89/忙しき日々

 早朝───覚醒。
 寝巻きという名のシャツからフランチェスカの制服に着替えると、体にだるさが残っていないかを確認……多少はあるものの、動けないわけではない。
 確認を終えると、まだ眠っている袁術の頭を撫で───ってやめなさい。
 伸ばしかけた右手を左手で阻止し、部屋の外へ。
 厨房で水を貰ってそのまま歩くと、まずは鍵を管理している場へと向かい、そこに隊舎の鍵があるかを確認……無し。ならば仕方も無しと凪の部屋の前までを歩き、ノック。
 既に起きていた凪に事情を話し、ならば一緒にと同行してくれた凪とともに隊舎へ。
 鍵を開けて中へ入ってからの行動は速かった。
 素早く必要な書簡を手に、周囲に注意しながら、しかし出来るだけの速度で自室へと急ぐのだ。

「……隊長、こちらへ」
「凪?」

 部屋へ真っ直ぐ続いている通路を歩く中、書簡運びを手伝ってくれている凪に声をかけられ、足を止める。何事? と思いつつもついていく。
 こっちからだと回り道になるが……と、そんなことを思いながらちらりと直行通路を見てみれば、そこで何かを待っている桂花が……!!

(……凪、もしかしてもう、みんな起きてる?)
(はい。隊長が厨房に訪れた時点で、侍女が華琳さまに報せる手筈になっていました)
(なんでそこまで周到なの!?)
(恐らく刺激が欲しいんだと思います。隊長が戻ってくるまで、いろいろとありましたから───隊長、伏せてください)
(? あ、ああ)

 ボソボソと小声で話し、中庭側へと辿り着く……のだが、その欄干までを歩いたところで凪に伏せろと言われる。
 言われるままに伏せていると、離れた場所から話し声。

「おー、沙和ー、隊長おったー……?」
「見つからないのー……」

 ……沙和と真桜らしい。
 俺達が身を屈めている欄干の傍の通路で立ち止まり、世話話のように言葉を連ねる。

「凪もおらんし……二人でこそこそ隠れとんのとちゃうん……? あ〜……こない朝から行動することになるって解っとったら、もっと準備しとったのに……」
「真桜ちゃん、沙和眠い〜……」
「そんなんウチかて同じ……やけど、隊長さえ見つけられたら、仕事全部隊長に任せてウチらは……」
「うふふふふ、さぼり放題なの〜♪」

 ……で、耳を傾けてみれば、聞こえてくるのは脱力するお言葉。
 いっそ奇声でも上げて襲いかかってくれようかと思ったのだが───

「……とまあお決まりのお約束は置いといてや。仕事にかこつけて隊長独占するまたとない機会や。またとないどころか明日もそん次もあるねんけどなー」

 どうやら自分が思ってしまったものとは違ったらしい。
 真桜の声調が、かったるそうな言葉から一変、キリっとした真面目な声に変わる。

「ねーねー真桜ちゃん? それだったら素直に凪ちゃんみたいに、たいちょーのこと手伝ったほうが早くなかった?」
「んや、こーゆーんは勝ちとってなんぼや。それに手伝いっちゅーても落ち着いて話が出来るわけと違うし、どーせ凪も今頃、隊長を逃がすために大変な目に遭っとんで?」
「そういう意味では北郷隊は少し不利だよねー。隊長、華琳さまに書簡整理が終わるまでは警備隊の仕事は禁止されてるみたいだし……」
「それなんよ……それさえなかったら隊長引っ張り出して街に出れば、城内ばっか探しとる連中に差ぁつけられるねんのになぁ〜……。けど今日はちゃう。報告することを纏めなあかんから、隊長でも手伝えることや。これを隊長に頼めば、隊長ん部屋でじっくりしっぽりうへへへへ……」
「真桜ちゃん、また親父になってるの……───でも、絶対に捕まえようね」
「おぉ、もっちろんやっ。これやったら隊長も自分の仕事も出来るしウチらもサボりにならんし、一石二鳥どころか……一刀と三羽烏や〜♪」
「………」
「ちょぉおっ、沙和〜!? ここで黙るとかあんまりとちゃうん〜!?」

 ぶつくさ言いながらとたとたと歩き、やがて話し声は遠くへ消えた。

(……凪……)
(皆が隊長を探すのは当然です。隊長は現在、頼めば断れない状況にあります。己の仕事が楽にもなりますし、それにその……皆、隊長とゆっくりと話したかったでしょうし)
(うぐっ……ごめんな、慌しい日ばっかりで)
(いえ。自分は……隊長が壮健で戻ってきてくれたのなら、それで)

 薄く。だが確かに笑みを見せた凪が、さ、と促して先をゆく。
 思わず抱き締めそうになるところだった……動いてくれたのは、正直ありがたかった。
 今抱き締めたりしたら絶対に声が出て誰かに見つかって……

(出すぎるでないぞ、自重せい)
(了解だ、孟徳さん)

 うんと頷いて凪のあとを追う。
 本気の本気でみんな既に起き出しているようで、警邏の準備をする者から調練の準備をする者、将であるなら人を選ばずほぼ全員が俺を探していた。
 ……捕まったら自室には戻れそうもないな……なんて考えながら、そういえば凪はどうなんだろうと考える。こうして味方してくれてるけど…………いや。元気に帰ってきてくれただけでって言ってくれた。理由なんてそれだけで十分だ。

───……。

 第一行動、成功。
 書簡を自室の机に置いて一息。
 中には誰も侵入していなかったようで、ひとまずは安心だ。

「これを片付けてもまだまだある……事件らしい事件なんてそんなにあったのか?」
「いえ、あの……まあ」

 歯切れの悪い返事とその顔が物語っていた。事件を起こしたのはやはり、将ばかりなのだと。
 目を通した限りでは、以前霞が紛れ込んだ大人げない事件……もとい、祭り騒ぎみたいなものが結構あったらしく、街での祭りの報告がほぼだった。
 あとは気になること気にならないこといろいろだ。夜をゆく冷たい女性とか。

「はあ、随分と留守にしてたししょうがないよな。ごめんな凪、出来るだけ早く復帰出来るように頑張るから。それまではお前に任せっきりになっちゃうけど……頼めるか?」
「隊長……いえ。隊長が任せてくださるのならこの楽文謙、期待に応えられるよう、一層の努力を……!」
「凪……」
「隊長……」

 凪って……本当にいい娘だ……。
 こんな娘が俺の部下って、いろいろと間違ってないかとか普通に思ってしまう。
 天に帰る前も何度助けられたことか……覚えているだけでも片手じゃあ足りない有様だ。
 どうせなら沙和と真桜にもこうして手伝ってもらいたかったけど……逆に二人に見つかった方が安全なのか? 真桜の言うことが本当なら、俺も報告用の書簡の作成を手伝───えるわけないじゃないか。だって俺、街で何が起きたかとか知らないんだぞ?

