま”で言うなら、天が盾、人が剣だわぬぇ〜ん」
「───」

 言われてみて驚いた。
 てっきり俺は、天が剣だと思っていた。
 だって、他の外史はともかくとしても……この外史に呼んだのは華琳だぞ?
 下手な守りよりも圧倒的火力で叩き潰し、攻められれば剛毅に迎え撃ち、下がることなど良しとしない華琳だ。
 そんな彼女に求められた俺が……天の御遣いの氣が、守りの氣だったなんて。

「多分だけどもぉ……あまりに小さくて感じることが出来なかった氣が、鍛えられることで体の外へと出ちゃったからぁ、ご主人様が動物に好かれるようになったとか、そういうところなんじゃにゃぁ〜いにょぉ〜〜ん? もともと好かれる素質めいたものはあったものの、あまりに微弱だった所為で気づかれなかったとかぁ。何か心当たりとかってなぁ〜いぃ?」
「心当たり……って、それはそれとして普通に話してくれ、頼むから」
「ンマッ、失礼しちゃうわご主人様ったるぁん、さっきから普通に話してるじゃあなぁいのぉん」
「………」

 そのカマ言葉をなんとか……あ、いや、いいです。言った途端に妙なオーラ出しそうだ。
 で、引っかかること、と言えば……ある。

  “いえ隊長、氣の収束は成功しています。
   ただ体外に出せるほど、隊長には……その、氣が無いようで……”

 魏から呉へと出発する前のこと。
 氣のことを初めて教わった時に、凪に確かにそう言われた。
 纏めると……こうか?

 1:俺の中には動物が好む氣(この場合、雰囲気とか匂いとかで喩えるべきか?)が存在していた。
 2:ただしそれは「微弱すぎだ」と凪に太鼓判を頂けるほどの小ささで、今の今まで感覚が鋭い動物にさえ気づかれることが無かった。
 3:それを鍛え、纏うことが出来たからこそ、動物が遠慮なく突っ込んでくるようになった。動物並……否、動物に限りなく近い孟獲はそれを感じ取って噛みついてきた。
 4:それらは氣さえ鍛えれば誰でも懐かれるとかそんなんじゃなく、俺の氣にはそういった動物が好む何かがあった。

「………」

 こんなところ……か? 喜んでいいんだろうか、これは。

「いろいろ考え込んでるご主人様も素敵だけれどもぉ……そろそろ時間もないわねん」
「え───……そっか。悪かったな、質問責めみたいになっちゃって」
「そんなことはいいの……わたしもとっても楽しかったから《バチーン!》」
「……風が吹き荒ぶほどのウィンクをしないでくれ、頼むから」

 どういう瞼をしているんだろうか、この巨漢サマは。

「いーいぃご主人様ぁん? 左慈ちゃんはしばらくは動けない。けれどもいつかは必ずこの外史に辿り着くわん。それが先か、御遣いを望んだ者が息絶えるのが先か。行きつく先がなんであれ、この外史はいつかは滅びるわ」
「滅びる……? 外史が消えるってことか?」
「そう。何にでも突端と終端があるように、外史にももちろん終わりがある。いいえ? 正史だろうとそれは避けられないものよん」
「避けられない……滅び……」

 消える……? この世界の全てが……?
 みんな生きているこの世界が───

「どうして……って訊いていいか?」
「あぁあらやだぁあん、ご主人様ったぁらぁ、意外と冷静? いいわ、こうなったら教えられることは教えてあげちゃう。覚悟はいいわねん?」
「……ああ。頼む」

 ごく、と……自然と喉が鳴った。 
 それでも引くことはしない。
 また質問責めみたいなことをしてしまっている自分が嫌なヤツに思えたけれど、知っておかないといつか後悔する……誰かがそう言った気がした。

「わたしたちが存在する場所は、“軸”を中心に外史という名で枝分かれしているの。樹に果物が実るみたいにい〜〜っぱいねん。たとえばこの世界は曹操ちゃんが天下を統一した世界だけれども、劉備ちゃんが、孫権ちゃんが統一する世界も当然存在する」
「他の外史だな?」
「そう。そんな外史は、誰かがそうあって欲しいと強く願うだけ実っていくの。そんな、願われれば増え続けるだけの実りを左右する力を持つのが、わたしと左慈ちゃんと于吉ちゃんってわけ。……卑弥呼はいいわ、恋敵になりそうですものん」

 于吉……左慈に続いて于吉か。

「でもねん、願う者が居るなら、もちろんそんな物語を認めない者も居るの。左慈ちゃんと于吉ちゃんはそんな、“外史を壊したい”って願いが具現化した存在。逆にわたしや師匠である卑弥呼は“外史を守りたい”って願いが具現化した存在にゃ〜にょよぅ」
「願いの……具現?《ハッ》……じゃあ、もしかしてこの世界に生きる全ての人が!」
「外史は正史をなぞり、ここがこうならばと願われることで実る果実。この戦いで曹操ちゃんが勝っていれば。あの場面で孫策ちゃんが死ななければ。そんな願いは人の数だけ存在するわよねん?」
「……その人達の願いで、外史は創られ続けてるっていうのか……」

 じゃあ、俺が生きた世界も、華琳とともに駆け抜けた世界も、全部が全部創りもので……俺達はその舞台を駆け回る傀儡でしかなかったと……?

「───…………」

 ……そう、なのかもしれない。
 けど、それで本望。

  俺達は確かに生きている。

 願われたことで、創られたことでみんなに会え、笑っていられたというのなら、何故それを否定する必要があるのだろう。
 世界は創られた。人も創られた。動物も、草花も、全て……そう、全て。
 ……それだけだ。俺が意識する世界の在り方と何が違う。
 俺が産まれた時、既に“世界”は存在していた。
 俺がこの世界に落ちた時、既にこの世界の過去は存在し、華琳もみんなもそうやって生きてきたんだ。

  そうだ、俺達は生きている。

 この世界が創りものの世界だろうと、やれることもやることも何一つ変わりはしない。
 ……生きるんだ、精一杯に。
 そしていつか迎えればいい……その、終端ってやつを。

「きゃんっ、なんてやさしい目……! わたしのハートにズキュンときちゃったっ……!」
「や、それはこなくていいから」

 ズビシと一応ツッコミを入れた。
 途端に力が抜けて、小さく笑う自分が居た。

「ご主人様。訊くまでもなさそうだけど、この世界の真実を知ってもまだ、前を向いて歩けるかしらん?」
「当たり前。最後の最後まで生きていくよ。生憎と命を簡単に諦められるほど、つまらない人生を送ってないし。それに、諦めちゃうにはもったいなすぎるよ、この外史(いのち)は」
「……そう」

 すると、貂蝉も穏やかに笑んだ。
 オカマチックではなく、どこか……子の成長を見届けた親のような眼差しで。
 そんな目を真っ直ぐに見つめ、一度深呼吸をしてから言葉を紡ぐ。

