幕間/泣かされた子の心

-_-/華琳

 ───……。

「…………はぁ」

 私室の一角で小さく溜め息が漏れた。
 他の誰でもない、椅子に座りながら、呆れ顔をしているであろう私の溜め息だ。
 何故そんなものを出してしまったのかといえば、原因の一つは……今や魏でも他国でも種馬扱いされているあの男だ。
 ……一つ、どころかほぼがあの男が原因なのだけれど。

「大陸の父、ねぇ……」

 それだけの器量があるのならば、勝手にしなさいと言いたいところだが……雪蓮といい桃香といい、受け入れやすすぎだと思う。
 桃香はまだしも、雪蓮があそこまで一刀に入れ込むのは少々……いや、普通に意外だ。
 遊びに来るたびに将を口説く姿勢は、一刀のことで相談に来て以来まるで変わっていない。もちろんずっとここに滞在するわけにもいかないから、呉国に戻っているにはいるのだけれど……頻繁に来すぎじゃないかしら。
 干渉しないと言った手前、踏み込んだことは訊けない……むしろ訊く気もないが、それにしたって本当に懲りない。
 そこにきてこの手紙だ……溜め息くらい吐きたくもなる。 

「視野を広げたい、出来ることを探したい……その気持ちは解らないでもないわ。けどね、一刀。それはちょっとやってみて、出来ないようならやめるなんて簡単に言えるものじゃない。それを知った上で言っているの?」

 ペラペラとした手紙を、頬杖をついた左手とは逆、右手の人差し指と中指で挟みながら口を開く。当然返事などあるはずもない。
 ……はぁ、と。手紙をゆらゆらと揺らしながら、二度目の溜め息。
 手紙には、“自分はこうしたいんだけど、華琳はどう思う?”といったことが書かれていた。こんなことをわざわざ私に訊くなんて……いつか叱った、計画実行のための根回しのことを気にしているのだろうか。
 そうなのだとしたら、少しばかり訊きすぎだ。
 頼ってくれるのが……まあその、嫌なわけじゃないけれど。
 こんなことを事ある毎に訊かれたら、せっかく思いも溢れてこなくなったというのにまたもやもやとしてくる。

「はぁ……行動の全ての決定権を私に委ねるようでは、先が不安に……」
「でも委ねられなきゃ委ねられないで、怒るんでしょ?」
「っ!? なっ───」

 一人きりの私室───だった筈が、いつの間にかその場に居る雪蓮。
 無様なことに、盛大に驚いた私は何よりも冷静になるべきを手放し、ただただ慌ててしまった。慌ててしまったが、すぐにそんな自分を戒めると咳払いを一つ───って。

「……なにがおかしいのかしら?」
「だって華琳ってば、慌てた時の反応が蓮華に似てるから」
「………」

 けたけたと笑う雪蓮に呆れの視線を送ってやる。
 構わず笑う雪蓮は好きに笑わせてやるとして、問題は私だ。
 いくら私室だからといっても、手紙一枚に意識を持っていかれすぎだ。
 人が部屋に入ってくる音にも気づけないなんて、自分に対して自分こそが呆れる。
 つくづくあの男は私というものを狂わせる……おかげで恥を掻いてしまった。

「それで? 将は口説けたのかしら?」
「ああ、全然だめ。こうまで頑固だと笑うしかないかなーって思うわね」
「そう。それは残念だったわね」
「……可笑しそうな顔で言われても嬉しくないわよ。締まりのない顔しちゃって」
「あら。私室でくらい好きな表情をしても、誰にも迷惑はかからないでしょう? むしろ、何処でだって締まりの無い顔をする貴女には言われたくないわね」

 意外なことがあるとすれば、それは魏将にも言えたこと。
 一刀を三国共通の財産とする、なんて話を持ち出し、やる気を見せていた雪蓮だけれど、魏将の説得には一度たりとも成功していない。
 そう。
 春蘭や秋蘭は元より“私が頷くのなら”といった姿勢であり、他の将は口々に拒否。
 意外なことに、あの桂花ですらそれを拒んだのだ。
 ……もっとも、桂花の場合は“共通の財産ではなく、もらってくれなければ意味がない”といった風情だったけれど。
 まあ、あの娘らしいといえばらしいわね。

「それで? そんなことを報告しに来たの?」
「違うわよ。なんかここに来るといいことが起こりそうな予感がしたから来たの」
「………」

 つくづく思う。
 この女の勘は、“勘”って範疇を越えていないかと。
 隠すものでもなし、溜め息を吐きながら、指で挟んだ手紙を「どうぞ」と促す。
 雪蓮は子供のようなわくわくした顔で手紙を受け取ると、それに目を通し……表情を輝かせると、即座に部屋を飛び出ようと───したところに声をかける。

「? なに?」

 振り向いた雪蓮は笑顔のままに訊ねてくる。
 我は武器を得たり、といった顔だ……締まりの無い顔なのはどっちなのか、訊いてあげたいくらいだ。

「それを持って将の説得に回るつもりなら、勘違いをしないように言っておくわ。書いてあるのは“財産”ではなく“支柱”であることよ」
「ああこれ? 大丈夫よ大丈夫、むしろ大陸の父になるくらいのほうが、支柱には相応しいじゃない。魏の誰かを悲しませてまで受け容れることじゃないって、一刀が言ったんだもん。その一刀自身が支柱になりたいって決心したなら、応援しないとね〜♪」
「………」

 頭が痛い。
 あのばかは本当に、なんだってこんな時に手紙なんてよこすのよ……。

「……はぁ」

 考えるだけ無駄だ。
 そもそも私は賛成だった筈だ。私が認めた存在が、くだらない男に抱かれて子を成すくらいならばと。
 だというのに……このすっきりとしない感情が、どうしても溜め息を吐かせる。
 何が気に入らないのか、何がすっきりしないのか。
 ……疑いや恨みがあるわけでもないから、釈然って言葉は適当じゃない。
 ただ……いいえ? 恨みならあるわね。人をこんなにもやもやさせるあの男には。

「ところで華琳」
「? なによ」

 変わらず溜め息を吐く自分に少々の嫌気を抱きながら、心底楽しそうな雪蓮を見やる。
 と、彼女は手紙を見直しながら、私も思っていたことを軽く口にした。

「こんな手紙が来るってことはさ。一刀、考えを改めたってことよね?」
「………」

 改めた? それはどうだろう。
 確かにこうして、手紙には“支柱になりたい”といったことが書かれている。
 それは“魏が、私が”と言っていた頃の一刀と照らし合わせれば、改めた考えと受け取れるだろう。
 けれど、大陸の父になりたいとは一言も書いていない。
 支柱になろうと、私や雪蓮が思うように、認めた相手を抱くことがないのだとするなら……それは改めたとはいえないのではないだろうか。
 乞われれば断りきれない性格も、真摯な思いには弱いところも、きっと変わっていない。変わっていないが、まあその、もしも、もしもの話だけれど、愛する対象があくまで魏のみだとするのなら、結局のところ私達の思惑通りに事は運ばない。

「……? 華琳?」
「その手紙がここに届くまでの間、一刀の中でどれだけ考えが変わったか、ね」
「?」

 誰にともなく呟いた私に、彼女はきょとんとした表情を向ける。
 そんな彼女に「なんでもないわ」と言いつつ、助言にもならないだろう言葉を届けた。

「雪蓮、恐らくだけど一刀はなにも改めてはいないわ。ただ、視野が広がっただけ。いいえ? 広げようとしているところなんでしょうね」
「視野を? …………あー」

 手紙をちらりと見て、少しだけ呆れた顔をする。
 構わずに続ける私に溜め息を吐く雪蓮は、部屋から出ようとしていた体をもう一度こちらへ向けると、人の寝台に腰掛け、ぐぅっと伸びをした。

「この手紙を出してから今まで、どれだけの経験を積んだかで、今持っている考え方も違うんでしょうけどね」
「ああ、そういうこと。視野を広げすぎて、目が回ってないといいけど」
「すぐに思い知るわ。一人で視野を広げようとしたところで、そんな気になっただけで躓くだけだもの。そうなると、支柱になりたいという考えには頷ける部分は多少はあるわ。統率者には向いてないって断言できるもの」
「まあそうね。命令するっていうよりは、“頼む、お願いする”って感じだもの。それなら提案通り、大陸の支柱、父、財産になったほうがまだ同盟に貢献できるし」

 まるで物扱いだが、一刀もそれを承知でこんな手紙を出したのだろう。
 自分でも出来ることを探す……やり始めたことは責任を持って最後までやり通す。
 それは、彼がまだ曹の旗に降りたばかりの頃に、私が教えたことだから。
 ……本当に、どんな仕事をすればいいのかも解らずにおろおろしていた男が、随分と大きくなったものだ。この大陸の蒼の下でも……私の中でも。

(利用価値があるうちは、ね)

 自分でどんどんと利用価値を作ってしまう相手を、どう捨てろというのか。“いつか自分よりも国のために役立つだろうから斬り捨てる”なんてことは、乱世のうちならばどこぞの心の狭い王が考えたでしょうね。
 なるほど、あの言葉は乱世においては随分と都合のいい言葉だった。利用価値を自分で増やせば、少なくとも死ぬことはないのだから。
 ……もっとも、本人にやる気があればの話だったんでしょうけど。
 利用価値云々を唱えておきながら、仕事はさぼるわ将には手を出すわ。
 もし私がそれを許容しなかったらどうするつもりだったのかしら。

(………)

 魏を追い出される一刀を想像してみて、なんだかんだと運が重なり、桃香あたりに拾われている彼の姿が簡単に浮かんできた。
 行き倒れてそのまま死ぬ姿がちっとも浮かんでこないのは、どういうことだろうか。
 もう一度溜め息を吐いてから、にこにこと笑みながら私を見る彼女の目へと視線を戻す。

「それで? その手紙を持って、一人一人説得に回る?」
「華琳が皆を呼んで、報せてくれてもいいんだけどね。普通に考えれば手紙一枚のために招集するのは、皆がやっている仕事に対して失礼でしょ」
「そう? ここが自国で、貴女が王なら平気で招集させそうだけど」
「………《にこー》」
「……否定くらいしなさいよ」

 解ってるじゃない、って笑顔だけで返された。
 そんな理解が欲しくて国を任せたんじゃないのだけど。
 まあ、いい。

「まあ、華琳もまだ仕事あるみたいだし。私が説得と合わせて報せてくるから」
「恐れ多いことね、まったく」

 言いながら、腰を下ろしていた椅子から立ち上がると、焦るわけでもなくゆっくりと歩き───

「いーじゃない、反応が面白そうだし《ひょいっ》あっ」

 彼女の指と指の間でひらひらと揺らされていた手紙をひょいと抜き取り、きちんと折り畳んで……やはり溜め息。
 ……まったく、王であることを自覚しながら、よく言う。
 小間使いでもあるまいし、そんなことを王に任せたら私の人格が疑われるわよ。
 そう考えると、先ほど見送ろうとしていた自分は何をそんなに動揺していたのか。
 ……やはり溜め息が出た。どうかしている。

「恋しい?」
「《ビクゥッ!》ばっ……!? なっ……ん、んんっ! ……なにがかしら?」

 動揺の理由は簡単だった。
 “恋しい?”と問われ、真っ先に浮かぶ顔に腹が立つ。
 けれどここで浮かんだ存在の名前を口にすれば、このにこーと笑う女の思う壺だ。
 たとえ……そう、たとえ、動揺した時点で全てが思う壺であったとしてもだ。
 重ねて見透かされるよりは、まだしらを切るほうが心地良いわよ。

「………」
「?」

 つくづく上手くいかない。
 弱さを見せたくなどないのに、自分が不安定になるのを抑えきれない。
 自分が弱さを見せた瞬間など、生涯を通してあの月夜の下だけで十分だ。
 だから自分の物語をと立ち上がったのに、一年経って急に戻ってきて、なのに勝手な約束をして他国を回り始めて、まったくあの男は……!