(沙和……真桜よぉ……)

 俺もだけど、もうちょっと考えて行動しような……。
 ともかくこれで二人に見つかるわけにはいかなくなった。
 手伝えないと知れたら、無理矢理にでも手伝ってもらうことを捏造、とんでもない事態に発展すると、経験が語ってくれている。
 自分の隊の部下が取りそうな行動を考えてみて、少し身震いする。
 その拍子に視線がずれて、丁度寝台の袁術に目が行く。

「………」

 よく寝てるな、本当に。部屋に戻るたび、寝てる気がする。

「? ……あ……そういえばその、隊長は……袁術とその……」
「へ? あ、ああ、なんかいい匂いがするとかで、すっかり寝台を取られちゃってな」
「取られ───……あの、一緒に寝たりは……ごにょごにょ……」
「昨日今日と一緒には寝たぞ? 一人で眠るのが怖いらしくてさ」

 原因、俺と吾郎くんだけど。
 お陰でと言っていいのか、寝台で寝れる有り難さは再確認できた。

「………」
「?」

 ハテ。凪が俯いてしまったんだが…………俺、おかしなこと言ったっけ?

「凪? どうかしたのか?」
「いえ……親衛隊の二人の例もありますし、隊長にとっては袁術のような子でも……」
「親衛隊? 二人? 例?」

 親衛隊って……季衣と流琉だよな?
 どうして二人が? 二人の例もあるって……袁術のような子でもって───…ってぇっ!

「ななな凪!? 何か妙な勘違いしてないか!? 一緒に寝るってそういう意味じゃなくて、そのまんまの意味だぞ!? ただ眠るだけ! 解るか!?」
「───……」

 誤解を解くべく真正面から肩を掴み、きっちりと説明を……ってもしかしてみんなも誤解してたりするのか……!? だとしたらいろんな意味でまずいような……!
 い、いや、まずは凪だ! とにかく説明! ひたすら説明!
 少し顔を俯かせている彼女の正面に立って、身振り手振りでズヴァーとこれまでのことを説明して───いた時だった。

「おお〜……なにやら戻って早々に大変なことになっているご様子。けれどそんなに顔を近づけたままでは、凪ちゃんも固まったまま動けませんよ、お兄さん」
『!?』

 突如として部屋に響く声!
 どこかぼーっとしていた凪とともに表情を引き締め、室内を見渡すが、俺と凪と袁術の他に人なんてものは……あ。

「相変わらず女性関連でお困りのようですねお兄さん。周りが見えなくなるほどお困りでしたら、風が手を貸しましょうかー?」

 ちらりと見た机の下。
 そこからにょきにょきと生えてくるホウケイと、それに続いて姿を現す風。
 いつからそこに居たのか、口に手を添えた半眼でニコリというかニヤリというか、絶妙なブレンドフェイスで微笑んでいた。

「風……いつからそこに?」
「やれやれヤボは言いっこなしだぜにーちゃん、今必要なのはそんな疑問解決よりも、書簡を片付ける時間ではないのかね?」
「む。そりゃそうだけど。気になることがあると集中出来ないのも……って、そんなことも言ってる場合じゃないか」
「うふふ、そういうことですよー。風がなぜここで寝ていたのか、などという質問は……お兄さん、些細なことなのです。風はただ懐かしい風に誘われてやってきただけなので」
「懐かしい風? ……あ、あー……なるほど、確かによく似てるかも」
「?」

 凪が首を傾げる中、ちょこんと椅子に座る風と一緒になって笑顔になる。
 あの時もこんなふうに周りが俺を探してたっけ。その時の凪は俺を探す側だったから、意識がそう向かないのも解る。

「あ。お兄さんの安心のために言っておきますと、今日の風は非番なので警戒する必要はありませんよ? そんなわけですのでお茶でもいただきながらのんびりしましょう」
「いやいやいや、それだと書簡を読めないだろ、風」
「……書簡を読む?」

 わざとなんだろうか……いつかのように目を丸くして、机の上の書簡を右へ左へと首を傾げながら確認した。そこには当然というか、俺が持ってきた分と凪が持ってきた分の書簡が積まれている。

「これを全部ですか。お兄さん、しばらく見ないうちに頑張り屋さんになりましたねー」
「やれないと、三日毎の日課を……日課? まあいいや、日課だ。を、潰されることになってね……なんとしてでもやりきらないといけないんだよ……」

 言いながらも竹簡を一つ手に取り、作業を開始。机には風が座っているから、寝台の端に座って確認していく。
 凪は何も言わずとも扉の傍に立ち、風は……

「お兄さんお兄さん、そんなところに座っていては、いざ扉を開かれたら一番に見つかってしまいますよ」

 まるで亀をいじめる子供にこれこれと注意する浦島さんのように、軽く手を上下させながらそんなことを言ってくる。目は伏せたまま、悟りを開いた子が如く。

「や、それは解ってるけど……でもじゃあ、どうすれば?」
「ここへどうぞ。この場の安全性は風が先ほど確認しましたので。舞い上がっていたのかどうかは別として、凪ちゃんにも気づかれない程度には安全ですよー」
「なっ……ま、舞い上がっ……うぅ……」

 ちょいちょいと机の下を指差す風さん。
 凪はといえば自覚があったのかどうなのか、顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
 でも……たしかに机の下は安全だよな。華琳の件もあるし。

「そだな、じゃあ失礼して」

 机に近づき、風が椅子ごとずれるとその下へと潜り込む。
 ……俺の体じゃ少し窮屈だが、こんなものは慣れだろう。
 もし見つかりそうになったら、一目散に窓から逃げるということで。

「ごめんな二人とも、こんなことに付き合わせることになっちゃって」
「いえいえ、風は懐かしみたいだけですのでどうぞお気になさらず〜……」
「……、その通りです、隊長。状況や動機がどうあれ、それは魏将の総意だと思います」
「“懐かしみたい”か……そうだよなぁ」

 ドタバタしていて落ち着けないってこともあるけど、それでもとは確かに思う。
 みんなで一緒に懐かしむことはもうしたとはいえ、一人ずつ向き合って懐かしみたいと思う心は俺にだって当然ある。
 あるんだが……今回ばっかりは俺にも譲れないものがございまして。
 懐かしみすぎて間に合いませんでしたじゃあ、じいちゃんにも雪蓮にも祭さんにも桃香にも合わせる顔が無くなる。

「お兄さんが三国の支柱になろうとしているという話は聞きました。その上で、一方を贔屓しているようではそれは成り立たないということも、だから風たちに手を出したくても出せないことも、なんとなく察しはついているのですよ」
「察してくれてありがとうだけど、手を出すこと前提なんだな、俺……」
「おお? もしやお兄さんは呉蜀を回ったために、風たちのことなど飽きたというのですか」
「そんなことあるもんかっ!!」
「ひうっ……!?」
「っ……!?」