「この世界が終端へ辿り着くのは、御遣いを望んだ者……華琳が召される時か?」
「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。どういうことなのか、基点であるご主人様が居なくなってもこの外史は終わらなかった。それは多分この外史のみんな、主に曹操ちゃんが貴方と強く繋がっていたからだと思うの」
「華琳と俺が?」
「そう。それとも外史の“意味”が無理矢理捻じ曲げられたために、外史自体が形を変えてしまったか」
「───あ」

 意味が無理矢理捻じ曲げられた。
 それってつまり……えぇと、俺が“そうなるべき世界”を自分の都合で変えまくった所為だったりする……のか?
 する、どころか絶対にそうだろうな……。
 その上、みんなとの繋がりがあるって点でも間違いはないと思う。
 仮説にすぎないけど、俺は確かに華琳の願いを叶えるべくこの地に降りたのだろうから。
 じゃなきゃ、天下を取って少しもしない内に天に強制送還なんてこと、有り得ない。

「どういう理由があるにせよ、これも愛の為せる業……。ご主人様ん? ご主人様がピンチの時はこの貂蝉、愛と正義と愛のためにぃ、一肌脱ぐわよぉ〜ん?」
「………」

 愛を二回言う意味はあるんだろうか。

「……貂蝉。あんたにとっての正義ってなんだ?」
「ぅ愛ぃいっ!《ズビシィーーーーン!!》」

 …………物凄いニヒルスマイルでの、親指立てだった。
 そしてそれが本当なら、愛を三回言ったってことになるわけで。
 と、そんなことに疲れを感じた瞬間、貂蝉の体がゆっくりとだが光に包まれてゆく。

「あぁらやだん、もうオシマイなのぉん? これからがいいところだったのにぃいんっ」

 どうやら、本当に時間ってのが来たらしい。
 体の外側からじわじわと光になっていくマッチョはとても不気味ではあったが、届けたいことは感謝だけ。

「いろいろありがとうな、貂蝉」
「ぬふふんっ? 本当にご主人様ったらお人好しなんだからん。わたしが悪いことを企んでじゃったりなんかしちゃってる、悪の親玉だったりとか考えないのん? ぜ〜〜んぶウソだったりしちゃうかもしれないのにぃん」
「ウソだったらそれでもいいよ。情報が手に入って、危険があるかもしれないと知って、それに対抗するために努力をする。……したらまずいことなんてなんにもないしさ。それなら危険に備えたほうがいいに決まってる。そのきっかけを教えてくれたんだ……感謝以外に言葉は無いよ」
「《きゅんっ》……〜〜〜きゃああん! 貂ォオ蝉ったらキュンときちゃっとぅぁん! あぁんご主人様ァア!! せぇめて夢の中だぁあけでもぉぅ! その唇を奪わせてぇええええんっ!!」
「うぃいっ!? うわやめっ! ひかっ! やめっ!」

 光り輝くマッチョが唇を突き出し飛びついてきた!!
 その逞しい腕が背に回され、厚い胸板が胸に押し付けられ、目の前にはムチュウウウと唇を突き出す、金色に光り輝くマッチョが───ってイヤァアアアアアアアッ!!!? もし、たとえ、万が一にも男とキスをしなきゃいけなかったとしても、こんな金色(こんじき)マッチョとはいやぁああああああっ!!!
 離せっ! 離せぇえええっ!!
 いやっ! やめっ……ギャ、ヤヤ……!!

  ぎゃああああああああああああああああああああああ……………………!!!!





60/今あるこの現在

 がっくんがっくんがっくん!!

「北郷!? しっかりしろ北郷! 北郷!!」
「ぁぅうぁぅうあぅううああ……!!? ───はうあっ!?」

 ハッと覚醒! 目の前にある顔! ……金色マッチョじゃない!!
 さっきからがっくんがっくん揺さぶられてたのか、頭がぐらぐらするけど……覚めた! ギリギリのところで覚めてくれた!

「は、あ……あ……? あ……思春……思春だよな?」

 上半身を起こした状態。
 そんな格好のまま、それでも眠りこけていたらしい俺は、現在思春さんに両肩を掴まれた状態で寝台に居た。
 こんな格好で揺さぶられて、よくすぐに起きなかったもんだ。
 あのマッチョの呪いか?

「……随分と(うな)されていたようだが」
「あ……うん。ひどい悪夢を見た……」

 本当に、なんてひどい夢。
 あの抱き締められた感触、全力で抗っても引き剥がせない腕力……そしてあのムチュリと突き出された唇……!
 ひぃいい! 思い出すだけで寒気が! 頭が揺れる! ……あ、そういえば風邪引いてたんだっけ、俺……。

「………」
「……?」

 急にピタリと停止、考え事を始めた俺を、思春が訝しげに見つめ……もとい、睨んでいた。病人に対してでもまるで容赦がありません。

「……あぁ、もう……」

 頭の痛みが増した。
 寒気もひどいものだったし、“風邪って病気”を超越しちゃいませんかと神様に質問したくなりました。
 心はなんだか弱くなったみたいに気力を振り絞ってくれず、やたらと誰かに頼りたくなってきた。だからだろう……ああそうだ、そうじゃなければ今さら、こんなことを頼んだりはしないはずだ。

「思春……。お願い、もう一つ聞いてくれるかな」

 不安がりながらお願いする、まるで子供のような挙動。
 それでも思春は、溜め息を吐きながらも俺から視線を逸らさずに言ってくれる。

「特別だと言っただろう。言ってみろ。頷くかどうかはその後だ」

 特別な状態で、ようやく認可の上で叶えてくれるんですね?
 キミの中の俺の立ち位置ってどこらへんなんでしょうか……ああいや、そんなことは訊くだけ無駄だ。今は願いを届けよう。

「うん。嫌だったら素直に嫌だって言ってくれるとありがたいかな……。えぇと……うぅ、脳が揺れる……」

 ふらふらしながら、思春に起こされたままだった上半身を支えるように寝台に手をつく。
 思春の手はとっくに俺の肩から離れているけど、出来ればその手がもう一度こちらに来てくれることを願って───

「その。抱きしめて、いいかな」
「───…………なに? ………………なっ!?《ぐぼんっ!》」

 口にしてみると、思春の顔がたっぷり時間をかけて灼熱した。
 真っ赤って言葉がこれほど似合う色もないんじゃないかって思うほど。

「う、な、ななっ……何を言っている貴様……! 呉に居る時は、誰の求めにも応じることがなかったというのに、正気か!」
「……? え、っと……正気なつもりだけど……だめかな」
「とくっ……! 特別とは言ったには言ったが、それとこれとはそもそも別問題だろう! 大体、貴様は今、弱っていて……!」
「………」