「……ふーん」
「《はっ!?》…………な、なによ」

 いつの間にか、折り畳んだ手紙を見下ろして固まっていた自分に気づく。
 そんな私を見て雪蓮が何を思ったのかなど、正直想像したくもない。

「ねぇ。もしもの話なんて今さらだけど……もし戦いの中で、一刀を人質にとったら……私達が勝ってたと思う?」
「それはないわね」
「ん、そうよね」

 確かに、今更だ。
 訊ねてきた雪蓮自体が“そうでなくちゃ”とばかりに笑っている。
 人一人の命で躊躇出来るほど、手に入れた今の世は安くない。
 たとえそれが、私達にとってどれだけ大事な人だとしても。
 私達にとってはただの兵の一人だとしても、“待っている者にとっては大事な一人”が何人も死んできた。そんな願いの先にある天下を、人質のために掴まないのは嘘になる。
 だから、訊かれた瞬間に返した。

(………)

 けれど、思う。本当にそうなった時、自分がどんな反応をするのか。
 本当に見殺しにする? それとも、他人に殺されるくらいならばと己で弓を引くのか。
 突撃を仕掛けた時点で、人質は意味を為さないのだから殺されるだろう。
 私はそれを……───王だからと涙も流さず見送るのかしら。
 それとも、いつかのように一人になった時にこそ涙するのかしら。

「………」
「で? いつまで手紙と睨めっこしてる気?」
「《ビクゥッ!》あ、なっ……───……はぁ……」

 だめだ。
 自分が保てない自分にこそ溜め息が出る。
 少し落ち着きなさい……と、こうして自分を戒めようとするのも何度目だったかしら。
 数えるのも馬鹿らしいわ。それこそ、さっさと帰ってきなさいと思った回数ほどに。

「招集をかけるまでもないわ。報告の時を待って、それぞれの経過を聞いたあとにでも私が報せるわよ」
「“一刀を大陸の父にする”って?」
「“一刀が支柱になりたいと言っている”……そう言うだけよ。なれるかどうかは一刀自身の問題だもの」
「………」
「……だから。なによ」

 寝台に座る彼女の横に立ったままの私を、どこか楽しそうに見上げる雪蓮。
 そして一言。

「華琳がそんな調子だから、一刀もああいう性格になっちゃったのかもねー」
「………」

 少し意味が解らない。
 なんとなく自分でも引っかかることがあるような気がするものの、それは自分自身で答えとして出したくないような、そんな心境だ。

「まあ、華琳がそれでいいっていうなら私もそうするけど。その方が面白そうだし」

 心底愉快そうに言いながら、寝台に寝転がり、足をパタパタと揺らす。
 私はそんな姿を一瞥だけすると扉へと歩き、部屋を出た。
 仕事は残っているが、篭りっぱなしではどうにかなってしまいそうだ。

「………」

 部屋から出て、通路を抜け、蒼の下に立つ。
 そうしてから深く吸い込んだ空気でも、もやもやした気分は払ってはくれなかった。
 いつ以来かしら、こんな嫌な気分。
 一刀が春蘭の部屋を覗いたっていう、あの騒ぎ以来? それとも一刀の膝に季衣が座った時? 人には一切の誘いもなく、霞や警備隊の三人娘と夕飯を食べたことを知った時? それとも…………

「………」

 やめなさい、馬鹿馬鹿しい。
 さっきから一刀のことばかりじゃない。
 一刀……一刀の………

「…………重症ね」

 振り返ってみて、こんな気分になったのが全て一刀絡みであることに気づいた。
 なら……そうなのだとしたら、私は…………嫌なのだろうか。一刀が、他の女の……いいえ、私以外のものになることが。
 一刀が魏将を受け容れる程度ならば、むしろ自分のものであることを深く認識出来る。
 魏と深く結びつくといった意味を感じられるから、それは当然だ。
 けど、それが三国にまで広がるのだとするのなら───

「……冗談でしょう?」

 そんなにまで心は狭くない筈だ。
 なによ、たかだか男の一人じゃない。一刀は私のもので、だからこそ手元に戻ってきたんでしょう? それが今更……再び天に戻るわけでもないのに、なにをそんな……。
 そう、一刀は一刀として、私のものであればそれでいい。 何処で誰に手を出そうと、最終的には私の傍に居ればそれでいいのだ。
 手に入れたいものはなんでも手に入れてきた。
 一刀だって変わらない。
 物扱いがどうとか、そりゃあ思ったわよ。思ったけど…………けど……───……なんだ。思いが溢れてこなくなったなんて虚言もいいところ。

「……呆れた。本当に、呆れたわ……」

 ある月夜を思い出す。
 あの日、自分は初めて“泣かされた”。
 “悲しい”を味わわされて、何も出来ない自分が悔しくて泣かされた。
 女であることを思い知らされて、手が届かないものはどうしてもあるのだと、もう一度思い知らされて。
 いつか、馬騰を引き入れたいと願い、叶わなかった時でもあそこまで悔しくはなかった。
 当然涙なんて流さなかった。流すはずもない。
 ……それなのに、泣かされたのだ。子供のように。
 その瞬間、自分の中ではきっと、一刀は特別になりすぎていたのだろう。
 初めてこの私を泣かせた相手としても、初めて傍に置いておきたいと思った男としても、初めて傍に居たいと思った存在としても。

「本当に……なんて無様」

 一刀が、私に見せない表情を別の誰かに見せるのが気に入らない。
 一刀が、誰よりも私の近くに居ないことが気に入らない。
 一刀が、この私よりも別の誰かを優先させることが……気に入らない。
 そりゃあ許可したわよ。でもさっさと帰ってこいとも言ったわよね? それが守られていないのは何故? 私との約束よりも他国のことがそんなに大事?
 それとも“大陸の平和を乱さない限り、あなた達の国の在り方には干渉しない”と宣言したから、何も口出さないと思って他の女とよろしくしているっていうの? 気に入らない気に入らない、あれは私のものだ。私のもとに帰ってきた、私だけの───

「………」 

 静かに頭を振るった。
 もやもやは消えてはくれないけれど、それならそれでいいと受け容れた。
 “私だけのもの”と思っているのなら、今やこれからがどうあれ、自分のもとに戻ると信じればいい。
 そう、前から思っている通りだ。一刀が一刀として、私のものであるのならそれでいい。何も変わらない。
 気に入らないならぶつければいい。なにもかもをぶつけて、困らせてやればいい。
 子供みたいだと思われてもいい。だって、子供のように泣かせたのはあの男なのだ。
 “自分の物語を生きよう”と立ち上がるまでの一年は長かった。長くて、辛かった。
 そんな不安定さを私に晒させたあの男を、困らせてやればいい。
 だから………………だから……。

「さっさと……帰ってきなさいよ……ばか……」

 自分の物語を生きる覚悟も中途半端に潰されて、結局私は一刀に寄りかかってしまった。
 ……立ち上がるのに一年必要だったというのに、また一人で立ち上がるのなら、どれくらい必要だろう。
 それとも、自分の物語を歩く必要は、もうないのか。

「…………ああ、もう……」

 結局また一刀一刀だ。
 ……戻ろう。気分転換にもならない散歩なんて無駄だ。
 仕事をして、頭の中から一刀を追い出そう。
 このままでは本当に駄目になる。

(いつから……)

 いつから自分はこんなにも弱くなったのか。
 そんなもの、泣かされた夜からに決まっている。
 そんなことを自覚できる今だからこそ思う。
 雪蓮が訊いたように、一刀を人質に取られたなら……そう、今もし取られたのなら、私はどうするのだろうと。
 降伏する? ……いいえ、それは絶対にない。
 どれだけ大切な存在が捕まろうとも、答えは先ほどとなにも変わらない。もはやこの天下は私だけのものではないのだから。
 だから……許さない。
 人質を取った相手も、攻撃を仕掛けることで人質を始末する相手も、なにもかも。

「………」

 そしてまた一刀一刀だ。もう、本当に駄目にもなり嫌にもなる。
 溜め息を幾度も吐きながら、何も考えないようにして自室へと戻った。
 ……人の気も知らないで、人の寝台で暢気に寝ている呉王へ八つ当たりを仕掛けたのは、その直後だった。




71/ああメンマの園よ(再)

-_-/一刀

 わやわやわやわや……

「それじゃあおっちゃーん、お大事にー!」
「おーう、すまねぇなぁにーちゃん!」

 寝転がりながら手を振るおっちゃんに手を振り返し、家を出る。
 外に出ると眩しい太陽が迎えてくれて、その眩しさに少し目を細めた。

「……うん」

 通りの賑やかさは変わらない。
 賑わい、笑顔が溢れるいつもの成都だ。
 その、耳だけ傾ければわやわやと聞こえる音に心地よさを感じながら、人の流れに紛れて歩く。
 そうして歩いた先で、駆けずり回るようなことはせず、ゆっくりと一つ一つ、頼まれごとをこなす。
 桃香に許可を得て始めたボランティアめいた仕事は、これで結構やりがいがあるもので、まあその……呉で雪蓮に引っ張りまわされた時のことを思えば、まだ無茶がない。
 あれはあれで楽しかったけど、本当に引っ張りまわすんだもんな。主に物理的に。

「思春、次はこの通りの先の老夫婦の家みたいだ」
「ああ」

 傍らを歩く思春は、竹簡をカラコロと開いたりメモに描いた地図と照らし合わせたりをする俺を見て、何処か呆れ顔だ。……あまり表情変わらないけど。
 けど、文句も言わずについてきてくれる。
 さすがに一日で、しかも一人で全部を回るのは辛いってこともあり、今日は手伝ってくれる……とのことなのだが。

「ここに華佗が居れば、さっきのおっちゃんの腰痛も簡単に治せたんだろうけどなぁ」

 万能医術ってすごいけど、どうかしてるよなー、と続ける。
 そんな言葉に思春は反応を見せ、横を歩く俺をちらりと一瞥すると、

「治せぬものがないと豪語しているとはいえ、それに頼りすぎては万能医術以外が廃れる。死んでしまうよりは救われるべきだとは思うが、救われてばかりでは進歩がないだろう」
「……ご、ごもっとも」

 まったくだと納得できることを返して、変わらずに歩く。
 ……今更だけど、随分と落ち着いたよなと思う。
 最初の……呉についたばかりの頃なんて、なにかというと殺気を向けられたり、気配を殺して監視されたりなんてことばかりだったけど、最近は……うん、殺気をあまり感じなくなった。……うん、“あまり”。
 これって、少しは気を許してくれてるって考えて……いいのだろうか。
 友達相手に気を許すとか、順序がいろいろおかしいとは思うわけだけど。
 と、そんなことを思って苦笑していると、

「何を、締まりのない顔をしているのだ……お前は」

 いつの間にか思春の視線がギロリと俺へ固定されていた。
 そしてこの言葉である。
 ……うん。殺気が無くたって、怖いものってのはあるよな。
 思わずヒィって言いそうになったよ俺。

「え、あ、いや……ちょっと考え事を、その。最近、あまり思春に殺気を向けられなくなったなーって、あはは───ハァーーーッ!!?」

 本人を前に何言っちゃってんだ俺!
 ていうか思春さん!? お望みとあらばって言うかのように殺気放つのやめよう!?
 ほ、ほら、ここ、街のど真ん中だし!
 こんなところで殺気放ったりしたら───あ、あれ? 誰もがにこやかに通り過ぎてる?
 ……俺限定の殺気!? どれだけ意識を絞り込めばそんなことが!?
 って、なんか前にもこんなやり取りをしたような……。
 それって、関係的にはあまり変わってないってことか?

