95/食に対する幸福度

 適度な運動は、体への栄養吸収を助けるっていう。
 むしろ運動することで、体が栄養を欲するから吸収するだけな気もするが、吸収しようと本人が意識すること自体が大切なんだから、それはそれでいいのだろう。

「なるほど。激しい運動ではなく、じっくりとする運動ならば私でも……」

 中庭で運動をするのは稟。
 こんな感じにやってみてくれと、事細かに説明してみせたのち、現在は風とともにストレッチ中。
 座り、足を広げ、芝生に胸をつけようとするのを風が手伝っている。
 食事も済んだあとだから、こうしてたんぱく質、カルシウム等を吸収していけば、上手くすれば鼻血も止まるんじゃないかと…………思うわけだ。
 ただ……まあその、止まったら止まったで、ただの妄想好きの女性が完成するだけな気もする。鼻血が出た時点で止まる妄想が、止まりどころを忘れたように展開され続け……あれ? 今度は血管破裂したりするんじゃあ───?

「余所見しとる場合やないでぇ一刀ぉっ!」
「サッ……Sir(サー)!! YesSir(イェッサー)!!《がぎぃんっ!》いぁあっづあっ!!」

 腕に響く重い一撃。
 目の前には飛龍偃月刀を構えた霞さん。
 仕事の合間に軽く休憩しに城へ戻ったはずが、どうしてこんなことに……。
 ……いや、別に回想するまでもなく、ま〜た華雄とがんごんとぶつかり合っていた霞が、そこへやってきた俺をとっつかまえて「誘われれば鍛錬してもえーんやろっ?」と仰った。
 その時の俺はといえば、休憩がてら、途中で会った稟に食事の世話と運動についてを質問され、振る舞ったあとだったわけだが……そんなこんなでこんな状況。
 風と稟は完全に我関せずモードで、俺の視線など見て見ぬフリである。
 ええいくそぅ! 男尊女卑も女尊男卑も大嫌いだーーーっ!

「あ、あのなぁ霞! 俺、これが終わったらまた仕事でっ……! 確かに鍛錬に誘われるのは嬉しいけどさっ、出来れば仕事が無い時にっ……!」
「あぁほら、一刀が強なれば、ウチ一刀と一緒におったらそれだけで楽しめそうやん? やから一刀、それまで我慢我慢やっ、男の意地見せたりぃっ!」
「見せる相手が霞な場合はどうすりゃいいんだよっ!」
「んー……隙突くこと無しでウチに勝ったら、もっと一刀のこと好きなるよ?」
「ウワーイ嬉しいナー!! って質問の答えになってないだろそれはぁあーーーっ!!」

 でも鍛錬に誘われた時点で迷いもせずに乗った自分こそに馬鹿野郎をお届けしたい。
 そんなわけで木刀と飛龍偃月刀がぶつかる。
 もはや何を言っても、目の前の戦にしか目がいっていないらしい霞。
 そんな彼女とぶつかり合い、ねばりはしたけど負けてしまい、へとへとになりながら仕事に戻り……待っていてくれた凪に心配された。

「あの、隊長? 休みに行った筈では?」

 そうツッコまれるのも、一応想定内だった。
 一度でいいから、嬉しい想定の中で溺れてみたいもんだ。


───……。


 警邏を再開、凪と一緒に歩く傍ら、思ったことを口にしてみた。
 街の賑わいの中にあっさりと消える言葉でも、口にすることでなにかを得られる瞬間はあると思うのだ。自己満足だっていいじゃない? だって一時でも誰かが満たされるんだもん。

「誘われた時点で断れれば、俺ももっと賢い生き方が出来るんだろうなって思うよ……うん思う」

 思うだけで実行しないのは、もう惚れた弱みでいいだろう。
 自分は国に返すためにここに居る。
 ならば望まれたことは出来るだけ叶えたい。
 頷いた時の相手の笑顔が好きだから断れないってのもあるけどさ、頼られるのって案外嬉しいんだよな。余裕がある時だけに限って欲しいけど。

「世の中がもっと、漫画やアニメみたいに心の準備が出来るように出来ていればいいのに」
「……? 隊長、今なにか?」
「ああいや、なんでもないなんでもない」

 現実は無情で無常。情ばかりがあるわけでもなく、常である事柄なんて割と少ない。
 身に起こるほとんどのことなんて突発なことばかりで、心の準備なんてそうそう出来ないものばかりだ。
 でも、じゃあ、先ほど起きた鍛錬への誘いを事前に知っていたとして、俺はどういった行動を取れただろう。
 仕事があるからだめだと言う? そもそも中庭には近づかない? …………なにがどうあれ、知っていてもいなくても鍛錬は受けた気がする。
 心の準備が出来るか出来ないかの問題だな。

「なぁ凪。もし今突然、でっかい地震が来たらどうする?」
「でっかい地震、ですか」
「そう。立っていられないくらいの、街ひとつを壊すような大きな地震」

 ふと声をかけられて、子供に手を振り返す。
 訊ねられれば道を教え、解らないというのなら案内も。
 もう警備隊っていうか街の案内人状態だ。

「それは、どうしようもないと思われます。自分個人が地震をどうこう出来る力を持っているならまだしも、“立っていられない”という条件が突き付けられた以上は……」
「だよなぁ……」
「……けれど、這ってでも行動はします。もしその時の自分が混乱していないのであれば、自分……わたしは、守りたいものを守るために動くのだと思います」

 言いながら、ちらりと見られた気がした。
 視線を向けてみればこちらを見てもいないわけで、自意識過剰かなぁなんて思ってしまうわけで。

「じゃあ、もしその地震を事前に知ってたらどうする?」
「それはもちろん───…………いえ、はい。皆に逃げてほしいと叫ぶでしょう」
「はは、だよな。俺もそうするよ」
「はい。ですが」
「うん。きっと、誰も信じちゃくれない」

 地震が来るから逃げろ。
 そんなことを言ったところで、住んでいる場所を捨てて逃げるには準備が要る。
 心の準備どころじゃない、もっとたくさんの準備が。
 動けない人だって居るし、住みなれた場所だっていう事実と愛着もある。
 そんな事実が人にひとつの結論を持たせる。

  “地震なんてくるはずがない、どうしてあんたにそんなことが解る”

 一度そう思ってしまえば疑うのは簡単だ。
 子供が、誰かに教えられたことを馬鹿正直に心に刻むのと同じ。

「地震が起きないならそれでいいし、起きるのだったらたくさんの人が死ぬ。起きなければ、地震が起こると言った人は街まるごとを騙した悪人として裁かれて、起こるのであり逃げ出せてたなら命の恩人。リスクを考えれば、街まるごとを騙そうとしている時点で信じる価値はあるんだけどね」