 珍しいこともあるもんだ。
 思春が……あの思春さんが大慌てだ。
 真っ赤なままにわたわたとして、引け腰になっているんだけど、かつての武人としての誇りがそれを許さないのか、後退ることは一切しない。
 だから手を伸ばせば、その細い手を取ることが出来るんだけど……ハテ? なにやら会話に行き違いがあるような気が……───だめだ、頭が回ってくれない。

「んっ……」

 ある意味では必死だった。
 夢だったのに、この身をきつく締め上げるベアハッグ……もとい、抱擁……ああいや精神を保つためにもベアハッグにしとこう。あのベアハッグの感触から逃れたい一心で、重くけだるい腕を持ち上げ、思春の腕を掴み───引き寄せた。
 「ぴぃっ!?」なんて珍しい声が聞こえた。
 てっきり振り払われるかと思えば、なにをそんなに慌てていたのか力が篭らなかったようで、思春はほんの小さな震動で倒れてきた軽い置物のように、ぽふりと俺の腕に納まった。

「───」

 途端、呼吸を停止したみたいに動作も停止。
 預かりものの仔猫のように大人しくなり、俺の左肩に顎を乗せた状態で動かなくなって───俺はそんな思春をきゅっと強く抱きしめることで、あの雄々しい感触から逃れようと……したのだが。悲しいかな、熱の所為か力が入らない。
 確かにそれはそうなんだが、伝わる感触や匂いだけで十分だった。
 ゆっくりと、金色マッチョの悪夢が薄くなってゆく。
 俺はそんな心地よさに身を委ねるように集中し、だからこそ、ある音に気づけなかった。

「……一刀さん? 眠ってま───はわっ!?」
「へ?」

 思春の肩越しに見る景色の先、そろりとやってきた朱里が、思春を抱きしめる俺を補足!
 見事にぐぼんっ!と瞬間沸騰をしてみせ、

「はわわわわわっ!? ごごごごめんなしゃい!! ののののっくをしたんですけどお返事がなくて、眠っているのかと思ったらまさかそんなっ! はわぁわわぁわわわぁあーーーーっ!!」
「……? 朱里ちゃん、どうし───あわっ!?」

 その後ろにいらっしゃったらしい雛里もまた、俺の状態を見るなり瞬間沸騰を!
 騒ぎ慌てる朱里とともにはわあわと叫び始め、なのに一向に部屋からは出ずに暖かく見守《ゴドォ!!》たわばっ!?

「こ、これはっ……違う! この男が勝手に……!」

 抱き締められているなんて状況を見られたのが恥ずかしかったのか、ハッとした思春に突き飛ばされた。
 ……加えて言うと、突き飛ばされた勢いで寝台の角に頭をぶつけた。
 ゴドォと素敵な音が脳内に響き渡った瞬間でした。泣いていいですか?

「えっ……一刀さんが急に抱きついてききききたんですかっ!?」
「そう、そうだ。特別に出来ることなら聞いてやると言えば、抱き締めてもいいかと……」
「あわ……!《ぽぽぽ……!》」

 寝台の角の雄々しき固さに苦しむ俺をよそに、三人はどんどんと盛り上がっていった。
 そう、確かに抱きしめたわけだが、なぜにこんな嫌な予感ばかりが押し寄せてくるのか。

「魏に全てを捧げたと公言した一刀さんが、まさか……風邪を引いたことで豹変したんでしょうか!?」
「いちちち……! あ、あの、朱里? 確かに風邪は引いてるけど、俺……豹変した覚えなんてないぞ?」
「はわっ…………じゃ、じゃあ魏の種馬と呼ばれた狼さんがついに動き」
「出してないからぁっ!! ちょっと待って、落ち着いてくれ! 話が見えないってば! 抱き締めるって行為は朱里にも雛里にもしたことがあっただろっ!?」
「…………ふえ?」
「……?」
「───」

 痛みのあまり、熱でボーっとしていた頭が少しスッキリしていた。
 そんな状態を利用して叫んでみれば、朱里と雛里がぱちくりと目を瞬かせたのち、ちらりと思春を見上げた。
 ……途端、疑問に満ちていた彼女の顔(普通と大して変わらない)が真っ赤に染まり、バッと音が鳴るほどに目、どころか顔ごと逸らし、沈黙した。

「……あの。思春さん? いったい俺が貴女に何をすると思って───」
「言うな……《ふるふるふるふる……!》」

 顔を逸らしていても見える耳が、さらにさらにと赤く染まっていた。
 恥ずかしさからか肩もふるふると震え、やがて無言で歩いてゆくと、開けっぱなしだった扉から外へと消えてしまった。

「………」
「………」
「……?」

 俺と朱里は微妙な苦笑いで見つめ合い、雛里は頬を染めながらも首を傾げていた。


───……。


 沈黙からしばらくして、今が昼だということを知った。
 それに気づけたのは朱里が持っていたお粥のお陰なのだが、さっきのKAYUのことを思うと、どうにも手を伸ばしづらかったりするわけで。

「そういえば……愛紗は?」
「え……あ、はい。その……一刀さんにとんでもないものを食べさせてしまったと、厨房の隅で肩を落としてましたけど……」
「うぐっ……やっぱり無理してでも全部食べるべきだったかなぁ……」

 とは言っても、二度目の気絶から目覚めた時には、すでにKAYUが無くなっていたのだから仕方ない。

「桃香や皆はどうしてる?」
「皆さん大忙しで頑張ってますよ。私たちも、少しだけ時間を貰ってここに居るんです」
「……そうなのか。ごめん───じゃなかった、ありがとう」
「はわ……」
「あわ……」

 手を伸ばし、二人の頭を撫でる。
 熱の所為で痛む右腕は我慢だ。
 心を込めて撫で、惜しみながら離した。
 残念だけどいつまでも撫でていられるほど、体力が残っていない。
 何かを成すには体力が居る。体力といえばまず食事だ。
 食欲はない……ないのだけれど、食わなきゃ体力なんてつきやしない。
 ありがたく頂こう、朱里が持って来てくれたお粥を。

「じゃあ、ありがたく───《スカッ》……あれ?」

 伸ばした手が何も掴まず空気を掻いた。
 エ? と朱里の顔を見てみれば少し顔を赤くしたままにレンゲを取って───ぬお。ま、まさかアレか? 俺も愛紗にやった、あれを……!?

「あ、あ〜〜ん……《かぁああ……!》」
「うぐっ……!?」
「あわわ……!? 朱里ちゃん……!?」

 予想通りでした。
 なるほど、やられてみて解る恥ずかしさ……これは口を開くのに勇気が要る。
 フフフ、だが朱里……俺という男を甘く見てもらっては困る。これがからかいではなく、厚意でされていることなのだと理解出来ているのなら、この北郷。もはや何を恐れることもなく頂こう!
 ……うん、なに言ってるんだろうね、俺。いよいよもって頭が熱に負けてきたか?