「…………」

 うん、なんかあまり変わった気がしない。
 ただ、殺気が向けられる頻度が少なくなったのは確かだ。
 それは喜んでいいことだと思う。むしろ思いたい。

「え、えぇと。はは……じゃあ、家にもついたことだし……」
「………」

 老夫婦の家の前に辿り着くと、さすがに殺気は引いてくれた。
 そんなことに安堵しながら、声をかけてから中に入ると、老夫婦の困りごとをしっかりと聞いて───…………


…………。


 あちらこちらへと歩いてはボランティアを続け、そんな調子のままに気づけば昼。
 街中に鼻腔をくすぐる良い香りが流れ始め、腹がギューと鳴り、脳が「食事をせよ」と訴えかけてくる。こうなると仕事どころじゃなくなる……ってこともないんだが、集中は出来ないよな。

「思春、そろそろ昼メシにしようか」
「ああ」

 返される言葉は少ないけど、それでも文句は飛ばさずついてきてくれる。
 や、何処で食べるかも決めてはいないんだけど…………どうしよう。久しぶりにメンマ園にでも行ってみようか? さすがにもう、顔や特徴なんて忘れてると思うし。

「よし」

 魏に帰ってしまう前に、店の親父さんが作ったメンマ丼を食べてみたい。
 そうと決まれば後は早いもので、思春を促すとメンマ園がある通りまでを歩いた。
 歩いて歩いて…………で、肝心のメンマ園の前……じゃないな、近くで指を銜える恋と……ここだけはやめませぬかとばかりに恋を引っ張る陳宮を発見。
 ……アレ? いくら忘れてたって、この三人……俺と思春と陳宮の三人があそこに行くのって、とっても危険なんじゃないか?

「ア、アー、アノ……思春サン? コココ混ンデルミタイダシ、他ノ場所ヘ……」
「呆れるくらいに空いているが?」
「…………うん……そうだよね……」

 たまたま人が来ない時間帯なのか、メンマ園は空いていた。
 それともなにか事情があって? いやいや、以前通った時も随分と繁盛していたようだし、やっぱり人気店でもそういう時はあるってことだろう。
 ……大丈夫、だよな? 
 べつに悪いことしに行くんじゃないんだし、フランチェスカの制服着てるんだし、陳宮だって髪も服装もあの時とは違うし。
 大丈夫大丈夫、以前と同じところなんて早々…………

「………」
「? なんだ」

 思春を見て固まった。
 以前と同じところ……思春がまさにそのものだった。
 でも、だからって別のところで食うのもなぁ。もう、胃が、味覚が、ここで食べようって準備を完了させてしまった。
 そ、そうそう、大丈夫大丈夫、べつにこれで趙雲さんにバレるわけでもないし───

「おや珍しい。ここで会うなど、やはりメンマを愛する者同士は引かれ合うということかな」

 ───……神様。今ここにチェーンソーがあったなら、迷わずあなたを刻みたい。
 聞こえた声に肩を跳ねらせ、天を仰いだのちに後方へと振り向くと……そこにはやはりというか、趙雲さん。我、友の素顔を見たりといった輝かしい笑顔で迎えられた。

「いや。いつかはここで会うであろうと気を張り巡らせて幾数日。友であり同士でもある北郷殿が、忙しい仕事の合間を縫ってようやく訪れたこの瞬間に居合わせたこと、嬉しく思う」

 なにやら物凄くツッコミどころ満載のことを言われた。
 え? あの、それって……?

「趙雲さん? それってつまり、ほぼ毎日ここで張ってたってこと……?」
「む……それは当然というもの。いつメンマ神が再びここに訪れるのやも知れぬのに、待たないはずがなかろうに」
「メンマ神!?」

 なんかキリッとした顔でメンマ神とか仰ってますが!?
 どれだけ美化されてるんだよ趙雲さんの中の俺!
 い、いや落ち着け、まだ大丈夫……ここを抜ければずぅっと美しい思い出として趙雲さんの中で生き続けるんだ……!
 メンマの知識や愛で言えば、趙雲さんに敵うやつなんてきっと居ない。
 なのに俺が神だなんて、きっと趙雲さんだってショックを受ける。
 このままがいいんだ、このままが。
 ……なんて思ってると、大体バレるのが世の常なんだよな…………よし、自然だ、自然体でいくんだ。バレるに違いないって構えるからいけないんだ。

「そ、そっか。既に趙雲さんの中では神扱いなんだ、その人」
「自らが思いもしなかった方法でのメンマの可能性の開拓。それを成した者には、たとえ相手が誰であろうと敬意を払って当然。そういったものが認められるからこそ、小さな邑などからでも立派な将が登用されることもある。技や業、知識や徳、己の中には存在しないものを持つ者が集うからこそ、国があり助け合い、信頼が築かれる。北郷殿ならばそれくらい理解もしていように」
「……ん。そうだな」

 きょとんとした顔からキリッとした顔へ、そして最後にニヤリと笑う趙雲さんに笑顔で返す。……でも正直に言えば、メンマ神はいきすぎだと思うんだ、俺……。
 それだけメンマのことが大事ってことだもんなぁ……───メンマから国の話に繋がるとは思いもしなかったけど。
 ともあれ、少し話をしたら心も落ち着いてくれた。
 ふぅ、と小さく息を吐くと調子も戻ってきて、「さて」と促されるままにメンマ園へ。
 そうだよな、なんだかんだ言っても昼を食べに来たんだから、心配とかそういうことをしても始まらない。昼を食べに来たのなら、始まるのは食事をし始めた時だ。
 ……なにが始まるのかは知らないが……って、メンマの園での宴が始まるのか。

「おお、これは趙雲さま。ようこそいらっしゃいました」
「壮健でなによりだ、店主」

 ごちゃごちゃ考えているうちに店の前。
 なんだかんだと悶着をしていた陳宮も結局は根負けしたのか、恋と一緒に並んで座っている。
 俺も座り、将とともに座ることを遠慮しようとした思春も無理矢理座らせて、いざ。

「今日は何になさいます?」
「ふむ……ラーメン特盛りだけでいい」
「今日はメンマ丼はよろしいので?」
「ああ。今日は友が来てくれたのでな、のんびりメンマを楽しみたい」

 さすがに手馴れたもので、大して迷いもなく注文を済ませる趙雲さん。
 俺は……ってちょっと待て? 特盛り? 今特盛りって言ったか?
 大盛りでさえあの量だったのに、さらにその上?

「………」
「? なにか顔についているかな?」
「い、いや、なんでもない」

 思わず信じられないものを見たって目で、隣の趙雲さんを見てしまった。
 ……女の子ってすごいな。甘いものは別腹っていうけど、あれって確か本当に胃袋がスペース空けるんだよな……? それと同じで、好物の前ではたとえそれがメンマであろうと、胃袋がスペースを空けるものなのだろうか。
 だって……この細身だぞ? なのに…………い、いやいやっ、考えないようにしような?
 どの道、食べることになれば驚くんだろうからさ……なっ?

「えと、じゃあ俺はさっき言ってたメンマ丼を。米の盛りは普通で、メンマ大盛りで」
「《ピュキィーン!》……ほほう、通ですな。それでいて欲張りだ」
「や、わざわざ目を輝かせないでいいから」
「いやいや謙遜することはない。メンマを楽しみたいとラーメン特盛りを頼んだすぐ後に、メンマ丼をメンマのみを大盛りで頼むことでメンマを楽しもうとするその在り方……やはり私が友と認めただけのことはある」
「………」

 どうしよう桃香さん。この人、既にお酒臭い。
 もっと早くに気づいてれば、こうして付き合うこともなかっ……たことにはならないだろうなぁ。きっとそのまま引きずられていたに違いない。
 そうして、少しモハァ〜と溜め息に似たなにかをゆっくりと吐き出しながら、みんなの注文を聞いていた。
 ここまできたらもう、なるようにしかならない……そうだよな、凪……。などと、ホロリと心の涙を流しながら、沙和や真桜に振り回されてばかりだった彼女を思い浮かべた。
 ていうかもうなんて言えばいいのか……俺がここを知ってて当然みたいになってないか?
 ラーメンがメンマであることを知っているところへのツッコミ、全然無いし。

「ふふっ……私もかつてはラーメン並盛り、メンマ大盛りをよく頼んだものだ。というよりはここ以外の店ではほぼそうしている。それを、誰に言われずともメンマ丼で注文してみせるとは。いやいや、やはりこの趙子龍の目、捨てたものではない」
「えーと……う、うん……?」

 どう返事をすればいいのか……。
 ともあれ、かつてのように出されたお通しのメンマをコリコリと味わいつつ、本命のメンマ丼が来るまでの時間を他愛ない話で潰した。
 そうして談笑していると、たんとんと出されるメンマ料理。
 焼売、餃子、メンマ炒飯にラーメン(メンマ並盛り)、そして……メンマ丼と、ラーメン特盛りが。

「───…………」
「な……わ……」
「……?《こくり……?》」

 一同、停止。
 丼に盛られたメンマ……それはジャイ○ンのどんぶりメシどころではなかった。
 これは山……そう、チョモランマ……! 特盛り……これが特盛りかッッ……!!
 あ……でも恋はそう驚いた様子もない。案外、何度か来たことがあるのかもしれない。
 普通に驚く要素を感じないだけかもしれないけど。

「ふふ……相変わらずの見事なメンマ捌きだな。メンマが崩れぬよう、一本一本が支え合っている。素晴らしい職人業だ」
「へへっ、そう言ってくれるのは趙雲さまだけでさ」

 や、それって一本抜いたら崩れるって意味じゃないか?
 ……い、いやっ、食ってる! 一本一本味わいながら、ここを抜けば平気と言わんばかりにバランスを保ちつつ! な、なんかもう何が凄いのか解らなくなってきたけどとにかく凄い!

「ほれ北郷殿も。ともにメンマを堪能しよう」
「あ、ああ……」

 見てるだけで胸焼けしそうだ。しかも隣でこの量を食われると……。
 ……目の前のメンマ丼に集中しよう、それがいい。

「いただきます。……ん《もくっ》……う、うめ───はっ!? こ、こほんっ、…………美味い……」

 まずは一口。
 通しのメンマで、もう頷けるほどの美味しさだったわけだが……やっぱりここのメンマは他のメンマとは一味違う。
 専門店を謳うだけあって、普通じゃあ出せない味だ。
 メンマの濃い味を卵が抑え、けれど邪魔することなく混ざり合い……ほのかにピリッと辛く、にんにくの風味とは別の柔らかい香りが……なるほど、以前俺が作らせてもらったものより全然美味い。
 そりゃそうか、「これだ」って自分で認められなきゃ店で出すわけもない。
 きっとあれからいろいろと研究したんだろうな……うん、美味い。
 思わずまた「ウメー」とか叫びそうなところをなんとか踏みとどめて、改めて言えるほどに美味い。

「へぇええ……美味いなぁ」
「はっはっは、そうだろう。なにせメンマ神が残した一品にして逸品の料理。きっと友であるお主なら気に入ってくれると思った」

 かなりの上機嫌でメンマを食べる趙雲さん。
 心無し、食べる速度が上がった気がする……嬉しかったからか?