 風の何気ない言葉に、無意識に大声が放たれた。
 やってしまった───とは思わない。ただ、居分の素直な思いが心の底から出ていった。

「あ、あ……あー……ごめん、大声だして。でも飽きたとかそんなこと、絶対にないから。俺にとっての魏は二つ目の故郷で、家族で、大切な場所なんだ。何があったってそれはきっと変わらないことで、俺は今も、今までもこれからだって魏とそこに住むみんなが大好きだ。それは……絶対に絶対だ」
「おおっ……熱烈な告白をされてしまいました」
「隊長……」
「これで机の下で縮こまったお兄さんでなければ、さすがの風も心打たれて抱き付いていたかもしれません」
「そういうこと言うのやめよう!?」

 机の下で愛を語る男、北郷一刀。嬉しくない二つ名だった。

「惜しいですねー、そんなことをみなさんの前で言ってあげれば、きっとこの騒ぎも……」
「沈静化した……?」
「いえいえ、もっともっと激化していましたねー。それはもう、誰が捕まえてもお構いなしの引っ張り合いが始まり、やがてお兄さんの体は将の人数分引き裂かれることになり……」
「死ぬよ!?」

 どこかのミ○トくんじゃないんだから、くっつければ治るとかそんなの無理ですよ!?
 って、話し合いしてたら書簡整理が進まないじゃないか……。えぇと、疑いたいわけじゃないけど、風……本当に応援に来ただけなのか……? いやそもそも応援とも一言も言ってなかったような。
 ま……まあいいか、仕事仕事……!


───……。


 そんなこんなで始まった書簡整理は、風の言葉じゃないが確かに激化していた。

「ようやく見つけたわ北郷! 女の下に隠れるなんて、あんたどれだけ情けないのよ!」
「情けなくたって成さなきゃならないことがあるんだっ! そんなわけだからさらば!!」
「あ、ちょっと! 頼まれごとは断れない約束でしょ!?」
「頼まれる前なら逃げる権利くらいはあると、この北郷は確信した!! あくまで別件を頼まれようとも己の仕事を言い訳にしない約束! 頼まれる前に逃げてはいけないなんて言われてないっ!」
「おおっ、見事な屁理屈ですねぇお兄さん」
「……なるほど、やはり根本はそう変わってませんね、隊長」
「凪……? しみじみ納得されると少し悲しいんだけど……」

 部屋に突入してきた桂花にあっさり暴かれ逃げ出し、逃げた先で書簡を広げて少しでも読み進め───

「あーーっ! 兄ちゃん見つけたっ!」
「季衣かっ!」
「お兄さん、後ろに流琉ちゃんを確認しましたよ」
「流琉も!? 二人とも親衛隊の仕事は!?」
「へへー、華琳さまがお祭りには積極的に首を突っ込むべきだって、許してくれたよ?」
「王公認の鬼ごっこかなんかですかこれは!!」
「隊長っ! 指示を!」
「指示もなにもっ……頼まれる前に逃げる!」
「はっ!」
「あっ! こらっ! 逃げるなーーーっ!」
「おお季衣ちゃん、お仕事ご苦労さまですー。飴をどうぞ」
「え? くれるの? あんがとー♪」
「季衣っ! そんなの貰ってる場合じゃ───あ、あ……ぁああ……逃げられた……」

 途中で見つかればあれよこれよと手を尽くし、頼まれる前になんとか逃げて───

「なになに……? ついにからくり夏侯惇将軍の関節駆動を実現? 李典将軍の次なる野望……ってなんだこりゃ」
「からくり夏侯惇将軍のお話ですねー。造形が美しいと、華琳さまもひとつ持っているのですよ」
「いや……これ街のことと関係ないし……。凪さん……こんなことばっかりだと、さすがに逃げ回ってまで読み切る自信とか無くなってくるんですけど……」
「も、申し訳ありません……沙和にはきつく言っておきます……」
「でもこの次なる野望……全自動からくりってのはすごいかもな。実現したらそれはもう……マテ、全自動?」
「うー? どうかしたのですか、お兄さん」
「いや……ちょっと気になって。そういえば凪、以前の書簡で、夜に───」
「! 隊長、下がってください!」
「へ? ───おぉわっ!?《ぢゅいんっ!!》キャーーーーッ!!?」

 読み進める書簡の中に気になることがあれば、せっかくだからと凪に訊いてみたり、その直後に……突如として現れた華雄に襲われたりと……まあ忙しい。

「かかかかか華雄ぅうーーーーっ!! 出会いがしらに斧振るうのは危ないってあれほど言っただろぉっ!?」
「む? 言われてなどいないが?」
「ごめん言ってなかった! でも危険だからやめよう!? 凪が止めてくれなかったら死んでたよ今!」
「いや、私もよく解らん。ただ貴様を見つけたら斧を振るってでも引き止めろと、春蘭が言っていたのでな」
「なっ……!」
「豪快な引き止め方ですねー……」
「まあ……春蘭さまらしいといえばらしいですが……」
「……じゃあ、引き止まったから俺達もう行くな?」
「なに? 我が斧に懸けて、貴様は私が引き止めておかねば───」
「俺を引き止めたら飴が貰えることになってるんだ。はい、おめでとー」
「……そうなのか。季衣が祭りがどうのと言っていたが……なるほど」

 捕まったりしてもなんとか誤魔化したり切り抜けたりで、風が疲れればお姫様抱っこ(書簡は風に持ってもらって)で運び、とにかく逃げ回りの時間が続いた。

「ううー、お兄さん? 風の飴は配布物ではないのですよー?」
「ごめんごめん、この騒ぎが終わったら、きちんと買って返すから」
「おお、金で解決とは中々狡賢くなりましたねお兄さん」
「人聞きの悪いことを言わんでください。───凪、周囲の気配はどうだ?」
「前方より一名……こちらへ近づいてきています。これは……霞さまです」
「霞っ!? まずいな……切り抜けるのは難しそうだぞ……」
「というかお兄さん? 一つくらい手伝っても罰は当たらないのではー?」
「そこゆく軍師さん? 軍師としての一言をどうぞ」
「捕まったらそれで最後ですねー。霞ちゃんの用事が終わったら次の誰かが待ち伏せていますよ」
「……だめじゃないか、それ」

 そんなわけで静かに逃走……したのだが、これで鼻の利く霞だ。
 あっさり見つかってしまい、追いかけっこになった時点で宅の神速将軍さんは馬まで刈り出してオワァーーーーッ!!?