「あぁ……んむっ《もごっ》」

 ともあれ、ありがたくレンゲを口に含んだ。
 熱々のお粥をほふほふしながら食べ、飲みこんでから、美味しいと…………言えない。

「……ごめん、きっと美味しいんだろうけど、味覚がどうも……」
「風邪を引いているんですから、仕方がないですよ。それに、ありがとうって感謝の言葉だけで十分ですから。ね、雛里ちゃん」
「あわっ!? あ、あわ……その、通りです……」
「………」

 あれ? なんだか雛里がやけに距離を置きたがっているような気が……気の所為? 口調もいつも以上におどおどしてる気がするし……あれぇ?
 思春を抱き締めてたことが原因なら、是非とも誤解を解きたいんだけど。

「……雛里。雛里にも食べさせてもらっていいかな」
「ふえ……? ───…………あわわっ!? へわっ!? あわっ!?」
「いや……そんな驚かれても困るんだけど。雛里も心配してくれたんだろ?」
「あぅ……《ぽぽぽ……》」

 顔を赤くして、帽子を深めに被る雛里。
 そんな彼女に、はいとお粥を渡す朱里はとてもいい娘です。
 ……さて。この熱に浮かされた頭は、果たして何処まで突っ走りやがるのか。
 これじゃあ“あ〜ん”をお願いしているようなものじゃないか。
 言ってから途端に恥ずかしくなってきたぞ、くそう。
 今からでも遅くはない、ちゃんと自分で食べるって───

「あ、あの、その……あ、あ〜ん……です……」
「………」

 ───神よ……。

「あらあら、楽しそうなことをやっているわね」
「ひうっ!?」
「おおうっ!?」
「はわぁっ!?」

 今からじゃあ遅かった。そんな心境を神に届けていると、いつの間に入って来ていたのか……まさにいつの間にか部屋の中に、黄忠さんと───

「風邪を引いたらしいな。日頃から鍛えているわりに、軟弱なことだのう」

 かんらかんらと笑う、厳顔さんの姿が。

「黄忠さん、厳顔さん……いつの間に」
「なに。紫苑と二人、昼でも取ろうかという時に丁度通りかかってな。扉が開け放たれたまま、中で何をしているのかと覗いてみれば……二人の可愛い娘が甲斐甲斐しくも一人の男を看病しておるではないか……んぐっ……ぷはぁっ」
「説明しながら病人の前で酒を飲まんでください……」

 昼を取りにってことは、仕事の合間になんだろうに……酒なんて飲んで大丈夫なのか?
 などと思いながらも、粥を掬ったレンゲを突き出したまま、突然やってきた二人へと振り向いて固まっている雛里から、しっかりとお粥を口に含み、感謝を届ける。
 「あわわっ……!?」と振り向く雛里だが、何かを言われる前にその頭を撫でた。
 すると雛里は恥ずかしそうに顔を伏せながら、手に持っていたお粥を朱里に返す。

「あら」
「ほほう?」

 それを見ていた黄忠さんと厳顔さんが目を光らせ……あ、あらいやだ、嫌な予感がひしひしと……!

「そうかそうか、順番に食べさせておるのか。いや、甲斐甲斐しさここに極まれりだ。どれ、常日頃から何かと走り回り、蜀へと尽くしてくれる御遣い殿相手だ。わしも礼を返さねば無礼に当たるな」
「わたくしも、日頃から璃々の相手をしてもらっている恩がありますし」
「ヘ? あ、あの、べつにそういう意味で食べさせてもらってたわけじゃあ……」
「遠慮するほどのことでもあるまいよ。さあ御遣い殿、日頃の感謝の証だ。一口で受け取ってみせい」

 言いながら、わざと熱そうな底の部分をごっそりと掬い、差し出してくる厳顔さん。
 厳顔さん……貴女の感謝って、とっても熱いんですね……。
 ええいままよっ!

「はむっ!《かぽっ》───……むぁああっふぃぃいいいいっ!!?」

 熱かった。めっちゃくちゃ熱かった。
 だが吐くことはしない。これは気持ちなのだ……! 吐いてしまえばそこまでと知れ、北郷一刀……! ていうか辛いです! 熱さから逃れようと頭をぶんぶん振ってたら、頭が余計にグワングワンと……!

「あらあら、ふふふっ……それじゃあ次はわたくしの番ですね?」
「んぐっ……《ごくっ》……はぁ……。あの、出来れば少量で……」
「心得ておりますわ、ふふっ……」

 そう言って笑う黄忠さんは、厳顔さんから受け取ったお粥をレンゲで掬い、

「ふー、ふー……はい、あ〜ん……♪」
「ななっ!?」

 出来れば一番してほしくなかった“ふーふー”をして、軽く冷ましたお粥を差し出してきたのだ。

「おお、真っ赤になったな」
「はわ……真っ赤っかです……」
「……どきどき……」
「…………あの。食います、食いますから、そんなみんなでじぃっと見ないで……」

 さすがは一児の母。
 食べさせ方も堂に入る様で、食べやすいようにレンゲを傾けてくれたり、口の端に粥がついていたら、そっと拭ってくれたりした。
 ……うう、やばい。自分が子供になったみたいで、一番ダメージがデカい。

「はっはっは、なるほど。御遣い殿は母性に弱いと」
「ぐっ! 〜〜〜……い、いや、その。男というのはデスネ? どうしても包容力のある女性には弱いものデシテ……」
「ほほ〜〜う?《ニヤリ》」
「やっ! でもそういうのは憧れ的なものであって!」
「……雛里ちゃん。一刀さんはやっぱり大人な女性に弱いんだって……!」
「……〜〜……《こくこくこく……!》」
「あの……だから違うんだってばー……」

 俺の言葉など右から左へ。
 目の前の四人はわやわやと賑やかなる会話をし始めて、俺はその賑やかさへと自分の在り方を任せるしかなかった。

「北郷一刀は居るですかー? せっかくですからお見舞いに来てやったのです……って、何してるですおまえらー!」

 と、そんな時に新たなる来訪者。
 陳宮が面倒くさそうな口調で、しかしどこかおそるおそるといった表情で、部屋に入ってきた。

「あらねねちゃん。何って、病気の殿方のお世話だけど……」
「おうよ。扉が開いているのでちと寄ってみれば、朱里と雛里が御遣い殿に粥を代わる代わる食させているのでな。そこに混ざってみただけのことよ。どうだ? お主も混ざってはみんか」
「なっ……ね、ねねは様子を見に来ただけなのです! 元気そうでせーせーしたですよ! 時間の無駄だったです!」

 がーっと八重歯が見えるくらいに口を開き、うがーと両腕を上げての咆哮。
 しかしながら、ちらちらと黄忠さんの手にあるお粥を見て…………あー、うん。もういいです、いろいろ覚悟決めましたよ俺。
 ていうか元気そうで、に続く言葉は“なにより”とかであって、せいせいされても困る。

「陳宮、食べさせてもらえないか? 頭ぐらぐらしててさ、自分一人じゃ安全に食べられそうにないんだ」
「!《ぱぁあっ……ハッ!》───うぐ……どうしてもと言うのなら、仕方ないのです。友達は、大事にしないといけないです」
「……はぁ」

 仕方なくの割には、大股歩きで黄忠さんの傍に行き、お粥の器を手に取る陳宮。
 差し出されたレンゲに掬われたお粥をありがたく頂き、ありがとうを伝えると───なんでか顔を真っ赤にする陳宮が居た。
 しかももう一度掬い、差し出してくる。

「…………《はもっ……むぐむぐ》」
「…………《カチャ……スッ》」
「……《…………はもっ……むぐむぐ》」
「…………《じーーー……》」

 で、食べたらもう一度差し出され、もう一度食べたら……何故かじーっと見つめられる。
 ? ハ、ハテ? 俺はいったい何を望まれてるんだ?