「……ん」
「へいおまちっ」
「《もくもくもくもく……》……ん」
「へいおまちっ!」
「《コリコリカリュコリュ……》……ん」
「へ、へいおまちっ!!」
「《コリコリコリコリ……》……ん」
「へいおまちぃいっ!」

 で、趙雲さんを挟んだ隣の席で椀子メンマやってる恋と親父さんは……気にしないほうがいいよな、うん。陳宮ももはや何も言わず、黙々と食べてるし。
 でも実際美味いし、箸もどんどん進むから、おかわりを願う気持ちも解る。

「……ふむ……呉には無い味……新しい」

 思春もなんだかんだでハクハクと食べてるみたいだし……やっぱりここにしてよかった。
 バレる様子もないし、安心だ。
 ところで、なんとなく思春が料理評論家みたいな目になってる気がするのは……えぇと、気の所為か? 表情あまり変わらないけど、目つきがいつもより鋭い気がする。

「………」

 美味しいものを食べて、賑やかな場所で、息を吐く。
 なんていうか……平和だ。
 当たり前にあることって大事だなーって、そんなことを思った。

「親父さん、メンマおかわり」
「おっ、兄ちゃん食うねぇ! ここに来る奴はどーも一回食えばいいって奴らばっかりで、兄ちゃんみてぇに自分からおかわりを言わねぇからいけねぇや。せっかくメンマを追加してやっても、“もういい”だの“そんなにいらない”だの。こちとらメンマで食っていってんだ、メンマ園がメンマ出してな〜にが悪いってんでぃ」
「はは、美味いものでも限度越えて出されたら、次に来る時に楽しめないって。この美味さなら、おかわりしたい人は自分から言うと思うし……自分の速さで食べてもらえばいいじゃん」
「むっ……そりゃ確かにそうだが」
「ふむ。あらゆる道も、押し付けるのではなく知ってもらい、受け入れてもらうもの……なるほど、それは乱世の頃の我らによく似ている」
「や、だからさ……なんでメンマが国とか大げさなところに繋がっていくのさ」

 それだけ趙雲さんにとっては、メンマは素晴らしきものだってことなのか? ことなんだろうな、うん。考えるまでもなかった。

「趙雲さまのお連れならばと張り切ってましたが……へぇえ、落ち着いた方ですねぇ」
「私も噂で聞いていた人物との相違点ばかりが見られ、本人なのかと何度疑ったことか」
「そういうこと本人の前で、しかも本人を見ながら言うの、やめません?」
「はっはっは、そう気にすることでもなかろう。噂がどうであれ、私にとっては今見る北郷殿が全てだ。女にだらしのない魏の種馬……人に慕われはしたが、仕事もさぼり放題で買い食いを好み、しかし仲間の危機には己が身の危険も顧みずに飛び出す……だったかな?」
「……それって?」
「曹操殿と愛紗が話していたところを偶然。いつかの戦の際、危機に陥った曹操殿を不器用ながらも馬を駆って救ったそうではないか」
「………」

 なんつーことを話してるんですか華琳さん。
 もしかしてあれか? いつか愛紗を欲しがってたことがあったけど、その延長の話題作りでポロリと話してしまったとか?
 ……まさかなぁ。

「へ? あの、趙雲さま? 魏の種馬ってこたぁもしやこの方は……」
「うん? ああ、そういえば店主、お主は学校のことも詳しく知らないんだったな。……そう、この者こそが魏にその者ありと謳われた噂の人物、魏の種馬の北郷一刀殿だ」
「へぇえっ……! こ、この方がっ……!」
「…………なぁ思春。ここって怒るところなのかな、呆れるところなのかな、元気に自己紹介するところなのかな」
「とりあえず泣いておけ」
「……そうだね……」

 旅をして、絆も増えた。笑顔も増えた。それに比例して涙も増えた気がする。
 ああもう、泣きながらご飯食べると何故か美味しくないなんてことないぞ、ちゃんと美味いじゃないか。

「そんなお方に食べていただいて、しかも泣いてもらえるとは……。メンマを作っていて本当によかった……!」
「うむうむ、やはりメンマとは人を幸せにするものなのだ。メンマの道はまだまだ深い」
「おっしゃる通りでさ!」

 楽しそうに笑う二人を見ながら、美味しい美味しいメンマ丼を食べた。
 この味はもう忘れられないだろうなぁ……いろんな意味で。

(はぁ……種馬呼ばわりされる度に思い出しそうで、少し鬱だよ)

 鬱ではあるけど、笑えないわけじゃないなら泣きながらでも笑えばいいか。
 笑う門には福来る。来ないって最初から否定してたら、来たかどうかも解らないってね。
 楽観的だ〜ってよく笑われるけど、ほら。そこにはもう笑みがあるんだ。
 多分、笑顔なんてのはそんなのでいいんだ。
 涙目でそんなことを思いつつ、丼を空にして一息。

「はぁ〜……食ったぁ〜……」

 自分で思うよりも胃袋に収ったそれを腹越しに撫でた。
 そして……あの。いくらおかわりしたとはいえ、ほぼ同時に食べ終わっている隣の趙雲さんはどう説明すればいいんだろうか。

「また腕を上げたな店主。有名になった途端に慢心して腕を落とすでもない……そのメンマに対する礼を忘れぬ心、実に見事」
「おそれいりやす」
「それでこそメンマの園の店主。それでこそのメンマ好きのメンマ好きによるメンマ好きのためのメンマ園……! まさに我らの理想が形になった理想郷だ……お主もそう思うだろう、北郷殿」
「だな。これほど美味しいメンマは、他ではそうそう食べられないよ」
「うむ。やはり私の目に狂いは無かった……北郷殿、やはりお主はメンマ征服の同士として相応しい逸材! これからも友として同士として、ともにメンマ道を歩もう!」
「ちょっと待て!? 今なんて言った!? メンッ……メンマ征服!?」

 世界征服じゃなくて!? メンマ……えぇ!? メンマ征服!? なにそれ!
 いや世界征服だって大それたことだけど、それよりもメンマ征服の方が言葉的にインパクトありすぎだろ!

「メンマ征服……! それは私達が目指す一つの到達点……!」
「以前までは趙雲さまが連れてきてくださるお客人以外には、客が訪れなかったこのメンマ園……その第一歩がメンマ神さまのお陰で拓かれ、今やお客人がごった返すこのメンマ園!」
「最初こそこの味わいは己のみが知っていればいいと、半ば独り占め紛いな外道行為をしていた……だが今は違う!」
「メンマの味を少しずつ、しかし確実に広め、全ての人をメンマ好きにする! それこそがあっしらの目指す“メンマ征服”でさぁ!」
「そして今ここに、私の友にして新たなる同士誕生の瞬間! 北郷殿! 我らの力でメンマを広めるのだ! この味を知らずに、満たされた気になっている者達に……メンマの素晴らしさを伝えんために!!」
「ア、エ……エェト……?」

 どっ……どうしろ……と……!?
 無駄に熱く語ってくれてるのに、この勢いについていけない……!
 というかこれは、乗った時点でいろいろとまずい方向に流れやしないか!?
 いや、確かに俺は趙雲さんのメンマに感動して、友達に、って握手したぞ!?
 でも……あれ?

  “ともにメンマの真髄……極めようではないかっ!”

 ア───……ア、アアーーーーーーッ!!!
 真髄!? これって真髄なのか!? えぇ!? メンマ征服が真髄!?
 まさかそんなっ……いや、けどっ、でもっ……あ、あぁあああもぉおおお!!
 ち、誓い合ったことは守る! 言われた上で握手して友達になったんだ! 守らなきゃあ嘘だろ!? ああ嘘だともちくしょーーーっ!!
 大体不味いものを押し付けるわけじゃなく、知ってもらおうと努力している人たちなんだぞ!? べつに悪いことじゃないじゃないか!
 ……あれ? じゃあメンマ征服って……いいこと? ただ味を広めようってだけで……はて。なんで俺、いろいろごちゃごちゃと考えてたんだっけ。
 待て? なにかじっくり考えなきゃいけない筈なのに、こう希望に満ちた目を四つも向けられたら……《ガッシィ!!》

「行こう! 趙雲さん! 親父さん! 俺達が求めるメンマの末を求めて!」
「北郷殿!」
「種馬のにーちゃん!」
「《ぐさっ!》はぐっ! …………あの、親父さん……呼ぶ時は一刀で……」
「お、おお? んじゃあ……種馬の一刀!」
「《ぐさぐさっ!》ぐふぅっ!? やっ……た、種馬はいらないからっ……!」
「なんでぇ、一国の種馬なんて、男冥利に尽きるってもんじゃねぇかい。胸張って受け取っときゃあいいじゃねぇか」

 仰る通りかもしれないけどさ……。

「うん? けど魏の種馬ってこたぁ……え? あの……趙雲さま? ついうっかりにーちゃんとか軽々しく口にしちまってますが……」
「うむ。曹操殿を始めとする、魏将全ての伴侶……将来的には配偶者……と考えていい」
「あばよっ……我がメンマ道……っ!!」
「いきなり死を受け容れないでくれぇえええええっ!!!」
「しっ……しししししっししし失礼しやしたぁあああああっ!! まままさかそんな方だったとは露知らず!!」
「いやいやいやいやそんな大袈裟に謝られても! むしろそうして砕けてくれたほうが俺も嬉しいし! そっ……それにほらっ、同士なんだから遠慮なんてっ……なっ!? ていうかさっき魏の種馬がどうとか話してたでしょ!? 露知らずじゃないだろ絶対!!」
「はっはっはっはっは」
「趙雲さんも笑ってないで! なんか震えながら店仕舞いしようとしてるぞ!? 放浪の旅にでも出そうだよ本気で!!」
「む。それは困るな」

 ……笑いを潜め、キリッとした顔になる。
 ほんと、メンマのこととなると真面目な人だ。
 人をからかう癖は、本当に直して欲しい。
 ともあれ親父さんは趙雲さんや俺の説得で息を吐いてくれ、ようやく落ち着いてくれた。
 むしろ兵や他の民も平然と兄ちゃんとか一刀とか、気安く呼んでいることを教えると、ひどく安堵した表情を見せてくれた。
 その頃には……ええと、まあ。恋がようやく箸を置き、他のみんなも満足し、あとは席を立つのみとなったわけだが───

「んお……? そういやぁそっちの嬢ちゃん……どっかで見た気が」
「気の所為です《きっぱり》」

 親父さんが思春を見ての一言に、キリッとした顔で返した。
 ……そして、それは地雷であると断言出来る自分に、瞬時に気づいた。
 一言で言えば“俺のばか”。

「……ふむ? 何故、そこで北郷殿が返すのかな?」

 釣りたくない誤解を釣ってしまった。ゴカイってあるよね、釣りで使うエサのゴカイ。誤解を釣ってしまったってことはつまり、何も釣れなかったってことで……自分にはなーんの得にもならないって意味に繋がっていて……ああもちろん嘘だとも。

「え、や……えぇえと……」
「………《じー……》」
(陳宮……そんな、馬鹿者を見るような目で人を見ないでくれ……今自己嫌悪でどうかしちゃいそうなんだ……!)