 なかなか信じてやれないのが人間だ。

「なぁ凪、人を簡単に騙せるウソって、なにか思いつくか? ……ああいや、誰かを騙すつもりで言ってるんじゃなくてさ」

 警邏中の小話程度に思ってくれと付け足して、歩く。
 途中、おやっさんから豚まんを貰ってしまい、頬を掻きながら食べたりして。
 仕事している最中なんだけどなぁと思いながらも、温かいうちにじゃないともったいない。そこのところは目を瞑っていただこう。誰に、とは言わないが。

「嘘……ですか。自分はそういったものは少し……」
「まあ、嘘が苦手そうだっていうのは解るよ」

 性格からして真っ直ぐだもんなぁ。
 これと決めたら迷わないっていうのかな。これをこうしてくれって頼んだら、どんな手段ででもそれをそうすることしか見えなくなるような。会ったばかりの頃から比べれば、そりゃあ落ち着いてくれたわけだが。
 最初は凄かったもんなぁ……相手を捕まえると決めたら、躊躇わずに氣弾飛ばして。

「………」

 貂蝉の言葉じゃないけど、警備隊の纏め役を任されなかった軸があったとして、そんな状態で凪と知り合ってたらどうなってたんだろ。ただの役立たずとしてしか映らなかったのかな。

「なぁ凪。俺がもし警備隊をやめるって言ったら、みんなの中の俺の価値って変わるかな」
「!?」
「へっ!? あ、やっ、やめないっ、やめないって! もしの話っ! もしのっ!」
「……、……」

 ……おじいさま。僕は今、凄まじい安堵の息を目の当たりにしております。
 人とはここまで安心出来るものなのですね。

「隊長……たとえ嘘でも、その手の戯れはそう許容できません」
「すまん、ちょっと思っただけなんだ。俺が居なくても機能する警備に、俺が居なくても続く世界。……死んだ人が思い残すことなんて、生きて行く人や世界にとっては、案外どうってこともないことなのかもなって……」

 何気なく生きてても、思う事なんてたくさんあるだろう。
 自分が死んだあとの世界なんて自分には知りようもないんだから、その時点で自分が見ていた世界は死ぬ。それなのに続く世界が確かにあって、そんな世界をいつか見れなくなることが辛くもあり……いつか誰かが頑張ったことが、誰かの頑張りの影に隠れてしまうのを知ることもまた、辛い。

「……やっぱり、心の準備が出来ようが出来まいが、起こることもやることもそう変わらないんだよなぁ……よし凪、夕餉は真桜と沙和も合わせてどこかで食べようか」
「はい。……しかし随分と急に、どうかしましたか?」
「あ、即答なのにしっかり疑問はぶつけるのね……。えっとさ、ほら。自分で最初に決めたものへ、心の準備期間を設けてみようかなって」
「?」

 首を傾げられた。
 そんな凪に細かな説明をわざと解りにくく伝えて、考えるように仕向けてみる。
 凪もそれが授業の一環だと解っているのか、眉間に皺を寄せながらも考えることを放棄しなかった。


───……。


 あぐっ……んむんむ……

「おっ、この料理、新しい味っ」
「んまいやろー? ここ、凪のお気に入りの店なんよー」
「や、それは聞いてたけど」

 さて、そんなわけで警邏が終わってからの食事。
 凪と一緒に沙和や真桜と合流し、話を通すとあっさり了承。
 当然“食うんはえーけど、何処にいくんー?”とけだるそうに訊いてくる真桜に、凪と話して決めていた場所を提案。二人も気に入っていたのか前言通りにあっさり了承は得られ、ここにこうして居るわけだ。
 円卓に運ばれたものを舌で味わい、掻き込んだご飯と一緒に咀嚼……たまりません。
 他のところよりも辛味を前に出した料理が多いらしく、刺激と一緒に味が舌に残るからご飯が進む。なるほど、これはいい。

「濃い味付けが恋しいと、こういう味付けは逆に嬉しいな」

 辛さの中にしっかりと味を感じられる絶妙な味付け。
 舌に残る刺激がそれを味の濃さと勘違いしてくれるのか、しっくりくる味というのか。
 唾液が溜まるし噛めば噛むほど口内が幸せ。
 ただし口の中を噛んだりしたら地獄を見そうだ。

「………」

 チラリと見れば、一心不乱に食事する凪。
 あるよなー、自分に合った食事処を見つけた時とか。
 誰にも邪魔されずに食いたくなるんだ。
 大体は数回来るうちに味が変わったような気がして、がっくりくるんだが。

「あ、たいちょー、その餃子一個もらっていい?」
「さっきからじ〜〜〜っと見られれば、あげたくもなるわ。どうせ真桜もだろ?」
「お、くれるん? せやったららウチの焼売と交換しよ」
「ってこらこらっ、食いかけを寄越すんじゃないっ」
「隊長とウチらの仲や〜ん、今さら食べかけがどうとか気にする間でもないんちゃうん?」
「じゃあ早々と米を食い滅ぼした真桜さん? 俺の食いかけの、少し赤い米、食べるか?」
「…………」
「………」
「なるほどなぁ……たしかに食い物となると、抵抗でるわぁ……」
「だろ?」

 言いながらも食事を進め、やがてそれも終わると店を出る。
 あとは見回りという名の道先案内人になった気分で、街を巡回するわけだ。
 平和になってからは悪さをする者は減ったという。
 むしろ大変なのが、将たちが起こす揉め事だったりするわけだが……そこのところはほら、華琳がしっかりと叱ってくれるから何度も何度も起こるわけじゃないし。
 ……たまに叱られること目当てで揉め事を起こす者が居たりするんだが、華琳もそういうところは見切っているので、相手が望むような罰は絶対に与えない。

「あ、そういえば聞いたで隊長、なんや解らんけど最近、稟に料理振る舞っとるそうやん」
「ん? ああ、あれか。ほら、稟って興奮しすぎると鼻血が凄いだろ? 鼻血が出るのは鼻の血管や粘膜が弱いからだ〜って天で調べてきたからさ、だったらその血管自体を丈夫にしてやれば大丈夫かなって」
「血管も鍛えられるものなんですか?」
「鍛えっ……や、まあ間違ってはいないか。食生活で血管を鍛える、みたいな感じだ」
「それで治ったりするの? 稟ちゃんの鼻血は食べ物なんかでは治らないと思うの」
「そうきっぱり言ってくれるなよぅ……えっとだな、どういう原因が付きまとうにせよ、一応俺達は食事で生きて、食事で体を作ってるだろ? だったら鼻のほうもなんとかなるって考えて、あとは少しずつ血管が丈夫になるまで、無理に興奮させたりしなければ───」