「えーと……あ、ありがとう?」
「!《ぱぁあっ……!》」

 ビンゴだったらしく、感謝を口にしてみれば綻ぶ顔。
 感謝されたかった……のか?

「あらあら」
「なるほどなるほど、思えば誰ぞに真っ直ぐに感謝をぶつけられることなど、そうあることでもない。そうと決まればねねよ、その粥を寄越せ。残り全て、わしが御遣い殿に馳走しよう」
「何を言うですか! これは友達である陳宮が責任持って食べさせるです!」
「あ、あのー……それ一応、私と雛里ちゃんが作ったんですけどー……」

 ……あのー、病人の前では静かにしてくださると、大変ありがたいのですが。
 何がどう間違ってこんな事態に……? 俺はただ、静かにのんびりと休みたかっただけなのに……。
 がっくりと肩を落として溜め息を吐く───と、黄忠さんが自分の頬に手を当て、きょとんとした。

「あ……。今まで気づかなかったけれど、結構汗をかいていますね。丁度水もあるようですし……体、拭いて差し上げますね?」
「え……や、それはちょっと、この人数の前じゃ……!」

 嫌な予感が走る! てっ……撤退準備ーーーっ!! ……無理だね、うん。

「はいはい、匂ってしまうよりはいいでしょう? さ、服を脱ぎましょうね、ばんざーい」
「ばんざ───って何させるんですかっ!? いやあのっ、ほんと大丈夫ですから! 自分でっ、自分で出来ますからっ! みんなも止め───なんでそんな期待に満ちた顔で見守ってるの!? ここは止めよう!? 止めようよ!」
「いやいや、体を拭くのは大事なことですぞ、御遣い殿。悪いようにはせぬゆえ、大人しくなさるとよろしかろう」
「大事だろうけどなんで敬語っぽくなってるの!? 以前の趙雲さんを見てるみたいで《ズキィッ!》いづっ……つぅ……!」

 焦りのあまりに叫ぶと、気持ち悪さが全身に回り、頭痛に襲われる。
 あ、だめ……今ので抵抗する気力がすとんと抜け落ちてしまった……。
 そうこうしているうちに上の服を脱がされ、体が拭かれてゆく。

「ふむ。中々に逞しく育っておるな」
「まあ……一応」
「その分、傷も結構あるのね。ふふ、やんちゃな子供みたい」
「“男はいつまでだってやんちゃなくらいがいい”ってのが、じいちゃんの教えでして……。童心を忘れた男に、新しいものを見つける力なんぞ一切無いって言ってましたよ」

 黄忠さんが背中を拭いてくれる。
 仰向けに寝ていただけあって、背中は特にひどいだろう。
 それを綺麗に拭ってくれて、その途中途中で厳顔さんが言葉を投げてくる。
 二人とも、どこか楽しそうだった。

「……あの。一刀さんはお爺さんが好きなんですか? よくお話に出てきますけど……」

 そこへ朱里が混ざってくる。
 体を拭くとかはしないけど、残りのお粥を「はい」と差し出してくれた。

「んぐ、んむんむ……うん。考え方とかがいろいろ凄いから。見習うところは見習わないと」

 ……しかし、なんだろう。
 背中を少し強く拭かれるだけで、体がぐらぐら揺れる。
 熱ってすごいなぁ……こんなにも体を弱くするのか。
 眠気は全然だけど、今倒れたら気を失うことだって出来る自信があったりする。
 実に無駄な自信だ。

「……ていうかさ、みんな仕事はいいの? 休憩っていったって、無限じゃないでしょ」
『あ』

 全員がハッとした。
 それからは蜘蛛の子を散らすようにと言えばいいのか、皆が皆、軽く言葉を残して部屋を去っていく。
 俺はそれを見送ってからのろのろと起き上がり、替えの服をバッグから取り出した。
 せっかく拭いてくれたんだから、着替えないと。
 あぁ、せっかく休みをもらってるのに、休むことに集中出来ないのも考えものだ。
 どうしてこうなったんだろうか……はあ。

「愚痴こぼしてても仕方ないよな……」

 ぼーっとした頭のままに着替える。
 もう、眠れなくてもいいからずっと倒れていよう、それがい───

「あーあー、開けっぱなしじゃないかよ、無用心だなぁ……。おーい、えと……ほ、北郷〜……って呼び方でいいか? いいよな、よし。北郷〜? 見舞いに来てやっ───」

 …………い……?

「───……た……ぞ……?」

 のろのろと着替えていたら、声が聞こえた。
 振り向いてみればそこにはどうしてか馬超さんが居て───その。
 僕はえぇとそのぅ、着替えをしていたわけでして。
 上半身は拭いてもらったけど、下半身もまた汗を掻いていたわけでして、そうなれば着替えるためには脱がなきゃいけないわけでして。
 だからつまりその───

「○※★×◆▼〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!? うっ……うぅわぁああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」

 ぶわぁっちぃいいーーーーーーーーんっ!!!!

 …………ええ……こうなりますよね……。
 強烈なビンタを避けることも出来ないまま、本日何度目かの気絶旅行へと旅立った俺は、この国での自分の在り方についてをいろいろと考えようと本気で思ったりした。


───……。


 …………で。

「ゴメンナサイ……」

 ふと気づけば、寝台の傍に置かれていた椅子に座り、頭を下げる馬超さんが居た。
 その傍には賈駆さんと董卓さんが居て……あ、あれぇ……? 俺、いつの間にか服着て……あ、あの、賈駆さん? 董卓さん? どうして物凄く顔を真っ赤にしてらっしゃるんですか? そしてどうして目を合わせようとしないんでしょうか。