 こんな時には案外悪知恵は働くものだが、誤解はさらなる誤解を生んでしまうもので……まあ、なんだろう。友だ同士だと言ってくれた人に嘘をつき続けるのって、心が痛い。
 むしろ話してしまったほうがいいんじゃないだろうか……“メンマ丼は、自分が教えました”って。そしたらきっと二人とも、“北郷殿……よもやメンマ神の遺した偉業を己の手柄と言い張る気かっ!”とか、“見損なったぜ兄ちゃん……! おめぇはそれでもメンマ道を歩む者か!”って、暖かい言葉で迎えられて…………───全然暖かくないや……むしろ泣ける。

「……段階、追わせてもらっていいかな。結論から言うと、絶対に白い目で見られるから」
「む。北郷殿、あまり我らを見縊らないでもらいたい。我らは同士であろう、それを白い目で見るなど───」
「いや是非とも。今の言葉でむしろ流れが読めたというか……とにかく段階追わせて」
「? なにやらよく解らんが……そこまで言うのなら」
「はあ……馬鹿なのです」
「何かと言うとすぐに首を突っ込むからそういうことになる……」

 服装そのままな思春にも問題があるって、俺が言ったら許される?
 ……うん、無理だろうね。


───……。


 そんなわけで暴露が始まったわけだが───

「ふむ? つまりその日、北郷殿は庶人服を着て警邏まがいのことをしていたと」
「まがいじゃなくて、警邏そのものだったんだけどね……ほら、庶人側から見た街がどんなものか、見ておいて損は無いし。地図で見る街と自分で見る街はやっぱりちょっと違ってたからさ、一応警備隊の仕事をしてたし、何かの役に立てればって」
「なるほど。……はて? それと興覇殿とどう繋がると?」
「えー……それは……あー……なんというかその、おー……」

 演説で詰まる人の心境ってこんな感じだと思う。
 きちんと説明しようとするのだが、どうすれば解りやすく話せ、かつ、すんなりと受け容れてもらえるのかを考えて……いや、それ以前に格好いい自分を見せたいって部分もあるんだろうけど。
 うん? じゃあ、俺の格好良さって………………なんかもう、今さらじゃないか?
 種馬呼ばわりされたりなんかしちゃって、噂が一人歩きしたりして、他国へ行っても種馬種馬って…………今さらだな、うん。もう……恐れるものはなにも…………!

「……おお、なにやら男の顔になりましたな」
「嬉しくないんだけど!?」

 いい、もういいだろ、格好よさとか。
 自然体でいこう……さっきもそれを理解したばかりなんだし……。

「……今日の北郷殿はなにやら面白いな」
「真剣な顔になったと思えば、遠くを見つめて陰りを纏ったです」
「……呉でもああして落ち込み、悩み、走り回り、落ち込みを繰り返していたが?」
「なるほど、つまりあれが北郷殿そのものか」
「………」

 立ち位置なんて、きっとそう変わらないもの……なんだろうな……うん……。

「えっと、その……話、続けていいか?」
「うむ。存分に己の恥辱を披露されませい」
「なんで俺の恥辱って決まってるの!? やっ……思春! 思春の話だったろ!? ……そこで頬を染めない!! 思春の恥辱の話でもないから!」
「おや、それは残念」

 笑顔でそんなこと言われても、全然説得力ないんだが……とにかく続きだ。
 どこまで話したっけ……そうだ、警邏の話。

「で、警邏の話の続きだけど……警邏に出る前に陳宮と会ってさ」
「ふむ?」
「庶人視点での警邏だから、一緒に来るなら庶人の服を着て髪を下ろして、って話になってさ」
「なるほどなるほど?」
「庶人姿の三人が完成したところで、警邏と……ついでに桔梗に頼まれた酒を買いに出かけたわけで」
「ほう、酒を……」
「一通り見て回りながら地図も確かめてメモしてたら……ここで親父さんに声かけられた」
「へ? あ、あっしですかい?」
「? 待て、北郷殿……三人? 三人と言うたか?」
「言うたよ」

 種明かしの楽しさは、多分相手の動揺の部分にあるんだと思う。
 そこで楽しめるなら、後でどれだけ馬鹿にされてもいいってことにしておこう。
 いや、むしろ怒られるのか? ……怒られそうな気がする。怒られる……な、うん。

「俺と陳宮と思春はそこでラーメンや焼売や餃子を頼んだ。いやぁ、あまりの美味さに素直にウメーって叫んでたよ」

 しかしそれは覚悟の上で話そう。
 知っていた、というか本人だったのに黙ってたのは俺が悪いし。
 探し人が俺だった、なんて……趙雲さんにしてみれば悪い冗談だ。

「そこで───」
「───そこまでだ、北郷殿」
「……うん」

 だから、多分解った時点で止められるんじゃないかな、とは思っていた。
 思っていたから、姿勢を正して怒られる覚悟を。

「……店主、お主が言っていた者の特徴……それは、ここに居る恋と私を抜いた三人とで相違ないか?」
「へっ……? や……そう言われても、どうにも味を覚えるのに大変で……」
「……ふむ、そうだったな。それが解らぬから北郷殿にも詳しい人物像を話せなかった。成都の人物ではない、庶人であるとしか……───ならば」
「はいよ」

 スッと差し出された酒を手に、立ち上がる。
 つまり作ってみせろというのだ、極上メンマ丼を。
 ならばと、いつかと同じセリフで親父さんから許可を得て、厨房に立つ。
 制服でやると汚れるからと制服の上を脱ぎ、いざ。
 作り方はいつかと同じだ。
 ただ、酒が桔梗のではなく趙雲さんのものになっただけ。
 そうして手早く出来たものを、丼に盛ったご飯の上に乗せれば───

「名付けて、極上メンマ丼っ! おいっしーよっ♪」

 いつかと同じ状況の出来上がりだ。
 ただし今回は親父さんと趙雲さんの分だけだ……さすがに材料が無いから。

「おお……これはなんと見事な……!」
「この香り……この盛り……こ、これはあの時のっ!《はもっ! んぐんぐんぐ……》───!! こ、これだっ! この味っ! あの時のっ……! ちょちょちょ趙雲さまっ!」
「う、うむっ……《はくっ……もくもく……》───……こ、これが……! この味が……!」

 二人がメンマ丼を口にして、体を震わせる。
 俺はといえば身なりを正すためにも制服を着直し、足を肩幅に開いて手は腰の後ろで組み、飛ばされるであろう言葉を待った。
 ……待ったのだが。

「はぐはぐはぐはぐはぐはぐっ!!」
「むぐっ! んむんむはぐっ! んがっ! かぐっ!」

 二人とも物凄い勢いで掻き込み咀嚼し嚥下するばかりで、こちらのことなど眼中にも……あ、あれぇ……?
 やがて二人がどどんっ!と丼を置き、キッと俺のことを睨むと……いよいよかと息を飲んだ俺へと、

『貴方が神か……!!』
「───……………………へ?」

 予想外な言葉を投げて、真剣な目から輝く瞳へと変わったその目で、俺を見つめていた。
 ちょっ……え? あ、あれぇ!? え!? 怒声は!? 罵倒は!?
 かっ……覚悟は何処へ行けば!? 神って……えぇええっ!?

「まさかとは思っていたが北郷殿……貴方がメンマ神だったとは……! この趙子龍、見事に見誤っておりました……!」
「あっしもでさ……! 偉大なるメンマ神によもや得意顔でメンマ丼を振る舞っていたなど……穴があったら入りてぇ思いです……!」
「や、やー……あの、二人ともー……? もっとさ、ほら、思うところとかいろいろ……」

 何故黙ってたんだーとか、私が探している中でお主はのほほんとーとか、ほら……。

「自分がメンマ神でありながら、けっして自己主張することなく名乗り出ぬその在り方……実に見事!! 同士に願われた時にのみ腕を振るい、悟られてしまうと解っていてなお味わわせてくれるとは……!」
「や、だから……ね?」
「さすがはメンマ神さまだ……こんな美味いもんを授けてくだすっただけではなく、あっしに改良の余地を与えてくれるなんざ……並のメンマ好きには出来ねぇことだ……!」
「いやっ! だからっ! ちょっと待ってくれいろいろと誤解がっ!」
「何を仰るっ、誤解などと! 貴公がメンマ丼を振る舞ってくださり、我らが心打たれた! いったい何処に誤解があると言いなさるか!」
「エ……あ、エ……?」

 アノ……俺がご馳走して……二人が喜んでくれて………………アレ?
 ご、誤解……? 誤解ってどこ? 誤解って誰?

「いやいや誤解あるだろ! あるよ誤解! そもそも俺、神とか呼ばれるほどのことはなにもしてないし、敬語使われるほどのことだって───!」
「それは否だ北郷殿! ……先ほども申したでしょう。己に出来ぬことを成したものには、たとえ相手が民であろうが兵であろうが敬意を払って当然だと。貴公は我らのメンマ道を確かに拓いてくれたのだ……敬うことの何が悪かっ!!」《どーーーん!!》
「確かに言われたけどメンマだぞ!? さっきからメンマが国のことに繋がってたりしたけど、俺が作らなくても誰かが作ってたって! メンマ丼だって普通にあるんだから!」
「それを誰より先に拓いてみせたのだから、こうして敬意を払い───」
「その払い方がいろいろ間違ってるって言ってるんだってーーーっ!!」
「ええい強情なっ! 何故素直に感謝させてくださらぬかっ!」
「俺が作りたくて作ったもので、ただ美味しいって言ってくれればそれは嬉しいけどっ! これはなんか違うだろっ!」
「そんなことはござらん! 各国を回る旅をした私だからこそ言おう! このメンマ丼はその名に恥じぬ極上メンマ丼! 確かに店主がさらなる味に昇華させて見せはしたが、それは元があってのもの! その偉業を貴公は投げ捨てると言いなさるか!」
「だ、だからっ! 偉業とかをしたくて作ったんじゃないんだ! 味を変えたかっただけ! それだけなんだって!」
「メンマの味を変える……!?」

 ぎしり、と空気が凍った気がした。
 あ、と口が勝手に放った時には───

「なるほど……! その発想が極上を生んだのですな……!?」

 あれぇ!? 更なる誤解を生んだ!?

「不覚っ……メンマとはそれ単品、その味こそが至高と思うあまり、メンマの可能性を自らの意思で潰していたとは……!」
「目が……目が醒めた気分でさ……! 趙雲さま……メンマには、メンマにはまだまだ広がる世界があったんで……!?」
「ああ……ああ、そうだとも店主! 北郷殿が……メンマ神がそれを我らに教えてくださったのだ! ふっ……まだまだ我らも甘い……甘すぎた……!」
「………」

 ……もう、何も語るまいと思った。
 語ったら、余計に持ち上げられそうで……だから、きっと放っておけば熱も冷めると思ったんだ。こんなの一時の迷いだって。
 そう、だから……途中から他人のフリしてたみんなのように、何も語らず放心した。
 放心して放心して………………ハッと気づいた時には、

「姓は趙、名は雲、字は子龍。真名は星。北郷殿、貴公に我が真名を受け取ってほしい」
「………………」

 目の前で趙雲さんが真名を預けてくれていた。
 もはや訳が解らず、おろおろしているうちに話は勝手に進んで…………メンマで繋がった絆が、真名を許されるまで昇華した事実に気が遠くなるのを感じつつ、なんとかありがとうだけは送った。




72/友達の在り方

 放心状態から回復すると、そこは雑踏の中だった。
 自分が何故ここに立ち、陳宮を肩車しているのかも解らない。
 傍には思春と恋しかおらず、どうやら……あ、あー……あれだ。
 ただ言えることは…………

「メンマってすげぇ」

 それだけだった。
 口の悪さでじいちゃんに怒られようと、ここは素ですげぇと言いたかった。
 今まで散々と苦労しながら許された真名が……ええとその……メンマで、って……。
 思春の時は腹刺されたなぁ……冥琳の時は氣の道を壊しかけたし……麗羽の時は散々と振り回されていろいろもめたし、焔耶の時は本気で戦って痛い目みたし…………メンマってすげぇ。
 そりゃあ友好的に教えてくれた子も居たけど……メ、メンマ……メンマかぁあ……。

「………」
「……? な、なんです? 今さら降りろと言っても聞く耳など持たないのです!」
「それって、なんだかんだで肩車が気に入ってるってこ《ぼごっ!》おぶっ!?」
「……貴様はいつもいつも、一言余計だ」