「うわわわわわ霞あぁあーーーーっ!! こんなことに馬まで出すなぁあーーーーっ!!」
「それが人の顔見るなり逃げた男の言葉かいっ! 一刀はウチと居たないんかっ!?」
「居たいけど事情があるんだって! 三日の内に書簡整理しなきゃっ……!」
「おー! それなら聞いた! 聞いたで一刀〜♪ あの甘興覇相手になかなかしぶとく戦っとったらしいな〜!」
「どんな理由でそんな嬉しそうな声出してるのかは想像がつくけどっ……! 馬で追いながら話すことじゃないだろぉおーーーーーっ!!」

 逃げ回った。
 不機嫌っぽかったのに、俺の鍛錬の話になると嬉しそうな声を出して、しかし馬で俺を追い詰める霞から。
 そっちがその気ならと馬が通れない場所に逃げ込み、その上でさらにさらにと走った。
 持久力は随分と上がっているから、走り続けることには慣れていた。
 鍛錬やっててよかった……それ以前に、氣を習っておいてよかったと心から。
 そんなこんなでやはり逃げ回り、

「そこまでです、一刀殿」
「っ! 稟か!」
「おお稟ちゃん、姿を見せないと思ったら……今まで“事”の流れを読んでいたと……そんなところですかー?」
「風ですか。なるほど、そちらに付いていたと。道理で姿を見ないと思いましたが……ですがそれも《ズボォッ!》ふひゃあーーーっ!?」
「うおおっ!? 稟!? 稟ーーーっ!?」
「これは……落とし穴、でしょうか、隊長」
「どう見ても……。しかもこんなことするのは……」
「あぁあーーーっ!! 人が苦労して掘った穴をっ!」
「やっぱりお前か桂花……」
「やることがもはや定着化してきてますねー……」
「風、こういう時は馬鹿の一つ覚えって言ってやるんだ。真っ直ぐに相手の目を見て」
「あんたなんかに馬鹿呼ばわりされる覚えはないわよっ! 大体あんたが落ちるはずだったのに稟を誘導なんかして! あんたが落としたも同然よ!」
「どういう理屈だそれはっ! そもそも掘ったのがお前なんだろーが! ……大体、味方の軍師を落とし穴にはめたりして、これが戦場だったら華琳になんて言われるかな」
「《ぎくり》うぐっ!? ……な、なにが言いたいのよ……」
「きっと華琳の自室に呼び出されて、たった一人で想像もつかないようなお仕置きを華琳直々に……」
「お、お仕置き……華琳さま直々に……華琳さまが、華琳さまのお美しい手が、口が……ああっ、いけません華琳さまっ、そんなところ……っ……お口が汚れてえへへへへー……♪」
「じゃ、行こう」
「……久しぶりなのに桂花ちゃんの扱いに慣れてますねー、お兄さん」
「お仕置きという言葉に、あそこまで素直に反応する桂花さまも、その……相当ですが」

 書簡を見ながらの移動(逃走)は続く。
 ある時は城壁の上へ、ある時は川へ、またある時は山へと登り、しかし書簡を読み終えると自室か隊舎に戻らなくてはいけなくて、そこがとにかく大変だった。
 なにせ……自室の前に、春蘭が待ち構えていたからだ。一応注意しながら覗いてみたこともあり、発見されることなく通路の角から様子を見ている状態である。

「お兄さん、合図をしたら大声を出してください。誰かから逃げているような声が理想的ですねー」
「解った。……………」
「…………はい、いいですよー」
「よしっ。ウ、ウワー! 見つかったー! 逃ーーげーーろーーーっ!」
「…………お兄さん、真面目に逃げる気ありますか?」
「真顔は勘弁してください……こういうのってどうも慣れなくて」
「あ……いえ、隊長。成功したようです……」
「ふはははそうか見つけたか! 何処だ北郷ぉおおっ! もはや逃れられんぞぉおっ!!」
「…………元気よく飛び出していきましたねー」
「春蘭が部屋の見張りでよかったよ……」
「しかし隊長、部屋の中にまだ誰か……これは……秋蘭さまです」
「うあっ……それは、まずいな……ていうか今の、合図を待つ意味ってあったか?」
「う? べつにありませんが、なにかー?」
「……いや……いいけどさ……」

 本当に鬼ごっこみたいになってしまっているので性質が悪い。
 缶蹴りと鬼ごっこを足したような感じだ。ただし捕まって苦しむのは俺だけ。
 そんなことをやっているというのに、俺の顔はどうしようもなく笑っていた。
 なんだかんだで楽しいのだ。
 魏のみんなと一緒になにかをしているって、ただそれだけのことが。

「隊舎の方に行くか?」
「いえいえそれには及びません。丁度いい方向へと走っていってくれましたので、上手くすれば───」
「うあぁあああああーーーーーっ!!?」
「…………? 春蘭の声? って、あっちは……」
「はいー、桂花ちゃんの落とし穴がー」
「姉者っ……姉者どうした! 姉者ぁああーーーーーーっ!!」
「あ……秋蘭さまが……」
「ふふふー、これで誰も居なくなりましたねー」
「……軍師ってここまで読めてこそなのか?」
「相手を知ればこそですよ、お兄さん」

 そんなわけで、感心する速度で走っていった秋蘭を見送りつつ部屋へ。
 書簡を掻き集めると再び隊舎へ行き……あ、見張りが───

「! 北郷隊長、ご無事でしたかっ」
「へ? ご、ご無事って……」
「隊長、北郷隊のほぼは隊長の味方です。誰かに見つかる前に中へ」
「……なんか、知らぬ間にどんどんとコトが大袈裟になっていってるような」
「まるで戦の中を駆けているようですねー」
「北郷隊長が無事に逃げ切れれば、復帰も早まると聞いておりますっ! 自分はそれを望むものであり、それを手伝えることを嬉しく思いますっ!」
「……お前……」
「お兄さんは両方いけるクチですか?」
「風さん!? ここでそういうヤボはよそう!?」
「隊長、急いでくださいっ!」
「うおおすまんっ! 今行くからっ!」

 ドタバタと走り、ドタバタと去る。
 いっそ味方の多い隊舎に居たほうがいいんじゃないかとも思ったが、それはあれだ。
 確かに北郷隊の本拠みたいになってはいるが、“上”にはどうしようもなく逆らえないのが下の務めの範疇。この時代では特にだ。
 なので別の兵に見つかる前に確認済みの書簡を置き、再び書簡を抱えて走るわけだ。
 ていうか腹減った! もう昼回ってるだろうけどなんにも食べてないよ俺!
 しかしここは我慢だとみんなから逃げ回る時間は続いた。
 さすがに俺を探すためとはいえ仕事を抜け出すわけにもいかず、しばらくすれば俺を追う影の数も減ってゆく。
 凪も「これ以上は……」と隊舎の方へ戻っていき、俺と風だけになる。

「お腹空きましたねー……」
「俺のことは気にしないで食ってきたほうがいいぞ? 俺は山の方で木の実でも取って食べてるから」
「……しばらく見ない内に野生味が増しましたねお兄さん。そんなお兄さんにもし襲われたら、風はどうなってしまうのでしょう」
「襲いません。……代わりに、抱き締めるけど」
「《きゅむっ》おおっ、まさかお兄さん、こんな川のほとりで風を……」
「襲わないってのっ! …………ん、充電完了。これでもう少し頑張れそうだ」
「……支柱になるのも楽ではありませんねー。いっそ皆さんを受け容れてしまえば、こんな我慢をする必要もないと、風は思うのですよ?」
「それも考え方次第なんだろうけどなー……理由が逆になりそうで嫌なんだ。他国の女性を抱きたいから支柱になった、みたいでさ」
「むー? 違うのですか?」
「違いますよ!?」
「───見つけたっ! 兄さまっ!」
「キャーーーッ!!?」
「やれやれ、急に大声を出すからこんなことになるんだぜー兄ちゃん」
「ホウケイは黙ってなさい! 逃げるぞ風!」
「はいはい〜」

 逃げ回った。
 風を連れ、書簡を開き、一息つけば見つかり、空腹に苦しみながらも我が道突き進む一直線の光が如く……!