「と……とりあえず、んっ……起きた途端に頭下げられても……。顔、上げてくれないかな……」

 ひどくけだるい体を動かし、上半身だけ起こす。
 それだけで体力がごっそりと減った気分だ。既に息が荒い。

「け、けどっ! 毎度毎度あたしが勝手に勘違いしたりしてばっかりでっ! 驚いたとはいえ、病人殴って気絶させるなんて……〜〜〜っ……何やってんだよあたしはぁっ……!」
「馬超さん…………うん。本当に、大丈夫だから。俺もぼ〜っとしてたとはいえ、扉を閉めるの忘れてたんだから……ごめん」
「まったくよっ! お陰で、お陰でっ……おか、おかか……! ととととんでもないもの見ちゃったじゃないのよぉっ!!」
「詠ちゃん……風邪引いちゃってたんだから、仕方ないよぅ」
「ていうか最後に部屋出たの誰!? 言いなさい! むしろ言えっ! いろいろぶつけてやらないと気が済まないわっ!」

 賈駆さんが顔を真っ赤にさせながら、少々涙目で迫ってきた。
 けれど俺と目が合うと余計に顔を赤くさせて沈黙。
 ええほんと……見苦しいものをお見せいたしました……。

「……ごめん、本当に頭がぼーっとしてたから、最後に出たのが誰なのかは……」
「〜〜〜ったく……! 出ていくなら扉くらい閉めていきなさいっての、もうっ……!」

 メイド服姿の軍師さまが、腕を組んでそっぽを向く。
 それを「まあまあ……」と宥める董卓さん。
 ……うーん、イマイチ力関係が読めない。

「どーのこーの言ってるわりには、“うわ……”とか言ってまじまじと見てたじゃんかよ」
「なっ!?《ぼっ!》んなっ……なななななに言ってんのよなんで私が! それ言うならそれを知ってるあんただって見てたってことでしょ!?」
「なぁっ!? いぃいいいやいやいやいや何言ってんだ違う違うぞ!? あたしは詠を見てただけで、こいつっ……北郷のアレなんかっ!」
「………」

 神よ……病人の前で女性が二人、マイサンの話を大声で叫んでいる時、当事者はどんな顔をしたらいいのでしょうか……。

(我が覇道……ここで潰えるというのか……)
(孟徳さん!? あれぇ孟徳さん!? 死んじゃ……死んじゃだめぇええっ!!!)

 孟徳さんっていうか俺の精神に相当なダメージが!
 ウウ……いっそ殺───いや、死ぬのはだめだけど、いろいろがいろいろで───あっ、あぁああああもう!! 誰か! 誰かこの状況をなんとかしてくれる猛者はいませんか!?

「ここにいるぞーーーっ!」
「へっ!?」
「へうっ!?」

 頭を抱えてぶんぶんと振り回し、乱していた視線を戻してみれば……いつから居たのか、片腕一本をエイオーと天に突き上げ、にっこり笑顔の馬岱さん。
 ……あの。今心を読んだりしました? それともまた声が漏れてました? ……漏れてたんでしょうね。

「えっへへー、お兄様、風邪引いたんだってー? なんか厨房で、かの美髪公がぶつぶつ呟いてたから来てみたよー♪」
「馬岱さん? そういう言い回しはかえって人を傷つけるからやめましょうね?」

 いろいろと頭痛い。
 それでも真っ直ぐに元気をぶつけてきてくれる人が居ると、こっちも多少は元気になるから不思議だ。

「で、とりあえず“居ませんか〜”って聞こえたから名乗り出てみたんだけど……なにかあったの?」
「………」

 無言で、言い争いを続ける二人をじっと見つめた。
 最初は首を傾げていた馬岱も言い争いの内容に次第に頬を染め、赤くなり、慌てて二人を止めに入ってくれた。
 それからはいつものというか恒例というか……お前が悪いあんたが悪いと二人から責められ、俺が何をしたと言いたいのに、口を開けば問答無用の一言。

「あの……馬岱? これって俺が悪いのかな……」
「えーと……ごめんなさい。確実にお姉様たちが悪いよ……」
「詠ちゃん、一刀さんは着替えようとしてただけなんだそうだから、責めたりしたら悪いよ……」
「で、でもね月、そもそもこの男が風邪なんか引かなければっ……!」

 わあ、物凄い無茶を言いなさる。
 馬超さんだって「おいおいそれ無茶だろ」ってツッコミ入れるくらいの無茶っぷりだ。

「詠ちゃん。いつも力仕事とか手が回らないところを手伝ってもらってるのに、そんな言い方しちゃだめ」
「うっ……でも、それだってこの男が勝手にっ……だから、ね?」
「詠ちゃん……」
「う、う……うー……! わ、解ったわよぅ……。その、悪かったわよっ、おかしなこと言い出して」

 言いくるめられたと言うべきなのか。
 賈駆さんはしょんぼりとしながらも謝罪の言葉を投げかけてくれて、俺はそれをふらふらと揺れながら聞いていた。

「ほら、お姉様も」
「うぅ……何度も何度も悪かった。さっきのだって、扉が開いててものっくするか確認をとるかをするべきだったよな……」

 次いで、馬超さんも。
 べつに大事にするつもりはなかったのに、いろいろなことが重なった所為でこうなってしまったのだ。誰が悪いかといえば、状況の重なり方が悪かったとしか言いようがない。

「まあ、開いてた扉も問題だったけど、勝手に入っておいて裸を見て、叩いちゃうお姉様が一番ひどかったよね〜?」
「なぁっ!? やっ、だって仕方ないだろ! あんな、あん、あんん……あんなもの見て、冷静でいられるもんかぁっ!!」
「それでお兄様を気絶させたんじゃ、お兄様が一人だけ酷い目に遭っただけだよぉ。勝手に入られたのもお兄様で、見られたのもお兄様。叩かれたのもお兄様で、気絶しちゃったのもお兄様。……何処かお兄様が悪いところってあるのかなぁ」
『うぐっ……!』

 馬岱の言葉に、馬超さんと賈駆さんがぎくりと息を詰まらせる。

「にしししし〜♪ これは謝ったくらいじゃ足りないと思うんだよね〜。どう? お兄様」
「全然足ります《きっぱり》」
「あちゃ……お兄様ってばやさしすぎだよぅ。もっとこう、無茶なお願いするとかさぁ」
「ごめん。でも、元を正せば心配して様子を見に来てくれた人に、言うことを聞いてくれみたいなことは言えないよ」

 ……ていうか頭が、頭がぐらぐら……あ、あれ? 馬岱が二人? いや、三人?
 いよいよもってやばそうだ……あの、そろそろ寝転がってもいいでしょうか……。

「お兄様っていろいろと筋金入りなんだねぇ。あははっ、なんか面白いかも」
「そっか……はは、そりゃ……よかった……」

 頭、あつ……。
 なのに体は寒くて……だるい、すごくだるい……。

「……大丈夫? あの……ごめんねお兄様。急に来て騒いじゃって」

 そんな俺の様子に気づいてか、馬岱が少ししょんぼりした表情で俺を見た。
 見つめられた俺はといえば、そんな顔をしてほしくなかったから、もう少しだけと力を振り絞り、馬岱の頭をゆっくりと撫でた。

「あ……」
「ははっ……確かにさ、頭に響くくらいの声だったけど……でも、賑やかなのは好きだよ。それだけみんなが笑っていられてるってことなんだから……さ。だから、大丈夫。そんな顔しないでくれ……」

