64/変わり始めた反応

 キリリ……ビッ───ゾスッ!

「うわっちゃ……また外した」

 とある日、とある陽も高い昼の頃の中庭。
 昼食も済み、“ただ食休みするだけなのもな”と、許可を得てから弓を手にしての鍛錬。
 鏃を潰した矢を手に、弦を絞って放つ胴着姿の男が一人……まあ俺だけど。
 たったそれだけの動作が、時として生き物を殺すものにもなるんだから凄いもんだ。
 ……狙った標的を、あっさり外しましたが。

「ん、と……姿勢正しく、力じゃなく姿勢で引き絞って…………うん。右腕も大分調子がよくなったな」

 残念ながら指南役の黄忠さんは別の仕事でここには居ない。
 仕方も無しに独学と“少しの助言”とで、弓を引き絞っているんだけど……。

「はぁ……今日というこの日まで、一度しか修行の話を出せなかった自分に呆れるよ」

 “俺に弓を教えてください!”って言って、すんなり教えてくれるのかといえば……うん、どうなんだろう。一度は約束してもらえたものの、その日は愛紗が風邪を引いたことで流れてしまった。
 それから今日までこんな感じでずるずるとだ。
 祭さんからの最後の命令って理由もあるけど、それ以上に学べることは学びたいのが本音だ。けれど結局今日まで、仕事の手伝いや自分の鍛錬、桃香との鍛錬と続き……とどめの教師役で時間の悉くが潰れてしまった。
 何処でどんな陰謀が渦巻いているのかは謎ではあるけど、鍛錬の時間が取れる時に限って黄忠さんに用事があったり仕事があったりだ。
 そんな日が、こうしてようやく弓を手に取れるまで続いてしまった。

「思春、祭さんの弓術を身近で見てきた思春にお願いが……」
「姿勢の取り方なら教えただろう」
「うう……」

 それでも隣に誰かが居てくれるのはありがたいことで、今日は急な俺の我が儘に思春が付き合ってくれていた。“少しの助言”っていうのがつまり、思春の言葉だったりする。

「ん……《グッ……》」

 矢を番い、引き絞る。
 こうしてここで鍛錬できるのもあと何日になるのか。

(“あと何日”かぁ)

 学校のことが安定に向かうのなら、俺が蜀に留まる理由はそんなにあるわけじゃない。
 そもそもが“これから始める学校のことで相談に乗ってくれる人が居れば”って理由で、こうして蜀に来ているわけだ。
 学校が出来上がるまでに、随分と別のことをやっていた気がするけど。
 ……あれ? 相談って意味なら、相談したいことがある内は……帰れない?

「はっ……ははっ、まさかなぁ、あはははは……」
「?」

 急に笑い出す俺を、思春が不思議な顔で睨んでいた。
 ……不思議な顔で睨まないでください。

「………」

 よし落ち着こう。
 雑念は払って、弓を引き、放つことに意識を向ける。

(腕に軽く氣を込めて……放つ!)

 ビッ───手放した弦が引かれた分だけ戻り、その勢いの分だけ空を裂く。
 放たれた、鏃を潰された矢は真っ直ぐに飛───……んでくれず、見当違いの方向へとぽーんと飛ぶと、ぼてりと落下した。

「…………」

 いっそ、弓兵にでも教わろうかしら。
 そんなことを思い始めてしまうくらい、自分の腕に呆れた。

(集中が出来ればなんとかなる〜なんて、調子のいいこと考えてた……)

 やっぱり大事だね、技術。

(丁度手元に矢が無くなったし、矢を拾ったら兵のところに行こう)

 矢が落ちた茂みへと足を運ばせ、茂みに突っ込むんじゃなく茂みに絡まるように突っ込んでいる、我ながら情けない飛び方をさせてしまった矢に手を伸ばした……その時。

「?」

 ガサリ、と矢が引っ張り込まれ、茂みに飲み込まれた。
 いや、引っ張り込まれたんじゃなくて滑り落ちたのかなぁと茂みを掻き分けてみれば。

「………」
「………」

 目が合った。
 それは俺を見上げ、俺はソレを見下ろしていた。
 小さな体躯に、ぱっちりとした瞳が俺を見ていた。

「…………孟……獲? えと、こんなところで……その、何してるんだ?」
「……!」

 いやな予感が絶えず、茂みを掻き分けていた手を戻した……その瞬間、どういった習性なのか引っ込め始めた手へと「エサにゃーーっ!」と叫んで飛びついてギャアーーーッ!!?

「いだぁああだだだだだこらこらこらぁあっ!! 噛みつくな噛みつくなぁっ!!」
「! ……また(にぃ)にゃ……」
「噛み付かれて落胆されても困るんだけど!?」

 噛まれていた手が解放され、くっきりと歯形がついてしまったそれを見てがっくり気分。
 というかこの人型猫……猫型人間か? は、いったいここで何をしていたんだろう。

「〜〜……はぁ、いちち……! それで、こんなところでどうしたんだ? もしかして寝てたりしたか?」

 だったら騒がしくしてしまって悪かった、と謝ろうとしたんだが、「いいにおいに釣られて来たにゃ!」……謝る気持ちがどっかへ飛んでしまった。
 もしかしたらで謝られても嬉しくはないだろうけどさ。むしろ今自分が悲しいよ。

(…………あ〜……)

 貂蝉の話を信じるなら、俺からは動物が好む香りがしている……んだっけ?
 だから孟獲も俺を噛んだりする、と。
 自分で嗅いでみても、そんな匂いは全然なんだけどなぁ。

「しっかり目を合わせておきながら、エサと勘違いしないでくれ……お願いだから」
「ここに来てから狩りらしい狩りをしてないのにゃ……前に狩りをしたら怒られて、ずっとごぶさたにゃ……」
「狩り? 森でやるくらいなら、桃香も許してくれそうなのに───」
「街でしたにゃ」

 へぇそっか、街で……街───街ぃっ!?
 って、待て? もしかして以前、朱里が見せてくれた書物の……“某日、街中の食材が少女の軍勢に奪われ、大惨事に”っていうのは……。

「怒るよ! そりゃ怒るだろっ! そもそもそれって狩りとかじゃなく略奪だろっ!」
「怒られたからそれはもうしないにゃ! だから今はこうして、動いてるエサを───」
「いや死ぬから!! 狩られたら俺が死ぬから!!」
「平気にゃっ、みぃはただ狩りをしたいだけだから、兄は逃げてくれればいいのにゃ!」
「…………逃げ切れなかったら?」
「噛むにゃ」
「そういうこと、胸張って言わないで……お願いだから……」

 腰に手を当て、得意顔でそんなこと言われても嬉しくもなんともないよ。 

「それに今、弓の練習してるから狩りに付き合う時間は……って、その“兄”ってなに?」
「前にここで、桃香にお兄さんとか言われているのを聞いたにゃ。みぃはおまえの名前知らないから、兄と呼ぶことにしたのにゃ!」
「いやいやいやいや自己紹介なら最初にしただろ!? 一刀! 北郷一刀! なっ!?」
「最初……───エサにゃ!」
「エッ……!? やっ、そりゃ最初って意味ではそうなるけど! あ、ちがっ、そっちの最初じゃなくてっ………あ、あー……うん……もう兄でいいです……」

 せめて人で居たいです。エサ扱いよりはマシだよな、きっと……。

「じゃあ早速逃げるにゃ! みぃはやさしいから、ここで少しだけ待っててあげるじょ!」
「待てっ! いつ狩りに付き合うことになったんだ!?」
「みぃがこの矢を拾ってからにゃっ。付き合ってくれないならこの矢は返さないのにゃ」
「えぇえっ!?」

 南蛮の王が! 南蛮の王のイメージが、街中を駆けるいたずら小僧のレベルまで下がっていく! ……でも可愛いから許してしまいそうになってしまう。
 …………おそる……と思春を見てみれば、“またあの男は……”って顔で、さっき立っていた場所から一歩も動かず睨んでいらっしゃった。
 うん、素晴らしい聴覚だ。そりゃあ騒ぐみたいに喋ってるけどさ。

(……どのみち、兵だって自分の時間を大切にしたいだろうし)

 仕方ないのかもしれない。
 今度、時間の都合が合う時に……黄忠さんに教えてもらえばいいだろう。
 もちろん、きちんと独学での勉強もするつもりだけど。

「よし、じゃあやるか。ルールは鬼ごっこと同じでいいか?」
「るーるってなににゃ?」
「っとと、ルールっていうのは決まり……規則みたいなものだよ。これはこうしなきゃいけないってやつ。孟獲が街で狩りをしちゃいけないっていうのと同じこと」
「むぅ、“るーる”は好きになれそうにないのにゃ」
「たはは……まあ、みんな口ではそういうけどね」

 ルールに則る人と、反する人が居るから世の中上手く回ってるんだと思う。
 ずぅっと同じことばっかりやってても、新しい何かは見つけられないし……だからって反してばっかりだと軌道ってものを見失う。

「でもルールは決めような。ん〜っと……解りやすく言うと、相手を捕まえたら相手が狩人になって、捕まえた人が逃げるエサになる。当然エサになったら逃げなきゃ食べられるから全力で逃げて、捕まったら今度はエサが狩人になる」
「それじゃあ食べれないにゃ!」
「食べちゃだめでしょ! 食べられないよ!?」

