92/静かな日(再)

 静かな日、騒がしい日。
 そういった日常が幾度か流れ、何度目かに訪れた非番の日。
 朝っぱらから自室で軽いトレーニングを始め、体がナマりきらないようにほぐしていく。
 鍛錬が禁止されてからというもの、模擬戦に誘われることは数回あったが───張りきりすぎて、誘われての鍛錬すら禁止されたらどうしようと、思い切り出来ずに居た。

「…………すぅ…………はぁああ……」

 なので“ならば部屋の中ならば迷惑はかかるまい”と、こうして部屋の中で鍛錬をしているわけだ。
 袁術に暑苦しいと言われようが構いません。
 そんなことを自覚しないで鍛錬が出来るもんか。

「……ふぅ」

 あれから───鍛錬が禁止されるきっかけになった鍛錬の日から、雪蓮とのイメージとは何度か戦ってみている。
 結果は……大体は負けいる。
 なにがどう吉に転んで勝てたのかは未だに解らないものの、“大体は”というからには時折に勝てていたりする。余裕で勝つのは無理すぎるが。

(イメージ、弱くなってきてるかな)

 自分の中の想像の雪蓮が、自分の思い通りになってきてしまっているんじゃあ、と考えると、勝てて嬉しい反面、あまり素直に喜べない。
 自分の感情に面倒臭い奴だなぁとこぼすものの、実際にこぼれるものなんて苦笑ばかり。

「あれから雪蓮も遊びに来ないし……何かあったのかな───ってはいはい袁術、雪蓮の名前が出た途端に震え出さないの」

 鍛錬を終える。
 汗をタオルで拭うと最後に大きく伸びをして、改めて袁術に声をかけると、ここ最近じゃあ恒例になりはじめている袁術との散歩が始まる。
 脱HIKIKOMORIとはよく言ったものの、俺と一緒じゃあなければ部屋の外に出ようとしないのだ、このお子様は。

「それで? 今日は何処に行くんだ?」
「うむ、楽しいところへ案内せよ」

 訊いてみれば、腰に手を当て、目を伏せてのふんぞり返りがそこにあった。
 俺はといえばそんな言葉に“了解”と返し、扉を開けて移動を開始。
 慌ててパタパタとついてくる袁術とともに、許昌での散歩を始めた。
 静かな日の静かな時間、そう騒がしくもない通路を歩き、どこからか聞こえる鳥の声に耳を傾けながら、何を話すでもなく袁術と歩く。
 袁術はノリ気だったくせに、外に出ると周囲に注意を払ってばかりで静かなものだ。
 ……しかしまあ、中々ずぅっと静かにとはいかないもので、

「む」
「お?」

 部屋から出て少しで、華雄と遭遇。
 軽く挨拶をしてみると、これから朝餉を取るところらしい。
 せっかくならばと袁術を促して厨房へ。
 散歩前の栄養を摂取すると、特にやることも無いらしい華雄も加わっての散歩が再開。

「目的は特にないのか?」
「たまの非番だしね。のんびり出来ることのありがたさがこの歳で理解出来るようになるなんて、この世界に下りるまでは思ってもみなかったよ」
「…………《きょろきょろ……カタカタ……》」

 華雄と話し、袁術が周囲を警戒しての、よく解らない散歩。
 それでも通路を抜け、街に下りると袁術の目は輝き、食べたばかりだというのに美味そうな匂いのする店の前へと駆けては俺に手を……振ってないな。手は突き上げて、“さっさとくるのじゃー!”的なことを言っている。
 俺はお前の財布じゃないぞーとツッコミは入れるものの、ねだられると弱いのはどうにも前から変わっていないらしい。反省。

「華雄も何か食べるか?」
「ふむ……では饅頭をいただこう」

 俺は特に何も買わず、二人に饅頭を一つずつ。
 歩きながら散歩を続け……

「お?」
「む?」

 秋蘭と遭遇。
 その横ではなにやら紙袋を手にした春蘭が。

「二人とも、今日は非番?」
「うむ。武官はこれで、案外暇でな。文官としての仕事も無いから、姉者の入用に付き合うことになった」
「そっか。で……春蘭、何持ってるの?」
「秘密だっ!」《どーーーん!》

 目を輝かせながらの言葉だった。
 なんというかこう……“ほんとは話して聞かせたい子供のような笑顔”、と言えばいいのか。そんな春蘭を見ている秋蘭は、なんだか幸せそうだ。
 せっかくだから訊き出してみようと一歩近づくと、それに合わせるように秋蘭が声をかけてくる。もしかして聞かれたくない話? だったら無理に聞かないほうがいいかもだけど。