 そこで限界。
 いよいよ倒れそうだったので、ゆっくりと寝転がる。
 すぐに馬岱と董卓さんが心配そうな顔で見下ろしてくるけど、心配しないでほしいと返してゆっくりと息を吐いた。

「ごめんな、馬岱……多分、明日か明後日には治ってると思うから……その時に、また……歌……で、も……」

 眠気とは違う苦しさが頭の中で渦巻く。
 目を閉じればこのまま気絶出来そうなくらいの気持ち悪さだ。
 四人には悪いけど、もう目を閉じてしまおうか……と、そう思った時だった。

「……ね、お兄様」
「……、ん……ん……?」
「眠っちゃう前にさ、聞かせて欲しいことがあるんだけど。あのねお兄様? たんぽぽとお兄様の関係って……」

 小さな質問。
 けれど、目は本気だったから……辛かったけど、逸らすことなく真っ直ぐに見て、返す。

「俺は、友達の……つもりだよ……。いや、つもりじゃない……友達だ……」

 絞り出すような声。
 掠れた小さな声だけど、馬岱はぱぁっと笑みを浮かべ、「じゃあ」と元気に返した。
 だらりと垂らした俺の手を取って、一言を。

「これからはたんぽぽのことは“蒲公英”って呼んでいーよ。ううん、呼んでほしいな〜」

 エ? と返そうとしたけど、熱もいよいよやばい温度に至ったのか、声が思うように出せないとくる。
 そんな俺の驚きを馬超さんが代弁するように「なぁあーーーっ!?」と叫ぶが、当の馬岱サンはにっこにこと笑っていた。

「蒲公英っ、お前それがどういうことかっ……!」
「解ってるよもー。いーじゃん、たんぽぽがいいやって思ったんだから。それよりもお姉様だよ。散々誤解して叩いたり騒いだり気絶したりを繰り返してるのに、手伝ってくれるとなるとこれ頼むあれ頼むーって働かせたりしてさー。悪いって思わないの?」
「《ぐさっ!》うぅっ……! そ、そりゃああたしだって悪いとは……! って今はあたしのこととか関係ないだろっ!」
「関係あるもん。いっつも悪いことしたなーとか迷惑してないかなーとか、後になってから言ってるの、お姉様でしょ? お姉様が男の人とこうして話し合うことなんてなかったし、たんぽぽはいいと思うんだけどなー♪」
「なんの話だよっ!」
「お友達のお話だよー? お友達になるくらいいーじゃん。そうすればもう少しは女の子らしくしようかな〜とか思えるかもしれないし」
「大きなお世話だぁあっ!!」

 …………喧嘩が始まった。
 武器こそ出していないものの、ギャーギャーと騒ぐ声が頭に響き、なんかもういろいろなものが重なって、本気で涙出てきた。
 ……そんな涙を、拭ってくれる影がひとつ。

「ちょ、ちょっと、泣くことないでしょ……? 悪かったって思ってるわよ……」

 意外や意外、それは賈駆さんだった。
 本当に悪いことをしてしまったって顔で、寝転がる俺を心配そうに見下ろしていた。
 ……その声が、表情が、疲れた心や体に暖かかった。

「……、ごめ……ん、けほっ……なんでも、ないから……」

 笑って言うつもりが、引きつった笑みにしかなってくれない。
 そんな俺を見て、賈駆さんは言う。
 「男子の涙が“なんでもない”わけないでしょ」と。

「それともなに? あんたは逆の立場だったら……その、もしボクが泣いてたりしたら、“どうでもいいことだ”なんて言って、知らん顔するっていうの?」

 心配そうな顔から一変、少し怒った表情でそう言われては、返す言葉など一つだけ。

「……い、や……。心配だ……。凄く、心配だ…………ほうってなんか、おけないよ……」
「っ……《かぁあ……っ》」

 いや、違うか。きっと状況がどうであれ、ほうっておくことなんて出来やしない。
 懲りずに首を突っ込んで、いらないお節介を焼いてしまうんだろう。
 そんな自分を想像したら、こうして純粋に人の心配をしてくれている賈駆さんにお礼を言いたくなって、口にした。「ありがとう」と。

「……べつにいいわよ、お礼なんて。そ、そもそもっ、ほうっておけないって思わなきゃ、丸裸のあんたに服を着付けさせるなんてこと、するわけないでしょっ!?」
「………」

 言われてみて、それもそうだと納得してしまった。
 してしまったら、もう頬が緩むのを止められなかった。
 笑い声を上げられるほど余裕がなくて、笑みを浮かべるだけだけど、賈駆さんも董卓さんも俺の泣き笑いみたいな顔が可笑しかったのか、穏やかに笑っていた。
 ……いや、賈駆さんはそっぽを向きながらか。

「ねぇ、詠ちゃん」
「……だめよ月。こんな男に真名を許すなんて───」
「……くすくすっ♪ 詠ちゃん? 私、真名を許すなんてこと、一言も言ってないよ?」
「うあっ!? え、やっ……だだだとしてもっ、言うつもりだったんでしょ!?」
「……うん。悪い人じゃないのは、もう解りきってたし……それに、とてもやさしい人だよ?」
「だめよ。今はやさしくても、元気になったらきっと蜀中の女という女を襲───」
「───……う、って……詠ちゃんは本当に思ってる?」

 …………。

「月のいじわる……」
「詠ちゃんはもっと素直になったほうがいいと思うんだけどな……ね、詠ちゃん。詠ちゃんも、呉での一刀さんの噂、知ってるよね……?」
「うー……」
「詠ちゃん、“男にもそんなやつが居るんだ……”って凄く褒めてたのに……」
「そっ、それはっ…………うー……確かに、そうよ? 働きとか、民を治めた手腕は認めたわよ。やり方が無茶苦茶だったけど、事実として確かに民は落ち着いたんだから。でもだめ、呉が大丈夫だったからって、蜀で手を出さないとは限らないんだから。もしそんなことが起きて、月が暴力でも振るわれたって思うと……!」

 ……ひどい言われようである。
 うう……否定したいんだけど、本格的に辛い。
 口を開くのも重労働だ、なんて苦しんでいると、ふと……「めっ」て言葉が耳に届いた。
 視線を動かしてみれば、董卓さんが怖々と賈駆さんの頭に手を乗せていた。
 ……………………え? 今、叩いたの? めっ、とか言ってたけど……。

「え……ゆ、月?」
「へぅ……叩いちゃってごめんね、詠ちゃん。でも、人をいつまでも同じだって見ちゃ可哀想だよ……。魏の皆さんを、その、抱き締めたって……へぅ……き、聞きはしたけど、それだって魏の皆さんが嫌がってたなんて話、聞いてないよ……?」
「……月、でも」
「呉でも、民の皆さんと一緒に騒げる素敵な人だったって、商人さんが言ってたよ……?」
「うぅ……月ー……」
「詠ちゃん、ちゃんと見てあげよう? 嫌な噂なんて聞かないし、蜀でだって皆さんを手伝ったりしてくれるいい人だって……詠ちゃんも解ってるはずだよ?」
「………」