 あ、危ない……! ルール決めなかったら食われてた……!?
 流石に本当に食ったりはしないだろうけど、確実に噛まれはしていただろう。
 そんなわけできちんとルールを話して、こくこくと熱心に頷く彼女と……

「思」
「やらん」

 思春を誘おうとしたら、物凄い速さで断られました。


───……。


 結論から言おうか。狩りごっこは熾烈を極めた。

「うおぉおおおおおおおおおお《ガブゥッ!!》いぁあっだぁああーーーーっ!!!」

 一直線に逃げる俺を、木や壁などを匠に利用し追い詰め、間合いに入ったら即飛びつき、……その、噛み付いてくる。
 鬼になったのだからと追いかけるんだが、これがまたすばしっこいのなんの。

「っ……そこだぁああっ!《スカッ》あらっ!?《がごぉんっ!!》へばぶっ!!」

 全力で駆け、今ならいけると飛びついてみれば、あっさり避けられて木に激突する自分。
 これはいけないと心構えを変えて、孟獲の動きに一定の法則がないかを観察してみるも、

「は、はは……は……自由奔放すぎて解らない……」

 法則なんてなかった。
 来たら察知して避ける。ただそれだけなのだ。
 なもんだから捕まえられず、新たなルールを追加。(孟獲につまらないにゃと言われた)
 それは3分間捕まえられなかったら狩人交代というもので、まあそのー……そのルールを許可してしまったがために、散々と噛まれることになる。

「交代だ」
「うひぃっ!?」

 時間を数えてもらう役だけはやってくれた思春に、この場合は感謝を届けるべきなんだろうかなぁ……思春が「交代だ」と言うたびに背筋にぞくりと冷たいものが走り、こちらへと向き直る孟獲を前に悲鳴を上げて逃げ出す俺が居た。

「けどっ……そう何度も捕まってばかりじゃないぞっ!」

 逃げている時に法則が無いのなら、狩りの時の法則を探す!
 そしてその成果は、孟獲は噛み付こうとする時は必ずとびついてくるということ!
 その瞬間を見極めれば《ガブゥ!》あだぁあーーーーーっ!!!?

「いたたたったたたた!? ちょ、ちょぉおっ!!」

 考え事に夢中になってて、飛びつかれたことに気づかなかった!
 せっかく法則が解ったのに意味ない! 全然意味ないよこれ!

「………」

 逃げる孟獲を五秒見送る。それがルールだ。
 で、五秒のうちに随分とお離れになられた彼女を追うと、もう細かいことは気にせずに彼女を捕まえることだけに集中することにした。
 そうだ、お行儀よく狩りをするヤツなんて居ない。
 法則なんてどうでもいい。木だろうが壁だろうが、利用してやろうじゃないか───!

「しぃっ!」

 地面を強く蹴り弾く。
 体は無駄に上に揺らさず、次に出す足が自分の体をより前に突き出すように、幾度も幾度も足を捌いてゆく。
 孟獲はもはや自分が捕まることはないって風情で、俺をからかう余裕すらある。
 その余裕の中にある、俺を目視しない隙を最大限に生かして距離を詰める。

「! 急に速くなったにゃ!」

 あ、気づかれた。気づかれるの早いって!
 ちょっ……これが野生の勘ってやつなのか!?
 いや、驚いてくれたなら動揺で動きが鈍る! 今はとにかく捕まえることだけ───!

「無駄だにゃ〜っ♪ また木に登ってからかってやるにゃ〜♪」

 孟獲が木に登る。
 その木へ足を伸ばし、走る勢いのままに駆け上がって手を伸ば───したが、ギリギリのところで逃げられた。

「お、おお〜、今のはなかなか驚いたにゃっ、でもやっぱり勝つのはみぃなのにゃ」

 ……もちろん、一度捕まえられなかった程度で諦めるほど、諦めがいいほうじゃない。
 木を登る足をそのままに枝へと駆け上ると、既に別の木へと跳び移った孟獲を───こちらも跳んで追いかける!

「ふぎゃっ!? 真似するんじゃないにゃーーーっ!!」

 もういっそ、ここで彼女に野生の動きを習う気分で追いかけた。
 時には木を登り、時には壁を駆け、時には四足歩行で大地を駆け。
 道を外れて森を走り、山を登って雄叫びを上げ、山を下って川を泳ぎ(胴着だったから溺れるかと思った)、草原を走ったり茂みをくぐったり(この時点で結構渇いた)、中庭に戻って通路を駆けて、いよいよ追い詰められる───と、飛び込んだ先───……が、風呂でして。
 その日俺は、丁度入っていた馬超さんと魏延さんによって、これでもかってくらいにボコボコにされたのでした。


───……。


 ふしゅううううう……

「あの……はい……ほんと……すいません……」

 中庭の中心に座る男が一人。着替えはしたけど湯冷めするにはまだ早い上気した顔の二人に怒られていた。
 これが漫画とかだったら、絶対に“ふしゅううう”って擬音が鳴ってそうなくらい、ひどい地獄を見た。
 助かったといえば助かったことが一つだけ。
 二人とも丁度湯船に浸かっていたため、肩と顔しか見えなかったこと。
 しかしながら女性の入浴中に入ってしまったことは確かではあり、あとでたっぷりとボコボコにされました。……もちろん彼女らが上がり、きっちり着替えるまでの間、外で待っていたわけですが。

「かかかかか狩人ごっこだかなんだか知らないけど、そんなのに夢中になってるからって人が入ってるのに飛び込んでくるなんてっ! ななっ、なっななななに考えてんだよこのエロエロ大魔神!!」
「ごめんっ! 本当にごめんっ! でも本当に全然見てないし、すぐに外に出たしっ!」
「見たとかそういう問題じゃなくてっ! 入ってくること自体が問題なんだよっ!」
「そうですよねー!?」

 例の如く正座な俺は、自分が犯してしまった罪をぐるぐると考えて、がっくりと項垂れていたわけだ。

(ああ……終わった……。比較的平穏(?)に過ごしてきた俺の人生が、狩りごっこに夢中になっていた……ただそれだけのことで全て……)

 どうなるんだろう。他国の将の湯浴みを覗いた罰は、どれほどの重罪なんだろうか。
 やっぱり打ち首獄門とか……?

「ああ華琳……たとえ次に会う時に首と胴体が離れていても、愛しているから……」
「首!? ぶぶ物騒なこと言うなよっ! 殺すなんてこと、するわけないだろっ!」
「え?」

 かつての日、雪蓮に祭さんのことを打ち明けようとした際、華琳に言ったことをもう一度口にすると、酷く慌てた様子で否定された。
 驚きにぽかんとしていると、「覗いたことへの罰ならもう散々殴ったし、二度としないようにこうして叱ってるんだから、それでいいんだよっ」と馬超さん。

「いや、だって……その気がなかったとはいえ、桃香の時でさえ愛紗に散々追われて死ぬ思いをしたし……てっきり俺、今度こそダメなのかと」
「当然だ。桃香さまのお美しい肢体を見ておいて、あれしきで済んだこと……桃香さまに死ぬまで感謝するんだな」
「うん、それはもちろんだけど……二人はいいのか?」
「……はぁ……いいよ。驚いたとはいえ、その……殴りすぎたし。あたしもあんたのその、えっと、みみみみ……見ちゃってるし…………ってななななに言わせんだよこのばかっ!」
「えぇっ!? そこで俺が怒られるの!?」

 もうどうしたらいいのか。
 けれど反省の心は消えない。
 同盟国の将の湯浴みを覗いてしまったなんて、ふりだしもいいところだ。
 不可抗力どころか、そもそもこの世界に戻ってこれるとも思ってなかったあの瞬間、桃香の着替えを覗いてしまったことで始まった二度目の三国での青春は、蜀国からの印象はマイナスでしかなかった。
 それを最近、“ようやくプラスに持っていけたかなー”って思い始めたところでこれだもんなぁ……もう自分の馬鹿さ加減に泣きたくなる。

「本来なら叩き潰してやりたいところだが、一度だけ見逃してやる。次はないと思え」
「………」

 それでも覗かれた恥ずかしさからか、顔を赤くしてそっぽを向く魏延さん。
 もし、以前に着替えを覗かれてなかったら、俺の命はここで潰えていたのでしょうか。
 そう考えると、人生っていうのはつくづく何がプラスに働くのか解らない。
 そもそも追いかけっこに夢中にならなければ、こんなことにはならなかったわけだが……ってそうだ、孟獲は何処に行った?