「おっ! 見っけたでぇ一刀!」
「霞っ!? すまん! 今追われてるからまたあとでな!」
「おー! って見逃すわけあらへんやろっ!」
「やっぱ駄目かっ!? だったら逃げる!」

 それはまるでいつかの光景。
 稟のことで華琳から北郷一刀捕獲指令が出された時のように、諦めない者はとことん諦めず……(主に霞と桂花)逃げる足も段々と遅くなってくると、危険ばかりが伴った。
 途中で風を解放して、昼餉を食べに行ってもらったけど、果たしてまだ昼が残っているかどうか。俺は……完全に食いっぱぐれだろう。それはもう諦めた。

「はっ……はっ……! み、みんなっ……しつこすぎっ……!」
「あーっ! 一刀見つけたー!」
「へ? ───天和!?《がばしっ!》ぐはっ!?」
「っへへー、ちぃも居るわよー?」
「私も居る」
「………」

 ぜーぜーと息を荒げ、ようやく逃げた先で……天和に見つかり、地和に抱きつかれ、人和に逃げ道を塞がれた。
 ああ……終わった、終わったね、これ。
 すまん風、凪……俺は志半ばで力尽きることに……!


───……。


 で……

「というわけで、一刀さんには久しぶりに私達の世話役をやってもらいたいの」
「……代理は居ないんだな」
「やらせてみたけど駄目ね、あんなの駄目。自分がちぃたちのことを近くで見ることしか頭にないんだもん」
「それにぃ……三国連合舞台で正式にお披露目するのは、一刀と一緒にって決めてたしねー♪」

 久しぶりに連れてこられた事務所で、そんなことを説かれた。
 内装は……以前見たままだ、むしろ懐かしい。

「正式お披露目って、前の三国連合の時に歌ってたじゃないか」
「うーうーん? あれじゃあだめなのー♪」
「そうよ。ちゃーんと一刀が用意してくれた舞台で、一刀と一緒じゃなきゃ意味ないでしょ?」
「そう。次の三国が集まる時に合わせた計画を、早速今から纏めたいんだけど……」

 チラリと上目遣いで見られた。目が語りかけてくる……“手伝って……くれる?”って感じに。
 いや、それ以前に頼まれたら断れない状況にありまして……いや。

「よし解った、華琳からの条件を抜きにしても、それは是非手伝いたいからな」
「っ───本当!?」
「おおうっ!? ほ、本当本当っ……!」

 顔を綻ばせ、急に近づいてきて俺の手を取る人和の勢いに、思わずたじろぐ。
 落ち着いた纏め役ってイメージがあるから、時々取るこういった行動には結構驚かされる。でもそれだけ素直に喜んでくれたってことだろうし、なんだか俺も笑顔になる。
 ……懐かしい感覚。
 なるほど。懐かしみたいって気持ち、今実感してるよ凪。

「連れてきておいてなんだけど、そんな安請け合いしていいの? 三日以内に自分の仕事、片付けなきゃいけないんでしょ?」
「解ってて突っ込んでくるのがお前達だからなぁ……いいよ、引き受ける。そのかわり、ちゃんと頑張ってくれよ?」
「えへへー……言ったでしょ、一刀。わたしにかかればみんなイチコロなんだから♪」
「大陸制覇は華琳さまが成した。次は、わたしたちの番だから」
「見てなさいよー? 一刀にちぃたちのこと、改めて惚れ直させてやるんだからっ」

 三人は相変わらずだ。
 一緒に“おー!”って叫んで拳を突き上げ笑っている。
 惚れ直す、なんてことは……天で恋焦がれ、戻ってきて……顔を合わせた時点でしちゃってるんだけどな。
 また惚れ直させてくれるんだろうか。そう思ったら、なんだかくすぐったくなってきた。

「じゃ、早速始めるか」
「その前にお昼!」
「その、一刀さんを探していたから昼餉がまだで……」
「一刀、もちろんおごってくれるよね?」
「…………お前らなぁ……」

 つくづく相変わらずの状況に、もう乾いた笑いしか出なかった。
 それでも三人に見つめられ、ねだられてしまってはこの北郷……財布の紐を緩めるしかなかったのだ───。
 すまん桃香。給金、使わせてもらう……。


───……。


 街で食事を取り、空腹のままで居る必要がなくなったことに歓喜しつつも書簡に目を通す。人和に行儀の悪さを指摘されてもなんとか許してもらい、食事が終わればマネージャー業務再開。
 人和とともにこれからのことを話し合い、そこに天和と地和が首を突っ込み、纏まりかかった知恵を掻き混ぜていく。
 それでもなんとか“今日はこれくらいに”ってところまで漕ぎ着けると、ようやく解放されて───

「疲れた……懐かしめるけど、疲れ《ポム》……? 誰───」
「か〜ずと〜♪」
「…………ドウモ、霞サン……」

 肩を叩かれ振り向いたのち……俺は“解放”の言葉の意味をしばらく考えた。


───……。


 ずり……ずりり……!

「ぐっは……! なんだって今日、祭りのリベンジに向けての特訓なんて……!」

 大人げない伝説を残した霞との突撃騎馬戦の練習(らしい)を終え、疲労した体で通路をゆく。練習は練習なんだが、ハチマキを取られないように躱しつつ、ウチのも狙ってみぃって感じのバトルだったもので、最初は嫌々、途中から無駄に白熱して……この有様である。
 ていうか仕事と関係なくない? 引き受け損だったんじゃあ……いやまあ、物凄く楽しそうで嬉しそうだったからいいんだけどさ。俺も嬉しかったし楽しかった。うん、それは確かだ。
 けど、書簡を読む余裕なんてなかったな……部屋に戻って早く……《がしっ》

「…………ア、アノ……ドナタカ存ジマセンガ、僕……部屋ニ……」

 後ろから腕を掴まれた。
 振り向くのが怖いんだが、怖くてもカタカタとゆっくり振り向く自分の顔。
 やがてその先にいらっしゃる魏武の大剣さまを前にし、俺は……少しだけ泣きました。


───……。


 ざしゃっ……ざしゃっ……

「もう、もう戻るぞ……! 帰るんだ……部屋に、俺は……!」

 春蘭に頼まれ、等身大華琳さま人形用の服を買いに行った。
 手が離せないから買ってきてくれと頼まれた、と言うべきか。もちろん一人で。
 ああ、それはもう服屋に生暖かい目で見られたさ……!
 警備隊の仕事に戻ってたらしい沙和と真桜にもきゃいきゃい茶化されて、けど内緒だから言うわけにもいかなくて……! くぅう……!
 ちくしょう神様俺が何をしたぁあーーーーっ!!