「北郷、お前こそどうした? 華雄に袁術を連れて歩くなど珍しい」
「いつもの袁術との散歩に、華雄が加わったってだけだよ。出る気はいっぱいあるのに、連れ出してやらないと部屋の外に出ないからさ」
「そうか。ふふっ……愚痴のような言葉を吐き出す割には、楽しそうに見えるが?」
「はは……警邏目的じゃなく、楽しむためを目的に街を歩くと、どうもね」

 答えは予想出来ていたのか、秋蘭は目を伏せて軽く頷くだけ。
 それから軽く話し、別れると、また散歩が始まる。
 こっちの通りは前に案内したから……今日は向こう側の通りで行こうか。
 今日の計画を軽く組み立ててみるけど、どうしても平穏に終わりそうに無いって結論に至るのは、今までの経験の賜物だと受け取っていいんだろうかなぁ。

───……。

 街を行く。

「おー隊長〜、女侍らせて、えー気分やろなぁ……」
「真桜か。仕事中か?」
「今ようやっと溜め込んどったもんが終わったとこや……しかもこれからまた警邏……たいちょ、変わってくれん?」
「溜め込んでたお前が悪いだろ、それ。前にもそんなことやってたのに懲りないなぁ」
「隊長が消えた分、それらの仕事がウチらに回ってきたんやからしゃーないやん。ウチにはウチで、炉のこととか作っとるもんとかの報告が結構あって、大変なんよ……」
「消えたのはすまん。で、今何か作ってるのか?」
「へへー、それは秘密……秘密やで。綿菓子機も順調やし、溜めた仕事も終わった。あとはこっちのことに集中できるし……完成したら絶対にたまげんで、隊長……。むしろたまげてもらわんと苦労が報われんわ……」
「そ、そうなのか」

 途中、真桜と会って会話をして、別れると歩く。
 朝餉は食べたわりにあれこれ食べたいと言う袁術に、俺もまたあれこれと買ってあげて。
 華雄は饅頭のあとは特に食べたいと言うでもなく、許昌の街をのんびりと見て回っていた。

「おや、一刀殿」
「稟? 稟も非番か?」
「ああいえ、わたしは風と───」
「おおっ、稟ちゃんが早速、男に声をかけられているのですよ」
「───少々、華琳さまに命ぜられた事をしに」
「事?」
「はいー。まずはこの家の中を覗いてみてくださいー」
「……? 桂花……じゃないか。子供たちを前にして、何を……って、もしかして」
「桂花ちゃんのやり方では解りづらいとの不満が届きまして、時折にこうして風たちが駆りだされることになったのですよ」
「その。彼女に任せると、やれあの将はああだ、その将はこうだと、民たちに妙な理解を持たれてしまうので」
「いや、うん。よーーーく解った」

 街を歩けば人に会うのは当然だが、案外将のみんなとも会ったりした。
 桂花も相変わらずらしく、耳を澄ましてみれば、やっぱり華琳をお題とした計算を子供たちに説く声が聞こえてきて……この一年、ずぅっとそれを通してきたのかと思うと、逆に感心した。

「あ、兄ちゃーーんっ」
「…………なぁ華雄? 今日って将全員が非番……じゃないよな。稟も風も桂花も、仕事だったわけだし」
「うむ。大体、魏将の仕事の都合などをわたしが知るはずがないだろう」
「ごめん、それもそうだった。で、季衣、その格好からすると───」
「うんっ、お休みだよー♪ 今、流琉と一緒に春蘭さまと秋蘭さまを探してるんだけど、兄ちゃん知らない?」
「春蘭と秋蘭なら、こっちの通りに来る前の隣の通りで見かけたぞ。多分、城に戻ってると思う」
「あれ、そうなんだ。じゃあえっと……はいこれっ、あんがとねー兄ちゃーーん!」
「え、あ、おーい! ……お、お礼に肉饅渡されたってなー……! ……行っちゃったよ。あ、あー……華雄、食べる?」
「むぅ……腹は空いてはいないんだが……」
「では妾に献上するがよいぞ?」
「……いい加減、腹壊すぞ」
「平気なのじゃっ、美味いものは、べ……べつ、ばら? と、七乃も言っておったしの!」
「それ、“甘いもの”の間違いだからな?」

 歩き、誰かと会い、話し、別れる。
 なんとなく周りにも注意を向けて、空を見上げては苦笑。

「そういえば華雄。今日、霞とは?」
「会っていないな。昨夜は部屋で飲み明かしたが、朝になると既に居なかった」
「酒もタダじゃないんだから、呑み過ぎないようにな……」
「酒がダメならハチミツをすすればよかろ?」
「……ハチミツもタダじゃないからな? けど、酒か……落ち着いて呑むなんてこと出来なかったから、久しぶりに……あ、丁度酒屋発見」
「のう一刀……? こんなところにハチミツが売っておるわけなかろ……?」
「や、蜂蜜じゃなくて酒を買うんだって。さってとー……おやっさーん、いい黄酒(ホワンチュウ)あるー?」