 きっと治る。
 そう続けようとした俺の耳に届く、俺を呼ぶ声。
 何事!? と声のした方向を見てみれば、こちらへ走ってくる警備隊の一人。
 …………うん、なんだろうね。なんとなく予想がついちゃった。いつかもこんなこと、あった気がするし。

「……なぁ真桜。これって……」
「あー……なんや予想ついたわー……。ツッコミきれんのが相手だと、駆け足も歩んでまう……」
「というわけで凪、沙和、あとは任せ《がしり》……ハイ、行きます……」

 俺は凪に、真桜は沙和に、あっさり捕まった。
 そして警備兵に連れられるままに通りの先に行ってみれば……予想通りに血溜まりの中に倒れる誰かさん。驚くことでもないのは、その血の全てが鼻血であるからだろう。

「……いっつも思うんだけどさ。稟ってこの服、何着持ってるんだ? ここまで浸ってると、普通の洗濯じゃあ落ちないだろ」
「何着でも持っとるのとちゃうん……? んなことよりこの死体をどうするかやろ……」
「だよなぁ……」

 一応、兵たちにバリケードを作ってもらい、傍に屈んで頬をぺちぺちと軽く叩く。
 反応は…………なにやら少し苦しげに呻いている。
 しかし、なんだってまたこんな場所で? いつかのように艶本にでも手を出したか? と見てみても、大事に本を抱き締めているわけでもない。
 となると、何かがきっかけになって妄想が膨らんで、爆発したと見るべき……なのか。
 どうでもよくないけど、近くの店の人にはいい迷惑だろこれ。
 血を見てモノを食べたくなるなんて人、そうは居ないし。

「とりあえず運んだほうがいいよな。風は……居ないみたいだし」

 キョロキョロと辺りを見渡してみるが、いつものように風が居るわけでもない。
 しかし、すぐ近くの店の奥から……どうしてか華琳が現れた。

「華琳?」
「あら、あなたたちも来てたの」

 俺、沙和、真桜、凪といった順に俺達を確認し、こちらへ歩みながらの言葉。
 その手には濡れた手ぬぐいがあって……なるほど、鼻を冷やすためか。
 ならばと稟を起こし、座るような状態にする。
 喉に血が溜まるのは大変よろしくない。
 そうすると華琳が俺に手ぬぐいを差し出し、俺はそれで稟の鼻を軽く圧迫する。
 冷やしてやると血管が収縮して、鼻血が止まる〜って聞いたことがある。大体の場合は血管が収縮する前に、タオルとかがぬるくなって効果がないけど。
 どちらにしろ鼻血が固まるまで待つしかないよな、これって。
 血液中の成分が鼻血を固めるまで、その鼻血自体が流れ出ないようにするのがいいんだっけ? うん、もうよく覚えてない。覚えるための勉強とかしたのに、なんとも情けない限りだ。
 でも仕方ないといえば仕方ない。
 鼻血の止め方とかって一般的すぎるから、偏りもそれはもうありすぎるのだ。
 どれが正しいのかなんて覚えきれない。
 あれだな、体質に合った止め方をしましょうってやつ。
 そうなると稟の場合は、首の後ろをトントンするのが丁度いいってことになるのか?

「……で、なんだって華琳はここに?」
「稟に訊きたいことがあっただけよ。最近、一刀に食事の世話をさせているらしいじゃない。天の料理には興味があったから、稟を連れ出して材料を揃えに来たのよ」
「………」

 それ、つまりデート?
 稟ってそれを勘違いしてこうなったんじゃあ……。

「ところで一刀? わたしはあなたに給仕係りになれだなんて、一言として言った覚えはないのだけれど?」
「鼻血のことを任せはしただろ? だからだよ。聞いてるとは思うけど、稟の鼻血のことの解決を精神面じゃなくて体作りから始めてみようって思ったんだ」
「体作り……そう。食事をすれば鼻血が止まるっていう、漠然とした説明しかされなかったわよ」
「…………稟、案外大きな理解も無く付き合ってくれてたのかなぁ……」

 だとしたら、なんとなく申し訳ないことをした。
 ……さて、そうして話し合っている内に鼻血も止まり、軽く揺さぶりながら声をかけると、ゆっくりと開かれる稟の瞳。
 鼻血でいたるところが赤いが、そこはツッコんじゃあいけないところだろう。
 ほら、真桜も微妙な顔で見守ってるし。ツッコんでもツッコみきれないことなんて、戦が終わる前から悟っているのだ。

「一刀、あなた料理なんて出来たの?」
「一応って程度は。味気ないもので申し訳ないとは思ってるけどね、どうにも美味い物っていうのが作れないみたいだ。これでも頑張ってみてるんだけど、味が普通以上に上がらない」
「………」
「………」

 ぼーっとしつつも、のそりと立ち上がる稟の様子を見ながらの会話。
 やがてふらふらながらも立ってはいる稟だが……見てて怖いな、やっぱり肩は貸そう。

「そうね、一刀。わたしに一品作ってみせなさい」
「へ?」

 で、俺が稟に肩を貸して、これからのことを考えていると、そんなことを口にした。

「や、だから、普通なんだってば。華琳に食べさせるほどの腕じゃないし」
「あら。蜀では星を……あの趙子龍を唸らせたと聞くけど?」
「あれはメンマが良かったからであって俺の腕じゃないって。蓮華の時も稟の時も、普通としか評価が貰えなかった俺の料理なんて食べたら、華琳だって気分を害するに決まってるだろ」
「わたしが作れと言ったのだから、文句なんて言わないわよ。怒るけど」
「結局怒るんじゃないかっ! だだだダメだだめだめっ! 大体、食事じゃないけど天の食べ物ならもう渡しただろっ!?」

 ───。

「おや?」

 え? なに、この間。
 ぴたりと華琳の動きが止まって、俺の顔をまじまじと見てきて……

「もらってないわよ」

 一言、そう仰った。

「…………エ? や、だってほら、この間……桂花が綿菓子持っていっただろ? なんか俺に耳を塞いで騒いでろ〜って言って、丁度綿菓子持ってたから耳塞げなくて……で、桂花に持っておいてもらったら、何かぶつぶつ言ったあとにビャーーーって逃げて」
「………」
「………え? と……届けて……ないのか?」

 な、なに? なんなんだこの嫌な空気。
 感じるコレは殺気ですか? むしろ華琳の回りの空気がモシャアアアアと歪んで見えるような……!! ぬ、ぬう、なんだこの異様な空気……! あまりの威圧感にこの北郷の足も震えておるわ……!

「一刀。その“わたがし”、というのを最初に口にしたのは誰?」
「華琳───になる筈だったんだけどな、桂花がきちんと届けていれば。でも届けてないとなると……あー……袁術、だな。次に凪、沙和の順で、俺も味見したから……」
「へぇ……そう」

 ……喉が、勝手にヒィとか叫びそうでした。
 怖ッ! 笑顔なのに怖いぞ華琳!!