「春蘭も春蘭だよ……華琳が成長するたびに手入れするのは解るけど、そのたびに服を買い換えなくてもいいだろうに……!」

 今度無断で侵入して、華琳さま人形にメイド服でも着せておいてくれようか。
 いや、新たに意匠を凝らして春蘭秋蘭が熱い溜め息を吐くような、華琳さま人形用の服を……!

「……なんかそれなら普通に華琳にプレゼントした方がいい気が……」

 ちょっと考えておいてみようかな。
 けど、ああやって人形の手入れをしている春蘭本人が、まさか人形のモデルになってるとは思いもしないだろうなぁ。
 からくり夏侯惇将軍……あれは確かに見事な出来栄えだし。
 真桜が調整して関節駆動を可能にしたものはより一層だ。

「……て、そうだよ。華琳さま人形」

 気になってたことがあった。
 動くからくり夏侯惇将軍の実現への目標、華琳さま人形、そして……夜に歩く冷たく硬い女性。
 案外それって真桜が春蘭と企ててる、動くからくり華琳さま人形だったり……?

「まさかな、ははは」

 でも夜の冷たい少女の話……あれを警備隊がずっと放置している理由が、もし真桜がしでかしていることだからって理由なら、妙に納得がいくっていうか。
 代わりに華琳の耳に入りでもしたら───うん? 華琳の耳、じゃなくて目にはもう入ってる……んだよな? ああして竹簡に記されてるってことは。

(解ってて放置してる? それとも犯人が解ってて、好き勝手させてる?)

 ……解らん。
 なんにせよ部屋も目の前だ。

(もう陽も傾いてるし、追ってくる人影も随分減ったし、作業を進めよう)

 扉を開き、中へ。

「うふふふふはははは! やっぱり戻ってきたわね北ご」

 パタム。
 ───閉めた。
 なんか居た。
 腕組んで仁王立ちめいた立ち方で俺を待っている何かが。
 猫耳フードのようなものを被り、ひらひらした服を着た役職軍師な何かが。

「───そうだ、京都、行こう」

 疲れていた俺はそう言い残し、とぼとぼと隊舎を目指した。
 もはや捕まって仕事を頼まれようとも構わない。
 ただひたすらに余った時間に書簡を見つめる修羅であれ……!!
 嫌な予感しかしないから、桂花からは逃げる方向で。
 なんて思っていると早速、通路の先からズシャアと滑り込む誰かの姿。

「あっ! 兄ちゃん見つけた!」

 季衣である。
 もう陽も傾く頃だというのにまだ探していたのか、今度こそはと走ってくるその姿へと───自ら駆け出す!!

「季衣!」
「兄ちゃん!」
「季衣ーーーっ!」
「兄ちゃーーーんっ!」

 ともに駆け、通路の真ん中でガッシィイと抱き合った。
 お約束といたしましては、その勢いを外側へと軽く向け、回転するのが美しい。
 そんなわけで抱き合ったままの状態でくるくると季衣を振り回し、すとんと着地させてから改めて向き合う。

「えへへー、なんか解らないけど楽しかった」
「こういうのはやったもん勝ちだからな。で、季衣もなにかしてほしいことがあるのか?」
「え? んー……もう終わっちゃったからいいや。流琉と交代でやってて、出来たら兄ちゃんと一緒にやりたいなーって思っただけだし」
「そ、そっか。なんか悪いことしたな」
「兄ちゃんにもやらなきゃいけないことがあったんでしょ? だったらいーよ、一緒に騒げて楽しかったもん」
「………」

 いい娘だ……!
 真っ直ぐ見上げられての純粋な言葉が、こんなにも胸に届く……!

「よし、じゃあ一緒に夕餉でも食べに行こうか」
「え? 兄ちゃん仕事はいいの?」
「なんとかなるっ、いや、なんとかするっ!」

 そもそも何か入れないと倒れそうだ。
 昼はなんとか食べたものの、引っ張りまわされた所為か消化が早い。
 まるで体が、必要な栄養素を胃袋の中のものからシュゴーと吸収しているかのようだ。
 それよりなにより、純粋な言葉と瞳に心打たれただけってのもあるけど。
 そんなわけで途中で合流した流琉とともに厨房へ行き、せっかくだからと腕を振るう流琉を手伝い、完成させ、ともに食し、夜を迎えた。


───……。


 騒がしい一日は流れるのが早い。
 あれから厨房を訪れた秋蘭に軽く頼まれごとをされたり、落とし穴に落ちて以降は見てなかった稟にも軽い頼まれごとをされ、ひと段落を得てからは書簡を手に自室へと戻った。
 今日は侍女さんが届けてくれたらしく、袁術も空腹に苦しむことはなかった様子。
 しかし一人じゃあつまらなかったらしい袁術に軽く怒られながら、書簡整理を続けた。
 三日に分けるにしても量が多い。
 明日明後日となにが起こるか解らない以上、出来るだけ整理しておくべきだ。
 幸いにして鍵は俺が持っていていいことになったし、明日はいいスタートダッシュが出来そうだ。


───……。


 二日目の早朝───起床、そして突撃。
 確認を終えた書簡を抱えて隊舎へ。
 書簡を納めるとともに、その場で確認出来るだけ確認し、誰かが近づく気配を感じれば即座に逃走。
 ちと反則だが昨晩の夕餉と一緒に作っておいたおにぎりを頬張り、腹を満たしての行動は続く。

「お兄さんお兄さん、こちらですよ」
「あっ───風! 昨日は助かっ───《がしり》……あれ?」
「むふふふー……♪ 昨日は非番でしたが、今日はしっかり仕事がありまして。それでですねー、お兄さんには少々手伝ってもらいたいことがあるのですよー」
「いきなりやっちまったぁあーーーーーっ!!」

 ……早朝、風によりあっさり捕獲される。

───……。

 朝……解放。
 仕事といってもそう難しいものではなく、言葉通りの“少々”の手伝いだったこともあり、割と早く解放された。
 少々って言うだけあって、書簡を覗く暇もなかなかにあったし。

「よし、自室と中庭には桂花が居るかもしれないから……《ひしっ》ややっ!?」
「兄ちゃんみーーっけ♪」
「…………ヤア」

 ……朝、季衣により背後から捕獲。
 昨日のこともあり、断るなんてことは俺には無理そうだった。
 まあ……断れないことになってるんだけどさ。

───……。

 いつかのように季衣が溜め込んでいた書簡の束の整理を流琉とともに終え、一息。
 ありがとー♪と元気に手を振る季衣に見送られて歩いた。

(あれ……? なんで俺、自分の書簡ほったらかしで別の書簡整理してたんだっけ……?)