 なにに対しての苦笑かといえば、まあ……あれだ。
 “これ、警邏している時とあまり変わらないよな”、って意味での苦笑だった。
 それでも気分だけは違うつもりで散歩を続け、昼がくれば昼餉も取り───

「あ、一刀〜!」
「一刀も昼、ここで食べるの? だったらちぃたちと───」
「言っとくが、奢らないぞ?」
「……一刀さん、いつもそうだからって、さすがにそれはないと思う」
「そーだよー、今日はちゃ〜んと自分たちのお金で食べるって決めたんだもん」
「そっか、悪い」
「なんだったら今日は、ちぃたちが奢ってあげてもいいわよ?」
「……………………今日ってエイプリルフールだったっけ?」
「えい……なに?」
「エイプリルフール。天で言う、嘘をついていい日のことだよ」
「あー、一刀ひどーい! せっかく奢ってあげるって言ってるのにー!」
「ああいや、すまん。普段から聞き慣れない言葉だったからつい……でも、いいのか?」
「っへへー、たまにはどーんと食べさせてあげるわよっ! じゃ、一刀はちぃの隣ね?」
「だめだよちーちゃん、一刀はわたしの隣に座るんだから」
「どっちも隣に座ればいいでしょ。わたしはいいから、どうぞ」
「あ、じゃあこうしよ? ちーちゃんとれんほーちゃんは一刀の隣。で、わたしは一刀の膝の上」
「ちょっと待ていっ、どうしてそうなるっ」
「そ、そうじゃそうじゃ、大体一刀の膝には妾が座るのじゃっ」
『…………一刀……』
「いやいやいやいやっ! なんだその“またこの男は……”って目! 別に俺なにもしてないぞ!? ただ袁術が気に入ったとかで、いつの間に膝の上にだなっ……!」
「じゃあちぃも気に入ったから座るっ!」
「いつ誰が座らせて気に入らせたぁあーーーっ!!」
「今から気に入るわよっ! 文句ないでしょそれで!」
「……理屈的には間違っていないわ」
「理屈ではそうかもだけどね!? ってこらこら引っ張るなっ! 俺はただ静かに食べっ……あ、あーーーーーっ!!」
「《きゅるるる……》……むぅ……どうでもいいが、早く済ませてほしいんだが」

 可愛らしくないた華雄の腹のお陰で、その後の食事は穏やかに……済むわけもなく。
 終始を騒がしく過ぎた昼餉は、張三姉妹と別れることで終了。
 引き続き散歩をしながら、“奢りで食べる料理は美味いなぁと思う暇も無かった……”なんて他愛の無い話をする。
 他愛はないが、いろいろこもっている気がするのはこの際忘れよう。

「何事もないのが一番だけど、何事もなさすぎると退屈だな……」
「そうじゃのぉ……」
「うむ……お前の周りはなんだかんだと騒がしいから、これほど静かなのも珍しいな」
「人を騒ぎの台風の目みたいに言わないでくれ」

 やがて街の案内も終わりに近づく。
 服屋できゃいきゃい騒ぐ袁術に対して、特に目を輝かせるでもない華雄。
 そんな彼女に服を見立ててみるも、これといった関心がないのか、試着すらしなかった。
 そうした時間が過ぎて、また夕日が空を染めていく。
 途中途中では騒がしかった散歩。
 静かな日っていうのはどんでん返しが仕掛けられた舞台みたいに、あっさりと姿を変えるものだと思っていたが……その日は本当に何も起こらずに終了した。


───……───なんてふうに終わっていればよかったんだが。


 散歩を終えて部屋に戻ると一息。
 袁術はお目当ての蜂蜜水を手に目を輝かせていた。
 あれが飲みたいがために散歩に出たようなものだ。まったく、げに恐ろしきは人の食い意地か。

「ん、んーーー……あぁ……なんというかこう……足りない」

 体がナマらないようにと適度に動かしてはいるが、元々があの鍛錬だ。
 動かし方が全然足らない。
 もっとこう……体を思う様ブン回すくらいの運動がしたくなる。

「足りない? なにがだ」
「なにって鍛錬───って華雄!? あ、あれ!? なんで俺の部屋に!?」
「いや……なんでと言われてもな……。ただお前と袁術とで始めた散歩なら、そこについていくくらいしか思いつかなかった」
「………」