「よ、よし華琳っ! 一緒に料理を作ろう! 作り方を全力で教えるから!」
「全力じゃなくていいわよ。あなたの言うとおりに作れば、普通にしかならないんでしょう?」
「《ゾス》はぅぐっ!」

 普通って言葉が突き刺さるものだと、改めて認識した。
 言葉の棘ってなかなか取れないから嫌いだ……けど、ここで諦めないのが賢い生き方だ。多分。

「や、やー……そうでした……。あ、でも頑張って作ろう今すぐ作ろう! 俺、なんだか急に華琳の作ったものが食いたくなっちゃったなぁーーーっ!!」
「なにを言っているのよ。食べるのは稟であってあなたじゃないでしょう?」
「《ザクシュッ》ゴヘッ!」

 再度、華琳の言葉が突き刺さる。
 言葉を濁すどころかキッパリ言うもんだから、その刺さり具合といったらもう……。

「…………いや……うん……そうなんだけどさ……」
「ちゅーか隊長、さっきウチらと食べたばっかりやん」
「……へぇ、そう」
「空気読んでぇええーーーーーーっ!!」

 神様こんにちは。こんばんはになりそうな空ですが、こんにちは。
 世の中ってとっても理不尽ですね。そして男ってやつはどうしてもいろいろなところで損をする生き物みたいです。
 惚れた女のためならなんにでも応える? 頼まれればなんでもこなす? どんな理不尽でも愛があれば大丈夫? そんなことがあるわけがない。
 そもそも俺は───………………アレ?

「えーと、華琳? 静かにお怒りのところを申し訳ありませんが、俺の役職って警備隊の隊長だよな?」
「……ええ、そうね」

 それがなに? と視線を向けられる。
 ふむ。───って、あれ? お怒りの部分に対する否定は無しですか?

「俺と華琳との“契約”みたいなのはあくまで“利用価値がある内は”であって、俺は華琳にそういった意味で拾われたのであって……えぇと」

 ……この平和になった世界なら、俺じゃなくても隊長務まらない?
 ていうか俺が復帰するまで平気だったなら、務まってたってことでして……その。

「なぁ華琳? 今の俺の利用価値ってなんだろう」
「そうね。支柱になることで同盟を安定させることくらいじゃない?」
「出来ないって言ったら?」
「魏を出て野垂れ死になさい」
「………」

 まあ、元々がそういう話だったわけだし、それはOK。
 な〜んだ、つまり俺には元から最低限の拒否権くらいしかなかったのか、わっはっはー。

「……と、こう言われれば満足かしら?」
「ん。自分の立場を再認識したかっただけだから。俺は俺として、華琳のものであればいいだけだ。文字通りに拾われた命なんだし、返したいものも山ほどある。魏だけじゃなく、いろいろなものに」
「そう。なら蜀と呉から届けられたものに返事を飛ばさないといけないわね」
「?」

 返事?
 ハテ……なにやら嫌な予感が。

「返事って?」
「簡単なことよ。一刀を大陸の支柱にするために、蜀と呉が動き回っているだけ。三国の中心に都を置くことにも賛成だそうよ」
「早ッ!? いくらなんでも了承が早すぎるだろっ! ていうかそんな話いつからしてたんだ!? 全然聞いてないんだけど!?」
「雪蓮がここを発って、呉に戻った時点で蜀との話し合いが進んでいたそうよ」
「へ…………って、あ、あぁああっ!? 頻繁に魏に遊びに来てたって聞いたのに、俺が帰ってきた途端に来なくなった理由はそれかっ!」

 呉と蜀が動き回ってるって、じゃあ桃香も……ってマテ? “呉に戻った時点で”? ということは……雪蓮が戻る前から、呉にはそういった蜀からの報せが届いてたってわけで……?

「どんなことをしてきたのかは詳しく知らないけれど。随分と好かれているようね、一刀」
「どんなって……ただ話したり喧嘩したり馬小屋だったりしただけで、これといったことなんて特には……」

 ていうかなんでいつの間にか俺への尋問みたいなものに?
 俺、ただ稟を介抱しようとしただけだよな?
 首を傾げる俺に対して、華琳は「馬小屋……?」と言って小さく困惑していた。

「華琳」
「なによ」
「綿菓子、ご馳走します。甘いぞ」
「あらそう? なら夕餉のあとにいただきましょう。より心を込めて作りなさい?」
「了解」
「ふふっ……それじゃあ夕餉も楽しみにしているから、せいぜいがっかりさせないで頂戴ね、一刀」
「ああ───……あ? えっ!? 晩メッ……夕餉も俺が作るのか!? 普通になるじゃないとか言ってたのに!?」
「教えてもらうのと作ってもらうのとじゃあ違うでしょう? 一刀の中の普通を基準に、わたしが美味しく完成させればそれで済むのだから」

 もはや普通確定。確かにその通りなんだが、それはそれで悔しいな……。
 いや、ここで妙な感情を燃やしたら普通以下の味になりそうだ。それは勘弁。
 模擬戦とかなら華琳も、模擬戦なのだから無茶な命令をしてみるのも面白いとか言うだろうけど……自分で食うとなれば話は別だろう。
 よし、普通に作ろう。不味くは作らないこと前提で。
 命大事に! 命大事に!

(今こそ好機! 全軍討って出よ!)
(も、孟徳さん! …………つか孟徳さん!? 貴方にそれ言われて突っ込んで、よかった試しってあんまり無い気がするんですが!?)

 だが……ああだが、そう言われると出なくちゃいけないような気が……だって仮にも孟徳さんだし。脳内だけど。
 いや待て? 妙な手を加えて混沌料理を作るのは、味見をしないヤツか味覚音痴と決まっている! ならば厳重に味見をしつつ、注意しながら作れば……!

「任せてくれ! 俺の全力を以って作るから!」
「“余計”な手間は要らないわよ?」
「解ってる解ってる、あくまで目指すのは普通以上であって、普通以下は作らないから」

 腕が鳴る。
 そうと決まればと、話の腰を折らないようにと黙っていてくれたらしい三羽烏に手招きをして、肩を貸している稟も合わせて相談開始───と思ったら、稟は華琳にくいと引かれ、そのまま連れて行かれてしまった。
 ……うん、血を大量に失った人を引き止めるの悪いしな。

「三人とも、メシ食ったばかりですまん。これから華琳用に料理を作るから、味見や手伝いを頼んでいいか?」
「やー……ウチこれからちぃっと用事がー……」
「申し訳ありません隊長、実はわたしも……」
「わたしもなのー……」
「ゲッ……そ、そう……なのか……?」

 訊ねてみれば、こくりと申し訳なさそうに頷かれた。
 ……俺の全力とは言ったものの、実は凪の料理の腕にも期待していたりしたのですが。
 うん……確認を怠るからこんなことになるんだね。人生ってほんとに上手くいかない。
 だが諦めない! それが俺達に出来る戦い方だって、偉い人も言ってた!