「うん、ありがとう。……ところで二人に訊きたいんだけど、孟獲が何処に行ったか、知らないかな」
「? いや、知らないけど。あんたより先に飛び込んできたのは見たけど……目で追うよりも先にあんたが飛び込んできたからな《じとり》」
「うぐっ……ご、ごめん」

 謝ることしか出来ないね、うん。
 そうしてしゅんと項垂れていると、魏延さんが俺の腕を引っ張って無理矢理立ち上がらせて、「見逃してやると言っているんだから、いつまでも沈むな鬱陶しい」と言ってくる。
 そうは言ってくれるけど、許されてもこう、罪の意識っていうのは残るもので。
 だからこそ次はそうならないようにって気をつけられるんだろうけどさ。

「ん……うん、ありがとう。じゃあ───俺、弓の練習に戻るな」
「弓? 紫苑も一緒なのか?」

 口からこぼれた言葉に、馬超さんが首を傾げる。
 俺はそれに「ああいや」と返して、都合が合わずに教えてもらえていないことを話した。

「だから今、思春に付き合ってもらいながら弓の練習をね。そこに孟獲が来て、狩りがしたいって言い出してね……」
「断ればいいじゃないかよ」
「断ったら噛み付かれそうだったから。ほら」

 はい、と胴着の袖をまくってみせると、そこには無数の噛み痕が。
 それを見てしまっては、馬超さんも呆れるほかなかったようで、軽く目を逸らしながら溜め息を吐いていた。

「ワタシとしては、ワタシに向かってくる犬どもが貴様に向かうようになって、ありがたい限りだがな」
「……それって一応、お礼として受け取っていいのかな」
「皮肉も受け取れないのか、頭の薄い奴め」
「───……」

 いや……いい、いいんだけどね?
 ともかくもう一度、ごめんとありがとうを唱えると、立ち上がって思春のもとへと歩いていく。
 そこで弓を拾って矢を拾って……あれ? どうして矢が? と思春を見ると、どうにも先ほど孟獲が置いていったらしい。

「………」

 散々噛まれて、捕まえることも出来なくて、覗きをしてしまった上に正座と説教のコンボ……その報酬がこれか……。

(……空が青いや……)

 上向いてないと泣きそうでした。
 けどいつまでもそうしているわけにもいかないので、矢を番えて引き絞る。
 的はさっきまでと同様に太い木の中心。
 軽く印をつけてあるそこへと矢を放ち、当たればよし外れればがっくり。
 で、見事にあっさり外して見せた俺は、何処にも行かずにこちらを見ている馬超さんと魏延さんに気づく。

「? えと、まだなにかあった?」

 ハテ、と首を傾げながら言ってみるが……───ハッ!? まさかやっぱり怒り足りないとか!?
 そんなことを思っていると、二人がどかどかと近づいてきて言葉を投げてくる。
 やれ姿勢が違うだの、そこはそうじゃないだの。
 いきなりのことで何がなんだか解らないんだが、どうやら弓のことを教えてくれているようで……

「え、と……こう?」
「違う。もっと姿勢を斜に、力強く構えろ」
「こう……かな」

 魏延さんに言われるがまま、大股で重心を下に、力強く弦を引き絞る。
 ……が、

「違う違う、もっと自然な姿勢でしなやかにやさしく構えるんだよ」
「えぇっ!? 斜で力強くて自然でしなやかってなに!?」

 馬超さんはまったく別の方向で教えてくれている。
 うん、教えてくれているのは間違いないんだけど、二人とも何かが違う。
 こう……誰かを頭の中に思い描いて、その姿勢を教えてくれているようなんだけど……。

「これが桔梗さまの構えだ」
「紫苑はいっつも静かに素早く構えるから、自然でしなやかのほうがいいに決まってるだろ」
「………」

 桔梗? 桔梗って……? 紫苑って……?
 …………あ、あー……そういえば黄忠さんと厳顔さんがお互いのことをそう呼んでいたような……。

「大体、桔梗は弓じゃなくて豪天砲だろ?」
「遠距離武器に隔てなどない。近接武器だろうと近づいて叩き潰すだけだ」
「なに言ってんだか。得物によって取る行動なんて変わってくるし、同じなんてことはないね」
「………」
「………」

 俺を挟んで睨み合う二人。
 あ……なんだか嫌な予感。

「あー……思春? 僕ら邪魔みたいだからあっちに《ガシィ!》助けてぇえーーーっ!!」

 そろりと逃げようとしたらあっさり捕まりました。
 思春は思春で暖かくもない目で俺のことを見守っています。助けてくれる状況は望めないようです。

「助けてなんて物騒なこと言うなよっ! あたしはただ教えてやろうと……!」
「理解ができたならさっさと弓を構えろ。時間が惜しいだろう」
(魏延さんがまるで思春のようだ……)

 でも教えてくれるのはありがたい。
 大変ありがたいんだけど───うん、逃げられない状況で何を言っても無駄だね。
 覚悟を決めよう、彼女らに教わるという、ただそれだけだけどとても大変な覚悟を。





65/ただしいゆみのかまえかた

 ややあって、昼が過ぎていく。
 あれから馬超さんと魏延さんに弓の構えを叩き込まれ、言われるままに構える俺は、いい加減に目がぐるぐると回ってきていた。
 だって、言われた通りに構えても別の方向から注意されて、そっちに言われるままに構えれば別の方からって、決着つかずで疲労ばかりが溜まっていく。
 厚意を無駄には出来ないと思いながらも、「仕事とかはいいの?」とおそるおそる訊いてみれば、昼の時点で終わったとお二方が。
 どんな仕事をしていたのかが大変気になるところだけど、つまるところ……俺はまだまだ解放されないらしい。

「そうそう、それだよそれっ! それが紫苑の構えだっ!」
「う、うん……そうだね……」

 この遣り取りも何回目だろうか。
 で、次に魏延さんが割り込んできて厳顔さんの構えを……って───

「……撃ってみろ」
「エ?」

 ───意外ッ! それは射撃命令ッ!!
 てっきり別の構えを取れと言われると思っていた俺は、ぽかんとした顔で魏延さんを見つめていた。
 が、すぐに気を取り直して的を睨む。
 ここで話をしたら堂々巡りだ……というか、多分これで外したら……“言わないことではない! やはり桔梗さまの構えのほうが───”といった感じに喧嘩に発展するのでは……?

(しゅっ……集中!《クワッ!!》)

 外せない! これは絶対に外せない!
 狙いを定めろ一刀! 絶対に外すな! これは……これは彼女たちの安寧を懸けた魂の一撃なるぞ!

「ッ───《むずり》フワッ!?」

 いざ! ……といった瞬間、鼻に強烈なむず痒さ。
 思わずくしゃみが出そうになり、体が勝手に揺れ……無情にも弦は指から滑り、矢が……

「兄、続きをするにゃーっ!」
「《がばーっ!》うわぁったぁっ!?」
 
 ……放たれる瞬間、腰にしがみつく存在!
 体勢をさらに崩し、左手で支えていた弓も揺れ、矢は見当違いの方向に……飛ばず、見事にドッと的に命中した。
 鏃を潰し、布を巻いてあるから刺さることはなく、ぼとりと落ちる矢を眺めた。

「…………(あた)った? あ、あた───お、おぉおおおっ!!」

 くしゃみの心配も何処へやら、体勢を崩したままへたり込んでいた俺は、がばりと起き上がると背中側の腰に抱き付いている存在……孟獲を前に回し、抱き上げて振り回して喜びを表現した。

「中った! 中ったぁあーーっ!! うわはーーーっ! 孟獲! 孟獲ーーーっ!!」

 これで喧嘩が無くなる! 二人が争う理由はきっと無くなる!
 そんな嬉しさがこみ上げ、それを齎してくれた孟獲を振り回したり抱き締めたり、その状態で頭を撫でたりして燥いだ。
 そんな行為が孟獲も楽しく感じられたのか、両手を繋いだまま遠心力で空を飛ぶ状況に満面の笑みを浮かべて燥いでいた。……これで手を離したら飛んでいくね、ほんとに。やらないけどさ。
 と、ふと声をかけられて、ゆっくりと止まる。
 振り向いてみるとそこには魏延さんが居て、僕を睨んでおりました。

「次は桔梗さまの構えでやってみろ。美以に飛びつかれなければ中ったかも怪しいそれよりも、的中を見せるはずだ」
「え? あ、あの……え? あれぇ!?」

 結論。
 状況はなんにも解決に向かっちゃいなかった。
 それどころか、中ったことで魏延さんのハートに火がついたようで、さっさとしろと促してアワワァーーーッ!!?
 しかも直後に「紫苑の構えがそんなに気に入らないのかよ!」とか「そんなことは一言も言っていない!」とか喧嘩しだすし……。

「………」

 一刀よ……強くなりなさい。
 要するにどちらの構えも素晴らしいことを、二人に見せつければいいんだ。

(覚悟を……)

 全て的中させる───動かぬ相手にいつまでも外してばかりではいられない。
 そうだ、距離はそこまで遠くない。
 もっともっと集中して、二人を満足させることが出来れば───!

(秋蘭、祭さん、俺に力を貸してくれ!)