 知らない人にだって普通についていっちゃいそうな理論だった。
 そりゃあ、じゃあ今日はここまで、なんてことは一言も言ってなかったけどさ。

「でも、この部屋でやることなんて無いだろ?」
「ふむ……うん?」

 顎に手を当て、思案する仕草を見せていた華雄が、俺のバッグと竹刀袋を発見。
 興味があるのか近づくと、一度俺を見る。

「手荒に扱ったりしないなら」
「当然だ」

 武人だからかどうなのか、武器に対しては敬意を払うような姿勢で、竹刀袋から木刀を抜き取る。それを手に軽く構え、「ふむ」と言って俺に渡す。

「ん?」
「ただの木剣にしか見えんのだが……どうしてこれで模擬刀とぶつかり合い、傷ひとつ無くいられる?」
「ああ、氣を纏わせてるんだ。こう……───んっ」

 木刀を手に、氣を流し込む。
 最初の頃に比べると、随分と慣れたもんだ。
 祭さんに教えてもらって、無理矢理絶対量を広げて死にかけたのも……い、いい思い出……だよな? 今なら笑い話に出来るけど、あの感覚は出来ればもう味わいたくないなぁ。
 ともかく、本当に薄く、ぼんやりとした膜をまとった木刀がここに。
 これをもっと凝縮させて振るうと、アバンストラッシュみたいなものが出せて、俺が倒れます。ええ、どうせまだ氣の放出や弓術は下の下ですよ。
 意識がどっちに向いたか程度で技量が上がれば苦労しないよな、ほんと。

「こんなもので刃に対抗できるのか?」
「今のところは刃相手でも弾けてるし、振るえば椅子にヒビを入れられるくらいは確認してるかな。べつにそうしたかったわけじゃないけど」

 そういえばあの椅子、どうなったのかな。
 取り替えたんだとしたら悪いことをした。
 作ってくれた方へ、今さらながら謝ろう。ごめんなさい。

「集中してないといけないから、あまり焦りすぎると文字通り氣が散ってだめなんだけど」

 それ=木刀破壊に繋がるから、なんとも怖い。
 この世界ならまだしも、日本円で弁償して返すならしばらく働かなきゃあ無理だ。
 ……って……そういえば、鍛錬は何度かやらせてもらったものの、そういう時に限ってどうしてか華雄は居なかったよな。
 誰かの用事に付き合ってて居なかったりだのなんだの。
 模擬戦とか好きそうだから、率先して現れると思ってたのに。

「あ、ところで───」

 ふと、軽い疑問が頭の中をよぎる。
 なので思いそのままに口を開いた矢先、ダンドンドンッ! と豪快なノック。
 知る限り、こんなノックをするのは……

「春蘭か? 鍵はかかってないぞー」

 言ってみると、確認を取ったっていうのにぶち破らんとするような開けかたをし、現れたのはやっぱり春蘭。
 何故かぜーぜーと息を荒げ……って、なに、その格好。

「……春蘭?」
「かずっ……いや、北郷! わたしはっ……わたしは……!」

 春蘭だ。春蘭だよな。春蘭なんだけど…………格好がおかしかった。
 うん、一言で言うなら…………ごめん、表せる言葉がどうにも思いつかない。
 そんな春蘭が、動揺していたからかどうなのか、一刀、と俺を呼びそうになりながら───しかし華雄らを視界に入れるや言い改める。
 そんな状態でも溜めに溜め、やがて言い放たれた言葉が……!

「わたしはっ……道化にすらなれない愚か者だぁああーーーーーーーーっ!!!」

 ……これだった。
 言った本人は頭を抱え、崩れ落ちるように床に座り込むや、床をどすんどすんと殴り始めた。指の方ではなく、こう……なんだ、ハンマーって言えばいいのか? の部分で。

「…………道化?」

 何がそんなにショックだったのか、ビワーと泣き出す春蘭を前に動揺を隠せない。隠す必要もないんだが、冷静ではいたいと思う気持ちはとっくに裸足で逃げていた。
 そのくせ、道化って言葉に反応した頭は、あっさりと答えを引っ張り出して……

「……もしかして、戦いが終わる前に言ってたアレか? つか酒くさっ!」

 傍に跪いて声をかければ、ツンと鼻を刺激する香り……どれほど飲んだんだいったい。
 そしてなんだってこの赤い人は、酒を飲むと人のところに突っ込んでくるのかっ!