「そっか、じゃあ他の人を探してみるから。あ、あー……俺、買い物とかしなきゃいけないからここで上がるな? あとは報告書を書くだけだから、それは俺が預かるよ」
「あー……なんやすまんな隊長〜」
「気にしない気にしない、その代わり、俺に用事がある時も容赦なく断るから」
「うあ、みみっちぃで隊長」
「たまには我が儘くらい言わせてくれ。べつにほんとに断ったりしないから。もちろん、その時の状況にもよるが」
「……隊長の場合、どんな状況でも問答無用で連れて行かれてそうなのー……」
「不吉なこと言うんじゃあありませんっ!! ……じゃあ凪、あと任せるな」
「はい。隊長……ご武運を」

 ……いつからか料理は武になっていたらしい。
 作る相手が相手だから、あながち間違いじゃないのがひどいもんだ。

(桂花がきちんと綿菓子を届けてくれていれば、こんなことにはならなかったのかなぁ)

 小さく頭によぎる思考に溜め息。
 流琉にでも協力を頼もうかとも思ったが、それじゃあ俺の料理じゃなくなる。
 なので却下。あくまで味見役を……と考えたところで、手伝ってもらわないなら別に流琉でもいいじゃないかという結論が。
 そんなこんなで結論を胸に、城を歩いて流琉を探したわけだが……親衛隊の報告纏めがあるそうで、季衣の手伝いをしているからこっちは手伝えないとのこと。
 まあ……相手があの華琳じゃあ、仕事を投げ出して料理の手伝いなんてのは無理だ。

「………」

 俺、サボったりしてよく無事だったよな……。


───……。


 夜が訪れた。
 食事時はとっくに過ぎていたが、それでも完成まで待ってくれた華琳に感謝を。
 ……調理している最中、どっかから桂花の叫び声が聞こえたりもしたが、大丈夫。俺は何も聞かなかった。結局誰もが忙しかったらしくて手を借りれなかったから、緊張の嵐だったし。聞こえなかったよ?
 そんなわけで厨房に招き、一対一のハラハラドキドキ状態で「さぁ、食べてみてよっ」とお決まりの言葉を。そう、一対一なのだ……緊張するなってほうが無理だ。断言する、無理だ。
 華琳は用意された場所に座り、「頂くわ」と返して少量のまろやかマーボーを一口。
 レンゲで掬われたソレは、湯気を元気に虚空へ揺らす出来たてアツアツのもの。
 塩分はやっぱり控えめだ。何故ってそりゃあ───

「……《はくっ……もく……》…………ふぅん」

 一口食べ、咀嚼して、嚥下。
 感想は“ふぅん”だけ。
 しかし出された分はしっかりと食べ、材料を無駄にはしないという姿勢を見せたのち、改めて……「一刀。これはいったい誰のために作ったものなのかしら?」とのお言葉。
 そう訊かれるであろうことを予測していたから、即答───では返さず、少し間を置いて返す。即答すぎると気分悪くなるし。

「それは稟のために作ったものだな。元々、稟の鼻血を止めようって作ったものだし、きっかけを忘れちゃあいけないと思って」
「随分と薄味なのね」
「塩分取りすぎたら血圧上がるからな、血管によくない。そんなわけで薄味。で、本命の華琳用がこちらに出来ております」

 はい、と差し出すのは華琳用に作ったまろやかマーボー全力味。
 稟用のものより少し赤みが強いが、辛さが強いとかそういうものかといったらそうでもない。なにせまろやかマーボーだし。

「さあ、食べてみてよっ」
「……あまりに少量だからおかしいと思ったわ」

 レンゲを手に、マーボーを掬って一口。
 まだ熱いそれを軽く口で転がし、咀嚼し、飲み込む。
 それが終わると華琳は「へぇ……」とどちらともつかない意味深な声をもらす。
 俺は……そんな華琳を冷静な顔で、しかし内心ハラハラドキドキで眺めつつ、正式採用綿菓子くんを使用しつつ綿菓子を作っていた。

「あ、もしかして辛かったか? 四時食制騒ぎのことも考慮して、辛さは控えたんだけど」
「だから! あれはわたしの好みの問題じゃないと言ったでしょう!?」
「お、おお……」

 怒られてしまった。
 いや……だ、大丈夫、大丈夫だ……落ち着け北郷一刀。
 ダメならダメで次に活かすんだ。
 大丈夫だってハハハ、ダメだとしたら同じ食材で次元の違う料理作られてボロクソ言われて落ち込んで立ち直れなくなってアァアア落ち着けねぇええーーーーーーーっ!!!
 ハッ!? く、口調口調! 心の中でも落ち着きを持つ武士然と構えよ!
 いやむしろ給仕的なことをしているわけだから、いっそ執事っぽく? ……一発で却下&ダメだし食らいそうだ。やめておこう。

「………」

 さて。考え事をしているうちに綿菓子が出来てしまった。
 考えごとに熱中するあまり、無駄な雑念が生まれなかったからなのか、今までで最高の仕上がりだったりした。俺、変に意識しないほうが物事成功させやすい性質なのかな。

(………)

 なんとなく、これを格好よく虚空に突き出し不敵な笑みを浮かべる華琳を想像してみる。
 ……意外や、なかなか似合っていた。

(っと、考え事もここまでか)

 華琳も食事を終えたようで、小さく息を吐いて俺を見た。
 さあ、どんな言葉が来るのか……?

「……………」
「………」
「………………」
「……」
「……?」

 あれ? 感想がこない……?

「……なにをしているのよ。早くそれ、渡しなさい」
「え? あ、ああ」

 ……やっぱり料理に対する感想は無しのようだった。
 ゴクリと喉を鳴らして待っていたのに、意外なくらいにあっさりと要求されるデセル(デザート)。
 あの華琳が俺の料理に対して何も言わない……? み、妙ぞ、こはいかなる……って、それはいいからとにかく綿菓子。

「………」

 はいと手渡したそれを、珍しそうに見る華琳さま。
 こころなし、目が輝いておられるような気が………………しないでもない。
 やがて最初はチロリと舌で舐め、甘さに少し驚いてからハモリと綿菓子を口にする。
 一言で言えば甘いだけの菓子で、味も砂糖なソレだが……シンプルさとカタチが良かったんだろうか。華琳は綿菓子の感触と軽い甘さをモフモフと堪能して、少しだけ顔を綻ばせた───と思ったらビシッと引き締めた。
 あー……解る解る、綿菓子ってどうしてか顔が緩むよな。
 甘いだけで大して美味しいってわけでもないんだけど、緩むんだ。
 俺はもういろいろ考えるのはやめにして、そんな華琳の表情を楽しむことにした。
 ジト目で睨まれても知りません。だって華琳の傍に居るのが役目ですもの。