 瞼が落ちてきた。
 眠気は全然ないのに、意識が沈もうとしている。
 そんな俺の左手に、ちょんと触れる何か。
 なんだろう、と無理矢理目を開くと、複雑そうな顔で俺を見下ろしている賈駆さんが。

「……ねぇ。一つだけ訊かせて。苦しい時に、ひどいことしてるって自覚はあるけど……真面目な話なんだ。だから、ボクの質問に答えて」
「………」

 なんとか頷く。
 ……そして、しばしの沈黙。
 真っ直ぐに目を見つめられたまま、俺も逸らすことなく見つめ返し、その瞳に様々な覚悟を見る。
 直後に、沈黙は破られた。

「……あんたにとって、月は守るべき存在? それとも───」

 それとも。
 その先は紡がれなかった。
 ただ真剣な眼差しだけが俺を見下ろしていて、そんな真剣さに答えたい衝動だけが、けだるさを吹き飛ばしてくれた。
 だから、届ける。
 友達だと思っていること。大切だと思っていること。
 そして、友達ってのは守るものではなく、お互いが何かしらで支え合って構築される関係なんだと思っていること。
 助けたいと思えば助けるのは当然。
 守りたいと思うより早く、ほうっておけないと思うはずだから。
 そんな思いを、“チョン、チョン”と断続的に手に触れているソレをやさしく握りながら、届けた。

「〜〜〜……そ、そう。そう……そっか、そうなんだ……へ、へー……」

 やっぱり複雑そうな顔がそこにあった。
 なのに、次に紡いだたった一言で、彼女の顔が灼熱した。
 ただ一言……「それは、賈駆さんに対しても同じだけどね」と言っただけで。
 ……ああ、もう……本当に俺は何を言っているんだろう。
 思考が上手く回転してくれない。
 なんだかとても恥ずかしいことを言った気がするのに、自分自身でよく理解出来ていなかったりする。

「…………詠」
「……?」

 ひどく重い頭と格闘しながら、ふと耳に届いた声に、賈駆さんを見る。
 彼女は耳と言わず全身を真っ赤にする勢いで赤くなっていて、そっぽを向きながら何かを呟いた。

「だ、だからっ……詠、詠だってばっ! ボクの真名!」
「………」

 ぽかんとしたい。しかしながら表情筋までもが動いてくれない始末で……感謝を伝えたくて、トン、トンと握ったままの彼女の手を指で叩いた。
 ……顔の赤さが、増したような気がした。

「私の真名は……月。月と、その……呼んでください」

 そして、そんな手に重ねられるもうひとつの手。
 小さく柔らかなそれが、寒気を感じる体にやさしい。
 ありがとうを言える状態ですらなくなってしまったので、彼女の手にもノックで返す。
 ……やわらかな笑顔が、そこにあった。
 あー……でも、もう本当に限界。
 ごめんなさい、少し旅立ちます……。

「───……」

 すぅ……と息を吸うと、それが合図になって意識が切れる。
 バツンッと音が鳴ったと錯覚するくらい、綺麗に。
 その瞬間に思い浮かべたのは、この世界の在り方について。
 世界の真実を知ったから、自分は何かを成さなくちゃいけない……そんな気分は、今のところ全然沸き出さなかった。
 いつ終端へ辿り着くかは解らない。
 解らないなら、そのことについて思い悩むよりも、今を精一杯生きなきゃ。
 たとえ創られた外史なのだとしても、死んでいったあいつらや、託された思いたちは、確かにこの世界の中で産まれたのだから。
 終端まで物語が続くというなら、行こうじゃないか、みんなで。
 人はいつかは死ぬ。その死ってものが終端だっていうなら、ただそこまで生きるのみ。
 外史だろうと正史だろうと、一人一人に出来ることなんてきっと変わらないのだから。

「あ……お兄様寝ちゃった。ほらー、お姉様が早く言わないからー」
「だだだから大きなお世話だって言ってるだろぉおおっ!? あたしはあたしが許したいって思ったら許すんだよ! 誰かに言われて許す真名が大事なもんかっ!」
「うわぁー……そういう人も居るかもしれないのに。お姉様ってばひどーい」
「ひどくなんかないっ、普通だ普通っ!」

 そう、自分が行ける果てまで、みんなと歩いていく。願いなんてのはそんなものでいい。
 いつか終わるからなんて考えで諦めてしまうにはもったいない、あまりにも楽しい外史(せかい)なのだから。

「……一刀さん、笑ってる……」
「ぜぇぜぇ言ってるくせに、何が楽しくて笑ってるんだか。楽しい夢でも見てるとか?」
「へぅ……でも、なんだか……可愛いかも……へぅう……」
「……ま、まあ……黙ってれば、ね……」

 ───夢を見た。
 それはとても都合のいい夢。
 死んでいったみんなが生きていて、みんながみんな幸せに暮らす夢。
 笑顔があって、楽しいがあって……けど、現実味が無い世界。
 それでもあいつらが笑っていてくれることが嬉しくて、都合が良くてもこんな夢を見せてくれた自分の脳に、涙を流しながら感謝した。

 民が笑い将が笑い、王が笑い国が暖かくなる。
 それは、そんな暖かさがずっとずっと続いてゆく……とても、幸せな夢だった。




ネタ曝しです。  *願いを叶える龍、ギャルのパン───  ドラゴンボールより、神龍とウーロン先生。  誰のか解らない下着に興味を示すウーロンの気持ちは元より、  下着自体に興味を示す者の気持ちが凍傷には解りません。  *解っていたよ思春。私こそが敗北者だったのだ  バキより、ドリアン海王の言葉。  わかっていたよ烈海王。私こそが敗北者だったのだ。  勝利に彩られていた人生がその実、暗黒に満ち───  この言葉だけでイッページ丸々を何ページにも渡って。  バキの作者ってコマ割り苦手なのかな……。  *ギャ……ヤヤ……!  神聖モテモテ王国(略してキムタク)より、ファーザーの台詞。  謎のホモヤクザ(?)に襲われかけた時に言ってた気がする。  ちなみにギャヤヤァアア!の場合はディオ=ブランドーになる。 ギャフター32話をお届けします。 外史についてはいろいろとややこしい話になってますね。 貂蝉ってキャラが案外掴み辛いことが判明。 一応恋姫と真恋姫の貂蝉出現部分をやっていたわけですが、いやぁ……難しい。 ともあれいろいろと外史についてを話しているわけですが、 そのほぼが勝手な見解を混ぜたものです。 俺には俺の、私には私の外史理論がある!という方は、 あまり難しく考えないで読んでくだされば。 ではまた、33話で。 Next Top Back