 矢を番い、引き絞り、二人が喧嘩する中、やがて矢は放たれた。


───……。


 …………夜が来た。
 空はとっぷりと薄黒く染まり、昼の頃は暖かかった場もやがては寒くなり、だからといって寒すぎるわけでもなく……ええとつまり。

「桔梗の構えのほうが多く外しただろっ!?」
「それはこの男の腕が未熟だからだ!」

 ……ハイ、見事に外しました、ごめんなさい……。
 そうですよね、願うだけで弓のド素人が必中とか出来れば誰も苦労しませんよね……。
 真剣に、本気で、頭が痛くなるくらい集中しても、やっぱり外す時は外しました。
 何発も何発も撃って、中ったり外したりして、現在は芝生に胡坐をかいているところ。
 その膝上に孟獲が乗っていて、猫のようにぐてーと脱力していた。
 俺はといえば、そんな孟獲の頭に汚れがつかないように気を使いながら撫で、ぼーっとしていた。弦を引き絞るなんて普段やらないことをしたためか、実はわりと筋肉がピキピキいっていたりする。
 普段使わない筋肉も出来るだけ鍛えていたつもりでも、やっぱりつもりはつもりだったようだ……弓の練習はこれからも続けよう。

「この喧嘩はいつまで続くんだろう……」
「それはあの二人に訊け」
「……だよなぁ」

 既に説得は試みた。
 「うるさい」、「ちょっと黙っててくれ」の一言ずつで全てが終わった。
 だって、なおも止めようとしたら武器取り出すんですもの。
 物騒だからって余計に止めようとしたら、何故か俺に向けてくるし……。
 一応教えてくれた二人だし、ほっぽって立ち去るわけにもいかないからこうして待ってるんだけど……一向に終わる気配がない。
 隣に居てくれる思春にも、ぐてーと脱力して頭を撫でられるままになっている孟獲にも、もちろん俺にも、この喧嘩の終わりが何処にあるのかなんて解りはしなかった。
 ……こういった喧嘩は、魏延さんと蒲公英がよくするって聞いてたんだけどなぁ。

「ほら、二人とも、もう寒くなってきてるし、前の愛紗みたいに風邪でも引いたらまずいだろ? そんなことになったら桃香やみんなにも迷惑がかかるよ」
「ぐっ……桃香さまにご迷惑をかけるわけには…………いや待て。もしワタシが風邪を引いたら、桃香さまが看病してくれたり……いやいやっ、それこそ迷惑や面倒をかけることに! あっ……いやしかし見舞いくらいなら…………《ぽー……》」
「………」

 どうしよう。魏延さんが何処かの世界へ旅立ってしまった。
 何も無い虚空を見つめて頬を染める魏延さんを前に、馬超さんが呆れとともに冷静になってくれたお陰で、一応喧嘩自体は終わったようだけど……終わったよね?
 じゃあとりあえず立ち上がってと……ってこらこらっ、しがみつくな孟獲っ!

「えと、じゃあ解散しようか。いつまでもここに居たら見回り番の人が安心出来ないし」
「へ? あ、ああ、そうだな……って、お前その手っ……!」
「え……ああ」

 自分の右手を見下ろしてみれば、少し血が滲んでいる手。
 下がけや弓篭手をしていようが、一日中やっていればこうなるだろう。
 実は弓を構えていた左手も、人差し指と親指の間が赤く滲んでしまっている。
 何事も無理はいけないって一例だなこれ……騒ぐほどの痛みじゃないものの、じくじくときて嫌な感じだ。それにプラスして、明日は筋肉痛だろう。
 軽くやるつもりだった練習が、いつの間にかキツい練習になっていた……そんな気分だ。

「も……もしかしてあたしたちが無理にやらせたからか……!? 〜〜〜ぁああああ……! ごめんっ! ほんっとうにごめんっ! つまらないことで意地になって!」
「ははっ……いや、いいよ。大変じゃあなかったって言えば、そりゃあウソだけど……頑張って教えようとしてくれたことは、ちゃんと解ってるから」
「うっ…………ごめん……」

 心底悪いことをしたといった顔で、小さくおろおろと視線を泳がす馬超さん。
 その横では魏延さんが未だに赤い顔でホウケているんだから、不思議な光景だ。

「ちゃんと学べることもあったし、謝られたらこっちが逆に悪いことしたって思っちゃうからさ」
「いや……学校の授業の時にも夢中になりすぎて、学びに来てくれているやつらに無理させそうになるの、助けられてるし……。ほんとあたしはこんなことばっかで……」
「えと……」

 どうしたものだろうか……軽い自己嫌悪状態に入ってしまったようで、何を言っても俯いたままで受け取ってくれない。
 そうやってどうしようかと考えていると、突然バッと顔を上げて俺の目を見る馬超さん。
 その突然の動作に後退りそうになりながら、しがみついている孟獲を仕方も無しに抱きかかえつつ、見つめ返す。

「覚悟、決めた。何かあたしにしてほしいこととかないか? その……そんなので許してもらおうとか、ずるい話かもしれないけど───って、ももももちろんエロエロなのは無しだからなっ!?」
「…………」

 馬超さんの中で、俺って何処までエロエロなんだろうか。
 そんなことを、遠い目をしながら考えた。
 でも……してほしいことか。そういうのって全然無いんだけど。
 別にいいよって言うのも彼女の覚悟に対して失礼な気が……というか、それを言った時点で“それじゃああたしの気が済まないんだよっ”とか言われそうだ。
 あ……じゃあ。

「………」
「……?」

 手を差し出した。
 わざわざ口に出してなるものじゃないって七乃は言うけれど、それでもこの手を握られる前に伝えよう。

「誓って言うよ。エッチなことなんてしないし、しようとしなくてもいいから。……俺と、友達になってください」
「───……」

 それ以上に伝えることは無く、差し出した手が握られる瞬間をただ静かに待つ。
 断られればそれまで。でも、だからって嫌いになる理由は何処にもない。
 今がダメならまた今度、改めて。
 そんな気持ちを胸に笑顔で、それでも望みは捨てずに待った。

「……………………はぁ!?」

 ややあって、第一声はそれだった。
 顔は真っ赤で、軽く体勢を仰け反らせる風情のまま、明らかに狼狽えてますよって顔での一声だった……と思った矢先に、捲くし立てるような言葉の嵐。「ななななななに言ってんだよ!」とか「改まって何を言うのかと思えばととと友達なんて!」とか。いや……なにもそこまで驚かなくても。

「それにさ、あんたとかお前じゃあいい加減呼びづらいだろうし。俺も出来れば一刀って名前で呼んでもらいたいんだ」
「な、名前……?」
「うん」

 手を差し伸べたままの状態で頷く。
 けれど馬超さんは、真っ赤な顔と引け腰のままでちらちらと俺の顔と手を見るばかりで───そこでハタと気がついた。

「あ……ごめん。血が滲んでる手で握手とか、気持ち悪いか。そこまで気が回らなかった」
「! ち、違うっ! 気持ち悪いとかそんなんじゃなくてっ……あぁあああもうっ!!」

 下ろそうとした俺の手に、バッと伸ばされた馬超さんの手が重なる。
 真っ赤な顔のまま、半ばやけっぱちの如く俺の手を掴むその手には物凄い圧が存在していて───

「いたぁあったたたたたた!! 馬超さん! 指! 指ぃいいーーーっ!!」
「うわわわわぁあああっ!!? ごめんっ! 悪いっ!」

 丁度血が滲んでいた部分を強く圧迫されたために、素直に痛かったです。はい。
 とか暢気に言ってると、滲むだけだった血がたらたらと……おお、どれだけ圧迫すればこんなに……。点だった傷が引き裂かれたかのようだ。
 で……視線を指から馬超さんに移してみれば、やっぱりしょんぼりな彼女が居た。
 俺はハンカチをポケットから……って、だから明命の傷の手当てに使ったから無いんだってば。
 溜め息とともに自分の手の血を舐め取ると、ちらりと馬超さんを見る。
 ……仕方ないよな。血よりはマシだと思ってもらおう。

「馬超さん」
「な、なんだよ……───なぁあああああああっ!!?」

 視線を合わそうとしない彼女の手を取って、付着してしまった俺の血液を舐め取る。
 幸い衣服にはついていないようだから、そこは安心した《パゴォッ!》……直後に殴られた。
 血よりは唾液のほうがマシかなと思ったけど、そういう問題じゃあなかった。

「なななっなななななにすんだよっ! エロエロなのは無しだって言っただろぉっ!?」
「いたた……や、そうじゃなくてさ。俺の血、ついちゃってたし、服についちゃう前になんとかしないとって思って……。拭くものがあればよかったんだけど、前に千切っちゃったから」
「そそそそれにしたっていきなり舐めるやつがあるかよぉおっ!」
「え、と……その……ごめんなさい」

 言われてみれば、いきなりはまずかった。
 でも、訊いてみたところで絶対に頷きはしなかったと確信を持てるのは、俺だけかなぁ。

「大体そんなっ……あたしみたいな女の手を舐めるなんて、気持ち悪いだろ……」
「………」
「………」
「………」
「………」
「…………エ? あたしみたいな? って……なにが?」

 言われた言葉の意味が解らず、じっくり考えてみたんだが……答えが見つからない。
 仕方もなしに訊ねてみると、馬超さんは自らの恥をさらすような風情で「だからっ」と怒声にも似た声を張り上げた。

「あたしみたいな可愛くない女の手なんて舐めても、気持ち悪いだろって言ったんだよ! 槍を振り回してるから綺麗なんて言えないし、そもそもあたしは他のやつらに比べて可愛くなんかないしっ!」
「………」

 エ? いや、ちょっと待って? 本気? え……これって本気で言ってるのか?
 馬超さんが可愛くないとしたら、可愛いってなんだ?