 肩車中の陳宮を見上げつつ訊ねてみれば、その顔面を見上げた先の張本人にぼごりと殴られた。
 そして冷静なツッコミが横から。
 ツッコミというか助言というか……とりあえず貴様呼ばわりはいい加減にやめてもらいたいんだけど……。

「……? 一刀、どうかした……?」
「あぢぢぢぢ……あ、ああ……そういえばーって思っただけ」

 こてり、と首を傾げる恋に、続きを話して聞かせる。
 といっても本当にそういえばって思ったくらいのことで、強制する気も全くないのだが。

「そういえば、これで蜀で真名を許してもらってないのって陳宮だけかなーって」
「なぁっ!? な、ななな……なんですとぉおおーーーーーーーっ!!?」

 とても驚かれた……んだが、本当にそうだよな。
 ……むしろ本人に言うことじゃあなかったような……。

「お、おまえはねねの真名を許されたいのですか!?」
「え? いや、こればっかりは本人次第だし、無理にとは」
「許されたいのですか!?」
「やっ……だからな?」
「許されたいのですか!?」
「………」

 見上げたそこに、真っ赤だけど必死な顔があった。
 ……ハテ? 一体何が起きているのか、と首を傾げた途端、くいっと袖を引っ張られる。
 視線を下ろせばそこに恋が居て、ふるふると首を横に振るう。

「………」
「………」

 視線が交差し、言葉は語らずとも知れることが………………あればよかったんだが。
 不思議だ……蓮華とは、目を見るだけで何が言いたいのか解ったっていうのに……。

「ん……、……ねね、言ってた……」
「言ってた? えと……な、なんてだ?」
「はぐぅっ!? れ、れれれ恋殿っ! それはっ、それはぁああーーーーっ!!」

 恋がゆっくりと、つたない言葉で話してくれる。
 途端に陳宮が騒ぎだすが……そんな陳宮に向けてふるふると首を振りながら。

「……一刀、友達。だから、真名……呼んで欲しい……って……」
「へ? それって───」
「〜〜〜〜〜っ……《かぁあああああっ……!!》」
「恋もねねも、友達……大切。だから…………ねね」
「ふぐっ……! う、うぅううっ! なにをにやにやしているですおまえはーーーっ!!」
「《ごすっ! がすっ!》いてっ!? たたっ!? こらこらっ! 肘はやめろっ! 顔も見ないで決め付けるなっ! べつににやにやなんてしてないぞ!?」
「ななななんですとーーーーっ!? おまえはねねに真名を許されて嬉しくないというのですかーーーっ!!」
「ちょっと待とう!? どうしろと!?」

 肩車している相手と、ギャースカと問答をする。
 一方的に叩かれてばかりだが、不思議と下ろす気にもならない。
 そうしてまるで兄妹な感じで騒ぎ合って、疲れてみても状況は変わらず───

「陳宮ー、真名を許すのって恥ずかしいかー?」
「相手がおまえの時だけ、特別に躊躇するだけなのですっ!」

 それこそ兄妹が会話するみたいに軽く声をかけてみれば、肩の上で“がーーーっ”と両腕を振り上げ、声高く言い放つお姫様。
 それって特別俺が嫌いってことなのかと問い返したくもなるわけだが、先ほどまた思春に「一言余計だ」と言われたばかりなので……二言目は少し待ってみた。
 ……ああ、うん。状況は特に変わらなかったけどさ。
 いろいろ言いたくもなるけど、恋が袖引っ張って、思春が無言の圧力かけてきて……。
 あの……俺、なにか悪いことした……?

「じゃあ、躊躇しなくなったら預けてくれるだけでいいんじゃないか?」
「おっ……おまえは友達なのですっ! 友達なのに真名を許さないなどっ……!」
「ん、だから。親しき仲にも礼儀ありっていうし……って、これがこの状況で使うかは別としても、友達だからって全部を話さなきゃいけないわけじゃないだろ? 何事も隠さず話し合う関係って、多分すごく疲れるぞ? 俺はさ、もっと言いたいことは言い合えるような友達でいたいんだ。隠さない友達じゃないぞ? 言い合える友達だ」
「む……? 恋殿とねねのような仲ですか」
「え? あ、あー……なんでも言い合えているのかは少し疑問なんだが……まあ、うん。気を抜ける時は抜けて、話したい時はとことん話してさ。それが喧嘩腰みたいなものでもいいから、ぶつけてぶつけられての関係。傍に居るとほっとするけど、べつにその関係が重いわけじゃない。でも大事じゃないわけじゃないし、その絆を大切にしたいって思う。そんな関係」
「つ、つまり罵倒されたいのですかおまえはっ……!」
「やなっ……!? ななななんでそうなるんだっ、違うぞ!?」

 そしてまた広がろうとする誤解を必死になって解き、苦笑混じりに歩く。
 歩きながら何をしているのかといえば、昼を食べる前と同じ行動だ。
 とりあえず今日は仕事が無いらしい二人も一緒に、変わらずのボランティア。
 ボランティアっていうよりは、親切の押し売りなんだろうけどさ。
 それでも快く任せてくれて、ありがとうって言ってくれる内は押し売りでもいい。
 嫌な顔をされてまで押し売りする理由もないし、押し売りが断られたら真心込めてお願いしよう。手伝わせてくれー、って。

「……おまえはまだこんなこと続けていたのですか」
「ん? うん、私服警邏もこうした助け合いも、やってみれば案外楽しいし。あんまりやりすぎると、仕事の役割の意味が無くなる〜って怒られるけどさ」
「それはそうなのです。いくら治安がよくても、警邏を仕事として請け負っている者も居るのです。それを奪えば怒られるのは当然なのです」
「いや、やる前にきちんと“ここらへんを回らせてくれ”って声をかけてるぞ? 仕事を奪うことの責任については、みっちりと華琳に教わったから。だから、俺が回るのはものすごーく細かいところなんだ。普通に回ってると、つい軽く見回っただけで済ませちゃうようなさ」

 そのために地図もメモしたし、こうして歩き回っては、何か問題はないですかーと声をかけたりしている。問題がありますよと返されれば、もちろんボランティアだ。
 だから、それがボランティアである以上は、“大きなお世話だ”とか“間に合ってる”って言われればそこまで。再度の確認として手伝わせてくださいってお願いをしても断られれば、また次の機会に。
 そんなことを続けているわけだ。

「……疲れないのですか? 他国のためにどたばたと走り回るなんて」
「基本的に、困ってる人は見過ごせないんだよ。理由なんてそれで十分だ。自分の力で救えるなら嬉しいし、ダメなら誰かに助けを求める。助けようとして助けられないって結構恥ずかしいけどさ、えーと……まあその、恥を上乗りさせようが、あとに待ってるのが“ありがとう”なら頑張れるだろ?」
「自分のためにです?」
「自分のためにです」

 お節介の先の行動なんだって理解した上での行動は、結局はお節介なわけで。
 それが他人のためかっていうと、これが案外そうでもなく……ただ自分が、救いたい救ってあげたい笑顔が見たいと思っての行動が大半だ。
 本当なら自分で乗り切れる力を持てたほうが、相手のためにもなるだろうし……手伝ってばかりだと相手のためにもならないって、じいちゃんに文字通り叩き込まれたから。

「結局おまえは何がしたいのですか? 困っている人を助けて、だからって何も求めないで、それが自分のためと言えるのですか」
「ん? んー……陳宮は絵本って好きか?」
「絵本? そ、そのような子供が読むもの、ねねは読まないのですっ!」
「……読んでる」
「恋殿っ!?」《がーーーん!》
「ははっ、そっか」

 隠そうとしたのにあっさりと恋に暴露されると、陳宮はビシリと固まった。
 俺はそんな陳宮を見上げながら笑って、隣を歩く思春は絵本と聞いて少しだけ眉を動かした。

「俺はさ、笑顔が見たいんだ。ただそれだけ。だから、笑顔を見せてくれた時点で自分のためになってるんだよ」
「笑顔……ですか? それは人心などではなく……」
「ん、ただの笑顔。手伝ってやるから何かよこせーとかじゃなくてさ、自分がやったことで誰かが笑ってくれる、そんな打算の上でやってるんだ」
「……なかなか黒いですね、おまえ」
「へ? …………ぷふっ、……ああ、黒いぞー? 黒いから、断られたら一度だけお願いしてみて、それでもダメなら知らん顔して別の人のところに駆け込むんだ。手伝わせろー、笑顔にさせろーって」

 くっくと笑いながら返す。
 黒いって言われたのってもしかして初めてか?
 そんなことがただ可笑しくて、小さく笑った。

「随分と回りくどいな、貴様は」
「最初から親切を親切って信じてくれる人なんて居ないって。押し売りしてるのは確かなんだし、だったら黒でもいいのかもなって《くいっ》っと、……恋?」
「…………《ふるふる》」
「…………ん。ありがと、恋」

 袖を引っ張って首を振った恋の頭を、くしゃくしゃとやさしく撫でた。
 本当に黒に染まるって話じゃあなかったんだけど、それはいけないことだって止められた気がして……うん、悪いことはいけないことだけど、必要悪ってものがあって…………はぁ。

「青鬼は偉大だな、赤鬼……」

 溜め息を一つ、歩を進めた。
 何か困っていることはないですかーと訊きながら、他愛ない会話をして。

「よく話題が尽きないのです……」
「世話話だし。学校の話もあるし、手伝いの話だったりするから」
「単に貴様が話題に困る生活を送っていないだけだろう」
「はは……そうかも」

 話した相手の中には、戦で子を無くした夫婦も居た。
 けれど恨み言を言われるわけでもなく、ただ……落ち着いた笑顔で話相手になってほしいとだけ言われた。
 それからはいろいろな話をした。
 魏で経験したこと、呉で経験したこと、蜀で経験したこと。
 戦の中で知ったことや、それとは別に思い知らされたこと、楽しいことも辛いことも。
 夫婦は困るわけでもなく話を聞いて、自分の思ったことも話して聞かせてくれた。


───……。


 ……。
 空が朱色に染まるにはまだ早い青の下を歩く。
 相変わらずの肩車で、何故か時々恋が羨ましそうにこちらを見てくるけど、多分気の所為だろう。

「争わず、手に手を取れれば……かぁ」

 そうして歩く中で、思い返すのは夫婦が最後に言った言葉だった。
 やっぱり、行き着く果てはそこなのだろう。
 争わずに手を取れていたら、誰も死ぬことはなく、って。

「なぁ思春、人が一番手を繋ぐ可能性がある状況って、どんな時だと思う?」
「? ……急になんだ」
「子供の頃にさ、戦があったとしたらって仮定で、じいちゃん……祖父に訊いたことがあるんだ」

 まだヒーローがどうのこうのでじいちゃんと言い合ってた頃のこと……だった筈だ。
 変身ヒーローはあとから現れたヒーローと手を組んで、大きな悪をやっつける。
 そうすればすぐに勝てるのに、ぎりぎりまで手を組まないのはどうしてなんだろうって。
 ……つくづく、ひねくれた子供だったよなぁ。

「ほう……祖父はどう答えた」
「より大きな敵が現れた時、だってさ。いがみ合う二つをくっつけるには、別の大きな問題を……一人では解決できない問題を押し付けてやればいいって」
「───なるほど、一理ある」
「ただし、それはよほどに大きな問題であり、よほどの悪でなければ成立しないって」
「当然だ。そうであるからこその“大きな問題”だろう」
「ん……そうなんだけどな」

 だから、青鬼は偉大だって思う。
 自分が孤独になることも厭わず、友人である赤鬼のために悪を貫いた。
 絵本にはいい話が多いけど、“救われない誰か”が大体居る。
 誤解でそうなった者も居て、偶然そうなってしまった者も居て、そんな中で進んで悪を買って出るのは……勇気がどうとかの問題じゃないと思うんだ。
 それがさっき思った必要悪か?と自問してみると、先ほどのように溜め息が漏れた。
 誰かが進んで悪にならなければ手も繋げないような世界にだけは、絶対に歩んでいきたくないな、と……そう思ったからだ。

「さて、二人はこれからどうするんだ? 俺と思春はもうちょっと回っていこうと思ってるけど」
「……、……眠い」
「恋……食べてすぐ寝ると太…………らないから、これなのか……?」
「……?」

 やはりこてりと首を傾げられた。
 改めていろいろ凄いな、この世界の人達は《くいっ》……おおう?