「え、えーと……なんだ? もしかしてほんとに道化になってみたのか? むしろ道化になるって、どんなことしたんだよ」
「それが解らんから桂花に訊いた……」
「その時点でアウトだろっ!」
「うぅ、うぅううう……!」

 どうしてよりにもよって桂花に……。
 風あたりに訊いておけば、まだ救いはあったろうに……。

「で……聞きたくないけど、桂花は春蘭に何をどうしろって?」
「“わたしを楽しませることが出来ないようなら、華琳さまを楽しませる道化になんてなれっこないわ”って言って……」
「……言って?」
「言われるままに妙な構えや妙な行動をとっているところを、華琳さまに見られた……」
「うわ……」
「桂花は笑ってたから、わたしはいけると思ったんだ……そしたら……華琳さまに“そんな道化など必要ないわ”と……!! わ、わたしはっ……わたしはっ……うわぁああーーーーーん!!」
「………」

 必要ですか? いや、要らない。
 泣き出してしまった春蘭を前に、自分の中で自分に質問してみた。
 即答だった。
 そうだよなぁ、それは華琳なら当然要らないって言う。
 で、あくまで予想だけど……

「それで、いたたまれなくなって華琳をほったらかしにして逃げ出してきたと」
「きっと華琳さまはわたしが道化になりきれていなかったから……ひくっ、呆れられたにちがひなひ……ひっく」
「うわ……いよいよ酔いが回ってきたか……? 華雄、厨房で水もらってきてくれるか?」
「あ、ああ、解った」
「それと秋蘭〜? 悲しむ春蘭を見てほっこりしてないで、なんとかしてくれー……」

 華雄が開けっぱなしの出入り口から出ていく中、そう言ってみると……部屋の外の壁に背を預けていたんだろう、音も無く姿を見せる秋蘭。

「気づいていたか」
「いや、言ってみただけなんだけど……まさか本当に居るとは」
「まあ、姉者が道化として振る舞うのを見てはいた。季衣と流琉に少々願われ、華琳さまと今後のことを話し合っていた時……だったのだがな」
「部屋で話さないなんて珍しいな」
「姉者も居なければ意味のない話だったんだ。しかし、姉者が想像する“道化”の服を手に入れてからずっと、姉者はそれを着て、華琳さまを楽しませる道化になることばかりに意識が向いていてな」
「その結果が桂花にからかわれて、探しに来た秋蘭と華琳にそれを見られた、と……」
「詳しく言えば季衣も流琉も居た」
「………救いが無いなぁ……」

 そりゃ、その組み合わせに見られた上に、そんな道化は要らないって言われたんじゃあ逃げたくもなる。

「けどさ、それってつまり……」

 思っていることを伝えてみると、秋蘭はあっさりと頷いた。

「そういうことだ。最後まで聞かなかった姉者が悪いと言えば悪いのだが……」

 言葉を区切り、ちらりと春蘭を見る秋蘭。
 その顔が、ホゥ……と静かに赤く染まる。

「……誤解に怯え、震える姉者も可愛いなぁ」
「言ってる場合じゃないだろ……どうするんだよこれ……」
「これとはなんらぁっ!」
「おおうっ!?」

 座り込み、ゆらゆら頭を揺らしながらうーうーと唸っていた春蘭。
 思わずコレ扱いしてしまったら、しっかりと反応された。
 ……ここまで反応するなら、最後までしっかりと聞いておけばよかったのに。
 華琳は“道化は要らない”と言っただけであって、春蘭のことを要らないなんて絶対に言わないだろうに……。

「ほんごぉお……きひゃま、わらひがこんなにくるひんでいるというろに……」
「……秋蘭、どうすればこんなに酔えるのさ。まさか城の酒全部とか」
「さすがにそれはないが、問題が無いわけではない。というか……それは北郷、お前に任せたい」
「え? 俺? なんで───」
「…………───ぁ……ぁああずとぉおおおーーーーーーっ!!!」
「へ!? な、なななに!? なに!?」

 なんで俺に? と返そうとしたら、遠くから俺を呼ぶ声!
 どんどんと近づいてきたそれは、勢いそのままに部屋へと滑り込み、俺だけをしっかりと見据えると近づき、俺の両肩を掴んでガックガックと揺らしてオワァアーーーッ!!

「一刀っ、なぁ一刀っ!? (とん)ちゃん見ぃひんかった!?」

 霞である。
 切ない顔で俺を見て、しかし切なかろうが奥底に熱い魂を燃やしているような、ちょっと怖い霞さん。
 元ちゃんて……春蘭だよな? すぐそこでしくしくと泣きながら、床にのの字を書いてるんだが。

「しゅしゅしゅ春蘭が、ががががが、どどどうか、したのかかかか……?」

 しかしながらしっかり教えたくても揺らされているので上手く喋れない。
 なのでまずは探している原因から───

「うー……! 聞いてぇ!? 一刀聞いてぇっ!? 元ちゃんなぁっ!? ウチが楽しみにとっといた大事な酒、みーーーんな一人で飲んでしもたんやぁっ!! 一刀が戻ってきてしばらくしたら、また夜の川の近くで飲も思っとったのにぃい……っ!! ひどいやろっ!? なっ、あんまりやろっ!?」
「…………」
「………まあ……すまん」