 もういろいろと解らない。
 しかしあんな笑顔にそんなことを言えるはずもなく……うう。

「よ、よしっ! 今度こそ───《がしっ》……どっ……どなた、でしょう……」
「隊長見つけたのー!」
「うっへっへー、みっけたでー隊長〜♪」
「隊長……申し訳ありません」
「………」

 昼を過ぎた頃……三羽鳥に捕獲される。
 我ながら素晴らしい速度で季衣の書類を整理できたなと、ポジティブに考えていた時のことでした。

───……。

 カロカロカロカロ……!

「お前らなぁあ〜〜……! あれだけ溜め込むなって言っておいたのに……!」
「だって〜、そういうのって隊長がやっててくれたから、沙和たちじゃ解らないことってどうしようもなくあるんだもん〜」
「ちゅーわけで勝手に消えた隊長が悪い」
「どう考えても溜め込んでるお前らが悪いだろっ!」
「うう……すいません……」

 報告するべきことの纏めを任された。
 今まで目を通してきた謎の竹簡の存在理由を確認できたわけだ。
 どう報告したものかを悩んだ挙句があのゴシップ記事めいた竹簡。
 なるほど、理由はよく解った。解ったけど、納得はいかない。

「まだ俺も目を通してる最中だっていうのに……で、最近街で起きたことは?」
「あ、三区目の通りに美味しい甘味屋が出来たの〜♪」
「おお、あれはめっちゃ美味かったな〜!」
「わたしは、もう少し刺激があったほうが……」
「いや、好みの話じゃなくてだな……! ていうか最近の出来事を理解してない俺に、こういうのを任せるのって明らかに間違ってるだろっ!」
「や〜ん、隊長怒っちゃや〜なの〜!」
「そやで〜、他の娘ぉのは笑顔で手伝ってたや〜ん……」
「だったら笑顔になれることを頼んでくれ……頼むから……」

 気分は子供の自由研究を手伝わされる親。
 頼りの凪も計算などは苦手なままなようで、そういうところは俺任せになっている。
 ……今度、以前桂花がやってた仕事を引き受けて、教師の真似事でもしようか。
 このままだと蜀の子供達に知能レベルで負けてしまう。

───……。

 夕刻、解放。
 もう自分が何をするべきか解らなくなってきております。
 なんだったっけ? 書簡整理? ハハハやだなぁ、たった今終わらせたばかりじゃないですか。そんな僕にまだやれと?

「…………ハッ!? いやいやいやいややらなきゃいけないんだって!」

 危ない危ない! 意識がいろんな意味で飛びかけてた!
 まだ時間はあるし、出来なかった今日の分のノルマを達成させる!

「そうと決まれば書簡を───」
「おー一刀〜♪ 一緒に酒呑も〜♪」
「…………OH()……」

 夕刻……霞と、その後ろでうむうむと頷く華雄に捕まった。
 泣いていいですか?

───……。

 とっぷりと夜。
 酔い潰れるようにして眠る霞と華雄を寝台に寝かせ、掛け布団をかけてやる。
 ふらふらになりながらも霞の部屋をあとにして、自室に戻ると書簡整理を続行……するも、酔っている状態で満足に整理出来る筈もなく、撃沈。
 袁術に泣きつかれたが、寝台まで歩く余裕などなかった。


───……。


 三日目、早朝。
 もはや一刻の猶予も無しと、昨日の分と今日の分の殲滅……もとい、整理にかかる。
 その気迫はもはや人を近づけさせなくなるほど激しい様だったと、のちに誰かが語る。
 それはそれとして自室と隊舎を、氣を行使しての疾駆で行き来する様は異様。
 誰が見ても書簡整理をしている男には見えなかったことだ《ズボドシャア!!》

「ギャアーーーーーッ!!?」

 ───ろう、と続けようとしたところで落とし穴に落ちた。

「おほほほほほ! ついにっ……ついにかかったわね北郷! 寝る間を惜しんで掘った甲斐があったわ!」
「けっ……けぇえええいふぁぁあああああああああっ!!!!」

 無駄なことに時間と労力を割く軍師さまの登場である。

「おまっ……こんな誰でも通るところに落とし穴とかっ! 侍女の誰かが落ちたらどうする気だっ!」
「落ちる前に呼び止めるわよ。落ちるのはあなただけでいいんだし」
「とことん鬼ですね!? っと、こ……おっ……! あれっ!? 妙に体がハマって……」
「…………《にぃいいやぁああ……!》」
「いっ……いやっ! ハマってないっ! ハマってないぞっ!? だから人を見下ろしてそんなあからさまにニヤケるとかっ……! や、やめろ! ぶはっ! 土なんか被せてどうするっ───やめっ……! やめろぉおおっ!!」

 落とし穴自体は、そう深いものではなかった。
 が、問題なのは落ち方であり……妙な感じに体を庇ったために、顔と爪先とが穴から軽く出ているような……そんな状態。
 そこへと容赦なく土を掛け始める桂花……って、待っ……ほんとシャレにっ……!!


   ギャアアアアアアアアア………………!!


───……。


 で…………約束の日。

「……以前のように刻限は設けてなかったわけだけれど……見て明らかね。一刀、約束通り、鍛錬は禁止。ただし模擬戦等、他者の相手や必要な時は例外とするわ。……何か、言いたいことはあるかしら?」

 あっさりと鍛錬禁止が言い渡された。
 俺はといえば……

「───…………」
「一刀?」
「───…………」

 頭の中が真っ白になっていた。

「…………華琳さま、放心しております」

 とことこと華琳の傍から歩いてきた秋蘭が、俺を見て一言。
 玉座の間にて、跪きながら、言い渡された言葉に放心。
 これまでの努力が……落とし穴……よりにもよって、桂花の落とし穴に……。
 生きてるだけ凄いけど、抜け出すのにどれほど苦労したか……。
 まさか埋められるとは思ってもみなくて、なんとか顔は地上に出てて、呼吸も出来たけど……ご丁寧にその周囲をパンパンと固めていきやがりましたからね、あの軍師さまは。
 ああでもなんだろう、このまま心を放っていけば、どこへだって行けそうな気がした。
 見上げれば、天井しかないはずのそこから光が差し込んで、手を伸ばせば飛んでいけそうな───そんな予感が……

「秋蘭? 北郷の口から白っぽい煙のようなものが出ているようだが?」
「なに? おお、これは奇怪な……」

 ……ぼてり。

「っ!? かずっ───北郷!?」

 倒れた。
 なんかもう気が遠くなるって言葉が、打撃とか氣の使いすぎ以外で訪れるなんて珍しいって思いとともに、スゥっと意識が混濁して。
 秋蘭が“一刀”って呼びそうになったのを耳で受け止めながら、俺の意識はぶっつりと途切れた。


───……。


……。

 …………なでなでなでなで……

「うみゅ……の、のう一刀? なぜ妾の頭を撫でるのじゃ……?」
「ほっほっほ……それはねぇ……袁術がめんこいからじゃよぉ……」

 心がやさしさに満ちておりました。
 もはやこの北郷、何に対しての邪念も浮かびませぬ。
 儂はやれることをやり、敵の罠を見抜けず落ちた……このような老兵は、もはや戦場には要らぬのじゃ……。