「………」
「………」

 ややあって、綿菓子がただの棒だけになる。
 無言なままに完食した華琳は、棒を置いてから……ここでようやく俺へと言葉を投げる。
 華琳の食事風景を堪能した俺はといえば、もはや何を言われても構わぬと心が満たされた状態で、そんな彼女の言葉を迎えた。
 ……うん、それはもうボロクソ言われた。
 材料の切り方、熱しすぎて形が崩れすぎ、稟のものに比べると味が少し強い、落ち着かせたほうがまろやかではある、等々……表現は自分のためにもやわらかくしているが、こと料理関しては厳しい華琳。簡易的な説明じゃないのであれば、笑顔など吹き飛ぶほどのきつい指導がございました。
 そして…………そして。

「《もくり……》うまっ!?」

 同じ材料、同じ条件で、初めて作ったもので唸らされた。
 こ……これが覇王か……! 様々を興じてこそと言うだけはある……! 食べてからそう時間は経ってないから、そこまで腹は減ってなかったのに……っ……味覚が、味覚が俺に次を寄越せと命令を……!

「…………《じーー……》」
「んぐっ、んっ、はぐっ、あちちっ……!」

 いつ料理の練習しているのかも解らないが、これは勝てない。
 マーボーを掻き込みよく味わいながら咀嚼し、飲み込む。その動作を何度も繰り返し、やがて全てを食し終えると……手を合わせて「ごちそうさま」を心から放った。
 さっきからじ〜〜〜っと見られている気がしたが、食事に集中したかったから集中した。それも終わった今、暖かな満足感を胸と腹に抱き、ハフーと幸せな溜め息を吐く。

「いや……まいった。同じ材料でここまで差をつけられるとヘコムな。なのに美味いから満足しちゃうし。……もう言ったけど改めて、ごちそうさま、華琳。めちゃくちゃ美味かったよ」
「───! ……当然よ、このわたし自らが作ったんだもの」

 その割りに、一瞬だけ安心したような顔をしたような。気の所為? 本当に一瞬で、今は得意気に軽く胸を張っているけど。
 や、でも美味かった。美味かった……けど、さすがに食いすぎた。
 食べてきたことは知ってたんだから、もうちょっと量を減らしてくれてもよかったのに。
 もしかして華琳って、少ない量じゃあ料理が出来ない人? ……まさかだよな。そうだとしても、完食してしまった俺が言っても説得力がない。

「稟の食事の世話って、華琳がやったほうが喜ぶんじゃないか? 俺じゃあこんな味出せないもん」
「だめよ。それは一刀、あなたの仕事でしょう?」
「む。それは確かに、俺が始めたことだけど」
「それにわたしのは一刀用に味付けをしたものよ。血管への作用なんて詳しいわけじゃないし、わたしの作り方で稟の鼻血が止まる保障も自信もないもの」
「おお……」

 塩分摂取が過剰になれば血圧を高める。なるほど、俺が言った言葉だ。
 血がさらさらな方が、鼻血が出た時に止まりにくいってのもあるけど……それはそれだな。味は薄いほうが健康にはいいと思う。

「じゃあ、これからも稟の食事の世話は俺がやっても?」
「ええ、構わないわ。それから一刀。天の料理を、知っている限りわたしと流琉に教えなさい」
「天の料理を? いいけど……どうしたんだ、急に」
「べつに。久しぶりに腕を振るったら、いろいろと試してみたくなっただけよ。いいものがあるのなら、四時食制に加えるのも悪くないと思うのも当然でしょう?」
「そんなもんか」
「ええ、そんなもんよ」

 そう答える華琳はどこか楽しげだ。
 ……あ、ちなみに華琳式まろやかマーボーはしっかりと辛さ控えめだった。
 彼女の味覚がそうさせたのか否かは別として、まろやかさは伝わった。

「じゃあ、片付けるか。あ、俺がやっておくから華琳は…………って、どした?」

 空になった食器を揃え、持ち上げようとした俺をじ〜〜〜っと見つめる華琳。
 米粒でもついているのかと、食器から手を離して頬に触れてみるのだが、そんな感触は一切ない。なんだろ、俺、ヘンなこと言ったっけ?

「あれ?」

 しかしここであることに気づく。
 華琳が食べ終えてから置いたはずの、綿菓子の棒が見当たらず………………

「………」
「………」

 なんか、華琳が持ってらっしゃった。
 視線に気づいた華琳がすぐに隠すがもう遅い。

「……もう一回、作ろうか?」
「〜〜〜《かぁあああ……!!》」

 なにやら気に入ってくれたらしかった。
 無言で差し出された棒を手に、もう一度綿菓子機の前へ。
 しかし一度置いた棒で作ると文句が飛びそうだったから、別の棒を用意。
 作る過程から見せて、無言で綿菓子が作られるのを見る華琳の顔を見るのは、口には出来ないが縁日で燥ぐ子供を見ているような気分だった。

「華琳さ、やっぱり辛いのより甘いもののほうが好きだろ」
「っ……だ、大事なのは味を判断する味覚よ。辛いだけでは味なんてどうでもよくなるって、前にも言ったじゃない」
「じゃあ、辛いものと甘いもので言ったらどっちが好き?」
「だからっ、辛いとか甘いとか、そんなことはどうでもいいのよっ」
「そっか。ちょっと思いついたものがあったから、甘いものが好きならやってみたいことがあったんだけど」

 ぴくり。
 甘いものって言葉に、なんとなく華琳が震えたように見えた。

「天では暑い日にはアイスってのが人気なんだけどさ。丁度大陸って場所でもあるし、真桜あたりなら硝石くらい持ってると思うし、牛乳もあるしでアイスが作れると思うんだが」
「あいす?」
「冷たいお菓子だよ。前に流琉に頼んでクッキー作ってもらったけど、それとはちょっと違う、牛乳とか砂糖とかを冷やしながら混ぜたもの……かな? 混ぜたものを冷やすでもいいけど」

 生クリームはほっとけば浮いてくるだろうから、それを取ってもらっておくとして……氷は水と硝石で作って、香り付け……バニラエッセンスとかは酒で代用しよう。みんな、お酒好きだし、たしかあれってバニラの香りをアルコールに溶かしたものだった筈。

「冷たいお菓子……天は本当に興味深いことばかりね。いいわ、それは明日にでもあなたが作ってみせなさい」
「明日か!? や、確かに非番だけどさ。華琳は仕事あるだろ? サボらない限り、ほぼ」
「時間なんて作ればいいのよ。それをするための準備はあなたが戻る前から出来ているんだから。……まあ、最近は呉蜀から来る要望整理に追われて、時間を割く余裕もなかったのだけれど」