 ちらりと見ると、秋蘭が素直に目を伏せて謝罪した。
 ちなみに俺がどんな思いを込めて秋蘭を見たかといえば、“こんな霞を俺に任せると?”といった感じでございまして。
 いや……無理だろこれ……。

「し、霞……? そういうのはさ、ほら、男の俺が誘ったほうがさ、そのー……」
「そんなんゆーたって一刀、魏に戻ってきてから忙しそうなんやもん……。やから今日の夜、誘うつもりで用意しとったのに……」
「あー……」

 今日、霞を見かけなかったのはそれが理由か。
 準備までしたのに、酒を全部飲まれてしまってはそりゃあ怒る。
 ……逆に、街で道化服(と思っている)を買って、“秘密だ”とまで言っていた春蘭がこれだ。……フツーに霞は巻き込まれただけだもんなぁ、泣き顔の春蘭をフォローしたくても、こりゃ素直に無理だ。
 ちらりと再び秋蘭を見てみれば、気まずそうな顔で目を伏せていた。

「んー……よしっ、じゃあこれから外に出るか? 酒なら今日買ってきたのがあるし。……まあ、金の都合で高いものは無理だったけどさ」
「むぅっ……でもそれ、ウチのために買うてきたのとちゃうんやろ……?」
「それはまあ、勘弁してほしい。自分が飲むつもりで買ってきたものだからさ」
「………」

 胸の前で両の人差し指をついついとつつきながら俯く霞。
 しかし俯きながらもちらちらと俺の顔は見てきて……ていうか春蘭には本当に気づいていないのか、霞さん。
 ……まあ、今はそのほうがいい……のか?
 いや、今は霞のことだけを考えよう。俺を誘おうとしてくれたと言う。
 その思いに応えられるくらいの気持ちをもって。

「な、霞」
「………………ウチなりに“雰囲気”作ろうと頑張ったの、解ってくれる?」
「もちろん」
「ホンマに?」
「ホンマに。だってそうじゃなきゃ、あんなに必死になって春蘭を探し回ったりしないだろ?」
「…………」
「ありがと、霞」

 そう言って、上目遣いにこちらを見る霞の頭を撫でる。
 まるで親に叱られた子供のように大人しい霞は、撫でられるがままになっていたけど……少しすると笑み、機嫌を治してくれたようだった。
 そして───いつしかニコニコ笑顔に変わった表情で俺の手を引くと、

「ほなら、イコ? なんやもう、こだわる必要なんて無いって解ってもーたし」

 そう言って、上機嫌で歩き出した。
 さっきまでの表情なんて、完全に忘れたみたいな笑顔だ。

「え? え……霞?」
「一刀……ウチ解った。ウチな? 一刀がこうしてやさしく女の子として扱ってくれたら、それだけで……そんな些細が、“雰囲気”になってまうんやな〜って」
「霞……」

 そんなことを言われたら、もう戸惑う理由もなかった。
 戸惑いに理由が必要かって言われたら、これがまた案外必要だったりもする、ということで。
 聞かせてやりたいこともあるし、落ち着いてくれた今のうちに春蘭から離して……クッ。

「………」
「ん? どないしたん、一刀」

 …………服を、引っ張られた。
 冷や汗だらだらで振り向き、見下ろしてみれば、こちらを見上げる魏武の大剣さま。

「ほぉおんごぉおお……わらひを置いていく気なのかぁああ……! わらひが、わらひがこんなに頼んれるろりぃい……」
「──────」
「………」
「───」

 いつ、何を頼まれたでしょうか……そう叫びたくなるのを必死にこられてみたが、もはや遅い。今まで気づかなかったほうがどうかしているわけだが、霞の目がしっかりと春蘭をとらえてしまった。
 もちろん認識してしまったからには黙っている霞ではなく───

「元ちゃん、手ぇ離し。過ぎたことはぐちぐち言わへんから」

 ───い、いや。さっぱりした様子のまま、そんなことを仰った!
 しかも穏やかな笑顔……これは余裕ってやつか……? 静かな笑みのまま、聞き分けの無い子に言い聞かせるように───

「いやらぁ! ほんごぉはここで、わらひのあたまをなでなでするんらぁ!」
「へっへっへー、悪いけどそら却下や。一刀はウチと一緒に外に行くし、勝手に酒飲んだこと許す条件まで入れてるウチ相手やったら、元ちゃんは引くほかないもんなぁ」
「らにをぉお〜〜? わらひが、このわらひが退くもろかぁ〜〜〜っ!!」
「……姉者、そのへんにしておけ。責められる謂れはあれど、責める理由は一切無い」
「むぅううう〜〜〜っ……しゅ〜〜〜らぁ〜〜〜〜ん」
「邪魔をしたな、北郷。それから霞も、すまなかった」
「ああ、べつにえーよ。楽しみにはしとったけど、きちんと飲まれたんやったら……酒も、造った人も喜ぶやろ」