「可愛くないの?」
「可愛いもんかっ! あたしがそんなっ、可愛いわけないだろっ!?」
「…………ああっ、じゃあ綺麗なんだっ」
「うなっ!?《ぐぼんっ!》なっ……な、なななななぁああーーーーっ!!? ななななに言ってんだよそんなわけないだろ!? 可愛くもないやつが綺麗なもんかっ!」
「あの。それって随分と偏った意見だと思うんだけど。じゃああれだ、美しい?」
「違うったら違うっ! なに言ってんだよお前!」

 ……取りつく島がない。
 自分は可愛くないってことに無駄に自信を持ってしまっているんだろう……まるで凪だ。

「断言するけど……馬超さん、可愛いし綺麗だし、槍を構えてる時や馬に乗ってる時ってすごく“美しい”って言葉が似合うよ?」
「ひうっ!?《ぼぼっ》」

 正直な感想を、真正面から目を見て届ける。
 馬超さんの赤かった顔はさらに赤みを増し、その狼狽え様は思わず心配になるほどの慌てっぷりだった。

「そ、そんなこと言って、どうせからかってるんだろっ! その手には乗らないんだからな!? いつもそうだ、どうせ今も蒲公英が何処かで見てるか、蒲公英にそう言えって言われたんだろっ!」
「えぇっ!? どうしてそこまで頑な!?」

 様々な理由を並べてでも自分が可愛いとは認めたくないらしい……この容姿でそう思えるのって、ある意味純粋なのかもしれない。
 んー……こうなると意地でも気づかせてやりたいんだけど。
 凪の時は真桜や沙和がいろいろと手を回したみたいだけど、馬超さんの場合は…………身近なところで蒲公英? いや、どうしてか余計にこじれそうな気がしてならない。

「じゃあ……馬超さん、もう一度手をとってもらっていいかな」
「え? な、なんだよいったい」
「友達として、誓って言う。他の人や馬超さんがどう思おうと、俺は馬超さんは可愛いし綺麗だと思ってる。この気持ちに嘘は無いし、この言が嘘だとしたら殺されても文句は言わない覚悟を、この手に込めるよ」
「ふえ……!? ばっ……馬鹿じゃないのか!? そんなことに命まで懸けるっていうのかよ!」
「うん、懸けられる。だって、可愛いって思うし綺麗だとも思ってるもの。これだけ言ってももし信じられないならさ、自分の容姿じゃなくて……友達の言葉を信じてくれないかな」
「や、な、う……うぅう……〜〜〜っ……」

 決して目を逸らすことなく、虚言ならば本当に槍で貫かれて構わない覚悟をこの手に。
 繋がれた手に嘘はつかない。友達を裏切ることは絶対にしない。
 だからどうか信じてほしい……友達って関係を、存在を。
 自分の容姿にもっと自信を持ってくれるのが一番なんだけどさ、それを理解させるのはもっともっと時間が要りそうだから。
 というか…………あれ? どうしてこんな話になったんだっけ? 確か握手して血がついて……あれぇ……?

「〜〜〜………………なぁ。本当に、本当に……あたしのこと可愛いって思ってるのか?」
「? うん」
「嘘じゃないか!? 本当にか!?」
「手を取ってくれれば、覚悟を約束にして誓うよ。馬超さんは可愛い。当然、今もそう思ってる」
「…………っ」

 手は差し伸べたままに言う。
 馬超さんは一瞬手を伸ばそうとするが、様々な葛藤があるのだろう。途中で止まった手は宙を彷徨い、けれど俺から掴むことは絶対にせずに、ただ待った。
 自分から認めないと、きっとこれからも自信なんて持ってくれないだろう。
 凪を見てきた自分の目で見た彼女の挙動は、自然とそう思わせた。

「…………」
「………」

 沈黙は続く。
 横で魏延さんが「うへへへ……」と怪しい笑みをこぼしているけど、気にしたら負けだと思っている。
 そんな中で、吹いた風に肩を震わせた馬超さんが、ゆっくりと、本当にゆっくりと俺の目を見て口を開く。

「……い……いいんだな……? 信じる……ぞ?」
「ん」
「あたしは可愛いなんて思ってないのに、お前が勝手にそう言ってるって……お前にはそう見えてるんだって信じるぞ!?」
「自分でも思ってほしいんだけど、うん。それは自然にそう思えるようになってくれれば」
「もしこの後で“可愛くない”とか言ったら本気で怒るからなっ!?」
「その時は刺してくれてもいいよ。それだけの覚悟と自信があるから」
「ひうっ……《ぼんっ》」

 凪の場合は傷を気にしていた感があったけど、馬超さんは気にするべきところなんて見つからない。
 だからってもちろん、凪の傷が気になったかどうかで言えば否だ。
 自信を持って言えることだ……可愛いし綺麗だし、馬上で槍を振るう彼女は美しい。
 ………………うん、自信を持てるのは確かなんだけど、これってナンパとかの殺し文句じゃないでしょうか。いまさらになって気になってきた。でも取り消すわけにもいかないし……ええいなるようになれ! 本当にそう思ってるんだ! 取り消す理由なんてきっと無い!
 そう思った瞬間、きゅっと手を握られた。

「あ───」
「〜〜〜……」

 血で汚れるだろうからと、滲んでいる部分は接触しないようにと構えていたのに、あえてその上からきゅっと。
 赤らめた顔を軽く俯かせ、口を結んで何も言わない彼女。
 でも、これでようやく届くだろう。
 受け容れる姿勢を“繋いでくれた”彼女へと、俺は一言を届けた。

「可愛いよ、馬超さん」
「《かぁあああああっ!!》……★■※@▼●∀〜〜〜っ!!」

 自分が本当にそう思っているということを届けると、彼女は手を握ったままこれでもかっていうくらいに真っ赤になった顔を俯かせた。
 手を繋いだ瞬間から“信じてくれている”のだから、きちんと受け止めてくれた証拠……なんだろうか。あ、あの、ちょっと赤くなりすぎじゃ……? 夜にその赤さが解るほどっていうのは結構危ないんじゃ……?

「うん、やっぱり届けたい言葉をちゃんと受け取ってもらえるのって嬉しいなぁ」
「〜〜……お前、こんなこと平気で言えるって、どうかしてるんじゃないか……?」
「いや、結構恥ずかしかったりするけど……でも、嘘は言ってない」
「〜〜〜……わ、解ってるよ……! その、約束、だし……え、と……か、か……一刀」

 …………。

「……うん」

 一瞬、自分の名前が呼ばれたことに気づけなかった。
 そっか、約束か……手を取った時点で友達で、嘘は言わない覚悟を誓って、俺の呼び方もあんたやお前から変える。
 それに習う、こうして手を繋いでいる時間が妙にくすぐったい。

(でも、暖かいな……)

 誰かとこうして繋ぐことの出来る手が嬉しい。
 服にしがみついている孟獲を左腕で抱えていることも相まって、妙に暖かいし。
 ほんとにいい匂いとかしてるのかな……自分じゃあ解らないんだけど。

「……それからっ!」
「うん?」
「そ、そそそそれから、……あたしのこともその蒲公英と同じ……そうっ、蒲公英と同じで真名で呼んでいいからっ! いいんだ、何も言うなよっ!? 友達なんだからいいんだっ! 友達なんだからなっ!」
「いや……何も言ってないんだけど……」

 うん。でも、ありがとうを。
 小さく礼を届けてから、握っている手に軽く力を込めた。
 さて───……ところで馬超さんの真名って…………俺、聞いたっけ?
 いや、聞いた、聞いたよ。彼女本人からじゃなく、他の将との会話の中で。
 翠……そう、翠だったはずだ。けど本人から聞いたわけじゃないのに急に呼ぶのも。

「馬超さん。一応馬超さんの真名は知ってるけど……馬超さん本人から許してもらってないから───」
「ふえっ!? あ、ぁあそっか、そうだった、あ、あははは、は…………こほんっ! 姓は馬、名は超、字は孟起、真名は翠だ」

 おおっ! キリッとキメ───……たのに、顔は真っ赤だ……。
 しかもすぐに俯かせちゃうし。

「じゃあ俺も。姓は北郷、名は一刀。字も真名もない世界から来た。よろしく、翠」
「すっ───《ぼっ!》あ、あぁあああ……うあゎああああーーーーーーっ!!!!」
「《ぱごぉっ!》ほぼっ!?」

 顔の赤さが臨界点に達し、キッと俺を見る目が潤んでいるように見えた瞬間には、彼女の左拳が俺の顔面を捉えていた。
 拍子に放した手から逃れた彼女は叫びながら走っていってしまい、ハッと気づけばいつの間にか魏延さんも居なくなっていた。

「…………」
「………」

 残された俺と孟獲は、ただぽかんとしていた。
 思春は“やれやれ……”って感じで溜め息を吐いている。
 なんだか知らないけどごめんなさい。

「みぃは美以にゃ」

 ……いえ、ぽかんとしてたのは俺だけだったみたいです。
 左腕で抱えていた孟獲が、とろんとした眠たげな顔で俺を見上げて言う。……恐らくは、自分の真名である言葉を。

「……いいのか?」
「今日は面白かったにゃ。兄と居ると面白いし、いい匂いもするからいいのにゃ」
「…………」

 いい匂いがするってところが強調されていた気がするのは気の所為ですよね?
 せいぜいまた噛まれないように気をつけよう……。

(うーん……)

 真名の価値って人それぞれなんだろうか。
 簡単に許しちゃう人も居れば、逆もまたって感じだ。
 でも……うん、許してもらうと距離が縮まったって思えて……こう、くすぐったいんだけど嬉しいんだよな。
 孟獲に習って俺も名乗るけど、自分に真名がないのが、やっぱりちょっと悔しいって思えた。