 正直だなぁ……まあいいや、華琳が大丈夫だっていうなら出来るだけのものを作ろう。
 よし、綿菓子完成っと。

「はいお嬢ちゃん、綿菓子だよー」
「……………」
「いや、睨まれてもな。これが天の国の伝統というか、縁日の常套文句なんだよ」

 ともかくハイと渡した綿菓子を、溜め息を吐きながら受け取る華琳。
 しかし次の瞬間には何処か楽しげな表情で綿菓子のモフモフとした食感を楽しんだ。
 さて、それじゃあ俺は下準備を始めなきゃだから……

「じゃあ華琳、俺これから材料集めに走るから。明日の昼あたりにはご馳走できると思うけど、どうする? 夜のほうがいいか?」
「ええそうね、夜でいいわ」
「そっか。じゃあ牛乳分けてくれたおっちゃんに、アレを捨てないでおいてもらって……」

 やることは多そうだ。
 そうと決まれば今のうちからおっちゃんのところへ行って、取っておいてもらわないと。

「じゃあな華琳、俺ちょっと出てくるから」
「ちょっと待ちなさい一刀。そのあいすとやらの材料は、そんなにも手に入りづらいものなの?」
「言ったろ、“ご馳走する”って。一所懸命に走ることに意味がある。まあそれは建前にしても、どうせならちゃんとしたの食べてもらいたいしさ。遅くなればなるほど手に入りづらいものもあるから」

 そんなわけだからと断ってから行動開始。
 食器を片付けて綿菓子機も片付けて、いざ出発!

「だから待ちなさいと言っているでしょう? ……思春を就かせるわ、あまり無茶をするようなら力ずくで止めなさい」
「御意」
「《ビビクゥッ!!》ヒィッ!? いっ……居たのか思春! ていうかまた背後!?」

 何故か俺の背後から聞こえた声に、悲鳴を上げながら振り向けば思春さん。
 相変わらずの表情で、ただ静かにそこに立っている。好きだなぁ背後。

「………」
「………」

 しかも俺が動くまで一切動く気が無いらしく、じーーーっとこちらを睨んで……もとい、見つめてきている。
 ……行くか。せっかく一緒に来てくれるっていうんだから。

「じゃあ、またよろしくな、思春」
「……ああ」

 目を伏せ、それだけを返すのを確認すると、今度こそと華琳に一言届けてから行動開始。
 厨房を出て、通路を歩きながらこれからの行動を煮詰める。

(ん〜〜っと……)

 乳牛を飼う人はこれで案外少ないから、牛乳が欲しいと思ったら先に言っておく必要がある。この時代、まだ牛乳を飲んだりする習慣は多くみられないっぽいし。
 これでも増えたらしいんだけどね。
 さて、行動するにしてもまずはどうするか。
 明日は忙しくなりそうだし、今日のうちに出来ることを進めるべきなのは当然だ。
 あーー……まずは真桜に訊いて硝石があるかどうかの確認だな。
 無かったら…………えーと、どうしようか。無かったら話にならないんだが。
 火薬の材料には使われてるんだから───って、硝石が火薬の材料として使われるのはもっと後か? いや待て、桔梗の豪天砲は火薬仕様だろ。
 火薬の調合が確立されてるんだから、硝石は普通にあるよな、うん、きっとある。……歴史的には、火薬の調合は唐の時代、今から400年近くあとの話だった気がするんだが、それを言うのはきっとヤボってもんだろう。貂蝉の言う通り、“ここがそういう世界”なだけなのだ。

「よし、あとは───」

 次の行動が決まってくると、通路を歩む足も早くなる。
 思春に必要な材料と、何処でどれが手に入るのかを話しながら真桜の部屋へ。
 硝石があることを知ると、今度は乳牛がある邑を目指して城の外へ。
 分けてもらった硝石と水を持ったまま氣を使用して、夜を駆ける。
 夜に馬に乗るのはオススメしない。馬も、乗ってる人も危険だ。
 
「三日置きの鍛錬が出来なくなっても、結構走れるもんだな……」
「それはその分、貴様が氣の扱いに慣れてきたからだろう」
「そっか。だったら、氣ばっかり鍛えてたここ最近も無駄じゃあなかったってことか」

 夜道を駆ける。
 一応、城を出る時にも街を出る時にも門番にひと声かけておいたから、妙な話は出回らないはずだ。乱世の中じゃあ絶対に出来ないことだな、これは。

「思春、思春っ、一から何かを作るのってわくわくするよなっ」

 夜空の下を思う存分駆け回っている所為だろうか。
 自分のテンションがちょっとおかしいことを自覚しながらも、湧き出るわくわくを抑えきれない。気分はまるで水を得た魚だ。……この場合、おもちゃを得た悪ガキだな、うん。
 そんなハイテンションな俺をちらりと見た思春は溜め息を吐くだけで、特に言葉を返したりはしなかった。
 だからなんとなく可笑しくなって、でもそんな可笑しさを溜め息で吐き出して……口を開く。城の中では言えないことを、口にするために。

「俺さ、思ったんだよ」
「……?」
「や、霞にも言われたことなんだけどさ。狡兎死して走狗煮らる……それってなにも、武を必要とされなくなった武官に限ったことじゃあなかったんだよな。俺だって利用価値が無くなればそれまでで、仕事があるからこうして生きていられる。天の御遣いだから大丈夫〜とか、妙な先入観があったんだ。でも、違うんだよなぁ……御遣いだからってずっと何もしないでいいわけじゃない。王だからって踏ん反り返っていればいいわけでもない。やるべきことやって初めて、自分の場所が提供されるんだよな」

 そこのところは結局、何百何千と時間が経とうが変わらないんだなと実感する。

「俺は狡兎を狩る走狗にはなれなかったけど、自分に出来ることがあったから魏に置いてもらった。活かせる知識を持っていなかったらって考えると、今でも寒気がするよ」
「それこそただの種馬になるか」
「種馬になる前に捨てられてたんじゃないかな。今の華琳じゃあ解らないけど、出会ったばかりの華琳なら迷うことなく役立たずは切り捨てたと思う」

 なにせ引き合いに利用価値を出したほどだ。
 あの頃の華琳なら、俺への興味を俺ごと早々に切り捨てただろう。そして俺はどこかで野垂れ死にしていた。そんなことを容易に想像出来る時代があったのだ。
 食だってただじゃない。役に立たない奴に食料を分け続けられるほど、豊かだったわけでもないんだ、それは仕方が無い。
 だから今は、こうして自分に出来ることを探しては実行するようにしている。
 利用価値ってものがどうか無くなりませんようにって……まあ、ようするにいつだって怖いのだ。天でだって、きっと働き始めれば同じ事を思うに違いない。
 前にも似たようなことを考えたけど、霞と話をしたらそんな思いが強くなった。
 知識が無くても“天の御遣い”って名前だけで置かれていたかもしれないが、今ほど待遇はいいものじゃない気がする。天の知識が無ければ、ほんとにただのお飾りだったんだもんなぁ俺……。