 ケタケタ笑い、春蘭を抱えて歩き出す秋蘭を霞が見送る。
 ハッとして手伝おうとしたんだが……秋蘭は一言「構わん」とだけ言うと、そのまま歩いていってしまった。

「よしゃっ、ほなら一刀〜♪」
「あ、ああ……よし、それじゃあ」

 行こうか、と……霞と二人して歩き始めた。
 今日は雲が少ない。
 きっといい夜空が見えるだろう。
 その空の下、自然の中で酒を飲む。
 いつか日本酒の約束をした時も、特に何を約束し合ったわけでもなく酒を飲んだっけ。
 約束して酒を飲んだのは“雰囲気造り”の夜だけだ。
 日本酒のことも、約束したあとに酒を飲んだといえば飲んだのだが。
 そう、聞かせたいことっていうのは他でもない、日本酒の造り方だったりする。
 生憎とワンカップやイェビスは祭さんにあげちゃったし、つまみ等も残っていたりはしない有様。
 ならば自分で造り、もしくは造り方を教え、造ってもらうのもいいだろう。
 どこまで出来るか解らないし、そもそも華琳の許可が下りるかだが……なんだろうなぁ、華琳ならあっさり許可を下ろしそうな気がする。あれで案外、天のことについては知りたがってたし。
 と、そんなことを考えながら、部屋を出───たところで、水を持った誰かさんに遭遇。

「水を持ってきたが」
「あ」

 ……部屋の中を、自分の肩越しに軽く振り向いて調べてみる。
 もちろん、そこには水を欲していた春蘭の姿など無かったわけで。通路の先を目で追ってみたところで、考え事をしていた所為ですっかり見えない夏侯姉妹。

「………」
「………」

 なんとなく申し訳なくなって、ありがとうを口にして受け取った。
 受け取って…………受け取って………………えーと。

「…………華雄、喉渇いてない?」
「………」

 返事はなく、呆れた視線だけが送られました。
 ただ喉は渇いていたらしく受け取ってくれ、喉を鳴らして一気飲みを見せてくれた。
 と、そんな様を見て、せっかくだからと口を開く。

「今日は散歩に付き合ってくれてありがとな。退屈じゃあなかったか?」
「む? ……いや、たまには悪くないな。案内されるというのも、中々面白かったぞ」
「そっか」

 面白いか……不思議な表現をされた気がする。
 間違っちゃあいないんだろうけど、なんとなく。

「ん? なに? 華雄、一刀と一緒に街に行ってたん?」
「うむ。特にすることもなかったのでな。そこで豚まんを食らい、服を見て回り……まあ、特に気になることなどない散歩だったが───それもまた良し。一流の武人たる者、心に余裕を持つことも必要だからな」
「あー……せやったなー……“一流の武人はいつ如何なる時でも安眠出来てこそ”〜とかゆーとったお前やからなぁ……」

 そんなこと言ってたのか。
 しかも“確かに”と頷ける。
 寝不足で戦えないなんて、話にならないしなぁ。
 寝不足で散々苦しんだことはあるから、それだけは深く頷ける。

「で……《きゅむ》……いや、なんでもない」
「?」

 どうせなら一緒に酒でも……と誘おうとしたんだが、霞に軽く服を引っ張ってきた。
 ……そうだな。元々は霞が誘おうとしてくれた小さな酒宴だ。ここで誰かを招くのが無粋なことくらい、いくら俺でも気づける。……引っ張られてから思い当たるくらいじゃあ、むしろダメダメだが。
 言葉を言いかけた俺を見て首を傾げる華雄に軽く悪いと返して、行動は始まった。
 酒を片手に手を繋ぎ、ゆっくりのんびりといつかの川のほとりを目指した。夜の道をゆき、ゆるやかに吹く風に撫でられながら。
 いつかの日は先に待っていた俺だから、なんとなく二人一緒にあの場所を目指すのは恥ずかしかったりした。それでもその場へ辿り着くと、二人で顔を見合わせて……照れくさくなって笑った。
 そこには、雰囲気作りのための蝋燭があるわけでも、美味しい料理があるわけでもない。自分で買った、少し安い酒と大きな杯がひとつあるだけだけど───霞は嫌な顔ひとつせず、いつかと同じ場所まで俺を引っ張ると、先に俺を座らせてから自分もその傍らに座った。