「……一緒に、寝る」
「え? あー……ごめんな恋、せっかくのお誘いだけど、これも仕事………になるのか?」
「私に訊くな」
「…………えーと」
「ね、ねねに訊かれても知らないのです!」

 ボランティアって仕事じゃないよな? お金を貰うボランティアってボランティアって言うのか? ……有償性ボランティアがどうとか、本で見た気もするけど……。
 金を貰うボランティアがある以上、仕事だよな。
 ……あれ? この場合、俺もそうなるのか? こうして歩き回って、確かに手伝った相手にお金を貰うことはしないものの……給金はもらっているわけだから。

「……ごめんな恋、やっぱりこれも仕事だから。桃香や、他の警邏担当にも迷惑がかかるし、サボるのは……」
「《じーーー……》」
「あ、あの……恋?」
「《じーーー……っ》」
「だから……な?」
「《じーーーー……っ!》」
「………」

 神様……。


───……。


 …………。

「それで、ぺこぺこと頭を下げて堂々とさぼったわけですか。他国だというのに随分と態度の太いやつなのです」
「しっ……仕方ないだろっ!? あんな目でじぃっと見られ続けたらっ……!」

 そんなわけで……結局は見つめられるまま折れるまま、中庭の木陰でお昼寝だ。
 俺って押しに弱いのだろうか…………いや、そんなことないよな。
 弱かったらもう既に呉将とかに手を出してしまっていて、一部分がズパーン飛んでてヒィイイ!! か、考えないようにしよう! うん、それがいい!

「……何故私まで……」

 そんな中、同じく昼寝に付き合うこととなった思春が、俺の下につくことになってからの自分の在り方に頭を痛めていた。うん……ほんと、ごめんなさい……。
 さて。そんなみんなを昼寝に誘った、当の本人といえばもう眠ってしまっていて、その丸まった体と腕の中にはセキトが抱かれ、こちらもまた気持ち良さそうに眠っていた。
 その隣に陳宮、そのまた隣に俺で、その隣が思春、といった並びだ。 
 隣ってこともあって、目が合えばあーだこーだと話をする俺と陳宮だが、街中で話した真名の話は……今は微塵にも出て来ない。
 改めて訊いてみることでもなし、それこそ陳宮が躊躇することなく預けてくれたら、喜んで受け取ろうと思っている。
 ……まあ、それがいつになるかは全く見当がつかないわけだけど。自分のペースで自分らしくが一番……だよな? 誰かに強制されて許されたら、呼ぶ時にも呼ばれる時にも小骨が引っかかるような思いをしそうだ。

「……その。北郷一刀……?」
「ん……んー……?」
「返事をもらっていないのです。おまえは……ねねの真名を許してもらえると、嬉しいですか?」
「んー…………んっ……それは、嬉しいか嬉しくないかを訊いてる……んだよな? さっきみたいないつか許してくれればいい、みたいな返事を望んでるんじゃなく」
「………」

 空を正面に見たまま返事を待つが、返ってくるものはなかったから……それが肯定だと受け取ることにした。
 だったら答えは……一つしかないよな。

「それは……嬉しいな。友達ってことでもそうだけど、伸ばしてくれた手は握りたいって思う。もちろん義務的じゃなく」
「………」

 やっぱり返事はない。
 代わりにひょいと、空へ向けていた視線を隣に向けると、陳宮がこちらを向きつつぎょっとしていた。……あれ? もしかしてなにかのタイミング誤ったか? 俺……。
 とか思った瞬間に寝返りまがいのちんきゅーきっくが───

「《どぼぉっ!》おふぅっ!? ごっ……げほっ! おっほごほっ!」

 ───見事に脇腹を襲い、思いっきりに咳き込んだ。
 陳宮はといえば、「ななななにを急にこっちを見ているですー!」と叫んでいるわけで……。

「あ、あのなぁああ……! 振り向いただけで蹴り入れられるって、どれだけ気安い友人なんだよ俺は……!」

 地味に急所……じゃないな、痛いところを蹴られたために、さすがに語調も震え、口の端も吊り上る。
 ……い、いやっ……語調が震える時にこそ、冷静で平静な自分をイメージするんだ。
 怒るな怒るな……まずは話を……うぶっ、なんか酸っぱいものが込み上げてきた。
 そういえば、昼食べたものもまだ消化し切れてないか、消化したばかりじゃ……?
 そんな気持ち悪さに呼吸を乱しながらも、手を伸ばしてがっしと陳宮の肩を掴むと、目を真っ直ぐに見て説得開始。

「ふ、ふ……ふー、ふー……! ち、陳宮……? とりあえず……な? とりあえず蹴りをぶちこむの、やめような……!? 慌てたり何がどうとか思っても、まずは一度立ち止まろうな……!? な……!?」
「う……め、目が血走っているのです……!」
「血走りもするわぁっ! やすらいでるところに不意打ちキックされて、咳き込まずににっこりできる人が居たらそれこそ尊敬するわ!」
「む、むむむー……元を正せばおまえが急にこっちを見るから───」
「…………《にこり》」
「ひぅうっ!? わ、わわわ悪かったのです! 謝るから肩を掴んだまま睨むなですーーーっ!」
「えぇっ!? にらっ……!?」

 笑ったつもりだったんだが……? あ、あれ?
 って、落ち着け落ち着け……はぁ。
 いろいろと溜まってるものがあるのかな……こんなことで無意識に睨むなんて。
 あ、口調もか……はぁあ……。
 呉で砕けて以来……だっけ? “血走りもするわぁっ”なんて声を張り上げたのなんて。
 確か、冥琳をなんとか救えたあとに、雪蓮に追われた時とかに……うん、多分あの時以来だと思う。気をつけないとな……近くにじいちゃんが居ない所為かな、気を抜くとすぐに口調が砕ける。

「…………」
「………」

 まあ、そんなことは後回しだ。
 今はこの、何処か怯えた様子で、けれど俺から視線を外そうとしない友達をなんとかしよう。

「陳宮?」
「《びくぅっ!》な、なんですか!? まさかおまえ、恋殿が寝入っているのをいいことに、ちちち陳宮をーーーっ!」
「どうすると!? ななななにもしないって! ただお互いきまずいままで眠るのは嫌だからって、少し話をしようと思っただけだよっ!」
「話すことなどないのです《ぷいっ》」

 あ、いじけた。
 両の頬に手を当てて、ぶーと口を膨らませている。
 というか……自分の呼び方、真名と姓名とでころころ変えて、疲れないのだろうか。
 ……ああもう。

「陳宮、真名を呼ぶことを許してくれないか?」
「なっ……なななにをいきなり頭の悪いことを言ってるです? “許したくなったら”とか言っていたのに、なんと我慢の利かない男ですか」
「我慢が利かなくていいから。真名で呼びたいんだ、陳宮のこと」
「ひうっ!?《ぼむっ!》な、な、なー……ななな……はうっ!《ぴたり》」
「おおっ!?」

 俺の言葉に、再び蹴りの構えを取ろうとした陳宮だったが、さっき俺が言った言葉を思い出してくれたのか踏みとどまって《どぼぉっ!!》

「おふぅっ!?」

 ……改めて蹴られた。
 うん……一応、一度立ち止まってはくれただけあって、地味にツッコミづらい。しかも赤くなりながら言っていることがさっきとまったく同じで、ええいもうどこからツッコんでいいやら。

「げほっ……あの、ごめん……一度立ち止まるんじゃなくて……是非、蹴るのをやめてほしい……ごほっ、げっほっ……!」
「お、おおおおおまえがおかしなことを言うのが悪いのです! ねねは悪くないのですーーーっ!」
「悪い悪くないは別にしても、是非やめてほしいって言ってるんだけど……。見境無く蹴り込んでたら、絶対にいつか大変なことになるぞ? だから───」
「大きなお世話ですっ《ぷいっ》」

 あ、また拗ねた。
 …………やっぱり、無理に願うものじゃないよな。
 自分の人称も、自分で無意識に使ってるんだろうから……俺一人がどたばたしたって何も解決しない。

「…………すぅ……」

 寝よう。
 元々それが目的だったんだから、今度こそ痛みを忘れてこのやすらぎを受け容れて───

「………………友達とは、どう接するものですか?」

 ───……いや。
 すぅ、と吸った息は、投げられた質問に高鳴った鼓動によって、簡単に霧散してしまった。
 どうしてそんなことを訊いてくるのかなんて、きっと野暮だ。
 友達として質問されたなら、友達として返せばいい。

「ん……重すぎず軽すぎず。一緒に居ると楽しくて、そいつとならきっと、ずぅっと馬鹿やってられる……そう思える相手が理想……かなぁ」

 思い出したのは及川だった。
 戻ってから剣道や勉強ばかりだった俺に、なんだかんだと声をかけてくれた。
 軽くはあるけど、あれで思いやりがあって気が利くやつだ。
 そう思えば、なんだかんだと女の子に人気があるのも頷けた。
 親友にまではいかなくて、女性にとっても恋人とまではいかない。
 “永遠の友達どまり”の存在って、なんとなくがっくりするイメージはあるけど……それは多分、俺達が簡単に思うよりも凄いことだ。
 だってそれは、“たった一人の大切な人にはなれなくても、ずっと友達で居たい”とは思うってことだ。
 そんな関係で居られるのって、やろうと思って“ハイ”って出来ることじゃない。

「……いっつもおかしなことばっかり言うから、呆れてばっかりだけど……」

 それに救われたことは、自分が思うよりもあるんだろうなぁ。
 フと閉じた瞼の裏に、ふざけている及川の姿が見えた気がして笑った。

「傍に居ても嫌じゃないって思えたら、べつにもう難しく考えることはないんだと思うよ。一緒に居て窮屈に感じるんじゃなく、“楽だ〜”って思えればいい……そんなのでいいんじゃないか?」
「むむむ……」
「陳宮は俺と一緒に居るの、嫌か?」
「……そういうおまえはどうなのです」
「俺? 俺は……普通。それこそ、一緒に居て楽だって思ってるよ。賑やかだしなぁ」
「そ、それは間接的にねねが煩いと言っているですかーーーっ!」
「はいパシッと」
「《がっ!》はうっ!? こ、こらっ! 離すですーーーっ!」

 三度目の蹴りはさすがに受け止めた。
 で、仕返しとばかりに足ごと引っ張ると、暴れる陳宮をぎゅむと抱き締め、再び空を真っ直ぐに見つめ、息を吐いた。
 まあその、ようするに仰向け状態の自分の上に陳宮を寝かせてる……マテ、いろいろ誤解を生まないか、この状況。

「はははは離すですぅうーーーっ! れれれ恋殿っ! 恋殿ーーーっ! 種馬がついに本性を現しましたぞーーーっ!!」
「………」

 主にやられた本人が誤解しまくりだった。
 もう、真名がどうとかいう流れじゃない。
 苦笑をひとつ、暴れる陳宮の頭をゆっくりやさしく撫でた。
 どれだけ暴れようと噛み付こうと、動きは一定に、乱すことなく。

「………」
「………」

 次第に暴れる行為も鎮まって、陳宮も空を見上げながら「はぁ」と息を吐いた。

「おかしなやつです、おまえは」
「人はおかしなくらいが人生を存分に謳歌出来るって、どっかの誰かが言ってたぞ」
「ならばそれに輪をかけておかしいです」
「…………なら、輪をかけて謳歌出来るな」
「…………」
「………」

 沈黙。
 交わす言葉も特に浮かばなくなり、しかし嫌な空気は漂わず、さぁ……と吹く風に撫でられるままに目を閉じる。
 そういえば、こんなふうにではなかったけど……霞が凪の膝枕でごろごろしたりしてたことがあったっけ。懐かしいな……。

『……すぅ……』

 もう一度、体中に行き渡らせるように息を吸った。
 それが眠気を運ぶような感覚とともに、体が心地良いだるさに包まれてゆく。
 あとは身を任せるがまま、やがて訪れるであろう夢の世界へと───モニュリ。

「………」
「………」

 目が合った。
 陳宮とじゃない。
 俺を見下ろし、ふにふにの肉球を人の頬に押し付ける緑髪の野生猫と。

「兄ぃ、遊ぶにゃ!」
「にゃーーーっ!」
「にゃーーーっ!」
「にゃうー」

 名を孟獲。
 人の鼻の先を肉球でつついてきた犯人である。
 周りにはミケもトラもシャムも居て、遊ぶ気満々のようで……えぇと。
 
 コマンドどうする?