「警備隊の隊長にはなったけど、根本からして変わってはいないんだよな。受け容れてもらったからって何もかもが許されるわけでもない。働かざる者食うべからずって色が天よりもよっぽど濃いこの時代だ、ただ食うだけのヤツなんて捨てられて当然なんだし……だったら何かをするしかない。俺にとってのその何かってのが多分……」

 華琳の傍に居て、自分らしくあること。
 警備隊の仕事もして、知識を提供して、魏の役に立つこと。

「魏のため……か。うん……もしなんだかんだで魏から追い出されたら、どうしようかな」

 無いとは思うが、現実ってのは何が起こるか解らないから安心できないものなのだ。
 考えるだけならタダだし、少し考えてみた。
 …………。
 傍に霞が居ても居なくても、一度羅馬に行ってみようか。
 自分を見つめ直すにはいい機会かもしれない。もしもだけど。
 大陸を離れて、いろいろな国を見て回るのもいいかもしれない。

「思春はもし“要らない”って言われたらどうする?」
「それは貴様が私にそう言うということか?」
「いや、それは絶対にないけど……ってそっか、思春って一応、俺の下に就いてることになってるんだっけ……隣に居るのが自然みたいな感じで、すっかり忘れてた」
「貴様は……」
「でも、うん。そんなことは絶対に言わないって。どちらかというと、言われそうなのは俺だと思うし。行動が行き過ぎて、お前じゃあだめだーとか言われてさ」

 溜め息を吐く思春に、苦笑しながら言葉を届ける。
 ほんと、世の中っていうのがもうちょっと心の準備をさせてくれる世界だったらなぁ。

「今だから言えるけどさ。支柱って言葉に自分が向かった理由も、そんな不安からくる何かの所為なんじゃないかなって、そう思うんだ。支柱になれば利用価値は長く続くんじゃないかなって、そんな打算的なことを考えたことだってある」
「貴様は自分が魏に居る理由がほしいのか」
「今でもソレを探しているからこそ、こうして走り回ってるんだろうな。質問戻すけど、思春だったらどうする? 要らないって言われたら」
「貴様に言われないうちはせいぜい貴様の下にでも就いていよう。それすらもが却下されるというなら、農婦にでもなればいい」
「……おお。いいな、それ」

 「俺もそうなったらそうしてみようかな」なんてことを続けて口にする。
 すると思春は…………あれ? なんか止まってる。

「思春?」
「! …………い、いや、貴様はやめろ。農婦は私一人で事足りることだ」
「え? いや、一人でって結構大変じゃあ……えと、それじゃあ行商でもやってみるかな」

 そんな日がいつ訪れてもいいように、心の準備をしておいてみようか。楽しい日々に飲まれ、どうせ忘れてしまうであろう心の準備だとしても。
 そうして、来るか来ないかも解らない先のことを話しながら、辿り着いた邑。
 そこでおやっさんに話を通して、牛乳を貰えることになった。
 生クリームは熱するか冷やすかすれば勝手に浮いてくるものだから、そういった処理をしたものから生クリームを分けてもらえることにもなった。
 ただ、

「どうせなら朝一番で搾ったものが良いでしょう。翌朝になってしまいますが、それでも構いませんか」
「ん、確かにそうかも」

 ってことにもなったために、また一泊することになり───ません。明日一番に取りに来ますとも。
 やんわりとした断りの言葉を前にして、おやっさんは「そうですか」と少し残念そうに口にしていた。泊まってほしかったんだろうか……ていうか顔はおやっさんって感じなのに、喋り方が丁寧だから結構調子が狂う人だったりする。優しい人なんだけど。
 対する思春は咳払いを何度か繰り返して、どうしてか俺にだけは絶対に顔を見せない一人の修羅になってしまった。声をかけても近づこうとしても、何故か一定の距離を保ったまま近づけやしない。
 首を傾げながらも一応の了承を得たならば、ここでこうしていても仕方ないので街に戻り……結局、保存のために持ってきた水と硝石は使わなかったなーと思いながら、遅くなったことを門番に謝りつつ今日という日を終了させた。
 ……思春と別れて部屋に戻った途端、一日中のほぼをほったらかしにしていたことで、袁術にたんまりと文句を言われたりしたのは割愛させてもらおう。




ネタ曝し  *華琳の周囲がモシャアアアと歪んで  バキシリーズより。殺気とかで景色を歪ませるのは凄いです。  アニメだとモシャアアアアとか鳴ってて、凍傷はそれがお気に入りでした。  *諦めない  MMRより、キバヤシのお言葉。  「あきらめない!! それがオレたちにできる唯一の闘い方なんだよ!!」  *デセル(デザート)  デセールとも。カッコ内に書いてある通り、デザートの意。  deseertと書くらしい。からくりサーカスより。  *ご馳走  もてなすために走ること。  “美味しんぼ”でそういうお話がありまして。  お待たせしております、53話です。  12日で二話……先月がウソのようだ。  脅威のサウナ効果で、ンマァ、二ヶ月で7キロも痩せたわ!  すごいわジョナサン! これで夜の通販番組枠は独占ね! その前に熱中症で死にます。  オアー……森林浴でもしてゆっくり休みたい……。  むしろ木々に囲まれた川とかでばっしゃばっしゃ泳ぎたいです先生。  川を泳いだのは人生で一回こっきりだった筈。  あれは気持ちがよかった……と懐かしんでいないで。  いや、7キロ落ちたのはほんとです。夏キライ。  華琳さまの話が多いのは自分の好みの問題だと思う今日この頃。  月姫の話を書いていると翡翠ばかりが出てくるのと似たようなもので、翡翠が出るとほぼシリアスになるのです。不思議。  次回は楽しいお菓子作り…………とは断言しません。  お菓子作りの時点では楽しいになっているとは思いますが。  ではまた次回で。  ちなみにソフトクリ−ムの歴史は紀元前2000年頃の中国にルーツがあったとか。  その頃から家畜の乳搾りを開始して、それを煮て、雪で冷やしたミルクは大変高級だったらしいです。ミルクはあくまで家畜のものであり、牛であったかどうかは謎です。  参考は“ニッセイソフトクリームランド”より。  話自体はいろいろな場所で違うようですし、どれが正解かは解りませんが、こちらの場合はアイスというよりはシャーベットだったみたいです。あくまでルーツだそうですから、アイスではなかったみたいです。  追記:目次に53話目を入れるのを忘れてました、すいません。 Next Top Back