「目覚めてからずっとこんな感じや……現実に耐えられなくて逃避しとんのとちゃう?」
「呉でも蜀でも鍛錬をしてたって聞いたの」
「た、隊長! しっかりしてください! 隊長!」

 目覚めて最初に見たのは天井。
 起き上がると傍で袁術が心配そうに俺の顔を見ていて、俺はといえば気を失う理由を思い出して……いろいろと落ち込んだ。
 落ち込んで落ち込んで……結局は書簡を整理しきれなかったのは、何がどうであれ自分の落ち度だと受け取り……受け取ったら心が酷く落ち着いた。落ち着いたら、俺が儂に変わっていた。
 ああ……何もかもがみな懐かしい……。
 儂ゃあ……何を躍起になっておったのかのぉ……。
 ほっほっほ、まるで全てが遠い昔のことのようじゃわい……。

「これこれ、そんな大声を出すもんじゃないよぉ……。おぉそうじゃ、お小遣いをやろうかの……これでお外で遊んできなさい」
「うわっ、なんか気色悪いほどやさしいで!?」
「隊長……わたしたちが自分の仕事を押し付けたばっかりに……!」
「うぐっ……さすがにこんな状態の隊長見ると、何も言い返せんなぁ……」
「でも、鍛錬ってそんなにしたいものなのかなー。隊長って前までは、鍛錬とか嫌がってたのに」
「そらぁ……へっへっへー、男として変わりたいとか思ったのとちゃうん?」
「え? それって───」
「〜〜〜……やっぱりだめだ! 見ていられない! 華琳さまに話を通して、隊長の鍛錬の日を取り戻してみせる!」
「へっ? や、そら無茶やで凪っ! 大将が決めたことを簡単に撤回するお方やないこと、凪かて知っとるやろぉ!」
「だがこんな、ただただやさしくなっていく隊長などっ……!《きゅむ》へわっ!?」

 傍の椅子に座り、儂を見ていた凪の手を掴み、引き寄せた。
 そして、「椅子にお座り」と促し座ってもらうと、その頭をやさしく撫でる。

「た、隊長……?」
「大丈夫じゃよ、儂は……なぁんも心配はいらんよ……。凪や、笑っとくれ。儂はもう、しっかりと受け容れたんじゃからなぁ……」
「《なでなで》……隊長……」
「や、受け取っとるんやったら元の口調に戻してくれへん?」
「……………………《スゥウウ……》」
「うわっ! めっちゃ自然に涙流した!」
「隊長すごいの! 普通は瞬きとかするのに!」
「いや……あのね……? なんかさ……口調でも変えて、心が落ち着いたフリでもしないとさ……涙がこう……」

 やさしい気持ちにはなった。それは事実だけど、ただ単に苦労が報われなかったって悔しさが怒りにまで達しなかったってだけで……悔しくもあるし悲しくもあるのだ。
 行き場の無い悔しさの行き先が、やさしさだっただけ。ただそれだけ。

「はぁ……華琳の前で鍛錬してみせたのは失敗だったかなぁ……」
「お、口調、元に戻ぅとる」
「《なでなで……》あ、あのっ、隊長……? そ、そろそろ……」
「そうなのー! 凪ちゃんばっかりずるいよー!」

 鍛錬禁止は決定。
 しかし他者の相手になるなら構わないというのなら、それはまだ救いがあった。
 氣の練習はいつでも出来るし……思春が誘ってくれても、それは他者の相手ってことで納得されるのかな。いや、無理だろうなぁ。
 そんなことを思いながら、看病(?) を任された凪、真桜、沙和に騒がしく看病(?)されながら、鍛錬の日ってものを手放した。
 今度木刀を振るえる日はいつになるんだろう。
 小さく考えたことを頭を振るって追い出して、この日常を受け容れる。
 そんな俺を見た袁術が心配そうな目を向けたが、なんでもないよと返して。
 後ろ盾が出来た途端に対人恐怖症も多少は薄れたのか、自分に強い意識を向けない相手なら大丈夫なだけなのか、三人が居ても袁術は平気そうだった。
 ……ただ、左手でず〜っと俺の服を掴んだままだったのは、気になるところではあったけど。

「よしっ、書簡整理するかっ」
「え゙……まだするん?」
「鍛錬は鍛錬、仕事は仕事だ。自分の知らないところで書簡溜められても困るからな。さっさと復帰しないと」
「うぐっ……言い返す言葉もないわ……」

 ドタバタして、鍛錬禁止が言い渡されてもやることはやろう。
 むしろ何もしないでいるとどうにかなってしまいそうだ。
 そんなわけで、三日後ってこともあり元・鍛錬の日ってこともあり、無駄に有り余ったやる気を仕事にぶつけた。
 せっかくだから三人に軽い授業をしてみながら。
 三人は多少嫌がっては居たものの、書簡整理を手伝わせた負い目もあってか素直に受けてくれた。
 ……ほんと、そんな軽いことでもう笑ってる自分が居るんだから、この国は心地良い。

「……うん」

 誰にともなく「これからもよろしく」と唱えて、仕事と授業を再開した。
 この三日間にあった、確かな懐かしさと騒がしい空気を振り返りながら。




ネタ曝しです  *風がなぜここで寝ていたのか、などという質問は……お兄さん、些細なことなのです。  ジョジョ第五部、スパイスガール。  ワタシが何処に居るのか、などという質問は……トリッシュ、二度としないでクダサイ。  たしかそんな言い回しだったような。  *……日課? まあいいや、日課だ  ケロロ軍曹より、ケロロ軍曹の呟き。  いい人すぎるよ……ん? 人? まあいいや、いい人だ。  *それは絶対に絶対です  ワイルドアームズのセシリアさんの言葉。  たしかエピローグ的な部分で手紙で語っていたはず。  焼きそば、好きですか?  *どこかのミ○トくん  キン肉族に仕えるどこぞの星の頭脳。シュラスコ族らしい。  バラバラになってもくっつければ直る。もう治るじゃなくて直るでいい。  48話をお送りします。ドタバタ物語、大好きですって48話です。  あまり長いようなら分割した方が見やすいかなぁと思う今日この頃。  kbが60を越えるようなら割ったほうが見やすそうです。  今回は43kb、前回が61kbとなります。  一番長いのが2話の74kb、32話の73kbとなります。  ここまでくると普通に割ったほうが見やすいです。  こんな調子だからTINAMIでも投稿できなくなったのかしら。  苦い思い出です。  あ、あと、落とし穴に落ちた人に土を被せるのは大変危険ですのでやめましょう。  ……当然ですね。  追記:今さらですが、小説家になろう!でのギャフターへのアクセス数が、255万に達したらしいです。本当にありがとうございます。     (09/08:そういえばと今見てみたら344万になっていました。ありがとうございます、本当にありがとうございます) Next Top Back