1:寝るからダメと追い返す

2:「楽しい夢の世界へようこそ」と、一緒に寝ることを促す

3:遊ぶ。力の限り。

4:名乗りを上げて戦いを挑む

5:眠ることの素晴らしさについてをみっちりと説く

6:歌おう友よ!

7:木天蓼(もくてんりょう)を探す旅に出ようと促す

8:俺達の睡眠は……始まろうとしたばかりだ!

 結論:2

 楽しい夢の世界云々はどうあれ、一緒に寝ようと誘うことにした。

「いやにゃ」

 そして即答だった。

「みぃたち、もうたっぷり眠ったにゃ。だから兄ぃ、みぃたちと遊ぶにゃ!」
「遊ぶにゃ!」
「遊ぶにゃー!」
「にゃん」
「し、静かに静かにっ……! 一応みんな寝て……いや、明らかに思春は起きてるけどさ……あれ?」

 そういえばと気になって、腹の上の陳宮の様子を見る……と、特に何を言うわけでもなく……規則正しい呼吸とともに、眠っていた。
 ……早ッ! ていうか思春さん、どうしてここで俺に殺気を飛ばしますか?
 美以たちが来たのは俺の所為じゃないと思うんだけど……。
 でも確かにこのままじゃあ二人が静かに眠れないよな。
 だったら……よし。

「ん、解った。遊ぶかっ」
「遊ぶにゃーーー《がぼっ!》ふむっ!? む、むむむむーむー!」
「だから静かにっ……! 遊ぶから、静かに……!」
「…………むぁふぁっふぁみゃ」

 一応こくりと頷いてくれた、空を隠すように覗いてくる美以の口から手を離す。
 それからそっと陳宮を草の上に下ろして、思春にも「ゆっくり休んでて」と声をかけると……地を蹴り駆け出した。途端に追いかけてきて、体にしがみついてくる美以たちを、出来るだけ三人から引き離すために。

(……なんか、逃亡劇の際に囮になる誰かみたいだな、俺……)

 しかも守る対象が誰かの安眠だっていうんだから、格好がつかない。
 格好云々はもう本当にいいんだけどさ。
 というわけで遊んだ。
 三人が居る場所から遠く離れた森を駆け山を駆け、いつかのように自然と混ざり合うように暴れ……ハッと気づくと何故か鈴々が混ざっていて、美以やトラたちと一緒ににゃーにゃー叫びながら暴れ回っていた。
 あとは……本当に原始と唱えるべきなのか。
 現れた猪と戦い、打ち勝ち(鈴々と美以が)、南蛮料理(というか丸焼き祭り)がその場で振る舞われ、あまり腹は減ってなかったけどせっかくだからと食べて、それが終わればまた暴れて。
 散々と自然と一体になった俺達は、ところどころに擦り傷切り傷を作った子供のように汗だくで城に戻って───……何故か腕を組んで仁王立ちして待っていた愛紗に捕まり、みっちりと説教をくらっていた。
 ……もちろん正座で。

「あの……愛紗? 状況がよく解らないんだけど……なんで俺、怒られて……?」
「ほう……自ら進んで始めた警邏を途中で抜け出し、美以らと遊び回り、使いを頼んだ鈴々まで巻き込んでおいて“解らない”と?」
「ア」

 あ、あ……アー……そっかそっかー、少し考えれば解ることでしたね……。

「山から煙が出ていると報せが走り、何事かと駆けつければ、焚き火の跡と転がる骨。あちらこちらから聞こえる遠吠えに混じり、一刀殿の声が聞こえた際には、よもや何者かに襲われたのかと心配したというのに……!」
「………」

 ああ、うん……ね? なんかもういろいろ終わった気がした。
 よく見てみれば、愛紗もところどころに擦り傷があったり髪の毛に葉っぱが絡まってたり……え? もしかして追いかけてたりした?

「声を追ってみれば縄に足を取られて宙吊りになり、抜け出してみれば落とし穴に嵌まり……!」

 ……ごめん愛紗。本当にごめんだけど、話を聞いてる限りじゃあまるで愛紗が……い、いや、これは思うだけでも失礼ってものだよな。心配して追ってくれたんだし。
 そうだよそう、言わぬが吉、思わぬも吉ってことで───

「にゃははは、愛紗はまるで猪なのだ」
「キャーーーッ!?」

 思ってしまったことをきっぱりと仰ってしまった人が隣に居た。
 思わず左隣に座る鈴々へと物凄い速度で振り向き、妙な悲鳴をあげてしまった。
 そんな自分の悲鳴の中で確かに聞こえた、何かがブチリと切れる音。
 “ああ、振り向きたくない”と心の中で叫んだその日。
 正座をしていた俺達は、恐る恐る振り向いた瞬間───……般若と、出会った。

「いい国にしようと……桃香さまに仰ったそうですね……?」
「ハ、ハイ……!」
「その貴方がっ……仕事を抜け出し遊び呆けているとは何事ですかぁああああああっ!!」
「ごごごごめんなさいぃいいっ!!」

 雷が落ちた。
 途端に鈴々や美以らはピャーと逃げ出し、正面から般若の雷を浴びせられた俺は竦み上がって逃げられなかったわけで……たまたま通った桃香が止めてくれるまでの時間を、終わることがないのではと思うほどの長い長い説教を聞いて過ごした。

 ……ちなみに夜。
 昼寝がすぎて眠れなくなったらしい恋や陳宮に部屋を訪問され、眠れぬ夜を過ごした。
 結局寝れたのは空も白む頃のことで、「いつまで寝ている」と言う思春の殺気で起床。
 ……今日もまた、一日が始まった。しょぼしょぼした目で。
 教訓があるとしたら、きっとこれだ。
 どれだけ子猫のような純粋な目で見つめられても、仕事中は仕事をしよう。
 それだけを胸に、いつも通りに水を求め、厨房への道を歩いたのだった。




ネタ曝し  *神をチェーンソーで  魔界塔士Sagaより。  敵を一撃で斬り殺す万能武器ですが、雑魚相手に何度も熟練を積む必要があります。  ただチェーンソーを購入して神まで辿り着いても、攻撃が当たりませぬ。  なので、雑魚をモビーとバラバラにして惨忍度を上げましょう。  慣れれば神とて一撃よ……! ……物騒な世界だったなぁ、今思うと。  *泣きながらごはん食べると何故か美味しくない  なんか美味しくない、だった気もする。  アニメ・からくり剣豪伝武蔵ロード、ED2より。  *えー……それは……あー……なんというかその、おー……  週間少年ジャンプ読み切り、COSMOSより。  二回目の読み切りにて、報道者が似たような言い回しを。  *貴方が神か……!  DEATH NOTEより。魅上照はアニメ版の方が好きです。  *泣いた赤鬼  絵本って、救われない誰かが結構居ますよね。  この話のあと、青鬼はどうなったんでしょうか。  と調べてみたら、安部浩之というお方が続きを書いていたようで。  読んでみると……むしろ誰も救われなくなってる!? あ、あれぇ……?  この安部浩之氏は、鬼よりも人間に視点を向けたのでしょうか。  赤鬼と青鬼より黒鬼が活躍し、人間がいろいろ学んで……なんだかいろいろ考えさせられました。  *楽しい夢の世界へようこそ  ロマンシングサガ3より、夢魔さまの言葉。  長らくお待たせしました、38話です。  長かったわりに内容は薄いですね……散々騒いでも、陳宮の真名はおあずけらしい。  過去の作品の誤字チェックだけで何日潰したでしょうかね……調子を取り戻すためにもと読み返していたら、驚くくらいに誤字が。  恐らくまだ残っている誤字もあるでしょうが、とりあえずUPです。  華琳さんの心境から始まる、メンマの園と真名と友達のお話。  気軽に付き合える友人は本当に宝でしょう。  小さなことでも笑って、ノリだけで馬鹿やれる相手なんてそれこそ稀少。  もしそんなお方が居たら、大事にする……って意識よりも楽しいこと探そうぜー的なノリでGOしましょう。  大切に、とか思うと逆に重くなりそうですので。  最初から読み返してみると、いろいろと無駄な文章が多いかなと思うことが多々。  それなのに直せないのは、書き方が染み付いてしまった所為なのでしょうか。  それはそれとして、真恋姫PSPシリーズや、真恋姫萌将伝なるものが出るそうで。  萌将伝……これは蜀のアフターってことに……なるんでしょうかね?  雪蓮生きてるみたいですし。うむぅ、期待が高まります。  何が見たいってそりゃあ……主様(ぬしさま)
?  《追記:凪の紹介見てたら、なんか魏アフターっぽかったです。      ……アレ? それでは一刀は戻ることが出来たと……?      ワクワクしてきた! なんかワクワクしてきた!      ただ、真恋姫の時点でそういうかわいらしい部分もありましたよって意味なら、      このワクワクさんはひたすらに自分の小説にぶつけましょう。   再記:一刀に既に子供が……。呉のキャラの紹介文見る限り、子供が……。      あれ? やっぱり各国ずつ後日談が? でも雪蓮生きてるし……。      と調べたところ、どうにも“そういう外史”らしい。      なるほど、確かに“便利だな外史って言葉!”って感じです。      しかし53Pか……死にますね普通に。      数える限り、確かに登場人物紹介では52人。      一刀も合わせて53P……おや? 漢女も混ざって52人だけど……エ?      いやいや、気にしないでGOです。      しかしそうなると、華雄がどう絡んでくるかが今から楽しみです。      魏アフターを願ってた人にしてみれば肩透かしと、誰かがおっしゃっていた。      確かに残念な気もしますが、その後的なものも混ざってるようですし……。      泣かされた華琳さんは、様々な外史で様々な人が救ってくださっているので。      発売は7月下旬……それまでにせめて本編終了まで行きたいなぁ。      無理だと解っていても願わずにはいられません。頑張ろう》  なんにせよ、やっぱり更新はゆっくりです。  一ヶ月に三話できたらいいなぁってくらい、ゆっくりです。  今回なんてまた一話ですよもう……時間がもっと欲しいです。  では、また次回で。  誤字がごっちゃりありました。一応修正……しきれてるといいなぁ。   Next Top Back