『………』

 なんとなく恥ずかしい。
 けれど嫌な気分じゃあなかったから、もう一度顔を見合わせて苦笑にも似た照れ笑い。
 景気づけにと杯に酒を注いで、まずはひと飲みずつ喉に通した。
 自分が口につけた部分を、指でキュッと拭ってから相手に渡す。そんな些細でさえ懐かしくて、困ったことに笑みが絶えない。
 霞もそうなのか、何を話すでもなく笑顔の彼女は、はぁ……と暖かな溜め息をこぼすと俺の肩に寄り添うように座り直す。
 そんな彼女を自分でも軽く引き寄せて、やっぱりいつかのように髪に鼻を埋めて香りを嗅いでみた。霞はもちろん嫌がったものの、それが頭を撫でる行為に変わると途端に大人しくなった。
 大人しくなって……一言。

「酒。あんま美味ないなぁ……」
「……そっか」

 聞いてみれば、この酒は俺が消えたあとに、ヤケ酒としてがばがばと飲んだものらしい。あくまで酒の中ではそう高いものでもないし、多く飲むには丁度よかったのだろう。
 なるほど、それを俺が買ってくるなんて、知らなかったとはいえ偶然的な嫌味になる。
 考え事をする俺を見て、なにか感じることがあったのか……霞は俺に酒を含ませると、飲み込んでしまう前に……俺の口に自分の口を押し付けてきた。
 突然のことに驚いて小さくこぼれた酒も、密着している口が吸い、舐め取り、嚥下していく。
 そんなことがしばらく続いて、やがて口の中から酒の香りが引き、甘い感触だけが残ると……霞は離れ、女の子な顔で言った。

「でも、今は……嫌いやない」

 顔を俯かせながらの穏やかな笑み。
 そんな霞を見て、赤くなっているであろう自分の顔を誤魔化すようにして、酒を注いだ杯を傾けた。

「……うん」

 その拍子に見えた空。
 あの時のような綺麗な満月はなかったけれど、二人でここに訪れるたびに思い出すんだろう。思い出すだけで、雰囲気なんてものは勝手に作られてしまう。
 そんなことが解ってしまうと、ただただ穏やかな気持ちだけが溢れて、何を言うでもない静かな夜を堪能する時間だけが続いた。

(……静かなままで終わらなくてよかった……かな)

 結果論ではあるけれど、春蘭が部屋に現れたことで吹き飛んだ静かな時間にさえ、妙に感謝したくなるほど穏やかな気分だった。
 酒をなみなみ注いで、交互に飲んで、満月ではない月を見ながら穏やかに笑う。
 落ち着いて、ゆっくりとした時間の流れの中でこうすることで、今さらながらに“ただいま、おかえり”と挨拶ができた気がした。

「……今度、勝手に居なくなったら承知せぇへんからな」
「ん……解ってる」

 一時的に騒がしくはあったけれど、静かな時間は続いた。
 酒が無くなっても、体から酒による熱が消えても。
 そうした時間の中で、日本酒のことをいつ切り出そうかと考えてみるのだが……なんとなく、今はなにを言ってもこの穏やかな時間の流れを壊してしまいそうな気がして、口には出せなかった。
 だったら……せめてこの時間を堪能しようか。
 飾った言葉も必要ない、喜ばせたいと思う言葉よりも、この時間が続く言葉を自然に紡いで。




 ネタは……あったでしょうか。よく……解りません……。  ぐったりしていました、すいません。50、51話をお届けします。  暑い日が続きます。  暑さのあまりにのぼせたのか、仕事中に急に鼻血が出ました。  しかもその日、だるくて気持ち悪くなったと思ったら、下からも血が……。  「母さん、今日は赤飯だ!」とか「うわ〜! 便器が真っ赤だ〜!(ロート子供ソフト風に)」なんてふざける余裕もなかったです。  なんだろう……いろいろと溜まってるのかなぁ。  ギャフターも50話にいきました……行ってしまいました。  当初は50話もいかないよとか言ってたくせに、なんでしょうねこの伸びよう。  構成力をもっと高めとうございます。  五月は例の如く鬱になっていて、ならば6月は頑張ろうと気合いを込めましたが、その反動が来たのか23日から物凄いぐったりモードです。  世の中、立てた計画ほど上手くはいきませんね……でもとりあえずは一月に十話を達成。  これが毎月出来ていたら、とっくに終わっていたんでしょうけどね。  みなさん、健康には気をつけてください。  無理をしても疲れが溜まるだけで、なんかべつに誰かが褒めてくれるわけでもないです。  むしろ怒られます。無理するなって。  褒められたくてやっているのかといえば、違うわけですけど。  そして、だったら休みをくれと言っても、くれるわけでもないです。不思議。  とりあえずです。  ギャフターが終わったら乙女大乱をのんびり見たいと思います。  ええ、録画はしたものの、まだ見ていなかったりします。  ではまた次回で。 Next Top Back