「……戻るか。孟獲……じゃなかった、美以の部屋って何処なんだ?」
「あっちにゃ」

 考えても仕方の無いことを、頭を軽く振ることで拭ってから促すと、美以は適当な方向を指差す。
 とりあえずは通路らしい。俺が美以を抱え直して歩くと、思春も音も無く歩き始めた。
 それにしても、ちょっとの鍛錬のつもりが本当に大変な一日になったよな。
 そもそもが食休みの間の軽いものだったはずなのに。

(それでも楽しいって思えたあたり、無駄じゃあなかったわけだし……いいよな、うん)

 通路を歩く。
 訊ねるたびにあっちにゃこっちにゃと指差す美以の指示に従って、ひたすらに。
 やがてもはや歩き慣れた通路に差し掛かると、なんとなく嫌な予感がふつふつと。

「あのー、美以? こっちには俺が借りてる部屋しか……」
「そこでいいにゃ」
「よくないよ!? ちゃんと自分の部屋に戻らないと、他のやつらも心配するだろ!? あのほら、えーと……ドラえ───じゃなくて」
「シャムとトラとミケにゃ」
「そうそう、その娘たち。だから、な? きちんと戻ろうな?」

 言いながらも結局は部屋がある通路に差し掛かってしまう。
 どうしたものかなーと考えて……ふと、暗がりの先の部屋の前に誰かが立っているのに気づく。
 思春は……後ろについていてくれてるから、思春じゃないよな。
 朱里や雛里にしては背が高いし……えぇと? と、首を傾げながらも近づくと、やがて見えてくるその姿───よりも先に、ぐるぐるのドリル髪が見えました。

「ア、部屋間違エチャッタァ」
「あぁら一刀さん奇遇ですわねっ」
「部屋前の暗がりで待ち構える奇遇ってなんですか!?」

 そしてあっさり見つかる俺。
 や、そりゃあ声を出せば見つかりもするさ。俺の馬鹿。

「や、やあ麗羽……こんなところでどうしたんだ?」
「え〜え、少しこちらに用事がありましたの。ええ本当に奇遇ですわ」
(……こっちの通路、この部屋があるだけで行き止まりなんだけどなぁ……)

 ツッコんだら負けなんだよきっと。
 そう思うことにして、無難な言葉を探りながら会話を。

「そ、そう。それは奇遇だね。それで、その用事って?」
「あぁ〜らそれは言えませんわ」
「そっか、それは残念だなぁ。じゃあ俺もう部屋に《がしぃ!》……な、なにかな」

 そそくさと逃走を図ろうとしたら、腕をしっかと掴まれました。
 振り向いてみれば、どこかぶすっとした顔の麗羽が美以をジト目で指差していた。

「気になったのですけど。その獣娘をどうするおつもりですの?」
「や、なんか部屋に来たがってるみたいだから」

 満足するまで遊ぶなりしてもらおうと思ったんだが。
 それを全部説明するよりも先に聞こえる高笑いに、嫌な予感しか沸かなかった。

「あぁらぁ〜、それでしたらわたくしもお邪魔しても構いませんわね?」
「エ? な、なんで───」
「か・ま・い・ま・せ・ん・わ・ね?」
「ア……ハイ……」

 華琳さん……解っていたことだけど、女って怖いです……。
 そして思春、溜め息を吐くよりも止めてくれるとありがたいんですけど……。





66/突撃、貴方ン部屋

 結局、麗羽と美以が部屋へと入り、特に何をするでもなく平和な時間を───過ごせるわけもなく。
 風呂に入らせてもらい、服を寝巻き(借り物)に着替えて部屋に戻ってきたあたりで、既に平和なんて言葉は吹き飛んで無くなっていた。
 美以が麗羽を軽くからかってしまったために言い争い祭りが開催。
 祭りというのも、その騒ぎを聞きつけた猪々子と斗詩が(麗羽が心配だったらしい)駆けつけ、部屋に入っていく二人を見た趙雲さんがこれは面白そうだと仲間(愛紗)を呼び、そこからぞろぞろと人が増えて……現在に至る。

「へー、お姉様ってば真名許したんだー。あれだけ渋ってたくせにー♪」
「うぅうううるさいなっ! あの時だってお前が妙にけしかけたりしなければ、もっと早くに……!」
「え? そうなの? そうなんだー、へーお姉様ってば大胆ー♪」
「ばばば馬鹿っ! 違っ……ななななに見てんだよ一刀!」
「いや、可愛いなぁって……」
「○※★×◆▼!!?」

 うん……この状況の中にあって、そうやって騒げる姿が羨ましい。
 なんでだろうなぁ……どうしてこんなことに……。

「なぁみんな……そろそろ自分の部屋に───」

 みんな……そう、今この場には蜀の将のほぼ全員が居る。
 その数は相当なもので、部屋はぎゅうぎゅう詰めにもほどがあるほど。
 だというのに器用に座ったりつまみと酒を用意して酒盛りしたりと、無駄に逞しい。

「ごめんなさいね、弓を教えてあげられなくて。翠ちゃんに聞いたんだけど、大変だったでしょう?」
「いえ、これはこれで勉強にはなりまし───って、あれ? 黄忠さん? 今、話逸らしました?」
「ふふふっ……」

 穏やかな笑みではぐらかされた。
 出て行くつもりはないようです。(みんな)
 いや……そりゃあ部屋を借りている身だから、みんなが翌日に支障がないっていうならそれでいいんだけど。

「焔耶ちゃんはお兄さんに許したりとかは───」
「とんでもない、そんなことは有り得ませんよ桃香さま。今日までこの男の行動を監視してきましたが、解ったことといえば───いちいちやること為すこと桃香さまに似ていてもやもやするということのみです。困っている民を助けたり、将の仕事の手伝いをしたりと、それはもうもやもやするのです───って桃香さま!? 何故落ち込んでおられるのですかっ!?」
「……焔耶ちゃん、私のこと嫌い……?」
「それこそとんでもないっ! ワタシは桃香さまのためならたとえ火の中水の中!」
「そのまま沈んで浮いてこなければいいのに」
「蒲公英貴様っ! ワタシと桃香さまの会話を邪魔する気かっ!!」

 そして始まる口喧嘩。
 あはは……と苦笑いを浮かべる桃香を横目に、俺はといえば……

「この状況ってさ、いろいろどころか相当にマズイと思うんだ、俺……」
「耐えてくれアニキ……あたいも見てて辛い……」
「でも貴重といえば貴重だよね、文ちゃん」

 きっかけはもちろん最初。部屋に訪れた麗羽が、寝台に座った俺の膝の上に乗ってきた美以に、あー……美以を、かな。羨ましがった、でいいんだろうか。
 きっかけがそれだとして、今現在どうしてその麗羽が俺の膝の上で眠りこけているのかは、きっと深く考えたらいけないことなのだ。
 最初こそ美以の真似をして、寝台の上に胡坐をかく俺の上へと乗っかってきた麗羽だったが、なんかちらちらと自分の肩越しに俺を見るもんだから、なんとなく華琳にやるみたいにお腹に軽く腕を回し、もう片方で頭を撫でていたらいつの間にか眠ってしまっていたのだ。
 訂正するなら、華琳の頭はおいそれと撫でられないので、撫でていたらっていうのはちょっと違う。

「けど、こういう寝顔を見てると……やっぱりみんな、甘えられる人が欲しいのかなって思うなぁ……」
「? おかしなこと言うなぁアニキ。麗羽さまなら常に甘えてるじゃん」
「誰々にこうしろーって命令的な甘えじゃなくてさ。こうして、誰かによりかかることで安心できるって意味の甘えのことだよ」
「んー……なぁ斗詩? アニキの言ってるのって何が違うんだ?」
「あはは、えっとね、とっても簡単なことなんだよ。ただ本人が気づけるか気づけないかが難しいだけで」
「?」

 斗詩の言葉に首を傾げて、近くに居た鈴々ととっ捕まえて同じ質問をする猪々子。
 ……首傾げ病が伝染した。
 そんな様子が可笑しくて、小さく笑いながら麗羽を膝から静かに下ろし、寝かせる。……その横では既に美以が寝ている。
 意外と大きい寝台ですうすうと眠る彼女の頭を軽く撫でてから、じゃあ実践をと猪々子に手招きをして、膝枕を実行。

「……なぁアニキ、これが甘えになるのか?」
「深呼吸して、余計な力を抜いてみて」
「……? すぅ……はぁ……」
「で、こうして今膝枕をしている相手が、見ず知らずの男だって想像してみるんだ」
「うえっ、それなんかやだっ!」

 バッと起きようとする彼女の頭をきゅっと抱いて、ゆっくりとまた膝へ。
 そうして目を見下ろしながら言ってやる。

「つまりさ、本当の甘えっていうのは多分……信頼も多少はないと出来ないってこと。命令だけなら甘えじゃなくても出来るだろ? 多少でも信用してるから、こうして頭も預けられるし、安心していられる。……まあ、ゴツゴツした足で申し訳ないけどさ」

 言いながら、包帯が巻かれた手で猪々子の頭を撫でる。
 せめて気分だけでも安らぐようにと、軽く氣を込めて、やさしくやさしく。

「ふわー……驚いたなぁ。あたいが認める膝枕は、斗詩以外にはそうそう無かったのに」
「お気に召しましたか、お嬢様」
「っへへー、うむ、くるしゅーないぞー」

 しししと笑い合いながら、撫でていた手を止めると猪々子が起き上がる。
 結構お気に召してくれたようで、「また今度頼むー」と笑顔で言っていた。
 ……さて。軽薄なことをしたとは思わないものの、他人から見たら軽薄なんだろうか。
 じとーと周囲の皆様に見られているような気がするんだが、それを確認するより先に鈴々が膝の上に頭を置いてきた。
 むしろこの場合は飛び込んできたって言うべきか?

「こ、こらこらっ、隣で麗羽が寝てるんだから、あんまりどたばたしないっ」
「えへへー、お兄ちゃん、なでなでしてー?」
「………はぁ」

 言われるままに頭を撫でる。
 キミの無邪気さにはいろいろと助けられているって感謝を込めて。
 まあその、はは……鈴々自身から与えられる苦労もいろいろあったりするけどさ。
 自分の思考に苦笑をしながらも撫で続けると、鈴々までもがくかーと寝てしまう。
 ……俺の手って睡眠誘発効果でもあるのだろうか。と、ここでてこてこと横に歩いてきた恋が服を引っ張って……あ。陳宮が鈴々を転がして……足の上が軽くなった。や、友達を助けるのは当然のことです、って胸張って言われても。

「…………じゃあそれに感謝するのも当然だよな」
「ほえ?《がばっ》なぁーーーっ!!? ななななにをするですおまえーーーっ!!」
「膝枕」

 言葉の割りにあまり抵抗らしい抵抗がなかった気がする……けど、ともかく膝枕。
 小さな頭をやさしく撫でて、なんだかんだといろいろ気を使ってくれる友達に感謝を。
 しばらくぶちぶちと文句を放っていた口が、やがて口数を減らしていくと……規則正しい呼吸だけが聞こえるようになった。

「わっ、もう寝ちゃった」
「そう言いながら次は自分がってスタンバイしてる桃香さん? なにやってるんですか」
「すたんば、ってなに?」
「いや、なんでもないけど……」

 服を引っ張っていた恋は、寝台の中心に座る俺の背中側に猫のように丸まって寝転がり、丁度伸ばしやすいところに頭があって、俺はそれを静かに撫でていた。
 顔を覗いてみれば、なんとも気持ち良さそうな顔をしていた。

「けどさ。みんな、一緒に騒ぐことが好きなんだな。一人来たらまた一人って、もう夜なのに集まって」
「うん。こうして何もなくても集まってると、なんだか家族みたいで楽しいよね」

 厳顔さんと酒を飲み、すっかり酒臭くなってしまった母から逃げるようにやってきた璃々ちゃんを、ひょいと抱き上げて桃香は言う。
 確かに……親はいろいろと大変なことになってるけど、こんな家族なら苦労しててもきっと楽しいだろう。

(家族か……)

 突然、親の味を舌が味わいたくなる時がある。
 お袋の味っていうのかな……安心できる味が、こう……恋しくなる。
 当然この大陸にそんなものがある筈もなく、時折に自分で作ってみては、そこに届いてくれない味に落胆する。
 味を似せることは出来るんだけど、一味が足りない。
 そこにはやっぱり、親でしか出せない味や、台所仕事を極めた者にしか出せない味ってものがあるんだろう。台所の覇王か……どれだけ上手くなっても、あの味を出せるのはきっと母さんだけなんだろうな。

「で、陳宮をどかして何をいそいそと寝転がってますか、蜀王さま」
「だ、だってー……ほら、みんな気持ち良さそうだったから…………だめ?」
「…………いや。そうだよな、甘えていいって言ったのは俺なんだから」
「あはっ、やったっ」

 笑みをこぼしながら、璃々ちゃんを抱いたまま俺の膝に頭を乗せる桃香。
 その頭をやさしく撫でながら、部屋の中を見渡した。
 ……その様、まさに地獄が如く。
 宴会っぽくはあるんだけど、何処かで必ず喧嘩が起こっている。
 ほら、今も視線を動かせば、厳顔さんと黄忠さんが“どちらが飲んでいられるか”を勝利の標として酒を飲みまくり、その横では蒲公英と魏延さんが言い争いを始めてるし、そのさらに横では何故か趙雲さんと美以が言い争い(ほぼ美以が騒いでいる)が。
 その横では翠と猪々子がどうしてか腕相撲をやってるし、その横では詠と月が七乃と妙なゲームで近寄りがたい雰囲気を出してるし。笑顔なのに、怖い。

「本当に、ここは賑やかだな……」

 将の集いだけでもこんなに暖かい。
 騒がしいのに、それが嫌な騒がしさと感じられないんだから不思議だ。
 ……もっとも、巻き込まれた時は本気で怖い目に遭っていたりするけど。

「……っと、桃香も寝ちゃったか」

 抱き締められていた璃々ちゃんも、もうすやすやと眠っていた。
 振り向いてみれば恋も。
 そんな彼女らに毛布を被せて回っている朱里や雛里、愛紗や斗詩に小さくありがとうを届けた。
 手伝いたかったけど、生憎と恋に服の背中側を、桃香にズボンを掴まれてしまっている。離させようとするとまるで万力が如き力を発揮して取れやしない。本当は起きてるんじゃあなかろうか。

「お疲れ。飲むか?」
「え? あ、ああ、ありがと」

 と、掴む手を外しにかかっていると、はいと渡されるお茶。
 差し出していた公孫賛に感謝を届けると、お茶を受け取って軽くすする。
 ……不思議な味だった。

「悪いな、詠や月が淹れたほうが美味いんだろうけど」
「いや、不思議な味だなって思っただけだから」

 一言で言うと……普通? これだけ普通の味を出せるなんて、中々出来ないだろ。
 そう、普通なんだ。まるで日本で一般的に飲むような軽いお茶の味。
 そうなると懐かしいような嬉しいような。

「………」

 それは“お袋の味”とはかけ離れたものだったけど、無性に何かに対してありがとうを言いたい気分だった。
 郷愁に襲われたら、公孫賛を頼ろう。
 故郷の味は、自分じゃなく他人の手でこそ味わいたい。
 身勝手な話だけど、自分じゃあどうやっても自分の味覚に里の味を与えられない。人間って多分そういう生き物だろうから。

「……公孫賛」
「うん? どうかしたか?」

 寝台に腰掛けながら茶を飲む公孫賛が目をぱちくりとさせ、俺を見る。
 そんな彼女へと、心と体に染み渡る普通のお茶を飲み乾してから心からのありがとうを送った。
 心を救われた気分だと。暖かなお茶だったと。

「へ? あ、うう……あんまり褒めるなよ……こっぱずかしくなるじゃないか。ていうか普通に詠のお茶のほうが美味いだろ」
「いや、この味、天の味に似てるからさ。帰ろうと思って帰れる場所でもないし、似た味があって、しかもそれが味わいながら“はぁ……”って安心できるものなのが嬉しくて」
「……そ、そっか。そうなのか。あ、お代わりいるか? いるなら淹れるぞ?」
「ごめん、この一杯でいいや。味に慣れるのがちょっと怖い。味わいたくなったらお願いしに行くから、その時に淹れてくれると嬉しいんだけど」
「ああ、それくらいならお安い御用だ。いつでも言ってくれよ、それまでに少しは腕を磨いておく───」
「いや。是非ともその腕のままでいてくれ」
「……いや、ああ……それがいいっていうならいいんだけどさ。なんか複雑だなぁ」

 腕を磨くって言っている人に“そのままでいい”っていうのは酷いね、うん。
 自覚はあるんだけど、どうしてもこう……なぁ。

「けど、北郷も中々手が早いよな。翠と美以に真名を許してもらったなんて」
「手が早いとか言わないで欲しいんだけど……でも、嬉しいよな、信頼してもらえるのは。友達になれるだけでも十分だって思ってたのに、それ以上の“嬉しい”があった。今まで天で生きてきて、こんなに深い“信頼”があることさえ知らなかったんだ」

 信じるもののために命を懸けられる人が居る。
 その人が目指す先を信じて、最後までともにあろうとする者たちが居る。
 信じる人が居て、信頼を向けられる人が居て。
 いつの間にか俺も、そういった信頼ってものを向けられる存在になっていた。
 それは時に重荷にもなって、状況によっては心を潰しかねないとてもとても怖いものにさえ変化した。
 そういった現実から逃げ出さなかったのは、そんな自分よりも重いものを、そんな自分よりも数え切れないくらいの信頼を背負った人が居たから。
 そんな人が自分を信頼してくれていたから。
 利用価値があるまではって約束でも、最後まで隣に居させてくれたから。

「天には真名が無いんだったよな。北郷はなんて呼ばれてたんだ?」
「かずピー」
「……へ?」
「かずピー。悪友によくそう呼ばれてた。一刀だからかずピー。ピーが何処から来るのか知りたいくらいだった」
「それは名前とは別の……字なんじゃないのか?」
「愛称だよ、愛しくもないけど。公孫賛のことを“賛ちゃん”って呼ぶのと変わらない」
「さんちゃっ───!?」
「? 良かったらこれからそう呼ぶけど」
「全力でやめてくれっ! こっぱずかしいにもほどがあるっ!」
「そ、そうか?」

 いいと思ったんだけどな……賛ちゃん。
 ちゃん付けで呼ぶ相手って璃々ちゃんくらいだろうし、新鮮な気持ちを味わえると思ったのに。

「私のことは今まで通り公孫賛で…………いや。そーだな、北郷の人となりなんて解りきってるし……北郷」
「うん?」
「白蓮。私の真名だ、そう呼んでくれ」
「え……ど、どうしたんだ急に。まさかお茶に酒でも───」
「入ってない入ってない……っていうか酔っ払ってるように見えるか?」

 苦笑をもらしての否定だった。
 なんとなくこういった反応を予想していたのかもしれない。

「ああ、特にこれって理由は無いぞ? 私は北郷のこと嫌いじゃないし、悪いヤツじゃないことなんて解りきってることだし」
「………」
「そこでそんな不思議そうな顔するなよ……。授業のやり方だって教えてくれたし、天の授業も教えてくれた。民にも兵にもやさしいし、動物にもやさしい。ほら、理由を挙げろっていうならぼろぼろ出てくるだろ」

 そんなことを薄く笑いながら言われた。
 ……授業以外では特にこう、自覚がないのだから違和感がふつふつと。
 普通に接してるつもりだから、やさしいとかは違うと思う。
 でも断るのも違って、俺に許してくれると言ってくれた彼女に悪いとも思った。

「……いつか絶対にお人好しってことで苦労するよ、白蓮は」
「苦労ならとっくにしてるよ。その苦労のお陰でこうして家族みたいなやつらが出来たんだ。辛いことばっかり思い返してないで、前を向く時は笑ってなきゃな」
「…………ん。そっか、そうだよな」

 なるほどって言葉がそのまますとーんと胸に落ちた。
 マイナスをプラスに受け取れる日が来るには、きっと随分と時間が必要だ。
 麗羽に攻め入られ、兵を削られたっていうマイナスを背負ってしまった彼女が笑顔でそれを言えるまで、きっと時間が必要だったことだろう。
 そんな彼女が今言った言葉は、本当にあっさりと胸に染み入った。
 この世界に学ぶことなんて、まだまだたくさんある。
 その中でじいちゃんやこの世界を精一杯に生きる人の言葉を、俺はきっと忘れないのだろう。刻み込んだ言葉はけっして。
 それでももし忘れてしまうようなことがあったなら、何度だってこの地、この大陸に学び、返していこう。

「? あ、ありがと」

 そんな風にしてこれからのことを考えていると、ひょいと横から差し出される飲み物。
 それをぐうっと一気に飲み込むと、お茶の爽やかな味───じゃなく、喉や鼻をツンと刺激するお酒独特の味わいが……ってお酒だよこれ!!
 え? そういえばこれ、どうして横から!? 公孫賛、じゃなかった白蓮は視線の先に居るわけだし、じゃあ横には───………………二人の魔人がいらっしゃいました。

「おうおう御遣い殿ぉ、女を侍らせてご機嫌だのぅ」
「あらあら、一度にこんなに相手しちゃうなんて、魏の種馬の名は伊達じゃないわねぇ」

 魔人の名はそれぞれ厳顔、黄忠。目の前のぐでんぐでんの酔っ払いを指します。
 常に笑みが絶えない。常時ご機嫌のようで、一気に飲んでしまって空になった容器に、勝手に追加をってちょっとちょっとォオオオ!!?

「さ〜あ御遣い殿、お主の男前っぷり、存分に披露されませいぃい〜〜っ! ふはっ……はーははははは!!」
「うふふふふ、ふふふふふふ……」
「イ、イヤ、僕モウ寝ナイト……」
「うんん? わしらのような年寄りには付き合えんというのか?」
「ぐっ……いや、そんなことは断じてないし、年寄りなんて思ってないよ」
「まあ……じゃあ付き合ってくれるのね〜……♪」
「《ぐいっ!》うわっ!?」

 白蓮と同じように、きしりと寝台の端に座った黄忠さんが、俺の頭を引き寄せ胸に埋め……うぇええーーーーっ!!?
 やっ、いやっ、ちょっ……ははははは離っ……!? 離してくださいお願いします! そっちの何気ない動作でも、こちらには大打撃と言いましょうか、とにかくまずいのです!
 いや、こんなこと考えてる暇があったら手を使って強引に離れる! さもなくば俺の中の獣が───あ、あれ? 手が動かない……って恋!? 桃香さん!? 掴む位置ズレてません!? どうして袖掴んでるの!? しかもどれだけ引っ張っても離してくれないし!
 って黄忠さん!? 頭撫でるのやめませんか!? じゃなくて体勢変えさせて無理矢理酒飲ませようとしてる!?

「やっ! ちょっ、待って! 厳顔さん! 黄忠さん! 正気に、正気にぃーーーっ!!」
「ええい堅苦しいっ、桔梗でよい、そう呼べっ!」
「だったらわたくしのことは紫苑と、そう呼んでくださいね……? うふふっ」
「いやうふふじゃなくて! 俺が言いたいのはそういうことじゃなくて!! ていうかこんなべろんべろん状態で真名許されて、もし二人が覚えてなかったら俺殺されるでしょ!? 三回も四回も真名のことで刃を向けられるなんて状況、勘弁してほし《がぼっ!》むぐぅっ!?」

 喋ってるうちから酒を徳利ごと突っ込まれる。
 この世界でどれだけの人が手間隙かけて物を作っているかと知っている俺にとって、自分が飲みたくないからって理由で食べ物を無駄にすることは最低行為。
 だから飲むしかなかったわけだけど、突っ込む量と肺活量とか少しは考えて突っ込んでくれませんでしょうか!?
 恋と桃香に腕の自由を奪われてるから徳利を掴むことは出来ないし、下を向こうにも黄忠さんにガッチリロックされてるし、もうどうしろと───つーか溺れる! これ溺れる! 黄忠さんあんまり圧迫しないで! 鼻が、鼻が詰まる!
 あ、愛紗、助け……げぇっ! 既にお潰れになってらっしゃる!
 そんなまさかっ、白蓮と軽く話していたうちになにがあった!? って言ってる傍からその白蓮が厳顔さんに襲われて───あ、あ……あー……オチた……。

「けほっ! ごっほげほっ! ちょっ……ふ、二人とも、はぁっ、おち、落ち着い……!」

 なんとか徳利の中身を空にした俺は、それを口から落として喋ろうとしたんだが───呼吸困難で上手く言葉に出来ない。
 両腕が封じられている中、呼吸が安定するより先に再び徳利を突っ込まれ、俺はお酒に溺れるって言葉を別の意味で受け止め続けた。


───……。


 …………そして朝が来る。
 どれだけ苦しくても、朝は来るのだ。
 見てくれ、この景色を。まるで地獄のようだ。
 ボードゲームのようなものをしていた詠と月と七乃は巻き込まれて気絶、蒲公英も魏延さんも床に伏せたまま動かず、他のみんなにもほぼ一様に同じことが言えた。
 幸運だった者が居るとするなら、早寝をした数人の女性たち。
 寝ていたお陰で厳顔さんと黄忠さんに襲われることなく、心地良さそうに眠っていた。
 俺はといえば……

「ヴ《ごぽり》」

 散々と飲まされた酒のお陰で、すっかり二日酔いだった。
 それも相当にひどい。気持ち悪くて仕方ない。
 けれどとりあえずは窒息死しなかった人体に感謝を。
 
「……朝起きたら、大体水を求めてる気がする……」

 でもひとまずは潤いが欲しい。
 そんなこんなで、恋や桃香に解放されていた服の皺を軽く整え、痛む頭と揺れる体に耐えながらも厨房目指して歩いた。
 よく“こんな日がいつまでも続けばいいな”って言葉を見たり聞いたりするけど、少なくとも今の俺は、こんな日は続いてほしくないと心から思えた。
 身がいくつあっても足りない……どうせやるなら酒抜きでお願いします。

 ……ちなみに。
 厳顔さんと黄忠さんは、その日も元気に自分の仕事をこなしていた。
 他の将のほぼがぐったりしているっていうのに、元気に激を飛ばすほどだった。
 それがまた頭に響いて、二人が酒を飲むときは極力近づかないようにしようと心に決めた、俺達なのでした。

  あ……真名のこと訊いてみるの忘れてた……。
  でもだめ、今日は無理……倒れたらそのまま動きたくないくらい辛い……。




ではネタ曝しです。  *意外ッ! それは射撃命令ッ!  ジョジョの奇妙な冒険第二部、黒騎士ブラフォードより。  意外! それは髪の毛ッ!  ダンス・マカブ・ヘアーって普通に凄いですよね。  *ドラえ───  ドラえもんです。  恋姫に集中、とか言いながら一ヶ月に二話かあげられてないヘッポコっぷりにがっくりです。  話は変わりますが動物はいいですね、犬も好きですけど猫も好きです。  正座している足の上にスフィンクス座りする猫が大好きです。  もう……家には居ないんですがね。  ところでもう結構前になるのですが、家に居着いていた猫が居ました。  メス猫で、いつの間にか子供を産んでました。  その仔猫に、自分の子だというのに左右数発ずつの猫ビンタをしたのち、フカーと怒った時がありました。  ベンペペンペェン!ふかーっ!って感じに。リズムが良くて笑ったのを覚えております。  はい、ここで話す意味はないですよね。ただ美以を見てるとどうも猫を思い出すので。  では、また次回に。 Next Top Back